奈良学ナイトレッスン 第3期 日本神話の女性たち ~第3夜 「拒む女神と妬む女神──ヌナカハヒメとスセリビメ」~ 日時:平成 24 年 3 月 28 日(水) 19:00~20:30 会場:奈良まほろば館 2 階 講師:三浦佑之(立正大学教授) 内容: 1.うるわしい翡翠の女神 2.今夜はだめよ 3.浮気の果てのハッピーエンド 4.イハノヒメの嫉妬 5.待つ女、逃げる女 1. うるわしい翡翠の女神 最終夜の今夜は、拒む女神と妬む女神という、すこし怖い女性のお話をしたいと思います。前回は神話の 中の「母」の話をしましたが、積極的で強く、とても魅力的でした。今日紹介するのもそんな強い女性たちの 話です。 『古事記』上巻に出てくる出雲神話のひとつに、ヤチホコノカミ(八千矛神)の神語りがあります。ヤチホコノ カミはオオクニヌシノカミ(大国主神)の別名で、少年時はオオナムヂノカミ(大穴牟遅神)という名で根の国 に行って母や鼠に助けられて地上に戻り、大国主神として葦原中国という地上世界を統一して王になった 神です。王というのはやはり覇権主義的になるので、領土を広げたい。そこで、高志(こし)の国へ向かいま す。高志は「越」で、今でいう北陸4県。その高志に住んでいるヌナカワヒメ(沼河比売)に求婚しようというの です。沼河というのは漢字を当てたもので、「ヌ」は石玉(せきぎょく)のこと、つまり石をきれいに磨いた玉で、 「な」は格助詞の「の」、つまり「石の玉の川の女神」です。石玉の川はいまの新潟県の糸魚川市を流れる姫 川のことで、古代では沼河(奴奈川)と呼ばれていました。石玉というのはここでは硬玉翡翠です。川沿いに はいくつもの縄文時代の集落跡があり、翡翠の加工場跡が発掘されています。硬玉翡翠が採れるのは、古 代では、日本どころか、東アジアでここが唯一。翡翠は縄文から古墳時代まで、日本人がもっとも好んだ宝 石でした。ヤチホコが翡翠の川を守っている女神ヌナカハヒメに求婚したのは、翡翠が大きく関わる、政治 的な目的もあったようです。さてヤチホコはどのように求婚したのでしょう。 2.今夜はだめよ ヤチホコがヌナカハヒメの噂を聞いて求婚に行く物語は、『古事記』の神話のなかで唯一、歌によって語ら れます。 八千矛の 神の命(みこと)は 八島国 妻枕(ま)きかねて 遠遠(とほどほ)し 高志の国に 賢(さか)し 女(め)を ありと聞かして 麗(くは)し女(め)を ありと聞こして さ婚(よば)ひに あり立たし 婚ひに あ り通わせ 太刀が緒も いまだ解かずて 襲(おすひ)をも いまだ解かねば をとめの 寝(な)すや板戸 を 押そぶらひ わが立たせれば 引こづらひ わが立たせれば 青山に 鵺(ぬえ)は鳴きぬ さ野つ鳥 雉(きぎし)はとよむ 庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く 心痛(うれた)くも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ち止(や)め こせね いしたふや 天馳使(あまはせづかひ) ことの 語りごとも こをば ヤチホコの神と呼ばれる私は、治める国には似合う妻がいないので、遠い高志の国に素敵な女がいると聞 いて出発した、と始まります。物語は三人称で叙事的に語られますが、ヤチホコが自分で自己紹介をする のは演劇的な要素が強く感じられるところで、芝居として演じられたのではないかと思います。ヤチホコはて くてくと舞台を進んで到着し、太刀の紐を解くのも、旅の衣を脱ぐのももどかしく乙女の眠る板戸を押したり 引いたりする。しかし戸が開かないまま夜も更けて、青い山には鵺が鳴くし、やがて野の雉も声を響かせ、 ついに朝を知らせる庭の鶏も鳴いた。夜明けになると鬼も帰りますが、男も帰らなければいけない。「心痛く も、鳴くなる鳥か」……こんちくしょう、うるさい鳥だ。ヤチホコはお供の「天馳使」という天空を駆けるような足 の早い使者に、鳥たちをぶん殴って殺してしまえ、と八つ当たりします。