入居司文化 - 滋賀県立大学

滋 賀
県
JL
大 学
人
間
化
文
旦
'
-
寸ー
部
研
究 報
入居司文化
│2002.3
町
n
..
L
m4
,﹄
SCHOOL OF HUMAN CULTURES
THE UNIVERSITY OF SHIGA PREFECTURE
正七
仁3
•
巻 頭 言/高谷好一
••
1
.もくじ・
・特集服飾をめぐって
(J
﹂
「衣」と環境共生/中谷員三代
身近かたよ野草で染める
一一セイダ力アワタチソウの染色性一一一
/道明美保子 ーー・・
・ .
.
10
覆面雑考/河地美英
.
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.
.14
・論文
近代イスラ
ム国家についての一考察/中村明日香
国際比較調査研究の体験ノ ー ト
(
3
)/大橋松行
・・
・1
8
0
.
・.
ー
3
4
-本学所蔵古文書の調査か 5
戸
門/﹂
hJ
U
野洲村の神棚天満宮/東 幸 代
・滋賀県の考古学
第 1目 前方後方墳の出現と古墳時代のはじまり /用田政晴 .
.
.
5
8
・人間文化通信
退官メッセ ジ ー
・ ・
・
・
・
・
・
・
・
・ ・・ ・
・
・
.
.
・
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.
.
.
・ ・ ・・ ・ ・・
・ ・6
2
0
新任メッセージ
- ・・
0
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0
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2001度卒論・修論一覧
・
ー
0
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・ ・・ ・
・ ー・ー .
.
.
.6
9
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人間文化セミナー開催実績ー・ー・・
ゴミ箱デザインコンペ報告
0
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.
.
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.
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2
・ ・
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ー ー
・ー ・
ー.
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6
3
ー・
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・・………・ ・
・
・
…
…・
…
…
・
・ ・・7
1
I
NFO円MATI
ON.
.
.
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. ・ -・ -… .
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7
6
0
編集後記
-山岳都市チビタ・
ローマより j
ヒに約 1
1
0キロ
オルピ ィエ ートか ら南へ 1
5キ
ロに位置する標高 4
43メート ルの チピ タは 、中 1
止の 山 岳都市
としてイタリア内タト で長日 ら~1.る よ う に な っ てきた 。 オルビィ
エートは 山 岳都市のなかでは大き な街で、人 1
12万 2千人を
数える 。 その配下で あ った チ ビタ は現 在 数十 人の寂しい街
とな旬 、周辺は 山 々や谷である o 廃嘘を改造した芸術家の
アトリエや民芸 j
吉、そして峠のみやげもの応と レストラン
経営者の家族が生 活 している 。外 敵から身を守る城門への
1
1
)
;
i2
.
8メー トル、長 さ2
6
0メート ルの高架慨 に よって
通路は1
のみ外部とつながって いる 。 内部は教会と広 場 を 1
.
"
1心 とし
た住居空 間 となって い る。風化が進む山 上にあ り
、 言 わば
f ほろび j の美しさ と 言 え る 。 時には 下からう~ が湧き 、 雲上
の住み家となる 。 J{~ の 修復 工事はキ リスト生誕祭 2000年に
Jであり 、城門の壁に はマザ ーテ レサ とライブ
向けて j
並行 i
'
コンサート 等 のポスターが貼られていて生活者の 一端を垣
いであ った。 3片末レ ス トラン屋上から強風の 中
間見る定1
での写生である 。
絵 -文/安 土 優
口
一
一
番 戻
間宮 同
か苧
谷 好
人間文化学部
地域文化学科
中谷 l
異三代さんの退官の機会に「衣 Jにまつわる小特集を組んでみ ました。
>と環境共生と題された同氏の論文は生活文化学科の問題意識をよく
,衣
( J
表したものです。
(
近代イスラーム国 家についての一考察〉は 、院生の中村明日香君の力作
です。 イスラーム国家の問題の一端を知 っていただければと思います。
下の写真はペシャワールの難民です。 中国、パキスタン、インドを 1
0ヶ月
歩いた学部生井上一君の煩影したものです。
アフガニスタンからやってきた、風船売りの少女たち
パキスタ ン、ペシャワールにて一一
ぬ彩:人間文化学部地域文化学科
井仁
人間文化・
特集服飾をめぐって
「衣」と環境共生
中谷員三代
人間文化学部生活文化学科
1.はじめに
化防止のため、 日常の暮らしのなかで取り高I
I
むと答
文明が大きく進歩し、飛躍的な技術革新を遂げた
えている 。 また、それらの情報はおi
間,テレビから
戦後、消費者は豊かな生活を求め大量生産・大量消
得ている人が大多数である 。環境問題に │
刻する記事
費 ・大量廃棄型l
の生活様式を疑問も持たずに作り上
の推移 (
1
主1
2)から 1
9
9
2年の リオデジャネイロにお
げてきた。消配者の経済活動、産業活動 、 日常の生
ける地球サミッ ト、 1
9
9
7年の京都における気候変動
活は、環境に負 {
i
;
Iをかけ続け、資源を枯渇させ、大
枠組条約等、環境に関する記事数が増えると個人の
気や/l'c、土壌を汚染し、ついに地球の環境容量をオ
環境意識に大きな影響を与えるといえ、環境コミュ
ーノくーしてしまっている 。環境問題に国境はなく、
ニケ ー ションへの則待は大きい。 また、国立環境研
まさに地球環境問題は 2
1世紀、人類が抱える最大の
究所の行った日独の 1
2識調査の結果によれば、日本
諜題のーっといえる 。地球環境問題に関わる事象を
人の関心 と知識は凶際的にみても決して低いもので
まとめると 1~1 1 のとおりであり、個別の環境問題が
はなく、市民の意識も確実に高まっていることをさ
mしながら、人類の存続を脅かす存
相瓦に複雑に限
) しかし、
まざまな調盆結果が裏付けている (
図 3。
在になるといわれている 。 今までのモノの使い捨て
環境先進凶といわれるドイツの消費者と 比較すると
を見限し、環境に負荷を与えない社会を築くには資
環境行動が伴わな い という傾向がみられるのも事実
源リサイクルへの具体的な行動や取り組みが必要で、
である (
図 4)。
ある 。 すなわち、資源、 mt~ 型から循環型社会への転
衣生活領域ではどうだろうか。生活スタイルの変
換が求められている 。平成 1
2
年 6月、循環型社会形
化 、大量生産 ・ 大量 消 費は衣 I-I:.ì~i も例外なく巻き込
成推進基本法、各個別法が制定され、廃棄物・リサ
んでいった。化学繊維が流行を生み出す原動力とな
イクル行政に対する社会的要請に応えている 。
一方
、 内閣府総理大臣官房広報室の「地球環境と
って 、
手作りから既製服が主流の l
時代とな っている 。
不況 といわれ、経済椛造改革の 必要 t
tが I
U
Iばれてい
mにはさまざまなファッション
ライフスタイルに関する 止論調査
│
J11 によると 7剖
る今日にあっても、
の人が地球環境問題に関心をもち、 6割の人が温暖
があふれでおり、われわれの衣生活は大変豊かであ
資料・環境省
図 1 問題群としての地球環境問題
2 ・人間文化
「
衣Jと環境共生
6ι
000-
亡コ読売
- 毎日
じこ}朝日
盤 麹 臼 経 4紙
5,
000
必句
内
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ハ
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ハ
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門
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︽
0198819891990 1
99119921993 1
994199519961997199819992000
(
年)
資料
臼総テレコムの紀".検狭より環涜 n作 成
図 2 環境関連の記事数の推移
生活が不便に な っても
栂 わ主い
製品価格が高くな っても
4
障わな い
必要な費用は課税しても
l
備わない
l
環境団体等を支援する
(
n=2551
)
仁
コ
そ う里 う
夜D
どちらかといえば
そ品 思 う
C
:
:
コ
あまりそう
思わない
Eコ
・
・
そ う患 わない
わかもない
o
無回答
資料・ 環 境庁 「地琢環境問 昭 をめく'る消費者の意滋と行動が企業戦略 に及 1
1
:す彫響〈消 費 者 綴
.日独比較 )
J
図 3 環境保全についての意識
(%)
1
0
.
0
8.
0
意織得点分布
│
コィ
う
│
。
(%)
8
.
行動得点分布
ト
│
コ
ィ
う
│
6.
0
6.
0
4
.
0
2.
0
出典 :国立環境研究所 f
地球環境問題をめぐる消費者の意識と行動が企業戦略に及ぽす影響j
(消費者編 :8独比較)
図 4 環境意識と環境講堂の差について
人間文化・ 3
「
衣と」環境共生
る。「
既製服は使い捨て文化の象徴」 と言 われて久
連エネルギーを加えるともっと多くのエネルギーを
しいが、既製)j匝が利便性と 豊かさをもっ反面、広
使 っている ことになる 。
2
2
告 ・宣伝に まどわされて衝動買いをし、不用な衣料
を多くもち、収納 ・処理に困惑している消費者、新
衣料の生産と資源
FEB i
F
i
b
e
rOrganonJによれば、世界の主要
しく購入しては捨てることの繰り返しをする消費者
繊維の生産量は 人口 の増加にほぼ比例して伸 びてい
が少なくない現状である 。
ファッションや個人の優越感、 I
塔好性の陰に隠れ
る。全原料繊維に占める 比率は合成繊維が最も多く
て見落とされがちであるが、衣が資源 ・エネルギー
生産され、約 5
7
.
0%である 。ついで綿花が40.2%、
やゴミ問題、地球規模の環境問題とも関わりがある
羊毛、絹が約3.
0%であり 、ここ 1
0数年間の合成繊
ことを 認識すべきである 。
維の伸びが著しく注目される。
2000年は「 リサイクル元年」といわ れ
、 家電、食
わが国の繊維生産といえば、合成繊維が1
9
8
3年以
品などの リサイクルについて法規制 が相次いで、実施
来減産傾向にあり、衣料用途の低迷、製品輸入を背
されている現在、衣料リサイクルについても考えて
景に囲内需要が務ち込んだことによると推察される 。
一方、世界の繊維消費量は、当然その生産量と表
みる必要があろう 。
裏の関係にあるが、人口増加や文化の向号
!ことともに
2.資 源 ・エ ネ ル ギ ー と 衣 生 活
増えている 。繊維消費量は一般的には所得と比例し
2-1 衣料生産の投入エネルギー
衣・食 ・住をはじめとしてネ 1
:
:
'
"において文化的生
生活で消費さ れる照明、 暖房、厨房などに使 うエネ
羊毛
ルギーと生活必需品を生産するための間接エネルギ
生糸
ーとがあるが、消費者が この附接エネルギ ーを忘れ
アセテート・レーヨン
がちなところに問題があると考えられる 。
ナイロン
おりである 。 これ によれば、 化学繊維を生産するた
アタリ Jレ
めのエネルギーは、天然繊維の 3- 5桁必安となる 。
f
科 学 授 術 庁 「 衣 ・食・住のラ イフサ イ ク ル エ ヰ ル ギ ー Jよ り作成)
また、繊維素材の製造から最終製品を作るまでに必
e
図 5 繊維 1t
あたりの生産投入エネルギー
.
