人¥支化 - 滋賀県立大学

県
JL
大
学
人
間
文 化
学
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人¥支化
2011.3
BULLETIN
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V OL
29
SCHOOL OF HUMAN CULTURES THE UNIVERSITY OF SHIGA PREFECTU円 E
報
止と
仁3
-もくじ・
巻頭
言/潰崎
志………・・……・・・・……………・…ー… 1
-論文
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ-バランスと
男女共同参画に関する意識(下)
/武田俊輔 ・中村好孝・丸山真央 .
.
.
.
.
.
2
平成の市町村合併についての検証
一合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例から-
/横山幸司
3
4
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
8
/小 林 力 一 . 4
素
養
一 ホ
欠
ト 栄
研 養
ノ 改
究 素
・ 栄
/柴田克己...6
2
滋賀県に暮らすニュ ー力マーの子と、もたち
一外国籍児童生徒の教育をめぐる問題一
/平田輝子... 6
8
- 滋 賀 県 の 考 古 学 第 18回
滋賀県における縄文集落の一例
相奇熊原遺跡からみた琵琶湖周辺部の縄文集落のありかた
/松室孝樹 一. 7
9
-人間文化通信
人間文化セミナー・・・
•••• ••••••••••• •••• •••••••••••• .•• ••••• 8
6
201
0年度卒業論文・修士論文・博士論文一覧・・……...... 8
7
退任メッセ ジ目
・
・・
・
・
…
.
.
.
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.
.
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.
.
.
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.
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…
…
…
一回
一
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.
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2
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NFORMA
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… ー………・ ・
・……・一-一.•••.
••••.
…
ー ー
ーー ・
・ 9
6
編集後記
-犬上川河口風景・
県立大学の指呼の位置にある犬上川河口近くに樹
0
0i
Fと伝 えられる照楽街林のタブを中心とした
齢4
川辺林があり、これを 守る運動があ り、今日の形に
残された 。
今から
2
0年程前に日本列島を改造す る政策のもと
全国で多くの風景が変容 した。特に川の修景林は次々
に失われていった 。
犬上川 も川辺林の 80% を切り倒すことに なってい
たがそれを 50%まで残すことになったのは大きな運
動の成果であった。
サイズ
画材
2
8.
5cmx 3
8cm
鉛宣
告 ・顔彩
4
絵と文/安 土 俵
WATSON
口
一
一
地域の衰退と地域再生
力、宇
し
志
頭
日
潰
巻
崎
人間文化学部 学部長
意外と身近なところで地域の崩壊が進んでいる 。「廃村滋賀」で検索をかけると、重複もあるが約
4
9
.
0
0
0
件の記事が表示される 。 こうした廃村は彦根市東部、多賀町、長浜市余呉町に集中 している 。大
学から車で小一時間の中 山間地域にも廃村が数多くあり、放置された民家が倒壊している 。燃料革命に
よる薪炭業の衰退、木材価格の低迷による林業の衰退が主要な原因である 。
ところが近年、林業に依存 していない集落の中に大きく衰退し始めたところが目立ち始めた 。 ここ数
年、米原市伊吹町、長浜市木之本町・余呉町、東近江市永源寺町など、少子高齢化、過疎化の進む地域
で空き民家の調査をおこなってきた。最初は伝統的な民家が空き家となり、朽ち果てることを止められ
ないかという視点から調査を実施した 。 ところが、空き家の調査を進めてみると、中山間地域の空き家
率が思いの ほか高く、中には 3割を超えている集落もあり、 集落機能も大きく衰退 していた 。集落機能
の衰退は人口のさらなる低下を招き、伝統的な民家の保存どころか、集落の維持すら困難となっている 。
議賀県は数少ない人口が増加し続けている県の一つであるが、人口の増加は南部の 一部に限られ、 i
M
東、湖北、湖西の中山間地域では、衰退し続けている集落が数多くある 。
6年度から文部科学省の「現代的教育ニーズ取組支援
こうした状況の中で、滋賀県立大学では、平成 1
プログラム Jの採択を受け、「近江楽座 j として、大学の総合力、教員の専門性、学生の行動力を i
原に、
地域活性化への貢献をとお して、地域社会へ根付いていくプロジェクトを実施 してきた 。助成期間の終
了した平成 1
9年度からは、大学独自の取り組みとして活動を展開した 。 また、平成 1
8
年度から文部科学
省の「地域再生人材創出拠点の形成」プログラムの採択を受け、「近江環人地域再生学座」としてコミュ
ニティ ・アーキテクトの養成を進めてきた 。
3
年度からは「近江楽座」を「近江楽士(地域学)副専攻」と して 、「近江環人地域再生学座」を
平成 2
大学院の副専攻 コースとして位置づけ、「地域に根ざし、地域に 学び、 地域に 貢献する」大学としての
性格を明確に打ち出していく 。大学らしい地域貢献とは何かが問われることになる 。地域の存在無しに
地域文化も生活文化も語れるものではない。先行き不透明な地域の今後と大学の地域貢献のあり方を模
、 学外を問わず より 一層のご支援を必要と致します。 ご協力をお願い
索していく上で、 これからも 学内
致します。
人間文化・
論文
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ •
バランスと男女共同参画に関する意識(下)
武田俊輔・中村好孝・丸山真央
女雇用機会均等法 Jで
、 9割近くが「知っている 」
目次
12345678
と答えた(図 7- 1- 1
)0
調査の目的と課題
I
聞いたことはあ る」
を含めると、回答者全員に知識があるという結果で
ある 。次いで、よく知られていたのは「ジ、エンダー 」
調査の設計
調査の方法と結果の概要
(
生物学的な性差を意味する 「セックス 」 に対して
教職員の勤務実態
、
社会的な性差を指す)も
、 「知っている」が 7割
勤務をめぐる不満
「聞いたことはある 」 も含めると、 9割が少なくと
ワーク・ライフ ・バランスの実態 (
以上前号)
も聞いたことカfあった。
男女共同参画をめぐ って (
以下本号)
「
男女共同参画社会基本法」は
、 「
ま日っている Jと
男女共同参画をめぐる本学の現状をどう
答えたのは半数弱にとどまり、 「聞いたことはある 」
みるか
は 4割で、耳に入ってはいるものの内容までは知
9 大学 として取り組むべきソフト面の施策
られていないようである 。近年話題になることが増
1
0 大学として取り組むべきハード面の施策
えてきた 「ワーク ・ライフ・バランス J(
仕事と生
1
1
. 結論
活の調和 )もこれと似た傾向があり、 4分の 3が
補 1 調査察 (
単純集計表を含む)
「聞いたことはある 」 としているものの、 「
知ってい
補 2 調査対象者向け報告書 (
速報版)
る」 と答えたのは半数弱だった。男女雇用機会均等
7
. 男女共同参画をめぐって
法を定める根拠となった 「
女性差別撤廃条約」 にも
これと似た傾向がみとめられる 。
7.
1 男女共同参画に関する知識
「女性研究者支援モデル育成事業」 は、女性研究
男女共同参画i
に関する議論の中で登場するさまざ
者の研究と出産 ・育児等の両立支援に 向けて、 文部
まな語句について、どの程度知られているのか、知
科学省が 2006年度に開始した事業だが、この事業
識の有無を 「
つぎにあげる諾句をご存じですか。あ
の認知は半数弱にとどまっており、 「
知っている 」
てはまる番号にそれぞれ lつだけ Oをつけて くださ
と答えたのは 7人に 1人程度だ った。
「 ポジテ イ
い」 という質問文で、 7つの概念・法制度 名 ・行
ブ ・アクション 」は、さまざまな少数者への差別を
政用語について尋ねた。回答は、「長日っている JI
聞
積極的に是正していく措置をあらわす用語だが、日
いたことはある JI
知らない」の 3件法で求めた。
本では女性差別を是正する積極的な措置を表す諾と
して使われることが多い。 これを 「聞いたことはあ
全体で、 「知 っている j が最も多かったのは 「
男
図 7-1-1
男女共同参画に関する知識
男女雇用機会均等法
l
L
Q
c
:
.
88.5
ジェンダー
議2
7
1.
5
男女共同参画社会基本法
47
.0
ワーク・ライフ・ J'
I
ラ
ン
ス
47.0
女性差別撤廃条約
:IIPJ彊 i
3
7
.
5
1
6
.
5
女性研究者支援モデル育成事業
ポジティブ・アクション
21.0
-~.~_.__.._-
0%
知っている
2 -人間文化
20%
聞いたことはある
40%
銅知らない
60%
不明・無回答
80%
一
一
一
一J
100%
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画│ご関する意識(下)
性よりも女性によく知られている、年代別では、 5
0
る」としたのは半数弱にとどま っており、 「知 って
いる 」 と答えたのは 2割だ った。
歳以上で知識をもたない者が多 い。職種別では、教
これらの知識の有無を属性別にみてみよう 。それ
員 には、常勤か非常勤かを問わずよく知られている
、 「聞いたこと
ぞれの回答に「知っている J= 2点
ものの、職員ではやや得点が低く、非常勤職員 にそ
はある J=1点
、 「知らない J=0点を割り当て
の傾向は顕著である 。所属部局による 差 もかなりあ
て、それぞれの 平均得点を求めた。 その結果が図
るO 人間看護学部、人間文化学部、環境科学部では
7 - 1- 2 a、 bである 。
かなり知 られているが、工学部ではこの語の知識は
他の部局に比べて少ない。
まず、最もよく知られていた 「
男女雇用機会均等
法」 は、性別、年代、職種、所属部局に限らず、全
「男女共同参画社会基本法」も、属性による知識
般によく知られている 。 ただ、所属部局ごとでは、
の差が大きい。男性より女性の方が知識をもたない
人間文化学部と工学部で得 点がやや低く、人問看護
者 が多 く
、 年代別では、2
0歳代の知識のなさが顕
学部で高いという傾向がうかがえる 。
著である 。職種別にみると、教員 と常勤の職員には
次いでよく知られていた 「ジ、
エンダー 」 は、属性
ある程度知られているものの、非常勤の職員の認知
によ ってかなり知識が偏在している 。性別では、男
は相対的に低い。所属部局 による違いも大きい。人
図 7-1-2a 男女共同参画に関する知識の平均得点
シ‘エンター
ワーク ・ライフ・バランス 緑ポジティブ・アクション
nUFOnuRJvnU
21100
事務局等
国際教育センター
人問看護学部
人間文化学部
工学部
環境科学部
非常勤の職員
常勤の職員
年齢
非常勤の教員
常勤の教員
印歳代以上
回歳代
刊歳代
初歳代
初歳代
女性
男性
性別
所属部局
職種
図 7-1-2
b 男女共同参画に関する知識の平均得点
男女雇用機会
均等法
鶴男女共同参画社会
基本法
女性差別撤廃条約
灘女 性研 究 者 支 援
モデル育成事業
nuRunuRunu
円ノ﹄守
441nunu
事務局等
国際教育センター
人問看護学部
人間文化学部
工学部
環境科学部
非常勤の職員
職種
常勤の職員
非常勤の教員
常勤の教員
印歳代以上
年齢
日歳代
判歳代
初歳代
初歳代
性別
女性
男
性
所属部局
人間文化・ 3
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画に関する意識(
下)
問看護学部ではよく知られているものの、工学部で
庭を守るべきだ」 という意見についての賛否を尋ね
は相対的に知られていないという特徴は、 「ジェン
たところ、全体 に 8割 以上が否定 的である(図 7
ダ -Jという語と 似た傾向である。
「ワー ク・ライフ ・バランス」を属性ごとにみる
2- 1)。 しかし、 「夫に経済力があ れば」 とい
う条件付 きになると (
1
夫に経済力があ れば、家事 ・
と、これも「男女共同参画社会基本法」 と似た偏在
)、やや肯定的な人が増える
育児 は妻がやるべきだ J
があるのがうかがえる 。性別の違いはそれほどある
傾向がみられる。
わけではないが、年代別にみると 、中年層にはよく
どちら
属性別に賛否をみてみ よう。「
そ う思 うJ1
知られているものの、 6
0歳以上では得点が大きく
かといえばそう思う 」 と答えた割合をまとめたのが
落ちる 。職種別では、常勤の職員には、教員よりも
図 7- 2 - 2である 。
知られているが、非常勤の職員で はその得点がかな
まず 「
夫は外で働 き、妻は家庭を守るべきだ」 と
り低くなっている 。所属部局別の違いは、ほかの語
いう意見からみてみよう 。性別の違いをみると、男
句以上に大きい。人問看護学部ではかなり知られて
女ともおおむね賛成する割合は低 いが、男性の方が
いるが、工学部では得点が目立って低い。
女性よりやや高い。年代別では、 3
0歳代 と5
0歳代
「
女性差別撤廃条約 j は、性別、年代別のばらつ
でこうした性別役割分業観に否定的であるのに対し
きはそれほどない。 しかし職種別では非常勤の職員
で得点が低く、所属部局別では 人問看護学部で得点
0歳代 以上では肯定する割合が高い傾向にあ
て
、 6
る。職種別の差も顕著で、、教員はおおむね否定的な
が高く、工学部で低いという傾 向は、ここでもうか
のに対し、職員の場合、常勤はそれほど肯定的では
カfえる 。
ないものの、非常勤は相対的に肯定する割合が高い
「
女性研究者支援モデル育成事業」は、全般に知
傾向がみられる 。所属部局間の違いも明らかで、人
られていないが、職種別では、常勤の教員に知られ
問看護学部、事務局等、人間文化学部の順に肯定の
ているのに対して、職員には知ら れていないという
割合が低い。逆に肯定の割合が高いのは工学部で、
傾向はうかがえる 。 また所属部局別では、人間文化
これに環境科学部が続いている 。
学部では知られているが、工学部ではほとんど知ら
れていない。
きだ」 という項目は、 「夫に経済力があれば」 とい
「ポジテイブ ・アクション 」 も全体として知られ
「
夫に経済力があれば、家事 ・育児は妻がやるべ
う条件付きであるだけに、一般的に、前の性別役割
ていない用語だが、属性ごとの傾 向は、 「ワーク・
分業観の項目よ りも全般に肯定の割合が高くなる 。
ライフ ・バランス」とよく似ている 。すなわち、年
男女の遠いをみると、前の項目と違って、女性のほ
代別でみると、 4
0歳代をピ ー クとする山型を描い
うが こうした性別役割分業観を肯定する割合が男性
ている点、所属部局別にみると、人問看護学部と人
よりも高くなっている 。年代別の差はそれほど大き
間文化学部で知られているのに対して、工学部で知
られていないという傾向である 。
くないが、 6
0歳代以上が肯定的という点は変わら
0歳代の場合、肯定の割合が前の項
ないものの、 3
目よりもはるかに高い。職種による違いは、前の項
7
.
2 男女共同参画に関する意識
目と同じ傾向を示している 。所属部局による違い
調査では、男女共同参画に関してそれぞれの人が
も、前の項目とほぼ同様の傾向といってよいが、 一
抱いている意識 ・態度を、 「つぎにあげることにつ
般的な性別役割分業観に否定的だった人問看護学部
いて、あなたのお考えに近いものの番号にそれぞれ
で、こうした条件付 きの分業観については肯定する
1つOをつけてください 」 という質問文で、 6項
割合が高くなっているのが目をヲ l
く。
目に分けて、それらの意見への賛否を尋ねた。回答
どちらかといえばそう思う J1
どち
は 「そう思う J1
そ う思わない 」の 4
らかといえばそう思わない J1
件法で求めた 。
結婚育児をめぐる意識
「結婚は女性 に とって不利になることが多い 」 と
いう考えには、半数強が賛意を示しているが、半数
弱は否定的であり 、意見が割れている (
図 7- 2
性別役劃分業観
性 別役割分業に関して、 「夫は外 で働き、妻は家
4 ・人間文化
3。
) 夫婦別姓 (
1
結婚しでも、名字をどちらかに
合わせる必要 はなく、別々の名字でよい J
)につい
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
ては、半数が肯定的、半数が否定的というように、
思う」と 「どちらかといえばそう思う 」 をあわせた
これも 意見の分布は二つに割れている 。
肯定派は 100%近くに上った。
育児に関して「子の世話は夫婦で協力して行うべ
これら 3つの 意見への 回答を属性別にみてみる
きだ」という考えへの賛否を尋ねたところ、「そう
(
図 7-2-4)。 まず 「結婚は女性にとって不利
図 7-2-1 性別役割分業観
夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ
夫に経済力があれば、
家事・育児は妻がやるべきだ
0%
そう思う
議どちらかといえばそう思う
図 7-2-2
40%
20%
60%
80%
総どちらかといえばそう思わない
r
c
100%
-そう思わない
r
性別役割分業観 そう思う J どちらかといえばそう思う」と答えた割合)
40.0%
35.0%
30.8%
30.0%
一一一一
j
25.9%
7
%
.
2.
3,
23,
6%一一
一……ー←
21.4% 場 1
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25.0%
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一一
16.2%
15.0%
トー
1
3
.
5%
γ
…………尚一… -13, 5~もい……
5.0%
I1
事務局等
国際教育センター
人問看護学部
人間文化学部
工学部
環境科学部
非常勤の職員
常勤の職員
年齢
非常勤の教員
常勤の教員
印歳代以上
日歳代
刊歳代
四歳代
性別
却歳代
女性
男性
0.0%
←一
1
1
.
6% 9.1%
1
'
Y
'
.
lO.5%!:),
1
0
.
8%
10.0%
吋一一一一一一一一一一一一一一
26.2%
所属部局
職種
図 7 - 2 - 3 結婚と育児をめぐる意識
結婚は女性にと って
不利になることが多い
1
5
.
5
結婚しても、名字をどちらかに
合わせる必要はなく 、
別々の名字のままでよい
子の世話は
夫婦で協力して行うべきだ
0
.
5
0%
そう思う
20%
どちらかといえばそう思う
40%
60%
議どちらかといえばそう思わない
80%
100%
mそう思わない
人間文化・
5
滋賀県立大学教職員のワーク ・ライフ ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
図 7-2-4 結婚 ・
育児をめ ぐる意識
r
c
そう思う Jr
どちらかといえ│まそう思う」と答えた割合)
結婚は女性にとって
結婚しても、名字をどちらかに
不利になることが多い
合わせる必要はなく、別々の名字のままでよい
子の世話は
夫婦で協力して行うべきだ
1
00.0%.
J
l8
.
1% 1
0
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事務局等
国際教育セン台 l
人問看護学部
職種
人間文化学部
工学部
環境科学部
非常勤の職員
常勤の職員
になることが多い」は、男性より女性のほうが同意
非常勤の教員
年齢
-2初 ル 刊 4
常勤の教員
印歳代以上
日歳代
性別
刊歳代
女
性
ー~
初歳代
男
性
ー岳 町 ル
加歳代
30.
0% トl
2
0
.0%
10.
0%
0
.
0%
所属部局
数程度、事務局等では 3割程度の賛成しかない。
0歳未満
する割合が高い。年代別の差も大きく、 5
「
子の世話は夫婦で協力して行うべきだ」 は、性
では 6割程度が 「不利になることが多い 」 として
別、年代、職種、所属部局のいずれでもそれほど違
0歳代 では 35%程度が同意するの
いるのに対し、 5
いは見られない。
みである 。職種別の差もかなりみられ、教員 と非常
勤の職員では半数以上が 「
不利になることが多い」
日本の大学の現状をど うみるか
としているのに対し、常勤の職員では 35%程度で
最後に、「 日本の大学は 女性の教職員が少ない 」
ある 。所属部局による差も大きく、人問看護学部と
という意見をどうみるかである 。「日本の大学は女
環境科学部では 7割から 8割が「不利になること
性の教職員が少ないと思う 」 という意見に対して、
が多い」 としているのに対し、工学部、人間文化学
そう思
「そう思う 」 は 47.5%、「そちらかといえば、
部、国際教育 センターで 「
不利になることが多い」
う」 は 30.5%、「どちらかといえばそう思わない 」
と答えたのは 5割前後、事務局等では 3割台である 。
「
結婚しでも、名字をどちらかに合わせる必要は
なく、別々の名字のままでよい」 という 夫婦別姓に
ついては、男女ではその意見に差がない。年代別で
5%だった。つまり
は 13.5%、「そう思わない」は 7.
「
少ない」 と思 っている人は 8割近いに上る 。
属性別に 「そう思う
Jr
どちらかといえばそう思
う」の賛成の割合をみると、性別、年齢による 差 は
0歳
もそれほど大きな差はないが、強いていえば 4
ほぼない。 しかし職種による差は大きく、とくに教
代で別姓を肯定する割合が高い。 こうした特徴に対
員の 中での意見の相違が大きい。常勤教 員で「少
して、職種による遠いは非常に大きくなっている 。
ない」 と思 っているのは 89.5%だが、非常勤教員で
教員はおおむね夫婦別姓に 6割が賛成しているが、
はわずか 45.5%である 。所属部局別にみると、この
職員は 3割程度しか賛成がおらず、教員と職員の
.9%、
意見に賛成している割合は、環境科学部 91
間に 意識の大きな 開きがある 。所属部局別でも、人
工学部 9
6.
3%、人間文化学部 6
9.
8%、人問看護学部
問看護学部や人間文化学部で は 7割が夫婦別姓に
8
7
.
5%、国際教育センタ-45.5%、事務局等 7
5
.
0%
である 。
賛成であるのに対して、環境科学部と工学部では半
6 -人間文化
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画 │
ζ関する意識(
下)
ちらかといえばそう思わない JI
そう思わない 」 の
8
.男女共同参画をめぐる本学の現状
4件 法 で尋 ねた 。 また 「つ ぎ に あ げ る 本 学 の 男 女
8
.1 男女共同参画の労働環境 に向けて
共同参画の現状につ いて、あなたのお考えに近いも
男女共同参画の労働環境を 実現するうえで、教職
1つ Oをつけて ください 」 とい
員が現状をどう捉えているのかを、まず確認してお
のの番号にそれぞれ
くことが必要だろう 。調査では 「
つ ぎにあげること
う質問文で、「女性が働きやすい環境が整 っている」
について、あなたのお仕事や職場であてはまる番号
「職場の男女比に偏りがある 」 かどうかを尋ねた 。
にそれぞれ 1つ Oをつ けてください 」 という質問文
こ れ も 回 答 は 上 と 同 様 に 4件 法 で 求 め た (図 8-
で
、 「
性別による処遇の差 を感じる JI
お茶汲み や コ
1- 1)
。
ピー取りなどを女性がする慣行がある 」 か ど う か
男女共同参画に最も速い点として、「 職場の男女
JIどちらかといえばそう思う JIど
比に偏りがある」という点が挙げられる 。 これにつ
を
、 「そう思う
図 8-1-1 労働環境の現状
職場の男女比に偏りがある
女性が働きやすい環境が整っている
j
3
5
.0
I13
.5
お茶汲みやコピ取りなどを 1
5
.
5
女性がする慣行がある
性別による処遇の差を感じる 6.
0
21
.0
1
6
.
0
1
崎
20%
0%
そう思う
どちらかといえばそう思う
図 8-1-2 労働環境の現状
40%
60%
80%
100%
・どちらかといえばそう思わない ・そう恩わない 源不明
・ 無回答
(
r
そう思う Jr
どちらかといえばそう思う Jと答えた割合)
園性別による処遇の差を感じる
お茶汲みやコピー取りなどを女性がする慣行がある
・女性が働きやすい環境が整っている
職場の男女比に偏りがある
100.0% 一一一一一一……一一
一一一一一一一
1
00.0%
90.0% ←一一一一
82.6%
80.0% !--…ー……………一一一一一一一一…一…
v
70.0% !
69.6%
国
教
際
育
事
務
等
局
セ
、"
J
ぅ
=
性別
年齢
職種
所属部局
人間文化・ 7
滋賀県立大学教職員のワーク ・ライフ ・バランスと男女共同参画に関する意識(
下)
いては「そう思う 」 と 「どちらかといえばそう思
局別にみると、人間文化学部ではこうした慣行が
う」 をあわせると 6割強が「偏りがある Jとみて
「ある 」 とするのは 2割を切っているのに対して、
いる 。
「女性が働きやすい環境が整っている Jとい
人問看護学部では 35%が 「ある 」 と答えており、
う点では、半数以上が 「
整っている 」 と回答した。
国際教育センターでは 4
0% となっている 。事務局
「お茶汲みやコピ ー取りなどを女性がする慣行があ
等でも 3分の lが 「ある j と回答している 。
る」 と 「
性別 による処遇の 差 を感じる 」 は
、 「そう
最後に「性別による処遇の差を感じる j かどうか
思う Jと 「どちらかといえばそう思う Jと答えたの
をみてみる 。 これについては全般的に 「
感じる j と
は 2割強である 。
いう割合は高くないが、属性ごとでその捉え方には
では、これら 4項目について属性別の回答傾向
若干の違いがある 。男女別にみると、男性よりも女
をみてみよう 。「そう思う」と「どちらかといえば
性のほうが 「
感 じる」 とする割合が高い。年代別の
差 はそれほど顕著で、はない。職種別の違いはかなり
そう思う」をあわせた割合を示したのが図 8- 1
2である 。
まず I
J
殿場の男女比に偏りがある 」に関しては、
女性よりも男性のほうが同意しているという特徴
大きく、常勤の職員では「感じる 」 と回答したのが
I割程度であるのに対して、ほかの職種ではその
偏
れる 。すなわち、常勤の教員では 8割以上が 「
2倍から 3倍が 「感じる Jと答えている 。所属部
局ごとの差異も大きい。人問看護学部で 5割が 「
感
じる 」 と答えているのに対し、ほかの部局で 「
感じ
る」 と答えたのは l割から 2割程度で、人間 看護
りがある 」 としているのに対し、非常勤の教員では
学部の突 出ぶりが目立つ結果である 。
がある 。年代別の差はそれほど大きくない。 しか
し職種別にみると、子の回答には大きな遠いがみら
「
偏りがある 」 とみているのは 2割程度である 。常
勤の職員で「偏りがある」と考えているのは 6割
8
.
2 就業規則に関する知識の有無
強、非常勤の l
隊員では半数弱である 。所属部局別に
本館jでは、本学法人の就業規則がどの程度知られ
みると、人問看護学部では「男女差に偏りがある 」
ているのかをみていく 。たとえ男女共同参画やワー
と捉えている割合が 8割に上り、突出している 。
「女性が働きやすい環境が整っている Jという点
ク・ライフ・バランスを実現する規則があ ったとし
では、男女よりも年齢による捉え方の遠いが大き
ても、それが認知されていなければ意味がないから
である 。
い。来い年代では「整っていない」 と考える人が多
就業規則にはさまざまな制度が感り込まれてい
いのに対して、年齢が上がるにつれて 「整ってい
るが、まずそれぞれの認知率をみてみよう 。調査
る」 とみる割合が増える 。 ただ 5
0歳代は 「整って
では、 「
つぎにあげる本学の就業規則の内容につい
いない」という割合が目立って低い。職種による捉
て、あなたは知 っていますか。
」 という質問文で、
え方の違いも大きい。常勤の教員では 「整ってい
る」 と答えたのは 4割弱だが、非常勤の教員は全
1
7の制度を挙げて、それぞれ「知っている J 知ら
ない 」 の 2件法で尋ねた。 回答は常勤の教職員に
員が 「
整っ ている 」 と回答した。職員は、常勤 ・非
限った。そこで挙げたのは次の 1
7項 Hである (
かっ
常勤とも 6割台が 「整っている」と捉えている 。
所属部局別では、前の質問項目と同様、人問看護学
こ内は制 度の説明。調査票でも同様の説明文を付し
た)
。
部で 「
整っ ている 」 という回答の割合が際立つて低
いのが目につく 。
(
A) 育児休業 (3歳未満の子を養育するための休
次に「お茶汲みやコピー取りなどを女性がする慣
(
B) 育児短時間勤務 (
小学校に就学するまでの子
r
業
、 任期付 l
隊員を除く )
行がある 」 という点である 。男女別にみると、男性
の育児等のため、職員が希望する日および│
時間
よりも女性のほうがこれに同意する割合が高い。年
帯で勤務できる短時間勤務の制度、契約職員を
代別にみると、若い年代ほど同意する割合が高く、
除く )
年齢が上がるにつれて同意する割合が下がるという
(
C) 育児部分休業(小学校に就学する前の子を養
年齢効果がみられる 。職種別の差異 はそれほど顕著
でないが、常勤の職員では、こうした慣行が 「あ
育するための、 1日 2時間を越えない範囲内
での休業、契約職員を除く )
るJとみる割合は、他の職種に比べて低い。所属部
(
D) 育児時間(生後 l年 6 ヶ月に達しない子の
8 ・人間文化
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
ための特別休暇、
(
0) つわりのため勤務できない場合の、
l日 2回それぞれ 45分)
(
E) 中学校に就学する までの子を看護するための
5日の範囲内の特別休暇
(
p) 産前休暇 (
産前
(
F) 子の在籍する学校行事への参加のための、年
(
Q) 産後休暇(産後
7 日以
内の特別休暇
8週間の特別休暇)
8週間の特別休暇)
これら 1
7項目の中で、認知率 (
1
知 っている 」 と
度内 l日以内 の特別休暇
(
G) 小学校に就学する までの子 を養育するための
答えた割合)が高い順に並べたのが図 8- 2 - 1
時間外勤務および深夜勤務の制限 (
任期付職 員
である (
以下、かぎか っ こで・括った用 語 は、正式名
を除く )
称でなく通称ないし略称、の場合もある )
01
育児休
(
H) 介護休業 (
家族 I人が要介護状態に至るごと
業」は 8割強が認知しており、 「産前・産後休暇」
も 8割近くが認知している 。 これ らが最も認知率
での、 6 ヶ月の期間内の休業)
(
1) 介護部分休業 (
介護のための、始業時刻また
の 高 い 項 目 群 で あ る 。 次いで認知率が高いのが、
は終業時刻と連続した、 4時 間 以 内 の 休 業。
「介護休業 J1
配偶者出 産休 暇 J1
育児短時間勤務」
6 ヶ月以内)
で
、 5割から 7割が認知している項目群である 。
(
J) 介護を行う l
隊員 の時間外勤務および、深夜勤務
(
K) 配偶者出 産休 暇 (妻が出 産する際の、 3日の
行事参加の特別休暇 J1
介護部分休業 J1
育児部分休
業 J1
子 の看護の特別休暇 J1
妊娠の保健指導 ・健康
範囲内の特別休暇)
(
L) 配偶者の子養育休 暇 (
妻が出産する際の、 産
前 8週間および産後 8週間の期間内における
5日の範凶内での特別休暇)
M
次いで、認知率が 3割台後半から 4割台のもの
が、「配偶者の子養育休暇 J1
育児時間 J1
子の学校
の制限(任期付職員を除く )
子 の養育の ための 1
時間外勤務・
診査の特 別 休 暇 J1
深夜勤務制限」 の 9つの制度である 。
率が低か ったのは 「つわりのための特別
最も認知 l
妊娠に関する保健指導または健康診査のため
妊娠に伴う │
時差通勤 J1
介護のための時間外
休 暇 J1
勤 務 ・ 深 夜 勤 務 制 限」 で 、 い ず れ も 認 知 率 が 2割
の特別休暇
(
N
) 妊娠に伴う通勤緩和 に よ る 1時間を超えな
台だ った。
以下、上述の就業制度の認知率を属性ごとにみて
い範闘での │
時差通勤
l i i i
78
寸
j
介護休業
4
配偶者出産休暇
78
1
J 品川
ζ
7'
育児休業
産前休暇
産後休暇
hi
斗 ゐi
ゐlil--ii
、
3 ︽︽
5
、
nunu
図 8-2-1 就業制度を「知っている」と答えた割合
育児短時間勤務
配偶者の子養育休暇
育児時間
子の学校行事参加の特別休暇
介護部分休業
1
」
育児部分休業
子の看護の特別休暇
妊娠の保健指導・健康診査の特別休暇
子の養育のための時間外勤務 ・深夜 勤務制限
つわりのための特別休暇
妊娠に伴う時差通勤
介護のための時間外勤務・深夜勤務制限
1
'
}町一--4ーやい
0
.
0
%1
0
.
0% 2
0
.
0
%3
0
.
0
%4
0
.
0% 5
0
.
0
%6
0
.
0
%7
0
.
0
%8
0
.
0
%90.
0%
人間文化・
9
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ ・バランスと男女共同参画に関する意識 i
下)
図 8-2-2 出産にかかわる就業制度の認知率
100.
0%
75.0%
50.0%
25.0%
0
.
0%
i
i
9
1.
89.3% 73.3% 73.20
/
01
7
"
;
70.2%1
92.7% 66.7% 72.7% 76.3%1
73.
3%!
73.
2%1
9
1.
7%
28.
2%1
52.
8%
いくが、まず出産にかかわる就業制度として、 (
p)
産
(
G)
小学校に就学するまでの子を養育するための時間
前休暇、 (
Q)
産後休暇、 M妊娠に関する保健指導また
L)
配偶者の子養育休
外勤務お よび深夜勤務の制限
、 (
N
)
妊娠に伴 う通勤緩
は健康診査の ための特別休暇
、 (
暇の 8項目について、それぞれの認知率の傾向を
和による 1時間を超えない範囲での時差通勤、 (
0)
。
みてみる (
図 8-2-3)
つわりのため勤務できない場合の 7 日以内の特別
これら 8項目 は、やはりそれぞれの認知率に高
K)
配偶者出産休暇 (
妻が出産する際の 3日の
休暇、 (
低はあり 、「
育児休業」 はほかに 比べて高いという
範囲内の特別休暇)の 6項目について、それぞれの
特徴があるものの、それぞれ属性 ごと に傾向をみる
認知率の傾向をみてみよう (
図 8- 2 - 2)
。
認知率 の高低はあるものの、 これ ら 6項目の認
と、総じて類似し た傾向が確認できる 。すなわち 、
男女別にみると 、男性 よりも女性の ほ うが認知率が
知率を属性別にみると、いずれの制度に関してもお
高い。年代 別 にみると、 5
0歳代を ピー クとする 山
おむね似た傾向がうかがえる 。すなわち、男女別に
型を 描 く。職種別では教員より職員のほうが認知率
みると男性よりも女性のほうが認知率は高い。年代
は高い。以上の属性ごとの特徴は、上述の出産にか
0
別にみると、年齢が上がるほど認知率は高いが、 6
かわる就業制度の属性別の認知率でみられたのと同
歳代以上では 5
0歳代よりも認知率は落ちるため、
様の傾向である 。
5
0歳代をピークとする 山型の分布 とな っている 。
H)
介護
最後に、介護にかかわる就業制度として、 (
職種別にみると 、教員に比べて職員のほうが認知率
休業、(1)
介護部分休業、(J)
介護を行う職員の時間外
は高いという傾向が、出産にかかわるいずれの制度
勤務および深夜勤務の制限の 3項目について、それ
に関しでもうかがえる 。
ぞれの認知率の傾向をみてみよう (
図 8-2-4)
。
次に、育児に関する就業制度として、 (
A)
育児 休
属性別にみると、男女を比べれば、男性より女性
B)
育児短時間勤務、(
c)
育児部分休業、 (
0)
育児時
業
、 (
のほうが認知率が高い。職種ごとにみると、教員 よ
間、(
E)
中学校に就学するまでの子 を看護するための
り職員のほうが認知率が高い。 これらの傾向は、上
5日の範囲内の特別休暇、
述の 出産、育児に関する就業制度の場合と同様であ
(
F)
子の在籍する 学校行
事への参加のための年度内 1日以内の特別休暇、
10 ・人間文化
る。 しかし年代別の認知率は、出産や育児に関する
滋賀県立大学教職員のワーク ・ライフ ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
図 8-2-3 育児にかかわる就業制度の認知率
ロ育児短時間勤務
灘育児部分休業
磁育児時間
竹山
ヤヤ対
l
m
i
3
1
己配偶者の子
養育休暇
図 8-2-4 介護にかかわる就業制度の認知率
100.0%……一一…一
一一一一一一一一…………………一……一一一一一一一一一一
75.0%
500%
目
25.
0%
0.0%
常勤のイ
職員 j
68.3%I64.
3%I
62.
5%I6
1.
2%I86.
1% 1
竺笠間♂回問
33.3% 390%139.3%
ロ介護のための
時間外勤務等 I
26.
4%i
26.
2% 1
1.
1% 1
24.
2%I
29.
3%i
28.6%i
25.0%!2
1.
2%
制限
仰
h
人間文化・ 1
1
滋賀県立大学教職員のワーク ・ライフ ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
傾向とは異なっている 。 つま り、介護休業は 3
0歳
文は 「
つぎにあ げる本学の男女共同参画の現状につ
代で最もよく知られており、年齢が上がるにつれて
いて、あなたのお考えに近いものの番号にそれぞれ
認知率は下がる 。介護部分休業はこうした傾向とは
1つ Oをつけてください 」 として、 「男性が育児休
異な って、年齢が高いほど認知率は高くなる 。介護
業を取得しやすい雰囲気だ J1
女性が育児休業を取
のための時間外 ・深夜勤務 制限は、 4
0歳代と 5
0歳
得しやすい雰囲気だ J1
男性が介護休業を取得しや
代をピークとする高原状になっている 。
すい雰 囲気だ J1
女性が介護休業を取得しやすい雰
囲気だ」 というかたちで、男女を分けて、 「そう思
8
.
3 休業制度の取得しやすさ
さまざまな 制度の有無と並んで重要なのが、そう
した制度の実際の使いやすさである 。つまり、たと
うJ1
どちらかといえばそう思う J1
どちらかといえ
ばそう思わない J1
そう思わない」 の 4件法で回答
を求めた。
えば休業制度はあ っても実際に取得しにくいとなる
全体の回答の分布からみていこう(I~I 8 - 3
と、制度が設けられている意味は大きく薄れる 。そ
1。
) 育児休業について 「
男性が取得しやすい 雰囲
こで調査では、代表的な休業制度として育児休業と
1そう思う 」 と 「どちらかといえ
気だ」 と答えた (
介護休業に関してその取得しやすさを尋ねた。質問
ばそう思う 」 をあわせた割合、以下同)のは 4分の
図 8-3-1 休業を取得しやすい雰囲気か
t男性が取得しやすい雰囲気だ M
mJ
面
女性が取得しやすい雰囲気だ
ま 男性が取得しやすい雰囲気だ日
空
女性が取得しやすい雰囲気だ 17.
5
0%
そう思う
U
どちらかといえばそう思う
50%
・どちらかといえばそう思わない
図 8-3-2 休業を取得しやすい雰囲気か
(
r
そう思う Jr
どちらかといえばそう思う Jと答えた人の割合)
1
0
0
.0%
75.0%
50.0%
25.0%
0.0%
1
2 ・人間文化
100%
冒そう思わない ・不明・無回答
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
l程度で、 「女性が取得しやすい雰閤気」という回
か、あなたのお考えに近い番号にそれぞれ lつOを
答が半数強であったのと 比べ ると、男性の取得が襲I
t
つけてください 」 という質問文で、回答は 「必要
しいとみている人が多いのが明らかである 。 これは
どちらかといえば必要だ J1
どちらかといえば
だJ1
介護休業についても同様で、 「
男 性が取得しやすい
必要でない J1
必要でない」の 4件法で求めた。
雰囲気」と答えたのはやはり 4分の l程度だった
が、「女性が取得しやすい雰囲気」 と答えたのは 3
割強だった。
では、誰がこうした休業を取得しにくいと感じて
9
.
1 労働環境の改善
現状の労働環境のうち改善すべき点として、時間
をめぐる問題について尋ねた(図
9-1-1)
。ひ
いるのだろうか。属性別にみていくことで明らかに
とつは 「
勤務時間外の会議をやめる」ことについて
しよう(図 8- 3 - 2)
。まず男性が休業を取得す
である 。学内の会議や委員会の負担は前にみたとお
ることについては、育児休業でも介護休業でも、ほ
りだが、こうした負担が勤務時間外に及ぶとき、家
ぽ同様の傾向がみられる 。すなわち、年代別で感じ
事や育児の時 間に食い込み、結果としてワーク・ラ
0歳代、4
0歳代、
方にかなり大きな違いがあり、 2
イフ・ バランスを失する ことにつながる 。全体とし
6
0歳代以上では「取得しやすい 」 と答えた割合が
比較的高いが、 3
0歳代、 5
0歳代では相対的に低い。
職種別では、常勤の教職員は取得しにくいと感じる
て
、 「
勤務時間外の会議をやめる 」 ことが必必、要だと
考えている(汀「必必、安だ J1
どちらカか、といえは
合)のは、 8割強に上 っている 。
をあわせた言骨割許刊l
割合が相対的に高い。所属部局による違いとして
それ以前に、学内の会議や委員会の負担を減らす
は、国際教育センタ一、事務局等、人間文化学部で
べきという声も少なくない。減らすことが必要だと
は比較的「取得しやすい」 という回答が多いが、工
いう割合は、時間外の会議の削減を上回って、 9
割近くに及んで、いる 。
学部と 人問看護学部では「取得しやすい」という回
答は 2割ないしそれ未満である 。
これらに対して、女性が休業を取得することにつ
いては、まだ ;
1
犬1
兄はよりましといえる 。属性ごとに
こうした会議の負担ばかりでなく、労働時間その
ものを短くすべきだという人も、 3分の 2近くいる 。
こうした労働時間をめぐる改善要求 を属性ごとに
9-1-2)01勤務時間外の会議
傾向をみてみよう 。女性が育児休業を取得すること
みてみよう(図
については、職種別の違いが大きく、常勤の職員は
をやめる」という点については、男性よりも女性に
「取得しやすい 」 と答える割合が高いのに対して、
「
必裂」 と回答した割合が高い。年代別にみると、
そのほかの職種は相対的に 「
取得しにくい」 と回答
3
0歳代、次いで 5
0歳代でその割合が高くなってい
する割合が高くな っている 。所属部局ごとにみて
る。職種による違いはそれほどみられない。
も、事務局等は 「
取得しやすい」という回答の割合
が高いのに対し、 4学部・国際教育センターは低
ては、男女でそれほど追いはないが、年齢による
「
学 内委員会や会議の負担を減らす」 ことについ
い。女性が介護休業を取得することについては、 全
差が大きく、 4
0歳代をピークとする山型を描いて
般に育児休業よりも取得しやすさは下がる 。 とくに
いる 。ライフステー ジJ二
、育児にかかる時間が最も長
隊員は比較的 「
取得しやすい」 と
職種別にみると、 i
答える 割合が高いが、教員は低い。所属部局ごとに
い年代であり、そのこととの関連を示唆する結果であ
る。職種による違いはそれほど大きくないが、常勤の
みると、人問看護学部では「取得しやすい」 という
教員で改善を求める割合がほかの職種に比べて高い。
割合がほかに比べて飛びぬけて低く、ほかの部局で
「労働時間を短くする 」の が必要かどうかという
は 6割以仁であるのに対し、ここだけ 3割を切 っ
点については、属性による違いがきわめて大きい。
ている 。
女性に比べて男性のほうが労働時間の短縮を求める
0歳代
割合が高く、年代 別にみると、働き感りの 3
9
. 大学として取り組むべきソフト面の施策
本節と次節では、大学として取り組むべきだと教
職員が考える施策について、ソフト面とハード蘭に
から 5
0歳代で 7割超が時短を求めている 。職種別
では、非常勤の職員を除いて、いずれも 7割以上
が 「
短くすべき 」 と回答 している 。
分けて、調査結*をみていく 。いずれも 「
つ ぎにあ
げることで、大学 としてとりくむ必要があるかどう
人間文化・ 13
滋賀県立大学教職員のワーク・ライコ・バランスと男女共同参画に関する意識 (
下)
図 9-1-1 労働環境の改善
勤務時間外の会議をやめる
44.
5
学内委員会式D会議負担を減らす
3
8
.
0
49.0
3
1.
0
労働時間を短 くする
32.5
0%
どちらかといえば必要だ
必要だ
50%
100%
aどちらかといえば必要でない m必要でない
・不明・無回答
図 9-1-2 労働環境の改善
c
r
必要だ Jr
どちらかといえば必要だ」と答えた人の割合)
C
]勤務時間外の会議をやめ る
事務局等
国際教育セ ンター
人間 看 護 学 部
働きやすいしくみづくり
人間 文 化 学 部
9
.
2 多機な働き方を保障する制度
ロ労働時間を短 くする
常 勤 の職 員
年齢
非常勤の教員
常 勤 の教 員
印歳代 以上
日歳代
刊歳代
性別
初歳代
初歳代
男性
女
性
r 学内委員会や会議の負担を減らす
所属部局
職種
非常勤いずれの教員でも 9割近く が必要だと 回答
している(図
9-2-2)
01
勤務 時間 を弾力化す
本学の就業制度の現状については前にみたとおり
る」という点については、女性よりも男性にその必
だが、こうした制度をどのように改めていけばよい
0歳代を
要性を求める割合が高い。年代別で は、5
か、調査では次の 2点について意見を尋ねた(図 9
ピー クとして 、年齢が上がるほど割合が地えるとい
- 2 - 1)
。 まず、労働負担を軽減する ことに効果
う傾向がみられる 。職種別にみると、職員より教員
があると考えられる人手にかかわる問題である 。
が弾力化 を求める傾向にある 。
「
研究や授業の支援員を硲保する」という点につい
ては 8割以上が必要だと考えている 。 また勤務時
間に関しては 「
勤務時間を弾力化する 」 ことに対し
て
、 7割強が必要と回答している 。
これら 2点を属性ごとにみてみると、「支援人の
確 保 Jに関しては、
1
4 ・人間文化
4
0歳代で要求が強く、常勤 ・
休めるしくみづ くり
休業制度の改善点として、次の 4点の必要性を
尋ねた (
図 9 -2-3)。要求が多かった l
I
}
買にみて
いくと、まず「休業中に代替要員を確保する 」 こと
を求める割合は全体で 9割近くに上った。 さまざ
滋賀県立大学教職員のワーク ・ライフ ・バランスと男女共同参画に関する意識(不)
i
まな休業制度がそれなりに具備されていながら必ず
を整える 」 ことである 。 これには 8
5
.
0%が必姿だと
しも満足に取得されていないのだとすると、休業 し
阻答しており 、休 み た く て も 休 め な い 理 由 と し て 、
た自分の穴を埋める要員がいないがゆえに、休みた
先 の 人員 問 題 と 並 ん で 、 経済 的 な 問 題 が あ る こ と が
くても 休 め な い と い う と い う 現実が、 ここか らうか
うかがえる結果である 。
がうことができょう 。
「多 様 な 休 業 制 度 を 導 入する 」 ことを求める 声も
8割 に 上 っ て い る 。 またそのひとつとして、
次いで、要求が多かったのは「休業中の経済的支援
「
休業
図 9-2-1 働きやすいしくみづくり
研究や授業の支援員を確保する
よ
43.0
勤務時間を弾力化する
0%
50%
どちらかといえば必要だ
必要だ
.どちらかといえば必要でない
図 9-2-2 働きやすいし くみづくり
獲不明・無回答
偽勤務時間を弾力化する
事務局等
国際教育センター
人問看護学部
所属部局
職種
年齢
人間文化学部
工学 部
環境科学部
非常勤の職員
常勤の職員
非常勤の教員
常勤の教員
印歳代以上
日歳代
相歳代
性別
初歳代
女
z
性
初歳代
男
-必要でない
c
r
必要だJr
どちらかと いえば必要だJと答えた人の割合)
研究や綬業の支援員を確保する
性
'
100%
図 9-2-3 休めるしくみづくり
多様な休業制度を導入する
45.0
54.5
休業中の代替要員を確保する
40.0
休業中の経済的支援を整える
休業中に自宅で仕事を
継続できるしくみをつくる
36.0
0%
必要だ
35.
0
どちらかといえば必要だ
100%
50%
-どちらかといえば必要 で、ない
-必要でない
不明・無回答
人間文化・ 1
5
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
木めるしくみっくり
図9-2-4 1
c
r
必要だJr
どちうかといえば必要だj と答えた人の割合)
中に自宅で仕事 を継続できるしくみをつくる 」 とい
うアイデイアに対しでも、 7割の人が必要だと回
答していた。
こうした 「
休めるしくみづくり 」には、教職員全
体が必要だと回答しているが、属性ごとの傾向をみ
職種
人間看護学部
年齢
人 間文 化 学部
相歳代
初歳代
性別
所属部局
は、さ らに多い 7
9
.0%が必要だと答えている 。
性別役割分業意識の改善は、男性よりも女性のほ
うが必要だとする割合は高い([き19-3-2)
。年
代別での違いはそれほどないが、職種別にみると、
ヲ │く。
非常勤教員に改善要求の割合が高いのが Hを
ていこう (
区1
9-2-4)
0 4つの項目とも 、回答
上司の意識改革についても、男性 よ り女性でその
傾向に男女差や年齢差 はそれほどないが、 「休業中
必要性を指摘する割合は高い。年齢別にみると、 若
に自宅で仕事を継続できるしくみを 」 という点に関
年層になるほどその必要性を求める声は大きい。教
しては、4
0歳代でほかの年 代 に比べて要求する人
員、職員いずれの場合でも、常勤よりも非常勤のほ
の割合が高か った。職種別では、 全体として職員 よ
うが必要だという割合が高い。
りも教員に 「
休めるし くみ」 を求める意見が根強く
ある 。ただ 「
代替要員の確保」 という点では、職員
も教員 と同程度が必要だと回答している 。
女性の積極登用
こうした意識改革にとどまらず、女性を積極登用
するなどして、男女共同参画の職場づくりを進める
9
.
3 男女共同参画の労働環境
ことについては、どのようにその必要性が認識され
意識の改革
男女共同参画の職場を 実現するうえで、制度や施
ているだろうか(図 9-3- 3)
of
女性の教職 員
設の改善に加えて、組織構成員の意識改革はどの程
だとしている 。
「管理職に女性を増やす」 ことに つ
度必要だと考えられているのだろうか (
図 9-3
いては、さらに多い 7
8.
5%が必婆だと回答している 。
1)。性別役割分業観の現状については前で結果
を示 したが、これを変える必要性については 67.5%
が 「
変えることが必要だ」 と回答しており、これは
0
.0%が必要
をも っと増やす」 という点に ついては 7
属性ごとにみると、女性教職員の増加に対して
は、男性よりも女性でその必要性を指摘する割合が
高い ( I~I 9 - 3 - 4)
。年代別にみると、若手より
決して小さな割合ではない。 さらに 「
上司の男女共
中年層のほうが要と答える割合は高くな っている 。
同参画に対する理解を進める 」 という点について
職種別にみると 、常勤の教員にその必要性を指摘す
16 ・人間文化
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
図 9-3-1 意識改革
27.0
性別役割分業意識を変える
上司の男女共同参画に対する
理解を進める
35.5
0%
100%
50%
必要だ 護
警 どちらかといえば必要だ
滋どちらかといえば必要でない
-必要でない 議不明・無回答
図 9-3-2 意識改革
r
c
必要だJr
どちらかといえば必要だ」と答えた割合)
性別役割分業意識を変える
人間看護学部
人間文化学部
工学部
常勤の職員
非常勤の教員
年齢
性別
常勤の教員
印歳代以上
回歳代
判歳代
性
初歳代
男
所属部局
職種
図 9-3-3 女性の積極登用
女性の教職員をもっと増やす
3
3
.
0
管理職に女性を増やす
32.5
50%
0%
必要だ 憲
護どちらかといえば必要だ
畿と‘ちらかといえば必要でない
る割合が際立って高いという特徴がある 。所 属 部 局
100%
周必要でない 鱗不明・無回答
徴的である 。 また所属部局別では、国際教育セン
ごとの違いとしては、環境科学部、人間文化学部、
ター、人問看護学部、人間文化学部で管理職の女性
人 問 看 護 学 部 で 「もっと増やすべき 」 という回答の
登 用 を 求 め る 割 合 が 8割 を 超 え て い て 、 ほ か の 部
割合が高い。
局よりも高くなっている 。
管理職への女性の積極登用についても、性別、年
代別で似た傾向がみられる 。 職 種 別 で は 、 非 常 勤 職
員の 聞 に も こ の 必 要 性 を 指 摘 す る 割 合 が 高 い の が 特
9
.
4
育児支援
制 度面 を 中 心 に ソ フ ト に 関 す る 改 善 要 求がどのよ
、人間文化・
1
7
滋賀県立太学教職員のワーク・ライコ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
図 9-3-4 女性の積極登用
(
r
必要だJr
どちらかといえば必要だJと答えた割合)
女性の教職員をもっと増やす
100.0%
1
79.
8%
吋も
0.
0% 79.
2% 82.
1%85刊
管理職に女性を増やす
ヨヨガo;i.O~
れい 80
88.
0%低 3%
刊
位
9%
U P 2 uo;
789%
75.0% い わJ炉 完 5わ7.8ず4.4い --84.阿 ~. _~下88 恥9守42 9%位 4-0/6ート
74
九
6% 6
o
68肌
o
J70.
7
0
.
0"
(
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北‘
7
.
3%
8
.
5
% !
66十
鳴
66.
7
6
6
.
7
50.
0%
ト ト ト ト ト ト ← ← ト ー ト ト ト
ι
一
25.0%
事務局等
国際教育センター
人問看護学部
人間文化学部
職種
工学部
環境科学部
非常勤の職員
常勤の職員
年齢
性別
非常勤の教員
常勤の教員
印歳代以上
日歳代
女
性
'
的歳代
男
性
初歳代
一山ムー一一品」一--r...よ一一一..L.ー
加歳代
0.0%
ト ト ト ト ト
ト
ー
牛ー
トー一
ト
所属部局
図 9-4-1 育 児 支 援
育休や介護休業後に復帰しやすい
しくみをつくる
ベビーシッタ一等一時的保育サーヒ、
ス
利用の経済支援を整える
常設保育所利用の経済的支援を
整える
58.0
38.0
39.0
0%
必要だ
50%
・と‘
ちら力、といえば必要でない
どちらかといえば必要だ
図 9-4-2 育 児 支 援
100%
・必要でない 漉 不明・無回答
(
r
必要だJr
どちらかといえば必要だ」と答えた割合)
休 業後に復帰しやすい
常設保育所利用の
ベビーシ ;
;
9ーなど一時的な保育サービス利用 の
しくみをつくる
経済的支援を整える
経済的支援を整える
100.0% .- 可百一-- 96':9% 別府明 日6'.2%剖州ユ旦P 脱却旦~7-.2~%--._-9:l札制71 FL→糾ト
9
1
.
7%
9
0.
9%
9
0
.
9
%
6
.
0
%
~95.1 %
0
8
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.
7%
:
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,
1
.
9
2
.
9
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j
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引 8
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ぬ % 関口% 9
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9
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2
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か
7
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0
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町
川 田
83.
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弘一一… 7
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.
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%
7
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…6
9
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6
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胃
9
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2
7
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.
2%
7
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.
0%
7
2
.
7%6
6.
7
%
7
2
.
0%
6
1.
1
%
6
6
.
7
%
6
9.
2%
5
2
.
8%
5
9
.
6
%
50.
0
%
.
:
J
.
.
.
.
.
.
>
.
.
JIt
)
…
宏一
25.
0%
所属部局
国際教育セン9 1
職種
人問看護学部
人間 文 化 学 部
印歳代以上
年齢
回歳代
歳代
1
8 ・人間文化
刊
日
l
l
J
性j
ぬ歳代
四歳代
0.
0%
滋賀県立大学教職員のワーク・ ライフ ・バランスと男女共同参画 l
こ関する意識(下)
うなものか、またそれがどのような層にとくに求め
こうした育児支援策の充実 は、職員 より教員の間
られているのかをみてきたが、本節の最後に、育児
で必要とされている (
図 9-4-2)
。経済的支援
支援に関しであるべきソフト面の施策要求をみてい
策について、常勤職員で 「
必要」 と回答した割合は
こう 。
半数強だが、非常勤職員 では 7割、教員では 8割
以上が必要と 答 えている 。「
休業後に復帰しやすい
まず何よりも、休業 を取得しでも職場復帰に困難
が伴うとなると休業制度がいくら充実 しでも取得率
しくみ j については、性別、年代、職種にあまり関
は上がらないだろう 。そ こで 「
休業後に復帰しやす
係なく、全体としてその必要性がみられる 。
いしくみをつくる 」のが必要だとする回答は全体で
9割に上 っている (
図 9- 4 - 1)
。 また復帰後の
1
0
. 大学として取り組むハード面の施策
職場での育児支援も欠かせず、とくに経済的な支援
1
0
.
1 施設の改善
を求める 意見は広くあるようである 。「ベピ ー シ ッ
本節では、男女共同参画の職場づくりに向けた施
タ一等 一時的保育サービス利用の経済支援を整え
設面の謀題点 をみていく 。 まず改修や増設が必要な
る」 ことについても「常設保育所利用の経済的支援
0- 1- 1)
。改修 ・増設
施設からみていこう (
図1
を整える 」 ことについても、 4人に 3人が必要だ
の要望が最も高いのは休憩室で、 「
必要 J どちらか
と回答している 。
といえば必要」 をあわせると、おおよそ 3人に 2
r
増設すべき施設
図 10-1-1 改修 ・
女子トイレ
21
.5
8.5
更衣室
18.5
休憩室
24.
0
図
100%
50%
0%
どちらかといえば必要だ
必要だ
援と‘ちら力、といえば必要で、ない
r
c
灘必要でない 混不明・無回答
r
10-1-2 改修・増設すべき施設 必要だ J どちらかといえば必要だj と答えた人の劃合)
100.
0%
75.
0%
50.
0%
25.0%
事務局等
r
国際教育 uh
人問看護学部
人間文化学部
工学部
環境科学部
非常勤の職員
職種
常勤の職員
非常勤の教員
常勤の教員
年齢
日歳代
刊歳代
初歳代
性別
初歳代
男性
女
性
印歳代以上
0
.
0%
所属部局
人間文化・ 1
9
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
22.0
山内のベビーシート
プレイルム
<
r
必要だJr
どちらかといえば必要だ」と答えた人の割合)
一一町
一一一
.
e
1
' 一
一
図 10ー 1-2 改修・増設すべき施設
a'
l
l
"
.m
一時保育施設
常設保育所
20.5
病児・病後児保育施設
100%
50%
0%
必要だ 議どちらかといえば必要だ
蕊どちらかといえば必要でない
・必要でない 滋不明・無回答
図 10-2-1 育児支援のために設置すべき施設
トイレ内のベビーシート
22.0
16.0
29.0
26.0
20.
5
プレイルーム
一時保育施設
常設保育所
病児 ・
病後児保育施設
50%
0%
必要だ 護
警 どちらかといえば必要だ
織どちらかといえば必要でない
図 10-2-2 育児支援のための設置すべき施設
100%
舗必要でない 盤不 明 ・
無回答
<
r
必要だ Jr
どち 5かといえば必要だ」と答えた人の割合)
1
0
0
.
0%
7
5
.
0%
50.
0%
25
.
0%
0
.
0%
人が改修・増設を求めている 。 次いで更衣室で、半
2)
。非 常 勤 講 師の待機や授業準備のスペ ースが満
数が改修・増設が必要としている 。 さらに女子 トイ
足にない現状への不満が ここ に表れているとみてよ
レについても、 3割が改修・増設を 必要としている 。
いだろう 。更衣室は、女性以上に男 性 に必要とされ
休 憩 室 の要望が強いのはとくに非常勤教員 で
、
ており、非常勤の教職員が改善を求めている 。女子
0- 1回 答 者 全員 が 要 改 善 と回答している (図 1
トイレについても、非常勤の教員 の間に現行施設に
20 ・人間文化
滋賀県立大学教職員のワーク・ライフ・バランスと男女共同参画に関する意識(下)
対する不満が根強いという結果である。
や意識改革を求め、またそれについて理解を示して
いることも明らかになった。今後、本学においてい
1
0
.
2 育児支援の施設
育児に関する施設の改善要望をみてみ よう (
図1
0
- 2 - 1)
。設置を求める声が最も多いのは 「
一時
かにこの調査で明らかになった声にこたえ、具体的
な施策を講じていくことができるかが問われること
になる 。そのためにも他大学で既に発足しているよ
保育施設」で、 7割近い教職員が必要とみている 。
うな、「男女共悶参画室」のような組織は必要であ
次いで要望が多いのは 「トイレ内のベビーシー ト」
ろう 。 また他大学における男女共同参画の具体的な
「常設の保育所」に
で
、 6割強が必要としている 。
取り組みも調査研究する必要がある 。 これについて
関しては半数強が必要と回答した 。病児・病後児保
は特別研究 「
滋賀県における男女共同参画社会実現
育施設も約半数、 子 どものためのプレイルームも
プログラムの構築」において 別に、 改めてその研究
4割強が必要だと答えている 。
こうした 育児にかかわる施設の充実 は
、 全体とし
0歳代から 4
0歳代にかけて必要性を主張する割
て3
合が高い(図 1
0-2-2)
。 また職員に比べて教員
の│
日
jに必要という声が根強い。 なかでも非常勤の教
員は、いずれの施設に 関しでも 6制から 8制が必
要だと 回答しており、非常勤教員の間でこうした育
児施設の充実が求められているのが明らかである 。
常設の保育所に関しては、非常勤の職員も半数が必
妥だと 回答している 。
内容が報告さ れることにな っている。
今後の課題として、この調査を 一度限りのものに
終わらせるのではなく、調査から浮かび上がった男
女共同参画に関する諜題への改善のとりくみに合わ
せて、同じ質問項目での調査を複数年にわたって実
施し、県立大学における男女共同参画社会実現への
プロセスを記録していく必要がある 。本研究はその
ための、最初の一歩である 。
(執筆分担
1=武田、 2=中村¥3-1
0=丸山、
1
1=武田 ・中村)
11.結論
本論文では、滋賀県立大学の教職員の勤務笑態や
勤務をめぐる不満、ワーク ・ライフ ・バランスの実
謝辞
本稿は平成 2
1-2
2年度滋賀県立大学特別推進研
態、男女共同参画に関する知識・意識・労働環境、
究「滋賀県の男女共同参画社会実現プログラムの
また大学として取り組むべき施策として教職員が必
構築」の研究成果である 。
「男女共同参画に関する
要と感じるものは何かについて明らかにしてきた。
調査 (
教職員向け )
J の実施にご協力いただいた教
そこから i
手かひ、上がったのは、本学における男女共
職員 の皆さんに感謝したい。 また調査にあたっ て
同参両の実現には、さまざまな点で課題があるとい
は、研究代表者の京幾真帆子教授 (
人 間文化学部)
うことである 。
第一に、そもそも多くの教職員が仕事で忙しいう
部)
、松本行弘教授 (
人問看護学部)、それに東幸代
え、とりわけ育児をかかえた教職員がワ ーク ・ライ
准教授、亀井若菜准教授、 j
可かおる講師 (
以上、人
フ ・バランスにおいて問題を感じていること 。第二
間文化学部)の協力を得た。記して謝意を示したい。
J
をはじめ、同研究メンバーの伊丹清講師(環境科学
に、大学において男女共同参画社会を実現するうえ
で広く知られるべき知識については、とりわけ大学
において女性の人材を育成していくうえで必要な 具
体的な施策や方向性に関するものが知られていない
こと 。 さらに第三に、労働環境や就業規則について
も、男女共同参画に役立つ規則が十分に認知されて
いない、また育児 ・介護休業を取得しにくい雰囲気
があるといった課題がある 。
しかしながら 一方で、ワ ーク・ライフ・バラ ンス
の現状について多くの教職員が問題意識をもってい
ること、そのうえで労働環境の改善のためのしくみ
人間文化・
2
1
N N ・﹀週 H
門会
全 F 滋賀県立大学
2F
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~J 平
中村
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関係ヤ科助教
〔ご記入にあたって のお願い]
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主
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J
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人
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:化学川地域正化守朴排r:1J
1 武川
人 川 文 化 乍 祁I
由J
f
班丈化ヤ科教授
2 0 10年 10月
2010年
電 話 内 線 8407 /
電子メ
j
レ stakeda申shc
.Us
p
.a
c
.j
p
武田俊斡(たけだ・しゅんすけ)研究室
人間文化学部地域文化学科
〔お問い合わせ先〕
※Ij í. 純集計は、特に誌記のなし~,!;I< り、 NAJD旦 (1、 叩 I:. )!~.I ロ|科:) ーを合的た ', I illíf~と%で表不
4
ご回答が終わった調査票は、 Z足 1旦E
U会 ) ま で に 、 同 封 の 封 筒 に 入
れ て 封 を し て 、 学 内 使 で ご 返 送 く だ さ る よ う お 願 い い た し ま す 。(無記名
でお願い します)
5 調 査 に つ い て 疑 問 の 点 が あ り ま し た ら 、 ご 遠慮 な く お 問い合わせくださ
い。 お 問 い 合 わ せ は 、 下 記 ま で お 願 い い た し ま す 。
2 該当する質問には、すべてお答えくださ い。
3 ご回答は、黒または青の筆記用具でお願いします 。
を記入するか して く だ さ い。
1 回答は、指示にしたがって、あてはまる番号l
二O印 を つ け る か 、 数 字 等
制 n.
t
:
JE
フロジェク卜代表
代表
凋
?在 '
k
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I
i
j
i
,純集計作成
「男女共同参画社会実現プログラムの構築」
滋賀県立大学特別推進研究
票(教職員向け)
平成 21- 2 3年度
査
2
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NAIDK4.
