議 賀 ' 県 立 大 学 人 間 文 化 学 部 研 究 報 告 人¥玄化 │ BULLETIN VOL . 2 1 SCHOOL OF HUMAN CULTURES THE UNIVERSI TY OF SHIGA P円 EFECTURE -もくじ・ 一一・・……............ … ・ … …・ … ・ ・1 巻 頭 言/小林清一 .座談会 人間文化座談会 一法人化かう 1年を経過して/菅省文則・酉矢慎介・灘本知憲・細馬宏通・山根 周 ー . . . . 3 -研究ノート タンザ二ア連合共和国、 トングウ工の人々とことば ー マ)¥レ山塊国立公園における野生チンパンジー調査から /藤本麻里子 24 -滋賀県の考古学第 10 回 近江田庁・国府調査研究の現状と課題/平井美典・目・・・・・・・ 32 ・生活デザインの現場か 5 第8回 生活デザイン専攻卒業研究発表展示会/南 政 宏 一 43 -人間文化通信 2006年度卒業論文・修士論文・博士論文 覧・ー・… 45 INFORMATI ON ・ ・ 0 ・ ・ ・ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・・ ・. 4 9 0 a 0 編集後記 -巨樹「モチ」・ 滋賀県立大学は平成 7年 4月にオープンし た。 間も無くある企業から樹齢 400年かと思 われる 「モチ」 の巨樹が移植された。養生の ため根や校は切りつめられ包帯が巻かれて誠 に痛々しい状態であった 。 ところが少しずつ 回復し枝を伸ばして来た。見事に蘇生したの である 。 その威風堂今と生命力に脱 I~目 。 紙・鉛筆 ・顔彩 絵・文安土倭 口 一 一 d 林 日連 凋 + ﹂ 、 A川 ‘ . 巻 度 か苧 人間文化学部 学部長 資料集めにアメリカの図書館を回った時、些細なやりとりの中に日本とは異なる行動様式を見て、 いつまでも忘れられないことがある 。 2代大統領、 (アバウト、その1)初めてニューヨークに行った際に、当時関心をもっていた第 3 F . D .ローズベルトの生家を見に行くことにして、長距離パスに乗った 。 ところが、一つ手前の停留所を すぎて、かなり走っているのに運転手はいっこうにめざす停留所の名を告げてくれない 。心配になっ て聞いてみたら、その場所はすでに過ぎたという 。ニューヨークのその地域では停留所そのものがな く、乗客はパスを見つけて手を振って乗り込み、適当な場所でおろしてもらう、ということであった 。 パスは 一 日数本、時間は適当である 。 ものすご、い田舎なので泊まるところもない 。意を決して、 8月 の炎天下、定められた停留所のある隣「町」まで、延々と 7、 8キロを歩いた 。決められた停留所を、 時刻表にしたがってパスが運行される、文明固まで帰ってきた時には、さすがにホッとして、よく冷 えたパドワイザーは、文明の味がしてうまかった。 (アバウト、その 2)公文書館や特別な図書館に行く時は、 昼食は抜きで、閉館まで閲覧室にこも る体制をとった。その分朝飯をきちんととらなければならなかったが、ワシントン D. Cでは気に入った 庖が見つかった 。その屈が印象深かったのは、料金の決定方式が独特だったことによる 。ハムも肉も パンも野菜も果物も好きなだけとって、合計 Xgだから Y ドル Zセントです、というのがその庖の決定 方式であった 。私たちの生活圏では、品物それぞれに単価が定められ、かけて足して合計される 。 も のの価格はその質と本性的に結合している 。それに対してこの庖では、品物の質は価格から切り離さ れ、価格は 一様に重量によって決定される 。合計の重量のみが価格の決定因となるのである 。 この方 式は、マルクスが使った、「ニンジンと音楽と、公証人手数料」の 「関係あるいは無関係」の比輸を思 3 . 0 0 0円、食べ放題」方 いださせるが、興味深いのは、その方式を成立させる、ものの捉え方である 。 1 式とも異なっている ように思える 。 アメリカは「法」によって秩序を形成する社会だが、「その法は形 式主義化することによって「科学 Jになった」、というホロビッツの説を思い浮かべたりした 。 (エスニックと労働)アメリカ人は、アメリカ は何 よりも労働の国だと思っている 。 自由と労働が 異常に強いイデオ ロギー的規制力となるのは、個人主義におけるアイデンテイティ形成の基礎が、そ れによって形成されるからである 。単純サ ー ビス労働もその例外ではない 。 ワシン トンD . C .は黒人人 口の比率が高い地域であるから、政府はマイノリティの雇用維持に神経を使 っている 。多くの公的機関が、機械化・合理化を 抑 えて単純労働を残し、黒人の雇用を維持する姿勢 を一貫させている 。たとえば、「連邦議会図書館」では、希望する 書籍・資料を中央カウンタ ーに依頼 すると、それぞれの座席まで持ってきてくれるが、サ ー ビス員のほとんどはマイノリティである 。 「国立公文書館」で こんな場面に遭遇した 。そこでは書類をコピーする際には、機密に関わることが あるので、担当者に許可 を得て コピーをすることになっている 。 だが、 しば しば担当者が席を空け、 黒人の少年がその代役を引きうける場合があった。ある年輩の教授が微妙な 判断を 必要とする文書を コピーする時に、その少年では理解できないだろうと判断して、彼をとばして直接、管理職に許可を 求めた 。 その時、無視された少年のとった行動が鮮やかであった 。彼は年輩のその教授に向かつて、 激 しく抗議 したのであった 。「あなたは、私ではその任に堪えないと思っているのか?J一瞬、その場 は凍り付いたのだが、仕事が個人の権利意識と関連してどれほどの重みをエス ニ ック集団に与えるも 人間文化 ・ のであるかを、実感させられた瞬間であった 。 ( エスニックと労働、その 2)だが、同じ仕事でも、異なる意味を帯びることがある 。 I N. Y .医学 アカデミー 」の図書館で体験した事例がそうだ、った 。 これらの機関では、単純サービス労働はマイノリテイが、管理職は白人が占めるのが一般的であるが、 たまたま受付で案内事務を担当している人の中に、下層中産階級の白人男性がいた 。彼が黒人と同じ 単純サービス労働部門に配置された時に、楽しい気分になれなか っただろうことは、容易に推測できる 。 一般的に 彼は、私がそこに通った 3週間ほどを通じて不機嫌であった。 日本から来た黄色人種の私に ( 研究者と い う肩書きだと丁重に遇されるのもこの国の文化で もあるから )、サービスしなければならな いことも不愉快度を倍加させたのかもしれない。そして事件はつぎのように起こったのだった 。 お釣りの計算をマイノリティの人々は引き算ではなくて足し算方式を使って確認する 。物珍しさも あって、私もそれを真似していたのだが、うっかりこのやり方を、その白人下層中産階級の彼に対し てやってしまったのである 。「私は ( 黒人の彼らと違って )計算はできるんだ」 と言って、一瞬、顔色 を変えた彼の様子は今もって忘れられない。 この背景には、研究者として遇されている私と、彼との 位置・関係と、仕事と階層とエスニ ックの錯綜した不幸な関係があったと気づいたのは、少し時聞が 経 ってからであった 。 この事例はつぎのような結末に終わった 。最終日、閉館の 30分ほど前に、重要文書が出てきて、勇 躍、コピーを依頼に行ったら担当は彼であ った。 日く、「重要書類でありコピーをとると文書が痛むの で許可できない 」 。 翌日は帰国しなければならないこと、昨日までは同様のコピーは許されていたこと 等々の事情を繰り返し彼に 言 ったのだが、頑として態度を変えなかった 。他に手だてはなく残り 3 0分 、 真っ白になった頭で汗たらたら、必死になってとても正確とはいえない要約を作ったのである 。 ( 多様性) I 国立公文書館」での調査を終えて帰るときに、搭乗手続きを並んで、待っていたら、後 ろにいた人が話しかけてきて、雑談した 。その人物は、自分は宝石商で、世界中を飛び回っているん だと誇らしげに自己紹介した 。「あんたはワシントンに何をしにきたのか」と聞かれたので「公文書館 での調べものが終わったのでこれから帰るところだ」と答えた 。彼は 一瞬虚を突かれたような様子だ った 。 このような答えは、彼の想定外だ、ったからだろう 。その内にわかったことは、彼が「公文書館」 でイメージした人物像は、「魔法の古文書」を前に置いて、 一人で一日中、ため息をついたり喜んだ、り している 「 エイリアン」に{也ならなかった 。 だが、彼が示した感情は、それに対する批判でも排斥でもなく、ビジネスの信条 ( アメリカの常識) への同化の要請でもなかった 。彼が示したのは、異質な価値観と理解困難な行動様式に対する、純然 たる好奇心であり、ささやかな好意の姿勢でもあったように思えた 。それは異なる価値の共存に寛容 な精神ともいうべきものだったのかもしれない 。 ともかくこのようなアメリカに遭遇すると、 一瞬 、 気分が安らぐのである 。 市場原理の普遍化を強調しながらも、他方で価値の 一元化を避けようとする無意識的な反応は、主 流文化と下位文化 ( エスニック文化)との対抗関係の中から生まれたものであろう 。 アメリカ社会は、 本性的な構成条件によって、異質な文化と共生する技を身につけざるを得なかった 。異質な文化の共 存が社会の抑制装置として機能するものであれば、私たちにとっても今必要なのは、すべてを同じ基 準で一様に包摂しようとする流れに対する抑制装置である 。 メインストリ ームに対抗できるもう一人 の自己の発見は文化の領域から始まるのかもしれない。 2 ・人間文化 座談会 人間文化座談会 人間文化座談会 一 法人 化 か ら 1年を経過して大学が法人化して 1年あまりが経ちましたが、この聞のさまざまな変化の波を、教員それぞれが実感し 、そ の中での問題点や可能性について意見をお持ちではないかと思います。 本号の 『 人間文化』では、そうした意見をざっくば 5んに交換しようという趣旨で、座談会を企画しました。 もとより限 5れた時間と参加者なので、すべての問題について網羅できているわけではありませんが、参加告 先生方には、法人化の中で考えていると と 、 感じていることを率直に出し合っていただきました。今回の座談 会が、少しでも今後の議論に資する材料になればと考えています。 座談会の概要は以下の通り です。 -日 時 :2007年 1月 19日(火) 1 ・場 所 :00-103客員教授室 3 目 30~ 1 5:30 ・参加者(敬称略) 官省文員Ij (地域文化学科) 画矢慎介(生活文化学科生活デザイン専攻) 灘本知憲(生活文化学科・食生活専攻/編集委員) 細馬宏通(生活文化学科 人間隠係専攻) 山根 周(編集委員/司会) 塚本礼仁(編集委員/記録) 米田紀代子(記録) 司会(山根) が、ここはもうちょっと短大でいけるということだ 今日はお忙 しいところをお集まりいただきありが ったんですが、いくつかの行き違いがあって、四大 とうございます。法人化 して一年近くが経ったわけ にしてしまえということになりました。で、皆さん ですが、先生方それぞれいろいろな変化を実感され ていると思います。今日はそのあたりを率直にうか ここで飯が食えてるわけですが。その中で、当時、 いくつかの要望を出したけれど、いかんせん大きな がいたいと思っています。今のところ、教授会以外 流れは家政系はスクラップだと、それに変わって新 で、学部学科の枠を超えて議論や意見交換が出来て いないということがあります。限られたメンバーで もありますので、すべての問題を出しつくせないと しいものを作っていくんだと 。その 当時、滋賀県内 には純然たる文科系の学部はなかったわけですよ 。 その流れの骨格に家政学部を放り込んで少し新しい 思いますが、学科や専攻で色々と話し合われている ものをつくろうと 。で、目 玉は地域文化学科なんで ことも混じえながらお話しいただけるとありがたい す、簡単に 言えば。残りのスクラップされたやつで、 生活デザインや食や何やら作れと 。その中でさらに と思っています。 2時間ぐらいを予定しています。 最初に、法人化 された後、いろいろな動きがあり ましたが、それぞれにお持ちの意見や感じられてい ること、 問題点、可能性も含めて、 一人ずつお話を していただきたいと思います。 法人化後の大学について 細かく 言 えば、人間関係はまったくありませんでし た。幼稚園の先生の養成とか何かは、滋賀には私立 大学があるからそこに任せたらいいと 。ついでに付 属幼稚園も廃止するんだと 。 山根 それは実行されましたね。 灘本 話がそ れるかもしれませんが、短大から人間文化 学部が出来て という経緯を話します。今の状況にあ まり 関わりがないんですが、短大内部の、あるいは 灘本 堀江さんという、皆さんご存知だと思いますが、大 学に局長 として こられた方ですが、その方の尽力で 当時の稲葉知事をつい にうんと言わせた、そのあた 希望するような分野を残すのかというような話にな ってきて、結局、先生の分野は文科省の指導もあっ て、人間関係的なものも面白いかもし れません とい うことで、ぱっと浮上したと、そういう経緯で、お りが四大化する という こと になって、滋賀が四大化 は国に任せたらい いと 言 うたのを言うてら れんよう になっ て、対抗意識もあって、というのがたぶん実 情だと思いますが、四大 にする ことになった。その 最初のプ ランでは、 実は 、 人間文化学部は予定さ れ ておりませんでし た 。 工学部 と環境科学部の みでし た。 ここの前身は家政学部 ということになるんです はい。付属幼稚園は付属するものがないとありえ ないんだけど、最終的にはそれを残すか、先生方が 互い賛成反対はあったんだけど、 内部同士の賛成反 対 はやりづらいという こともあるので、そういう流 れできたと 。そのとき実際に 地域文化 を中心 に構成 の骨組みを決められたの は 、 当時の西川 学部長であ り、例 えば生活文化学科の担当 だった杉本先生 たち だと思うんです。たぶんそ こでかな り自由な発想で、 人間文化・ 3 人間文化座談会 ていて良かったということがあるかもしれない。問 題は、あかんかもしれないということです。 四年制を作ったときとの本質的な違いは、四年制 を作ったときは他にはないことをしようとした。 こ れは危険だけれども 。今やっていることは、新しい ことをやると 言 ってるけれども、よそでやっている ことばっかり 。ついて行こうと 。それが本質的な違 いで、高い給料をもらってやってはるんやったら、 よそにないことを考えてくれと思います。 どんなこ とが問題になっているのか、人間文化の問題点と、 これから斬新なことをやる問題点とは、たぶん絶対 違います。方向が違うんだから 。だからある部分は 学部長を中心に、こんどは八木さんになりますけど も、学部に任せていくという形で、大きな方向付け 菅谷先生をはじめ色んな先生を引っ張ってこられ をさせないと、絶対後でシマ ッタということになる 。 た。私らは、人間文化の中で、実験系に一番近いと というか、もう煩わしい。 もう 1つの違いは、新し いうことで、開設当初は今の比ではなくちょっと疎 い学部を作ったときは、事務を中心に、西川先生な 外感があるような感じでした。何で人間文化学部に んなりが、すべてのことを 一生懸命決めていった 。 私たちの分野があるんやと、もうちょっといい名前 私らにしわ寄せは来なかった。理念くらいは書かさ がないんかいなと 言 うてたんやけど、しかし、そう れたけれど。それも半日あったら、 書けますゃんか。 いう自由な発想でやったおかげで結果としては、じ 今の作業は流れは作ったるけど、箱は渡すけど、箱 ゃ、食生活はどうですかと言えば、学生の質に関し てはどの方も認めざるえないように、入学のお客さ の中身は全部お前らが決めろと 。でも箱を潰したら あかんぞ、 と。 こういうのは、全国的にそうなんです ん商売という意味では、かなり成功している 。 これ が、大変な状況になっています。 うちは幸いこぼれ はデザインにしてもそう思います。だから、結果的 ていく人はないですが、多くの大学で、そういう雑 には良かったと 。でも、それは結果の問題であって、 務的なことをやらされてるから嫌だと出て行った優 考え方としては、文科系の学部に食を放り込むとい 秀な方がたくさんおられます。たくさんはいないけ うことはかなり斬新なことをやったんやろうなと思 ど、知ってる範囲で数人。皆さんも実感として持っ います。それは感謝せさ「るえない。そのことは私ら ておられると思います。 こんなことばっかりやって の専門分野から見れば、多少車L 際はありますけども、 いる 。 もっと、自由にとは言わないけども、大学の そういう制限の中に進んでお前らは入ってきたんや よさが強調されるようなことをやっていたのに、そ ないかと 。だからその制限の中で、それがうまいこ の雰囲気が消えてきているのかなと思います。研究 といっている聞はがんばりなさいと思わざるえな い。看護と一緒になってとか言 うてるけれども、こ は同じようにやっているのに、何となく今の雰囲気 んどはうまくいくかわからない。全国的にはうまく のに。そういう雰囲気が蔓延するのはあまりええこ は尻を押されている雰囲気。昔は自由にやっていた いってない所が多いですから 。その先駆けになるよ とではない。 1 0年経ったらあんなときのあんなひど うな事は 1 0年前にやったんだから、かえって真似さ い時代もあったねとなるんと違うやろか。すべての れている意味があるんだからそれを続けていきた 大学がやっている 。短大まで含めて同じようなこと い、と 言 うてる中で' 1 0 年経って、さてまた自由にい を。生き残るためにといって。それで生き残るんで ろんなことを考えるという状況になってきたわけじ すか、ほんまに。全部がやっていることを同じよう ゃないですか。ただ、自由に考えているのは理事長、 理事の面々ですよね。色んなプロジ、エクトがあるけ にやって生き残るはずがないと思うわ。 ども、最初からストリームが決まっていて、その流 先生同士も専門分野の壁を越えて、楽しく語らう という 雰囲気があったのが、最近の若 い人の責任や れに乗っかつてやっていくみたいな形になってます よね。 これも結局は 1 0 年経ったら、あの時ああやつ と思うけどな、いや、こ っちの責任やね。そういう 場を作ってあげないという 。 4 ・人間文化 人間文化座談会 山根 いや、若手はこの間もやってましたね。飲み会を したりしてるんです。 四大化のときは独自の、本当のオリジナリティー を目指していたのが、今は他の追随になってきたと いうことですが、次に菅谷先生、お願いします。 官谷 法人化後の変化に関して、私はよく 言っ ているこ とが、 2点あります。 まずは、法人化は、医l 立大学の国家公務員の定数 を表面上減らすためにしました。それが公立大学に 普及してきたわけです。私の大学の法人化のプロセ スを見ていると、国がやったから、次は県だとして 始まりました。理想、がない。当時の国松知事が全教 で、ちょっと由々しき問題だと思います。滋賀県立 員に配られたメモがありまして、滋賀県立大学独自 大学の特徴、滋賀県にあるという特色を活かそうと t の独法化を図るという知事の強い意欲が書いてあり していないと思うんです。例えば、 1つだけ申し ました。実際に進んでいるのは、文科省が雛形を作 げますと、電子工学科を作るという計画です。電 った国立大学の独法化をなぞるというものです。滋 子・電気は確かに滋賀県にある工場には必要と思い 賀独自という 、滋賀県大独自のを作るという理念が ますが、そこの人たちの採用試験は全部東京や大阪 まったく欠落しています。国の後追いをしているだ でやっています。地元採用は労務員の人は採用しま けです。国立大学の規模は、奈良女子大学など小規 すが、技師という人は採用しないわけです。だから 模なところから、 東京大学・京都大学の大規模なと ここで、作ってもまったく無意味なんです。それなら 0 0 0 ころがあります。平均ではだいたい総学生数が4 ば、地場産業の一番大きいのがやはり土木業でしょ 。 前後というところが、地方国立大学のスケールでし それなら地蝶工学とか土木工学、農業工学的なもの 1 ょう 。私の学校の倍ほどのスケールです。教員組織 をここで、もし第三学科として作るならば、土木業 9 9人ですが、だいたい 4 0 0人くらい。東 も私どもは 1 の大部分が地方の業者ですから、貢献度は大きい。 大京大ですと数千人もの教職員がおります。大型大 業者にも 一級建築士が必要です。 これは私の大学で 学のひな形を、そのま ま学生数2 0 0 0ちょ っとの学校 も取れるようになりました、土木師とか何やら附と に持ち込んでいるので、やっぱりひずみも多いと思 いうのはいっぱい資格があります。滋賀県の業者は います。知事が言われた滋賀独自色を出しましよう 有資格者を揃えられないので、大型業者の下請けに というのがまったく消えたことが 1点。 甘んじなければならない。そういう人を育てようと もう 1つは、国立大学が車事会を作りましたが、 いう、滋賀県政の希望とはぜんぜん関係がないわけ 本当のオーナーは理事会ではなくて、固なんです。 です。そういう考慮がまったくない。知事は適当に 文部科学省がオーナ ーでやっていますので、国の政 言われたのかもしれませんが、滋賀県独自のものを 策を受けて、その枠内でやっているようです。法も 出すという理念なしに電子工学科を作ったり、食生 そうです。だから、独自色を出す必要がないんです。 活を看護学部とくっつけようとか、人間文科学研究 国の言 うた通りしてたらいい。理事会による運営が 科を全部、人問看護学の大学院と合併せいと 言った 失敗しでも、大学が潰れるわけゃないんです。我々 り、検討なしに出てきましたね。そんな大学の大学 の場合は、国立大学のダウンサイジングではだめだ 院に誰が行くんですか。人問看護地域文化博士 とか、 と思うんです。 どこに独自色を出したいということ 就職も出来ないです。だから、独自色を出すために の討議がまったく欠落しています。あの理事がこう 努力をしてないということと、国の政策を学校規模 言うた、あの理事が こう 言うたと 、法治、法律によ を考えずにした。それからもう 1つ、国の場合、各 って、 ルールによ って統治していくというより、人 大学の学長さんから文科省の大臣に行くまでに 7固 治、個人の希望によってこの学校が動いているよう から 1 0回段階があると思います。国会はそのあとで 人間文化 ・ 5 人間文化座談会 す。県立大学の場合を考えてみると、学長のヒは副 先生方を、教授会のメンバ ーを、 言葉は悪いですが 知事、知事です。そして県議会です。三段階しかな お金でほっぺたを 叩 き、尻をなで、ともかくかわい いんですね。それの違いがあると思うんです。 いかわいいして、向上心を刺激しているわけです。 本学の場合、理事会と理事長と学長が一緒ですから、 灘本 2本立てになっていないので、アメとムチのアメが 考えてみると、菅谷先生がおっしゃったように国 ないわけです。ムチばっかりになっている 。一例を 立に関しては雛形みたいな教本が文科省にまずあっ 挙げると、非常に卑近な話ですけど、私立大学の場 て、全国の同立大学に法人化するから色々決めてい 合 、 一般的に入試の採点やら遅くなるとき、すばら けと 。そうすると各大学はそれぞれの実情に応じて、 しい料理を出すわけです。 これを食ってがんばりな 滋賀大学なんかその際たるもんだと思うんですが、 さいと 。そういう発想が理事会側にないんです。理 八木さんの紹介によれば、いくつか上手にアレンジ 事たちはいつも自分は学者だと思っているけど、口 して、不都合なやつは少し軽減できるような形に作 から出てくるのはオーナーとしての発言です。その ってみて、どうやろと 。そのクッションがうちはど 辺は私立大学的にきっちり住み分けたほうがいい。 こにあるんやろうということになったら、制 度がポ 図の場合はなんと 言 っても理事会に権限はないです ンと全部変わってしまった。独自色を出すなと 。 こ から 。文科省が持っているから、代貸しですからね、 れやとちょっとまずいかもしれないね。 まず、学部 はっきりと 。そういうのが私は独法化 1 1ヶ月の感想 ですくいにかけて、目的がはっきりすれば、例えば、 で、すね。滋賀独自のという知事の指示が欠落して、 優秀な学生を揃えたいんやと、これに反対やという 国立大学のスモール版を作っていってる、それでは 車L 際は到底解消できないと思います。 PAや何や 言「い出す 先生はないですよね、それに G と、これはうちに向いてないでと 。優秀な学生を育 てる、例えば一例として、 全国 的に G PAみたいな のがあるけれど、各学部で検討のうえ、優秀な学生 山根 お二人の話を聞いてると、大きな枠組みというか、 の率を増やすということで、計画を立てなさいと 。 その辺の根本的な問題点が見えてきたような感じで そうして GPAをf 采用した、うちはアレンジ)仮の す。工学部に新しい電子 ・情報系学科を設立するの GPAで、人間文化に向いたようなものをや った と。 は、ワンセット主義みたいなものをここで繰り返す あと成果で、成果というのであれば、何年か経って だけのような感じを持っていたんです。 検証してみて、やっぱり人間文化はこのシステムで 面矢先生お願いします。 は必ずしも機能していないみたいですよ、なんてま た考えるみたいな形式にしないと、画一化を狙うた めにみんな反発するんとちがう? 面矢 法人化の前と後で、そんなに大きな変化を感じ て いないんです。 というのはその前からかなり大学改 官谷 革の動きはあったんですよね。その流れの中で来て それともう一つは、私立大学の場合は、歴史の短 いますから 、そ んなに法人化の前と後で、大きな変 い大学、長い大学があって、 1 0 0年 とか 1 2 0年という 化 を感じてないんです。改革の動きの中で、この学 経験もあって、理事会側と教授会側とがきれいに二 部の中でもかなり 、やり 合いがありま したよね。議 分してすみ分けしています。私の学校の場合、理事 論することはいいんだけど、議論があまりにも長く 長兼学長にしてしまったから、研究者側の意見は上 げるところがもうないんで、すよ 。つ まり 学長も理事 続いて、その結果、学内の雰囲気が非常に悪くなっ た。それ以前の開学のころを思い出してみると、も 長と ご自 分でおっ しゃる 。理事長は運営者です。 ま っと和気あ いあいとや っていた。それが甘いと 言わ たオーナーとしての発想でなければならないから、 スカラ ーアイデイアが出てこないわ けです。そうい れれば仕様がないんですけども、甘いだけでなく、 うの はや っぱりまずい。だから、理事長と学長を 一 ました。今は各専攻が内にこもって、ひたすら耐え ている感じ。 これが悪い方向に行くとする と 、 各専 緒にするという案が出た時に、私の学部でも一緒に するべきやという意見と、私のように分けるべきや という意見が出ました。私立大学の場合、理事会は 6 ・人間文化 お互いにもう少しやってあげようという感じがあり 攻の利益だけを考えて発言をし、行動するようにな ってくる 。法人化と いうのはどうせそういうふうに 人間文化座談会 なってしまうのか、これはちょっと分からないです が、この学部の場合、各専攻が内向き志向をより強 めてしまったという感じです。生活文化は元々 3つ の専攻がバラバラだったんだけど、それで、もまだ歩 み寄りをしようとする機会が多かったんです。それ が色々利害関係が対立してくるというか、そのとこ ろが法人化の前と後の一連の大学改革の中の一番悪 い点で、それが学生にも影響してくるかもしれない。 ある種のみんな 一緒だよという感じではなくなっ て、その結果、大学の雰同気がずいぶん巡 ってきて いるのじゃないかなと、学生も含めて。 灘本 ちょっと関係ないかもしれないけど、以前までは 専攻や学科問を介した仲良さというのがあ ったけど から、それで大学の柔軟な姿勢というのが失われて も、今、逆に専攻内とか学科内で結構、対立とは言 いく 。その時、何が起こるかと言うと、時代の流れ I こj 伶っていかないようになっていくかもしれない 。 例えば人事も含めてですね。現場にいると、今の時 代だったらこういう人を採ろうというのが、そのタ わないけれど、冗談交じりで、昨日も業者さんに言 うたんやけど、以前は人間関係が一番人間関係が悪 かったかもしれんと 。それが最近は人間関係も非常 に仲良くなっている 。一時のえらい先生、鮮烈な先 イミングで生まれてくると思うんですよ 。それが法 生が抜けていったからということも関係しているか 人化になると人事権は上に引き上げられましたか もしれないけれど、食だって今、ものすごく仲がい ら、そういうものとはまったく関係がない人事が行 い。たぶんデザインだってそうですよね。 われる可能性がある 。そうするとだんだん硬直化し てくるのが怖いなという感じがする 。現場の中で出 面矢 デザインは割りと昔から仲いいですよ 。 てきた意見で、やってる、非常にへなちょこ運転かも しれないけれど、ある柔軟さでやっていかないと、 この大学は大都市のメジャ ーな大学とはぜんぜん違 灘本 f~.f烈な先生がいなかったから、きっと 。 以前は代 うわけですから 。 この彦根という田舎の辺部なとこ ろにあって独自色を打ち出すためには、柔軟にへな わりに外向きにうまくリンクしてたみたいなものが ちょこ運転をしていったほうがいいわけです。大都 だんだん疎遠になってきて、そうこう 言 うてるうち 市の大型大学的にガチガチに決めて、軍団で、パワ に、ゃれ人を減らさなあかん、そんなことも含めて ーで勝負というのじゃなくて、その隙間を縫って歩 いわゆる利害関係が出てきて、ごちゃごちゃし始め いていくような、そういうへなちょこ運転のために ていると 。でも、芽生えとして若い人の中には、小 は 、 柔軟な運営が出来たほうが有利だと思うんです 林先生を筆頭に学部のプランを若い人で考えてくれ ね。今のこの法人化で色々なことを決めていくこと と。それなりのプランを 出して いる 。その余地は残 によって、それが出来なくなってくる可能性がちょ っているみたいゃから、それを殺さないように。お っとあるなと思います。 互いに多少のメ リッ トを被 っていることは事実かも わからんので。 しかも 学生 は、こうい う分野がある ということで、それを上手に生かすようにしていけ ば、行けると思うけどね。 灘本 へなちょこ運転をしているのはデザインとうちゃ で。批判的 に言 えば、ちょっとデザイ ンは商業主義 的になっているけども、そのへなへな運転の最たる 面矢 その辺のと ころがちょ っと心配なだけです。法人 化にと もなっていろんな ことを 決めていくわけです もんやと思うわ。縫ってるんや。 うちは正統派で行 けば、管理栄養士関係の何とかでやっていくべきや けど、結果論やけど、結果的には隙間を縫 っている 人間文化 ・ 7 人間文化座談会 生もいらっしゃった。いや滋賀県という考えもある 。 正統的な言い方ではびわ湖をめぐる滋賀県ですが。 それは地域というものをどう考えるかという、哲学 的論争と言っていいと思いますが、嫌ほど戦わせて きました。誰一人として 「ローカル」という意識は ないんですけど、どうも 一般的には、地域を 「ロー カル」 と訳しておられる 。頭の中で「田舎」やと 。 「エリア 」 という意識はないと思いますね。だから、 山根先生が何でインドに行かないとあかんのやとい う人もかっていました 。インド地域というエリアで す。 こんな議論に関わっておるのは人生のエネルギ ーの無駄だとして、いく人もの先生が定年を待たず に、こんな小さく考えられとったら、ここで勉強は 出来ないと辞めていかはりました。 形になってる 。それをオーソドックスにやろうとし ているのが地域文化で、どうも 二色あるみたいです けども、少なくとも本道で、やってみたいという気配 細馬 がある 。元々はユニークなんやけど、それで、突っ走 の雑誌は、 りたいというのがあるから、正統派ゆえに隙聞を縫 関西なら関西をざっくり取り上げるのではなく、か っているというのでは必ずしもなくて、異色でやろ といって大阪のキタとか京都の左京区といった「エ うとしているという意味合いでやってるんだけど、 リア 」 を考えるのとも違って、商庖街や街並みに入 それでひょっとしたら、場合によっては、スム ーズ り込んで「リージョナル」 な感覚を探そうとするん です。 に小回りよく、器用にやることが出来なくなってい るのかもしれない。 タウン誌で『ミーツ 』 というのがあるんです。 こ W Lマガ』とか 『ぴあ Jとかと違って、 街を歩き、村を歩き、路地を歩いているうちに形 成されてくる、ある種の場所の感覚が、ほんまはあ 菅谷 るはずやと 。別に都会のど真ん中に限らず、人が住 地域文化学科は学生数も教員数も人間文化で一番 んでいるところであれば、ちょっとした庖の並び方 大きくて、コ ースをやめてしま ってますので、大き の癖とかコミュニテイの空気が出来上がって、そこ いです。教員の数はそのままですけど、学生の数は ここにそういうリ ー ジョナルな感覚ができあがる、 毎年 7 0人います。大学院の進学率もかなり高いです。 それを掬い上げようという試みが『ミーツ 』 という 何が正統派かちょっと分かりませんが、私が正統派 タウン誌では為されていて、元編集長の江弘毅が なのか、先生が二つに分かると 言われた割れたほう i W 街的』ということ Jという本にまとめておられる 。 が正統派なのかよくわかりません。ともかく、地域 文化学科は最初からこの 7、 8年間は「地域文化と おもしろいなと思っー てます。 地方独自と言うとつい、世界に通用しないという は何や」 という議論がものすごく多かった。 ネガテイブな意味になってしまって、それが「ロ ー 英語の専門家がおられますけど、地域というのを カル」と 言 われたりするでしょ 。そやから言うて、 英語に直したら、どうなるんかと。知事なんかは それをものすごく薄めて広めてしまうと、今度は世 「 ロ ーカル」ゃ と思ってますね。今の学長も「ロー カル」 と思っていると思います、副学長も 。ほんま 界のどこにでもあるものにしかならない。さっきか は「エリア」なんですね。エリアロジーとか言って ら言うてはる、日本のどこにでもある大学にしかな っていかない。 ますが、「エリア」なんですね。地域というときは 非常に難しいです。その地域はどのスケ ールの地域 いるにも関わらず、気がついたらちゃんとした生態 なのか。滋賀県というスケールなのか、彦根市とい 学的な地位を 得ている、そういうものがたぶん一番 うスケ ールなのか、八坂町か。 もう退職された先生 理想やと思いますね。地域文化という学問もたぶん そうだし、 地方大学というのもそう 。 の中には一人、八坂町がベースだとおっしゃった先 8 ・人間文化 そうゃなくてなんか他にはないシステムを持って 人間文化座談会 可 学部や大学にも、「リージョナル」な感覚という ころの分野におる学生数はしれているから、このご のがもうちょっとあってもいいかなと思うんです。 ろ出てこない学生はどないなっとるんやろとか、ほ 教育について たら見事にがんばりよる 。 1人でこつこつとね。彼 とんど来ないから 1年遅れたけど、卒論やらしてみ 女は一人でコツコツがんばるタイプゃったんやと分 かるわけ。みんなでワーとやる学生が多いから、彼 細馬 ちょっと話題を変えて、会議の話をしてもいいで 女は中に入れなかったんやなと 。聞いてみたらカメ すか。 ラをやってる、それはまた生きてくるよと 。 こうい 法人化を境に、教員会議とか色んな会議の議題と うのを 一切これからやらんでもいいよと 。場合によ いうのが、上からやってきた大学改革の議論につい っては退学処分やというわけです。 そんなことしな て、理念や概念を戦わせる時間がものすごく多いな くてもうちらいけますよと、分野によっては地域文 と思うんです。 これなんとかならないですかね。 化もそういう色彩がありますよね。入ったとき何を 例えば、肝心の卒論の 1つ 1つにどう対処しまし ようとか、専攻ゃったら専攻の 3 0人の学生のカリキ やるかまだ決まってない学生もおるかもしれない 。 流浪の旅でいつか決まってきて、そこからワーとが ユラムごとにどういうオプションが可能で、それを んばって行くと思うけど。人間関係もそういう色彩 どういうふうに運営していったらどうなるでしょう 多少ありますよね。だからもともと本質的にあって とか、細かい話をする時間というのがどんどん減っ ないものを無理やりはめ込もうとするさかい、無理 ているような気がします。 があるから、こっちに求められるのはきっと、それ 実はむしろ、教員としてやりがいがあるなと思う に代わってどういうことをやりますかということや のは細かい話なんです。何ぼ学生を CAPや GPAで と思うんです。今までもやってるけども、それ保障 ぎりぎり締め上げても、結局僕らにとっての問題は、 ありますかと 。先生がサボったとたんに、こぼれ落 GPAにうまく乗れない学生をどうするかなんです ちた学生をほったらかしていませんか、邪魔くさい よね。 GPAというのを足切りにして、学生に、例 から無理やり卒業させてませんかと、そういうこと えば「君たち単位とれてないから退学や」というの の製品保証というかな、知らないけど、こういう形 であったら話は楽ですけど、実際僕らがやらなあか で面倒みれるはずですよというのをちゃんとやれ んことは、単に学生を切り捨てるのではなくて、そ ば、必ずしも CAPとか GPAでなくたって、出来る こに達せへんかった学生をどないするかということ はずやというのをむしろこちらが問題提起するべき やと思うんですね。 ゃと思う 。 個々の学生で、単位を取るのがうまくないなとい ら、この学生に卒業論文を書かすというのはどうい 官谷 わたしもそう思う 。 1つは品質保証という単語を うことやろうとか、このふらふらどっかに行つてな 大学の公式の文章に使っているんで、僕は評議会の かなか学校へ来ない学生の面白いところはどこなの ときに人聞に品質保証という単語を使うのはヒュ ー か、なんでこの子は大学に来ないわりにとあるとこ マンに属してないと 言 ったんです。人間に品質保証 うのがいたとして、その子らとあれこれ話をしなが ろでは生き生きと動いてるねんとかね。そういう発 なんてことを 言っ ている理事がいるような大学を出 見の喜びというのが現場にはある 。 ところが、教員 た子どもを誰が採用してくれるのかと 言 いました。 会議で、そういう喜びというのがとみに失われてい 人間を人間として見るという点が今の改革にはない るような気がします。 と思います。民間会社の トップでは、マニュアル主 義を打破して行ってますよ 。 ここ数年で、急激に意識 灘本 変化している 。 アメリカ風のマニュアル主義は良く その通りとは理事側も 言 わないけれど、 一種のベ ないんだと 。 だからそれを少しル ーズな形に変えよ ルトコンベアをひいて、製品検査でポロポロこぼれ うというのが今の企業とかの工場です。 日本の産業 てくるやつは早めに始末せいと言ってる気がする 。 が強かったのは、職人さんからの提案をうまく汲み 成功率というか、いい製品を作る率を高めようとい 上げるシステムがあって、それによって トヨ タの看 うことやと思うんやけども 。多くの先生が自分の と 板システムが出来たりしたんで、す。それをきっちり 人間文化・ 9 人間文化座談会 トヨタも知ったので、マニュアル化をトヨタも緩め たそうです。 ソニーが駄目やというのは、ソニーの くだけかもしれないけど、そんなこと 言 うてる暇な いよと 。 もっと大きな ことを 考えてくれとなってる 社員が言 うてるのは、マニュアル主義にしてたから から、短大から 4年制 になる時もそうでした。 1年 です。 「おは よう 」 はあかんと 言 うたわけですね。 間学生にものすごく気の毒なことした。面倒見れな 必ず「おはようございます」 と言 えと 。「おはよう」 かった 。学生の名前を ぜんぜん覚えられなか った 。 は絶対許さんと 。「おはよう」と「おはようござい ます j を使い分けているわけです、当然。学生に そんな会議ばっかりやったから 。現に教育に悪影響 を及ぼしている状況を続けているから、たぶん共通 「おはよう 」 と言うけれど、学長には「おはよう 」 して言 えるのは、学生としゃべるのが好きな先生は、 とは普通言わないですよね。それと 一緒。ある程度 学生としゃべる時間が減りましたということやと思 ルーズな文化を許してたんですが、今の品質保証論 うんですわ。簡単な結論は。それがええことか悪い ことか、今の流れは、学生とあんまりしゃべるなと、 そういうことでしょ 。 で行くと、今おっしゃったようにそういうことが出 来なくなります。ですから、人間を 人間として育て ていくときにアメとムチなんです。楽しいものを見 つける 。 それから今日、授業で大学の 4年生ぐらいに江戸 0 歳 時代の本を読んだ経験を 言いました。たまたま 4 くらいのときにその本が役立つことがありました 。 その本は、江戸時代の伊藤仁斎の『制度通』 という 本です。福知山市の発掘調査の成果が出たときに、 これは制度通を利用したら理解できると急に思い出 山根 I 大学改革への決意』 というパンフが配布されま したが、この中に、シラパスは学生との契約だと明 記されてますし、さっき細馬先生がおっしゃったよ うに、評議会などから下ろされて来るいろいろな検 討謀題というのが、ほとんど一律の基準や枠組みの しました。私の考え方は非常に反響も呼んだんです が、でも、 20年間本人さえ忘れていた知識がそこで 中で考えろという話になっていて、デザイン専攻で も話をしていると、うちにはあわへんという意見ば っかり出てくる 。 生きてくるので、 4年間だけを見て品質保証とかい う発想は非常にプアな発想です。貧しい発想です。 灘本 3 0年 、 4 0年先に生きる何かを生かしてあげる、光る 教育と 言 うかね、とずっかで光る教育をしておかない フレキシブ lレに 出来ていたことを、契約やから 書 と。 いである通りにやれと 言われたら、かえっておかし くなるね。 灘本 菅谷 理屈はうまく 言 えませんが、直感的に、うちの大 学の慾法の序文にある ような、この大学を作った当 時に、具体的な内容は別にして、人を育つ大学にし 私なんか、どっかで発掘調査をして、新聞とかに 報道されますよね。するとそれについて学問の上で の位置づけについて、 2時間、 3時間しゃべりだし たいんだと 。今やっているのは、人を育てる大学で すが、育て方にも問題があります。規格品を作ると ます。学生は 聞きたいから 。それが出来なくなるわ けですね。 1年前に決めた階段を登れと 。理科系の きがあるから 。人間関係も地域も私らも 一部、例え ば、学科会議や専攻会議で、あの子この頃どないな っているんやろ ということが話題に出来ていた。少 ように公式を覚えて、全国世界共通のジャピ 一階段 で行きますと 。その具体的な例は、今年になってか 人数ゃから 。呼んでみたらこんなことらしいでと、 そら病院に行ってるのもしゃあないかなとか、また 2月ごろでしょ 。僕は逆にシラパスを 更というのは 1 もっと早く決めてるわけでしょ、 1年ほど前に。そ の間に彦根城の見学に 3回行こうと予定していたの に 、 1回しか行けなかったんで、すね、日が変わって その子が復帰してきたときに、その子の卒論でも何 でも趣味を生かして何かやるとか、割と細かい気配 りが出来るから、またそれで伸びていく子がおった。 そういう意味では人が育つ大学の一部を担ってあげ ているかなと 。少人数ゃから出来ているんやなと思 っていた ことをもうやらんでええよと 。 ここしばら 1 0 ・人間文化 曜日変 ら、曜日変更の授業が 2、 3回ありました。l しま って。すると、本当の教育はどっちなのかと思 うわけです。 シラパス契約論は、典型的なマニュア ル論ですからね。マニュアル主義でコンビニに行 っ て、おつりこれでよろしいですかと 言わ ないといけ 人間文化座談会 ないのであって、そんなのは無意味ですからね。 官谷 灘本 なると思います。例えば文科系の学問というのは中 シラパスをね、ほんまに契約論で、いったら、そう ビデオを作っておいて流せばいいだけ。 国歴史とするでしょ 。二十四史積み上げただけで、 すごい量あります。 こんな量を誰が 4年間で読める 菅谷 この学校に来た 当初はだいぶん学生にビデオを見 んですか、結局 ピックアップして読むわけです。僕 はよく 学生 に言 うんですが、知識というのは頭の先 せました 。映像を使えと、関学当時言 われました。 にも入 ってるし、足の先にも入ってる 。それを 全部 2年ほどして気づいたのは、誰もメモを取らないん 集合化するのが、 学問ですと 。当てたら知りません ですよね。起きてても、結局耳と目から入ってくる という返事 は許さない。必ず何 らかの返事 をしろと から、頭に引っかからないんです。これはあかんと 。 学生に言います。 プリント 主義やと 。考えてみると、僕らも 学会に行 って、学会で、パワ ーポイン トやビデオを 写 しますよ ね、当然。後で、頭に入つてないんですよ 。入 ってい 灘本 大きな 、 どんなことをやるかということについて あるいは紙を配ると、ょう覚えますよ 。 はわか らんことないわ。それは契約やと思うわ。僕 の栄養学の講義で、最初から最後まで、す、 っ と統計学 灘本 たいと思 ってきてるんやから 。 しかし、その内容 に るのは要綱集とか概要とかからの知識が中心です。 をしてた らね、それは契約違反やわ。栄養学 を聞き 理科系も同じですよ 。理科系はたいてい教科書あ ついては僕らはフレキシブルに対応したいという りますよ 。それで勉強したら終わり 。それがあれば か 、 学生 もそ っちのほうが面白いというのは、絶対 よっぽど説明しないと分からない数学の問題とか除 実感として持っているから 。 いたら、無茶なものは全然ないから分かります、勉 強したら 。簡単な話です。だから講義ではもちろん 教科書でや っていく先生もあるし、僕らみたいに好 きなことをしゃべってる先生もある 。教科書に沿い ながらもね、ワ ー と脱線していって、後で学生に聞 いたら面白かったよと 。べつに学生の専 門と違うと ころじゃなくて、そう言えばそう 言 えばで。そうい う自由度があるから学生もモチベーションが上がる 子が中にはあるし、中にはあの先生脱線ばっかりし てると 批判している子もあるし、それがお互いに楽 山根 結局、 CAP 制を導入すると、年間に 登録する 単 位数が最初に限 られてしまうから、どうしてもシラ パスを 読んで、これを取るという様な覚悟が学生に もい って、だか ら契約という話になると思うんです が、そうすると、それでもし授業が面白くなくて、 学生が学習意欲をなくすようだと最悪ですね。取得 単位数が少なくな って、履修単位数も限られるから 結局留年するという悪循環になる 。 しい。あの先生は入ってきたら挨拶も何もせず、黒 板にワ ー と書いておると、以前いら っ しゃっ た先生 灘本 ですが、 学生の顔を見ないで、黒板のほうば っかり をしゃべりながら見ている 。 しかし、 学生からスポ 授業が面白いとか面白くないという話があ ったけ れど、 今の法人化の流れでいうと、効率良くゃから、 イルされるんじゃなくて、面白いと 言 われている 。 学生が興味を持 って聴くような講義をせいと、それ ある先生はいまだにおられるけど、難しいことを 言 を楽しくというのか知らんけれど、効率よく、約束 うて落としまくり よると 。みんな嫌っているかとい した授業をちゃんと楽しく上手にやってあげろとい うと、嫌ってない。面白い先生や、ちょっと 付 き合 うことやと思うんやけれども、下手な先生も面白い ってみたいわ とか言 うとる。そういうバラエテイが よ。 消えてしまう 。授業は全部ビデオかネッ ト放送でい いわけです よ。それか教科書を読んでおけ、で終わ りやで、 これやったら 。 山根 味があるというか。 人間文化・ 1 1 人間文化座談会 ったかいなといったまま授業が終わってしまった り、まったく準備していないのが読み取れると 。そ ういう先生についてはやっぱり改善が必要でしょ と。そら必要ゃなと 。 こういう制度を持ち込んでい メ ったら、それが引っかかってくるんですと 。改善が 5% とか98%のほっとい 出来るんですと 。大部分の 9 てあげたらいい先生がいるのに、 1%の人をチェ ッ クするために、なんか作っているんやみたいな趣旨 で言いはる 。全部そうやと思うよ 。 これなんかや っ ぱりおかしいね。手段のとり方としては。確かにお 0 0人いたら 1人くらいおるかもしれ るんやろな、 1 ん。私らも二日酔いのときはひょっとしたら危ない。 ぷ 〆 年がら年中二 日酔いみたいな先生もおる 言 うてはる から 。 灘本 うん、結局最後まで訳分からんことを 言 うとった 菅谷 と、僕ら理科系でも結構あります。その授業の前ま 某先生はセンター試験の監督に、 二 日酔いで来て では分かつていたつもりゃったのに、あの先生の授 はりましたからね、そういう人もいるんでしょ 。変 業を 受けたら、英語振りかざして、ワーワ一 言 うか 9 9人も職員がいたら、 わった人も 。 1 ら、チンプンカンプンになってしまったと 。例えば 5%はおりま すよ 。それは人間社会の定理です。 5%の異端のた 実験の説明のときでも、実験ではこれしたらええの めに、 全員 が異端視されたらたまったものではない。 やと思 ってたのに、ワーと 言われて訳分からんよう になって、混乱していると 。でも後で見たら、それ 灘本 は単純に言 えば、俺の勉強不足であって、その後何 むしろ問題は内部の先生方はお互いに分かつてい 人か勉強をょうするやつが、こんなことやってると るはずやのに。