そして最後の「ことの語り事もこを ば」というのは、語りおさめの文句。昔話の「どんとはらい」みたいなものですね。 中でじっとしていたヌナカハヒメは、戸を開けないで内側から歌います。 八千矛の神の命 ぬえ草の 女(め)にしあれば わが心 浦渚(うらす)の鳥ぞ 今こそは 我鳥(わどり) にあらめ 後(のち)は 汝鳥(などり)にあらむを いのちは な死せたまひそ いしたふや 天馳使 こと の 語りごとも こをば これは使者に対して歌いかけています。風にしなう草のような女の私なので、渚に獲物を漁る鳥のように、 今は波におびえる「わたし鳥」、後にはきっと「あなた鳥」になりましょう、と歌います。だから命は助けてくだ さい、と。続いて、ヤチホコ本人に歌いかけます。 青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜(よ)は出でなむ 朝日の ゑみ栄え来て 栲綱(たくづな)の 白き 腕(ただむき) あわ雪の 若やる胸を そだたき たたきまながり ま玉手 玉手差し枕(ま)き もも長(な が)に 寝(い)を寝(な)さむを あやに な恋ひきこし 八千矛の 神の命 ことの 語りごとも こをば 青い山に日が隠れて夜がやってくると、あなたは朝日のような笑顔を見せて、白い私の腕を、淡雪に似た 私の胸のふくらみを、そっと抱きしめ、やさしく撫でて、その柔らかな手とあなたのたくましい手をさし巻いて、 からめた足ものびやかに、尽きない共寝をするので、強く焦がれる恋も今はすこし待って、と歌います。求 婚を拒んではいますが、あとで必ず、と言うのです。ずいぶんエロチックな歌ですね。二人はその晩は結ば れなかったけれど、次の日はこの歌の通りに仲良く逢瀬を迎えました。歌舞伎や能は今もそうですが、古代 の演劇では男同士で演じています。それを想像すると、ヌナカハヒメを演じているのもすね毛がもじゃもじゃ 生えている男でしょう。それを思うと、この歌はずいぶん滑稽なものですね。 また、いったん断ってから受け入れる、というのは一つのパターンで、今でも見られることですが、儀礼的に いったんは拒んで見せて、そのあと受け入れる。ほんとうに嫌ならたとえ、相手が天皇でも逃げてしまうとい う話もあります。 また、「八千矛」の名前ですが、八千もの矛をもった神、という意味なら戦いの神かと思いますが、八千は 「立派な」くらいの意味で、立派な矛を持った神という、すこしエロチックなイメージがあったのでしょう。ヤチ ホコの話は色恋の話ばかりで、色好みの神さま。だからすこし滑稽なイメージを持っていました。 3.浮気の果てのハッピーエンド ヤチホコは根の国のスサノオのところで試練を受けて、スセリビメという女神を連れて帰りました。スセリビメ は正妻ですが、とても怖い女房でヤチホコは手を焼きます。それでもヤチホコはしょっちゅう他の女性に手 を出すのです。 『古事記』には、スセリビメが「甚(いた)く嫉妬(うはなりねたみ)」をする、とあります。「うはなり」とは後妻のこ とで、上の方に成る若い果実を意味するのでしょう。ヤチホコはスセリビメの嫉妬にうんざりして、出雲を出て 倭国(やまとくに)へ向かおうとします。出雲に対して、ヤマトは華やかな都会というイメージがあったようです。 おしゃれをして、馬に乗って、いざ旅立ちというときにスセリビメに歌いかけます。 ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を まつぶさに 取り装(よそ)ひ 沖つ鳥 胸(むな)見るとき はたたぎも これはふさはず 辺(へ)つ波 そに脱ぎ棄(う)て そに鳥の 青き御衣を まつぶさに 取りよそひ 沖つ 鳥 胸見るとき はたたぎも こもふさはず 辺つ波 そに脱ぎうて 山県(やまがた)に 蒔きし茜搗(つ)き 染木が汁に 染(し)め衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも 此しよろし いとこ やの 妹(いも)の命(みこと) 群鳥(むれどり)の わが群れ往(い)なば 引け鳥の わが引け往なば 泣 かじとは 汝(な)は言ふとも 山処(やまと)の 一本(ひともと)すすき 頂傾(うなかぶ)し 汝(な)が泣かさ まく 朝雨の 霧に立たむぞ 若草の 妻の命 ことの 語りごとも こをば ヤチホコはまず、衣装を選ぶところから歌い出します。