0
30;
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主代 2
7
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5 40歳{に 2
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3
.
0
3 常均的技術系服日
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;;知的数日
問 3 あなたの職種はつぎのどれですか。あてはまる養号に 1つだけ Oをつけてください。
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2 そ の他 (
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問 2 あなたの所属部局 (
または日常的に業務を行う場所)はどちらですか。あてはまる雪景に
1つだけ O をつけてください。
性
口歳
F I州│ 山
ださい。
ニ0 をつけてください 。また、満年齢 (
現時点 での)を 数字でご記入く
問 1 あなたの性別 l
[
はじめに、あなたご自身とお仕事についてお尋ねします ]
U庁 特 蝋問調関畑
調
男女共同参画に関する調査
同
南 1 調査票(単純集計付き) I
凶同制澗同
δUlu ・ゅよ けU・﹂ AWVUN什凋外川浩司ゆ園一円濁叫 川伊川畑剛醐(寸)
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l 7 君:只教伝
2 准教授
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5
人文乍系
6 化乍系
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期ト
後 ヨー
でお答えください。
一日
1
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11/年
海外出張の臼数を.おおよそでかまいませんので、数字
学
(
0) 今年 度 の 1年 間 の 圏 内 出 張
の
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会
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でお答え くだ さ い。
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1年 間 の 圏 内 出 張 ・ 海 外 出 張 の 回 数 を 、 お お よ そ で か ま い ま せ ん の で . 数 字
譲
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(
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員
委
(
字会や研究会等)
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学外の会議
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地 方 自 治体 白 書 諮会 等 ) 1
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季の休業中│
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学外の会議
判 明 委 員 会 巴
口 九一
寸サ句 4
.
011
1
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M
委 員会 、 審 議 会 ー研 究 会 等 へ の 出 席 回 数 を 、 お お よ そ
でかまいませんので、数字でお答えください。
(
C) 今年 度 の 1か 月 あ た りの 会議
│
│
勤
春季の休業中
出
夏季・冬季
口
同
-'1
中
期
学
( C) 今年度のj か月内あた ~Lの会議・委 員 会等への出席回数を.おおよそでかまいませんの
山
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均 4.
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0 8 その他 [
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5 T有 7
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1 F~'I ' 1
.1
(
A) 職 階 は つ ぎ の ど れ で す か。 あてはまる番号にそれぞれ 1つずつ O をつけてください 。
くださ し、
)
非 常 勤 の 技 術 系 職 員 」 と 答 え た 方 に お尋 ね します。(そ の ほ か の 方 は 、 問 6に進んで
間 5 問 3で r
2 常 勤 の 事 務 系 職員 J r
3 常勤の技健系暗1
員 Jr
5 非 常 勤 役 事E
塁手鞍員 J r
7
出
出動日
1
の平均)を、数字でお答えください。 (2人で分担し ている科目は O. 5コマとし てくだ さい)
一
前
期
(
6) 今年度の 1週間あたりの慢業・実習コマ数、出動日数 (
本務校と兼務校を あわせた前・後期
8 そ の 他 ["
,
人
5 助手
1
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5 '十物系
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2
1 1 総 0.i
問
自
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J
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系
仏) 研 究 領 域 職 位 は つ ぎ の ど れ で す か。あてはまる番号に 1つずつ Oをつけてください。
ねし ます 。(そのほかの方は、問 5に進んでください) ※ i
j
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.純 集 計 I
t以 吋 折 の み の %
問 4 問 3で r
1 常 勤 の 教 員 Jr
4非 常 勤 の 教 員 J r
7非 常 勤 の 研 究 員 j と 答 え た 方 に お 尋
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つぎにあげる本学の男女共同書画の現状について、あなたのお考えに近いものの番
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(
A
) 男女雇用機会均~i{;也、
ください。
問 7 つ ぎ に あ げ る 語 句 を ご 存 じ で す か。 あ て は ま る 番 号 に そ れ ぞ れ 1つ だ け Oをつけて
(
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) 1本 のよつでは女性的 教l
限口が少ないと
く、日1/々 O).
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つぎにあげることについて、あなたのお仕事や臨場であてはまる番号にそれぞれ 1
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[すべての方に、職場環境についてお尋 ね し ま す]
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(
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問 6 つ ぎ に あ げ る こ と に つ い て 、 あ な た の お 考 え に 近 い も の の 重 警 に そ れ ぞ れ 1つ Oを
[す べ て の 方 に 、 社 会 の あ り 方 や 制 度 に つ い て お尋 ね し ま す]
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é/I_I る 11 お L 日叫川.:1 \ で ~'~Jf;~ できる
る主で山 ((/)it~l~ ^.;~(/)t..ニ的、 Jr;"~i.l が品
(1\)苛り~~.i.1I寺 11'" 勤務(小』蛇に杭',"1
ろた的引{本 t、f
f問 fW
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(
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) 古川休業(:¥旬、本尚ω1をl
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ひとつずつ 0)
NAlDK,
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利用経験予定
ま日っているか
ま る 番 号 に 1つずつ O をつけてください。 ※ 1
1
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純 集 計 はJ
主当 判的 J九
あ な た は 知 っ て い ま す か。 ま た 利 用 し た り 利 用 予 定 は あ り ま す か 。 そ れ ぞ れ あ て は
問 1
1 常 勤 の 教 職 員 の 方 に お 伺 い し ま す. つぎにあげる本学の就業規則の内容について、
州沖欝四
(
Q) ベビーシアターなど、
4
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) 乍 内委 員 会 や 会 議 の iH
口を減らす
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) 休業中的経済的支援を整える
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1
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止川分"'!t0),
6
:識 を P止 える
近 い 番 号 に そ れ そ.
れ 1つ Oをつけてください 。
問 1
0 つぎにあげることで、大学としてとりくむ必要があるかどうか、あなたのお考えに
凶
同
加、
細同
AJUVUN
什凋対清司ゆ国一円温叫以獅削開 (l明)
﹀週 MH4π
・
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.
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7
.
5
以 上 の 諸 制 度 に つ い て 、 ご 意 見 が あ り ま し た ら 、 ご 自 由 に お 書 き く だ さ い。
21
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7
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4
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.
7
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5
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) つ わ り の た め肋 務で き な い 場
介の 71
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0
以上 の 諸 施 段 に つ い て 、 ご意 見 が あ り ま した ら 、 ご 自 由 に お 書 き く だ さ い。
与えのベビー γ ート ω設 問
(
1) トイレ内 ωお むつ t
(
口
) 人ぷ;などの際的
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) ,, ;j 川 ・ 州佐川 I'~T{ 施設の設内
(
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) 常 設 の{早古所の 設 問
Tど も の た め の フ レ イ ルー ムの設問
5.
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2 つ ぎ に あ げ る 施 段 は 、 臨 場 内 に 必 要 で し ょ う か。 あ な た の お 考 え に 近 い 番 号 に そ れ
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) 配偶判的 T
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川浩司ゆ国一円週刊可制叫い僻(
13
道路
附
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隣県
湖西
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東近江
甲賀
南部
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25 その1
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い。(復数由お住まいがある場合は.もっとも畏〈滞在するお住まいをお害え〈ださい)
間 1
4 あなたのお住まいはどちらですか。 あてはまる雪景にひとつだけ Oをおつけくださ
5
Nん DKO.
30分 3
松山 43.
5 30分以上 l昨川正満 2
3
.
0 1昨 I
'IiJ以上 II
時I
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.
5 II
昨川下以上 1
2.
5
片道平均約 己
い)
状現が異怠る場合は.もっとも頻繁に利用する主通手段主いしは平均的な所要時聞をお害えくださ
かまいませんので、数字でお答えください。{自によって異主る主通手段を憧 ったり
問 1
3 ふだん、通勤にどれぐらい時聞がかかりますか. 片道にかかる時聞を、おおよそで
[あなたの暮らしとご家族についてお尋ねします ]
7
2
.
0
2 既 姉 ('WM附1.古川
2
.
5
4 晶I
1
創作したが雌ゆl
問 1
7へ
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1
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3 結婚したが死別
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※ Ip 純W~十は該当占 のみ
μ内業 ・家品:従業日
5
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3.
9
NNDKO.
7
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0.
4
.'j)1:í5 ~i 白
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.
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約
時
分
30分木1前 5
2
.
5
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│
目l
以上 !時 1
1
:
1、ド木γ前 11
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I
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J未満 24.
2
1
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刊J'(
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J
.
上 1
2.
1
間
およそでけっこうですので、政字でお答えください。
NNDKI
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トナーの方のお仕事先まで、通勤 にどれぐらい時間がかかりますか 。 お
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(j政iL入、併問1
.
'
1体を :
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1000人以上
2 5-29人
7.
8
8
.
8
5 300-999人
1-4人
.O
NNDKI
トナーの方の お仕事先の規模 は (
支庖や富業所だけでなく全社で上 どのくら
いですか。 あてはまる費号に 1つだけ Oをつけてください。
(
ω 配偶者・パ
8 J!~林漁業従 '1; ,庁,""1',1向li ,肺水脱、"'"輩、 i住市 、林業、机 ~/r.: ど) 1
.0
ウェイ l レス、米政叫、タクシー込ti転 rt~ ど) 5
.
8
l場作業円
6 サービス臓(料開人 J
l
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7 保百年時五(?r.i
f、 n術'1'¥ 守倫たど) 0
5 '主成 Lf~.
1
4 販売冊目白ゃいノピ山 l、山/
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Lし外刈ωセールスマ/、外公 1
1/
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、以上ーなど) 1
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. 制人教師、計地 1
:
. 医師、軒品川、主術家、スホーツi
盟手、山教示、技術 x
など) 43
.
7
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i
l
"
だけ 0をつけてください。
(
8) 配偶者・パートナーの方のお仕事は、どのようなものですか 。 あてはまる番号に 1つ
4 向付業
アルバ イト ー内職などの雇用布
フノレタイムの雇用./';. 4
6
.
5
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.
2
3 非 常 勤 臨 時 ・派遣 ・ハート
2 常雇
1 会社役員
0 現山{上 l
与をしていない(乍斗ーを合む) 2
9
.
2
=問 1
7へ進んで ください
の方は.どのようなかたちでお仕事をしていますか 。 あてはまる
番 号 に 1つだけ Oをつけてください。
(
A)配 偶 者 ・ パ
お仕事について教えてください。
問 1
6 問 1
5で r
.
2
. 既婚」主答えた111二お尋ねします 。配 偶,
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-の方の現在の
問 1
7へ
↓
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.
5
1 末時
問 1
5 いまご結婦されていますか。 あてはまる番号にひとつだけ Oをおつけください。
凶 同 脳 滴 同 U庁AW蛸同盟関
msqlu ・ゅよリアエ叫にU
N什凋対淋耳ゆ圏一円週刊可制濁職(寸)
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10 あなたまたは配偶布の
2 今後、育児をする
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iしていたが今はして,,'川、 lも古壮)
3 介控をしていない
、
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2分
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問2
1へ
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j陵中以上の fしかいない 1
8.
5
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いる場合は、人数を数字でご記入ください。
→
( 平均 1
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3 中守校以下山 f品川、る 31
.0
問 1
9 中学生以下のお子さんはいますか。あてはまる番号に 1つだけ Oをつけてください。
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均9
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0分
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(
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) 疲ノj、川町付、足 、和神的 ストレスがたまる
うむることがある
(
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) 仕事と
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'忙しいときの臓場のサポート体制が │分でない
(
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B) 職場で f由、てに対する用併がりにくい
1
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(
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) 仕事が忙しくて、
(
^
) 仕事に対して五肢の舟併が'f ~Hこくい
にそれそ.
れ 1つ Oをつけてください.
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.
5
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.
5
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0.
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.
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7.
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.
5
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NN
(
0)つぎにあげることについて、あなたはそう感じることがありますか。 あてはまる番号
'
均 3
.
3 ) 1/
│ 1 如 、 28. 4 … 2 ー ( 1
だけ Oをつけてください。 ある場合、およその日数をおしえてください。
(
C) お子さんの病気で仕事を休んだことは、年に何回ありますか。 あてはまる量呈l
三1つ
7 その他 [
"
,
人 してくど 品
、
4 つで山保育 1
.
5
4
.
2 2
1 配 偶 有 ハ ー ト ナ -6
おこなっているのは、どなたですか。あてはまる警号に 1つだけ Oをつけてください。
(
8) あなたが、残業したり出強で遅くなったりする場合、お子さんの夜間の育児をおもに
7 その他 [,
:
,
人
して
く ど目、
.
0
4 ヤれ f
l
o宵 6
ハートナ-3
4
.
3 2
に 1つだけ Oをつけてください。
1 配偶有
A
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円什凋同川浩司ゆ国一円湿叫が酬明
恥
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家事 [IJ I TII:J仁I~I :J日時II\J
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.純 1
1
"
ト
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仏) お子さんの昼間の育児をおもにおこなっているのは、どなたですか。あてはまる番芳
J
主当刊のみ
問2
0 問 1
9で f
3 中学生以下の子がいる」と答えた方にお尋ねします 。
・﹂
しますか。それぞれ数字 (
強敵)でお答えください。(していない場合は rOJ を)
(
C) あなたはいま、家事、育児、介護に、平日の 1日に.だいたいどれだけの時聞を費や
6.
5
1 介池をしている
てください。
(
8) あなたはいま、どなたかを介護をしていますか。あてはまる番号に 1つだけO をつけ
2
8
.
0
1 有川をしている
てください。
(
A) あなたはいま、どなたかを育児を Lていますか。あてはまる番号に 1つだけO をつけ
間1
8 育児と介護のご経験についてお尋ねします。
未 怖 の ( 45.
5
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2 ~"f/l1""
①
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, 1は 「し、石 j (0 ,,,り)の %0NNDKI1:ョ崎市せず
問 1
7 つぎのなかから、同居しているご家族をすべて選んで、番号に O をつけて〈ださい。
総脳渦同 U庁A
W懲 罰 開msqlQ-JU、﹁U
(i T)
TIll--v
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問
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34.
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問2
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45.
5
3 そのような料験はない
の霊が介護している時)
倒(
あなだの実父をあなだ
1 あなたの阿己u.
nt・ハ ナ
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2 あなたの f
3 あなたの内観
4 再U仙 4 ・ハートナーσ
)
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数字で記入)
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、 滋賀県、"大ヤ別立 JI、同参両推~主研究セ ン
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本調育的結果 I
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(
無記名でお願いいたします )
2月 19日 (
金) までに学内便でお送りください。
同封しである封筒に入れて封をして
【これで終わりです 。長時間ありがとうございました】
間2
4 本調査に関して何かご意見や質問がありましたらご自由にお書 き ください。
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ゆ国一円週刊﹃山伊川畑騨
什凋 H冶
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問2
3 本学の男女共同参画の現状や課題について、ご自由にお書 きください。
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していた方
(ひとつずつ 0)
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B)おもに介護 をしている
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ぞれ 1つずつ Oをつけてください。
(
B) その方をおもに介護している ・していたのは、どなたですか。 あてはまる番号にそれ
の枠肉から選んで、あてはまる数字を記入してください。
(
A) 介護を必要な・必要だった方は、どなたですか。すベ ての方について、それぞれ点線
問2
2 問2
1で r
l.いま必要 J r
2 以前必要だった」と答えた方にお尋ね します 。
1 い主介活が必要
けてください。
ます)が、介護が必要にな ったことがありますか。あてはまる番号に 1つだけ Oをつ
問2
1 すべての方におうかがいします。あなたのご家族や親族の方 {同居 して いない方も吉み
凶同脳洞同 U
庁特簿揚畑
(IT)
﹀
而岨同会・
Mω
全 F 滋賀県立大学
ω0 ・﹀直MHR
2010年
6月
f
滋賀県の男女共同参画社会実現プログラムの構築 J
電 話 内 線 8407 /
電子メル
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人間文化学部地域文化学科 ・武 田俊輔研究室
〔調査・報告書に関するお問い合わせ先〕
(
;
主 窓級告書のデータは速報償ですので、今後修正される可能性があります)
慢とご協力をたまわりますよう、な にとぞよろしくお願いを申しあげます。
の提言等に活用 していくことを考えております。皆さまには、ひきつづき本研究へのご支
で公表 していく予定です。 また、本調査で得られた知見は、さまざまなかたちで学肉施策
今後、さらに調査デーヲの分析を進め、より詳しい分析結果は、学術論文などのかたち
ことにお礼を申しあげます。
ました回教職員の皆さまには.お忙し いなかにもかかわらず調査にご協 力いただきました
調査は、 2010年 1月末現在で滋賀県立大学に在職する全教職員を対象に実施いたし
集計結果の概要をまとめたものです。
の一環と して
、 2010年 2月に実施した「男女共同参画に関する調査(教職員向け )
Jの
2回実施)
。 配布数は 383、有効回収数は 20口、有効回収率は 52.2 %でした 。
-事務局(学部所属正規職員も含む)図書情報センター
i
賓壕官理センタ ー
地
域産学通機セ J タ
ー
地盤妥づくり教育研究センタ
・不 明 無 回答
-非常勤教員
-人問看瞳学邸
-人間文化学部
-固陣教育セJ タ
ー
-工学部
。
%
鍵環 i
鼻科学制
調査にご協力いただいた方
全教腺員 (闇査源配布数}
図1 所属部局別にみた回答者
3
8人 (
1
90
町 、非常勤の職員 6
6人 (
3
30
首
) で した。
職種別にみると 、常勤の教員 8
5人 (
4
25
見
)、非常勤の教員 1
1人 (
55
船 、常勤の職員
っています。
学部、環境科学部がやや多く、国際教育セン 9一、工学部、人問看護学部がやや少なくな
配布数)の部局別の織成と比べる と
、 調査にご回答いただ いた方は、事務局等、人間文化
1人でした (不明・無回答 3人)。 下の図 1に示したとおり、実際の全教職員(調査票
員 1
環境管理センヲー・地域産学連標センヲ ー ・地域づくり教育研究センヲ -62人、非常勤教
部 1
7入、国際教育セン宇一3人.事務局 (
宇都所属の正規職員幸吉む} 図書情報セン ヲー
7人、工学部 2
7入、人間文化学部 4
0人、人 問看 護 学
所属部局別にみると、環境科学部 3
(
1
35
首
)で (
不明 ・無回答 B人)、平鈎年齢は 4
4.
.
6歳でした 。
3
0歳 代 5
5人 (
2
7.
5
旬 、4
0歳 代 田 人 (
1
8.
5
初 、5
0歳 代 3
7人 (
1
8.
5
町 、6
0歳代以上 2
7人
女性は 9 4 人 ( 4 70切 でした ( 不明・無回答 2λ ) 。 年齢 ~IJ では、 20 歳代 15 人(7 . 5初 、
調査にご回答いただいた教職員のうち、男性は 1
0
4人(有効回答の 5
2.
0
崎、以下同 )、
Jしで
などを通じて配布 し、学内使で回収しました (
督促は調査票配布直後と締切直前に学肉メ
、﹁リ
u
滋賀県立大学特別推進研究
【速報版】
調 査の あ ら ま し
、 2010年 1月末現在で滋賀県立大学
「男女共同参画に関する調査 (
教職員向け )Jは
に在職する全教職員を対象に実施いたしました 。調 査 票 は 全 16ベ ジで、各学部長短室
1
sqluw
平成 21-22年度
調査報告書
(教職員向け)
男女共同参画に関する調査
調査対象者向け報告書 (
速 報 版)J
U庁 特 嚇 時 朝 間 澗
この報告書は、滋賀県立大学特別推進研究「男女共同参画社会実現プ ログラムの構築」
│
補2
脳滴同
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凶
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什沼崎浩司ゆ国一円週刊可制細川
剛醐(
13
どちらかといえばそう思わ広い
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不 明 ・無回答
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男女共同参画に関する知識
す。「男女共同参画基本法 Jも、9割近い人が聞いたことがあるようですが、「知っている」
的な性差を意味する『セックス」に対して社会的な性差を指す )も 9割強が認知していま
f男女雇用機会鈎等法」はほぼすべての人が聞いたことがあり、「ジェンダー J (
生物学
について「知 っている Jf聞いたことがある」かどうかをお尋ねしました (4ページ図 3)。
句について、実際どれぐらい知られているでしょうか 。本調査では、そうした語句の意味
男女共同参画に関して学内外でさまざまな議論がありますが、そうした際に登場する語
3
まず。
「夫に経済力があれば」という条件付きになると、やや肯定的な人が増える傾向がみられ
「夫は仕事、妻は家事」という性別役割分業については、 8割以上の人が否定的ですが、
数強が賛意 を示していますが、半数弱は否定的で、これも意見が割れると二ろです 。
は二つに割れています 。「結婚は女性にとって不利になる二とが多い」という考えには、半
しかし、夫婦別姓については、半数が肯定的、半数が否定的というように、意見の分布
てい ます。
ます 。「日本の大学は女性の教職員が少ないと思う」という意見にも、自害近い人が同意し
職場環燈
・﹂片山叫 に
﹃
が嫡
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N什凋対米四時 w国
一 円週 刊
問
制
HR
﹀BU
4
職場の コミュニケー ション は比較的良好なようにみえます。
何でも話せる人がいない」という人はいずれも 4分の 1程度で、
「職場で発言しにくい Jf
ます。『仕事を辞めたいと思うことがある J という人は 2割弱にとどまっています。
も含めると 6 割強になります 。 『出勤したくないと感じることがある J とする人も 3~11 強い
「
忙 しすぎる」と答えた人は 3割近く!このぼり、「どちらかといえばそう思う Jという人
ベ ジ 図 4)
。
現在のお仕事や職場環境について、男女共同参画に関する点も含めてお尋ねしました (5
4
ます。
使われることが多いようです 。これを聞いた二とがあるとしたのは半数弱にとどまってい
置をあらわす用語ですが、日本では女性差別を是正する積極的な措置をあらわす語として
『ポジティブ・アクション j は、さまざまな少数者への差別を積極的に是正していく措
っており、「知っている」と答えたのは 7人に 1人程度でした。
0
0
6年度に開始 した事業ですが、この事業の認知は半数弱にとどま
向けて、文部科学省が 2
f
女性研究者支援モデル育成事業 J は、女性研究者の研究と出産・育児等の両立支媛に
める根拠となった『女性差別撤廃条約 J にも似た傾向がみとめられます 。
仕事と生,舌のバランス )もこれと似た傾向があり、 4分の 3の人が聞い
イフ・バランス J(
と答えたのは半数弱にとどまっています。近年話題になることが増えてきた『ワーク ・ラ
聞いたことはある
2
1
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下 時1
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ポジティブアクンヨン
女性研宜者支揖モデ ル育成事業
女 性差別微廃条約
ワーク ライフ "ランス
男 女共 同 多 面社 会 器 本 法
ンエンダー
間 女雇 用 機 会 均 等 法
/1
図 3 男女共同参画に関する知擁
まず、『干の世話は夫婦で協力して行うべきだ』という考えには、 1
0
0%近くが賛成してい
不 明 衆回答
8
C
'
%
。%
たことがあるけれども「知っている」と答えた人は半数弱です 。男女雇用機会鈎等法を定
aそう思わない
40%
。
調査では、男女共同参画に関するさまざまな社会意識についてお尋ねしました (
図 2)
2
どちらかといえばそう思う
男女共同参画に関する意識
-そう思う
日本の文学は女性の教磁員が少ないと思う
20%
男女共同参画に関する置謙
手の怪誌は夫婦で協力して行うへきだ
図2
脳渦同U斤AW簿操畑sql
Q-d
u 、﹁U
リ
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日
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2
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どちらかといえばそう思う
6
0%
鈴そう思わはい
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どちらかといえ I
ぎそう思わない
20%
不明無回答
80.
100%
就業制度の認知
5
「介護休業 (
軍族 1人が要介援状態に至るごとでの. 6ヶ月白期間内の体車 )J r
配偶者出産休暇 (
聾
別体蝦 )J r
産後休暇 (
産後 8週間の特別休暇 )J は
、 B割 前 後 の 人 が 知 っ て い る と 答 え ま し た 。
Jr
産前休暇 (
産前 8週間の特
「育児休業 (3議未満田平を聾育するための休業 任期付職員を除 <)
。
て 知 っ て い る か ど う か を 尋 ね ま し た (6ペー ジ図 5)
に ど れ だ け 知 ら れ て い る で し ょ う か。 常 勤 の 教 職 員 の 方 を 対 象 に 、 就 業 規 則 の 内 容 に つ い
本学の就業規則には、さまざまな制度が盛り込まれていますが、二れは教職員の皆さん
5
ます。
は 4割近くいますが、「男性が取得 しやすい雰図気」という人は 2割台で、大きな差があり
割 に 満 た な い 現 状 で す 。また介護休業については、「女性が取得 しや す い 雰 囲 気 」 と す る 人
すい雰囲気だ」とする人は 6割近くいますが、「男性が取得しやすい雰囲気」という人は 3
制度面でも、「育児休業が取得しやすい雰囲気 J かどうかについては、「女性が取得しや
した人が 4分 の 1程度おり、「性別による処遇の差を感じる」という人も 2割 以 上 い ま す q
人は半数強にのぼるものの、「お茶汲みやコピー 取 り な ど を 女 性 が す る 慣 行 が あ る 」 に 同 意
しかし、性別による違いや差に関 しては、 f女 性 が 働 き や す い 環 境 が 整 っ て い る 」 と す る
'そう思う
。
%
図4 職場環境に関する章旗
60.0%
一一一~=-.::L=-"'1 %
…下一
I十 一 叶 8.0%
人匂ぬ
1日2回それぞ
1B 2時間を越えない範
わ ず か 2割 合 に と ど ま り ま し た 。
う職員の時間外勤務および深夜勤務の制限 (
任期付職員を除<)Jは、知っているとする人が、
妊 娠 に 伴 う 通 勤 緩 和 に よ る 1時 間 を 超 え な い 範 囲 で の 時 差 通 勤 Jr
介護を行
の 特 別 休 暇 Jr
ては. 7割 近 い 人 が 知 ら な い の が 現 状 で す。「つわりのため勤務できない場合の、 7 日以内
るまでの子を養育するための時間外勤務および深夜勤務の制限 (
任期付職員を除 ()J に 関 し
妊 娠 に 関 す る 保 健 指 導 ま た は 健 康 診 査 の た め の 特 別 休 暇J r
小学校に就学す
の 特 別 休 暇J r
中 学 校 に 就 学 す る ま で の 干 を 看 護 す る た め の 5日の範囲 内
囲内での休業契約膿員を除 ()J r
6 ヶ月以内 )J r
育児部分休業 {
小学校に就学する前の子を聾育するための、
さらに、「介護部分休業 (
介護のための、始輩時刻または終車時刻と連続した、 4時間以内田体車。
ては、 6害時近い人が知らないと答えています 。
れ4
5分)J r
子 の 在 籍 す る 学 校 行 事 へ の 参 加 の た め の 、 年 度 内 1日 以 内 の 特 別 休 暇 」 に つ い
育児時間 (
生桂 1年 6ヶ月に遣しない子のための特別体暇
の範囲内での特別休暇 )J r
り、「配偶者の子養育休暇 (
聖が出産する際の、産前 8週間および産桂 8週間の期間内における 5日
間帯で勤務できる短時間勤務田制度、契約職員を除く )J はよ うや く 過 半 数 が 知 っ て い る に と ど ま
しかし「育児短時間勤務 (
小学校に就学するまでの子の育児等のため、隠員が希望する日および時
す。
が出産する際の、 3自由範囲内の特別悼暇 )J についても、 6割 台 の 人 が 知 っ て い る と し て い ま
1
配偶者出産休曜れ ふ
ペ
'60.3%
育児短時間勤務 l
事醐欄間醐炉問醐随時蝿醐脚 53.l%
配偶者由子聾育休暇 1
1
l'44.3%
育児時間 1
1
140.8%
40.5%
子由学位行"',.,加の特別休暇 L
1
介護部分休業 枠画面画輔副時醐弱蹴融制l
i
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1
3
9.
7%
育児部分休輩 l
制問問時醐岡崎脚叩 8.9%
子の看護の特別休眠 l
事醐醐雌醐醐苧輔副醐輔, '8.2%
妊娠の保健指導・健直診査の特別休眠 符繊醐繊醐輔時繍鵬鱒醐 '3
河 1%
子の葺育のための時間外勤輯深在勤務制限 押輔醐醐醐醐苧醐糊 32.'%
つわりのための特別休眠 作紛糊醐醐搬醐幹醐 28.2叫
妊娠に伴う時差通勤 l
榊 醐 醐 照 明 2
7.
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置のための時間外勤務・産在勤務制限 I
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育児休業
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図 5 就車制度の蛇知 (r知っている」と筈えた割合)
凶回廊澗同
U庁特蝉両親惜別
1
3
一 円温叫以測機(
sq10・ゅよリアエ叫に U円什凋同川浩司ゆ国
常世保育所利用の経済的支獲を整える
どちらかといえば必要だ
どちらかといえば必要でない
大学として取り組むべき施策
緩必要だ
労働時聞を短くする
性別世割分業意識を変える
女性の教職員をもっと憎やす
必要でない
不明無回答
女共同参画に対する理解を進める」といった非制度的な慣習の面でも取り組みが必要とし
務時間外の会議をやめる」ことも、 B割以上の人が必要だとしています。また「上司の男
このような直接的な制度の整備だけでなく、「委員会や会議の負担を減らす Jことや「勤
割にのぼっています 。
割近い人が必要だとしています。「多格な休業制度」の導入についても、必要とする声が B
どちらか企いえば必要だ
どちらかといえば必要でない
40%
鑓必要でない
60'
不明無回答
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おわりに
人間文化学部
ジ (
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o
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pj)などで公表していく予定です。
本調査の分析結果は今後も滋賀県立大学男女共同参画推進研究センヲ
準備チムのホムベ
会
まさる喜びはありません。
ヲ分析を進めてまいりま
助となるものであれば、これに
舎は多くのことを示唆しています。今後いっそうデ
すが、本調査が学内外での男女共同参画の実現に向けて
調査のデ
のか、本学としてできる・すべきことは何かーーかかる現状や改善すべき点に対して、本
みが進められています 。こうしたなかにあって、本学で働く教職員がいま何を求めている
現在、国レベルでも県レベルでも、男女共同参商社会の実現に向けたさまざまな取り組
7
児保育施設の設置」についても 5割近い人が必要だと答えています 。
ビ シー トの設置 Jr
常設保青所の設置」があります。「更衣室の増設・改修 Jr
病児病後
全体の 3分の 2におよびます。このほか、過半数が必要だと答えたものに、「トイレ肉のへ
改修」が必要だとする人も、
時保育施設の設置」は、「必要だ J r
どちらかといえば必要だ J と答
えた人が 7割近くにのぼっています。また「休憩室の増設
か (
図7)。まず、「
次に.施設面で大学が取り組むべき施策には、どのようなものがあるとお考えでしょう
7割近い人が必要としています 。
ている人が B害J
I
近くにのぼっています 。
「性別役割分業意識を変える」という点についても
溜必要だ
20%
懇親開畑sq│ 山U - J、
Uベ
リアエゅに
の代替要員の確保」や「休業中の経済的支援」が欠かせませんが、これらの制度整備も 9
ムの註 置
女子トイレの増設
プレイル
病児病後児保育施設の註量
更衣室の増訟改修
常盤保育所の誼醤
トイレ向のヘビーンートの位置
。
%
図7 大学として取り組むべき施設整備面白施策
MHU庁AW
る」で、 9割以上の人が必要と答えています。こうした育児休業や介護休業には、「休業中
要だ」という声が最も多かったのは「育児休業や介護休業後に復帰しやすいしくみをつく
まず制度面に対する要望からみていきましょう (
図 6)
0r
必要だ Jr
どちらかといえば必
るとお考えでしょうか 。制度面や施設の改良点在中心にお尋ねしました 。
男女共同参画社会の実現に向けて、本学が取り組むべき課題には、どのようなものがあ
6
勤務時聞を弾力化する
時的保育ザヒス利用の経済支憧を聖える
休業ゆに自宅で仕事を継続できるしくみをつくる
ツ
タ 等
ヘヒ ン
業務での 1
自姓使用を認める
管理職に女性を地やす
上司の男女共同参画に対する理解を進める
多憾な休業制度を導入する
研究や録業の支復員を確保する
勤務時間外の会議をやめる
量を盟える
体 業ゅの経,斉的支 f
学問 委員会や会議負担を減らす
休憩室のi
自民改修
100%
一時保育施誼の詰置
80%
休業中の代哲要員を確保する
60%
育休や介謹休裟後に復帰しやすいしくみをつくる
。
%
図6 大学として取り組むべき制度菌の施策
)ぽ潤澗
UN
什沼対米耳ゆ国 一円週刊可制獅難(寸)
﹀圃同会・
ωω
論文
平成の市町村合併についての検証
合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例から
横山幸司
1
6年に渡った杉 山茂前 町長に 代わって、平成 2
2年
I はじめに
H 平成の合併を巡る様々な評価
皿 大野町の事例研究
W 考察
(
2
0
1
0年)3月より、 宇佐美晃三 町長が町政 を担っ
ている 。宇佐美町長は、現在のところ、将来的には
揖斐郡内で合併することが望ましいとしながらも、
しばらくは単独での道を表明している。
そこで、本稿では、実務 レベルにおいて、上記の
I はじめに
平成 1
1年 (
1
9
9
9年 )の 「地方分権の推進を図る
各報告書にみられるような指摘は妥当なのか、合併
ための関係法律の整備等に関する法律 J(
以下 「地
ついて、具体的に検証し、今後の 町村 のあり方につ
方分権一括法」 という 。
)の公布から始まって、平
いて考察することとしたい。
しなかったことによってどんな影響があるのか等に
2年 (
2
0
1
0年)の「市 町村の合併の特例等に関す
成2
以下 「
合併特例法」 という 。
)の期限によ
る法律 J(
り
、 一区切りがついたとされるいわゆる “
平成の大
合併句であるが、その評価を巡っては様々な見解が
はじめに総務省の
i
W
平成の合併 j について 」
(
2
0
1
0年 3月)(以下 「報告書」 という 。
)の内容をみ
ある 。
“平成の大合併"を検証した公的な報告書として
は代表的なものに、総務省の
n平成の合併j につ
いて J(
2
0
1
0年 3月)と全国町村会 ・道州制と町村
に関する研究会による
E 平成の合併を巡る様々な評価
1 i
W
平成の合併JについてJにみる合併の評価
i
W平成の合併j をめぐる実
ていくこととする 。
8年度に平成 1
1年
報告書では、総務省が、平成 1
4月 1日 平成 1
8年 4月 1日までに合併した 5
5
8市
町村 を対象に行った調査の結果、「合併の本来の効
n
平
果が現れるまでには 1
0年程度の期間が必要である
成の合併Jの終わりと町村のこれから J(
2
01
0年 4
と考えられ、現時点では短期的な影響の分析に止ま
2
0
0
8年 1
0月)とその第二弾である
態と評価 J(
月)がある 。
らざるを得ない 」 と断 った上で、「多くの合併市町
これらの報告書の 内容については、本論でみてい
村の行政・住民、また世論の合併への評価 は大きく
くが、当然 ながら、総務省は、平成の合併を肯定す
分かれている 」 と述べている 。 また、行政側の評価
る立場であるし、全国町村会は、 一
逆に町村を維持し
と住民側の評価が必ずしも 一致しないことも指摘し
ている 。
ていく立場に立っているわけであり、そのいずれの
立場にもない視点か らの検証が必要で、ある 。
筆者は、 岐阜県職員であるが、平成 1
3年 (
2
0
0
1
その上で 「
合併による主な効果」 と「合併に よる
主な問題点・課題」を整理している。 以下にその内
年)には合併を推進した側の総務省自治行政局行政
容についてみていこう 。
2年 (
2
0
1
0年)4月から
課に派遣され、現在、平成 2
(1)合併による主な効果
は、岐阜県揖斐郡大野町総務部企画財政課に派遣さ
合併による主な効果としては、次の 4点に整理し
れていることから、いずれの立場も理解できる者と
ている 。すなわち、①専門職員の配置など住民サー
して、公平な立場に立って、基礎自治体(大野町)
の現場から、平成の合併を検証することとしたい。
③広域的なまちづくり 、④適正 な職員の配置や公共
大野町の属する岐阜県揖斐郡では、揖斐郡全体で
1つの市を目 指す合併が模索されたが、結果的に、
7
池田町と大野町が合併協議会から離脱し、平成 1
ビス提供体制の充実強化、②少子高齢化への対応、
施設の統廃合など行財政の効率化、である 。以下、
詳細にみてい こう 。
年(
2
0
0
5年)1月に旧揖斐 川町が他の谷汲村 ・久瀬
①専門職員の配置など住民サービス提供体制の充実
強化
村・春日村・坂内村・藤橋村と合併し、新しい揖斐
川町が発足してい る。
織が専門化したり、人員が増加したりすることで庁
大野 町では、その後、 町
│ 長選挙が行われ、 4期
内の体制が充実したとの回答結果を明らかにしてい
34 ・人間文化
報告書では、 約 9割の市町村で、合併によって組
平成の市町村合併についての検~iE-合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例かうーァ
1
.0
0
0人減少し、年 間約1.2
0
0億円の歳 出削
員は約 2
る。
特に、「企画財政・総務分野 」、「保健 ・福 祉 分
減が見込まれるといい、平成 1
0年度末から平成 2
0
野」、「
産業振興分野」の充実が大きいが、それ以外
年度末の問で、議会議員数は 2
0
.
8
0
3人減少したと指
1
箸でも多岐にわたっている 。
の音¥
摘している 。
その背景には、専門職員の充実がある。当然なが
また、 一般職員の定数削減目標について 、合併市
ら、合併すれば、専 門職員(栄養士、保健師、土木
町村 は非合併市町村 に比べ高い削減 目襟を掲げてお
技師、建築技師、司書等)の人員が合算して増える
り、合併後 1
0年経過以降においては、人件費等の
わけである 。報告書では、岩手県の平成 1
6年
削減により年間 1
.8兆円の効率化が図られるとの試
平
成1
9年の事例を取り上げ、合併市 I
l
I
Jの平均専門職
算も紹介されている 。
員数 は、非合併市町村の約 5倍にな ったという結果
も紹介している 。
(
2
)
合併による主な問題点・課題
合併:による主な問題点 ・課題としては、次の 4点
②少子高齢化への対応
報告書では、人口減少・少子高齢化への備えとし
に整理している 。すなわち、①周辺部の旧市町村の
活力喪失、②住民の声カ、届きにく くなっ ている、 ③
て、強化 された行財政基盤を活かし、 地域の将来を
住民サービスの低下、④旧市町村地域の伝統・文
左右する 少子化対策・高齢化対策などの取り組みが
化・歴史的な地名などの喪失、 である 。以下、詳細
行われているとしている 。
合併後の住民サービスの充実の中では、特に少子
にみていこう o
①周辺部の旧市町村の活力喪失
化対策、高齢化対策、障害者福祉などの福祉分野で
合併により面積が大きくなった市町村において、
の住民サ ー ビスについて、大部分の合併市町村 にお
周辺部の旧市町村の活力が失われているという指摘
いて拡充が図られているとしている 。
である 。 旧役場 の周辺に存在していた商庖街の 衰
③広域的なまちづくり
報告書では、今回の合併によって、日常生活圏の
退、スー パーや銀行の撤退など経済的な影響も 指摘
拡がりに応じたまちづくりや住民サービスの提供、
①住民の声が届きにくくなっている
されている 。
公共施設の効率的配置とネッ トワーク 化
、 受益と負
合併により市町村の規模が大きくなることによっ
担の適正化に 向けた条件の整備が図られたとしてい
て、人口 当たりの議員数 も減り、役場が支所となる
る。
など、住民の声が届きにくくなっているという指摘
ことにより、地域資源を活かした広域的な地域活性
である 。
これには、本庁での手続きや会議など、実際の距
化の取り組みが新たに始められていると指摘してい
隊員が減少
離が遠くな ったというものと、支所等の l
る。
その事例として高 山市(岐阜県)などの 4市 I
U
Jの
したことや新市町の一体感が醸成できていないと感
例を紹介してい るが、高 山市では、 高山祭りや歴史
いる 。
的町並みのある旧 高山市地域に加 え
、 旧上宝村地域
の北 アルプスや奥飛騨温泉などが加 わったことか
不満も含まれる 。
また、 旧市町村 の地域資源をネッ トワーク 化する
じることなどの心理的な距離感の二つが指摘されて
また、支所等の権限の少なさなどに対する住民の
略を打ち出し、 「
飛騨高 山Jブランドの確立を図 っ
③住民サービスの低下
厳しい財政状況を踏まえ、合併市町村において
ているとしている 。
は、合併を機に住民サービスの取捨選択や水準の見
④適正な職員の配置や公共施設の統廃合など行財政
直しが行われている 。特に、敬老・結婚等の各種祝
の効率化
報告書では、今回の合併により、適切な職員配置
い金など、個人や団体に対する助成金等について 削
がなされ、住民サービスの水準の確保を図りつつ職
心市の水準に合わせる例もみられる 。
ら、都市部と農村部とを結ぶ滞在、周遊型の観光戦
員総数を削減するなど、効率的な行政運営の取り組
みが行われているとしている 。
実際、今回の合併により、市 I
l
I
T
村 の三役・ 議会議
減・廃止される例が多く、また編入合併の場合、中
また、住民負担についても、合併市町村の約 9割
で、住民負担の見直しを行っており、これらの結
果、住民からすれば負担増が合併による影響と受け
人間文化・ 3
5
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例かうー
止められ、合併に対する否定的な評価 につながって
られる 。
いると指摘している 。
④職員の意識の変化・専門性の向上
④旧市町村地域の伝統・文化・歴史的な地名などの
喪失
専門の組織 ・職員の配置が可能になったことや、
日
│来の市町村の垣根を越えた職員同士の交流が始ま
合併に伴い、 旧市町村地域の伝統・文化 ・歴史的
り、職員にとって良い刺激となっていること、人事
な地名などが失われてしまうという謀題に直面して
交流をはじめ、あらゆる研修に参加することにより
いる地域がある 。
職員のやる気が出ていることなどが効果として挙げ
各自治体においては独自に、地域の伝統文化の保
られている 。
存や祭り等の活動を行う団体への支援や研究調査、
⑤住民サービスの高度化・多様化
人材育成に取り組んでいるところがあると指摘して
いる 。
い、住民サービスの向上があったとの評価がみられ
2
r
r
平成の合併j をめぐる実態と評価Jにみる合
併の評価
規模拡大によるスケ ール メ リッ トや権限移譲に伴
る。特に、教育や福祉面で新たな取り組みがみられ
る。スケ ールメリットを活かしたサ ー ビスの強化と
しては、子どもの医療費の無料化、権限移譲では生
r
r
平成の合併j を
活保護事務の新市への移管に伴い迅速な対応が可能
2
0
0
8年 1
0月)(
以下「報告書」
めぐる実態と評価 J(
という 。
)における合併の評価についてみていくこ
校、中高一貫校の取り組みを始めたといった例が挙
ととする 。
げられている 。
次に、町村側の報告書である
9年 1
0月 平成 20年 3月に、
報告書では、平成 1
にな ったこと、教育面では、合併を機に小中 一貫
⑤広域行政
合併した 9自治体の関係者ならびに合併していない
広域連合や一部事務組合など、従来の広域行政体
8自治体の関係者に対して行ったヒアリング調査を
としての対応から、合併によってー 自治体での対応
もとに、 「
合併によるプラスの効果」 と 「合併に よ
るマイナスの効果」 を分析、整理している 。以下に
に移行することで、意思決定の迅速化や自 立性の強
化が関 られた。
その内容についてみていこう 。
⑦住民の一体感の醸成
(
1
)
合併によるプラスの効果
│
町単位の大きなまとまりで地域再生に取り組もうと
合併による市町村 規模の拡大を契機として、新市
合併による主な効果としては、次の 8点に整理し
いう気運が芽生え始めていることや、逆に、住民が
ている 。すなわち、①財政支出の削減、②重複投資
行う地域づくり事業、地域コミュニテイへの助成を
の解消、 ③合併特例債等を活用した基盤整備、 ④職
充実させることで、小さなまとまりを活かしながら
員の意識の変化・専門性の向上、 ⑤住民サービスの
地域活性化に取り組む動きがみられる 。
⑥地域のイメージアップ
高度化・多様化、 ⑥広域行政、 ¢住民の一体感の醸
成
、 ⑥地域のイメー ジアップである 。以下、詳細に
みていこう 。
①財政支出の削減
例えば、企業誘致において、市のネームバリュー
による効果があり、住民の雇用の確保にも 寄与 して
いるとい った例が挙げられている 。
財政支出の削減については、特に職員数の削減に
よる人件費の減少が効果としてあげられている 。
(
2
)
合併によるマイナスの効果
②重複投資の解消
合併によるマイナスの効果としては、大きくは 8
点に整理している 。すなわち、①厳 しい財政状況、
従来、 I
H
Jどうしで競い合うように同種の公共施設
を整備していたが、合併により重複投資が解消され
たという指摘である 。
②行政と住民との距離感の拡大、 ①住民サービスの
①合併特例債等を活用した基盤整備
合併特例債等の 財政優遇措置を活用し、以前よ
策の廃止・縮小、 ⑤住民自治機能の低下、@ 周辺
低下、④行政サービスの画一化、旧自治体の独自施
部の衰退・地域格差の発生、 ①地域の個性 (歴史、
り地域内で懸案となっていた各種事業の実施や施
文化、伝統)の喪失、 @ 旧自治体聞の住民負担の格
設整備が促進された ことを評価する 意見が多くみ
差、である 。以下、詳細にみていこう 。
3
6 ・人間文化
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐車県揖斐郡大野町の事例かうー
⑥周辺部の衰退 ・地域格差の発生
①厳しい財政状況
これには 2つの内容がある 。一つは、財政計画と
合併後、中心部からの選出議員の数が多く、周辺
部の住民の意見が反映されにくくなったことや、合
の議離というものである 。
合併して間もなく、三位一体改革等による交付税
併に伴う旧役場の閉庁により、役場立地に伴う経済
の削減が重なったため、新市町の財政計画と現状が
的需要が減少することで、旧役場周辺が寂れたとい
tしているというものである 。 また、合併
大きく森南I
う指摘である 。
前の駆け込み事業等の起債償還により公債費が膨ら
んでいるという例もみられる 。
⑦地域の個性(歴史、文化、伝統)の喪失
地区ごとにはっきりしていた住民の気質や生業
が、合併を機に失われつつあるという指摘もあ った。
もう 一つは、財政規律の低下である 。前述のとお
り、駆け込み事業が、新市町の財政を圧迫している
l
⑥ 旧自治体聞の住民負担の格差
ケースや、合併の際、住民サービスとそれに伴う負
合併前の 町村聞の国民健康保険料、水道料金の住
担を低負担、高サービスという方針で調整したため
民負担の水準が異なっていたため、合併により 一部
に、新市町で財政運営が困難にな っているというも
の住民は負担が増加した。 また未調整の部分で負担
のである 。
の格差が残 っているというような例である 。
②行政と住民との距離感の広大
サービスの対象者の増加により住民と接する機会
こうして 2つの報告書 をみてくると、 全国町村会
が減少し、きめ細やかな住民への対応が難しくな っ
のほうが、より 詳 しいが、ほほ、共通した内容の指
ているという行政側からの指摘がある 。 また、周辺
摘をしていることが分かる 。
町村関係者からは本庁からの情報が入
部とな った旧 l
らなくな ったという指摘もある 。
住民側からも行政とのつながりが段々と薄れてい
ただ、遠いは、その後である 。全国 l
町村会の報告
書では、総務省が、合併を 推進する目的として示し
た謀題 (
①広がる 日常生活圏 への対応、②少子 ・高
雨がある 。
るという指J
齢社会到来への対応、 ①地方分権 による 市町村の役
C
E住民サービスの低下
割の変化への対応、 ④厳 しい財政状況への対応)に
市町村規模の拡大に伴い、行政サービスの柔軟
対して、合併を選択しなか った町村でも、これらの
性・迅速性の低下が指摘され、本庁サイドからも行
諜題に対して十分に対応していると主張している 。
政の目が行き届かなくなることへの懸念が示されて
次にその内容 をみていこう 。
いる 。
④行政サービスの画一化、旧自治体の独自施策の廃
3 合併を選択しなかった町村の課題への対応
止・縮小
(1)広がる日常生活圏への対応
公共施設の共同利用など、広域連携による対応を
合併により住民サービスが画一化され、地域の実
態に即した特色ある施策が行えなくな ったという指
U
J
村があ った。 また、そもそも地理的
図りつつある I
摘である 。特に、従来、旧市町村で行われ、効果を
状況、 。生活実態をみても、日常生活閣の広域化が問
上げていた独自施策が、廃止・縮小されたというよ
題になる状況にはないとする町村もあ った。
うな例である 。
⑤住民自治機能の低下
合併に伴う行政と住民の連帯意識の低下、住民活
動をサポートする行政の存在の希薄化に伴い、従来
行われてきた住民による自治活動、地域づくり活動
が衰退したという指摘も、 旧町村側 関係者を中心に
(
2
)
少子 高齢社会到来への対応
単独事業として、独自の少子・高齢化対策を図 っ
ている I
"
}
・
村も多い。むしろ合併をしない方が、福祉
サービス水準を保てるとして、合併を選択しなか っ
た自治体もあ った。
多く聞かれる 。
また、
H
ヨ市 町村単位の住民の意見を反映させるた
め、地域審議会 を置いた市町も多いが、果たすべき
機能や位置づけが明確でユないため、十分活用されて
いるとは言い難いという指摘もある 。
(
3
)
地方分権による市町村の役割の変化への対応
これには内訳として 2点あり、 一つは広域連携に
よる対応であるが、 一部事務組合や広域連合など従
来の広域行政制度を十分に活用すれば、 匡l
の指摘す
人間文化・
37
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜県鐸斐郡大野町の事例から一
る合併理由に対応できるとの声があり、実践の動き
もみられる 。
もう一つは、職員の能力 ・専 門性の向上であ
る。各町村とも、市町村職員研修所(市町村アカデ
さな 町である 。
かつては水害に悩まされる輪中地帯であったが、
現代は堤防や排水機場も整備され、逆に肥沃な土地
と豊富 な水に恵まれた田園地帝が広がっている 。
ミー)など、 既存の研修制度を活用しながら、職員
経済都市である東の岐阜市、南の大垣市へは車で
能力の向上を図っている 。職員が、より専門性を
2
0-3
0分程度で行 ける位置にあるが、 2
0
05年 (
平
7年)に名鉄揖斐線が廃線となり、 町から鉄道が
成1
もって働けるよう、役場の組織・機構を見直した自
治体もあった。
なくなった。
民間路線パスが岐阜市方面及び大垣市方面から
(
4
)
厳しい財政状況への対応
これにも 2点の 内容がある 。一つは、徹底した行
財政改革・健全な行財政運営である 。
いずれの 町村も、職員数の 削減、職員給与の削
減、大規模投資の見直しにより、 財政支出の削減を
行っている 。将来に備えて、基金の積み増しを行っ
た町村もある 。 これまで、大規模な投資をしておら
ず、身の丈にあった財政運営を続けていけば、当面
は合併しなくとも安定した行財政運営が可能である
という声もあった。
もう 一つは、住民との連帯による行財政運営 ・地
域活性化 である 。合併を選択しなかったことによ
り、行政と住民の距離が近いことを活かした地域づ
くり、行財政効率化の動きがみられる 。
ハー ド、整備に偏った地域活性化施策から、行政と
住民の相互協力によるソフ ト面を重視した地域活性
化施策への移行がみられる 。行政と住民が一体と
なっての行財政効率化の取り組み、たとえば、役場
職員の給与削減の取り組みをみて、住民自ら負担の
増加を提案したケースもあ った。
このように、全国町村会では、合併をしなくても
十分に課題に対応できている 事例を挙げているが、
これらの事例がすべての合{封をしなかった町村で行
われているかというと甚だ疑問である 。そこで、次
章で は、実際に岐阜県揖斐郡大野町のケ ースをみて
いくこととする 。
E 大野町の事例研究
1 大野町の概要
(
1
)
大野町の地勢風土・歴史
大野町は、 │
岐阜県の西部、濃尾平 野の西北端に
あって、北は揖斐川町、東は根尾川 を境に本巣市、
西は揖斐川を;境に、池田町、神戸 I
I
I
Jと接している 。
東西 5
.
8
k
m、南北 1
1
.7
k
皿、総面積は 3
4.
18k
n
lという小
38 ・人間文化
走っているが、赤字路線であり、撤退か赤字補填か
という危機に瀕している 。地域の住民たちの生活は
車なしには成り立たなくなっており、今、全国的に
も問題となりつつある公共交通問題は大野町にと っ
ても最重要課題の一つである 。
大野町の歴史は古く、 町内には各年代の様々な歴
史遺産が残っている 。
4世紀から 7世紀にかけて築造された 「野古墳
群 J(
国指定文化財)、奈良時代の 「
条里」の跡、
8
世紀、行基の関 山によるという 「来振寺」、中世の
「
竹中半兵衛公生誕の地」
、近世では 「
牧村家住宅」
(
国指定文化財)、幕末の志士 「
所郁太郎記念碑」 な
どがある 。
(
2
)
大野町の産業観光行財政
の総人口は、 2
0
1
0年 4月 1日現在、2
3.
7
8
7
大野田I
人、年少人口割合は 1
6.3%、生産年齢人口割合が
6
2
.
7
%、老年人口割合が 21
.0%である 。
人口減少が目立つ県下の他の市町村 と比べると、
人口は横ばいで推移しており、少子高齢化の進展も
今のところ県の平均を下回っている 。
これは、大野町の地勢が前述のとおり、岐阜市や
大垣市の郊外に位置し、ベッドタウン化が進んでいる
ためである 。 しかし、それも右肩上がりの状況にはな
く、問題が先送りになっているだけとの見方もある 。
7年 (
2
0
05年)の数字
産業 は、就業構造上は平成 1
.7%、第 2次産業が 3
5.
8%、第
で、第 1次産業が 8
3次産業が 5
5.
0%とな っている 。特徴的な産業とし
ては、町の花にも指定されているパラの苗の生産と
冨有柿が町の特産品となっている 。
大野町では、パラ苗の生産が、昭和 3
0年代に始
0%のシェア を占め、 パ
まり、現在では 全国の約 6
ラ苗生産量は日本ーである 。
このように大野 1
1
0
'は 「
花のまち」というのが一つ
1の都市からなるフラワー都
の特色であり、全国 1
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜鼎謹郡大野町の事例かうー
市交流連絡協議会というネットワークにも参加 して
2 報告書にみ 5れた指摘に関する大野町の現状
前節でみてきたように、合併の効果としては幾つ
いる 。
観光資源としては、 5月に開催されるパラ祭り、
かの点が挙げられている 。 また、 合併しなかっ た町
夏の線尾川の花火大会、冬の来振寺の節分祭りくら
村でも、それらの効果に匹敵するように諜題に対し
いである 。前述のいくつかの歴史遺産は観光資源と
て対応しているとの指摘があった。では、大野町で
はなっておらず、観光交流人口が呼び込めていない
は実際にどうなのだろうか。以下、謀題ごとにみて
ことも大野町の大きな課題の一つである 。
いきたい。
また、平成 2
1年 (
20
0
9年)に、町で一番の規模で
あった大手企業の工場が撤退し、
1
1
汀の雇用や収入聞
にも大きな影響を与えている 。
I
U
]の財政としては、平成 2
0
年度の決算によれば、
(
1
)
広がる日常生活圏への対応
これは、合併の効果にもあった「広域的なまち づ
くり 」 に該当する分野である 。
.
6
9、経常収支比率が 79.0%、実質公
財政力指数が 0
まず、広域行政関係であるが、大野町において
債費比率が 6.4%といずれも類似団体と比較して健
も、揖斐広域連合 (
介護保険等)、岐阜県後期高齢
全 な数値とな っている 。
者医療広域連合 (
後期高齢者医療保険)、揖斐郡消
職員の給与水準 (ラスパイ レス指数)や定員数も
類似団体を下回 っている 。
予算規模は、 平成 2
2年度の当初予算では、 一般
会計で 6
1億円余、特別会計を合わせても 9
0億円余
と小規模で、ある 。(図表 1)
このことから見えてくる大野 町の行財政 の特徴
防組合(消 防)
、西濃環境整備組合 (ごみ処理)、大
垣衛生施設組合 (し尿処理)といった分野で広域連
携が行われている 。
これらの広域行政に対しては、それ相応の負担金
を支出しているし、人的派遣も行っている 。一見
、
そこには何の 問題もないように見受けられる 。
は、少ない職員数と少ない給与-で一生懸命頑張 って
しかし、国民健康保険に関しでも広域化を要望す
いるという姿である 。その努力の現れとして健全 な
る動きが全国で見受けられるが、市町村の負担感も
財政を維持しているといえる 。 しかし、逆にいえは、
軽減されると同時に、 責任も暖昧になるのではない
それは低負担、低支出ということであり、公共下水
かという指摘もなされている 。
道整備が岐阜県下で一番遅れているなど、 必ずしも
評価できるもの ではない。
図表 1
合併しなか った 町村 は、合併の効果として指摘 さ
れてい るような、広域行政の意思決定の迅速化や自
大野町の行財政データ
人口 (
2010.
4・
) 23,
787人 (
男1
1,
618人 女 12,
169人)
世帯 (
2010.
4):7,
006
面積:3
4
.
1
8
k
n
i
年齢別人口割合 (
2010.
4):
年少人口 16.
3% (
岐阜県 14.
2%)
生産年齢人口 6
2.7% (
岐 阜県 6
1
.8%)
老年人口 2
1.0% (
岐阜県 23.9%)
就業人 口割合 (
2005)
第 1次産業 8.7%(岐阜県 3
.7%)
第 2次産業 35.8%(
岐阜県 34.7%)
第 3次産業 55.0%(
岐阜県 6
1.0%)
財政力指数 (
2008):0.69(
類似団体内平均値 0.65)
経 常 収支比率 (
2008):79.0% (
類似団体内平均値:87.9)
実質公債費比率 (
2008
):6.
4% (
類似団体内平均値:10.
7
)
財政調整基金等基金残高 (
2008):28
億円
ラスパイレス指数 (
2008) :90.8(岐阜県市町 村 94.
4)
人口千人あたり戦員数 (
2008):
6.
40人 (岐阜県市町村 7.98人)
職員数 (
平成 22年 度):157名
日身雇用職員・ 110
名 (うち 社会 保 険 加 入 者 :34
名)
予算規模 (
平 成 22
年度当初): 般 会 計61
億 円、特別会計 90
億円
特産品 富 有 柿、バラ 苗
大野町の専門職員数(平成 22年度現在)
図表 2
(
単 位 人)
種別
①
②
③
④
⑤
⑤
⑦
③
③
⑬
⑪
⑫
保健師
助産師
有資格者
8
8
O
O
栄養士
保育士
司書
学芸員
土木技師 (
土木学科卒)
建築技師 (
建築学科卒)
農林水産技師
社会教育主事
関係課への配属
2
1
3
3
15
3
O
5
1
21
O
1
10
O
O
O
介護福祉士
社会福祉士
※介護福祉 士 ・ 社会福祉士所持者は、同 一職員である 。
(
I
:
H所)総務省 『国勢捌査j、岐阜県 『
人口動態統計調査j
、
岐阜県 『
市町村財政比較分析表(王
F
成2
0年度普通 会計決算)J
人間文化・ 3
9
平成の市町村合併についての検証合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例から
立'性の強化の観点について、常にその自己チェック
を;怠らない努力が求められよう 。
広域的なまちづくりは、広域行政に限ったことで
と、町単独の事業 は見あたらない。
その背景には、財政的な問題もさることながら、
新規で独自の事業 をやっていくだけの職員の不足、
はない。他にも例えば産業、観光分野や公共交通分
特に専門職の不足がある 。 この職員不足の問題につ
野も想定される 。
いては、次の項目で詳述する 。
大野町では、前述のとおり、これといった観光拠
したがって、近隣市町と横並び、の政策を行ってい
点がない。 しかし、観光地になりうる史跡をはじ
るのであれば、合併しでも同じ効果であったといえ
め、地域資源は数多くある 。温泉もある 。 しかし、
るし、合併しなかったことによって職員の不足が、
大野町単独で、は孤立した点でしかない。北に隣接す
新規事業を阻害しているのであれば、合併が必要で
る揖斐川町には、全国的に有名な徳山夕、ムや多くの
あったということになろう 。
温泉、歴史ある寺社仏閣が数多く存在する 。そうし
た近隣市町の観光地と大野町の観光地をル ー ト化す
れば、大野町の地域資源も活きてくると考えられる
が現在のところそうした連携はない。
また、特産品である富有柿は、東に隣接する本巣
市も産地であり、パラ (
花芥)も西の神戸町が産地
であるが、こうした産業分野においても、現在のと
ころ、連携はとられていない。
また、公共交通分野でも、前述のとおり、大野町
には鉄道がない。 しかし、隣の揖斐川町、池田町、
本巣市には鉄道が走っている 。 もし、大野町が合併
(
3
)
地方分権による市町村の役割の変化への対応
ここでは、 二つの側面があり、 一つは町として、
広域連携などの対応に関する部分ともう一つは、町
内部の問題として、職員の能力・ 専門性の向上及び
組織 ・機構の見直しに関する問題である 。
広域連携については先に述べたので、ここでは職
員の能力 ・専 門性の向上及び組織・機構の見直しに
ついて検証したい。
はじめに専門職員 の充足状況であるが、大野町で
は、技術職員という採用区分がない。有資格者はい
していれば、たとえ大野町地区に鉄道がなくとも、
るものの、 一般事務職としての採用であり、職員
そうした他の地区の鉄道へのアクセスを考えること
は、専門分野以外にも、オールラウンドに事務をこ
ができる 。現在、大野町では、代替手段として民間
なすことが求められ、辞令一つでいかなる部署にも
の路線パス、そして町単独で H
I
Jの中央にあるパスセ
行かなくてはならない。
ンタ ーへのデマンドタク シ一事業を行っているが、
一応、本人のスキルに応じた人事が考慮されてい
将来的には、民間路線パスの撤退の可能性もあり、
るが、時によっては、その部署に必嬰な有資格者が
そうなると 、多額の費用を要する自主遂行パスの導
まったくおらず、まったく関係のない部署に分散し
入も検討しなくてはならないであろう 。
ている例も見受けられる 。
このように、大野町では、 合併す れば可能であ っ
た広域的なまちづくりは、合併しなかったことによ
り実現できていないというのが実情であり、それら
の課題に対しでも対応できているとは言い難い。
また、たとえ、有資格者がいても、実務に従事し
ていなければ、必要な能力は育成されない。大野町
の場合も例えば、文化財保護事務は、県からの派遣
教員によって、ょうやくカバーしているという状況
である 。 (図表 2)
(
2
)
少子・高齢社会到来への対応
大野町では、町単独の医療政策として、中学生ま
での医療費無料化、子宮頚がんワクチンなど 5種類
の予防接種にかかる助成制度などがあり、子育て支
援、教育政策の分野でも町単独で指導者等を増員
し、放課後児童クラブの充実、少人数教育、特別支
援教育の充実などに力を入れている 。
しかし、医療費助成などは、近隣市町のほとんど
で実施されていることであり、横並びと 言 っても過
言 ではない。高齢福祉政策や障害福祉政策となる
40 ・人間文化
次に、能力向上のための研修状況であるが、大野
町でも他の市町村と同様、市町村職員研修所 (
市町
村アカデミー )の研修を中心に、 l
殿場の内外で職員
研修を実施している 。
そして、社会教育主事など資格取得に必要な長期
の研修にも職員を派遣したりしている 。
しかし、前述のとおり、せっかく資格を取得しで
も、その資格が必要な部署に配属されていなければ
意味がない。
大野町では驚いたことに、人事意向調査がなく、
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例かうー
本人の適性や意向も 把握されていない。 これらは職
織・機構も見直されてない。合併を機に新市 1町では
員の能力向上の問題だけでなく人事のあり方に問題
組織・機構を新しくするのが通常であるが、合併し
があるといえよう 。
次に 組織・機権改革であるが、大野町は、少ない
なかった町村は;、自己改革により、組織・機構を見
直していくほかない。
職員数で事務をこなすために、職員一人で多くの事
務分掌 を所管 しており、それに比例して、謀の数も
責任者である管理職も少ない。 このことが弊害 に
なっているケースが多く見受けられる 。
総務部を例にとってみよう 。総務部は総務広報
謀、企国財政謀、税務課からなる 。税務諜は別にし
て、総務広報課や企画財政課には、非常に無理のあ
る事務分掌 となっている 。
総務広報課では、町長の秘書業務、庶務から職員
の人事、福利厚生、広報、管財、入札・契約、選
挙、生活安全防災、法令関係、男女共同参画など多
(
4
)
厳しい財政状況への対応
これも 二つの側面がある 。一つは、 徹底した行財
政改革・健全な行財政運営であり、もう 一つは、 住
民との連帯による行財政運営・地域活性化である 。
はじめに、 徹底した行財政改革・健全な行財政運
営であるが、大野町の財政指標をみていくと、大野
田
]は極めて健全財政だということができる 。 このこ
とが合併時においても単独を選んだ一つの要因と
なった。
主要指標である財政力指数は、平成 2
0年度決算
岐にわた って事務を所管している 。 しかも、それぞ
で0
.