学生からうわさ聞いたりするはずゃ 説明したら、あの先生は難しいことを 言 うてたけど、 からね。指摘できないということが問題。別に罰則 それはまともなことを 言 うてたんやなと 。 こういう があるとかそんなことゃなくて、ちょっと先生考え 経験が僕らは後で大学 の授業ゃなという感じがす る。考古学 も一緒と違う ? ていかなあかんでと 。それが助教授やったら、教授 の人は言 うてあげるんやろね。その人が教授の場合、 助教授はあの先生に言 えるかという問題はあるけど 山根 結局、如何に学生にきちんと講義内容を伝えるか が重要で、『大学改革への決意』にも書かれている ファカルティ・デイベロ ップメント、我々がまたそ も、よっぽどひどかったら 言 うべきよね。あるいは 感じた学生が言 うていくべきや。 うちは自治会がな いから出来ないけど、残念ながら 。そういう人を検 出するために、非常に特異的な分析手段を導入しよ こで教育を受けさせられるわけですが、そういうこ うとするのは、やっぱりおかしいわ。授業は年毎に とをやりながら契約をきちんと守っていきましょう 内容が変わる 。それはレジメを作るときに準備され みたいな話が今後の方向性ということなのでしょう たものではなくて、その時のトピックが入ったり、 ね。 そのトピックは年によって違いますよね。そういう 灘本 のを楽しみたいというか、学生と 一緒に。栄養の世 工学部の先生方は個人的に聞いてみると、こうい 界は奥深いのやねと、いろんなことが関与してくる んやということを学生の一部の人にでもわかっても う制度を、理事長が工学部の先生だからということ らいたいし、若い先生は年の先生とは違うけど、ち もあるけど、わりと肯定的なんやで。若い人に聞く と、理由は極めてシンプルで、例えば授業でも、よ ょっと経験を積んで、きたら、知識だけは広がってい るから、栄養学の狭い範囲ゃなくて、関係したこと っぽどひどい人がおるんですと 。 この資料のどこや はザク ッと教えてあげられるようになってきたし、 1 2 ・人間文化 人間文化座談会 言 うてあげたい。それは栄養学の本流でないか、基 るようなことを問題提起してくれと、そんな生ぬる 礎のことで。そんなのレジメに載せられないし、学 いこと 言 うてられへんのやと 。それで激論してもい 生はたぶん納得していてくれると思うから 。そうい いかもしれないよ 。 うのを捨ててしまえというのは、システムが決まっ ている工学部流のやり方であって、工学部でもたぶ 研究費問題について ん反対する先生がおると思うけど。 山根 工学系でも、建築分野はわりと文化系的なところ があるから、大学時代、講義は色んな方向に話を展 開される先生がおられて、そういうのはいまだに記 憶に残っています。 山根 現在の教育に関する動きについて、や っぱりそれ は根本的な大きな問題のひとつだという認識です ね。 研究の側面に関してはどうでしょうか。具体的に 言 うと、研究費の問題の話だとか、評価が給与体系 に反映してくるとか、先の 『 決意』の中にも馬場副 灘本 少なくとも「人が育つ」 ということと合致する 理事長 は明記されてますし、研究者の立場 として、 法人化の中でどうなんだろうかと 。 GPA制にしてほしい 。 それや ったら 、ひょ っ とし たら滋賀県立大学独自の何か制度になるかもしれな U、 。 菅谷 「人を育てる」ゃなしに、「人が育つ」というス ローガン 。 灘本 それが嫌なら「人が育つ」というテーマを取って 灘本 ちょっと横道にそれますが、ついこの間の新聞に、 大きな企業の役員の方の報酬がかなりの率で成果主 義にな ってい ったということが書かれていました 。 評価 を受けてやるという、 一律ではなくて。 ここで 言 うてる、その人の業績を評価して、それを 一般研 究費に反映しようという概念は、企業でも持ち込ま れている制度を、こういうところにも持ち込んで、み ようということやと思うんです。 じゃ、嫌味だけれ 欲しいもん。 ども、うちの大学は理事なり役員の評価というのは どのようにしてなされているのか、あるいはそれが 山根 でも「人が育つ」という理念はや っぱり繰り返し 謡われているわけですよね。 彼らの、彼らには研究費はないんかもしれんね、ひ いては報酬にどのように反映させようとしているの か。 まずそれを決めるのが先決であって、身を正し て、さて皆さん方もある程度はやっていただかなく 菅谷 大学のパンフレットに理事の人たちが書いている てはいけませんよと 。元々少ない金額なので、研究 費にしても給与にしても 。菅谷先生は多いのかな? のを見たら、「人を育てる 」ですよね、明らかに。 山根 「人が育つ」という言葉だけで人が育つといいん 菅谷 少ないですよ 。僕は退職の記念会があれば言 うつ もりですが。 ですけどね。 灘本 人間文化 の多くの先生は、「人が育つ」 というこ とに共感を持っていて、部分的に実践をしている 。 出来るから、少人数で。それと相反することを別の ところで持ち込もうとしているけれど、それなら 「人が育つ」ということをスポイル、キャンセルす 灘本 給料の話を 2人と話をしていたんですが、 1人は 会社の研究員の子、そこは給料少ないんですわ。ボ ーナスが山ほど多いんです。びっくりするくらいで す よと言 うてたわ。灘本先生らょうけもうてはるん やろなと 言 うから、だんだん腹が立ってきたから、 給料明細見てみと 言 うたら、ひ‘っくりしてた。 どれ 人間文化・ 1 3 人間文化座談会 くらいやと思ってたんやと聞いたら、少なくとも に、あかんと、このまま行ったら沈没すると 。誰も 1 0 0万 ぐらいの名目か手取りか知らないけど、ある 沈没するとは思っていない。デザインはこれからチ と思って いたと 。大学の教授級ゃったらと 。全然な ヨコチョコ変えていけばすり抜けていける、少な く いんやと 。昨日は、コンピューターの業者さんと話 とも 1 0年や 20年は持つやろにと思っているのに、な してたんですが、あの人も多いと思ってるんや。僕 んか変革をしていないと、理事側の仕事をしたこと 手取り 50 万ちょっとくらいやでと、これで家族 6人 にならない。それはやっぱりおかしいと思うわ。 ま を支えてきたんやでと 言 うたら、ぴ、っくりして、最 ず、最初に本質的なことをぱっと押さえて置くべき ゃと思うわ。 後は慰めゃないけど、 「 一般世間で手取り 50万くら いを稼ごうと思ったら大変なんですから 」 と言うて やったから 。あれ? 俺だけ少ないんと違うやろな。 菅谷 そんなもんでしょ?それに反映させようとしている 給料に研究成果を反映させるというのは、賞与部 わけですわ。何年か前に、京都のある社長が偉そう 分と本給分がありますが、本給分にそういうのをす に言いよるんやわ、友達やけど。講演会で、 「 大学 るのは、 WHOも禁止しています。 ボーナ スは個人 の先生は給料は半分にせい」 と言いよったんや。 さ によって差が出る 。それも 一般的には 2割ぐらいで ぼっとるからと 。小学校や中学校は大変ゃから倍に す。 2割上下ですから、 4割差が出ますけど、 Oに せいと 。で俺は親しいから質問したったんや。「 大 は出来ないわけです。本給に関係するのは、労働組 学の先生の給料を 言 うてくれ」 と。「例えば俺は何 合の同意がいるわけです。労働組合的な発想と、教 ぼもろてると思ってる?Jと。やっぱり 100万くら 員の研究意欲を燃やすという研究向上面とか、ちゃ いと言いよるんや。そのとき、それの半分以下やで んぽんになっています。 ちゃんぽんになっているか と。そんなん知らずにそんなことを 言 うたらあかん ら、議論がみんなうまくいかないと思う 。 のと違いますかと。中学校、小学校の先生、倍にせ もう一つ、研究費のことです。科学研究費を、私 いと 。基本的に小学校の先生も中学校の先生も高校 が代表者でもらっているのが、 1 2年間で 9年くらい の先生も大学の先生も変わらないんですよ 。そんな あったと思うんです。誰が褒めてくれました?何も こと知 って言 うとるのかと聞くと、いや、大学の先 褒めてくれない。大学としては、 理事会になって、 生はようけもろてると思ってたんや と。だから元々 これだけ科研費を取りましたとか外に向かつて 言っ 少ないので、まず、そういう評価をすべきであって、 ているけれど。誰が僕を褒めてくれたか?理事長以 僕の意見はそうですわ。 ょうや ってますね皆さん、 下誰か 「 菅谷さん今年も取ってありが とうござ いま というのをまず考えるべきだと 。 うちの大学はそれ した」 と。変な話やけど、そういうのも必要やと思 なりに頑張ってきょったと 。関学以来の 1 0 年間。 き て、もうちょっと直すとしたら何ですかなというシ うんですね。新聞に県大の名前を多く出してもらっ てと誰がお礼を言ってくれましたか。新聞に名前が チュエーションゃったら、皆さん協力してくれるの 一回載ったから 給料増やすというのも、社会貢献と 14 ・人間文化 人間文化座談会 いうのなら、そんなの何の意味もない。記者と 3 0分 地域文化学科を第 一志望にした学生は少ないで めんどくさいなと思いながら、電話を 聞いて、うん す。第一志望はほとんど地方の大規模な 三重大とか うん言うてたら、滋賀県立大学教授菅谷文則氏がこ 新潟大とか、同立の大手のところ 。 ブロック単位ぐ う語ると載るわけですからね。│ 時間が無駄な以外何 らいの大学を断念している子が多い。私大で言うた ものでもない、僕は 5行の談話のために時には 21 時 ら、背学 とか早稲田を落ちた子が多い。それでその 間も使われるので。 そんな無駄なlI~f 問を学校が:tfÊ 胞 子らに言うのは、滋賀県・大に来たのと、あなたが落 をして、社会貢献やというのは本当に本末転倒です。 ちた大学とと っちが良かったと 。例えば三重大に務 2 1 時間、本を読むか学生と談笑しているほうがコミ ちて、滋賀県大に来たと 。みんなコンプレックスを ュニケーションが取れるからね。 持っているわけです。 そのコンプレックスをなくす J 1月に、大学で第 8l E ! j の古代武端研究会を開きま のが僕の仕事だと言います。だから本を読め とか、 した。懇親会に 学部の学生も出るよ うにと 言っ て 、 調査現場に行けと 言 うわけです。それが三重大学と 仮-遇して出してあげたんです。そしてお前ら聞いて 同じカリキュラムでやっていたら、 一生追いつけ追 来いと 。 5つほど輸が出来ているけれど、何の訴を い越せない。 だからトップの大学に行った人は追い しているか聞いて来いと 言 うたんです。 スポーツの つけ追い越せは必要ないけど、ここの子はコンプレ 話をしてるか、映画の話をしてるかと 。そしたら、 ックスを持って来ているから 、や っぱり追いつ け追 学生が帰 ってきて、全員が難しい話を酒飲みながら い越せはしてあげないかんのです。そのために はカ されてましたと 言 うんです。一 人として雑話をして リキ ュラムを全国一斉のジャピ ーみたいなしとった tがれな い。 ジャピーの 3倍ほどや いる人がいませんでしたと 。 それが研究者です。酒 ら 、 一生涯上に 飲んでもそれをやっている 。懇親会は学会にとって らなあかんわけですよ 。県大版猛烈ジャピ ー をしな 非常に大事なんだと、会場で質疑応答プラス懇親会 ければ 1。僕は各種の研究会を毎年県大でやって、 というのは、結局は雑談とい っても 、学 問雑談をし 色んな大学の先生が来ますから、お前が落ちた大学 ているので、それを学生に見せて、大変良かったと の先生はあれやぞと学生に言うんです。すると学生 思うんです。そういうのは社会貢献でも何でもない がホ ッとすると 言 うんです。その先生方が私のとこ わけです。学生 を酒飲むのに連れて行ったら、評価 ろに来て丁重な挨拶をしますから 。そうすると学生 下がることはあっても、上がることはないです。そ はああここに来てよか ったと思う 。良かったと思っ ういうのも含めて色んな評価の手法があるのを、こ て卒業するのと、いつまでも引きずって卒業するの ないだも書いてました よう に、新聞に滋賀県立大学 とはえらい違いですからね。だから僕は言 うんです。 という名前が載る回数とかは、この学校で私が一番 夢を持たす、追いつけ追い越せ、そしてそれを一生 多いの と違いますか? 自信を持って。学長よりも 生きがいにせいと 。 だから、研究費の発想もそうい 副学長よりも副理事長よりも 一番多いと思います うところまで考えないとあかんと思います。 わ。全 国の新聞の掲載数をトー タルしたらね。そん なの何の意味もない。 1 0年経ちますが、私の名前を ま日って この学校に来て、 地域文化学科に来たのは、 2人しかいなか ったんです。 l人は 島板県立の高校 灘本 言 い換えると 2つあって、 1つは業績評価の仕方 がこれでいいのかということ 。 よ く仕事をし たかど から来た子で、入試の輪切りで、先生がこの大学 に うかは、会社なんかはできめんですよね。 ある仕事 行ったら、菅谷という人がおるから、 言 ったらすぐ をしたときに、この人はよく仕事 をしました、それ 挨拶せいと 言われて入学式のときに挨拶に来た子が は単 にl 時間内にしたことではないよね。会社の儲け 今年の卒業生です。 もう 1人は、僕の大学 の後輩が につ なが ったとか、 会社の発展につながったとか、 大阪府立の社会科の先生をしていて、やはり輪切り 何か評価する対象があって、そ れに対してプラスの 一覧表の中で、ここに行ったら菅谷がおるし、と手 ことをどれだけや ったかということで評価してい 紙を持ってきた子がいました。その 2人です。毎年 く。それは良く分かる話ですね。そういう業績評価 7 0人ほど、 1 2年で 840人ほどの内で、そういうので 学校 に来たのは 2人しかおらへんのですわ。だから、 新聞の出現回数を競うなどは何の値打ちもないんで としてここに書いてあることが適当かどうか。それ ぞれの分野、どういうことを主にやっているかとい す。 は今 は言 わない。評価をすることは必要かもしれな うのは、先生によ って様々やと思います。そのこと 人間文化・ 1 5 人間文化座談会 いが、評価というよりは自分で点検して、色んな先 れど、給料がぐっと上がりますよと 。だから 一般研 生がこういう状況なんだと読み取る程度で十分やと 究費を配分するという理由が、懲罰 主義として思え 思うけど、問題はこれを何かに反映させようという ない状況になっているから問題なの。つまりランク とき 。それは、さっき菅谷先生がお っ しゃったこと 付けにな っていると 。そう思わざるえないから問題 と繋がってきて、つまり、これをや ったら業績の評 で、合理性が感じられない。 価、仕事の内容になるんやと 。新聞にたくさん名前 が載って、これでなんで評価やと 。それはこれでう 菅谷 ちの大学の知名度が上がって、お客さんが増えると 。 灘本さん、社会学者になってもいいほどょう考え てはるな 。 いや、増えませんで、大してと 。 プラスになりませ んよと 。 うちに来ている学生に、誰キ先生がおるか ら来た学生 を調査してみなさいと、そんなもんおり ませんよと 。京大ですらないのに。大学生 はどんな 灘本 そうすると競争になってきます。細かく 言えば、 先生がいてるか知らずに受けているのに。それが 1 例えば、東京の話を教えてねと 言 うた時に、彼は嫌 て コ 。 だと 言います。何でお前のところを助けなあかんの 次に、教育に一生懸命というのを、 一般研究費の やと 。それで灘本さんのとこの研究費が増えたら、 配分に反映させようとしているわけで、 す。 これはご 相対的に、今のところ専攻問で連動してないけど、 褒美や罰 金 という意味では意味があると思います。 もしも 学部単位で‘ゃったら、お前助けたらワシの研 それしか考 えられない。教育を 一生懸命ゃ ったら、 究費が減ると 。そういうことでしょ、簡単 に言 えば。 一般研究費がちょっと余分にいるのと違いますか こんな制度にしたら駄目だわ。今は専攻内ですわ、 と。だから実績に応じてあげますよと 。 これは多少 学科内ですわ。専攻内でみんなで仲良く協力して、 意味がある 。本をたくさん買 ったり、プリントをた この人は学内貢献一生懸命やってはる、この人は論 くさん作 ったり 。でもその金額はそんなにひ、 っ くり 文書いてはる、この人は論文少ないけど、地域貢献 するほどではない。教育に使うための費用は。だか 一生懸命頑張 ってはる 。みんなで食生活専攻盛り上 らそれで傾斜配分とか言 うほどではなくて、 基礎的 様 、 が っていて、いい状況やねと 言 うてるのが、車L な金額が何十万かたぶんあれば、十分いけると思い 横は敵やという状況に持 っていったらあかんわ。教 ます。それで全部みていくと、研究を 一生懸命した 員は給料に反映したらもっと深刻ですよ、多分。 ら研究費たくさんいるでしょ 。それは 当たり前です。 でも、研究を 一生懸命した人はたいてい菅谷先生の 科研費の話ゃないけれど、外部から資金 を導入しま 山根 深刻だと思います。相互不信の塊になる 。 す。一般研究費なんて多くの先生は鼻くそみたいな ものやと 。あんなもんコピーと ったら消えてまうの や、と半分自慢げに工学部の先生はおっしゃいます。 灘本 ただね、 全体として、上の人らが期待している論 それで傾斜配分する必要は特にない。むしろ、何も 文の数がちょ っと増えたりはすると思います。結局 あたらない、逆にその先生の研究があまり進展して いないか、スタート地点が欝屈した状態にあるとい 尻叩かれるわけですから、これはやばいと思 って。 うことか、その人らのほうがむしろ広い意味では一 すわ。心の余裕のない。人間関係を教えているのに、 般研究費が必要なんです。それを逆にしている 。社 人間関係がギクシャクする形でな。食生活やのに食 会貢献したら研究費要りますかついりません。たま をまともに食べるような時聞がない先生にな ってし にね、無料でとcっか行ってあげるんやと、手弁当で。 まったり 。 それを成功と 言 うのかな 。成功と 言わないと思いま 出張旅費いるから、そらいるでしょ 。金額大したこ とない、そんなこと期待していく先生いない。学内 山根 貢献して研究費要りますか。学内貢献すればするほ ど、研究費要らなくなります、忙しくなって。研究 地域はず っと前から 一貫して言ってますよね。い まだに傾斜配分にはきちんと同意はしていないんで、 している暇なくなる 。 学部長は研究費ゼロでもいい。 すね。 運営に専心してくださいと 。研究費がゼロになるけ 1 6 ・人間文化 人間文化座談会 官谷 教授がもし国際会議に行って、休講してても助教授 A、B、 Cに去年からしまして、来年はこないだ が代わりに出来る 。休講が無いわけです。僕らは大 から会議しているんですが、人間関係に合わせよう 講座制ですから、僕がいなければ何も進まないわけ と。人間 関係が一番精鋭化してよく考えていらっし です。 だからそうなると補講とかいろんな問題に影 ギるので、そういうことにしています。それと学内 響してくる 。それともう 一つは工学部では当然なが 貢献 というのは僕も本当に思います。僕も学生部長 ら実験装置をたくさん買っておられます。今までの してたり、この学校で大分いろんなことをやりまし 1 0年ちょ っとを見ていくと、だいたい辞めた 人とほ た、色んな委員長をやったり 。 けれど、あれをやれ ぼ同じような分野の人を取ってます。前の機械その ばやるほど勉強は出来ませんね。僕、学生部長をし まま使えるわけです。でも僕のとこは、それが出来 ていた 2、 3年間、ほとんど論文を書けてないで、す ないわけです。人が中心でいてるから、講座制が無 ね。短いエッセイ的なやつしか。今年になって辞め いんで、文科系でも色んな学聞がありますが、高橋 た途端、気分が晴れましてね。去年の春休みくらい 美久仁先生が退職されま したが、高橋先生のコレク から仕事一生懸命したら、 j 留まっていた、書こうと ションされた資料が行くところがないんです。 同じ 思っていたやつがどんどん書け出しましたね。今年 人文地理というて、応地先生、そのあと塚本先生が 度は 3本出来ましたよ 。やっぱり、学内貢献してい お見えになつったんですが、高橋先生と全然違う 。 る人は、金は本当におっしゃるとおりいらないです。 民具 なんて要りませんよね。結局行くところがない 金を使う時間がない。僕は一時、他の先生に余った ので返したりしたんです。私が退職するとき、中国 分差し上げてましたが、今年は欲しいくらい。 考古学の人が来たらまだしも、私が学生と 一緒に作 った調査日誌とか図面とか写真とか、古い大学は助 灘本 手の仕事として資料を 1 0 0年単位で保存しているわ うちの中で自主的にやってきたのは、地域みたい けですが、本学では捨てることになるわけです。学 なスタイルの配分の仕方。一時はテレコテレコでや 生の調査日誌なんて 1mくらいあります。私の家に っていたみたいな 。 なるべくパラつきがないように 持って帰っても意味が無いんです。普通そういうの していこうと、トータルでは。その中でデザインは、 は大学に残す。そうすると、辞めていった先生の後 土台は独自の基準を決めて、かなり細かく分けてい 任がうまく取れなかった場合は、学生が作った資料 るわけです。それで、デザインは何故細かく分けら 集とか、原図とか、後に貴重な資料になる写真とか、 れるのかと言えば、皆さんの無い視点がきっとあり そういうものを保存する資料館が必要だと思うんで ます。つまり、デザインは本当の実験系の先生はほ すね。大講座制だから必要なんで、小講座制なら教 室に残っていくわけです。ず、っと 。私がび、っくりし とんど消えてしまったのに、実際、実験系の研究費 をいただいているわけです。みなさん方より多いで たのは、4 0歳ぐらいのときに戦前の昭和初期に発掘 す。従って、ある先生がいみじくも 言 うてやったけ 調査した資料を見に、京大の教室に行ったんです。 ど、元々そんなに金いらんねんと 。結局若手に行く すると調査日誌とか当時の野帳が全部残っていて、 ような配分の仕方になっているんやね。それで十分 そういうのがあるから伝統大学は力があるわけで やっていけるのやと 。 これがデザインがやっていけ す。 だから、ここもこれから伝統を作ってピックネ てる理由だと思います。根っこのパイがもっと少な ームにな っていくというのなら、やっぱり資料館と かったら、ちょっと太万打ちいかんようになってく かも作るというのは必要なのに、今度の改革案に何 る先生がおるから、色々クレームが出てくると思う も無い。 けれど。 菅谷 大講座制、小講座制の問題と改革の問題がリンク 山根 ヨーロ ッパの大学に行ったら、 必ずアーカイブと いうのがあって、それぞれ特色のある資料を持って してきましてね、工学部は、小講座制をきっちりし いて、世界中から資料収集してそれをネットなどで てますね。人間文化学部の地域文化学科は完全大講 発信していますね。そういう特色のあるアーカイブ 座制です。環境科学部は小講座に近い。工学部は教 を作って、ここにこんなんありますよとどんどん発 授、助教授、助手のラインがちゃんとありますから、 信するというのは必要ですね。 人間文化・ 1 ' 7 人間文化座談会 菅谷 資料館という発想と大講座制とリンクしているわ 部寄贈してもいいくらいゃから 。たぶん僕の本、 今 のままなら国内に残らず外国に行くことになると思 けで、大講座制の欠点を大学の知の財産として残し ていくためには、そういうものが必要という観点が、 いますね。 3万冊ほどの本が。 抜けている 。工学部は小講座制をとってますので、 学部学科再編について 教室の財産が残っていく 。我々のところは残 ってい かない。例えば、高橋先生の本でも、高橋先生はこ の学校に残したいとおっしゃったわけ。図書館も拒 否してしまった。 学科として 入れる部屋が無いから 、 また拒否する 。結局、色々考えた結果、韓国国立文 化財研究所に持 っていく ことになりました。韓国の 学者は、 地理の本と考古学の本が両方いっぺんに入 ったと非常に喜んでおられました 。 山根 スペ ースが問題ということであれば、 電子化する という手もありますね。マイクロフィルム化すると か。 菅谷 やっぱり実物です。 山根 実物はもちろん大事ですけども 。 山根 組織改変の計画が動き出していると U、う訴が漏れ 聞こえてきてますけど、そのあたりのことについて も、どういう意見をお持ちかをお伺いできればと思 います。細馬先生とは、 一緒に学部将来構想委員会 で生活文化学科の独立構想、とか、地域文化学科の新 しい可能性などを議論し ました。その中で、例えば、 国際教育セン宇ーのこともまさに問題にな っている んですが、まず、生活文化の学科独立の話をお願い します。あれがその後どういう形で、上に上がってい ったのか、僕ら もそのいきさつが分か っていない の で、どう議論されているのか見えないところがあり ますので、 『 人関文化』の中でも 表明しておいたほ うがいいかなとも思いますので。 細馬 春から将来構想委員会というのが起ち 上がって 、 そこで、いろいろ学部内の再編成のやり方について 話し合っていたわけです。その話をしましょうか。 菅谷 大学は社会教育機関と違うので、実物でしょうね。 アーカイブというとみんな電子機器を使ってと思う 地域文化学科 と生活文化学科では、現在の形態が かなり違うと思うんです。今ある地域文化学科は比 けど、そうではなしに、実物です。法隆寺が法隆寺 較的一つの集団として成り立っているが、生活文化 学科は、成立の経緯もあって、寄り合い所帯になっ であるのは実物だからです。法隆寺と同じのが尾道 にありますけど、誰も法隆寺や言いませんしね。実 物の持つ迫力は無い。大学は残していかないかん。 てます。 一番最初に灘本先生がおっしゃ ったように、 出来た経緯というのが短大を引き継ぐという形だ っ たので、 学科としては整合性があまり無い。でも、 大講座制をやって資料館を作らなかったら、知的財 産 をみんな辞めていくときに捨てていかなあかん。 こういう 寄 り合い所帯というのは、年月が経っとそ 面矢 そうですね。研究とかや った ことの継続性がない とも ったいない。人が代わると、その人がや ってい 0数年聞が消えていくことになってしまいます た1 ね。人間文化としてはそういうことはも っと考え直 さなくてはいけないですね。人が辞めたらおしまい という形で来てしまったから 。 菅谷 ここにいい資料館を作ってくれたら、僕の本、全 1 8 ・人間文化 れなりに境界が浸透して有機的なつながりができる ものです。それをまったく全部なしにして立て直す というよりは、現状をうまく活かしながら、組織改 革したほうがいいんじゃないかと思うんですね。 で 、 一番簡単なのが、生活デザインと食生活と人 間関係をそれぞれ学科として独立さ せる 案。そうな ると人間文化学部は 4学科になりますね。4学科が、 お互いに緩やかな連携を取るという構造というのが 一番望 ましいんじゃないか。将来構想委員会では、 そういう話になったんです。でも、ただ学科に名称 変更するだけじゃつまらない。 カリキュラムも、 4 学科的にするのがいいんじゃないか。学科を単位と 人間文化座談会 して、その閥にゆるやかな連携するようなカリキュ Iでもなるべく交流が出来て、 ラムを作る 。教員の倶J くシステムを作ったほうが、結局は理事会をうまく 機能させていくことになると思います。 学生のほうもあちこちできるようなシステムはでき ないか。 具体的には、例えば、「対話する人間文化」とい う講義を作る 。これは、学科問を横断する講義です。 まず、違う学科の先生同士で対談をする 。それを踏 まえて、それぞれの先生が 3回ぐらい講義をする 。 単に地域の先生、人間の先生が専門の話をしてオワ リ、じゃなくて、お互いの分野をそれぞれの立場か ら見るような話をするわけです。それが終わったら、 こんどは地域と食生活の先生で対談し、その内容に 山根 『大学改革への決意』や中期計画などによると、 連絡調整会議をいうのを設けて、そこが理事会と教 員組織との意思疎通の場ということで、教授会自体 は教育研究事項のみの審議に励むみたいな感じで理 解しています。大学運営とか組織のことについては 理事会の方で大きな方向性を決めるという建前で、 それで、細馬先生がおっしゃったような理事に直接言 いに行ったり、学長と懇談したり、そういう話の中 ついてそれぞれの立場から講義する 。 というふうに でうやむやのうちに決まっていくというような雰囲 回していくと、 4学科の中から 2つを取る組み合わ 気が感じられるわけですよね。 せが、 4x 372で 6通りの出来るわけですね。 こ の 6通りの対談を通して、人間文化というものの相 互関係が見えてくる し、先生の側も 自分の専門外へ 出て行くために何が出来るか考え直す機会になる 。 なかなかおもしろいでしょ? 。 ところがこれが現 在のところ、ペンデイングなんですね。せっかく委 員会でアイデイアを出して提出したんだけど、いま だに音沙汰がない。 どこでどう話が止まってるのか 細馬 その連絡会からね、理事の話が降りてくるという ことはよくあるんですが、どうも突然なんです。 菅谷 さっきから 言 うているのは、人治で法治とは違う んです。人が治めてて、法律で治めてるんと違うん です。ルールが無いんです。だから法治をしないと よくわからない。 法人化されてからどうも困るなあと思うのは、誰 に提案したら通るのかというシステムがよく見えな ね。あれほど理事会の権限が強い私立大学でも、教 授会ではちゃんと議論できるようになっています。 いことですね。理事会の上意下達に対して何か言お うとしたときに、誰を通して何が言 えるのかという 通るかどうかはせめぎあいの中で、お金との計算が ありますけど、ここなんかは議論さえなされないで のがさっぱり見えない。 まずそのシステムを作 った ほうがいいですね。 なにも、むやみに理事会に反対 すね。 するために作ろうというのではありません。現場で 困ったことが起こったときにそれが上に上がってい 面矢 今の方式は、理事直訴方式ですね。僕は二回直訴 人間文化・ 1 9 人間文化座談会 しているんですけど、 二回とも結果的には通らなか ったですね。理事への直訴は多いみたいで、電話を すると、すぐ時間の設定をしようということになっ で、その案は頓挫したんです。けれど、国際教育セ ンターを解体するという案だ、けが前に行ってしまっ てます。 どちらかと 言えば、今一番需要の高い英語 て、こちらがこの理事 にという希望を出し、話題に 教育をやるというのであれば、今の副理事長が来ら よってもう一人連れてきたりする 。そこでこちらで れた時分から、辞めていった先生の英語とか、学生 つく った資料を基にして説明して、ちょっと議論を して、しばらくすると、教授会のときなんかで分か に非常に人気の高い韓国語とか中国語の先生を増や したらいいのに、いまだにフランス語やドイツ語で りますよね、あっ通らなかったなとか、通ったかな す。 フランス語、 ドイツ語が悪いと 言いませんよ、 というのが。そういう感じですね。 現実 としては、どんどん減ってますからね。そうい う人たちを採っていない。長期展望がまったくない そのうちの 1つは、河さんたちがやっていたアジ アの他の大学と連携を取るという、交換留学の制度 の提案とそれから留学生寮のこと 。 よく聞いてくれ ましたけど、結局は今のところ何も動いていません。 と。そういう中で国際教育センターを潰すというの は、まさに数字合わせ、語巴合わせ的なものがあっ て、アイデイアというか理念が無い。今の改革すべ て、理念とかおいしい理想が用意されていない。 山根 生活文化の独立に関しては、十分表明して、実は 『 決意』の中には、生活文化学科 3学科独立という ことはここに書かれているんです。そういう方針で 行くということは書かれているんですけど、今もれ 伝わってきている話によると、どうも生活文化学科 解体の方向へとなっている 。それぞれ他のところと、 環境とデザインがつくとか、食と看護とがつくとか、 山根 再編とかくっつけるとか、洩れ伝わってきますけ れど、それが何のためなのか、というのがまったく わかりません。 菅谷 で人間関係はどうするんだとか、そういう話になり そうしたら何が核になってくるのか。英語教育を 沢山やると、英語の先生を 1 0人採ると、すると学生 つつある 。 どうもよく見えない。地域のほうは。 にとっては少人数になって、上がるのは当然ですわ。 菅谷 そういうのが果実ですよね。学校としてもいいと 。 品質保証、品質保証と 言 うてんと、そういうことま 地域文化と国際教育センターとの統合について議 論してますけども、国際教育センターを廃止しでも、 その人たちは全学の語学教育を担うので、それが 2 /3ぐらいのエネルギーになるんですよね、授業の コマ数でいくと 。そうすると地域文化学科におみえ になっても、地域文化学科の学生を教育しない。理 事の方からもれ聞こえてくる数字では、 1 0人以下の 学生しか取れないんですね。そうすると 。 2/3の エネルギーは全学の教育に、 1/3しか残っていな い。そうするとほとんど教育できない。1 0人以下で は学科も、コースもどちらも立てられない。そうい う問題があって、元々は、国際教育センターを廃止 したら、 一時京都大学工学部がノパに英語教育を全 部任せましたね、そういうことを考えていらっしゃ ったようで、ノパの関係者に漏れ聞くところによる と、県大学生数のスケールの大学では、うちの授業 料払えませんよと、ノパの先生の月給は僕らより高 いですから払えませんよと言っていた。それやった ら日本人の普通でやるほうがいいやろうということ 20 ・人間文化 で考えなあかん。 まさに品質保証て、一番目に見え やすいのが語学です。デザインで、ええデザインか、 悪いデザ、 インかは、感性の問題もあって、難しいと 思う 。語学だけは割合世界的なスタンダートが出来 てますのでね。それで英語の先生1 0人採るとか、理 事の数を減らして、とにかく非常勤をょうけ採って、 今の 5 0人教室を 1 0人の教師で、学生 5人にすると 。 そしてこの語学の授業については絶対欠席を許さな いというようなカリキュラムを逆にやったらね、品 質保証が出来ると思うんですけど。 山根 今非常勤のことをおっしゃいましたけど、これは たぶんどの学科でも感じられていることだと思いま すけども、削減をしてやるよりも、非常勤をたくさ ん採ったほうがコスト的に絶対に安くつくわけで す。私学なんかみんなそうしてます。それを何故敢 えて、非常勤をカットしてという方針が全然僕は分 からない。 人間文化座談会 菅谷 洩れ聞くところによると、もう 1人理事待遇の人 山根 陶芸の人とか。 を採るとこの前会議で報告してましたよね。私立大 学なんかは語学教育を重視してますが、ほとんど非 菅谷 常勤講師で、やっています。 コストが安いですから 。 陶芸とか、そういう発想がまったくない。 だから、どんどんやればやるほどいい。先ほどの語 工学部は教室制を残してますから、教室制は小講 学の問題も国立大学の大規模なところのことを、小 座ですから、教授が会議に出ても、助教授や助手で 規模でしょうと思うから出来ないわけです。理事な 賄えるけど、僕ところはそれはできない。それを非 んかこの大学規模なら 3人くらいでいいものを、理 常勤講師でやってもらっているわけで、、単純ではな 人採る、それから学長補佐 1人採る、また 1 事は 5 いと思うんです。 人採るみたいゃから、それで、1 0 0 0 万かかるわけでし ょう 。1 0 0 0 万あったら、語学の先生、非常勤で採っ たら、 2 0人は確実に増やせますね。それも大学院ク 山根 国際教育センターには、西洋語学が中心ですけど、 ラスの人じゃなくて、教授クラスの人を│呼べます。 中には西洋文化をやっておられる先生もいらっしゃ 2 0人増えたら、少人数教育がいっぺんに実現します。 るでしょうね。そういう分野を組み入れていくとい そう考えるべきだと私は思います。非常勤ばっかり う方向性、教育研究の枠組みとして、国際教育セン 採るというのは労働者としてはよくないという意見 ターを取り組むということはあまり地域文化では考 もありますが、それはそれで別の問題です。スケー えておられないのでしょうか。 ルの小さい学校は、全国の大学の待遇改善か改悪の 先頭を切る必要は決してないんで、僕に 言わしたら 。 後ろから走っていったらいいのでね。 菅谷 国際教育センターも元々教育なので、 言語学系の 地理でも普通図化の助手がいます。滋賀県に日本 先生が多いんですね。大きな大学で英語の先生1 0人 一うまいトレーサーの森図房がある 。森さんは京大 とか、フランス語が1 0人とかいてたら、文化史の人 にす、っと講師として行ってはりますね。そういう人 も集まってるでしょうが、ほとんどが音韻をやって を来てもらって図化をやる、非常勤講師でね。大事 おられたり、 言語学をやっておられたり、文法論を やと思いますよ 。安土先生がいなくなったら、日本 やっておられる 。その人たちがにわかに文化やと言 画とか油絵とかの先生がいないわけです。 これもま われでもかなんとおっしゃっている 。 た非常勤でも採るべきでね。 それと西川初代学部長がよくおっしゃっていたの が、何でここに東洋史がないのかと 山根 安土先生は大分お願いしてたんですが、まだ大丈 夫ですか? O それは東洋史 は京大に素晴らしいスタッフがたくさんおるし、 1 人や 2人おいても意味が無い。その方面は京大から 非常勤講師に来てもらうというので、当初は全部そ れで、賄っているわけです。だから、中国の考古学を 面矢 まだ大丈夫です。でも時間数は半分以下になりま やっている人は当時京大にいませんでしたから、君 した。 いる人ゃから、ここの大学はいいんやと 。確かにそ 官谷 フを集めている 。語学センターは語学の人を集めた はここに来たら近畿地方唯一の中国考古学をやって ういう 立地産業的なことを考えて、いろいろスタッ 全学としては名誉教授は非常勤講師にしないとい んでね、決して文化論を集めていないんですね。そ うのがありますよね。地域文化では、脇田先生も去 の点が問題ですね。それと西洋をやろうと思うと、 年で来てもらえなくなったんです。非常勤講師削減 西洋の文化史、歴史、 一応揃えないとあかんですよ の中で、例えば彫塑の人とか、鋳金の人とか、鋳造 ね。西洋と 言 っても、フランス語の先生 1人 、 ド イ とか、そういう非常勤講師がいたら、デザインも 。 ツ語の先生 1人では到底無理です。英語の先生は複 数いらっしゃるようですけど。 人間文化・ 2 1 人間文化座談会 山根 ということは Iつのコースとしては、成り立ちに くいと 。 山根 一応あるんですかフ 菅谷 官谷 A棟にあるんです。 成り立ち難いのと違いますかね。中国語の先生も 2人いらっしゃいますけど、 1人は人工言語論をや l人は音韻論をやってはる人や し、音韻論から文化というのは到底無理ですからね。 スケールの大きい学校ゃったらいけるけど。その辺 はトップダウンと 言いながら、 トップが理解してい ないトップダウンほど、危険なことは無い。 トップ ダウンというのはすべての情報データを一元化した 上で持って、 トップダウンをするからいいの で、情 報を持たずにトップダウンするからよくない。 ってはった人やし、 山根 ( 食生活の)田中先生が私立から来られたので、 私大におられた立場から、こういうことへのご意見 をいただけたらと思っていたんですが、残念ながら 今日はご欠席ですので、そういう情報でご存知のこ とがありましたらどなたかお願いします。 山根 本部にあったんですか。知らなかった。 細馬 人がいないんですよ 。だから通されたものの、何 をしたらいいかよくわからない。 山根 それでは講義の準備も出来ないですね。 菅谷 僕は集中講義に来られたら、そこへいつも朝ご挨 拶に行って、昼は雑談に行ってと、非常勤講師の人 を接待しに。 これだけ広かったら、例えば非常勤講 師の人は実験実習室で、お休みいただいて、そこへ 出勤簿を置〈とかね、事務に親切心が無いですね。 それから私立大学にしても国立大学にしても、事 菅谷 私立大学に非常勤講師に行ってますが、非常に待 務の人がほとんど大学だけ、文部科学省の中だけ勤 務してます。だから色んな大学を見ておられる 。突 遇がいいです。事務員さんがよく連絡に来てくれま 出したことが理事やらも出来ないんです。 ここの場 す。 ここの非常勤講師室は非常にプアーですよね。 合、事務系の場合、すべての人が原則 2、 3年で交 非常にかわいそうです。人もいないし。 代している 。一般的には二度 と県の職員としてこの 学校に戻ってこないでしょ 。だから、大学全部でこ 面矢 人がいない。私立大学ではだいたい若い女性が座 ういう方向だ、それは突出しすぎてるとか事務とし ても、今日もびっくりしたんですけど、今までは、 ってますよね。お世話する人が。 後期試験の日程の発表なんでかなり早くやってい 菅谷 言うて、すでに時間割が来ているのに、まだ発表し た。独法化してから、試験の 1週間前に発表すると 普通どこでもね。コピーしてくださいとか。 ていない。だから 3年生 .4年生の子たちは、就活 の日程が立たないと言うんですよね。それからまた 面矢 コーヒ一入れてくれたりする 。 山根 うちには非常勤講師室あるんですか? 4年生は卒業旅行、遊びに行くんですが、その日程 が立たないと 。 これはやっぱりヒューマンの観点が ないんで、す。決まっているんだ、ったら、 1月のはじ めに貼っといたらしまいやのに、月曜まで貼ったら あかんと言うんですよ 。そ ういう血の通わない行政 がこの独法化で増えてきていると思うんですね。私 菅谷 あるんですが、だんだん小さくなってきた。偉い 人の個室として 113取られましたよね。 22 ・人間文化 は消耗品で変な物を買います。釘 1 0 本とか、そんな 釘50円くらいで買うもの、許可とって、見積もり取 って、納品書も提出して誰が売ってくれますか。断 人間文化座談会 られてますよ 。業者から 。県大は嫌ですと 言 うてま すよ 。国立大学のほうがまだ楽なんですって。国立 のほうはそんなことしていないから 。だから、結局 自分の金を出して買いますよね。僕はまだ悪いこと 契約。民間の手法は随意契約なんです。閣が間違っ て入札しているから、間違いなんです。極端に言 う たらね。それをみんなは民間化やと 。民間化なら現 で務とす人が出てくるかもしれませんよ 。 この間も 金で買いに行かせてくれたらいいわけです。管理者 がき っちりしたらね。だから、民間化というのは別 にスローガンだけで、本当は官僚化の道を歩んでい 研究会のレジメの表紙として買おうとしたら断られ るわけです、この学校は。 と私は思いますね。 してないけど、将来的にあのときの洛とし前、出張 ました。赤い紙一締めといっても 300円くらいです。 そんなものに見積もりとって、納品とって、誰がそ んなことしてくれます。お金は振込みで 2月遅れで、 6 0日手形切られて、誰がします。 山根 事務方のスタッフは、もうちょっとここの大学に と守っしり腰をすえて、長くいるスタッフを増やして いく必要があるのでしょうね。 山根 最近は現物調達にして、アヤハデイオなどで買っ てきて、事務に持っていくということが出来ますが。 ただ、コンピューターシステムが導入されでもな 菅谷 提言には書いていますが、実際はお金のことから 考えると、このぐらいの学校で、プロパーの職員を かなか対応できない人も多いのかなという気がして どんだけ抱えられるかというと、今の人数は到底抱 ますが。 事務方の仕事がこっちにかかってきている 。 何人ゃったかな、県 えられないと思いますわ。今50 の職員 。県職と嘱託で約 100人おるんですわ、事務 菅谷 ゴム印を作ったのです。写真の裏に押す 。 1個 系は。 200円くらいなんです。 3個で 600円なんです。600 山根 そろそろ時間です。法人化後一年近くたった現状 に対するさまざまなご意見をいただきました。他学 部ではこういう企画はやっていないと思いますの で、今後の県大を議論していく上で、今回のいろい ろな意見が何 らかのインパク トになればと期待して います。今日は皆さんありがとうございました。 円で業者呼んで、業者は納品に必ず事務室に持って いかないといけない。もういりませんと 言われたん です。そんなものしたくないですと 。 と亭っかほかに 注文してください と言われた。それが積み重なった ら、悪いことする人が出てきますよ、将来。独法化 したら、民間のいい ところを取り入れると言うたら、 いつも言うんですが、固とか県はいつも入札せなあ かんでしょう 。民間会社の本社を建てるのに、入札 しているところなんでどこもありません。みな随意 人間文化・ 23 研究ノート タンザニア連合共和国、トングウェの人々とことば ーマハレ山塊国立公園における野生チンパンジー調査から- 藤本麻里子 人間文化学研究科生活文化学専攻 人間関係論研究部門 1 専士後期課程 はじめに ジーの餌付けが成功した。その後、日本人研究者に 東アフリカのタンザニア連合共和国、マハレ山塊 よる野生チンパンジーの調査が進み、 1 9 8 5年には、 国立公園 ( MahaleMoun ta i nsNati o na lPark)では、 この地がタンザニアで 1 1番目の国立公園に指定され 日本人研究者による野生チンパンジーの長期研究が て現在のマハレ 山塊 国立公園となった 。 さらに、 0 0 2) ( 図 1) 01 9 6 1年に京 行われてきた(西国ら 2 1 9 8 7年にはチンパンジーへの餌付けが完全に中止さ 都大学の今西錦司率いる「京都大学アフリカ類人猿 れ、チンパンジーにサト ウキビなどの餌を与えるこ 学術調査」の第一次調査隊がアフリカでの大型類人 となく自然状態で生活するチンパンジーが至近距離 猿の調査研究を開始し、 1 9 6 5年の第四次調査隊は、 で直接観察される ようにな った(図 3)。現在に至 伊谷純一郎指揮の下、マハレ 山塊 ( 図 2)でのチン るまでマハレは、野生チンパンジーの学術調査が継 パンジー調査に着手した(今西・梅棒 1 9 6 8 )01 9 6 5 続されている、世界でも有数の研究フィールドとな 年1 0月には西国利貞により、マハレで野生チンパン っている(西国 ・上原 ・川中 2 0 0 2) 。 マハレでの野生チンパンジー研究 を現地で支援し てきたのが、国立公園周辺に居住する トングウェの 人々である 。 1 9 7 3年、タンザニア政府の強制移住政 策により、 山の中で生活していた トングウェの人々 はタンガニイカ湖畔の村に移住させられた 。彼らの 本来の生活スタイ ルはこの政策により大きく変化し 9 7 7 :掛谷 1 9 8 6 ) 。西日はじめ、調査隊の た(伊谷 1 メンバ ーはこ の 山 を知り尽くす トングウェの人々 に、その後もチンパンジー調査に協力してもらい友 ∞ 好的な関係を継続させてきた。2 6 年現在、研究発 足時からの高齢化し たスタッフに加えて、その息子 たちが中堅スタッフ、または新米スタッフとして活 躍しはじめ、日本人研究者と トングウェの人々の関 係が世代を超えて維持されている 。 筆者 は2 0 0 5年 5月から 1年間この地に滞在し、日 本人研究者と トングウェの調査助手によるチンパン ジー研究プロジ、エクトの一員として活動する機会を 1 0帥m L ake Rukwa 図 1 マ八 レ山塊国立公園とその周辺の国立公園など マハレ山塊の主峰ンクングウ工山を タンガ二イ力湖より望む タンガニイカ湖をボートで移動中に 撮影 24 ・人 間 文 化 体が数センチから 3 0センチという至近距離から、他 個体の口元や手元などを 5秒以上視線を固定して見 ( N i s hi d a1 9 9 0よりの抜粋) 図2 得た。野生チンパンジ ーの「覗き込み行動(ある個 図3 チンパンジーの母子 2 0 0 5 年に推定4 4 歳で出産したオトナ メス、ワクシとそのアカンボウ 川 -~ ・1/.;.玖 図 4 チンパンジーの覗き込み行動 果実を食べる個体(中央)を左右か ら2個体が覗き込む タンザニア連合共和国、トングウ工族の人々とことばーマハレ山塊園立公園における野生チンパンジー調査かう つめる行動:図 4)J に着目し、彼らを追って終日 蛍光灯の明かりの下、浜辺から案内してくれたスタ マハレの森を歩き回る毎日を過ごした。その成果に ッフの笑顔を初めて見て安堵するとともに、覚えたば ついての報告は、膨大な量のデータの分析を踏まえ かりのスワヒリ言苦で「アサンテ! ( あ りがとう ) JI ナ た博士論文の執筆に譲るとして、本稿ではトングウ シ ュ ク ル 感 謝 し ま す) J と告げることができた。 ェの人々との交流から得た、フィールドワークなら ではの体験について綴りたい。 2 . トングウエの人々との日常会話 トマハレ到着 いるスワヒリ語と、彼らの部族語であるトングウェ トングウェの人々は 、タンザニア全土で話さ れて 2 0 0 5年 5月2 3日、私は憧れの地であるマハレ山塊 語を話す。スワヒリ語については、英語、日本語で 国立公園に初めて足を踏み入れた。当日の朝 4時に、 学習参考書が出版されており、タンザニア全土に加 タンザニア西部のタンガニイカ湖畔の街、キゴマを えて隣国のケニア、ウガンダなどでも 一部通用する 。 ボートで出発し、マハレに向かつて湖を南下した 。 そのため、日本人研究者の多くはフィールドに入る マハレから、調査助手のカブンベ・アスマニとモ シ・マトゥムラが研究チーム所有のボートでキゴ、マ 前からスワヒリ語を勉強し、彼らとのコミュニケー まで私を迎えに来てくれた。 ところが、この 2人以 発前からスワヒリ語の参考書で文法や簡単な挨拶な ションにもスワヒリ語を用いる 。そこで私も日本出 外にたくさんのタンザニア人が同乗している 。 しか どを勉強し、現地入りした。 