木村三郎 ルネサンスからバロックにかけて描かれた《アポロとダフネ》 の図像展開について……ルーベンスとプッサンの周辺 日本大学芸術学部「芸術学部紀要」第蛆号抜刷平成加年9月 □ ルネサンスからバロックにかけて描かれた 《アポロとダフネ》の図像展開について ……ルーベンスとプッサンの周辺 木村三郎 ■■ の:冒○国富ご國尹.《尹巨8日」の罰号のロ、黒田o局⑩旨》酔官○℃○mgの].】8口○ぬ国ご豆の』》シで。]}○口の一己、已忌」の]旬罰のpBmm目g冒す胃呂巨の》》 (閃応、の巴島冒」凰塑Q】庁函⑯。団員シ摩自[園『§&貧ggpC・お)・己昌一の巨目目色]竜、⑨一一一8口・函国日】の」の。①岳⑩己の8一○耳の①目、のびロ, 』画昌、巨円]の、の冒二の⑩」のの弓固四○三(]呂函)の←の房匡淳[〕□(]垣&)・已餌凹巨、、】の、閏琶⑥」。、ごm}罠の円]》回mでの9℃目←】o己」の円已の己の盲目局⑪叩の一二①、切目、 で自旧・弓・因号の曰:一三・田・巨の、旨、旨]の:】且弓での、』の円の官肝の員旦一目》の①】目]のロ。己冨の」の:の厨・目四mの、a)符』1←)◎将.、‐]]》◎薇』画‐ 一m》⑤賃一句1氏◎符・]④19). つは、毒液をいれたその腹で、広い地面をふさいでいた怪物だ。…」 ピュトン(二号。。)を、Oおびただしい矢で倒したばかりだが、こい 敵に確かな傷を与えることができる。このあいだも、巨大なからだの 【の]三。己函」8口。、国で亘の》シで。一一oPD四ロゲロ⑪]○ぐ丘の》z・勺C目⑩の旨》祠・田・再巨すの口のマレ・ロ胃円》 I文学上の典拠 聖地パルナッソスの峰で起こるアポロとダフネの物語は、オウィデ 語られている。恋多きアポロ(で云○の宮)の最初の恋人が、河神ペネ をかき立て、もう一つは、鉛の矢でダフネの心から恋を去らせた。ダ 怒ったクピドは二本の弓を射た。一つは金でできていてアポロの恋 (四五二~四六二) イオス(や①口の旨)の娘ダフネSmで宮口の)であった。この恋を呼びさ フネを追うアポロ、しかし、怖がって逃げるダフネ。アポロは乙女を ィウス『変身物窒聾の中(ミ両弓・皀己』》量両『」農]・上、巻一)に ましたのは、愛の神クピド(シ日日)の残忍な怒りであった。それは、 求め、ひた走りに走った。 されど、力尽きた彼女は疲れには勝てなかった。その時、父ペネイ アポロがクピドをつぎのように馬鹿にしたからである。・・・「きみは その強力な武器をどうしようというのだ?・・・わたしなら。野獣や (55)ルネサンスからバロックにかけて描かれた(アポロとダフネ)の図像展開について……ルーペンスとプッサンの周辺 この流れが神 オスの河波が眼に入った。「助けて」と叫んだダフネは、この流れが』 性を持っているならば、自分の美しい姿を別のものに変えて欲しい、 たことも想像されるといえよう。 一方で、『変身物妻野全般ではなく、個別の説話に限った研究に眼を b、個別の神話図像学研究(アポロとダフネ) に、腕は枝に、足は不動の根に変わってしまった。ダフネは、常緑の 転じても、このヴァールプルク研究所からの成果は著しい。たとえば、 と祈った。すると、突然、柔らかな腹部は薄い樹皮で覆われ、髪は葉 葉を誇る聖なる月桂樹(一mこ『の)に変身したのである(四六三~五五二)。 彫刻家ベルニーニの傑作(ポルゲーゼ美術館蔵)がすぐに念頭に浮か イツ語版参考図書の関連項目の中には、特に古典古代の文化に認めら (宛。、○宇田宛)と、パウリⅡヴィソヴァ(でシごげぺ’三】閉○二シ)のド されたい。十九世紀末以降に絞っても、古典学の代表的な、ロシャー ていた。以下、下記のアポロとダフネの図像に関する参考文献を参照 こうした個別主題についても、古くから、多くの美術史家が言及し ぶ「アポロとダフネ」に関する研究が、その後に続くからである。 ここでは、本論考の趣旨から考えて、この話の筋のなかで、アポロ がピュトンを倒す話を第一の挿話、アポロがダフネを追い求める話を 第二の挿話、と名付けておきたい。 Ⅱ先行研究と問題の所在 ①先行研究 れる作品について基礎的な情報が記述されている。 に発表した研究がある。フランスの国立図瞥館版画室の学芸員であっ に刊行され、その中に挿絵を含んだ諸版を詳細に調査し、一八八九年 このオウィディウスの『変身物壼聾の中で、西洋の十五~十六世紀 紀西洋美術における神話図像全般を見回した場合に、今日でもその価 年後に『ヴァールブルク図誓館研究』に刊行したものである。十七世 ヘンケルの研究も机上に備え、その刺激を受けながら学習し、その数 三二年に刊行されたステホウ(閏団○ェ○三)の論考である。これは、 一方で、戦前の研究で、特に指摘しなければならない研究が、一九 た、デュプレッシの労作である(1)。ヴェネッイァ、リヨン、アントウ 値は色槌せることはない。アポロとダフネに関する研究は、この労作 a、書誌学研究 ェルペン、等の様々な都市で刊行され続けた一六四点の脅物の、解題 を境に学術的な段階に進んだといえる。 ところで、本論考において参考にしているもう一点の論考は、一九 を付けたリストである。ルネサンス以降の西洋美術史において多大な 影響を及ぼしたオウィディウスに関わる図像学研究で、最初に開くべ 五四年刊行の、エットリンガーによる小論である。シュミットが監修 した著名な『ドイツ美術史事典』の中に轡かれ小論であるが、ステホ き図瞥はこの図書である。 その後、三十数年以上経た一九二六年から二七年にかけて、デュプ 筆者は、現在はロンドンにある同研究所で、二○○七年十月に改め ウの研究を前提に、やはりヴァールブルク研究所収蔵の写真ファイリ てこのファイルを調査したが、ステホウとエットリンガーが引用して レヅシの労作を机上に圃きながら、ドイツのハンブルクのヴァールブ 館研究紀要に刊行された、やはり書誌学者ヘンケルのオウィディウス ングの中の事例を、丁寧に分類している。 の挿絵本研究である三mz六両こ・対象は、十七世紀の版にまで拡張 ルク研究所でそれらの挿絵分析を深化させた研究が生まれる。同図誓 している。ちなみに、アピー・ヴァールプルクが没するのが、この図 いる作品群の大半をその中に認めることができた。ステホウの論文と 照合し、ハンブルグにあった研究所の印が押されている写真例をしば 書の刊行後の一九二九年であるから、最晩年のアピーの指導がなされ 日本大学芸術学部紀要2008(56)  ̄ とそれを調理する方法を発掘したのである。素材と研究成果を照合す しば確認できた。