黒い衣を着て、鳥が羽づくろいをするように着心地 を確かめて、これは似合わないと後ろの波間にぽいと捨てて、次に青い色の衣を着てみますが、やはりこれ も似合わずぽいと捨て、次に赤い衣を着てみると、これはお似合い、と衣装が決まります。だんだん派手に なっていくのですね。そしてスセリビメに、私が群鳥のようにみんなを引き連れて旅だったら、あなたは泣か ないとは言うけれど、山のふもとの冬枯れすすきが、うなだれて涙でぐっしょり濡れるだろうよ、と脅します。 最後に「萌え出た草に似た、若くてしなやかな妻よ」と付け足していますが、本当は古女房を「冬枯れすす き」と言っているのです。 これに対し、スセリビメは盃を手にして、歌を返します。 八千矛の神の命や あが大国主 汝(な)こそは 男(を)にいませば うち廻(み)る 島の崎崎 かき廻(み) る 磯の崎おちず 若草の 妻もたせらめ 吾(あ)はもよ 女(め)にしあれば 汝(な)を除(き)て 男(を) はなし 汝を除て 夫(つま)はなし 綾かきの ふはやが下に むし衾(ぶすま) 柔(にこ)やが下に たく 衾 さやぐが下に あわ雪の 若やる胸を 栲綱(たくづな)の 白き腕(ただむき) そだたき たたきまなが り ま玉手 玉手差し枕(ま)き もも長(なが)に 寝(い)をし寝(な)せ 豊御酒(とよみき) たてまつらせ 最後は「八千矛の神の命 ことの語りごとも こをば」という文が脱落しているようです。スセリビメは、あなた は男性なので全ての場所に若い女性をお持ちでしょう。私は女性ですから、あなたのほかに夫はいません、 と言います。当時の一夫多妻制を言っていますが、ここにある「夫」は「つま」と読み、男女に関係なく配偶 者をさします。寄り添うという意味の「つま」が両方に使われるので、当時の男女が対等だったことも匂わせ ます。さて、ここからスセリビメの色仕掛けが始まります。綾織のふんわりとした仕切りのもと、絹のふとんも柔 らかに、草布の敷き布団はさらさらに……あとはヌナカハヒメとほとんど同じ詞章で共寝の様子を語り、酒を 捧げます。 ヤチホコは酒と色仕掛けでころりとやられてしまいました。二人は杯を交わして、首に腕を回して、今にいた るまで仲良く鎮まっていらっしゃいます、とのこと。滑稽な物語はハッピーエンドでないといけません。うなじ に手を掛けあう夫婦の姿は、北関東で多く見られる「双体道祖神」とつながっているのではないかと思いま す。二人の神さまが手をつないだり抱き合ったりしている石のレリーフで、地蔵のように道の辻などに祀られ ています。奈良の明日香村の飛鳥資料館には地元の人に道祖神と呼ばれる大きな石像があります。抱き 合う男女の神で、明治に飛鳥浄見原(あすかきよみがはら)宮あたりの地中から発見されました。「石神」と いわれる石像で、口もとが欠けています。資料館の中には本物が置かれていますが、庭に置かれた復元像 を見ると、口のところに杯が持っていかれて、そこから噴水のように水が出るようになっています。これはお そらくヤチホコとスセリビメの物語を写しているのではないでしょうか。 4.イハノヒメの嫉妬 人間の物語では、『古事記』下巻に登場する仁徳天皇が色好みの話を伝えます。この天皇はいろんな側 面を持っていて、大きく分けると「仁、善、徳」の三つの面があります。一つは有名な話で、難波宮の高殿か ら国の様子を見たら、人々が貧しくご飯どきでも煙が立っていないため、仁徳は税をすべて免除し、三年間 は自らも我慢しました。すると夕餉(ゆうげ)の煙がいっぱい出るようになったので、ようやく税を徴収したと言 います。この仁政が「仁」です。そして「善」は、人々のために土木工事をたくさん行ったことです。