しかし、机上の勉強が も彼らは多くの荷物を抱え、ボートの快適な場所を 一朝一夕でスム ーズなコミュニケーションに結びつ 占拠している 。一体どういう人々なのだろうと私は くはずもない。参考書を片手に単語を羅列するだけ 疑問に思ったが、カブンベとモシは気にすることも の、ぎこちない会話からのスタートとなった。 まず なくボー トを出発させた 。朝4時の出航から何度か は「おはよう JI ありがとう JI さようなら」な どの 挨拶から覚え、調査に必要なフレーズを覚えていっ ボートは接岸し、そのたびに私は「やっと着いたリ ここはまだ、マハレではないと言う 。 じゃあなぜ…と 帰ろう JI チンパンジーの声 た。例えば「行こう JI これは何?JI これは誰?Jなど、 はどこから?JI 思っていると同乗していた人々の一部が大きな荷物 調査に出発するとき、帰るとき、声を頼りにチンパ を頭に載せ、ボー トを降りていく 。彼らは、タンガ ンジ ーを捜すとき 、チンパンジ ーの顔を覚えるとき と喜び、 カブンベとモシの 2人を見ゃ った。しかし ニイカ湖畔の村々に住み、キゴマヘボートが出ると に多用される短いフレーズを覚えた。加えて、東西 聞きつけると、街でしか手に入らない物資を 仕入れ 南北や前後左右など方角の言い回しゃ、植物の部位 るために便乗してくる 一般市民だ、った。いくつかの に関する単語(花、葉、木、果実)などを覚えてい 村に接岸 しながらボートの乗客、積荷は減っていき、 った。 1ヶ月もすれば、調査に 必要な 言葉は頭に入 マハレに到着する頃にはカブンベとモシと私、そし り、チンパンジーを観察する上での不使は感じなく て我々の調査スタッフのリーダーであり、途中の村 なった。 しかし、彼らとの距離を縮めるのに役立つ から乗船してきたラシデイ・キトペニの 4人とキゴ マで購入した調査に必要な物品だけになった。 マハレに着いたのは夜 1 0時半頃だった 。朝4時に 8時間以上の航海とな った。疲労 出てから 、な んと 1 困懲してボートを降りると、浜辺には多くの人々が 「カリブ!J I カリブ、マハレ! ( ょうこそマ ハレへ) J と笑顔で出迎えてくれた 。そしてそこから日本人研 究者が常時生活するキャンプ、通称カンシアナ・キ ャンプ(図 5) まで月明かりとヘ ッ ドランプを頼り に歩いた。真っ暗なのでとても長時間歩いたような 気がしたが、やがて小さな灯りが見えてきた。その 灯りに照らされて、荷物を運び、キャンプまで案内 してくれた人々の顔がやっと見えた。暗い中では彼 らの顔どころか、輪郭もよくわからなかったのだ。 図 5 研究拠点の力ンシアナ・キャンプ 壁が白いことからホワイトハウスと呼ばれている建物 人間文化・ 2 5 タンザニア連合共和国、 トングウ工族の人々 とととば マハレ山塊国立公園における野生チンパンジー調査かうー たのは、調査以外の場面での会話だった。 を受けた。 森の中でチンパンジ ーが見つかるまでの問、また は調査を終えて帰る道すがら、彼らとさまざまな話 3.スワヒリ語のことわざ をした。その中でよく話題に上ったのが、宗教につ 毎日チンパンジーを探しに森へ行き、 一番にする いての話、恋愛談、動物の話などだった 。 ここで、 ことはチンパンジ ーの声を聞くという ことである 。 彼らの宗教について少し説明したい。我々の調査ス タッフの多くはイスラム教徒だ、った。タンザニア連 小高い丘や峠など、比較的声が開きやすい場所に行 合共和国公式ホームペ ージによると、タンザニアで それら声を聞くポイントに到着してすぐにチンパン き、チンパンジ ーが声を上げるのを待つ(図 6。 ) は、イスラム教とキリスト教がそれぞれ人口の 30% ジーの声が聞こえ追跡を開始することもあるが、 1 前後を占め、残りは伝統的宗教を信仰する人々から 時間、 2時間と待たなければならない日もある 。そ 成っている 。イスラム教を信仰する彼らとよく議論 のような時間に彼らとよく話をした。ある日何かの したのは、「神は存在するか?Jということだ‘った。 きっかけで日本のことわざを彼らに教える機会があ これについては、長年日本人と付き合っている彼ら った。それ以後、暇があると私は彼らにスワヒリ語 の口から「日本人は神を信じていない」 という言説 のことわざを教えてもらい、日本語のことわざを教 が聞かれたので、“神の存在を信じない日本人"の えてあげるということをするようになった。 一員として彼らの意見を開いてみることにした。神 スワヒリ語にも日本語の ようにいろんなことわざ の存在を力説する彼らに対して、「神が存在するな ら、なせ、マラ リアでたくさんの子どもたちが命を落 がある ( Wamit i la200 1) 。全く同じ意味のものも少 なくなく、ああ、こういう感覚は世界中どこに行っ としたり、戦争で人がたくさん殺されたりするのを ても同じなんだなあと実感することが多々あった 。 神様は止めないの?Jと質問してみた 。すると彼ら たとえば、全く同じことわざとして、「カエルの子 は答えに窮するばかりだ、ったが、「神がいるから去 苦では はカエル」 ということわざカfある 。スワヒリ 5 」 年私の息子はマラリアに催ったけとa助かったのだ。 「ヘビの子はヘビ」という 。 日本で、はヘビじゃなく、 と言 われた 。 また、「お前は自分がいつ死ぬか知っ カエルだと教えてあげると彼らも笑っていた。 しか 。 と答 ているか?Jと尋ねられたので「知らない 」 も、このことわざの意味を説明するのに私がとっさ えると、「神様はもう知っているのだ。お前が生ま れたときから、神様はお前がいつ死ぬかも知ってい に頭に浮かべた例と、彼らが口にした例が全く同じ だ、ったので、また笑ってしまった。その例というの るのだ。 」 などと 言 われた 。神が存在するか否かの 答えにはなっていないが、とにかく彼らにとっては が 、 「 今のアメ リカ大統領のブッシュは、お父さん も大統領だ、 ったが、お父さんは湾岸戦争を始め、息 そもそも神が存在するかどうかを議論すること自体 子はイラク戦争を始めた。ああいうブッシュ大統領 が、神に対する冒涜であると考えているような印象 親子のことをいうときに、ヘビの子はヘビと 言 うの だ。 」 と説明された 。 イラク戦争の影響によるガソ リン価格の高騰は、湖をボー トで移動するのが唯一 の街への交通手段となっているタンガニイカ湖畔の 人々や、我々研究チームにとって大きな影響を及ぼ している 。 4.ラマダン (断食)とチンパンジー調査 2 .でも述べたように、我々の調査助手のトング ウェの多くがイスラム教徒だ、った。村にはモスクが あり、イスラム教の祝日などは人々が集まってお祈 ) イスラム教にはラマダン りをするという(図 7。 と呼ばれる断食月があり、日中は飲食してはいけな 図6 森の中でチンパンジーの声を待つ 声が聞きやすいポイン 卜でのんびりチンパンジーが声 を上げるのを待つ 26 ・人間文化 い時期が 1年に 1度ある 。イスラム暦は太陰暦であ り、月の満ち欠け によ る塑望月を 1ヶ月と している o このため、 1年が365日で はなく 355日となり、毎年 タンザニア連合共和国、 トングウ工族の人々とことばーマハレ山塊国立公園における野生チンパンジー調査から 1 0日ずつ太陽暦とずれる 。 したがってラマダンの時 期も毎年 1 0日ほ どずれていく (渥美 1 9 9 9 )。私が滞 0月から 1 1月の間にラマダンの時 在した 1年間では 1 る、ただそ れだけなのだと 。 5.部 族 語 ト ン グ ウ ェ 語 と 公 用 語 ス ワ ヒ リ 語 期があった。 ラマダンの時期は日中、食べ物 はもち タンザニアのみならずアフリカ諸国では公用語、 ろん水一滴飲めない。 したがって、朝から夕方まで 部族語、 旧宗主国の言語など複数の言語を話す人々 チンパンジ ーを追跡 して山を歩き回る仕事は大変困 から成る多言語使用が一般的である ( 梶 2 0 0 5 )。 タ 難になる 。そこで、その時期に合わせて 1年に 1度 ンザニアでは公用語としてスワヒ リ語と英語、さら の有給休暇をとるスタッフもいる 。 しかし、全員に に各部族の部族語が話される 。小学校ではスワヒリ 休まれては我々の調査はできない。そこで、ラマダ 語教育が行われ、高等教育では英語教育が行われる 。 ンの時期でも普段通り一日中歩き回ってチンパンジ 私の調査助手を務めてくれた人々のほとんどは、ス ー調査を手伝ってくれるスタッフもいた。普段は水 ワヒリ 語と トングウェ語の二言語使用者だった。 し とお昼ご飯を持って調査に出かけ、適当な時 間に昼 かし、年齢によって トングウェ語とスワヒリ語の使 食を食べたり、汗をかいたら水分を補給したりしな 用頻度は異なっていた。長年調査助手として協力し がらのチンパンジー追跡が行われる 。私は、ラマダ てくれている高年層の人々は、 ンといってもこんなハ ー ドな仕事 をしながら水一滴 トングウェ語を好んで、用いる 。一方、彼らの息子た トングウェ同士では 飲まないなんて本当に可能なのだろうか?と半信半 0 代後半から 3 0代の中年層は、老人との会 ちのうち 2 疑だった 。 ところが、私の調査助手を毎日務めてく 話にはトングウェ語を、若者との会話にはスワヒ リ れたスタッフは、実際に水一滴飲まずに 山を登り、 0代 語を 、 という具合に使い分けていた。そして、 2 谷を下り、薮をかき分けてチンパンジ ーを追跡して 前半の若年層の中には、 くれた。 しかし、彼が水一滴飲まずに働いてくれて ないスワヒリ語の単一言語使用者が存在した。 トングウェ語を 全 く理解し いるのに、私一人水 を飲むのも悪く思われ、 何度か 私はもちろんスワヒ リ語で、精一杯だったが、スワ 私も断食してしまった日があった。 しかし、それで ヒリ 言 昔を { 史つである毛主度彼らとコミュニケ ー ション は調査に支障をきたす恐れがある 。そこでスタッフ がとれるようになり、調査に必要な会話以外の雑談 が見ていないときに水を飲むよう心がけた。しかし、 ができるようになると、 トングウェ語にも興味が出 彼らの意志の強さには驚かされた。 これが信仰の力 てきた。そこで、チンパンジ ーが見つからずに声を なのだろうか? 水を飲んだからといって、誰も見 待 っている聞や、休日に彼らのキャンプを訪問した てはいない。私がもしイスラム教徒だ、 ったら、この 際に、 ラマダンの時期に飲まず食わずの状態で調査を継続 ングウェ語については、日本人研究者により簡単な できるだろうか。私にその自信はない。 しかし、イ K a k e y ae ta . l1 9 7 6) 。 辞書 も編集されたことがある ( トングウェ語を少しずつ教えてもらった。 ト スラム教を強く信仰する彼らにと っては、それは辛 しかし、文法書などあるわけもなく、現地には過去 いことではないとも 言 う。そうすべきだからそうす 形、現在形、未来形、などを体系的に説明してくれ る人はいない。そこで、自分で「私はチンパンジ ー が好きです」という 一文をスワヒリ語で提示して、 それを彼らにトングウェ語で、言っ てもらった。 さら にその文をスワヒリ語で過去形、未来形、完了形に 直したり、 主語を 2人称、 3人称、複数形などに変 えたりして、それをトングウェ語にしてもらった 。 そういうことを繰り返して、だんだん基本的な文法 構造が見えてきた 。 しかし、発音がとても困難で、、 Cレコ ーダーが役に 立 調査のために持参していた I った。 まずは自分でスワヒ リ語の文を録音し、引き 続いて彼らにその文の トングウェ語を発音 してもら い、録音 した。それを 聞 きながら、 何度も発音の練 図7 力トゥンビ村のモスク前にて 中には長いすがい くつかあるだけの簡素芯モスク 習をした。 そうして徐々に トングウェ語を覚えていくと、 人間文化・ 27 タンザニア連合共和国、ト ンク ウ工族の人々と こと ばーマハ レ山塊国立公園における野生チンパンジー調査からー 我々の調査助手としてではなく、観光客をチンパン グウェ語の「ごめんなさい」 を教えてくれた。その ジーのいる場所へ案内するという別の仕事をしてい 他の人に確認できていないので、これが正しい情報 るトングウェの人々に向かつて使ってみた。彼らは かどうかはまだわからない。 このように、ある 言葉 日本人研究者とも、我々の調査助手とも顔なじみで、 についてはその知識がほとんど継承されておらず、 チンパンジ ーに関して情報交換も よ くする 。彼らは 老人たちにも使われなくなっている現状があった 。 日本人の私がトングウェ語を使うことに驚くと同時 他にもその単語の トングウェ語を尋ねても、スワヒ に、とても喜んでくれた。そして、新たな言葉を教 リ語と同じもの しか聞き出せなかった単語も数多 えてもらったり、逆に日本語を教えてくれと頼まれ い。 もともと トングウェ語にはないからスワヒリ語 たり、互いの言葉を教えあったりした。スタッフの を借用 しているのか、スワヒ リ語が流布した今日、 中には、私に向かつて突然日本語を使って驚かせて 伝統的な 言葉が忘れられつつあるのか、そこは定か くれる人もいて、毎日のチンパンジー調査に楽しみ ではない。 また、「若者の使う トングウェ語と、老 が一つ加わった。調査を終え、帰ろうとすると「あ 人が使うトングウェ諾は少し違っていて、老人は若 あ疲れた」などとトングウェの彼らに 言 われたり、 者の トングウェ語をパカにする 」 。 という話も聞か 別れ際に「さようなら 」 と言われたり、彼らと日本 れた。その証拠に 、あるいくつかの単語は、 2種類 人研究者との付 き合いの長さを実感させられた。 の言い回しがあり、これは若者用、これは老人用と 教えられた。スワヒリ語に比べて トングウェ語が若 6. トングウエ語の継承 者の問で使用さ れなくなりつつある、あるいは トン 私は調査中にスワヒリ語にトングウェ語を少し混 グウェ語がスワヒリ語、その他の近隣の部族語の影 吏ってみるなど、できるだけ トングウェ語を知 ぜ 、 てf 響で、本来とは形式が変化 しつつあるのかもしれな りたいと思いながら過ごした。 しかし、若者の中に い。少なくとも、 はトングウェ語を全く理解しない者がいたり、ある 者が存在することは事実である 。 単語の トングウェ語が誰に聞いてもわからなかった りと、 トングウェ語を全く理解しない若 生物学者が絶滅危倶種に対してする ように、消滅 トングウェ語という部族語の将来が危慎され の危機に瀕した 言語に対し、言語学者が警鐘を鳴ら る場面にも何度か出会った。私が覚えたてのトング している現状がある(宮岡・崎山 2 0 0 0) 。言語学者 ウェ語で、「寒いですね」 とか「おなかが空いたね」 ではないフィ ール ドワーカーが、弱小言語に接した と話しかけても、ある 20歳の若者は全く反応せず、 ときにできることは何かについて考えさせられた 1 最後には「わからない」 とスワヒ リ語で言われてし 年でもあった。 まった。同じ言葉を他の人に向かつて使ってみたと きは通じたので、発音が悪かったわけではないよう だった。一方、別の同じく 20歳の若者は、私にトン グウェ語を教えてくれるなど、 トングウェ語を親か 7 . トングウェとベンデ 私が調査地でお世話になった人々は、自らをトン グウェ、その部族語をトングウェ語と呼ぶ。 トング ら継承しているようだ、った。彼ら 2 0歳の若者の差が ウェはキゴマ 州のタンガニイカ湖畔の村 々に住み、 どこから生まれるのかは、よくわからなかった 。しか 主にイスラム教を信仰する人々である。一方、 トン し、日本人の私が少し聞きかじって覚えた簡単な 言 グウェの居住地の東側に隣接するルクワ 州、ムパン 葉にも、全くわからないとしか答えられない20 歳の ダ県には自らをベンデ、その部族語をベンデ語と呼 若者がいたことは、私にとって少しショックだった。 ぶ人々が居住している 。 このベンデ語を詳細に調査 また、「ごめんなさい」 はトングウェ語で何と言 している研究者によると、ベンデ語と トングウェ語 うの?とある日尋ねると、これまでいろんな トング は方言程度の違いしかなく、民族としての境界も暖 8歳の青年はわからない ウェ語を教えてくれていた 2 0 0 3 ) 。元来、 味であるという(阿部 2 という 。そこでもっと年配のスタッフに尋ねてみた ベンデが居住する 地域は、ベンデ・トングウェラン トングウェと が、誰に聞いてもわからない、忘れたという 。 これ ドと呼ばれており、ここに居住する人々はイスラム は、そもそもトングウェ語に「ごめんなさい」 とい 8 8 5 年 教か土着の精霊を信仰 していた。 ところが、 1 う表現がないのかもしれないなぁと思いかけた。 し にカトリックのミッションがタンガニイカ湖畔のカ かし、観光客をチンパンジーのところに案内すると レマ村 ( 図1)に拠点を置き、布教活動を始めた。 いう仕事をしている年配の トングウェの男性がトン ミッションは次第にトングウェ ・ベンデランドの東 28 ・人間文化 タンザニア連合共和国、トングウ工族の人々とことばーマ八レ山塊国立公園における野生チンパンジー調査から 部、ムパンダ県に居住する人々と友好関係を築き、 はない。 しかし、村の最長老であることは確かだ。 キリスト教を布教していった。阿部 ( 20 0 3) は 、 私は彼女の家を訪れ、スワヒリ語で話しかけてみた。 ト ングウェ・ベンデランドの西部に居住しイスラム教 しかし、彼女はほとんど反応を示さない。私を彼女 を信仰する人々と、東部に居住しキリスト教を信仰 の家に案内してくれた青年が、 トングウェ語で、彼女 する人々は互いを異なる民族であると意識するよう と言葉を交わした。何と 言っているのかと尋ねると になり、前者をトングウェ、後者をベンデと呼ぶよ 「お前たちは私を捕らえにきたのか?Jと言 ってい うになっていったと推測している 。 しかし、彼らの るとのこと 。 これには驚いて、私は日本から来た研 中には自分がトングウェなのかベンデなのか判断で 究者で、 きない人々が存在したり、この二つの民族がどのよ ねたのだと通訳してもらった 。彼女は小学校でスワ うに異なるかを説明できない人々がいたりするのが ヒリ語教育がなされる以前の、 トングウェのことを知りたくてあなたを訪 トングウェ語しか話 2 0 0 3、2 0 0 6 ) は詳細なベンデ 現状だという。阿部 ( さない単一言語使用者だ。その分、 語の記述研究から、ベンデ語にスワヒリ語もしくは も精通していて、 トングウェの人 々がマハ レ山塊か トングウェ語に 周辺の部族語から多くの借用語が流入していること を報告している 。筆者も、 トングウェを自称する らタンガニイカ湖畔に移住する前の、伝統的な生活 にも詳しいとのことだ、った。私はぜひ彼女に、若年 人々に対する聞き込みから、 トン グウェ語の単語を 層はもとより、中高年層にも忘れられつつある トン 尋ねてもスワヒ リ語と同じ単語しか聞き出せなかっ グウェ語について尋ねてみたいと思った。しかし、 たという体験をした。また、阿部 ( 2 0 0 3 ) によると、 このときはチンパンジー調査の合間に村に立ち寄っ トングウェ語とベンデ語は語尾や単語に多少の違い ただけで、詳しい話もせずに彼女の家を辞した。帰 があるものの、同 一言語の方言 との見方が妥当であ 国後、トングウェ語のことをあれこれ考えるうちに、 るという 。 しかしトングウェを 自称する人々に対す 若年層がどのように 二つの言語を使い分けているか る調査は不十分であり、今後彼らを対象に言語調査 を知ることと同様、 トングウェ語単一言語使用者の を行う必要があると思われる 。 人々に伝統的なトングウェ語の表現を教えてもらう ことが重要だと考えるようになった 。 ところが、 8 . 力トゥンビ村の長老 7 .で紹介したベンデについては、今日単一言語使 タンガニイカ湖畔にカトゥンピ村という、 主 にト 用者を発見す ることが困難であり、阿部 ( 2 0 03)が ングウェの人々が居住する村がある(図 8。 ) 我々 調査した村で、唯一ベンデ語の単一言 語使用者だっ の調査助手の多くもこの村に居を構えている 。 この 村で私は一人の老婆と出会った。周囲の人の話では 0 0 3年に亡くなられたという(阿部私信) 。 た老人も 2 私はカトゥンビ、村の長老に出会って話をできたこと 1 2 0歳だという(図 9)0 40 代以上の人々は自分の年 は、とても幸運だったと感じ、ぜひ彼女にトングウ 齢も正確に知らないので、 1 2 0という数字 に信想性 ェ語について教わりたいと願っている 。消滅の危機 図9 図B 力トゥンビ村の子供たち 村の子供たちはみんなカメラが大好き 力トゥンビ村の最長老 1 2 0 歳と噂される、トンクウ工語しか話さない最長老の 女性(左)と筆者(右) 人間文化・ 29 タンザニア連合共和国、トンクウエ族の人々とことばーマ八レ山塊国立公園における野生チンパンジー調査かうー に瀕した 言語を保持していく上で、危機言語を調査 ヤギ を殺し、皮を剥ぎ、 内臓を取り出し 、肉と骨を する 言詩学者の不足に加えて、その言語に精通した 分けるという作業が私の目の前で行われた。ヤギの 人々の高齢化が大きな問題となっている 。 カトゥン けたたましい鳴き声、断末魔の叫び声、ほとばしる ピ村の長老はトングウェ語を保持するためには欠か 血しぶき、皆がこれらをじっと見つめていた。私が せない人物である 。 0 歳 驚いたのは、これらの一連の作業を、 5歳から 1 また、私が彼女にもう 一度会いたいと願うにはも くらいの子どもたちが冷静に見守り、ときには手伝 う一つ理由がある 。私の調査助手だ、った青年と観光 0)。怖がったり、泣き叫 っていたことである(図 1 キャンプで働く青年が、ときどき トングウェ語を使 んだりする子は一人もいない。彼らにと って動物を う私にトングウェ名を与えようと相談してつけてく 殺し、その肉を食すことは自然な営みであり、何ら れた名前が、なんとこの老婆の名前だった 。 これは 抵抗を感じるものではない。 日本ではスーパーマー 後になってわかったことで、どうしてその名前が私 ケ ッ トでパック詰 めされ、 100グラムいくらで売ら に与えられたのかは不明である 。でも、その名前を れる肉しかお目にかかれない。その肉が牛や豚を殺 私はとても気に入って、現地で自分でもそう名乗っ して解体され、ここにパック詰めされているのだと、 ていた。次にタンザニアを訪問することがあればぜ 頭ではわか つてはいるが、それを実感することなど ひもう 一度彼女に会い、その名前の意味を尋ね、 ほとんどない。命というものについて、本で書かれ ト ングウェ語について教わりたいと考えている 。 た知識ではない、鮮明な体験がそこにはある 。ヤギ 9.太鼓と歌と踊りの饗宴、ンゴマ 村中か ら集まった人々にも振舞われる 。食事が終わ の料理が完成し、日が暮れるとみんなで食事をし、 タンザニアのみならず、東アフ リカ 一帯に共通す ると、太鼓のリズムに合わせ人々が軽くリズムをと る伝統文化としてンゴマと呼ばれるものがある 。 こ 0時半ごろから始ま ったンゴマは、 りはじめ る。午後 1 れは、太鼓を用いた歌と腕りによる饗宴である 。太 翌朝 6時まで延々 と続けられた ( 図1 1 )。私の帰国 鼓を 叩く 者 、 踊る者、歌う者が一体となって作り出 の途が、順調な旅路であるようにと、多くの人々が す非日常のひとときである 。私がマハレでの調査を 終えてキゴマに戻る前日、彼らに頼んで村でンコ事マ 節をつけて歌い、踊り、最高の思い出を作 ってくれ た。 この伝統的な饗宴、ンゴマも昔ほどは行われな を催してもらった。そのためには、まず日が暮れる くなったと聞いた。昔は結婚式には必ずとい ってい 前に参加者全員 の晩御飯を女性たちが準備する 。私 いほど、このンゴマが催された。 しかし、最近では は鶏やアヒルなどの肉はキャンプで何度か食べる機 これに替わってディスコと呼ばれる、ラジカセの音 会があったが、 村で飼育されているヤギについては 楽に合わせて踊る饗宴が人気だという 。時代の流れ まだ食べたことがなかった。そこで、 1 1 &のヤギを とはいえ、これからもンゴマの伝統は受け継いでい i 貸してもらい、ス ープや炭火焼などにしてもらった。 ってもらいたい と願うばかりである 。 図1 0 ヤギの解体を手伝う少年 図1 1 小さな少年は怖がることも芯くヤギの解体を手伝う 30 ・人間文化 ンゴマの様子 太鼓を叩く人々と見物する人々 タンザニア連合共和国、トングウ工族の人々とことば マハレ山塊国立公園における野生チンパンジー調査かう 参考文献 西田利貞・上原重男・川中健二 2 002 マハレのチ r 渥美堅持 1 9 9 9 イスラ ーム教を知る辞典 J東京堂 出版 ンパンジー〈パンスロポロジー〉の 3 7年 京都大 学学術出版会 阿部優子 2 003 ベンデ語における借用ー スワヒリ 語からの借用を中心に N i s h i d a,T 1 9 9 0 Thechimpanzeeso ft h eMahale 『文部科学省特定領域研 Mountains: Sexual andl i f eh i s t o r ys t r a t e g i e s . 環太平洋の「消滅の危機に瀕した言語」に関 Bende Vocabulary" 東京外国語大学アジア・ア fTokyo P r e s s . Ni shida T ( e d ),University o Tokyo,p p .3 36 5 宮岡伯人・崎山理編 2 0 0 2 消滅の危機に瀕した世 界の言語』 明石書庖 フリカ言語文化研究所 K . W. Wamitila 2001 "Kamusi ya Methali" 究 p .1 0 1 1 2 9 する緊急調査研究. 1p 阿部優子 2006 “BantuVocabulary S e r i e s1 3,A r 今 西 錦 司 ・ 梅 樟 忠 夫 1968 ア フ リ カ 社 会 の 研 究 r a i r o b i LonghornP u b l i s h e r s,N 京都大学アフリカ学術調査隊報告』西村書庖 r 伊谷純一郎 1 9 7 7 チンパンジーの原野 野生の理 謝辞 トングウ (A) 野生チンパンジーにおける新奇行動の展開と 論を求めて J平凡社 本研究は文部科学省科学研究費補助金基盤研究 掛谷誠 1 9 8 6 伝統的農耕民の生活構造 ェを中心として 『自然社会の人類学 カに生きる 』伊谷純一郎・田中次郎編 アフリ 文化的行動の発達過程1 . (課題番号:1 6 2 5 5 0 0 7 )の アカデミ 助成を受けて行われました。研究代表者の西田利貞 ア出版会 pp.2 1 7 2 4 8 先生(現日本モンキーセンタ一所長)および関係者 f Kakeya,M,Nishida. T 1976 A Glossary o Sitongwe. アフリカの多言語使用 梶茂樹 r の皆様に心より感謝致します。 また、元滋賀県立大 学人間文化学部教授の崎山理先生、東京外国語大学 特に東アフリカの S w a h i l i語圏の国語問題を中心に 『アジア・ア フリカにおける多 言語 状 況 と 生 活 文 化 の 動 態 』 (梶茂樹・石井淳編) 東京外国語大学アジア・ アフリカ 言語文化研究所 pp. l1 4 タンザニア連合共和国公式ホームページー アジア・アフリカ 言語文化研究所の阿部俊子氏に は 、 言語学の専 門家として有意義なご助言 をいただ きました。本稿をまとめるにあたり、滋賀県立大学 人間文化学部教授の竹下秀子先生には貴重なご助言 をいただきました。 ここに併せて感謝の意を表しま す。 h t t p・ // w w w . t a n z a n i a . g o . t z/ 人間文化・ 31 |滋l賀|県|の|権問|芋l~J │ 最執ρ成果 事課題 │ 時 J近 江国庁・国府調査研究の現状と課題 倒滋賀県文化財保護協会調査普及謀技術主任 平 井 美 典 はじめに 構らしき道路や河川が巡り、特に府郭南西隅を画す 律令時代における 地方行政 ・司法 ・軍事 ・祭杷等 とみられる高橋J 11は不自然で人為的な流路をとるこ の要である国庁は、律令体制の崩壊とともにその存 と、また国府南西隅 に建部大社、北西隅に若松神社、 在意義を失って衰退 ・消滅し、 忘れ去られてしまっ 北東隅に野上社、南東隅に山ノ神の小柄と府郭四隅 た。国庁と同様に国ごとに整備さ れた国分寺の遺土止 に神地が所在することに注目し、神領から大江にか が多くの国で知 られ、現在においても法灯を保ち続 けての台地上に方 8町 (註1)の国府域を想定した けている場合もあるのに比べると、国庁遺構の検出 のである 。 また、国庁の位置については、周防国府 例は非常に少ないといえ、長らく不明で、あったその の例からすれば国府北寄りの大江 より 1町南の方 2 姿が明らかとなってきたのはここ 4 0 年あまりのこと 町の地であるが、遺名や遺祉は発見さ れていないと である 。 9 3 5 )。 した ( 米倉 1 近江田庁は発掘調査によって国庁政庁遺構が確認 された最初の例 として著名であり、常に国庁お よび 国府のあり方の典型とされてきた。加 えて政庁の発 国庁遺構の発見後は、国府域と国庁の位置関係に ついて論及されていく 。 藤岡謙二郎氏は米倉氏の見解とほぼ同様に、方 8 見以降、近在する官街遺跡の調査事例が増加し、国 町の近江国府域を想定した。国庁は国府域の南辺寄 庁を核とした近江国府全体像のイメージが次第に豊 りの方 2町を占 地するとし、これは国府域が北 に低 かになりつつある。 くなる地形の制約からとした ( 藤岡 1 9 6 7・1 9 6 9) 。 本稿では、近江国庁および国府関連遺跡の研究史 木下良氏は米倉説に再検討を 加 え、国府域は方 8 および発見に至る経過、また現時点での調査成果を 町の四周に半町幅の地帯があり、実質的には方 9町 概観し、これからの調査 ・研究の課題について考え 9 6 6) 。 また 、国府の官街地域 であるとした(木下 1 てみたい。 を国庁域、従来の国府域を国府郭または府郭と呼び、 国府郭の外側に国府関連施設が分布する場合、その 1.文献に見える近江国府の所在地 近江国府の所在地については、文献史料をもとに 、 、 、 、 \ L \.\ ::U:\\\\\別総3守弘 ・ ー-,~ーず 早くからその位置が想定されていた。すなわち、 1 近江田斤跡 年頃)・『 拾介抄.J ( 1 2 9 4年以前) 『 和名抄. J (930-938 2 米倉二郎氏想定国府域 ともに 「国府在栗本郡」 と見え、 『 雅実公記』承保 ~ * 4 ~ 3 惣山遺跡 4 青江遺跡 元年(1074年)条に「勢田駅是国司館也」、また 5 中路遺跡 20年)条に「勢田宿所近江 『中右記』永久 2年(12 6 堂ノ上遺跡 国 司 館 也 Jとあることから、 『近 江 輿 地 志 略 』 • 7 瀬 田廃 寺 ( 17 3 4)・『 栗太志.J0821年)・『 近江栗太郡誌. 1( 1 9 2 4 年)・『 滋賀県史.J( 19 2 8 年)のいずれもが国府を瀬田 川左岸の地に比定している 。 2 . 歴史地理学による近江国府の位置比定 国府の形態については、国府を方形方格の計画都 市とする観点から歴史地理学的手法によって研究が スタ ー トした。 まず、 三坂圭治氏は周防国府につい て 、 「 国街土居八町」 の表現や、国街関連地名の分 布、また想定国府域の四隅付近に所在する社の存在 などから方八町域の国府域を比定したのである ( 三 坂1 9 3 3) 。 近江田府の具体的な位置について最初に論及した のも歴史地理学的研究であった。米倉二郎氏は、瀬 田付近を通過する近世以降の東海道が 4町前後で階 段状に屈曲すること、国府の外郭に堤防や周温の遺 32 ・人間文化 近江国府関連遺 跡 │ 滋│ 賀│ 県 │ の │ 考 │ 盲│ 学 │ ⑪│ 範囲を国府(関係) 地域と呼称した(木下 1 9 8 3 )。 近江国府の場合においても、国府に関連する瀬田廃 寺や堂ノ上遺跡が方 8町の国府域の外に所在するこ 9 8 8) 。 とを指摘している(木下 1 以上のように、国府研究は、まず歴史地理学によ るその位置と規模の追求から始まり、国府を都城の ミニチュア版としての方形方格の古代都市とみる立 場を基本としてきたのである 。 3 . 発見された近江田庁 1 9 6 0 年、国府推定地であった瀬田三大寺のE 陵で 公営住宅の建設工事が着手された。 この際、 2日間 の緊急調査が行われ、ブルドーザーに削られた街か ら 2棟の礎石建物跡が見つけられた。そのうち 1棟 は桁行 7閑 ( 21m)以上、梁間 4閥 O O. 2m) のも ので礎石は失われていたが基礎に根石と瓦片が突き 閉められており、周辺からは焼灰や槍皮の焼けたも 9 6 0)。位置は従来推定の国府 のが出土した ( 杉山 1 域南西隅の建部大社から高橋川を挟んだ向かいの地 点である(註 2)。調査担当者の杉山信三氏は、発 掘された建物が国府の舎屋である可能性を指摘し、 加えて「青江に残存する土塁や土壇の如きは国府庁 として 主要な建物の跡を示しているのかも知れな 9 6 1)。 これが近江国府関連 い」 と言及した ( 杉山 1 官街遺跡の最初の発掘調査であった。 9 6 3年には台地頂部の推 住宅造成工事 は継続し、 1 定国府域の中軸上において、雇用促進事業団による 炭鉱離職者のための団地建設が進められていた。 こ 上:近江国庁正殿前面の石敷と培溝 下-嬉溝(19 6 3 年度調査、滋賀県教育委員会提供) いての積極的な 資料を得るため第 2次発掘調査が実 施された ( 滋賀 県教委 1 977a)。調査では、南北に 併置 された正殿と後殿・南北に長くのびる東西脇 の工事中に多量の瓦類が出土し、遺構の存在が確認 殿・建物基壇をつなぐ廊・脇殿の南端に付設された 誌が確認された 。 礎石建物 ・築地とこれに伴う雨落 j されたため、急速、発掘調査(第 1次調査)が実施 正殿・後殿・)協殿・廊については基壇縁の検出に留 された 。その結果、「特異な構造をもっ南門跡、或 いは中門推定地より西へのびる築地垣跡、南北に走 ので、 8世紀中頃に創建され、 8世紀末から 9世紀 る築地垣、正庁かと思われる埼構と基壇を発見 J したとある 。 また、推定中門跡の北方西寄 りから 0 c mほど内側に瓦を積み直して修復が行わ 初頭頃に 2 れ 、 1 0世紀後葉 まで存続したとされる 。基壇の規模 「 幅 1 m、深さ 0.8m程の大きな掘立柱掘方が東西に 6ケ所(7間分との記載も見られる )、3.2mず、 つの 間隔で速な っている」ことなどが確認された。南門 められている 。基壇はすべて瓦積外装が施されたも 7 . 9 1m .南北 19.3m、後殿が東西 は正殿が東 西 2 27.91m'南北 1 6. 46m、脇殿が東西 9.2m・南北 4 8 . 5 m に復元 されている ( 註 3)。第 1次調査 で確認さ は中門の南方約 100mに位置し、瓦積基壇の 一部と 礎石の根石が検出された 。基壇の規模は東西 12m、 南北 9 mと推定され、 3間 x 2聞の門を想定してい れた埼組の構は正殿基壇南縁に伴う雨落構と考え られている 。 また、正殿の前面には敷石が残 ってい る。南門の左右に築地(翼廊とされている箇所もあ 、 北にのびる 2条、東脇殿の東側を南北にのびる 1条 東脇殿の南を東西にのびる 1条が検出されている 。 る)が取り付いていたとの記述も見られる ( 滋賀県 9 7 7a) 。工事によって基壇の一部は破壊され 教委 1 てしまったが、遺跡の南北中軸線は保存された。 翌1 9 6 4 年度には、遺跡の実態を把握し、保存につ 9 9 5b) 。築地は西脇殿の西側を南 たという ( 杉山 1 基壇建物を囲続する築地区画の規模は、東築地基底 西縁から西築地基底東縁までの東西脇が約 72m ( 2 4 0尺) をi W Jる。 これら左右対称形に配された建物 人間文化・ 33 │ 滋│ 劃県│ の│ 考│ 盲 │ 学 │ ⑪│ 近江国庁政庁 ( 19 6 4 年度調査) 群の中軸は、推定国府域の中軸に見事に合致したの である 。ただし政庁の南北位置については l町方格 の想定位置と整合しなかった。瓦は多種の軒瓦が出 土しているが、創建基壇建物の蓋を飾っていたのは、 後殿基壇と階段 6 4 年度調査、滋賀県教育委員会提供) 後殿基筆(19 軒瓦 ・鬼瓦ともに流麗な飛雲文瓦と考えられた ( 註 4。 ) 東西 2町の規模をもっ官街区が存在することにな 発掘調査で明らかにされた建物遺構の配置は、寺 院の伽藍とはまったく異なったものであった。調査 . 5m、深さ では、想定西宮街区の西南隅付近で幅 l を担当した水野正好氏は、「朝廷の各宮城の大極殿 │淀・朝堂院の構造、各宮域の内裏内郭の構造、ある いは遠朝廷ともいうべき大宰府なり多賀城内城の構 造、ひいては朝廷の諸官の官庁の構造が、この三大 寺遺跡のもつ構造に非常に近い関係にある 」 と考察 し、かつて米倉二郎氏が想定した国府域の南北中軸 線上に正殿 ・後殿・中門・南門が並び、この中軸線 を折り返す位置に東西脇殿が配置されることや、 「国」墨書土器 ・修理職造瓦による「修」字刻印瓦 の出土などを考え合わせて 、従来、瓦が出土するこ とや三大寺という地名から寺院跡、と推定されてきた 当遺跡を、近江田の 国街 (国庁)に比定した のであ る。 さらに、水野氏は「政庁区は、国街域の南半部中 央を占め、築地垣で東西 3分の 2町南北 1町を画し ている 。従って、その左右に 3分の 2町の幅員を持 ち、南北 1町をはかる官街区と、北側に南北 1町・ 3 4 ・人間文化 る」と近江田庁の区画構造を復元し、前年度の調査 1 .0mの構造構が断面観察されたこと、西官 f E I区の 区画内部にあたる雇用促進事業団住宅の西側中央棟 の位置から 5間 x 2聞の東西棟掘立柱建物や 2条の 東西溝が発見されたことを記している 。 このように 1963・1964 年度の発掘調査において は、わが国で最初に国庁遺構を検出するという画期 的な成果が挙げられた。そして以後、近江国府の調 査事例は、各国国府の調査・研究にあたってモデル ケースとして扱われることになった。 ここに、古代 の国府は方形方格の国府域の中軸上に国庁が位置 し、その中枢部の政庁は、宮殿や中央官庁また大宰 府・多賀城の政庁などと類似した左右対称形の堂宇 配置を有するという、すなわち都城のミニチュア版 としての国府像が確立され、通説的見解とな ったの である 。 これは一方で、国府形態の概念を固定化さ せる大いなる呪縛にな ったのであった。 │ 滋│岡県│ の│考│宙│学│⑪│ 4.1 9 7 0 年代以降の国庁関連発掘調査 近江国庁の周辺地では、 1 9 7 0年代以降、住宅の建 0世紀後半代までの遺物を多量に含む整地土 ほか、 1 9 7 6 ) 層が確認され、 『 扶桑略記』に見える天延 4年 ( て替え 等に伴う発掘調査が継続されてきた ( 滋賀県 の地震で国庁建物が倒壊した跡地を整地したものと 9 9 4・1 9 8 9ほか) 。 これらは小規 教委・滋賀県協会 1 考えられた。政庁廃絶後の遺構としては、講で囲ま 模な調査が多く、検出遺構の連続性や広がりの把握 2世紀の掘立柱建物 2棟がある 。 これらの建物 れた 1 が困難で、はあるが、国庁が立地する台地状には一帯 は政庁や政庁存続期の建物に比べて方位が東へ振る に国庁関連施設が広く分布し、また大規模な 基盤造 傾向が認められた。 また、国庁域の西限に想定され 成工事が行われていることが知られた 。 0 c mの南北 る政庁中軸から西へ 1町の地点からは幅 5 近江国庁跡は 1 9 7 3年に国史跡に指定され、この保 l 誌が検出されたが、築地遺構は検出されなか った。 存・整備・活用を図るための 資料を得るための発掘 1 9 7 7年度には政庁の北西部から鉄浮や炭・灰を 含 1 9 8 8・1 9 8 9年度には、政庁の東隣接地を対象に調 査が行われた ( 滋賀県教委 2004a)。その結果、政 庁の東に並列する築地塀で囲まれた区画(束事r s )が む奈良時代の土坑や鍛冶工房と想定される掘立柱建 検出された。東郭の規模は、東西が築地基底の外縁 調査が、 1 9 7 7年度から続けられてきた 。 物が見つかったほか、 1 1世紀後半代の土坑が検出さ 関 で 、 59. 4m ( 2 0 0尺)、南北は築地心々で約 101m、 0世紀末葉に廃絶した後も 、国街域内で れ、政庁が 1 0 3. 5mを測る 。政庁中軸から東築 基底外縁関で、約 1 はその政治的機能が果たされていた可能性が指摘さ 地基底東縁まで、 は約 108m ( 360尺・ 1町)である 。 9 7 8) 01 9 7 7・1 9 7 8年度に 実施さ れた ( 滋賀県教委 1 南築地の中央には掘立柱建物の 4脚門が付設され れた政庁東側の調査では、政庁の東側築地区画の一 rと政庁郭の聞は瓦礁が敷きつめられており、 る。束事s 端が見つかり、ここにおいても鍛冶関連遺構が確認 通路であ ったと考えられる 。東郭の東西中央の甫寄 された ( 丸山 1 9 9 0 )01 9 8 1年度には、東脇殿の南側 りから 、瓦葺大型堂宇の基壇痕跡が検出された。 こ から南北棟掘 立柱 建 物 が 検 出 さ れ て い る ( 丸山 れは木製の基壇外装を備えた特殊なもので、規模は 1 9 9 0 )。上記の調査においては、遺構保護の観点か 東西 23.91m、南北 1 3. 28mを測り、近江国庁におい ら、遺構の平面位置の把握および検出面での埋土の ては政庁堂宇 に次ぐ大型建物である 。基壇本体がす 観察を 主眼としており、掘り下げや断ち割りなどは べて削平されているため基壇上に建立 された堂宇の ほとんど行われなかった。 規模は不明で、あるが、基壇の規模から東西 7問 x南 1 9 9 6年度には、本格的な史跡環境整備事業の開始 北 4間の建物であ ったかと推定されている 。木製基 に向けて史跡近江国庁跡調査整備委員会が発足し、 m、幅 3 0 c mを基調 壇外装にはその痕跡から、 厚 さ 9c 遺構整備のために必要となる建物や築地等の構造や とした縦板が用いられたと 考 えられ、四隅には一辺 位置、また年代の詳細を把握するための発掘調査に 1 5 c mの角杭が打ち込まれている 。地覆材はみられな 着手された 。 また、調査の進捗に併行して史跡の環 かった。基壇の前面は広場的な空間となり、北背面 境整備工事 も進められてきている 。 と東側には掘立柱塀を伴う 。基壇北側の掘立柱塀に 1 9 9 6・1 9 9 7年度には、政庁北西部を対象として調 査が実施された(滋賀県教委 2002a)。その結果、 8世紀中頃に谷を埋め立てて大規模な整地が行われ ていることが確認され、その整地土上から建物や、 柵列などの遺構が検出された。国庁創建期に近い 8 世紀中頃 後半の建物が 3棟見つかり 、 うち 2棟は 南北に並ぶ桁行 5問(l5. 0m)、梁間 2閑 ( 6. 0m) の東西棟掘立柱建物で、西側J Iに南北柵列を伴ってい る。 8 世紀末 ~9 世紀前半に推測される遺構には、 5条の柵列がある。これらの柵列の内部からは該期 の建物遺構は検出されなかったが、瓦が相当量出土 していることから、本来存在した礎石建物が削平さ れた可 能性も推 測 された。 9 世紀後半~ 1O世紀後半 に比定される遺構には掘立柱建物が 2棟検出された 東郭木製外装基垣痕跡 (滋賀県教育委員会提供) 人間文化・ 35 │ 滋 │ 賀 │ 県 │ の│ 考 │ 盲 │ 学 │ ⑪│ Iは南北に二分される構造をもっと想定さ よって束事1 早くに水野氏が想定された政庁東側の官街区(東郭) れた。掘立柱塀から北側は、国庁が全蘭改修される の様相が明らかにされるという成果が得られた。 8世紀末 -9世紀初頭頃に 再整地されたと 考えら 2 0 0 0 2 0 0 2年度には政庁北側の調査が実施された (滋賀県教委2 0 0 2b.2 0 0 3a.2 0 0 3b)。 ここでは国 世紀にかけての撫立柱建物が造 れ 、 9世紀前半 -10 営されている 。築地や基壇建物は政庁と同様に 8世 紀中頃に創建され、 8世紀末 -9世紀初頭の改修を 庁存続期間中の遺構として、政庁中軸北延長上に位 0世紀末には廃絶したとみられる 。特徴的な遺 経て 1 世紀と推定される L字形溝、 9世 紀 中 頃 や 9-10 1 0世紀の廃棄土坑などが検出され、 8世紀末頃に谷 物として 9世紀初頭頃の「厨」墨書須恵探杯身が出 土している 。東郭の性格について、 9世紀前半まで は、木製外装基壇を含めた南半部を儀式・宴会が遂 置する 9世紀初頭の 5間 x 2聞の東西棟掘立柱建物 を大規模に埋め立てる造成工事を行っていることが 確認された。 また、国庁が廃絶した後の鎌倉時代の 行される儀礼空間に、北半部は厨のような儀礼に際 掘立柱建物や土師様皿埋納遺構が見つかっている 。 1 内を機能に応じ しての舞台裏的施設が配置され、事I て二分して使用されたと理解されている 。そして、 I の北側Jj地域は、 1 9 9 6・1 9 9 7年度調査の政庁北 政庁事1 西部に比べると遺構の分布は多くない状況であっ た。 9世紀後半には郭内 2分形態は崩壊し、基壇建物の 性格も変容したとされる 。築地や基壇建物の廃絶に 後出する 1 1世紀前半には、講に区画された桁行 45問、梁間 1問の細長い掘立柱建物群が1 0数棟営ま れている 。同時期とみられる小鍛冶炉が1 0数基見つ かっていることから、これらは小鍛冶に関連する工 房 と推察さ れている 。以上のように、当該調査では 2 0 0 3・2 0 0 4 年度には政庁の南側を中心に調査が実 施された (滋賀 県教委 2 0 0 4b .2 0 0 6) 。政庁東脇殿 の南から南北棟を 主体とする 8棟の掘立柱建物が検 出された。南門推定地の調査においては、東西約 5 m、南北約 3 mの範囲で敷石遺構が部分的に確認さ れたものの、大部分が撹乱を受けて破壊されていた。 環境整備が進む近江国庁跡(滋賀県教育委員会提供) 36 ・人間文化 @ I │ 滋 │ 賀 │ 県 │ の │ 考 │ 古 │ 学I 1 9 6 3年の調査で確認されたという瓦積基壇や門に取 り付く築地も遺存しなかった。検出された敷石には 結果、南北に約 300mにわたって 一直線に並ぶ 1 2 棟 の倉庫群が確認された。 これらの建物は、四周に雨 東西方向に階段状に並べられた部分があり、官道か ら国庁へ向かう通路遺構と考えられている 。中門推 落講を伴う、桁行 7間 (21m) x梁間 4問 (6m) 定地では、基壇の一部と思われる土層や、基壇縁辺 模なものである 。築地や溝といった倉庫群を囲む施 の瓦積が崩壊したと思われる痕跡などが確認され 設は検出されていない。飛雲文軒瓦をはじめ国庁と の南北棟総柱礎石建物で、古代の倉庫としては大規 た。また、政庁郭の北東コーナーの確認が行われた。 向型式の軒瓦が出土しており、出土遺物から 8世紀 これによると北築地から南築地までは心々距離で約 後半~1O世紀後半にかけて建物が存続していたと考 94mを測り、 1964度に検出された政庁郭西築地より えられている 。 なお、これらの建物群の性格につい も短い。政庁郭北築地が途中でクランクするような て、国衡に付属する高級織物の工房とする見解も出 造作があったのか、問題が残る 。 年度現在は、中門の位置と規模を確定 なお、 2006 されている ( 小笠原 2001)。 ( 4 ) 青江遺跡 するための調査が実施されている 。 5 . 近江田府関連遺跡の調査 次に近江国府関連遺跡の調査状況を概観してお く。 ( 1 ) 堂ノ上遺跡 国庁の 真 南 300~500m の正陵上に位置する遺跡 で 、 1986 年度以来、住宅建設に伴い発掘調査が実施 されている 。 1993年度の調査(滋賀県教委・滋賀県 協会 1995) では 2棟の掘立柱建物が検出され、 8世 紀後半 ~9 世紀の年代が考えられている 。 1999 ・ 2004・2005年度には、比較的広範囲が調査され、国 瀬田川を望む孤立丘陵上に位置し、 1973・1975年 府に関連する遺構が見つかっている 。 1 9 9 9年度調査 度に発掘調査が行われた(滋賀県教委 1975・1977 b)。築地で囲われた中に瓦葺礎石建物の正殿・後 殿が南北に並び、その東南に脇殿とみられる南北棟 では東に門を聞く築地区闘が検出された。区画は内 礎石建物が位置する 。礎石建物の廃絶後、掘立柱建 物に建て替えられている 。 なお、本遺構の「東に接 して所在する民家の位置でかつて瓦積基壇のコーナ 部をさらに柵で仕切り南東隅に雨落溝を伴う東西棟 建物が営まれている 。建物には 2回の建て替えがあ り、最初に 5間以上 x 2聞の掘立柱瓦葺建物が建て られ、次に 7間 x2間で北一面臓の掘立柱瓦葺建物 に建て替えられ、これが同位置で礎石式瓦葺建物に ーを検出している J( 滋賀県教委 1977a) とのこと 替 えられている 。 この築地区画の北東地点からも別 である 。 国庁と同箔の瓦を多く出 土 し、平瓦には の南北築地遺構が検出されており、ふたつの築地の 1年 :844年)の捺印をも 「承和十一年六月 J(承和 1 つものがある 。遺跡は平安時代中期まで存続したと 滋賀県埋 m の道路遺構で、ある可能性が指摘された ( 考えられており、勢多駅の可能性が考えられている 。 ( 2 ) 野畑遺跡 瀬田廃寺西方の丘陵上から瀬田川にかけて広がる 遺跡で、 1981~1983 年度に調査された(林・栗本 1983、滋賀県教委 1 9 9 4 )。国庁建物と方位を同じく する掘立柱建物や井戸、平安前期の瓦窯などが検出 聞が国庁から南へ向か つてのびる朱雀路的な幅員 24 註 5)0 2004・2005年 蔵文化財センター 2001) ・ ( 度には、 1999年度調査地から新幹線を隔てた南東側 部分の調査が行われた(大津市教育委員会 2006)。 