ムコシュウト問題

序文
ち
え
こ
江子、メ
『女姓婚のススメ 女性の苗字で結婚すれば、幸せになれる』(伊達蝶
ディアファクトリー、二〇一一)という本がある。特に話題になった本ではない
が、ふとしたことから手にした私の頭は、疑問符だらけになった。
題名どおりの本である。
「婿養子」をとって家名を
かつて日本では、一人娘や、女だけの姉妹の場合、
残そうとした。旧民法では、婿が妻方の親の養子になり、家長となったが、新民
法では、単に妻方の姓に変えただけでは、
「婿養子」ではないという。
か
お
り
た と え ば、 ノ ー ベ ル 賞 作 家・ 川 端 康 成( 一 八 九 九 ‐ 一 九 七 二 ) に は 実 子 が な
く、従兄の娘を養女とし、結婚に際して男方が川端姓となった。東大教授だった
ロシヤ文学者の川端香男里(一九三三‐ )で、旧姓は山本である。今も、川端
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じつまい
家の代表として著作権などをマネージしている。実妹は、西洋美術史で知られた
若桑みどり(一九三五‐二〇〇七)である。
結婚したのは一九六七年で、はじめは北大に勤務していたから札幌に住んでい
たが、ほどなく東大に勤務が代わって、鎌倉の川端康成夫妻の家に、二世帯住宅
のようなものを作って同居し、男児と女児をあげた。川端康成は七二年に自殺し
た か ら、 あ と は そ の 未 亡 人 が 二 〇 〇 二 年 に 死 去 す る ま で 一 緒 に 暮 ら し て き た。
ご
け
か
ふ
(未亡人という言葉はいやな言葉で、川端もそう書いているが、あまりに便利で
ある。後家とか寡婦とか言うのもおかしいので、しかたなく使う)
だ が、 香 男 里 は「 養 子 」 で は な い。 単 に 姓 が 川 端 に な っ た だ け で あ る。 そ れ
を、
「婿養子」ではないと言っても、こんな風に妻方の両親と同居していたら、
それは実質上、婿養子と同じである。
実は当初、結婚の話がまとまった時は、康成は、川端姓になることを要求して
はいなかった。香男里の長兄が加わって両家顔あわせをした時に、それを言い出
したのである。川端家は、鎌倉幕府執権だった北条泰時の子孫と言われ、大阪府
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いばら
き
茨 木市で代々続く庄屋の家柄である。
この康成の提議を受けて別室で協議し、香男里が長男ではなかったこともあっ
て、これを受け入れることにしたのである。
ほどなく、康成が自殺し、以後香男里は、東大助教授、教授を務めながら、川
端家のスポークスマンとして活動することになる。
『女姓婚』では、
「嫁姑問題も解決する」ということが書かれている。嫁
さて、
姑問題というのは、狭い意味では、長男ないし嫡男の妻として、夫の両親と同居
する専業主婦が、なぜかもっぱら姑との間に感情的齟齬をきたすことをさす。
広くとれば、長男や嫡男でなく、同居していなくても、息子の嫁と姑との間が
ぎくしゃくしたら、嫁姑問題と言えるだろう。
は な お か せ い しゅう
そ の 根 底 に あ る の は、 自 分 が 愛 し か わ い が っ て き た 息 子 を、 嫁 に 奪 わ れ た
ろ か
ほ と と ぎ す
と 感 じ、 嫁 の 若 さ に 嫉 妬 す る と い う 姑 の 感 情 で あ る。 徳 冨 蘆 花 の『 不 如 帰 』
(一九六七)など、嫁姑問題を描
(一八九八)や、有吉佐和子の『華岡青洲の妻』
いた文学作品も多い。驚いたのは、一九八三年の山田太一のドラマ『ふぞろいの
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林 檎 た ち 』 で、 古 典 的 な 姑 に よ る 嫁 い じ め が 描 か れ て い た こ と で、 古 風 だ な と
思ったものだ。
だがそれなら、ムコシュウト問題というのもありえるのではないか。テレビド
ラマ「必殺仕置人」では、外の世界ではわりあい残虐な手法で悪をこらしめる藤
田 ま こ と が、 家 で は 婿 養 子 で、 姑 か ら あ れ こ れ と 嫌 味 を 言 わ れ る の が 隠 し 味 に
なっていた。
今では「マスオさん」などと呼ばれる、姓は妻が夫のものに変えるが妻方に同