5 /k
g(
石
要なエネルギーは被服につい て言 えば 8
2
1
31
.0
ポリエステル
繊維 1tあたりの生産投入エネルギーは図 5のと
油換 t1~ )
・
1
0k
c
a
l
単位
綿花
活を常むためにはエネルギーが必裂である 。実際、
といわれている 。
│
立1
6はjミな被服一点あたりの生雄エネルギーを示
l
OOr
.
6 、女性用ワンピースは一着
し、男性用背広一着 9
唖 50ト
e
約 4e の間篠エネルギ ー を ì~í 自'している υ。
さらに、 表 1から、衣生活のために l人 1日0
.
2
e、 1年間に 73eが必要ということになる 。 これ
2
1
には、洗濯をしたり、アイロンがけをするなど、被
日I~ を維持管理するためのエネルギーが合まれてい
る。人口を 1億とすると 7
.
3x1
06k
eのぞi
r
l
i
l(
灯油缶
情
¥
9
。、
匝
7
軍
6
同
5
~
4
是
~
2
しきもの
ふとん地
ふとん綿
主たる衣料 1点当たりの生産投入エネルギー
毛布
ゆかた
F
有事ン・多持活1ノェ・バ ノ &T 7
着 物 ・ 帯 ・コ ト
レーンコート
か勺ぼう者
水 着 ・ 海 水 バンツ
学生服
aydnly
スポl yシャ y ・トレバン
ハイリ J Yクス
男・女児服
︿つ下
ワイシャ y
4 -人間文化
ブラウス
図6
セタ 1
同コ!卜
鍋人用上在ワンピ ース
男子用上主ズボ ン
婦人用コ l ト
表1
口
耳 1
0
男子用セピロ上下
4億個分)を消費しており 、焼却等衣料を処分する
エネルギーがさらに加わることになり、これらの関
回ー 1
α
「
衣j と環鏡共生
(
1
<
)
:
J
J
くなる{頃向がある 。
国は輸入に頼っている 。 この他、わが国で消費され
る綿、毛製品などの原料である綿花, 羊毛も大量に
λウ玄、ーデ〉
.
・
;
管
;
•
フラ
ン1
?
hJ
n
x
技術を必要としており、その石油のほとんどをわが
1
)
"-
・
われている 。石油を繊維 にす るためには多くの化学
反応過程を経るが、それ には 巨大な投資と近代科学
スイス.
・
..オランタ
イタ
0
けでなく、染料や洗剤などの原本│としても石油が使
F
イ
ツ
カ
ナ'
1
1
受することは不可能であるとい える 。直接の原料だ
︿単 位-H
石油であり、石油なくして現代 の多様な衣生活を享
・
方
;
l
.
ト
ヲ'
J
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.
イ
'
f
'
)
;
l
.・
催問
合成繊維の製造で必要なのはまず、 第一に原料の
•
-R量
ると西欧諸国 とほぼ肩を並べて いる (
図?)。
柑g
却
こあり、世界各国に比べ
日本も従来から高い水準 l
2
f
i
“人当たり闘継泊
て、所得の高い国ほど 1人当たりの繊維消費量も多
.P
j
.
J
I
カ
5 ~.
.
ン
ド
。 担 岨 田 町
1
国
1
四
1
柑
{
出所}日本銀行「掴.比担統計 j
蝿線漏費量 I:FAOrW
.
出d岬 9 .
1
1
国
1
開 2
曲
,
・何
回
,c
2
2
0 2
岨'""友J)
U
加叫岬 開 制 問
:m ~却録。
y
J
図 7 一人当たり国内総生産額(単位 1
0
0ドル)
輸入している 。 また、原料のみならず、現在はそれ
にもまして、韓国、中国等からの衣料の輸入が増加 l
している現状である 。
考えられる 。
一方、合成繊維素材の生産過程で生じる廃棄物に
公害先進国」 といわ
は有害な物質も多く、 H本が 「
3.環 境 と 衣 生 活
3-1 衣料の生産と環境
衣料を生産する過程では必ず不必要な廃棄物が出
れたのに、 一役かったことは否定できなし、。生雌過
程で必要な Ir
;
]
J1.昆は化石燃料によっていることもあ
り、その化石燃料 (
石油、石炭、 天然ガスなど)を
燃焼させれば、必然的に 二酸化炭素、硫黄酸化物 、
てくる 。 また、消 ï~ 者が何年か使用した後には、こ
室ぷ酸化物などさまざまな物質が大気中に出て大気
れまた必ずゴミとなって捨てられる 。そして 、埋 め
を汚染している 。 これ らはさらに大気中の水蒸気や
られたり、焼却されたりするのであるが、それが自
E.
1
社界的な環境問題の中で最も
水滴と反応して、現1'
然環境の破壊につながってはいけないので、
ある 。
懸念されている 「
酸性雨」の原岡となっている 。そ
しかし現実には、繊維原料を作る段階から大気の
汚染や土壊の破壊にかかわり始めてい る。
昔ながらの農業では 、生産過程で出てくる菜、業
や根などの廃物は自然界 に還元され、不必要ど ころ
か土壌の栄養分となっていた。
現在、世界中で行われている大規模民業では、綿
花、牧草に対して大量の合成肥料、農薬を投入して
i
f
I
i
羊、湖沼、河川、森林、魚類、農作
して、土壌、 l
物な どに被害を及ぼし 、文化財や建物を も破壊して
いるのである 。
さらに、大気中の二酸化炭素のもたらす温室効果
による 「 地 J;j~況1I暖 化」 にも 一 役かっているといえよ
う。京都議定 i
I
i
の批准の効果に}切符したい。
1
990年代半ばから 「
地球と人にやさしい」 を底本
いる 。つまり、天然繊維生 産は、合成肥料と農薬の
とした、素材そのもののエコロジー化の時代に入っ
上に成り立っていると 言っても過言ではない。
j
ミ薬を使用しないで有機肥料で.t&培したオーガ
た。;
大量の肥料と農薬は 、土擦の粒子をつないでいる
ニ ッ クコ ッ トンや ト ウモロコシの i~1: 粉から待られる
有機物 (
腐植質) を壊し、痩せたは、さばきの土にな
乳般を j
点字│にした完全自然循環型のラクトロンなど
っていき、降雨によって流 出 しやすい ことは、アメ
'
1
,
阿 っており 、2
1
1
[
1:紀はさらなるエコ繊維の進展
も1
リカやアフリカでも問題になっている 。
が明まれる 。
また、合成肥料に含まれる 皇
室
素
、 リン、カリウム
は、河川湖沼や海洋に流れ出 て、汚染や古栄養化 を
M
Ji
t':l、伊勢湾や
進行させる 。琵琶湖や霞ヶ 浦なとcのi
の事実であろう 。
東京湾など内湾の富栄養化は周知1
天然繊維はエネルギー・資泌問題やその効率から
3-2
衣料の維持・管理と環境
衣料は生産する時ばかりでなく、製 l
H
iそのものや
維持・管理の段階にも問題がある 。
lは着則すれば汚れが付着し、洗濯によ って汚
被
日t
言えば、合成繊維よりはるかに優れているが、環境
れを落とし再び着用している 。下水道普及 (
580%)
破壊や汚染問題については免れる こと はできないと
が完全ではない今日、洗濯排水を合む家庭排水は未
人間文化・
5
「衣と」環境共生
処理のまま河川や湖沼に流入し てい る場合が少な く
ない。環境省の試算によると、
1日 1人当たり発生
する BOD負荷量 43gの うち 30gが生活羽│水の汚染
3-3
衣料の処分と環境
衣料は生産の過程で、資源・エネルギーを使 い、
負荷であり、洗濯による汚染負荷は生出雑排水の
そしてさまざまな環境問題を起こしながらわれわれ
1
2.
8%を占めている 。
消費者の手にわたる 。
工場の大量排水は規制されているが、各家庭から
fて"は、身体を保護するという本来の役割以外
i
予日少量ずつ排水される汚染物質の量も、多くの家
に満足感や優越感、ファッションを楽しむ心を与え
J
jだされると 、 ゴミ同様、総量は莫大なもの
庭から I
てくれるものである 。
になる 。 l軒 l軒の家庭からでる汚染物質の規制は
工場なと への裁U
l
j
J
に比べるとはるかに難しい。
ε
衣料の洗濯について、出来るだけ環境への負荷量
が少なく、速やかに分解する洗剤の使用は当然のこ
とであるが、生分解性の優劣に l
関わらず洗剤の使 H
J
量は可能な限り少なくすることが重要である 。 さら
しかし、最後には拾てられてゴミになる 。人間が
生産したものは例外なくすべてゴミになるわけで、
ゴミ捻て場は 「
現代 人」の生活の鋭だといわれる所
以であろう 。
平成 1
3年版の環境白 書 によると、わが国で排出さ
れる 一般廃棄物 (
家庭用ゴミと企業などの紙ゴミ )
に、排水の質に次いで無視できないのがt1I水量であ
はここ数年、年間約 5000万 t程度 (
東京ドーム 1
36
る。「水を使うことは水を汚すことだ」 といわれる 。
杯分)で、国民 1人 1R当たり l
.
lkgとなっている 。
f
史った水のほとんどは抑│水として流され、水使用 量
1
5年前の0
.
8
5
k
gから考えて、総排 出量は年々確実に
が増えると 排水量も増えるということである 。加え
増加していることは明らかである(図 8。
)
て、洗剤に関しては、それらの容器包装のゴミ問題
についても見過ごす ことはできない。
また、家庭で、洗えない衣料は商業クリーニングを
依頼する 。洗濯排水を出さないドライクリーニング
は環境にとってよい方法であると考えられた時期も
あったが、現在、
ドライクリ ーニング溶剤l
も環境汚
染と無関係ではなくなっている 。溶剤jには石油系、
パー クロルエチレン、フロン 、 トリクロロエタンの
4種類があり、フロンとトリクロロエタンはオゾン
人
i
&
占
イ 1.2∞
号
zト
仰 0
量
排
11
.
11
4 い四
1
4
ρ。
。γ
1
.
1
1
8
---町事~ 04
1 ,1(悶
1
.
11
4 11"1
1
:
2
.
0
6 1,~1田 ~ - I
ー -
11
.