6
9(岐阜県下 4
2市町村中、良い方から
れほとんどが一人係長状態である 。
9
.
0(同様に 6位 )、実 質公債費比
経常収支比率 は 7
最も危ういのが危機管理部門の脆弱さである 。防
災担 当は 11
,
であり、これで何か災害が起きたとき
1
8位)、
率は 6
.
4(
同様に 4位)である 。基金残高は 2
8億円余
(同様に 2
4位)である 。
には約 2万 4千人の 1町民を守ることが出来るのか甚
0
.
8(低い方から
しかも、ラスパイレス指数は 9
だ心許ない。 また行政暴力などに対する危機管理体
位)、住民一人当たり職員数は 5
.
3人(同様に 1
0位)
制もほとんど取られていない。
次に、企画財政課であるが、そもそも企画部門と
財政部門が一緒になっていること自体に無理があ
1
5
であり、少ない給与 と少ない職員数で頑張 っている
姿が浮かひ¥
上がる 。
そのような状況下にもかかわらず、国が平成 1
7
る。合併の効果の一つには、企画部門の設置が挙げ
年に全国に指導した 「地方公共団体における行政改
られていた 。専 門職員の充実もそうであるが、専門
革の推進のた めの新たな指針 J(
新地方行革指針)
職員は、例えば保健師が倍増しでも、対象人口も倍
により、大野町でも、さらなる行財政改革が進めら
!
脅するわけなので、極端な効果はないにしても、企
れた 。(図表 4)
画部門だけは、それだけ、充実することができる 。
そういう観点からすると企画部門の充実 こそ、 一
代表的なものとしては、職員数の削減 (
H1
7
1
6
1人→ H22:1
5
7人)、議員数の削減 (H1
1:1
5人
番の合併の効果かもしれないが、合併しなか った大
→ H1
7
:1
0人)、収入役の廃止:H1
7、副 l
町長廃止,
野町では、企画係は 2名しかおらず、しかも 実態
H2
1、町民センターへの指定管理者制度の導入 (
H
1
8
)
、公立保育 園の民営化 (
H2
1-)などである 。
は
、 土地開発許可、情報基盤整備、統計調査、公共
交通などに追われ、 真 の意味での企画的な仕事をす
他にも、給与手当 の削減、施設等維持費の見直 し
、
る余地はない。
補助金等の整理合理化、投資的経費の見直し、内部
また、財政係は監査事務局を兼務しているなど、
非常に無迎のある兼務となっている 。本来、予算を
立てるところと、監視をする部門が一緒であること
管理経費の見直し、 一般行政経費の削減、イベント
の縮小などが行われた。
しかし、これらの行財政改革には、弊害 も出てい
は違法とまではいえないが、望ましいことではな
る。人件費がその代表的なものであるが、その内容
い。監査事務局を設置できない小さな町村では、総
の一つが日々 雇用職員の増加である 。人件費を削る
務課か議会事務局に置かれているケースが多い。
ために正職員を削減し、日々雇用職員を増加させた
(
図表 3)
このように、大野町では、専門職員が不足してい
が、日々 雇用職員は、正規の職員でないために、 守
秘義務がある公務員の重要な仕事は任せられない。
ると同時に、│浪られた人材を有効に機能させる組
また専門職員でもないため、専門的な仕事にも従事
人間文化・ 4
1
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例かうー
図表 3 大野町の組織・ 機構
町長
総務部
民生部
産業建設部
総務広報課
二
務{系兼男女共同参画係
広報係
生活安全防災係
管財係
企画財政課
じ二 ご 三
企画係
財政係 (
監査事務局)
税務課
E二 二 二 課税係
徴収係
生活福祉課
E
健康推進課
(
老人福祉セン合一)
I
住民環境課
仁 二 二 二 住民係兼戸籍係
環境係
産業経済課
E二 二 二 農政係
商工観光係兼土地改良係
建設水道課
東海環状企業振課
三
子育て瑚系
社会福祉係
障が い者兼老人福祉係
高齢者四
国保年金係
健康づく り係
三
周地管理係
土木都市計画係
上水道係
下水道推進係
企業振興係
」ーー一一一 東海環状 自動車対策係
(
用地管理係と兼務)
1
会計管理者 一一一一一一 会計課
教育長
教育総務課
給食センタ ー)
」一一一一一 生涯学習課
学校教育係兼庶務係
l
l
生涯学習係兼生涯体育係
生涯学習係 (
文化財担当)
議会事務局
できな い。結局、正職員が、残業 して、フ ォロー し
ている ことか ら、正職員の負 担が増えた だけ との指
摘もある 。
また、こ の ように 一見
、 行財政改革 に取 り組 んで
きているものの、本当に職員が廃止
、 縮小 したいと
考えているイベン ト等の廃止、縮小 は不充分との指
摘もある 。 こ う したイ ベン トの開 催あ るいは廃止
は
、 首長の リー ダー シップに 関わると ころが多い。
関係団体 とのしがらみから、なかなか行事を廃止す
ること が できずに続 けている 例もみ られ る こ とか
ら
、 首長に は現実の財政を見据え た政治的判 断が求
められる 。
さらに、 この大野町 にお ける財政の健全性には、
大きな 問題点が潜んで、いる 。その最大のものは公共
施設の老朽化 に伴う将来負担である 。大野町 はいわ
ゆるハ コモ ノは極めて少ない自治体 であるが、それ
でも、役場庁 舎、総合 同
]民センタ 一、 6地区公民
館、老人福祉セ ンタ 一、給食セ ンター、 児童館
、 6
42 ・人間文化
図表 4 大野町の行財政改革
(
主 なもの〉
.職員数の削減 (
H12:167人→ H22:157人)
.議員数の削減。 (
H11 :15人→ H17・10人)
・収入役の廃止 H17
.l
i
l
J
l
町長の廃止 H21
・指定管理者制度の導入 総合町民セ ン空- H18 .公立保育園の民営化 :東保育園 H21く
その他〉
・人件費削減 給与等削減、給与手当削減
・組織の統廃合 部謀制導入
・民間 委託による事務事業費削減 電話交換業務外部委
託
、 町公用車運転業務一部委託
・施設等維持費見直し 公園、公民館等委託半│
委託料削減、
シルバ一人材センターの活用による委託経費削減
・補助 金等整理合理化 各種団体負担金、補助 金削減、
0%削減
補助金一律 1
-投資的経費の見直し 事業選定による 削減
・内音1
1
管理経費の見直し 旅費支出基準見直し (
大垣、岐
阜圏減廃止)、一般行政経費 (
消耗品、電気料等)削減
・その他事務事業 の繋理合理化 恒例イベン トの縮小に
よる経費削減
認証取得、 6
9歳老人医療費助成事
・その他 IS014001
業対象者変更による福祉医療費縮小、 財政状況及 びバ
ランスシ ート公表
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例かうー
小 学校、 2中学校、
図表 5 大野町の公共施設と建設年
3公 立 保 育 園 、 体 育 館 、 武 道
公共施設名
館、上水道などがある 。 (図表 5)
これらの公共施設は、役場庁舎をはじめとして、
ほ とんどが昭和 5
0年 代 につくられ た ものであり、
築3
0年 あ ま り を 経 て 、 い た る と こ ろ で 老 朽化 が 進
んでいる 。 このような公共施設については、近い将
来のうちに建 て替えが必要になってくる 。
その際には、 例 えば小学校や保育園などは、来る
少 子化 時 代 を 見 据 え れ ば 統 廃 合 の 決 断 も 求 め ら れ
る。合併による 一つの効果は、こうした公共施設の
統廃合、重複投資の解消 にもあったが、大野町では
①
②
③
@
⑤
⑤
⑦
③
⑨
⑬
役場庁舎
総合町民セ ン
ヲ
6地区公民館
老人福祉セ ン
合一
給食センヲー
児童館
6小学校 ・2中学校
3公立保育園
体育館
武道館
上水道
o
建設年
S.56
H. 6
S
. 43~H. 6
S.57
S.60
S.54
S.46~ S . 62
S.49~S. 54
S.49
S.53
S.47 ~
6地 区
位置づけられ、行政と持ちつ持たれつの関係が成り
6つの村が合併し
立っている 。 この区長会 ・広報委員会は 、暗黙に強
た時の名残であり、いまだに古い縄張り意識が存在
力な政治的力を持つ 。 町議会議員でさえ、 この区長
することも統廃合の障害とな っている 。
たちの支持なしには当選できないといわ れている 。
そうした作業も先送りとなっている 。 また、
ごとの公民館 は昭和 の合併の時に
公共インフラの中でも 一番古いのが上水道で、昭
こうしたシステムは、行政と持ちつ持 たれつの関
和4
7年に敷設さ れたのが町全体の約半分を占める 。
係で、今まで有意義に機能してきた面もあるが、し
至 る所で水道管の破裂や漏水が起きており、これら
かし、弊害にもなっている面も否定できない。例え
を敷設替えしていくと 3
0億円ほどかかるという 。
ば、行政といえども、この人たちの顔色を窺わなけ
0億 円 程 度 の 基 金 残 高 は ー
そうなれば、 たかだか 3
れば政策を 実行できない場面があったり、新たに適
気に吹っ飛んでしまうのである 。
正な住民負担を求めるような ことも容易で、はない。
このように、大野町の財政は、健全といえども、
また、ベッドタウン 化 により 、新住民が増えたにも
地方交付税など歳入の減少や、近い 将来に予定さ れ
関わらず、 こうした区長の多くは古くからの住民で
る負担を考慮すれば、決して安心 していられないこ
あり、新住民の意見を必ずしも反映していないので
とが分かる 。
はないかという批判 もある 。
次に、 住民との連帯による行財政運営・地域活性
化 である 。
こうした古い風土を 打破する ためにも、合併 とい
うのは一つの機会になったと恩われるが大野町 は合
合併した市町村では、合併を機に住民主体の新し
{
井をしなか ったために、いまだに、このシステムを
い地 域 づ く り へ の 取 り 組 み が 見 ら れ る と の 指 摘 が
変更することはできていない。昨今では、住民自治
あった。 また、 「新しい公共」 の社会の必要性が叫
基本条例 などを 制定する市 町村 も増えている 。 また
ばれる今日、合併の有無にかかわらず、市民活動の
NPOの認可事務も権限委譲により県から 町へ移譲
活性化 はどこの自治体にとっても 重要 な諜題である 。
することも可能となっている 。 これらの新しいツ ー
大
l
J
!
J
'
I
Jでは、平成 1
7年に先の行財政改革の取り
ルを用いて、市民活動を盛んにし、住民との連帯に
組みの中で住民との協働の必要性が指摘され、それ
よる地域づくりを促進していくことが求められてい
に伴い、公募の住民等 からなる 「まちづくり推進協
る。
0年の提言 を最後に、
議会」が設立されたが、平成 2
活動は休止したままである 。
大野町の課題の 一つ は、こうした市民活動が盛ん
で、ない点にある 。 NPO法人も 3法人しかない。
こうした風土の背景の一つには、 古くから存在す
N 考察
1 報 告書 にみるこれからの町村のあり方
本章では、前章までみてきた事例を踏 まえて、こ
れか らの 町村のあり方について考察し たい。 はじめ
る区長会(自治会長 )、 そ し て 、 そ の 区 長 会 と 表 裏
に、前出の各報告書にお ける、 今後の基礎自治体の
一体とな った広報委 員 会 制 度がある 。つ まり、大
あり方について、みておこう 。
1
0
'
には 4
8区 長 が 存 在 す る が 、 こ の 人 た ち が 行 政
野1
からの依頼ごとを請け負う場合には広報委 員 として
総務省の
r
w
平 成 の合併 j について J(
2
0
1
0年 3
月)においては、最後に 「これからの 基礎自治体の
人間文化・
4
3
平成の市町村合併についての検証一合併しはかった岐阜県揖斐郡大野町の事例かう
展望 j として、大きく
3点の必要性について言及し
ている 。
(
3
)
住民自治の拡充 行政と住民の連南による地域づ
くり
一つは、これま でのような合併を中心とした対応
行政と住民の距離が近いことを活かし、住民自治
で は な し 市町村の多様性を前提にして、それぞれ
の拡充、行政と 住民の連帯の強化 を通じて、地域運
の市町村が自らの置かれた現状や今後の動向を踏ま
営力の向上に努めているとの声があった。特に、行
えた上で、課題に適切 に対処できるようにする必要
政と住民がともに地域諜題を採り、解決策を検討す
性である 。
る場を設定する取り組みが盛んに行われている 。 ま
具体的には、 市町村合併による行財政基盤の強化
のほか、共同処理方式による 周辺市町村聞 での広域
連携や都道府県による補完などの多様な選択肢が想
た、あえて合併をしないという選択をするなかで、
行政と住民の間に危機感が共有され、連帯が強く
なったとの声も多い。
定されている 。
二つ目は、これまでのような 地域 における住民
サービスを行政だけが支える仕組みは根本的に見直
していく必要性である 。
具体的には、地域にあるコミュニティ組織、
NP
O、住民、企業の力を結集し、行政が地域と協働を
進めることによって、 地域で必要となるサービスを
地域全体で支えていく仕組み作りである 。
(
4
)
地域特性を活かした産業育成
自らの地理的環境、地域資源を踏まえつつ、これ
ら地域特性を活かした経済活性化を目指していると
の声があった。農林水産業を基盤とした地域が多い
が、これを加工・販売・流通を含めた 6次産業化す
ることで、産業育成を図ろうとしているような例が
みられる 。
三つめは、 地域を支える多種多様な人材の育成・
確保である 。現実に住民サ ービスを提供する市 町村
また、同報告書では、 「
今後の市町村の課題」と
としての行政運営のパフォーマンスは、基礎的条件
して、合併市町村 については、大きく 2点を挙げて
としての職員の体制と職員のモチベーション、そし
いる 。一つは、 財政計画との大幅な悉離であり、も
て職場の組織風土の良さなどによって決まる 。 ま
う一つは、 行政と住民の関係の希薄化である 。
a
た、地域をマネジメン トできる人材育成は官民を問
わず力を入れていくべきと指摘されている 。
財政問題に関しては、 「
駆け込み事業」 に象徴さ
れる財政規律の低下については市町村側 で対応すべ
き問題であるが、要因の大部分は地方交付税制度を
次に全国町村会・道州制と町村に関する研究会に
r
r
よる
平成の合併 j をめぐる実態と評価 J(
2008
年1
0月)をみると、「合併を選択しなか った 町村の
方向性」として、次の 4点を示している 。
はじめとした国の財政制度の不透明性からくるもの
であり、合併を推進した国が責任ある対応をとる必
要があるとしている 。
また、行政と住民の関係の希薄化への対応につい
ては、合併を選択しなかった町村で維持されている
(
1
)
健全な財政運営の実現
単独での行政運営には、健全な財政運営が不可欠
であることは、すべての町村が強く意識していた 。
いずれの町村も、健全な財政運営の実現に向けて、
行財政効率化に向けた真剣な取り組みを行っている 。
(
2
)
行政・職員の意識改革
町村 だからこそ、役場の役割が重要に
小規模な l
なってくるとして、行政・職員の意識改革を図って
いる 。実際に、合併しないことを選択して以来、地
域経営に対する責任感から、職員の士気が向上して
きたとの指摘があった。
「地域共同社会 Jを合併後の市町村においていかに
実現するかが課題としている 。
一方、 合併を選択しなか った市町村 に対しては、
正当な評価を加える必要があるとして、以下の 3点
を挙げている 。一つは、 市町村の行財政運営能力を
既存の財政的基準だけで判断、評価しないことであ
る。二つは、 市町村規模 カ
f大なるを良しとする姿勢
を改めることである 。三つは、広域行政制度の再評
価 である 。
最後に
r
r
平成の合併j の終わりと町村のこれか
らJ(
2
010年 4月)における 「都道府県 による 新た
な補完の仕組み」 と 「道州制 j に関するアンケート
44 ・人間文化
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例から-
結果をみておこう 。
導・助言する 能力は著 しく低下している 。そして、
まず、「都道府県による新たな補完の仕組み」 に
たとえば極端な話、 一つ の自治体の事情だけに対応
ついては、 83
.4 %の町村が、小規模市町村の補完を
するために、十旦当部署を F
主しておくことは県にとっ
都道府県の新たな役割と考えている 。ただ、町村が
ても大変な非効率である 。
行わなくなる事務は法制上すべての都道府県に新た
こうした観点からすれば、国は、目標とする基礎
に義務づ けることとなる都道府県の基礎自治体化
自治体の適正な規模と権限を示し、合併 を推進すべ
は、都道府県の性格を陵昧にする可能性が強い。 し
きであると考える 。国土も狭い我が国では、あるま
たがって、この問題については、市町村と都道府県
ちでは可能な事務が│努のまちではできないといった
の関係及び都道府県の性格について改めて議論が必
多様性を国民は志向していないと考える 。
要である と指摘している 。その際、 町村を背後から
関連して、道州制について は、多くの町村が消極
サポートする 「支援」 と町村に代わ って事務を処理
的であるとの指摘があ ったが、道州制 であろうと 二
する「補完」 とを区別する必要性も指摘している 。
層制であろうと、基礎自治体が強くなることが求め
次に、 「道州 制 Jに関する回答結果としては、コ
られている 。
メン トを求める 質問であ ったが、最も多いのが「道
国や県でしか担うことの出来ない分野を除いて、
(
36.7%)で
、 「強く否定
」
州制 の導入に消極的な意見J
ただ I
U
]
・村で担うことが大変だという理由で、そうい
(
2
6
.
4%)がこれに続き、両者を併せると、全体の約
6割を超えている 。 あと 「中立的な意見 j は 2剖
あれば、合併して担えるだけの規模や質にする必要
で、「道州制 の導入を強く主張するもの」及び「肯
定的な意見」 は l制であ った 。
l
I
I
T
村では、道州、│制に対し て否定的な見解を持って
いるところが多いことが明白な結果となっている 。
う分野は補完という形で小 さな規模を維持するので
があろう 。
二つめに、 財政上の問題 である 。多くの自治体
が、将来の財政不安から合併に踏み切った 。逆に、
単独でもやっ ていけるという理由か ら合併 しなか っ
た自治体もある 。
2 市町村合併の問題点と今後の町村のあり方につ
いて
以上、各報告書の指摘を踏まえ、平成の市町村 合
しかし、我が国の財政状況が危機的な状況にある
のは明白で、地方交付税も減り続けているのが現実
である 。
(
注 21単独を選んだ自治体は、現在の状況だ
併の問題点と今後の町村のあり方について考察した
けをみて、健全と主張する が、我が国の自治体で、
、。
し
地方交付税に頼らない団体は全体の 4 %程度しかな
いのが現状である 。 lil'31
視点は 3点ある 。一 つは適正な規模の問題であ
る。二つめに、財政の 問題である 。そして最後に、
地域共同社会の問題である 。
はじめに、 適正な規模の問題であるが、今回の合
しかし、合併しなか った町村に も言い分はある 。
今まで、健全に質素にや ってきた自治体と隣で放漫経
営をしてきた白治体が、ある日一緒にな れと 言わ れ
併では、巨大な面積を持つ市から、過疎の村まで極
でもそれは納得がいかないのが当然で、ある 。 した
端な規模の市 町村 を現出する結果となった 。 それ
がって、財政状況が悪い自治体が合併する際には何
は、今回の平成の大合併は、明治や昭和の大合併と
らかのペナルティーを謀す ことも必要であろ うし、
追い、目標とする基礎自治体の標準規模を示さず、
合併の形をあくまで自治体の任意で、あると強調した
健全な努力をしている自治体が報われるような地方
ためである 。 l
i
t1)
その結果、多様な自治体のかたち
関連して、効率性重視の考え方にも問題がある 。
と権能の格差 を認めることになった。そのため次善
合併の効果として、代表的なものに職員数の削減な
財政制度の構築が必要である 。
の策として、県による補完や定住自立圏といったよ
どのコス ト削減が大きく挙げられるが、必要な職員
うな小規模町村 を補う方策が示されることになり、
数まで削減されている現状がある 。
今後も、そういう方向性でいくと報告書 にある 。
必要な行政コストは維持されなければならない。
これは、果たして国が目指した効率性の観点から
人件費をはじめとするコス ト削 減ばかりを良しとす
も適切なのであろうか。県が補完するにしても、地
る風潮は改めるべきである 。そもそも行政は民間企
方分権時代になり、かつてのように県が市町村を指
業ではない。不採算部門だからこそ公共が担ってい
人間文化・
4
5
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜,
明言斐郡大野町の事例かうー
る部門が多くある 。無駄を省く こと と、必要なコス
ていくため、 人 口規模 8
.
0
0
0人を標準として 町村
トを 削減する ことを混同しではならない。正職員を
の合併が推進されたが、平成の大合併は地方分権
減らして、その分を日々雇用職員でまかなうような
の推進等のなかで、与党の 「
市町村合併後の自治
目先だけの合理化 は行政職員の 能力の低下と住民
体数を 1
.
0
0
0を目標とする Jという目標だけが示
サービスの低下をまねき、ひいては、住民にとって
され、標準規模は示されなかった。
重要な ライフラインやセ ー フテイネッ トの維持さえ
も危ぶまれる事態になりかねないことに国はもっと
留意すべきである 。
三つめに地域共同社会の問題である 。合併したこ
とにより、 地域共 同社会が弱体化 したとの指摘があ
2 地方交付税の減少…国の地方交付税の総額は、
2年度には 21
.4兆円だったものが平成 21年
平成 1
度には 1
5
.
8兆 円 に ま で 減 少 し 、 同 様 に 大 野 町 で
は
、 2
1
億円だったものが 1
2億 円にまで減少して
いる 。
るが、 地域共同社会の弱体化 は、合併の有無によら
3 普通交付税の不交付団体…不交付 団体とは地方
ず、我が国の現代社 会 の 抱 え る 普 遍 的 な 問 題 で あ
交付税のうち普通交付税の交付 を受けない地方自
る。 そして、「新しい公共 Jに象徴されるように、
治体のこと 。 国税の一定割合を原資とする地方交
これからの社会は、もはや行政だけで維持できるも
付税は、全国の地方自治体が一定の行政サ ー ビス
のではない。
水準を維持するため 、税収が少なく財政的に余裕
合併を機に新たな住民自治や協働 のシステムが構
のない地方自治体に配分されるが、 一定の基準を
築されることもある 。合併をしようとしまいとこの
満たした財政的に豊かな地方自治体には、普通交
問題に取り組んで、いく必要がある 。
2年度の不交付団体
付税は交付されない。平成 2
また、 地域の歴史や文化 に関しては、それらを保
は1
7
2
7市町村 中わずかに 7
4市町村 しかない。
存、継承していく努力がな ければ風化 し、やがては
消滅してしまう恐れがある 。燈史や文化 を失っては
[参考文献1
HW
平成の合併j について」
地域の顔や心を失うと同じである 。 自治体は、採算
1
. 総務省 (
2
0
1
0年
性や効率性だけにこだわらずに、歴史や文化を守っ
2
. 全 国 町 村 会 ・ 道 州 制と 町村 に 関 す る 研 究 会
(
2
0
08年 H
W
平成の合併j をめぐる実態と評価 J
3
. 全国 町村会・道 州制と町村に関する研究会
(
2
0
10年 H
W平成の合併j の終わりと 町村のこれ
ていく努力が必要であり、戦略的に観光や産業振興
に結びつけていく ことも重要であろう 。
[
注1
1
. 大合併と標準規模- 明治の大合併では、小学校
から 」
や戸籍の事務処理を 行 うため、 3
0
0-5
0
0戸を標
準として、全国一律に 町村の合併が実施され、 昭
和の大合併 は、中学校 1校を効率的に設置管理し
Comment
久本たき子
大垣女子短期大学
平成の市町村合併の評価については、住民に対し
する話であり、本来、住民も無関心であ ってはなら
て、客観的・合理的な説明がほしいと思う 。道州制
ないはずである 。 しかし、多くの住民にと って、行
や地域主権の問題における固と 地方自治体の関係を
政聞の │
羽係や役所の 内情について知ることは難し
巡る議論は、多くの住民にとって実感の沸く話では
い。住民サ ー ビスに何 か支障を来したときにはじめ
ない。住民にとっては、 「その結果、自分たちの生
て、その深刻さが分かるのである 。
活はどうなるのか」 という近い将来のほうが重要 に
なってくる 。
基礎自治体の現状と将来は、住民サービスに直結
4
6 ・人間文化
横山氏は、現実に、基礎自治体に勤務している立
場として、また国での勤務経験や本籍である県の立
場を踏まえつつ、客観的な評価を試みている 。
平成の市町村合併についての検証一合併しなかった岐阜県揖斐郡大野町の事例かうー
その結巣、氏は、平成の市町村合併が良かったと
も惑かったとも 言 っていないが、合併しなか った基
礎自治体と合併を推進した国、双方に対して厳しい
注文をつけている 。はじめに、合併しなか った基礎
自治体に対しては、合併しなか ったならば、合併し
た基礎自治体に負けないだけの自己改革をしなくて
はならないと指摘している 。次に、国に対しては合
併の進め方に対する批判として大きく 二点を 挙げて
いる 。一つは、基礎自治体の標準規模を示さなか っ
たことに象徴される国の基礎自治体の将来に対する
ビジョンの欠如を指摘し、もう 一つは、効率性重視
に対する危険性を指摘している 。
平成の市町村 合併の評価 は
、 首長や国会議員など
政治家の意見のみで決められるものではなく、そこ
で働 く地方自治体の職員やそこに住む住民たちの意
見がもっと反映されるべきであろう 。地域のあり方
を決めることは国のあり方を決めることに等 しい。
そういう意味で、氏の論文は地方自 治体職員の生
の声 を反映させたものとして評価できょう 。今後も
こうした現場からの発信が多くなされ、地域主権改
革が真 に地方にと って有益なものになることを期待
したい。
人間文化・
4
7
論文
湖東地方における
屋敷畑の機能と形態
小林
力
人間文化学研究科地域文化学専攻博士前期過程
第 1章 序 章
も植えられている 。 また、農業機械はほとんど用い
1 屋敷畑とは
人が定住する場合、家の近くにいくらかの畑を持
つことは、全国にほぼ共通した現象である 。そこで
は日々の生活を豊かにするために、多種多様な作
物が栽培されてきた。 センザイパタ (
ケ)
、サエン
パ、ナジリ、デナブタケ、シャエン、ソノなどと地
域によって呼称は異なるが、本稿では利用者の屋敷
地(
(
)
内や屋敷地に隣接した畑を仮に 「
屋敷畑」 と
呼ぶことにする 。
られず、手作業で耕作をしている 。図 1は東近江市
(
旧能登川町)乙女浜、晩秋の A邸の様子である 。
0種類の作
家の前の限られた空間に、野菜など約 3
物を植えられている 。畑では、ダイコンやカブ、ミ
ズナのような古くから日本料理に使われてきた作物
から、セロリやパセリなど西洋料理に使われる作物
まで植えられている 。作物の成長過程はそれぞれ異
なっている 。たとえば、収穫間際の立派なダイコン
や、最近苗が植えられたばかりのタマネギ。現代の
ここで、滋賀県湖東地方の事例を取り上げ、 屋敷
ハウス栽培のような旬をずらした栽培方法とは異な
畑の特徴を整理したい。滋賀県湖東地方の集落 山
り、ここでは句の物が旬の時期に食べられるように
内を歩いていると、ところどころで屋敷畑を目にす
栽培されている 。 また、畑では作物が栽培されて い
る。屋敷地の中にある小さな畑や、空き地のような
るだけではない。ちょうどこの時期は、畑の悶の日
所にある畑。大抵は小さな畑だが、多種多様な野菜
当たりの良い場所で、収穫されたばかりの ダイコン
が所狭しと植えられている 。 さらによく見ると、野
菜の他にミカンや柿などの果樹や、仏喧に供える花
ことか ら屋敷畑の特徴を次のように整理する 。
とカフーが漬物にされるために干されている 。以上の
図 1 A家屋敷畑作付け(乙女浜)
① ハナミズキ
② シャウナゲ
③マユミ
④ハ yサケ
⑤ オンシュウミカン
⑥ スノーボーJレ
(
アジサイ類)
Gモミジ
③ツyジ
①アゼヒ
⑩ ドウタンYツジ
⑪ ネギ
⑫ ショウス
⑬ キフナ
⑪ パセリ
⑬ サホラン
⑬ カラ
⑪ スイセン
⑬ キリ
⑬ トランベッドノウ
@パラ
⑪ セイジ
⑫ ヲマネギ
⑫ キヤベ‘Y
⑫ ブロッコリ
⑧カブ
⑫ ダイコン
⑫ ジャガイモ
⑩ ホウレンソウ
⑫ セロリ
⑩ ミズナ
⑨ ハクサイ
⑨ アマナ
③ レタス
o
50
S~1/5 , 000
4
8 ・人 間 文化
100(m)
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
① 屋敷畑 は市場原理における経済性を追求しな
いため、簡易な設備、技術で比較的小さい敷
地に多品種で少量ずつ自給用作物を栽培して
いる 。
② 屋敷畑では食卓で必要とする作物、主に野菜
を栽培する他に、果樹や花なども同時~.こ植え
られている o
以上から、屋敷畑が食生活から 宗教儀礼 まで家庭
Hこ広く関わる農業空間で、 屋敷地において
の諸分!Jl
重要な空 間だとわかる 。 したが って屋敷:
J
:
H
/を研究す
ることで、マイナ ー・サ ヲ守システンスと呼ばれる市
写真 1 集落周縁のノラ畑(彦根市甘巴町)
場に表われない副次的な生業の実態を 明 らかにでき
ると考えられる 。 また、屋敷畑 は近年耕作者の高齢
た。そして現在の経済合理的な考え方によって衰退
化等が原因で滅少しているため、現在詳細な調査を
した日本の農業 において、屋敷畑は意義ある存在で
する必要がある 。
あると 評価している 。 また、宮本らの指摘した屋敷
畑の個人所有の意識が強い性質については、食を通
2 先行研究の整理と問題の所在
Iに関する研究は少ないなが らも 他
これまで屋敷J
:
的となり、個人所有の意識が高められると論じてい
方面からおこなわれてきた。
る 〔安室
柳田│
玉I
!J~ と宮本常ーは 耕作 (所有)者の屋 敷:J:III に
対する所イi
意識について次のように論じている 。
相I
I
I
T
I
は 「
屋敷の前には 田よ り畠地を控えたものが
多く、十j也によっては これ を住宅と不可分のものの
じて生言│
維持と直結する 耕地だからこそ余計に排他
して、
2
0
0
8J
。 これまでの屋敷畑研究の集大成と
r
:
1
1
本民俗大辞典Jで屋敷畑は「 自給月3の野
J と定義された 。
菜などを栽塙する疏菜関I
しかし、先行研究には次のような問題点がある 。
1
9
7
51
4Jと述べて
① 新版点が自給周作物栽培に偏 っている 。
② 屋!欧州1の変化に対する視点が欠如している 。
① 他の '
1
.
=
業や地迎的条件など、周辺環境との│刻
I
"
-歩を強く受ける 一方で、、屋敷剣1
1はi
権力
また、従来の!屋敷畑の定義では、屋敷地から離れ
者との!刻係が希薄なため、作付けに白分の志向を反
た場所であ っても、屋敷何1に含まれていた 。それな
J えて肘り、持地を 虎分する場合にも是だけ
やうに 考
は後回しにする 。J(
柳田・山口
いる 。常本は、年
力者ー
からの
nの対象となる米をつくる凹が権
i
係性について 言及が無い。
映 させやすく、日々の生活に即 した使川をしやす
縁にある自給用作物を栽培
らば、近畿地方の集落)占j
い。 したがって白ずと屋敷州は個人所有の意識が強
する小規模な畑 (
集落胤縁や少し離れたところにあ
くなったと論じている〔宮本
1
9
5
96
2J
。 しかし、
柳田と 宮本は屋敷畑の個人所有の意識が強い ことを
裏付ける 具体的な事例を示せていない。
屋敷士Iの機能を論じた研究もいくつかある 。古家
る
士1
1
1を本稿ではノラ畑 (3IとH
手ぶ)も屋敷畑に 含 まれ
ることになる 。はたして、自給用作物を栽培してい
る畑なら屋敷地から離れた場所でも屋敷刈l
として 一
括りにす るの は妥当 だろうか。柳田が 「
住宅と不可
晴美は
、 屋敷畑の自給用作物の供給源としての機能
分」 と指摘す るように、屋敷畑は他の畑とは異なる
に着目している 。古家は屋敷畑の作付けが多品種の
所有意識及び機能を 具備しているのではないだろう
作物を少量ずつ、少しでも句のものを長 く食べられ
か。そこで、屋敷畑とノラ 畑 を比較することで、両
るように数回に分けて播種 しているころから、経済
f
!
.
平明にできると
者に対する所有認識や機能の違いを !
性の追及よりも家族の腹 を如何 に満たすかという方
考えられる 。
に主眼が置かれている 畑であると分析している〔古
家
1
9
9
3J
。安室知は、マイナ ー ・サブシステンスと
しての屋敷畑の役割に着目し、屋敷畑での労働が他
の農業と異なり、 「遊び」の要素が含まれており、
「
楽しみ」ゃ 「生きがい 」 と深く関わ っているとし
3.研究目的・方法及び調査地
.研究目的
①
自給周作物栽培以外の屋敷畑の機能を明らか
にし、屋敷畑の再定義をおこなう 。
人間文化・
49
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
② 屋 敷畑の機能と形態の廃史的変遷を明らかに
①
他の生業や地理的条件と 屋敷畑の関係性につ
いて明らかにする 。
-研究方法
① 聞き取り調査によって屋敷畑で行われている
どのように異なるかを比較検討する 。
1.平 野 地 の 村 落 東 近 江 市 1
(
日能登川町)種一
行為を自給作物栽培に限定せず幅広く拾い上
(
1
)
村落の概要
旧能登川町種は愛知川左岸の平野地に立地する村
げる 。
落である 。新興住宅地を除く従来からの集落は戸
① 屋敷畑の変遷は聞き取り調査と絵地図、 土地
台帳、統計資料を用いて明らかにする 。
①
第 2章地形と屋敷畑
本章では屋敷畑の形態や利用方法が地形によって
する 。
数1
1
8戸、人口 4
5
2人である 〔能登川町 2
0
0
4)
。集
落内はオ モヤ、インキョ、コヤが比較的近接し て建
ち並び、近畿地方の典型的な集村であると言ってよ
い。種のかつての主要な生業は水田稲作で、集落の
地域性を明らかにするため、平野地、低湿
地、山間地の屋敷畑の形態や利用方法を比較
する 。
周辺には水田が広がっている 。村落領域北側に愛知
・調査地
調査地は、農業、漁業、林業と多様な生業が営
川が流れており、かつてその河原に畑が広がってい
たが、現在は大部分が新興住宅地や工業用地とな っ
まれていることから、滋賀県湖東地方にした。 ま
ている 。
た、低湿地から山間部まで地形が変化に富み、集
mとノラ畑が双方あ
較ができる 。 さらに、屋敷 1
(
2
)
:
朋の形態と利用の変化
昭和 1
5年以前に作製された 『
土地台帳j による
と、畑の面積が多い小字 は七ケ (4)
で3
6
.
8反、次い
り
、 比較可能である 。平野地の村落として東近江
市(
旧能登川町)種、低湿地の村落として東近江
市(
旧能登 川町)乙女浜、山岡地の村務として東
.
7
9反
、 出口 6
.
0
6反、堂ノ辻 5
.
9
3反、北ノ海道 4
.
8
1
道6
反である 。畑は七ケ ・野田 ・野村l前 ・中道・出口の
近江市 (
旧永源寺町)蛭谷で調査をおこなった 。
愛知川沿いと、 村ノ内・ 堂の辻・北ノ海道の集落部
落形態も低湿地と平野部の集村と山間部の散村と
異なり、地形及び集落形態と屋敷畑の関係性が比
で野田 2
6
.
0
6反、村ノ内 1
6
.
8
6反、野村l前 1
1
.
7反、中
〆
図 3 種の畑分布図
c
r
能登川地区民俗調査報告書 m
Jより)
/
へ
一一
均
s
=1/20.000
亨
※網掛け部分は昭和 1
5年以前に作成 された土地台帳に登記された t
l
l
l地のある小字。
50 ・人間文化
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
に大きく分けられる(図 3)。このような 州J
Iの分布
りして利用する 。後者はホシパ、オハナサンパタ
は他の愛知川流域の村落でも見られる 。住民は集落
ケ、ヤシキパタケとも呼ばれ、隣接する家が耕作す
部の対I
1
をジパタケ、愛知川沿いの畑をカワラパタケ
る。稜の畑は一筆あたりの面積が総じて狭いため (5)、
と呼んで区別している 。 さらに、集落部の刈l
は集落
多くの住民が集落音1
)
と愛知川沿い双方に畑を所有す
周縁にある大規模な畑 と、各家の周囲にある小規模
0
0
81
3
8)
。
る 〔
東近江市教育委員会 2
な畑に分けられる 。前者は小字名を冠して、堂の辻
集落 内部の畑は屋敷畑、集落周縁や愛知川沿いの
畑はノラ畑に分類できるが、集落周縁の畑と愛知川
の畑、北ノ海道の 畑 とH
ム
ロ
明
分
図
布
集
畑
部
落
種
図、
司
、
4
沿いの ~III は形態と利用の変遷に大きな違いがあるの
で、ここでは分けて説明する 。
叩噂棚網開伽-卿ち
午
畑の形態と 利用 の変遷は種で長年農業をおこなっ
0年代
てきた B家を中心に見ていく 。 B家は昭和 3
まで屋敷畑 と集落周縁にある 北 ノ海道の畑 にー ヶ所
ずつ、愛知川沿いに 三 ヶ所畑を所有していた。屋敷
畑と北ノ海道の畑は 1-2畝と狭いが、愛知川沿い
の畑の広さは 1-2反と比較的広かった。
・明治期
図 4は字限図を参考に 明治期における集落部の畑
を示したものであるが、当時すでに集洛周縁に大規
模な畑が見られる 。屋敷畑の数は昭和期 や現在と比
べ少ないように見えるが、屋敷畑は野菜を育てる 以
外に籾 干し場としても 使われ、明治}切にも同様の利
用方法があ ったと考えら れる 。 したがっておそらく
屋敷畑の面積が小 さいため宅地として扱われてお
i==d
250(m)
o 50
※ 「
事1
崎郡種村地籍全図 J(
明治 1
8- 2
2
)における知l
の分布。
り
、 実際は 図よりも 多かった と考えられる 。
図 6 種集藩部畑分布図(現在)
種集落部畑分布図(昭和)
日
ぷヨ 同
ト 山 十
JE
3
4
9
i
L
セト
ぺ
γ一
一
一
一
,
IJLJ
'0ユ
.
.
r
'
L
"
'
e
見
1
'
"
o
o
50
,
25O
(m)
※ 「
土地台帳 J(
昭和 1
5
年以前)における畑1
1
の分布。
50
糊匂
250(m).
※平成 1
9
年1
1月2
4日の現地調査における畑の分布図
[国土基本図 J(
昭 和3
7年iP.
j
l
量・昭和 4
2年修正
※ 4-6 '
2
,
5
0
0)をもとに作図。
l
人間文化・ 5
1
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
しくなり食糧増産を強いられるよう になった 。 B家
-大 正期
B家 で は 集 務 部 の 畑 で 自 給 用 の 業 物 野 菜 を 、 カ
でもカワラバタケの桑を伐採しサツマイモを植え
ワ ラ パ タ ケ で 自 給 用 の 根 野 菜 を 栽 培 し て い た (表
た。特に食糧事情が悪かった終戦直後は、根野菜が
1。
) 集落部の知
[
Jは昔屋敷が建っていた所が多いた
適さない屋敷知│や田でも サ ツマイ モやパ レイショを
め、土壌が薄いうえに固く、葉 物 野菜の栽培には適
栽培した 。 しかし、イモは小振りで美味しくなかっ
すが椴野菜栽構には適さない。 ーブ
jカワ ラパタケは
f
こ。
砂地であるため根野菜の栽培に適している 。
・昭和 2
0年代後 半 昭和 4
0年代
昭和 2
0年代 後 半 、 商 品 作 物 の 需 要 が 低 下 し て い
またカワラパタケでは商品作物を盛んに栽培して
いた 。 当時は繊維産業が盛んだった こ とから B家で
くなかで B家も麻とタバ コの生産をやめた 。 また食
も養蚕をおこなっており、蚕のえさとなる桑を植え
糧事情が改善さ れイモ類の供 出が 終了 した 。 さらに
d
l
i
i
なととも商品作物
ていた。その他に麻やタバコ、か'
昭和 2
8年 の 大 雨 で 愛 知 川 の堤防が決壊し、イゴミ
として栽培していた 。屋敷畑でも自給用作物栽培だ
と呼ばれる 上 流 か ら の 土 砂 が カ ワ ラ パ タ ケ を 覆 っ
けでなく、初や麦干し、友の殻を剥く作業がおこな
た。 これが致命傷となり、土の質が良い七ケを残し
われた 。 また急な桑の葉の不足に対応するため桑を
他 の知1
1を耕作放棄したり 工場用 地や宅地 に転用した。
集 落 部 の 畑 をみると、 B家 は 昭和 2
8年のオモヤ
数本栽培していた 。
•I
I
R和初期 - 20年 代 前 半
の建替え!時に 一時的に屋敷畑 が使えなくなるので向
│
昭 和 恐 慌 の 時 に 、 多 く の 家 が 疲 弊 し 極 を 離村 し
いの空家を潰して 畑 にした 。 その一角 にコヤを建て
た。加えて極は愛知川の堤防が決壊しやすく洪水が
て 豆 や 麦 の 調 整 を お こ な っ た 。 さらに1
1
M和 3
0年 代
多かったため、他の村 落に比べて多くの離村者を出
に籾干しが機械 化 され、籾の広げ干しをやめた 。そ
した 。 その時集落に多くの空き 地ができた 。 隣接地
0年 代 後 半 、 残 っ て い た 屋 敷畑 を潰して
して昭和 3
に住む者は、空き地に 草が生えると │
村るのでそこを
隠居を建てた 。屋敷畑に続いて北ノ海道の畑も放棄
畑にした 。結果この時期集落内に畑が増加した (
図
しようと考えたが、草をはやすと隣接する他家の畑
5。
)
に迷惑を掛けるので、新興住宅地の住民に貸し出し
H
日和 1
0年 代 、 養 蚕 が 斜 │
場となる一方で、戦争が激
場所
広さ (
I
I
H和
2
5年頃)
大正
ジノ、タケ
屋敷隣接地
屋敷内
2
i
,
7
i
i
1畝ちょっと
築物・桑・
籾干し・物
た。
表 1 B家の耕地の矯成と利用の変遷
北海道の畑
自
カ ンデン) 水田 (ジルタ) 畦畔
集落周縁部 水田 (
1畝
5反
築物
米小麦大変・
米菜種
菜種 ・タバコ
置 ..
J
良作業
l町 3反
カワフノ〈タケ
七ケ
出口
野神前
、 畑地 8畝
、
畑地 2反
畑地 2反
竹林 4反
山林 5反
桑 ・根菜 ・
林 ・タ
大豆 ・
桑・麻・タ 桑.!
小豆 麻-タバコ ー パコ ・渋柿 パコ ・渋柿
渋柿・竹
' '
昭和冗年
昭和1
1
0年
昭和 2
0年
申
桑 → 薩摩
桑 → 薩 摩 桑 → 薩摩
芋 ・麻・タ
芋 ・麻 ・タ 芋 ・麻・タ
バコ・渋柿
パコ ・渋柿 パコ・渋柿
竹
禁物馬鈴
警・粉干し・
2
2作
物
[
丘 ・J
薬物 ・馬鈴 米・小麦・大麦 ・
菜種・馬鈴薯
望
号
業
昭和 2
8
年
家地改築
昭和 3
0
年
0
年
昭和 4
昭和 5
0
年
初J
干し
庭木・花
昭和 6
0年
平成 1
0年
平成 2
0
年
52 ・人間文化
薬物
築物
申
貸出
米・
小麦・大変・
菜種 l
v
米-麦
貸出
薩摩芋 ・
麻
・ 薩摩芋麻・ 薩摩芋・麻
タバコ ・渋 タバコ・渋 タバコ ・渋
柿
柿 ・竹
柿
洪水
洪水
洪水
根菜・竹
板菜
放棄
工場
宅地
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
① 集落内に小規模の屋敷畑があり、集落周縁と
0に区割りされた大規
カワラパタケに 2、3
がある 。
模な知l
② どの畑も 一筆当たりは小規模なため、集落部
(
2
)
畑の形態と利用の変遷
図 7)を見ると
まず畑の分布だが、現在の地区1(
乙女浜の畑は屋敷地内または隣接地にある畑!と、集
落の周縁にある数十に区割りされた畑の 2種類に分
けられる 。前者をハタケ、ヤシキ、カド (カイド)
ノハタケと │
呼び、後者のうち集落の中心を通る大き
な道路より西側にある畑をニシラノハタケ、東側に
ある畑をヒガシラノハタケと呼ぶ。 なお本稿では前
者を屋敷畑、後者をノラ 畑 とする 。
双方の畑とも明治時代から現在まで一貫して存在
するが、位置や形態には明らかな変化がある 。かつ
てノラ畑は水田の中に散在していた 。それも水田を
と愛知川沿い双方に畑を所有している住民が
凌駕するほどの面積があった。 明治 1
3年に刊行さ
多い。
れた 『
滋賀県物産誌』 によると、 「田地一一 I
I
I
T九反
-昭和1
5
0年代 現在
B家は現在でも家の向かいにある r
lで主に葉物野
菜を栽培し、カワラパタケで根菜を栽培している 。
しかし現在集落内には耕作放棄された屋敷畑が多
数ある 。ただ草が茂る所の他 に、ゴミ捨て場や駐車
。
場となっている所もある(図 6)
以上のことから 、平野地に所在する種における畑
の特徴を次のように整理する 。
① 畑によって形態の変化はそれぞれ異なる 。屋
r
④
四畝一八歩、畑地二一 町三反一畝二四歩 J(
滋賀県
Iの位 f
置は民家の建替えや転居に伴う空き
数 l
地の発生などで流動的で、ある 。集落周縁の畑│
9
6
24
71)と、畑が回の
市町村沿革編さん委員会 1
明治時代から現在に至る まで位置、規模と
はi
豊富にあ つたが、土地に高低差が無いためなかなか
0年以降の商品作
もほぼ変化 がない。昭和 2
水が流れず、水田に水が入りにくかった。そこで水
物の衰退と洪水がきっかけでカワラパタケは
r
J
[r,に縮小している 。
大I
の入りにくい凹を畑として利用していたのである 。
二倍もあった ことがわかる 。乙女 浜
j兵は低 i
湿毘地で
しかし昭和 3
8年前後の土地改良によ って 水の便が
r
lIlは場所によって用途が異なる 。集落部の畑
良くなり、水田の面積は飛躍的に増え、その分畑は
では自給用の葉物野菜を栽培し、 H
首
相1
3
0年
縮小した。 ノラ刈l
は集落の周縁にまとめられ、住民
代まで穀物の調整作業をおこなっていた。 カ
が区割りして使い始めた。一方屋敷畑は、種とは違
ワラパタケでは自給用の根野菜を栽培する
い戦前から 全 く無い家が多く有った。有ったとして
他、昭和 2
0年代まで商品作物を峰んに栽培
していた 。
図 7 乙女浜畑分布図
2 低湿地の村落 東近江市(旧能登川町)乙女浜
を例に
(
1
)
村落の概要
旧能登川町乙女浜は伊庭内湖畔 (
大中の湖)に立
地する 戸数 1
5
0戸、人口 6
2
7人の村落である 〔
能登
川町 2
0
0
4)
。集落内は家と家との距離が非常に近
く、近畿地方の典型的な集村といえる 。乙女浜のか
つての主要な生業は稲作で、集落の周囲には水田が
広がっている 。 また農業の傍ら村落領域南側にある
伊庭内初!などで漁業もおこなう 。かつて乙女浜は低
温地帯の特徴を色濃く残す村落だ、 った。 カワやホリ
と呼ばれる水路が村ー落内を縦横に巡り、 家 と水田そ
して内 i~)J を結んで、いた 。 住民は家で所有している悶
舟を使い水田や内湖へ働きにいった。 また内湖から
離れた田を除き乙女浜の田の大半はドロ夕、ジルタ
と呼ばれる湿田だった。
※「国土基本図」 を原図に 「ゼンリン住宅地図 2
0
0
8年」 をも
とに作図。
人間文化・ 5
3
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
図8 A家屋敷図(昭和 30年頃)
も大変狭く、籾干しさえままならないくらいだっ
た。土地改良後水路が道路になり移動や運搬がしや
すくなってノラ畑の利便性は向上した。 したがって
住宅が密集し日当たりの悪い屋敷畑の価値は相対的
に低下していき、屋敷畑とノラ畑の双方を所有して
いた家は屋敷畑 を潰して家を増築したり庭園や駐車
場に変えたところが多い。
f
Tlと似た傾向が見られ
利用については乙女浜でも j
た。水田の中に散在していた頃のノラ畑では主に商
品作物が栽培されていた 。『滋賀県物産誌』 による
6町 4反に対し 畑作物 の大麦 4
と、明治初期に梗 3
町 5畝、架 21
1
T5反、大豆 7反、蕎麦 4
1
町 5反、大
根 3町 2反、菜種 4
1町、実綿 1
0
1
l
T1反 4畝、藍葉
1
2町 8反 6畝などとかなり広い範囲で商品作物を
0年代までは、
栽培していたことが分かる 。昭和 3
畑
水田の中のノラ対1で麦やダイコン、ホウレンソウ、
コカフーなどが栽培され、舟で近江八幡まで 売りに 出
ていた。 しかし住民はやむを得ず水田を畑にしてい
たため、商品作物栽培にあまり積極的ではなかっ
た。土地改良後ノラ畑での栽培は商品作物から自給
o
周作物へと切り替わっていった。
50
1
0
0
(
m
)
S=1/5.000
屋敷畑は H
自和 3
0年代まで粉干しゃ漁業用の網の
修繕、肥料に使われる藻や泥の置き場として使われ
た。屋敷畑は水路沿いにあり、回舟から上がってす
ぐに作業ができるため多様な使い方がされていたの
である (
図 8)。
以上のことから、低湿地に所在する乙女浜におけ
る畑の特徴を次のように整理する 。
① 畑は屋敷地内又は隣接地にある屋敷畑と、集
落周縁に細かく区割りされたノラ畑があり、
多くの住民が双方を所有している 。
②
乙女 i
兵では昔から屋敷畑が全く無い家が多く
ある 。
① 現在のノラ畑の大半は、土地改良時に水田に
散在していたのをまとめられたものである 。
④ 畑によって用途は異なる 。屋敷畑では頻繁に
収穫する自給周作物を栽婿する 一方で、初干
写真 2
C家屋敷地
3 山間部の村落一 東近江市(旧永源寺町)蛭谷を
例に
(
1
)
村落の概要
しゃ漁業用の網の修繕、肥料に使われる藻や
旧永源寺町蛭谷は鈴鹿山脈の御池川沿いの斜面に
泥の [
?
:
rき場としても使われた 。 ノラ畑では自
ある村落である 。戦前は 1
3軒あ ったが昭和 6
0年代
給周作物も作っていたが、主に麦などの商品
作物を栽培していた。
以降は 9軒である 。 9軒のうち代々蛭谷で生業を 営
⑤ :+:地改良後水路が道路になりノラ畑へ行きゃ
長らく林業を中心に茶、炭焼き、養蚕を 組み合わせ
んできたのは今回調査した C家のみである 。蛭谷は
すくなったため、屋敷畑は必要性が相対的に
て生活ーを営んできた。米や麦などの穀物は栽培せ
低下し減少した 。
ず、茶と交換して手に入れていた。
5
4 ・人間文化
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
(
2
)畑の形態と利用の変化
畑の分布だが、!臨谷では 家と家の 間隔が広いた
め、屋敷地内や屋敷地に隣接した所に畑が広がって
いる 。 C家の敷地全体を写した写真 2でも分かるよ
うに、オ モヤ のすぐ横の柵に 囲まれているのが自給
微を I~'J らかにしたい 。
① 低湿地、平野部、山阿部の1
)
頂に屋敷畑が広く
なっている 。 これは集落が立地する 土地の制
約の度合いと関係する 。一般に低湿地の村落
では頻繁に起きる水害を逃れるため家を微高
周作物を栽培する 「ヒラバタケ」である 。 ヒラパ タ
地 に建てる 。 乙女浜も同様に水田の標高が
ケを囲むように約 l反の茶畑が広がっている 。
85m台に対して集落部の傑高は 86m台 (6)と
C家は戦前約 3反の畑を所有していた。そのうち
2反以上を茶畑が占め、残りが自給周作物を栽培す
者干高い。建物が建てられる範囲が限られて
るヒラパタケだった。当時の茶畑は今よりも大分上
と考えられる 。平野部の種は琵琶湖から離れ
の斜面まで、広がっていた 。茶畑
│の端に桑を植えてい
襟高が乙女浜より約 8m高い所にあるので、
た。 ヒラパタケはオモヤから 一段高い所に有り、そ
こで自給用のダイコンや葉物野菜を栽培した。 カボ
その分水に浸かる危険が減り、籾干しができ
る程度の屋敷地を持つようになる (i)。 そし
チャやインゲンマメなどの作物は箆が茶の木に巻き
¥
の蛭谷は傾斜が緩やかなため屋敷を
て山間音1
いるため、屋敷畑 を用意する余裕が無かった
ついて都合が良か ったの で茶の木の│問に植えた。
建てられる場所が比較的広い。 また茶栽培は
U
f
j和 1
5年頃養蚕が衰退し桑は伐られ薪として利
用された 。高度経済成長期の頃から、国策で建築刷
材となる杉の木を植 える ように指導があったので、
「ヤマノハタケ 」とも 呼ばれていた 高い斜面にある
茶畑 を杉林に した 。そして 1
0年位前から 野菜類を
1
=1当てに猿や鹿が1
1llに現れ始めたため、ヒラパ タケ
を網で固い、さらに茶の木の間での蔓性作物の栽構
をやめた。 しかし以害は収まらないのでヒラパタケ
をオモヤの横に移した 。それでも獣害は収まらず収
税量は少なくなってしまった 。茶も鹿の食害に遭
1
人に配る程度しか栽培していない。
い、現在では主[
以上のことか ら
、 山間部に所在する蛭谷における
畑作の特徴を次のように整理する 。
① オモヤの胤りに畑を広げられる土地が十分に
あるため、峡谷にはノラ畑の概念に当てはま
るものがない。
② オモヤの近場で自給用作物を栽培し、それ以
外の場所で商品作物を栽培する 。
③ 商品作物を現在まで栽培し続けている 。 これ
は茶が現在まで需要があるためである 。
④ 国策の楠林事業や獣害により屋敷畑が縮小し
ている 。
稲作の水路のように村落レベルでの設備を共
4.湖東地方における畑の特徴
日
出
!
品
出
H
品
!
リ
也
J
地の集村で
ここまでで、、 {
低
氏
山i
用しないため、耕地をまとめる必要が無かっ
たと考えられる 。そのため各家の周りにそれ
ぞれ耕地がある 。
② 低湿地と平野部の村溶では集落周縁や河原、に
ノラ 畑がある 。 しかし屋敷畑同様ノラ畑も 一
筆当たりの面積が小規模で、あるため、多くの
家が屋敷畑とノラ畑をどちらも所有してい
る。 このことから集村では、家の j
司りに土地
が十分に無いため集落の外にも畑を持たざる
を得なかったことが分かる 。
① 低湿地 と平野部の村落では屋敷畑で自給用作
物を栽培し、ノラ畑で、主に商品作物を栽培す
る。 しかし屋敷畑だけでは手狭なので、自給
用作物をノラ畑でも栽培することが多い。一
方山間部では屋敷畑で自給周作物だけでなく
商品作物も栽培する 。
④
低湿地と平野部の村落の屋敷畑では、昭和
3
0年代まで自給用作物を栽培する 他に粉 や
麦の天 日干しゃ豆の殻剥き、農漁具の手入れ
をおこなっていた。
⑤ 集落形態によって耕作放棄される 場所が異な
る。低湿地及び平野部の村落では、ノラ畑は
村落で、拓いた 土地で、あるうえに、周 囲に他家
の畑が広がって いるため、耕作放棄して草を
比較的緩やかな斜面に屋敷が散在する茶栽培が踏ん
生やしたり建物を建てて日陰を作ったりして
迷惑を掛けられないなどの暗黙の共同体規制
な蛭谷で畑の形態と利用の変化について論じてきた
がある 。 ノラ畑は登記上個人有地だが、意識
#
j
所を比較し湖東地点における畑の特
が、以下で 3i
の根底に 「
村浩住民総有の土地」という意識
浜
j兵、平野部の集村で、水田稲作が盛んな種、山 I
f
l
j部の
人間文化・ 55
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
第 3章 屋 敷 畑 の 変 化
1.籾干しと屋敷畑
がある 。屋敷畑は他家の
J
:1
l
Iとあまり隣接しな
いので、放棄するか符かは所有 者独自の判断
に依るところが大きい。結果家から離れたノ
前述のとおり、 屋 敷畑は籾 干 しゃ農漁具 の手入
ラ
士Iのほうが畑地として残 ったと 考 えられ
れ、肥料にする藻の置き場として利用されてきた。
る。一方山間部の村落は屋敷J:1lIしかないので
特に籾干 しは稲作を している地域では必ずおこなわ
全ての畑に対して共同体規制 は働きにくい。
れた。湖東地方ではハサと呼ばれる竹や杉で柱を 立
したがって利便性を重視した結巣、家から離
てそこに横木を何本か掛けたものを水田に設け、そ
れた場所から放棄 されると考え られる 。
こに稲を掛けて乾燥させた 。 これをハサガケと呼ん
表 2 昭和 25年頃の B家の一年間の作付け
ジパ空ケ・北海道のハ合ケ
I月
2月
3
)
'
]
キュウ リ
A
ナス
トマト
A
4月
5月
6月
7月
8月
コ
コ
血
9月
1
0月
1
1月
1
2月
1
1月
1
2月
1
1月
1
2月
J
】
【
カボチャ
車
スイカ
企
マ クワ
企
J
ピマン
企
'
i
コ
ホ ウ レ ン草
、一
一
ー』
タイナ
ミズナ
マピキ ナ *
籾干し
回
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7
丹
8月
9月
コ
米(カンデン)
米(ジ ル タ)
小麦
1
0月
J
G
)
大変
3
喜雄
に
(
ノー一
ト+
コ
大豆
小豆
コ
タバ コ
河原畑
1月
2月
3月
4月
薩摩芋
6月
7月
8月
9月
コ
コ
1
5鈴
'
l
;
:
人参
皇芋
ゴボウ
5月
ーや
コ
O
)
大級
カブラ
〕
一
キャベツ
持4
タノ〈コ
コ
・
a
渋柿
竹
企 苗作り .田植え・播種 O収 穫 ・籾干し
*マ ピキナは 大様 の花 な どの こ と。 年 中収穫する 。
56 ・人間文化
コ
コ
一
万
長芋
白菜
玉葱
1
0月
.
n
コ
O
コ
湖東地方における屋敷加の機能と形態
だ。湖東地方は湿田が多いため、畦畔のそは、の│浪ら
る。
隔が狭く高さのある 三段パサを立てた 。
れた場所に l
① 保管場所に近い場所
しかし 三段パサでは稲が重なり合って乾燥が不十分
乾燥した籾は住宅内のトパコなどに保管する 。
になるので、ハサガケ後に稲扱きをして屋敷畑で籾
せっかく乾燥した籾が回舟で運搬中に水路に落ち
の広げ干しをおこなった 。ハサガケをした籾なら 1
ては困るため、籾干し場はできるだけ保管場所に
日中干せば十分乾燥するが、ハサが足らず稲刈り後
近い所が良い。
すぐに稲扱きをして籾干しをするナマコキの場合、
屋敷畑は三つの条件を満たす場所であるため、 多
米に水分が多いため 3日間干さなければならなかっ
くの村落では屋敷畑で籾干しをおこなっていた。 し
た。 また、ハサガケをした後に籾干しをする方が
かし、低湿地の村落は家が密集し屋敷畑が無い家が
徐々に乾燥できるため味が良いといわれている 。
多いため、やむを得ず家から離れたノラ畑や堤防の
籾干し場は次の三つの条件に合う場所が選ばれた。
斜面、 i
兵で籾干しをした。
屋敷畑で籾干しがおこなわれていた頃、農家は籾
① 地面が乾いた場所
籾千 しは誌の下敷きの上にムシロを敷いて、そ
干しを考慮した作付けをしていた。表 2は昭和 2
5
の上に籾を広げておこなう 。 しかし地面が湿 って
年ごろの B家の作付けである 。屋敷焔で 1
0月中旬
いると下敷きとムシロを通して地面の湿気が米に
伝わりうまく乾燥できない。 したが ってよく乾い
から籾干 しをしなければならなかったので、 8月か
0月頃までに畑のほぼ
ら徐々に作物を少なくし、 1
ている地面が適している 。
全面を更地にした。代わりにカワラパタケなどのノ
ラ畑で秋、冬に収穫する 作物を栽培した 。屋敷畑と
② 人が管理しやすい場所
籾干しは籾に まんべんなく日光を 当てるため
ノラ畑で作物を作り分けることにより、屋敷畑で籾
に
、 1 日に 2 ~3 回 籾をひ っく り返さなければな
らない。 また、雨が降ったり、夜になれば、屋棋の
べられたのである 。現在では、秋でも屋敷畑で作物
干しをしているにも関わらず年中多品種の作物が食
ある所に取り込まなければならない。 したがって
が栽培されており、屋敷畑とノラ畑で季節によ って
急 な天候の変化にすぐに対応できる場所が好まれ
作物を作り分けることがなくなった。以上のことか
図 10 B家屋敷畑の変遷
図 9 籾の乾燥方法の変遷
屋敷畑で
天日て物干し
ー
ー
.
.
.
・ ・
.
.
.
.