一九二○年代後半における、同研究所での資料整理 そこからは、ルーベンスとプッサンという十七世紀の画家の描いた作 法も変わるからである(2)。その再構成の結果が、以下の分析である。 案している「類型分析」を、新たに試みた。視点が変われば、分類方 の場合も、そしてそれ以降の研究者の場合も同じ経験をしたのではな 写真ファイルを開いた場合、その数に圧倒される。ステホウやジロー ロンドンのヴァールブルク研究所のキャビネットの中にある、作品 Ⅲ表現上の五つの類型 品について、若干の新知見を見出すことができたといえよう。 ることは感慨深いものであった。 もう一点、一九六八年にジロー(ロ畠シCD)が刊行した『ダフネの 物語論』は、副題が示すように、十七世紀末までの美術と文学に描か れた作例についての詳細な調査に基づいている。ステホウを基礎資料 にし、しばしば引用しながらの論考であるが、大幅に文学の事例を求 め視野の広い研究となっている。 C、インターネット上の図像学目録研究 で公開するという秀抜な試みで、大きな成果を生んでいる。時代が変 ヴィアーニ(mシヨンヱー)の目録と解説である。図像目録をデジタル それらを、すこぶる単純に、描き込まれた登場人物の数とした。その 丁さばきが必要なのか。つまり、整理の方法と視点である。ここでは、 そうしたイメージ群を料理するには、素朴な意味で、どのような包 いかと思われる。 わり、先行研究を活字媒体として机上に備える必要もなく、モニター 結果、五つの類型に分けることが自然であった。ちなみに、以下の五 一方で、近年の大きな収穫は、インターネット上で公開された、サ 上で、常に参照が可能な時代となった。論文の入った図書を苦労しな つの類型とも、すでに指摘してある典拠の中では、第二の挿話を共通 して描いていることを先ず確認しておきたい。 がら収集する必要もなく、万人に開かれた方法の中に登場している。 ②何を分析するのか た、ベルニーニの彫刻作品なども対象から外し、長く著者の関心の対 ぼ、西洋の十六世紀初めから十七世紀前半だけを対象にしている。ま 象にすることになる。当該研究では、そうした無謀な試みは避け、ほ 例から始め、二十世紀までも視野に入れるならば、膨大な作品群を対 ら月桂樹が伸びている背景には山並みのある風景。アポロの身体には、 ロの右手がダフネの身体に触れた瞬間を描いている。ダフネの両手か 画面前景右にアポロ、左端にダフネ。右手から走ってきたようなアポ る、デューラーエ房の木版画である(m弓両o頭○三.ご酌シニンヱ{》畠)。 図1に示した作品は、ステホウをはじめ多くの研究者が指摘してい 類型①アポロとダフネ(デューラー、そしてルーベンス) 象となって来た、挿絵本と絵画との関係をテーマとした。そうした限 地面に下ろした右足の安定感なども認められるが、版画家は疾走感を アポロとダフネの神話図像研究は、今述べたように、古典古代の作 られた作品群を眺め、先学の先行研究の遺産を咀噛することを目標と 出そうと努力していることが理解できる。 フネ。背景には、広々とした風景が描かれている。遠景には建築物が 図2には、イタリア十七世紀の画家ドメニキーノが描くアポロとダ して来たが、その結果、ここで取り扱うイメージ群は、すでに諸先学 が紹介しているものが大半となった。 しかしながら、当該研究では、そうした対象に、パノフスキーが提 (57)ルネサンスからバロックにかけて描かれた(アポロとダフネ)の図像展開について……ルーベンスとプッサンの周辺 グ 市 高台にあり、中景には二本の樹木。前景には、アポロとダフネ。左か ら走り込んで来る二人。近代の風景画が成立してくる過程で重要な役 割を果たすこととなるボローニャ派の画家の作品である(3)。 図3は、ルーベンスの作品(4)。背景には、風景が暗示されるように の図には、類型①と極めて似通った構図が採用されているといえる。 それは、中央上部の挿絵部分前景にアポロ(このご房)が疾走しなが ら、ダフネ(□各ゴロの)を追う姿を描いているからである。アポロは 左手に弓。矢筒も背中に認められる。一方で、ダフネの姿は、類型① 生えだしている印象を強めた表現となっている。また、後景にある風 の場合とは若干異なり、月桂樹(白目の『)になって、足が地中から ら右に走り込むアポロの疾走感が強烈に描出されている。身体は前方 景も、デューラーエ房の作例などとは異なり前景が高くなり、後景は 描かれてはいるが、存在感は小さい。むしろ、前二作品と較べ、左か に向けながら、顔だけ振り返るダフネからは、逃げおおせずに、ロか やや見下ろすような構図を取っている-7)。 しかし、筆者が、この論考で、類型①と類型②とを分ける根拠は、 らは救いを求める声がほとばしっているような緊迫感が漂っている。 走りつつある人体の脚、そして足蕊、ひねった人体という解剖学的な している。ストーリーの展開からはすでにダフネにも矢が命中してい 画面左上部に、矢を射つつあるクピドが描き込まれているという事実 図4には、もう一点、ルーベンスの周辺の画家が描いたと想定され る段階であるから、筋が通らないともいえる。図7は、やはり、一五 位置関係が論理的な関係を保ちつつ、ルーベンスならではの圧倒的な ている作品を示した。若干錯綜したモチーフが描かれた画面の左側に 五七年刊行の同リヨン版に見られる、アポロとダフネと題された木版 にある。そのクピドは、空中で左手を前に突きだして弦を強く張り出 は、前作とは逆に、右から左へとダフネを追うアポロが描かれている。 である。右手から走り込むアポロ。図版ではわかりにくいが、空中に 動感の表現に成功しているといえよう(5)。 繊細な濃淡を自在に使った軽快な素描には、やはりこのフランドルの クピド。全体には風景描写が目立つ(8)。 ピド。全体には風景描写が目立つ(8)。 たものではあるが、樹図はほとんど借用している(□こ勺目閉[卯 ドイツの版画家ゾリスが描いたものが挿入されている。左右が逆転し ば、図8には、’五八○年にフランクフルトで刊行された図書の中に、 このリヨン版の中に描かれた版画の影響力は甚大であった。たとえ 大家の周辺にいた画家の存在を想定させるものがある(6)。 類型②アポロとダフネとクピド 図5からは、エットリンガー等による先行研究で試みられたものと り連続模様を描き込んでいる。しかし、いずれの場合も、中央の画面 には、周囲を、紐を組み合わせ、その中に糟繊で相称性の強い、やは ピドがいる。