1田
害
•
府を破壊するため、 1
995年で製造が禁止されている 。
地下水汚染やオゾン層破壊などには関わりがない
が、石 i
r
lJ系溶剤l
は引火性溶剤のため、被洗物は低 j
鼠
3,
500'"ii成元 自平成21平成30率直4
乎虚sl平嘩.,
(
年置)
で自然乾燥され、被服に残留した溶剤は回収されな
いまま 全て大気中に拡散してしまい、地球温暖化や
平成5 平民~正7
│ ート 総 排 出量
一←・ 山日当たり細川
資料環境富
図 B 一般廃棄物排出量の推移
光化学スモッグの原因となり、問題がある 。 また、
│
止界的に多く普及しているパ ー クロルエチレンは不
ゴミ (
一般廃棄物)の処理は一般的に焼却による
燃性で洗浄力があり、わが国でもよく使われている
割合が多くて 7
0
.0%強、直接担!
め立ては 25.
0%程度
が、この溶剤に関する問題は地下水や土嬢の汚染で
であるといわれる 。衣料についてもわれわれ消費者
ある 。
は他のゴミとともに焼却するか埋め立をしている 。
欧米では、使用できる溶剤が限定されているのに
綿と羊毛の 主成分であるセルロ ースとケラチンは
対して、1-1本ではまだ選択の余地が残されている 。
自然界で作られる高分子化合物であり、バクテリア
しかし現在、石 i
l
l系溶剤残留による 化学やけどなど
の作用で、 土 jl~ になくてはならない有機物を作るの
の皮府障害を訴える人が多くな ったこともあわせて、
に役立っている 。つまり、捨てられた 天然繊維は埋
ドライクリーニングに関する問題提起がなされてお
めれば自然界に還り、生態系にとっての“資源"と
り、従来の水洗いが見直されているところでもある 。
なり得るということである 。
-)]、ポリエステルやナイロンなどの合成山分子
化合物は生分解性が低いので、ゴミとして捨てられ
6 ・人間文化
「
衣Jと環境共生
4. 不用衣料の実態
れは¥分解しないでゴミのまま 地球上にたま ってい
1
9
7
5年以降、各種合成繊維の開発、近代の大量生
くことになる 。 さらに、衣料の焼却l
においては、生
産方式、生活水準の向 上 などにより、既製 IJ~ が出現
産時と同じく燃料という資源が必要であ る。
塩素を 含む合成高分子化合物は焼却の際、塩素ガ
し、日本で年 I
I
I
J消費される被服は約 36
億点で、 8
0.
0
%
スを、アクリル系繊維はきわめて有毒 な青酸ガスを
が輸入物である 。
" 素材の多様化、短サイクルの流
発生するおそれがあり 、ま た、難燃性繊維は酸素供
行に/正右され、
i
iH!(者は次々と新しいものを購入す
給不足で多量のすすを発生する 。過去 においては、
る生活スタイルを行 ってきた 。 「人は裸でいるわけ
千日前デパート や長崎屋尼崎応、また近年では、新
にはいかない」 という被服の基本的な必要性をはる
宿歌舞伎町の火災の犠牲者は衣料品を含む燃焼│侍の
かに起え、所持枚数が増えている 。 近年、被 JJ~ îl:の
煙が原因とな ったといわれている 。 H常生活におい
支 出は総消費支
て、人 │
日
jは l日に約 1万 ,R 03.
6
k
g
)の空気 をl
呼吸し
が、フ 7 .
;
:ションに対する消費行動が二極化 し、高
ているそうであるが、そのために空気中に存在する
l
i
f
11
5で、低価h
絡な尚1
1
l
1を多く求める消費者の増加によ
wの5.8%に当たり減少気味である
3
汚染ガスの濃度が比較的低い場合でも呼吸疾忠を起
り所持枚数そのものは減少していないと推察され
こすことがあると考えられている 。 また、多数の合
F均 2
.
8人) 当たりの保有枚数は約 3
0
0
る。 l世帯 (、
成染料でカラフルに染色されている衣料品には、そ
枚を超えるといわれ、着用回数も減り、処分方法も
の染料に関して変異原性や発ガン性試験などが行わ
ないまま 113がイミ川衣料となっているといわれて
れていないものがあり、特に廃棄にな った時に I
i
I
J
題
いる 。 1
1本人は従米"きもの
があるのではないかと考えられているものもある 。
してきたことや、和洋折衷の IJI~ 装をしてきた生活習
この他、多量に消費されている紙おむつは、大変便
慣、また、凶季があることも影響して、衣料を使用
利で重宝され、布おむつを使用している人はほとん
せずに死蔵することが多いと考えられる 。
を一種の財 産 とみな
どいないと推察される 。大人用 も含めると 、膨大な
しかし故近では 、生活のカジ、ユアル化 に伴 って被
量となり (
図 9)、現在では他のゴミとともに焼却さ
l
I
lのカジュアル化が進み 、こ の傾向が続くならば、
h このことも大きな環境問題とな ってい
れている 3
今後不用衣料の量や質が変化することもあると考え
られる 。 これらは極めて個人差が大きいが概して総
ることは否めない。
保有枚数が多くなるほど不用衣料枚数も増加する傾
向がみられる 。不用衣料を家庭においておく理由は
「愛着 JI
もったいない」 などの心情的側面が強いた
・
・
め、有立義な再利用システムができれば在庫から放
出となる日j能性は大であると推察される 。
EE-
副
聞
置
25
E
乳幼児用の紙おむつ
30
-B
大人用の紙おむつ
EE
.
35
E
万トン
40
6
7 8 9
20
10
5
国
15
・
・
・
I ・_:~
O
昭 和 57
年 58
59
60
6
1
62
63 平 成 1年
2 3 4
5
(社
B本 衛 生 材 料 工 艶 還 合 会
図 g 伸びる紙おむつの生産量
人間文化・ 7
「衣と」環境共生
1
生活の目的 1
│衣生活の目的│
5
. 衣料のリサイクル
衣生活を概念的に とらえてみると図 1
0のようにな
価 │
~IM~ÀI 戸
意
甲
り、ま た、若られなくなった衣服は図 1
1のような処
分を受けることになる 。資源回収はもとより、フリ
思
j
尭
ーマー ケッ トや、ガレージセール、若者のアンティ
定
ーク志向 を反映し てリサイクルショップも増加(全
国で 3-4万庖) 引傾向にあり、これを利用するこ
と、自治体のリサイクルプラザなどでリユースする
こともリサイクル活動の Iつであり重要である 。 ま
た、ペットボ トル の繊維化 も進んで、いるが、どの場
合も新たな需要や出口を作らなければ、循環システ
図1
0 衣生活の概念図(今井・山口
ムは機能しない。
1
9
9
1、2
4
0
)
経済産業省の調査資料 "によると、繊維製品の排
出量は 1
7
1万 t(
'9
3
年)である。再利用の内訳は古着が
5万 t、反毛 4万 t、ウ エス 6万 t、ほかに繊維製造
工程での再利用が 2万 tで、リサイクル率は約 1
0%
と高くない。残りは焼却 ・埋め立て処分されている
のが現状である 。 1
0年前の古繊維の需要先は工場の
ウエス、反毛材料、中古衣料の輸出がそれぞれ 30%
寺J
I
不 i
用
要
衣
衣
」ーτ一一~ I
l反
高
毛
分子再利用
であった。産業の空洞化によ り、工場が減少してい
る上に、使い捨てウエスより新しいレンタルウエス
を使用する工場が増加してきたこと、反毛材料も有
仙i~m としての価値がな くなってきた こと、輸出衣料
は韓国、中 固などの ほうが安価で、輸出量;は増えて
も売上は減 って いるという E
:
]
i象が生じている
服
110
さらに、繊維産業で, (j:製品の素材構成が多種多様
で、生産から販売まで多くの業者が関わり、しかも
零細企業が多いため、リサイクルに取り組む余裕が
」
服
廃棄
図1
1 一般廃棄物排出量の推移
ない、といった繊維製品リサイクルには大きなネッ
クがあり、問題が山積している 。つまり、図 1
2から
打場が{
E
f
lびずに、結局
もわかるように、回収しても I
廃棄する量が急培している現状である 。 リサイ クル
の問題点は回収ではなく、再利用と再生にあるとい
えるかもしれない。
いずれにせよ、大量生産をそのままにしてリサイ
クルしても余剰になるのは当然で、循環させるのは
困難であろう 。大量ーから適量生産への転換を促すた
めにヨ ーロ ッパ連合で導入されつつあるのが 「
拡大
生産者責任」 川である 。 回収やリサイクルにかかる
コストを製品価格に上乗せし、 生産者の責任で対応
するものであり、実質的には、生産者、販売者、消
費者それぞれの受益者が負担する仕組みである 。す
なわち 、化J;,側と使う側の相互関係の強化 と双方の
責任を改めて│明い直す必要がある時期に来ている
71
と考えられる 。 リサイ クルさせるシステムをいかに
8 ・人間文化
2 放繊維業の回収した使用済み繊維製品の再生用途の推移
図1
「
衣j と環境共生
作るか、回収などのコストをいかに分担するかなど
りさらにグローパルな悦点で考え、行動するエシカ
を園、行政、業界、消費者ともども 早急に考えなけ
ルコンシューマーは商品を選ぶ l
時、環境に配慮する
ればならない。
だけではなく、原料供給国や製造国の政治体制、軍
さらに、ライフサイクルアセスメント (
LCA)
の実施をし、個々の製品のライフサイクルについて
環境負荷の評価を行うことが必要である 。
事、平和[面、人権や労働条件までを考慮にいれてい
るとい t
つれる 。
この稿を終わるにあた って,消費者各自が自分の
とにもかくにも、われわれ消費者は衣服の購入段
出来ることから少しずつ継続的に行い、その小さな
階で着用目的だけはでなく、手入れ、保管,廃棄に
点を大きな面にしていく努力が必要で、あることは自
ついても環境に対する考慮の必要があることは 当然
I
l
j
lの理である 。環境問題は 11人の 1
0
0歩より 1
0
0人
である 。 また、不必要な衣服を購入しない、家庭に
の l歩」が大切だと実感している 。
持ち込まないことなど、リサイクル以前にやるべき
「
ゼロ廃棄物構想」の試みが重要である 。
すなわち、このような時代の衣生活経営は合理的
な被服計画、整理、保存、処分など、どのように行
っていくべきかを 主体的に認識できることが大切で
ある 。環境と家庭生活との結びつきがますます強く
なっている今日、衣生活においても消費者の責任に
基づいた行動が要求されている 。
そのために今、最も必要なことは消費者自身の意
ecycle、
識改革と対応であり、 Reduce、 Reuse、 R
引用・参考文献
1)内閣府・ 「全 国世論調査の現況、平成 1
1年版」
1
9
9
9年
2)田中道一 :1
衣生活における省資源・省エネル
ギー 」衣生活研究、 1
9
8
0年
3)(
掬花王 :1
環境と安全の死活情報 J1
9
9
9年
4) 日本消費者協会:1
月「リ消費者J
No.