,
昭
和 10
年頃
H
年代半ば
.昭和 10
昨
II
LJ
子
同J
両
日
uu
大正末期の屋敷地
昭和 10
年代の屋敷地
日昭和 30
年代後半
乾燥機の機械化
「
戸
困
昭和 28
年の屋敷地
曲
四
現在の屋敷地
自家用作物栽培専用のジハヲケ翻 籾干し場兼作物栽培のジハヲケ
※聞 きとり により作図。
人間文化・ 57
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
ら、湖東地方の低湿地や平野部の村落で屋敷畑とノ
かつての住居は排水や排植物を畑へ運搬しやすい
ラ畑を両方所有している家が多い理由として、籾干
構造だった。大便所は屋外、小便所はオモヤの出
しが関係していることが分かる 。
入り口付近、風呂はオモヤに入ってすぐのニワ (
土
屋敷畑での籾干しは急に機械化したわけではな
問)、便潜は大便所と小便所、風呂の間の屋外の地
い。図 9は B家の籾の乾燥方法の変遷である 。丸の
世物は屋敷畑に撒かれる
面に設けられた。薄めた排 i
0は B家の屋敷
大きさは初の量を表している。 図 1
1)
。 ノラ畑へ排植物を運搬し
ことが多かった(図 1
畑の変遷である。 B家は昭和 l
叩
O年頃愛知式乾燥機
ようとすると、薄めた排 j
世物をタゴケやダシオケと
という床下で
呼ばれる桶に入れて、回舟やリヤカーで運ばなけれ
形杉をした乾燥機を導入したことにより札、
せる小屋の 7
ばならなかった。その点屋敷畑は便潜から近く、運
屋敷畑での 籾干しをする量が i
減減つた。 図 1
0でも分
搬の労力を省けるため大変重宝された。またノラ畑
かるように、籾干しをする量が減ったことにより屋
の方に排植物を施肥しなかった理由として、商品作
敷畑が若干縮小している 。その後すぐにオンシツと
物に臭いをつかせたくなかったことも挙げられる 。
いう道具を導入した。 これは全面ガラス張りの箱型
蛭谷では自給用作物を栽培していた畑に排池物や排
で、日光を集めて箱の中に入れた籾を効率よく乾燥
水を、茶畑にニシンや油粕を施肥した。
させるものである 。オンシツの導入により屋敷畑で
湖東地方の農村では、昭和 2
0~ 3
0年代に桶風呂
籾干しをする量はさらに減少した。その後、戦中、
から現在のような大量のお湯を必要とする湯浴風呂
戦後の食糧難の時代畑が重視され、屋敷畑はそのま
0
0
52
9
3
0
J。風目が桶風呂から
へと替わった〔老 2
まの広さが維持されたが、昭和 2
8年の母屋の建替
湯浴風呂になると、便 i
曹に排水が早く j
留まるように
えを機に屋敷1.1[1を縮小した。 そして、昭和 3
0年代
なり、畑に撒きに行く回数が増えた。こうなると各
後半に初の乾燥方法が機械化され、屋敷畑で籾干し
家で処理するの は大変で、排水を垂れ流したり行政
をする必要が無くなり、屋敷畑は演されてインキョ
に処理を任せるようになった。 また、 排池物は低湿
が建てられた。天日干しをする籾の量が減るにした
地の乙女浜では昭和 4
0年頃に、山間地の蛭谷でも
がって屋敷畑が縮小していることから、屋敷畑が自
0年頃までには専門業者によって汲み取られ
昭和 5
給用作物を栽培する場所というより、むしろ籾干し
るようになり肥料として用いられなくなっていった。
をする場所として認識されており、自給周作物栽培
以上のことから、屋敷畑は排植物や排水の処理
は籾干しをしない時期の有効活用方法と見ることが
場、そしてを肥料として再利用する機能を有してい
できる 。
たことが分かる。しかし、排池物や排水が畑で用い
籾干し以外を見てみると、肥料に使う藻は化学肥
料の普及により使われなくなり、屋敷畑に置かれな
くなった。農具や漁具は手入れを作業小屋でおこ
なったり、機械化により屋敷畑で修理しなくなった。
2
. ゴミや排濯物の処理場としての屋敷畑
下水処理が整備される以前、湖東地方では排池物
と風呂の残り湯を地面に埋めである使 i
曹に流し込
み、そこで薄まった排他物を肥料として利用してい
世物と排水を一緒にすることで施肥と水撒き
た。排1
を同時にすることができたのである 。昭和 3
0年代
頃まで湖東地方の多くの家では桶風呂という樽型で
上が笠や蓋で覆われた風日を使っていた 。上に蓋が
しであるので蒸気で暖まることができ少量のお湯で
十分だ、
っ た。そのため残り湯は少なく、便潜に排水
がi
留まりにくかった。 したがって畑に薄ま った排池
物を撒きに行くのは一週間に一度程度だ、
っ た。
58 ・人間文化
られなくなると、排植物の処理場として機能してい
た屋敷畑の必要性は低下していった。
屋敷畑が無くなった原因として住環境の変化があ
ることは分かったが、住環境が変化したからといっ
図1
1 循環型の住居形態
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
※「
国土基本図」を原図に、現地調査により作成。
て各家で畑を利用した循環型の生活習慣が無くな っ
に石灰を入れなければならなり金銭的負担が増して
たわけではない。
いること、 二つ目は山間部において生ゴミに動物が
現在ノラ対H
にはたくさんの焼却炉や生ゴミを入れ
寄ってきて獣害に悩まされていることである 。
るごみ壷があり、そこで作られた灰や堆肥はノラ畑
2)
。 また生ゴミを堆肥にせ
に施肥されている (
図1
第 4章 結 論
ずそのまま 畑に埋める光景もしばしば見られる 。焼
まず、滋賀県湖東地方における 屋敷畑と地理的条
却炉やごみ査が屋敷地内ではなくノラ畑に設置する
件の関係性について明らかになった点を以下のとお
原因として農家を取り巻く次のような状況が考えら
り整理する 。
① 屋敷畑の広さは集落が立地する土地の制約の
れる 。
① 以前紙などは寵で焼却していたが、竃が無く
なり屋外でせざるを得なくな った。 しかし湖
東地方の低湿地や平野部の集落 は家が密集し
る。一方、ノラ州は私有地だが村落の共同体
ているため、屋敷地内で焼却したら隣家に迷
規制j
が働 く土地である 。
惑を掛けてしまう 。そこでノラ畑に焼却炉を
②
度合いと関係する 。
② !
屋敷畑は各家の意思が強く反映する土地であ
つぎに、 湖東地方にお ける 屋敷畑の機能を整理す
設置した 。
には先行研究で明らかだ った自給用作物
る。屋敷対H
ごみ査は夏臭いが強く、しかも虫も湧くので
世物 な
を栽培する機能の他 に、農作業の調整場、羽l'i
集落内に設置しにくい。
どの処理場そして排植物などを再利用する機能が存
③ 道路が整備されゴミを遠くまで運搬しやすく
在することが明らかになった。 以上を踏まえ、屋
なった。
しかし生ゴミを 肥料にするようになるといく つか
敷
J
:
I
I
Jを再定義すると、 「
屋敷地内または隣接地にあ
の弊害が生まれる 。一つ目は生ゴミを腐らせるため
の処理場として機能する 畑」となる 。材1[1と宮本は
る、自給周作物栽端、農作業の調整場、 排 i
t
!
:物な ど
人間文化・
59
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
屋敷畑に 対する個人所有の意識が強いことを論じた
が、この要因については、安室が指摘した自給用作
る人もいる。
①
レクリエーションの場。生計に関わらないた
め、様々な作物に挑戦できるうえ、自分の I
雫
物栽培以外に以上のような機能があったからといっ
てよい 。 また、安室らはヤシキパタケの趣味性や副
好に合わせた栽培がで、きる楽しさがある 。
次的な生業の面を強調して、屋敷畑 の機能を媛小化
かつてのような 地域の結びつきが薄れ、頻繁に顔
した。詳しくは後述するが、これは近年になって表
を合わせる機会が少なくなった現在だからこそ屋敷
面化した性質であって、昭和 3
0
年代以前 は生活上、
畑 の価値は再び増しているといえるし 、高齢化社会
生業上必要不可欠な場所だったのである 。
が進展する現在、高齢者が地域に根ざした形でいき
そして、屋敷畑的機能を持つ範囲は、湖東地方に
おいて必ずしも屋敷畑と合致しなかった 。特に低湿
いきと取り 組む一つの選択肢に屋敷畑がなろうとし
ている 。
地の村落では、屋敷畑が狭いため自給用作物栽培や
籾干しを屋敷畑だけで完結できなかった。つまり屋
参考文献
敷畑だけで十分に屋敷畑的機能を来たすことができ
2
0
0
51
桶 風呂の形態と使用域 滋賀県を中
心と した事例研 究-J 道具学論集 j 1
1
鳥越崎之 1
9
9
7
1コモンズの利用権を享受する J 環
境社会学研究J3
野本寛一 1
9
8
9 軒端 の民俗学j 白水社
福田アジオ 1
9
8
2 日本村落の民俗的構造j弘文堂
古家晴美 1
9
93 1
そ菜園考←主婦の食物管理につい
てーJ 日本民俗学 j 1
93
松井健、 2
0
011
マイナーサブシステンスと琉球の特
ず、屋敷地から離れたノラ畑も屋敷畑的機能を持っ
ていたのである 。屋敷畑的機能は日常生活の基礎的
な部分を担っていることから、住民は他人の畑も含
め気を配った 。 ノラ畑の共同体規制 もこのような配
慮から生成されたと考えられる 。 したがって、屋敷
畑的機能の範囲は住民同士の付き合い方を規定し、
さらに村落の性格をも規定しうると考えられる 。 ま
た、隣人への気配りから生成される共同体規制は昨
老文子
r
r
殊動物 J 国立歴史民俗博物館研究報告.
18
7
宮本常一
きなくなったことなどが挙げられてきたが、本稿で
改良を屋敷畑 が減少した原肉として挙げることがで
r
2
0
0
61
1遊び仕事」 と 「まごつき仕事 J
J現
安室知
代農業J8月増刊号
減少、主婦が外で働くようになり屋敷畑の管理がで
は、籾干しの機械化、便所や風呂、竃の変化、 土地
r
1
9
5
91
畑作J 復刻日本民俗学体系j
5 平凡社
さらに、先行研究では屋敷畑が減少した原因とし
て、食生活の変化や家族の減少による野菜消費量の
r
r
r
今問題になっている耕作放棄の解決にも役立つ考え
方ではないだろうか。
r
2
0
0
81
1遊 び 仕 事」 としての農一前栽畑と
3・1
市民農園の類似性 J 農業および園芸 j8
柳田国男・山口貞夫 1
97
5 居住習 俗語葉集』 国書
安室知
きた 。
r
r
刊行会
現在屋敷畑 は大半の機能が必要なくなったにも関
『
滋賀県市町村沿革史
第五巻
わらず、未だに多く残されている 。 これは、近年屋
市町村編さん委員会
1
9
6
2
敷畑が従来無かった以下のような機能を持つように
『
能登 川 の 歴 史 別 冊 資 料
なったからだと考えられる 。
① 贈答品を生産する場。最近は野菜を自給する
川の歴史」編集委員会
資料編ーJ滋賀県
明治の古地図 j 1
能登
2
0
0
8
『
能登 川地区民俗調査報告書皿 』 東近江市教育委員
家 が減 っている反面、生産者の顔が見える安
会
2
0
08
心感や、健康を 意識し た無農薬志 向が追い風
となり、屋敷畑の作物が贈答品として価値を
注
持つようになった。耕作者にとっても直接消
(
1) 家屋の建っている一定区画の敷地。普通には母
費者の顔を見ることができ励みになっている 。
屋のほか付属建物、庭、菜園、屋敷林までも 含ん
② 近隣住民との出会いの場。村落外で働く人が
だものをさす。 J(国史大辞典)。本稿における屋
増えたり、住民の集まる機会が減少している
敷地の概念は、国史大辞典における屋敷地の概念
なか、屋敷畑は近隣住民と情報交換をする場
とな っていて、そ れが楽しみで耕作をしてい
60 ・人間文化
と基本的に考え方を同ーとする 。
(
2) 1
人が集まって生活しているところ 。集落は社
湖東地方における屋敷畑の機能と形態
会生活を営む人間が集団的に居住する拠点として
。な
の家々の集まりをいう 。J(日本民俗大辞典)
お、本稿では家が集まっている空間を集落とす
る。周囲の田畑は含まない。
(
3) 福田アジオは村落の中に 三種類の領域が同心円
的構造で存在するとした。中心に集落=定住とし
ての領域=ムラ、その周囲に耕地=生産地として
の領域=ノラ、さらにその外側に林野=採集地と
しての領域=ヤマ(ハラ)があるとした 。本稿で
は
、 集落周縁や水田の中に散在する畑がノラにあ
ることから「ノラ 畑」呼ぶことにする 。
(
4) 地図は、旧能登川町が 1
9
7
6年に 『能登川町史』
に付図した 「
能登川町小字図」がもとに作成され
ている 。地図では 「七 ヶ坪 j と表記されている
が、種が作成した 『
土地台帳j には「七ヶ 」 と表
記されている 。本稿では日常的に住民が使用して
いる 「
七ヶ」を採用する 。
(
5) 筆数は愛知 川沿いでは七ヶの 1
2
0筆、野田 8
6
筆、野村l 前 2 ~在、中道 23 筆、出口 17 ~在、 一 方集
落部では村 ノ内 8
3筆、堂ノ辻 5
4筆、北ノ海道 4
7
筆である 。一筆あた りの平均面積は愛知川沿いで
.
31反、野田が 0
.
3
0反で、集落部では村
は七ヶが 0
.
21反、堂ノ 辻が 0
.
11
反。
ノ内が 0
(
6) 国土基本図参照
(
7) 国土基本図に よると、種の標高は 9
3- 95m台
である 。集落部と水 田の標高差はほぼ見られず、
微高地に集落を建てる制約はなかったものと考え
られる 。
1
人間文化・ 6
研究ノート
栄養素改変栄養素
柴田克己
滋賀県立大学人間文化学部生活栄養学科
1.栄養素改変栄養素とは
解されることがある 。
栄養素改変栄養素とは、変な名前である 。具体的
食品添加物の評価には動物実験が必須で、ある 。人
に何を頭に思い浮かべてこのような名前をつけたか
を被検者とした実験を行えないためであるが、薬の
というと、 「
加工でん粉 J
、「グ リセリ ン脂肪酸エス
治験と同じように市販後調査というデータの収集が
テル J
、「ビタミン誘導体」である 。 この栄養素は、
必要であると思う 。すると、健康に寄与する食品添
生物そのものによって作り出す ことはできない化合
加物、肥満に効果がある食品添加物がみつかるので
物であるが、生物が作った栄養素を人の知恵と卓越
はないかと考えている 。
した技術で、人の要求、時代の要求にあわせて改変
した栄養素のことである 。今後、このような栄養素
改変栄養素が ドンドンでできてほしい。そして、そ
話は少し変わるが、エネル ギー制限は寿命を延ば
すことが知られている。この現象は 出芽酵母では、
の中から、人にとって都合の良い魔法のような食品
その機構もかなり詳しくわかってきた 。摂取エネル
が出現するかもしれない。 人の欲望は、 「いつでも
ギー制限により老化が抑制され、寿命が延びること
おいしいものを腹一杯食べること 」である 。でも、
は、ラ ッ トやマウスで繰り返し証明されているし、
肥満はいや、生活習慣病になるのもいや、寿命の限
酵母、線虫、クモなどでも認められている 。 した
界まで臼立したい、このようなことを可能にするの
が って、 エネルギー制限が寿命を延ばすことは動物
が、栄養素改変栄養素である 。
中年になると、多くの人が太ってくる 。若い時と
にと って共通的に認められる現象のようである 。で
は、どれだけエネルギー摂取を制限しなくてはいけ
同じ食事量を摂っていれば当然で、ある 。基礎代謝量
ないかというと、動物実験では自由娯取岩手のl/2~
が加齢とともに漸減してくるためである 。 日本でも
2
/
3に制限する必要があるという 。酵母では通常の
中高年の肥満だけではな く、若い人の肥満が問題視
2%グルコース培地で培養したものに対して 0
.
5
%
されはじめてきた 。食事調査をするとお菓子などの
培地で培養するとその寿命が1.2
5倍にもなる 。かな
消費量が多くなっている 。肥満に関する分子栄養学
りきびしいエネル ギー制限のように思え る。 しか
的研究は飛躍的に進んだが、いっこうに肥満は減ら
し、多くの動物実験や微生物実験では対照群の飼料
ない。肥満の機構がわかっても、つまり普遍的なこ
(
培地)は超リッチである 。 したがって、それほど
と・生化学的なことがわかっても、それを定量化す
きびしいエネルギー制限を必要としないかもしれな
る栄養学の領域がついていけないのである 。栄養学
u
、
。
は人がボランティア精神を発揮して、被検者になっ
ていただかないと、実験ができない。培養細胞も 実
「食べれば太る」ム。正しくは 「
食べ過ぎれば
であるが、これは、健康な証拠である 。 日本では、
験用小動物も使用することができない。ある化合物
国民の健康の維持 ・増進のために厚生労働省が 「日
が生命の維持に必要か必要で、ないかという普遍的な
本人のための食事摂取基準
定性的なことは従属栄養生物では共通である 。 ビタ
た。実は、このものは 5年ごとに改定されている 。
(
2
0
1
0年板 )
Jを作成し
ミンの発見の雁史をみればわかる 。酵母の成長因子
この本には日本人が健康維持・増進するために必要
からみつかったビオチンなどである 。鳥はビタミン
なエネルギー摂取量と 5つの栄養素ータンパク質 ・
B1、パントテン酸の研究に必須で、あった 。犬はナ
脂質・炭水化物・ビタミン・ミネラルーの必要量が
イアシンの研究に必須であった。 アミノ酸の必須性
年齢別 ・男女別に示されている 。「 日本人の食事摂
にはラットが貢献した。 しかし、このような微生物
取基準
や動物を使用して人の必要量を求める定量的な実験
性別でも複数の数値が示されている 。推定平均必要
はできない。人以外で得られたデータはあくまでも
量、推奨量、 l
i
l
t容上限量というものである 。 目安
定性的なものであり、人に対する定量的な数値に変
量
、 H襟量という数値で策定されている栄養素もあ
(
2
0
1
0年版)では、一つの栄養素で 同じ年齢 ・
換できない。 人を使用した実験は行いにくいため
る。 ここで特に問題とするエネルギーは 「
推定エネ
データが少ない。 したがって、疫学的な調査が重要
ルギー消費量」 というものが使われた。摂取エネル
視されるが、この種のデータは都合の良いように理
ギーは多すぎても、少なすぎてもいけない。一昔前
62 ・人間文化
栄養素改変栄養素
表1
加工でん粉の種類
① アセチル化アジピン酸架橋でん粉
② アセチル化リシ酸架橋でん粉
③ アセチル化酸化でん粉
④ オクァ ニルコ ハク酸でん粉ナトリウム
⑤ ヒ ドロキシプロピルでん粉
⑥ ヒ ドロキシプロピル化リン酸架橋でん粉
⑦ リン酸モノエスァ ル化 リン酸架橋でん粉 ③ りン酸化でん粉
⑨ リン酸架橋でん粉
⑮酸化でん粉
。酢酸でん粉
は、適当だと推定される数値に安全率などと称して
もので、加工食品の品質改良・向上のために用いら
少々多めの数値を策定しておいても、 肥満という問
れている 。ある種の加工でん粉は、ヒ トの消化酵素
題が起きることは少なかった 。誰もがいつでも簡単
によって消化 されにくい部分と構造をもっているも
に食べるものが少なかったからである 。袋を切った
のもあると思われる 。 したがって、ある種の加工で
だけで食べられる食品が少なかったのである 。 しか
ん粉には食物繊維としての栄養 ・生理的効果が期
し、今では袋をきれば、あるいは袋を数分暖めるだ
待することができるかもしれない。「日本人の食事
けで、きわめておいしいものが食べられる 。実に簡
2
0
1
0年版 )
J にも、食物繊維をどれだけ
摂取基準 (
単に 。 これが本当の 「お袋の味だ」 とチャカス人も
摂ったらよいかが目標量として策定されている 。欧
いる 。食べ物における絶対的な正義は「うまい」こ
4g I日以上
米における 心筋梗塞のリスク低下が 2
とであると信じている 。市販品は万人が好む味付け
で観察されていること及び日本人が適正な排便湿重
けがされているので確かにおいしい。作りたてでな
量(
1
50gl日程度)を維持するために必要な食物繊
くても、いつでもおいしい。大変な工夫がなされて
Og/1
0
00kc
alという数値が目標量
維摂取量から、 l
いるようである 。 このうまさを持続させる食品添加
として策定された 。今後、加工でん粉の摂取量の調
物に「加工でん粉」と「乳化剤」があるらしい。 こ
査が可能となれば、肥満と加工でん粉の摂取量 との
の二つの栄養素改変栄養素をうまく使えば、うまい
調査は興味あるデータが得られるかもしれない。そ
ものを腹一杯食べても 「
腹八分」 になるのではない
のためには、メーカーは正確な加工でん粉使用量 と
かと思う 。 この二つを簡単に紹介する 。
どのような加工でん粉を使用したかを開示する必要
がある 。
2.デンプンの消化性を抑えた加工でん粉
日本で使用されている加工でん粉を表 1に示した。
日本では、 1
9
79年以降、 加工でん粉を食品成分
として認めてきた 。食品への表示は、でん粉および
表 1に示した加工でん粉は ]ECFAですでに評価
加工でん粉は「でん粉」として表示され、食品扱い
されたものであるカ人 ]ECFAのモノグラフを言売む
されていた 。
「 しかしながら、国際的に見ると、ア
メ リカでもヨーロッパでも増粘剤、その他の目的で
限り、加工でん粉投与食でラッ トの寿命が延びたと
食品添加物として取り扱われており、国際的な取扱
いに差が生じてしまった 。そのために、 厚生労働省
では加工でん粉の種類により体重増加量が抑制され
ているものもある 。気になる毒性は、カルシウムの
0
0
2年 7月の薬事・食品衛生審議会での意見
は
、 2
吸収を促進することによる腎臓の一部の石灰化であ
いうデータは得られていないようである 。高投与量
を踏まえて、 ]ECFA(食品添加物などの安全性を評
る。 カルシウムの摂取量が少ない時ならば、この吸
価する国際機関 )で安全性が評価され、更にアメリ
収促進作用を好意的に解釈することもできる 。
カ・ヨーロッパでも売られているものを、国が主体
的に食品添加物として個別に検討した上で指定をす
るという方向で検討を開始した 。2
0
0
8年 1
1月に 1
1
3
. 暗肪の消化性を抑えた脂肪系乳化剤
次は、脂肪を改変した乳化剤に関する話題である 。
品目が新規指定を 受け、食品添加物として流通する
乳化剤として使用が許可されている指定添加物に次
ことにな った。
の表 2に示すものがある 。
加工でん粉は、小麦、ジャガイモ、タピオカなど
のでん粉を化学的に処理することによって作られた
乳化剤というと、油と水を混ぜるものという印象
人間文化・
63
栄養素改変栄養素
しか持っていない方が多いと思う が、近年、食品工
待できる 。
業界では、乳化剤 は 、 本 来 の 乳化 にとどまらず、さ
まざまな機能が認められ、広く食品加工 に 使 用 さ れ
この便利な栄養素改変栄養素の使用基準を提案す
ている 。 そのため、食品添加物の表示に関する通知
る。 成 長 期 と 若 年 成 人 で は 、 大 胆 に い え ば 、 4
0歳
では、 一指名の乳化剤は次のように定義されている 。
未満までは、ここでいう 加 工 で ん粉、グリセリン脂
肪酸エステルを綴ることによ って エネルギーを制限
食 品 に 乳化
、 分散、浸透、洗浄、起泡、消泡、離
型などの H的で使用される添加物及びその製剤
傾向にあるな
す る 方 法 は 邪 道 で あ る 。 体 重 が 増 加l
らば、消費エ ネルギー量を増やすべきであると 信じ
0歳 以 上 に な れ ば 、 加 工 で ん 粉 、 グ リ セ リ ン
る。 4
脂肪酸エステルという魔法の栄養素 改変栄養素をう
これ らの乳化剤に おいて、ここではポリグリセリ
まく摂取する ことは健康の維持につながるのではと
ン脂肪酸エステル類を除いたグ リセリ ン脂肪酸エス
0歳という 区切 り は 、 子 孫 を 残 す
期 待 し て い る 。4
テルのみを考えた い。 これ らは、 加工でん粉と同じ
という観点を重要視したものである 。
く消化性が低いものもあるため、エネルギー制限に
寄与する ことが期待される 。 なお、グリセリン脂肪
酸エステルは、脂肪酸とグリセ リン又はポリグ リセ
4
. 微量栄養素の眼収性あるいは利用性を高め
た栄養素改変栄養素
エネルギー源となるでんぷんや脂質と異なり、エ
リンのエステル及びその誘導体である、と定義され
原とはならない微量栄養素は健康のた めに
ネルギ -i
ている 。 脂肪酸は食用由来 のものだ けであ る。
表示に関しては、次の表 3の通りである 。 しかし
2
0
1
0年 板 )
Jに示され
は
、 「日本人の食事摂取基準 (
ながら、これでは、どのグ リセリン脂肪 酸エステル
た量よりも多く摂った方が良いと思っている人が多
収i
l
tもわからない。 トリグ
であるかわからない 。摂 I
いようである 。 そのため、マスコミの宣{云でも 「ビ
リセリドを改変して消化性を低くすれば、エネル
タミンが多い、 カルシウムが多い、鉄分が多い、カ
ギー摂取量を少なく、しかもおいしくすることが期
ルシウムの吸収率を高める 」 という 言 葉が使われて
表 2 乳化剤
蒸留 モノグ リセフイド
反応モノグリセフイド
グリセリン酢酸脂肪酸エスァル
グリセリン有機酸脂肪酸工ステル類 クリセリ ン乳酸脂肪酸エスァ ル
グリセ リンジアセ チル酒石酸脂肪酸
工ステル
ポリグリセリン結合リシノレイン酸
ポリグリセリン脂肪酸工ステ ル類
工ステル
グリセリン脂肪酸工ステル
グリセリン脂肪酸工ステ ル
ショ糖脂肪酸工ス ァル
ソルビ 5
1ン脂肪酸工スァル
プロピレングリコ ル脂肪酸エスァル
表3 グリセリン脂肪酸工ステルの食晶表示
用
表ホ方法
括名「乳化剤j
食品に乳化・分散 ・浸透・起泡 ・離型等の自 的で利
物質名「 グリセリン脂肪酸エステル」
周する場合
簡略名「グリセリンエステルj
物質名「
グリセリン脂肪酸エスァ ルj
食品に上記以外の目的で使用す る場合
簡略名 I
グリセリン工ステルj
食品添加物製剤に使用する場合
物質名「グリセリン脂肪酸エスァルj
6
4 ・人間文化
途
栄養素改変栄養素
表4
朝食
ペラグラ誘発食 ・
]
夕食
間食
昼食
Orangej
u
i
c
e200g
Morb
e
e
f20g
Lemonj
u
ice30g
G
e
l
a
t
i
n(
C
o
l
l
a
g
e
n
)100g
Corng
r
i
t
s50g
R
ice33g
Prunej
u
ice100g
Greenbeans100g
Whiteb
r
e
a
d30g
Beets100g
Cookies40g
Cornb
r
e
a
d25g
Oleomar
g
ar
i
n
e20g
Cornbread75g
Sugar10g
Oleomargarine10g
Sugar20g
Oleomargarine20g
Grapej
u
i
c
e100g
F
r
u
i
tc
o
c
k
t
a
i
l150g
Sug
a
r30g
Applej
u
i
c
e200g
Pears20g
ベ ラ グ ラ と 関 連 す る 栄 養 素 摂 取 量 エネルギ一、 2
0
0
0kca
l!日。ナイアシン、 4
.
7mg
/目。トリプトフ ァン、 1
9
0
mg/日 (
19
0/
6
0
=
3
.
2mg):ナイアシン当量、 7
.
9mg
/日,ナイアシン当賞、 4
.
0mg/1
0
0
0kc
al
。
Gol
dsmithGA
.SarrettHP,Regi
s
t
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rUD,Gi
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1
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rementi
nman.1
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a
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ypt
o
p
h
an.
JCl
i
nI
nvest31
,5
3
3
ー5
4
2より百 │
用
いる 。
1
9世紀か ら2
0世紀中ごろまで日本で蔓延した脚
気を予防・治癒する微量栄養素であるビタミン B1
5
0
0
0
栴
は、吸収を促進させる誘導体が作られ、日本におけ
ぽ
る潜在性脚気を撲滅させた 。最近は、ビタミン C誘
吋
導体という 言葉も自につく 。消化 ・吸収力 および細
低下した高齢者にとって有用な栄養素改変栄養素
、
である 。高齢になれば、杖や車いすなどの物理的な
て 。
胞に取り込まれた後に活性型に変換される代謝系が
「
水溶性ビタミンはいくら摂つでもすぐに尿中に
Woman
o3000
1
'
1
¥
1
0
00
I
t
¥
1
9
3
0
1
9
4
0
1
9
5
0
1
9
6
0
年
高め た、体内保持力を高めた、活性型への変化が高
る。
Man
-<r--
ト
補助が必要なように、栄養素に関しても、吸収力を
い、といった改変栄養素の開発が必要であると考え
一骨 -
4酬
図1
アメ リ力合衆国におけるペラクラ による死亡者数の変動
Mi
le
rDF (
19
7
8
)Pe
la
g
r
ad
e
a
thsi
nt
heUn
i
tedS
t
a
t
e
s
.A mJ
Cl
i
nNutr31
,5
58
5
5
9より引用 。
排I
I
!
J
:されるので、大丈夫」 という記述をみることは
I
止される ということは、い ったん
あるが、尿中に排1
タミン欠乏症がある 。脚気に よる死亡者の統計が日
体内に吸収されるということである 。 しかし、摂取
本にあり、 一般の栄養学の教科書にの ってい るので
量を増や Lても無制限に吸収されるわけではない。
みたことがある人も多いと思うが、ペラグラによる
ビタミン Cでは 19の摂取と 2gの摂取では体内に
死亡者の統計はご覧にな ったことがないと思うの
吸収される 量 はほとんど変わらないというデータが
で、図 1に示した 。今で も、経済的に貧困な匡│
キで
ある 。 ビタミン Bz(リボフラビ ン)では単回投与時
は多発している 。では、どの よう な食事をしている
での最高吸収量は 2
7mg程度であるというデータが
とペラグラとなるのか。実は、野菜と果物、コラー
ある 。他のビタミンに関する人のデータについては
ゲンという食事である 。ペ ラグラ誘発食を表 4に示
知らない。 ラットでの大量投与実験では、飽和量が
した。
ある 。人でも、体内飽和量を 維持する 摂取量がある
と思われるが、不明である 。
この食事を 1ヶ月間たべ続けるとほとんどの人が
ペラグラ(写真 1)となる 。皮膚がきたなくなる 。
ビタミンは野菜とか果物に多いと思っている人が
野菜と果物とコラーゲンしか食べないと皮膚炎が生
B群ビタミン (
8
多いが、それは間違いである 。 日本では発生がまれ
じる 。 このペラグラを防ぐのが、
であるので、有名ではないが「ペラグ ラ」というビ
種類のピタミンをまとめた名前で、ビタミン B1、
人間文化・ 6
5
栄養素改変栄養素
る。 生体に必要なミネラルにのみ日を向けて、有
害な重金属の摂取という危険を 冒しては成らない。
5.まとめ
我々は、寿命の限界まで若年成人の体力と 美 を維
持したい。 そのための食生活を提 言する、という
のが私どもの研究室 の長期目標である 。 中期目標
は微量栄養素の適正量 を平時 (
ふつうの生活時)と
有事 (
病気からの回復時、非常に過酷な生活を強い
られる時など)にわけで提示することである 。 とこ
ろで、栄養学の勉強をしていると、結局、厚生労働
写真 1
ペラグラ
省が提案していることに従えば、良いのであるとい
0歳を過ぎれば、ストレスをた
うことに気づく 。4
ビタミン B2
、ビタミン B6
、ビタミン B1
2、ナイア
めない、休養をとる、これが一番である 。定時に出
シン、パントテン酸、葉酸、ピオチンの総称名であ
勤し、定時に帰宅する 。定時に食べ、定時に寝る 。
る)
。 特に、 B群ビタミンのナイアシンとタンパク
すべてお上のいうことは正しく、すばらしい。 しか
質の構成成分である 必須アミノ酸のトリ プ トフ ァン
し、いっこうに、国が提示した健康目標の数値を達
の寄与度が高い。具体的な食品名でいえば、牛肉、
成することはできない。
「 わかっているけど、やめ
豚肉、魚、である 。一方、牛肉、豚肉、魚だけを食べ
られない、できない」のである 。今、私が考えるこ
ていると壊血病となる 。 ビタミン C欠乏となる 。
とは、ストレス解消に腹一杯食べる 。でも体重を維
ビタミン Cはコラーゲンの合成に関与しているの
持できる食事。 これには消化性を抑えた加工でん粉
で (コラーゲン中に含まれる特殊なアミノ酸である
とグリセリン脂肪酸エステルをうまく利用する 。 ビ
ヒドロキシアミノ酸の合成に必要)、皮膚が破壊さ
タミンは食事からの摂取量が心配ならば、ビタミン
れる 。特に血管壁が壊される 。では、壊血病にも、
は
、 「日本人の食事摂取基準 (
2
0
1
0年版)Jに記載さ
均気にも陥らないようにするには、
ペ ラグラにも、 l
れている推奨量あるいは目安量を、錠剤型食品とし
どうすれば良いのか。肉と野菜と果物を食べること
て補足すれば良いのではと思う 。 ミネラルの補足は
である 。 もっと便利な方法もある 。 ビタミン C、ナ
重金属汚染という課題をクリアした後に慎重に行っ
た方が良し、。
イアシン、ビタミン BIを含む錠剤型食品を摂取す
ることである 。
ミネラルについては、吸収率を高めるという研究
書 き忘れたが、タンパク質源としてコラーゲンを
姿勢について気になることがある 。 ミネラルは大変
うまく利用するのも良い。有り余っているタンパク
吸収率が悪い。 しかも、体調により変動する 。
「日
本人の食事摂取基準 (
2
0
1
0年版)J では、妊婦 ・授
質を有効利用することは大切である 。資源の有効利
用である 。 コラーゲンのア ミノ酸価は Oであること
量は不安であるということ
乳婦のカルシウムの付加l
を承知した上での利用法を考えなければいけない。
になった 。誤解をまねくといけないので、正確な知
識はこの本 を精読していただきたい。なぜかといえ
前に肥満を抑制する食品の開発として加工でん粉と
乳化剤のことを書いたが、コラーゲンの利用も肥満
ば、妊婦、授乳婦では体内でのカルシウム必要量が
抑制につながる 。
「食べると体重が増える 」 という
高くなるので、吸収率が非妊娠!時よりも 高 まるので
人は、アミノ酸栄養が良いからである 。 コラーゲ ン
不要で、
あるということである 。必要量が微量である
の摂取量が増えれば増えるほど、アミノ酸の栄養状
ミネラルでは、 l
吸収率が 1%程度であるクロムとい
態は下がる 。その結果、体重増加が抑制される 。肥
うものもある 。 ミネラルの吸収率を高める因子の検
満気味の人がコラーゲンを食べれば、適正体重に落
索の研究の成巣があがり、実用されているものもあ
とすことで、きれいになることもある 。繰り返しで
るが、目的の生体に必要なミネラ ルだけではな く
、
あるが、コラーゲンは、ペラグラ誘発の主要な予防
有害な鉛などの l
吸収率も高めてしまう危険性もあ
因子となるトリプトファン含量
ー が Oであるというこ
66 ・人間文化
栄養素改変栄養素
〆 'hi
岨
とである 。 トリプトファンからはビタミンのナイア
'diiF
シンだけでなく、偏頭痛の予防因子となるセロトニ
ンも睡眠ホルモンであるメラトニンも体内で、産生さ
れる 。
食品工業界への提案です。
4
0歳以上の人のために、コラーゲン、加工でん
粉、グリセリン脂肪酸エステルをうまく利用して、
腹一杯食べても太らない 「
魔法の食品」 を開発しま
しょう 。 ビタミンは食事摂取基準にしたがった量を
1
/
3にした 3
定剤をつくりましょう 。 ミネラルは S
告な
どの重金属に対する規格をきっちりしましょう 。
高齢になれば、杖や車いすなどの物理的な補助が
必要なように、栄養素に関しでも、吸収力を高め
た、体内保持力を高めた、活性型への転換率を高め
た、といった改変栄養素の開発が必要です。
人間文化・
6
7
研究ノート
滋賀県に暮らすニューカマーの
子どもたち
一外国籍児童生徒の教育をめぐる問題-
平田輝子
滋賀県公立学校日本語指導員
1 はじめに
月謝は 3 万円 ~5 万円と高額である(注 1 。
) 多く
わが国は製造業において深刻な人手不足を補うた
の殺や子どもたちは、ブラジル入学校で学 ばせた
めに、 1
9
9
0
年 「出入国管理及び難民認定法」 を改正
い
、 学びたいと考えるが、月謝が払えず日本の学校
世まで
して、職種を制限されない定住ビザを日系 3
に入学する場合が多い。ただし、日本の義務教育制
とその家族に与えることにした 。滋賀県には長浜市
度は外国籍の子どもを対象としていないため、外国
や東近江市、湖南市に自動車関連工場などの工業団
人学校、日本の学校のいずれにも通っていない不就
地が多くあり、法改正に伴ってたくさんの外国人労
学の子どもや、外国人学校の月謝が払えずに家庭で
働者が暮らすようになった 。来日当初は単身の出稼
待機している子どもも少なくない。 また、一度は日
ぎであり、数年で帰国する予定のことが多いが、そ
本の学校に入ったが、 言葉や文化の違いからなじめ
のうちに帰国のめどが立たない、日本が気に入った
なか ったり、いじめにあ ったりしてブラジル入学校
などの理由で滞在が長期化する 。そのような人たち
で学んでいる子どももいる 。 日本の学校に籍はある
は家族を呼び寄せるようになり、治安の良さから家
が不適応を起こし不登校状態にある児童生徒もいる 。
族同伴で出稼ぎに来る傾向も増してきた。 このよう
に在住外国人の数は年 h 増加し、滞在期間の長期
しかし、長期不登校の詳しい実態は把握されていな
、。
し
0
0
8年 1
2月末の外国人登
化、定住化が進んで唱きた。 2
3ヶ国から 3
2.
23
2人を数え、県内に居住す
録者数は 8
る約 5
0人に 1人が外国人とな った。 この年秋のリー
県の取り組み
文部科学省が実施した 「日本語指導が必要な外国
0
0
9年 1
2月
マンショック以来帰国する人が多く、翌 2
2
0
0
8年 9
人児童生徒の受入れ状況等 に関する調査 (
末には、 8
3ヶ国 2
8,
42
2人
、 2
0
1
0年 1
2月 末 に は 8
5ヶ
月 1日現在 )
J によると、滋賀県では、小学校7
3
8人
国2
6,
47
1
人に減少している 。 しかし、滋賀県が全図
(
9
5校)、中学校2
2
6人 (
4
4
校)、高校 3
4人 (6校 )で
、
的にも外国人の多い県であることは現在も変わって
母語別在籍数は、ポルトガル語が6
7
3人、スペイン
いない。ニューカマーと呼ばれる南米日系人、とり
語 が2
0
3人、中国語が3
7人、その他8
5人の在籍が確
わけポルトガル語を母語とするブラジルからの人々
認されている 。
の割合が多いことも滋賀県の特徴である 。
日本語指導が必要な子どもに対して、滋賀県は固
からの資金も活用しつつ、以下のような取り組みを
2 子どもたちの教育
外国籍の子 どもは、外国人学校か日本の学校を選
択し教育を受けることになる 。
県内には、滋賀朝鮮初中級学校、日本フィンラン
ド学校のほか、ブラジル入学校も設営されている 。
ブラジル政府認可校の日本ラチーノ学院(l歳から
高校生、予備校生まで)、コレジオサンタナ学園 (
小
学校から高校生)のほか、 ブラジル政府教育省各種
学校認可のサンファミリー (
小学 生から中学生 )、
アジアブラジル学院 (
幼稚園から小学生)
、アルコ・
イリス(l歳から小学生)である 。
ブラジル入学校は現在私塾と同じ扱いのため、公
的な財政支援を受けることができず、運営の全てを
保護者が支払う月謝でまかな っている O そのため、
68 ・人間文化
してきた。
①加配教員の配置 (
平成 2
1年度については、小学校
7校、中学校 3校、計 1
0校)
②非常勤講師の派遣 (
平成 2
0年度については、小学
校5
4校、中学校 2
0校、計 7
4校)
8年度について
③ ほ っ とサボーターの派遣 (
平成 1
は、ポルトガル語、スペイン語、中国語)
1年度
④帰国・外国人児童生徒受入促進事業 (
平成 2
については、長浜市、湖南市、彦根市、甲賀市の
4市)
⑤外国人児童生徒数育支援事業 (
平成 2
1年度につい
ては、ポルトガル語、スペイン語、タガログ語で
1
0名)
⑥帰国・外国人児童生徒教育指導者連絡協議会研修
滋賀県に暮らすニューカマーの子と‘
もたち ー外国籍児童生徒の教育をめ ぐる問題一
会(年 l回開催)
つまり、どこにいてもこういう 』
伏況なのではないの
⑦外国人児童生徒教育担当者配置校連絡会議 (
年
3
かと 。そこで、ポルトガル語を勉強することにした 。
回開催)
図書館にテキストもテープもあったので借りて勉強
市の取り組み
生徒も少しずつ日本語がわかるようになり、互いに
した。少しずつ彼らの言 うことがわかるようになり、
外国人在住者の多い市では、初期指導教室(湖南市、
コミュニケーションカfとれるようにな ってきた。 い
長浜市、近江八幡市)や定住外国人の子どもの就学
ろいろな活動をすることがとても楽しくなってき
支援事業(近江八幡市)を独自に実施してきた。
た。
3 外国籍児童生徒とのかかわり
初めての異文化体験
私は、県の取り組みのうち、非常勤講師 (教員 免
1学期の最後の授業のときは、しばらく会えない
4年前から日本語
許状取得が条件)の派遣により、 1
ことがとても寂しくさえあった。聞けは、
夏休みは両
指導 員として外国籍の子どもたちに関わ ってきた。
親とも仕事なので、ずっと家にいるしかない生活だ
出会った 児童生徒の数 は1
5
0人近くにな る。 国籍は
という 。友達と約束をしたり、自由に出かけたりす
5カ同にわたる 。それぞれの事情はさまざまである 。
ることもできない。夏休みの宿題ももちろんひとり
以下では、私なりに彼らに出会い、日本で暮らす外
でではできない。そこで、子どもたちを自宅に連れ
国籍の子どもたちへの理解を深めていった経過につ
てくることを思いついた 。我が家で一緒に勉強した
いてまず述べたい。
り、お昼ごはんを食べたり、水遊び、をしたりした 。
時には子どもセンタ ーに行ったり、荒神 山に登った
りもした 。本当に楽しい時間を過ごすことができた 。
初めての出会い
ありめて小学校で、子どもたちと出会った日のことで
学校外で見せる子どもたちの自由な姿はそれぞれの
ある 。 日本語指導を受けるために、それぞれの教室
お国振りを偲ばせるものであり、私にとっては初め
から 一つの教室に集めら れ、母語が通じる兄弟姉妹
ての異文化体験でもあった。 それが楽しくでしょう
や母国の友達との出会いを喜び合う子どもたちがい
がなか った。
た。話す、話す、話す、. . .6人の 生徒が私のわ
からない言葉で話す、話す、話す・・・ 。子どもた
ちは 言葉がわからない ため、ただず っといすに座
り、来る日も来る日も 1日の授業の終わりを待つだ
ピー J
.
i
'
ーづくり
2学期になると、 子ども たちがブラジルの凧、ピー
パーを作りたいというので材料を調達した 。
けの時間を過ごしてきたのだから 当然で、ある 。 わか
竹が必要と 言 うので竹やぶから 1本もらって持っ
らない言葉が行き交う中で、自分だけが黙って過ご
て行 ったらボンボンボンと縦に割って、あ っと いう
してきたのだから当然である 。 しかし、そこに日本
間に竹ひごを作 った。 日本の子どもにと って 竹ひご
語指導の余地はない。「 ここに座 って J"
[ノートを出
と言 えば 「ホームセンターで買うもの」 であるが、
して 」・
・ ・こちらの言うことが何も通じない。週
彼らにとっては、竹から作るものだった。次に色紙
った。しかし、
に 3回 2時間jの勤務はとても楽しみだ、
を配色や形を考えながらパッチワークのように貼り
私もまたわからない言葉の中で、本来の仕事がなか
合わせてデザインして本体を作っていくのだが、は
なか始められないこと、 一体何を楽しそうに話して
さみなどは使わない。そろえた材料の中には凧を飛
いるのだろう? 何 を怒っているのだろう?
ばすための糸があるので、糸で器用に切 っていく 。
と耳
を済まして聞いてみても 何 もわからないことが、次
第にストレスになってきた。
本体が重くなり過ぎないように、のりしろが大きく
ならないように、糊も使いすぎないように工夫する 。
そして、バランスよくつりあうように竹ひごを糸で
ポルトガル語を学i~ï
くくりつけながら骨組みを作る 。 この部分に一番時
しかしあるとき、ふと気がついた 。私のス トレス
間をかけていた 。 出来上がった骨組みにパ ッチ ワー
は彼らと過ごす時間だけに限定されているが、彼ら
クでデザインされた紙を貼り付けて、バランスを崩
は教室にいても、賀い物に行っても、駅にいても、
さないように本体を作っていく 。凧の足はビニール
人間文化・
69
滋賀県に暮らすこ斗ーカマーの子どもたち →外国籍児童生徒の教育をめぐる問題一
袋を縦I
I
長く切ったものを長い糸に 1セ ンチ間隔ぐら
本で出稼ぎ生活を続けていたので、兄弟を預か って
いで結びつけていく 。 とても根気のいる仕事だ。 も
いる祖父母の家にお世話になった。小学校 1年生と
つれないように気をつけて凧の足を本体に取り付け
5年生の娘も学校を 3ヶ月休ませて連れて行 った。
る。最後に、飛ばすための糸を左右の釣り合いを考
えて くくりつけたら、ビーバーの完成である 。
サンパウロの空港で久しぶりに会った兄弟の兄の
方は日本語を忘れていなかったが、あんなによく
の強さ、向き、
原[のある日、グランドに出て、原L
しゃべ ったのに弟の方はすっかりしゃべれなくな っ
そのタイミングを見計ら って
、 3人組で声 を掛け
ていた 。 日本から戻ったときも、兄はポルトガル語
合っ て揚げる 。一 人はビーバーを持ち、 一人は 「
走
を覚えていたのでスムーズに復学できたが、弟は忘
れ」の声 を聞いたら糸を持 って走っていく 。飛ん
れていたので 1年生からやり直したそうだ。同じよ
だ! みるみる高く上がっていく 。空に小さく、最
うに行き来しているのに弟は苦労ばかりしている 。
後には点ぐらいにしか見えない。私は、こんなに高
言語を習得するに最適な時期があるとはよく指摘さ
く上がる凧を初めて見た。 とても感動した。ブラジ
れるところだが、 2国聞を移動する年齢によ って
、
ルではこのピーパーの糸にガラスの破片をボンドで
兄弟であ っても両言語の習得状況が全く違うという
くっつけて、お互いのピーパーを戦わせるらしい。
ことを目の 当たりにした。
切られて飛ばされたら負けになるという 。
材料に関して、作成に関して、加L
揚げに関して、
私の経験を超えることは、
かりだ った。当時、私は教
兄弟は実に家の手伝いをよくしていた 。祖父母の
家に預けられているから気を遺っている、という風
でもなく自然に祖父母を助けている 。つい、我が娘
師として小学生に向かい合 っているような気がしな
に大変なことを抱えているこの子たちはがんば っ
かった。担当している子どもたちから 学ぶことのほ
ているのに、あなたたちはわがままを 言い甘えてば
うが多かった。 そしてすっかりこの活動に夢中に
かりいると 言ってしまう 。夜、せめて彼らのお母さ
なってしまった 。私の町の子ども会の凧作りの活動
ん代わりにな ってあげたくて弟に子守歌を歌った。
に、凧の先生としてブラジル人の子どもに来ても
そしたら 「ドラエモンのどこでもドアが欲しい j と
らった。地元の子どもたちは教えてもらうものの、
言 う。
「 そうしたらすぐにお父さんお母さんに 会 え
なかなかうまく作ることができず、ほとんどの工程
るのに、 」 と言 う。本当はまだまだ甘えたいしわが
をブラ ジル人の子どもに手伝ってもら った。近くの
ままも 言いたい年頃なのだと思うと胸が詰ま った。
幼稚園で凧揚げの練習もしたが、彼らのように飛ば
せる 子 どもはいなかった 。
週末には農場に連れて行ってもらった 。そこで、
凧揚げのときにきいたあの不思議な声 とまた出会っ
このように過ごすうちに、私は彼らが生まれ育っ
た。その声 は遠く離れた山のふもとで草を食んでい
た国、ブラジルにどうしても行きたくな ってしまっ
る馬を呼ぶときの声だ、った。
「 ガウーショ 」 と呼ぶ
た。そう思った最初の瞬間を覚えている 。凧を揚げ
とその名の馬がこちらまで、やってきた 。遠くから遠
るときに凧を放すタイミングを遠く離れたところか
くへ届く 声 は、彼らが育ったこの園、この地方の遊
ら指示 してくれるのだが、そのときの声がとても不
思議だ、
っ た。グラン下の向こうから届いてくる声が、
びゃ大人を手伝う仕事のなかで育まれたものだ った。
兄のほうが私を後ろに乗せて、ガウーショを 走 らせ
大きな声ではないのに空気の中をツーンと 響いてく
てくれた。 どんどんスピードを上げるので怖くてか
るのである 。 これだけの距離を属かそうと思 ったら
つての 生徒の背中にしがみついてしま った。 ピー
私なら大声 になるけど、決して大声ではない。 この
パーも乗馬も彼には敵わないなと思った。
声 に魅せられ、私はどうしても彼らの国に行きたく
なってしま った。
現地の学校
4 度伯
ブラジルの子 どもたちの通う 学校を知りたくて、
自分の子 どもを現地の学校に入れた。夏休み、カー
ホームステイ
うれしいことに、その夢は実l
J
1した。 ピー パーを
ニバルの休 H
院と続いたのでほんの数日だけではあ っ
作 った兄弟の帰国先にホームステイさせていただけ
生活 を垣 間見ることができた。授業 は午前だけ で、
ることにな ったのである 。当時兄弟の両親はまだ日
まだ暗いうちからスクールパスに乗 って登校した。
7
0 ・人間文化
たが、母子登校をさせていただき、ブラ ジルの学校
滋賀県に暮らすニューカマーの子どもたち 一外国籍児童生徒の教育をめぐる問題ァ
日本では小学校 l年生だ、った下の娘はブラジルで
はちょうど小学校の入学の時期に当たっていた。初
渡伯で学んだとと
ブラジルでの体験は、日本語指導員を続けていく
日は 「
入学式」 なので他の保護者も子どもに付き添
上で、子どもたちと出会っていく上で、大きな意義
うのだろうと思っていたが、付き添いは私だけで
あった。特に儀式的なものは何もなく、到着した者
があった。私たちが当たり前と思っている日本での
暮らしが、実はまったく当たり前ではなかった。私
から教室にまとめて準備されている机やいすを自分
の決めた場所に運んでそこに座って待った。机やい
たちは、なんと命や自然から切り離されてしまった
ところにいるのだろう 。ブラジルという国の一地方
すがまだ
て、子どもたちとの対面の時問になつた。一人ひと
の、彼らの暮らしゃ文化を理解すればするほど、日
りの名前を呼び胸に名札を つけてくださる。娘の番
le0 s
eunome
?Jと聞かれるが、娘
が来た。 iQua
は何を 言われているかわからない。何度も聞 くが答
本のそれとは異なっていることが見えてくる 。 さら
に、同じブラジルでも多様な暮らしがあるだろう 。
担当する生徒をこの日本という国の価値観だけで、
えないので、困り果てた担任の先生は娘に、 「
パト
滋賀県内の学校のものさしだ けで見ることをやめよ
うと思った。ブラジル人である生徒の似肋、ら理解し
リシア 」というブラジルの名前を付 けてくれてす ぐ
ていこうと努力するようになった 。 日本の学校から
に名札を作り 、J旬に留めてくださった。私は思わず
ブラジルの学校に入った娘たちの戸惑い以上の大き
笑ってし まい、その先生が大好きにな った。
翌日は、さらに生徒が増えた。前日は雨だったか
ら少なかったと聞いた。 日本の学校に来ているブラ
な困難が、ブラジルの学校から日本の学校へと逆の
道をたどる私の生徒たちには、きっとたくさんある
のではないか と思 った。
ジル人の生徒が休んだときの理由が雨だったり 雪
だ、ったりするのも領ける。娘のために誰かが何かを
手伝ってく れるということはなか ったが、みんなに
珍しがられて可愛がられて、困っていることもな
かったと思う 。
上の娘は中学 l年生に当たる 5年生に入った。ブ
ラジルの子どもは早熟な傾向があり、挨拶代わりの
まず、ブラジルの学校では半日の拘束時間が、日
本の学校ではその倍になることである 。次に、ブラ
ジルでは人種のるつぽ と言われるほど、 一人ひとり
違うことが当たり前であったのに、日本の学校では
他者 と違う ことがなかなか許されない。特に思春期
に来日した生徒は「異質な者排除」のターゲッ トに
されることが多い。彼らにとっては理解を超えるこ
キス、そこに珍しい転入生に対する特別なキスも加
とであろう 。ブラジルの学校ではほとんど禁止事項
わり、ピックリ仰天していた。宿題をしていかなく
て国語の先生に叱られたという 。数学の先生は優し
がないのに日本の学校では放課後にまで校則がある
ことも 驚きであろう 。 自然の 中で自然のリズムで暮
かったという 。それが事実だったか確かめようがな
らしていたのに、時間に追われて分単位の生活にな
いが、全く言葉がわからなくても伝わる 何かがある
ることもストレスだろう 。そして何より大変だと
思ったのは、大家族に囲まれてのんびり暮ら してい
ことを知った。
ある日、ブラジル入学校の生徒となった娘たちを、
友達が『 ワニのいる沼 j に泳ぎに連れていってくれ
ると 言 う。私は心配で、ついてい ったが、他のお母さ
んたちは何 も知らない。 ワニこそいなかったが、足
も立たない危険な沼だ、った。私は、 「こんな危ない
ところ、学校で禁止されてないの?J
とたずねた。
「ど
と不思議がられてしま った。
考えてみれば、
うして?J
学校内の ことで さえ、禁止事項がないのに、学校外
のことを決めるはずがない。ああ、こうして、この
子たちは、自分で自分の身を守る術を学んで、いくの
だろうなと思った。
たのに、こちらでは親とさえ顔を合わせる時間がほ
とんどない孤独な生活になることである 。 まだまだ
精神的 に幼い生徒にとっては大きな苦しみになって
いるに違いない。
学習 に関しでもカリキュラムが違うこと、同じ学
習であっても習う時期が逮う こと、 習い方も違うこ
と。例を挙げると、掛け算を習う時期が違うので、
出国のタイミングによ ってはブラジルでは習う前で、
日本て、はすでlこ終わ ってし まっているということが
起こりうる 。加減の考え方も日本のように、 5のま
とまりや 1
0のまとまりで考えたりはしない。割り 算
は掛け算の表を見ながら答えを探すやり方で学んで
きた生徒もいる 。州、
│
による違い、公立か私立による
人間文化・ 7
1
滋賀県に暮うすニュー力マーの子と、
もたち 一外国籍児童生徒の教育をめ ぐる問題一
違いもある。
る。
日本の学校のものさしゃ学年の到達度で彼らを見
i
度目して 2年もすると、人間関係が良好であれば
成点や否定だらけになってしまうが、
てしまうと、 i
だいたいの日常会話ができるようになる 。逆に言 う
彼らは決してそのような存在ではないということを
と、この時期までは本当につらく孤独な時間を過ご
強く感じるようになった。そのことを私だけではな
さなくてはならない。ひとりで買い物に行くことも、
く、子どもたちに関わる誰もが理解する必要がある
友達と遊ぶ約束をすることも、困った時に助けてと
と思う 。
言 うこともできない。そのために日本語の勉強が一
番必要な時期でありながら、学習が簡単には進まな
5 日本語指導とその周辺
日本語の習得には、何歳のときに日本に来たか (
渡
いことがある 。母国での生活とのあまりの違いにと
まどい、ス トレ スをため込み喧際をしたり、暴れた
日年齢)日本に来て何年経過しているか(在日年数)
り泣いたり、ふさぎ込んだりと 言 うことに対応し
が大きく影響していることを漠然と感じていたので、
ていかないといけないからである 。在日 9年のライ
2
0
0
3年に、そ れまでに出会 った子どもたち 6
6名につ
度目年齢、縦軸は在
いて、図 1を作成した。横軸は i
ンは、学習言語が身につくのに必要な │
時間と 言われ
ている 。来日時の年齢の影響を受け 5年から 9年と
日年数を示している 。私と出会うまでや転校してか
らの ことは知る限りの情報なので、不正確なところ
も言われている 。
度目年齢、
もあるかもしれないが、日本語の習得と i
上の問題を述べたが、以下では、さらに詳しく、渡
以上、 i
度目年齢と在日年数による 言語習得・教育
在日年数の 関係について気づいた ことを以下に述べ
0歳と在日年数 2年で区分できる 4つのタイ
日年齢 1
よう 。
プについて子どもたちの実態とそれに対してどう指
まず、波日年齢 1
0歳のラインである 。 1
0歳まで
導してきたかを述べる 。
に波目した子どもたちは、乱暴な 言 い方をすれば
未就
なお、図 lの斜線は、日本の学校における 「
「
放っておいても」日本語を覚えていく 。 と同時に
小学校 J1
中学校 J1
高校」の在籍区間を示し
学 J1
ている 。
時を経るにつれて母語を忘れていく 。過去に日本か
らブラジ ルに渡 った人たちが、し っかり母語を残せ
たのは、ブラジ、ルの学校で、の生活時間が短かったか
らかもし れない。前述したようにブラジルの学校は
① 10歳までに渡日してまだ 2年経週していない子
どもたち
現在でも半日だけである 。ブラジルから日本へと移
年齢が低い こと、とても不安があるということで
動した私の生徒たちは、日本では学校で過ごす時聞
が長いことや、家に帰っても母語で会話をするよう
心のケアを 一番に考える 。話を聞いてあげたり、ポ
ルトガル語の絵本を読んで、あげたり、 │
時には散歩に
な環境が充分ではない(子どもたちの両親は長時間
出かけたり思いっきり遊んだりすることもある 。ブ
労働や夜勤に携わっていることが多い)ことなどが
ラジルの学校 との違いに戸惑うこともあるので、 「に
原因となって母語 を話せなくな っていくのではない
だろうか。すぐに日本語を覚える 一方で、小さいと
9
9
2年)
ほんごをまなぼう 」の教科書(旧文部省、 1
を使って日本の学校について知らせている 。以前、
きに母国を出ているために、母語でも身についてい
避難訓練の非常ベルに パニ ックを 起こして泣き出し
ないような難しい日本語の言葉 を理解して身につけ
た 1年生の女の子があり、その際に作成した教材も
ることはとても難しい。
利用している 。ブラジル人とペル一人の保護者に手
他方、 1
0
歳以降に i
度目した子どもには、日本語の
伝ってもらって、内容のすべてを保護者の母語にし、
指導を、文法も含め、基本事項 を体系的、継続的に
私の日本語 を添えて録音したテープである 。 これら
を使って、日本の学校はこんなところだということ
指導していく必要がある 。そうしないと子どもたち
にとっての外国語である日本語を習得することはで
0
歳の壁にいかに対処するかが、母語
きない。 この 1
と日本語習得、学力保障教育全般にとって、非常に
重要な課題となる だろう 。
次に、在日年齢 2年のラインと 9年のラインであ
72 ・人間文化
を凡そわか ってもらうようにしている 。
前述したように、この年齢では日常会話 レベルの
日本語 は比較的容易に習得する 。ただし、 自分の命
を守るために必要な言葉や、対処の仕方については
繰り返し指導している 。
「助けてー リ
1-が痛いで
滋賀県に暮 5すニュー力マーの子どもたち ー
タ+国籍児童生徒の教育をめ ぐる問題
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6
渡日年齢(歳)
図 1 著者が出会った時点での子どもたちの渡日年齢と在日年数
図中の括弧内の数字は人数 図中の縦線、横線、斜線については本文を参照のこと 。
いやです Ji
わかりません」や 1
19
番
、 1
1
0番の
す Ji
する 。話す・聞くから、書く・読むへと指導の 中心
かけ方などである。最近は地震も多いので、地震の
を移していく 。知らない言葉の漢字は決して覚えら
ない国から来て いるブラジル人の子どもには、家に
れない。そこで、言葉が増えるとともに漢字も覚え
一人で居るときにどのように対処するかを教えてお
られるようになっていくので、ま日っている言葉の漢
く。
ひらがなやカタカナ、漢字について指導する 。漢
字は少なくとも読めることを目標に 指導している 。
学習言語も身につけていかないといけないが、限ら
字はカルタを使う 。そのカルタは、読み札がなぜそ
れた時間の中では算数や数学のフォロ ーをするのが
のような漢字になっているかの説明になっていて、
精一杯である 。
視覚的にもそ れがとらえられるので楽しみながら覚
またどんどん母語を忘れてしまい、難しい話を保
えられる 。 また必ず母語の意味と対応させながら指
護者とできなくなってきている子もいる 。外国人で
導している 。書き 順の指導まではなかなかできない
あるために何か嫌な思いをした子どもは、自国人と
9
9
2年)
が「十の画べえ 」という教材 (太郎次郎社、 1
してのアイデンテイティを失いがちで、日本人のふ
を使って 一筆で書く範囲について体験させている。
りをしたがる 。相談に乗ったり、母国の文化 に触れ
在籍クラスの授業についていけるように算数の指導
させたり、例えば、お料理を作ってみんなに食べて
もする 。
もらったりすることも大切な活動になってくる 。
事例 1 中学 1年生時の Aさん
② 10歳までに渡目して 2年以上経過している子ど
小学校 1年生から指導させてもらっている 。 日常
もたち
日常生活で覚えた 日本語を整理、修正していくこ
とが必要となる。子どもが話してきたことを正しい
標準語で返していく。例えば、 「昨日サティにいっ
たんよ 。おもろかったでえ」と話してきたら「昨日
サティに行ったのですね。それで楽しかったのです
ね。」と応じる 。 また、話し 言葉と書き言葉は違う
ので、作文や日記を書かせる ことで書き言葉に慣れ
るようにする 。 また本を読み聞かせたり読ませたり
会話に不自由はないので主に数学を教えていた。初
めての定期テス トの後、間違い直しをさせていると、
なぜこんなに簡単な 問題がわからなかったのかとい
う問題があったので、なぜかを尋ねてみた。すると
問題文の中に書かれていた「不足」 と「代金」の意
味がわからなかったという 。「足りないという こと
だし、いくらかと聞いているのよ」と言うとすんな
り解答できた。 なるほど、 日常の会話では 「
不足」
と言うより 「
足りない」と言うだろう 。 また、漢字
人間文化・ 73
滋賀県に暮 5すニューカマーの子どもたち 一外国籍児童生徒の教育をめぐる問題
には必ず意味があることを指導してきてはいるが、
事例 2 中学 1年生時の Bさん
「不」 と「足」 の組み合わせから 「
足りない 」 を想
B さんは、 6年生の 1
1月にブラジルから来た。 と
像することはできなかったのだろう 。値段はいくら
てもおとなしくまじめな生徒で友達とトラブルを起
かと聞く問題の文章表現を数学の教科書から探して
こすこともなく、周りの人たちに支えられ、無事卒
金額 H 支払い H 当
みると、 他 にも「値段 H 価格JI
業し、中学校に入学し、日本の学校生活に慣れると
てはまる値」などいろいろな尋ね方があった。 日本
いうハードルは越えられた。 しかし、
6月の終わり
Aさんにとって、
頃から、 「先生、私、学校も休まずまじめに授業を
それらの言葉を授業の中で耳で聞くとなると、難し
受けているけれどちっともわかるようにならない
かったのだろう 。余談になるが一緒に落語を聞きに
の。 いつになったらわかるようになるかしら?