仁徳の宮 殿があった大阪は今も運河が多く水の都といわれますが、それは5世紀初めの仁徳からの名残です。「徳」 というのは女性関係。いろいろな女性と浮き名を流した天皇でした。仁、善、徳は儒教の影響を受けたもの で、特に『古事記』下巻に強く押し出されています。仁徳という漢字二字の天皇の名前は700年代の後半 に付けられたものですが、中身とよく対応しているのです。 この仁徳は、ヤチホコと同じく正妻の皇后がものすごく怖い。皇后は『万葉集』にも出てくるイハノヒメ(磐之 媛)で、葛城氏の豪族の娘です。 大后イハノヒメはひどく、うわなり妬みをする人で、大君(仁徳)は困っていました。側室を殿中に住まわせる こともできず、噂を聞いただけでもイハノヒメは地団駄を踏んだと言います。あるとき仁徳が吉備氏の娘クロヒ メをこっそりと召し上げると、やはり大后にばれて妬み荒れたので、クロヒメは国元の吉備に逃げ帰りました。 大君は高殿の上から、クロヒメの舟が難波の海を西へ向かうのを見やりながら歌を歌います。 おきへには をぶねつららく くろざやの まさづ子わぎも くにへくだらす 沖の方へ小舟が連なっている。黒い鞘飾りのように、心ひかれる私の妹が遠ざかっていくことよ……なんと も情けない天皇ですね。大后はそれを聞いてさらに怒り、使いを出してクロヒメを舟から降ろし、吉備まで歩 いて帰らせました。そこで大君は「淡道(あはぢ)の島を見てみたい」と言って大后をだまし、クロヒメを追いま す。大后にびくびくしながら、若い女の子を追いかける仁徳天皇。税を免除する姿とは全然違いますね。こ ういう滑稽な話に人々は喜び、長く享受されてきたのでしょう。 もう一つ、仁徳天皇の話です。仁徳はオオサザキノミコト(大雀命)と称されていましたが、オオサザキとはミ ソサザイという小さな鳥の名前です。あるときオオサザキは異母妹のメドリノオオキミ(女鳥王)に求婚します。 使いに出したのは同じく異母弟のハヤブサワケノミコ(速総別王)。しかしメドリは「イハノヒメが怖いし、あん なミソサザイより、あなたの方が好き」と言い出します。このような二男一女の物語は古代からずっと続く恋愛 もののパターンですね。メドリとハヤブサワケは結婚しますが、報告はしませんでした。オオサザキは何も知 らないでメドリの家に行くと機織りをしているので、誰の衣を織っているの?と聞くと、ハヤブサワケの衣よ、 と答えます。オオサザキは驚きましたが、すごすご帰るしかありませんでした。一方のメドリはハヤブサワケ に次の歌を詠みます。 雲雀(ひばり)は 天(あめ)に翔(かけ)る 高行(たかゆ)くや 速総別 雀(さざき)取らさね あなたは天空高く飛ぶハヤブサなんだから、あんなオオサザキなんかやっつけちゃいなさいよ──この歌 を知ったオオサザキはさすがに黙ってはいられません。すぐにオオサザキは軍隊を出して二人を殺そうとし ます。二人は手に手を取って、東へ逃げ、曽爾(そに)にたどり着きます。曽爾は奈良の桜井市から伊勢本 街道をずっと伊勢に向かった、奈良県と三重県の県境にあり、あと一つ山を越えたら伊勢というところ。古代 の人にとって伊勢は太陽と海の輝く憧れの世界だったので、そこまで行けたら素晴らしい未来が待っている と二人は信じていたのでしょう。しかし曽爾で追い詰められ、二人は殺されました。 これには後日談があります。軍隊の将軍・山部大楯連(やまべのおほたてのむらじ)が二人を殺したとき、メ ドリが腕につけていた玉釧(たまくしろ)というブレスレットをはずして、自分の女房にお土産として与えました。 オオサザキは戦勝を喜んで兵士とその家族を招いて宴会を開いたとき、将軍の奥さんはメドリの腕輪をして 宴会に出ました。大后のイハノヒメはそれに気づきます。大后は将軍を呼び、「メドリは不敬であったから退 けられたのは当然である。しかしあなたの主君だったメドリが身につけていた腕輪を、死んですぐ肌もまだ 温かいうちに剥ぎ取って自分の妻に与えるとは」と怒り、将軍を死刑にしてしまいました。この話はイハノヒメ という女性が持っている繊細な部分をよく表しています。