5
0
5、2
0
0
1年
5)総務省統計局:1
家計調査年報 J1
9
9
9年
6)国民生活センター:1
国民生活 2J2
0
0
2年
R
e
f
u
s
eの 4つの I
RJ を重視した環境共生のライフ
スタイルの創造が問題解決には不可欠であると考え
7)生活環境研究会・ 「人間・生活・環境」 ナカニ
られる 。
8)寄本勝美他:I
Ecoアクション P
a
r
t4J2
0
0
1年
9
9
9年
シヤ出版、 1
9)国民生活 セ ン タ -:1
国民生活 8
H 国民生活lOJ
6.終わりに
われわれの生活や環境は必す、どこかに住む人々の
生活、環境に結びついている 。 ファ ッションが優先
する
h
衣"も例外ではない。国民 1人が環境汚染の
被害 を訴えれば、国民 1人 l人が生活そものもを反
1
9
9
8i
1
"
1
0) 中谷民 三代 :1
現代の衣生活」サンライズ出版、
1
9
9
2i
:
J
ニ
1
1)秋山紀子:1
私達の生活と環境」衣生活、 1
9
8
7年
1
2)今林裕子:1
私達の生活環境」衣生活、 1
9
9
0年
省しなければならないということである 。その環境
問題も単に汚れたものを出さなければよいという消
極的な考え方から、消費者自らがよい環境を創って
いくという積極的考え方への意識変革に迫られてい
る。わが国でも、地球のことを考えて環境にやさし
い消費行動をするグリーンコンシューマ ーは多数派
にな ったと考えられる 。
「環境論は 1つの生活論であ
り、文化論である 」 といわれるように、よい環境を
創り出せるかどうかは人間一人一人がどのような価
値観を持っているか、また、社会がどんな文化を持
っているかに関わってくる 。使い捨て文化を早急に
改める必要があり、そのためには、環境保全 に関す
る早い時期からの消費者教育や啓発が必須であろう 。
西欧ではすでにエシカルコンシューマー 引 とし
て、環境行動だけでなく、倫理面を配慮した消費者
行動が求められている 。 グリーンコンシューマーよ
人間文化 ・ 9
特集服飾をめぐって
身近な野草で染める
道明美保子
人間文化学 部 生活文化学科 生活デザインコ ス
ーセ イタカアワダチソウの染色性.はじめに
性 の 検 討 も 行 った。
私達の生活の }~1 りには無数に近い色彩が存在し、
近年、
J
l
:が凶では、物質的な而で生活が豊かにな
様々な植物が季節により様々な色で私達を楽しませ
り、1Jiなる 1
2かさを求め、生活環境における 天然、物
てくれる 。 私達の先祖は工夫を i
減 らし、それらの植
志向や合成化学品による環境汚染防止への配慮の考
物 を 様 々な形で生 活に取り入れてきた 。 その一 つに
えを持つ人も多くな ってきた 。私達の今回の試みが、
J
があ った。 その歴史は古く、エジ
染料としての利J+
身近かにある肝草に
プトのミイラの i
ラ衣にはすでに捺染めが施されてい
助になればと思う 。
1
=
1
を向け、その利用を考える一
た。染色は繊維および繊維製品の仕上げの段階にお
ける大切な操作ー
であり、その効果は重要悦されてい
-染色方法
る。 1
8
5
6年に英同の青年化学者パーキンがマラリヤ
染色は次の 111知事で行った 。
の特効柴キニーネの合成を試みる実験の途 r~, 、全く
試牢│
の前処理→色素の抽出→浸染→媒染→ 水 洗
思いがけず紫色の塩基性染料モ ーペインを発見し
た。 これが端緒となって、染料は天然染料から合成
時代を迎えることとなったが、それ以前は、
染料の i
色は全て自然から得たものであ った。
用いた染色試験布は、綿、麻、絹、羊毛、スフモ
スリン、レーヨン 、 アセテ ー ト、ナイロン、ポリエ
:
1
'
で秋になると黄色い花を咲かせて、
その向然の '
いたるところで繁茂している姿を見ることができる
のカ fセイタカアワダチソウである 。
0種類である 。
ステル、アクリルの 1
精練のみと、精練の後、カチオン化処理をしたも
のの 2種類を
セイタカアワダチソウは、キク科の多年生草本で、
成長すると高さは 1-2
.
5mにもなる
(
1
)
試料の前処理
。 原産
11 引 ¥ ) 1
1
-ヒアメリカで、戦後日本に入ってきた帰化植物
地は 1
mいた 。精練には非イオン性界面活性
剤を用いた 。 カチオン化処理は、カチオン界 ,
f
j
活性
f
lで 処 理 し た
剤 と 水 酸化 ナ ト リ ウ ム を 加 え た 溶 液 i
後、酢酸で中手J]し、染色に用いた 。
である 。 九州北部から広がったものらしく、九州北
カチオン化処理は、繊維にカチオン性の座席を作
部では炭坑の閉鎖が相次いだ頃にはびこりだしたの
り、アニオン性の 色 素を染若しやすし、染新を補助
呼ばれていた。
で 「閉山草」 とl
するための処理である 。
セイタカアワダチソウは、かつて、
J
I
市息や花粉症
の元凶であるといわれていたこともあり、良い印象
を持っていない人も多い 川
。 しかし、現在は、セイ
j
タカアワダチソウがそれらの原閃であるという見 /
は少ない。
(
2
)
色 素材 料
滋ま{県立大学人間文化 学音1
1
棟周辺の空き地と駐車
場に生えるセイタカアワダチソウを用いた 。
時期と植物の各部位が染色性に与える影響を
採 取l
セイタカアワダチソウは、一株が 3j l~ で卜数 rrf の
上地を ~Î 領するほどの繁殖力で、
ー株で数万の穂子
をつくり、地下茎を延ばして繁刑していく 。 この地
r
zは 6、 8、 1
0、 1
1月に行い、
検 討 す る た め に 、採 l
mに切り、葉
材料は茎と葉と花に分け、茎は 2- 3c
と花はそのままの状態で用いた 。
下 部 か ら 他 の 植 物 に 害 を う え る み 物 質 (C1Oのポリ
アセチレン化合物 ) を分泌して、他の植物の繁岡山を
j
J
J
j
える 。 しかし、繁茂しすぎると、本来であれば他
の植物を攻撃するポリアセチレン化合物が必要以止
に上壌 ~I' に蓄積し、
1=1 家 '1 ' r.lí~を起こして仁| 身が滅び
ていく 。
以前、花を !
咲かせたセイタカアワダチソウを川
い て 絹 を 鮮 や か な 黄 色 に 染 め ら れ る こ と を 知 っ た。
黄色の染料としては、, 1
,くから刈安やキハダなど
IJ
'
'、られてきたが、このセイタカアワダチソウ
がJ
も黄色の染料の ー っ と し て 、 私 達 の 生 活 に 取 り 入
れることができないかと与え、その染色性を検討
した 。 ま た 、 黄 色 以 外 の 色 素 に よ る 繊 維 へ の 染 色
1
0 ・人間文化
セイ タカア ワダチソウ
身近な野草で染めるーセイタ 力アワタチ ソウの染色性一
5
(
3
)
色素の抽出
J
山出に用いる溶液の温度、
pH、合有成分等 が染
色物の色相に影響を与えることは知られている 。
4
そこで、今回は'
4
1
1
出に用いる浴液の pHの彩粋
を検討するために、中性溶液 (イオン交換後蒸間し
た水) とアルカリ性溶液(炭酸ナトリウム水溶液 3
色素材料の各部位を 1時間煮沸 1
1
1
1
1
出し、ろ液 (
ア
3
ω﹄︿
e:
pHll)の 2種類の溶液を J
Hいた 。
g/
ルカリ性 t
l
川村ろ i
l
Uは酢酸て、 pH7に調整した ) を染
色に用いた 。
(
4
)
染色
谷比 1 ・1
2
0
0,8
0.
Cで 1
1時
色素抽出溶液を 川い
、 i
間j
浸染した 。
400
(
5
)
媒染
500
W
a
v
e
l
e
n
g
t
h
[
n
m
天然色素は繊維との!日
1
にあま り大きな親和 )Jをも
っていないものが多く、染色の l
予
jにあらかじめ繊維
図 1 中性溶液による葉 ・
花・ 茎の泊出;夜の吸収スベクトル
を何かで処理しておいて 色素が染訴しやすくすると
か、染色の後でしっかり と固 着するように処理する
などの作業が必安になる 。 このような作業を総称し
て媒染という 。
金 属 イ オ ン 媒 染 剤 は 、 銅 CUS04, ア ル ミ ニ ウ ム
Al(
CH3
COOH)
J、鉄 FeS04・7H20,錫Na2
Sn03・
3Hz
Oの 4種類を
4
m,
、
た 。全ての媒染剤はイオン交
換後蒸留した水に溶解し 、 0
.
2%
;
)
<溶液として川い、
3
浴比 1 :6
00、常温で 1時間処理し た。
ω﹄︿
葉に多くの色素が含まれている 。
¥
位の 抽出 i
i
1
i
.の吸収 スペクトルには
茎 ・葉 ・花各古 1
;
違いはなく
2
(
区1
1)、また、採取│時期l
による迷いも
なかった 。しかし、
l
r
'
'
1
全十
1,
'
1
: とアルカリ'性 t
J
l
1
1
1
¥
で
は
、
吸収のピ ー クの位世は異なった (
1
亘1
2)。
抽出液の l
吸収スペク トルか ら、セイタカアワダチ
ソウは中性抽出で黄色に染まり、菜の 中十年十 I
j出での
l
吸光度はアルカリ性1'
lI
J
'
,
の吸光度より高いことか
ら、アルカリ't
t
t
:
I
J出よ りも '
1
'刊溶液での抽出の )
jが
400
600
700
W
a
v
e
Ie
n
g
t
h
[
n
m
]
ù~~" 、黄色を符ることができる こ とがわかる 。 また、
良一のアルカリ性1'
1
1
1
1
'
1
¥
に
お
い ては、 400n
0
1付近 と6
5
4
1
1
0
1
図 2 葉の阪収スペクトルに与える畑出溶液の影響
にわす‘かな I
吸収の山があることから、クロロフ イリ
ンの存在を 示 している 。 これらのことは、緑色を判
ることができる可能性を示すといえる 。
人間文化 ・
1
1
身近芯野草で染める
セイタカアワダチソウの染色性一
1
.5
~
圏
的¥)晶
メ(¥
採取時期の影響は少ない。
葉が染色に適している 。
0
.