ここからは桁行 9問 (27m) x梁間 2間 (6m) を 測る南北棟大型掘立柱建物をはじめとして 3棟の掘 立柱建物や、柵.i 誌 ・ 土塁状にのびる盛土遺構など が見つかっている 。出土した土器のなかに「天(ヵ) され、木簡・人形・土馬・斎串・木沓・「国分僧寺」 墨書須恵器・二彩陶器・漆塗り椀などの特徴的な遺 平勝口」と刻書された須恵器杯蓋があり、天平勝宝 物が出土している 。 当遺跡は 8 世紀第 2 四半期 ~9 年間 (749~757) には当遺跡が成立していたことが 世紀に国庁と関連する施設が営まれたと考えられて 窺える 。瓦は、国庁と同型式の軒瓦が出土している 。 7 6 1.7 6 2 ) の石山 おり、また、天平宝字 5 ・6年 ( 寺大増改築の拠点であった造東大寺司領勢多庄に想 定する意見もある(山田 1 9 8 3 )。 また輸の羽口が出土しており、小鍛冶炉跡とみられ る遺構も検出された。遺跡の性格としては、「国司 ( 3瀬山遺跡 国庁の南東約 500mに位置しており、 1996・1997 年度に調査された(大沼・平井・田中 1 9 9 9 )。その 舘の可能性も含めて、国庁と深い関わりを持った国 庁成立時期に近い時期から少なくとも 9世紀初め頃 まで営まれた官街群」と考えられている(大津市教 育委員会2 0 0 6 )。 人間文化・ 3' 7 │ 滋 │ 賀│ 剰の│考│盲│学I I E l I ( 5 ) 中路遺跡 国庁の南西約 400mに位置し、青江遺跡から高橋 付近の官道ルートの解釈は大きく変わった。すなわ ち、勢多橋を渡った古代官道は、勢多駅と推定され 9 9 1年度 川を隔てた北西の丘陵先端部に位置する 。 1 ている堂ノ上遺跡の官街建物群の南面をかすめ、さ に調査が行われ、東西に走る 2条の講が検出された らに中路遺跡を通過して固庁中軸まで東進し、ここ 9 9 3) 。当地は勢多橋から ( 滋賀県教委 ・滋賀県協会 1 から北上するルートが想定されたのである ( 足利 東へのびる 古代東山道の推定ルート上に当たり、講 1 9 9 0) 。 また、奈良時代当時の、山背から近江国府 に至 るまでの東山道ルートについては、論が分かれ ている 。 ひとつは、 『 続日本紀 j にみえる宇治田原 越えの 「田原道」を東山道と考え、当時の勢多橋は 北陸道と東山道を横につなぐ連絡路とする説 ( 足利 1 9 8 1)であり、もうひとつは、宇治・山科を経て逢 坂山を越えて勢多橋を渡るルートを考える立場であ 000) 。 なお、近年の関津遺跡の発掘調査 る ( 高橋 2 で「田原道」 と推定される道路遺構が発見された 。 この道路跡は幅員約 15mを測り、 8世紀中頃から 9 世紀中頃にかけて機能していたと考えられている 遺構は東山道の側溝である可能性がある 。構内から は 8-9世紀の瓦が多量に出土 している 。 ( 6 ) 瀬田廃寺 国庁の南西約 500m、野畑遺跡の東方の丘陵上に 9 5 9・2 0 0 0・2 0 0 4・2 0 0 6年度に 位置する寺院跡で、 1 発掘調査が実施された。 1 9 5 9年度調査 ( 滋賀県教委 1 9 6 1)では、塔と金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍 配置であることが確認された。金堂の西には僧坊が あり、この南に回廊が取り付くと復元されている 。 金堂 ・塔・僧坊ともに瓦積基壇を備える 。塔は心礎 と四隅に 5個の礎石のみを配する特異な構造で、礎 石は火災にかかり表面が剥離しているとされる 。軒 瓦には国庁と同箔品を多く 含む。当寺院跡の性格と しては近江国分寺である可能性が指摘された 。 2 0 0 0・2 0 0 4 年度には、金堂の北側J Iに講堂が存在する ことが確認された。2 0 0 6年度の調査(滋賀県埋蔵文 0 0 6b)では、塔の真南に位置する南 化財センター 2 門跡や、門に取り付く築地が検出された。門は東西 3問×南北 2間の八脚門と考えられ、中央の柱聞が 5.1m、両側の柱関 4.5mを測る巨大なものである 。 礎石は失われていたが掘立柱式から礎石式に改造し たと考えられている 。当調査地においては火災の痕 跡は確認されていないようである 。 ( 7 ) 唐橋遺跡 1987-1989年度の発掘調査 ( 滋賀県教委・滋賀県 協会 1 9 9 2)で、現在の瀬田唐橋の下流部の川底から 古代の勢多橋の橋脚遺構が発見された。橋脚遺構は 4時期のものが検出され、報告書によると第 1橋が 7世紀、第 2橋が 8世紀、第 3橋が 1 2-13世紀、第 4橋が 1 3世紀以降と考えられている 。奈良時代に比 0mに位置し、 定されている第 2橋は唐橋の下流約 7 瀬田川と直交方向に架橋されている 。 ( 自 ) 古代官道 勢多橋遺構が発見されるまでは、古代官道が現在 の瀬田唐橋の位置を通過してから 北東に進路を変え て、方 9町で推定されていた国府域の西辺中央から 推定国府域へ入札推定国府域の中軸を南大萱まで 北上すると推定されていた。瀬田唐橋の下流約 80m 地点から奈良時代勢多橋が確認されたことで、この 38 ・人間文化 0 &賀県埋蔵文化財センタ ー2006a。 ) 6.国府に都市はあったのかという疑問 周防国府や近江国府の調査・研究成果を受けて、 全国の国府について、方形・方格の国府域の所在と 規模の考究が一層盛んに展開されるようになる ( 藤 岡1 9 6 9・木下 1988など) 。 しかし、 1 970代以降に、 下野 ・伯香・肥前などで国庁政庁が発見されてくる につれて、従来の国府像に対する疑問点が浮かび上 がってきたのである 。 まず、方 8町の古代都市としての国府形態を最初 に想定された周防国府においては、その復元の根拠 とな った「土居八町」の景観は中位以降に形成され たもので、古代まで遡り得ないということが発掘調 査によって明らかになってきたのである 。下野国府 では国庁政庁から南へのびる朱雀路が見つかり、国 府の地割にのるとみられる遺構も検出されているも のの、 l町方格のすべてを画するような状況は認め られず、都城の場合とは異なって国庁関連官衡が分 散して配置されていることがわかってきた 。 また、 伯誉国府では発見された国庁の立地から、方格地割 の国府は想定し難いといえた。肥前国府においても 国庁の周辺に関連施設が散在し、政庁とは異なった 方位で営まれている建物群が存在するのであった。 このように、発掘調査によって判明してきた国府 のあり方は、方形方格の国府域をもち内部に 1町単 位の整然とした地割を施し、また国府中軸上に国庁 政庁を配置するという、都城のミニチュア版として の古代地方都市といえる形態のものではなかったこ │滋│岡県│の│考│盲│ 学│ ⑪│ とが考古学的立場から主張されたのである(山中・ ば、国府は市街不連続・機能結節型とでも表現し得 佐藤1 9 8 5 ) ・ (安部 1 9 8 9 ) ・ (山中 1 9 91 )。 る都市形態であろう J(金田 1 9 9 5・2 0 0 2) とした。 近江国府においても前述した国府関連遺跡の調査 このように古代国府は、長らくイメージされ続け の進捗とともに従来推定の方形方格国府域について てきた都城の縮小版としての方形方格国府域を備え の問題点が指摘されるようになった。 た画一的なものではなく、国庁と国府諸施設が道路 須崎雪博氏は、近江国府関連遺跡が国庁の南方に 集中して位置しており、方 8町ないし方 9町の推定 を介して連係する形態を基調とすると考えられるに 至 ったのである 。 1世紀以降の遺跡、が見つかっているこ 国府域からは 1 金田氏はかつて米倉氏によって示された近江国府 とから、国庁の南に国府関連の官街が所在し、これ 域想定の根拠に検証を加え、次のように評価した。 らを取り囲んだ地域を国府的な空間と捉え、「米倉 ①近世東海道が 4町ごとに屈曲していることは古代 以来、方八町の国府城が想定されてきた府域の概念 勢多橋の位置が判明したことにより、このような道 とは異なり、方形とはならない多賀城に類似した府 路形状が 8世紀まで遡り得ない可能性が大きい。② 域を想定」した。 また、「自然的あるいは社会的条 推定国府域の四隅付近の神社の立地については、そ 件の変化に伴い、国庁南側地区の官街群を廃棄し 、 の起源が 8 ・9世紀に直結するとは限らない。③推 現在確認されている国庁を中心としてその周辺に新 定国府城の 3辺が河川に限られ、特に高橋川が南西 たな国府の形成がなされたものとは考えられないだ 0 世紀 隅付近で不自然な流路をとることについても 1 ろうか」と指摘している(須崎 1 9 8 6) 。 以降における改変の可能性を検討すべきである 。 さ また、田中琢氏も方 8町の近江田府が存在する可 らに高橋川の屈曲は、直角に屈曲する近世東海道・ 能性について、「最近の考古学の調査は、その確認 東山道のルートや現在の瀬田唐橋の位置とともに、 どころか、むしろそれに否定的な結果をもたらしつ 織田信長による一連の整備工事の結果であると考え つあるようだ」と計画的古代都市としての国府の存 られる 。④推定国府域内部の方格地割は国府の都市 9 8 6 )。 在に否定的である(田中 1 計画に由来するものではなく、むしろ条理地割とみ 7 . 国府についての新たな都市構造論 府の景観を「瓦葺建物群がすべて台地上に立地して 0 0 2 )。そして、近江国 るべきである ( 金田 1995・2 1 9 9 0年代になると、それまでの調査・研究成果を 総合して新たな律令期国府像が提示された。 山中敏史氏は、国府は都城のように一定の領域を 市街地として画定されたものではなく、「政庁や散 いたことが大きな特徴である 。 ( …中略…)近江国 府は「東西中軸型」の「市街不連続・機能結節型」 とでも表現し得る都市プランを有していた 。 (.中 略…)平面上のこのような原理に加え、 E上に瓦茸 在する曹司・国司館などを包含する数キロの範囲に の施設群を配し、谷底に道路を、可能な限り直線で もおよぶような国府域が意識されていたケース」も 通すという、立体的ないしは地形利用上の原理の存 考えられるとし、「国司が囲内を支配していくうえ 在をも確認してよいように思われる 。 (…中略…) で不可欠とされた最小限の都城の要素一国庁・ 一部 丘上に瓦群を配置するという景観上の特徴は、特に の曹司・国司館・儀礼的空間としての主要道路な 視覚的には、強烈な偉容として見上げる人々を圧倒 ど が導入された程度であり、それらの諸施設の位 金田 2 0 0 2 ) と復元 するものであったと思われる J( 置や方位に規制が加えられたり、また曹司や国司館 したのである 。 と国庁を結ぶ街路が設定された状況であった」 とす る。 また、「あくまで中央集権的支配を維持してい 8 . 今後の課題 くために設けた政治機構の存在が、その非農村的要 1 9 3 5年の米倉二郎氏による国府の具体的位置の比 素を醸成・規定している点で、国府は政治的都市で 定を皮切りとして、 1 9 6 3・1 9 6 5年の国庁政庁の発見 あると性格づけることができょう J(山中 1991・ 1 9 9 4 ) としている 。 や、その後の国庁および国府関連諸施設の発掘調査 による考古学的成果の蓄積があった。時々の調査成 金田章裕氏は律令期の国府について、「国庁と道 果をもとに、考古学・歴史地理学などの研究分野は 路を核ないし軸として官街群が配置された機能的な 新たな見解を提示し続けてきた。そして、それらの 構造を基本とした機構であった」とし、「一般的都 知見によって復元された近江田庁・国府の姿も随分 市概念が市街連続型の都市に由来しているとすれ と変容を遂げてきたことがわかる 。国庁を核として 人間文化・ 39 │ 滋 │ 岡県│ の│ 考│ 盲 │ 学│ ⑪│ 国府関連施設が周辺の E陵上に配置され、その堂宇 立したと考えられている(山中 1 9 9 4 ) が、遺構が確 は瓦葺礎石式の堂々たるものであり、造営工事は 8 世紀中頃に一斉に着手されている 。その背景のひと 認されている近江国庁は 8世紀中頃の成立と考えら れ、それ以前の国庁の所在は明らかでない。丸山竜 7年 ( 7 4 5)に近 つには、時の最高権力者で、天平 1 7 0 8 ) 平氏は、近江国守の補任が初見する和銅元年 ( 江国守として 赴任する藤原仲麻日(恵美押勝)の関 に遡る国庁の推定地として、方格地割の分布が認め られる国庁北方の南大萱と瀬田唐橋東詰めの橋本か 与が推測されるのである 。 次に、調査・研究の課題となるいくつかの間題点 について記しておきたい。 ら野畑遺跡にかけての付近にその可能性を指摘し、 近江国庁では、政庁郭の東に隣接して東郭が並置 前者では白鳳期の瓦を出土する東光寺遺跡の存在、 後者においては名神高速道路瀬田西インターの工事 されることがわかっており、さらに政庁西側にも西 中に白鳳期以降の多量の遺物とともに l条の南北構 ¥ 1を並置し 郭が存在し、政庁を中心として東西に 3事 ている可能性が高い(滋賀県教委 1 9 7 7a .平井2 0 01 ) と考えられるが、西郭の規模やその内部の建物配置 状況などは、ほとんどわかっていない。近江国庁と 酷似するスタイルの政庁をもっ伊勢国庁では、政庁 9 8 3 ) 。白 が検出されたことに注目している 。 ( 丸山 1 鳳 奈良初期における近江国庁創設の有無自体が不 明ではあるが、いずれにせよ 8世紀前半以前の瀬田 周辺地域の様相については不明な部分が多く、その の西側に「西院」と称される区画が確認されている 解明は今後の調査に委ねられている 。 また、 下野国 庁・肥前国庁・陸奥国庁(多賀城)などでは 8世紀 が 、 3郭並置構造は他に類例を知らない。国庁政庁 前半期の国庁遺構が確認されており、近江において は儀式や饗宴の場としての性格が強いと考えられて いる(Il J 中1 9 9 4 )が、その具体的な使われ方を復元 し、また近江田庁 ・国府の特質を考える上で、西郭 の笑態解明は非常に重要である 。 1 9 6 3・1 9 6 4年度の調査報告では、国庁と周辺官衡 も既発見遺構を 一時期遡る国庁が存在する可能性は 否定できない。 もし存在するなら、これが現在知ら れている国庁の下層に眠っているのか、また他地に 所在するのかが問題となる 。政庁東側および北西側 を含めた国庁(国街)域について、東西は政庁を中 の調査所見では、下層遺構は確認されず、むしろそ の存在には否定的であった。ただし政庁建物の基壇 軸として 2町、南北は南門から北へ 3町までの範囲 下層は調査されていないし、中門の北方西寄りで確 9 7 7a)。近年の調査結果に とされた(滋賀県教委 1 認されたという掘立柱列が瓦積基壇政庁の前身であ 1 mへ広がることが よると、国庁関連施設はさらに西 1 確認されており、 2町 x 3町の区画に規制されるこ 9 7 7a)。幸 る可能性も説か れている (滋賀県教委 1 い、近江国庁 は史跡として残されているので、将来 9 6 0年調査地付近ま となく ( 註 6)、丘陵先端部の 1 でにかけて相当数の官街施設が占地すると推測され る。 これらの同庁周辺官衡の様相について、現状で 的に検証が可能である 。 0世紀後半 近江国庁をはじめ近江国府関連施設は 1 はごく部分的にしか判明していない。 また、ほかの国府関連遺跡の性格や機能について も、堂ノ上遺跡を勢多駅、野畑遺跡を造東大寺司領 勢多庄、青江遺跡を国司館の候補とする見解がある ものの確実で はない。瀬田廃寺は近江国府に関連す る寺院である ことは間違いないところで、 奈良期の 近江国分寺の候補である 。一方で・、聖武天皇が造立 した甲賀寺の後身を国分寺とする説もあり、決着を みていない。なお、国分尼寺の所在については、瀬 田 ・甲賀の両地域ともにまったく不明である 。地方 官街遺跡、の性格付けは困難な場合が多く 一朝一夕に 解決できる事柄ではないが、木簡や墨書土器などの 9 8 6 ) の地震で壊滅的な被 には衰退し、天延 4年 ( 害を蒙って廃絶したと考えられている 。 しかしこれ は律令体制期国府の廃絶であ って、国衡機構自体は さらに後まで性格を変えて存続するのだから、その 施設がどこかに存在するはずで、ある 。国庁東郭跡地 1世紀前半の小鍛治工房が営まれており、その には 1 規模からすると該期の国街附属工房の可能性が考え られる 。 また、国庁廃絶後の 1 1世紀以降に営 まれた 遺跡は、国庁よりも北方の、かつて推定された方形 方郭国府域の中に所在する傾向がある(須崎 1 9 8 6) ・ (註7)。金田章裕氏は、律令期における 方形方郭の国府域の存在は否定的状況であるが、周 防国府においては中世以降に東大寺の関与する国街 文字史料の増加などにも期待して今後に期したい。 次に、初期国庁の 問題がある 。国庁は 7世紀末 -8 領として「土居八町」の領域が認識されたとし、 世紀初頭と 8世紀前半 中頃の 2つの画期を経て成 さらに近世をも含め、後世からみた過去の国府ない 40 ・人間文化 r lO世紀から中世にかけての変質した国街機構や、 │ 滋│岡県│の│考│省│学問│ し国府域について、方形の範囲を想定することにか 摘もある 。 (田中久雄「近江田府関連調査最新情 かわる可能性がある」と指摘する(金田 1 9 9 5・2 0 0 2 )。 1 9 9 7 ) 8 瀬田川西岸の国分台地には、『日本紀略 Jにお いて弘仁 1 1年 ( 8 2 0 ) に近江国分寺に替えられた 近江国府について米倉氏の立論以来想定されていた 方 8町なり方 9町の国府の範囲についても、律令期 報 H滋賀文化財だより.1230 滋賀県協会 国府が衰退する 1 0 世紀以降に構想された可能性が残 享仁朝 とある国昌寺跡や、平安期国分尼寺およびi されているのである 。律令期の国庁や国府関連遺跡 保良宮の推定地である石山国分遺跡が所在する 。 が、近年の華々しい発掘調査成果にも相まって注目 また、瀬田丘陵から対岸の南郷丘陵にかけては古 を増しているのとは裏腹に、かつて注意された方形 代の製鉄・製陶遺跡や平安時代前期の南郷田中瓦 方郭推定国府域内の遺跡については、等閑に付され 窯といった生産遺跡が知られている 。 てしまった感がするのである。律令国家体制が衰退 した後の王朝国家体制下に再編された近江国衡の実 態究明も今後に残された大きな課題といえる 。 参考文献 おわりに 文化財保護協会は滋賀県協会と略す) (滋賀県教育委員会は滋賀県教委、 財団法人滋賀県 以上、現在までの調査・研究成果を羅列し、今後 に諜せられた課題について若干触れてみた。国府関 連遺跡のなかには、小文において割愛したものも多 r r 足 利 健 亮 1981 古代の交通 J 草津市史』第 l巻 草津市役所 r 足利健亮 1990 勢多橋と古代官道」 小笠原好彦編 『勢回唐橋l六輿出版 。 くあるがご寛恕いただきたい(註 8) r r 安部義平 1 9 8 9 遺跡からみた国府 J 国立歴史民俗 博物館研究報告J第2 0集 r 国立歴史民俗博物館 0 0 4b 史跡近江田庁跡附惣山遺跡・青 滋賀県教委 2 詰 l ただし、論文中の挿図には方 9町の国府域が示 江遺跡(近江国庁地区)の発掘調査『平成 1 5年度 滋賀県埋蔵文化財調査年報』滋賀県教委 されている 。 r 2 近江国庁が発見されるにいたった経緯は、杉山 9 9 5 a.b.c ) に詳しい。 信三氏の概報(杉山 1 0 0 6 近江国府跡関連遺跡発掘調 大津市教育委員会 2 3 近江田庁の建物配置と酷似する伊勢国庁の調査 大沼芳幸・平井美典・田中久雄 1 9 9 9 史跡近江国庁 結果から、近江田庁の正殿基壇の南北規模の復元 1 4 号 跡附惣山遺跡の調査と整備 J 日本歴史 J第6 値は正殿と東西廊の取り付きの関係からやや短い 9 9 6 )。 のではないかという意見がある(辻 1 4 飛雲文瓦の年代については、平安時代前期のも のとする意見もあるが、近年の国庁関連遺跡での 調査結果をもとに、これが 8世紀中頃 末頃にか 0 0 6 )。 けての所産で、あることを論じた(平井 2 5 このことは、正式報告書(大津市教育委員会 2 0 0 6 ) では触れられていない。 6 2町 x3町で想定された国庁域の北西隅部か ら、奈良時代から平安時代にかけてのものとされ る直角に屈曲する築地状遺構が確認され、国庁域 査報告書 E一重要遺跡・青江遺跡の確認調査J r 日本歴史学会 r 0 0 1 惣山遺跡の大型建物群とその性格 小笠原好彦2 一近江国衡に付属する官営工房 滋賀史学会 木下 r r r 社 r 歴史民俗博物館研究報告』第 6 3集 以北で律令期の遺跡があまり発見されていないの は 、 地下深く埋没しているためではないかとの指 r 金田章裕 1 995 国府の形態 と構造について J 国立 博物館 ら奈良時代の掘立柱建物が検出されており、国庁 r 良 1966 近江国府祉について J 人文地理』 に関わる施設と考えられている(滋賀県教委・滋 詳細が不明で、あるが、注意される遺構である 。 『滋賀史学会誌 J 1 8 - 3 人文地理学会 9 8 3 国府一総論J藤岡謙二郎編『講座 木下 良 1 考古地理学第 2巻 古 代 都 市 』 学 生 社 木 下 良1 9 8 8 国 府 そ の 変 遷 を 主 に し てJ教育 9 9 4 )。現時点では区画範囲や年代等の 賀県協会 1 7 一方、国府北方の管池遺跡では、地表下 2mか r 国立歴史民俗 0 0 2 ~古代景観史の研究』吉 川 弘文館 金田章裕 2 r r 滋賀県教委 1 9 6 1 瀬 田廃寺発掘調査報告 J 滋賀県 史蹟調査報告 j第 1 2 冊 r 9 7 5 大津市瀬田堂ノ上遺跡調査報告」 滋賀県教委 1 8年度滋賀県文化財調査年報』 『昭和 4 人間文化 ・ 41 │ 滋│ 岡県│ の│ 考│ 盲 │ 学1 ¥ ] ) 1 滋 賀 県 教 委1 9 7 7a r 滋賀県文化財調査報告書j 第 6 995a 1 近江国府発見物語(1) 杉 山 信三 1 しのかなた 冊 滋賀県教委1 9 7 7b 1 大津市瀬田堂ノ上遺跡調査報告 r IJ 昭和 5 0年度滋賀県文化財調査年報』 滋賀県教委1 9 7 8 史跡近江国街跡調査概要 j 法人古代学協会 杉 山 信三 1 9 9 5b 1 近江田府発見物語 (2) r r 法人古代学協会 杉 山信 三 1 9 9 5c 1 近 江 国 府 発 見 物 語 ( 3) ーすぎこ 『 平 成 4年度滋賀県埋蔵文化財調査年報 j r r しのかなた J 古 代 文 化』 第47巻 第 7号 財 団 滋賀県教委・滋賀県協会 1 9 8 9 近江国庁周辺遺跡調 法 人古 代 学 協 会 r r 滋 賀 県 教 委 ・滋賀県協会 1 9 9 2 唐 橋 遺 跡』 9 8 6 近江国府関連遺跡発掘調査報告書一 須 崎雪博 1 管 池 遺 跡-j 大津市教育委員会 9 9 313- 8地 点 ( 中路遺 滋 賀 県 教 委 ・滋 賀 県 協 会 1 跡) J r錦織・南滋賀遺跡発掘調査概要四→~'.近 江国庁周辺遺跡調査概要 史空間 』足利健亮先生追悼論文集編纂委員会 r J 平 成 5年度滋賀県埋蔵文化財調査年報』 跡) r 0 0 2a 史跡近江国庁跡附惣山遺跡・ 青 滋 賀 県 教 委2 I J 9 8 61 近 江 国 府 に 古 代 都 市 は あ っ た の か」 琢1 田中 『 新 修 大 津 市 史 J第 9巻 南 部 地 域 付 録 滋賀県教委・滋賀県協会 1 9 9 515一 7地 点 ( 青江遺 江遺跡調査整備事業報告書 r 高 橋美 久 二 2 0001 古 代 近 江 田 の 東 山 道J 地 図 と 歴 』 994 大 津 南 部 遺 跡 群 j 滋賀県教委・滋賀県協会 1 r すぎこ しのかなた一 J 古 代 文 化』 第4 7巻 第 6号 財 団 滋賀県教委1 9941 大 津 市 野 畑 遺 跡 第 2次調査報告」 査概要 Ij すぎこ Jr 古 代 文 化』 第 4 7巻 第 5号 財 団 公則 1 9 9 61 国府政庁の企画性 辻 r 近江田・伊勢国 に つ い て -J 鈴 鹿 市 埋 蔵 文 化 財 調 査 年 報 IJ鈴 鹿市教育委員会 滋 賀 県 教 委2 0 0 2b 1 史跡近江国庁跡附惣山遺跡・青 2年度滋賀 江遺跡(近江国庁地区) の調査『平成 1 林 博 通 ・ 栗 本 政 志1 9 8 31 近江国府関連官街跡の調 査 大津市瀬田!ぽ州遺跡の調査概要 Jr 古代文 化 』 第3 5巻 第 1号 県埋蔵文化財調査年報』 滋 賀 県 教 委2 0 0 3a 1 史跡近江匡l 庁跡附惣山遺跡・青 0011 近江国庁の政庁スタイルについて」 平 井美 典 2 4 年度 江遺跡 ( 近江国庁地区) の 発 掘 調 査 『 平成1 『近 江 の 歴 史 と 考 古』西 田 弘 先 生 米 寿 記 念 論 集 刊 滋賀県埋蔵文化財調査年報J 行会 滋賀県教委 2 0 0 3b 1 史跡近江国庁跡 附惣 山遺跡・青 庁 地 区) の発掘調査『平成 1 3年 度 江遺跡 ( 近江医l r 0061 近江国府創建期の瓦についてJ 淡 平 井 美 典2 海文化財論叢』 第 1輯 淡海文化財論叢刊行会 9 6 7r 都市と交通路の歴史地理学的研究 I 藤岡謙二郎1 滋賀県埋蔵文化財調査年報 j r 滋 賀 県 教 委2 004a 史跡近江田庁跡附惣山遺跡・青 江遺跡調査整備事業報告書 Ij 大明堂 9 6 9r 国府』吉 川 弘文館 藤 岡 謙二郎 1 滋 賀 県 教 委2 0 0 61 史跡近江国庁跡附惣山遺跡 ・青江 6年 度 滋 遺跡 ( 近江国庁地区) の 発 掘 調 査 『 平成1 賀県埋蔵文化財調査年報j 9 8 31 近江国街」藤岡謙二 郎編『講座考古 丸山竜平1 地理学第 2巻 古 代 都 市』 990 1 勢 田 橋 と 近 江 国 府 」 小 笠 原 好彦 編 丸山竜平1 滋賀県埋蔵文化財センタ ー2 0 0 11 近江同庁周辺遺跡 『 勢 田 唐 橋 j六 興 出 版 の調査大津市青江 ( あおえ )遺 跡 『 滋賀埋文 9 3 3r 周 防 国 府 の 研 究』積 文 館 三坂 圭 治 1 5 5 号 ニュース J第 2 9 8 31 瀬田 川 流 域 の 文 献 学 的 調 査 Jr 瀬田 山田昌功 1 滋賀県埋蔵文化財センター2 006a 1 古 代 「田原道 j 発見!? 大 津 市 r 関津 ( せ き の つ ) 遺 跡 J 滋賀 9 3 51 近江国府の位置に就いて Jr 考古学』 米 倉二郎 1 埋文ニュース j 第 31 8 号 0 0 6b 1 巨大な門跡を検 滋賀県埋蔵文化財センター 2 出 r 大 津 市 瀬 田 廃 寺 遺 跡 J 滋賀埋文ニュース 』 9号 第 31 r 杉 山 信三 1 9 6 01 三大 寺 山 建 築 祉 の 調 査 J 静 流 j第 9号 瀬 田 1 1 町文化協会 r 9 6 11 瀬 田 廃 寺 発 掘 調 査 報 告J 滋 賀 県 史 杉山信三 1 2 冊 績 調 査 報 告 J第 1 42 ・人間文化 ) 1 1 1 . 滋 賀 県 教 委 ・滋賀県協会 9 8 5r 古 代 の 役 所』 岩波書庖 山中敏史 ・佐 藤 興 治 1 滋賀県教委 第 6巻 第 8号 東 京 考 古 学 会 山中敏史1 9 9 1 1国 府 は 都 市 か Jr 争 点 日 本 の 歴 史』 第 3巻 古 代 編 E 新 人 物 往 来 社 994r 古代地方官街遺跡の研究』塙 書 房 山中敏史 1 生活デザインの現窃から 生活ヂザイン専攻 卒業研究発表展示会 人間文化学部生活文化学科生活デザイン専攻 南 今年度より、生活デザイン専攻では、卒業制作の 発表展示会を交流センターで行う運びとなった。 固 政宏 卒業制作や卒業論文を公開するという形式をとる ことで、学生の意識改革はもとより、研究活動を対 外的に紹介し、広報的な成果も期待してのものであ 今回の展示会に関するポスタ ー制作か ら、展示作 った。初めての試みではあったが、前年度と比較し 業、告知、プレゼンテ ーションでの進行にいた るま て、制作・論文のいずれに関しでも、かなりのレベ で、学生が主体的に計画・行動し、展示内容も他大 ルアップにつながったのは間違いないことと 言 え 学のものにひ けをとらないものとな ったことは、学 る。 生自身にとっても有意義であり、今後も続けていく しかしながら、制作を選択した学生と、論文を選 価値は十分あると思える完成 度の高い展示となっ 択した学生との問で差が大きい事や、分野をまたい た。 での審査、評価基準の難しさなど、今後検討すべき 課題も数多く残った。来年度からこのような教訓を 昨年度までの生活デザイン専攻の発表会は、視聴 活かし、さらによいものになるよう育てていきたい。 覚室でのパワーポイント、スライドによる発表のみ の最終審査であった。他学年はもとより、他学部か 今回の発表展示会の開催に伴い、新たに リビン グ らの聴講来場もほとんどない、閉鎖的な発表方法を デザイン賞 ( LD賞)も設立し優秀な作品を表彰す 採用していた。 この方法では具体的な制作物を後輩 るとともに、学生の意識高揚も図った。初めての試 たちが見れない事もあり、どういった事を卒業論 みに加え、専攻内で分野が 3つに分かれていること 文・卒業制作で行うのか、具体的な後輩への伝承が もあり、審査基準をどのようにするかなど危慎され ほとんとεなかったと言える。研究の実際のボリュー 13点を たが、最終的に制作賞 2点、論文賞 l点の言 - ムもわかりづらく、学生も発表に対する責任感の希 LD賞として選出した 。 薄さがあったように私は感じていた。 プレゼンテーションの機子 学生のプレゼンテーションを聞く先生方 人間文化・ 43 生活デザインの硯場か§ 固 ""携-怠-, .. ~~:;1十 J、 を< 1 1く f、こおを人 れる 尾関真理子さんの作品 鎮目麻衣さんの作品 LD賞に選出された 3点 尾関真理子さんの「穴を活かしたプロダクト制作 生というレベルを超えた結果となった。まさに地域 アフオーダンスデザインの実施一」で示された一 の大学である本大学の期待していた成果である 。 連の作品は、「穴」のもつアフォーダンスに着目し、 穴が誘発する 行為によ ってプロダク トデザインの可 ( 講評:印南比呂志) LD賞 ( 論文賞)に選ばれた角早出里さんの論文 能性を広げようと考えたものである 。穴があったら、 「庭による住宅地景観の形成に関する研究 指を入れてみたい。そこに棒があったら差し込んで の伝統的集落を事例としてー 」 は、住宅地景観を形 彦根 みたい。中がどうなっているのか覗いてみたい。そ 成する要素として住宅の庭と外構に着目し、彦根の んな、無意識下で、穴が自然に行為を誘発するとい 伝統的集落を対象として、その景観構成要素に関す う魅力に着服し、多くの事例を調査してきた。それ る分析考察をおこなった研究である 。 らもとに、穴に機能を持たせる事で生ま れるデザイ 現代の住宅地景観が統一性や調和を欠くことに問 ンを模索したものであった。巧みなアイデアにより、 題意識を持ち、歴史的蓄積の中で調和した景観が形 そこに自然と発生する行為とプロダクトの機能を巧 成されてきた伝統的集落における景観構成要素を明 みに結びつけたデザインと仕上がっていた。木目を らかにすることを目的としている 。 活かしたデザイン 言語により統一感のあるプロダク 研究では、彦根の農村集落、漁村集落、宿場町、 トに仕上がっており、クラフトとデザインの融合と 城下町から 20の集落や町を調査し、収集したデータ いう、同時代性も伴った完成度の高いものであった。 から各集落の景観要素マップを作製し、景観要素の 使う喜びを提供してくれるデザインとしてのおもし 類型、組合せのパターンなどの視点から分析考察し ろさも十分で、手で作れる 可能な範囲での素材の選 た。その結果、生垣や石垣、板塀(大和塀) などが 択、質感の追求、フォルムのバランスがとても優れ 基本的な景観構成要素となり、それらに 7つの主要 ている点が評価されたものである 。 (講評 :南政宏) な組合せパターンがあることを明らかに した。また、 鎮目麻衣さんは、昨年初めに既に彦根の地域産業 彦根の集落の庭と住宅地景観を特徴づけている前栽 である縫製業を営む企業 との 産学連携を画策して、 の重要性を指摘し、生垣と前栽の配置と囲い込み形 P ) のプロジェク 本大学が進める近江楽座 ( 現代 G 式に 9 つのパターンがあることを明らかにし、それ トへの採択を目指していた。採択後、その活動資金 らが明治以降形成されたものであると結論づけてい をベースに大学 4年間の集大成として、プロジ‘ェク る。同時に伝統的集落にもブロック塀などの新たな トを 卒業研究へと導いていったのである 。彼女は 1 要素が見られ従来の景観が失われつつあることも指 摘している 。 回生の時から日本中の地場産業、伝統産業の地域を まわり、様々な活動に参加することで、今回の研究 景観法が制定され市街地の景観整備に対する機運が テーマを早くから発見していた。彼女はこの研究を 高まる中、彦根や周辺地域の住宅地の景観計画を考え ただの提案で終わらせたくなかった。企業との関係 る上で基礎的な知見を提供しうる本研究には大きな意 なかでは、商品開発を手がけるデザイナーの立場を 義があるといえる 。また、伝統的集落に関して、民家 しっかりと守っていた。そして、デザインという職 の空間構成や住居配置といった視点からの研究の蓄積 業がものづくりのプ ロセスで様々な専門家、技術者 はこれまでもあったが、景観要素としての庭に着目し、 を尊重しながらの協働という難しさを経験しなが も、その中でイニシアチブをとってしっかりとした その構成を分析した研究はこれまであまり例がなく、 その意味で新たな視点を開いた研究として評価した 自身のアイデアを現実にした。企業のブランド、広 報、流通、販促にむけたツール、そして製品に至る 要素に関する膨大な データを収集した労作であり、 まで、商品開発のプロセスを横断する研究成果は学 卒業研究として高く評価できる 。(講評:山根周) 44 ・人間文化 い。 なにより地道な調査の継続によって、景観構成 人・閏・文・化・通・信 . 2 0 0 6 年度事業論文・修士論文・博士論文一覧 , . . “ . . . . . . ."岡崎、寸 地域文化学科 山本友美 美がもたらす豊かな人生 赤井琢磨 恐怖に関する考察 有岡佑起 北川宏人作品をとおして見る、私 岩田万季 舞台と映画 身体と衣服 の感性 中川重樹 琵琶湖湖底追跡の研究 長浜市下坂浜千軒遺跡について 安田実加 戦いの考古学 弥生時代における近江の諸相 テ レビ 報道がつくる近隣諸国の 木屋はづき 笑いの作り方 網谷真由美 杉江彩耳目 「反日イメージ」と世論への影響 出口今日子 妖 怪 考 化 ける動物たち 青少年と犯罪純粋無垢の犯罪 「外交問題」化した「歴史教科書 問題」 林 翠川 地域と宗高教 は 埴 に 谷 や雄 ゆ 『 死 L霊 い れJ試論 原 智幸 島村あや 石山美沙子 朝鮮美術における虎 中国南北朝時代の石窟芸術 上回 優亮 コムデギャルソン についての考察 怜史 優 下ネタと距離 森野雅章 一死者と「亡霊宇宙」について 神楽の保存と伝承の在り方に関す る研究 一郡上八幡を例にしてー 山本五六 語源から辿る自然への意識 一天人図像を中心 としてー 田中萌子 縄文時代の漆塗櫛について 中居和志 近江における古墳出現前後の地域 魚野朱佳 村上美友紀 動向 楚の地域差を中心 としてー 四神像の源流 高松塚古墳・キ ことばのほつれ ツハヒラコ 新潟県中越地方における牛の角突 き行事とその変容 トラ古墳の源流を求めて 小津美緒 都市祝祭の変容と地域社会 小俣磨知 浜松まつりを事例として 琵琶湖の湖魚をめぐる伝統とその 安藤奈緒美 石塚由布子 日本古代の「老い」 古代 日本食文化 に関する 一考察 大工美幸 Jポップに見るジェンダー観 讃岐国の貢進物を事例 にして 大本香奈美 変容 ー ス ローフード運動の観点 一椎名林檎論一 小林まみ 琵琶玄象に関する 一試論 一能楽の背景を中心としてー 田口 高橋実穂 六条御息所からみる斎宮 本田武嗣 六条御息所の描かれ方 近世後期における彦根藩の教育政 藩による庶民教化と寺子屋 の関係を中心 に一 愛荘町岩倉を事例として 悠紀 新川敬子 策 山中畳世 近世風刺画 における庶民感情 一幕末の政治と江戸庶民一 杉浦周子 中世の民衆生活 一近江国奥嶋の歴史的景観と生業 中世 被 差 別 民 に 関 す る 一 考 察 高倉佐保里 から考える 滋賀県湖東地域における宗教と儀礼 本多智恵子 青木悠璃佳 “京都らしさ"を考える その“イメージ"形成に横たわ るもの 地域と地域のつながり 国見峠を行き交った文化交 流 生前戒名にみられる人々の宗教観 滋賀県東近江市能登川町に おける 間取り絵図の研究 間取り絵図から見る明治期の生 業と集落景観一 ;翠井美紀 楼閣建築「兵四楼」の保存 と活用 に関する研究 内木 摩湖 高島市新旭町針江における「かば た」に関する研究 江戸時代の計画的農村集落に関す 西本智也 一自然居士のゆくえー 近江の木地師 一 近世初期の 『大 岩助左衛門日記 j を中心に一 戦国期のキリ ス ト教 伊藤正紀 牛島優子 三つの地区を 比較 し て 映像のもつメッセ ージ いま、この国で大人になるということ 平野重矢子 る一考察 湖岸の集落・海津にお ける空間構 成の研究 小杉亮太 人と 「 農j 菜園から豊かさを考えるー 北僚 由 前川愛子 彦根城・長曽根口御門の復元 と活用 湖北古民家の活用に関する考察 二矢さゆり 心で生きる 一余呉の地域実践の 中でー 森田 1 怒 長浜市高畑町 を事例 として 旧彦根城下町足軽組屋敷の空間構 中嶋康公 西田 歩 人間文化・ 4 5 人・閏・文・化・通・信 成に関する考察 山本徳子 一彦根と青島の公共施設内 トイレ 余呉型民家の空間構成 と保存・活 用に関する研究 比較から 岡本E由美 余呉町国安にある片岡家の保 近世期近江国 における商家奉公と レッ トの制作 尾関真理子 穴を活かしたプロダク ト制作 海田高歳 飲食庖の内部空間に関する研究 影林=枝子 変遷 住宅情報誌から見る建売住宅の変 寺子屋教育 中西由美子 渥美半島における園芸作物産地の 開け るのがわくわくする ような パンフ 存 ・活用に向けてー 寺津尚子 映画パンフレ ッ トの可能性 アフオ ーダンスデザインの実施 維持 -r 商店建築』における内装材の 野田育子 彦根地区在住中国人の労働意識に 越智 地域共同墓地に見られ る戦没者墓 遷に関する研究 碑について -1 9 9 0・ 1 9 9 5・ 2 0 0 0・ 2 0 0 6年の大阪府 における住宅情報を事例として 関する 一考察 環 土井美樹 「 八 日市大凧まつり 」における祭 井上千春 介護労働者の感情労働とその困難 る研究 上田美貴 地域活性化の語りとサ ッカ ークラ 一彦根の伝統的集落を事例 としてー 槌谷彩佳 戦時下尼崎における庶民の食生活 中村敦子 賞みどり りの変容と再創造 ブチ ーム 角早百里 河合 進 戦後日本におけるジャズイメー ジ 川口 E耶 の受容と変容 田んぼのオーナー制をめ ぐる農家 河田 歴史映画における衣装の時代性 ファッションと音楽の関係を探る 木下正之 ホ ップの 考 察 大量出力される書籍のエデ ィ ト リ ブラックミュージック ・ヒップ 活動とその困難 水谷成希 バ リアフリ ーを組み込んだ観光ま 『オペラ座の怪人Jの衣装 デザ イン ' 1 金口 コ t 一東近江市読合堂町を 事例に 京都・ 上七軒にお けるま ちづくり 彦根みやげ品パッケ ージ・デザイ ンの提案 の意識 藤原明日香 庭に よる 住宅地景観の形成に関す アルデザイン 久保怜子 ちづくり戦略 服飾デザインにおける浜ちりめん の適応性 岐阜県高山市を事例として ブ ラックフォ ーマル ウエアのデ 近藤知子 生 活 文 化 学 科一 生活デザイ ン専攻 ザイン カチオン化剤による前処理が染着 性に与える影響 ー アニオ ン性染料に よる染色一 石本光司 接触型デヴ アイ スを用いた感性情 酒井雄大 報伝達のためのコンセプトモデル 牧之政朝子 京都における 町並み保全型地区防 今井静香 坂谷美沙子 アートな衣服の制作 井戸と緑地の観点か ら 奈良発信の場としてのだんご庄の 佐藤友香 一絵画から発想を得て 花弁のアントシアニンによる染着 庖舗の提案 四ケ浦春香 性の研究ーポピーによる染色 滋賀の素材をデザイ ンする 子 埼 出の提案 ンヨン 明治の統治機構の建築 鎮目麻衣 彦根縫製業活性化の為のブラ ン ド デザイン 統治システムの具現化 青島ビ ールのブランド戦略につい 鈴木梨絵 若者向け帽子市場の現在 中津 滋賀県立大学サインデザインリニ 崇 ての研究 内田真理子 i 司 欣超 肌ざわりのある造本の研究 日中の家庭にお ける食器の比較調査 王 中国の公共施設内トイレの現状 圭 イ 46 ・人間文化 金沢 ・ひがし茶屋街におけるスト リートフ ァニチユア による 空間演 近江の麻を 用いた新し いフアツ 岩田絵美 本棚をツ ールとしたライフスタイル提案一 災計画に関する 研究 一ノ坪香織 成長する本棚の制作 ユーアル計画 中西雄也 中谷有希 生活空間に合わせた机の制作 伊勢市のまち づく りにおける広報 ツールの提案 人・間・文・化・通・信 長橋春菜 道の駅の施設整備とデザインに関 する研究 小板中コレステロ ール に つ い て 寺井聡子 東京地区における学校給食の食品 友野め ぐみ 増粘多糖類 (カラギーナ ン) を用 中川夏美 膜下障害食の研 究 一 岐阜県の道の駅を 事例として 西 秀幸 市場から見るメンズアクセサリー 花嶋 美穂 刺繍の魅力と可能性を採る いた膜下障害食について フォ ーマルドレスへの応用 早崎実花 知育玩具の現在 原映理子 メダリオンと靴作り 肥川道子 消費構造の特徴 ゼ ラチンゼ リー に対するカラギ ーナンの影響 駅にサ ー ドプレイスを作る 中国有紀子 血中脂質異常と 血小板機能尤進に 服部加菜子 高校生 ・女子大生における喫茶習 一 京都 ・伏 見 桃山の駅再考一 福岡奈穂 西洋 ロコ コ時代の衣装再現 及ぼす食事の影響 一天然染料による赤色染料の検討 からー 前 美里 俗の実態 ; 賀野 珠 美 ヘスペレチン誘導体摂取が身体に 東本真紀子 動脈硬化性疾患の予防について 風呂敷から 学 んだ新しいかばんの 製作 平 面 か ら 立 体 へ 変化 さ 及ぼす影響 せ、愛着をもてるデザイン 山越美香 デザイン・制作 大和希実子 血小板凝集能 とメタボ リツクシ 陶磁器に よるスタ ッキング食器の 一 製 造工程 の 観 藤田実奈子 大学生の生活とメンタルヘルスに 点から 関する研究 コンテナによるアパレル商業空間 慣・食習慣との関連についてー の設計 八森絵理 ンド ロー ム の 関 連 性 古川愛 日本における 美容室の成 立 と展 開 野草のメタノ ール抽 出物に含まれ る抗菌活性成分 星名沙紀 に関する考察 一 運動習慣 ・生活習 カテキン類の酸化 能および抗酸化 能に対する pHの影響 ,軸同 松井亜紀 生活文化学科L 食生活専攻 重症心 身障害児 ・者の骨密度の実 態および骨密度に影響を 与 える栄 養要因の検討 穴漂里奈 コーヒ ー酸とメチルメルカプタン 松谷秀美 母乳中栄養成分に及ぼす因子の検討 の反応機序 宮森沙耶香 野草抽出物に含まれる消臭活性成分 八月朔日仁美 乳酸菌に対する野草 の抗菌力測定 山内麻衣子 乳児におけるビタミン必要量 の精 伊藤真理子 食物繊維摂取が血中脂質に与える 井上多希子 母乳のにおい 清水篤史 大西真美 d岡 崎 、 児童の生活態度が貧血 に及ぼす影 生活文化学科十 人間関係専攻 響について 加納沙苗 ビタミン Bl の 適 正 尿 中 排 池量 に 関する研究 母親の食事 およ び乳児 の反応との関連 ヘスペレチン誘導体摂取が身体に 及ぼす影響 大学生の運動とメンタルヘルスと の関連 笛吹香里 度 の向上に関する研究 山下由里子 影響に対しての検討 " 排 池量 におよぼ 尿中ビタミン B 松田裕介 ハウスダンスにおける間違いから に関する調査 小菅和恵 若者における友人関係と人生観 小塚智子 野草で染色 した綿布の性質について 石黒真代 乳・幼児と絵本の関わり 清水 生活習慣病と食生活 す要因 木村昧佐紀 嶺 大学生の食習慣と健康食品の利用 一一 ブックスタ ート の効果 あ る村 の現状 と改善案 高橋 圭 の復帰 石橋まどか 運動選手のメンタル サ ポート 市川真弓 性格特性 と気分評価 か ら 面接場面においてどの ような非言 絶食が尿中ピタミン排池量 にお よ ぼす影響 田部久美子 児童の岨暢と食習慣 ・生活習慣と 窓口香菜 体内 の コレ ステ ロー ル 語的 コ ミュニ ケー ションが生 まれ るか の関連に ついて 特に 血 面接官の態度 ・場の性質 が発話に及ぼす影響一 人間文化 ・ 4ワ 人・間・文・化・通・信 伊藤麻里 犬 .3 i 苗の飼い主への聞き取り調 ソー シャルサポ ー トと社会的スキ ルの関連 内山郷子 アメリカ 査から一 ゲーテッド ・コミュニ 牧 大輔 ティについての考察 身体加工にともなう 心的変容につ いて ゲーテッ ド ・ コミュニティはな 身体加工者へのインタピ ュー調 査 か ら ぜ増加す る の か 三木朋香 乳幼児が自分の名前を意識するとき 大村恵理子 ペッ トロ スが飼い主に与える影響 =宅かおり うつ病の原因と環境変化が与える 奥田麻奈美 恋愛による自己確認 奥谷充由 消費者はいかに して物を買うのか についての研究 ス ーパーマーケッ トでの庖舗内 影響 安井理絵 自分の身体にさわる時 山本文子 大学生の就職率低下について 和田浩平 障害児 をもっ父親の育児参加を促 待合室での行動観察から 自己効力感という概念から 忍足紀江 買物行動観察 よ り 小学生の道徳意識 柏木澄乃 就業構 造からみる若年雇用支援と 一 夫婦問コ ミュ ニケー ションの観 キ ャリア教育 点から 約束場面からの考察 片山陽一郎 進・ 阻害する要因について わが国と諸外国のニ ート 事情 一 支援策と課題一 河原君恵 レジの会計場面における客と庖員 地域文化学専攻 修士論文 の相互行為 木村未央 演劇の練習における複数の身体の 大西襟梨子 組織化 胡 偉斌 在日留学生のス トレッサーについて 宰井奈央 ; 琵琶湖と人々のくらし 塩田美穂 聞 き取り調査 よ りみえたもの 障害児・者のきょうだ、いへの意識 亀山芳香 綾実 潰村 茂 近江商人デー タベ ースを事例と 藤森麻子 インタラクションの考察一 宋贋E希子 会話における笑いと動作 曽我知可 放課後児童クラブの現状と課題 竹村香織 居住地選択に影響を与えるもの 種目白里 滋賀県立大学生のクラブ活動と社 新川達彦 して インデックス構造を用いた集落情 報の検索に関する研究 肖 { 肖 日本における観光ボランテイアガ イドに関する研究 崖 員善 滋賀県栗東市における事例研究 会 的スキル 地理情報システムを用いた文献情 報デー タベ ース構築の試み すれちがい行動の探索的研究 - 2人の歩行者がおこなう微細な 古民家再生の コー デイネ ート 手法 に関する研 究 に関する研究 械 中世 における天台修験の変容 一 近江固葛川 を中心 に一 植民地 における母性 一 総力戦体制期の「日本語普及政 策」との 関係を中心 としてー 山口夏子 『年中行事絵巻 jの研究 地 域 循 環 型 社 会 に 向 け た NPO、 行政、市民との協働に関する研究 滋賀県東近江市の菜の花プロジ 生活文化学専攻 修士論文 ェク トの事例をも とに 西津真志 西山 市 唱 男性保育士をめぐる現状と課題 動物を介したコミュニケ ー ション -生活デザイン部門 地場産業の市場開拓の現状 思田文子 の広がりについて 一高齢者を対象と した動物介在活 一日本刃物産業の現状と 展望 河 承希 韓国マンガ産業の独 自性と 間接的 動の観察から 一 インプ リケー ション 別府奈緒美 大学生の対人関係における携帯電 一行為システムに基づいた考察一 本遠裕子 子育てサ ークル と母親の育児意識 .健康栄養部門 前岨梨沙 飼 い主はペッ ト動物 に対してどの 奥野海良人 話の役割 ような意味付けを行っているか 48 ・人間文化 ラッ トに おける過剰トリ プ トファ ン摂取時の尿中指標 人・閏・文・化・通・信 栗原 エピカロカテキ ンガレー ト 満 三船温尚 東アジアの青銅鋳造技法の地域的 ( EGCG) とその 立体 異 性 体 が 及 ぼす抗血小板作用の比較検討 1 嬰井真汐 特徴と変遷に関する研究 前方後方墳出現社会の研究 植田文雄 集団給食と個人の食事 内容 からみ た栄養素摂取量の変化 j 峯村弘美 ピオチンの過剰投与に関する 研 究 吉田永史奈 パン トテン酸の必要量 ー に関する研究 生活文化学専攻 陽 方 博士論文 中国における医療保険制度の史的 分析 -人間関係部門 金 姫南 現代中国の道徳教育の発展 一 階層社会の変遷の立場から 原 草平 手塚治虫からの伝言 AH i s t o r i c alAnal ysi sofM巴d i c al 次世代への継承一 ! ns u r an c eSystemi nCh i na 一-From t heViewpo i n to ft he T r a n s i t i o no fH i巴r a r ch ic alSoci e t y 一 地域文化学専攻 大橋松行 博士論文 地域政治文化論序説 H t p u v r u C ゅ PU ' l q a . nn ' n し ν a hu l ' l nH 剖 'Ea 免u pn uue l い 'E O包 n U ρv t DUJH 一 一 5 UCH Y 1 , GK m r JaE n O{u f R n v j山t u c L 琵琶湖をめぐる 古墳と 古 墳群 の 考 古学的研究 印叫刊 M nu J . h 縁文化の比較研究 用田政晴 OF3 ル ト r E zF t r AC -日 滋賀県の政治風土研究一 i 煎湘と近江における八景形成の地 同 毅 .INFORMATION .