ちなみに、二年後に制作されている図6((ミ向『」、g) チーフを連続模様としてあしらっている。下部には、ヴィーナスとク いる。上半分は左右相称を意識し、人体、動物、植物などの様々なモ 先ず、この画面(三両『』、臼)は、周辺をグロテスク文様が飾って た作例は、一五九一年という記録だけが知られている、フランドルの サロモンの版画の影響はドイツ方面だけではなかった。図旧に示し れは、ゾリスの作風とも若干異なった筆致であり、左からわずかなが ら右奥に走り込む、後ろ姿のアポロを描いている(ミ国弓」田圃も.g)。 で彫られている稚拙感があるが、一方で形態に勢いが認められる。そ 語版の『変身物語』の中のもので、さらに変更が加わっている。木版 もう一点、図9は、ライプチッヒで、一五八二年刊行されたラテン. 国際。{アンロロロ②)。 の下には、フランス語とイタリア語で、この『変身物語』の中の当該 版画家ヴァン・デル・ポルフトが制作した版画である。左上にクピド。 は、別の類型に分類することを提案したい作品群である. 場面の情景が要約され、八行で記されている。ところで、双方の中央 2008(58) 日本大学芸術学部紀要 から後ろの風景は、画家の視点から見て一段と低い位置に描かれ、い ら、風景描写が描かれることは多々あったが、この作品の場合、中景 ようとしている。ここで注目すべきことは背景の描写である。従来か 前景の左から走り込むアポロが、左手を精一杯伸ばしてダフネに触れ ついて歩く平和な農夫たち。そして、最遠景の山の頂には塔が見える。 蛇行する道の周辺に、精密に描き込まれた家々・草をはむ動物と杖を ッチングの手法で暗くした前景の地面と較べ、明るくした中景には、 進む風景のなかでは、風俗の細かな演出が成功している。クロス・ハ 一方で、図、でも確認した、傭敵構図の中の中景から奥に向かって 図皿は、カライョの作品(Ⅱ)。矢筒を背負いながら右手から走り込む 類型③アポロとダフネとペネイオス わゆる傭敵構図をなしているのである。地上には、蛇行する道が描か れ、そこには小さく描かれた人物たちが、神話世界とは必ずしも関係 があるとは思われない、日常的な生活を送っている様子が認められる。 り、傭鰍構図の中に普通の民衆の姿を描く伝統的な風景の手法があっ アポロに対して、左手中景にダフネ。足下には弓。身体を反り返しな サロモンの版画にはそれほど強調されていなかった方法である。つま た北方フランドルに、サロモン的な図柄が伝わると、このような展開 がら、拒否の姿である。両手の先からは月桂樹の葉。風景描写はほと んど認められない。彫り込んだ繊細な陰影を生かしたエングレーヴィ が生じたのである。 この版画家は、当初、フランドルのメケレンで制作をしていたが、 一五九一年には、『イソップ物塞聾と、ここで指摘した『変身物壷聾の ンからの依頼を受けるようになる。寓意図像集の挿絵の制作も行い、 には、渦巻く流れを表した部分もあり、この人物が、ダフネの父親ペ 前景左手下に、半ば背中を見せた男性像が描き込まれている。右手下 しかし、この作品では、類型①と②で紹介した作品群とは異なり、 ングの技法が、人体の鎚感を醸しだしている。 挿絵制作に携わった。クリストフの義理の息子で後継者であるヨハネ ネイオスであることが想定される。アポロの走り込む勢いに父親も抵 やがて才能に着目され、アントウェルペンの、クリストフ・プランタ ス・モレトゥスの依頼であった(9)。こうした樹図は、ブリューゲルと 抗する術はなく、手をついて倒れ込んでいる状態である。 ライモンディの周辺にいて制作を行ったことが知られている。代表作 カライョは、十六世紀前半に活躍した銅版画家。ローマの地で、M・ その周辺の表現方法から受けついできたであろうことは容易に連想で きるのである。 一六一九年刊行の『変身物奉聾に描かれている図uaの場合、描写 の一つである「神々の愛」と呼ばれる二十点の連作を制作し、うち二 図旧には、スキアヴォーネの作品面)。現在、メトロポリタン美術館 点は、ロッソ、残りが、デル・ヴァーガの原画に基づいているとされ は格段に進歩していると言わざるを得ない(ミ国司一巴@・宇田》ミ①『・ に弓を引き絞ったクピド。アポロは前作同様に、左手に弓。ダフネは、 が所蔵している作品である。前景左下に倒れたペネイオスがいて、右 る。 脚がすでに木に変わりつつあるが、女性の優雅さが柔らかな着衣の衣 手には正面を向いたアポロ。左に、身体をひねったダフネ。両手が、 扇巴にも再録、図Ⅲb)。画面が左右逆転し、全体の構図から受ける印 紋表現に巧みに表されている。振り向くダフネはわずかに口を開き、 すでに林をなしているような月桂樹の群れにつながっているような奇 象は、明暗と濃淡の差である。版画家プリオの作品(四・右上の雲の中 恐れの気持ちを伝えているが、長い金髪を連想させる頭髪があでやか 妙な図柄である。 図叫は、もう一点のスキアヴォーネの作品(胸)。縦長の画面に三者が に風に揺れている。弓と矢筒を肩から抱えたアポロの衣装も丁寧に描 かれている。 (59)ルネサンスからバロックにかけて描かれた(アポロとダフネ)の図像展開について……ルーペンスとプヅサンの周辺 T 描き込まれている。右手前景に走り込んで来たアポロ。弓矢を左手に、 である。 今まで分類をして来た主要人物たちが四人全て登場する、という構成 図Ⅳは、フランス十七世紀の画家、プッサンの素描である。画面中 矢筒を腰に下げ、右手でダフネをとらえようとしている。坂道を登っ て逃げようとダフネは、振り向きながら踊るような動きを見せている。 いる。ルーベンスの表現力には及ばないが、ダフネが身体を左に反ら 央の左から走り込むアポロとダフネ。矢筒を背にして、右手を思い切 この作家は、現在のクロアチア共和国のアドリヴ海に面した港町ザ しながら避けようとする身振りと、アポロの位置と関係には、切迫し 両者とも極めて細身の長身で、揺れ動くような曲線の効果をねらって ダル出身のイタリアの画家であり版画家でもあった。一五四○年代に たダイナミズムが認められる。ダフネの足下には、最愛の娘を必死に り伸ばしたアポロ。ダフネからは勢いよく上に向かって樹葉が伸びて は、サルヴィアーティやヴァザーリの作品、およびパルミジアニーノ 守ろうとするペネイオス。ダフネの両脚の間には、壷があって水が流 いて、前作以上に、マニエリスムの好みが横溢している。 の素描や版画によってヴェネッイアにもたらされたトスカーナ・ロー 事例として多いものではない。