5
中性溶液で抽 出した溶液を用いて絹を染色した結
果を図 3に示した。
〆ノ--・・・』 吾
葉はどの時期も一番染若性が良く、次に花で、茎
の染着性は J
Eかった。 これは植物の各部位の色の強
6
/2
4 8
/
2
2 1
0
/
1 1
0
/
1
1 10/16~
さと比例すると思われたが、中性抽出をした際の葉
月日
S値
と花においては黄色い花よりも業の方が高い K/
図 3 植物の採取時期と部位が絹の染着性に与える影響
を示し、濃い色を得ることができた。 これらの結果
から、葉が一番多く黄色色素が含まれていることが
50
わかった。 アルカリ性溶液での抽出においても同様
の結果が得られた。
また、採取時期が染着性に与える影響は少ないが、
マ
40
植物が鮮やかな色を発している時期の方が鮮やかな
ム
黄色を得ることができるように思われた 。 また、
アルカリ性溶液で抽出するよりも中性溶液での抽出
持
O
30
2
の方が高い K/S値を示し、濃い色が得られた。
20
抽出溶液と媒染剤の選択で
A
染色布の色相の変化が楽しめる。
10
図 4に1
0月 1
1日に、葉を用いた絹の染色布、すな
E~
わち、中性 t
l
l
l出ならびにアルカリ性溶液抽出の祇媒
染、金属イオン媒染 (
銅、アルミニウム、鉄、錫)
-20
a・は緑味がか った
のそれぞれの染色布の Lγ ザ値 (
ー1
0
O
1
0
a
本
床がかった色を表す)を 示 した。
色を、+げは黄色 I
染色布の色相および色調に及ぼす抽出条例の影響
中性抽出 (
口
無媒染
A 銅煤染
アル ミニウム媒染 O 鉄媒染 O 錫媒染)
アルカリ 性抽出 (
・ 無媒染 企 銅媒験
は、中性抽出では、黄色方向に位置し、原点から遠
V
く、色素濃度の高いものが多か った。 また、アルカ
V
リ性抽出では、黄色から緑と、色相の範囲が広く、
アルミ ニウム媒提
・
鉄媒染
・
錫煤染)
図 4 摘出溶液と媒染剤が染色布の色相に与える影響
色素濃度は低かった。
無媒染でもわずか絹に染者し、黄色に染まるが、
媒染すると染着量は著しく向上する 。特に中性抽出
フ
で、鋼、アルミニウム、錫媒染処理をすると、澄ん
だ黄色となるが、鉄媒染では H
音茶系のくすんだ色と
ウの黄色と銅イオンの青色が混合し、緑色にな った
棚のみ
E二コカチオン化処理
5
なった。 アルカ リ性抽 出では、緑色に染まり、銅媒
染が緑 l
床が多くなった。 これはセイタカアワダチソ
-
6
K/
S
4
3
可能性もある 。 しかし、中性抽出での葉や花は銅の
青色よりも黄色の方が強く、多少緑がかっているが、
アルミニウム後媒染時の染着性の結果を図 5に示 し
た。精練のみの繊維の中では、ナイロンが一番高い
1
2 ・人間文化
言
ス
フ
モ
ス
リ
ン
試駿布
図 5 各種繊維の染着性
アクリル
精練のみおよびカチオン化処理した各種繊維への
~
ポリエステル
いろいろな繊維が染 まる。
踊
ナイロン
踊
アセテート
口
レーヨン
黄色味が強く!惑じられたられた。
身近な野草で染めるーセイタ カアワタチソウの染色性一
表 1
染料
線維名
堅ろう度
洗濯
日光
面t
光
変退
汚録
34
4
5
全5
34
45
全5
4
全5
変退
t
イ
ヲ
カ l?fテ
リ
ウ 綿好オ〉
麻
全5
絹
染着f
量を示し、次に羊毛 、朴j
であ った。 ナイロン、
キ
ハ
ゲ
ナ
イ
ロ
ノ
4
絹
級
羊毛、絹の染着性が日かったのは、染着機構が、繊
綿精線
以
(-NH2
) と染料アニオンとのイオン
綿カチオン
下
維の塩基 tU;.~
結合によるものと考えられる 。 また、総より羊毛の
刈安
方が多 く染析 したのは、繊維中の:
t
J
{恭性基の;立や繊
維微細fI構造や 化学構造が彩粋していると考えられ
る。ナイロンの染若量が多か ったのは、ナイロンは
i
f
*水性と同時にカチオン
酸性殺料
3
4
2 絹3
4他 5
3
4
全5
3
4
4
5
全5
45
4
5
全5
綿精練
3
2
3
全5
綿がオノ
3
4
4
5
全5
絹
45
絹
綿精練
反応後料
合成タンパク繊維であり 、
絹
4
5
綿精練
45
性とア ニオン性を併せ持っているので、 他の合成繊
維と比べると染着量が多かったが、 天然タン パ ク繊
維以上の染荒性を示した ことか ら、繊維 内の塩基性
基が強く作!日したと考えられた。
カチオン化処理した試料は全ての繊維の染若性が
向上 した 。その中で、羊毛が一番高い染着性を 示 し
、
絹、スフモスリンと続いた。 しかし、カチオン化処
1/2の重 l
主にな った こと から、キハダ、苅安はセ
イタカアワダチソウ生葉の 1/2の重量;
を用いた 。
結果を表 lに示 した 。
セイタカアワダチソウの
1
1光臨ろう度は、綿と麻
理は強アルカリ性の液での処理で、主1
=
1
、羊毛、レー
に比べ、絹とナイロンはわずか思いが、洗濯堅ろう
ヨン、スフモスリン、アセテートは繊維が劣化した。
!
立はどの繊維においてもよい結果を得られ、他の繊
これらの繊維以外で検討すると、綿が一番 I,,:;Jい染着
:
k
Wへの汚染もなか った。キ
n
とナイロンは耐光性が1
1
4
性を 示 し、ナイ ロン、麻のI
1
1
i
1となり、特にセルロー
い繊維であり 、セイタカアワダチソウで染めた絹や
ス繊維の染着性が著しかった。 しかし、疎水性のポリ
ナイロンは暗所に保管した方が良い。綿、麻はカチ
エステル繊維は染着盆がわずかしか増加しなかった。
オン 化処理により染着性も高 ま り、堅ろう度も良い
結果を得た。
乾燥葉も染色に用いることができる。
天然染料植物は一般に、乾燥保存して、必要に見、
-おわりに
じて抽出して利用することが多い。そ こで、植物の
「
身近かにある野草、犬仁)
11に多く 見 られる野草
乾燥の有無が絹布の染色性に与える影響を検討し
で染めてみたい」 と言っ て環境科学部の学生が研究
た。茎および葉は 3ヶ月の乾燥 によ って 、業はくす
室を訪れたのは初夏の こと でした。彼らは予備染色
んだ緑色になり、重量 は約 1/2にな った。乾燥葉
を繰り返し、大学祭で、犬上川プロジ‘ェクト展示体験
を用いて染色を行ったと ころ、乾燥させても染色で
コーナーを設けました。 セイタカアワダチソウによ
きるが、染若性は低くなった 。 また、 葉の乾燥の有
る染色体験コ ーナーでは多くの市民の皆さんの参加
無が染色布の色相および色調 に及ぼす影響は、乾燥
を得ることができ、身近かにある貯草を見直す輸を
によりわずかに黄色味が増すが、色相に大きな変化
広めたように思われました。
はみられなかった。以上の結果から、植物を乾燥し
でも染料として生業とほぼ同じ色相 を得ることがで
-引用文献
きるが、乾燥して用いる場合は、生業の約 2f
帝重量
1)長 山式正 : 日本帰 化 植 物 図鑑 』 北 l
径館、 41
の植物が必要になる ことがわかった。
11
日│
卓三
2) 1
アルミニウム後媒染 した麻と綿の堅ろう度がよい。
1
1月に採取したセイタカアワダチソウをJtJI,¥青島、
麻、絹、ナイロンを染色し、アルミニウム後媒染し
た染色布の堅ろう度を測定した。 また、比較のため
に、キハダ、苅安で染色し、アルミニウム後媒染し
たものと、酸性染料、反応染料で染色したものの堅
r
(
1979)
3)山崎青樹
『
野草大百科 J北降館、 3
0(
1992)
r
1
j
1木染染料植物 │
豆l
鑑』美術出版社、
1
3
6
1
3
7(
1995)
4) 1
1
1
1
崎)
'
;
樹
・ 『
続々草木染染料納物 図鐙 j 美術山
4・
245 (
1
996)
版社、 21
2
2
2
2
5
5)大 場 き み 市 木 染 出H占j求龍堂、 2
(
1994)
ろう度も測定し た 。 キハダ、 ~lj 安は乾燥物を用いた
ため、セイタカアワダチソウが乾燥したことで約
人間文化・ 1
3
特集服飾をめぐって
覆面雑考
河地美英
人間文化学部実習指導助手(服飾史)
1.Incroyables
夜而より、仮 I
f
I
iという立味が第一義として扱われる
1
8
世紀、革命後、第二県政則のフランスに、興味深
い流行をもたらした人々の存在が記録されている。
i
n
c
ro
y
a
b
l
e
s (アンクロワイヤアブル)と 1
1
宇ばれ
た彼等の服装 (
F
i
g
.
