司祭としてのマリア信心 - Womenpriests.org

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第四部
再度の試み
第十九章
司祭としてのマリア信心
この章では、信者たちが女性も司祭に叙階され得ることを心の
奥底で知っていることを示すために、潜在的カトリック伝統の研
究を提示する。教皇、神学者、信者たちの中にあるマリアへの愛
は、彼女が『模範的司祭』であるとの確信が世紀を通して存在し
たことを物語る。今、何世紀もの間の誤解と行き過ぎが他の宗派
のキリスト信者を傷つけてきたことを理解した上で、私たちはマ
リア信心についてより慎重にならなければならない。
ここで私の意図をはっきりさせたい。私は司祭マリアへの信心
がいかに素晴らしい由来があろうとも、それに戻ることを提唱し
ているのではない。私は単に、マリアが「他の叙階された男と同
じように司祭であった」という確信に対する自発的な証しとして、
その意義を指摘しているに過ぎない。女性であるという理由で司
祭職が現在拒否されているが、マリアが司祭であるなら、どんな
女性も司祭になれるはずである。これは英国における黒人奴隷に
関わる有名な裁判を思い起こさせる。
1767 年、奴 隷 廃 止 運 動 の 草 分 け で あ っ た グ ラ ン ヴ ィ ル・
シャープ(Granville Sharp)は、法廷で英国においてはいかなる人
間も奴隷とされてはならないと主張して、ジョナサン・ストロン
グ(Jonathan Strong)という名の奴隷を自由にしようとした。しか
し、彼の主人は裁判で勝ち、黒人奴隷は完全な人間でないとの結
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論が出た。したがって、奴隷は英国においても主人の所有物だっ
たのである。シャープは諦めなかった。1772 年に彼はリバプー
ルでジェームス・ソマセット(James Somersett)と呼ばれる黒人
を自由にするための裁判を起した。シャープは、ジェームスにつ
いて科学的調査を行い、彼は他の人と同じように人間であると宣
言した科学者の専門的な証言を得ただけで、初めて訴訟に勝利し
た。裁判所はそこで、奴隷は黒人であっても、男女ともに英国領
内に入国するやいなや自由を獲得することを裁決した。なぜなら、
一人の黒人に適用されることはすべての人に適用されるからであ
る。聖母の場合も同じことである。彼女はあらゆる特権にもかか
わらず、一人の女性であったし、女性としてとどまったのである。
マリアが司祭であることへの信仰
マリアの無原罪の御宿りは、彼女が司祭であることを根拠にし
て正当化され、1854 年には大急ぎで教義化されたのだが、この
ことを私たちはほとんど忘れてしまった。伝統は度々ヘブライ人
への手紙 7:26 を彼女に適用した。
「このように聖であり、罪なく、
汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている
大祭司こそわたしたちにとって必要な方なのです」
。ベネディク
ト会の修道院長、ジャック・バイロート(Jacques Biroat)は 1666
年に次のように書いた。「このヘブライ人へ手紙の箇所について
のパウロの論議は、キリストの母について言われることである。
彼女は息子の司祭職をともにし、神と私たちとの和解の源となっ
た。したがって、彼女は完全に罪の汚れがなく、罪人とは区別さ
れなければならなかった。彼女は原罪から守られるべきであっ
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た」
。マリアはしみのない司祭でなければならなかった故に、汚
れなく宿られたのである。
マリアはイエス・キリスト以外の他の誰よりもカトリック信者
の創造力を捉え、何世代にもわたり彼女の中に聖人らしさと愛の
最高の反映を見てきたのである。カトリック信者はマリアがイエ
スの母である故に彼女を好んだ。また、彼の第一の『司祭』とし
て、救われた者の中で最も親密な仲間として尊敬した。
オランダの教会で司牧に携わっている女性のお蔭で、私は祭服