プッサンのこの素描では、周辺にプッ れ出している。左上空中に、左手に弓を持ち、矢を放ち終わった後の 図旧には、やはり、イタリアの十六世紀の画家カンビァーソの作品。 トーが若干名いて、右手のペネイオスの後ろには他のニンフ、という マ風の様式をいちはやく受容した。ティントレットやヤーコポ・バッ 画面前景に、今度は右側にやや正面を向いて横たわるペネイオス。足 ように、この物語を容易に説明しうる付属的なモチーフが描き込まれ クピド。登場人物が四者とも描かれるという作品はこの類型④だけで、 下には壷があり水が流れ出ている。その手前で、アポロがダフネに触 ている。鑑賞者に、十分に物語り内容を伝えることを考え続けた、こ サーノのその後の歩みを先駆けるものとなっている。 れた瞬間を捉えている。後景から前景に走り出して来るという、先行 一方で、素描段階とはいえ、二人のプットーの存在が前景を作り、 の博識で、さながらストーリー・テラーであった画家ならではの構成 つまり、ここには、フォルムの量感を出そうとする作家のこだわりが この事件の主人公たちは中央に位置し、背景には大道具的なモチーフ 例には見られない構図と、棒状の線描の持つ速筆の勢いには特徴があ あるといえよう。キュービスム的な人体表現と、やがて絵画における を配置している。ここには、速度とダイナミズムの表現では敵わない である。 陰影技術の成功故に、十六世紀最大のジェノヴァの画家とも呼ばれ、 ルーベンスにはできなかった、階層的なプランを軸とした構成が成立 る。またこの素描には、人体の陰影にもわずかな落差が認められる。 十七世紀に盛行する宗教画における装飾趣味を先導したとされる画家 していることに注意すべきであろう(閲)。 の左に描かれているが、腰から下の部分、そして右手の大半が失われ 図旧は、プッサンの描いたもう一点の素描である§・ダフネが画面 らしい素描である2. 類型④アポロとダフネとクピドとペネイオス(プッサン) ている。切り取られたその理由は不明であるが、失せた部分には、ア る。右手から、走り込むアポロ。左には、着衣を乱しながら逃げるダ な動きを示している。左手先には月桂樹の葉。頭上の空中に、相対的 ダフネは、振り向きながら身体をわずかに反らし、前作と同じよう ポロが走り込んで来るモチーフがあったのであろうと想像できる。 フネの両手と頭部からは、樹葉が勢いよく伸び上がっている。上部に に大きく描きこまれたクピド。右手に弓。左手は右手の方に振り、い 図咀は、マイョリカ陶器に描き込まれたアポロとダフネの傭景であ クピド。左下には、ペネイオス。建築物を描いた風景が後景に広がる。 日本大学芸術学部紀要2008(60) かにも、今、矢を放ったという動きである。この論文で、数多く比較 を試みて来た結果からも、プッサンが物語の前段階のクピドのいたず らを十分に伝えようとしていることが理解される。一種の伏線ともい えるディテールを描き込み、その「物語の筋」を伝えることがこの画 家には、重要なのである。 一方で、画面下のペイネイオスは、座り込んでいて顔はうなだれ、 悲嘆に暮れている。最愛の娘が、アポロに奪われそうになっているか らか、変身してしまう悲しさからか、痛々しい表情である。左手の後 ろには壷が横倒しになっていて、そこから水が流れ出している。この 画家がしばしば用いる、河の神のアトリビュートである壷から流れ出 し、手前に向けてやはり流れてくる水は、画面前景下部に静かな動き を与えていて、上部の激しい混乱とは対照的である。ペネイオスの右 手には、やはり壷を腕の下にした、水の一ラフ。 とダフネ。空中には弓矢を手にしているクピドと彼を侮辱しつつある アポロがいる。画面前景右手には、アポロとダフネ。この論文の冒頭 で指摘してある、第一の挿話と第二の挿話が扱っている二つの違った 場面をともに描き出している。異図同時の方法であろう。 背景左手には、建築物のある町。前景左にはもう一つの別の話の場 面が描かれていて、弓矢を手に立っているのがアポロ。アポロのピュ トン殺害の話がこの版画の中には、共存しているのである。描き込ま れているのはその遺骸である。改めて説明を加えれば、ピュトンとは、 ガイア(大地)の子でデルフォイの町にいた大蛇とも形容されるもので、 アポロは、デルポイに来てこれを射殺し、ここに神託所を開いたとさ れる⑫。 もう一点、図加は、一五五三年に、やはりヴェネッイァで刊行され た変身誼の一つに描かれた木版であるe已勺呂閉一m》g》 エ両三六口F》量一○扇シごp己・四囲と困即mシく閂シZ目・望)。左側には、 アポロとダフネ。空中には弓矢を放ち終わった後のクピド。下界の様 風景画としての性格もここには明瞭に現れていて、背景には、パル ナッソスに蛇行する河の流れがある。前景が、ペンによる素描の上に、 子に眼をこらしている。しかし、画面前景右手には、一層奇怪に描か Ⅳ結論 れたピュトンがいる耐)。 黄土色のインクで濃く、また重たく着色されている。一方、中景から 後ろには、淡い部分か、あるいは着色しない部分を残して明るく処理 し、背景への抜けるような奥行きの表現を試みている。素描において こそ、「明暗描写の素描家」という資質が容易に理解される画家である。 いずれ、その風景画2空叺作の場合でも、特に一六四八年前後に、た バロックという限られた時代の作品をへ筆者の視点で並べ変える作業 を試みた。その成果、ルーベンスに関して言えば、アルパース (シ弓団勾の)が、一五五七年版を中心に一六世紀刊行の『変身物壷聾 を築中的に調査して指摘した結論とは、若干異なった見方が可能にな ったように思われる。また、プッサンの素描に関しても、従来からの 見解では必ずしも指摘されたことのない視点を提供できたと思われる。 以上、ステホウが提供してくれた資料のなかから、ルネサンスから 図旧では、いささか登場人物に変化が生じている。刊行が若干遡及 ところで、ドイツにおける二十世紀の図像学の展開を振り返ると、 とえば《フォキオンの遺灰の収集》等の作品で、クロードとは異なっ するものであるが、一四九七年に、ヴェネッイァで刊行された、大衆 ヘンケルの論考が刊行される一九二七年という年には、若きパノフス 類型⑤アポロとダフネとクピドとピュトン 法の一段階が確認できる。 た技法で、光と陰を描き出すことに集中することとなるこの画家の手 性のある変身讃の中の挿絵である(の男シごロ』)。