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平 成 2 7年
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月にかけて、パリで初
の個展を聞いた。セーヌ河が流れるパリの街で思
ったことをつづ、ってもらった。パリらしい風景や
パ リ つ 子 た ち と の 出 会 い も あ っ た 。 明写真家ショ
パリを歩くーである。
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橋本さんは、パリの街に自由
な空気を感じたという。 I
パリ
で暮らしたことのある人は、そ
の幸福な思い出は移動祝祭日の
ように一生ついてまわる」と言
ったのは米国の文豪アーネスト
・ヘミングウェイだった。
ア パ ートから歩 いて 1
0分 ほ
ど。路地の酒場・レストラン
は活気に満ちる。飲み食いし
ながらおしゃべりに夢中にな
るパ υっ子。人生を楽しんで
いるふうだ。昔の石畳に歴史
を感じさせる
サン・ジェルマン・デ・プレ
界隈の路地の壁に描かれてい
た。落書きも芸術的だった
リユクサンブlル公園前のピザ屋さん。
パリは食べ物までカラフルで、どれもお
いしそうだった
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し て い る 「 西 山 温 泉j の
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点ずつ展示。日
写 真 を1
本独特の風土から生まれ
た作品がパリ市民の心を
3日
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と ら え た 。 個 展 は1
ルーブル美術館などパリ
の各会場で開幕した「フ 。
オトフィーパー」に合わ
せて開催された。
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パリ市民らが詰め掛けたギャラリー。
日本の風土を切り取った橋本さんの作
品はパリ市民の心をがとらえた
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パリの初日 (2014 側裏手にある。セlヌ河 も中瀬も中州に浮かぶ文
年一日同行白)の目覚めは、 岸からお肘ほどなのだ。 化拠点だあ﹂と感激。
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・ミッシェル大通りの緩
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個 展 は 昨 年1
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未明の街路清掃車の音だ わが家も北上川か近かっ
さらに届展を聞くギ
った。騒音には違いない たせいか、パリのアパー ャラリーの場所は、サン
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が、不快な感じがしなか トに親近感を覚えた。
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い坂道を上って、ソルボ
-シテ島は中瀬
ンヌ大学などのある文教
サン・ミッシェル橋を 地区として知られる5区
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かしい。それは小単生だ
った頃、通称朝市場(本
(東日本大震災後に解体、 島はサン・ルイ島と並ん まっている鰐山だあ﹂と
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葬列筆名三宅し老毛主童示習宅産等 i
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町)の九開露庄小母 渡るとノlトルダム寺院 カルチェ・ラタンだから
に面した生家・横浜屋 がそびえるシテ島。シテ こりゃ中学校や高校が集
現在は事斑)の2階の寝 でセlヌ河に浮かぶ島 種子に思い、川があるパ
床の中で聞いた音なの で、パリ発祥の地と一言わ リと石巻は姉妹都市だと
-写真祭リ週間
だ。荷馬車の音、明けや れる。漕掃車が路地奥へ 一人、空想に浸った。
それにしてもパリの景
ら ぬ 鈴 喜 怒 あ っ た 北 去る音を聞きながら、私
上川の川岸から石巻湾へ のベッドである居間の大 観はいいなあ。
出航する杢翼船の焼き ソファの床の中で、﹁こ
玉エンジンの音。川の水 りゃ、シテ島は北上川の
日日から1週間、次々
中瀬だあ。岡田劇場があ
気の臭い。
ここパリの古いアパー った中瀬は地方文化の発 に聞かれる写真の祭り ルーブル美術館。叩分ほ