人なら感覚的にわかるであろうが,
J
言 ったときに、笑えるところで笑えないこともあっ
と私に言うようになってきた。隣の 町の図書館にあ
た。 しかし、中学 3年生を迎える時にはちょうど在
るブラジルの教科書を借りに行って、理解の助けに
日 9年になるので、指導を積み重ねていけば高校受
なるようにしたりしたが、それでも、だんだん頭痛
験も夢ではないと思っていた。 ところが、中学 2年
がするようになって保健室に行ったり休んだりする
生の初めに母親の手術のため一時帰国してしまっ
ようになった 。 そしてついに登校できなくなった。
容
た。 もっとも彼女自身は中学を 出たらお母さんにE
を買ってあげたいから働きたいと言っていたのだが。
B さんは本当によく我慢もし、努力もした。そして、
苦しんだ。 しかし、担任は B さんが不登校になる
先日、ブラジルで暮らす彼女と電話で話したが、な
以前に彼女の問題に気づくことはなかった 。その後、
かなか友達ができないし、ポル トガル語の読み書 き
ブラジル入学校に入った。 この年齢で来たのだから
にとても苦労していると言っていた。 どちらに暮ら
その方が良かったなと思っていると、中学 2年の 4
しても苦労していると思った。
月からまた日本の学校に戻ってきた。理由を聞いて
みると、当時、ブラジル入学校は 4人の先生が5
0人
③ 10歳を過ぎて来日してまだ 2年経過していない
8
歳の生徒を、赤ちゃんを抱っこしな
近い O歳から 1
子どもたち
がら、給食を作りながら、授業をしなければならな
系統的な指導なしには日本語を身につけるのが難
い状況だったとのことである 。つまり、あまり勉強
しいので、きちっと文法を学んで基本文型を身に
を教えてもらえなかったというのが理由だった 。常
つけていけるように 『ひろこさんのたのしいにほん
に通訳がいるわけでもない日本の学校に戻ってきて
ごjのシリ ーズ(凡人社、 2
0
0
5年)を使って指導する 。
その方が良いとも思えない。 どこにいても彼女等 に
絵カードで新しい日本語と出会い、会話練習をして、
とっての学習の場がないと思った 。 1月、学校に来
プリントの問題に答えながら、文法や文型を確認す
ないので携帯に電話をかけると、今はブラジル入学
る。 そして自分なりの言葉で、実際に使ってみると
校にいるという 。また行ってしまうのかと思 ったが、
いうパターンの学習を繰り返して進めていく 。文字
その後また戻ってきた。
についても指導する 。漢字については、母語と対応
事例 3 中学 1年生時の Cさん
させながら語葉を増やすためにも、『新日本語の基
ペル 一人の C さんは両親が共に夜勤の仕事なの
漢字練習張1ポルトガル語版・スペイン語版 j
で、夜は 4人の妹や弟の親代わりでもある 。 6月の
礎
(
スリ ーエーネットワーク、 2
0
0
4年)を使っている 。
衣替えに半そでを購入することが間に合わず、いつ
しかし、この時期に来日した子どもは本当に大変な
までも冬服を着ている彼女に浴びせられた 言葉 「き
思いをする 。 1週間に 4時間の 「
取り出し授業」 だ
くさい」 はまだあまり日本語がわからなく
もい JI
けでは、なかなか日本語を理解するようにはならな
ても心に突き刺さった 。異質なものを排除しがちな
いし 、 ましてや在籍クラスでの授業がわかるように
日本の学校にあって、特にその傾向を強めるこの年
はならない。授業が理解できないという点について
齢の女子生徒のいじめのターゲットになり、それっ
は
、 学習言語を身につけるために
9年かかるという
きり学校に出てくることができなくなってしま った。
のだから、外国籍のほとんどの子 どもが当てはまる
制服や体操服を着た生徒の姿がまわりに見えないこ
かもしれない。母国で、成績の良かった生徒ほど悔し
とを確かめてから、日本語の勉強にだけこっそり
い思いをする 。
ゃって来て、こっそり帰っていくという臼が続いた。
74 ・人間文化
滋賀県に暮うすニューカマーの子どもたち 一外国籍児童生徒の教育をめぐる問題一
中学生になって学校に通えなくなってしまう生徒を
何人も知っているので、ああ今年もまたか、悔しい
事例 4 中学 2年生時の D君
当時、中学 2年生で、本人も 両親も、高校進学を
走
なあと思った。 しかし、通えなくなっていった生f
希望していた 。頭は良いし、日常の会話は困らない
たちがたどるその後が決して良いとは言 えないので、
ほどにはなっている 。 しかし、受験となるとやらな
なんとか方法はないかと考えた。彼女がもし日本人
ければならないことは山のようにある 。私が指導で
だ、ったら、スクールカウンセラーの先生に相談する
きる時間は 1週 間に 2時間だけであり、どうす れば
かもしれないと思い、即、実行した。いろいろなア
いいのか誰か知っていたら教えてほしいという 心境
ドバイスをしてくださったので、それを受けて学校
であ った。それとも、進学 は無理ですと伝えるべき
こんなエピソードがあった。 1年生の定期テ
側に対応をお願いしたら引きうけてくださった。そ
か?
のお陰で 5ヶ月後、別室ではあるが登校を始めた 。
ストの後、担任から「もっと点数とれや」 と言われ
在籍クラスの授業にも 2回入れた 。彼女には持病も
たという 。私が「ポルトガル語で授業受けて、ポル
あり,それを地域の保健婦さんに知らせた。受診予
トガル言昔でテス トだ ったらとれるのになあ。 くやし
約日が近づくと、診察日を忘れていないか、付き添
いなあ。
」 というと、 「しょうがないやン 。 ここは日
いはあるか、通訳は一緒かも気にかけてくださるよ
本の学校やし」 と、反対に慰められた 。正しく理解
うになり、 一度は仕事を 休 めない親に代わって診察
してくれない先生がいて、理解されないことを理解
に連れて行ってもくださった。養護教諭の先生も定
している生徒がいる 。 また、ブラジルでは音楽の授
期的に、薬は飲んだか、 リハビリは忘れずにやって
業がなかったのに彼はベ ートーベンの月光の曲のは
いるかを確認してくださり、通訳が見つからなか っ
じめの 4小節を弾くことができる 。映画のワンシー
たときは、一緒に診察にも行ってくださった。 また、
ンにその演奏があり、ビデオを何度も巻き戻して鍵
地域の日本語教室のボランティアに、たくさんの助
盤の位置を覚えたという 。続きを教えてくれと 言 う
けを必要とする子どもがここにいるということを伝
ので楽諸にドレミを打ちながら、まず私が練習した。
えたら、彼女の母諾が話せる人を探してくださ った。
彼は私が弾くのを見てただそれだけで同じように弾
彼女のケ ースで学んだことは、周りにたくさんの人
くことができた。 このようにして彼は、 「月光」 と
との関わりをつくってあげることが、いろんな支援
「エリーゼのために 」 をマスターした 。私もこの生
の可能性を引き出していくことに繋がることである 。
徒に出会ってなかったら、ピアノを練習する ことも
また、外国人というくくりではなく、もし日本人だっ
なか っただろう 。良い経験をさせてもらった。部活
たらどんなサービスが受けられるのかというように
はサ ッカーをしているが、走るのも泳ぐのも学年一
考えてみることも大切だと思った。
番だ。 こんな優秀な子どもも、受験の壁に進路を閉
④ 10歳を過ぎて来日して 2年以上経過している子
事例 5.0君の姉、 Eさん
ざされてしまうのか?
どもたち
E さんは、小学校 6年生のもうすぐ卒業という 2
日本人と良好な人間関係が続いている生徒は何と
月1
6日にブラジルから日本に来た。 中学校にも入っ
か日常会話は話せるようになっている 。 しかし、義
たが、たった一人の外国籍生徒ということで日本語
務教育が間もなく終わり、次の世界へ送り出すには
の指導もなく、 一切何の配慮もなく通常の授業を 受
幾重 もの困難がある 。働くことを希望する生徒には
け続けた (
外国籍児童生徒の在籍数が 1名である場
最低限の読み書きの力をつけなければならない。高
合、前述したような非常勤講師の派遣の対象外と
校進学 を希望する 生徒には、高校入試の過去問題か
なって いる 。
) 板書 も全部取りがんばったが、もう
ら点数の取れそうな 問題を確実に正答できるように
がんばれなくなり 学校に行きたくなくな った。けれ
導かねばならない。卒業後の自立が目標であり、そ
ど親からは行けと 言 われ、行けない自分は惑い子だ
の地点から逆算しての現在の対応を迫られる 。 しか
と自傷行為が始ま った。E さんの腕に l
噛み助を見つ
し、そのギャップを埋めることは、生徒の現在の立
けたときには悲しくでしょうがなか った。 2年生か
ち肘地からはすると、どんなに甘く見積もっても容
ら前述の弟も入学し、フイリッピンの生徒も転入し
易ではない。
てきたので、その中学校に私が指導に行けることに
なった。前年度は、 学校に合わすということばかり
人間文化・ 7
5
滋賀県に暮うすニューカマーの子どもたち ータ十国籍児童生徒の教育をめぐる問題一
やって疲れ果てていたから、 一切そのことは考えず、
たときも弟は、ポルトガル語を忘れていて復学する
むしろ E さんから在籍クラスへ、学校へ発信させ
のに大変だったそうだ。 しかし、兄はスムーズに復
るという方針で関わった 。 2人で新聞を作ってそれ
学できたらしい。この点も前述を繰り返すが、同じ
をクラスで読んでもらったり掲示してもらったりし
0歳前の弟は言葉が入れ替わって
ように往来しでも 1
た。初めはどうしても、あのとき こんな思いをした、
しまい苦労し、 兄の方は 1
0歳を越えていたので両方
悲しか った、嫌だった、と 言 うことを伝えたがった
忘れずにいたということを知り、 1
1
0歳の壁」 を実
が、それもありということで発信した 。 ワール ド
感した 。
カップの年だったのでブラジル優勝の記事も書いた。
この兄弟が帰国していたときも 両親は日本で働き
E さんがポルトガル語で書いた文章を私が日本語に
直し、それをまた E さんが書くと言うことで新聞
を作 って いった 。 どんどん元気になったが、クラス
にはほとんど入れなかった 。 この新聞だけが唯一 E
さんとクラスをつないでいた 。担任の先生が、クラ
スに戻るきっかけになればと、体育祭の練習に参加
するよう働きかけてくださったが、 E さんは嫌だと
いって拒否した 。体育祭の 当 日もこんな服装だ った
ら走れといわれないだろうというような服装で学校
にやってきた 。案の定、家に帰されてしまった。追
いかけていった私に、背中が痛いというので見たら、
背骨がものすごく曲がっているのがわか った。見た
だけでわかったのに、レントゲンを撮った医師はサ
ロンパスをくれただけだったらしい。その後、 (
私
の都合がつかないので)私の夫が付き添 って診察に
3度曲がっている
行くと、突発生側腕症で、背骨が4
という 。 2年間装具をつけて矯正する必要があり、
もしうまくいかなかったら手術しなければならない。
また心臓の病気も見つか った。わがままで、怠け者
のレッテルがつけられていたが実はそうではなかっ
たのである 。 4月
、 3年生になりクラスの方にもが
んばって入っていたが、突然の転校となって他市へ
行 って しまった 。 しばらくして電話があり、 E さん
は塾で学び、 D君は推薦で高校に入学したことを
知った 。
事修 1
1
6:F君と G君の兄弟
この兄弟とは一番長いお付き合いを家族ぐるみで
させてもらっている 。兄の F くんは 1
1歳から 3年間、
1
5
歳から 2
0歳の今にいたるまで日本に滞在している 。
続け、ブラジルに念願のマイホ ームを建てた 。お母
1歳から 3年間滞在し、
弟の G君は 7歳から 3年間、 1
0月からこちらに来て働いている 。前述し
去年また 1
親が疲れ果てて 眠っている姿を見て、何も言えない
たように、私はこの兄弟が一時帰国していた時に、
彼らの帰国先の祖父母の家にホ ームステイさせても
にさせたくないから、 一層強い気持ちで我が子の高
校への進学を望む。 日本の進んだ教育を受けさせて
らった 。F君も G君も 私の生徒だったとき日本語
いるのだから医師にだってなれると考えている人も
を話していた 。 しかしブラジルで再会したとき弟は
日本語を忘れていた 。兄は忘れてなかった。帰国し
いる 。 しかし、前述したように、彼等が本当に学べ
る場はないというのが現状である 。 また、親たちが
'
76 ・人間文化
さんと弟は帰国してその家に住んだことがあるが、
兄とお父さんは残って働き続けている 。F くんは 6
月に父親になった。 しかし奥さんは 2月にブラジル
に帰ったので、我が子が生まれたときその手で抱く
こともできなかった。 5ヶ月たって初めて我が子と
対面した 。家族が揃って幸せに暮らしていると思っ
ていたのに、冬に訪問した時には、奥さんは子ども
を連れてブラジルに帰 って しま っていた。外国での
人とつながりの全くない子育ては大変だったという 。
出稼ぎに翻弄された子ども時代、にもかかわらず、
一度として親の建てた家に住むこともなく、また自
分も出稼ぎで妻や子どもを養う 。F君の人生を思う
とき本当に胸が詰まる 。 しかし、彼は自分に誇りを
持って生きている 。廃車になった車からエンジンを
取り出す仕事 を夜勤でや っている が、今は不景気で
仕事がないから 日本人もこの仕事に就くことがある
そうだ。 しかし、一人として 1ヶ月続かないとい
う。ブラジル人やペル 一人もどんどんやめて、今は
もっと安い賃金で働いてくれるモンゴルやスリラン
カの人と 一緒にがんばっているという 。
6 子どもたちの困難
外国人労働者はみんな日本人がやりたくない仕事
を引き受けているようだが、給料も決して良いとは
いえない。 このような労働に関する困難は、外国籍
の多くの子どもの親に当てはまる 。担任に集金が
滞っているから様子を見に行ってくれないかといわ
れて玄関のドアを開けたとき、あまりの貧しさと、
で帰ってきたこともある 。親たちは自分たちのよう
滋賀県に暮らすこユーカマーの子どもたち ータ+
国籍児童生徒の教育をめぐる問題一
理解できる言語によって日本の学校についての説明
う0君のために卵焼きを作ろうとして油がとんでお
がされるわけではないので、親は子どもがどういう
なかにやけどをしたことがあった。 だ ん だ ん 中 学
状況にあるかを知ることができにくい。
校に行けなくなり良くない噂を聞いたが、根も葉も
図 1の高校生のラインの右上に配置された子ども
ない噂であると信じている 。
たちは、誰も高校に入っていない。このラインに近
中学校に入学して早ければもう 一学期の 内に、女
づくにつ れてどの子に とっても切実な 問題となるこ
子は不登校、男子は暴れ出すということが毎年のよ
とは間違いない。 しかし、実際には高校受験を迎え
うに起こっている 。私のような一非常勤教員の立場
る前にいろいろな困難があり、いろいろな問題が起
では、このような困難や問題点にどう対応していけ
こってくる 。
ば良いのかわからない。
H君は野球が好きで近江高校に入る夢がある 。け
れど学力的にも経済的にも難しい。
7 子ども観
I君はフイリッピン人。ブラジル人より安く雇え
さまざまなかかわりを通じて、子どもたちを決し
るという理由で今フイ リッピン人や中国人の雇用が
て「日本語指導が必要な外国籍児童生徒」 としてひ
増えている 。 タガログ語の資料は今のところ何もな
とくくりになどできないということがわかってきた。
、。
し
2週間ほどで転出した J家の 4きょうだいはお父
何歳で日本に来たか、日本に来て何年過ぎている
か?
さんに仕事が見つからなくて移動したのだが、その
一時帰国をしているか、していないか?
後ど こからも転入の知らせがない。
これまでどこで学んできたか、日本の学校の経験
不就学のままでいる子どももたくさんいる 。K君
は日本で生まれた。 しかし、 8歳まで幼稚園にも行
かず学校にも入らずずっと狭いアパートの中でゲー
ムをして過ごした 。会いに行くたびに体重が増え、
もう完壁な肥満体だ。
があるのか、ないのか?
母国で学んだのは公立か私立か?
母語が日常生活や学習 言語として役に立っか、立
たないのか?
日本に来た理由は何か?
Lさんは、日本での生活が長いので進学して、日
母国は南米かアジアか?
本語とスペイン諾とポルトガル諾と英語の通訳にな
漢字圏かそうでないか?
るのが夢だったが、中学 3年のとき、だんだん学校
家庭環境は? 経済状況は?
に行けなくなった。家にいる時間が長くなると極度
進学希望かそうでないか?
のス トレスを感じるようになり、 家族を残したった
将来の夢は、日本に住むのか、母国に帰るのか?
一人で固に帰っていった。
ビザの種類は?
M さん。今は働いているが、彼女も中学校 3年の
・
・ ・
・ 本当に一人ひとり違う 。
ときどんどん学校に行けなくなり、暇で仕方がない
日本の子ども 1
0
0人と日本に暮らす外国籍の子ど
ので、掃除をしてはごみをまき散らし、 まき散 らし
0
0人と比べたら、その個性の l
揺は断然外国の子
も1
ては掃除をするということを 1日中繰り返していた。
どものほうが広くて深いといえるだろう 。そのこと
N君は、親は期待するけれど、俺にわかる授業が
を無視してひとくくりに外国籍の子どもの問題や支
ないじゃあないか、と入学した中学校で暴れ回って
いf
ニ。
O くんと Pくんはいとこ同士。 N くんは小学校だ
援を諾 っても何も有効な働きは生まれない。
先日、授業の中でおもしろいことを聞いた。小学
校 1年生から日本の学校で継続して学んでいるブラ
けで 6校転校し、今 2人とも中学 2年生。あっとい
ジル人の生徒と来日半年ぐらいの中国人の生徒との
う問に非行に走り、警察にお世話になることが続
会話だった。 ともに中学 3年生である 。進学を希望
き、親はもうど こかに預けてしまいたいと訴 えた。
しているがテストで良い点数を取ることがなかなか
あんなに素直でかわいかったのにどこでどう間違っ
難しい。
たのか。
ブラジル人生徒は 言 う。「私は日本語をべらべら
0君の姉の Qさんは、小学 2年生のとき、なかな
しゃべっているけど、授業では難しい言葉が出てき
か帰らないお母さんの代わりにおなかが減ったとい
て、あまりよくわからない、社会の教科書は難しく
人間文化・ 77
滋賀県に喜うすニ 2ー力マーの子どもたち 一外国籍児童生徒の教育をめぐる問題
て何を書いているかよ《わからない。
」
の人権を守るための法律さえない。このような問題
中国人生徒は 言 う。
「私は日本語がわからないか
は、学校の中で解決できるものではないが、次の時
らきっと先生方は私が何にもわからない、できない
代を作 っていく のは目の前にいる子どもたちであ
と思っていると思うけど、漢字がわかるので教科書
る。 ここにいろいろと 書いてき たことはも外国人の
に何が書いであるかは想像できる。数学は日本の方
問題なのではなくて、日本人がどう考え行動してい
が簡単だ。ただテストで点数を取れと言われたらそ
くのかという問題であり、私たちにこそ突きつけら
れはできないけど。
」
れているのだと思う 。
このように本当に 一人ひとり違うので、 一人ひと
「郷に入らば郷に従えか、多文化共生か」 とよく
りの子どもを正しく理解することを全てのかかわり
論じられるが、先日大変興味深いことがあった。あ
やとりくみのスタートにしなくてはならない。
「支
る中学校で日本語指導員の私から生徒がつけている
援するより理解して下さい、理解しないのなら支援
ピアスをはずすよう伝えてくださいと言われたので
しないで下さい 」 という 言葉を聞いたことがある
ある 。彼女らにとってのピアスはお守りですからと
が、本当にその通りだと思う 。理解なくしては支援
返答した。 しかし、それでは周りの生徒が納得し
の方法は考えられない。言葉の壁があるので理解す
ないという 。単純に考えて、ほほ 1
0
0
%のコミュニ
ることが難しいという現実もあるが、少なくとも理
ケーションをとれる日本人に納得してもらうのと、
解したいというメッセージを送り続けるべきだと思
1
0
0%はとても コミュニケーションをとれない彼女
う。時には、目前の子どものことを自分は理解でき
ら(
ちなみにブラジルの学校は化粧も指輪もネック
ていないのだという理解も必要だ。そういう時は、
レスもなんでも OKだ)に納得してもらうのとでは
子どもたちを 前に無力感が募る。 しかし、自分が子
どちらが簡単か。私は前者だと思った。そこで教室
どもに適切に支援できていないという自覚があれ
に遊びに来た日本人の生徒たちと直接話してみた。
ば
、 「
他の (日本人の)子どもたち達と同じようにや
この人たちのピアスをどう思うか、ここは日本だか
れ リ などという無理難題を子どもたちに謀さずに
ら合わさないといけないかそれとも認めてあげる?
すむであろう 。
と。すると、 「そんなことどっちでもいいよ 」
。 とい
それぞれの子どもの育ち行く過程での個別、繊細
う言葉が返ってきた。
「郷に入らば郷に従えか、多
な問題がありながら、親には社会経済上の大きな困
文化共生か」 という分け方は大 λが勝手にしている
難がある 。外国籍の子どもたちの発達権、学習権を
だけで、生徒たちは、もっと自然体で受けとめてい
どう保障していくか、という謀題とともに、かれら
る。心の健康な者はピアスに文句を 言わないのだろ
の家族の生活をどう支えていくか、という現代日本
う。
「 そんなことどっちでもいいよ 」 と言つ てのけ
社会に喫緊の課題がそこにある 。
るこのような生徒がいることに希望を感じた。
8 終わりに
まな経験をさせてもらい、考えさせられた。 このよ
私は外国籍の子どもたちと出会って、実にさまざ
この子どもたちにとって日本の学校に通うことは
うなチャンスを彼らの周囲のみんながもらっている
とても難儀なことだ。 しかし、やはり学校は大切だ
のだと思う 。 このことを伝えたくて、本稿を 書い
と思う 。現在、日本では外国籍の児童の保護者に就
た。外国籍の子どもたちを心から受け入れて、彼ら
学義務を課していない。 しかし、それを口実にして
が今ここにいることの意味をみんなが見出して、そ
学校は子どもたちの手を離してはいけない。
れぞれの学校生活を健やかに送っていけるよう配慮
外国籍の子どもが通えなくなってしまう 学校、暴
れなくてはやっていられない日本の学校とは、一体
できるなら、その学校はきっとどの子どもにとって
も息のしやすい、すばらしい学校なのだと思う 。
何だろう 。学校というある意味守られた世界の中に
1:滋賀県は 2
0
1
0年 1
2月、学校教育法に基づく
あってさえ、はじき飛ばされてしまうこの子どもた
注
ちが大人になったとき、今以上の差別のない国に日
各種学校の審査基準を緩和し、学校の運営主体が法
本がなっているだろうか? 生産性、生活水準維持
人認可を受けられるようにする方針を明らかにし
のために、もっとたくさんの外国人を受け入れる必
た。各種学校の認可が得られれば、税制上 の優遇措
要性が議論されている 。 しかし今のところ、彼ら
置や学生割引の適用が受けられるようになる 。
7
8 ・人間文化
[滋|質|県lφ[零時l芋l~.I.
│
最新の成果主課題
│
(
第1
8回)厳賀県におけぷ縄文集落の A
f
!
!
/
ーヂH
谷熊原遺跡からみた琵琶湖周辺部の縄文集搭のありかた財団法人滋賀県文化財保護協会主任松
はじめに
本稿では、縄文時代草創期
室
孝
樹
晩期の調査成果につ
相谷熊原遺跡は琵琶湖の東部に釜える鈴鹿山地の
いて概要を述べ、相谷熊原遺跡、が持つ特殊性あるい
麓、東近江市永源寺相谷町に所在する 。鈴鹿山地は
は琵琶湖周辺部(註1)の縄文集落の中で相谷熊原
標高 1
000m]IIj後の山並みが続き、そこからは湖東
遺跡、をどのように位置付けることができるか、とい
地域の水源で、ある愛知川が琵琶湖に向か つて流れ込
う問題について概観したい。
む。相谷熊原遺跡はその愛知川の左岸の河岸段丘上
に位置する縄文│時代から中世にかけての集落遺跡、で
1.相谷熊原遺跡の立地的特性
ある 。2
0
1
0年度からほ場整備工事に伴う発掘調査
1)山地と平野の境(図1)
を実施しているが、それまで遺跡(埋蔵文化財包蔵
相谷熊原遺跡は既述のように愛知川左岸の河岸段
地)の存在については、 包蔵地内に所在する熊原神
丘上に立地する 。遺跡周辺は鈴鹿 山地の裾部、愛知
社の近辺で縄文土器が表採されているという情報の
川の堆積作用によって形成された平野部との境界部
みで、遺跡、の詳細については不明であった。
に相当しており (
遺跡は愛知川の浸食作用によって
発掘調査の結果、縄文時代草創期後半の竪穴建物
形成された河岸段丘上に立地)
、遺跡の東側には鈴
群および囲内最古級の土偶の発見、縄文時代晩期中
鹿山地が袋え、西側には湖東平野を望むことが出来
葉の土様棺墓群の検出など、調査成果の一部につい
るというロケーションを呈している 。遺跡の南西側
て記者発表 ・現地説明会等を開催してきたが、それ
には愛知川の支流である渋川が流れ、両河川に挟ま
以外の時期の遺構・遺物についても 貴重な成果を上
れた遺跡の立地する段丘じたいも小規模な扇状地形
げており、現在では調査成果を取り機めるべく整理
を呈しており、愛知川 と支流の渋川に挟まれたコン
調査作業が進行中である 。
パクトな空間内に縄文│
時代の遺跡、が所在する 。
図 1 相谷熊原遺跡の位置
人間文化・
7
9
│
滋│
賀│
県│
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考│
古l
学I
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竪穴建物 5.
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J
図 2 縄文時代草創期の竪穴建物跡位置図
2)
鈴鹿山麓の縄文時代
く必要があろう 。
残念ながら旧永源寺町域、ひいては鈴鹿山麓一帯
ではこれまで発掘調査事例が少なく、縄文時代のみ
2.相谷熊原遺跡の縄文時代告段階の様相
!
ll<:検討できるほど
ならず各時代において遺跡問で比I
ここでは相谷熊原遺跡の調査成果について縄文時
事例が蓄積されていない。 これまでに知られている
代各段階の様相を概観したい。最初にも述べたとお
資料の大半は分布調査等による 表採資料が大半であ
り、相谷熊原遺跡では草創期 ・晩期のみならず早期
るが、相谷f:ì~ 原遺跡の近隣においても例外ではな
から後期に至 る遺構・遺物も検出されており、縄文
い。 しかしながら、愛知川を挟んで対岸の高野地区
0
.
0
0
0年間を通じてこの土地が利用されていた
時代 1
では石器剥片等が表採されていたり、遺跡の西方約
ことが明らかとなっているが、草創矧・晩期以外の
l
k
mに所在している歳苗神社には近隣から出土 した
時期については資料数が少なく、概略のみにとどめ
とされる石棒が保管されているなど、キ目谷熊原遺跡
る。
の近辺には旧石器
1)縄文時代草創期の様相 (
図 2 ・写真 1~ 3 )
縄文時代の遺跡が存在している
可能性は極めて高い。相谷熊原遺跡と同じく、縄文
縄文時代草創期の調査結果については、すでに速
時代草創期の遺構 ・遺物を検出した奈良県山添村の
報として紹介しており (
県・協会 2
0
1
0、松室 ・重田
桐山和田遺跡、・北野ウチカタビロ遺跡、は、河川 を挟
20
10a.b)
、現時点では速報段階以ヒの知見はま
だ得られていない。
当該期の調査成果を列記すると、
んで対岸の段丘上にそれぞれ存在しており、相谷熊
原遺跡を含む鈴鹿山麓の縄文集落についても類似し
は発掘調査事例は少ないが、今後遺跡、が周知されて
① 縄文時代草創期後半段階にほぼ絞り込みが可能
、
な竪穴建物跡 5棟の検出。未調査の部分を 含め
いない地点においてもその存在について注意してお
建物群の範囲はさらに拡大する可能性もある 。
た遺跡の立地状況であ った可能性がある 。現時点で
80 ・人間文化
│
滋│
賞│
県│
の│
考│
古│
学I
ml
写真 1 竪穴建物跡 1検出状況
写真 2 竪穴建物跡 2~5 検出状況
れる 。石鍛は凹基無茎倣でほぼ占められ、その中
には長脚倣も存在する 。有茎尖 E
兵器の先端部とお
ぼしき破片も 1点のみ出土しているが、出土遺物
から判断する限り狩猟具における石鍛(弓矢)の
優位性が指摘できる 。
⑦
これら剥片石器の石材はチャート及び下呂石が
量的に卓越しており、サヌカイトの占める量は僅
少であった。 この他に掻器も出土しているが、こ
れについてはサヌカイトを石材としている 。
⑧ 1
深石詩は台石・石 J
lIl.敵石・凹石等が出土して
写真 3 竪穴建物跡 1出土土偶
いる 。台石 ・敵石には石器製作痕が明瞭に残 って
いること、石鍛の出土量が比較的多いこと等を考
② 竪穴建物跡はいずれも不整円形の平面形を呈
し、最大規模で径約 8 m、残存深約 1mという、
これまで国内各地で検出されている縄文時代草創
⑨ 機石器に含まれるもののうち、有溝砥石(いわ
期の竪穴建物跡では最も規模の大きいものとなる 。
乎ばれるものを 含む)が各
ゆる 「
矢柄研磨器」と H
これらのうち、最高所に立地する 竪穴建物跡 1
建物跡埋土中からそれぞれ複数点ずつ出土してい
③
の埋土内から土偶が 1点出土。土偶は胴体部分だ
1
2点)
。 有溝砥石(矢柄研磨器)は字句の如く
る(
けの造形であるが、乳房・腰の括れの表現から女
弓矢猟の出現に伴い、矢柄を研磨するために使用
性を象ったものであることが明瞭にわかる 。
④
されたとされる縄文時代草創期に特徴的な遺物で
出土土需は無文のものが大半を占めるが、浅く
ある 。草創期の遺跡で、はたいてい出土している
小さな爪形様の文様を施すものも存在する 。土器
が
、 一遺跡当たりの 出土数としては多い部類に入
の大半は厚手で占められる 。
⑤
え併:せると狩猟具に比重を置いた石器製作を行っ
ていた可能性が想定できる 。
出土した土器のうち、竪穴建物跡 1・4 ・5か
る。
とまとめることが出来る 。
ら出土した土器 (9点、)に付着していた炭化物に
以上のような調査結果から、相谷熊原遺跡の草創
(AMS法)を実施し
期縄文人について、狩猟生活に比重を置いた人々が
l
O
O
O
c
a
l
BCという測
たところ、較正年代で概ね l
一定期間の定住生活を送りながら、この士 地で生業
定値を得た 。
活動を行っていたという様子をイメージできるが、
ついて放射性炭素年代測定
⑥ 石器は剥片石器と磯石器に大別 されるが、剥片
それが通年、あるいは複数年 ・複数世代に亘る定住
石器は石鍬 ・不定形刃器 ・模形石器でほぼ占めら
化だったのか、別の生活拠点もありながら季節ごと
人間文化・ 81
│
滋│
賀│
県│
の│
考│
古│
学I
OI
に回帰して生活を送っていたのか、この問題につい
早期中葉以降後期に至るまでの様相につい ては不
ては証明するものがなく不明といわざるを得ない。
明な点も多いが、発掘調査の結巣を鑑みると散発的
しかしながら出土土器の炭素年代測定値を援用す
に地点を転々と変えながら、遺跡が形成されていく
る限りで、大きな時間差のない段階で 5棟 (
それ以
様子が看取できる 。
上)の竪穴建物を近接し て設営し、狩猟中心の生業
当該期に該当すると現時点で想定している遺構を
活動を行っていたという状況を出土遺構・造物から
列挙すると、土坑墓 ・集石遺構 ・落とし穴状遺構 ・
想定するならば、少なくとも数世帯の家族構成を有
配石遺構等が挙げられる 。いずれも出土遺物が極め
する人々が共同して、この土地で生活していた状況
て少なく時期比定については検討の余地が残ってい
は想像するにやぶさかでないだろう 。鈴鹿山箆で通
る。特に検出数の多かった落とし穴状遺構は、異
年的に定住していたかについては不明だが、中日;
谷熊
なる調査地点 :
r
u
でも規模はほ ぼ同 一傾向にあり (
概
原遺跡の立地が山地と 平野の境に立地するという点
ね径約1.0~ 1
.
3m -深さ約 0
.
7~ 0
.
9m、底面に杭
を重視するならば、植物質食料を含めた食料獲得に
を刺していたと考えられるピッ トが残る)、いずれ
は利便性の高い地点であ ったと想定され、通年的な
も現状で標高差のある段丘崖同近くで集中的に検出
定住生前を行っていた可能性も捨てきれない。琵琶
されている点が興味深い。調査地点が限定されてい
湖胤辺部では琵琶湖沿岸部から離れて氾椛平野・扇
ることから遺跡全体の遺構の把握には至っていない
状地にまで遺跡が拡大していくのが縄文中期後葉
が、上記の遺構の大半は段丘崖面近くで検出してい
0
0
9)
、山
段階からという研究成果もあるが(瀬口 2
ることから、段丘縁辺部に遺構が集中するという状
間部の調査事例が僅少であることを前提として考
況は段丘上における空間利用のひとつのありかたな
えると、琵琶湖沿岸部とは異なった生活様式 (
居住
のかもしれない。
パタ ーン )があ った可能性も視野に入れておきたい
3)縄文時代晩期の様相(写真 5、 6)
(
註 2。
)
縄文時代晩期の遺構については、遺跡の南端部で
2)縄 文 時 代 早 期 か う 後 期 に か け て の 様 相 (写 真
墓域を構成する状況を確認した。段丘崖面に接する
4、 5)
遺跡の南西端、渋川 寄りの地点で土坑墓および土器
草創期後半に活動を開始する 相谷熊原遺跡である
棺墓が密集して検出されている 。
が、続く早期以降はどのような様相を見せるのだろ
土坑墓は埋土に包含される遺物が少なく 、また人
うか。概観すると、この時期の遺構は存在はするも
骨も残存していないため認定が難しいが、不整方形
のの、今ひとつ様相をつかみづらいというのが正直
もしくは不整円形の平面形に大別できそうである 。
なところである 。
.
0
方形の平面プランを呈するものは長 軸約1.0~ 2
まず早期の遺構であるが、草創期の竪穴建物跡群
を検出した調査地点から 100m程離れた段 E崖面 に
近い地点で早期初頭の土坑を検出して いる 。長取"約
.
5~ 1
.0m・残存深 0
.5m程度となり、
m -短軸約 0
0基近く確認されている 。 いっ
このような土坑が 2
ぽう土器棺墓は 2
9基確認しており、両者の遺構数
.2mを測 る不受円
1
.2m-短軸約1.0m-残存深約 0
がほぼ重複している点は興味深い。土坑墓と土器棺
形の土坑 1基のみの検出であり、当該期の遺構群の
墓には層位的あるいは切り合い関係からも前後関係
広がりについては把握できなかったが、土坑内から
を持っている ことが明らかとな っており(土器棺墓
は押型文土器の小破片がまとまった状態で出土して
が後出する)、棺に使用される土器が篠原式に併行
おり、これらの抑型文土器は早期初頭の大川式古段
することから、それ以前に土坑墓群が形成され、次
階の範障に含められる 。竪穴建物跡、群からは抑型文
いで土器棺墓群が形成されたという時間的経過を想
土器は全く混在しておらず、時期的に建物跡群が押
定している 。調査時の所見では調査区全体でも篠原
型文士一
持期まで降る ことは ないと 判断 しているが、
式を遡る時期の土橋はほとんど出土しておらず、土
1
¥
]的連続性をも って 、この土地が利用
ある程度の時 1
坑墓群についても土器棺墓群を大きく遡る時期では
されていたことは間違いない。なお、押型文土器は
ない可能性は高い。 しかしながら土坑墓から土器桔
1
付近でも試掘調査
造跡、が立地する扇状地形の扇うた音¥
墓への再葬と理解するには士坑墓の認定 という課題
時に出土しており、未調査範凶に当該期の遺構が所
があり、 これについては今後整理調査を進めていく
在している可能性は高い。
過程で検討していきたい。
82 ・人間文化
│
滋│
賀│
県│
の│
考│
吉│
学I
m
l
写真 4 集石遺構検出状況
写真 5 落とし穴状遺構検出状況
写真 6 縄文時代晩期土坑墓群検出状況
写真 7 縄文時代晩期土器棺墓検出状況
土器棺墓はいずれも深鉢 l個体の単棺で横位もし
に土祷片 ・石器 (
石務剥 片)が出土している 。特に
くは斜{立で埋められていた。合口の土器棺墓は全く
祭間関連遺物として、石冠 (
飛騨地方からの搬入品
菜鉢あるいは浅鉢等の土器片を
検出されておらず、 i
か)・石冠形土製品・石万 (
被熱痕を帯びる )・ミニ
チュア土器等が出土している 。 また、土器棺墓周辺
葉として使用しているもので占められる (
県 ・協会
2
0
0
9
)
。
土橋備に使用さ れている深鉢は概ね篠原式の範時
でもサヌカイト・チャート・下呂石の剥片や石鍬が
多量に 出土している 。石鍬は作りかけの未製品が多
に納まるもので占められており、凸帯文土一
持による
く、また作りも稚拙であるものが多いことが現在作
土器棺墓は全 く検出されていないこ とから、極めて
業中の整理調査からわかってきた。 これについては
限定した │
時期の間に形成されたことがわかる 事例で
成年儀礼として、石器作りを行う民族例等が参考と
。 この他に磨製石斧等も出土してお
なろう (
註 3)
あり、これまでに明らかとなっている 土器棺墓 を大
量検出した高島市 (
旧今津町)弘部野遺跡 ・北例l
西
り、これについては北陸地域を原産地とする蛇紋岩
海道遺跡、大津市滋賀里遺跡等が凸帯文土器までを
含み込んだ墓域を形成しているのに対して、 │
時期的
製のものや、伊勢湾沿岸地域の製作技法を持つもの
に限定されているという点、土坑墓・土器給基の同
が出土 している 。
このように葬送儀礼に伴うものとされる遺物群に
一地点での大量埋葬の初現段階の事例として琵琶湖
ついては、大半が遺跡の所在する琵琶湖周辺部より
東岸部としては初 出の事例とな る点で注目すべき 事
も東方の遺物が大半を占めている点で示唆的であ
例であろう 。
る。土器棺墓の発生については北陸地域での発生 ・
土搭棺墓 ・土坑墓内からの遺物は極めて少ないが
伝播を想定する 意見もあり (中村
1
9
9
3)
、今 回の相
(
土器棺纂内からは微量の骨片 〈
粉〉が出 土)、包含
谷熊原遺跡の調査事例は土器棺墓という習俗 (しか
層 あるいは落ち込みと想定した箇所等からは大量
も初現段階)及び墓域で執行される祭示 に、東海・
e
人間文化・
8
3
│
滋│
賀│
県│
の│
考
│
古
│
学I
m
l
北陸地域からの搬入品もしくはその影響下で製作さ
れたものが含まれているという点で注目される 。
ける 。サヌカイ トについては二上山で産出するもの
で占められるが(註 4)
、石器全体に占める比率は
極めて低い。遺跡近隣で採取可能なチャートが主体
3
. 境目の縄文集落
となることじたいは不自然で、はないが、下目石が一
1)ヒ卜・モノの交流地点
定量を占める状況からは、伊勢湾周辺地域との親縁
前章では相谷熊原遺跡での調査成果を概観してき
性に注目しておきたい。ただし、 三重県粥見井尻遺
たが、本章では相谷熊原遺跡、のような遺跡を形成す
跡・奈良県桐山和田遺跡・同北野ウチカタビロ遺跡
るに至 った環境的背景について考えてみたい。
等、これまでに近畿地方で発見されている草創期の
冒頭にも述べたとおり、相谷熊原遺跡は琵琶湖と
遺跡と立地等の点で共通性はあり、マクロな視点で
伊勢湾のほぼ中間地点に位置している 。鈴鹿山地
見るならば当該期の遺跡には顕著な地域性の発現と
が両地域の前
│ に釜えているがそれは障壁とはなり
いうものはあまり見出せず、ミクロな観点での隣接
得ず、むしろ生業の拠点であった可能性が高いこと
地域との共通性がグラデーションを描くように、距
は、草創期の各建物聞における出土遺物の共通性・
狩猟具中心の石捺組成であったことからも裏付けら
離が離れていくにつれ見出せるようになるのかもし
れない。
れると考えている 。 また草創期以降、活動状態の疎
縄文時代早期以降の様相については不明な点が多
密こそあれ、ほほ晩期に至るまで遺跡が存続してい
く、集落としての具体的様相の把握は難しい。続く
る状況というのも縄文時代を通じて鈴鹿山地が生業
晩期については東海・北陸地域との親縁性が強く窺
の拠点となり得ていたことを示唆している 。鈴鹿山
われる傾向に変わりはないようである 。 これも鈴鹿
地に源を発する愛知川の河畔に集落を形成している
山地を越え 三重・岐阜県側からモノを含んだ情報が
ということじたい、水産資源の獲得も視野に入れて
伝わってきたと想定することができるだろう 。
いたであろうことは予測可能であり、複合的な景観
3)鈴鹿山地を中心とした生業圏
相谷熊原遺跡の眼下には、愛知川に沿うようにし
て八風街道が通る 。八風街道とは東海道と中山道を
を背景に縄文時代を通じて食料資源獲得が比較的容
易な空間であったことが推測できる 。
滋賀県下における旧石器時代最終末から縄文時
結ぶ間道に相当し、中山道武佐宿から八日市を経て
代初頭にかけての遺跡例は極めて僅少であり、現
鈴鹿山地を八風峠で越え、東海道の桑名宿と四日市
状では相谷熊原遺跡の他に発掘調査によ って明ら
宿のほぼ中間地点に出る街道で、近江商人が江戸 と
かとなったものはなく、大半が採集資料か、他時
の往来をする際に頻繁に利用された 。 また、近隣に
代の調査の │
僚に包含層 等で不時的に出土した資料
は三重県菰野町千草と東近江市甲津畑町を結ぶ千草
等 である 。有茎尖頭器等 の槍形石器については県
越え (
街道)も通っており、相谷熊原遺跡周辺には
内出土事例については既に整理が行われており (
進
伊勢湾岸地域へと通じるルートが恒常的に存在して
いたことが窺われる 。
藤
1
9
9
5)
、先学の研究成果から分布傾向について、
ある共通点が見出せることが指摘されている (
鈴木
鈴鹿山地を越えた 三重県菰野町には、相谷熊原遺
2
01
0
)
。 それによるならば、有茎尖頭器の出土地点
跡と同じく縄文時代草創期の遺跡、である西江野 A遺
は洪積丘陵の縁辺部あるいは琵琶湖周辺の沖積低地
跡が所在する 。相谷熊原遺跡からは直線距離で約
あるいは河床 ・湖底からの出土に分布が偏る、とい
1
5
k
mと近距離で、かつて県道工事の際に多量の縄
うものであり、特に丘陵の縁辺部という指摘につい
文時代草創期の遺物が出土している(山崎 2
0
0
5)
。
ては相谷熊原遺跡の立地とも重複するものでもあ
特に相谷熊原遺跡との関連で興味深いのは、有 j
葺砥
り、当時の琵琶湖周辺部における生業活動拠点のモ
石(
矢柄研磨器)が多量に出土していること、石器
デルのひとつとして挙げられるだろう 。
石材に下呂石が一定量占めているという点等であ
相谷熊原遺跡の存続時期は縄文時代を通じた約
1
0,
0
0
0年と長期間であり、当然各時期の様相に差異
る。発掘調査を経たものでなく採集資料で占められ
ていることから遺構との関係は不詳だが、相谷熊原
はあるが、特に草創期については出土資料を見る限
遺跡の遺物組成との共通性を窺うことができる遺跡、
り奈良 ・大阪等の近畿中央部よりも 三重・岐阜・愛
である 。
知の伊勢湾周辺地域との親縁性がより強い印象を受
8
4 ・人間文化
山地と平野部なので単純に比較はできないが、相
m
l
│
滋│
賀│
県│
の│
考│
盲│
学I
谷熊原遺跡から琵琶湖岸 (
愛知川河口 )までは直線
註
4k
m、同じく伊勢湾岸までは約 3
0
k
mで、あ
距離で約 2
1
ることを考えると、相谷熊原遺跡に住む縄文人たち
は琵琶湖岸・伊勢湾岸の双方を視野に入れつつ、鈴
鹿山地を中心とした生業圏を形成していたことが窺
筆者は琵琶湖とそれを取り巻く 平野・山地を
含め 「
琵琶湖周辺部」 と呼称しており、それは
現在の滋賀県域にほぼ重複している 。
2
瀬口虞司氏による琵琶湖周辺部の縄文時代集
われる 。草創期から晩期にかけて連綿と同じ土地が
落の動態研究では、中期中葉段階まで琵琶湖周
利用されているという事実は、この場所における土
辺部の遺跡は琵琶湖沿岸部に集中する傾向にあ
地変動の度合いが低く、それはとりもなおさず縄文
るが、中期後葉段階を境として沖積平野 ・扇状
人にと って生業に適した環境であったことを証明し
地にまで遺跡が拡散していく傾向を指摘してい
ているともいえる 。山地という、いっけん交通の障
る。ただし、 山間部の遺跡については、調査事
壁とも思われがちな環境はあくまでも現代人による
例が少ないこともあり議論の範鴎に入り込めな
評価なのであって、縄文人にと って山地 と平地の境
いきらいもある 。
を生活の場とすることこそが、生き抜くために最も
しかしながら、今回の相谷熊原遺跡や米原市
適した地点だったのかもしれない。現代の感覚だと
起し又遺跡のように、調査事例は少ないながら
アクセスに不便な 山際の集落遺跡という 印象を与え
もこれらから集落モデルのありかたを検討して
るが、縄文人にとって山地は障壁にはならなかった
おけば、今後の調査増加に伴い山間部の遺跡も
ことを改めて教えてくれる 。
含めた琵琶湖周辺部の縄文遺跡のありかたを、
より具体的に描けるようになることが期待でき
おわりに
る。
以上、雑駁ではあるが相谷熊原遺跡、の調査成果に
3 瀬口良司氏の教示による 。
ついて概観し、それをもとにどのような集落モデル
4 上峯篤史氏の教示による 。
を描くことが出来るか推察してみた 。縄文時代草創
期の集落遺跡の調査事例は滋賀県下で、は初出のもの
参考文献
で、近隣地域でも事例が少ないことから想定の域を
出ない部分が多く、この点については御寛恕いただ
O滋賀県教育委員 会・財団法人滋賀県文化財保護協
0
0
9年
会 『
相谷熊原遺跡発掘調査現地説明会j2
きたい。
O滋賀県教育委員会
滋賀県に生活 ・就業の拠点を構える私達はとかく
琵琶湖を中心に物事を考えがちであるが、今回の発
見は琵琶湖を相対的に見直す視点にもなろう 。すな
わち、琵琶湖はそれ単体で成り立っているわけで、は
・財団法人滋賀県文化財保護協
会 『
相谷熊原遺跡発掘調査現地説明会j 2
0
1
0年
0進 藤 武 「 滋 賀 県 の 石 槍 Jr
滋 賀 考 古j 第 1
3号
(
滋賀考古学研究会、
O鈴木康二
1
9
9
5年)
「
琵琶湖周辺における旧石器時代研究の
r
なく、周囲の山地に源を発する河 J
I
Iからの水の流入
現状と謀題 J 人間文化j 2
6号 (公立大学法人滋
があ って初めて成り 立っているものであり、 古 くか
賀県立大学人間文化学部、
2
0
1
0年)
ら人々は琵琶湖の近隣で生活を始めたと捉えがちで
O瀬口真司
あるが、琵琶湖沿岸だけでなく、山地周辺も生きて
ことを再認識させてくれる 事例とな った。 このよう
f
主集落の成立と展開 J(
昭和堂、 2
0
0
9年)
O中村健二 「県境の遺跡、 Jr
滋賀文化財だより j1
8
4
(
財団法人滋賀県文化財保護協会、 1
9
9
3年)
な当たり前のことを再認識しつつ、琵琶湖周辺地域
O松室孝樹・重田
いくための食料資源が十分確保できる環境であった
『
縄文集落の考古学
西日本における定
勉「発生期土偶の新事例一滋賀
r
に生きた縄文人たちの生業戦略をより具体的に復元
県 ・相谷熊原遺跡の調査成果一 J 古代文化j 第
し、未来への参照系として活かしていくことが今こ
6
2巻第 2号 (
財団法人古代学協会、 2
0
1
0年 a)
そ求められているのではないだろうか。
0松室孝樹
・重田
勉 「
滋賀県出土の草創期土偶の
r
新例一相谷熊原遺跡一 J 考古学 ジャーナル J6
0
8
(
ニューサイエンス社、
2
0
1
0年 b)
O山崎恒哉「西江野遺跡 Jr
三重県史
古
資料編j考
1(三重県
、 2
0
0
5年)
人間文化・
85
人・間・文・化・通・信
田人間文化セミナー
*演題古
交演題 ・対談交
民俗、博物館、
そしてフィールドワーク
手ムピ滋賀、
そして女性史研究
とき平成 22 年 7 月 26 日間午後 1 4 時 ~ 1 6 日寺
とき平成 22 年 12 月 8 日 制 午後 16 時 30 分~18 時
場 所 交 流セン タ 大 ホ
対象学生、教職員、
ル
場所滋賀県立大学交流センタ
般
大ホール
対象学生教職員および一般
講師篠原徹氏(滋賀県立琵琶湖博物館長)
講師脇田晴子氏(滋賀県立大学名誉教授)
※インタピュアー
京禦真帆子(滋賀県立大学人間文化学部教授)
琵琶湖博物館はいうまでもなく滋賀県のシンボル
2
0
1
0年 1
1月 3目、本 学名誉教授脇田晴子先生が
である琵琶湖 を中心的なテーマとした博物館であ
文化勲章を受章された。 それを共にお 喜 びするた
り、さまざまな領域の研究者が在籍する琵琶湖研究
め、記念講演会を対談形式で、行った。
の拠点でもある 。 もちろん本学とも研究 ・教育を通
脇田先生の学生時代のエピソ ード、研究を志され
0
1
0年 4月に開館
じて密接な関係をも っている 。2
た時のご苦労、その中で滋賀県 (
近江)の商業史に
以来館長を務められた川那部浩哉氏にかわり、篠原
着目されたきっかけ、さらには女性史研究への展開
徹氏が赴任されたのを記念して、 7月に篠原氏を講
について語っていただいた。先生が院生時代から彦
師としてお招きし人間文化セミナーを開催すること
根に史料調査に来ておられたのは初耳で、早くから
とした。セミナ ーには博物館関係授業の受講生も参
この滋賀県と縁があったことに驚かさた 。お話の中
加させることとした。篠原氏は民俗学が専門で国立
から滋賀県の歴史研究の面白さが浮かび、上がってき
歴史民俗博物館の副館長を務めてこられたが、もと
て、県大ならではの講演となった。
もと理学部で生物学を専攻されていた経歴をもっ研
女性研究者が少ない時代ならではのご苦労もあ
究者であり、人間文化学部だけではなく環境科学部
り、中でも、先輩研究者から 「
好きなことをやりな
の学生も 学芸員資格を取得できる本学の学芸員過程
さい。苦しくても、好きなことには耐えられるか
受講生にとってもいろいろと示唆されることの多い
ら」 と励まされたエピソ ード は印象的だった。研究
内容であった 。お話は篠原氏のアフ リカや日本各地
で壁に 当たった時、
での豊富なフィ ールドワークの経験をもととした博
だから、と唱えながらがんばった」 というお話は、
物館論で、ことに見る人の立場にたった展示の重要
会場のみなさんの心にも残る 言葉であったと思う 。
性を強く説かれたのが印象的で、あった 。 また観察の
i
(
日本史が)好きだから、好き
聴衆の中には学生もたくさんおり、脇田先生のお
重要性を強調されたが、 これは自然学だけではなく
話に大いに励まされた様子だった。学生へのメ ッ
さまざまな人文・社会科学や博物館にと っても有益
セージも頂戴し、これからの県大にも期待していた
な助言であろう 。
だけるようであった。
今後も琵琶湖博物館など県内の研究施設と県立大
ユーモアのある先生のお話には、会場からも笑い
学 との連携をさらに強めていく必要が研究・教育の
両面で必要で、あるが、人間文化セミナーをそのよう
が何度も起こっていた 。なごやかに楽しいひととき
な場のーっとして活用していけたらと考えている 。
、。
し
公務御多忙のなか、講師をお引き受けいただいた篠
原氏には心より感謝申し上げたい。
(
文責・ 市川秀之)
を、先生 と共に過ごすことが出来たことを感謝した
なお、この講演会の記録は、次号の 『
人間文化j
に掲載する 予定である 。
末筆 ながら、これからの先生のご健康とますます
のご活躍をお祈りしたい。
汎子)
(
文責 京集真 l
86 ・人間文化
人・間・文・化・通・信
.2010年 度 事 業 論 文 ・ 修 士 論 文 ・ 博 士 論 文 一 覧
豊浦地区を事例としてー
大津直也
彦根城下 町における水主衆の生活
「
水主町」のl
町
空 1~ll について
地域文化学科
並み構成を考える
小川真理子
茶木
薫
平野裕介
湖北 ・加 田村の庄 屋 一 武 右 衛 門
神田博愛
湖東地域の湖岸集落における空間
に関する 言 い伝えの再検討一
の構成について一彦根市薩摩
石田 三成旋書の再評価
町 ・柳川町 を事例としてー
近世大坂ににおける 三味聖
草野有美
彦根の I
I
I
J家と 町並みの空間構成に
久保奈緒子
街道がもたらす文化 的影響に関す
六ヶ 所 三 昧 聖が目 指 し た 大 坂 の
「
翌」 としての地位
大平史乃
中世における逃散
上村法子
職人歌合の史料学的性格について
真嶋彩乃
鎌倉時代の悪党について
関する研究
る研究
- 若狭街道を事例として
田辺京子
地域資源を活かした持続可能 なま
田
嘉希
友真
富井
安坂
一鎌倉幕府の悪党対策から
ちづくりの研 究
中世近江の街道
多賀 町八重練を 事例 と し て
十五年戦争にお ける婦人会活動と
道林
光
水辺に接する伝統的集洛空間の研
ジェンダー
究
高山友里
中近 世移行期における 北近江の在
事例として
岡田沙里奈
洗濯の歴史とジェンダー
下山貴生
古代日本における製鉄遺跡の研究
前田早紀
地支配構造
律令体制成立前夜の鉄生産
中川
永
滋賀 県犬上郡
一 近江八幡市安土町常楽寺を
文化的資源としての空き民家
長浜市余呉町上丹生を事例とし
坂本恵美
て
「開戦の日 」 をめぐる歴史認識
近江の 『
非稲作型J弥生社会
一 「
真珠湾攻撃」はどう理解され
一適応地論か らの考察一
てきたか一
(
本文編)・(資料 ・参考文献編)
前田佳美
ブラジル入学校における日本語教
福田いつみ
近江国府の瓦について
育
北川
古代の移動式世に関する研究
する条件と生徒のキャ リア意識
遼
北村聡子
長野りょう
日本原始・古代の指輪
健
山本
真タ
の変容
地域社会における新興宗教
けをめぐる家族の力 学につ いての
子奈
弥佳
亜
西岩
日本
として
ソウル都城の築造過程
芳田
菜穂
広域連携による産業集積の形成に
罵本 俊吾
メージの活用
インナ ーエリアにおける在日外国
上野かおり
雛祭と小さな来訪者
一京都市南区東九条地区を事例に一
神谷 明恵
薪者にとっての郡上おどり
太陽電池メーカーの 「
生産」・「
販
三大寺永恵
石部の愛宕信仰とコ ミュ ニテイの
変化
城下町彦根における中級武家屋敷
瀬戸
麻未
八木原家を事例として
地域資源を j
訴かした 町づくりに関
する研究
1
1
1
]
下
一 近江八幡市安土.
記憶の中の都市
一夢京橋キヤツ
スルロー ドの今昔一
の復元的研究
秀
竜馬通り商庖街を
一 貰い歩く子どもたち一
売」機能の配置にみら れる特徴
字藤
商眉街の活性化における歴史イ
事例に
人集住地区の変遂と現在
匠
現代演劇の 「公共性」 兵庫県立
尼崎青少年創造劇場を事例に
三遠南信地域を 事例に一
中西
名づけのプロセスと名づ
考察
関する研究
寺嶋梨恵
命名マニュアルから見る子ども観
支持する人々の心理
滋賀県 における創価学会を事例
高村紀之
現代日本における 「
女性」の皇室観
一『女性自身 jを手がかりとして一
現代の社会不安と排外主義
在 日特権を許 さない市民の会を
吉田
山田干瑛
パイ リンガル教育を 可能に
藤森浩介
ダム移転集落の再生と共有林
滋賀県東近江市永源寺夕、ムを事
例としてー
人間文化・
8
7
人・間・文・化・通・信
村上さやか
瀬戸 内地域 における海藻 ・イギス
載j
借
韓国における「兵役済み 」 という
の加工
鄭
地域文化学専攻
修
士
論
文
資格について
上田宏美
ミコ寄せの現在
東郷美香
モンゴルにおける 「
家族」 の動態
清水愛子
農村における自治会活動の現代的
一伊勢志摩地方の事例からー
小亀
舞
パリ舞踊を踊る意味
パリにお
に関する文化 人類学的研究
けるパリ舞踏と日本人が “踊る"
意義と再評価
パリ舞踏との比較から
晶川浩子
ギャルの民族誌
藤原志保
子どもの創造力と地域文化
~
下石寺集落にお け る 「
暮らし 」
の継承を目指した 地域活 性 化
福永恭啓
Iじゃんけん」・「グーパー 」 を
るのか
事例として
羅
迫洋
動物園は社会教育の 拠点になりう
市民活動と企業におけ
る社会貢献の立場から
「ローカルボーン ・
チャイニ ーズ
」
森本英令奈
の帰属意識の在り方
翠
勇樹
彦根藩における落札 について
文化的景観の保全に関する研
高橋美也子
私が住んでいる 地域のことば
究
山岸昂史
滋賀県の農業の課題と展望
見られる集落景観を事例としてー
常神半島と 三方五湖周辺に
企業によって農業の活性化 は可
議崎あゆみ
能か
若者に今何が起きているのか
地域文化学専攻ー 惇
士
論
文
一生きにくさや豊かさについて考
える ー
亀島奈央
~ G N H を通じて心の豊かさを考
中島由佳
NPOによる生涯学習をとおした
地域づ くり
肖
間
イ
社会建設としてのボランテイア
中国におけるボランティアに関
える
犬と生きる
一 私たちにできること
中西雄一
横山幸司
本当の豊かさって何 だ ろ う ?
する研究ー
古関大樹
自に見えない“違い"を持つ人が
明治期地籍図の基礎的研究
一滋賀県を 中心に一
社会と付き合っていくために
アスペルガーの人が生きやすい
社会を目指して
森
愛鐘
生活文化学科一 生活デザイン専攻
“生きる" こと
私の目から見た 2
1世紀
直村和昭
風の谷のナウシカ研究
古谷峻久
絵双六の持つ役割と時代背景につ
加地雅美
宮崎駿の 中の女性像ー
一装苑賞候補作品を基にして
久保田奈純
いて
三木朋子
「
正しさ 」 からの離脱
村井有紀
ピンクリボンポスターの研究
吉田圭吉
平成の皇室写真の研究
松崎克秀
総絵について
野田愛里香
現代アートの見方
雲
現代中国における家族の変貌につ
ヨーロ ッパヴイン テージ 自転車に
対する曙好性
樋口紗由佳
6の個性
琵琶湖に生きる 7
魚類学習スタンプのデザイン
三橋
恵
琵琶湖に浮かぶフローテイングハ
東知余美
病衣の課題抽出 と新しいデザイン
伊藤矧子
柿 渋紙の有効性
伊藤理紗
綿布の前処理条件が染着性に与え
拘田E季 江
照明パタ ーンの違いが布の素材及
ウスの設計
いて
戦後の日本と 比較しながら
安定的かっ効率的なイン ジゴ生成
法
奈良田拓
瀬戸内国際芸術祭 2
0
1
0を巡って
風
ファッションデザイン画のデフォ
ルメの特性についての考 察
の提案
る影響
び色の 印象評価に与える影響
88 ・
人
間
文
化
人・間・文・化・通・信
岩佐知美
滋賀の郷土料理鮒寿司を P Rする
寄川弥生
印刷の魅力を伝えるカードの制作
ためのツールの提案
太田
f
封
お昼の時間を豊かにするお弁当箱
の制作
片岡志緒里
生活文化学科一食生活専攻
家庭の洗面まわりを快適に変える
洗面台の提案
川瀬裕夏
青木麻美
ス リッパはなぜ使われるのか
「日本人の食事摂取基準 (
2
0
1
0年
版)Jにおける妊婦、授乳婦の水
日本の現代家庭をみて
溶性ビタミンの付加量の妥当性の
4
食言
す
栗本奈美
「
つくる 」 を楽しむ
一書屈で手にするモノづくり
笹島
居間におけるアクセントカラ ーの
食事・運動療法による 肥満改善の
効果および、パン食の摂取頻度に関
効果 一色の割合、配置方法、彩
する疫学調査の報告
瞳
度 ・明度の観点から
議
倫恵
水津裕子
石川望未
小学生の上履き制作
石島
唯
食育推進プロジ‘ェク トにおけるロ
を通じて
「かわいい」をイメー ジするウエ
テ、イングドレス
竹田扶美可
わかりやすいサインとは
一文字の大きさと距離との関係
寺仙真実
(1)小学校における食育の現
Sh
iga食育推進プロジェク ト
竹内初芽
状奥野央子
奥村直哉
菌物質
門田恵李
適した家具
西j
華奈都美
木田陽子
滋賀の色さがし
一地域の新しい塗料デザインー
橋本
中
平
長谷川恵子
日本の伝統食品サンプル
海外普及の現状と問題点
土産物の包装に対する環境意識の
藤井
ミ
オ
,
干
,
討-
高ポリフ ェノール植物 (
抽出物)
高野
非アルコール性脂肪肝に関する文
によるヒト体表温上昇効果
トイロライフ
ひとと繋がる 一人
恵
献調査と正常肝機能を中心とした
暮らしの提案
商庖街のプロモーション計画
語り部のいる 町七尾市一本杉通
前田E矢 乃
前田元紀
TDO遺伝子欠損マウスにおける
トリプトファン ナイアシン栄養
の特徴
心と体に障がいのある 子 どもの生
きる力を育む食育研究
(皿)特別 支援学級児に対する
調理を通した食育指導方法の検
清川品子
調査
福井菜々美
ふなずし飯の機能性
オオニシキソウ メタノール抽出
物のフェノール性画分における抗
床からみた生活スタイルの変化 に
一学生の一人暮 らしから考える ー
心と体に障がいのある子どもの生
きる力を育む食育研究
ゴマークと活動ツールの展開
~
彦根市における行政、地域、大学
が連携した食育推進活動の取り組
み
滋賀県におけるシェア居住の現状
と可能性に関する研究
鈴木知明
飯塚真帆
り
幼児の色彩感覚 と周聞の環境
疫学調査研究
近藤沙樹
消化器疾患の術後栄養管理とク リ
合田仁美
独居高齢者に対する 心身の健康ケ
ニカルパスの関係について
クラフ ト屋台 一人とものづくり
アに関する試み
を繋ぐ新しい場の提案一
個別面談形式を用いて
松本沙紀
狭小間口住宅における設計手
佐藤弘章
松吉晴菜
法
i
n
do
o
rs
q
u
a
r
eの設計一
位牌の現代
中学生の食事習慣および生活習慣
に関する調査
j
翠由希子
ココアとショウガの摂取がヒト体
箭野
第二居住空間としてのコヤのデザ
塩見聖子
高ポリフ ェノール植物(抽出物)
下村有希
授乳中の月経再来が乳汁成分と授
杉田干紗
乳に与える影響についての研究
ビタミン欠乏食投与後の血中、肝
表i
Iuiに及ぼす影響
宗教の違いからみるー
遥
イン
- Takashimap
r
oj
e
c
tを通
じての提案一
米田裕子
摂取がヒト体表温に与える影響
可 変性のある空間システムの提
案
n
e
s
t
-
人間文化・
8
9
人・閏・文・化・通・信
臓中および尿中の水溶性ビタミン
大本和也
築山美紗子
ハーブ熱水抽出物の摂取による冷
奥村彩奈
え抑制効果について
辻
S
耳ζ
ヨ
E
トリプトファン大量摂取による胎
り」の取り組みを通して
日本のロリータファッションとそ
(I)
井岡梨奈
両親関係の認知と生き方形成
特別支援学級 における食育の現状
片山f
有美子
心と体に障がいのある子どもの生
れにおける 「
乙女」について
とその児童の食に関する調査
ココアとショウガ粉末の摂取がヒ
野崎真佑子
野草抽出物による免疫賦活作用
橋本美帆
胃切除術後の外来患者における食
福井美佳
加藤
遥
仁美
の形成について
久世麻実
学び
アイデンテイテイの発達
大豆たん白素材の不快フレーパー
佐々木唯
を中心に
3人会話における瞬日行動の機能
改善方法の検討
上西加英
心を癒す時間の提供とはどういう
加速度計による 1-2歳児の身体
ことか
活動量 i
s
i
J
定の可能性
-I
カフェ 」における観察から
世木宏幸
炎症性腸疾患における食事摂取状
トリプトファンとリシンの量的関
分岐鎖アミノ酸摂取が脳内のトリ
志向に与える影響
会話中の食行動と発話との関係
高橋知子
幼児の年齢による物語受容・ 言語
発達の違い
高橋雅也
3人会話における食物分配と身体
田口菜保
不登校問題に対する滋賀県の取り
組みの検討
プトファン代謝におよぽす影響
水原由花理
2型糖尿病患者における栄養指導
茂山朔太
食事・身体活動がもたらす動脈硬
行動
の効果についての検討
化性疾患への影響および脈波伝播
若者の労働形態が「自分らしさ 」
傍島早紀
係が脳環境におよぼす影響
丸山明子
大学の就職支援を中心に
高齢者在宅介護における介護者の
7
作柄
L
況と栄養状態に関する研究
松谷さゆり
大学生の職業的アイデンテ イテイ
事摂取状況と栄養状態に関する研
幼児の身体活動と栄養
堀
会話への途中参入における話題の
転換と継続
ト体表温に及ぼす影響
久田早織
「
かっぱの河太郎祭
長田美緒
きる力を育む食育研究
中村佳奈子
子どもの居場所としての放課後児
童クラブ
児および仔への影響
時藤麻未
日常相談において人はどのように
他者の悩みを聞くのか
量の変動
別室指導に焦点を当ててー
竹田莱美
幼児の口腔内の認識について
食
言
す
のf
田中友梨
遠州伝説「浪の音」に関する研究
山戸宏晃
災害時備蓄食品に関する調査
5
長
中国人留学生の女子大学生におけ
渡遷由貴
ハーブの摂取による冷え抑制効果
について
速度を中心とした疫学調査データ
歯の描画をもとにした検討一
現
る痩身願望とス トレ スと摂食障害
との関連
富田彩加
2人会話におけるうなずきの相互
作用
生活文化学卒ト人間関係専攻
永島綾香
幼児期における大小イメー ジの形
成と伝達
足立昌弘
井戸田和美
幼児は食事場面で食べる以外に何
をするか?