とストラを身につけたマリアを描いた 6 世紀のモザイクに注目す
るようになった。彼女はマリアのエリザベト訪問をテーマとして
調査しているうちに、偶然このモザイクを見つけたのである。彼
女は夏休みを夫とともにそのモザイクの調査に行くことを計画し
た。彼らはクロアチアのパレンソにある教区の古い教会を訪ねた。
祭壇の後ろのモザイクは、身ごもったエリザベトを祝福している
司祭の服を着けたマリアを描いたものだった。後に本書の中で明
らかにした理由故に、今日のほとんどのカトリック信者と同様、
彼女はマリアと司祭職との関係に気づいていなかった。パリの有
名なサンスルピス神学校の創立者であるジーン・ジャック・オリ
エル(1608 〜 1657)なら異なる仕方で話したかもしれない。
聖母の挨拶は、エリザベトの胎に宿る聖ヨハネを聖化し、聖
霊の充全な賜物を与える洗礼の秘跡的なことばとしての効果
を持っていた……。このようにして聖母は教会における司教
として、大祭司ザカリアの息子に彼女の力を与えて、彼に聖
1)
霊をしるして、彼を聖なるものにしたのである。
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すべてのキリスト信者はキリストの祭司職に参与するが、マリ
アのものと考えられる司祭の役割は、信者の普通の祭司職をはる
かに超えるものだった。イエズス会士、サラサールのフェルディ
ナンド・チリノ(Ferdinando Chrino de Salazar, 1575 〜 1646)は何世
紀も経ってから、伝統の反響を次のように書いた。
『油注がれた者』であるキリストは自分の塗油の豊かさをマ
リアに注ぎ、彼女を聖なる者、永遠の司祭にした。マリアは
誰よりもはるかに優って司祭職に挙げられたのである。聖な
る秘義をキリストとともに、彼が行う同じ神秘的な方法で行
う司祭たちと一致して、彼女は常にあのカルヴァリオで生け
2)
贄を捧げたように、彼と一体となってミサを捧げるのである。
伝統は燔祭を捧げる司祭としてマリアに焦点を当てる。この信
仰は初代教会に始まったもので、私が強調したい点である。これ
はローマがすべての女性にダメだと宣言する司祭職のことなので
ある。
聖職からマリアも排除されるのだろうか
花むこと花よめ論議の中で、ローマは最近マリアが母として、
3)
処女として、女性の真の召命の模範であると見なすようになった。
マリアを母であり、教会の模範とした古いテーマの継続である。
教会は二つの次元、すなわち、マリアのそれと使徒ペトロのそれ
4)
について話し始めたのである。
使徒ペトロの次元として、聖職位階組織の中に位置づけ、司教、
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司祭、助祭たちが花むこであるキリストを代表する。その機能は
キリストが男であったから男性によってのみ達成され得るとする。
ローマはこれを聖職と呼ぶが、司祭的レベルで教会の中で実権を
握るのである。それは教えること、統治すること、ローマにとり
最も大切なミサ聖祭のような聖なる典礼を行うことである。マリ
アの次元は愛の応答にある。すなわち、自分の体を生きた燔祭と
して捧げること、キリストの証をたて、善良な信者の生活を生き
ることなどである。『命を与える』母性と『独身の自己贈与』で
ある処女性という二重の召命である。それは花よめとしての教会
の役割を意味し、一言でいうなら、これが聖性への招きなのだ。
男性がマリアとペトロの両次元に参加できるのに対し、女性は
マリアのそれにしか与れない。ローマによれば、マリアの次元の
方がペトロのそれより高く、より崇高なので、女性たちは悲しん
ではならないのである。
教会のマリアの次元はペトロのそれに先行する。すなわち、
そこから区別されることもなく、また、補足的であるのでも
ない。汚れなきマリアは明らかにペテロ、その他の使徒たち
をはじめとして、すべての人に優先する。これは、罪の重荷
を背負う人間から生まれたペトロと使徒たちが『罪人の中か
ら聖なる』教会を形作るからというだけではなく、彼らの教
え、統治し、聖化する三重の働きは、既にマリアの中に設定