トは、セlヌ河左岸のサ 信地だったし、今は石ノ ﹁フォトフィlバ1﹂の ど歩くとオペラ座。同じ
ンーミッシェル広場の西 森高画績がある。シテ島 会場は、セlヌ河右岸の く査序のグラン・パレ宮
セーヌ河はパリの街の主役。夜のセーヌ河も趣
がある。観光害を乗せて走る遊覧船パトームー
シュ。聞に浮かび上がるのはシテ島にあるノー
トルダム寺院
﹁河の街パリ 川の町・石巻﹂
初の個贋を聞くためパリを訪れた橋本さん。会場と
なったサン・ジヤツク通りにあるギャラリー前で
(4)
土曜日のサン・ミッシェル広場は若者らでにぎわ
う。学生たちの演奏が道行く市民を楽しませる
橋本照嵩さん寄稿
石巻市出身の写真家・橋本照嵩さん(
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ウコウさん、、
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年 ) 1月 3 日(土曜日〉
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(第三種郵便物認可)
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フォト会場(グラン・パレ宮殿〉では
女の子が駆け抜けていった。パリではどこ
でも元気な子どもたちに出会えた
「 警 女 唄 Jに 拍 手 わ く
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・橋本さんパリ交友記・
借りたアパートでマークさんと
﹁嘗女﹂のヴィンテlジプリン
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蓄
橋本さんはパリ滞在の問、何百枚と写真を撮った。人物写真
家らしくパリの人たちを数多くとらえていた。足早に歩くなど
パリの人たちが気ぜわしげに感じた半面、エトランジェ(異邦
人)を温かく包み込むようなパリつ子気質に触れたという。子
どもからパリジェンヌまで、街角で橋本さんが瞬間的に切り取
ったパリの人たちの表情はみな魅力的だ。
を
見
せ
て
ベビーカーを押し、もう一人
の子とは手をつないで歩く母
親。サン・ジャツク通りでの
ほほえましい光景
パンを抱えて歩く母と子。パリ
ではよく見かける光景だ。畏い
フランスパンを持ち歩けばパリ
つ子気分 H ギャラリー近くで
ギャラリー近くの路地で箇を吹いていた男性ιパリの衝は音楽も
あふれでいる
リの人たちとの交友を深めるきつかけになつた。
日仏親善にささやかながら貢献してきた。
「きれいだ」と思わずパチ
リ。サン・ミッシェル大通
りで出会ったパリジェンヌ
れの
ギャラリー近くの食堂のマダム。屈託のない笑顔で
いつも迎えてくれた
ごちそうになった西洋梨の
赤ワイン煮
私のつ
フた
ダンプリン家での和気あいあい
とした昼食会。右端は大阪出身
の高島さん
当日は夫妻の友人である高島房子さん(大阪出
身〉が「今日は典型的なフランスのランチコース
ですよ」と教えてくれた。 7種 の チ ー ズ に シ ャ ン
パンで乾杯。 5晶 の 料 理 の 後 に 西 洋 梨 の 赤 ワ イ ン
煮がうまかった。食後のコーヒータイムに調子づ、
いて「長持唄」をプレゼントした。奥さんが私の
所に来て、両ほおに柔らかいキスをしてくれた。
ギャラリー隣の建物で一休み?していた
H リジヱンヌ。給になります
ンも
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ク子
ユぷ
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1月 1
1日 、 ギ ャ ラ リ ー で 展 示 の 準 備 を し て い た
ら「曹女唄」を歌うことになった。映画監督のロ
ーランさんがビデオに撮り、会期中、モニター上
映するという。 i
ピンコ、ピンコ」と口三味線を
や り ま し た 。 の ど な ら し に 門 付 民 謡 を 2曲。
が、区切りのいいところで間違えてしまった。
「やり直したい」と言ったら、東京から同行した
マークさん(六本木・禅フォト・ギャラリーのオ
ーナー〉が「どうせパリの人は分からないからい
いよ」と言う。ギャラリーに流れる膏女唄に、ト
チリのところに来ると、けっこうボリュームを上
げた歌声なので、居心地が悪かった。
1
3日 午 後 6時 か ら の オ ー プ ニ ン グ パ ー テ ィ ー で
は 、 曹 女 唄 を サ ー ビ ス す る こ と に な っ た 。 2階 に
通じるらせん階段に立って歌いました。今度は声
も比較的よく出て、拍手がわきました。パリに接
するイヴリー市から来たダンプリン老夫妻の奥さ
んが「民謡と普女唄で、日本が少し分かった」と言
って、 1
5日の土曜のランチに招待したいという。