年間活動一覧 . . ・ . ・・・ . .. H [ H H =地域文化】 ドの宗 教 藍aJ蓋盟 j2 0 0 7 年 3月. み ん な の 社 会 学 j ミネルヴァ 書 房 、 2 0 0 7年、近刊 ( 共著). I.研究活動 草田盤盟 :マイケル ・ブル 『サ ウ ン デ イング ・アウ ト・ザ・ シティ :都市の聴覚的経験』ひつじ書房 , (1)受賞 豆皇室血王:2 0 0 5年住宅総合研究財団助成研究選奨 受賞 ,共同研究「裏松園禅の住宅史研究資料に関 する 学 際研究 J ,2 0 0 6年 6月 1 6日. 2 0 0 7年,近刊 ( 共 訳). 塁杢払i 二 :宮川泰 夫 ・山下 I 問編著『日本・アジア におけ る地 域 の 構 造 と 開 発 』 古 今 書 院 , 第 3章 水 産業の産地形成と振興計画,近刊 (共著). 主霊童二 (2) 著書・作晶 車山霊之 俗編 r 新 修 泉 佐 野 市 史 J9・1 0巻 考古 編 ・民 < r 平 野 部 の 民 俗 的 特 質 ・ 稲 作」 の一部 「町 新修彦根市史通史編古代 ・中世』鎌倉 時代担当 ( 2 0 0 7年 3月刊行予定). 止 且 通 ・ 3本. 0 0 6年 3月. 場の民俗の特色」執筆), 2 車山歪之 『 新修茨木市史』第 1 0 巻 r < r 茨 木 Jr 豊} IJ 「 見山 J 水と民俗」執筆), 2 0 0 6年 3月. n i l l l 歪之 大 阪 狭 山市 史 J第 七 巻 石 造 物 編 r r < r寺 社 の 石 造 物 J 伊 勢 信仰 J ムラと 墓石」 執 筆), 2 0 0 6年 1 1月. 週担藍盈 ・田中宏 ・板垣竜太編 『日韓新たな始まり のための 2 0章 J岩波書庖, 2 0 0 7年 (共著). r 萱盆玄盟1 : シルク ロード研究叢 書 10ーシ ルクロー ドの遊 j2 00 7 年 3月. r 1ー シルクロー 萱盆2IDl: シルクロード研究叢 書 1 ( 3 )研 究 論 文 皇一室i 主 r 禍を転じて福となす、江戸 時代の震 災 ,地震調査研究推進本部『月 刊 地 震 レポー 復 興J トサイ スモ j1 0 3,2 0 0 6年 3月 , p p . 8 9 . 裏 一 主 立 ・ 「新刊 紹 介 『 近 世 藩 制 ・務 校 大 辞 典I .J , 3 0,2 0 0 6年 1 0月 , p p . 6 8 6 9. 『日本史研究. 15 重一室岱 r 山と水を めぐるたたかい J ,r 永源寺町 0 0 6 年1 1月 , p p . 5 4 1・ 5 7 2. 史』通史編, 2 蓋韮到盟 r 中国はどこへ行くのか 共産党と社会 ロゴス社発行隔月刊誌 『もうひと 主 義 の 変 容 J< 人間文化 ・ 49 人・閏・文・化・通・信 つの世界へ j 第 3号. 2006 年 6月 1日発行. 6- 邑E単 産 湖 北 地 域 振 興局 『 森林文化j監修. 1 1頁. 国旦盤盟 E山霊之 r 村落社会における歴史伝承の形成と知 r 3 .2 0 0 6 年 3月. 識人 j 京都民俗 j2 I l i l l l 歪 之 r 米原市志賀谷におけるオコ ナイ行事の r 007年 3月 ( 予 変容 j 淡海文化論叢』第 2輯. 2 定). 「野生の感性学 ( a e s t h e t i c a )j試 論 ←j . [ h t t p: / /home p a g e 2 . n i f t y com/mono-gaku/ J に掲載. 僅厘宣=Illi: r 美食と跨ぎ越し(跨ぎ越しのレッス h t t p: / /www.kadokawagakugei.com/ maga ン①)j [ z ine /J に掲載. r 玩具と跨ぎ越し(跨ぎ越しのレッス 塩屋畳二郎 ン②)j . [ h t t p: // www.kadokawagakugei. com/ ma g a z i n e/ J に掲載. r 塩屋畳ニJill: フランソワ・ラプレーと跨ぎ越し (跨ぎ越しのレッスン①)j . [ h t t p: / /www.kadoka J に掲載. wagakugei . c o m/magazin巴/ 畳屋畳二郎 跨ぎ越される「わたし j (跨ぎ越し のレッスン④)j. [ h t t p: / / www. kadokawagakugei com/magazine/ J に掲載. 皇室且王 ・岩間 香 「裏松固禅の住 藤田勝也 .g 宅史研究資料に関する学際研究一『院宮及私第図』 と 『 諸家亭宅寝殿考証』一 j 住宅総合研究財団 研究論文集 j32号. 2006年. 129-140頁,うち 6 院宮及私第図 』指図と 『明月記 j j( 1351 3 7頁) を分担執筆. r r rr 車皇室且王 書評]大津正昭 『 唐宋時代の家族 ・ 婚姻 ・ 女 性 婦 は 強 く. 1( 明石書庖. 2 0 0 5年). 豆皇室血圭 ジェンダ 一史学』第 2号. 118-120 頁. 2 0 0 6 年1 0月. 亙皇室血互 ・ 〔 新刊紹介〕西村汎子編 『 戦争・暴力 と女性 r r r 0 0 6. 3 . pp. 4 2 7 4 4 8 . の歴史学第 2集 l 2 国且盤盟 ・ 「激海建国初期の対新羅関係 j . 北方史 r 0号. 2 0 0 6 .4 . pp. 45 7 4 . 論叢. 11 r 肉の森の中へー 塩屋畳二郎 r 高句麗長安城の築城と遷都 j .r 都市と .2006.3. pp.376-396. 環境の歴史学第 1集 J 国且盤固 朝鮮三国の都城と中国 j . 都市と環境 r r 田虫盤盟 百済武寧王の登場と文周王系 j . 有光 教 一 先 生 白 寿 記 念 論 叢 』 高麗美術館研究所, 2 0 0 6. 1 1 , pp. 15 5 17 1 . 国且盤盟 r 新羅王京に対する見方 j .r 建築歴史研 0 0 6 . 1 0 . 究 J15巻 4号,韓国建築歴史学会. 2 pp. 16 1 1 7 2 . 田虫盗盟 r 高句麗寺院の調査と現状 j .r 天台宗国 0 0 6. 1 , 1 p p . 1 1 2 1 4 0 . 際学術会議報告 l 2 ボルジギン・ブレンサイン 東洋文庫所蔵 “ 北京 ウンドル王府モンゴル語文書記録帳写本"の 史料 r r 的可能性 j. 史資料ハブ地域文化研究1 .NO. 8 ( ppl OO 1 1 9)東京外国語大学地域文化研究科 2 1世 紀 COEプログラム「史資料ハブ地域文化拠点 j. 年1 2月. 2 0 0 6 ボルジギン・ブレンサイン 民と近現代モンゴル社会 r ハラチン・トメド移 モンゴルジンのハイラ r . 早稲田大学 COE 叢書 トデ氏を 事 例 と し て -j 一近現代内モンゴル東部の変容』第 8巻,雄山間, 2 0 0 7年 2月. 中世の災害と環境 j (北原糸子編 『日 .吉川弘文館). 本災害史 J 主霊童二 東大寺領小東荘をめぐる諸問題 j ( 橿 原考古学研究所 f 箸尾遺跡 I J ) . z 巨里童二 r r z 主里童二 r 中世の水害と荘園制 j ( 蔵持重裕・回 村憲美 ・遠藤ゆり子編 『 再考 荘園制』岩 田書院, 近刊). 1 戦の中の女たち j ( 吉川弘文館. 2 0 0 4 年) 女性史学 J第 1 6号. 1 84-186頁. 2006年 7 月2 2日. 島村一平蓄、 包路芳・町春蘭訳 阿加一布里亜特 r r 荷教新的岡務J 世界民族. 12 0 0 6 人的寺根活劫:炉 i NO.4 • p p . 5 3 5 9 . 中国社会科学院. r r 萱盆玄旦1 : 墓誌装飾一 四神と十二生肖 -j 有光 教一先生白寿記念論叢 j (高麗美術館研究紀要第 5号) 2 0 0 6年 1 1月. 萱盆Z旦l・ 「騎馬楽備考 j 中国考古学 』 第 6号 0 0 6年 1 2月. (日本中国考古学会) 2 民謡の再編成 ラジオ放送・民謡調 邑E盤盟 査 ・『 正調 j j 渡辺裕他編 『 世界音楽の本 l岩波 書庖. 2 0 0 7 年(近刊). 藍E単産:地域フォーラム誌 『 人と地域 J( Vo . I 35Vo . 1 3 9 ). 毘 邑 単 産 地 域 学 研 究 J( Vo . l4-Vo . l6) . r r 50 ・人間文化 (4) 報告書(科研,受託研究費,等) 皇 呈i 主 ほ か 清 水 山 城 館 跡 現 況 調 査 報告書「一 清水山城館跡周辺古文書調査J.高島市教育委 員会. 2 006年 3月,解題部 8- 9 .2 7 .4 0 .4 6 . 4 9 .9 8 .1 0 8 .1 1 1 .1 2 5 .1 2 8-129. 181-182. 1 9 7 .1 9 8ページ. E 主岱ほか 沈没船(19世紀イギリス船)埋 . 没地点遺跡」発掘調査報告一 推定いろは丸一 J 水中考古学研究所・財団法人京都市埋蔵文化財研 0 0 6 年 8月. 1 9ページ. 究所. 2 重一主立 ・ 『滋賀県立大学学芸員課程報告書 8 t 滋賀県立大学. 2 0 0 6年 3月,全体編集. . 滋賀県立大学 重一主岱 「 吉田家の歴史と人々 j 学芸員課程報告書 j 8 .2 0 0 6 年 3月. 81-82ペー ユ ノ . r r 重一主立 r シンポジウム討論要旨 j .大阪樟蔭女 人・間・文・化・通・信 子大学学芸員課程シンポジウム報告書 『 博物館の 現状と“女性"学芸員 J ,2 0 0 6年 3月 , 1 4 4-146 ペー ジ. 重一圭岱 I 特別寄稿 大阪樟蔭女子大学学芸員謀 2 0 0 6年 1 0月2 8日. 量起こ主 I拍 r l l J I J I 3 rC 3 T T 3 J I r 3 3 回王位 3 0 即 O H :U p 沼 目 y e l 改 HM O H r O J IU a x b山 a p b I H6 倒r3 U 3 rH 3 pT O M b e Hb IT 加 a a p x3 G p 唱 m( シンクレ テイ ズムの困窮 : O 程シンポジウム「博物館の現状と“女性"学芸員」 モンゴルのシャーマニズム研究における「黄色い 参加記 j,大阪樟蔭女子大学学芸員課税シンポジ H r O J I シャーマン」を巡る言説とその矛盾), WMO 博 物館の現状と“女性" 学芸員 l ウム報告書: W R出 2 0 0 6年 3月 , 1 47-149ページ. 五山埋温 I 滋賀県湖東における横向きツ シを持つ 7年度滋賀県大学等学術 伝統的民家の研究j 平成 1 文化振興助成金研究報告書. E山歪之 滋賀県米原市志賀谷の民俗』近畿大学 文芸学部(全体の編集および「調査地の概要」 「村落 j I 住jI オコナイ」の執筆 ) , 2 0 0 6年 3月. n i l l l 歪之 奈良県五俊市白銀地区の民俗J近畿大 bl I law F !H b l8 H G S T I 改 HH GX Gl . ¥ G J l6 aTYYH班員 C 且a J lr a a(国際シンポジウム「モンゴルにおける Y )J ,於-モンゴル教育大 宗教の現状とその研究 j 0 0 6年 1 2月 8日. 学,ウランパー トル ,2 且 韓国建築歴史学会にて発表(於ソウル大 国虫盤E 学校), 2 0 0 6年1 0月2 1日. 国且盛田 :韓国 ・天台宗国際学術会議にて発表(於 0 0 6年 1 1月 1 7日. 観門寺), 2 毘杢払i 二 I ナギ産業の国産ブームと養鰻産地の近 学文芸学部(全体の編集および「調査地の概要」 況 j,漁業経済学会第 5 3回大会(東京海洋大学), 0 0 7年 3月 (予定). 「干上寺の信仰」の執筆), 2 2 0 0 6年 5月2 7日. n i l l l 歪之 能登川地 区民俗調査報告書 21 .東近江 握杢五」二 I ウナギ産業における国産ブームの背景 市教育委員会(全体の編集および「年中行事」の と現況 j,2 0 0 6年度日本フードシステム学会大会 一部 、 I JI南の民俗」の一部の執筆), 2 0 0 7年(予 (東京大学), 2 0 0 6年 6月 1 8日. 盛杢払i 二 定). 通担蓋盃 『 キト慶植文庫仮目録 2J . 滋賀県立大学人 間文化学部地域文化学科, 2 0 0 6年. 本塁童二 I 現況調査の概要 j ( W清水山城館周辺遺 跡現況調査報告書I.I,高島市教育委員会). I 日本市場をめぐるウナギ産業の近況 j, 経 済 地 理 学 会 西 南 支 部 7月 例 会 ( 山 口 大 学 ), 2 0 0 6年 7月 8日. ポルジギン・ブレンサイン I 旗地縮小の歴史的プ ロセスから見る所謂[過放牧]の発生原因につい てー ホ ル チ ン 左 翼 中 旗 を 事 例 に一 j (中国語), ( 5 )学会口頭発表 畠・温瞳=孟 張玲・五山堕j 「乾燥地域の生態保育と持続的発展」日本国立民 I 滋賀県湖東地域の町 家における横向きツシについて」日本建築学会大 2,p p . 2 1 2 2 . 会学術講演梗概集(関東) F 運阜車盃: I 私たちは何を忘れさせ られているのかj 女性史総合研究会 5月例会 ( 2 0 0 6 年 5月2 0日). 浬且亙~ : 1 1一国史j I 男性史」も,足し算」も越 えて一朝鮮史/女性史の立場から一」合評会 ・東 アジア歴史共同教材をめぐって, 2 0 0 6 年1 2月 1 0日. E皇室血呈 「平安時代庭園に関する研究の全体犯 族学博物館・中国社会学院共催, 2 0 0 6 年 7月 1 1日 -12日,於中国内モンゴル自治区フフホト市. ポルジギン ・ブレンサイン I 内モンゴル興安嶺の 麓地域における農耕モンゴル入社会の形成 j ( モ 音 ) , N i n thI n t e r n a t i o n a l Congre s so f ンゴル 5 M o n g o l i s t sDevotedt ot h e8 0 0 t hA n n i v e r s a r yo f lu s,2 0 0 6年 8月 8日-12日. t h eYekeMonggolU ポルジギン ・ブレンサイン I ハラチン・トメド移 民と近現代モンゴル社会 東トメドのハイラトデ j, I 早稲 田 大 学 2 1世紀 COE 握jI 史料から見た平安京の庭園」平成 1 8年度古 氏を事例として 0 0 6年 1 0月 2 5日,於:奈良文化財 代庭園研究会, 2 プロジェクトアジア地域エンハンシング シンポ 0 0 6 年1 0月2 6日. ジュウム報告 j,2 研究所. 量担二主 IMOHr0J I b I HEypF!a n b lH W y T 3 3H“Xo 加 o 四ば. 6 YP F !a u3 0 HbI 3 x r 3r . 皿3 r6 0 J I C O HY p b I HXer z 包豊重二 I 中世の水害と荘園 制」京都大学文学部 0 0 6年 1 1月 3日. 読史会報告, 2 凶 ( モンゴル・ブリヤートの精霊「ホイ モル 可H 女房」がブリヤ ート人のグレート・マザーとなっ ( 6 )競争的資金(研究組織,タイトル,研究費を明記) た理由),第 9回国際モンゴル学者会議,於:モ ンゴル国立大学,ウランパートル, 2 00 6 年 8月 8 ~革主 日. 量担二主 学内特別研究費 I ハイカルチャー化するサブカルチャ ー?とストリート文化:モンゴルのロ ック ・ヒッ プホップの事例から」国立民族学博物館共同研究 会『ストリ ート の人類学 j (代表者:関根康正), I滋賀県における在日朝鮮人に関する歴 史教材・資料集の編纂に向けた調査j (奨励研究) 墨田五重 I 滋賀県の伝統的農法と景観の維持・保 全の研究」 墨田玉童 I 総合的人間評価 の研究 j ( 石 田英実代 人間文化・ 51 人・間・文・化・通・信 表). トヨタ財団). ι - 温 瞳 二 孟 ・ 息 主t 主・盛杢払 迫田正美・五山理 温 1 地理情報システムを用いた近江商人の商業 墨田五重 1 思い出パンク整備と郷の語り部養成事 環琵琶湖生活圏 「人と地域」研究所・戸田 業j ( 雄一代表:長寿社会開発センター ). 活動に関する研究J . 且虫盤盟 1 9世紀末 1 0世紀初における新羅「海南J 勢力の実態」韓国・張保皐海上王記念事業財団, 科学研究費補助金 1日本近世における内水面利用の 実態、 重一圭盆 およびその編成秩序の史的特質解明 」若手研究 ( B),代表. 1 国家・共同体・家における 〈 母〉機 亙皇室血王 能の意義と変遷 ( 男)を育てる(女〉の比較文 2006年 1 月 ~12 月, 6 00 万ウォン. ボルジギン・ブレンサイン I~ 北京ウンドゥル王 府モンゴル語文書記録帳写本 j (東洋文庫所蔵) に関する研究」 三菱財団研究助成(平成 1 7年度か ら二年間). 化史一 」 基盤研究 ( B). 量担=主 1 越境するチンギス・ハ ーン即位800周 年記念事業とナショナリズムの諸相の研究」若手 U .地場・社会・国際貢献 研究 B (代表者), 3 5 0 万円. 直田盤盟 「戦後日本における地域アイデンティテ イの再編と 地域伝統芸能に関する歴史社会学的研 (1)講演会・展覧会 究」若手研究 B. 国虫盤盟 1 韓国出土文字瓦データベー ス構築のた めの予備研究 j ( 基盤研究 B), 平成 17年度 ~20 年 度 ( 平成 1 8年度330 万円),研究代表. 中央大学妹尾達彦代表) 国虫豊田 .基盤研究 s( 田虫盛田 :基盤研究 A(山口大学橋本義則代表) 国宝盤盟:基盤研究 c ( 立命館大学高正龍代表) 田空盤盟 :基盤研究 c(滋賀 県立大学菅谷文則代表) ボルジギン・ブレンサイン ・ 「 二十世紀中国におけ る民族的帰属意識の変遷に関する研究一蒙古旗人 を事例としてー 」 若手スタ ートア ップ. 出盟這ほか : 西藤清秀・樋口隆康 ・遺瞳二孟 .U 「 古代パルミラの葬制の変化と社会的背景に関わ る総合的研究」基盤研究 (A). 水野章二(代表者)・;亙主立・握到」二 1 琵琶 湖の歴史的環境と人間の関わりに関する総合的研 究」基盤研究 (B) 1 江戸時代の地震 寛文地震の様相と 重一呈盆 人々の対応について j,歴史グループ早雲, 2006 年 4月. 蓋韮型担E・ 「中国はどこへ行くのか j,1 フォ ーラム もうひとつの世界」第 5回討論会, 2 0 0 6年 6月1 8 日,東京都・文京区民センター. 蓋韮型阻 E山霊之 「 狭山池の伝説」狭山池祭り講演会 , 2006 年 4月2 9日. I D . i l l 歪 之 1 近世南河内の民俗」花やいで大阪講演 会 , 2 0 0 6年 8月 4日. 立並亙亙 :)搭所高等学校教職員人権研修会講師 ( 2 006年 6月2 3日). 週且盈ゑ :彦根市保育協議会人権研修・コ ーデイネ ーター ・司会 ( 2 0 0 6年 7月 1日). ~盃 豆望室盟主 :1 滋賀の地域女性史発掘調査研究事業」 滋賀県男女共同参画センタ ー , 2 0 0 6年 7月 1日 2 0 0 7 年 1月31日. 民間研究助成 1差 別をなくし人権を尊ぶ彦根市女性の つどい実行委員会」研修講師 ( 2 0 0 6年 8月2 2日). ~盈盃 受託研究費 1 第1 2回滋賀青年の翼」友好訪中団事前 研修会,2006 年1 0月14日,近江八幡ユースホステ l レ . 1人権学習をすすめる真野学区市民のつ どい」講師 ( 2 0 0 7年 2月24日). 週並亙盃:河合塾文化教育研究所・日韓文化研究会 講師 ( 2 0 0 7年 3月 1日). 車選皇血王 :滋賀県レイカデイア大学必修講座「女 の歴史一 近江の女たち -j,2006年 10月26日 , 於.米原町. 理主革主 1 滋賀県における在日コ リアン 1世の生 j 舌史に関する聞き取り調査 j (研究協力者)日本 証券財団研究調査助成. 豆皇室且王 .滋賀県男女共同参画基礎講座第 7回 「 歴史からみる日本の家族像 j,2006年 9月1 5日 , 於・滋賀県男女共同参画センター. 1しゃくなげ撃校「賑わい空間創出プロ 皇国玉霊 ジェク ト」 里山の資源を活かした地域再生プロ グラム j (井阪尚司代表: トヨタ財団). ま皇室且王:平成 1 8年度 ( 第1 3回)北部盛年大学第 3回「大津の女性の歩み j,2006年 8月10日 , 於.大津市北部地域文化センター. 1 アフリカ熱帯雨林の保全と持続可能な 墨田玉蓋 利用の両立に向けて コンゴ民主共和国とウガン 車選皇且王:平成 1 8年度近畿母子生活支援施設研究 大会記念講演「近江の女たち j,2006 年 6月2 3日 , 於:彦根プリンスホテル. ダ共和国のケ ーススタディ 52 ・人間文化 j (古市剛史代表 : 人・間・文・化・通・信 畠担=主 :高大連携「モンゴル遊牧民の祭典「ナー ダム」の現在形 j,2 0 0 6 年 8月 1日. 皇担=主 :大学体験講座「朝青龍はなぜ憎たらしく みえるのか? モ ン ゴ ル 遊 牧 文化へ の い ざ な い 萱盆五旦1 :1 シルクロードを往来したソグド人 j, 5月 1 3日. シルクロ ー ド学研究センタ ー友の会 シンポジウム ー継体天皇はなぜ枚方に 都を置いたのか-1 樟葉宮 1 5 0 0 年記念事業開催 0日. 実行委員会(パネラ ー) , 5月2 萱盆玄旦j : 6月 9日. シニアカレッジ 6月1 6日. r 若草伽藍シンポジウム 1 斑 鳩 町 7月2 6日. 萱盆玄旦j: 1 日本人と鏡の文化 j,愛媛県重信 町寺 院の会 (於アピオ大阪), 2 0 0 6年 7月 2日. 渉j (於鯖江市民会館),2 0 0 6年 8月 6日. 1 高句麗の壁画古墳」大阪府文化財セン タ一文化 財講座「東アジアの古墳壁画の世界」 国虫盤盟 :大阪府・渡来人シンポジウム「朝鮮半島 日. E虫盛田 :日韓古代文化研究会「高句麗はどの よう な民族か j (於アピオ大阪), 2 0 0 6年 1 2 月 3日. 9月 2日. 蛙一」重通 :講演会等 3回. 1 中国出土の大鏡 j,伊都国博物館, 1 0 ポルジギン ・ブレンサイン:人間文化 セミナ ー 「 ポ 月 2日. スト社会主義モンゴルにおける国家通史編纂をめ 萱益五旦j: 1 大峯山と 世界 文化遺産 j,奈良県社会 教育会館大学講座, 1 0月 1 4日. ぐる諸問題 j (企画), 2 0 0 7年 1月2 5日. 進竪章二 樽仏 と塑像 j,三重県名張市生涯教育 萱盆玄盟j: 1 1月 8日. 講座, 1 月1 8日. 1 近江の中世村 落と 地域社会」滋賀県レ 0 0 6 年1 2月1 4日. イカデイア大学米原校, 2 主里童二 萱盆玄旦j: 1 東アジアから見た倭国 j,大阪労働協 近江の中世村落と 地域相会」滋賀県 レ イカデイア大学草津校, 2 0 0 6年 1 1月 1 7日. 本塁童二 萱盆玄盟j: 1 中国茶文化 の新資料 j,百楽の会, 1 1- 会 世紀後半の日朝関係 j,2 0 0 6 年 6月 4日. 国虫盤担 :日韓古代文化研究会「継体期の日朝関係」 から河内へ j (於大阪歴史博物館), 2 0 0 6 年1 2月 2 1 伝統食は健康食ー比較文化論からの提 言 j,滋賀県栄養士会年次大会 萱盆玄到 1 5 (於弥生文化博物館), 2 0 0 6 年 9月2 4日. ( パ 5日. ネラ ー) , 7月1 萱蓋玄剖 田虫盤盟 :橿原考古学研究所博物館公開講演会 国虫盤盟 萱盆玄旦j: 1 シルクロー ドと正倉院宝物 j,兵庫県 萱~ : 古代を i 思ぶ会「好太玉砕から見える日朝 国且盛盟 f f i i : E 盛 盟 :継体大王シンポジウム「継体期の対外交 1 世界遺産大峯奥駈道の測量 j, 日本測 量協会関西支部研修会 3日 4月 1 7日 5月 1 5日 5月2 9日 , 6月 1 2日 , 6月2 6日. 0 0 6 年 5月2 0日. 関係 j (於アピオ大阪), 2 j,水口東高校, 2 0 0 6年 1 1月 1 2日. 童盆玄剖 0 0 6 年 4月 と倭・近江 j (於しがぎん草津ピル), 2 1 木津荘の景観と環境」高島市教育委員 会 , 2 0 0 7年 3月 1 8日(予定). 2月 2日. 葺盆玄旦j: 1 小 治田安万目と都祁古代文化 j,奈良 都祁歴史セミナー 3月 3日. 置邑歯車 ・ 「自分学の探求 滋賀県立大学で地域学 を学んだ人たちの場合一 j (西堀栄三郎記念探検 8 年 7月 1 5日 周年 8月 1 8日). の殿堂、平成 1 直邑単童 ( 2 ) 出張講義等 1 江戸時代の地震と近江国 j,滋賀県立 0 0 6年 1 2月. 大学移動公開講座, 2 週足量盈:KEIBUN 文化講座第 1 8期・知っています か?在日コ リアン ( 2 0 0 6 年 9-1 1月). 重一圭岱 1 輝いて生きる 一 地域とともに一 j ( 平 8年度第7回福寿大学,平成 1 8 年1 0月2 0日,彦 成1 「日本の歴史と文化 j,長浜バイオ大 豆墾 皇血 王 学(前期). E謹皇血王 根市稲枝地区公民館). 1 女性史 j,同志社女子大学(後期). 『 ふるさと絵扉風 ~j 皇担=主 :兵庫県阪神尼崎シニアカレッジ「遊牧、 (滋賀銀行栗東市庖経友会,平成 1 8年 1 1月8日,滋 あるいは土地 を所有しない文化 の行方 j,2 0 0 6 年 直量単車 1 心 象図法で描く 賀 県 立 大 学地域産学連携センタ ー産学研 究交流 置呈単産 「安心 と安全の 町づくり j (平成 1 8年 1 1 月2 9日,長浜市防犯協議会). 置皇単童 5月1 2日. 皇担=主 :放送大学京都学習センタ 一面接授業「モ 室). 萱草五 割 : 奈 良 教 育 大 学 集 中 講 義 ・ 考 古 学概 論 , 1 滋賀県立大学の人間文化学 部 j (平成 1 8年 1 2 月1 3日,水口高校). E且盤盟 .大阪府立近つ飛鳥博物館 0 0 6 年 7月 8.9日. ンル遊牧世界の現在形 j,2 2 0 0 7 年 2月 1 9日-22日. 邑邑単車 ・シンポジウム 「須恵 器 生 産 の 成 立 と 展 開 」 第 1部 基調報告, I 2 0 0 6 年 2月2 6日. 国虫盆盟 .滋賀 銀行 KEIBUN文化講座「高句麗 1 地域学のすすめ ゆとりや真の豊かさ を感じさせる 地域社会 -j (滋賀県 レイカデイア 8 年1 0月2 7日). 大学草津校必修講座,平成 1 旦 且 盆0 0:韓 国 ・ 東 園 大 学 校 文科 大 学 にて 特 別 講 0 0 6 年1 1月1 9日. 義 , 2 人間文化 ・ 5 3 人・閏・文・化・通・信 ボルジギン・ブレンサイン I 中国のエネルギ一間 題とモンゴル J ,第3回関西モシゴル人留学生研究 0 0 6 年 4月 2日,於兵庫県立大学. 会 , 2 萱益2ID.l:宇陀市文化財審議会委員長. 葺盆玄I D l :文部科学省科学研究費補助金審査段 ・部 会長. 萱盆玄I D l: 地球科学技術総合推進機構「自然災害を 軽減化する科学技術課題の調査研究委員会」委員. (3) 各種審議会・委員会委員 重一主岱滋賀県伊香郡高月町史編集委員. 車~主:滋賀県高 島郡新旭町 (現高島市)清水 山 城郭群周辺(比叡新荘 ・比叡本荘)現況調査委員. 重一主立:滋賀県神崎郡永源寺町(現東近江市)史 執筆委員. 裏~主i主:内閣府災 害教訓の継承 に関する 専門調査 萱盆之副:日本北京大学校友会副会長、日本学術会 議連携会員 . 藍量出産 I 野神地域づくり研究会 J(湖北地域振 興局後援). 藍邑単産 :近江楽座「発信基地 m朽木の森」 コーデ ィネ ー ター ( 代表:山形蓮). 直亘単産 近江楽座「 リバーウォッチング m安曇 J IJ コーデ イネ ー ター (代表:渡辺大記). 会小委員会委員 . 室 主i 主・滋賀県甲賀市史執筆委員 . 重一主岱・ 滋賀県高島市文化財保護審議会委員. 重一主岱滋賀県市町合併推進審議会委員 . 藍E出産 :近江環人地域再生学座「彦根市橋本商庖 街の空き庖舗利用 による高齢者の居場所づくりと 車一主岱 ・滋賀 県神崎郡能登川町(現東近江市) 『 能登川の歴史』編集委員. 商庖街活性化の拠点整備プロジェクト」コ ーデイ ネー ター. 重一圭岱 滋賀県水口藩加藤家文書主任調査員. 裏一主岱:滋賀県草津市文化財保護審議会委員. 毘邑単童 I 地域を生きる事業」 コーデイネーター (NPO法人湖西生涯学習まちづくり研究会「どろ んこ J ). 重一室直:滋賀県犬上郡多賀 町多賀町立博物館(多 賀の自然と文化の館)協議会委員. 国且盆盟 .朝鮮学会幹事 (編集委員兼務),古代文 化編集参与. 重一三副主 滋賀県高島市海津・西浜・知内地域文化 的景観保存活用委員会委員. E虫盤盟 :奈良県立橿原考古学研究所、-共同研究員. 車山歪之:滋賀県立安土城考古博物館運営懇話会委員. 且虫壁盟 ・国立歴史民俗博物館・ 共同研究員. E山霊之 :東近江市「能登川の歴史」編集委員. 盛杢払i 二 能 登 川 の 歴 史』編集委員. 益一」重通 ・自治体審議会 ・委員会 5種. 塩屋宣二郎 :地域文化資産デジ、タルコンテンツ発信 事業審査会委員. 止 且 通 学位申請による博士論文審査 3件. 中縄映像文化研究所 (NPO法人)理事. 塩屋畳二郎 :i 主霊童二 .地域文化学科学科長,就職委員会委員 . ~亙盃: 東近江市史調査執筆委員 盗塁童二 :高月町史編集委員会委員長. 本塁童二 :彦根市史専門委員. (2006年 9 月 1 日 -). 2血盈盈 :彦根市外国籍市民施策懇談会委員 ( 2 0 0 5 年 9月-). 週 t r . . S 盃 I 人権教育における授業と教材に関する 年 研究集会 J(滋賀県人権教育研究会主催, 2006 1 1月1 0日)分科会研究協力者. 豆 皇 室 ! l ! l i 圭 :東近江市史 ( 能登川の歴史)調査執筆 委員, 2 0 0 6年 9月 0 0 6 亙墾皇血王:滋賀県男女共同参画審議会委員, 2 年 7月 1日-20 0 8 年 6月3 0日. 車 皇 室 血 王 財)滋賀総合研究所精算人, 2 0 0 6年 4月 1日-20 0 6年 6月3 0日. 亙 皇 室 血 王 財)滋賀総合研究所理事, 2 0 0 4年 4 月 1日-2 0 0 6年 3月3 1日. 主霊童二 ・日野町史執筆委員. 本壁童二 .能登川町史編集委員会委員長. 主里童二 甲賀市史執筆委員. 主竪童二 で). 草津市文化財保護審議会会委員(6月ま 主竪童二.滋賀県公文書保存活用検討懇談会委員. 主霊童二 :内閣府「災害教訓の継承に関する専門調 査会J小委員会委員 . 主畳童二 ・清水山城館跡現況調査委員会委員. (4) 学会委員会委員 皇 J主岱 .日本史研究会編集委員. E山霊之:日本民俗学会評議員. 亙皇室血圭:愛知川町史執筆委員, 2 0 0 3年4月1日 2 0 0 6 年 3月31日. 直出歪之:近畿民俗学会理事. 0 0 5年 4月 ま謹亘血王:滋賀県建築士審査会委員 ,2 1日 週担亘~ 朝鮮史研究会関西部会幹事. Z担亙孟 :朝鮮史研究会論文集編集委員会委員. 萱盆玄剖 :奈良県環境審議会委員. 萱盆玄剖 :和歌山県文化財審議会委員. 萱盆玄到 :大和郡山市文化財審議委員. ~蓋盈 :女性史学編集委員会委員 . 54 ・人間文化 直出歪之 京都民俗学会理事. 豆 皇 室 岨 王 女 性 史 学』編集委員長, 2 0 0 3年 7月 27日 人・閏・文・化・通・信 量担=主:国立民族学博物館共同研究員. 邑邑出産 「出征兵士 の姿、婦人会や小学校 遠 足 - 激動の昭和初期写すJ( 中日 1/2 0) . 萱盆玄副:日本考古学協会総務担当理事. 車量出産 萱盆玄.!lli:古代学研究会代表委員. r 昭和の暮らしに学ぶ、写真再生 して聞 おうみ法の友 3/ 1 ) . き取り調査 J( 萱盆玄.!lli:古代武器研究会会長. r ひ と 、 本 当 の 豊 か さ 地 域 か ら 学 ぶ」 直亘単産 萱 盆 . 2 . ! l l i:日本中国考古学会会計監査 . :日本文化研究センター客員教授. 萱誼玄盟1 0). ( 本願寺新 報 3/1 毘呈出産 邑田盤盟: 日本ポピュラ ー音楽学会研究委員 . r 県立大の学生 1 8人、フィールドワーク 毎日 6/ 3) . の成果、地元住民に発表する会J( 武田盤盟:日本社会学理論学会専 門委員 . ポルジギン・ブレンサイン:日本モンゴル協会評議 r 直邑単産 「うるおい、地域を学ぶ、知恵の蓄積生 員, 日本 とモンゴル j (日本モンゴル協会誌)編 かす、 滋賀 県立大教授武巴尚彦さんに聞く 集委員. 6). 都 6/1 J(京 r 健全 な森林づくりへ、湖北委員会が初 止 且1 m :学会委員会 2種 直量出産 (5) 総説,一般向け(雑誌・新聞等)記事 置亘出産:失われた 「 地域の心」 を媒介にして人と 会合J( 中日 7/2 0). i l i l l l 歪 之 ・ 「大阪の民俗J1-12 r なにわ J大阪府 塩屋畳二郎 :毎日新聞取材記事「美 とカ ミへの穴一 梅原賢一郎 ・美学者の夢一 J2 0 0 6年 1 1月 -2 0 0 7年 3月まで毎木曜日計 1 9回掲載. 理主主主・ r不 審 者 J情 報 に ひ そ む 外 国 人差 別 j 『多民族共生 JVo . l6 3・64合併号 ( 2006年 8月 29 日). r 地 球 市 民 し が Jr じんけん 1 . NO. 303 盟主亙盃 年 7月)- ( 隔月連載). ( 2 0 0 6 r ボンの風 基準霊血王 r ドイツからの使り J , 滋 賀民報』連載, 2 0 0 6年 1月2 2日- 3月2 6日 ( 週刊 で 81 i l l 掲i 紋). 皇担二主 r 誰 ?J 月刊みんぱく 1 . 5月号, 国立民族学博物 r てほしい一 元モンゴル国務大臣ト ゥムル・ナム ジ ERINAREPORT I .70号 , ( 財) ム氏に聞く 一 Jr 環日本海経済研究所, 3 2 3 4,2 0 0 6 年 6月 1 5日. 世界を食べる日本、日本を食 星組ニ主 :CDロム 『 べる世界 j (企画および序文執筆 ) , r 魅力ある大 l e a r n i n g事業 学院教育」 イニシアティブ事業 ,e 「食から見た日本文化の国際的受容 と日本におけ る文化変容」総合研究大学院大学文化科学研究科, 2 0 0 6年 2月号 ,p p . 7 8 8 5 . 4 00年前後の朝鮮半島と倭国 J , 須恵 田虫盤!l1i: r r 器 生 産 の 成 立 と展 開』 大 阪 府 文 化 財 セ ンター, 2 0 0 6. 2,p p . 5 86 2,8 8 ・1 0 3. 田虫盛田 r 5 世紀後半の日朝関係 J ,r 葛城氏の実 像 J奈 良県立橿原考古学研究所附属博物館特別展 5冊 , 奈 良県立橿原考古学研究所附属博物 図録第 6 自 白,2 0 0 6 . 4,p p . 8 8 9 0 . r 高句麗 の壁画古墳 J ,r 東ア ジアの古墳 006.6, 壁 画 の 世 界 』大阪府文化財センター, 2 p p . 3 1 4 2. r 継体期の対外交渉J ,r 継体大王の謎に 迫る 』越の国ルネ ッサ ンス実行委員会, 2 0 0 6. 8, pp. 41 5 3 . a.9:!壁盟 r 「 慶 州 、│ の古墳群に見る新羅の歴史と 異文 化J , 週刊シルクロード紀行.14 8 号,朝日新聞社, 2 0 0 6. 9,pp. 12 1 5. E且 盤 盟 r シルクロード人物伝 4 8 張保皐 J( 同 pp. 18 1 9). 国虫盤盟 r 民族と 宗教 4 3 華厳宗 J( ~司 p.22) . 塁杢払i 二 「ウナギの水産物流通の近況 J , 魚の売 r り方・流通を考える 1 .( 月刊 [ 養殖 J臨時増刊号) インターネ ッ ト上でも公開 ( h t t p: / /www. m i n p a k u . a c . j p/ 巴d u c a t i o n/u n i v e r s i t y I gourmet/). 「資本主義が発展すれば、 宗教や信仰は 日本のモンゴル研究者,島村一 ,モンゴルの雑誌 Terguun 誌に掲載 平に訊く 一 J さ れ た イ ン タ ビ ュ ー 記事 , 2006年 9月 , r刻 志』倭人伝を「東夷伝」 全体から r 読み解く J , 歴史読本. 15 1巻 3号,新人物往来社 , 田空盤盟 阜 担 二 主 翻 訳) 日本企業はモンゴルに投資し なくなるのか? E且壁盟 田虫盛盟 「特集・ケータイ:モ ンゴルのあんだ 館 ,2 0 0 6年 5月 1 5日. 量担二主・ 地域のかかわりから現代を見つめ直す。心象図法 で描く「ふるさと絵扉風」滋賀銀行文化セ ンター. 警察本部(連載). J12 緑書房,近刊 . 温瞳二孟・五山里治ほか r 八幡堀歩き 町家の価 値再発見」県立大「古民家楽座」プロジェクト, 0 0 6年 1 1月 1 4日. 讃賓新聞しが県民情報, 2 並ー盟通:テレビ・ 新聞 遺跡調査に関するコメン ト,各社計約 3 5件. ( 1 0 0). 萱盆玄副 :多数. (6) TV・ラジ‘オ番組への出演 匙邑単産 滋賀 豆皇室岨圭 :FM r 昭和 1 0年代、乾板写真と古老たちの証 2 ). 言で再現J(毎日 1/1 おでかけ「湖岸通り 7 7番地」 公開生放送, 2 0 0 6年 9月 1 5日. 人間文化・ 55 人・間・文・化・通・信 直邑単産 「びわ湖放送滋賀経済 NOW j (6/2 4). 〔 =生活文化 1 3 4 , 2 0 0 6 韮王亙亙1}: IFEMALEBODY DEPICTED IN 蛙一」重通:テレビ出演 3回,各約 1 0分. t 〈生活デザイン専攻〉 UKIYO-EINTHEEDOPERIODj日本デザイン . 1 5 3,No. 1,p p . 4 3 5 0 学会 『デザイン学研究 jVo 時代の体形との比較」 ヒューマンイン 量化 と他の l タフェ ェ 1.研究活動 1 写真 に基づく明治期女性の体形の定 韮王亙亙i 斗 0回ノンパーパルイン タフ ス学会『第 1 ス研究会論文集 jp p .1・8 韮主亙亙l 斗 1 浮世絵に描かれた小袖着衣形態の定 量 的考察」芸術 工 学 会 『芸術工学会誌 jVo . 1 40, Ma r .06,pp. 15 2 0 (1)受賞 面去埋i k :日本デザイン学会平成 18年度年間論文賞 ( 1英国における鍋の近代化一一近代家庭機器のデ デザイン学研究 J第5 2巻 1号/通巻 ザイン史 j, W 1 6 9 号掲載) 直一」盈塁:第 5回北のデザイン賞 1 浮世絵に描かれた女性の人体形態の 芸術工学会誌 jVo . 1 4 1, 定量 的考察J芸術工学会 『 Se p . 0 6,p p . 6 6 7 3 韮主亙亙1}: 1 浮世絵における女性像とその定量化」 明日のゴミ箱/ ポーラ文化研究所 W MAQUILLERjVo. 126, No 0 6,p p .4-5 最優秀グランプリ 直一旦蓋:国際交流・親善 切手デザインコンクー ル/佳作 韮王亙亙1}: 1 2 0 0 6年秋冬パリ・ミラノコレク シ ヨ ンの傾向」 日本繊維製品消費科学『繊維製品消費 0 0 5/ 直一盈云 :アレスデザインコンペティ シ ョン 2 最優秀賞・入賞 且 且 云 .ニトリ 科学 JVo . 1 4 6,No12,p p . 1 7 2 1 池尻隆史・安藤正雄・布野修司・山並且・片岡巌 ワンハウス トー タルコーデイネ 0 0 6/優秀賞 デザインコンテスト 2 ー シ ョン 直一盈塁 :Ni s senDesignAward2 0 0 6/最優秀賞 直~ 蓋王車道i 斗 鹿児島 CGコンテスト 2 006/静止画部門 大賞 直一盈塁:富 山プロダクトデザインコンペティショ ン2 0 0 6/審査員特別賞 直一盈翠 : ト ーヨーキ ッチンデザインコンペ 2 0 0 6/ 優秀賞 「ネイティブタウン ( インド,ムンパイ ) におけ るチョールの類型に関する研究 j,日本建築学会 O . 6 0 3、 p p . 3 7 4 4、 2 0 0 6 . 5 計画系論文集 N Shu Yaman , . e Shuji Funo,Takashi I k e j i r i, “S pace Formati on andTransformation o ft h e n d i a",P r o c e e d i n g s UrbanT i s s u eo fOl dD e l h i,I 6 t hI n t e r n a ti o n a lSymposiumon Arch it e c t u r al ,Daegu ,K orea,Vol . l .p p . 5 4 9 I n t e r c h a n g ei nAsi a 5 5 4,2 0 0 6 . 1 0 直一盈云:堀江スツール/銀賞 布野修司,安藤正雄,青井哲人,山正旦」童,山本直 彦 他 ・2 0 0 6年日本都市計画学会賞論文賞 ( 布野 修司編著 『近代世界システムと植民都市』京都大 学学術出版会, 2 0 0 5) (4) 報告書(科研、受託研究費等) 匝去盟企 7年 度 ・彦 根 市 史 民 俗 部会 報告書 平成 1 『彦根旧城下町における町家の考現学 的調査報告 書j ( 2 0 0 6/ 3 ) 道盟蓋屋王 :学内特別研究費実績報告書 「花弁のア ( 2 )著書・作晶 E去盟企:道具学会 2 0 0 6/ 3) ントシアニンによる染色 j ( 『 季刊道具学 j第 1 5 号研究特集 0 0 6. 12 号(責任編集) 2 低空室二重:BarL acour ( 基本設計・ 実施設計・デ 韮王室亙i ι l : 1 浜ちりめんの洋装化に関する研究」 7年度研究 滋賀県東北部工業技術センタ ー 『 平成 1 報告書』、 pp . 6 7 ・ 6 8 ザイン ),大阪梅田茶屋町, 2 0 0 7 . 2 低空圭二蓋:a ngera 基本設計・ 笑施設計一実施設 計の段階で中止) (5) 学会口頭発表 古漬裕樹・牛田智・東井恵理奈・道盟蓋畳王 1 ク ズの葉を用いた葉緑素染色」日本家政学会関西支 ( 3 )研究論文 1 戸建住宅の玄関アプローチの実態と居 亘杢珪王 .57. No. 住 者 の 意 識 」 日本家政学会誌, VoI 5, p p 3 2 3 3 3 1, 2 0 0 6 亘杢雄王 1 高齢者 ・若齢者の色識別性と色彩イメ ージ」日本色彩学会誌, Vo. 130, No.3, pp124・ 56 ・人間文化 8回 ( 通算 8 4回)研究発表会 ( 2006 /1 0 /1 4) 部第 2 韮王室亙1}: I P r o d u c t i o nCl o th i ng j WModernism d e s i gni n ganewworld l .( 作品発表), V i c t o ri a& Al b e r tMuseum,London ( 2006/416-7123), MARTaHerfordνius巴um,Germany ( 200619 11 6 2 0 0 7 1117) 人・閏・文・化・通・信 韮王亙藍l 斗 I 重なりの構成 新しいテクスチュア 作品発表), の表現」 服飾文化学会 『 第7回大会 j ( 同志社女子大学, ( 2 0 0 6 -511314 ) 且直比昌蓋 :I 信楽グラン ドデザインシンポジウム 」 信楽焼振興協議会 I 十和村廃校再生ワ ー クショップ」 高 盟直比昌孟 Shu Yamane “ Space Formation and Transformati on o ft heUr ban T is sueo fOl d Del h i,I ndi a " ,6 thI nt e r n a t i ona lSymposi um o n Arch it e c tur alI nt erchange i n Asi a,Daegu, Korea,2 0 06 . 10 . 26 知県四万 十町 E去 盟企 I 道具学 からみた近代家庭機器のデザイ ン進化 」 平 成 1 8年 度 滋 賀 県 立 大学 春 期 公 開 講 座 ( 2006/6/17) 遵盟蓋畳王 「猿楽の時代」と「闘茶」展,株式会 社政所閤夢京橋展 2Fギャラリ ー ( 200616/24 2 5) ( 6 )競争的資金 韮王亙亙L, , :I近 世 女 性宮廷 衣 裳 の 発 表 Jr 知る場 一 学祭』彦根市社会福祉協議会主催 ( 2006/9/5) 学内特別研究費 韮王亙亙L, 道盟蓋畳王 ( 代 表 花 弁 の ア ン ト シ ア ニ ン に よ る 0万円 染色, 3 , :I日本の祭り 一藍とデニム /伝 統 と現 1回国民文化祭 j山 代」展における作品発表『第 2 口市実行委員会主催,山口市中市コミュニテイホ ール ( 2006 /1 113-5) 科学研究費 補助主主 E主盟企 Nac'i 主」堕去 :神戸 ファ ッシ ョン 美術 館 ( 20071 I エコミュ ー ジアムにおける自然共生型 ライフスタイ ル再考教育と人的ネッ トワー クの構 築」研究分担者(代表者:三橋 俊 雄) 韮主亙亙L, , :I江戸期絵画資料に基づく体形と衣服 デザインの定量 的分析および相互作用に関する研 究」萌芽研 究,研究代 表者,平成 17 ~ 19年度 I パ トリ 山良且 「ウ ツデイフロンティア 『しずおか』 関 発事 業発表展示会」代官 山ヒルサイドテラスアネ 2006/2) ックス A棟,東京 ( 且且塁 I 静岡 家 具 メ ッセ2 0 0 6J ツインメッセ, 静岡 ( 2006/6) ック・ゲデスに よる近代都市計 B), 画の理念 と計画手法に関する研究」若手研 究 ( 研究代表者,平成 17~ 1 9年度, 116-2127) 直一」堕孟 9 0 万 ITOYO KITCHENSTYLEDESIGN SEPTEMBER2 0 0 6J トーヨー キ ッチンスタジオ 直一」臣室 南青山,東京 ( 2006 /9) 直 一 盈E :I GALLERY MYDESI GNSi n Worl d 受託研究書 菱 FoodDay2 0 0 6J表参道ヒルズイデアフ レー ムス 自直比邑孟 ・ 「土佐打刃 物 ジャパンブラン ド事業調 査研 究」高知県香美市商工会 I ジャパンモダン和装小物開発事業」 且車広昌志 l immc o l ogne2 0 0 7Jc o e l nmesse,c o el n, Germany ( 200711) I macefi n t e r n a ti ona lho mes how2 0 07 J F i el aMil anoInternati onal, Mi lano,I tary 株式会社清原 直一且塁 民 間研究助 成 亘杢盤王 2006/10) ギャラリー,東京 ( 直一」堕去 ( 2007/1) I 景観お よび視認性に配慮した視覚障害 山.1lL1宣・ 「インドにおける都市空間構成 一都市形 者誘導用 ブロ ックの色彩に関する 研 究」 トステム 態 ・街区空間・住居 建材産業振興財団 人 類学 的 研 究 ・研 究 報告会, 国立 民 族 学 博 物 館 山正巳」宣 研究 他 I インド洋海域世界における港市の イン ド ・カッチ 地 方 を 中 心 と し て 」 」南アジアにおける都市の ( 20 06/7/2) 山.1lL1宣 I カ ッチ地方の港市」 プ ロジ、ェク ト ・グ ( 財 )なら・シ ル クロ ード 博 記 念 国 際 交 流 財 団 シ ジャラ ート 研究会研究発表会,東京大学生産技術 5 0 万 ル クロード学研究センタ 一課題研究,代 表,1 2007 11127) 研究所 ( その他 ( 2 )出張講義等 国車出 8$: I 北 イタ リアの地域産業における製品 開発の現状調査」滋賀県立大学在 外研 修 道盟蓋虚王 草木染め教室講師,多賀 町中央公民館, 近江猿楽多賀座 ( 200616134) 道盟蓋量王 :多賀 町生涯学習講座講師 ( 草木染め講 1 1 . 地域・社会・国際貢献 義と 実 習 指 導 ), 春 期 ( 2006/7/15-6),秋 期 ( 20 06 /1 0 /28 ,1 114-5) (1)講演会・展覧会 回直也昌亙 I 産学連携 によ る まちづくり JWA A K主催,大阪産業創造館 ( 3 )告種審議会 ・委員会委員 国直也邑孟・ 「信楽焼総合展」審査委員長 人 間 文 化・57 人・閏・文・化・通・信 E去直i k: i 炎j 毎ユニバーサ ルデザイン賞審査委員長 ( 4 )学会委員会委員 pp. l7 1 2 0 3( 分担執筆) 栄養教育論J 医歯薬 出版 (共著) しょうが+ココア J 健康, 1J主婦 濫杢盟蓋 0 0 7,pp. 1 6 2 1 6 3 の友社, 2 呈出皐王 芋と近江のくらし」サンライズ出版, 2 0 0 6 (共著) 壷韮量盟 r p o sを活用した栄養カ ルテ の作成」 『 管理栄養士技術ガイド』文光堂(分担執筆) 急性勝炎・慢性肝炎 ・胆嚢炎 J 事 逼韮量盟 例・症例に学ぶ栄養管理 I南 山堂(分担執筆) 面主堕企 :日本デザイン学会第 4支部長 k:日本生活学会役員等選出委員 面去埋i (3) 研究論文 ~豊丘 :道具学会論集編集委員 く │o ukiOno,く !imikoUrab E虫盟王 (i滋賀県健康福祉政策課事業) t: i 炎海ユニ バーサ ルデザイン製品アイデア 直去埋i コンクール審査委員長 (滋賀県健康福祉政策課事 業) I :彦根市史民俗部会委員 面去埋i . l n nuDまちかどウォッチャ ー・ UD 亘杢珪圭 :守 I チェック基準づくりチ ーム リー ダー 直去:屋企:デザインフォ ーラ ムSH IGA運営委員 遵盟蓋虚王:日本家政学会関西支部総会実行委員 道盟蓋屋王 :日本家政学会被服整理学部会公開講演 会「衣の最前線」実行委員 亘杢盟王 :日本建築学会建築空 間の質感・色彩設計 法小委員会幹事 o u r n a l o fAsi a nA r c h i t e c u t r e 山 盈 且 .