され、彼女の中で既に示された聖性の理想に沿って教会を形
作る以外のいかなる目的も持たないからなのである。現代の
一人の神学者、H.U. バルタザール(Balthasar)はいみじくも
次のように言った。マリアは「使徒たちの女王でありながら、
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いかなる使徒的権限をも主張しない。すなわち彼女は他のよ
5)
り偉大な権能を有している」(Neue Klarstellungen)。
構図ははっきりしている。二つのキーワードは聖性と権能であ
る。女性は例えば、叙階のような使徒的権能を暗黙のうちにも主
張すべきではない。なぜなら彼女たちの聖性への召命はより崇高
な身分に関するものだからである。したがって「司祭職を望む女
性たちは『より低い部分』を選び、彼女たちがより偉大であるこ
とを否定すべきだと言われる。過去において、女性はその『より
劣等な地位』の理由で司祭的奉仕職から締め出されていた。現在
は『崇高な身分』が彼女たちに与えられていると考えられ、結果
6)
としては同じく叙階されることがない」のである。
この点に関して多くを語ることができる。女性に対するローマ
の父権的態度は、私の知人の義母のことを思い出させる。彼女は
結婚した娘の家族と長い間一緒に暮らしていた。ある日彼女が家
族の車を運転したいと言い出した時、娘の夫である私の知人はど
うやって彼女に思いとどまらせるのか困り、途方に暮れた。つい
に彼は次のようなことを思いついた。偉い人たちは今では自分で
運転しないで『運転手』に運転させるようになったので、自動車
を運転するのは彼女の品位を落とすことになると告げた。そこで
彼女が納得したとは思わないが、こんな風に、女性は男性よりも、
曖昧な話で誤魔化されてしまう。
マリアは比喩的に家庭内に追いやられている。マリアが最後
の晩餐にいたことすら推測されもしない。十字架の下で、復
活の時、聖霊降臨の時に彼女が担った役割は私的なもので、
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いつも男性使徒がとる公の役割に対して二流なのだ。このよ
うに、いいようにされてしまったマリアを女性の模範にして
崇めることは、実際には現実の女性の価値を低めることであ
る……。それは従順で受動的であること、従属などを、善良
な女性の宗教的価値観として推奨するのである。この価値観
は、使徒たちにイエスの復活を知らせた女性たちがまさしく
7)
捨て去った価値観に他ならない。
私はここで教皇が抱くマリアのシンボリズムのすべての側面を
8)
調べるつもりはない。私は見えなくされている伝統を探す中で、
司祭マリアへの古い信心においては、現在女性に対して禁じられ
ている、すべての司祭的、使徒的、ペトロ的役割がマリアに帰さ
れていることを指摘することに止めたい。マリアが女性であった
にもかかわらず、真の司祭的権能が彼女には与えられていた。
マリアは犠牲を捧げた祭司であった
教父たちは、マリアのエリザベトとの関係が示すように、彼女
は祭司の家系に属していたと指摘した。聖メソディウス(Methodius)が言うように、彼女は『永遠の祭司職の保証として芽を出
したアロンの杖』であった。伝説によれば、マリアは大祭司だけ
が 1 年に 1 回入ることができた神殿の至聖所で幼児期を過ごした。
「一介の女性が男性すら近づけない場所である至聖所の奥に入る
ことができたなどと、誰が見たり聞いたりしたことがあるだろ
う」(コンスタンチノープルの聖ゲルマヌス , Germanus)。教父たちは
マリアの祭司的尊厳を暗示して、彼女を『聖所』
『契約の櫃』
『金
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の香炉』
『香壇』などと好んで呼んだ。
「めでたし、若いおとめよ、
犠牲を捧げる祭司、死すべき人間に慈悲深い方、彼女によって東
から西まで神の名が国々で賛えられ、どこにあってもマラキアが
言うように彼の御名に香を焚く」(ストゥディテのテオドルス ,
9)
。
Theodore the Studiter)