右側には、アポロ (61)ルネサンスからバロックにかけて描かれた《アポロとダフネ)の図像展開について……ルーペンスとプッサンの周辺 1 軸にした分析の方法は、やはり相対的な客観性を持ち、有効であると こす美術史の知的な謎を理解するためには、四一s弓目という概念を と空想される議論を敢えて蒸し返してみた。イメージの連鎖が引き起 論の対象となったかもしれない素材を理解するために、その素材を自 めるステホウも加わっていたかも知れない。当該論文は、そうした議 すこぶる刺激的である。そこには、数年後の一九三二年に論考をまと ルと類型論者パノフスキーとの間に交わされた議論を空想することは、 う。そこで展開したであろう、挿絵を含む轡籍の書誌学研究者ヘンヶ 彼らが同じゼミナールに参加することがあったならぱと仮定してみよ ードレンダーヘの献呈論文集に刊行する年である(巴。ここで、少し、 キーが、プッサンの絵画分析も含む「ピエタ論」を、マックス・フリ [、覇[ごくのミ巴『のここ再〕ごQミゴロ雨山国・国三・ ⑱『画く。『頁四mのこの『、二C豈○へどの弄冒宝画『GE』能事つど己・mmI]←←・ 三の己三○『でごCmのローョ×く・電〆昌・二pQ〉つ昌自・」四百『ロロロニ①『一》.]①呂‐ ロSの。、自の(色白○sご○画のぐ砥叱砥(巳の(針ご切可亘賦己へミ⑯の((二m【一助 行:亘閏百田。最可」弓:)へ二『の鳥旦⑪ごgb『・脚・ エ両之【因陦ヱロヱ六口F(三・□・)・《[一一ロ⑫[『一の『(①尹巨拾四□のごく○口○くご、 ○房シごロ○房シCD(く・句・‐シ・)》い、可亘①ロ①□、石弓。の弱の園臼田昌亘ご 』ヨ』、く○一・ 口弄口。◎「o一○℃①(蓮、{(、室町己山や房二(・ロロO】O一○つのQ-,戸四二四口四】]垣画⑤l 声四一一四コ四》』ぐ○一・ 、ご宮8.○詩]閾一日の○コのミミ⑪一冨午『四・房二[昌○向ロgo一○℃①S四 田穂芒二如○シ刃アン弓両Fロ(。・で。)(&『・)・ロ。。R二。ご①&画この冨吋員① 弓の、ヨのロの戸 詰可「“旦璽一君]・で写四三○二・○○一一・○宛FP弓〆・ シFで、ア”シFで、宛、(、.)・曰岑の□の。○田口。ご○「sの日目『⑰このト山 』穴ドエニ、のヨの旨の助云『毎ご切巨のこの×爵○員一邉函・六・○・m囚巨『。 ☆☆省略記号① F団国シ三○三画ご堂の一曲F両国Fシ三○(○・)・三mpEQ(]の一画冒巴の貝 郎)・・亘冒ミミミミ.。ご己曰の己・一つ 身物議蟹○くこ一m三の一目】。『巳○mの⑪(科研共同研究・代表者・木村一|一 六‐六六’○‐、:木村・鯨井・栗田・小野崎・新畑、オウィディウス『変 国巴ぺめo口]・昌Iマン『■互い、○○六⑫。②Cご○一・- ら再樹成を試みることで、一世紀近くも前に交わされていたであろう いうべきであろう。 国レア『○エ的レア弓○エ(シ・)・トの、g】ご句四画くのミ》(一舌〒巴)}雷ニー ニンア局「『因る困両zz向く局宛団⑫(です.この)の【三oz『シSPCz こけ亀山『ロもの、」②、』’一mm④(切皀・)ご因・国。こ】一一○コマ←くCl・ 勇国、}ペ国ロゴ釦、弓宛シごいい(三・F.)(のQ・)》○○一一・弓]のミ馬(菌『のQ ョ稔薊版ご居》国・□の。『m昌一ぐ○一・ (シ・□の)・聖Cの。①。“『どこの力畠ミ、この『への①〔囚亘ご’⑦田口巳の助言の(曽切(]の 口三m四s一一○sのここのロ四二○二四一の□の勺②『一切または、この田『四口●の 画アペンヱ‐三FEシ三m。Z尊く画ご可[]。ご○。、go「弔可弓】『囚莇mpQ oの{四目囚への昌呂「荷い、亘切のこの切巴ご町〔①P(○四』『さ‐]ゴC)}②巴- ①P]・国・ロ巨曰○巳ヨ(脚注のある校訂版)(復刻版句・・のzCCの|⑪ m一百m『画くの司孕(一垣glごE)一三P○・国の一一四口この。。⑫。←旨の巳『のぐ一mのこ す三○・○・二三一一旨己moPmぐ○一・ zgの鱒ミミらの「。①Eの顛冒言」・国・三の白一の『・一邉句‐忠」ご・一・ 只葛⑪『⑱ミの田のsご○旨この切○のs『、功。。「己の牝○日⑩の助旦① □ごで屈め里、らこで后⑫望め(○・).、園田C寓昌冨賀“ロゴSEのE『苛切 く一巴。。 四○三コ、m》両口、『山く三m⑫》四コQ二二○○□、巨扇・一台①‐]『S・mC巨己旦陣 二のミエ○一一⑭(の一員○.一一・弓三のzのミエ○一一m(のご口已Cpmp9コの日厨苣 一℃⑤P③く○一・)・ ○幻F国“○○『已巨、幻巨ワの。ご己昌曰Fロロ三一mmこ『C言四『。 、』叩『二三男(』・)(のP).□局亘。。、【「。、』具]忠Pの『弓のご量ごC一・ 、可ごoどのmbEc二m①②、巨詫×『句の『×二の里⑪このP]畠Pぐ・P 日本大学芸術学部紀要2008(62) PAULY-WISSOWA:PAULY(AF、von)undWISSOWA(G), METI557(Lyon):M/;/ME別MOR="PHOSEDOI/JDB,;/ Msse"scha血1894-1978,MetzIer,24voL ⅣGIノリVEBWALYON〃PARIANDETOVRNES.〃MDLVII PIGLER:PIGLER(A),Bamck的emen(1956)1974,Akademiai (1557).恥トー会承合、匿願医や型'11キキ岬劃畏一LN⑨e鯉奎如掻伸 Kiad6,2ded.,3voL 一)PS4H。 REID:RElD(』.、.),71beOxブbmlGuidClDClZi卿剛/WrhoノQgy m的eAJTs)1300-ノ99山1993,OxfOrdUniversityPress,2voL ME7Hl559(Lyon):OVIDIO,LAW7コMiET RD虻Rea"exjkOnzurdeu⑬chenmJ"s噌eschjChral937-,A MEZ4MORFUSECl"D'01/7DIO[…]daM・Gabriello Druckenmuller、 Symeoni[…LALioneperGiouannidiTornes,1559.lIlH-鱒』理′ ROSCHER:ROSCHER(W、),ALMHMichesLexfkonder 温鯏e~い=M'9塁JU-W軍仁榊鵯製淨e・呉eH昨繍謹PiRj幻。 gJ?iecbjSchenuJ7dnピjmjScheM,j)'thojQgjB,1884-1937,鰹蔚墨 K-K-KOS.