1(
M.Lel
o
ir
.1
9
6
1)
) は旧体制の
それ、叩ち、アピ・ア・ラ・フランセーズとも、革
命派を特徴づけその呼称、となったサン・キュロ ット
(
A
l
a
i
n Ray, 1
9
91
)。 しかし、ある日i'
l
jで顔而の全
t
l
lを被躍するものであるというな味も
体もしくはー i
うえられており、これを覆而と考えてよいだろう 。
masqueはまた顔そのものを表し、日本語の 「面
Jに対応する認である 。
(
おもて )
耐」 は斑 l
師を直接立 l
床するものではな
しかし、 rl
0
0
0)
。
とも異なる (
マックス・フォン・ベーン、 2
い。 rl
而」 とは、顔であり、似而であり、体而i
であ
彼等は極端に高い衿、大きく折り返ったラベルをも
9
9
6
)。 日本語の覆而はあ く
るとされる (
新村出、 1
i
I
T
r
iJを麗うものであり、被われる
っルダンゴ ッ トの下に短い派手なジレ、キュロ ッ ト
まで
を着込み、髪はざんぎりで、小さなピコルヌ (
二角
峻別されるものであることがこの語義から窺える 。
「
面」 とは
的:Dと いういでたちであった。そして何より奇異な
のは、まるで、夜 1
(
1
1のように顎、或いは口疋まで覆う
クラヴァ ッ トをえ作用していたという点である(ì~~~~ニ
弘子監修、 1
9
9
8
)。
3
.Lesmasques
o
s
tume の
M.L
e
l
o
i
r編 “ Dictionnaire du c
さまざまな変化を遂げ、現代のネクタイの前進とな
masqueの項には、様々な仮面と覆而が図示されて
e
l
o
ir
.1
9
61
)。
い る (M.L
その多くは、ギ リシャ ・ローマ時代から続く仮面
ったといわれるものだが、そうい った服飾史に於け
T
Jいられた仮而であり、老若男女それぞれの人
劇に I
を見出すよりむしろ、その形態が彼
る過渡的な役割l
間の顔が、悲劇、喜劇l
で使い分けられる 。手
1:
i
l
は
こ
この特徴的な クラヴァッ トは後にフランス内外で
f
役]を示す
等にと って何を意味するものであったのかを考えて
れらの仮面を 「
単に王とか王妃とかの
みたい。つまり 、我々 が 「まるで斑面のよう 」だと
Iに用いられる仮 l
射を意味する
のみ」であるとし、威J
感じるこのクラヴァットは彼等にとっても夜而たり
e
r
s
onaを連想する (
和辻哲郎、 1
9
61
)。
イタリア諾の p
えていた のか。 この間いは即 ち、覆面とは何かを問
うことに他ならない。 また、夜而によって襲われる
顔とは何かという│明いへの回答を導くものでもある 。
2
.Masque
では、技々は、どの
ようなものを覆 l
師と呼
んでいるのか。広辞苑
によると援面とは、
1
1
1
をおおいつつ
①産自 (
むこと 。 また、そ
T
l
"、るイH
や紙。
れに J
(
personalま)転じて劇におけるそれぞれの役割を
意味し、従って劇中の人物をさす言葉になる。
しかるにこの用法は劇を離れて現実の生活にも通
用する 。人間生活におけるそれぞれの役割がペル
ソナである 。 しかるに人は社会においておのお
の彼自身の役目を持っている 。己れ自身のペルソ
ナにおいて行動するのは彼が己れのた主すべきこと
をなすのである。従って他の人の芯すべきととを
代理する場合には、他の人のペルソナをつとめる
ということになる 。そうなるとペルソナは行為の
主体、権利の主体として、「人格」の意昧にならざ
るを得ない。かくして「仮面」が「人格」となっ
たのである。
防寒}日のほか、やjI
仏の供養など清浄
を必要とすると
“D
i
c
t
i
o
n
n
a
i
r
e du c
o
stume" にはまた、カルナ
時、また顔を知ら
ヴァルに用いられる仮面、道化 (アルルカン)の仮
れないようにかく
面に混じって、黒ビロードや締子で山来た眼簡を除
すのに用いる 。
く顔而全体、或いは L
J
染までを被ういくつかの 1
直面
列か さない
①姓名を I
U
iかれているが (Fi
g.2(
M.Lel
oi
r
.1961
))、注意
が
:
t
1かれていな
すべきなのは、口元だけを斑う夜間は J
こと 。匿名 。
n
c
royabl
e
sのクラヴ
いという ことである 。手是々は i
とある 。
一方、フランス認で
、
恋而を表す masqueは
1
4 ・人間文化
F
i
g
.1:i
n
c
r
o
y日b
l
e
アツ トを覆而 に1
I
食えたが、この事実は、我今の覆面
に対する心象とフランスに於ける夜而との間の組齢
覆面雑考
を示すものではない
f
l
iJ にあるのは、
十
件 」 は作在しない 。 Il
か。
のいう「 ι
I
J問表情」、つまり、 一切の表情を拭い 去
手1I:i土に従うなら
った彫刻である 「
而」が、実は無限の表情を生みだ
ば、他者を演じると
すことカ ~IU 米るという可能性なので、ある 。 そしてこ
きに、新たな 「人怖」
の nTi'ì~t'tは、実際は i寅 -!i の技量によるものであるけ
である仮而を己れの
れども、形式」、或いは ?
i
i
f者の心理上はそうではな
新たな 「
顔j とする
い 。 能の Ü~ 者は、 I I(JÎ J をおし 頂き、カケル ( 決し
こと で、己れが他お
て 「被る 」のではなし、 ) という{正礼を行うことで、
となる 。 ところカf己
f
l
l
lカカルのである (
Photo1(
京都造形芸術大学編、
れの顔を黒い布
n
.で
記うとき、そこには
I
MiJは無い 。 他お
の 「
顔」 はおろか己
e
....
三
F
i
g.
2 :m日sQues
ヒ
!
l
,
'
f
'
豊一郎
1
9
9
9))。 ここでは最 l~.
I
而」 は演省の与り知らぬ領
主主にある 。
ゾi、「而j をJ
I
Jいずに Il
f
l
iJ を表現する「直 r
u
i
(
ひためん )
Jという千法が、おもにワキ}jによって
れの 「顔 Jさえも 。
J
I
Iいられる 。 これはむi
i
t
iの顔から
師と
彼等にとって覆 I
するものである 。 i
氏名は戸と所作のみによって、彼
は
、 「顔」 を、つま
がどこから来てどこへ行くのかを示し、シテに対 l
時
切の表情を消去
り 「人絡」 を緩い│思
しなければならなし、 。彼の顔は、彼の頗ではなく、
すこと、己れの、ま
また W
iじる対象のが!でもない。
た他者の 「
役目 」を拒否するものであるといえよう 。
耐」のあり ょう は、極言すれば、
この 「而」と 「
直l
そして、我々が磁 I
(
i
jで、あるとするところの、 │
寸Jじ
を
f
I
lJを
、 「人係」の 及ぶべくもないものと
技 々は Il
覆う行為は、彼等の求める斑而│
の機能を、必ずしも
考えているのではないかと忠わせる 。
全うするものではないと 思われ るのである 。
1
8
9
3
{
j
:にラフカデイオ ・ハーンによって喜一かれた
『日本 人の微笑 j は、この考えを補強するものであ
4
.面
る (ニ i
i
l作士、 1994
)。
荊l
辻はさらに、 「
面」という刊について、ペルソ
ナのもつような意味を獲得する傾向が全く無かった
訳ではないとしながらも、やはり l
列維に 「人絡」ゃ
「
法人j という意味を与えられてはいないと指摘する 。
先述したとおり 、「
而 Jは、郎、仮而、体而をな
l
床す るが、特に能而をさす場合がある 。 これは、伎
楽、舞楽に始まり 、回楽、猿楽 を経て、洗練された
仮面劇として碓問とした 地位 を築き仁げた能楽への
而
敬意の現れという訳ではない。 こう した様今な仮 l
劇の粋が、 ひいては我々の Il
i
f
i
Jに対する認識が、
結 i話したものであるからこそ、 íì~ [
(
I
Iは 「
而 Jと称さ
れるのである 。
能楽を含め、これらの芸能は、 J
1
U
J
I的儀礼、やI
I
'
J
[
からかたちづくられたものであるから、その 1
1
MJ
は本来人間ではない例lや仏、!北、 i
f
V
J物 などを象徴し、
その I
呪術性、能力を体現するも のであったと飢 I
l
t栄
夫は述べる(京都造形芸術大学制、 1
9
9
9)
。 これは、
人間を描く能にも当てはまる 。 II
而Jは、たとえそ
れが人間の顔をぷすものであっても 、そこには 「人
微笑が教えこまれるのは、頭だけ下げるお辞儀や、
両手をついてするお辞儀、
また古風な礼法のあら
ゆる細か芯しきたりや優美な作法が教えこまれるの
と同じ具合である 。言わすと知れたことであるが、
声を立てて笑うことは誰に も勧められない。しかし
微笑することはあらゆる心楽しい機会に許される 。
時には楽しいとはいえない時にさえ微笑むことは
許される。それは日本人の身のさばきの一つ芯のだ。
両親や、親戚や、先生や、友人や、
世間にたい
して絶えす明るい表情を向け
、 人に向かつてできる
だけ気持ちのよい印象を与えるのもやはり世に処す
る定め芯のである 。 それに反して、深刻な表情や
不機嫌な顔を見せるのは不族主主ことである。 幼少
時代からの習いが性になって、いわば義務のように
しつけられた微笑はじきに本能的なものと芯る。ど
んなに貧しいお百姓の頭の内にも個人的な苦悩や怒
りを面に表すことは絶えて益がなく、およそ思いや
りの芯い、はしたないしぐさだという考えが確固と
して宿っている。
人間文化・ 1
5
震面雑考
Photo1 面をカケル
些か誇張の!必は免れないものの、少なくとも近世
のある時期までの日本人が、喜怒哀楽をあからさま
f
J
Iち 「
顔」に出すことを忌避するようすが
に「面 J!
窺える 。つまり日本人にとって己れの 「
顔」 はペル
ソナのようにゆるぎない 「人絡 Jを表すものではな
く
、 三浦雅士(19
9
4)に倣えば 「
社会的な f
l
j
l
J
度 Jそ
のものであるといえるだろう 。
5
.覆面
9
4)が指摘するように、彼等の職能
網野善彦(19
それでは、もし日本人が上述するような 「
顔」観
は、ケガレ、キヨメに関わるものである 。つまり、
を持っとすれば、こうした 「
顔」 を覆う 「
覆而」 と
「人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損
いう行為はどのような意味を持つものであろうか。
が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、予れによ っ
先に挙げたように、覆面には│坊寒の目的以外に、清
て人間社会内部におこる畏れ、不安 (
山本幸司 )J
浄が求められる場で、或いは人目を↑単るという目的
であるケガレをキヨメるのが彼等であり、一般の人
で用いられる 。
人目を仰るというとき、その表情はすでに社会的
なものであるから隠す必要はなし、。おそらく隠した
臓能を持つ彼等は布1
1人(じにん )、
間には出来ない l
寄人(よりうど) して位置づけられていたのである
991
)。
(
網野善彦、 1
いのは物理的な「顔Jそのもの、つまり 、相│
人を識
彼等は鼻から口を覆う白い夜而と、白い頭巾を来
別する手段としての 「
顔」である 。 ここから波面の
F
i
g
.
3 (網野善彦、 1
991
)。
) なぜ彼等は
けている (
E ・ルモワーヌ=
第二義である匿名性が発生する (
夜前をするのか。 なぜ口を隠さなければならないの
9
9
3)
。
ルッチオーニ、 1
か。それは口が上述したケガレに関わると考えられ
さらにもう 一つの目的一 一i
'
;
浄さ、のために用い
るからではないだろうか。
られる覆面を、我々は神仏にかかわる幾つかの場面、
呼吸、発話のための器官である
口は通常、摂食、 l
1身拭いなどで目にすることができ
例えば仏像の待I
と考えられている 。 人間が生きるために不可欠な、
る。修行僧が非から下を布で覆い、仏像にはたきを
且つ、人間を人間たらしめる器官であると 。 しかし
かける 。(この覆面には勿論;挨除けの意味もあるだ
唾液、疾、吐 j
窮物
、
一方で、呼気、 l
ろうが、それを第一義とするならば、この夜而の形
世す る器官でもあるのだ。
らわしいものを排 出、排 i
態はあまり適しているとは思えない。
)
n
'
jかれ
ここで思い出されるのは、 『
一遍聖絵j にt
た犬神人 (
いぬじにん)の姿である 。犬神人とは、
中世の京都、或いは幾内で葬送、処刑、罪を犯した
人の住宅の破ま1等に携わり、賎視された人々である 。
1
6 ・人間文化
J
E言 といった汚
そもそも、ものを食べる、息を吸う、吐くという行
為自体、人間の欠損を自然によって補い、自然の均
衡を崩す営みではなかったか。
聖人空 也の口からは 「
南無阿弥陀仏」の文字が生
じる 。 しかし、ケガレが伝染すると考えられていた
覆面雑考
時代
(
1エ ン ガ チ ョ 」 に み ら れ る よ う に 、 現 在 も ま
参考文献
たそのような観念が日本人を捉えていると網野は述
1)Al
a
i
n Ray;Le micro Rober
.
tDictionnaire Le
994)
) ケガレたも
べ る が ( 網 野 善 彦 ・阿部設也、 1
Robe
r
.
t1991
2)M
.