一音声による表出に着目して
西川あかね
不登校支援施設における居場所づ
くりと登校刺激について
-2つの施設の比較研究か ら
居林裕樹
岩田妙子
自己効力感と恋愛に対する態度と
の関連
特性的自己効力感の観点から
腐女子達のジェンダ一意識のあり
方と腐女子文化との関係
90 ・人間文化
青年はなぜいじめを傍観するのか
←高校生・大学生へのインタ
ビュー調査から一
西山暁央
深田千尋
遊び場面における幼児の働きかけ
とその年齢的差異について
日常会話における姿勢の変化と話
題の転換
古川曜子
現代の若者における趣味への参入
から卒業まで
人・間・文・化・通・信
痛車を事例として
水口真梨子
現代社会における時間に対する意
識とその背景
-健康栄養部門
片山直樹
一 時間の使い方を説く著書から一
水野友詞
大学生の通学路選択におけるリス
ク認知
南谷朋佳
聴覚障害者の生活とコミュニケー
ンョン
桃川弘平
当事者への聞き取り調査から
大学生にとっての居場所とそれに
対する意識
五十嵐真樹
学校教育における道徳教育のあり
方についての一考察
滋賀県民の食生活習慣にお ける現
状と謀題
1年度「滋賀の健康・栄養
一平成2
マップ」調査より一
中井拓海
補酵素 Aとその関連化合物の同時
定量 j
去の開発と,パントテン酸欠
乏がパントテン酸及びその関連化
合物に及ぼす影響
横井健二
オオニシキソウ (
E
u
p
h
o
r
b
i
a
m
a
c
u
l
a
t
a)メタノ ール抽出物の酸
性画分中の抗菌活性物質の同定
主体的な
価値判断を促す教育方法とは
-人間関係部門
御子柴泰子
0
写真と語り から綴る 彦根の昭和 3
-4
0
年代
生活文化学専攻ー 修
士
論
文
-生活デザイン研究部門
野口香織
社会形成につながるアイデンティ
ティ構築の考察 C 1の変遷と展
胡
三E
林
宏美
既存コミュニティにおけるワーク
ショップの実践と考察
一大津市石山商庖街を事例とし
て-
人
間
文
化・91
人・間・文・化・通・信
-退任メッセージ
に琵琶湖にお ける水中 考古学であった 。それまで
任期を終えて
「キャンパスは琵琶湖 Jの実践
林
博通
人
間
文
化
学
部
地
域
文
化
学
科
は、大津京にかかわる宮殿跡や寺院跡、瓦窯跡な
ど、大半は陸上の遺跡調査等を担当してきた。そも
そも琵琶湖 湖底遺跡 の調査に乗り 出 したき っかけ
は、第 1期生が 3回生となり、初めてゼミ生ができ
た時、すでにス キューパダイビング、の資格を取って
いた学生がいて、 何 としても琵琶湖 に潜 って調査
したいという熱心 な要望があったからであ った。
私の滋賀県立大学とのかかわりは関学の少し前に
「キャンパスは琵琶 湖」 という大学のキャッチフ
さかのぼる 。私は滋賀県教育委員会文化財保護課の
レー ズをそのまま生かそうというわ けである 。 しか
埋蔵文化財技術系職員として、 間接ながら大学建設
し、危険を伴い、調査船や潜水器具を 必要とし、ど
用地の埋蔵文化財 (
八坂東遺跡)の発掘調査にかか
こをどう調査す ればよいのか、全く見通しの立たな
わっていた 。そして、この調査の最終段階の時点で
い湖底遺跡の調査を始めるにあたって、あれ これ遼
この新設の大学への赴任が内定した。不思議な縁で
巡を繰り返した 。私の大学時代のゼミ主任教授は、
ある 。
我が国の水中考古学の草分けである小江慶雄先生
そして、 1
9
95年 4月 1日、滋賀県立大学人間文
(
元京都教育大学学長)で、琵琶湖 湖底遺跡の話は
化学部地域文化学科の、考古学 ・文化財を担当する
よく耳にし、そ れに対する興味とある程度の知識は
7年間従事して
教員として 赴任した。大学卒業後 2
持 っていた 。 また 、私が県教育委員会文化財保護課
きた文化財保護という行政の仕事から、教育・研究
時代は、国家 的プロジェク ト琵琶湖稔合開発事業に
という仕事に軌道修正されたのだ。研究という面で
替
伴う湖底遺跡調査に深くかかわ って、私 自身、素 i
は何ら変わ りはないが、教育に関しては、 学生時代
りではあったが、実際に湖底に潜って調査した経験
の教育実習とわずかに非常勤講師の経験があ っただ
もあり、湖底遺跡の調査を行うことに何 ら違和感は
けで、仕事として若者に援することに初めはいささ
なかった。 しかし、調査組織を持たない大学の一研
かの戸惑いがあった。が
、 学生と接するうちに、忍
究者が、微々たる研究費で湖底遺跡を発掘すること
耐と寛容の精神が培われてきて比較的スム ーズな流
は不可能なことであった。そこで、できることは何
れになってきた。 しかし、教育には前向きの評価と
かと思案の結果、思い至 ったのが水没村伝承の湖底
厳しさも同時に必要とし、その兼ね合いは容易では
遺跡の調査であった 。 これは湖底を 掘削 して発掘を
ない。
行うのではなく、 湖底に潜 って湖底面を観察して、
いうまでもなく、考古学は 「
物」 を通じて歴史を
遺権 ・遺物の存在や状況を探るという、湖底遺跡、の
研究する学問であるため、教育に最も有効な 方法は
「
分布調査」であった 。その対象を水没村伝承地に
学生たちと共に遺跡を発掘して、その最初の準備か
限定することで目標が明確となり、調査水域をかな
ら調査報告書をまとめるまで、一貫して調査 ・研究
り絞り込むことができる 。伝承にある通り、水没し
を行うことである 。ただ、工事等による破壊の心配
た村跡は本当にあるのか、あるとすれば具体的にど
のない遺跡を、教育という目的のために発掘するこ
のようにあるのか、その水没の原因は何 なのか、と
とは文化財保護の理念からは逸脱する 。行政で発掘
いう問題意識を持って取り組むことにした。
が行われるのは、やむを得ず遺跡が破壊される 事態
調査を開始 したのは 1
9
9
7年の夏からである 。 当
に対して、保護の最小限の措置として記録で保存す
初は船も潜水器具も水中カメラもすべて賃貸借によ
るために発掘するものと位 置付けられているから
るものであ ったが、 幸い大学当局の理解を得て、調
だ。仮に、大学教育の中で文化財保護にかかわ って
査船をはじめ諸道具を次第に整えることができた。
遺跡の範囲や性格を把握するというための発掘が行
毎年、スキューパダイビングの資格を取る 学生もほ
われるとしても、調査中は常時調査現場に教員が張
とんど途切れる ことなく参加し、継続して調査を行
り付かなければならず、この大学の体制ではとうて
うことができ た。参加した学生はいずれも水中考古
い不可能なことであ った。 このため、学生に発掘調
査を体験させることに関してはどうしても行政に依
学のおもしろさを体験し、フ ィール ド調査の方法や
存せざるを得ないことになり、なにかと苦慮してき
遺跡の実態解明への手順を身を持 って学んだことと
思われる 。
た。
私の大学における考古学の実践的調査 ・研究は主
数倍のエネルギ ー と忍耐が必要であり、多くの危
92 ・
人
間
文
化
しかし、調査は試行錯誤の連続で、陸地の調査の
人・間・文・化・通・信
険も伴った。水没村の痕跡はそう簡単に見つかる
のをため込んでいた 。 まさしく、ちりも積もれば山
ものではない。それでも 1
4年間という愚直なまで
となるのを 実感している 。
にひたすら湖底を探るという調査の継続は、少しず
今日まで 6
5年間、っくりとっくりたる罪業のよ
つではあるが幾つかの手がかりを与えてくれた 。 ま
うに、出るわ 出るわ、よくぞこれだけ多くのもの
た
、 2
0
0
7年からは地探工学分野の研究者、京都大
が、この小さな部屋に収まっていたものだと驚くば
学防災研究所の釜井俊孝教授と大阪市立大学大学院
かりである 。 しかもそのすべてが、ただの 「ガラク
理学研究科の原口強准教授との共同研究により、大
タ」といっても過言ではない。
「研究室の 中味はガ
地震に伴う 地滑り痕跡の発見という新たな成果が得
ラクタだった」などと 言 うとお 叱 りを受けることに
られ、湖底遺跡の成因を究明するうえで重要な鍵と
もなろうが、少なくとも私の場合にはそう認識せざ
なった。
るを得ない現実に直面している 。資料ばかりため込
琵琶湖総合開発事業に伴う 湖底遺跡の調査は、総
額約 5
6億円という莫大な費用が投入され、その実
んでも整理ができなければ、ただのガラクタにすぎ
ないのである 。
態解明に大きく寄与した 。 しかし、 「
今なぜそれが
「これは貴重な資料だから残しておきましょうよ」
湖底なのか」 という命題はほとんど未解明であっ
などと親切 に言ってくれる人もいるが、私にとって
た。それに比べ、われわれの調査はきわめて微々た
はさほどのものとも思えない。 まさしく 「ゴミ」な
るものではあったが、その命題の解明に少なからず
のである 。若いころは年寄りの物持ちの良さを感心
貢献できたと思っている 。 この成果の公表について .
して見ていたし、そうした生き方が持続可能な社会
は、近々発刊すべく現在準備を進めているところで
の基本だとずっと信じてきた。 しかし、この期に及
ある 。
んでは 「もったいない」 と思いつつも、とにかく今
4年間におよぶ湖底遺跡の調査がそれなり
この 1
の成巣を得て、 何の事故もなく無事終了できたこと
はf
舎てるしかないのである 。
は、ゼミ学生諸君の前向きで献身的な協力と、同僚
ひとりの人間が一生かかってやることは、このゴ
ミの山のようなものではないか。 ほとんどなんの
の諸先生方、大学当局のご理解の賜物であると深く
役にも立たないことに、ちょっとばかり理屈をつ
感謝している 。そして、共同研究で新たな視点を提
けて、なんだかムニャムニャや って、それがうずた
供いただいた釜井先生・原口先生のお力も大きい。
かく積もるだけのことではないのか。 それだけな
こうした恵まれた環境の上に湖底遺跡の調査は成り
らば、幼子の戯れ事として微笑ましくもあろう 。だ
立ったものであると改めて感じている 。
が、もう少し考えてみれば、誰しも心の奥底に、自
前職であ った埋蔵文化財保護行政はいつも気が抜
分のいのちを生きるために、他の生きとし生けるも
けない実践の日々で、連日きびしい現実と向き合
ののいのちを喰らって生きてきた、という 一種の後
う緊張感が漂っていたが、その後の大学 人として
ろめたさのようなものを感じ取っているのではない
の1
6年間は質の異なる緊張感はあったものの、行
か。
政とはまるで別世界であった 。かなり自由な思考と
別言すれば、あらゆるいのちの積み重ねが、この
時間、行動が許されたのである 。総体的に充実した
私を形づく ってきたのだということである 。何とも
日々であった。多謝。
尊いことではあるが、他のいのちを奪わなければ生
きられぬとは、まさしく理不尽そのものである 。そ
れにもかかわらず、この生かされてきたいのちも、
人間一生ゴミ袋
武邑尚彦
人間文化学部地域文化学科
いずれは必ず死に帰する 。そうなれば、そのまま放
置しておくわけにはゆかぬから、誰かの 世話になっ
て、焼いてもらわねばならぬ。 この │
吐から消滅する
ときですら、他人さまの厄介にならねばならぬの
が、この私という厄介ものなのである 。
この尊くも厳しい現実にいかに向き合うのか。 こ
一月ほど前から研究室の大掃除を始めた。大学図
れまでは、ごまかしごまかし生きてきたけれど、も
書館のご指導よろしく、書物の整理は昨夏から少し
ずつ進めていたので、もうほとんどかたづいた。問
できるだけ多くのゴミを捨て去るべきだろう 。そん
うあとがない。退任のときを契機に、いまここで、
題は議事録や レポートなど、プライパシーにかかわ
な風に自分に言い聞かせてはいるが、ことはさほど
る書類の処分である 。いちいちシュレッダ ーにかけ
簡単ではない。 自戒を込めて 言 うなら、人間 一生ゴ
て裁断しなければならない。ため込まないように気
ミ袋、やっかいものですね 。
一休宗純禅師のお歌に、味わい深い一首がある 。
をつけていたつもりだ、ったが、毎日の業務に明け暮
れて、いつの間にか書類のみならず、さまざまなも
有ろ路より
無ろ路にかへる
一休み
人間文化・ 93
人・閏・文・化・通・信
あめふらばふれ風吹かばふけ
有ろ路とは世波りの道、無ろ路とは仏の道のこと
である 。
成委員の数を減らすことができ、問題のチェックも
行き届くようになりました。
さて話がまったく変わって、金沢には 「
江戸村」
私もこの辺りで一休みして、来し方よりも行 く末
という民家園があります。 もともとこれは民間ホテ
に重点を置きながら、静かに自分を振り返ってみた
9
6
7年に、加賀藩関係の古い民家を、武士・
ルが 1
いと思う 。尊いご縁をいただき、長い間お育てをい
町人・農民と広く集めて、 「百万石文化園江戸村」
ただいた有縁の方々に、そして生きとし生けるもの
として展示していました。 そこには重要文化財 2
たちに、心の底からお礼を申し上げたい。合掌
件、県指定 3件、市指定 2件など、十数棟が集めら
994年に、破綻し
れました。 しかしこのホテルは 1
てしまいます。 こういった指定文化財はそのまま破
退官とこれからのこと
棄するわけにはいきません。金沢市があとを引き受
土屋敦夫
人間文化学部生活デザイン学科
再移築しました。そして今秋 「
金沢湯涌江戸村」 と
けることになり、十数年かけて現在の位置へ、 8棟
、
してオ ープンいたしました。 さきほど北陸で 2
5年
間、古い民家や街並みを調査してきたといいました
が、いつの聞にか私が、最も沢 山の古い家を調べて
私はこの 3月で、生活デザイン学科教授を退職
きた人聞になっていたようです。私が滋賀県立大学
いたします。私が本学に来たのは、開学 4年目の
を退職すると述べたら、 「金沢湯涌江戸村」の村長
1
9
9
8年、大学院を設置するということで、急速呼
をやってくれないかと声がかかりました 。引退する
0月という中途半端な
ばれました。赴任したのは 1
ことを考えていましたから、何か役に立てることが
時でした 。その年は、まだ前任の金沢工業大学で、
あれば喜 んでやると答え、 4月からは金沢へ行くこ
十数名のゼミ生を担当しており、その指導で毎週金
とになりました。
沢と彦根を往復しなければならず、大変でした 。
i
i
蕩涌江戸村」は金沢東郊 1
0キロ、
山の中の静か
金沢では、おもに「日本建築史」ゃ 「
都市計画
な温泉街にあります。 自然に固まれ、春秋はことに
史」 を教えていました 。 その問、石 川県と富山県
0
0円と安く、市民や温泉客が
見事です。入
場
:
J
q
.
,
土3
の、古い町並みや民家などを、ゼミの学生を連れ
気楽に立ち寄って賑わいます。皆様も、是非一度、
て、毎年場所を決めて調査してきました。組織的な
お立ち寄りください。本当に良いところです。
民家や町並みの調査は、たいへん時間と手間がかか
りますから、だいたい地元の大学がボランテイアで
あたることになっています。石川 ・富山県で建築学
科のある大学は金沢工大だけでし たから、この両県
回顧(思い出)
の調査を 2
5年間やってきました。
野部博子
人間文化学部人間関係学科
本学に来ても、彦被 ・長浜 ・近江八幡などの伝統
的景観の調査などをいろいろやり、それぞれの市史
の景観編などを執筆しました。近江八幡市では、
「
都市計画若手議会」の会長を、この 5年間務めまし
た。都計審会長は土地勘がなければならず、近江八
昭和 4
7年 3月、初めて滋賀県立短期大学を訪れ
幡市史の景観編の執筆で、市中くまなく歩き回って
ることになりました。どこにあるのか、どんな学校
いたことがずいぶん役に立ちました。また生活デザ
なのかもわからないままに、米原駅からタクシーに
イン学科では、「近代デザイン史」や「日本住居史」
乗り大学に向かいました。面接試験なので時間に遅
などを担当しました。 さらに県大内では、生活デザ
れではならないとの思いです。採用合格通知をいた
イン学科の入試委員を長くやり、入試全般のベテラ
だき、いよいよ 4月から家政部幼児教育学科の助手
ンになりました。そして大学全体の入試副委員長を
としての出発です。
2期にわたって務めました。本学では推薦入試に、
総合問題を諜しています。総合問題は、学科試験と
違って問題が作りにくく、しかも各学科すべて独自
の問題を作っていました。そこで文系・理系といく
府住地からは西に位置する伊吹山が、彦根からは
東に位置します。伊吹山の山裾を遠巻きにしての通
勤です。私鉄、
JR、パスと乗り継いで片道 2時間
つかの総合問題の小問を、学科共通で作成し、各学
3
0分の通勤時間は、接続時間の不都合さも手伝っ
て、電車通勤は難しくなり 2年経過の後は車通勤と
科相互に利用し 合うというような手法に、私が中心
なりました 。片道約 50キロの道程は春、夏、秋は
になって改めました 。 これによってなにより問題作
白然豊かで心身ともに癒される快適なドライブ感覚
94 ・人間文化
人・間・文・化・通・信
での通勤です。 し か し 冬 と も な れ ば雪模様の日は
大学時代では、学生とくにゼミ生たちとの調査研
一転して恐ろしい道と化します。積雪、渋滞と思う
究を通しての楽しい思い出があります。そして私自
ように車が進まず、大学へは着けたら幸運、家に帰
身の調査研究、主に滋賀県や岐阜県、福井県等を
れたら安堵というときも幾度となくありました。
フィールドにして、さらにはそこからの派生した地
滋賀県立短期大学時代 2
4年間、幼児教育学科に
籍を置き、保育者養成に携わりよき師に恵まれてお
導きをいただきました。 一番印象に残っている事と
域での聞き取り調査では、人との出会いや、見聞
等、新たな広がりをもつことができました。
また児童文化の学びとして研究会を設立し、研
して、私が学会発表に参加するとき、保護者付き同
究、活動、啓蒙啓発運動を行いました。 さらには、
様、学科の大半の先生も 一緒に参加して発表を見
出前大学を開いて県内外の方々と共に学び、自らも
守っていてくださいました。 さらには滋賀県で国体
知識を i
栄めることができました。
が開催され、引き続いて身体障害者スポーツ大会が
4年、滋賀県立大学 1
6年(兼
滋賀県立短期大学 2
開催されました。そのおり、幼児教育学科の学生は
務 1年)の 3
9年間とても長い期間のようでしたが、
手話コンパニオンのお役目が当てられました。学生
思い返せば、踏み止まる間もなく早く過ぎて行きま
たちは、開催前年度から手話を学び当日に向けて 一
した。 t
'
f
,
や
市I
T
村、民間から戴いた仕事を 一つ一つ
生懸命に学んで、いました。私も 一緒に学び、また
こなし、 自らの仕事も消 化して行かなければな ら
前々年度開催県の視察にも県の担当者の方や、県内
ず、いろいろな事を考えている余裕もなく年月が過
他大学の関係者の方今と視察に出かけた事でした 。
ぎ去っていったような気がします。
幼児教育学科のスタッフの一員として、教育、研
究によい条件のもとで精一杯力を注ぐことができた
お育ていただいた滋賀県、諸先生、地域の方キに
感謝いたします。
ことは、大きな 喜 びでありました。
短期大学が四年制に改組転換す るあたりから公私
ともに、さまざまなことが生じて来ました。 たとえ
ば、私的にはこのころから、世間]でいうところの老
人介護問題をしっかりと抱えました。 まだ現在のよ
うな社会的な 制度も確立しておらず、裁が身で受け
11::めていかねばならないような時期でした。周囲の
方々の芝l
l
W
Ioのもと 何とか仕事との両立を果たし、親
を見送ることができましたが、すべての方が同じよ
うに理解を示していて下さるとは限らず、暗に退職
を迫る等のさまざまな圧力もありました。が自分な
りに集中することのできる仕事を見つける事で、四
年制大学 l
時代の 1
6年間をま無 く過ごす事ができま
した。
AT
あそびの調査風景
企紙芝原百出版風景
人間文化・
95
人・閏・文・化・通・信
.INFORMATION
.2010年度教員活動報告 ・
・ ・.1
.・
.
.
.
.
・
・
.
・
・
・
・
.
・
・
・
.
・
・
・
・
・
.
・
t
(
=地域文化学科
-武 E尚彦(たけむ 5たかひと)社会学、文化人類学、地
域研究、地域学
フィールドワークに出かける機会もなく、寓居に箆
もってひたすら手紙を書いていた。寒くなってから
は、新設した薪ス トー ブのおかげで、暖かい冬が過
ごせた 。すべてに感謝、有り難う 。
地域文化演習の学外実習は、例年の如く、 2回実
つひにゆく道とはかねて開きしかど
施した。①高知県四万十川流域を河口音[¥から上流域
きのふけふとは思はざりしを
にかけて視察し、地域の生活文化を現地研修。龍馬
(伊勢物語 125)
その時になってみないと分からないことが何と多
脱落の道 「
梼原街道」や「浮沈橋」 を訪ね、民俗学
2
010年 6月)。②香川県
者宮本常ーに思いを馳せた (
いことか。それが人生というもの。そんな実感がま
小豆島の地域文化を 農業体験などを交えて現地研
すます強くなってきた 。 自らの生き方を自らの問題
修。持続可能な 地域に根付いた生き方を実践して、
として、謙虚に誠実に問いかけることが日に日に切
小豆島に定住結婚した幸崎誠司さん(地域文化学科
実になってき たからであろう 。伊勢物語の作者の心
7期生大阪市出身 )が案 内役をか つてくれ た (
2011
年 2月)
。
情を思うことである 。
2年 4月半ば、私の定年退職を 1年後に控
平成 2
織の退任記念
年が明けて平成 23年 1月 26日、小 l
えて、 「人と 地域」ゼミの歩みを本にしようという
「
最後の説法講義、若者よ幸せか」が学生たちの企
企画がゼミ生の間で持ち上がった。 5月始めには、
画で進められ、 A 3 - 301大講義室は平日にもか
学部ゼミ生数人が突然研究室に抑しかけてきて、出
かわらず有縁の方々でいっぱいになった。その後の
版のためのスケジュール表 AO版一枚を壁にベッタ
0名余の卒業生が参集。何とも 有り難
懇親会にも 7
リと貼り付けた。
い盛り上がりで、教師冥利に尽きる思いであった。
それからが大変だ、った 。編集長の指示に従って私
今年度の就活は昨年にも増して厳しそうだ。年度
は毎日毎日、こ ころ通わせた卒業生たちに手紙を書
末も近づいて、落ち込んでいる学生も少なくない。
き続けた 。なるべく本音が伝わるようにと、すべて
十分な予備知識もない ままに大きな流れに抑し流さ
和紙の使室長に筆書きである 。 もう出版に間に合わな
れる学生たち 。 こういう時代にこそ、 一歩退いて自
いからストップせよ、と編集長から指示を受けたの
己省察を怠らず、現実をしっかりと見極めて生きる
姿勢が肝要かと思う 。
が1
0月中旬であったろうか。往信投函総数は 9
0通
余、途中では返信に対して返信をするということも
地域貢献活動としては、 ①豊郷町の 「
地域文化の
0
0通をはるかに超えた。卒業
あったから、総数は 1
再生と創造」事業の一環として、伊藤忠商事の大番
生からの返事は半数も来れば立派なものだと思って
頭古川鉄治郎氏の絵本 『
テツと 白い学校Jが完成し
いたが、ほほ全員から返事が来た。驚いた。 そし
た。制作は 4回生の森愛鐘さん、絵は生活デザイン
て、ちょっと困った。ページ数が増えると費用がか
学科の卒業生中城信さんである 。②彦根市公民館福
さむから 。
寿大学講 師 (5月)。③ 湖北流域森林づくり委員会
平成 23年 3月、その本がや っ と出来上が った。
の代表委員 。④栗東市防犯町づくり委員会委員長、
在学中のゼミ生が、自分たちだけで作り上げた本格
⑤長浜市防犯推進協議会委員長、 ⑥巣東市文化体育
的な出版物である 。正しく感動ものである 。
「人と
振興事業団理事等。
地域」ゼミでは 2000年 1月以来、学生たち自身で
ついに今春退職
、 学生 ・卒業生をはじめとする有
フォーラム誌 『
人と地域j を毎号 4
0
0部出版し、県
縁の方々に心より感謝申し上げたい。関学以来、我
内の高校と図書館そして有縁の愛読者に配布してき
が家の竹薮で毎春開催してきたタケノコ掘りは、今
2011年 3月現在 49号)
。 そうした研究室での訓
た(
年も実施することになった。有縁の人たちに参加し
練が今回の 出版事業には大いに役立った。是非多く
てもらえるよう、下草刈り など準備を始めている 。
の人たちに読んでもらいたい。環境を丁寧に整えさ
えすれば、すばらしい若者が育ちゆくのだというこ
とが検証されている 。私の愚鈍さにも態痴一つこぼ
さず尽力してくれた編集長山形蓮さん(大学院博士
前期課程 2回生)には深甚の謝意を表したい。
そんなわけで、この 一年間は学生と共に海外の
9
6 ・人間文化
-林樽遇(はやしひろみち)考古学
教育・研究
この一年が私の湖底遺跡調査の最後の一年と位置
づけ、老体に鞭打つ気概で取り組むこととした。毎
年水草に阻まれて苦労してきたため、7.1<草の繁茂す
人・間・文・化・通・信
る前に何とか明瞭な遺構 ・遺物を発見しようと 、 5
げなどに活躍。冬の雪おろしにも来てくれた。
月の連休前から調査を開始した 。対象地はこれまで
と同様、長浜市下坂浜千軒遺跡、米原市尚江千軒遺
b.1
焼却I
J 8月に余呉町で、 「火野山ひろば」の仲
問、永井邦太郎さん、ウッディパル余呉、地域の
跡
、 高島市三 ツ矢千軒遺跡、であるが、特に、前二者
人たちと 2カ所で火入れ、 1
1月にカブラ収穫、
を中 心 に調査を進めた 。
0
0人近くが参加。地域でカブラのドレッシ
のべ 2
三次元サイ ドスキャンソナーによる詳細湖底地形
図の微高地(凸 地)あるいは異常なコンターを示す
ング製造に成功。
c
.
1
クリスマス会 JN P0メロディーと県大ボラ
地点を中 心 に、ていねいに湖底の状況を観察して
ンティアサークルのハーモニ ーが交流センターで
いった。
開催。県大ブラスパンドとダンスサークル、ボラ
兵千軒遺跡では、長浜大仏の沖合約 50mで
下坂 j
ンティアの皆さんが障がい児 ・者と楽しく交流。
五輪塔(空・風)を、もう少し北の沖合約 380m、
水深3.7mの地点でヤナギ類の立木根数本が発見さ
2
5
0人ほど参加。
2)共同研究
れ、その放射性炭素測定年代が約 l万年前であっ
「集団の進化学的基盤研 究 I
I 制度」、 1
1もの」 の
た。 1
6世 紀 後 半 の 大 地震に伴う地滑りで、埋没し
人類学的研究J
、「 フィールド ・サイエンス研究 J(
以
ていた立木根が湖底面に表れたものと考えられる 。
上は東京外語大 )
01
在地と都市がつくる循環型社会
│
肖江千 *
f遺跡では、 朝妻の沖合約 250m、水深約
再生のための実践型地域研究 J(京大東南アジア研
4mの地点で、矢穴石群が発見された。その石材の広
01
ヒ ト科における攻撃性と抑制のメカ
究センター )
がる範囲や矢穴の形状、地盤工学的調査の、陵地部
ニズムの進化 J(
科研費
における表面波探査、湖中での音波探査などから、
3)成果物
この矢穴石群 は元来、湖岸にあ ったものが文政 2年
a 出版物 I
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(
18
1
9)の大地震の液状化に伴う地滑りによって、
発見地点にもたらされたものと判断された。
これ らは、 一連 の 湖 底 遺 跡 調 査 の 大 き な 成 果 で
あった。
社会貢献
7月 2
5日…大友皇子 ゆかりの 寺 院 ・法伝寺で命日
古市剛史代表)。
「霊長類 世界における 「モノ 」 とその社会性の誕
法要での講演。「大津京と大友皇子」
。 講演後、比
良たかし作曲の万葉歌をライフ、、。
生 J ものの人類学j 所 収。「
地域に生きる武邑さ
8月 2
8日 琵琶湖博物館でシンポジウム 。「湖底遺
んJ 人が育つゼミ J所 収。「 日高さんの自由さと
跡の探検~ 湖に沈んだ村を科学する ~ J で共同研
人間論 Jr
日高敏隆の口説き文句 j所 収。 I
r人間
究者・京都大学防災研究所釜井俊孝教授、大阪市
平等起源論j における平等原則の系譜」神戸学院
r
r
r
大学紀要 2
7:
3
60 在地の知 j シリーズなど。
立大学大学院理学研究科原口強准教授と共に調査
成巣の発表。
b 講演 「ボノボと語る生態的参与観察のススメ」
01
くらしの森づくりに向
(大阪シニア自然大学 )
1
0月 3
0日…滋賀県立大学秋季公開講座で講演。「琵
琶湖l
湖底遺跡の謎を解く」。
けてー 滋賀県での焼畑の試み J(民族自然誌研究
会)
01
ヤマカブラの焼畑農法 J(滋賀食文化研究
会)
01
山里と街を結ぶ J(
鳥取環境大学シンボ)。
目黒田末書 (くろだすえひさ)地域学、人類学
今年度ゼミ卒業生 は学部 2人。修士 2人、博士 1
「地域学 はいかにして地域の将来像を描くのか j
人。『人と地域ゼミ j をいっしょにやってきた武邑
尚彦先生も退任さ れる 。皆さんの新しい門出に祝福
を!
1) 地域活動
a.1
結いの里・椋 J
I
IJ高島市椋川 で水田を借り、
5、 6月に 「はるえ」の牛耕と田植え 。 はるえは
背中が太りすぎて牽き鞍が合わず耕力が落ち、中
(
滋賀県立大学地域づくりフォーラム )など。
C
イベント I
KOTO森くらしフェスタ 2
0
1
0J(
湖
東流域森林づくり委員会主催 1
0月)。
d 共同製作 DVD 1
2
0
1
0年余呉町中河内の焼畑」
1
2
0
1
0年余呉町赤子山の焼畑」。
-荒井利明 (
あらいとしあき)現代中国論
途でダウン 。 田植えや稲刈 りには大勢の人が来て
彦根暮らしも 5年になりました 。転勤の多かった
くださって椋川の人たちと交流。 8月には石 J
I
I慎
かつての会社勤めでは、ひとつの場所に 5年いたこ
9名 と 実 習 で 尋 ね 、 椋 川 料 理 を ご
治先生、学生 1
とは最初の仙台時代しかありません。来年度になれ
1月の 「お つ き ん 椋川 j 祭 には、環境
馳走に。 1
ば、生まれ育った加賀、 2度駐在した北京に次い
科学部生が餅っき、 「生き 物田んぼ米」の売り上
で、滞在期間では彦根が第 3の故郷になります。残
人
間
文
化・97
人・閏・文・化・通・信
りは 2年です。
(
2)
韓国。 3月下旬 -4月初、 8日間。大阪の市民団
環琵琶湖文化論実習を担当し、忍者をたずねて、
甲賀と伊賀に行きました 。信楽で生ま れて初めて焼
物をこしらえました。 もっとうまくつくれるはず
、
だったのに、と思いながら、できあがった 「
茶碗」
をながめています。
中国関連ニュースサイトの「サーチナ 」で 2
0
0
9
年 3月下旬から始めた、月 2回の コラム
(
1r
敗者』
体のメンバーを案内して済州・卜 巨済 ・南海。終
わって忠北大で講演。
(
3
)
韓国。 4月下旬 -5月初 6日間。金海市文化院主
f
佳の シンポジウ ム。
(
4)
韓国。 5月下旬 -6月初 5日間。団体案内。慶州
と加耳目。
(
5)
韓国。 8月 9日間。科研費基盤 B。新緑 5小京の
)連載は、 8月中旬で中断しました。
たちの叫び J
うちの 3つ、西原 ・中原・北原小京とソ ウル。
夏休みだし、 1
9
8
0年代後 半に 相次いで 失脚した胡
(
6
)
モ ンゴル(北京経 由)
0 8月末 -9月初 1
0日間。
耀邦と越紫陽の こともほぼ書いた し、今回はちょっ
オルホン河畔突)荻碑文 ・カラコルムモンゴル都
と休むか、と 思ったと ころ、そのまま ずっと休む結
城 ・ウイグル契丹城郭。
果になりまし た。続けるというのはなかなか大変な
ことです。
ただ、中国現代史のさま ざまな謎を解明したいと
いう思いは継続しています。 コラムは中断しでも 、
中国現代史の真相に迫る作業は続けており 、活字に
(
7)
韓国。 9月中旬 8日間。科研費基鈴 C。加耳目地
域。学生帯向。
(
8)
韓国。
9月末 - 1
0月初 5 日開。百 済文化典シン
ポジウム 。
(
9
)
韓国。 1
0月末 - 1
1月初 5日間。忠州大学校シン
したいと思って書き続けています。
ポジウム 。鎮川・ 堤川。
もっとも、 肝心の謎はほとんどが謎の まま です。
中国現代史の真相が明らかになるためには、ふたつ
の条件が満たされなければならない、と痛感してい
ます。 ひとつ は、資料が全面的に公開 されること、
もうひとつは、 「
郡小平の呪縛」から解放されるこ
と、です。
前者は 、共産党が保管し、 管理している歴史的資
料をすべて公開することです。それによって、これ
まで謎とされ、疑問とされてきたことの多くが解明
されるだろ うと期待して います。
後者は、郡小 平の イニ シアチブで まと められた
次に、活字になったものもまとめて記す (
2
0
0
9年
1月 -2
0
0
9年 1
2月)
。
(
l)1
文献史からみ た 6 ・7世紀の日羅│
鶏係と難波」
(
r
古代新経土器 と近世薬種業を 中心 に
成果報告
書j 博物館国際交流拠点形成事業大阪市実行委員
会編集発行
、 2
0
1
0.
3.
10
、p
p.
4
85
4)
(
2)
監修。『 日本 ・中国・朝鮮東ア ジア 三国史j 日本
0
10
.
4
.
2
0
実業出版社
、 2
(
3)1
継 体 大 王 時 代 の 対 外 関 係 J(
r
継体大王の時
代
百舌鳥 ・古市古墳群の終鷲と新時代の幕開
1
9
8
1年の 「歴史決議」の 束縛から解紋されなけれ
1
、2
0
1
0
.
4
.
2
4、
けj 大阪府立近つ飛鳥博物館図録 5
ば、中国現代史はいつまでも政治の奴隷でしかな
pp.
12
5
1
3
3)
く、歴史本来の姿を取り戻す ことはできないと いう
ことです。
(
4)1
1任那」論の再検討 J(
f大成洞古墳群と東亜細
-田中俊明(たなかとしあき)朝鮮古代史、古代日朝関係史
-1
1
下年は、 科研費がなく、 研究費 の不足について
(
5)1
高句麗 ・平壌銘文城石 J 文化リ ーダー梨花j
書いたが、昨今はそのような外部資金が無ければ、
(
6)1
高句麗と唐の対立 と倭 J
(
東北亜歴史財団編 『
古
6回加耶史国際学術会議、金海文化院、
亜j 第 1
2
0
1
0
.
4
.
2
9、p
p
.
4
5
6
5)
(
r
梨花女子大学校博物館、 2
01
0
.
5.
10
、p
p.
11
6
1
1
9)
学内の研究費ではとても調査が立ちいかないのが実
代環東海交流史 j 1部
状である 。幸いな こと に昨年は予想外に、いくつか
財団、 2
0
1
0.
5
.
14
、p
p
.
7
18
9)
通ったため、しばらくは安心である 。今後、進めな
高句麗と倭、東北
l
I
I
i
.歴史
(
7)1
百済の複都 ・副都と東 アジア J(
r
201
O世界大
ければならない謀題は 「
加耶諸国各国の史的展開と
百j
斉典国際学術会議
諸国連合の実相に関する総括的研究 J1
朝鮮史にお
0
1
0世界大百済典推進委 員会・ 忠清南
尋ねて J2
ける複都 ・副都の位置・構造 ・機能に関する調査研
究J1
中国許代の東北フロ ンティア開発と遼東都」
で、ほかに研究分担もある 。すでに今年の調査予定
が 6回決まっている 。
例年通り、まずは国外調査について記す (
2
0
1
0年
1月 -2
0
1
0年 1
2月)
。
(
1)
斡凶。 2月末 6日間。大学在外研修。文字瓦研究
の補完、現場。
98
・
人
間
文
化
交流王国、大百済の足跡を
道歴史文化研究院、2
0
1
0
.
9.
3
0、p
p
.
2
8
2
3
0
6)
(
r
(
8)1
文字資料からみた韓国古代の築堤 J 狭 山池 シ
ンポジウム
狭山池の誕生をさぐる j 大阪狭山市
0
1
0.
10
.
16
、p
p
.
3
3
4
2
)
教育委員会、 2
(
r
(
9)1
中原京の諸問題 J 中原文化財発掘 1
0
0年
回
顧と展望 j 韓国古代学会 ・忠州大学校博物館、
2
0
1
0.
1
l
.2
、p
p.
3
1
1
3
3
1)
人・閏・文・化・通・信
学会その他口頭発表・シンポジウム
(
1)
5月 8日出
朝日新聞社主催・キトラ古墳公開記
(
2)6月 2
0日(
日) 関西大学 ・明日香村共催東京シン
ポジウム 「
飛鳥の国際交流」
古墳時代一」
史講座 「
最近出土の陶質土器からみた古代日朝関
系
」
NPO国際文化財研究所・座談会
「古代の日韓交流」
(
4
)
9月 3
0日(
樹 世界大百済典シンポジウム
(
5
)
10
月1
6日出 大阪狭 山市主催・シンポジウム 「狭
山池の誕生をさぐる 」
(
6
)
1
1月 28(
:
k
) 忠州大学校・韓国古代学会共催シ
ンポジウム
(
7H2月 1
1日出
た倭人一縄文時代
.
1
1月 2
0日 国際文化財研究セ ンタ ーなみは や歴
念シンポジウム 「
朱雀」
(
3
)7月 3
1日出
.1
0月 3日 日韓古代文化研究会 「朝鮮半島へ渡っ
奈良教育大学 ・百済講演会
.1
2月 4日 湖南市図書館講座 「渡来人文化」
また、 1
2月 5日に開催された第 2
2回東アジア古
代史・ 考古学研究会交流会で 「
初期須恵器窯の諸様
相」 ミニシンポジウムの司会を行なった。
『
季刊考古学 J1
1
3(
雄山閣)に「韓半島における
倭系須恵器一加 r
l
[
l
地域出土須恵器を中心に Jを執
筆した。
滋賀県環境影響評価審議会委員として、数回の審
議会に出席し、文化財の立場から専門的意見を述べ
その他の市民講座等(定期的なものは省く )
(
1
)3月 7日
(
日
) 日韓古代文化研究会「南海岸の古代
史J(於浪速人権センタ ー)
(
2
)
11
月1
3日凶
広開土玉砕をめぐ って」
(
3
)
1
1月 2
8日(
日) トンボの会講演
2年度特別研究費に申請したが、
の調査は、県大 2
蹴られたプロジェクトである 。
16世紀前半の加
耳目諸国と倭 J(
於大江戸博物館)
(
4
)
12月 1
1日出
今年度末から、京都府立大学考古学研究室と共同
で、膳所茶臼山古墳の墳丘測量調査を実施する 。 こ
]TBカルチャー (
大阪教室)14
世紀の日朝関係
た。
京都新聞 「楽浪郡・帯方郡の歴史
於京都新聞社)
と遺跡 J(
-漬崎一志(はまざきかす2し)都市史、保存修景
研究活動
今年も引き続き、奈良県立橿原考古学研究所の西
藤清秀氏らとともに、シリア・アラブ共和国パル
学会委員会委員
ミラ遺跡における発掘調査を継続した(科研費基盤
。朝鮮学会幹事(編集委員を兼ねる)
(
A
)1
7
2
5
1
0
0
8)
。 ローマの植民都市パル ミラにお け
O古代学協会
『
古代文化j編集参与
る建築技術、とりわけ尺度や石組み技法についての
0奈良県立橿原考古学研究所・共同研究員
研究を進めた。
-定森秀夫(さだもりひでお)考古学
「
地域住民による琵琶湖沿岸の<生命の賑わい>総
また、滋賀県立琵琶湖博物館の 川那部浩哉氏の
今年度は、 3年生 6名
、 4年生 1名、院生 1名の
合調査の方法論と具体的手法の確立 J(
科研費基盤
ゼミとな った。院生は、社会人で定年後奈良大の通
(
B
)2
2
3
0
0
2
7
7)に研究分担者として参加し、琵琶湖
信制 を卒業して本学へ。 3回り以上も違う学生と 一
沿岸の木小屋、灰小屋などの絶滅危倶建物の調査を
緒になって勉学されている 。学生にとっても良い刺
実施した 。
i
茂投となっているはずである 。
学生は、滋賀県立大学考古学研究会を組織して、
『
小浜市・ 若狭 1
1
0
・
文化財環境等総合調査にお ける
専門調査研究
「
鱗街道」 に係る文化的景観調査及
毎週金曜日の夕方、 1・2年生、社会人院生も含め
び名勝三方五 i
胡に係 る生業・自然・文化等調査j を
て独自に勉強会を行っている 。
継続し、小浜市、若狭町に集中的に分布する 三階蔵
スポーツの京滋 i
i
&のように、考古学の交流もとい
0月 1
6日に第 1回京都府立大学 ・滋賀
うことで、 1
の調査 ・研究 を実施した。
また、 彦根市文化財謀の依頼を受け、花しょうぶ
県立大学考肯学研究室交流会が府立大学 で行われ
通りの伝統的建造物の調査研究を,環境科学部富 島
た。府立大から 3名、県大から 2名の発表があり、
研究室 と、本学部石川研究室と共同で継続実施した。
質疑応答も含めて、学生たちにと っては良い勉強に
教育活動
なったと足け 。研究会終了後、懇親会でさらに盛り
文部科学省 「
地域再生人材創出拠点の形成」プロ
上が ったことは 言 うまでもない。来年度は、県大を
グラムに採択された「近江環人地域再生学座」にコ
会場として第 2団交流会を開催する 予定である 。
9月に韓凶研修旅行を実施した 。釜山・慶州、│・成
ア・メンバーとして参画し地域再生学特論を分担
した。
安・扶余・ソウルという行程で、数多 くの遺跡、・遺
また ,前年度に引き続き文部科学省の 「
現代的教
物を見学 し
、 美味なる韓国料理にも青鼓を打 った。
一般の方を対象とした講演をい くつ か行な った。
育ニー ズ取組支援 プログラム 」の助成金 を利用し ,
彦根市 男鬼町 で r
l
l
l村 「男鬼」 の村おこし j プ ロ
人間文化・
9
9
人・間・文・化・通・信
ジ、エク トや,湖東の古民家を対象とした 『
いかして
-棚瀬慈郎(たなせじろう)文化人類学、チベット学
民 家 ?j プロジェク トを継続し 地域の活性化や地
今年も 8月から 9月にかけてイン ドのヒマーチャ
域文化の振興を視野に入れた教育プログラムを実施
ル・プラデーシュ 州に調査へ出かけた 。 しかし今年
した 。
また、「空き民家等活用モデル調査」 を押谷地域
路が不通となり、中々フィール ドにはいる ことがで
設言│とともに実施し、多賀 町八重練の空き民家の分
きなかった。
布調査と住民の意識調査を実施し、 地域活性化のあ
のインド ヒマラヤは雨量が多く、崖崩れのせいで道
1ヵ月程度の期間でも、実際フィ ールドにいられ
るのはその半分程度になってしまい、中々思うよう
り方を模索した 。
このほか,学生とともに近江八幡市安土町 と岡市
な調査はできな い。 しかし、今年はそれでもスピ
南津田町 ・舟
一
木町で文化的景観の調査を実施した 。
ティのピン渓谷を中心 として活動する「ブチェン 」
と呼ばれる宗教的芸能者と コンタク トすることがで
社会貢献
長浜市余呉町丹生地区の余呉型の空き民家の修復
きたのは収穫であった。
体験を 湖北古民家再生ネッ トワークとともに実施し
9月の下旬には、僅か 1週間ではあるが台湾に
た。地元住民の参加は少なかったが、都市部の住民
行った。台湾にお けるチベッ ト仏教の浸透状況につ
や学生が多数参加し、修復中の民家の活用と地域の
いて調査を始めたいと思ったからである 。現在台湾
活性化の方法について検討した。
には 4
0
0箇所ほどのチベッ ト仏教センターが存在す
-水野章二(みすのしようじ)日本中世史
研究活動は、環境史と近江地域史が近年の基本と
人々に受けいれられているのか、大変に興味をもっ
るとのことで、チベッ ト仏教がいかなる形で台湾の
なっている 。環境史では、棚田学会 1
0周年記念シ
J(
W棚回学会誌
言命文としては、ブチェンについて「スピティ、ピ
成立過
ン渓谷のブチェンについて Jというタイトルでチ
日本の原風景・棚
ベッ ト文化研究会報第 3
5巻第 l号に発表した。 ま
たヒマーチャル・プラデーシュ 州 ラホ ール地方の民
ンポジウム報告 「
里山・ 棚田の歴史と利用
程を中心に
た。
田j 1
1号)が刊行。総合地球環境学研究所プロジェ
クト 「日本列 島における人間 自然相互関係の歴史
的・文化的検討」関係で、前近代の山林資源利用を
検討した 「
古代・中世 における 山野利用の展開」 を
族誌 (
英文)をニュー ・デリ ーの出版社から出す予
定であり、現在その作業も進めている 。
1
1月 2
7日には、第 1
0回 「チベットの歴史と文化
『
林と里の環境史.
i(
文一総合出版)に執筆。予定よ
学習会」 において、 「ダライラマの外交官ドルジー
り遅れているが、まもなく出版される 。県立大学・
エフ
琵琶湖博物館 ・滋賀大学の共同研究 「
琵琶湖の歴史
ンゴル人」 というタイトルで講演をおこなった。 ま
激動の 内陸アジアを駆け抜けたブリヤートモ
的環境と人間の関わりに関する総合的研究 J(
科研
た1
2月 1
7日、彦根市の男女共同参画センター 「ウイ
費基盤研究 (B))の成果は、 『
琵琶湖と人の環境史j
ズ」 において、 「
魅惑のチベ ッ ト世界へょうこそ」
という書名で、序章と論文 8本およびコラム 3本の
というタイ トルでチベッ ト料理の講習をし、あわせ
ほか、集落遺跡、デー タなどを収録した付録 CDを付
てチベットに関する話をした。
けて、岩田書院よりまもなく 刊行される 。序章 と論
文 ・コラムを執筆。森林総合研究所関西支所・大阪
市立自然史博物館・総合地球環境学研究所共催の
-京集真帆子(きょう 5くまほと)日本古代史
今年は、行政に関わる仕事の多い年でした。
1
2
0
10年代のための里山シンポジウム」で、里山の
以前から務めていた 「
滋賀県男女共同参画審議会
成立について報告。 シンポジウムの内容は、本にま
委員 」・「滋賀県建築士審査会委員」に加えて、新
とめられる予定。
たに 「草津市男女共同参画審議会委員」、「長浜市
近江地域史では、 『甲賀市史J第 2巻に 「甲賀の
男女共同参画を進めるパー トナーシップ委員会委員
庄園」 を執筆。刊行はやや先になる 。能登川町史で
長」の役目を負うことになりました。さらに、 「
仕
は、編集委員長として全体調整や史料収集を進め
事と子育て両立支援検討専門部会会長」ゃ 「
小学生
た。 まもなく資料編および中・近 世本文編の執筆に
用男女共同参画社会づくり副読本改訂編集委員会顧
入る 。 また東近江市史編さん委員会委員 (委員長代
問」、「
働くあなたへ絵手紙選考委員会会長」 もしま
理)に就任。そのほか、亀岡市地域資源活用実行委
した。立て続けに県庁に通う、という経験もしまし
f
こ。
いずれも、男女共同参画に関わる仕事で、女性史
研究者として社会に研究成果を還元する機会をいた
だいたことになります。が
、 「長」 というのは、な
員会専門委員として、大堰川の材木流通・筏流しの
復原調査にも関わるようになった。 なお 1
0月には、
日野町で 「中世日野の景観と荘閏」の講演を行った。
かなか気のはるもので、はったり勝負が得意な私に
100・人間文化
人・間・文・化・通・信
は不向きで術が重いのです。会議の度にみなさまに
助けていただき、ありがたいことでした 。
研究の方では、活字になるべき物をいくつか提出
[教育]
ゼミでは昨年に引き続き福井県で民俗調査をおこ
なった。 また滋賀県下では多くの場所で民具の調査
したのですが、どなたかス トッパーがおられるらし
などを 実施している 。 4回生は 6人で、どうにか卒
し ま だ刊行には至っていません。一方で は私がス
論を提出。ホッとした 。 3年生は 7人で過去最多で
トッパーとなっているものもあり、 相変わらず締め
あるが、 一人が韓国に留学中である 。大学院は博士
7名と
前期が 3名、後期が l名、全部あわせると 1
切りに終われる日々が続きます。
研究調査として、今年が科研費共同研究の最終年
度となるベトナムで「英雄の母」への開き取り調査
いう大ゼミにな ってしまった 。
を行いました 。いずれ、これもきちんとまとめてい
[社会的活動]
従前と同じく能登川の歴史編集委員のほか大阪の
きたいと思っています。
柏原市 ・大東市の文化財保護審議委員などをつとめ
また、個人でいただいている科研費の調査でも、
た。介護へルパー養成講座の講師もなんどか引き受
古代史研究の史料調査に行きました。こうした平安
けた。その他講演などを数回引き受けた。 また社会
時代に関わる史料を見ていると、自分の本来の姿に
的活動になるのかどうかわからないが、来年度の日
戻っ たような気が してきます。 こちらも、うまくま
本民俗学会年会 (
1
0月)を本学で引き受けることと
とめていきたいものです。
なった。 このことで少しでも県立大学や滋賀県で民
俗学が盛んになれば有りがたいが、今のところは何
-市川秀之(いちかわひでゆき)民俗学
事もなく終了して欲しいと願うばかりである 。
[~ff究]
昨年度印刷中であったものを含めてこの一年に刊
行された論考は下記の通りである 。 また今年度にも
-亀井若葉(かめいわかな)日本美術史
。教育活動
5本ほど論考を 書 いたが、いずれも 2
0-3
0枚程度
県立大学に赴任して 2年が過ぎようとしていま
の短いもので、刊行は来年度になる予定である 。 ま
す。論文の指導や授業を通して、学生との関係も深
た今年度後半は 『
能登川の歴史j 資料筋民俗の執筆
まってきました 。 この 1年間は、学生と交流するな
に追われたが、現在のところまだまだたくさん残っ
かで自らも学んでいく醍醐味を味わい、非常勤講師
ており、年度末まで苦しみの日々が続く 。
0年間と 比べるとなんと充実した
として過ごした 1
学生ととも に進めている調査は、多賀 I
I
I
T-円の調
日々であろうと 実感する毎日です。赴任した一昨年
度品調査、高島市マキノ白谷の民具 ・教科書の調査
に 3回生でゼミに入った学生が 4回生になり、卒論
などがあり、本年度からは多賀町一円 ・中川原で開
き取り調査も開始した。夏季には 3回生とともに若
を書き終えました。担当した 4回生のうち卒論を提
出したのは 8人。それぞれの卒論は、選んだテ ーマ
狭の美浜町早瀬で、民俗調査を行った。 さらに 1月か
や考察した内容、文体から、印刷された文字の大き
らは長浜曳山博物館からの受託研究として武田先生
さや配置まで、その学生ならではの個性が渉み出た
とともに曳山祭りのシャギリ ・子ども歌舞伎の調査
ものとなっており、なるほどと感じ入りました。学
にも取り組むこととなった。調査が忙しいのは大歓
生が本気で取り組む「卒論」を介して、学生と正面
迎だが、そのための事務処理で疲労ぎみである 。個
から向かい合い、関係を築いて行ける教員 という立
人的に科学研究費をもらって取り組んでいる集落内
場に、有り難さを感じています。
水路の研究は、今年度が最終年度であ ったが、夏に
美術史研究においては、作品のオリジナルそのも
九 州 や山 I~舎で現地調査をおこなった 。 また 10 月に
のを見ること、作品に関わる場所に実際に行き 「
現
は日本民俗学会年会(東北大学)で「明治天皇の巡
場」 を実感することが大切なので、学生に少しでも
そのような機会を持ってもらおうと、今年も学外実
幸と民俗の変容」 という題で口頭発表をした。
.
r
相1
1
武天 皇祭の民俗行事化 奈良県下の レンゾ
を中心に一 Jr
日本民俗学 J(日本民俗学会)2
6
1
号 2
0
1
0年 2月
.i
湖東地域における集落内水路の機能とその変
習をいくつか実施。 5月に京都国立博物館の 「
長谷
川等伯」展
、 9月に滋賀県立近代美術館の「出光美
0月には名古屋の「あいちトリエンナー
術館展」、 1
化 J 人間文化J(
滋賀県立大学人間文化学部)2
7
1月に桑実寺と滋賀県立近代美術館の 「白洲
レ」、 1
正子」展 に行き、 1月には鳴門の大塚国際美術館、
号 2
0
1
0年 3月2
9日
瀬戸内の直島、 倉敷の大原美術館などをまわるゼミ
r
.
r
滋賀県ー下の博物館の現状と課題Jr
人間文化J(
滋
7号
賀県立大学人間文化学部)2
2
0
1
0年 3月 2
9日
.
r
滋賀県下の博物館問題 Jr
新しい歴史学の ために』
(京都民科歴史部会) N
.
o2
7
6 2
0
1
0年 5月 1
0日
旅行を行いました。
。研究活動
研究活動としては、参加していた 2つの科研が 3
月に終わり、報告書 に論文を書きました。それぞれ
人間文化・ 1
0
1
人・閏・文・化・通・信
において絵巻の中の女性表象について考察しまし
天谷孝夫研究室と共同研究セミナー「中国内陸部の
た。 ひとつは、
資源開発と環境問題」を開催し、両大学の大学院生
r粉河寺縁起絵巻Jの中の着衣と脱
衣の女性像」、もうひとつは、
よむ
n
掃墨物語絵巻 j を
女性の往生を導く絵巻の構成一
」 というもの
を中心に研究発表を行い、指導する博士課程学生の
研究の進展を促しました。 2月下旬には北海道の酪
農学園大学で名古屋大学大型科研の第四回国際ワー
です。
0号 (
女性史総合研 究会編、 2
0
1
0
『
女性史学 J 第 2
クショップに博士課程の学生とともに参加し、 「
近
年 7月干1
])には、「日本美術史にお けるジェンダー
現代内モンゴル東部における地域社会の再編」 と題
研究の動向」 という小論を書きました 。 日本美術史
における近年のジ、エンダ ーの視点からの研究十数本
する研究発表を行いました。博士謀程の大学院生は
「内モンコ事ル新興資源都市 ホー リンゴルの建設過
を紹介しました。
程における地域社会の再編」 をテ ーマに研究発表を
また、編集に携わった、恩師故千野香織先生の論
行いました。
0本余りを収録した 『
千野香織著作集』 が刊行
文6
そのほか、大学院のゼミの一環として進めてきま
されました (
2
0
1
0年 6月、ブ リュッケより 刊 行)
。
した東洋文庫所蔵 「
北京ウンドル王府モンゴル語文
先生が亡くな れてから 9年余り 、数年にわたる編
書記録帳写本」 の研究も 2
0
1
1年度における内モン
集を経たのちの刊行です。
「 日本」 という枠組み、
ゴルでの出版に 向け て最終段階に入りました。
「
女」 というジェンダ一、「
美」をめぐる制度への疑
問を投げかけ続けた先生の、 i
軍身の著作の数々を収
[
2
] 活動一覧
I目研究活動
録するものです。先生の問題意識があったから今も
(
1
)
史料集
私は美術史をしていると、先生と訪れた竹生島を見
J 世界史史料J第四巻、
①「旅蒙 商 (
一九三九年 )
r
岩波書応、 2
0
1
0年 1
1月
ては思い、感謝を捧げています。
。社会活動
昨年からのご縁により、彦根市や滋賀県の男女共
同参画センタ ーで、絵巻や写真イメ ージの中の女性
r
②「私墾 (
乾隆十四年九月二日 J 世界史史料j 第
0
1
0年 1
1月
四巻、岩波書庖、 2
(
2
)
招待講演
ました。彦根市のウイズで講演したときには、受講
①「現代は如何に理解されるべきか J2
0
10年 6月
2日、内家古師範大学旅遊学院 ・歴史文化学院
者の方遠のノ リのよさに驚きました。 ジェンダーの
0
1
0
②「ハラチン・ トメ ドと近現代モンゴル社会 J2
像のあり方について講演する機会を何回かいただき
視点から絵巻を見る面白さを受けとめていただきま
年 6月 3日
、 内蒙古大学蒙古学院・民族学人類学
した。近江を描いた桑実寺の縁起絵巻について講演
学院
したときも、 地元の方ならではの反応をいただき、
③「現代は如何 に理解されるべきなのか
桑実寺までご一緒することになりました 。近江の美
究をめぐるいくつかの間題
術についても 研究を深めていきたいと思っています。
社会史研
J2
01
0年 8月 2
6日
、
内蒙古民族大学
0
11
④「現代モンゴル社会は知何 に理解すべきか J2
-ボルジギン ・ブレンサイン (1
まるじぎん ・ぶれんさい
ん)社会史モンゴル ・中国東北地域史
[1]年間活動
今年は、科研費(基盤研究 C)の最終年度にあた
り海外調査を中心に行ってきました。また、 2
1年
度からスター トした名古屋大学の大型科研 (基盤研
究 S)の研究分担者としての研究も 二年目となり、
年 3月 1
5日、中央民族大学
(
3
)
学会口頭発表
①
r
Al
t
a
nunaga(黄金の仔馬 / Gol
denponey)は
何処へ飛んでいったか
資源開発と少数民族の
生存についてー」、 「第 5回 SGRAチャイナ ・
フォーラム 中国の環境問題と 日中協力 一」、
2
0
1
0年 9月 1
3日、於中国フフホト市
中国やモンゴル国を対象にした海外研究調査を重ね
②「現代の眼差しでモンゴルを見ょう 」東北アジア
てきました。2
0
0
9年度に出された 二冊の本の影響
研究センタ 一公開講演会 「モンゴル世界を考え
もあり、今年度は中国のいくつかの大学 (
内モンゴ
ル大学、内モンゴル師範大学、内モンゴル民族大
台市戦災復興記念館
学
、 中央民族大学)で招待講演を 行いました 。 9月
には中国のフフホトで開かれた日中環境ファーラム
「
第 5回 SGRAチャイナ・フォーラム
る-その歴史と現在 」
、2
0
1
0年 1
2月 1
1日、於仙
③「近現代内モンゴル東部における地域社会の再
編」名古屋大学科研費プロジ、エクト(基量生研究 S)
中国の環
「
牧畜文化解析によるアフロ・ユーラシア内陸乾
境問題と日中協力一」 で A
l
t
a
n
u
n
a
g
a(
黄金の仔
燥地文明とその現代的動態の研究」 第 4回国際
馬/ G
o
l
d
e
nponey)は何処へ飛んでいったかー資源
ワークショッブ、 2
0
1
1年 2月 2
7日、於酪農学園
大学
r
開発と少数民族の生存について
」と題する講演を
行ってきました。 1
2月中旬には、隣の岐阜大学の
102・人間文化
人・閏・文・化・通・信
(
4
)
競争的資金
たのですが、県のレベルで生活文化の問題にどうか
①科学研究費(基盤研究 C
)一般研究(二年目)
かわるべきか、なかなか難しい 問題だと思っていま
研究テーマ:辛亥革命以後における旗入社会の民
す。今年は県内高校生だけではなく、彦根市内の中
族的帰属意識の変遷に関する研究
学生にも本県の近世の歴史について語る機会があり
②科学研究費(基盤研究 S)名 古 屋 大 学 研 究 分 担
研究テ ーマ:牧畜文化解析によるアフロ・ユーラ
シア内陸乾燥地文明とその現代的動態の研究
(
5
)
地域 ・社会 ・国際貢献
①日本モンゴル協会 評議員
② 『日本とモンゴル J日本モンゴル協会誌 編集委
ました。 また、本県ではないのですが、来月下旬に
は、京都府宮津市で歴史シンポのパネラ ーをつとめ
ます。丹後宮津藩の潟、政について話す予定ですが、
1
0年間琵琶湖で「塩抜き」された身に、大学院ま
でと っぷり浸(漬)かっていたとはいえ、日本海の
ξ
塩は戻ってくるのでしょうか。いや、戻さねば。
員
圃島村一平 (
しまむ 5いつべしゅ文化人類学 ・モンゴル研究
-東幸代(あすまさちよ)日本近世史
今年度は研究といっても、新学科設立会議のため
Topic:今夏、ライデン大学に留学中の先輩を訪ね、
研究仲間と共に訪蘭しました。ライデンは近世に来
日したシ ーボル トゆかりの街であり、欧州、
│
の日本研
究のメッカの一つです。さすが大学図書館には日本
G
ol
denAge"
の史料や書籍が多く、各博物館には "
の残照とも 言えるアジアの物品の数々が収蔵されて
いました。初訪蘭でしたので、興味深いことが多かっ
たのですが、最も驚いたのは、シーボル トとその関
[論文]
2
010 I
阿古 布 里 亜 特 人 的 尋 根 活 動
新関釈」、金香、色音編『薩満
係者が日本から持ち帰った物品の数々です。まさか
0
ペー
信仰輿民族文化』、中国社会科学出版社。 (
約2
こんな数とは・-こんな物 まで ・・と驚憶しました。
その中には、シ ーボルトが本県の甲賀 地域から持ち
帰った トキ(ニッポニア ・ニッポン)の剥製もあっ
たはずなのですが、残念ながらそれを目にすること
過去の遺産に依存したものが多かった 。新しく書き
下ろしたものとしては、アジア遊学と 地名大辞典の
みである 。
[1]研究
薩満教復興的
ジ、現物未着)
HW
シャマニズム j から『シャ ーマニ
2
01
1(
印刷中
ズム jへ
北方ユーラシアの狩猟 ・牧畜文化 に
おける信仰の過去と現代を接合する試み」、 『
ア
20ページ分)。
ジア遊学J3月号、 勉誠出版 (
はできませんでした。
研究
夏休みに調査に行くことも能わず、発表した原稿も
本学科の田中俊明先生が編者となっている本
県の紹介書籍に、近世 ・近代の琵琶湖舟運について
2
0
1
1I
国境を越えるシャ ーマニズム ーロ シア ・モン
ゴルに居住するアガ・ブ リヤート のシャ ーマン
執筆しました。また、 地域研究関係の辞書的書籍に、
たちの活動から」、滝浮克彦編 『ノマ ド化する
江戸をはじめとする近世都市の魚市場のことを書き
宗教、浮遊する共同性
ました。古文書争調査の方は、 4年がかりの調査に参
ける「救い」の位相J
、東北大学出版会、 pp81
加した水口藩加藤家文書の目録が刊行され、ほっと
したのもつかの 間、新規に数件の依頼を受け、現在
同時進行中です。そのうちの一つである高島市内の
古文書を使用させてもらって、琵琶湖環境史の卒論
を書きたいという 3回生が現れ、頼もしく思ってい
ます。
教育
今年度から開講された人間学科目「性を考え
る」のうち、 「
対等な性①
セクシュアル・ハラス
現代東北 アジアにお
1
2
6。
[事典1
2
0
1
1(
印刷中 Hモン ゴル国 Jほか 1
1
7項目、『世界
、朝倉書庖(約 5万字)。
地名大事典J
[学術発表1
2
0
1
0I
増殖するシャーマンー モンゴル国ウランパ ー
トル市の現状から 」 日本モンゴル学会春季大会
(
5.