+船jIU逆′ト1t、八K画{司函總揺eGallicaeHP G・OlmsJ992-93,IOvoL htIp:〃gaIIicabnf.fr、/ark:/12148/btvlb22000485・notice RMN:Reunionsdesmus6esnatinaux SAVIANI:SAVIANI(E、)inlconos, ME価1582(Leipzig):PVBOVIDII//NASONISMEDWOR‐ http://www・iconosjt,index・php?id=3(ApolloeDaphne;10 pagine) 〃iPHOSEONIBRIXV.[…lLIPSIAE, SHARRATT:SHARRATT(P.),Bemal1dS日ノDmm,j"us[rafeur 型鵠暑謹′l旧く11塒壗難囲JrU暑杉二岬。 毎ヤーミマー筑里逆′MDXIIヨリ鴨ぺ;Iu層杉二蝿軽′ALPERS(p、86) ZJ'oJmajS,2005,Droz,CoILTravauxd1Humanismeet Renaissance ME7Hl619(Paris):LE巴I"M了nDWORjWOSE四M/、'○VIDE STECHOW:STECllOW(W、),Apo"oLmdDaphneBG TraduitesenProseFran9oise,I…I〃APARIS〃ChezlaveufUe Teubner'1932,ColLStudienderBibliothekWarbur9,23; LANGELIER,1619.拙製型′ト'トハK画側函緯I濃eGallicaeHP 1965,2.「evisededWissenschaftlicheBuchgeseIlschaft・ THlEMEundBECKER:THIEME(U、)undBECKER(P.), http:〃gallicabnf・fr./ark:/12148/btvlb22000826/fLitem 禅鵯′トje函繍型′we麺′lKilllu十'11<111早塒′へj墨蝿鬮悪′ A吃ememesLexjkonderMdendejTmIMef;1907-50, W-)P蔦e墨壗綱窺ャ岬。 Seemanm30voI. MEm65I(Paris):LE西切'MEPiMMORPHOSE5;"DDI/IDE TraduitesenProseFran9oise[…]APARIS,〃ChezAVGVSTIN 騏棋緬蜜船UIP③圓批elK-+早型鴎呈鵯二憎鬮鴇加暮程nRr心や ;トヤ心X『鬮町尋M出e關馬墨ILノ’骨鱸リドPPlm閏J摂枡剛函纈へj′隅 革鵬癌(型MH.、骨鵬) COVRBE’1651(Ije函細e丹e《卜鴇口JUN、,時》押逆。⑧Aj-j 喫蕊輻御国鐘AjMnUme垢狼型′HPP輸匿P杣岬。K-K-KOS. 国塵e入宇〈箙剖氏八Yl-へ……〉二Cu一躍哩鐘園e《鵺ト翰割口語ト》榴薯長轌〉(一長U一与謝ロ》へ心負パハキ禮今へ(患) Raub′sReafEnq'cノOp身〔iiedBrcjassj芯chenMSrrums‐ 二罠向剴ごs碗○く』ロロトの、ニミの句so『でご○いの②Fの切国の一一①、Fの一〔『の②』・ (ご国中‐いつ)乙呂ご[の×戸の⑩国亘(の【[『四□ロ二つ四『F尹司シペ向(の.)。○○一一・Qの⑭ ● こ■】ぐの『望一の②この両『四口。●や ご望両、「『ロZ○団力(F・)・《ロ:ゴコの》・詞目ご戸已・已呂‐ご巴・諸作 例を分類し論述している。 一色$国刃○三三国幻(『・)》《ロ島】の》》回合舎房で・・田上屋. (]②軌⑤)ご『《勺[○F向夷。]}七・国『1画②。 訳・中村善也 $9。[カンご□十七世紀末までの美術と文学に描かれた『変身物語』 ミ同ヨー呂庁オウィディウス『変身物壷聾岩波文庫、’九八一年、邦 ☆☆アポロとダフネの図像に関する参考文献としては、以下のものを の分析・該博な知識と網羅的な情報収集に成功している。 ]g『pP《□:目の》.」くgの弔可巨言曰も。②扇‐②国。 いる。 ]垣麗”me』七・眉宇邑切・作例についての掴翻糠的なデータが集められて 畠・已函①‐、]。 (ご忠)g三》《□四つゴロの》ヨトの鶉爵。。(]の「穴巨ご功(因。シ・、の①曰、。亘 ネの受容を論じている近年の労作。 ピアを初めとした十六、十七世紀におけるイギリス文学におけるダフ F四己、》○.一一・国宮『○℃巴⑫○弓のエCD営め◎す巳切り宮ユ津のP×く・患シェイクス 旨この「の邑叱邑曳どの『ロ『の国冒「この由目口匡。こ」。」画ご声ご亘。Q、「鼠で. ]畠ヨミロF司司(』・)》C「①。ご[諒○どのロ、、ご己のEごQS『、宛周の□二一○. 品にも言及がある。 m[目一のm・田ら・お‐g・古典文学を対象とした研究であるが、美術作 一場]司○三目因z宛○m両(」・田・).〔ミ○.牝己の員頁ごC、Sの鷺」ミの「§Q Sの串{直ご口●⑩鼠ご己ぐの『⑫三○『○四一】ご『三四℃『の⑫P○○一一・○一四m巴8- 挙げることができる。極めて著名な主題であり、十九世紀後半から、 挙げることができる。極」 数々の労作が指摘できる。 I基礎資料を整理した時代の研究 一mm《1忠rくのく因団P・《□四つヨョの》・幻○m○エ団宛』も.、望1℃田・『の己。『二・ -9一三尹呂夷.《ロ四目ロの》bシごP『‐三田、○三シ』く七・四$上P特に、 二。。② ]g一己シ○○○三口金・)・《□島]の》》貝×二(ごg)七・巴]・弓画く・口. Ⅱ学術的な研究水準を目指した時代の美術史研究 ご患い目、○エ○三プッサンの作品に関しては、□・酉十$.』g・倉上m・ 基礎データを列記した旧来のものからは大きく踏み出した、画期的な 研究。中世からバロックにかけての作例を、丁寧な個々の作品の基礎 調査を行った上で、比較記述を繰り返すことで時代の表現の変遷を跡 調査を行った上で、比較記述を繰り返すことで時代の表現の変遷を』 づけることに成功している。ヘンケルと比べ、美術史側からの版画、 絵画自体の基礎資料調査の成果が詳しい。 日本大学芸術学部紀要2008(64) 司 ア芯 2005SHARRATT,四・キロW入匿顯eWへ、いい。鰹鍾禅劇良繊。 ドル」e坐n日e麗鋼供鐘ゆ馬『<-)禅壗j3IRHii-jP二蝿゜型ul-e畷鈩K杣 禅昌騨。 l梹聯′ミーマハXe逢唱や′榊トH<杣禅畿ロ鴎′Ni、二』H1<繧彊鴇濃掴-〕 杉二岬・STECHOW,no、51;ALPERS,、9.50. ('。)ミーマハXe匿甑鞠Jリール'Q・蝿ニトミr-K型′lje豊嶋e9弾1He 銅曜i鱈-u-)い’函、蝿廻j霞JP二岬(ALPERS)。