マリアの司祭職は中世期にはもっと詳細にわたって論じられた。
出発点は、マリアが犠牲的働きを行っていると思われる聖書の箇
所だった。例えば、神殿での奉献の時、マリアはクレルボの聖ベ
ルナルド(Bernard of Clairvaux, 1090 〜 1153)が言うように、「神の
み旨にかなう犠牲として私たちの和解のためにイエスを捧げる、
叙階されたおとめ」として働いた。カサールのウベルティノ
(Ubertino of Casale, 1259 〜 1330)は他に誰も祭司はいなかったとつ
け加えた。彼女のみがイエスを捧げることができた。そして、彼
女はイエス自身の次にすべての祭司の中で最も偉大であった。こ
れは一般的なテーマになった。
聖なるおとめが祭壇に着くとセラフィムよりも聖霊によって
燃え立ち、彼女は跪き、御子を抱き、彼を贈り物、神によみ
せられる犠牲として捧げた。「全能の父よ、全世界のために
捧げるこの供え物を受け入れてください。あなたのはしため
の手から再び、後に夕べの犠牲として十字架の両腕から捧げ
10)
られるこの聖なる朝の犠牲を受け入れてください 」と祈り
ながら。
多くの神学者たちはマリアが十字架の下で、犠牲を捧げる祭司
の姿で立っていたことについて言及した。例えば、教会博士であ
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るフィレンツェのアントニウス(Antonius of Florence, 1389 〜 1459)
もその一人である。
マリアは『金糸の晴れ着を着て、神の右手に立つ元后』であ
る(詩篇 45:14)。彼女は正当な女性司祭である。なぜなら彼
女は自分の息子を惜しむことなく、十字架の下に立ち、アン
ブロジウスが言うように、ただ苦しみと彼女の息子の死を証
するためではなく、人類の救いを実現するために、神の御子
11)
を全世界の救いのために捧げ尽くしたのである 。
ファベル神父(F. W. Faber)が 1857 年に言ったように、「マリア
はイエスの受肉の教役者なのである。ミサの犠牲が捧げられてい
る間、司祭が祭壇を去らないように、彼女はカルバリオから下り
12)
てくる権利を持ってはいなかった 」
。
マリアが女性であったことは問題ではなかったのか
今まで見てきたように、中世の神学者と同様に、ラテン教会の
人たちの考えを支配したローマ文化の中で、女性が祭司職に含ま
れるリーダーシップの役割を与えられることは考えられないこと
であった。女性は知的にも情緒的にも男性に劣ると考えられてい
た。
『不完全な人間』として女性はいかなる公的任務に就くこと
もならなかった。したがって、女性は聖なる権限を行使し、男と
して完全な人間であったキリストを代表することなどの資格はな
いと見なされていた。毎月のメンスのため、女性は『儀式上危
険』な存在で、不浄のため聖所に近づくことはできなかった。さ
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らに、神学的正当化がつけ加えられた。すなわち、キリストは使
徒団に女性を選ばなかったし、神は女性を原罪の罰として男に従
属させ、パウロは女性に教えることを禁止した等など、どのよう
にこれをマリアに適用したのだろうか。
最初の 10 世紀間、緊張感はあったものの、マリアの司祭とし
ての身分に関する伝統は、女性に対する司祭職のあからさまな禁
止に直面することなく発展した。4 世紀にサラミスのエピファニ
ウス(Epiphanius of Salamis)は、もしマリアが祭司であったなら、
イエスは洗者ヨハネではなく、彼女から洗礼を受けたであろうと
指摘した。それはマリアの司祭としての尊厳を賞賛する伝統を止
めはしなかった。しかし、法律を重んじる中世の学者たちはこの
矛盾に正面から取り組んだ
古典的な解釈を編み出したのは教会博士の大聖アルベルト
(Albert the Great, 1200 〜 1280)であった。彼によるとマリアは聖な
る叙階の秘跡的霊印を受けていないが、秘跡の実質を豊かに持っ
ている。どのような位階制度の中でも、上長はすべての権限と配
下の尊厳を手中に握っている。マリアは教会の中で最高レベルに