L
e
l
o
i
r
;Di
c
t
i
o
nna
i
r
e du costume.L
i
b
r
a
i
r
ie
のをキヨメる犬神人にとって、自らのケガレは唾棄
すべきものであったに相違ない。 もし彼等に、口が
不浄なものであるという意識があったならば、彼等
が覆面で口を覆い隠したのは、至極当然のことだっ
たのかもしれない。
G
u
i
r
d
.
1
9
6
1
3) 網 野 善 彦 ;n本 の 歴 史 を よ み な お す ; 筑 摩 占
房、 1
9
9
1
994
4) 網 野 善 彦 ;中│止の非人と遊女、明石 書 庖 、 1
5)網 野善彦 ・阿部謹也;対談
6
.Cesti
n
c
r
o
y
a
b
l
e
1
8世 紀 フ ラ ン ス の i
n
c
r
oyab
l
e
sは、 摂 政1
1
,リに反発
する若者達であったという 。 彼等はことあるごとに
s
ti
n
c
r
o
y
a
b
l
e
! (
考 え ら れ な い 変 な の !)
"
"
C
'e
唾を吐きかけ、
と繍き、わざと背中をこごめ、道端に l
病人のように振る舞った 。 しかし “i
n
c
r
o
y
ab
l
e
"と
'
1世の再発見1'1・
仁
贈 与 ・宴会、平凡社、 1
994
6) E ・ルモワ ー ヌ = ル ッ チ オ ー ニ ( 鷲 田 清 一 ・ 柏
9
9
3
木 治 訳).
.
;衣服の精神分析、産業国者、 1
7)京都造形芸術大学編;美と創作シリーズ
i寅 J~IJ を学ぶ
日本の文化を今に伝える
9
9
9
言 ・歌舞伎・文楽の世界、角川書応、 1
は、彼等の口癖であるだけではなく、人々の彼等に
96
9
8)新市l 出;広辞苑、岩波書応、 1
対する瑚笑であり、 1
1賛の辞であったのではないか。
9)深井晃子監修;カラー版
彼等にとっての 「
顔」が「人格」そのものを表すの
だとすれば、{好奇的に振る舞う彼等には、覆面など
無用のものであったように思える 。 むしろ、己れで
伝統
能 ・狂
世界服飾史、美術 H
¥
版社、 1
998
10) マ ック ス・フォン ・ベーン (
飯 塚 信 雄 訳);ロコ
コの世界 1
8世紀のフランス、 二三修社 、 2000
はないなにかを演じている 一一一道化 ている、かのよ
1
1) 三 浦 雅 士 ; 身 体 の 容 度 何 が 近 代 を 成 立 さ せ た
うな彼等には仮面のほうが相│応 しい 。 彼等のクラヴ
か、講談社、 1
9
9
4
1
9
6
1 (双書フォ ー クロ
1
2
) 和 辻 哲 郎 ;面とペルソナ .
; トでしかなか
アツト は、単なる大げさなクラヴ 7 .
ったのである 。
アの視点 5仮面所収、岩崎美術社、 1
9
8
8)
人間文化・ 1
7
論文
近代イスラーム国家についての一考察
ーモロ ッコの事例を用いて
なか
むう
人間文化学研究科地主主文化学専攻
はじめに
あ す か
中村明日香
1
尊士後期課程
ームの 利用 が本当に I
J能かという疑問もある 。実際、
r
「アッラ ー(
祈1
)J
・
「 ワタン(1王l
土)
J.マリク(Jミ )
J、
モロッコでも今日「近代化 J1問題は、イスラ ーム 復
y コ各地でみられる│司同の桜請であり、
興運動と民主化運動の動向に顕著に表れている 。 同
V
J記されている 1。 これら
住│是として同王同憲法に I
国におけるこの二つの反対運動は、 王様のイス ラー
は
、 1
1
1の斜面のような、その場所を訪れる人が必ず
ム政策を「見せかけのイスラーム j として批判する
これはモロ
これを見るような位置に掲げられているが、イスラ
イスラ ーム 復興運動と、国民への政治権利拡大を求
ーム│世界の外部から米たお-には呉僚に映る 。現代に
1
市高1を中
める民主化運動である 。 また、若年府や者I
あってもなお神的な力で℃が統べる 一種の神聖国家
心に 「
世俗化」問題も近年議論を呼んでいる 。
を思い浮かべてしまうからであろう 。 しかし国起を
近代における 「イスラーム同家」の存在の布無や
際語として示すことは、 ;
現在第ご.世界の I
i
l
l
々でよく
その有り様の川題への解答は、 }
l
l
[
念を追求するだけ
見られることであ って 、代表的なものはインドネ シ
では到底えられるものでない。 しかしまた実際の政
アのパンチャシラが挙げられる 2。 こうした襟語の
治過紅を追うだけでも統治システムの根拠の発見に
源流は、 「自由・平等 .t
I
!
/
.
愛 Jを掲げたフランスに
は至らない 。 イスラーム世界では、根本的教義を
ある 。 しかし 「
事1 ・国土 ・王」 という襟誌は、ヨー
「伝統(スンナ)J吋こi
nって縦 J
寺していくためにイ
ロッパ近代のものに比べて極めて異質である 。
スラーム的な政府が不可欠とされてきた。具体的に
モロ ッコでは、国家元内である国王が桟 ))を撮 っ
はウラマー (イスラーム法学者)機関がスルターン
ていると 言われ、また近代 j
去に依拠した '
1
'央集権的
(
統治{t)を監視する 「スルタ ー ン市I
J
Jがイスラー
官僚市I
J
をしいている 。 しかし現体制であるアラウイ
ム的政府として継続してきた 。 だがそれは、スルタ
1
7
世紀から
ーン
:
I
;
J
Iをとっていればシャリ ーアにかなっているは
300年続く伝統を誇っている 。 この点においてモロ
ずであるという形式論的逆論をもつくっていた。 こ
1
'-1は伝統的秩序を破壊せずに近代 f
内システム
ッコ王 1
の逆論を来り越えるための様々な葛藤が現在の 「イ
ー王朝は、シャリーフ王制でもありヘ
を導入し、政治的な安定性を保つという、イスラ ー
スラ ーム同家」 における学開放び実際の政治の状況
ム世界では異例な成功例として挙げられてきた 。
であるといえる 。
1
9
5
6年の独立後、 l
司国を実際に創設し運 f
守してきた
現代モロ ッコに 関する研究は、独立後の王fIiリに焦
のは、第二代国王ハサン 二 世であ った。彼は吾、 j
去を
点をあてたものが多くみられる 。代表的な研究とし
制定し、強力なリーダーシップを発揮して国家を率
て、モロッコのイスラームについて王権も含め総合
Iは独立の│努にスルターン
いてきた。 モロ ッコ匡I
的にイントーネシアとの比較をしたギアツ
i
(
C
の称号を廃止した後も、!暦代カリフの称り・でもあっ
Geertz) の研究 7 を皮切りに、民族誌と政治思:f~を
た「アミ ール ・アル・ムウミニーン(信徒たちの桁
含めた歴史研究を 目析すマンソン(H. Muns
o
nJ
r
)
.
柿'M)
J を名のっている 3。 だがハサン 二 世自身は、
の研 3
:
Lx、選挙や行政制度に焦点を置いたザートマ
独立運動のシンボル的存在であ った初代ムハンマド
ン (
1
. Zartman) の研究 切などがある 。 また私市は、
五世と只なり、カリスマ的支配者ではなく、かつま
政治状削についてのアルジエリアとの比較をもと
た近代国家統治における 「合理的」条件に依った治
に、モロッコ同民共同体はそれだけでソトウンマを形
者でもなかった 。 モロッコの国家統治に関しては、
成していることがその安定性の要因だという IU。 モ
王権による 上記した標誌のような古典 的な意味を持
ロッコにおけるナショナリズム研究としては、ラル
i
仙 の重視といった、
つ言葉の動員やイスラーム 的価l
ーイ
「イスラーム国家」 のシンボル操作が強い効果をも
による人々の結集についての歴史研究 11や、マンス
たらしているといわれている 。 このことから研究朽
ール (
M
.el-Monsour) による独立期のナショナリ
のなかには、モロッコ王同は現代に復活した 「イス
ズムにおける思想制究 J~ がある 。 王様に 関して、モ
ラーム同家 j であることと指摘するものもいる 。
ロッコの人々へのインタビューも含め分析をしたト
しかしこのような指摘に代表される現代モロッコ
(A.Laroui) による 1
9仰紀からのイスラーム
ウズイー (
M. Tozy) は、アラウィ一朝王様を 「カ
国家論の妥当性については、多くの議論がある 。 ま
リフの教義の付l学を存続させているのは、 1
9仰紀に
l
j
J
を許さないイスラームの教義に沿し、ながら、
た、専 f
t
呈造された概念の原型と規則に基づく特殊な伝統」
「近代 J国家運営のためのシンボルとしてのイスラ
であり、 「それは J
E
i
i
Eされたものとはいえ、依然と
1
8 ・人間文化
近代イスラーム国家についての一考察
して実行され続けている」と述べる 130 ゲルナー
は、まずモロ ッコという 政治空間が、脳史的にどの
(
E
.G
e
l
l
n
e
r
) はモロッコを主な事例としてとりあげ
ような),~~Æ をもとに生成 ・ 展開してきたかの検討を
た研究で、このプロテスタント主義 (
P
r
o
t
e
s
t
a
n
t
i
s
m)
行う 。 この問題は、現代の モロ ッコじ国を考えるに
のイスラーム改革主義との整合性についても分析を
司王国が成
あた って軍要であり、とくにここでは、 I
進め、これによってイスラーム世界にも近代的な│司
立した坊のもつ 「領域性 (
t
e
r
ri
t
o
r
i
a
l
i
t
y)Jの検討
民国家が誕生するメカニズムを説明している 11。
に課題を設定する 。
l
J
i
ヒ記の研究もモロッコにおける権力への承認と I
「 領域性 」 とは、フランス地理学の 1~IJ 拓者ブラー
従に関して、 王様のイスラーム性やその利用などを
シュ (
V
i
d
a
lde l
a Blache) の議論を 1
主成として、
月!由として指摘している 。 だが、その様拠を充分に
人間集│寸│にとって特定空間単位のもつ立 l
床を問い、
説明しているとは言 いがたい。王様のイスラーム的
その?と I
l
i
j単位と人間集同との関係を診察していくた
1
i
tl
/
l
jされた
側面を 「
創られた伝統」として 一括し、その意味の
めに、サック (
RobertC
.Sack) により
真髄を問うことはない。 この J
.