15
)、 於 桜 美 林 大 学。
メント 」 を担当しました 。他人の行動の受け止め方
には、性差のみならず個人差も大きい、十分に相手
2
0
1
0Iシ ャ ー マ ニ ズ ム に よ る エ ス ニ シ テ ィ の 4
栄
のことを慮って行動してほしい、という点に主眼を
ヤートの事例を中心として」、千葉大学モンゴ
7.
15
)
ル研究会、於:千葉大学。 (
おいた講義を行いましたが、レスポンス・カードな
どの反応から手応えを感じました。小テストの監督
中、自分がこうした科目を担当するようになるとは
夢にも思っていなかったなあ、と不思議に思いまし
た。
社会貢献新規に本県の文化審議会の委員を拝命し
ました。審議会では報告させていただく機会もあっ
究ー ポスト社会主義期におけるモンゴル・ブリ
2
0
1
0 コメンテーター
CrossBorderExchanges
andE
t
h
n
i
cI
d
e
n
t
i
t
y, Pre-SymposiumYoung
Researchers'Workshop, Dec.3,2
0
1
0(
F
ri
.
),
Sl
a
v
i
cResearchCentre, Hokkai
do-Uni
v
e
r
s
i
t
y
2
0
1
1 Iシャマニズム ] から『シャーマニズム I
へー北方ユーラシアの狩猟・牧畜文化における
r
人間文化・ 103
人・閏・文・化・通・信
信仰の過去と現代を接合する試み J
、東北大学
シャマニズム研究会、
(
2
.
2
1)
。
[研究活動1
7月に、東京で行われたシンポ ジウム 「
韓国併合j
1
0
0年 ・女性国際戦犯法廷 1
0周年 脱帝国/脱植民
[調査]
科研費基雄研究 A モンゴル ・中央ア ジアに おけ
地のフ ェミ ニズ、
ムをめざして Jで 「
大日本帝国の総
る社会主義的近代化に関 する比較研究 J(
代表研究
力戦遂行と ジェ ンダー・民族」 と題して報告 しまし
0
11
.2
.
28者小長谷有紀)の研究分担者として 2
f
こ。
r
3
.9 と2
0
11
.3
.
2
3-3
.3
0
にモンゴルに調査に行 った。
[
2
J教育
本年度は、修士 1名、学部生 5名の卒業論文の指
書い たものとしては、 『
岩波講座
東アジア近現
代史通史 6 アジア太平洋戦争と「大東亜共栄圏 J
1
9
3
5
1
9
4
5
J(
岩 波書庖、 2
0
1
1年)の 人物コラム 「李
光沫」 を執筆 しました。 まだ公刊されていませんが
導を 行 った。修士の学生は、モンゴルでの 1
年間、
『
大学的滋賀ガイド J(
昭和堂)所収の 「滋賀県の近
本格的なフィールドワ ークを行い、論文を書き上げ
稲継靖之氏と共著)を執
現代史のなかの朝鮮人 J(
たことがうれしい。 4回生も 華僑のエスニ シティ、
筆し ました。
パリ舞踊、伊勢地方のミコ寄せ、ギャル、ジャンケ
科学研究費 (若手 BH滋賀県の近現代史における
ンの言い方を巡る子供の創造力など、個性的なテー
在日朝鮮人 ・朝鮮に関する 基礎研究」という研究課
マが並んだ。 しかし、 4回生は 当初 9名でスター ト
題の 3年目でしたが新学科開設準備に追 われてあま
したが、 1名は休学 しアメ リカ へ留学、 1名は個人
り進みませんでした。
的な理由から自主留年の 道を選 んだ。残りの 2名
は、連絡がとれなくなってしまった 。正直、困って
いる 。
[
3
J 社会貢献
滋賀県からの青年海外協力隊を 支援する NGOび
わ湖
J1CAボランテイア応援団の理事を務めてい
るが、本年度も 湖風祭において隊員たちの報告会を
主宰し た。ニジエールで村落開発、ニカラグアで、小
学会誌の論文査読を 2本行いました 。
[地域活動}
以下のような場で委員や講師をしました。
委員は、近江八幡多文化共生推進懇話会 ・座長
(
2
01
0年 1月-)、愛荘町多文化共生推進 プラン策
2
0
1
0年 1
0月-)、東近江市史調査
定懇話会 ・座長 (
2
0
0
6年 9月-)などです。
執筆委員 (
講師は、草津市男女共同参画セミナー 「
戦時下に
民族の視点から考える -J草津
学校教諭、ジャマイカの大学 で日本語講 師をした
おける女性の人権
方々の報告は、どれも興味深く 、参加した学生たち
市立人権センタ ー (9月 4日)、石 山高等学校第 2
にも刺激になったことだと思う 。 なんと、すべて女
学年人権教育統一 LHR I
在日外国人の人権問題」
性 1また、 5月には放送大学滋賀学習センタ ーに
1
1月 2
4日)、甲賀市柏木公民館
県立石山高等学校 (
て、出張講義 を行 った。
人権教育講座(館外研修)I
戦時中の外国人に対す
0日)、福井の共生社会を考え
る強制労働 J(l月 3
-河かおる(かわかおる)戟鮮近代史
ただひたすらに国際 コミュニケーション学科開設
る 「
市営住宅入居拒否問題から考える」インターナ
ショ ナルクラブ (2月 6日)、校内人権教育職員研
準備に追われた一年でした。
修会 「
朝鮮民族学級設立の歴史的意義とその経緯」
[教育活動]
近江楽座の新規プロジ、エク ト 「
パンデイラ・ジ・
彦根市立平 田小学校 (3月 7日)、滋賀 レイカ デイ
オウロ 」の指導教員をしました 。滋賀県の在日外国
米原校 3月 1
0日、草津校 3月 1
8日)
中の朝鮮人 J(
などです。
人をテーマとして扱った昨年度の環琵琶湖文化論実
ア大学第 3
2・3
3期生必修講座 「滋賀県近現代史の
習で学んだ学生逮が中心とな って、在日外国人 (
特
に日系ブラジル人 )の子どもをサポートするプロ
-武田俊輔(たけだしゅんすけ)社会学
ジ‘ェク トを組んで応募し たものです。おかげですご
。研究活動
く忙し くはな りましたが、取り組んだ教育実践が芽
H戦後日
今年度は科学研究費補助金(若手研究 B
本における地域伝統芸能の変容と 『
地域活性化j に
を出してくれてとても嬉しいです。学生も 一年間の
活動でとても成長し、来年度以後も楽しみです。
新しくゼミに所属した 3回生が、ここ数年では最
関する (
歴史)社会学的研究の 一年目として、江州
も多い 5人となり、にぎやかになりました。来年の
音頭の櫓を数多く 回り、音頭取りや外部から櫓に踊
りに来るグループへのインタビュー調査を進めた。
卒論の時期が大変そうです。朝鮮語文献講読も、社
会人聴講生や韓国からの交換留学生も含めておそら
また同じ科研費で山口県上関町祝島の祝島村l舞に
ついての調査も継続中であり、神舞に ついてのイン
く過去最高の履修者数となり、研究室のテーブルで
は行えずに演習室で行いました。
文化遺産の保存と活用についても調査を行った。現
104・人間文化
タビュ ーと共に、神舞以外も含めた地域の歴史的な
人・閏・文・化・通・信
在、島の対岸で進められようとしている中国電力の
の指導教員を務めた 。前期のゼミ学外実習は京集先
上関原子力発電所の建設問題において、島民や島外
生のゼミと共に徳島へ、後期はプレゼミの学生の下
の支援者の 若者たちが粘り強 く抵抗を続けてい る。
調べに基づいて、 「パンデイ ラ ・ジ ・オ ウロ」 の学
こうした若 者 た ち が 鳥 民 た ち の 信 頼 を 得 て い く 中
生たちも 引率して、岐阜 ・愛知での在日外国人の先
で、彼 (
女 )ら を 含 み こ ん だ 形 で 、 島 の 生 産 活 動 の
進的な 支援活動 の 視察 と戦争遺跡 の 見学を 行った 。
あり方や盆踊りのような行事も変容している 。 そう
した地域社会の変容もたいへん興味深い 。
r
これらの活動に加 え
、 9月には前期のプ レゼミの
学生などを 引率して、祝島での見学・調査を行っ
科研費については他に、基盤研究 B 社会調査
た。 また 長浜曳 山祭の調査でも多くの学生が調査に
研究代表
史の多次元的な 構 築 に関する 総 合研 究 J(
参加し 、インタビュ ー調査や参与観察の実践 的なト
者
佐 藤 健二東京大学大学院教授)の分担 研 究者と
して、社会調査をめぐる「方法」の歴史社会学につ
いての研究に 参加 させていただいている 。
レーニ ングの場 とな っている 。
. 社会活 動
環境科学部の近藤先生・野問先生や前期プレゼミ
ま た 上 記 の 若 手 研 究 Bの 研 究 テ ー マ と か な り の
生、彦根市民活動セ ンタ ーや 「
彦根で循環型社会を
程度重なるが、 市川先生からのお声がけをいただい
考える人の ネ ッ トワー ク ・みつばち J(
1
日 「彦 根 で
1月より 長浜曳 山文化協 会から、 「長浜曳山こ
ロ ッカショを考える人の ネットワー ク J
)の市 民 の
ども歌舞伎および長浜曳 山磯子 民俗調査記録作成事
方々と共に、私が研究している 山口県の祝島をテー
て
、
業」 を受託研究として行っている 。 1月中旬より毎
マ に 取 り 上 げ た 2つの映画、 「ミツバチの羽音と地
週、土日には学生たちと共に、長浜曳山祭の子ども
球の回転 J(
鎌仲ひとみ監督)・「
祝の鳥 J(
綴綴あや
歌舞伎と悦子、そしてそれを執行する山組組織につ
監 督)の上 映会 ・監督講演会を、交流センタ ーで開
いて調査を行っている 。
5
0人、 1
0
0人の 方 々 に ご参加し 、た
催し、それぞれ2
国際日 本文化研究センター での共 同研究 「民謡研
だいた 。
究の新しい方向」 は今年度が最終年である 。 ミネル
ヴァ書房から研究グル ープによる共著を 出すことに
-塚本礼仁 (っかもとれい じ)地理学
なり、 一章を執筆した 。
. 研究活動
滋 賀 県 立 大 学 特 別 研 究 「滋賀県にお ける 男 女 共
一昨年から、全国蒲焼商組合連合会 ・東京蒲焼商
同参画社会実現プログラムの構築 」 は 2年目 (
最終
組合の研修に同行するかたちで海外調査の機会を
年)となった 。 昨年 1月 に 行 っ た 滋 賀 県 立 大学 教 職
得られるようになり、今年度は台湾に行きました
員調査の成果を人間関係学科の中村先 生 ・丸山先 生
(
2
0
1
0年 1
1月 3日- 5日)0 2
0
1
0年 の 土 用 の 丑 、 台
との 3人でまとめ、今年度は 学生を対象とした調査
湾鰻魚発展基金会は
を行った 。調 査票 の配布には、 学内の教員の皆様や
育てられたうなぎもいい けど、日 本のため に育て ら
教務グル ー プより多大な ご協力 をいただいた 。 i
栄く
れたうなぎも、いいかもなあ 」 という中吊り広告を
JR山手線の車両内に
「日本で
出し、日本のうなぎ業界でも話題に上るほど活発な
感謝の意を申し上げたい 。
公表したもの、近く公表予定の論文などについて
PR活動を展開しました 。 この訪台では、 日本 のた
めにうなぎを育てている現場を見に行 ったわけです
は以下のものがある 。
武田俊輔 「
柳田 民 謡 論 を読み 直す
歌とその伝承の
が、個々の養殖業者・が指定した飼育法を守っている
場に注目して 」細川周 平 編 『うたの 地 脈一一一民謡の
かどうか監視するしくみもあるなど、台湾うなぎ産
通文化的研究』 ミネルヴァ書房 (近干 I
J
)
業界の 「
本気度 j を実感することとなりました 。
武田俊輔 「
盆踊りの輪の排 除と包摂一 『江州音頭 j
r
の現在 J 大学 的滋賀ガイド j 昭和 堂(近刊 )。
r
二 年 目を 迎 えた (
財 )東 京水 産 振 興 会 の 「構 造 再
編下の水産加工業の現状と課題」に関する調査(う
0
1
1, 滋 賀 県立大
武田俊輔・中村好孝・丸山真央,2
なぎ加工 業担 当)では、国内の主要なス ーパ ー・ 量
学教職員のワーク ・ライフ・ バランスと男女共同参
販庖で土用の丑の時期に商材とな ったうなぎ蒲焼き
J 人間文化J2
8号.
画に関する意識 (
上)
の製造地、原料原産地、価格などのデー タを 収集し
武 田 俊 輔 ・中村好孝 ・丸山 真 央 ,
2
0
1
1 滋 賀 県 立大
ました 。 そのなかで、高価な国産のiiIr焼き、安価
r
r
学教職員のワーク・ライフ・ バランスと男女共同参
な輸入(主に中国産)の蒲焼きに加え、これらの中
画に関する意識 (
下)
J 人間 文化 J2
9号.
間程度の価格で流通する 「第三 の蒲焼き J(
冷凍白
4
砂教育活動
焼きを輸入し、国内で蒲焼きにしたもの)の登場が
r
今年のゼミ生は 4回生 6名、 3回生 3名。 2回生
明らかとなりました 。 これは国産原料の確保に悩ん
のプ レゼミは前期 6名、後期 5名であった 。 また河
だ加工 メーカ ーがと った苦肉の策だと考えられます
かおる先生とともに、県内の在日外国人の子どもの
が、その動向を継続して追いかけたいと思います 。
支援活動を行う近江楽座 「パンデイラ ・ジ ・オウロ 」
今年度中に活字にな った研究成果は以下 の通りで
人間文化・ 105
人・間・文・化・通・信
す0
・塚本礼仁 2
0
1
0 静岡県におけるウナギ加工業の
現状と課題 (財)東京水産振興会編 『
構造再編
1年度調査
下の水産加工業の現状と課題 平成 2
報告J105-112
-塚本礼仁 2
0
1
0 国産ブームの到来と日本におけ
思っております。
それから、昨年度、調査報告書を担当した高島市
新旭町針江 ・霜降地区が、 8月に国の重要文化的景
観に選定されました。特に針江地区では 3年にわ
たって調査研究を行いましたが、またひとつ滋賀 県
の伝統集落が高く評価されたことは嬉しいかぎりで
中川秀一 ・宮地忠幸編著 『
グローパル化に対抗す
す。
また、継続している調査・研究としては、 ①滋賀
9
・
9
3
. 農林統計出版.
る農林水産業 j 7
県内の町家研究(科学研究費)、②シ リア ・パルミ
るウナギ産業の新展開.高柳長直・ 川久保篤志・
4
砂教育活動
四回生の卒業論文指導は、提出間際になって多少
ラ遺跡における家屋募調査 (
科学研究費)、などを
行いましたが、近年のパルミラ遺跡、の調査内容が T
ではないかと思います。一方、就職活動などで忙し
BS ITHE世界遺産」にて取り 上げられることに
賓崎+石川研究室作成の推定復元した
なりました。j
くしている三回生はかなり心配で、十分に準備をし
家屋墓のアニメ ー ション (CG)も使われる予定で
パタパタしましたが、おおむね順調に進められたの
ていない 「やっつけゼミ発表」 を繰り返したまま四
回生になってしまうのかと思うと、新年度になる前ー
す。
から私のほうが不安を抱えている状態です。
.教育活動
今年度はゼミの 4回生が 1人ということもあり、
ゼミの学外実習では、前期に 三重県、後期に兵庫
県へ行きました。以下はその行程です。
例年よりじっくりと卒論指導にあたれたのではと
思っており、この卒論での成果の一部は前述の 『
彦
三重県学外実習 松阪市畜産課(*)→伊勢神宮 ・
おかげ横丁 (
伊勢市泊)一 四日市コンビナート・
三菱化学(*)→本田技研工業鈴鹿製作所 (*)一
根市史<景観編 >j にて紹介されることになってい
(伊賀市 泊)一伊賀上野城下町→伊賀の 皇手作り
もくもくファーム (*)
兵庫県学外実習 神戸牛 セリ見学(*)→芦屋市高
級住宅街 (神戸市泊)一 灘 ・菊正宗酒造 (*)→
有馬温泉一 (明石市泊)一魚の棚商庖街 (*)→緑
風台古窯(*)
*印をつけたところでは、ゼミ生が企画段階で自
ら交渉し設定したインタビ‘ュー・ 勉強会を行いまし
た。 このような学外実習での経験が卒業論文のテ ー
マにまでつながった学生も出てきましたので、意義
ある取り組みとして今後も続けていければと考えて
います。
ます。
また、本年度から大学院の授業である 「日本生活
文化論」 を新しく担当することになりました。担当
初年度ということもあり、毎回手探りでの授業でし
たが、学外実習で県内の重要文化財 を見学したりと
楽しみながら取り組むことができました 。
.社会活動
今年度から 新たに 「
彦根城跡内文化財 保存活用計
画策定委員会」の委員として 、彦根城跡内にある国
宝 ・重要文化財建造物の保存活用に向けた計画の 策
定に参加することになりました。その他には、 「
滋
賀県立男女共同参画センターあり方検討委員会」の
委員もお引き受けすることになりました。
また、県立琵琶湖博物館主催の 「
新琵琶湖学創造
。社会活動
昨年度に引き続き、滋賀県立農業大学校非常勤講
師(
1滋賀の 地理と文化」担当)、東近江市 『
能登川
の歴史』編集委員・執筆委員 (
近現代)を務めました。
セミナー 」 にて、「カパタのあるくらし 高島市針
江の文化的景観一
」 というタイトルで講演を行うこ
-石川慎治(いしかわしんじ)保存修景
〔
・研究活動
Jゃ彦根市河原
今年度は、『彦根市史<景観編 >
町・芹町地区の伝統的建造物群保存対策調査報告書
の執筆に追われた 一年となりました。特に、 『
彦根
Jでは、近世期の城下町彦根におけ
市史<景観編 >
る城郭 ・武家地全般を広く担当するために数年前か
ら自身の研究やゼミ生の卒業論文のテーマとして準
備をしておりましたが、何とかまとめることができ
てほっとしております。 また、これらの研究成果に
ついては次年度以降に学会等で発表していきたいと
106・人間文化
とになり、広く 一般の方々に研究成果を知っていた
だく良い機会となりました。
=生活デザイン学科-
-印南比自志(いんなみひろし)道具計画論
.教育活動
〈
ゼミ活動〉
c
o
c
o
c
uJ
新年度早々に、研究室で編集した雑誌 I
の第一号が出版され、販売を開始した。 2号にむけ
た編集会議が忙しい一年だった。 3回生から大学院
生までほとんどのゼミ生が関わっている 。 5月に
は砂浜美術館 T シャツアート展への参加 (4回ゼミ
生)
0 6月には毎年恒例の輪島研修 (3回
、 4回ゼ
人・閏・文・化・通・信
ミ生)。前期の道具デザイン演習 Eでパッケージデ
(
受託研究〉
ザインを課題として提案した日本酒 「
東方新酒」が
滋賀県から県立大学 に委託された陶芸関連の美術
商品化された(3回生 )0 8月には四万十町で卒論
館・博物館の調査アドバイザーとして日本全国の施
合宿を行い四万十ドラマで研修も行った 。 9月には
設や学芸員 、作家へのヒアリンク、調査を行った。 6
ライフセラミックス展設営準備ボランテイアとして
月にはアイリッシュリネンの産業遺産調査のために
ゼミ生全員が約 2週間信楽で活動した 。 1
0月には
アイルランド、北アイルランドの企業や工場を訪れ
北島酒造「うちのみ酒」のパッケージをデザインし
て資料収集やヒアリングを行 ったO ほか国内や海外
商品化した (4回ゼミ生 )
0 9月と 1
0月には地域企
を含めた様々な産業との関わりの中からグロ ーカ ル
業やデザイン事務所へのインターンシップに参加
な地域デザインに向けた研究の流れを掴みはじめて
(3回
、 4凪ゼミ生)
。 年度末にかけて株式会社清原
いる 。
。
の収納小物デザイン開発を行った(3回ゼミ生 )
<
2
0
1
0年度委託事業〉
1
0月には近江楽座のプロジェクト 「信楽人」 で 6
-秩父銘仙新商品開発事業 (
埼玉県中小企業振興公
月からコンパージョンを手がけていた登り窯がギャ
ラリー兼ショップとしてオープンし、ライフセラミ
クス展のオープニングレセプションの会場としてお
披露目した 。現在第 二期工事 を展開している O 信
楽 ACTのこれまでの地域アート活動をまとめた信
楽本の編集デザインを研究室で担当した。 3
0
0ペー
ジにおよぶ大作だ (3回、研究生、院生ゼミ生)
。
社)
-アイリッシュリネン新ブランド開発調査(株式会
社林与)
・守山市地域ブランド開発調査事業 {
守山市商工会
議所)
・日本酒新商品デザイン開発事業 (
株式会社北島酒
造)
2
0
1
1年の NHKの大河ドラマの舞台となる湖北地域
-和装小物新商品開発事業 (
株式会社清原)
とメディア広報の連携やブランド開発などを準備を
.地域産業連携ブランド構築事業 (
明山窯)
院生を中心に進めてきた。放映開始後 2
0
1
1年は 学
土佐和紙新市場開発調査事業 (
いの町商工会議所)
生参加イベントが目白押しだ。
。社会活動
〈
展示会〉
(
講師等
〉
・
筑波大学芸術専門学群非常勤講師 「
環境デザイン」
以下の展示会の企画運営を行った
「ゼミ展 ・i展 J(
2
0
1
0年 3月 3
1日- 4月 2日・京
1
5時間
-岡山県立大学 デザイン工学部非常勤講師 「
地域と
都市鍵屋 ギャラリー )
0時間
デザイン J3
2
0
1
0年 1
0月 1日
「
信楽ライフセラミックス展 J(
GPセミナー講師「地
域活動と大学教育の連携 J5時間
「建築とやきもの展 J(
2
0
1
0年 1
0月 1日 -31日
・
-北海道大学総合博物館教育
1
1月 3
0日・甲賀市信楽産業展示館)
信楽大小屋ギャラリー )
.研究活動
「花のあるくらし展 J(
2
0
1
0年 1
0月 1日-24日
・
〈
デザイン活動〉
一 昨年から和歌山県北山村で温泉宿泊施設のリ
ニューアル設計デザインを進めている 。人口 5
0
0人
弱の小さな村に大学の卒業生が常駐して設計の現場
監理や村の小中学生のための私塾を運営している 。
2
0
1
1年 5月にオープンの予定だ。 また韓国ソウル
で、プライベート 美術館の設計デザインを進めてい
0
0
0r
r
lを超えるギャラリースペースの巨 大 な
る。3
美術館だ。他、明洞地区のレストランを 含 むコン
プレ ックスビルの設計や済州 島のリゾートハウス
甲賀市信楽産業展示館)
「アニマルフィギユア展 J
(
2
0
1
0年 1
0月 1日- 1
7日
・
甲賀市信楽産業展示館)
「
環境とくらし展 J
(
2
0
1
0年 1
0月初日 -11月 2
3日
・
甲賀市信楽産業展示館)
「酒の器展 J(
2
0
1
0年 1
1月 2日- 2
3日・甲賀市信
楽産業展示館)
「ここくらし 展 J(
2
0
1
0年 1
2月 1
3日- 1
5日・近江
八幡市天鎖宮 ギャラリー )
の現場に携わ った。 3年前か ら計画していた J
e
a
n
Prouveのプレフ ァブ住 宅 の移 築 再 生 計 画 が 終 了
「
県立大学× 北島酒造展 J
(
2
0
1
1年 1月2
1日-2
3日
・
し、ギャラリーとして竣工した。 ソウルでの活動拠
「
土佐和紙展 J(
2
0
1
1年 2月 1日- 3日・ 東京都国
点、
であるデザイ ン事務所
ONEoONEの設立 10周年
記念のコンセ プ トブ ック を執筆発刊した。森美術館
で今年開催が予 定さ れるメ タボリ ズム展への企画準
備資料提供を行 った。他一年通し て東京の家具メ ー
カー の社外取締役として新製品開発案件 や企業の
CSRに向けた活動へ の助言 を行 った。
京都市鍵屋 ギャラリー )
際展示場 ビッグサイト )
「ここ くら し展 レセ プシ ョン J(
2
0
1
1年 1月 2
7日
2
8日 ・能登川 I
/
I
J
紹紹の家 ギャラリー )
「夏 の風物 詩展 J(
2
0
1
1年 2月 2
2日- 2
4日
・ 京都
市鍵屋 ギ ャラリー )
〈
講演会〉
人
間
文
化・107
人・間・文・化・通・信
-地域デザインワークショ ップ (
2010年 6月 5日
6日・滋賀県立大学)ファシリテーター
-藤田千恵子氏トークショー (
2
01
0年 1
0月 3
0日 ・
甲賀市信楽産業展示館)コメンテ ー ター
2010年 1
1月 1
4日
・
梅 原 真 +桐本泰一 トー クショー (
甲賀市信楽産業展示館)司会
が集まる新しい学会で、今は主流を占めている 「
工
学系jのデザイン研究とはまた違ったアプローチに
よるデザイン研究について、日本におけるその系譜
と現状、およびその意義について報告しました 。参
加者には日本留学経験者が多く、国際学会なのに言
葉には苦労しま せんでした 。帰途には閉幕直前の上
-地域ブランド会議 (
2010年 1
2月 2
8日・高知県い
の町商工会)講演
海万博を駆け足見学。はかり知れない中国パワーを
感じて来ました。
2
0
1
1年 3月 5日・山陽
-岡 山デザインフォ ーラ ム (
新聞社)講演
学会年次大会の 企画実施:2
0
1
0年度道具学会研
2
0
1
1年 1月 9日 ・1
0日、国立民
究発表フォ ーラム (
〈
委員等〉
族学博物館)では、研究発表の募集、プログラム構
・しが新事業応援ファンド審査委員
成、当日の進行役。関西でのひさびさの開催であ
-滋賀県立陶芸の森指定管理者選定委員
り、民博館内展示の特別見学のほか、参加者全員に
・信楽 ライフセラミックス展総合プロデユーサー
よるテーブルトークを取り入れて、道具をめぐる学
.高知県いの I
H
J商工会アド、
パ イザー
術的?議論を楽しんでもらいました。
-信楽焼新総合展審査委員長
学会誌編纂
-国際ナイフミュ ージアム PATTADA 日本十旦当
.近江楽座座長
:
1道具学論集
第1
6号 J(道具学会、
2
0
1
1年 3月刊行予定)
。社会活動
彦根市史民俗部会委員、彦根仏壇検査委員会 (
彦
-面矢慎介(おもやしんすけ)道具デザイン論
根仏壇事業協同組合)委員長、滋賀県伝統的工芸品
.教育活動
振興委員会(県商工観光労働部)委員
今年も京都府宮津市由良地 区での生活デザイン
学外演習(京都府立大との共同開催、 9月 7日-9
日)に学生を連れて行きました 。休耕回を利用した
エコパークづくりの一環で、回
mを使った泥 田遊
。学内活動
学科長、認証評価特別実行委員、全学教育構想委
員、入試委員
び、水生昆虫採集など。環琵琶 湖文化論実習 (9月
-佐々木一泰(ささきくにひろ)空間デザイン
2
1日 -2
2日)は去年に続いて湖北・木之本町を中
心に。 ロッジに泊 まり、食事は学生たちによる自炊
男だったのですが、結構波乱万丈な 一年だったと思
方式が定番になってきました。
います。ペンデイングになった物件もあり、実作に
.研究活動
はあまり恵まれなかった一年でしたが、研究室の活
動は良好だ、ったのが幸いです。
今年度は 『
彦根市史 ・民俗編j編纂の最終年度と
なり、関学直後からおこなって来た 11
汀家の考現学的
調査を 一旦まとめ、各所で報告しました 。
学会発表/論文
生活
「
彦根旧城下 I
H
Jにおける町家の
今年度はおたふく風邪を誕生日にひきました。年
。教育・研究室活動
昨年度、 研究室での初めての院生、桑山竜君の修
士論文が全国の建築系大学院の優秀な論文を 審査す
生活財配置に注目した住まい 方の記録化」
る「トウキョウ建築コレクシヨン」の全国修士論文
7図研究発表大会。 5月。同・梗
(日本生活学会第 3
展ファイナ リストに選ばれました。 内容について
概集5
4- 5
5頁) と
、 I
Everydayl
if
ei
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r
a
d
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t
i
o
n
al
は刊行されている「トウキョウ建築コレクション
c
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s:amodernologic r
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s
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hi
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eo
l
d
2
0
1
0(
建築資料研究社 )
J に掲載されています。
〈
林宏美〉
009代表
・石山ア ートプロ ジェクト 2
c
a
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tl
etownHikone,JapanJ (
Th巴 5
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1I
nt
巴r
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Symposium o
f Asi
an Design Cul
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e Society.
i
na,October2
0
1
0
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Luoyang,Ch
DesignC
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u巴 N
O
.
5,p
p
.
3
8
9
3
9
8
)。
(
なお 『
彦根市史・民俗編』 には「彦根城下の町家
の生活」として寄稿中。来年度中に刊行の予定。)
招待講演:1
日本におけるデザイン文化研究 J(
第
5回アジアデザイン文化学会、中国・河南省洛陽
市。洛│
湯理工学院) 上記発表を行った国際学会に
おいて講演しました。 これは、日本、中 園、台湾、
韓国、イン ドネ シアなど東アジア各国のデザイン研
究者、それもデザインに関する 「
文科系」の研究者
・
人
間
文
化
108
(
近江楽座。森川准教授と協同担当)
発表
-別府現代芸術フェスティパル 「
混浴温泉世界J内
企画学生フォ ーラ ム(神戸大ア ート マネジメン ト
研究会主催)プ レゼ ンタ ー参加
.1
石 山アートプロジェクト ーまちを再発見し 、活
J
用するためのア ート
.1トウキョウ建築コレクション 2010J プロジェク
ト展発表・書籍掲載(審査付き)
-受賞
「第一回アーパンデザイン甲 子園 」優秀賞
人・間・文・化・通・信
(準優勝)(日本建築学会近畿支部都市計画部会主
る染色の現状を調査した 。
催)
〈学術論文〉
(
)
'I
村浩一
〉
学会賞受賞
-石 山アート プロジェクト 2
01
0代 表
(
近江楽座:森川准教授と協同担当 )
二年目を 迎 えた「石 山アート プロジ、エク ト」は今
年は大学問の枠を超え、滋賀大学の多くの学生がプ
2
0
0
8年から 2年 間 、 滋 賀 県 立 大 学 特 別 研 究 費 を
受け、「天然染料 に よ る セ ル ロ ー ス 系 繊 維 の 染 色 の
0
09年 に 得 ら れ た
システム 化」 の研究を行ない、 2
成果の 一部を繊維製品消費学会誌に発表した 。
ロジェク トに参加しました 。 また、今年度は巡回展
これらの論文に対し、 2
01
0年 6月繊維製品消費科
として滋賀県立近代美術館ミニギャラリ ーや、大津
学会賞(年度賞)を受賞した 。 私 は 共 同 研 究 者 と し
パル コでの展示が決定しました 。展示システムや広
て研究を行なった 。選考の理由は「天然志向の高ま
3回生ゼミが担当していま
りの中、天然染料で染める こと が 難 し い 綿 に 対 し
幸
日
ツ ールの開発は今年も
て
、 i
濃染固着剤としてのカチオン性高分子の効果を
す。
メディア掲載
中日新聞 (
2)
、読売新聞 (
2
)、 京 都
新聞 (
2
)
検討し、染着挙動への有効な知見を得るとともに、
染着挙動を検討するためのパラメータとしての相対
(
現 4回生ゼミ 〉
的親和力を提唱するなど、優れた 着想に基づいた論
.["石山ア ート プロジェク ト巡回展における展示シ
文であり、 2
0
0
9年 度 に 掲 載 さ れ た 論 文 の 中 で 最 も
ス テ ム の 開 発 JDDAデ ザ イ ン 賞 (
社団法人デ ィ
優れた論文であり、年度賞に十分値すると認められ
スプ レイデザイン協会主催)入選
る。
」 であった。
(展示:りそな銀行 四条烏丸支底 ロビー・ 京都河
原町 MEDIASHOP)
4回生の卒業研究で健康栄養学科岡本研究室と食
育に関するデザインツ ー ルの開発を行いました 。
また、今年度はキチン ・キト サン関する研究をま
とめ、学術雑誌に論文として発表した 。
これらの論文は、資源の枯渇化 が叫ばれる中、地
球上に残された数少ない巨大な未利用生物資源であ
また、特殊塗工紙の商品開発や生協でのオリジナ
るキチンを繊維として利用したキチン / セルロース
ル日本酒の商品開発、地域文化学科島村研究室との
複合繊維 C
R20(キチン 2
0%、 セ ル ロース 80%を含
絵本製作なども行っています 。
む)に対する天然染料の染着性を明らかにしようと
.デザイン・研究活動
するもの等である 。
2
0
0
8年 か ら 関 わ っ て き た 大 阪 市 に あ る 精 華 小 劇
-道明美保子 ・下川綾子 ・清水慶昭.キチン / セル
場の閉館が決定しました 。大阪市初の現代演劇にお
ロース複合繊維に対する苅安染料の染着性,キチ
ける公設劇場でしたが、こうい った小さな劇場が閉
館されることにより、これから活躍していく可能性
のある演劇人の表現の場が減る事は残念です。
(シンポジウム ・フォ ー ラム 〉
."
[
大阪にアートスクエアを創ろう!J
大阪の街中で、ア ート に よ る 活 用 方 法 を 探 る
(
20
11
.3
.8精華小劇場(大阪 ・難波))
ン ・キ トサン研究, 1
6
,
13
-1
0(
20
1
0)
-道明 美 保 子 ・ 土 橋 は づ き ・ 清 水 慶 昭.キチン /
セルロース複合繊維に対するキハダ染料の染着
6
2,5
9
6
4(
20
1
0)
性 , キチン ・キトサン研究, 1
・清水慶昭・米田晶子・道明美保子
グルタ リル化
キ トサ ン か ら 合 成 し た 両 親 媒 性 高 分 子 の 界 面 特
性 ,1
6
3,2
4
7
2
5
4(
20
1
0)
平成 2
2年 度 科 学 研 究費補 助 金 ( 基 盤 研 究 (C))の
-道明美保子(どうみようみほと)染色学
染色の伝統的技法を現代の科学から検証し、さら
に発展させていく方法を探ろうとしている 。
.研究活動
〈
調 査〉
交付を受けた。
2
5
0
0
7
2
0
謀 題 番 号 :2
「各種主主草からの安定的かっ効率 的なインジゴ生成
法の確立と残浮色素の有効利用 」
今年度は、各種藍草中に含まれるインジゴ量の測
数年来、染・織の源流を訪ねる旅をしている 。
定をおこなった 。今後は、江戸時代を中 心に行なわ
今年度はミャンマ ーの叢染色の現状および原始糸
れていた伝統的製造方法を現代の科学から検証しな
である蓮糸の調査をした。ミャンマーの天然藍染色
宰色素の有効利用の検
おし、効果的な生産方法と残 i
工房との交流を含め資料 を 収集した 。現在のミャ ン
討を進めていきたい 。
マ一天然泥藍製法の技法はまだ低く、今後国際協力
。教育活動
や技術指導により技法が高められることが必要であ
研究室では 3名が意欲的に卒業研究に取り組み成
ると思った 。 また、イン レー湖 南部の織物村では蓮
巣を挙げつつある 。研究題目は次のとおりである 。
の茎から採取される蓮糸での織物を視察、日本では
「
各種藍草からの安定的かつ効率的なインジゴ生成
見ることができない蓮糸を紡ぐ様子や天然染料によ
法」、 「
柿渋紙の有効性」、「綿布の前処理が染着性に
人間文化・ 109
人・閏・文・化・通・信
与える影響」
日本の食器 「ジパング」などいくつかの商品はすで
柿渋染色に関する研究の一環として 、ゼミ生は高
島市の山本玄匠さんの工房で染色体験をした。研究
に商品化され、今なお多くの商品をブラッシュア ッ
プさせ商品化へ向けて最終調整中です。
室では染色を科学の視点で捉えてきたが、この体験
2
0
1
0世界ベンチ ・イス創作コンテス トにおいて、
はア ート 作品への挑戦であった。 しかし、私は山本
グランプリを受賞しました。制作されたベンチは郡
さんが構築された柿渋染色を科学の視点で検証し直
山市内の公共空間に設置されています。
す ことに興味を抱いた。
株式会社絹やの依頼に より、徳島の藍色のプラン
また、 一昨年開始した 「
みずほの郷」の皆様との
綿栽培で収穫した綿花から、糸作り ・染色 ・織りへ
と発展させることができたことは大きな成果であっ
た。
3回生ゼミ生は毎年行なわれている湖西の手仕事
工房見学の成果を冊子にまとめた。 また、後期から
デイングを現在担当し、商品デザイン業務を現在進
行中です。
.教育活動
RL
Dが主催する、ア
大 手 ア パ レ ル メ ー カ -WO
パレル商業空間のデザインコンペ
WORLDSPACE
CREATORSAWARDS2
0
1
0において、梶岡勇締ー
は卒業研究課題の模索を始めた。
さんによる 「
黒羊製作所Jが大賞、樋口紗由佳さん
.社会活動
の 「あなぐら 」が優秀賞を受賞しました。 このコン
ここ数年来行ってきた多賀 I
J
生涯学習講座での草
ペへ研究室からの入賞は 5年連続となり、今回も国
木染め講座は今年度は開催されなかったが、今後も
0
0点を超える応募
際色豊かな顔ぶれでト ー タルで 5
身近かな天然染料を見直し活用する裾野を広めたい
の中から選ばれたものです。
と思っている 。
修士課程の新森雄大さん浅田龍太さん高杉昭吾 さ
多賀座の方々と約 6
0
0年前の染色技法を探りなが
んが協同で参加 した 「第 2回文化遺産 防災アイデア
ら染色した衣装が、今年度も多賀大社蔦燈祭等で披
コンペティション 」において 「
水彩の路」で佳作貨
露・活用され続けている 。
を受賞しました。
-南
般公募」において M 1浅田龍太さんは最優秀賞を
「
滋賀会館を再生するためのアイデアと構想の 一
政宏(みはみまさひろ)道具デザイン
受賞。M2新森雄大さんは佳作貨を受賞しました。
.デザイン・研究活動
昨年度 6月より、東京都墨田区の中小企業とデザ
イナ ーのマッチングにより新製品を開発する試みで
ある
SOONプロジェクトに参加しておりました。
7田空間デザイン ・コンペテイシヨン 「
多目
第1
的な教育空間のためのガラス質 Jにおいても、新森
雄大さんは優秀賞を受賞しました。
井上鞄製作所との コラボレ ー ションで墨田区産の豚
0
1
0におい
イス ・テーブルデザイン コンテス ト2
i
LOGJのデザインを担
て 3回生の村上愛佳さんが入賞され、商品化へ向け
革を使用したペンケ ース
当し商品化しました。 また、同じプロジ‘ェクトで片
て試作が制作されました。
岡扉風庖とのコラボレ ーシヨンによる製品開発が継
M 1の 高 杉 H
E吾 さ ん は 名 古 屋 デ ザ イ ナ ー ズ
2
0
1
0における i
NDW 中部デザインコン ペ
テイション 」に参加し、佳作賞受賞となりました 0
続中です。
ウィーク
昨年度の名古屋デザイナーズウィ ー ク2
0
0
9に
おける 「中部産業局主催のワ ー クショップ」 に参
加し、 美濃手1紙 を 活 か し た プ ロ ダ ク ト の デ ザ イ
.社会活動
ン 開 発 に よ り 株 式 会 社 林 工 芸 が 制作した提灯を
「あゅの庖きむら Jと受託研究で鮒寿司の パッ
ケージデザインを進めていたパ ッケージデザインが
i
MAI
SON& OBJETJ(
pARISNORDV
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F
r
a
n
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e)に出品しました。
。メディア掲載
1
0月に商品化されました。
8月には、 「アンジェ×かまわぬてぬぐいデザイ
2
0
1
0年 1月 1
8日 NHK総合ぐるっと関西おひる
0
1
0Jにて 「かまわぬ賞 」 を受賞し、て
ンコンペ 2
まえで特集されました。
「発想の根源と進化するデ
ザインの世界」デ ザ イ ナ ー 南 政 宏
ぬぐい 「さかな 」が a
n
g
e
rより商品化されました。
1
0月より開催された信楽まちなか芸術祭の催し
である信楽ライフセラミック展へデザイナーとして
-宮本雅子(みやもとまさと)住環鏡学、インテリア計画
参加し、信楽の窯元とのコラボレーションによる新
。研究活動
製品開発事業に参加しました。信楽焼の技術を活か
2
0
1
0年 3月に参加した C
I
E主催の国際会議 (テー
した様々なプロダクト提案を行い、試作を完成させ
マ “
L
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g
yE
f
f
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c
i
e
n
c
y
")で
ました。それらは、
1
0月 1日から 1
1月 2
3日までの
は、省エネルギ一、長寿命である
LEDに関する研
会期中に陶 芸 の森にて展示され、好評を博しまし
ED照明は日本でも 今後
究発表が多くみられた。L
た。その中から、新しいギフト 「おめでたまご」ゃ
急速に普及していくと考えられるが、生理面での問
110・
人
間文
化
人・間・文・化・通・信
題点などまだ明らかになっていない部分もありさら
の開催を千子った。
ンの U Dチェック、ワークショッフ。
なる研究が必要で、ある 。そこで、日本の照明環境 の
今年度の 4回生 6名はそ れぞれの Tーマで積極的に
現状をとらえ、今後の住宅における照明環境につい
調査・ 実験を行った。生活デザイ ン論演習 1(3回
て検討するための研究計画を 立て、予備調査を行っ
生ゼミ )では、京都の景観としてふさわしい 色彩に
ている 。
ついて考える こと を目 的に京都の街歩きを行っ た。
また、 D6-101生活 デザイン制作 室内のシ
[論文]
住宅居室の光環境の実態 と
ミュ レー シ ョン 空間の照明を変更し、様々な条件に
居住者評価の季節による比較、日本建築学会環境
対応、できるようにした。 来年度の 笑習に空間のイ
・宮本雅子・図嶋道子
5(
6
5
5),7
9
1
7
9
8,2
0
1
0
0
9
系論文集 7
.Masako Miyamoto, Michiko Kunishima:
1
1
I
n
f
l
u
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y
l
i
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ti
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hee
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yev巴nmg0
i
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tand
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o
u
r
sands
p
a
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leval
ua
ti
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s,L
8,I
s
s
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g,Volume1
[
研究発表]
.Michiko Kunishima, Masako Miyamoto
EFFECTIVE USE OF DAYLIGHT AND
ARTIFI
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COMFORTOFLIGHTINGENVIRONMENT,
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0
.Masako Miyamoto, Michiko Kunishima
EFFECTIVE USE AND COMFORT OF
DAYLIGHT AND ARTIFICIALLIGHTING
IN A LIVING ROOM -INFLUENCE OF
POSITIONSOFLUMINAIRESANDLIGHT
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Quai
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0
-宮本雅子 高齢者専用賃貸住宅の入居者の地域生
活と 満足度、日本建築学会大会学術講演梗概集
,
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2, p2
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gSymposiumo
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]
apanandKoreaPROCEEDI
NGS,2
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1
0
[その他]
-宮本 雅 子 文 献 紹 介 「住 宅 照 明 に お け る 行 為
と空間評価への昼光の影響」、照明学会誌、
Vo
.
1
9
4,
N04,
2
0
1
0
-宮本雅子 :街の色研究会 ・京都 調査報告 「
京都
の街の色彩と望ましい方向」、京都の まち の景観
を考える 第 1回シン ポジウ ム
、 p
p
6
1
1、2
0
1
0
。学会活動
日本建築学会 「
建築空間の質感・色彩設計法小委員
会」委員、日本家政学会関西支部役員
.教育活動
H
下年 に引き続き守山市 U D(
ユニバ ーサルデザイ
ン)まちかどウォッチャ ー と共同で、市街地のサイ
,
メージ評価を取り入れる予定である 。
.社会活動
守山市 U Dまちかどウ ォッ チャ一、 彦根市・滋賀
県建築審査会委員、草津市・彦根市 ・滋賀県都市計
画審議会委員、滋賀県 レイカデ イア大学講師
、 「
街
の色研究会 ・京都」の活動に参加]。
特に、街の色研究会・京都が主催した、 2つのシ
第 l回
ンポジウム 「京都のまちの 景観を 考える J(
京都の街の色
第 2回京都の屋外広 告物)の実行委
員会メンバーとし て企画運営に関わった。第 1回シ
ンポジウムでは、街の色研究会・ 京都
調査報告
「
京都の街の色彩と望ましい方向」 と題した発表を
行った。景観に関しては、 景観法が施行して以来、
各自治体で景観計画が立てら れるなど関心が高 く
、
この 2つのシンポジウムには、全国からの参加者が
あった。
-森JlI
稔(もりかわみのる) 都市・地域計画、地域再生、
まちづくり、市民参加
。教育活動
8年度に スタ ートした、文部科学省 からの
平成 1
3
委託による 「近江環人地域再生学座」は、平成 2
年 3月をも って終了する 。最終年度になる今年度に
ついては、学座の Aコース (
大学院生)に 9名
、 B
コー ス (
社会人等)に 6名が入学した。近江環人地
域再生学座のひ とつの特徴は、地域の現場で実践経
験を積んでもらうことにある 。今年度も、夏季集中
で開講している地域再生システム(特)論では 5ヵ
所の:g-1.場で、学座生と学部生のチームに地域の方々
の参加を得て、ワークショップを 実践した。 また、
コミュニティ ・プロ ジ、
エク ト実習 Iでは、県内各地
のフィール ドに入 札 地域の方 々にもま れながら、
各自のテ ーマに基づいたプ ロジェク トを 計画・実施
するという貴重な経験を積んでもら った。
この 5年間で、入学者は 7
0名を超えている 。検
定試験合格者(コ ミュニテイ ・アーキテクト (
近江
環人 )称号取得者 )は平成 2
1年度までに 4
2名を数
0名前後になるのではないかと予
え、最終的には 6
3年 1月には、近江環人が中心に
想される 。平成 2
なって
、 「
特定非営利活動法人コミュニテイ・アー
キテク卜(近江環人)ネットワーク」が立ち上げら
隔ひろい ネ ット
れた。学座から巣立った学座生が、 '1
人間文化・ 1
1
1
人・間・文・化・通・信
ワークを形成し、県内各地で元気な滋賀づくりに取
題を分析し開発に向けた「ス ーツJ["農作業着 j の
り組むリ ーダ一、コーディネーター、フ ァシ リテー
調査を学会にて発表した 。
ターとして、活躍してくれることを期待したい。
地域貢献活動では、産官学での受託 ・共同研究の
この近江環人地域再生学座は、平成 2
4年度から
中で 「
感性価値創造支援事業」の一環として、服飾
大学院副専攻として県立大学独自のプログラムとし
デザイン領域にとどまらず、彦根仏壇産地や信楽焼
て進められることになる 。学部生を対象にした新た
産地などの伝統的地場産業の新たな開発への取り組
な現代 G Pとして「近江楽士」の取り組みも 2
3年
みが始まった。研究室活動では彦根ファンデーショ
度から始まることになっており、学部、大学院を通
ン縫製産地との共同研究において、下着の技術を活
じて、地域に学び地域づくりに取り組む、人材養成
かした商品開発を行った 。市場調査から企画、最終
の新たなステップに踏み出すことになる O
製品、発表まで、ものづくりの一連の生産工程にふ
。研究活動
れることができ、学生にとっての大きな経験にな っ
昨年度まで取り組んできた 「
地域再生研究会」を
発展的に解消し、「近江地域活性研究会」 を、学座
と滋賀県庁の協働によって 立ち上げた。学座性、学
座関係者、自治体職員、 NPO法人や民間企業人な
ど
、 l
幅広い参加者による研鐙と交流を目的としたも
ので、研究会を 8回、フォーラムを 1回開催した 。
「
地域再生」 について、理念的あるいは大きく地域
を捉える視点と、個別具体的な取り組みを捉える視
点の 2つの面から、毎回ゲストスピーカーを招いて
研究会を開催している 。
また、社会活動として取り組んだ滋賀会館再生の
取り組みを踏まえて、 「滋賀会館の保全・再生をめ
ぐって
その存在価値の継承とにぎわいの創出とい
う新たな役割への期待 ~ J と題する論文を滋賀県立
大学人間文化学部研究報告 2
8号 (
2
0
1
0年 2月発行)
に投稿した。
.社会活動
理事長を務める NPO法人おおっ市民協働ネット
が、指定管理者として大津市市民活動センターの管
理運営を担っている 。 この指定管理も 2
3年 3月末
をもって終了する 。
たと感じている。
。研究活動
〈論文〉
.MORISHITA Aoi. KUROKAW A Takao
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、Nov.201
O.
pp.
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3
1
2
0)
・山本 卓・森下あおい・高橋志郎・野本明成 「
地
域ブランド創出プロジェクト滋賀県の綿織物技術
とデザイン ・伝統工芸を生かして J(滋賀大学産
学協同センター 『
滋賀大学産学協同センタ一報j
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p.
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0)
(
学会口頭発表/学会作品発表〉
-森下あおい・中 川 「
伝統的農作業着からのデザイ
ン展開 J(
服飾文化学会 『
第1
0回大会 j、平成 2
3
年 5 月 22 日~ 2
3日、日本女子大学)
・文室友利・森下あおい 「
座位姿勢のためのレディ
ス用スーツのデザインに関する研究 車いす使
用者の着用実態について J(日本繊維製品消費
科学会 r
2
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1
0年年次大会j、平成 2
2年 6月 2
6日
滋賀県庁に隣接して立地する滋賀会館が廃止され
2
7日
、 実践女子大学)
代表安
ることに伴い、 「
滋賀会館の再生を願う会 J(
〈
報告書〉
土優)が主催した「よみがえれ! 滋賀会館j 再生
のアイデア・構想を募集」 コンペの企画に関わり、
-石坂恵・森下あおい 「浜ちりめ んの洋装化に関
5)
ブラックフォーマルウェアとしての適
する研究(
r
その審査委員長を務めた。
県 内各地で、地域づくりなどに関する講演や委
応性(
4)
J (滋賀県東北部工業技術センター 『
平成
2
1年度研究報告書』、p
p
.
2
1
2
6)
員、ア ドバイザーなどを務めた。
-森下あおい 「滋賀県感性価値創造支援事業平成
2
0年度報告書 Jpp.
l
4
-森下あお い (もりしたあおい)服飾デザイン
〈
解説〉
.年間活動
服飾デザイン分野では産業界での効率性を求める
・森下あおい「滋賀の織物
研究が先行しがちであるが、衣服の持つ感性価値を
関連する資料から分析する意義は大きい。今年度は
そ の 技 と 感 性 第 I回
浜ちりめんの雅」
、[
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胡国と文化 J1
3
4号 pp.
46
4
8
(
パネル・ 作品発表)
.
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新ジャンル衣料の開発
分離融合型産学連携活
写真、浮世絵におけるデータをもとに日本人女性の
内閣府 ・経済産業省ほか『第 8回産学官
動一 J(
体形や着装形態を分析し論文を執筆した 。今後も時
代性や美意識に関与する服飾デザインに他領域の
連携推進会議J
、滋賀大学展示ブース、平成 2
2年
データを取り入れるテーマとして発展させたい。そ
-森下あおい「ブラックフォーマル展 i
t
oJ (
平成
の他、着用者の体形特徴の調査から運動機能性の謀
112・人間文化
6 月 5 ~ 6 日、京都国立国際会議場 )
23 年 6 月 3 日 ~22 日、大津市コラボしが 2 1 )
人・閏・文・化・通・信
-森下あおい・石坂
恵「浜ちりめんを用いた新し
奈良県川上村では、毎年のイベントとして定着し、
びわ湖環境ビ ジ
いブラ ックフォーマルウ ェアJ(
役場や地区住民の方々と協力しながら、地域の施設
ネスメ ッセ 2
0
1
1、平成 2
2年 1
0月 2
0日- 2
2日
、
整備に微力ながら 貢献できていると感じている 。た
滋賀県立 長浜ドーム )
だ
、 参加学生たち の現場での対応力は、ここ数年
f
余々に乏しくな ってきているように思える 。そうし
。地域・社会貢献活動
(
講演会〉
た意味でも 一週間の合宿での製作体験が、現場力を
財団
・「
滋賀の地場繊維産業とデザインについて J(
2
0
1
0年度第 1回ヨ シ産
法人淡海環境保全 団体 W
業交流研究会j平成 2
2年 9月 2
9日、佐川 美術館)
(シンポジウム / ショ ー企画/展示〉
つけるいい機会になればと思う 。
.研究活動
最終年度となる科研基盤研究 (
B)fインド洋海域
世界における港市の形成と変容に関する調査研究」
.
r
感性価値創造支援セミナー Jr
滋賀県地場産業産
において、古くからインド洋交易の拠点として栄え
地合同研究会j パネラー (
滋賀県中小企業団体中
たイ ン ドの港市キャン ベ イの調査を行 った。 町で
央会主催、 平成 2
2年 6月 1
9日/ 1
2月 6日、大津
は、古代よりインド洋海域の主要な 交易 品の一つで
)
市コラボしが 21
あった璃瑠の加工が現在も続けられ、またジャイナ
.
r
美 しく健康に一下着の産地・ 彦根から 一」
シン
教徒やムス リムの商人達が多数集住するなど、興味
ポジウムパネラー(ひこね繊維共同組合主催平成
深い 実態を調査することができた。 これまで主にイ
2
2年 1
1月 20日、ひこね燦パレス )、作品展 示発
ンド洋西海域世界を対象としてきた本研究を、今後
表(組合企業 との共同開発)
はイ ン ド以東の東南ア ジア、さらには東アジアの海
.
r
第6
0回滋賀県中小企業団体滋賀県大会
高島産
域世界 (
ベ ンガル 湾海域位界、南シナ海海域世界、
J(滋賀県中小企業団体
東 シナ海海域世界)にまで対象を広げ、海上交易で
中央会主催
、 平成 2
2年 1
0月 4日、大津プリンス
結ばれた港市の都市、建築、住居の空間的特質を広
ホテルコンベン シ ョンホール)
範に明 らかにしてい きたいと 考えている 。
地織物によるデザイン
.
r
滋賀の織物 JW
しが衣食住博lD琵琶博一温故知
新・近江の糸と織り
J琵琶湖博物館主催
、
平成
2
3年 1月 2
3日- 2月 1
6日、ギャラリー展示
〈
知的財産椛取得〉
-意匠権 「スカート 」平成 2
2年 3月 1
9日、出願番
号2
0
0
9-015839(
意匠権者 /滋賀県立大学)
昨年 7月に国立民族学博物館で開かれた国際シン
ポジウムでは、上記の研究に関連した発表を行うこ
とができ、多様な観点から港市の空間構成について
議論することができた。
また、秋には、 北九州で 2
0
1
0年 1
1月 9- 1
2日
に開催 された日中韓 三 カ国の建築学会 共催による
日本家政学会構成学部会運営委員 、日本繊維製品
h
「
第 8回アジアの建築交流国際シンポ ジウム (8t
ISAIA)Jの実行委員 を務め ,建築史分野のシンポ
消費科学会論文編集委員、滋賀県感性価値支援事
業感性側値ものづ くりリー ディング プロ ジ、エク ト
を図ることができた。
(学会委員/各種委員〉
サブプロデュ サ一、大津市歴史博物館協議会委
員
ジウ ムを企画するなど、ア ジア各国の研究者と交流
[
海外調査]
③ イ ン ド(
キャン ベイ)(
2
0
1
0
.
8.
16
9
.
6)
[
論文]
-山槙周(やまねしゅう)地域生活空間計画,アジア都市・
① 山 根 周 「アラビア海・インド洋西海域世界にお
r
住居論
ける港市の形成と 変容 J 第 3回全球都市全史研
。教育活動
ゼミでは 4回生 3名 が そ れ ぞ れ 「シェアハウ
究会報告書
ス」
、「可変性のある空間システム」、 「クラフト 屋
台」 をテーマとした卒業論文、 卒業制作に取り組
み、ユニー クな研究成果をまとめることができた。
中でも 「クラフト 屋台」の制作に取り組んだ前田君
生活デザイン 学科優秀卒業研究賞)を受
は LD賞 (
賞し、学科内でも高く評価された。生活デザイン 全
生態系か ら見た都市とそのネ ッ ト
ワーク ー 海域世界を巡 っ て - ~総 合 地球環境学研
究所・メガ都市プロ ジェ クト (
代表 。村松仲 ),
pp.
13
2
3, 2
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1
0
.
3
② 川 井 操 , 布 野 修 司, 山 根 周 「西安旧城・回
族居住地 区の棲み分けの特性に関する考察」 日
本建築学会計画系論文集 Vo
.
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. pp.
10
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体としても、 卒業研究の完成度や発表 ・展示スキル
① ShuYamane,K
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が年々向上しており、下級生たちもそれに刺激を 受
けている様子 である 。今後もそれがいい循環を つ
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④ Tomoaki Okamura,Shu Yamane,Naoko
くっていってほしいと思っている 。
3年目を迎え、フィールドとしている
木匠塾は 1
人間文化・ 1
13
人・間・文・化・通・信
Fukami. “S
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[
研究発表]
① ShuYamane,
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② 中島佳一,中凹刻太,山根 周 , 布 野 修 司 菜 見
奈緒子「イン ド洋海域世界にお ける港市の形成と
変容に関する 研究 その 3 カリ カッ ト, クテイ
チラ 地区(イ ン ド,ケーララ 州)の都市構成 J2
0
1
0
年度日本建築学会大会学術講演梗概集 F1分冊,
p
p
.
5
7
78
③ 中田刻太,中島佳一,山根 周 , 布野修司,深見
奈緒子「 イン ド洋海域位界にお ける港市の形成と
変容に関する研究 その 4 カリカ ッ ト
・ クテイ
チラ 地 区の伝統 的居住形態 J2
0
1
0年度 日本建築
1分冊,p
p
.
5
7
9
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学会大会学術講演梗概集 F-
④ ShuYamane
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.社会活動
[
総説]
山根周 i
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A の歩みとこれから J W建築雑誌j
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. 日本建築学会, 2
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6,No.
[
講i
寅]
米原高校模擬講義, 2
0
1
0年 1
0月 2
2日
[
=生活栄養学科】
-福井富穂(ふくいとみほ)臨床栄養学、栄養ケアマネジ
メント論、臨床栄養活動論
[1]年間活動
平成 2
2年 1
0月 2
9日
・ 3
0日に 「
第 6回日本給食経
営管理学会学術総会」を本学交流センタ ーにて 「
給
食経営管理とエコロジ一 一 淡海より水 ・大地と自
然の共生を目指して
」 をメインテーマとして開催
2月 1
2日には 「第 9回日本栄養改葬学
し、また、 1
114・人間文化
会近畿支部学術総会」 を同じく交流セ ンタ ーにおい
て開催しました。 日本給食経営管理学会は、平成
1
7年度に新しく 創設さ れた学会で、 健康増進法に
ある 「
特定給食施設」いわゆる集団給食の管理運営
(
組織、人事、施設設備、食材、品質管理など全般)
について探求 しています。 また、 日本栄養改善学会
近畿支部学術総会は、栄養改善学会活動の地域への
浸透を図るため近畿地区において輪番に開催されて
おり、本学の当番は第 4回総会(ピアザ淡海 。大津
市)に続いて 2回 目となりました。今回は、 「日本
人の食事摂取基準 2
0
1
0年版」 の策定を受けて、学
校、病院、福祉施設、事業所などの集団給食施設に
おける活用について議論されました。両学会を開催
するにあたり、生活栄養学科の先生方、院生、学生
の皆様には多大の ご協力をいただき ました 。ありが
とうございました。 また、昨年に続いて、彦根市立
病院内科部長綿貫先生が主宰さ れている 「
彦根市立
病院健康講座」 に参画しました。
「食べるだけで健
康に」 と題した昼食を食べながらの講演会です。食
環境も重要ということでピアノと電子オルガンによ
る演奏もあり、 「
美味しく、楽しく食べて、健康に J
というコンセプ トです。 さらに、彦根市立病院健診
センタ ー と連携した 「
彦根スタディ」において、参
加者を対象とした栄養相談を行っており、地域の
方々の健康栄養教育の場として活動しています。
[
2
] 活動一覧
I
. 研究活動
研究論文
① 自 由 食 摂 取 時 に お け る 日 本 人 学 生 の 血 中水
溶性ビタミン値の男女差について(栄養学雑
言
志 Vo
.
1
6
7 No.
5
2
8
4
29
0)
② クローン病患者におけるビタミンの摂取状況と栄
Vo1
.
l3 NO.
21
3
3
1
4
5, 2
0
1
0)
③糖尿病患者におけるビタミン摂 取量および尿
中 ビ タ ミ ン 排 池 量 の 検 討 (日 本 病 態 栄 養 学 会
~t Vo
1
.
l3 N021
2
313
,
1 2
0
10)
E.地域・社会・国際貢献
各種審議会・委員会委員
-実践者育成研修プログラム検討会委員(滋賀県
健康づくり 財団)
・日本糖尿病療養指導土認定試験委員 (日本糖尿
病療養指導士認定機構)
-湖南市国民健康保険ヘルスアップ事業第三者評
価委員
学会委員会委員
・日本病態栄養学会 評議員
・日本栄養改善学会 評議員
-日本給食経営管理学会 理事 (
理事長)
-第 6回日本給食経営管理学会学術総会 会頭
養状態 (日本病態栄養学会誌
人・閏・文・化・通・信
-第 9回日本栄養改善学会近畿支部学術総会
会
-フナ寿司 の血圧降下作用、中日新聞、 2
0
1
0.
12
.2
・ショウガ ココア、シュシュ、 1
2月号
長
-ホ ッ トかんきつ &7
:
昆シ ョウガですぐポカ ドリ ン
2
2
9、 1月号 (
2
01
1)
ク、日経ヘルス、 2
-灘本知憲(なだもととものり) 食品栄養学
今年は学内外 1
0名程度が協力して、ふなずしの
機能性評価 を目途とした新たなプロジェク トが進展
[受託・共同研究]
J
忠
、
・小川香料〈側、森永製菓、カネカ、上!fr
した 。一 方で、食事因子による冷え症改善の研究
は
、 4社と共同研究を行った。来年度も 1
2名の学
生諸氏とともに、これらの課題を少しでも前進させ
たい。
-高山↑尊史(たかやまひろし)疾病と栄養学、病態と病理学
彦根市立病院、本学運動生理学グル ープ、当学科
臨床管理栄養士、人問看護学部と共同で昨年度から
[論文]
立ち上げた 臨床疫学研究の「彦根スタディ 」 を継続
・ ドクダミ 抽 出物のメタンチオ ールに対する消臭
0数名に達し、彦
発展中である 。今年は対象者は 6
成分、日本家政学会誌
、 6
1
(1
2
)
、7
7
5
7
81(
2
01
0)
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7
4(
4
)
,7
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7
71
5
(
2
01
0
)
根市か らも承認をいただき地域住民にも浸透しつつ
[
著書1
・新食品栄養科学シ リー ズ 第 2版基礎栄養学
編
協力体制 も整え拡大する予定となり、現在その方向
に進んでいる 。
編
さらに動脈硬化の生理学的検査として F MD検査も
著(共著) (
20
1
0
.3
)
・新食品栄養科学シ リー ズ 第 2版応用栄養学
あり、地域貢献としても評価されつつある 。研究
データも順調に蓄積され、学会発表、論文発表も数
多く見込める状況となりつつある 。 さらに、彦根市
立病院栄養科と協力し彦根市内の開業医先生方との
研究データは他にない独自性を増すために今年は
著(共著)(
2
0
1
0.