あるので、司祭、司教、教皇が持っているいかなる権威をも有し
ている。
最も祝福されたおとめは『聖なる』叙階の秘跡を受けなかっ
たが、すべての権限を持っており、それによって恵みが与え
られる。聖なる叙階を通して七つの恵みを与えられるが、彼
女はあらゆる点で恵みに満ち溢れていた。
- 叙階の秘跡には霊的力、聖職の威厳と行政権がある。し
かし、 マリアは自分の中にこれら三つの『権能』をすべ
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再度の試み
て同じように持っていた。教会の教役者たちは彼らの『秘
跡的』霊印を通して有利な地位を所有するが、マリアは闘
う教会と同じく、勝利の王国の冠を持っている。最高の聖
職者は教皇と呼ばれ、神の僕の僕であるが、マリアは天使
たちの元后であり、女王である。教皇は神の僕の僕である
が、彼女は全世界の皇后なのである。
-
また、教役者には神からの霊的及び世俗的権限がある。
代理または身代わりであるが、彼女には神の権威による天
的権能が永遠に満ち溢れている。
-
教役者には鍵を使って繋ぎ、また、赦す権限があるが、
彼女には天国の統治を通して繋ぎ、赦すことにより支配す
る正統な権限がある。
祝福されたマリアが『聖なる』叙階に付随するいかなる恵
13)
みと権威にもこと欠くことがないのは明白なことである 。
大聖アルベルトは、これが単に性差に基づいて女性を叙階から
排除するような結果をもたらすことに気づいていなかったのだろ
うか。多分、気づいていたと私は思う。彼が注意深く基準となる
反対リストを作ったのは重大なことである。しかし他のすべての
疑問に関する実践から逸脱し、これらに関する自分自身の判断の
表明を省いたのである。彼はその時代の文化的、神学的偏見に捕
らわれていたが、マリアにおいて女性に対する禁止が決定的に破
られたことを理解しただろうか。
他の神学者たちはいくつかの方法で聖アルベルトの考えに従っ
た。
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- 一般の司祭においては秘跡的な霊印は外面的であるが、マリ
14)
アには本来備わっていた 。
15)
-
受胎の瞬間に彼女を聖別したのは聖霊であった 。
- マリアは、イエスが受けた祭司としての聖化に参与した。つ
16)
まり、彼女は最高に『油注がれた者』なのである 。
- ちょうど、イエスは永遠の大祭司であるのに、正式には叙階
されなかったように、マリアも秘跡としての叙階を受けずに彼
17)
の後を継いだ最高の祭司なのである 。
司祭マリアへの信心は時には必ず明白に宣言されるよう努力が
払われた。「マリアにあっては、彼女が女性であることによる妨
げは聖人の権威によって、聖書の例や理性の力によって克服され
18)
た」
。ここで隠れた伝統の声がするのではないだろうか。すなわ
ちそれは、偏見に取り囲まれているにもかかわらず、マリアが司
祭である以上、性差の故に女性に対して司祭職を拒否することは
できないというキリスト教信仰の中心にある気づきである。
なぜこれに終止符が打たれてしまったのか
マリアの司祭職に関する議論は 20 世紀の初頭に急に立ち消え
になった。1903 年、レオ十三世はまだ祭服を身につけたマリア
を描くことを認可していたが、1913 年、検邪聖省はそのような
19)
絵を禁じた 。1907 年、ピオ十世は「処女である司祭マリアよ、
20)
私たちのために祈ってください 」という祈りに 300 日の贖宥まで
与えたが、1926 年、検邪聖省は「司祭マリアへの信心は認めら
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れないので、推進してはならない 」と宣言した。ちょうどその
頃、女性の叙階運動が他のキリスト教宗派の中に起こったのは偶
然のことなのだろうか。
* 訳者注:priest, priesthood の日本語訳はユダヤ教の文脈の中で使われ
る時に「祭司」、「祭司職」、また洗礼によって信者は共通「祭司職」に
あずかる時に用いるが、その他の場合は「司祭」、「司祭職」を使う。