jje撫凪型′we趨型 1221蝿A)弾(W縄一′塵駅柳⑨襲瓢-)杉二岬・繍聖′ミーピハ沃壗'1トF1 組 隅早掛厚哩e'四・キロW入e騨偲eぺ゜裡蝿蝋曇1M鼬揮農伸J艀二製 (員)DUPLESSIS・鱒蝋卜llp1L'総(WDje緋糊團e歌逢埜1J暮製=P型禅…′ DjJU執p1iP4l<ヘp幕即製,。`●゜二魯二′鯛獅鵯)”」や鱈ご榴二'」Aj型′AJnS-j we鵜露逆’4mやゆ'1、'トハI<画掛函絢溜墨国lIlIPe驍掴如枡瀞やIC禄 製選騨鑛IU逆禅…′銅惑<鐸蝉輻騒やNb,」jJ凸心弄晋-丁拙程ヤス-猟e MIE+、曝起ドニ蝿。4,弾鍛辿′卜fU-・おトー会い会、e鵠尹'トヤホⅡ全 園謡e丹型哩AR岬畿慌e製選掴鱸e狼瑳や掲幻。 一崖願塙扉に抽暑岬1<頁lI1lH-諸一願’図旧-塩eIJjJP掲蝿。 い)割MWrlInIい・恥夢中八・』JやHKK噸函騒e旧僖纈」各駅屯縄ilMlEヨヨ鱈' (卜)ME7:1557.睡割拭鍾:HENKEL,reprod、35b,p、92.;STECHOW, ’'○○早掛′団○-回1皿′相⑪。禅鵯′卜鴨pJJ蛤ト,片e壕剰余海 reprod、56.p42戸43;GIRAUD,p、253-254,reprod、8;ALPERS, (Bildtypen)jJ-W逆′ETILINGER,1954s韻仁軍墳鴇岬。 「epl「0..,0.53;SHARRATr;SAVIANI53 (⑪)SPEAR(RE.),Domenjchmo,1982,YaleUniversityPreSs,Text, no、55V.,Plates,186;SAVIANL5a (可)STEHOW,GIRAUD三意QH1脇弾露割鞠上型′ (CO)ALPERS,、0.52;SAVIANl,52.弾鵯′Ije呈里悪旦い型′藤田辮斑 「楡心や1トヤ心Xe騨甚‐U1、訴奉八・・・《Hn-Ajトミ折参>、x》弾倉゛ [W」叩扣画Ⅱh鱈K朴這願呪剛l1oo1<Hfll早鞄’111兵一}q団H、(゜ I9MJAFFE(M、),《EsquissesineditsdeRubenspourLaTorre 綿侭′K-K-K-O-SeHP呈鰡踊扣薯穏’驍惠鴎蝋「棯心~1トーやXe侭 dellaParada》,RevuedULouw℃,XIV,p、312-322,fig・l01p3I9、 聴尋#$g》』.・・里・色ヨニ1里e轄鎮特Ajト小八Ks:屈し』蝉蝋匿加黒投ユ・拙 I97IALPERS畝CRLB,IX,p,78,fig51.#;UNPトミr一K逆’餌・キロリリハe 製′,」e鱸拭逆′=卜赴Aj-)}』ぜ「陰聿l鴫刷、八K理鵯起蝿侑心;トャ心 墨画-Ue悪迷弾;鵬L」\3Vwe瓢SUU鵠-U弾(W3蝿゜-)負-y:in猫 KeM雷鶏へ〕襲国e悪選辿C3\e鑓如垣塵砿」H遷里』汁11山1-陰Ul-興蒸朴 縄Ⅸ鵯1侍-jlJ二蝿′鑑騨魎鼈埜蝿繍SF謡墾翻把轌や坤恨掻紳騒垣や碍 塵願謝澤浸鞘糊識匿駅(。)|謡(員)′塵紙笹畷聯如緬'11ooKUH11 蝿へj函縛黒岬。 血'111属一日図賦。 l980HELD(LS.),71heO〃SkefchesofPe〔cJ-屈auノRubenqA P (。)ChristieNewYork,lljan,1994,,0.379,reprod. (。)川西函1591.s瞳襲゜弾鵯’齢トハ・1トミ・鴇ミトーuC3Pご C】,irjmノCZJmノ。guQPrincetonUniversityPress,11,,0」68,p、256- HENKEL,53;MIELKE(H・andU)(compiIedby),PどereJ・噸nder 257. BCr℃hLBDojUZhJs"1a[jDnsjSound&Vision,ed・GerLuijten,New I998DUCOURAU,LemusさeBD"J7afdBayD""QMMF-VilIede HoIIstein,1V;2006.110.1670,p・'67.弾栂′no、1669里淨′《ト鴨口ju恥隅 Bayonne,A,MicheLp、17,reprod、 塒)弾裡二料ミヨ軍塙得蝿。 2004BREJONDELAVERGBEE(A),incaLRub印&LilIe,Palais (=)Ije皇国臘型C二F型′WEIGERT(RA.),jFPFGJ1aveuJ5du 国暉eハキ〈齢剖Kハピーニヘ……》二Cu一躍蝿錨函e(樵ト翰剖口語ト》穏慕各担い(一〈毎Ul(魯口》へ心各パハキ梼二へ(患) SAVIANI,飼塒′割麗JrD墓穏健鵬国蝋IMGHPP掩岬Iconose丹里’ 獅榊SAVIANI箔′「卜鶚pAj恥1,1時」辿盈-)pK鬮維Jg癩削瀞Hp4bj′ desBeaux-Arts,RMN,、0.89,p」66,reprod 。 〉ヘミ『の②冠。厨国三・二』畠一七・一念‐一s・※ご」合-]盆(。・・ご‐念)・股も詳し た、これに類似した、プッサンの素描が、ローマの国立素描研究所にある (Ⅱ)カライオについては、F団団Fシ二○ミ“。この←『(]』量)・己・呂函白○・一P ポロとダフネ》との関連性が、指摘されることがある。たとえば、ペネイ プッサンが描いた絵画で、ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク所蔵の《ア (肥)幻ommz画団再○の一勺宛シ貝一垣置』白○・sも.ご午一s。なお、この素描は、 (、弓両○エ○三・コ○・鼻力。、両之用アロの(でカンヨ』岩《・一白p馬) (一s‐画gxl蹟llさヨヨ)》囮山『扇C宣〆くご『m』⑭郡⑫弓因○エ○三一℃・呂・ オスのポーズには親近性が認められる。しかし、総合的には関連性は低い い目録。図版なし。図Ⅲ釦には、記銘(左下)閂・国『一○二の。一一 『の己『8.9(作品記述が詳しい)》○一アシ□Pで』や9国呂亟一房、因○○ァ⑭○ェ と思われる。なお、このタプローについては、穂を改めて論じるつもりで ある。プッサン作の《アポロとダフネ》に関しては、次の著名な論文がある。 (い・)。①一○・・嵜凹室、ロー皇画いへの{坊。「二】⑦吻冒『①①。(。(可。「E)い『P画②〈×く】一) (吃)三の[『。ごCl一国ゴニこ⑫の巨冒o『シ『一・三四『】の(【①い◎『四です○○六○『 己シz○田切【く(団・).《で○二用三⑫尹已○一一C②ごロロ昌彦。⑦ヨニ]巴b旨『の》・ 防尹く』シz『全。 で四『目、一目言Cという記録が、ワールプルグ研究所の写真資料の中にある。 国昌の§〔苛苛陣〕Q型2ざ亘閏旨、一息P昌七・日上一. (Ⅳ)『□幻六.冒再omoエ両刃・這冨と』藝昌‐⑭壱・』さ〒量一陣・ 関連データは、 三一百一へ二軍。