日本建築学会J a ndB u il d i ngEngi n巴巴r i ng ( JAABE) 編集委員会 E d i t o r ( 5 )総説,一般向け(雑誌・新聞等)記事 E去: 屋企 「国際学会参加報告『デザインと進化 J デザイン史学会年次大会 2 0 0 6,デルフト工科大学」 5号 季刊道具学』第1 r 遵盟蓋虚王 生活デザインの現場から ⑦ の取り組み」人間文化 2 0 号 ( 2 0 0 7 /3) r 「 季節を纏う J まちの広報誌 道盟蓋量圭 染色へ たが』 2 0 0 6 N o . 7 0 9 山握一旦 地域連携・大学関連携の実践型木造建 築教育『木匠塾 J J建築雑誌No. l5 5 7,日本建築学 会 ( 2006 /3) r 〈食生活専攻〉 [研究活動 (1)受賞 塵週週王:第 2 1回日本母乳晴育学会学術集会奨励賞 母乳は食物アレルギー予防のワクチンか?J ) r ( ( 2 )著書 盤国亙己 国家試験徹底分析 管理栄養士 医学 p . 3 4 6・ 3 7 0 (分担執筆 :第 系集中講義 J金芳堂, p 2 9節食品管理,第 3 0 節食品保存,第 3 1節食品添加 2節食害) 物,第 3 r r 新全科の要点 J 管理栄養士国家試験 盤国亙己 4. 基 礎 栄 養 学 j 第 一 出版株式会社, 2007, 58 ・ 人 間 文 化 r r r r r r e .Aya Sumiyoshi. Tomonori NadamotQ and Yoshiyuki Nishikawa. Growth I n h i b i t i o no f Food S p o i l a g巴 B a c t e r i aby Wild-GrassE x t r a c t s FoodP r e s e r v a t i o nS c i e n c e .3 2( 6 ),2 0 0 6,p p . 2 6 9 2 7 3 固杢歪己 目的の異なる高齢者福祉施設利用 者の ,滋賀社会福祉研究, v ol8, 骨密度と身体活動量 J 2 0 0 6,pp. l9 2 2 固杢歪己 重症心身障害児・ 者の栄養アセスメン トJ ,滋賀社会福祉研究 ( 印刷中) 地域高齢者の骨粗怒症予防に関する健 圃杢歪己 康意識 ・行動変容に及ぼす栄養教育の効果」滋賀 社会福祉研究, ( 印刷中) 和田英子・壷孟亙・佐々木隆造・西牟田守 ・宮崎 秀夫・花田信弘・盤E亙己 高齢者の I 血液中 NAD ( H)および NADP ( H)含量 j ビタミン, 8 0 (3),2 0 0 6,pp. l2 5 ・1 2 7 Kimura N.Eukuwatari 1 . Sasaki R.and Shib 旦 ヨ . . . K . , . : Fateo fe x o g e n o u sNADHi nm i c e: Comparison o fm e t a b o l i cf a t e so fexogenous a d m i n i s t r a t i o no fn i c o t i n a m i de . NAD+. and NADH." . J Nu t rS c i Vitamono. l5 2 ( 2 ),2 006, p p . 1 4 2 1 4 8 呈出国t aK .Eukuwatari1 .Iguchi Y. I くu r a t aY . Sudo M. andSasaki R . ."Compari s o no ft he e 妊e c t so fd i ( 2 e t h y l h e x y l ) p h t h a l a t e.ape r o x i s o m e p r o l i f e r a t o r s on t he vitamin metabolism i nvol vedi nt h e ene rgyf o r m a t i o ni nr a t sf e d with the c a s巴i nand gluten d i e t s " .B i o s c i B i o t e c h n o lBiochem,7 0 ( 6 ),2 0 0 6,pp. 1 3 3 1 1 33 7 渡濯敏明・大串美沙・前川紫・西牟田守・盤国豆 己 ・ 福 井 徹 ・ 「健常成人におけ る葉酸の必要量 についての検討」日本栄養・食糧学会誌, 5 9(3, ) 2 0 0 6,p p . 1 6 9 1 7 6 盛田豆己 健康 を維持するための水溶性ピ タミン 量ーその計画と評価方法 」科学と工業,8 0(4), 2 0 0 6,pp. l5 9 1 6 5 r r r r r 人・閏・文・化・通・信 盤国亘己・逼是主・塵遭遇王 I ビタミンの食事 摂取基準の策定方法と策定に用いられた数値」生 物試料分析. 2 9( 5 ) .2 0 0 6 .p p . 3 9 9 4 0 9 岸本三香子・海野知紀 ・田且盟王 I 難消化性デキ スト リ ンを配合したデザート 飲料の摂取が女子学 生の排便状況に及ぼす影響」武庫川女子大学紀要 4 巻 自然科学編,第 5 要因に関する研究」平成 1 5年度 平成 1 7年度文部 10万円) 科学省科学研究補助金基盤 C (単独. 3 2 0 0 6 . 5) 研究成果報告書 ( 呈i l l 旦王 :社団法人京都府茶業会議所学術研究助成 0 万円)報告書 ( 2 0 0 6 . 2) 金(単独. 7 塵遭遇王 I 日本人の食事摂取基準(栄養所要量) の 7年度厚生労働科学研究 策定に関する研究」平成 1 費補助金循環器疾患等総合研究事業分担研究報告 濫杢盟墨・石川裕美「米原における梅花藻文化とそ の食素材化 J 人間文化 2 0号 j .2 0 0 6 .p p . 5 5 6 2 3 5・6 5 書. pp. 呈出皐王 I モンゴルの女子大学生の飲み物飲用実 態と意識ーウランパートル出身者と地方出身者の (5) 学会口頭発表 r 比較ー」日本食生活学会誌. 1 7 -3 .2 0 0 6 .p p . 7 0 ・ 7 5 H江旦豆旦斗ム, “Determination o ft h e majorf o o d a l l er g e n,ovomucoidwi t ha no i l g o c l o n alenzymei I nke dimmunosorbenta s s a y " ,i nS .I i j i m a,and K .N i s h ij i maeds . , “ Anima l Cel Technol og y : Basi c & Applied Aspects" , Spri n ge r, Dordrech , t2 0 0 6,p p .31 7 -3 2 3 H塩♀豆旦斗~, “O v a l b u m i n r e l a t e dgeneY p r o t e i n b e a r sc a r b o h y d r a t ec h ai n so fo v o m u c o i d -t y p e ", B i o s c i. B i o t e c h n o . lB i o c h e m . 7 0,2 0 0 6,pp. l4 4 1 5 1 Hirose J - “ Food i n take and f u n c t i o n a l c o n s t i p a t i o n : ac r o s ss e c t i o n als tudy o f3835 J a p a n e s ewomena g e d1 8 2 0y e a r s " ,JNu t rS ci Vitami no . l5 3( 1 ) H江皇室旦斗品 “Dietaryf i be ri n t a ke ,d i e t a r ygl y c e m i c i n de xandl o a d,andbodymassi n d e x :ac r o s s s e c t i o n a ls t u d yo f3 9 31J a p a n e s ewomenaged 1 8 2 0y巴a r s " , EurJC l i nNutr( a c c e p t e d ) H江旦主主~ “A ssoci a ti o n b巴tweend i e t a r yf i b e r, water,a ndmagnesiumi n t a k e andf unc ti o na l c o n s t i p a t i o n amongyoungJ a p a n e s ewomen" EurJCl i nN u t r ( a c c e p t e d ) 温毘量蓋王・酒井久仁子・濫杢盟蓋 「野草のラジカ ル捕捉能の検索」日本家政学会第 5 8回大会研究発 2 0 0 6. 5 . 2 8 秋田大学) 表 ( 通置量蓋王・石村優佳・濫杢組蓋 「オオニシキソウ (Eu phorbi am a c u l a t a) メタノ ール抽出物 中の抗 3回大会講演 菌活性物質」日本食品科学工学会第 5 ( 2 0 0 6 . 8. 3 0 日本大学) 固杢歪O : I 重症心身障害児・者の栄養アセスメン ト (報告そのl)J第 4回日本栄養改善学会近畿 支部学術総会 ( 2 0 0 6 ) 国主歪己 「重症心身障害児・者の食事摂取量と栄 養アセスメント」第 4回日本栄養改善学会近畿支 部学術総会 ( 2 0 0 6 ) 国杢重己 I 若年男性における骨密度と血清レプチ ン濃度の関係」第 6 1回 日本体力医学会大会, ( 2 0 0 6) 塵遭遇呈・長尾早枝子・成田宏司・逼昆2 ・盤国 亘己 I 晴乳量お よび母乳中の成分」第 5回日本 栄養改善学会近畿支部学術総会(平成 1 8 年1 2月1 0 日・奈良県北葛城群畿央大学) I 食品中の水溶 鳥居康子・吉田永史奈 ・豊田豆己 性ビタミンの系統的分析システムの構築」第 6 0回 日本栄養・食糧学会大会(平成 1 8年 5月・静岡市) 逼韮量堕・「 自由食摂取時の日本人男女学生の血液 中の水溶性ビタミン値について J(投稿中) 吉田永史奈・逼渥室・佐々木隆造・盤国亙己・ 「 飢 餓時における B群ビタミン尿中排i 世量の変動」第 世量からみた食事中の B群ビタ 「尿中排 I 6 0回日本栄養・食糧学会大会(平成 1 8年 5月・静 投稿中) ミンの利用性について J( 軍基量盟 I 腎不全(代償期・ 非代償期を含む)患 者を対象に した食事コン トロールと QOL の評価 岡市) 逼 足A.葛谷真子・佐藤志織・佐々木隆造・皇国 主己 「ビタミン Blとビタミン B2 の上限量設定の ための基礎実験」第 6 0回日本栄養・食糧学会大会 逼韮量盟 方法 J(投稿中) 8年 5月 ・静岡市) (平成 1 (4) 報告書(科研,受託研究費等) 盤aA己 I 脳内生理活性物質代謝異常マウスの解 析と脳機能保護食品の開発」科研費成果報告書 I 日本人の食事摂取基準(栄養所要量) 皇国亙三 の策定に関する研究」科研費成果報告書 田虫盈王 :京都発地域教育のすすめ第 8回「 地域教 育フ ォーラム・イン 京都」報告集 呈山皐圭 ・「正しい食習慣確立のための食行動変容 津村弘美・伊東景子 ・逼涯一盟・佐々木隆造・盤国 車己 I ビオチンの大量摂取がラッ トに与える影 響」第 6 0回日本栄養・食糧学会大会(平成 1 8年 5 月・静岡市) 奥野海良人・松本圭代・逼見A '佐々木隆造・盤 I リジン投与に よるラ ッ トの代謝に及ぼ 国亙己 す影響」第 6 0回日本栄養・食糧学会大会(平成 1 8 年 5月・静岡市) 人 間 文 化 ・ 59 人・間・文・化・通・(言 r 皇国亙己・塵遭遇王・逼孟五 ヒト尿中の水溶 性ビタミン含量」 ビタミン B研究委員会第 404回 研究協議会(平成 1 8 年 5月・徳島市) r 8回大会(平成 1 8年 5月 ・徳島市) タミン学会第 5 塵遭遇圭・吉田永史奈・津村弘美・木村尚子・逼遮 室・福井富穂・佐々木隆造・佐々木敏・皇国亙 r 日本人若年女性の尿中水溶性ビタミン排池 8年 5 量 J日本ビタミン学会第 58回大会(平成 1 月・徳島市) く │a tsumi8hibatQ ,I sutomu FukuwatarL and Ryuzo 8asaki,“Phthal a t ee s t e r se nhance q u i n o l i n a t ep r o d u c t i o n by i n h i b it ing ami n o carboxymuc on a te s e m ia l dehyded e c a r b o x y l a s e ey enz ymeo ft h et r y p t o p h a n (ACMSD),ak n i a c i n pathwa y " , The 11 th Meeting o f I n t e r n a t i o n a l Study Group f o r Tryptophan Ju ly,2006,Tokyo,] a p an ) R e s e a r c h( くu wataQ,Paolo G u i d e t t i,Laura Tsutomu F u l Amori,YasushiK a j i ,i andRobert8chwarcz, Mitochondrial g l utamate-oxaloacetate t r a n s m i n a s e : at h i r df u n c t i o n a lk y n u r e n a t e p r oduc i ngenzymei nt h ema m ma l i a nb r a i n", The1 1t hMee t i n go fI n t e r n a t i o n a lS t u d yGroup Ju ly,2006,Tokyo, f o r Tryptophan Res e a r ch( ] a p a n ) Alato Okuno,1sutomu FukuwatarL Ryuzo 8asaki, and <atsumi 8hibata “C h a r a c t e ri z a ti o no ft r y p t o p h a n n i c o t i n a m i d e metabol i s mi nr a t sf e d wi t h a excessi ve tryptophan d i e t " , The 11 th Meeting o f I n t e r n a t i o n a lStudy Group f o r Tryptophan Ju l y,2006,Tokyo,]a pan ) R e s e a r c h( くobayashiI く,皇国恒星t aK,andFukuoka I m a iK,1 . Anal y s i so fH u n t i ng t on' sd i se a s et r an s ge n ic 8 1,. a m i c eb a s e do n"Qui n i l i na t e hypo the s i s ",The 1 1 thM e e t i n go fI n t 巴r na t i o n a lStudyGroupf o r TryptophanRe s e a r ch( Ju l y,2006,Tokyo,] a p a n ) 杉本恵麻・逼謹~・盤国豆己 r 田空盟圭 ・岸本三香子・曽我郁恵 : 大学生のメン 逼 孟J査・関かおり・津村弘美・吉田永史奈・佐々 木隆造・盤国車己 ラッ トへの葉酸の過剰投与 が水溶性ビタミンの代謝にお よほす影響」 日本ビ 己 チンの過剰投与に関する研究」 日本栄養 ・食糧学 5回近畿支部大会 ( 平成 1 8 年1 0月西宮市) 会第 4 r尿を用いた新し 3回 タルヘルスと生活行動との関連について」第5 2 0 0 6 /1 0 1 2 6 ) 日本栄養改善学会 , ( r r 田虫盟王・馬野美智子・岸本三香子 但│鴨と 生活 習慣 ・性格との関連」日本栄養 ・食糧学会第 4 5回 2 0 0 6 / 1 0 1 2 8 ) 近畿支部大会 ( r 岸本三香子・磯崎基子・橋本加代・田虫盈王 : 幼 児の肥満要因の検討 j第 5回日本栄養改善学会近 2 0 0 6 / 1 2 / 1 0 ) 畿支部学術総会 ( 呈出皐王:第 8回宇治茶健康フォ ーラム「緑茶と健 康(茶粥習俗と伝播経路および分布)J要旨集, 2 0 0 6 . 2,p p. 41 5 9 宮尾紗弥・ 大谷っかさ・岡崎章子・折目朋子・呈山 5 r 米飯( 麦飯) 給食における食料自給率と副 呈王 食の特徴一大津市の場合一」第 4回日本栄養改善 学会近畿支部学術総会講演要旨集, 2 0 0 6 . 3 r 呈山旦王・南雲E紀子・木村隆英 金属イオン共 存下における茶カテキンのサイク リックボルタ モ グラフと OHラジカル生成能J第28回日本フリ ー 006 ‘5 ラジカル学会学術集会講演要旨集, 2 r 岡崎章子・韓順子・里山皐王 女子大学生の食物 消費構造と PFC 比率」第5 3回日本栄養改善学会学 術講演会講演集, 2 0 0 6 塵遭遇王 「外分泌液中の食品タンパク質・ IgA 免 疫複合体の評価」第 6 0回日本栄養 ・食糧学会,静 岡県立大学 r 塵遭遇王 母乳は食物アレルギー予防のワクチン か ?J第2 1回日本母乳晴育学会学術集会,ホテル 紅や r 塵遭遇王 母乳による経口免疫寛容の誘導」 日本 食品免疫学会,昭和女子大学 r 塵遭遇王 母乳晴育による経口免疫寛容の誘導」 日本アレルギー学会秋季学術大会東京国際フォ ー ラム r 塵遭遇圭 糖尿病食における微量栄養素摂取の検 討」第5 3回日本栄養改善学会,つくば国際会議場 r 重症心身障害児・ 者の栄養アセスメン 逼韮量璽 ト( 報告その1)ー エネルギー消 費量の測定一 」 第 4回日本栄養改善改善学会近畿支部学術総会 r いヘルスケア 栄養評価での利用を目的とした水 溶性ビタミンの尿中排池量の測定 J 日本栄養 ・ 重症心身障害児・ 者の食事摂取量 と栄 逼韮量盈 養アセスメン ト」第 4回日本栄養改善改善学会近 5回近畿支部大会(平成時年 1 0月西宮 食糧学会第 4 市) 畿支部学術総会 逼韮量盟 糖尿病食における微量栄養素摂取の検 討J第5 3回日本栄養改善学会学術総会 奥野海良人・茂龍美紀・逼孟~.盤国豆己 rフ タル酸エステルの投与がラッ トの行動に 及ぼす影 5回近畿支部大会(平 響」 日本栄養・食糧学会第 4 成1 8年 1 0月西宮市) 津村弘美・木村尚子・逼孟~.豊田亙己 60 ・ 人 間 文 化 r ピオ r Tsutomu FukuwatarL John B . Wilson,and Robert 8chwarcz, “Oxygen r e g u l a t e s kynurenica c i d formation i nt her a tb ra in i nv ol vemen to fk y n u r e n i nea m i n o t ra n s f e r a s eI I 人・閏・文・化・通・信 and mitochondri algl utamate-oxaloacetate o c i e t yf o rN e u r o s c i e n c e3 5 t h t r a n s a m i n a s e " ,S Annua lMeet i ng,October,2006,A t l a n t a,G, A USA 車田蓋豆 「病院給食経営における原価管理の検討 適正な食材料費に関する研究 J 日本給食経営 2 0 0 6 / 1 1/ 2 5 ) 管理学会 ( 宣E董主 「病院給食経営における収支状況 平成 1 8 年度 4月の診療報酬改定による影響 J 日本栄 2 0 0 6 / 1 2 / 1 0 ) 養改善学会近畿支部学術総会 ( I 酵素処理へスペリジン摂取による女性 濫杢盟蓋 の冷え性改善効果に関する共同研究」江崎グリコ ( 株 ) , 1 0 0 万 濫杢 姐量 Iココナッツ繊維副産物の抗菌作用」 0万 (株)シキ紡, 1 選杢姐墨・ 毘邑単産 I 彦根市食のマップ作成事業」 彦根商工会, 8 0 万 I 下回ナスのポリフェノール分析」湖南 濫杢担蓋 市 , 1 0 万 I 稲枝地域の特産品として開発した,彦 呈出忠王 根梨を原料とするケチャップやドレッシング等の ( 6 )競争的資金 機能性に関する研究」稲枝商工会, 6 0 万 学内特別研究費 民間研究助成 代表),園杢歪己,他「統合的な人間理 石田秀貫 ( 解の方法研究」 I ヒト尿中の水溶性ビタミン含量」ピタ 盤国亙己 5 万 ミン B研究委員会, 2 I ビタミンの尿中排池量と腎機能との関 盤国車己 科学研究費助成金 0万 係」中外製薬(株), 9 温置量蓋王 ・濫杢却蓋「高ポ リフェノール食品の伝 承に由来する新たな機能の科学的検証」萌芽研究, 年度, 1 0 0 万 平成 16-18 I日本人の食事摂取基準(栄養所要量) 華国車己 の策定に関する研究」厚生労働科研費, 5 , 70 0 万 屋遭遇王 I 母乳中の食物アレルゲンの実態および 生理機能」若手研究B,平成 17-1 8年度, 1 0 0 万 逼孟~: I 漢方から見た食塩の冷作用の科学的検 濫杢姐墨 8 年度研究 証」ソル ト・サイエンス研究財団平成 1 5万 助成, 6 I日本人の食事摂取基準 (2005年度版〕 塵遭遇圭 に則したサンドイツチおよびパン食の副食の提供 に関する研究ー特に授乳婦の栄養に考慮して J エリザベスア ーノルド富士財団研究助成, 1 2 0万 I リジン代謝制御による神経伝達物質ド ーパミンの分花、調節作用に関する研究」若手研究 ( B ),研究代表者, 1 7 0 万 受託研究費 政府・公共団体力、忠の補助金 皇国亙己 「健康の維持・増進と食事(生活習慣病 の治療と予防対策)J(財)循環器病研究振興財団, 7 0 万 遁畳量蓋王 ・濫杢盟蓋 I 野草抽出物の魚臭に対す 2 0 万 る消臭効果に関する研究J(株)関門海, 1 田空盈王: I 食育アンケート調査に関する評価分析」 温置宣蓋王 ・謹杢盟蓋 I 食品(特にぬか漬)の保 0万 存料の開発J(株)近江の館, 2 選杢却蓋 通量量蓋王 ・濫杢盟蓋・塵遭遇王 I 凍結乾燥によ る有効成分の保持とその技術を利用した新製品開 00 万 発に関する研究」天野実業(株), 1 温置量蓋王 ・濫杢主日量 日野町 「食品(特にぬかi 責)の自然素材による 保存料の開発」平成 1 8年度滋賀県産学官連携共同 プロジェクト, 1 8 0 万 n.地域 ・社会・ 国際貢献 I サトウキピの糖蜜と有効 微生物群を使用した天然バイオ消臭液 J(有)近 (1)講演会 江屋, 3 0万 圃杢歪己 :I 寝たきりにならないための運動と栄養」 盤国車早 I 塩酸フルスルチアミンとパントテン酸 カルシウムの薬理作用に関する研究」武田薬品工 7 0 万 業(株), 1 盤国亙己 :I たねや製品の栄養素成分に関する研究」 0 0 万 (株)たねや, 1 皇国主己 I ラッ トにおける輸液投与時の尿中水溶 性ビタミン 排池に 関する検討 J(株)大塚製薬工 業 , 3 0 0 万 盤国主己 I パン トテ ン酸の体内動態の研究」第一 ファインケミカ ル (株),5 5 万 講師 彦 根 市 社 会 福 祉 協 議 会 , 太 堂 町老 人 会 ( 2 0 0 6 / 8 ) 圃杢重己 I 学校全体で取り組む食育」滋賀県教育 委員会,滋賀県保健主事会講師 ( 2 0 0 6 / 1 2 ) 国主歪己 「高齢者における冬場の水分摂取」彦根 市西沼波自治会講師 ( 2 0 0 7 / 1 ) 盤国亙己 財団法人 I日本人の食事摂取基準 ( 2005年版) J 滋賀県栄養士会主催・生涯学習研修 会,大津市勤労福祉センタ ー ( 2 0 0 6 111 2 8 ) 盤国亙己 ・「壊血病とビタミン Cの 歴 史 - I 権威主 人 間 文 化・61 人・閏・文・化・通・信 義」 と「思いこみ」の科学史」辻学園栄養士専門 学校主催・ヘルス&ヒュマンサイエンス講演会, 辻学園栄養士専門学校 ( 2006/1/30) 盤国亙己 I 生理活性ミネラルと B群ビタミンの生 体利用率との関係」 ビタミン B研究委員会主催・ 8年シンポジウム 平成 1 I B 群ビタミンと生理活性 ,大阪市立大学医学部講堂 ( 2006/2 ミネラル J 量)の策定に関する研究」班主催・厚生労働科学 研究費推進事業費 ・研究事業による発表会,山口 2006/2/18) 県総合保健会館 ( 豊田亘己 I なぜ,私たちは食べなければならない のか?J滋賀県消費学習グループ連絡会主催・ 生 活情報学習講演会,滋賀県庁 別館二階大ホ ール ( 2006 121 2 2 ) 盤国豆Z ・ 「日本人の食事摂取基準 ( 2005年版)の 活用について」福井県嶺南振興局主催 ・食事摂取 基準に関する研究会,福井県若狭健康福祉セ ンタ 一(2006/3/8) 盤国亙己 I ストレス・環境悪化時に必要量が高ま るパントテン酸 (ビタミン B, ) とその適正摂取 量」第 2回日本疲労学会総会・学術総会主催・ラ 2006 17122) ンチョンセミナー,大阪国際会議場 ( I ビタミンの食事摂取基準の総論につい て」厚生労働科学研究費補助金「日本人の食事摂 取基準 ( 栄養所要量) の策定に関する研究」班主 催 ・厚生労働科学研究費推進事業費・研究事業に よる発表会,岐阜大学応用生物科学部大講義室 ( 2006 /1017) 壁a.R.己 「水溶性ビタミンの摂取基準について」 日本ピタミン学会主催・平成 1 8年度日本ビタミン 学会市民公開講座 ( 2006 /1 1/1 1) 盤国車e.: I 日本人はビタミン欠乏を克服した」厚 生労働科学研究費補助金 「日本人の食事摂取基準 ( 栄養所要一 皇)の策定に関する研究」班主催・厚 生労働科学研究費推進事業費・研究事業による発 表会 ( 2006 /12/16) E且盈王 IWHY 食 育 ?J( 特 別講演 「 基調講 演J )I 幼児の 食育 J( シンポジス ト)第 8回「地 域教育フォーラム ・イン京都」基調講演,京都国 際会議場 ( 2006/818) 田虫盟圭 I 食からみた子どもの健康」滋賀県小児 保健学会特別講演,滋賀県立男女共 同参画セ ンタ ー ( 2006/101 2 1 ) 国且盟王 I 児童の岨鴫能力 J1 8年度文科省委託 「生活習慣病予防を目指した歯・口の健康っくり 推進事業」研究発表会特別講演 (2007/2) 濫杢担蓋 62 ( 2 0 0 5 .9. 2 8) I 湖西まちづくり市民大学JNPO法人湖 濫杢盟蓋 2006. 3 西生涯学習まちづくり研究会どろんこ, ( より 2 0 0 6. 10まで計 6回) 呈出旦圭 I 公衆栄養 ( 居宅高齢者,障害者・児 ) J 栄養ケア・マネジメント講座,滋賀県立男女共同 参画センタ ー 11 0) 盤国亙旦 I 生活習慣病とビタミン」厚生労働科学 研究費補助金「日本人の食事摂取基準 ( 栄養所要 盤国亙己 職員研修会 ・滋賀県教育委員会,滋賀県立大学 I 漢方から見た食品の性質」滋賀県学校 ・ 人 間 文 化 呈~王 I健やかな心身の成長のための食育」米 原市立米原小学校学校保健委員会 呈出呈王 「 茶粥習俗の伝播と分布」宇治茶健康フォ ーラム 「 緑茶と健康」社団法人京都府茶業会都庁 呈山里王 里山旦王 「 食育とは」稲枝東小学校教職員 I 食育の必要性と現状」湖北ブロ ック学 校給食連絡協議会研修会,西浅井町教育委員会 I 体の機能を調整する成分」淡海生涯カ 呈山皐王 レッジ,彦根市教育委員会 呈山呈王 書から I 子どもの食生活の現状と課題一食育白 」多賀 町地域教育力推進協議会 逼 且 量 盟 第 9回日本病態栄養学会 i 寅題座長 逼且宣車:第 36回滋賀県公衆衛生学会 健康づくり 一般演題座長 肝疾患。一般 健康教育・ 通韮宣盟:第 4回日本栄養改善学会近畿支部学術総 会 シンポジウム 「 多職穫がかかわる栄養と介護」 座長 逼韮量盈 第70回記念日本循環器病学会総会・学術 総会 コメデイカルセ ッション「循環器疾患患者 の生活習慣ならびに栄養指導 ( 栄養士) J座長 3回日本栄養改善学会学術総会 テー 逼韮量盈 :第5 マセ ッション 糖尿病の栄養管理基調講演及び 座長 逼韮量盟 第 2回 日本給食経営管理学会学術総会 シンポ ジウム「給食経営管理の現状 と今後の方向 性を考える 」座長 I 高齢社会・生きがいある人生とはー活 逼韮宣車 動的な 8 5歳を目指して,運動・食事からの提言 」 ( 社)滋賀県栄養協会市民公開講座 I 生活習慣病予防と食事コン トロール 逼韮量盟 メタボ リツクシン ドロー ムを中心として ーJ( 社) 大阪府栄養士会研修会 I 肥満にならないためにリ湖南市北 山 逼韮量盟 台区健康づくり教室 逼韮量盈 ・「栄養指導における POSの活用について」 ( 社)兵庫県栄養士会 逼謹一塁 I ナイア シン,パン トテ ン酸, VBI につ いて j厚生労働科学研究・研究成果等普及啓発事 業・循環器疾患等生活習慣病対策総合研究事業に よる発表会「ビタミンの現在・過去 ・未来と食事 摂取基準 欠乏症の克服から生活習慣病の予防 人・間・文・化・通・信 ~J .I日本人の食事摂取基準の策定に関する研究」 班主催,岐阜市 ( 2 0 0 6 / 1 0) 壷謹一塁 :厚生労働科学研究推進事業費:研究事業 による発表会「健康の維持・増進と食事一生活習 慣病の治療と予防対策 誼韮量盟 i 医療機関における新しい栄養管理シス テム 」大阪青 山大学 童国車主 i 台所から考える 地球環境 エコ・ クッ キング ~J 京都府立南陽高校 (2006/ 11 / 1 5) 」世話人(開催責任者: , i 日本人の食事摂取基準の策定に関す 盤国亙己) 2 ) る研究」班主催,彦根市 , (2006/1 ( 3 )告種審議会 ・委員会委員 盤国亙己 :ビタミン B研究委員会(委員 ・幹事) 宣田豊主 i 給食経営管理の実際」福井県栄養士会 卒後研修会,福井市 ( 2006/711 5 ) 盤国豆己:必須アミノ酸研究委員会(委員) 盛田豆己:日 本ビタミン標準化検討協議会(副理事長) 宣田蓋主 i 幼児期の食育」調理実習「子どもと一 緒に作るおやつ」彦根市内保育所保育士調理員研 盤国亙己 :日本生活協同組合連合会食品添加物研究 修会,滋賀県立大学 (2006/1 119) 委員会(委員) 盤国主己・ビ タミン協会活動小委員会(委員) 些国亙己 ・ビタミン B研究委員会活動小委員会(委員) ( 2 ) 出張講義等 皇国亙己 -滋賀県立成人病センタ 一治験委員会(委員) 通量貴重呈:彦根市保育協議会衛生管理研修会 盤国車己:滋賀県立小児保健医療センタ 一治験委員 会(委員) 盤国車己 :滋賀県食の安全対策委員会(委員長) i スポ ーツと栄養」滋賀県立大学高大連 固杢歪己 携講座 (2006/8) 固杢歪己 i 最新の栄養学 スポーツと栄養 ターホーム協会 (2006/8) 」ベ 濫杢却量:米原市情報公開審査委員会(委員) 「離乳食について JUSp子育ち応援ラボ 濫杢盟量:彦根商工会議所ひこね元気の「タネ」発 見ワークショップ(食:コ ーデ イネ ーター) 2006 /9) 「うみかぜJ( 固杢歪己 i 成長期の骨密度と栄養」滋賀県教職員 10年 経 験 者 研 修 , 滋 賀 県 総 合 教 育 セ ン タ ー 濫杢盟量 :滋賀県健康づくり県民会議(顧問) 濫杢盟量:滋賀県健康・栄養マップ専門委員 濫杢盟量:びわこ放送ときめき滋賀 S番組地元サボ 固杢歪己 ( 2006/9) 固杢歪己 i 脳を活性化す る食生活J滋賀県立守 山 高等学校出張授業 ( 2006 /1 1) 盛田亘己 i ビタミンとヘルスケア」辻学園栄養専 門学校・集中講義 (2006/1012) 皇国車己 i ビタミン学特論」岐阜大学大学院応用 ート会議(議員) ι 呈 旦 王 :滋賀県建設省所管公共事業評価監視委員 会委員 呈山里王:滋賀県薬事審議会委員 呈出旦王 :多賀 町社会教育審議会委員兼公民館運営 2006/1215-6) 生物科学研究科 ( 審議会委員 呈出皐王 :高島市安曇川町商工会アドペリ ー商品認 E且盟王 i 食行動と生活習慣病 J1 8年度「淡海生 涯カレッジ」講座講師 ( 2 006/9) 定委員会委員長 軍基量盟 :滋賀県公衆衛生学会理事・実行委員 田虫盈王 i 食指導の実践に向けて」甲賀学校栄養 職員研修会講師,湖南市役所, 滋賀県小学校教育 壷 韮 宣 車 社)日本栄養士会第 1 5回国際栄養士会 委員会 ・中学校教育委員会 (2006/1 1 ) 議財務委員会委員 逼韮宣璽:日本糖尿病療養指導士認定機構・日本糖 田虫盟王 i 食事調査方法と評価」メタボリツクシ ンドローム予防専門研修講師,滋賀県大津健康福 尿病療養指導士認定試験委員 彊韮量盤:滋賀県健康づくり県民会議委員・専門部 祉セン ター・財団法人 滋賀県健康づくり財団 会委員 逼韮量麗 :滋賀の健康 ・栄養マップ調査専門委員会 ( 2006 / 1 2 ) 国且盟王 i 栄養教育論 Ji 管理栄養士国家試験受 験準備講習会」講師,兵庫県栄養士会 ( 2 0 0 6 /1 0 ) 委員 壷韮亘盟 :食と農と環境を考える県民会議委員 田虫盟王 i 栄養教育論Ji 管理栄養士国家試験受 験準備講習会」講師,大阪樟蔭大学 (2007/2) 逼韮量盟 ・健康いきいき 2 1推進委員 軍基量麗 .滋賀県米消費拡大推進連絡会議委員 塵遭遇圭:滋賀県教育委員会 1 0年研修会 逼韮量藍 i 食に関する個別対応」平成 1 8年度学校 逼韮量盈 :食育推進連絡会議委員 栄養職員 5年経験者研修 i 食生活に関する個別指導」平成 1 8年度 壷韮量盟 学校栄養職員 1 0年経験者研修 逼韮量盟: i 模擬講義 管理栄養士の職務について」 滋賀県立八日市高等学校 (4) 学会委員会委員 豊田豆己 日本栄養・食糧学会6 0周年記念事業委員 会委員 益田豆己:日本ビタミン 学会 トピ ックス委員会委員 田虫盟王:日 本薬理学会評議員 人 間 文 化・63 人・閏・文・化・通・信 田虫盈圭 :日本栄養改善学会評議員・同近畿支部役員 〈人間関係専攻〉 田虫盟王 :第 4回日本栄養改善学会近畿支部学術総 [研究活動 会実行委員長 田虫盟王:日本家政学会近畿支部役員 濫杢盟蓋:日本栄養・食糧学会近畿支部役員 (1)著書 選杢盟蓋:日本栄養・食糧学会評議員 本 撞 訟 丘 地 域 政治文化論序説 呈山皇王:日本栄養改善学会評議員 滋賀県の政治風 土研究』サンライズ出版,2006110 呈出旦王:日本食生活学会評議員 I 視線理解を導く手とまなざしーかかわ 立王歪王 りあう母子の身体J ,遠藤利彦編『読む目・読ま 呈出皐王 :日本農芸化学会代議員 れる目 J東京大学出版会, 2 0 0 6,p p . 9 3 1 1 3 里山呈王:日 本栄養食糧学会近畿支部役員 r 逼韮量盟:日本病態栄養学会評議員・理事 型選孟童 : いのちの意味』さの印刷出版, 2 0 0 7. 3, 逼韮量盟・日本栄養改善学会評議員 9 0頁 掴) j f f i 9 E 通 絵はがきの時代 J青土社 車田藍圭.日本給食経営管理学会評議員 掴E Zi 邑 絵はがきから見る彦根』サンライズ出 ( 5 )総説,一般向け(雑誌・新聞等)記事 直 孟2 ・盤国亙己 I 第1 1回国際トリプトファン 姐E去 通 宣田藍主 全国研究教育栄養士協議会滋賀県代表 版(近刊) 研究会(IS TRY-2006Tokyo)に参加して Jビタミ ン ( 2 0 0 6 )8 0( 9),p . 4 7 3 些国車己 開 ( 食品化学新聞社発行) ( 2006 /1 2/20) 並 温 歪 盟 コ ミ ュ ニ テ ィ 心 理 学 ハ ン ド ブ ッ ク J東 並 辿 皇 歪 盟 ナ ラ テ イ ブ セ ラ ピ ー と 魅 惑 的 な 人 生』 ( 共 訳) I 精進料理の栄養」日本経済新聞 ( 2006/4) 謹杢却墨 訟 瞳 歪 盟 エ マ ー ジ ェ ン ス 人 間 科 学 J北大路書房 京大学出版会(共著) I ビタミンは代謝の潤滑油」健康食品新 E且 盈 王 盤 国 主 企 教 育 改 革 を 「評価」する J岩波ブ ック レッ ト , 2 0 0 6. 10 (共著) 「食べても太らない方法」 フジテレビ 盟担盟王 I こころの誕生と進化ー r 「 発掘あるある大辞典 J( 資料提供) ( 200611115 起源を採る J , 生物の科学 放送) 0 0 7( 共著) テイ・エス, 2 選杢盟蓋 I ぽっかぽか 1冷えとりダイエ ッ ト」 日 経ヘルス (2006/2),pp . 16 2 6 濫主主日蓋 ・ 「カタカナ語 1-2面 テレビ 濫杢盟蓋 ・ 「 地域活性化プロジェク ト彦根市橋本商 食生活専攻学生によるイベント出 庖一」 京都新聞 ( 2006111/18) 選主主日量 I 冬の代謝ア ップ」 日経ヘルス ( 20071 1) ( ショウガの温作用,鶏肉の温作用の資料提 供) p . 5 8,p . 6 0 呈出呈王 ι 呈 民王 ι 盟 担 盈 圭 心が芽ばえるとき ー コミュニケーショ 盟担堕圭 I 豆じゃ 」 中日新聞 I 湖国の食材・茶」 中日新聞 呈 旦 王 わ く わ く 食 材 陣j JKBS 滋賀 ( ラジオ ) 塵遭遇王・豊田.E.2'~旦五 I ビタミンの食事 摂取基準の策定方法と策定に用いられた数値J生 物試料分析, 2 9( 5),2 0 0 6,p p . 3 9 9 4 0 9 車田藍主 :I お酢がからだ、にいいっ て本 当 で す か ?J 滋賀 リビング ( 2006 /6110) 64 ・人間文化 I 模倣と心の理解 J ,r 認知科学への招待 2j研究社, 2 0 0 6( 共著) 盟担盈王 I 漢方における温冷作用の考え方」 フジ 「 発掘あるある大辞典 J(資料提供) 庖街の活性化 ヒトらしさの 遺伝 j ( 株)エヌ・ ンの誕生と進化 jNTT出版, 2 0 0 6 (単著) よく聞くけれど一食品成 解説・監修),リビング滋賀 (200612118), 分編 J( 濫杢盟蓋 ( 共 (共編著) I 栄養表示基準の改訂について Jビタミ ン ( 2 0 0 6 )8 0( 3),pp. 13 2 1 3 4 些臣室己 r ことば・空間・身体』 ひつじ書房 著,近刊) I チンパンジ ーにみ る遊びと学びの進化 史的基盤J ,r B RAINMEDICAL1 8 j メデイカル レビュー社, 2 0 0 6,p p . 2 5 9-2 6 4 (共著) Mvowa-Yamakoshi M .,‘ Developmento ff a c i a l i n f o r m a t i o np r o c e s s i n gi nnonhumanp r i m a t e s ", I n :T .Matsuzawa ,M .Tomonaga,M.Tanaka ( E d s . ), “ Cognitive Development i n Chimpanzees" ,S p r i n g e r,Tokyo,2 0 0 6,. pp. 14 2 1 5 4( 共著) l ¥ i 1vowaYamakoshi.M., “ How andwhen do chimpanzeesa c qu i r et h ea bi l i t yt oi m i ta t e ?", I n :T.Matsuzawa,M.Tomonaga,M. Tanaka (Eds. ) ,“ Cognitive Development i n Chimpanz e e s",S p r i n g e r,Tokyo,2 0 0 6,p p . 2 1 4 2 3 2( 共著) 斗 主 墓 二 保 育 の 限 :年間の保育を考える Jぎん のすず幼教出版(共著) 人・閏・文・化・通・信 ( 2 )研究論文 ( 研究代表者 :吉 岡真左樹) ( 計3 9 9頁,八木担 当 Hayashi M. 1akeshita ! : : : : L Matsuzawa T. “C ogn i t i vedevelopmenti na p e sand humans assessed by o b j e c t manipulat i o n " .I n :T . Matsuzawa. M.Tomonaga.M. Tanaka ( E d s. ) . “C o g n i t i v e development i n chimpanz e e s ". S p r i n g e r V e r l a g .Tokyo. 2 0 0 6. p p . 3 9 5 41 O Mizuno Y . 1akeshita ! : : i . Matsuzawa T . “B ehavioro fi n f a n tchimpanzees d u r i n gt h e n i g hti nt h ef i r s t4monthso fl i f e :s m il i nga nd s u c k l i n gi nr e l a t i o nt o behavi o ra ls t a t e ". I n f a n c y .9 .2 0 0 6. pp. 2 1 5 2 3 4 Mvowa-Yamal くo s h i . M.Takeshita H “Do huma nf e t u s e sa n t i c i p a tes e l f d i r e c t e da c ti o ns ? A study by four-dimensional ( 4 D ) 0 .2 0 0 6. pp. 2 8 9 3 0 1 u l tr a s o n o gr a p h y ". I n f a n c y,1 Takeshita ! : : i . Fragaszy D. Mizuno Y . MatsuzawaT.Tomonaga M & Tanal くaM . “E xpl o ri ng by d o i n g :Howyoungc himpa n z e e s discover s u r f a c e s through a c t i o n s wi t h , t2 8 . o b j e c t s " .I n f a n tB e h a v i o ra ndDevelopme n 2 0 0 6. p p . 3 1 6 3 2 8 Takeshita! : i .i f / lv owa-YamakoshiM. H i r a t aS . “A NewC omparat iveP e r s p e c t i v eo nPre n a t a l MotorB e h a v i o r s :P r e l i m i n a r yResea r chw i t h Four-DimensionalUltrasonography" ,I n :T Matsuzawa,M.Tomonaga,M. Tanaka( E d s . ). “Co g n i t i v e Development i n Chimpa n z e e s ". S p r i n g e r V e r l a g ,T okyo. 2 0 0 6. p p . 3 7 4 7 は6 8頁分) 車道当童 r 認知症患者を抱える家族の介護負担と r 福祉 セルフヘルプグループとの関連 J(共著), と人間科学』第 1 6 号 , 2 0 0 6 . 4,p p .32 0 A主基二 r 教師を孤立に追い込む構造 Jr 教育 J N O . 7 31,国土社 ( 4 )学会口頭発表 上野有理・盟担盈王・宜主歪王 子間交渉の発達 r 食物を介した母 チンパンジーとの比較 」日本 発達心理学会第 1 7回大会発表論文集 ( 2 0 0 6 ) 林 美 里 ・ 宜 王 室 王 対象操作課題におけるヒト 7回 とチンパンジーの比較」日本発達心理学会第 1 大会発表論文集 ( 2 0 0 6) 丸津由美子 ・坂口美幸・成松祐子・宜王室王 r O -2歳児への地域発達支援にかんする研究一親子 共育ちプログラムの試みー」日本発達心理学会第 1 7回大会発表論文集 ( 2 0 0 6) r 2 0 0 6ページをめくるという 組亘蓋通・小森優子 相互行為」社会言語科学会大会 掴居室通 nあJは相互行為的か? 一会話の中で 応答詞をと らえな おす一 」学術創成研究費研究 「人間同士の自然なコミュニケ ー ションを支援す る知能 メディア技術」 最 終 報 告 会 (招待講演 ) ( 20 0 6) 並i 瞳歪盟 「実践 コミュニティとしての教育相談体 制 中学校教師の語りの分析から 」 日本教育心理 8回総会 学会第 4 訟瞳歪盟 r 境界/敷居からの見え :教育相談体制 の構築過程」日本発達心理学会第 1 8回大会 訟瞳歪盟 :家族心理学シン ポジウム 「実践 に埋め込 c o m主催武蔵野大学 まれた理論を採る 」家族心理. 訟盤歪盟 :ワークショ ップ「 あなたの問題,わたし の問題,それが問題:協働をいかにデザインする か」日本心理学会第 7 0回総会(企画 ・話題提供) 訟瞳査盟:ワー クショップ「当事者と自己ー 当事者 シンポ(10)J日本発達心理学会第四回総会(話 題提供) 訟瞳歪盟 :ワーク シ ョップ「 キレる行動を科学する ( 3 )報告書(科研,受託研究費等) (3)一現代社会の子 どもたち 」日本発達心理学 訟瞳歪盟 ・科研基盤研究 8回総会(話題提供) 会第 1 ( B )r フィールドの語りを とらえる質的心理学の研究法と教育法」報告書 訟国運fi:・ 「学力テス トが持つ政治性,社会性をど う考えるか?ー 全国学力 テストと,そのローカ ( 研究代表者:山田洋子) r 訟国運fi:: 現代日本における子ども・若者の学校 ル・レ ベルでの受け止めに着目して J教育目標評 年度科学研究費補 体験と自己肯定感」平成 15-17 7回大会 ・公開シンポジウム「教育評価 価学会第 1 助金・基盤研究 (B) (1)成果報告書:子ども の 政 治 性 ・社 会 性 」 慶 応 大 学三 田キャンパス のコアリテラシー研究会『子どもの生活体験の質 ( 2 0 0 6 / 1 1 1 1 9) とコア・リテラシー構造との関連解明 学力問題 斗主墓二 r 人権教育に関する教育施策と教育実践 の総合的研究」基盤研究報告書(研究代表者:畦 r 教 師の 資質向上策に関する資料集 r フサ 本動物心理学会第 6 6回大会,京都大学 ( 2 0 0 6 / 1 0 ) 盟担盈圭 r チンパンジーにみる模倣の進化史的起 源」第 7 0回日本心理学会大会シンポ ジウム 『 感覚 計2 20 頁,八木担当は 4 1 頁分) 地亨平) ( 斗主墓二 盟担且圭・黒島妃香・服部裕子・藤田和生 オマキザルにおける遅延させた自己像の認知」 日 0 0 6年 , p p . 6 3・ 8 0 の新局面を聞く 1 .2 「 8年度までの基盤研究中間報告書 外国編」平成 1 の統合と分化 J( 2 0 0 6 / 1 1) lJ.主蓋二 義務教育に関する国際諸機関の論議一到 人間文化・ 65 人・間・文・化・通・信 達点と課題j 日本教育法学会第 3 6固定期総会報告 1 1 杢墓二 1 国際機関における教師教育向上策をめ ぐる議論 J ,日本教師教育学会第 1 6回研究大会報 査j 滋賀 県立大学在外研修 ( 2 0 0 6 /9)5 0万 n .地場・社会・国際貢献 告 課 題 研 究 。