イハノヒメは嫉妬深いだけでなく、非常に意志が強 い。メドリもとても積極的で強く、男が操られているようでしたね。古代の物語では、女性の強さがさまざまな 物語を展開していきます。家の中で弱々しくしている女性の姿は古代物語に見られません。男の場合は政 治的に儒教的世界に引きずられていきますが、女性が儒教的世界に取り込まれるのはずっとあとのことで す。 登場人物の名前に鳥が多いのも面白いところです。ヤチホコがおしゃれをする場面でも鳥の表現がとられ ましたが、これらの物語はとても演劇的なので、鳥の劇団のようなものがあって、演じられていたのではない かと思います。 山を越える直前で二人が死んで行く舞台となった曽爾には、楯岡山(たておかやま)古墳と呼ばれる二つ の墓があります。考古学的には時代がずれますが、土地の人はメドリとハヤブサワケの墓と伝えています。 5.待つ女、逃げる女 もう一人の好色な天皇が、5世紀後半の雄略天皇です。『古事記』下巻には雄略天皇とちょっと可哀想な 女性「あかゐの子」の話が載っています。 大君(雄略)が国を巡り、美和河(みわがわ)というところに行くと、河のほとりで衣を洗う女性に会いました。 名を問うと引田部(ひけたべ)のあかゐの子だというので、大君は「いつか私が召すので嫁がずにおれ」と言 って去りました。あかゐの子はそれを信じて嫁がず、80歳にもなってしまいました。「今は老い衰えてしまっ たけれど、お待ちしていた心だけは伝えよう」と、あかゐの子は大君のもとへ参上します。しかし大君はすっ かり忘れていました。あかゐの子の気持ちに報いたいけれど、いかんせん老い衰えて肌を重ねることもでき ません。そこで次の歌を詠みました。 みもろの いつかしがもと かしがもと ゆゆしきかも かしはらをとめ 神の坐すカシの木の下にいる、手を触れがたい白檮原(かしはら)の乙女よ……これを聞いたあかゐの子 も歌を返しました。 みもろに つくやたまかき つきあまし たにかもよらむ 神のみやひと 神のいる御諸に築いた高い垣の内にあまりにも長く仕え、今はどなたに頼りましょう、神に仕える私は……。 この二首を見れば、あかゐの子は神に仕えるシャーマンであることがわかります。巫女は人間とは結婚でき ません。長く忘れられていた話になっていますが、それはあかゐの子が人間の男を拒否して神を祀ってい る女性であり、それが物語化されたとき、このようなちょっと滑稽な話になっていったのでしょう。本来は天皇 も同じく年を取っているはずなのに、天皇は若いままというのはおかしいですね。こういうところに天皇の権 勢が次第に現れつつあることがわかります。 雄略は英雄ですので色を好みますが、女性に対し力まかせのこともあれば、次の話ように拒否される場合 もあるようです。 大君は丸迩(わに)氏の娘、ヲドヒメに求婚するために春日に行きました。丸迩は天理の北に根拠地があり ますが、のちに勢力を奈良市内の春日にのばして、春日氏になったようです。その春日の道のほとりで大 君はヲドヒメ(袁杼比売)に逢いました。しかし大君の姿を見るなり、ヲドヒメは岡のあたりに隠れてしまいます。 そこで大君は次のように歌います。 をとめの いかくるをかを かなすきも いほちもがも すきはぬるもの 乙女の隠れている岡。くろがねの鋤(すき)を五百個ほしい。鋤き起こして探しだそうものを……。ヲドヒメは 逃げ切ったようです。民間習俗では、求婚されても儀礼としていったん拒み、もし気に入っていたらあとで 出て行くことになります。断りたい場合、村によって決まりがあって、例えば一週間逃げ切ったら求婚は失敗 です。そのために仲間の女の子が匿ってくれる場合もあったようです。女性は意志を通すことができました。 そういうふうに拒む女の物語はいろいろなかたちで語られていくのです。 『古事記』の女性は強い、ということがあらためてわかったと思います。ぜひそういう視点で『古事記』を読ん でみてください。
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