ご・。】の【ごこめのE三・○『炉一○四戸ゴーも。①一昔oIg・ろ.ご$国一患ま② (旧)アポロとピュトンの第一の挿話は、たとえば、すでに引用した版画家 て行った基調報告に一部重複している。また、平成二○年度における、 日仏美術学会シンポジウム「デジタル時代の図像学を考える」におい この論文は、平成十九年九月二八日、日仏会館(東京)で行われた、 烏。】①只可の。(討猿ご弓・Pの一目一mも・忠一‐⑮9. (旧)でシ三○囹一〈く(両.)・《一己山、○コの一目い》.Fい『画ミミゴご「ご奇湊 三局F六回9s」。gも』鵠》|霊〈既出)。 ヴァン・デル・ポルフトの挿絵集では、独立した作品として描かれている。 口三ョ寺から入手したもの。、ション三台・ スキアヴォーネについては、版画家としての作品のうちで、パルミジァ ニーノからの影響については、三シヨョj『両(E」』望‐患)も。』|P単三・版 画の作品リストの中で、神話図像を描いたものについては、F両面Fシ三○ 画の作品リストの中で、神話図像と 三§Eの一一二・己・一合上台.また、この版画家の作品一般については、 ご愚ご匡旦一二七・一合上台.また、こ― ロシア弓○エマ×く『。》三国山亘●壹一・旨。 ただし、《アポロとダフネ》を描いた作品として具体的に記録を残して いる資料としては、切刃ペンz‐三壱巨尹三⑫○三・皀七・望『白。」つ〒一三・ (旧)三の百○℃○一一[目三臣、のニョo『シ『{・三m『一の一一の⑫O『:ロ○○天。『 で四『且四目ご○という記録が、ワールブルグ研究所の写真資料の中にあ 「アート・アーカイヴ構築に向けての基礎研究」にもとづく研究である。 ル・ミュージアム研究プロジェクト、並びに、芸術学部共同研究費 科学研究費・基盤研究(C)、日本大学総合学術情報センター、デジタ (M)作品には、、。(写の『亘啄PC且○P⑤』昌冤・碑Smの記録がある。この画家 るが詳しくは不明。 についての一般的な情報は、三尹○z尹昌P・)》口』・ についての一般的な情報は、三尹○z尹昌(F・)》口』』邉Pく七・一五‐ 弔ペミ困冒、』、③△‐』9句切叱Smへ四一○mEの『“訂。。。⑩このmQの②喝弓】②’9一・ 皿)叩ヨロロ西○二三・童汕戸○m両Z国両刃。(ア)の(で刃尹目(P。 (旧)⑫ヨロo西○二學童苗○m因Zmp宛。(で。)の(で刃●尹弓(F・‐シ・)。シごno奇切 した。 論文では、ハンブルグ時代の研究史を論じたので、ヴァールプルクと なお、二四『g『ぬに関しては、いくつかの日本壷聖衣記があるが、この 念『》『ロシア『○F因『『』(三・)壱二六い-9『・×くち’⑤$占巴・ Fの○口色『□○℃目□二○・℃Pロ・一『い-]『閨・『ので『。□・ フランス国立図癬館版画室に、関連した版画が2点所蔵されている。ま 日本大学芸術学部紀要2008(66) ■・□Ⅱ1-ワーーーー し 類型①アポロとダフネ 図2 ドメニキーノ1616-18年 画布の上にフレスコ 図1A・デューラーエ房 1502年木版 311.8×189.2cm ロンドン、ナショナル・ギャラリー iiiliii1l鑿蛍篝!i篝iii ;灘# 邇護鑿霧 鰯 図4P.P・ルーベンスの周辺の画家 素描チョーク、他 237x331cm 議蕊 図3 P・P、ルーベンス1636年 板、油彩スケッチ28.5x27.5cm ポナーバイヨンヌ美術館、lnvJO65 11111 (67)ルネサンスからバロックにかけて描かれた(アポロとダフネ)の図像展開について……ルーベンスとプッサンの周辺  ̄ LIBRO 図6B・サロモン木版 1559年リヨン版(イタリア語)の挿絵 図5B・サロモン木版 1557年リヨン版(フランス語)の挿絵 、 図8 V・ゾリス木版 1580年フランクフルト版の挿絵、 ロイスナー刊行 薑 :# H1B 類型②アポロとダフネとクピド(②と④は、オウィディウス『変身物語』諸版の挿絵) 25 ; 図7B・サロモン木版 1557年リヨン版の挿絵 日本大学芸術学部紀要2008 (68) ● 4ケ 図9 図10P・ヴァン・テル・ボルフト 1591年アントウエルペン 作者不詳木版 1582年ライプチツヒ版の挿絵 -- jCLME■mmPl8pfェdCujcb83 図11b1.プリオエングレーヴィング 1651年パリ版の挿絵 図11a1.プリオエングレーヴィング 1619年パリ版の挿絵 (69)ルネサンスからバロックにかけて描かれた(アポロとダフネ)の図像展開について.…ルーベンスとプッサンの周辺 〆 類型③アポロとダフネとペネイオス 図13A、スキアヴオーネ1538-40年頃 エッチング14.6x9.9cm ニューヨーク、メトロポリタン美術館 HarrisBrisbaneDickFund,1926(26.70.3[195]) 図15L・カンピアーソ(1527-1585) 素描 図12GJ、カライヨ1527年頃 エングレーヴィングRデルヴァ; エングレーヴィングRデルヴァガの原画に基づく オックスフォード、アシュモーリアン美術館 図14A・スキアヴオーネ エッチング 日本大学芸術学部紀要2008(70) 〆 類型④アポロとダフネとクピドとペネイオス 図17 N、プッサン1635-36年頃, 素描ペン、褐色のインク19.8×17.1cm チヤッツワース、デヴンシャー・コレク 図16作家名不詳 マイヨリカ陶器 ション、859 図18N・プツサン1628-30年頃 ラヴィ、ペン、褐色のインク 19.7x10.7cm シャンティイ、コンデ美術館、All75;N210 (71)ルネサンスからバロックにかけて描かれた(アポロとダフネ>の図像展開について……ルーペンスとプッサンの周辺 ’ U7 EIm石64匹ユ,止出公でモアP"=fO R:;i:;'鐸隠靭麓・ 灘とコユ丘成とFP1Ifood呵而、化戸、 睦起可屋a“ご町庫と域fd堂■ Sim二6字」t:G'P室iN1mJ. “…麺Pmgl酒lmpPV可66■届& 「I 繍繍i簿I ;。 冒凸■P 蕊 図20 図19 議鱗鰯篭 作者不詳木版 1497年ヴェネツイア版の挿絵 馬■劃I ÷r Q己 。じ町 ,凸。' 肱.之:'6 作者不詳木版 1553年ヴェネツイア版の挿絵 日本大学芸術学部紀要2008(72) 類型⑤アポロとダフネとクピドとピュトン 》辨蝋》一殿 HDd czソi、挿太鞭'w…iGr且,ごc・
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