「教師教育の質的向上策とその評価 J (1)講演会・展覧会 の報告 1 1 主藍孟 「通常学級の実態と特別支援 J ,日本教 育方法学会第 4 2回大会課題研究 J1 特別支援教育 と学級経営」の報告 去畳盤丘 「選挙制度のあり方と若者の投票動向に 7年度ヤングリーダー選挙セミナー, ついて」平成 1 2 0 0 6 121 1 8 ) ピアザ淡海 ( 主彊盤丘 (5) 競争的資金 1 滋賀県政の重要課題を整理する一 滋賀 県知事選挙の争点を探る -J政策フォーラム 滋賀 第1 2固定例研究会,滋賀県立男女共同参画セ ンタ 学内特別研究費 1 地域教育実践研究」平成 1 7 草田二BIl'l1主基二 -18年度(本年は日野町の教育実態調査),総額 ー ( 2 0 0 6 /517) 主撞訟丘 1 知事選挙における啓発活動 若者の投 票率 ア ップをめざして 」滋賀県知事選挙 ・滋賀 県議会議員補欠選挙にかかる県・市町明るい選挙 1 0 0万 推進合同啓発大会,滋賀県庁新館 ( 2 0 0 6 /6/8) 科学研究費補助金 I J台児期からの母子コミュニケーション 宜王室呈 A), の発達と支援にかんする縦断研究」基盤研究 ( 研究代表者,平成 16-18 年度, 3 , 6 8 0 万 訟監査盟 I J J 台児期からの母子コミュニケーション 基盤研究 ( A) , の発達 と支援にかんする縦断研究J 6-1 8年度 研究分担者 ( 代表者:竹下秀子),平成 1 訟瞳歪盟・ 「非行生徒への効果的対応にむけた教師 支援に関する実証的研究」若手研究 (B),研究 代表者,平成 1 8年 度 訟盟主盟 1 フィールドの語りをと らえる 質的心理 B),研究分担 学 の研究法と教育法 j 基盤研究 ( 者( 代表者:山田洋子),平成 1 6-1 8年度 1 1 主墓二 1 教師教育の質的向上策とその評価に関 する国際比較研究」基盤研究 ( B),平成 16-18 年度,研究分担者 ( 研究代表者:吉岡真左樹,分 担者 :八木英二 ・牛渡淳 ・高野和子・ 土屋基規 ・ 岩田康之),総額 5 6 0 万 その他 訟瞳歪盟:ディスコミュニケーション研究会 ( 東京 2 0 0 6 ・7) 学芸大学海外教育センタ ー) ( 盤瞳霊盟:日本学術振興会人文・社会科学振興のた めのプロジ、エク ト事業 「ボトムア ップ人間関係論 2 0 0 4 7) の構築」研究分担者 ( 盤国道企:文部科学省 1 2 1世紀COEJ 東京大学大学 院教育学研究科「基礎学力育成システムの再構築」 研究協力者 訟国注i k -文部科学省「新教育システム開発プログ 玄畳訟丘 1 市町村合併の行方と地方自治の課題」 憲法大学公開講座,京都労働者総合会館 ( 2 0 0 6 1 7/ 1 5) 志畳並丘王 1 ローカル・マニフェスト選挙 として の 滋賀県知事選挙」平成 1 8 年度滋賀県町選挙管理委 員会 連 合 会 委 員 研 修 会 , オ テ ル ニ ュ ー オ ウ ミ ( 2 0 0 6 191 2 9 ) 玄撞訟丘・ 「 住民参加と地方自治 『 平成の大合併』 と新しいまちづくりを中心に」平成 1 8年度滋賀県 レイカデイア大学必修講座,滋賀県立文化産業交 流会館 ( 2 0 0 6 / 1 2 1 2 1) 玄畳訟丘 1 若年層の投票動向と選挙啓発学習 につ 8年度市区町村明るい選挙推進協議会 いて」平成 1 組 織 ・ 活 動 活 性 化 研 修 会 , 大 阪 赤 十 字会 館 ( 2 0 0 6 / 1 2 1 2 6 ) 笠王歪王 1 赤ちゃんの手とまなざし ことばを 生 みだす進化の道すじ」子どもの発達を 考 える ST の会第 5回研修会 ( 2 0 0 6 / 1 0 1 21 ) 宜主歪王 1 子育ち応援ーヒト以外の動物からの学 2 0 0 7 / 1 1/1 8) び」大津市医師会市民公開講座 ( 濫遺孟童 1 企業のコンブライアンスと交通事故防 止」滋賀県安全運転管理者協会 型選孟童 1 追突事故を科学する 」大阪府交通安全 協会 型選当童 1 高校生の進路選択と学習意欲 ・学習輿 味J県立彦根東高校 盟室温童 1 少子化時代の子育て」大津市長等学区 人権生涯学習推進協議会 ラム J義務教育インフラストラクチャ研究会 ( 代 車道志童 1 学校ス トレスと社会的ス キル, 社会的 サポートと関係」滋賀県教育委員会大学連続講義 表 ・苅谷剛彦)研究協力者 車道当童 1 1 主蓋二 「 ① キショアシンジ氏の助力によるパリ のユネスコ本部での資料調査,① ピルラトリー氏 の助力によるジュネ ー ヴの ILO本部での資料調 66 ・人間文化 1 子どもの交友関係といじめに対する指 導のあり方」米原市教育センタ ー研究発表大会 竪畳盟王 :長浜市図書館紙芝居連続講座 壁謹盟王 :米原市山東図書館紙芝居連続講座 人・閏・文・化・通・信 里置撞王 :甲良町図書館紙芝居勉強会 事業連絡協議会委員 里置盟王 :大津市保育所研修事業保育研究会 盟室温童 :愛荘町立秦荘東小学校学校評議員 E盤盟王:東近江市教育研究所夏期研修講座 E盟盟王-多賀 町子育て支援サポーター養成講座 盟室温童 :日本自動車連盟関西本部交通安全実行委 姐 ) f f i j j E 通 里畠盟王:滋賀県環境影響評価委員 「光を観る ードイ ツ ・フランスの初期絵 はがき展 Jworkroom,大阪北浜 I 万国絵はがき合戦 掴 ) f f i j j E 通 霊草壁王 :滋賀県社会教育委員 一国境を越える絵 はがきとその作家一 Jworkroom,大阪北浜 0年 目研修(教育相談)講師, 訟瞳歪盟 :滋賀県教員 1 滋賀県総合教育セ ンタ ー ( 2006 /8/1) 訟瞳霊盟 :東近江市立聖徳中学校教育相談研修会議 。j~ ( 2006 /8/30) 竪畳屋王:紙芝居文化の会運営委員 竪直盟王:一豊,千代物語紙芝居 コンク ール審査員 竪置盟圭 :滋賀県紙芝居研究会代表 皇 室E 盟王 :子どもの文化学びの舎主宰 並よ瞳歪盟 :滋賀県スクールカウンセラ ー 盤瞳歪盟 盤瞳歪盟 :彦根市立稲枝中学校教育相談研修会講師 滋賀県総合教育センタ ー学校教育相談に 関する研究 1I 不登校を解決に導く支援のあり方 を探る一教師がスクールソーシャルワーク的な視 ( 2 006 /10 /27) 盤盤霊盟:東近江市立能登川南小学校教育相談研修 2006 /1 117) 会講師 ( 点、を持 った支援」における効果的な学校組織対応」 専門委員 I 地域で子どもを育てよう」彦根青年会 盤瞳歪盟 員会常任委員 2006/1 111 8) 議所主催シンポジウム講師 ( 訟国注f r :I 第2 2因子育て文化協同全国集会 i nしが 」 国j 実行委員長,ピアザ淡海 ( 2006 /1 2/2.3) 盟担盈王 ・「遊びから学びへ」大津市教育研究所研 ( 3 )学会委員会委員 修講座講演,大津市 ( 2006 /814) ム 主 墓 二 橋磨地域幼稚園長会での講演 宜主査圭 :日本赤ちゃん学会評議員 1 1 主墓二 宜王室王:日本発達心理学会関西地区懇話会幹事 大阪教育文化セ ンタ ーでの講演 盤瞳歪盟:日 本青年心理学会研究交流委員会委員 ( 2 ) 出張講義等 訟瞳霊盟 :日本質的心理学会研究交流委員会委員 姐亘蓋通:放送大学面接講義,龍谷大学 盟担盈圭:日本動物心理学会編集委員会幹事 盤国道f r :I 若者の生活実態 ・労働実態を把握する J よ主蓋二:日本教師教育学会理事(紀要査読担当など) 20061 ために」滋賀県立彦根西高校職員 研修会 ( 斗主車二 :日本教育法学会理事(紀要査読担当など) 8120) A主墓二 :教育目標・評価学会理事 盟担盈王 I 認知の進化」日本進化学会 『 進化学夏 の学校1 . 東京 ( 2006 /8/31 ) ( 4 )総説,一般向け(雑誌・新聞等)記事 本軍訟丘 (3) 各種審議会・委員会委員 本撞訟丘:滋賀県行政経営改革委員会委員 (部会長, 滋賀県総務部行政経営改革室) 主置訟丘 :滋賀県明るい選挙推進協議会副会長(滋 賀県選挙管理委員会) 主撞盤丘:地域自治制度研究会委員 ( 滋賀県政策調 整部企画調整課) 玄畳並託:i:滋賀県公文書保存活用検討懇話会座長 (滋賀県政策調整部広報課県民情報室) 玄撞訟丘:市立長浜城歴史博物館協議会委員(長浜 市教育委員会) 玄撞盤丘:彦根市行政評価委員会委員(彦根市企画 振興部) 玄撞訟丘:東近江市史 ( 能登川の歴史)編集委員会 委員(近現代部会長) 高月町史編集委員会委員(近現代部会長) 玄軍強丘 .r 宜王歪王 :日本学術会議第 2 0期連携会員 宜主歪王 :大津市家庭裁判所裁判所委員会委員 盟室温童 :滋賀県教育委員会学校 ・地域保健連携推 I W 空海入唐の道・巡礼道の旅』雑感①」 0 7 4 号 ( 2006 /6121) 高野 山時報第 3 玄撞訟丘 n空海入唐の道・巡礼道の旅』雑感①」 0 7 5号 ( 2006 /7/1) 高野山時報第 3 玄撞盤丘 I W空海入唐の道 ・巡礼道の旅J雑感③」 0 7 6 号 ( 2006 /7/1 1) 高野山時報第 3 本畳盤丘 I 第 2名神高速道路建設先送り方針」朝 2006 /214) 日新聞 ( 主畳旭丘 ・「市町村合併 まちの今 」毎日新聞 ( 200613121) 玄置訟丘 I 明の滋賀県政を語 る市民の集い H滋賀 WSJVo . l 4 7( 2006 14) 地方 自治研究セ ンタ -NE 主畳訟丘 I 能登川地区の民俗文化調査」毎日新聞 ( 2006 /4/2 5 ) 主撞訟丘 I 知事選 ・県政の重要課題を探る」毎日 新聞 (20061518),読売新聞 ( 20061518) ,京 2 006 /5/8) 都新聞 ( 去置訟丘 I お金がない!? 県財政はいま ( 下) J朝 日新聞 (2006/6/3) 玄畳盤丘 I 滋賀県知事選挙立候補予定者マニフェ 人 間 文 化・67 人・間・文・化・通・信 スト型公開討論会」滋賀報知新聞 (200615126), 竪 童E 盟王 :NHK・各民放テレビ・朝日・読売・毎 毎日新聞 (20061615),読売新聞 (2006/6/5) 20 06/31 1) 日 ・中日 ・岐阜他各新聞社取材 ( 本置訟丘 6/7 ) 玄撞訟丘 r 首長の退職金問題」読売新聞 ( 20061 r 滋賀県知事選挙 ・滋賀県議会議員補欠選 挙にかかる県 ・市町明 るい選挙推進合同啓発大会」 ∞ 中日新聞 ( 2 6/6/9),京都新開(笈胤1619) r 本軍盤丘 ・「県大生らで結成したシ ガつく 実行委員 会主催の知事選挙投票 向上キャンペー ンの トーク 200616125),読 売 新 聞 ラ イ ブ」 朝 日 新 聞 ( ( 2006 161 2 5 ) r 滋賀知事選ショックから 1週間」北海 道新聞 (総合,20061719) r 嘉田 知事マ ニ フェス ト見直し表明」京 都新聞(1而, 2006/811) 主撞盆丘 r 初の県議会にのぞんだ嘉 田知事への採 点」読売新聞 ( 社会面,200618/12) 本軍訟丘 r 滋賀県知事就任 1ヵ月」産経新聞(社 127) 本畳訟丘 r 栗東市起債判決」朝 日新聞 ( 200619 n滋賀 県 公 文書保存活用検討懇話会 J r インサイド 滋賀 2 006 嘉田知事誕生」 読売新聞 ( 2 006/121 2 4 ) 組~: r はちみ っぱい J r センチメンタル通り j r 追想、の捕球法 Jr ユリイカ 』特集:松 組 ! f f i j i E 通 本大洋 ( 2007 /1) r 特集 ・貧困 と社会 的排除と教育・文献 r 訟且注.fr: 2006/12) 紹介J 教育 J( 盟 担 盈 王 京 都 新 聞書評欄掲載 「 心が芽ばえるとき J ( 2006/1 1/12) 1 1 主墓二 (6) TV・ラジオ番組への出演 主畳盤丘 r 滋賀県知事選挙開票速報 コメンテー タ 立王歪呈 r 赤ちゃん秘められた力に 迫る JNHK 教育「サイエンス ZE ROJ ( 2006 /1 1/1 8) 笠王歪王 ・「赤ちゃん 脳と体の成長の神秘 r 驚異 200711/1 1) ン特集J( r 写真について語ろう JNHK-FM r 日曜 喫茶室 J( 2006 /1 1/12) 組~ : KBS 滋 賀「さんさんワイ ド J ( 2006/6 朝日新聞 (2007/1/5) r 嘉旧知事半 IJ 読売新聞 r 教員評価問題につい て」財団法人・ 滋 賀県 同和問題研究所, NO . 3 9 1( 計 4頁) 組皇室通 主撞盤丘 ・ 「著書 『 地域政治文化論序説』 の紹介j 本撞盤丘 W の適応力をとらえた-JNHK BSh i ハイビ ジョ 提言書を提出」中日新聞 ( 2006/1 1122) 主撞盤丘 r pH論 J ユリイカ 』総特集:稲垣足 一」 びわ湖放送 (2006/7/2,2 1 : 0 0 2 3 : 5 9 ) 会面,2006/8119) 主撞並江主 姐~:r ヒゲ考 J W SparksGuideBookJ ( 2 0 0 6) 姐/'eiE通 ライナ ーノート ( 2 0 0 6) ( 2006 16117) 主撞盤丘 任天堂/ N in tend0 ( 200616) 穂 ( 2006) 主畳盤f i : 知事選挙 ・新幹線新釈問題J読売新聞 玄畳訟丘 r 組EZj 車・「行為の 3D空間 J ユリイカ 』特 集 - (2007/1121 ) 127) 霊 童E 盟圭 :中日新聞記事執筆 ( 2006/4) -年間活動報告 ・ [ =地域文化 t 生、院生、他大学の研究者と中国調査を 充実して行 なうことができた。学生 にと っても、世界的名門校 や国内名門校といわ れる大学等の教官と寝食を共に -菅谷文則(すがやふみのり)考古学 本年度は、長く続いていた学科、学部、 全学の役 した調査ができたことは、得がたい経験であったと 思う 。 もっとも教育効果があったと思っている 。私 職から、ょうやく離れることができたので、ゼミ生、 のゼミで は 、 考古学や文化財行政等の職場、大学進 プレゼミ生ら と学外の考古実習を充実 して笑施する 学、留学、その他の編集担当者などを、卒業後の進 ことができた。 ところが、担当講義も増加し、水曜 路とする人が多い。 ょうや くであったが、ゼミの研 日を除いて講義や実習があったので、臨時の重要発 究生の行く末が案じてならない。大講座制の弊害が 掘調査見学や展覧会に参加できなかったのが残念で 如実に現れてならない。 あった。 4 砂主な調査 役職を離れた効果はできめんで、論文 3本を新た に執筆することができた。その他 の文章も多く書け .2006年 8月和歌山県白浜町中山城測量調査・長寿 寺発掘調査 た。科研費、シルクロード学研究センタ一課題研究 ・2 0 0 6年 9月中国洛陽銅鏡調査 ・寧夏ソグ ド文化調査 費 (ソグ ド文化研究会名で受託) の調査として学部 .2007年 2月-3月和歌山県白浜町要害山城測量調査 68 ・人間文化 人・閏・文・化・通・信 E武E尚彦(たけむ 5たかひこ)社会学、文化人類学、地域 研究、地域学 調査に入るのを跨賭していた。 が、長浜出身の 4回生で、地元のこの湖底遺跡を 講義、ゼミ、日本人と外国人留学生の指導や研究 調査して卒論を書きたいという学生の強い要望もあ 会、地域住民と 学生たちのコラボレーションの世話 って 、 今年度はこの遺跡の調査を辛抱強く続けるこ 等々、毎日 早朝から夜遅くまで。そんな 生活がここ ととした。 7月に入ると、案の定水草の繁茂がひど 0歳を超えたとたんに疲れや 数年間つづいている 。6 くな ったが、湖底の状況が見えにくい中、体に水草 すくなった。 をい っぱいっけながら忍耐強く潜水調査を続けてい 海外では、メコン川流域におけるラーオ系タイ人 ると、湖底が陵地であったことを示すスギやケヤキ の生活文化をゼミ生(牛島優子、 二矢さゆり、永恵、 の枯れ株、湖底に打ち込まれたマツの杭などを確認 することができた。 愛季子)と共に約 3週間調査した 。主 な調査地は、 世界遺産に指定されているラオス北部のルアンプラ この結果、この 一帯は現湖岸から少なくとも バーンと南部のチャムパサック、そしてタイ北部ミ ャンマ 一国境沿いのロイヤルプロジ、ェクト 実施地域 3年(1586)、 からいろいろ検討を加えると、天正 1 0年前 だった。 タイ 王室のロイヤルプロジェクトは 3 に訪れた頃とは大違いで、 当初目標とされていた経 長浜に甚大な被害 をもたらせた大地震によって湖底 に沈下したものと考えられるに至 った。このように、 済的自立はほぼ完全にクリア ー されていた。ルアン 今年度の調査は極めて有意義な結果を得ることがで きた。 プラパンでは、わずかに 1年間で観光客相手の仕事 やゲストハウスの急増が目についた。同じ世界遺産 120m沖までは陵地で、その杭の打ち込まれた年代 でもチャムパサックは登録後日が浅い関係であろ -黒田末書(くろだすえひさ)人類学・地域文化学 う、インフラ整備もこれからというところであった。 国内では、 主に滋賀県内の地域社会を対象に、地 。教育 今年度のゼミ 4回生は、 「 心で生きる 域活性化、安全で安心な地域づくり、人と自然の持 域実践の中で一」と「美がもたらす豊かな人生」を 書 き上げた 。半生を振り返り、このことを家族に、 続的共生など、幾つかのテーマに学生たちと協働で チャレンジした 。湖西では、「どろんこ 」 など NPO 法人と協働して、回想法を用いた聴取調査や心象図 法による絵図作製を行ったり、朽木や安曇川周辺で は文部科学省現代 G P近江楽座「リバーウオッチン Jと「発信基地 III朽木の森」事業 を展開 グIII安曇)11 し、地域の伝統文化や生きる知恵の伝承や広報活動 余呉の地 友人に、未来の私に伝えたいと思いを込めて 書 く。 そうして 「 大人にな った自分」 を認識し卒業してい く。後期から地域再生を担う人材養成講座 近江環 人地域再生学座が開始。地域再生学特論を複数教員 で担当。 。共同研究プロジ‘工ク卜 に貢献した 。湖北では、「野神さん」 と称される 巨 1I 思い出パンク整備と郷の語り部養成事業 J( 環 木をめぐる信仰や地域の暮らしを対象に調査研究を 行い、地域の暮らしや生きる知恵の実像を絵本や季 琵琶湖生活圏 「 人と地域」研究所・ 戸 田雄一代表: 長寿社会 開発センター )0 2 I しゃくなげ皐校「賑 わい空間創出プロジェクト 」一 里山の 資源を活かし 刊「森林文化」などの形で広報した。湖東では、西 堀栄三郎記念「探検の殿堂 」 で「地域学 (人と地域) た地域再生プログラム J(井阪尚司代表・トヨタ財 ゼミ 」の卒業生による「自分学の探求ー滋賀県立大 アフリカ熱帯雨林の保全と持続可能な利 団)0 3 I 8年 7 学で地域学を学んだ人たちの場合一J(平成 1 用の両立に向けて コンゴ民主共和国とウガンダ共 和国のケーススタディ J(古市剛史代表:トヨタ財 月1 5日 同年 8月1 8日)が開催され、大変心強い思 いがした。 さらに彦板市内では、地域づくりや地域 の活性化にかかわる幾つかの事業を展開した 。「 食 べ歩きマップ J(彦根商工会議所)、「橋本商庖街活 '性イ七プロジ、 エクト」など。 -林1 専通(はやしひろみち)考古学 例年研究・教育活動の一環として続けている琵琶 湖湖底遺跡の調査は、今年度は長浜大仏沖の下坂浜 千軒遺跡を中心に、 5月の連休から 9月末まで断続 的に実施した。 この水域は以前から何度か調査を試 みた地点だが、遠浅のため、各種の水草が著しく繁 茂し、夏場は湖底面の砂地や砂泥地がほとんど見え ず、ひどいところはその水域に近づけないほどで、 団)0 4 I 滋賀県の伝統的農法と 景観の維持・保全 の研究J( 黒 田末蕎代表:滋賀県立大学)0 5 I 総合 的人間評価の研究 J (石田英実代表.滋賀県立大学)。 6I 集団の進化学的基盤研究 IJ(河合香史代表: 東京外国語大学)0 7 I 伊谷学の継承J(寺島秀明代 表:神戸学院大学)。 3)で 、 8月末からコンゴ民主共和国を訪れた 。 内乱で半分廃嘘の首都に国連軍装甲車と兵士、しか し通りは活気に満ちていた。昔の調査村を 1 8年ぶり に訪問、旧友と再会、森で顔なじみのボノボ調査。 村の診療所っくり、奨学生選考、自然保護、生活・ 婚資調査、アリ植物 2種の調査など。その後ウガン ダ高地バナナ主食地域訪問。 人間文化・ 6 9 人・間・文・化・通・信 4)は、今津町椋川で牛耕と焼畑などの復興を目 指す。椋UIの方々、ゼミ生、火野山ネットのおかげ -田中俊明(たなかとしあき)朝鮮古代史・古代日朝関係史 法人化というものが、いかに大学のあるべき方向 で、夏に休耕回に火入れし伝統野菜を作付け。中国 を曲げていくのかを実体験する日々である 。 もちろ ん研究に専念していればいい、と考えているわけで、 山地の田植え行事を除いて絶えた牛使役の技術伝承 を目指し、県大の「北国はるえ 」と友牛「谷さかえ」 を訓練中。 .地域貢献 新旭町針江、今津町椋川などの地域活動に学生と 参加、実習の場にさせていただいている 。高島市 はないが、それにしても、じっくり研究をつづける 環境からは、しだいに離されていく 。研究をすすめ ないで、先端的な教育ができるとは思えない。知人 たちのいる地方国立大学がもっ危機意識は、研究セ ンターとしての生き残りを模索するものであるが、 「環の郷交流研究センター 」で地域ゼミ生、京都精 この大学はそ れとはおよそ異なる方向に向か ってい 華大生と文化交流の祭りをし、山崎久勝先生とわき るように思える 。 とは言ってみるものの、自分が十 水の音聴きなどで地域の良さをアピール。学生主体 分に研究を進めることができたかといえば、忙しす で 6地域の祭りをビデオ撮りして編集 ・配布。 7月 ぎてとても思うようにできておらず、 { 丑'陀たるもの には 3地区有機農法生産者の交流会を主催。その他、 がある 。 フィ ールドが韓国 ・中国であり、いつもの通り、 高島市重要文化的景観調査など。 まずそこへの調査について記す。 -荒井利明(あらいとしあき)現代中国論 2 0 0 6 年 4月、大学卒業以来三五年間勤めた新聞社 から本学に移りました 。「次の講義で は何を話そう (1)韓国 。 2月末 -3月初 。田中科研。 ソウル・ 公州・扶除(学生帯同) (2) 韓国。 3月中旬 。中 央大学科研+山口大学科研合同調査。慶州・加耶。 かな」 と考えているうちに、大学教員としての最初 (3)韓国。 3月下旬。全羅道。団体案内。(4) 韓 の一年間が過ぎました。 国。 6月中旬 。済州島(学生帯同)。団体案内。(5) 戦後間もなく生まれ文化大革命の始まった年に大 学に入った私の人生は、講義の主たる対象である現 韓国。 7月下旬 。大学特別研究費(代表土屋教授) 9 8 5年前 代中国の歴史とほぼ重なっています。だが 1 後に生まれた現在の学生にとって、改革 ・開放以前、 清道を中心とする機関(学生帯同)0 (7)中国。 9 月中旬。中央大学科研。北京・洛陽・西安ほか都城 つまり 5 0年代から 7 0年代の中国を理解するのはいさ さか難しいようです。そのため紅衛兵世代の監督が 調査 (学生帯同)0 (8) 韓国 ・中因。 10月下旬。韓 国建築歴史学会の発表を終えて、歴史民俗博物館共 8 0年代以前の中国のもょうを描いた「活きる 」、「青 同研究による中国東北調査。往復の負担は、両者よ り片道ずつ。(9)韓国。 1 1月中旬 。韓国・天台宗 い凧」といった中国映画を教材と して使いました。 による 。(6)韓国。 田中科研。文字瓦の調査。忠 中国のゆくえや日中関係のありょうが新聞社勤務 より招請。大きくは、 (A) 自分の科研による文字 時代からの私の主要な関心事ですが、数年前から書 瓦調査、およびその出土地の調査。 (B) 科研の分 き継いでいる「検証東アジア新時代」シリーズの 担者として、特に東アジア都城・城郭調査。基本的 には、自費ではいかない。活字になったもの等につ 第 4巻『東アジアの日米中 j (仮題)を書き上げま した ( 2 0 0 7年 2月刊行予定) 。 一年半に一冊のペー 0 08 年秋ごろにな スですので、最終第 5巻の刊行は 2 ると思います。 知人が編集している隔月刊誌に「中国はどこへ行 くのか一一共産党と社会主義の変容」と題する論文 を発表しました。中国の現状を見るにつけ、現代に おける社会主義とは何か、が問われていると思いま す。正月休みにはこの雑誌のために、北京特派員時 代の思い出を書き、文化大革命の評価 について触れ ました。 2 0 0 6年 4月には 1 2 1世紀日中新時代フォ ーラム」 訪中団に加わって北京を訪れ、中国の中日友好協会 幹部らと日中関係の現状と将来について意見交換し ました。2 0 06 年1 0月には日中関係研究所訪中団の一 員として北京や天津、上海を訪れ、中国の外交問題 研究者らとやはり日中関係等について討議しました。 70 ・人間文化 いては、下記のとおり 。 なお、大学院生(修士)が 2人いるが、来年度もさらに 2人加わることが確定 している 。扱う分野を、古代東アジア交流史とした せいかも知れない。 自らの専門領域を広げるために も、ちょうどいいと思っている 。 . 5 -梅原賢一郎(うめ│ま 5けんいちろう)美学 月、日本学術振興会科学研究費補助金交付に採 択された「モノ学の構築 もののあはれから貫流す る日本文明の モノ的創造力と感覚価値を 検証する」 ( 研究代表者:鎌田東二、副代表:梅原賢一郎)に おいて、「肉の森の中へー「野生の感性学 ( a es t h e t i c a) J試論一」 と題して、口頭発表する 。 [レヴイ=ストロース (=中沢新一)の「野生の思 神話的思考 J1 対称性の思考」、さらに、メル 考J1 ロ =ポンテイの「可逆性」などを参照しながら、 「野生の感性学」を提唱する]。 人・間・文・化・通・信 .12月より、毎月、角川学芸出版、 Webマガジン 上で、「結び目としての身体 感覚のレッス ン 」 人データベースの構築と公開」 というテーマが採用 c IMS1本と ArcGIS5本の供与を受けた 0 され. Ar 0 0 8年 4月まで、計 1 6 と題して、連載をはじめる 。2 回、連載予定。 .教育活動 文部科学省「地域再生人材創出拠点の形成」プロ 1 2月) -第 1回 ( ッスン①)。 グラムに採択された「近江環人地域再生学座」 にコ 美食と跨ぎ越し(跨ぎ越しのレ ア・メンバーとして参画し,新たに開始された地域 ・第 2回 (1月 玩 具 と 跨 ぎ 越 し ( 跨 ぎ 越 の レ ッ スン②)。 再生学特論を分担した。 -第 3回 (2月) ニーズ取組支援プログラム」の助成金を利用し,彦 フランソワ・ラプレーと跨ぎ越 し(跨ぎ越しのレッスン①)。 -第 4回 (3月 跨 ぎ 越 さ れ る 「 わ た し J(跨ぎ 越しのレッスン④ ) 。 また,前年度に引き続き文部科学省の「現代的教育 被市男鬼町で 『山村「男鬼」の村おこし 』プロジェク トや,湖東の古民家を対象とした 『いかして民家リ プロジェクトを継続し,地域の活性化や地域文化の [ 現象学的視点からの感覚論。「文彩」から示唆され た「肉彩」という概念を導入し、感覚論のまったく 新しい地平を開く、意欲的な論考。 フランソワ・ラ 振興を視野に入れた教育プログラムを実施した。 ブレーやマルセル・ブルーストや谷 l 崎潤一郎などの 作家や、メルロ=ポンティやドゥルーズやニーチェ 下町において足軽組屋敷の実測調査をおこなったほ などの哲学者に 言及しながら論じられる 。2 0 0 8年に 単著として刊行予定]0 御門の 一部と考えられる古材を実測し,門の復元を 試みた。 このほか,湖北に分布する余呉:型民家の分 月より、毎木曜日、毎日新聞紙上にて、取材記事 「美とカミへの穴 梅原賢一郎・ 美学者の夢 」が 布調査と実測調査や住民の意識調査を 実施した。 9月には,シリア・アラブ共和国パルミラの北墓 掲載される 。2 0 0 7年 3月まで、計 1 9回、掲載予定。 2 9 b号墓の発掘調査に参加し,復 地において塔墓 1 元のための資料を収集した 。 l . -潰崎一志(はまざきかすし)都市史,保存修景 また,学生とともに近江八幡市白王町と高島市マ キノ町で文化的景観の調査を実施した。彦板の旧城 か,彦根城の外堀に面して構えられていた長曽根口 1月には彦根景観フォーラムの依頼で公開講座 「町家とは何か,町家を生かす意義Jについて 9 .研究活動 近江八幡市では自 主 ・円山の水郷地帯で、文化的景 月には近江八幡市の依頼で「共有財産 観の調査をおこない,文化的景観保存計画を策定し, の魅力 ~ J について .11 月には環びわ湖大 学 連携推 f 安土・八幡の文化的景観保存活用事業報告書』 を 分担執筆した。 進会議の依頼で 「 近江商人の本宅の空間構成」につ 2月には滋賀県レイカデイア大学草津校で いて. 1 彦根市では NPO法人・彦根景観フォーラムの一 員として 『 彦根歴史散歩』を分担執筆 した。 まちなみ 「古民家と町づくり 」講義した。 世界考古学会議中開会議大阪大会においては,奈 。社会貢献 昨年度に引き続き,パリに本部を置くイコモス 良県立橿原考古学研究所の西藤清秀らとともに「発 掘から修復・復元へ ーシリア・パルミラ東南墓 コモス囲内委員会の理事として遺跡や記念物の保護 地一」というテーマで口頭発表をおこなった。 競争的資金は「地理情報システムを用いた近江商 ( 国際記念物遺跡会議)の日本委員会である日本イ 活動に従事した。 また,近江八幡市風景づくり委員会委員,安土・ 人の商業活動に関する研究」タイトルで学内特別研 八械の文化的景観保存活用委員会委員として文化的 究費を獲得し,近江商人の移動に関するデータベー スを地理情報システム上に構築した 。 3月には 景観の保存計画の策定をおこなった 。 Webサーバを立ち上げて公開する予定である 。 けた 。重要文化的景観の中における集落整備計画の あり方を模索するものである 。 -水野章二(みすのしようじ)日本中世史 研究では、「中世の災害と環境J(北原糸子編『日 本災害史』、古川弘文館)が刊行され、それに続い て「中世の水害と荘園制 J(蔵持重裕・田村憲美・ 遠藤ゆり子編 『 再考 荘園制』、岩田書院)を執筆、 また,所属している「湖北古民家再生ネットワー 近刊予定。 また「東大寺領小東荘をめぐる諸問題」 ク」が「市民活動団体等支援総合事業助成」の助成 金を獲得し,古民家の実態調査や住民の意識調査に (橿原考古学研究所『箸尾遺跡。.1)を執筆したが、 当該地域については、考古学などとの合同調査を検 討している 。今年度より 4年間で県立大学・琵琶湖 近江八幡市から「重要文化的景観の集落整備に関 する建築学的研究」というタイトルで受託研究を受 関する研究を分担している 。 このほか. ESRIジャパン株式会社の「大学向け GIS利用支援プログラム」に iGISを用いた近江商 博物館・滋賀大学による「琵琶湖の歴史的環境と人 間の関わりに関する総合的研究 J(科学研究費基盤 人間文化・ 7 1 人・閏・文・化・通・信 研究 (B) ) がスタートし、研究代表となる o 大中 之湖などの琵琶湖 の内湖に焦点をあてた歴史・考 古 ・民俗・ 地理学などの共同研究である 。 また新し く総合地球環境学研究所プ ロジ、 エクト「日本列 島に おける人間一自然相互関係の歴史的・文化 的検討」 また、同じインドヒマラヤのスピテイでの調査を まとめ論文にしました。以前から継続しているラホ ール、ザンスカールでの調査報告も併せて、インド ヒマラヤのチベッ ト系諸社会を 比較研究した論文に とりくんでいます。 の共同研究員として、自然科学の研究者などとの研 i l l 生 が 5名で 本年度のゼミ生は 4回生が 8名、 31 究を開始した。 自治体関係では、 『 新修彦根市史通史編古代・中 した 。例年のことながら、 4回生を見送るのは淋し いものです。 世』の鎌倉時代を執筆、 2 0 0 6年 3月刊行予定。高月 町史は編集委員会委員長として第 1冊目の景観 ・文 化財編の編集を終了し、同じ く 3月の刊行予定とな った。 日野町史では、県立大学と京大の院生・学生 -市川秀之(いちかわひでゆき)民俗学 。研究活動 2006年 4月に本学に赴任し、おぼつかない足取り を中心に、町域全体の伝承や地名、集落の祭紀や墓 ながら滋賀県下の民俗研究を開始した 。 たまたま 0地 制、水利システムなどの調査を継続し、現在約 3 区の調査を終了。能登川町史は編集委員会委員長と 0日以上民俗調査に通った。夏 あって、能登川には 2 して、全体の編集プラン・内容の大枠を確定し、来 『能登川の歴史』民俗編の担当を依頼されたことも 年度には第 1冊目を刊行する 。甲賀市史は執筆委員 休みにはゼミの学生と能登川の川南地区で集中的な 調査を行った 。以前より調査してきた米原市のオコ として史料収集を進めた 。 また県庁所蔵の歴史的文 ナイに関する論文が本学にきて初めての滋賀関係の 書の公開 ・利用に関する 「 滋賀県公文書保存活用検 1月と 討懇談会」の委員として、答申を作成した。 1 論考となる 。滋賀の村落を歩いてみて、集落内を流 れる水路に心魅かれるようになった。来年度はこの 1 2月に 「近江の中世村落と 地域社会」というテーマ で 、 3月には「木津荘の景観と環境」というテーマ 問題をめぐって環境民俗学的な調査を開始したい。 以前から続けてきた民俗の創出に関する研究とし で講演する 。 6月に韓国の棚田調査を行ない、 3月には中国雲 て「村落社会における歴史伝承の形成と知識人」 を 書いた。 この研究は今後も継続する予定である 。 ま 南省元陽の棚田調査の予定である 。 た国立歴史民俗博物館の共同研究「宮座と社会」の 一環として、 山口県防府市における神社祭杷の調査 -棚瀬慈郎(たなせじろう)文化人類学、チベ ット 学 8月から 9月に かけて、約 1ヶ月間インドのジャ ンム ー・カシミール州、ラダ ック 地方で調査をおこ ないました。 ラ 夕 、 ツクはヒマラ ヤ山脈主稜の北側に を行った。宮座の研究は近畿地方を中心 に昭和前期 からおこなわれてきたが、中国地方の事例の分析に よってその相対化 をはかりたい。そのほか十年以上 位置し、古くからチベット系の王国が成立し、チベ た。 自治体史の場合はまず刊行に向けての原稿作成 に追われてしまうのだが、その中でいくつも掘り下 ッ ト仏教の栄えた地として知られています。中心の レーの町の標高が3 600メー トル程で、どこか中央ア 関係してきた大阪府下の自治体史が次々と刊行され げてみたい問題点を見出すことができた。その論文 ジアのオアシス都市の雰囲気があ ります。実際レ ー 化も今後の課題である 。 は、シルクロードへ抜ける重要なル ート 上にあり、 交易の拠点でした。 調査はレ ー近郊のフイヤンという 村と 、そこから 4 砂教育 4 0キロほど遡った所にあるチュ 東にインダス 川 を1 マタンという 村の 2ヶ所で、主に婚姻や家族形態に ついておこないました。 ジャンム ー・カ シミ ール州 では 1 9 41 年に一妻多夫 婚は法的に禁止 されており、実際レ ーの近郊のフィ ヤンでは殆どおこなわれていませんでした。しかし、 チュマタンでは現在も一委多夫婚をおこなうことは 珍しくなく、法的な規制はあまり関係がないようで した。 しかし、相続の問題などで、伝統的な観念が 大きく変質してきていることも確かめられ、有意義 な調査になりました。夏のラダックは実に快適なこ ともあり(温泉もある )、これからしばらくはここ での調査を続けたいと 思 , ってい ます。 72 ・人間文化 大学勤務は始めてなので授業の準備に追われる 一 年となった。特に博物館実習は大変だったが、どう にか終えることができ安堵している 。実習以外の全 授業でレス, ポンスカ ード を毎時間回収し、次の授業 で答える試みをした。その成果についてまだ評価は できないが、学生の理解度がよくわかるので来年も やろうかと思っている 。 もちろんゼミを持つのも初 めての経験であるが、 3回生 2名、院生 1名ととも に民俗学のゼミナ ール を開始した。夏休みの調査成 果は各人が執筆し東近江市の報告書に掲載されるこ とになった。今後も調査を主体として充実したゼミ を構築していきたい。 。社会貢献 以前よりかかわってきた大阪の狭山池祭り実行委 員会の依頼で、 4月の狭山 池祭りの一環 として講演 人・閏・文・化・通・信 をおこなった。滋賀県下では東近江市の「能登川の シンポジ、ユム 」 を組織し、司会をつとめました。そ 歴史」編集にかかわることとなった 。 の傍ら内モンゴル人作家リグデン氏の長篇「地球宣 言」の翻訳(共訳)を終え近刊の予定である他、自 -京集真帆子(きょううくまほと)日本古代史 ドイツでの海外研修を終えた今年は、次年度に向 けての準備の期間でした 。 2年かけて蓄積した成果 著の中国語訳も中国で近刊の予定です。 また三菱財 1 7年度)による研究成果も中国で出 団の研究助成 ( 版の準備に入っています。 は、来年度に公開する予定です。 また、今年度は女性史に関する講演をたくさんい たしました。滋賀県内で女性史やジェンダーに興味 を持つ方が増えてくださることを願っています。 -島村一平(しまむういっベしリ文化人類学・モンゴル研究 教育活動に関しては、とにかく講義コマ数が多く、 大変な年だった。前期、非常勤の方が突然のサボタ 滋賀県庁のお仕事もいくつか引き受けることにな ージ、ュをした結果、語学 2コマを急速担当する こと りました。自分の専門を生かすことができる委員会 になり、私の担当コマ数は、突然週 8コマに膨れあ や、全く異なった分野の方々と 一緒に議論する委員 がった 。慣れない 2年目の私にはかなりの負担だっ 会があり、とても刺激的です。 たといえる 。 また、内蒙古からの留学生、青春(チ 久しぶりのラジオ出演は、私よりも 一緒に出演し ンチユン)君とモンゴル固からの留学生ソロンゴさ た学生さんが緊張していました。お聞き頂いた方か んを研究生として受け入れた。後期から語学の lコ ら、すばらしい学生さんですね、とほめて頂き、面 マは新しい非常勤の方に担当していただいたが、二 はゆい思いをいたしました。 人の研究生が非常に熱心に勉強するので、それぞれ . mルジギン・ブレンサイン近現代社会史モンゴ が大きくなってしまった(泣)。 ル、中国東北地織史 4月 1日に着任してから一年が経ちます。 まだま に個人授業を設定した。その結果、前期以上に負担 研究活動に関しては、 今年は科研費 (若手研究 B) を採択されたので、夏に久しぶりの長期調査の旅に だ不慣れなところが沢山あります。研究活動が関東 出た 。 から関西に移ったこともあり、新しいフィールドに 家古自治区(オルドス市、ウランホ ト市、フフホト 慣れ親しんでいくことに重点をおいた一年間でした。 市)、モンゴル国(ウランパートル市、フブスグル 教育の面では、 6月初頭にプレゼミーの学生を連 湖、カラコルム )、ロシア連邦ブ リヤート共和国 れて徳島県の鳴門市にある人類学者鳥居竜蔵記念館 (ウランウデ市)の三 カ国を踏破した 。調査のみな 7 月 ~9 月の問に、全部で 2 ヶ月間、中国内 を訪ねました。また環琵琶湖実習では伊吹山などを らず、モンゴル滞在中は、 4年に一度開かれる国際 登山することによって、滋賀県の歴史や文化に接触 モンゴル学者会議で発表したり、学生諸君のモンゴ し、大いに勉強になりました。夏休みでは、 モンゴ ル研修旅行を企画コーデイネート・ 一部同行したり ル国や中国にフィールドワークに出掛け、中国では と、休む暇なしの二 ヶ月だ、った。参加した学生は一 同行こそしていないものの、本学学生の旅行を手配 、 3回生 4名の計 12名であ 回生 1人、二回生 7名 したりしました 。2 0 0 7年 1月2 5日には、「アジア地 るo その内三回生の二人は、短期の語学留学を行っ Jの一環として人間文化セミナーを企画 域交流論B た。草原の道無き道を約 2 4 0 0キロメートル、四駆車 し、来日中のモンゴル回国立歴史博物館館長 A ・オ で駆け抜けたのは、学生諸君にとってもいい思い出 チル氏に「ポスト社会主義モンゴルにおける国家通 となったころであろう 。 史編纂をめぐる諸問題」と題する講演をしていただ 今回の研修旅行で訪れたフブスグル湖は、ウランパ きました。セミナーでは、日本が抱える歴史教科書 ートルから西北西へおよそ 8 0 0キ ロに位置し、面積は 問題などを踏まえながら、学生から活発な質問が出 0 0 0 t ; ; :級 琵琶湖の 4倍ほどの大きな湖だ。周囲は、 3 され、討論を盛り上げました。 研究の面では、 7月には中国内モンゴル自治区で の山と森林タイガに閉まれ、湖水はおそろしいほど 透明である 。実は、この湖の周辺地域は、私にとっ 開かれた日中共同開催の中国内陸部の「生態移民」 て思い出深い場所でもある 。 1 9 9 7年、当時モンゴル に関する国際シンポジ‘ユムに参加しました。 8月に 国立大学大学院の院生だった私が最初のフィールド はモンゴル国ウランパートルで開催されたモンゴル ワークの対象地域として選んだのがフブスグル湖周 帝国設立 8 0 0周年国際シンポジュムに参加し、さら 辺地域なのである 。 この地域に居住するダルハド人 には中国東北三省や 内モンゴルでフィールドワーク というマイノリティのシャーマニズムの研究に従事 を実施しました。なお、科研費が採択されたことに するため、冬と夏にそれぞれ一ヶ月、計二ヶ月、住 より、 1 1月上旬には再度中国にフィールドワークを み込み調査を行った 。その後、 1 9 9 8 年、私は滋賀県 実施しました。 1 0月26日に早稲田大学で研究発表を とフブスグル県との交流協会の設立のために現地コ し 、 1 2月 2日には「モンゴル人日本留学百周年記念 ーデイネーターとして働く奇縁に恵まれ、何度も彼 人間文化・ 73 人・間・文・化・通・信 の地に通った。それから 8年。久しぶりに訪れた湖 ても初代ゼミ生らが無事に卒論を執筆し終えたこと は、昔と変わらず青く澄んでいた。 が最大のニュ ースです。 この文章が皆さんのお目に 執筆活動に関しては、日頃の業務が押されて、あ 触れる頃には、論文試問も終わっているはずですが、 まり落ち着いて モ ノを書けなかった年ということに 彼(女) らがどれだけ果敢に試問教員とやりあって なる 。以前に発表した論文が中国語に翻訳され、中 くれるか、楽しみです。 国社会科学院の「世界民族」誌に掲載されたのがせ めてもの救いであった。 -河かおる(かわかおる)朝鮮近代史 本学に赴任して 5年目、多くの方々のご協力を得 -東 幸代(あすまさちよ) 日本近世史 ながら滋賀県下での在日朝鮮人高齢者からの聞き取 専任講師となって 2年目を迎えました 。今年度も り調査にようやく着手しました。なかなか思い通り 引き続き、自治体史編纂業務や自治体の文化財業務 進まず難儀していますが、無年金問題など在日高齢 などの委員を新規拝命しました。大学による地域貢 者を取り巻く実情、 地域の語られなかった歴史に触 献という点で、こう した委員はなるべくお引き受け れ、不勉強を恥じつつ、私の立場ゃなすべきことを したいと思っていますが、物理的な問題からどうし 絶えず聞い直される思いです。 てもお断りせざるを得ないこともあり、申し訳なく このところの「嫌韓流」ブームへの批判 本の企画 思う場面もありました 。その代わりといういうわけ へ参画する機会があり、 1節担当しました。他に執 ではありませんが、お引き受けした委員の仕事には、 筆中のものは、私が締め切りを守れなかったために 一生懸命取り組みました。 まだ発表されておりません。 このような仕事が 「 多 今年度は 、 2年目を迎える講義「近世近江論Jを 公開講義としました 。 「若干名 」 の募集に対して、 重債務 j 化する事態がますます深刻になった一年で した。 1 0名近くの社会人の方々が受講してくださり、楽し く講義ができました。ただ、内容が近江の地域史と いうことで、学生たちと社会人受講生との知識量に を毎回提出してもらい、授業づくりに役立てたつも はどうしても差があり、教え方を相当練ってから臨 ート を赤ペンでコメントを書いて談話室を通じて返 教育面では、前年度に引き続きレスポンスカ ー ド りです。成績処理終了後、レスポンスカ ー ドやレポ まないといけないことを痛感させられました。今後 却しているのですが、受け取りに 来な い学生もいて の課題といえましょう 。 残念です。前期開講科目のレポート仮題で、インタ その他の地域貢献としては、東近江市や甲賀市で ーネ ッ トからの安易なコピー&ベーストが今までに の古文書調査にゼミ生らと参加したことがあげられ なく自についたので、後期開講科目ではレポートの ます。なかには、ゼミ生のほかに、講義の受講生や 書き方等について、 通算で 1コマ分以上かけて説明 社会人受講生、また、数年前から京都で行っている しました。公開講座受講生で一通り私の提供科目を 古文書講座の社会人受講生など、様々な方々が参加 聴き終えた方が、来年はもう無いのですかと残念そ してくださったにぎやかな調査もありました。 今年度 1 2月には、「滋賀県立大学移動公開講座」 うにおっしゃってくださったことが、今年度最大の ご褒美で した 。 として講座「江戸時代の地震と近江国」を担当しま 地域との関わりでは、 冒頭に述べた在日朝鮮人へ した。 ひょんなことから歴史地震の研究をするよう の聞き取り調査に 一番労力を注ぎました。そのこと になり、 4月に京都で市民向けにお話をしたのです とも関連して、予期せず旧能登川町史の執筆委員と が、本県では初めての地震のお話です。身近に危機 なりました。在日朝鮮人の歴史を自治体史に書き込 として迫っているということもあり、受講の皆さん むという未知の仕事を前に、やる気だけは満々です。 の関心は総じて高く、熱心に耳を傾けてくださいま 最後に、朴慶植文庫についてですが、昨年度末に した。近江の歴史地震に関しては、まだまだ史料集 何 とかまとめて発行させていただいた仮目録を各方 積の段階なのですが、講演後に様々な史料の情報を 面に発送し、励ましと感謝の言葉をたくさん頂戴い ご教示くださる方やご家族の地震体験を語ってくだ たしました。今まで、頼っていた院生が卒業してしま さる方もいら して、こちらも大変勉強に なりました。 以上のように、今年度は地域貢献に随分力を入れ い、今年度は少々整理が滞りましたが、閲覧や取材 たという結果となりましたが、勿論、研究・教育活 などの問い合わせも多く、頑張らねばとの思いを新 たにしています。 動も従来通り行っております。研究面では、報告書 や小文が活字 にな りましたが、今年度から琵琶湖を テーマとした科学研究費補助金若手研究 ( B)をい ただけることとなり、現在は琵琶湖舟還に関する論 文を執筆しています。 また、教育面では、何といっ 74 ・ 人 間 文 化 -武田俊輔(たけだしゅんすけ)社会学・文化研究 。研究活動 文部科学省科学研究費補助金「戦後日本におけ る 地域アイデン テイテイの再編と地域伝統芸能に関す 人・間・文・化・通・信 る歴史社会学的研究」に基づいて、江州音頭および 日本の養殖ウナギ産地にも復活の兆しが見え始めて 江差追分を中心とした、戦後における民謡・民俗芸 きたのですが,現地調査を通して,有効かっ持続的 能の変容プロセスとそれらをめぐる社会的なアクタ な産地振興策とはどのようなものかを考えました ーの関係性を分析することを通じて、戦後における (近刊の著書,記事参照)。 地域コミュニテイの関係性の変容について明らかに 9 9 0年代以降の民謡・民 するための調査を行ーった。 1 -石川慎治(いしかわしんじ)保存修景 俗芸能、また有形無形を含む歴史的環境が地域おこ しのツールとして用いられる現象が活発化する中で、 ・研究活動 昨年度は湖東地域を見て回ることが多かったので 尚更重要性が増しているテーマである 。成果は下記 に挙げた近刊の共著書において発表しており、また すが、今年度の研究活動の中心は湖西地域、特に高 島市における文化的景観に関するものでした。現在、 科研費報告書においても報告する 。新年度からは国 高島市は重要文化的景観の選定を目指しており、今 回の調査では湖岸の石積みで有名な海津・西浜の集 際日本文化研究センターにおける民謡研究のプロジ ェクトにおいて共同研究を行うことになっている 。 賓崎先生とともに、 落を中心を行いました 。現在、 j 。教育活動 ゼミの担当が三年目となったが、ここ 二年は毎年 調査報告書の中の「集落・建築」 に関する部分を執 1 0 名弱の学生がゼミに入るようになり、卒業論文の 指導に大きな時間を割かれる 一年となった 。 また、 昨年度からスタートした社会調査土資格科目のう ち、「質的デー タ解析論」と「社会調査実習 」 を新 たに担当することになった。企業や行政におけるホ ワイトカラー向けの社員研修や社員教育と大学にお ける社会調査教育の内容はほぼ重 なっており、企業 内での営利活動や業務改善を目的としたリサーチを 改善していく手段の提供として、大学の社会調査法 の講義を意義づけることが必要と考える 。 4 砂地域貢献・社会貢献 地域貢献に関しては、男鬼楽座の活動は最終年度 となった。男鬼にとどまらず、彦根・多賀の山間部 筆しているところであります。 また、現在、湖北地域での古民家再生普及を目指 して活動している「湖北古民家再生ネットワーク」 という団体に所属しておりますが、今後はそのよう な活動とともに、湖北地域における農家形式の民家 を対象とした研究も始めていきたいと考えておりま す。 くその他調査> ・湖北地域民家調査(余呉町国安・長浜市高畑町) ・近江八幡市「兵四楼」調査 など .海外調査 昨年度、在外研修で参加したシリア・パルミラ遺 跡の調査ですが、今年度は科学研究費基盤研究 (A) 「古代パルミラの葬制の変化と社会的背景にかかわ に数多く存在する廃村のうち、保月に関する調査と る総合的研究」の研究分担者として参加することに その成果の地域住民への還元を、ゼミ生とともに行 っている 。学会関係では、日本ポピュラー音楽学会 加しているところですが、まだ、半分ほどの石材調 や日本社詮学理論学会といった学会において研究委 査が残っており、来年度も継続して家屋墓の復元調 員や専門委員を命じられた。 査に参加する予定です。 <調査 > -パルミラ遺跡における家屋墓調査 -爆本礼仁(っかもとれいじ)地理学 赴任したばかりの昨年度中は難しかったのです が,今年度は環琵琶湖文化論実習(班長)の下見, なりました。現在、倒壊した家屋墓の復元調査に参 / 0 8/0 8 2 9 ) (シリア、 06 担当授業の野外実習,共同研究グループでの巡検な .教育活動 「近江楽座」 には、昨年度に引き続き、プロジェ どの機会があって,東西南北・湖岸から山間部まで, 滋賀県内の色々な場所に行きました。そこで見聞き クトの指導教員&推進会議メンバーとして関わりま した。 プロジェクトの活動では昨年度以上に新聞な したことは,資料やデータを補って,地理学や地誌 学の講義で活用しています。今後もネタ集めを頑張 どで取り上げられ、これまでの学生の地道な活動が 地元に浸透してきていると実感した一年でした。来 っていきたいです。 この 一年間の研究については,ウナギ産業界で 年度以降の「近江楽座」でも、今まで以上に学生・ 地域の相互にとって意義のある活動になるように尽 力していきたいと思います。 「国産ブーム」と呼ばれる現象の実態と生産現場の 対応を追いかけました。国産ブームとは,中国産・ 台湾産のウナギ(活鰻,加工品)で薬品残留や産地 偽装といった不祥事が続き,消費市場における国産 ウナギの優位性が明らかに高まった ( 2 0 0 2年以降) ことを指します。それによって,不振を極めていた <r 近江楽座J関連 > -男鬼楽座 家楽座 r 山村「男鬼」の村おこし」、古民 r いかして民家?J(学生指導) -近江楽座推進会議メンバー 人間文化・ 7 5 人・間・文・化・通・信 生活文化 t -印南比呂志(いんなみひろし)道具計画論 今年度は調査のための移動距離が予想以上に多い 0 都市、 年でした。ざっと数えただけでも前半の国内 3 0 都市を、調査やワークシ 後半の在外研修での海外 2 ョップで訪れました。 地域の企業や職人など、モノや人を中心とした調 査のため、どうしてもインタビュ ーを含めた人との つきあいの多い年でもありました。 