3
)
導入する予定である 。 これも完成すれば、疾患の発
[学会委員 ・学会発表]
症前の健常者から発症後の患者も含めた対象者に対
-日本栄養 ・食糧学会近畿支部役員
.日本栄養 ・食糧学会評議員
食物摂取頻度調査、身体活動調査など全ての デー タ
飢流改 善作用に関
-糖転移へスペ リジンの 開発と I
を答積しながら、さらに食生活指導、身体活動指導
し血管を 中心とした最新の生理学検査、 j恥液検査、
する研究、宅見央子,中村弘康 ,
釜阪寛,米谷俊 ,
による変容データも取得している圏内でも数少ない
灘本知憲 ,寺尾純二 ,
栗木隆、日本応用糖質科学
栄養疫学研究グル ープになると期待している 。
2年度大会(第 5
9回
、 9月、静岡)
会平成 2
・オオ ニ シキソウ酸性画分中の抗菌活性物 質、横
このような環境の育成は、しいては 学生の志向
性、教育にも貢献すると考えている 。
井健二、 j
甫部貴美子、灘本知憲、日本食品科学工
学会第 5
7回大会 (9月、東京)
ドクダミ抽出物のメタンチオールに対する消 臭
作用、方晩、小野康紀、久保田朱盟、井上吉教、
i
l
l部貴美子、灘本知憲、日本食品科学工学会第
5
7回大会 (9月、東京)
床成分 a
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e投与によ
・わさびの辛 I
-柴田克己(しばたかっみ)ビタミン学、代謝栄養学、栄
養評価学
.年間活動
2
0
10年 1月 1日- 1
2月 3
1日までの年間活動を 書
きます。 学内の仕事 は省 き、学外での活動を主に
書き ます。
るマウスの糖質エネルギ一代謝充進作用機序の
1月 9、 1
0日に、 京都国際会館で開催された日
検討、森紀之、松村成暢、 倉 田真奈美、 山111奇英
0
08年度のノ ーベル
本病態 学会 に参加 しました 。2
難本知窓、伏木 亨、第 2
5回日本香辛料研究
恵、i
物理学1!を授賞された益川敏英先生の特別講演があ
会(
1
1月、静岡)
りました。その内容は、発見から 1
0
0年経つ と生活
[地域貢献1
・米原市情報公開審査委員会 委員
-健康 ・栄養マップ専 門委員、滋賀県
研究分野であるビタ ミン学 は
、 2
0
1
0年 はビタミン
・外食栄養成分表示連絡協議会会長、滋賀県
ります。 1
2月 1
3日です。公益社団法人ビタミン・
[報道/一般雑誌]
.W
J国ふなずし 血 圧 ↓ 効 果 県立大など碓認
、
バイオファクター協会が定めたものです。多くの
京都新聞、 2
0
1
0.
12
.
5
・鮒寿司 (
ふ なずし )に血圧降下作用、滋賀彦根新
聞
、 2
0
1
0.
12
.
1
レベルで応用が可能となる 、 という 話で した。私の
0
0年でした 。 日本には 「ビタ ミン の日 」があ
発見 1
人々にビタミンのことをもっともっと知ってもらう
ために、毎年、「ビタミンの日 」講演会 をおこな っ
ています。2
0
1
0年は「ビタミン生まれて 1
0
0年」を
記念する ために、盛大 に行う計画を 立て、 その世
人間文化・ 115
人・間・文・化・通・信
話人に私が指名されていましたので、 1月早々から
います。一方、もう 1つの研究課題である 「
野草抽
2
0
1
0年は 1
1
0
0年」 ということが頭から離れない I
出物 の抗菌活性成分の分離 ・同定」には、 3名の学
年となりま した。
生・院生が取り組んでくれました 。
1月と 2月は平成 1
3年から恒例と なっている厚
よー益五一
生労働科学研究費の報告書の作成と成果発表会でし
方暁 ・小野康紀 ・久保田朱里・井上吉教・浦部貴
た。研究室あげての大仕事で した 。 2月 8日は東京
美子 ・灘本知憲
で厚生労働科学研究費の成果発表を 行い、審査をう
ルに対する消臭活性, 日本家政学会誌,
6
1巻 1
2号
、
けてきました 。
囲内の学会では、毎年恒例の、 日本ビ タミン学
会、日本栄養 ・食糧学会、日本アミノ酸学会に参
加しました 。年 4回開催 されるビタミン B研究委員
2月に東
会、招待さ れたセ ミナ ーとし て
、 7月と 1
京で開催さ れた 「
基礎と臨床を結ぶ国際アミノ酸セ
ミナー」でした。
2
0
1
0年は 一度も外国の学会に参加する機会がな
い年でした。
2月 4日に日本ト
主催した研究会などですが、 1
ドクダミ抽出物のメタンチオー
7
7
5
7
81(
2
0
1
0
)
2 特許出願
1)特願 2
0
1
0
2
1
5
4
2
81
血圧降下剤 J(
鮒寿司 )
2)
特願 2
0
1
0
2
1
5
4
3
1 1
血圧降下剤 J(飯)
3 学会発表
1)方 暁・浦部貴美子・灘本知憲・小野康紀:
ドクダミ抽出物のメタンチオールに対する消臭
7回大会 (
2
0
1
0
.
9
.
3
作用, 日本食品科学工学会第5
東京農業大学)
2)横井健二・浦部貴美子 ・灘本知憲、ーオオニシ
リプトファン研究会第 3
2回学術集会を滋賀県立大
キソウ酸性画分中の抗菌活性物質, 日本食品科
2月 11日に 「ビタミンの日 」
学で開催しました。 1
学工学会第 5
7回大会 (
2
01
0
.
9
.
3 東京農業大学)
4
. 共同/受託研 究 他
01
0
講演会を大津市のピアザ淡海で開催しました。2
年はこの 「ビタミンの日 」講演会が一番気になって
いたものです。 自己評価ですが、まあ何とか乗り
1)鮒絡の機能性に関する総合的研究:本学特別
研究(重点領域研究)(
代表者灘本)
切った、という感じで終了することができました 。
2)地域資源 「
鮒寿し」の 新 商 品 開 発 受 託 研 究
もちろん、乗り切れたのは私の研究室員のおかげで
す。
、
(
木村水産株式会社)
3)滋賀県立大学とベストーネコラボ弁当のメ
私は、 2
0
1
1年の誕生日で 6
0歳になるのですが、
ニュ ー開発(株式会社ベス トーネ )
ビタミン学界という世界は、健康長寿の先生が大変
[学会活動 ・地域貢献等1
多くおられますので、 1
6
0歳はまだまだ若い」 とい
1)び わ 湖 環 境 ビ ジ ネ ス メ ッ セ (
2
0
1
0.
10
.
2
02
2 於 .長浜 ドー ム)に展示
われ、 2
0
1
0年もはたらかせられました。
2
0
1
0年は、「日本人の食事摂取基準 2
0
1
0年」のス
タート 年でしたので、非常に多くの講演会の講師を
しました。ほとんどの週末はつぶれました。疲れま
した 。
以上のように、 2
0
1
0年も無事に勤務することが
できました。
2
0
1
0年に発表できた学術論文、資料・総説など
-地域資源 「
ふなずし・ふなずし飯」の商品開発
に向けて
-野草抽出物の消臭・抗菌・抗酸化作用
2)第 6 回 日 本 給 食 経 営 管 理 学 会 学 術 総 会
(
2
0
1
0.
10
.
2
9-3
0 滋賀県立大学)実行委員
3)第 9 回 栄 養 改 善 学 会 近 畿 支 部 学 術 総 会
(
2
0
10
.
12
.
12 滋賀県立大学)実行委員
の成果は、我々の研究室のホームペ ージをご覧くだ
さい (
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-岡本秀己(おかもとひでみ) 公衆栄養学
本年度は 「
食育」を研究課題と位置づけ、行政、
-浦部貴美子(う 5べきみと) 食品衛生・食昂保蔵
小学校、教育委員会、地域との連携を深めるため
[研究活動]
様々な活動を積極的に行い、今後進めていく 「
特別
今年度の研究活動の中心は、やはりふなずしプロ
支援学級児に対する食育に関する研究」の基盤を固
ジェク ト研究にかかわるものでした 。 2年目にな
めた重要な年であった。
り、ふなずし飯の機能性の 1つとして 「血圧降下
[研究1
・加速度計に よる 1-2歳児の身体活動量測定の可
作用 」 を明らかにし、特許出願することができまし
た。年度末に開催される日本農芸化学学会では成果
を発表することになっています。今後は、この作用
機構を明らかにする研究を進めていくとともに、ふ
なずしに関する食文化的な調査の結果を踏まえた、
新しい機能性評価への取り組みもできればと考えて
116・人間文化
能性
-地域独居高齢者に対する食生活を主体とした聞き
取り調査
-彦根市小学校における食育の状況調査
-彦根市小学校特別支援学級における食育の状況調
人・間・文・化・通・信
① ひこね食育フェア:i
骨密度測定」彦根市健康
オ
ミ
こ
」ヨし
.彦根市小学校特別支援学級児の食に関する個別状
推進課主催
況調査
④ 夏野菜の収穫
[論文1
小学生とすいか、カボチャを収
穫。平和堂、 JA主催
・北村隆子・岡本秀己
地域高齢者に対する転倒防
⑤冬野菜の収穫と調理小学生と白菜を収穫し、
それを調理。食育クイズ。 JA東びわこ、平和
止 のためのフットケア習得に向けた健康教室の効
果、人問看護学研究,
9,7
5
8
,
1 2
0
1
1
堂、彦根市健康増進諜主催
[学会発表1
⑥滋賀県立大学: i
Nakaniwa
・ 「 加速度計による 1~2 歳児の身体活動測定の
CafeJ学生を
対象に骨密度測定、栄養相談。生協協賛。
可 能 性 の 検 討」 第6
5回 日 本 体 力 医 学 会 要 旨 集
⑦ 彦根市元気計画
p.
2
8
2、千葉
21主 催
「ひこね元気フェス
タ」にて、地元食材を使った炊き込みご飯販売
・「地域高齢者に対する健康教育プログラムの効果
と方法の検討」第 6
9回 日 本 公 衆 衛 生 学 会
公衆衛生雑誌 v
o
.
1
5
7, 1
0巻
、 2
0
1
0, p5
2
5、東京
.i
彦根市における行政、地域、大学が連携した食
育推進活動の取り組み, J第 9回日本栄養改善学
会近畿支部学術総会
⑧ 「特別支援学級児とクリスマスケーキを作
日本
講演集、滋賀
る」、彦根市教育委員会後援
.USP子育ち応援ラボ 「うみかぜJ:
i
うみかぜだ
より 」料理レシピ掲載(各月)
-滋賀県レイカデイア大学
講師
-彦根市橋本商庖街活性化プロジェクト(ランチ提
.i
滋賀県民の食生活習慣をめぐる現状と課題一 平
成2
1年 度 i
i
t
t賀 の 健 康 ・ 栄 養 マ ッ プ 」 調 査 よ
供)
.i
ひこね食育推進委員会」副委員長、
り J
. 第 9回日本栄養改善学会近畿支部学術総
「
食育部会」
部会長、彦根市
.i第 9回 栄 養 改 善 学 会 近 畿 支 部 学 術 総 会 」
会講演集、滋賀
.i
彦根市内小学校における食育の取り組みの現
(
2
0
1
0.
12.
12滋 賀 県 立 大 学)実 行 委員 (学 術 部 委員
状J
, 第 9回 日 本 栄 養 改 善 学 会 近 畿 支 部 学 術 総
長)
、シンポジウム座長、一般講演座長
.i
滋賀県卸売市場審議委員会」委員、滋賀県
.i
湖東定住自立園地 産地消部会地元農産物活用メ
会講演集、滋賀
[競争的資金]
・科研費基盤 (C):i
心と身体に障害をもっ特別支
ニュー開発事業事務局・ 学校給食地元農産物活用
援学級児に対する「生きる力 」 を育む食育の先導
メニューコンテスト」審査委員・委員長、彦根市
的研究」
教育委員会
・寄付金:明治安田こころの健康財団 「
特別支援学
級児に対する給食・調理実習を通した食教育支援
-福渡
の可能性
学
「生きる力」を育む特別支援教育とし
っとむ)食品栄養学、応用栄養
[1J年間活動
ての食育をめざしてー」
-特別研究費-重点領域研究 「滋賀県立大学子 ども
未来応援プロジェクト」共同研究(代 表
努(ふくわたり
竹下秀
ヒトおよび実験動物を対象として、健康維持や生
活習慣病予 防を期待できる栄養素摂取量はどれくら
子)
いなのか、 栄養状態を判定するにはどのような生体
[講演等]
指標が有効に利用できるか、その指標をライフス
・「寝たきりにならないために 」 淡海生涯カレッジ
テージ別にどのように利用できるか、などを明らか
連続講座、講師、彦根市教育委員会
.i
滋賀県立大学における食育の取り組み」ひこね
食育委員会主催
食育講演会
[その他社会貢献1
・スチューデントファーム 「近 江 楽 座 J:
S
h
i
g
a食
育プロジ、エクト「地域食育推進隊」 の結成と指導
一般社団法人環びわ湖大学・地域コンソーシア
ムより 「活動奨励賞」受賞
① 彦根市佐和山小学校「お箸の正しい持ち方指
導」
② 彦 根 市 若 葉 小 学 校 4クラス・しあわせ保育園
i5ADAYJ食育と買い物体験(平和堂と連
携)
にする研究を行っています。 また、アミノ酸は神経
伝達物 質の分泌を調節することができることを利用
して 、食環境の改善 によ って穏やかではありますが
適度な範囲内で神経伝達物質を調節することによ
り、脳機能の保護を目指した研究を行 っています。
[
2
J 活動一覧
学術論文
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・糖尿病患者におけるビタミン摂取量および尿中ビ
プトファン摂取に よる細胞外 ドー パミン濃度の低
下 橋 渡 努 , 奥野海良人,佐野光枝,柴田克己
4回日本栄養・食糧学会大会(平成 21年 5月
,
第6
徳島市)
.HPLCー ポス トカラム j
去による ヒト 成中パン トテ
ン酸定量法の 開発.福 j
度努,高橋圭,佐野光枝,
2回大会(平成 21
柴田克 己 日 本 ビタミン学会第 6
年 6月,盛岡市)
・トリ プトファン摂取がキヌ レン酸産生を介した細
胞外ド ーパミン濃度にお よほす影響
橋渡努,奥
タミン排池量についての検討.福井富穂,今井絵
野海良人,佐野光枝,柴 田克己
理,福 i
度努,岩川裕美,卯木智 ,前川l
聡,柏木厚
会第 4回学術大会(jSAAS2
01
O)(
平成 2
2年 9月
,
典,柴田克己
日本病態栄養学会誌 (
2
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1
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3
(
2
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,
1
2
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31
-クロー ン病患者 におけるビタミンの摂取状況と栄
養状態一血中およ び尿中のビタミン量の調査一.
福井富穂,福 i
度努,奥村万寿美,岩川裕美,佐々
木雅 也,安藤朗,辻 川知之, .
1 山佳秀,柴田克
藤
己. 日本病態栄養学会誌 (
2
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総説・資料など
田
司
・ナイアシン栄養におけるト リプ トファン経路の
重要性 福 渡 努
日本栄養 ・食糧学会誌 (
2
01
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541
日本アミノ酸学
栃木県日光市)
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.USA)
.QPRT遺伝子欠損 マ ウスを用いた ナイアシン欠
乏モデル動物の作成
寺方美希,佐野光枝,福波
努,福岡伸 一,柴 田克己.第 3
2回 日本 トリプト
ファン研究会学術集会 (
平成 2
2年 1
2月,彦棋市)
・自由な生活をしている ヒト のビタミン E摂取量
とその異化代謝産物排池量との関係
今井絵理,
辻とみ子,佐野光枝,福渡努,柴田克己
第 9回
2年 1
2
日本栄養改善学会近畿支部学術総会(平成 2
月,彦根市)
他1
8回
講演
主催
・平成 21年度生涯学習研修会 (
滋賀県栄養士
2年 3月,大津市)
会,平成 2
i
寅題名:基礎栄養学ビタミン
-吉田
龍平(よしだりょうへ¥,¥)栄養教育論、臨床調理学
[1]年間活動
7年 I
旬、「給食経営管理論」関係の講義、実習を
担当していたが、今年度から 「
栄養教育論」関係の
講義 「栄養教育論」、「栄養アセスメン ト論j、実習
「栄養教育論実習」、演習 「カウンセ リング論演習 J
を新たに担当し、実務経験を活かした講義 ・実習 ・
・アミノ酸摂取によるキヌレン酸を介したド ーパミ
ン制御福波努,奥野海良人,柴田克己
演習ができた。加 えて、人間学 「
若 者の健康と栄
アミノ
養」の一部を担当し、新世界を経験することができ
・「日本人の食事摂取基準 (
2
0
1
0年版」決定の基礎
実務」、「
給食衛生管理実習」、「臨床栄養活動論」な
酸研究 (
2
0
1
0
)3
(
1
),5
96
2
た。従来通り、「略好 と調理実習 」、「給食の計画と
とした母乳中の水溶性ビタミン含量.柴田克己
ど資格と経験を活かした授業の数々も こなすことが
位
i
子,橋渡努,渡辺
遠藤美佳,山内麻衣子,康瀬 1
できた。
文雄度溢敏明.ビタミン (
2
0
1
0)8
4
(
2
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3
8
守
学会発表
トリプトファン代謝産物キヌレン酸を介したトリ
118・人間文化
今年度のl'JIl題は、「中学生における食行動及び生
、「
災害時倣菜食品に関す
活習慣に関する調査研究J
る調査研究」
。
人 ・ 閏 ・文 ・ 化 ・ 通 ・ 信
[
2]活動一覧
を増強する、青木亮、木津久美子、庚瀬潤子、
1
. 研究活動
成田宏史、 ミルクサイエンス、 5
9(
3)
、3
4
5.
3
5
8、
(1)学会口頭発表
2
0
1
0
.1
管理栄養士養成施設学生の栄養教育力スキル
・ヒト外分泌液中の食品タンパク質特異的 IgAお
アップを目指した地域高齢者への食育活動 3年間
よびその免疫複合体、木津久美子、康瀬潤子、山
の総括」日本栄養改善学会近畿支部学術総会
口(
村上)友貴絵、木村彰宏、成田宏史、京都女
(
12月 1
2日、本学)
5、5-1
2、2
01
0
子大学食物学会誌、 6
I.地域・社会・国際貢献
-その他チームの一員 としての論文 2報
(1)学会委員会委員
[その他]
-全国研究教育栄養士協議会
近畿地区幹事
-母乳摂取でアレルギー 予防、中日新聞 2
0
1
0、 5、
同滋賀県代表
-日本給食経営管理学会
1
5朝刊
評議員
-母乳のにおい、う みかぜだより 8号、子育 ち応援
(2)学会実行委員長
1
0月2
9日
、
第 6回日本給食経営管理学会学術総会 (
3
0日、本学)
1
2月
・第 9回日本栄養改善学会近畿支部学術総会 (
1
2日、本学)
(3)地域活動
0
1
0、 4、2
0
ラボ、 2
.IgA免疫複合体がアトピ ー ・アレルギーを予防す
る、あとぴナビ、全国アトピー友の会、 2
01
0、 7、
3
0
[学会発表]
-日本農芸化学会 2
0
1
0年大会、木津久美子、康瀬
・“彦根市橋本商庖街 「いこう館」健康ランチサ ー
ビス 事業"の企画運営 (
年 間 6回)
潤子
、 木村彰宏、成田宏史、母乳 H
甫育による食物
アレルギーの予防
0
1
0年大会
、 畑山恵美、朝 │
袈貞
-日本農芸化学会 2
-置瀬潤子(ひろせ じゅんと )栄養教育論、乳児栄養
樹、北岡本光、浦島匡、 芦田久、 山本意二、庚瀬
県内外の助産師の皆さんと授乳中の母親の月経状
況の調査研究、また他大学 と共同で母乳崎育と食物
潤子、片山高嶺、ヒトミルクオリゴ糖を炭素源と
したビフィズス菌培養中のオリゴ糖定量解析
アレルギ一発症との関連や母乳中のオリゴ糖に関す
-生物工学会研究部会、畑山恵美、朝隈貞樹、 北岡
る研究を進めています。食品成分に関する研究とし
本光、浦島匡、芦凹久、山本憲二、康瀬潤子、片
て、大豆たんぱくの高度利用(不二たん白研究振興
山高嶺、ヒトミルクオリゴ糖を炭素 i
原としたビ
財団奨励研究)や鮒ずしの機能性 (本学重点領域研
究課題・代表
灘本知徳)についての研究も行って
います。
フィズス菌培養中のオリゴ糖定量解析
-日本栄養・食糧学会第 6
4回大会、木津久美子、
関子、成 田宏史、母乳晴育による
藤本麗佳、康瀬 I
これまでの研究成果として、日本農 芸 化 学 会
2
0
1
0年大会トピックス賞 「母乳晴育による食物ア
レルギーの予防」と日本食品科学工学会論文賞
I
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p d T ransfer Pr0 te inに対
するモノクロ ーナル抗体を用いた発酵食品中の小麦
使用量の評価」 を受賞しました。
OVA誘発アレルギー性下痢の予防
-日本栄養・食糧学会第 6
4回大会、青木亮、木津
久美子、康瀬 i
関子、斎藤康雄、成田宏史、母親の
乳酸菌摂取は母乳晴育による経口免疫寛容の誘導
を増強する
4回大会、吉田宗弘、高
・日本栄養・食糧学会第 6
滋賀医科大学医学部附属病院栄養治療部において
度努、柴田克
田晶子、康瀬潤子、遠藤美佳、福 i
管理栄養士業務の研修を受け、視野を広げるよい機
己、日本人母乳中のモリブデンおよびクロム濃度
会 となりました。 また、本学で開催された給食経営
・日本食品免疫学会、木津久美子、康瀬潤子、青木
管理学会 と日本栄養改善学会近議支部学術総会の実
亮、成田宏史、母乳 l
楠育による食物アレルギーの
行委員、 2
0
1
1年 3月に行われる日本農芸化学会 2
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予防と L
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5
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朱によるそ
の強化
年度大会の実行委員として、大会の開催に携わって
います。忙しくも充実した一年となりました 。
[
論文]
・資料
日本人の食事摂取基準 (
20
1
0年版)決定の
基礎 とした母乳中の水溶性ビタミン含量、柴田克
己、遠藤美佳、山内麻衣子、庚瀬潤子、福 i
度努、
渡辺文雄、 i
度迭敏明、ビタミン、 8
4(
2)
、5
3-
5
8、2
0
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0
・母親の乳酸菌摂取は母乳晴育による経口免疫寛容
国際糖質シンポジウム2
5
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Kenji Yamamoto、JunkoHirose、 Takane
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人間文化・ 119
人・閏・文・化・通・信
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日 本酪農科学シンポジウム、 畑山 恵美、朝隈貞
2月.口頭発表
年1
草壁主韮,辻とみ子,福 i
度努柴田克己
「
連続 1
3
樹、片山高嶺、 吉 田永史奈、熊谷英彦、浦 島匡、
日間食事調査による日間栄養素摂取量変動」 第
芦田久、山本憲二 、庚瀬潤子、北岡本光、ヒト
9回日本栄養改善学会近畿支部学術総会 2
0
1
0年
1
2月 口頭発表
.論文
ミルクオ リゴ糖を炭素源としたビフィズス菌培養
中のオリゴ糖定量解析
-日本アレルギー学会、成田宏史、木津久美子、
柴田克己,河田哲典,石田香織,清水篤史,守谷
康瀬潤子、木村彰宏、母親の摂取タンパク質が母
彩,寺方美希, 隼 宜主 韮 , 福 渡 努 「 ビ タ ミ ン
乳を介して仔の食物アレルギーを予防する
B12欠乏ラットの種今の臓器,血清,尿中の B群
ビタミン含量J
. ビタミン. 2
0
1
0
.
-日本栄養改善学会近畿支部学術総会、康瀬潤子、
大野美奈子、高田沙織里、長尾早枝子、母乳栄養
指導者の授乳観察状況
[地域貢献]
20
1
0.
10.
20- 2
2 長
・びわ湖環境ビジネスメッセ (
浜ドーム)
地域資源 「
ふなずし ・ふなずし飯」の商品開発に
Shibata K.Yasui M. S.旦旦立M.Fukuwatari T
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向けて
-森 紀之(もりのりゆき)食品機能学
置佐野光枝(さのみつえ)分子栄養学
.年間活動
必須アミノ酸の一つであるト リプトファンや水溶
性ビタミンの過剰摂取によって起こる影響を、ヒト
.年間活動
本年度より滋賀県立大学に着任しました。慣れな
い環境でしたが、灘本知憲教授をはじめ諸先生方の
ご協力もあり、着任一年目を無事終える事ができそ
とマウスを用いて調べている 。 来年度も引き続き
うです。 この場を借りて御礼申し上げます。 さて、
行っていく予定である 。
本年度は本学の特別研究として採択されている 「
鮒
また本学で開催された第 9回日本栄養改善学会
絡の機能性に関する総合的研究(代表者
J
灘本 )
近畿支部総会、第 3
2回日本ト リプトファン研究会
について研究分担者として活動してまいりました 。
学術集会で は実行委員の一人として開催に携わっ
鮒鮪摂取により、高血圧を抑制するという機能性が
2月 1
1日には、ピアザ淡海にて 「ビタミンの
た。 1
明らかとなりつつあり、その作用機序に関する検討
0
0周年記念講演会」の開催にも携わった。 1
2月
日1
0月に行
を行ってまいりました 。 こちらの成果は 1
1日に大津で開催された 滋賀県立大学「新シ ーズ発
0
1
0にて 一部発
われた琵琶湖環境ビジネスメッセ 2
表会」では IHPLCとバイオアッセイ j
去を用いた網
表を行いました。また、 3月に行わ れる 学会 (日本
羅的水溶性ビタミンの測定」 というテーマで発表を
0
1
1年度大会)にでも 一部発表する予定
農芸化学会 2
行 った。
です。今後も作用機序の解明を目指し、研究に力を
4
砂学会発表
入れていきたいと思います。 また他にも、これまで
並 宜 主 韮 , 安 居 美 紀 , 福 波 努 柴 田 克 己 「トリプ
トフ ァン大量投与が トリプトファン代謝に 及ぼす
研究を行ってきており、今年度は「わさびの辛味成
4回日本栄養食糧学会大会
影響(マウス )J 第 6
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e投与によるマウスの糖質エ
2
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0年 5月 口頭発表
生壁孟韮,安居美紀,福渡努,柴 田 克 己 「トリプ
トフ ァン大量摂取による代謝産物の排池量の変化
マウスとラ ッ トの比較 J 日本ビタミン学会
2回大会 2
0
1
0年 6月.口頭発表
第6
生壁孟韮,福岡伸 一,寺方美希,福波努,柴田克
己 I
QPRT遺伝子欠損マウスの作成 」ー 日本ア
ミノ酸学会第 4回学術大会 2
0
1
0年 9月 ポス
ター発表
韮宜主韮,近藤里奈,福波努,柴田克己 「ヒスト
ン脱アセチル化酵素阻害剤パルプロ酸がトリプト
ファンナイアシン転換経路に及ぼす影響」ー第
3
2回日本 トリ プトファン研究会学術集会 2
0
1
0
120・人間文化
に香辛料の摂取によるエネルギ一代謝変化に関する
1
ネルギ一代謝充進作用機序の検討 」 という題で 1
月に行われた第 2
5四日本香辛料研究会で学会発表
を行いました。他にも灘本教授とともに食事 因子に
よる冷え性の改善という研究も行っており、これか
らも 「
食」 に関する研究、教育活動に取り組んでい
きたいと思います。
=人間関係学科】
-上野有理(うえのあり)比較認知発達科学
.年間活動
「
社会的 ・物理的環境が乳幼児の食行動に与える
影響」 をテーマに研究活動を展開した 。彦根市在住
人・間・文・化・通・信
の乳幼児と養育者に協力をしてもらい、滋賀県立
大学構内に設置された子育ち応援ラボ 「うみかぜ j
で、乳幼児の食行動に関する観察や実験をおこなっ
た。
社会貢献活動として、昨年度に 引き続き 、「滋賀
県立大学子 どもの未来応援プロジェクト 」のもと、
リーフレ ッ ト 『うみかぜだより j を計 6号(隔月)
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京都新聞 J (1面、 2
0
1
0年 6月 1
3日)
.1
参 院選 ・知事 選ダブル選挙 Jr
朝日新聞 J (
2
0
1
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年 6月2
5日)、 『中日新聞 J(
2
01
0年 6月2
5日)、 『
毎
日新聞 J (
2
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1
0年 7月 1
2日)
.
1
青春の本棚 ジョ ー ジ・オ ーウェル 『
動物農場 J
J
『中日新聞 J (
20
1
0年 9月 2
5日)
.1
東近江市行政改革推進委員会が中問答申 書 を提
発行した。その他、 一般の方を対象とした赤ちゃん
読売新聞 J(
20
1
0年 1
0月 1
6日)、 『中日新聞 j
出Jr
学講座の講師をつとめた。
(
2
0
1
0年 1
0月 1
6日)、 『
滋賀報知新聞 J (
2
0
1
0年 1
0
月2
6日)
・活動一覧
く論文>
.1
東近江市行政改革推進委員会が最終答申を提言」
上野有理1. 2
0
1
0
.食をめぐる人間の親子関係
霊長類 との比較からみえること
他の
心 理学 評 論
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く学会発表>
.1
市民の目線で考える行政改 革フォーラム(東近
江市 )
Jr
滋賀報知新聞 J (
2
0
1
1年 1月 2
8日)、『京
都新聞 J (
2
0
1
1年 1月 3
1日)
.1
統 一 地方選“嘉 団 派 " 固 め 慎 重 Jr
朝日新聞 j
(
2
0
1
1年 3月 3日)
.1
議員 報酬は日給制で半額に Jr
滋賀報知新聞 j
(
2
0
1
1年 3月 1
7日)
3目講演活動
2年度滋賀県立大学春期公開講座
・平成 2
「地方分
権改革の行方一市町村合併から道州制へ」、於
滋賀県立大学 (
2
0
1
0年 5月 2
2日)
-政策フォーラム滋賀 2
0
1
0年度第 2固定例研究会
講演: 1
滋賀県政の課題を考える」、於。男女共同
2
0
1
0年 5月 2
9日)
参画センター (
-滋賀県町選挙管理委員会連合会委員研修講演
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<講義〉
上野有迎 「赤ち ゃんと食事」赤ち ゃん学入 門講座
赤ちゃんと楽しくつきあおう
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0年 1
2月 2
8日)、 『
京都新聞 J (
地
『中日新聞 J(
域・総合
、 2
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2月 2
8日)
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0年
-大橋松行(おおはし まつゆき)政治社会学、教育社会学
1 著書
-日 本社会学会社会学事典刊行委員会編 『
社会学事
典 J (分担執筆 ー
「地域政治 J
)(
丸善
、 2
0
1
0年 6月)
「マニフ ェス ト型選挙の時代一 国政選挙と地方選
挙」、於豊郷町役場別館 (
2
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0年 1
1月 1
1日)
・平成 2
2年度兵庫県明るい選挙推進事 業市 区l
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I
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明
推協組織・活動活性化研修講演
「若年層の 政治
2
0
1
1
意識と投票行動」、於兵庫県農業共済会館 (
年 1月 1
4日)
4 テレビ出演
・『
ニュースワイド C
atchJ (コメンテータ一、ひ、
わ
湖放送、 2
0
1
0年 4月 1
6日
、 2
1:5
4~ 2
2:3
9)
.
r
近江八l
橋市 長選挙開票特番J(コメンテータ一、
びわ湖放送、 2
0
1
0年 4月 2
5日
、 2
1:5
4~ 2
2:4
7)
.
r
2
0
1
0参院選・知事選 W 選挙滋賀県民の選択J (コ
メンテータ一、びわ i
胡放送、 2
0
1
0年 7月 1
1日
、
2
0:0
0~ 2
1:2
5)
2目新聞等掲載記事(評論、コメン卜等)
5 自治体史
・
「県政の課題 J r
毎日新聞.1 (
20
1
0年 5月 3
0日)
・東近江市史 (
能登川の歴史):史料編執筆(第 4章
.1
参議院・知事選公開討論会 J r
読売新聞 J (
2
0
1
0
年 6月 3日)、『毎日新聞J(
2
0
1
0年 6月 1
0日)、 『
朝
2
0
1
0年 6月 1
1日)
日新聞 J (
.1
県議会議員定数問題 J r
中日新聞 J (
2
0
1
0年 6月
1
0日)
.1
2
0
1
0滋賀県知事選挙立候補予定者公開討論会」
第 l、 2、 5節)
・日野町史:r
近江日野の歴史j 第 8巻 史 料 編 (
2
0
1
0
年1
1月)…第 4章第 2節「日野 町の成 立」、第 4
節 「日野町の政治・行政」、第 5節 「日野 1
1
可の現
在と未来 J
人間文化・ 1
2
1
人・閏・文・化・通・信
6.学会活動
.木村裕 (
きむ 5ゆたか)教育方法学
滋賀県立大学 に赴任して 2年が過ぎようとしてい
・学会誌専門委員 (
関西社会学会)
.W
フォーラム現代社会学.
1(
関西社会学会)の専 門
2
01
0年 1
0
委員として査読論文の審査を行った (
る。周りの教職員の方々の温かさに助けられ、 学生
たちのパ ワーに刺激を受けながら、充実した毎日を
-1
2月)
7.社会活動(地域貢献)等 (
現職のみ)
過ごすことができている 。今年度の主な活動内容は
-滋賀県明るい選挙推進協議会副会長(滋賀県選挙
[研究]
以下のとおりである 。
昨年度に引き続き、文部科学省科学研究費補助金
管理委員会)
-瀬田唐橋景観検討委員会委員(滋賀県大津土木事
(
研究活動スタ ート 支援 H オース トラ リアの開発教
育の教育方法学的研究
務所)
開発教育論の再構築と 実践
-彦根市行政評価委員会委員長(彦根市企画振興部)
の探究」 の助成を受けながら、オース トラリアの開
.東近江市行政改革推進委員会委員長(東近江市企
発教育・グロ ーパル教育のカリキュラム編成や授業
づくりに関する 研究を進めている 。
画部)
著書 ・論文
-長浜市総合計画審議会会長 (
長浜市企画部)
-長浜市長浜城歴史博物館協議会会長(長浜市教育
推 進委員会編 『オース トラ リアの教育改革J(
オ
委員会)
-東近江市史(能登川の歴史)編集委員会委員 (
近現
代部会長
・木村裕 「カリキ ュラム 」 オセアニア教育学会研究
・日野 I
I
J史執筆委員 (近現代部会
セアニア教育学会研究推進委員会報告書)オ セア
0
1
0年
、 p
p526
8
ニア教育学会発行、 2
束近江市教育委員会)
日野町教育委員
会)
-木村裕 「第 4
章
カリキュラム J"
[コラム ④
オー
ストラリアから見た日本のカリキュラム 」佐藤
博 志編著『 オー ストラリアの教育改革 -2
1世紀
8 その他
2回参議院議員通常選挙・滋賀県知事選挙公
・第 2
開討論会でコ ーディネ ー ターを務めた (
主催
社
団法人日本青年会議所近畿地区滋賀ブロック協議
会
、 2
01
0年 6月 1
2日、於草津市立サンサンホー
ル)
型教育立国への挑戦j 学文社 (
2
0
1
1年 4月刊行予
定)
、p
p
.
7
91
03
発表
・木村裕 "
[N G Oと学校の連携によるグローパル教
育実践の取り組みに関する 一考察
."
[
市民によるマニフェスト検証大会 J(
草津市)で
コーデイネーターを務めた (
主催
市民によるマ
ニフェスト検証大会実 行委 員会、 2
0
1
0年 9月 2
0
日 、 於 草 津 市立草津アミ カホール)
南オーストラ
リア州での S
avet
heChi
l
d
r
enの活動に焦点をあ
てて 」 オセアニア教育学会第 1
4回大会、東京学
0
1
0年 1
2月
芸大学、 2
-木村裕 「オース トラリアのカ リキュラム J(
オセ
-東近江市行政改革推進委員会委員長として西津久
アニア教育学会研究推進委員会発表の一部を担
夫東近江市長に最終答申書(["行政改革の推進に
当
)
、 オセアニア教育学会第 1
4回大会、東京学芸
ついて J
)を提出した (
2
01
0年 1
2月 2
7日、於:東
近江市役所)
大学、 2
0
10年 1
2月
[教育]
.平成 2
2年度兵庫県明るい選挙推進事業市 区町明
推協組織・活動活性化研修のワークショップで
本年度のゼミは、
4回生 3名
、 3回生 5名であっ
た。 4回生 は、提出直前まで励まし合いながら推鼓
兵庫県選挙管
を重ね、卒業論文を仕上げた。 こうした 4回生の頑
0
1
1年 1月 1
4日 、 於 兵庫 県 農 業 共
理委員会、 2
張りを、下級生に引き継いで、い ってもらえればと考
済会館)
えている 。
ファシリテーターを務めた (
主催
."
[
市民の目線で考える行政改革フォーラム J(
東近
また、今年度もゼミ生とともに、特徴的な実践を
江市)でコ ーディネーターを務めた (
主催 東 近
行 っている学校に授業見学に行一っ た。私は、机上の
江市 行 政 改 革 推 進 委 員会 ・東近江市、 2
0
1
1年 1
空論ではなく、常に実践との関わりを意識しながら
月3
0日、於:八日市文化芸術会館)
「教育」 についての考えを深めていってほしいと 考
-博士論文審査の副査を務めた(地域文化論部門
えている 。そのため、こうした取り組みは今後も続
横山 幸司
W
NP0による生涯学習をとおした地
域づくり J
、肖倫 『
社会建設としてのボランテイ
けてい きたいと考えている 。
アー現代 中国におけるボランテイアに関する研
-竹下秀子 (
たけしたひでと)発達心理学
究
J
)
昨年度に引き続き、「胎児期からの母子コミュニ
ケーションー胎内聴覚経験とクロスモダル知覚の比
較発達研究 J(日本学術 振興会科学研 究費補助 金基
122・人間文化
人
・閏 ・ 文 ・ 化 ・ 通 ・ 信
盤研究 (
B
))を中 心とした心の発達の基礎研究に取
社会貢献・地域貢献としては、日本発達心理学会
り組むとともに、滋賀県立大学特別研究費重点領域
での 「
発達心理学研究」編集委員および関西地区懇
研究として実施している 「
滋賀県立大学子どもの未
話会幹事 を継続し、日本子ども学会では理事、日本
来応援プロジェクト 」 を進めました 。いずれも、滋
動物心理学会では 「
動物心理学研究」編集委員を継
賀県立大学戦略的研究拠点 「近江の歴史と暮らす
続しました。 日本赤ち ゃん学会では常任理事に選出
人々の健康と福祉に関する研究 (
先人の歴史や暮ら
され、産経新聞社・日本赤ちゃん学会共催の「保育
しを探求するとともに将来の地域住民の豊かな暮ら
および育児支援のための 『
新・赤ちゃん学j入門講
し、健康と福祉に寄与する研究を推進する )
Jの一
座 」講師も務めました。 地域でのとりくみとして
つに加えられている 「
人間発達の科学と支援実践の
は、彦根市保育協議会研修会講師、滋賀県男性保育
学際拠点」の一端を担うものとして、学内の関連分
者連絡会主催の講演会講師を務めました。
野研究者と連携しつつ実施しています。現代日本に
おける発達や教育をめぐる問題を地域の皆さんとと
-中村好孝 (
なかむらよしたか)社会学
もに考える 「うみかぜセミナー:発達障害と歩む
[
研究 :論文]
(
全 4回)
J ゃ「第 4回うみかぜシンポ ジウム
地域
「エ リ ー ト と 支 配
C'W ・ミルズ 『パワ ー ・エ
おとなと社会の役割」の開催
J井上俊・伊藤公雄編『社会学ベーシック
リート J
も、上記プロジェクトの一環として実施しました。
ス 9 政治・権力・公共性J世界思想社(伊奈正人
毎回、多くの方にご参加いただいたことに感謝して
との共著)
。
で育む子どもと若者
います。
[
研究:その他 (
翻訳)]
今年度公刊した学術論文は、1)竹下秀子 (
20
1
0)
男女差の理解と個人の尊重を子育てに.チャイルド
テス・リッジ 『
子どもの貧困と社会的排除j桜井書
庖(松田洋介との共訳)。
サイエンス (日本子ども学会誌), 6
,5
-7.2)金森
京子・ 中野桂・ 吉 川英治 ・只友景士 ・白坂真紀 ・
-那須光章 (
なすとうし よう)心理学、教育心理学
竹下秀子 ・角野文彦 (
2
0
1
0)妊娠リスクスコアと分
.年間活動
研究テーマとして、少年非行と社 会・大人の役
娩帰結を左右する要因の検討.人問看護学研究,
8
,1
7
2
4
. 3月に開催された第 2
1四日本発達心迎
学会大会(神戸国際会議場)では 2件のポスタ一発
割、青年のソーシャルスキルとソーシャルサポ ー ト
表
、 9月に開催された第 7
4回日本心理学会大会(大
の課題と心理的特性、軽度発達障害の児童生徒の指
阪大学)では、シンポジウム 「ヒトを含む l
粉乳類の
導・支援、事故防止と交通安全教育等に関する研究
子育て
楠乳類、大型草食動物から 霊長類ま
海生 l
でー 」 の指定討論者、同じく第 2
3回国際霊長類学
のストレス緩和に及ぼす効果、若者の職業的自立
などを行ってきました 。
必ずしも十分な研究成果をあげることができませ
会大会(京都大学)では、シンポ ジウム i
OB]ECT
んでしたが、引き続き実践指導、事例分析を進める
MANIPULATION AS A WINDOW ON THE
PRIMATEMINDJのオーガナイザーを務め、ポ
予定です。
スター発表 1件もおこないました。
いた新しいタイプの授業を 「
教育心理学」、「教育相
教育活動では、大学院博士後期諜程に平野知見
さん(京都造形芸術大学専任講師)を迎えました 。
教育而では、昨年度に続いて高校 OBの教師を招
談・進路指導」で行い、教育現場での今日的課題を
直に学ぶことが出来ました。
オーストラリア在住経験から得た多文化保育への研
学生指導としては、修士論文「韓流 ドラマの影響
究関心をもとに、現在は滋賀県の多文化保育にかか
を受けた日本人の韓国語に対する認識」の研究をサ
わる調査研究に携わっています。 本研究について
ポートしました。
は、滋賀県商工観光労働部観光交流局の委託も受け
学生卒論指導では 『自己効力感と恋愛に対する態
r
ています。学部教育では、 「
発達進化ゼミ Jの名 の
度との関連J 中国人留学生の女子大学生における
もとに、人間関係学科准教授の上野有理さんと共同
痩身願望とストレスと摂食障害との関係J 大学生
指導した 4回生が、乳幼児期の発達や聴覚障害 につ
にと っての居場所とそれに対する意識』 の各論文の
いて卒業論文をまとめました 。同じく 3回生は、 4
作成を指導しました 。
回生の卒論も手伝いつつ、この領域にかかわる基礎
r
学外活動、社会的活動の面では、滋賀県下の交通
的学習 をおこないました。卒論、ゼミ指導も含め、
危険地帯の調査とそれに対する改善策の提案などを
私たちの研究・教育活動の多面にわたって協力くだ
行い、日本自動車連関を通じて関係官暑に要望しま
さっている子育ち応援ラボ 「うみかぜ」赤ち ゃん研
した。 また、学校教育・社会教育関係の方面では子
究員のみなさま、市内保育園関係者のみなさまに深
どもの生活環境と発達に関連する資料収集や講演を
く感謝いたします。
行いました。
人間文化・ 1
23
人・間・文・化・通・信
。活動一覧
地域 ・社会 ・国際貢献
二つには、かつて滋賀県犬上郡多賀 町で聞き取り調
[
講演]
査を行った伝承文化の資料を整理分類して記録する
一方、児童文化財化の試みを行 っている 。すなわち
.I
地域と家庭での子育て支援 J2
2年度滋賀県青少
伝承文化の継承と創造の視点から文化財の保存に努
年育成県民大会
.I
大変な時代、子育て!一少子化時代の子どもの
育ち
J2
0
1
0年近江八幡市青少年育成市民大会
めている 。 また多賀 町教育委員会の要請で子育て サ
ボーター養成講座に連続 7年出 向 している 。
三つには、自ら代表として活動する滋賀県紙芝居
.I
青少年 の非行と大人の役割」滋賀県 レイカデイ
3年より 「出前紙芝居大学 JI
出
研究会では、平成 1
ア大学特別講演
.I
大学生の学びと自己成長感一卒業時アンケート
前紙芝居講座」等 を開催し、県内外より多くの受講
参加されている 。本年度も自らが企画運営に携わり
J2
0
1
0年度滋賀県教育研究集
nひこね 」 を 1
0月に開催し、多くの
「紙芝居講座 i
会分科会
.I
歩行者事故防止のポイント 」平成 2
2年大阪府安
方々に学びの場を提供した 。 さらに教育 ・保育に携
調査からの考察
全運転管理者法定講習会
[
審議会 ・委員会など]
.I
社会福祉法人ひかり福祉会」理事
.I
愛荘町立秦荘東小学校学校」学校評議員
.I日本自動車連盟関西本部交通安全実行委員会」
常任委員
.I
財団法人ひかり協会」東近畿本部救済対対策委
員
-野部博子 (
のべひろと)児童文化 ・伝承文化
。研究教育活動
一つには、昭和 3
2年にダム建設が示されてから
5
0余年、岐阜県揖斐郡 旧徳山村に建設された 「徳
山ダム 」 は平成 2
0年 4月 2
4日満水となり、その i
面
j
は 「徳山ダム湖 」 と命名された。 そして同年 1
0月
わっておられる方々の協力を得て県内各地の図書館
や市町村において児童書 ・絵本・紙芝居等子どもの
文化についての講座を開催している 。 また、 「
滋賀
0年の歩みとして、理論 ・研究 ・
県紙芝居研究会 J1
実践に関する本の刊行の準備を進めている 。
四つには、平成 1
5年 1
1月より「彦根おはなし
彦根昔ばなし大学」 を開催し
を語る会 j の方々と 「
ている 。 この催しは、日本口承文芸学会会長、つく
ば大学名誉教授の小津俊夫氏が主宰される昔ぱなし
研究所の協力で、催されるもので、すでに基礎コース
は 6回シリーズ、 「
再話コース J4回シリーズは終
了し、昨年度からは「研究コース」に入り 6回シ
リーズのうち 5回目を終了し、あと I回を残し 一旦
終了する予定である 。
。地域・ 社会 ・国際貢献
講演・ 展示会
には竣功式を迎え、様々な問題を残しながらも稼動
を始めた。
多賀町地域における家庭教育支援基盤形成事業に
かかる子育てサボーター養成講座
昭和 5
3年から湖底化する村の文化の保存のため
査を行 ってきた。そ
に村人が離村するまで、現地で訪l
の後、移住地にも調査に訪れた 。 これらの成果はす
で、に報告済みで、あるが、とりわけ貴重なる語り手で
胡博物館・彦根市等
びわ i
あった女性とのかかわりは深く、村の伝承話、自然
や文化や歴史について多くの話を聞くことができ
た。 これも論文や報告書にまとめてきた。 この女性
が平成 1
8年 3月に死去され、残された多くの資料
を引き継ぎ、以来資料の整理に追われている 。氏は
1
1のカメラばあちゃん j こと増山た づ子氏であ
「
徳1
る。
残された資料の公開、また未公開の写真を 1
0
0点
ほど抜き出し、写真展を自治体の協力を得て行って
いるところである 。補足調査では移住された元住
民、また先祖が村 出身の子孫の方々と出合い聞き取
り調査を継続的に行っている 。 また、 1
0年通い続
けた北海道富良野市周辺と出身地である岐阜県揖斐
川町 (
旧徳山村)とを結びつ け平成 2
3年夏に揖斐川
町の方々と共に現地に赴く計画を 立てていると ころ
である 。
1
2
4・人間文化
各種審議会、委員会委員
滋賀県社会教育委員 (7月まで)
大垣ケーブルテレビ番組審議委員
紙芝居文化の会運営委員
子どもの文化学びの舎主宰
滋賀県紙芝居研究会代表
総説、一般向け (
雑誌、新聞など) 記事
日刊富良野新聞 2
0
1
0
/4
中日新聞
岐阜新聞
京都新聞
2
0
1
0
/
1
0 2
0
1
1/1
2
0
1
0
/4
2
0
1
0
/9・1
0 2
0
1
1/1
-細馬宏遇(ほそまひろみち)コミュニケーシヨン論
科研 『
介護施設において高齢者 ・介護職員間で交
わされる身体動作を用いた空間表現の研究j は 2年
めを迎えた 。特に介護におけるカンファレンス場面
を見直し、介護者の方々が介護活動を身振り手振り
で再現する 「
模倣再現」について分析を行 った。認
知症研究は、神経認知科学の分野では長足の進歩を
人・間・文・化・通・信
遂げており、記憶の諸相や診断法もどんどん更新さ
「
多文化横断ナラテイブフ ィールドワークによる臨
れているが、認知症と診断が下ったあとも、高齢者
床支援と対話教育法の開発」の活動のなかでは、 7
は長い生活を送ることになる 。その生活をどう支え
月中旬に滋賀県高島市において 2泊 3日のナラテイ
ていくことができるのか。介護場面の研究はまだま
ブ研究について議論する合宿を行なった。報告者は
だこれからという気がする。
この合宿の企画 ・立案 ・実行 において責任者をつと
高齢者 研究では、奈良の福祉施設 「たんぽぽの
めた。「ナラテイブ研究」の研修法として今度、発
家」との仕事で、佐久間新さんと 高齢者の方々との
信していく予定である 。なお、この結果は以下のシ
ダンスワークショップを分析したのも 刺激的だ っ
ンポジウムで発表された(④)。 その他、ここ数年
た。高齢者の方々の手踊りは、思いの他複雑で、と
議論を続けてきた下記の著作も刊行される予定であ
きには佐久間さんの動きを追い越して新しい動きを
る(
①②)。
発明してしまうことがある 。今年度は、相模友士郎
2)教育活動としては、今期は後半サパテイカル研
さんの 「ドラマソロジー Jや砂連尾理さんの 「とつ
とつダンス 」など、高齢者による演劇やダンスにつ
修であ ったため、とりわけ後期は卒論指導のみと
いて誇ることが多かった。
生の主催されている研究会に出席して発表をおこ
なった。サパテイカル中は北海道大学の田中康雄先
7月には国際会話分析学会 (
IICCA)
、国際ジェス
なった他、松田康子先生の 2- 3年を対象とした
チャー学会(ISGS)の 2つの学会に参加し、日常会
話における延長ジ、ェス チャーの概念に ついて発表し
ゼミにおいて 質的研究法についての基礎的なレク
チャーを行った。
た。 ドイツの回舎町を歩いてポーランドとの国境近
3)最後に地域貢献としては、臨床心理士として県
くの大学に通った数 日間は忘れがたい。
内の小中学校の教育相談、生徒指導への支援を行
この数年、卒論生の研究成果が、会話分析やジェ
なった。 なかでは、甲良中学校の教育相談について
スチャ一分析の水準に照らしてもおもしろい内容に
の研修会講師をつとめた。 こうした活動は研究活動
なりつつある 。 3回生から分析機器になじんで実験
とリンクして以下のような報告となった (
@
)
。 ま
を言1
画するという流れがようやく整ってきたおかげ
た、研究活動でお世話になっている児童自立支援施
だろう 。第 9回身体知研究会では、 卒論生の富田彩
設職員に対しての結果のフィードパックを狙いとし
加さんの卒論をも とに、うなずきとあいづちに関す
て、児童自立支援施設で生活するということと越し
る発表を行ったが、専門家からも続々と質問が出て
3日 花園大学、② 1
0月 6日 武蔵野学
て ① 9月 2
盛り上がった。 3回生ゼミでは、じゃんけんの分析
院でフォーラムが開催され、報告者はいずれも発表
を行っているが、これも 3月の社会言語科学会で発
者をつとめた (
⑦
)
。
表を行う 。
0
0
今年は講義の受講者が増えて、期末には延べ 8
人近くの採点をした。毎年、どこまで時間をかける
べきか悩ましい。激石の 『
道草j で、主人公は公平
であることについて悩みながら学生から集めた半紙
の山を読み進めるのだが、答案はまるで尽きる気配
がない。激石先生もこんな風に悩んだのかしらと思
うと少し慰められる気がする 。が、やはり答案はな
かなか尽きょうとしない。
<論文>
2
0
1
0
).学校でコラボレーションの視
①盆 盤 歪 旦 (
点をいかす一 大人の問題としての子どもの問題.
臨床心理学,10
(
4
),
5
3
0
5
3
4
.(査読無し)
<分担執筆>
L(
印刷中 ).ズレを通してお互いを知り
②企監査盟
あう実践学校臨床のディスコミュニケーション
分析
山本登志哉 ・高木光太郎(編著 Hディスコ
ミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち 」
-松嶋秀明(まつしまひであき)臨床心理学
本年度の活動を1)研究、 2)教育、 3)地域貢献
東京大学出版会. (
P
p
7
1
9
0)初稿段階での総頁数
にわけで述べる 。昨年に引き続き「学校一警察関連
2
7
7頁
<学会発表>
携の促進をめざした初期非行に対するアセスメント
③並監査盟.(
20
1
0) 学校と警察がつながることで
システムの開発」の調査・学会発表をおこなった。
少年に何がもたらされるのか教員、補導職員への
具体的には滋賀県警のサポートセンターの補導職員
連携についてのインタビューから
らと共同で、サポートシステムが円滑に活用されて
学会第 2
2回大会。 2
0
1
1年 3月 2
5日.東京学芸大
いるかどうかについての検証作業を、補導職員への
寸〕
インタビューおよびアンケートの実施、研修、学校
日本発達心理
ぷゐ
④杉浦潤吉、安田裕子、ゃまだようこ、吉永隆史、
r
連携がうまくいっているのかどうかについてエピ
監盤歪盟 (
2
0
1
0
)
. 生き生きした多声 ナラテイヴ
を生み出す多重の場所(トボス )J 日本質的心理
ソードに基づいて調べた(その結果は③ ⑤)
。 次に
学会第 7回大 会 茨 城 大 学 2
0
1
0年 1
1月 2
7日
教師へのインタビューおよびアンケートによって、
人間文化・ 1
25
人・閏・文・化・通・信
⑤松嶋秀明.(
2
0
1
0
) 非行のある少年をいかに抱える
笑行委員会の委員・事務局として東京 ・京都 ・名古
か学校と警察との連携についてのインタビュー
屋でのシンポジウム開催にかかわり、幸い多数の聴
2回日本教育心理学会総会 2
0
1
0年 8
調査から第 5
衆に恵まれた。
月2
8日早稲田大学 (口頭発表)
[論文1
・丸山真央
@千原美重子 ・今井たよか・生天目聖子 ・田中泉 ・
n
平成の大合併 j における
『
編入され
並監査盟 ・y
耳目正人 (
2
0
1
0
)
.保護者支援員の学校
コ ミュニティへの支援と展開のプ ロセスに つい
意識調査の分析を通じて J 東海社会学会年報1
て.日本心理臨床学会第 2
9回秋季大会 9月 3日 東
2号
、 2
01
0年 7月
る側 j の住民意識の構造一一 静岡県旧佐久間町民
r
・丸山真央 「ネオリベラリズムの時代における東
北大学 (
指定討論者)
京の都市 リストラクチュアリン グ研究に向けて」
くその他 >
⑦ フォーラム 「
生活臨床から考える発達障害 J-児
童自立支援施設で生活するということ
花園大
学(
第 1回)
、武蔵野学院 (
第 2回)
-丸山真央(まるやままさお)地域・都市社会学、政治社
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8号
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1
0年 9月
『日本都市社会学会年報J2
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・丸山真央「ポスト 『
平成の大合併j のローカルガ
パナンスと住民生活
静岡県.浜松市旧佐久間町
8
の住民意識調査の分析を通じて J 人間文化J2
号
、 2
0
1
1年 2月
・丸山真央 「ネオリベラ リズム ーーその多元性と担
い手の交錯」田辺俊介編 『
外国人へのまなざしと
政治意識一 一 世論調査で読み解くナショナリズ
ムj 勤草書房、 2
0
1
1年 2月
会的基盤としての集務機能に関する社会学的研究 J
)
[その他の報告書等]
が獲得できたので、 6、 9、 1
1月 に現地調査を実
-武田俊輔・中村好孝 ・丸山真央「滋賀県立大学教
。研究活動
今年度も[1]ネオリベラリズムと 地域社会の再
編
、 [2]グローパル化と都市再編、 [3]ポス ト福
祉国家/ ネオ リベラリズムの計量政治社会学、 [4]
個人化と社会変容の 4つを軸に研究を進めた。
[1]昨年度、本学部の科研費間接経費を得て静岡
県浜松市旧佐久間町で実施した質問紙調査につい
て、報告論文の執筆、学会発表、地元向けシンポで
の発表を行った。 この延長で今年度から、限界化が
進む山村の集落調査プロジ、エク トを立ち上げた 。幸
い外部資金(JR西日本あんしん社会財団研究助成
r
職員のワーク・ライフ ・バランスと男女共同参画
施した。
「平成の大合併」後のローカルガパナンスの調査
r
研究では、個人科研 (若手 B ポスト 『
平成の大合
r
をめぐる意識(上・下 )
J 人間文化J2
8・2
9号
、
2
0
1
1年 2 ・ 3月
併j のローカルガパナンスの社会学的実証研究 J
)
-丸山真央「ネオリベラリズムをめぐる日本人の支
の研究に着手したほか、共同研究で地域自治区調査
を行い、久々に新潟県上越市に入った。
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2
0
0
6年調査による国際比較分析
持態度一一
一I
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[2]科研費プロジェクト (
基盤 B 都心回帰j 時
代における大都市の構造変容一一一大阪市を事例とし
てJ
)の一環で大阪市北区の連合 1汀会調査に研究協
力者としてかかわった。
[3]研究書の分担執筆のほか、東京大学社会科学
研究所附属社会調査 ・データアーカイブ研究セン
ターの共同研究にかかわり、新たなデータの分析を
始めた。
[4]科研費プロジェクト (
基盤 C i
個人化理論に
よる現代日本の社会変動に│却する包括的研究 J
)に
研究分担者としてかかわり、英 ・独文ジャーナルに
共著論文を執筆した。 この関連でドイツの社会学者
U ・ベック氏の初来日記念連続シンポジウム 「
個人
化する日本社会のゆくえ
ベック 理論の可能性」
126・人間文化
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を通じて JHn
を用いた実証研究 国家・市民権 ・政府の役割に
関する国際比較分析 j 東京大学社会科学研究所
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1、印刷中
[総説・解説等]
-丸山真央 「
書評 グロ ーパル・ネオリベラリズム
以後の都市/東京を読み解くために
サスキ
ア・サッセン『グロ ーパル・シティ j の邦訳刊行
r
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u4号、
によせて J
-丸山真央「書評
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1
0年 4月
名和国是彦編 『コミュニティの
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自治
自治体内分権と協働の国際比較 J
J コ
、 2
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1
0年 7月
ミュニティ政策J8号
[学会発表等1
・丸山真央「ポス ト 『
平成の大合併j のローカルガ
パナンスにおける公共サービスと 『自治体代替型
人・閏・文・化・通・信
NPO
J一一ー静 岡県旧佐久間町の W
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らまいか佐久間 j を例に」 コミュニテ ィ政策学会
第 9巨l
札幌大会、北海学園大学、 2
0
1
0年 7月
-丸山真失 「ポスト 『
平成の大合併j のローカルガ
パナンスにおける住民参加一 一静岡県浜松市旧佐
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1
0の住民意識調査の分析を通じて」日本社会
久I
学会第 8
3回大会、名古屋大学、 2
0
1
0年 1
1月
-丸山真央
n国家の リスケーリング』 としての市
0
1
0年度第 3回研究例
町村合併」地域社会学会 2
会、同志社大学、 2
0
1
0年 1
2月
[その他講演等]
・東海社会学会第 3回大会シンポジウム 「問題は解
決したのか?一 一環境紛争地域の再生を考える 」
0
1
0年 7月
コメンテータ一、 2
・社会禍祉法人浜松市社会福祉協議会佐久 間事務
2年度地域
所 ・佐久間地区社会福祉協議会平成 2
福祉推進研修会、パネラ一、 2
0
1
0年 1
1月
[学会活動1
・地域社会学会研究委員 (
2
0
1
0年 5月-)
2
0
1
0年 7月 -)
-東海社会学会理事 ・研究企画委員 (
。教育活動
、 3回生 4人が所属した 。 9
ゼミには 4回生 2人
月に、法政大学社会学部、中央大学法学部の学部生
とともに、浜松市天竜区佐久間町で合同ゼミ合宿・
調査を'
笑施した 。
.その他
本学特別推進研究 「
男女共同参画社会実現プログ
ラムの構築」で、調査班の末端構成員 として、昨年
度実施した教職員向け質問紙調査のデ ータ分析、報
告論文の執筆を行った。
人間文化・ 1
27
-編集後記・
湖北地方の柿 の 木
今年度は林博通先生 ・武邑尚彦先生 ・土屋敦夫先生・
野部博子先生の 4人の先生がご退任になられます。い
ずれも人間文化学部を初期から支えてこられた方々ば
かりです。
それぞれの先生方について、研究以外の面での私の
個人的な想い出を申し上げると、林先生については何
と言っ ても、 「
比良たかし j として作詞 ・作曲された
歌の数々がまず浮かびます。暖かい春の日に琵琶湖に
浮かぶ舟の上で、林先生のギターで同じ学科の先生方
と合唱させていただいたことがあり、その素敵な記憶
がありありと浮かんできます。考古学研究室での歓送
民間伝承話のなかで、樹木が登場して諮られているのは、昔
話ではそれほど多くはないが、伝説でいくつもの話がある 。常
緑樹ではマツを筆頭にスギ、タケ、クスノキ、ツバキ等 1
5の樹
種が登場してきている 。また落葉樹ではカキを筆頭に、イチョウ、
1の樹種が語られている 。
ヤナギ、アシ、ヨシ等 2
どこにでも自生していて、誰もが知っているカキは、品種も
多く、親しみの ある果実である 。
滋賀県に おいてカキが伝説話に登場するのは湖北地方が多く、
9
話語られている 。
文献によると 1
会に出席させていただきましたが、その際も歌が溢れ
ていました 。
武巴先生は、最終講義の際に大教室一杯の卒業生が
参集したことからも分かるように、多くの学生に慕わ
れてこられました。地域文化学科の 「良い子 j だけれ
ど、やや自信なさげに見える学生たちにと って、あり
のままの自分を受け止めて温かく認めてくれる先生と
おばあさんが鍋墨をかいとったら弘法さんが通りかかり、
「
柿がような っとる 。一つわしにくれんかJとたのむと 「ど
うぞ上がっておくれやす Jとい ってちぎ って上げはったら、
ちょうどおばあさんの指の跡だけ黒いもんが柿についた。
ここらでは弘法柿という柿がありますのや。
(長浜市 旧西浅井町)
鍋墨村1とも 言いますのや。
弘法さんが全国を修行して歩かれ、ある所にさしかかっ
た時、子供が柿をちぎっていた。弘法さんが 「
柿を一つく
れや」 と言 うと、「この柿は食えんのや。渋柿や Jと言っ
たので、その後、渋柿しかできなくなった。
(米原市旧伊吹町 /長 浜 市 旧 木 之 本 町 )
等の話が伝わっている 。
湖北地方には確かに山や野に多くの柿の木が見られ、生って
いる実はほとんどが渋柿で、実の一部が黒くなっている 。 この
ような事実が話として誕生し、高僧を堂場させて、もっともら
しく語り継がれているのかもしれない。
して、感じられていたのではないでしょうか。
土屋先生については、私は学科が追ったため接点は
多くなかったのですが、外に昼食を摂りに美味しい庖
に行くとバッタ リお目にかかる機会が少なからずあり
ました。いつも機嫌良く人生を楽しんでおられるよう
に見える 一方で、入試となると生き字引のようで、地
域文化学科のセンタ 一試験合格ラインをすらすらとお
答えになるのに驚きました。
野部先生には 『
人間文化j で毎号、裏表紙の祭り ・
芸能や地域社会についての写真とご説明を連載してい
ただきました。 私 が 編 集 委 員 に な っ て か ら は ス ケ
ジュール管理で ご迷惑をおかけしましたが、安土先生
の表紙絵と共に、この紀要に欠かせない彩りを与えて
写真 ・文
野部博子
下さっています。個人的には研究対象に重なる面があ
り、もう少しお話を伺う機会があれば良かったなと残
念に思っています。
先生方の今後のご健康と、さらなるご活躍を祈念し
ております。
(武田俊輔)
編集委員・
亀井若菜・武田俊輔 ・山根周・康瀬 I
関子・野部博子
人間文化 2
9号
滋賀県立大学人間文化学部研究報告
発行日
29号
201
1年 3月 30日
発行公立大学法人滋賀県立大学人間文化学部
干 522-8533滋賀県彦根市八坂町
2500TEL0749-28-8200附
発 行 人 漬 崎一志
版下制作
サンライスぃ出版株式会社
印刷
サンライズ出版株式会社
本誌は再生紙を使用しています。
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湖北地方の柿 の木
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