『日本語には原始時代からの“和の心”が宿る』 日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか 竹田恒泰 PHP 新書 編纂’11.11.03 日本語には、仏語、中国語、ロシア語にもない『もったいない』や『いただきます』という言葉がある。 外国語にない希な言葉をいつ獲得したのか。これを知るには日本語の歴史を遡る必要がある。 日本語はどこから来たのか。日本列島に独自の特色が表れたのは、後期旧石器の地域性が見 えはじめた三万年前頃。当時、日本列島には縄文人の先祖にあたる旧石器時代人が住んでいた。 縄文人は現在の日本人とほぼ同型と考えられているため、考古学上、旧石器時代人は日本人の 先祖ということになる。彼らは人類初の磨製石斧とナイフ形石器を発明し、やがて人類最初の土器 を作ることになる。 ◆高天原に通じる「神の言葉」 旧石器時代の言葉は、人類がまだ文字を持たない時代で 分からない。しかし、石器と土器に関しては人類最先端の技 術を持っていた。後期旧石器時代から縄文時代早期にかけ、 日本列島は最先端技術を持った地域で、言語は人類最先 端の集団が話す言語だった。 そこに、時代ごとに他の地域から言語要素が流入し、現代 日本語が形成された。もともと「縄文語」が存在していて、縄 文時代後半期に揚子江下流域からオーストロネシア語系言 語の影響を受け「弥生語」が形成された。弥生時代から古墳 時代にかけ、朝鮮半島から朝鮮半島西部の言語の影響を受 けて「古代日本語」が形成された。そして飛鳥時代に漢語、江 戸時代末期以降に欧米語が入り「現代日本語」に至る。 日本列島は海に囲まれるため、大陸と違い戦争で民族が 言語と共に滅ぼされる経験がない。そのため、日本語の成 立過程は他の言語と比較しても単純である。 縄文時代には 日本列島に存在して、周辺地域言語の影響を受け成立した 言語で、どの語族にも属さず、縄文時代以前の古い要素を 残している。神道の考えによると神武天皇より前は神世の時代であるから、要するに日本語は、高 天原に通じる『神の言葉』ということになる。高天原は『古事記』神話にいう天上世界のことで、天照 大御神が統治する神々の世界のことである。 最初の統一王朝である大和王朝が成立して以来、日本列島の隅々まで和語が行き届き、日本 人は一つの言語を共有して結束してきた。日本では『万葉集』、『古今和歌集』などに収録された 古代の和歌を原文で読むことができる。建国以来2000年に及ぶ文書類を読むことができることは 奇跡に近い。5世紀頃に形成され、14世紀にはじめて一つの国の公用語に採用された『英語』と は次元の異なる言語である。 英国人や米国人が古代の文献を原文で読むには、古代ギリシャ語や古代ヘブライ語などを習得し なければならない。普通の人が古代原文で読むのは不可能である。話者は存在していたとはいえ、 600 年前まで英語はなかったに等しい。 1 ◆日本語こそ世界遺産に相応しい 日本は『和の国』である。万物に神霊が宿ると考える神道の源流は、縄文時代に遡る。縄文人は 大自然を正しく畏れ・敬い・利用してきた。日本の『和の文化』は、大自然と人類の和を基本に、『国 と国の和』、『人と人の和』が醸し出された。「もったいない」や「いただきます」の発想は、縄文人や その先祖の旧石器時代人の発想であろう。日本語は原始日本人の価値観を詰め込んだタイムカプ セルのようなものである。古い言語が残るから、古い時代の価値観が現代に継承されている。言語な くして価値観の継承はありえない。日本語は、大自然との調和を重んじた縄文人の発想を伝える 道具として機能している。日本語こそ世界遺産に相応しいと私は思う。 世界史を眺めると言語は脆弱なものであることが分かる。言語は民族と共に生き残り、民族と共に 滅びてきた。英語が世界標準になった裏で、多くの言語が姿を消してきた。 日本語も例外でない。元寇で神風が吹かなければ、日本列島は中国:元が統治して中国の一部 になって、我々は中国語を話していた。また幕末期の舵取りを間違えていたら、列強の植民地にさ れていた可能性が高い。ポツダム宣言受諾が数日遅れたら、日本は東西に分断され、東日本では ロシア語が公用語になっていただろう。 戦後の占領期に、公用語を英語に替える議論もあった。 縄文時代に他の地域に存在したアメリカ先住民、ケルト、アポリジニーなどの民族は現存する。 しかし、彼らは国土と国家を持たず、言語も失われつつある。原始民族で国土、国家、言語を持ち、 一億人以上の人口を擁しているのは世界で日本だけ。日本は現存する唯一の古代国家である。 有史以前の古い言語が存続するのは稀有なことである。 ◆ 最も語彙の多い言語 日本語は、曖昧・非論理言語だといわれる。しかし、日本語ほど明確で論理的で、完成した言語 でもあると思う。日本語には底力があり、長年に渡り洗練されてきた。 7世紀:天武天皇が編纂した日本最古の歴史書『古事記』は、古代日本語を用いた。