居する状態がよく知られている。川端香男里のように、実質上の婿養子状態とい
うのもある。そこでは、かわいい娘を奪われたという、舅(岳父)の不快感とか
怨念というものは、ないのだろうか。あるだろう、あるに決まっている。
近頃、晩婚化や非婚化が問題になり、さらにそれを過ぎて女性の専業主婦志向
も強まっているが、そういう女性が望むのは、夫の両親との同居ではない。
さらに、娘を結婚させたがらない 母 親 と い う も の も ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ て き
ている。それなら、そういう娘がいざ結婚した際には、
「婿姑問題」というのも
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起 こ り う る は ず で あ る。
「 嫁 姑 問 題 」 で は、 川 端 康 成 の『 山 の 音 』( 一 九 四 九 ‐
五四)が描くように、舅は嫁に優しいということが前提とされているが、何もそ
うとは限らないだろう。つまり、嫁‐舅姑小姑問題や、婿‐舅姑小姑問題という
のがあるのだ。
さらに、戦後民法で家制度は否定されたというが、現実には家名を残したいと
いう家はいくらもある。だから戦後しばらくは、養子、婿養子というものは生き
ていたのであり、男で結婚や養子入りによって改姓した人は多かった。ところが
戦後、昭和三十年ころから、一組の夫婦が生む子供の数が、それ以前に比べて激
減し、平均二人になった(山田昌弘『結婚の社会学』丸善ライブラリー)。その
世代が大人になる一九八〇年代以後、あちこちで家名断絶の危機が起きているは
ずなのである。
しかもそこへ、夫婦別姓法などというものが、リベラリズムの皮をかぶって登
場したが、その急先鋒だった野田聖子は結局、野田の家名を残したかっただけで
あった。家名などどうでもいいではないか、と思う人もいようが、地方の旧家で
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は、先祖代々の墓というのがあって、墓参りをする人がいなくなるというのは大
変なことなのである。
そんな話は、自分の周囲には全然ない、と言う人もいるかもしれない。確かに
そういう「家」は、昔に比べれば減ってはいる。だがなくなってはいない。それ
に、関係ないという人でも、結婚して、相手に親がいたら、おのずとその親との
関係があるだろう。それも関係良好だ、という人もいるだろう。
ともあれ、ここでは、ムコシュウト問題に始まって、ずいぶん複雑になってし
まった現代の、二十一世紀日本の「結婚」というものについて、考えていきたい
と思うのである。
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こ ぬかさんごう
「小糠三合持ったら婿養子に行くな」という言葉がある。「小糠三合」というの
は、わずかなものだが、その程度でも財産があったら、婿養子になるなという意
味で、それだけ婿養子になるには苦労がつきまとうという意味である。
しょう と う
「嫁は下の家から貰え」という言葉もある。あまり自分の家より立
あるいは、
派な家の娘と結婚すると、妻の実家がなにかとうるさい、という意味である。
濤 は、 高 級 住 宅 街 で あ る。 東 京 で は、 田 園 調 布、 成 城 と 並 び 称 さ れ
渋谷の松
る。 こ れ は 私 が 行 っ て い た 東 大 教 養 学 部 の そ ば だ っ た の で、 若 い こ ろ、 憧 れ を
持って歩いてみたことがある。そこの邸には、姓が二つ並んだ表札が多かった。
つまりマスオさん家庭である。その頃私は、いい家の令嬢と結婚したいと思って
いたから、あこがれたものである。だが、さぞかし苦労もあるだろうと思われた。
ひところは「ニューファミリー」などと言って、親とは関係なく、若い夫婦が
二人だけで住むというのが理想とされたこともあった。実際、二人とも実家が地
方にあって、東京など大都市で知り合い、また二人とも、長男とか一番上の子と
かでなく、あるいはまだ親が若いうちは、それもいいだろう。二世帯住宅などと
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第一章 ムコシュウト問題の実態
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