地域に入つての ワークショップでのまちづくり支援活動や、北陸地 域の伝統産地の職人調査は、もう恒例のゼミイベン gn これはイギ リス を 中 心 に 活 動 し て い る Desi H i s t o r yS o c i e t yの年次大会で、大会テ ーマは「デザ インと進化」 。 道具の進化という概念についての関 心から私には見逃せない集まりでした。昔からその 著書で、知っていた高名な研究者に会えたり、旧知の 友人を見つけて再会したり 。人工物の「進化」 につ いて近年の研究動 向を知ることができま した。 設立から関わって来た道具学会では年間論文集を 責任編集。「研究とは何か」 と題した会員有志の座 r季刊道具学』 談会を実施して 、その記録を掲載 ( 第1 5号) 。 研究とは、何かのためにするのでなく自 分でおもしろいと思ったことをするのが一番よいの だ、という発言がありました。同感です。 トのようになっています。特にイタ リアでの在外研 修中には、ゼミ生たちと現地の大学での授業やセミ ナーに参加したり、ベネチアビエンナーレの日本館 -佐々木一泰(ささき くにひろ)空間デザイン の準備サポ ート に参加したりと、幅広い視点の発見 れな事だらけでしたが、色々魅力的な方々と出会え や出会いがあ りました。 また現地で活躍している卒 業生たちにも随分お世話になりました。 これらの人 た一年でした。研究場所を整備するだけで手一杯に 脈が、研究や教育、そして就職?に役立つことは間 着任して一年が経とうとし、初めてのことで不慣 なってしまいましたが、今後、研究室活動をさらに 充実させていきたいと思っています。 違いありません。この人間関係を維持していくには、 これまで以上の努力も必要です。 4 砂デザイン研究活動 3 名のゼミ生を送り出 今年は学部、大学院含めて 1 します。卒業していく学生たちがそのまま社会でそ の関係を引き 継いでくれることを期待しています。 着任する以前の活動は、 一旦4月で区切りを付け ていましたが、最後に担当していたのは、大型商業 施設の環境計画やサイン計画でした。機能的にかっ -面矢慎介(おもやしんすけ)道具デザイン論 を知る仕事でした 。 ( 空間デザインの実践的研究) さりげなくテ ーマを空間によって伝える事の面白さ 1 0年ほど前から始めた彦根の 町家の考現学的調査 4月以降では、梅田中心部の庖舗の実施設計が二 について、 3月末に中間報告をまとめました(彦根 件ありました 。ひとつはクライアン トの都合で中止 になりましたが、もうひとつの BARはバレンタイン 市史民俗部会報告書) 。 町家の生活のビジュアルな 記録化として今後も少しずつ調査を続けていくつも りです。 運営委員を しているデザイン史学研究会では、私 の思師の一人でイギリスのデザイン史家のペニー・ スパークさんを招いてシンポジウムを開きました ( 1ジ‘ェンダ ー とモダンデザイン」埼玉県立近代美術 館 、 7月22日)。デザイン史の研究が日本でもだん にオープンしました 。樹木をテ ーマにし、屋外テラ スにはささやかですが緑化が施されています。非常 に細長い庖舗だ、ったため、空間的には流動性をテ ー マにし、様々なエレメントがつながり、知らず知ら ずのうちに庖舗に入っていくことを狙っています。 ( 表現に関する研究) 西洋建築の研究者と共に、空間を解析 したうえで だん盛んになってきたのを実感しています。でも女 性研究者が多いのは日本独特の現象かも 。 8月には京都府立大学と共同で丹後地方の海沿い 面と 三次元の中間を狙っており、一般の読者にも、 の町・宮津市由良地区で生活デザインの学外演習を 行 い ま し た (8 月 3~7 日) 。 地 元の方達といっし 空間の面白さを写真とともに伝える表現を検討して います。 ょに山に登ったり、それぞれの家で大事にしている 「お宝」 を見せていただいたり 。最終日は地元の方 達を招いて、学生たちが見たこと 聞いたことをプレ ( その他) 以前、制作した事務所空間が書籍に掲載されまし た。 ゼンテ ーション 。今後数年 間かけて地域の文化財を 調べ、記録化し、町づくり資源と して役立ててもら う計画です。 8月末からの数 日間、オラン夕、のデルフ トで開か .1 デザイナ ーズコンパク トショップ BESTlO OJ (グラフィック社) れた国際学会に参加 してきました(本学在外研修)。 7 6 ・人間文化 図版をつくる作業を行っています。来年度には出版 の予定です。 リアリティを求めるものではなく、図 また、個人的な興味として、少しずつですが、近 江の神社を巡っています。転用 という ことが自分の テーマのひとつでもあるので、さまざまな風景から、 人・閏・文・化・通・信 デザインを考えていきたいと考えています。 また今 日にちをかけて染め上げる染色方法が今も伝承され 後は、そういったものを生かして、学生にも身近な ていた。特に東京都無形文化財技能保持者の山下さ 場所で実践的な活動が出来ればと考えています。 んの工房の染めの美しさは格別であった。 また、織 4 砂教育活動 りも綴密かつ優美で素晴らしいものであった。 今年度から、「住居設計演習 1~N Jを担当しま 研究実験では、廃棄される花弁の有効な染色方法 した 。スタッフが大幅に変化した為、内容について を見い出すことを目的に進めていた研究を論文にま 新たな試みを盛り込むことになりました 。その中の とめた。 また、日本家政学会関西支部の研究発表会 代表的なものと して合同課題があります。 これは 2 で、クズの葉を用いた葉緑素染色について口頭発表 3回生合同でチームをつくり、原寸大の空間 した。さらに、著書『自然を染める 』の執筆も進め、 をつくるというものです。 また、湖風祭実行委員会 春には木魂社から出版される予定である o 今年度か の協力により、湖風祭で色々な方々に空間を体験し てもらうことが出来、学生にも良い経験だ、ったと思 および堅ろう性におよぼす影響」も少しづっ成果が 回生 ら始まった共同研究「カチオン界面活性剤が染色性 います。空間設計の課題においては、模型や図面な 上がってきている 。 どの原寸とは異なるスケールで制作するため、どう 4 砂教育活動 しても実際のスケール感を指導することが困難です 昨年度から始まった染色の演習は担当時間が倍増 が、実際に制作することにより、スケール感の把握 した。学生が染色行動を身近かなものとし、ファッ や、材料や工法に対する意識も高まりました(もち ションショー等の作品に生かしている姿を見ている ろんリサイクルも)。今年は牛乳パックを接着なし と、染色の演習の開講は意義のあるものであったと で止めた作品や、不織布で作るなど、従来の材料・ 思う 。 工法 とは違った、 三分野にまたがる生活デザインら .社会活動 しい制作が出来たのではと感じています。 r J を担当しました。生活 また「生活デザイン論 r 多賀町生涯学習講座(前・後期)で 5日間、草木 染め講座の講師を務めた 。 この講座により、身近か 文化とデザインという、難しいテーマが設定されて な天然染料を見直し活用する裾野を広めたいと思っ いますが、生活を構成する要素を、空間全体から部 ている 。 また、近江猿楽多賀座の依頼で、猿楽用衣 分まで考えていく内容です。実際の椅子や材料を持 装として子ども用前ダレ、王の舞の前ダレを座員の ち込んで、部分の構成を考えながら、全体を考える 。 皆様と共に染色し、展示会で発表した。 そういった知識が学生の設計や研究に生かされるこ とを狙 っています。生活空間を体系化していくこと 園南 は始めての事で整理しきれていない部分もありまし .デザイン・研究活動 昨年の平成 1 7年度ウッデイフ ロンテイアシズオカ たが、今後さらなるパージョンアップを図っていき たいと思っています。 政宏(み芯みまさひろ)道具デザイン 開発事業」 より引き続いて商品開発を行っていた、 チェストシリーズ londaJ が静岡の東海家具工業 圃道明美保子(どうみようみほこ)染色学 染色の伝統的技法を現代の科学から検証し、さら (株)より商品化された 。 また、昨年「シズオカ IKAGUJ 国際デザインコ に発展させていく方法を探ろうとしている 。 ンペティション 2005U -40J で銀賞を受賞した照明 4 砂海外調査 g l o r yJ も現在、静岡の関本家具工芸によっ 器具 I 数年来、染・織の源流を訪ねる旅をしている 。今 て商品化にむけ開発が進行中である 。 年は、昨年の調査地のベトナム北部およびラオス北 また、金沢のインテリアショップ「アレス」が主 部に近い中華人民共和国雲南省の少数民族であるチ ベット族、ナシ族および白族の村を訪ね、染・織・ 催した「アレスデザインコンペティション 2 0 0 5 Jに おいて、最優秀賞に選出されたパーティションは現 刺繍の現状調査と資料収集を行った。各少数民族特 在商品化へ向け、開発を進めている 。 このプロトタ 有の衣装とその衣装が示す意味、生活様式、刺繍、 o l o g n e イプはドイツケルン国際家具見本市(jm mc 染色、文字等大きな収穫を得た。 2 0 0 7 ) にも出品され、そこでの反応をふまえ更なる 改良の最中である 。 .研究活動 染・織の源流を訪ねる海外調査に対して、日本で は八丈島を訪れ、 黄八丈の染織の現状調査と資料収 集をした。黄色の染料として、古くから使用されて さらに、女性向けカタログ通販で有名な N i s s e nが s s e nDesign Award 2 0 0 6 J において 主催した INi も最優秀賞を受賞し、ダイニングチェア、ダイニン きた近江刈安と八丈刈安の差異を調査することを長 グテーブル、チェスト、 TVボード、 く望んでいたが、やっとその機会を得ることが出来 スク等を来年度の夏期に発売できるよう現在開発中 たことが喜びであった。八丈島では、多くの手数と である 。 ドレッサーデ 人間文化・ 77 人・閏・文・化・通・信 4 砂教育活動 「アレスデザイン コンペティシ ョン20 05Jにおい て、ゼミ生の尾関真理子が優秀賞を受賞した。 アパレルで有名な W ORLDが毎年開催している i WOR LD s p a c ec r e a t or sawards2 006Jにおいて、 。社会活動 守 J l J 市 UDまちかどウォッチャ ーの UDチェ ック 基準づくりチ ームのリ ーダー として今年度は主にサ インの基準づくりについて活動した 。また、新たに、 彦根市の行政評価委員に就いた。 ゼミ生の大和希実子が学生の部で最優秀賞を受賞し た。彼女は衣服 とインテ リアにとても興味があり、 -森下あおい(もりしたあおい)服飾デザイン アパレル会社が主催している唯一のインテリアデザ 研究活動では、近世の日本人女性の体形と着衣形 インコンペティションで、素晴らしい結果を得られ 態に関する論文を執筆した。 この研究は服飾に表現 た事は私にとってもたいへん喜ばしいことで、あった。 される人の感性を定量化することを考えて始めた研 究である 。現代を生きている女性を扱う研究とは異 -宮本雅子(みやもとまさこ)住環境学,インテリア計画 なり、数百年を隔てた過去の時代の女性の体形を分 ・研究活動 研究活動と しては、今年度関西電力と京都女子大 析するためには、生体計測や写真によるデータに代 わる分野を越えた多様な資料を視野に入れて推定す 学短期大学部園嶋助教授との共同研究により、「住 る必要がある 。次年度はさらに新しい角度からの分 宅における昼光・人工照明の効果的利用・快適性評 析を進めるとともに、画像上での体形の視覚化 を試 価研究」 を開始した 。 この研究は平成 1 3~16年に科 みる予定である 。一方、作品制作としての研究は、 学研究費を得て行った基礎研究を発展させたもので 素材の新しいテクスチュアに関しての提案を学会に ある 。関西電力の快適性研究の実験施設である、暮 て行うとともに、 2 0世紀初頭に行われた芸術家によ らし e創造館で擬似昼光装置を 利用し、快適性評価 る衣服を検証し、作品をイギリス、 実験を行った。 において発表した。 この研究については、今後も多 ドイツの美術館 トステム建材産業振興財団から助成頂いた 「 景観 くの調査が必要で、あるが、モードとしての衣服とは および視認性に配慮した視覚障害者誘導用ブロック 異なり触れられることの少ない近代以降の衣服デザ の色彩に関する研究」は、滋賀県立盲学校の協力を インの変遷過程を、実践的な検証によって明らかに 得て、弱視者に対する黄色と判断できる色彩に関す したいと考えている 。 る実験を行い、一連の調査・実験を終了した。 教育および地域活動では、ゼミ生に よって彦根市 また、質感と色彩との関わりに注目した研究の取 社会福祉センター主催のシルバー 学祭で、地域の りかかりとして、商業建築のインテリアに使用され 方々と共にファッションショーを行うことができ ている材料とコンセプ トとの関わりについて検討す た。 これは世代を超えて、衣服を通じた自己表現の るための資料収集を行った。 役割や意味を問う試みである 。 また 山口県国民文化 日本建築学会「建築空間の質感・色彩設計法小委員 祭りへの参加し、近江八幡市の左義長祭をテーマと 会」に幹事として参加しているが、今年度は、 IN A した法被のデザインを発表した。 また例年、生活デ X,日本ペイン トなど質感や色彩に関わる商品づくり に取り組んでいる企業のデザイン部を訪問した。 ザイン専攻の 3回生が中心となって行っている湖風 祭でのファッションショ ーは、近江楽座の活動とし 4 砂教育活動 て位置づけられ、多数の県内企業や工業技術センタ 生活デザイン学外演習の 1プロジ、エクトとしてユ ーの方々に協力していただき、新たな展示や彦根市 ニバ ーサルデザインによるサイン計画について学生 内でのえびす講において発表を行うことができた。 とともに取り組んだ。元本学教授の土井崇司先生が 今回は滋賀県で作られた素材の可能性をテ ーマにデ 理事長をされている市民団体 「 ユニパ サルデザイ ザインを手掛 け、関学以来継続されてきたファ ッシ ンのまちづくり研究会」の支援を得て、学内のサイ ョンショ ー在り方に、新たな視点として 地域との結 ンチェックを行い大学のサイン計画お よび改善に向 びつきと社会を見据えたデザイン活動が行われたと けた取 り組みを行った。それに先がけ 6月に中部国 思う 。学生たちの新 しい試みが良い未来へと繋がる よう応援していき たい。 際空港のサインチェックを行い、 先進的なサイン計 画についても 検証することができた。 また、 1 2月に は守 山市 UD ( ユニバ ーサ ルデザ イ ン) まちかどウ 園山根 ォッチャ ーによ る運動公園の サインチェックのワ ー 市・住居論 周(やまねしゅう)地域生活空間計画,アジア都 クシ ョップに参加し た。 さらには、 ユニ バーサルデ 今年は調査,学会で海外に出 ることが例年以上に ザイン県民フォ ーラ ムでこの活動につ いて学生が発 多い年になっ た。訪問地 は韓 国 (6月),イン ド,パ 表する機会を得る ことができた。 キスタン,ス リラ ンカ (7月),イン ド(9月),韓国 ( 10月),イギリ ス(12月) ,ケ ニア,タン ザ、 ニア ,オマ 7 8・ 人 間 文 化 人・閏・文・化・通・信 一ン (3月予定)である 。特に,ここ数年,建築学,歴 を受け、行きがかり上、お引き受けすることになり、 史学の研究者で組織されたプロジ‘ェクト・グジャラ 私自身も食育については高い関心をもった I 年であ ート研究チームで進めているインド,カ ッチ 地方に った。 関する研究では,インド洋交易を通したアラブ,東 アフリカ沿岸地域との密接な文化的つながりが認識 常者、障害者、高齢者を対象により健康で豊かな生活 されるようになり, 3月のアフリカ,オマ ー ン調査 教育研究活動としては、以下のようなテーマで、健 の成果に期待しているところである 。また, 6月と が送れる食生活のあり方について研究 を行なった。 1.日常生活における身体活動量評価に関する研究 1 0月の 2回の斡国訪問は,都市再生の手法として注 2 . 食品摂取が生体の代謝に及ぼす影響に関する研究 目されたソウルの清渓川 (チョンゲチョン)復元事 3 . 骨粗しょう症予防に関する研究 4 . 重症心身障害者における エネルギー代謝および 業や,慶州,蔚山,安東などでの歴史的遺産を見学す ることができ,意義深いものであった。 5人の 4回生が「岐阜県の道の駅j, 日本におけ 「彦根の伝統的集落における庭と 景観j,I 建売住宅における空間,設備構 る美容室の展開 j,I 成の変遷 j,I 京都における 町並み保全型地域防災計 画」をテーマとした卒業研究に取 り組み,それぞれ しっかりとした調査デー タに基づく中身の濃い論文 を仕上げたと思っている 。ゼミ旅行をかねてみんな で岐阜県の道の駅を回ったのは楽しい調査であった。 木匠塾は 9年目を迎え,奈良県川上村と多賀町に おいて,それぞれ地域施設の製作をおこない,より 地域との結びつきを強めていく事ができた。来年は 0周年という節目 川上村で木匠塾の活動を開始して 1 の年を迎える 。 さらなる発展を目指して取り組んで いきたいと考えている 。 教育面では -浦部貴美子(ううべきみこ)食品加工・保蔵 古くから言い伝えら れてい ることがらから、また 私たちの身近にある素材の中から、健康や生活に役 立つものを見いだしたい との思いで始めた研究も、 基礎的研究から応用に向けた研究へと移行しつつあ ります。 これまでの学生たちの地道な スク リーニ ン グによって有効な野草を見いだすことができ、今年 骨密度からの栄養ア セスメントに関す る研究 5. アス リートのパフォ ーマ ンスに及ぼす栄養教育 の効果に関する研究 -柴田克己(しばたかっみ)ビタミン学,代謝栄養学,食 鼠機能科学,栄養生化学 2 0 06 年 の 活 動 は 月 7日に東京で開催された日 2月2 3 本栄養・食糧学会役職理事会からはじまり, 1 日に東京で開催された日本生活協同組合連合会の食 0 0 6年も外部の仕事の 品添加物委員会で終了した. 2 0 05 年に外部の仕事を 負担が多すぎたと反省する .2 引き 受けすぎたつけが2 0 0 6 年に現れ,論文の受理数 0報にはるかに達しなかった. 2 0 0 6 は,年間目標の 1 年は,同僚 ・学生と話 し合う時聞が十分と はいえな 0 0 5年に 比べ , 時間が増え,この点は いまでも, 2 少々改善できた.本務,内部・外部に関わらず依頼 された仕事は,きちんとこなすことができた. しか し,自己設定しておこなう創造的仕事に関しては, 0 0 5年のっけ きわめて貧弱な年であった.これも, 2 である. 2 0 0 7 年は,同僚・学生と議論し,創造的仕 事を充実させたい. 度はいくつかの野草から活性成分を明らかにするこ -田中敬子(たなかよしこ)栄養教育論 生涯を通した健康っくりの啓発 ・普及のために、 とができました 。 それぞれのラ イフステ ージにおける健康要因の解明 -岡本秀己(おかもとひでみ)健康栄養学 と教育介入を含めた健康 ・栄養教育の確立が必要と なる 。そこで健康教育のあり方の検討のために、今 7年に食育基本法が成立し、子どもたちが豊 平成 1 かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていく ためには、何よりも「食」が重要で、あり 、食育を、 生きる上での基本であって、知育、徳、育及び体育の 基礎となるべきものと位置付けられた。そして、家 庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動とし て、食育の推進に取り組んで、いくことになり、その 年度 は 、 京都の公立小学校の児童を対象に、 岨l 智能 力・貧血を健康のパラメ ータとして調査を行い、生 活習慣が強く係ることを明らかにし、大学生を対象 とした健康教育については、メンタルヘルスを取り 上げ、生活・運動習慣がメンタルヘルスにいかに関 与するか、アンケ ート調査ならびに、生理的パラメ ータとしてホ ルモ ンの動態とも絡めて研究を 進展さ 指導者養成ということで今年は、文部科学省が「食 せた。今年度の研究活動、社会活動は以下の通りで に関する指導の充実のための指導者の養成を目的と した研修」を行 ない、滋賀県からは教育委員会の先 ある 。 生と私の 2名が参加し 、 1週間の研修を受けた。 その後、滋賀県教育委員会、大津市などから 「 学 校現場にお ける食育の進め方」に関する講師の依頼 -灘本知憲(なだもととものり)食品栄養学,食品生化学 今年も何かとせわしかった。今年の特徴は企業や 民間団体、地方行政機関との受託・共同研究が多か 人間文化・ワ9 人・間・文・化・通・信 ったことか。その多くで協力いただいた浦部先生に 対して摂取エネルギー量が多く、消費エネルギー量 はずいぶんお世話になりました。このような食を巡 が少ない状態となり、肥満にまで発展している 。 こ る地域からの要請が近年増加していることの裏付け のように肥満は日常の生活習慣と密接に関連してお とも 言 える 。さらに食生活専攻の学生とともに、地 り、とくに食事の要因としては、動物性脂肪や単純 域の手助けに随分時間をきいた。(1)彦根商工会に 糖質の摂取が多く、食物繊維の摂取が少ないといっ 協力して、近江牛ハンバ ーガー、フナ寿司ごはんの た食生活が指摘されている 。 加工品の試作、(2)それらの彦根市主催元気フェス メタボリツクシンドロームとは、食事の過食・偏 タでの試験販売、 (3)大学祭での滋賀県和菓子職人 食あるいは運動不足による消費エネルギーの減少に グループとのコラボによる和菓子製作販売、(4)彦 起因する肥満(内蔵脂肪の蓄積) を基盤として、個 根市内橋本商庖街へのえびす講での出庖 ( 健康弁 当 人に高血糖、脂質異常、高血圧などの複数の危険因 販売)、(5)彦根商工会からの委託で彦根市内食堂 子が集中し、動脈硬化が進行して心筋梗塞や脳卒中 マ ップ作成作業、いずれも学生のパワ ーで推進し、 などを発症する症候群である(日本動脈硬化学会他 幸い好評を得た。小生のみならず、学生諸君にとっ ても社会と触れ合う貴重な経験であった。 7 学会 )。 この学会の診断基準により、 40~74歳を 対象として健診 ・保健指導を平成 2 0 年度から実施す ることになっている 。健診によりメタボリツクシン -早川史子 (はやかわふみこ )公衆栄養学、健康と栄養、 食品機能論 握し、それぞれの リスクに応じて保健指導、とくに ドロ ーム ( 内臓脂肪症候群)の擢患者や予備軍を把 茶カテキンには強い抗酸化作用がある 一方 、 金属 食生活と身体活動度を改善するための具体的な個別 イオン共存下ではヒドロキシルラジカル(OH.) 指導に力点がおかれている 。 このうち食生活指導は を生成し、 DNAを損傷すること、また EDTA は Cu2+ーカテキンよる DNA損傷を 抑 制し、 Fe2+、 管理栄養士が担当し、肥満、高血圧、高血糖、高脂 Fe 3+ーカテキンによる DNA損傷を促進すること 、 ここに過酸化水素を添加するとさらに損傷が促進さ 血症などの高リスク者に対して個 別の指導を行い、 6カ月で一定の成果を挙げるよう求められている 。 このように疾病の治療や重症化予防のためには臨床 れること、などを明らかにしてきたが、本年度は酸 栄養学の知識や技術を十二分に発揮し、生活習慣の 化還元電位法によって、共存するカテキンや金属イ 是正を阻害している因子を明らかにしながら、対象 オンの種類、 EDTAの共存の有無によって錯体形成 状態がOH' の生成と深くかかわっていることを推 者の日常生活習慣や行動の変容を図っていくことが 論した。 慣病予防対策としての栄養食事指導とその成果につ 京都府茶業会議所からの奨励寄付金によって茶粥 必要で、 あり、研究テ ーマとして糖尿病を含む生活習 いて研究を進めている。 習俗の分布と伝播ル ー トに関する研究を一歩前進さ 9年度にも引き続き せ、報告書 を提出したが、平成 1 このテーマは続行する予定である 。 -福渡 努 ( ふ く わた りつとむ)食品栄養学 2 0 0 4 年 4月よりアメリカ合衆国メリ ーランド州ボ また、健康づくりのための食事バランスガイドの ルチモア市のメリーランド大学医学部メ リーランド 普及啓蒙や日本の食料自給率の 向上に向けた課題に 精神医学研究センターにて,統合失調症と脳内アミ ついての検討を進めている 。 0 0 6 年 3月に帰国 ノ酸代謝に関する研究に取組み, 2 しました . -麗瀬潤子 ( ひろせじ ゅんと)臨床栄養学 本学に着任して 3年が過ぎようとしています。 ょ 0 0 3 年度までと同様に, 柴田克己教授 帰国後は, 2 の下で 「日本人の食事摂取基準 ( 栄養所要量)の策 うやく慣れてきたように思います。法人化後さまざ 定に関する研究」に取組んでいます.これは,厚生 まな問題などもありましたが、私自身としては学生 労働省が2 0 0 9 年に策定する「日本人の食事摂取基準」 と、たくさんのお母様や赤ちゃんにご協力いただい に必要な科学的データを得ることを目 的 としていま て母乳に関する研究に取り組めたことで、楽しい一 す.具体的には,ヒ トお よび実験動物を対象として, 年になりました。 健康維持や生活習慣病予防を期待できるビタミン摂 取量はどれくらいなのか,ビタミン栄養状態を判定 -福井富穂(ふくいとみほ)臨床栄養学、栄養ケアマネジ メント論、臨床栄養活動論 現代人の食生活は、欧米化 した食事(高エネルギ するにはどの ような生体指標が有効に 利用できる か,その指標をライフステ ージ別にどの ように利用 一、高脂肪、高ショ糖、低繊維)を摂取していると できるか,などを明らかにする研究を行っています. また,研究留学で、学んだ、脳神経科学 について,食 いわれる 一方、車社会といわれる ように日常の身体 品栄養学の観点から解明し ようという 研究を始めま 活動は非常に少なくなっている o いわゆる活動度に した.現代社会はス トレス社会とも 呼ばれ,過度の 80 ・人間文化 人・間 ・文・化・通・信 ストレスによる精神疾患の増加が社会問題となりつ 秦荘町史に関して積極的に資料収集を行った。 つあります.急激な神経伝達物質の増減を繰返すな 選挙関係では、「ローカル・マニフェスト推進ネ ど神経伝達機能に異常が生じたりすると脳機能が変 ットワーク関西」運営委員として、「地方政治改革 調をきたし,精神疾患などの疾患を発症します.こ の研究では,アミノ酸は神経伝達物質の分泌を調節 ゼミナールー 来年 4月の統一地方選挙をマニフェス ト型選挙に 」で、問題提起 ( i ローカル・マニフェス することができることを利用して,食環境の改善に )を行い、コーデイネーターを務めた トと有権者 J よって穏やかではありますが適度な範囲内で神経伝 ( 2 0 0 6年 1 1月2 3日、於:大阪市中央公会堂)。滋賀県 達物質を調節することにより,脳機能を保護するこ 知事選挙の際には、滋賀県知事選挙立候補予定者マ とを目指しています. ニフェスト型公開討論会実行委員会の代表を務めた 園吉田 龍平(よしだりょうへい)給食経営管理学、臨床 調理学、臨床栄養学 討論会には 3人の立候補予定者(嘉回、国松、辻) ( 2 0 0 6年 6月 4目、於:野洲文化ホール)。 この公開 0 0人の参加者があった 。 また、 が一堂に会し、約 6 「環境マネジメント総論」では、全学部 1回生を 県大では「シガつく実行委員会J(県大生らで結成、 対象に、「地球にやさしいエコ・クッキング」 を中 心に「もったいない思考」も含め環境問題について 代表:平山奈央子)主催の滋賀県知事選挙投票率向 上キャンペーンのトークライブに問題提起者として 提言し、学生の理解を深めた。「晴好と調理実習 IJ では、食文化の伝承の意義を理解すべく、我が国 (京都府・大阪府・沖縄県)と外国(韓国・イタリ 2 0 0 6年 6月2 4目、於:県大交流センター)。 参加した ( その他、昨年度に続いて社会調査士資格認定機構 の連絡責任者(滋賀県立大学)を務めた 。 ア)の料理の調理方法を知らしめ、食文化の違いを 体得させた 。「給食経営管理論」では、学外臨地実 習に必要な基礎理論、マーケティングの原理、マネ 情報処理管理等の幅広い知識や方法について演習を 瞳竹下秀子(たけしたひでこ)発達心理学 今年度は、日本学術振興会科学研究費補助金基盤 (A) 研究の 3年目であり、赤ちゃんが胎内でどう 過ごしているか、この時期から、いかに外界とコミ 通して体得させた 。「給食の計画と実務」では、献 立計画から発注、実施後の栄養評価に至る一連の事 や近隣市町村で生活する母子を対象に追跡研究する ジメント論、組織管理、品質管理、会計・原価管理、 務処理に関して実務演習し、即実践可能なスキルの 修得に努めた 。「給食管理実習」では、集団給食の あらゆる角度からの管理運営の実態を修得させた 。 本年度の研究課題は、「礁下困難食の研究」と 「病院給食経営管理に関する研究」とした。 -大橋 松行 ( お おはしまつゆき)政治社会学、教育社会学 0月 今年度は、ことのほか多忙な 1年であった。 1 ュニケーシヨンしながら発達していくかを、彦根市 活動を継続しました。人間関係専攻の明和政子講師 をはじめとする本学教員および研究支援スタッフ、 他大学所属の子どもの発達や子育て支援に関心のあ る研究者との共同研究です。心とコミュニケーショ ンの発達にかんする基礎研究を行うとともに、「子 育ち」や「子育て」をいかにサポートしていけばよ いのかを探っています。本プロジ、エクトでは、 4次 元超音波画像診断装置を使用した胎児の行動観察を 実施しています。これまでの重要な研究成果として、 9 7 0年代後半から 1 9 8 0年代後半の滋賀 には主として 1 県の地域政治についてこれまでに発表してきた諸論 胎児の「予期的指すい J(手指が口に接触する直前 稿をまとめて単著を出版した ( W地域政治文化論序 説一滋賀県の政治風土研究』サンライズ出版)。 に口を開ける行動)の発見があります。 自己意識の 生成との関連も想定されるこの行動がすでに胎児期 また、今年度から科研費による共同研究「変動期 社会における離島および山村地域の政策課題に関す る実証的研究 J (2006~2008 年度、代表・青木康 に見られることを報告し、国際赤ちゃん学会の公式 容・悌教大学社会学部教授)がスタートした。 ここ 面についての縦断研究を実施し、成果を日本発達心 では「平成の大合併」後の新しいまちづくりを中心 に調査が進められている。 社会貢献・地域貢献の分野では、まず、さまざま 理学会などで発表しました。今後も子育ち応援ラボ な委員会の委員として活動した。中でも滋賀県公文 書保存活用検討懇話会では準備会を含めて 7回の会 のお母さんとともに、赤ちゃんの発達を見守ってい きます。 また、学部生ゼミでは,乳幼児から学童の 議を開き、各委員の協力を得て「提言書」をまとめ、 座長としてそれを知事に提出した(11 月2 1日)0 自 治体史関係では休会中の高月町史を除いて、東近江 市史(能筆川の歴史)、近江八幡市史、日野町史、 発達にかんする卒論や、参与観察や予備的実験の実 施を指導しましたが、その研究フィ ールドとしても、 n f a n c y誌に論文が掲載されまし ジャーナルである I た。出生後については,母子の食事場面や物遊び場 h t t p: / /umi k a z e . s u b. j p/ i n d e x . h t mJ)を 「うみかぜJ( 中心に活動し、プレママ(妊娠中の方)や出産直後 「うみかぜ」ラボの主催する子育てサ ークル「イン ファンクラブ」ゃ、近隣のどんぐり保育園に多大な 人間文化・ 81 人・間・文・化・通・信 協力をいただきました 。大学院博士後期課程では、 指導する 2名が、それぞれ、 コミュニケ ーションの ている 。この様子も、新聞やテレビでも紹介された。 比較行動学的な研究と発達支援実践の研究にとりく 犬上郡多賀 町で聞 き取り調査を行った伝承文化の資 みました。教育基本法「改正」、障害者「自立支援」 法施行などに象徴されるように、教育や福祉の分野 料を整理分類して記録する 一方、児童文化財化の試 でさまざまな「改革」が進められています。人が育 つ、その土壊を枯渇させないため、専門分野で得た 視点から文化財の保存に努めている 。多賀 町教育委 員会の要請でサ ークル[ぶらんこ 」 において紙芝居 知見を背景に旺盛に発信し、多様な連帯を築いてい 製作の指導にもあたっている 。 くことの大切さを痛感した年でもありました。 -那須光章(なすこうし よう)心理学、教育心理学 介護ストレスとコ ー ピングとの関連性、青少年の 二つには、 一昨年、昨年に引き続きかつて滋賀県 みを行っている 。すなわち伝承文化の継承と創造の 三つには自ら代表として活動する滋賀県紙芝居研 3年より 「出前紙芝居大学 JI 出前 究会では、平成 1 紙芝居講座」 を開催し、県内より多くの受講参加者 をえている 。本年度は自らが企画運営に携わり県内 ストレス対処としてのソーシャルスキルとソーシャ の図書館で講座を開催し多くの方々に学びの場を提 ルサポートの効果、若者の職業自立の課題と心理的 供した。 さらに教育 ・保育に携わっておられる方々 特性、等に関する研究を行ってきました 。 の協力を得て県内各地の図書館や市町村において児 十分な研究成果をあげることができませんでした 童書 ・絵本 ・紙芝居等子どもの文化について講座を が、ヲ │ き続き調査研究と事例分析を進める予定です。 開催している 。特に長浜、米原では連続講座として 継続した講座が開催している 。 教育面では、従来の講義 ・演習に加えて今年度は 非常勤講師の先生と組んで新しいタイプの 「 教授・ 5 年1 1月より彦根お話しを語る会の 四つには平成 1 学習論」 を始めました。学生指導としては、研究生 を受け入れて、「発達障害児の長期縦断の絵画能力 の変遷に関する研究」の支援を行いました。学生卒 論指導では 『 在日留学生のストレッサーについて j、 授の小浮俊夫氏が主宰される昔ぱなし研究所の協力 で催されるもので、 6回シリーズの 6回目を 6月に 『 若者の友人関係と人生観 J 、『 大学生の就職率低下 終了。 また第 について 自己効力感という概念から J 、『ソーシ 、『うつ病の原 ヤルサポ ー トと社会的スキルの関連J 因と環境変化が与える影響』の作成をサポートしま した。 学外活動、社会的活動の面では、交通心理学的研 方々と 「 彦根昔ばなし大学」 を開催している 。 この 催しは、日本口承文芸学会会長、つくば大学名誉教 2 5 単として「再話コース」を開催して 4回シリーズの第 1回目を 1 2月に開催した。 -細馬宏通 ( ほそまひろみち)コミュニケーション論 5月末に出版した「絵はがきの時代」が各紙に取 り上げられたことで、絵はがきに関する仕事が増え 究を基にした「交通安全指導 ・教育の進め方」 に関 する研究委員・講演を行いました。 また、児童生徒 てきた 。「絵はがきから見る彦根」 は、この本をき の精神保健推進の地域・学校の連携などについての 審議会に参加して意見を提出しました。 彦根各地の風景を訪ねることで、古老の方々の話に 触れることができ、よいフィールドワ ークになった。 -野部博子(のベひろと)児童文化,伝承文化 一つには、日本の巨大ダム建設によりダム湖に沈 みつつある、岐阜県揖斐郡旧徳山村の昔話、伝説、 に、日本語の左右問題に関する身体動作の研究をま とめたものを 書いた。 日本語では、左右を 言い当て るときに、それが誰を中心とした左右かをあいまい あそび、わらべうた等伝承文化財の資料整理を進め ている 。すでに一部は活字・ CD等で明らかにして いるが、その折り省略したものや新たに採集できた なまま「もっと右 JI 左のほう 」 といった表現を使 う。 にもかかわらず、なんとかコミュニケ ーション できているのは、どうやら身体動作の中に、「語り 資料も加えているところである 。 また、村-の調査時 代に知り合い、長年親交のあった「徳 山のカメラば 手はどちらから見ているか」が表現されているから のようだ。さらにおもしろいことに、 聞 き手の側が、 あちゃん」こと増山たづこさんが平成 1 8年 3月 7日 左右表現をどちらから解釈しているかに関してジェ スチャーで確認している場合には、より正確に話し 手の言いたいことが伝わることもわかった。 っかけに生まれた企画である 。絵はがきに残された ジェスチャ ー研究では、 「ことば・空間・身体」 に亡くなった 。氏は村の自然と歴史と文化 をカメラ に収めて記録した人であり、村の語り部でもあった。 氏の資料を 引 き継ぎ、更なる資料整理におわれるこ ととなった。特に氏の没後は各新聞社、テレビ局の 取材の機会も増した。 補足調査では移住された元住民、先祖が村 出身者 の子孫の方々と 出合い聞き取り調査を継続的に行っ 82 ・人間文化 毎年、卒論指導を通して新しいテ ーマに触れる 。 今年は、人と人 とがすれ違う際に無意識のうちに行 われる微細な駆け引 き、演劇の練習から本番にいた るまでに台本に はない動きが形成されていく過程、 待ち時間や会話の最中に人が自分の身体 を触る「自 人・間・文・化・通・信 己接触行動」、相手との会話を調節するための「笑 定も組まれている 。 また、来年度から導入される全 、ダンスの本番中に踊りを止めることなく行わ いJ 国学力テストに関する報告を依頼され、滋賀県下の れる失敗からの復帰、レジ係と客の聞の金銭の受け 複数の教育アクターに対するインタビュー調査を行 渡しなど、バラエティに富んだ卒論が集まった 。各 卒論生の撮影したさまざまな場面のジェスチャーを い、「学力テストが持つ政治性、社会性をどう考え るか?Jというタイ トルで学会シンポジウムで報告 ともに見ることで、こちらのジ‘ェスチャー観が変化 させられる 。指導というよりは勉強させてもら って についての認識枠組みを精綴化するこ左ができた 。 いるという感じだ。 2006年 1 2月号)に掲載された「貧困 雑誌『教育 j ( 副松嶋秀明(まつしまひであき)臨床心理学 文だが、関係文献を渉猟し、力を入れて書いた 。 した。教育改革をめぐる政治とそのバリエーション と社会的弱者と若者」 に関する文献レビューは、短 非行生徒へ 研究面では、科研費 (若手研究B) I の効果的対応にむけた教師支援に関する実証的研 究Jを獲得し、スクールカウンセリング活動、とり 「義務教育インフラストラクチャ研究会」の調査プ ロジ、エクトの一環として、奄美大島などで教育事務 所や学校への聞き取り調査を行った。それ以外にも、 わけ教師との連携・協働に関する調査を行った。そ 日野町や大阪府での子ども調査に途中から加わり、 れらの知見のいくつかは教育心理学会、日本心理学 質問紙の回答データを分析したり、翻訳作業も進め ている 。 講義準備に追い回された 1年間だった。講義内容 会において発表された。来年度出版予定の共著にも、 この研究の内容が盛り込まれる 。 このほか、心理学 研究法のひとつとして、近年注目さ れている 「質的 研究法」 についての議論を、分担者となっている科 の精級化はもちろん、学生のレリパンスを高めるこ 研研究会を中心に行ってきた 。 その 一部は、共著 ートなどで学生からの意見や質問を集めるなど、な 「コミュニティ心理学ハンドブック 」 に述べられた。 また、質的研究法については、来年度以降に出版さ との意義を痛感している 。後期からは、講義感想シ るべくインタラクティブな講義を目指した 。ゼミで れる 著書にも順次まとめる予定である。 は、学生の関心に合わせて、「オタク 」ゃ「少女性」 などをキーワードにしつつ、現代社会を生きる子ど 地域貢献としては、臨床心理士としての専門性を いかし、県内スクールカウンセリング活動、および、 も・若者のストラテジーに関する文献を読み進め た。実際にアニメ鑑賞をしたり、夏休みには大阪日 滋賀県総合教育センターとの共同研究としておこな 本橋のメイド‘喫茶での参与観察を行った。社会活動 っている 2中学校、 1小学校の教育相談体制の改善 としては、滋賀県などが後援する「子育て文化協同 プログラムに専門家として関わった。 これらはスク ールカウンセラーのより有効的な活用を可能にする 全国集会 m しがJ(12/2, 3実施)の大会副実行 委員長として、半年がかりで準備を進めた 。大変だ ったが、滋賀県の子育てに関わる様々なメンバーと ために、学校内にその素地をつくる活動といえる 。 具体的には校内研修会への講師として参加した他、 継続的に校内の会議に参加し、助言 を行うというも 知り合うこともでき、実り多いものとなった 。 のであった 。そのほか、彦根青年会議所によって、 -明和政子(みようわまさこ)比較認知科学 1) 一昨年立ち上げた実験ラボ「うみかぜ」におい て、胎児期から新生児期にわたるヒトの認知・行動 ひきこ 地域において子育て、とりわけ 「不登校 JI 虐待 Jといった問題にどのように取り組ん もり JI でいくべきかといった話題についてシンポジウムが 企画されたが、報告者はそこでの基調講演、および シンポジストをつとめた。 教育活動としては、昨年度からとりくんでいる授 業における工夫を継承しつつ、フィールドワークを 通した研究を、卒論生がとりくむことを奨励した 。 9人の卒業論生のうち 7人は現場にでてインタビュ ーや観察を行ったものであ った。ペッ トの死、ある いは癒しについての研究、および障害児・者につい ての研究が多かった。 発達研究をおこなった(滋賀県立大学人間文化学 部・竹下秀子教授との共同研究)。今年度は、彦根 近隣に在住する妊婦さん数十名に協力いただき、 4 次元超音波画像診断装置 (4Dエコー )を 用いて、 ヒト胎児の社会的認知能力を調べる実験を定期的に おこなった 。具体的には、胎児はいつ頃から同種個 体の声(ヒト vs機械音)や特定の声(母親 vs見知 らぬ女性)の声を聞き分けるのか、それに対してど のように反応するかを調べた 。 また、胎児期に認め られた有能性と出生後の社会的能力との発達的連続 性を明らかにするため、新生児を対象とした行動・ -松田洋介(まつだようすけ)教育社会学 2 0 0 6年 1 0月に『教育改革を「評価」する j (共著) を出版し、 3年がかりの調査がひとまず落着した 。 今後、より詳細な分析を含めた研究書を出版する予 認知実験も開始した。 2)ヒトを含めた大型類人猿は、鏡に映った自己像 を、「自分である」と認識できる。しかし、ヒトの 3歳児に数秒遅延させた自己像を見せると、それを 3 人間文化・ 8 人・間・文・化・通・信 自己像であると認識することは困難となる 。鏡映像 国際比較研究」で、報告書の分担は、第 l章「国際 を認識する能力の生物学的基盤を時間的要因との関 6頁、資料翻訳5 2頁分。 これまで整理 機関」の解題 1 連において検討するため、岡山県玉野市にある林原 類人猿研究センターのチンパンジー、および京都大 9 6 6年 I I L O/ ユネスコの教員の地位に関 してきた 1 する勧告 J( 地位勧告)の成立とフォ ローア ップ、 学大学院文学研究科のフサオマキザルを対象とし すなわち①地位勧告の適用・実施状況と定期的監視 て、自己認識能力に関する比較研究をおこなった ( 林原類人猿研究セ ンタ ー・平田聡先生、 京都大 報告、 ②実施報告の国際比較の限界、①アカデミッ 学・藤田和生教授らとの共同研究)。具体的には、 待 、 ① インパク卜を与えたストレス研究、 ①調査方 0 . 5 秒、1.0 秒 、 2 . 0 秒遅延して映し出される自己像を、 法の反省、 ⑦構造的変化、 ( 研究調査重視、 )新た クフリーダム論再燃、 ④地位勧告更新と条約化の期 チンパンジーとフサオマキザルに呈示した。チンパ な教員評価と人事考課問題、などの経緯にかかわる ンジ ーは身体の動きと映像が時間的に随伴しない状 関連資料の解題と 9件の資料抄訳・紹介を行った。 況でも経験を積めば自己像を認知できるが、サルは 通常の鏡映像の場合よりも強い社会的反応(威嚇な N o . 7 3 1)がある 。最近の調査結果について、蓄積疲 a 論文には「教師を孤立に追い込む構造 J 教育 j ど) を示すことが明らかとなった。 労や自責の構造を含む「教師を孤立させるメカニズ ム」の分析、形骸化などの方向性をもった教師専門 -八木英二(ゃぎひでじ)教育学 科研費研究では 2つの報告書をまとめた。1つは、 職性の実態分析を行い、取り組むべき方向を明らか 「人権教育に関する教育施策と教育実践の総合的研 教育が危機にさらされているか。義務教育をめぐる にしたものである 。学会報告では、 ①今日なぜ義務 究」 。 報告書の分担は、第 1章:人権教育概念の理 国際的合意形成の活動にうまれている変化に注目 論的検討一国連関係機関の人権戸教育論(八木担当分 し、論議の到達点を明らかにした日本教育法学会第 は4 1頁で、これまで発表してきた社会権規約委員会 3 6固定期総会報告「義務教育に関する国際諸機関の 論議一 到達点と課題」 、 ② 日本教師教育学会の課題 研 究 。「 教師教育の質的向上策とその評価」の報告 LOユネスコ「教員の地位に関する の教育権論議と I 勧告」 などを用い、子どもの人権と教師の人権の統 一的保障の方向を示した。最近の教育差別撤廃条約 の解釈更新にみられる動向に位置づけて、人権教育 概念の構造的把握の重要性を明らかにしたものであ る。 2つは、「教師教育向上策とその評価に関する 84 ・人間文化 でテーマは「国際機関における教師教育工場策をめ ぐる議論の動向」、③ 日本教育方法学会の課題研究 mI 特別支援教育と学級経営」 の報告でテーマは 「通常学級の実態と特別支援」 などがある 。 -編集後記・ うれしい円 本号座談会では、各学科専攻からお 一 人ずっという 限定ではありましたが、法人化後の学部 ・大学運営に 関して率直な意見をうかがうことができました 。教育 研 究 の現場において、矢継ぎ早の変化 に対しての戸惑 いと疑問がまだ大きいということを強く感じました。 今 回の特集が、今後 の大学運営に関する議論に少しで も資することができればと願っています。 また、学部の年間成果をより分かりやすく示すよう 求められたことに対応して、本号より各教員の年間活 動報告に活動一 覧を付け加えました 。項目別に表記さ れることで、アウトプットはより明瞭に把握できるよ J主 ~N 市 'P;LIIIII]" の 1 11 凹神 社 。 延 ←忠武内坂 LII 郡五時の -f j :で、祭 I I I 社で とし符凹別尊、三火事1 が杷られているや1 U F 善命を主判1 神狭I ある 。 i 仲I I L i jは多く執り行われているが、なかでも 「ぷ 季 例 大 祭 年I 御 波 式 」 は 大 き な 他 し と し て 、 毎 年 5) J3L Iに氏 fの方々の 1 " ' ; 1 仕 によって、燥大に他されている行事のひとつである 。 十 1 1 1 ドの あと神引から行百山の御旅所までお;中の行列が続く 。 御相I 1 興、先 の金搾、大振l 点、鈴持、先の大弊、干I 1馬、榊、奈来 苅 i o ,副 斎主、ネ1 1 1 1 ] "、 小 弊 、 後 の 大 弊 、 氏 子 総 代 、 氏 [ 1 > < :1-<:らが行予J Iに うになりました。 ただ、リスト 化 される以外のさまざ まな内容を含んだ活動報告が、当学部紀要の持ち味で もありましたので、従来通りの活動報告も継続してい きます。 最後に、諸般の事情により、本来、年度末に刊行予定 の発行が大幅に遅れてしまっ たことをお詫びいたします。 ! J n わるのである 。 また立烏相f-、 J ;j・衣、倍、袴、1'1 衣を身につ ( 山根) けた事111江川、千平、初、袴、白衣を身につけた事II~ìd( 、立,1,~帽 子、狩衣、帯、袴、 │ 士 l 衣を身につけた七人神話と呼ばれるお稚 o生くら l 児さんも行列に参加するのである 。 小 学 校 4 '5 '6i 編集委員・ いの男友それぞれ 1 4名が、衣装をつけて父税または相 l 父に付き 林 博 通 -塚本礼仁・灘本知憲 ・野部博子・ 山根 周 添われて長い道のりを歩く 。 御 旅 所 ま で の 道 ' 1 'は長いこととゆ っくり進むことで長 H 寺間の御練りとなる 。 要所'!!!所で f ; j c だ! をす る 。 1~~~,主主f は i1ðJJぷと H手ばれ る椅子を持って { .J き添い、休 !lH 時に は子ともが駆り、差し入れられたお菜 fやアイスクリームなと uにする 。 御旅所につくと家族が作ったお弁当を } ムげて楽しい -1 1 寺を過ごす。 このような地域行事のなかで、持段の家庭や学校では体験す ることのできない家族、隣人、友人との楽しい時!日l を過ごし、子 どもたちにと って大きな思い出となり心のなか深く主I Jまれるこ とと思う 。 家族のわが子に対する j 泣い愛情、地域のなかで Fともを見守 る大人たちの気遣いを感じる神事でもあ った o 7 ) : 兵 ・文 目f長 1 $ t L y :f - 人間文化 2 1号 21号 2007年 8 月 31日 滋賀県立大学人間文化学部研究報告 発行日 発行公立大学法人滋賀県立大学人間文化学部 干522-8533滋賀県彦根市八坂田J2500TEL 074928-8200附 発行人小林清一 版下制作 印刷 サンライズ出版株式会社 サンライズ出版株式会社 本誌は再生紙を使用しています。 I 主 ↓工 一 ﹂ =m ω 一ー↓︿ M4RAN O 市 誤 ω 工一 さ﹃ 明 湖 mHmo ↓C 刃m (Ub 刀 刃 滋賀県立大学 亡 Z- くm 刃 ......... 〆 ﹀ O 明 工 C7hbzoc ﹁↓czmω ~ 官 事例河川明 ω の工 O O ﹁ うれしい日 設
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