当時は文字 がなく、太安万呂が中国の漢字を文字変換し、古代日本語を文字化して漢式和文が成立した。 漢字は外国語文字で、和語と漢語は語順や語彙が違うだけでなく、文化的背景も全く異なるため、 漢字で和語を表記するのは難しかった。公用語を漢語にすれば簡単だが、日本人はそれをせず に、漢字を消化して日本文明の道具として使いこなすことに成功した。 漢字が導入されてから幕末まで約1200年間、公文書は全て漢字で表記したが、日本語を表現 する工夫は近代まで続いている。漢字は表意文字なので、個々の字に和語と古代中国語の二通 り(又それ以上)の音・訓読みを考案して漢字を活用した。漢字を表音文字にした万葉仮名を発明し て、アルファベットのように日本語の音を表記できるようした。 その結果が『古事記』である。 しかし、一音ごとに画数の多い漢字を使うのは煩雑なため、漢字を簡略化した片仮名・平仮名を 発明した。延喜5:905年、『古今和歌集』は平仮名を用いた。仮名の導入で漢字カナ混在文が成 立し、表音・表意文字を使い分ける形式が整い、日本語は豊かな表現を手に入れた。 明治33:1900年の「小学校令」で仮名表が統合され、以降は話し言葉・書き言葉を統一して、 現代日本語が形成された。 英語は語彙の多さで優れているが、日本語も語彙の多い言語である。『日本国語大辞典』:小学 館、第2版/全14巻は、50万項目の語彙を収録し、『オックスフォード英語辞典』の語彙数に相当する。 基準が違うので一概に比較できないが、他言語からの借用が英語と比べ格段に少いので、日本語 は、最も豊かな自前の語彙を持っていると考えられる。 2 ◆ 漢字文化への偉大な貢献 日本語の語彙の多くは中国語の借用でもある。 しかし、文字がなかった日本人は、和語を表記 する方法として漢字を導入した。先祖たちは複数の読みを与え、多くの和製漢字と和製漢語を作り、 逆に中国に輸出している。漢字で表記する日本語の語彙が、全て大陸からの借用とはならない。 中国の和製漢語研究者:王彬彬は「現代漢語中的日語“外来語”問題」で記述している。 現代中国語のなかで日本語から借用した外来語の数は驚くほど多く、統計的に、我々が今日使用している社 会科学、人文科学方面の用語のおよそ7割は日本から輸入したものである。これらはすべて日本人が西洋の 語彙を翻訳したもので、これを中国が導入して中国語のなかに深く根を下ろした。 我々の使う西洋の概念は、 日本人が我々に代わって翻訳したものである。中国と西洋の間には、永遠に日本が横たわっている。 日本は幕末から明治期に、西洋文化の輸入に、西洋書物を翻訳して多くの和製漢語を作った。 それらを中国の留学生が中国に持ち帰り、そのまま中国語として使うようになった。 「中華人民共和国」は、「中華」を除き全て和製である。 中国人が違和感なく和製漢語を使って いるは、中国古来の正しい造語方法や構成方法に従った漢語であるためである。 中国の大学四年生の学位論文「和製漢字と和製漢語」(魯東大学、2009年)に例示がある。 解放 科学 化学 環境 関係 議会 企業 基準 債務 雑誌 自由 宗教 人権 人民 定義 哲学 芸術 権成 講演 工業 時間 市場 主義 出版 予算 冷戦 幹部 協会 金融 原則 原理 国際 民法 目的 理想 理念 議員 協定 銀行 現実 共産主義 社会主義 共和国労働者 労働組合 基地 義務 強制 業務 組合 景気 憲法 公民 独裁 任命 法律 保険 輸出 輸入 領空 領土 政策 政党 電車 電流 美術 批評 本質 要素 指導 商業 証券 代表 単位 電話 動産 物質 債権 情報 単元 投資 文化 目標 領海 最恵国 資本家 物理学 【和製漢語の例】 論文は、「和製漢字文化の生き残りと活性化という点で、漢字文化に偉大な貢献をした」と評する。 一方で、『現代日本人の漢字・漢語の知識は、幕末明治期に比べ幼児並みに退化して、他国が受 け入れる和製漢語を発明する能力は失った。カタカナ語が氾濫している』 と手厳しい。 ◆日本語(和語)を世界に広めるために 日本には外国に輸出する商品が沢山あるが、日本語こそ最高の輸出品だと思う。 この実現には、日本語を母国語とする現代日本人が、美しく適切な日本語の話し手となり、原始日 本から継承されてきた「和の心」を理解して実践する必要がある。 これまでの人類の歴史は「自然を征服する歴史」だったが、これからは日本人が受け継いできた 『自然と調和する歴史』を歩みはじめなければならない。そのためには、日本語が持つ和の心を人 類が共有するのが近道ではなかろうか。 日本語は世界を平和に導けると信じている。 英語の話者は、100年で10倍以上に拡大した。言語として大出世している。日本語も語彙の輸出 だけではなく、海外に於ける日本語の学習者を増やしていくことを真剣に考えるべきだろう。 日出ずる処の和語こそ、日の沈まぬ言語にならなくてはいけない。そのためには、日本人自身 が日本語の意義を知ることが肝要だ。 3
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