'
J!
l
j
Jには、 「前近代的」
概念である 。彼による 「
領域性」は、地型的 ・社会
な政治と宗教の提携が強固な統治体f~IJ を生むという
│
拘な史家に起因するある地域の権力基殺とも 言える
従来の定理を前提にしていることなどが考えられ
1
玉
ものである 。
る。 しかしモロッコ国家を対象としてこの定理を説
本市で必要な検討諜!揺は、次の 二つに集約できる 。
明しようとすれば、 2つの問題点がうまれる 。第 l
は、政治と宗教の提携状態を I
li
T近代的」 なものと
A) モロ y コは政治 ?~1 1 1j としてどのような 「 領域性 」
決めつける立場も成立可 能であ ることにより、その
をもっ範域としてぼ史的に存立してきたのか。
背景にあるモロ ッコ社会の検討すべき内面の解明ま
B)さらにその 安定的な作立基盤を析:J',させてきた
で議論が及ばないことで あり、第 2には、モロ ッコ
~IJ~ は何か 。
における 「イスラーム国家 Jとしての理念の追求と
実情の議離、ま たは王権を 中心に展開される政治過
程というパワーポリテイ
7 クス分析に議論が終始し
この 2つの検討を辿じて、次主主でモロ ッコ王市J
Iを
イスラームとの関係で議論していくために、従来に
がちになることである 。 しかしこれでは 「イスラー
はなか った 研究文脈の構築を目指す。上記検討諜題
ム国家 j に対しでも、「近代」 に対しでも何らの発
のA)については、
展的考察も望めない。モロ ッコ同家はイスラームの
空I
I
[Jの存在が研究者の I
I
¥
Jで仮説的に桁補されて い
H
T
I矧のモロッコにおける政治
「
伝統」 を追う理念的な国家であり、その政治はそ
ごをもって困
る。 第 1は、現代のモロッコ王国の領 │
のイスラーム的な主1
念から強い影斡を受けた諸集 l
t
l
布の政治空間とする議論である 。 1
9
5
6
{
1
三にモロ
の迩動集積の結果:である。問題となるのは、こうし
は
、 44年間のフランス保護領統治の後に独立を達成
yコ
た同家及びこの同家を可能ならしめる社会が、なぜ、
した 。新しい独立│正防止はその領域として保護領統治
どのようにして形成されたのかという こと である 。
H
打t
の版│立│をそのまま受け継ぎ、政治体a
j
l
J
とし て1
7
これに関して本論文の目的は、 J
I
J
1
.
念
的 「イスラーム
同家 j の議論を回避し、同同の安定性の基探に f
長 ',
I
l
t紀から続くアラウィ一朝の支配を 「立憲君主制」
にi
'
;き換えるというかたちで成立した。 この版図を
をあて、実際のモロッコを「イスラーム国家」、そ
L
.
j
i
.
,
{:
iとして、!匡史的にも諸王朝が隣接地域から比較
してそれを可能ならしめる社会として解明すること
的独山;して成立することが多 か ったので、 これ をモ
である 。 またそれによって、 「イスラーム凶'永」 を
ロ γ コ 1"1 家の政治 ソ~1I\j領域と自 iり l 制する論である 。
「
近代 Jの
しかしこの議論では、税制 1
:
がI
HJの領成とするだ
融合として観察し、将米の研究課題 につなげる試み
けで、その自明性のイj-イt根拠をアラウイ一朝以前に
ι
}
l
明需する近代同家の様態をイスラームと
でもある c
までさかのぼって議論することはほとんどしない 。
、
第 2は
I モロッコの存立基盤
前述ではモロッコ王国をめぐる 2つの評価、すな
仁述のモロッコの白 明の領域 を基除として
さらに},'~辺地域を包摂する大アラブ ・ マグリブをも
って、モロッ コの政治空間とする主張である 。 具体
わちモロッコは
1
1近代化」 に成功したイスラーム
同家か j、それとも 1
1近代」 に復活したイスラーム
心として刊サハラ、モ ー リ
''
的には、現モロ ッコを 1
;
iを指す。 1
9
6
0
タニア、アルジエリア 阿部に及ぶー '
I
!
I
家か」、の存伐を指摘した 。 それを受けて本市で
年のモーリタニア独立の│祭のモロッコの領有権主張
9
人間文化 ・ 1
近代イ スラーム国家についての一考察
3年と 6
6年のアルジ、エリアとの国境紛争は、そ
や
、 6
果たした 5王朝 とフランス保護領の最大版図 を重ね
の主張にもとづいたものであった。
合わせて図示 したものである 。 阿国からは、モロ ッ
コ史を通じる政治空間として、以下 2つの 「領域性 j
1-1 政治空間の 「領域性」
の存在を 指摘 できる 。
サ ックの提唱す る 「
領域性」は社会空間・時間と
1) 6政治権力が共通して版図とし てきた コア・エ
いう関係のなかで成立する 。 この関係性の中に地域
リアー図 lの横線で示した範域である 。いずれの王
の地理的権力、彼の説く 「
領域性Jが表象されてい
朝・権力もここに基盤を置いてきた。歴代王朝が最
くのである 。 ここでは、モロ ッコという空間を単位
E
Z期に首都を置い たのも、このコア ・エ リアにお い
としてイスラーム以後に興亡した諸王朝の領域を概
てであった。 その ためモロ ッコ史の重要拠点都市で
観し、そこにみられ る特質 を検出する 。次にそれを
あるフェスとマラケシュ、メクネスはともに、この
ふまえて、この空間の社会的構成要素の再考をし、
コア ・エリア の中央部に存在 している 。図によって
モロ ッコを 一つの社会的生態的空間として把握す
明らかなように、コア・エリアを規定するものは、
る。ただし本論文がイスラ ーム国家としてのモロッ
モロッコを 基盤 とする 最初の 王朝といえるイドリ ー
コを主題としている関係から、考察の対象をイスラ
ス王朝の版図である 。 その版図が以後モロ ッコ史を
ーム期以後に限定す る。
飾る諸王朝 ・権 力 の 基 盤地域を形成したのであ っ
対象とした諸王朝を 一覧する と、表 1のと おりで
た。 このことは言いかえると、モロッコ史を貫く
「中原」の地が、最初の本格王朝イドリース朝以来
ある 。
これら の諸王朝の樹立勢力は、出身地またエスニ
存在し続けてきたことを意味する 。 このモロ ッコ
シティに関していえば多様で歩汽 。 しかし この歴代
「中 原 」 の 検 出 は 、 モ ロ ッ コ 史 を 通 じ て 求 心 的 な
王朝の版図の境界を主たる折似として諸王朝の政治
「領域性」が存在しつづけた ことを 意味する 。 しか
空間を検討すると、まったく別の印象をもっ。図 l
し歴代王朝の拠点都市がこのコア・エリアに位置し
は、表 1の諸王朝のうちモロッコ史で重要な役割を
ていることも決して偶然で、はなく、この 「領域性 J
表 1 モロ ッコにおける諸王朝の概略
王車耳名
ウマイヤ
年代
7 ~8 世紀
政治中心
カイロワン
民族性
アラブ系の支配民
族、ベルベル
イドリース
789~926
ヴォリュピリス
フェス
アラブ、ベルベル
ムラービト
1056 ~ 1l 47
マラケッシュ
ベルベル
1130 ~ 1269
フェス
マラケッシュ
ムワッヒド
ベルベル
備考
イフリーキヤ総督ムーサー・ブン・ヌサ│
イルとベルベルのマワーリ _ 16 ター リ
クによる 征服で始まる
開干且はシャリーフ 、イ ドリース 一世
開祖はベルベル ・サンハージャ族でリパ
ート "を率いたヤフヤーとアブドウッラー
開干且はベルベル・マスムーダ族で「ムワ
ッヒドゥ ーン 」 を率いたイブン ・トゥー
マルト 。 モロ ッコに おける 王朝の最大版
図を達成
マリーン
1269 ~ 1465
フェス
ベルベル
サアド
1550 ~ 1
6
5
9
フェス
アラブ系
アラウイー
1659 ~
フェス
アラブ系
2
0 ・人間文化
開祖はベルベル・マリーン族のアブー・
ヤフヤー
関手且はシャリーフ、アブー・アブドウツ
ラ一、支持基盤はジャズイーリー教団
開+且はマーウラーイ・アリー・アッシャ
リーフ
近代イスラーム国家についての一考察
J
l
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一一一一ー ムヲ y ヒド絹
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ーーーーー一
フラノス保謹動
アラウィ
/
匡三
ヨM
マ リ - /制
矧
大アラプ?グリプ
)
.
.
-・
__
J
)--
Eコ
ー
析出のコア
エリア
ri;.:':'~&/~
r'.1iアトラス山脈
乾 燥 指 数 叫 lの 酬
主要胡f,市
F
フェス
M マラクンユ
図 1"
図2
の所産といえる 。
て rn~ とされている l ら ここでは、乾燥農耕の成 立
2)諸王朝の領域境界が収束する周辺地域一上のコ
可能性という観点から、モ ロッコの領域性について
ア ・エリアをとりまいて、とりわけその東方に諸境
更に検討する。そして次にこの歴代王朝析出のコア・
界線の収束帯がある 。その収束帯は、そこから南西
エリアがどの ような生態基般のヒに成立しているか
方向にも延びる 。その結果、棋線によって表された
について検討する 。乾燥地帯における農耕ひいては
コア ・エリアを取り岡むゾー ンが形成されている 。
j
¥
j
i
.
蹴 をしないで少ない天水を
村落の安定的展開は、 i
ここ は、コア・エリアに基盤を置く、歴代の王朝権
土嬢水分転化して保水し、農耕を宇1
・む乾燥農耕が成
力が、その外部版図と して支配して きた地帯にあた
立が可能か否かよって大きく規定される 。モロ ッコ
る。 コア ・エリアをモ ロッコ史の 〈
中心〉地帯とす
と同じく第 3紀抱山山地地帯に属するイランとアフ
れば、ここはその 〈
周縁〉地新となる 。モロッコに
ガニスタンでの調査によれば、乾燥農耕はマルトン
成立した王朝 ・権力は、この (
中心>-(周縁〉関係
0前後の範域で成 立するという
ヌの乾燥 示数叩1
を内包する形で領域編成を行ってきたのであった 。
モロ ッコの主要地点について同示数を算出して 示す
210
このように 、歴史を通じて 、政治空間の編成におけ
と、図 2のとおりである 。それは、高アトラス山脈
る (
中心)
一〈周縁)関係の明侃な析出 がみられるこ
以北 の高位および低位平地を恋 って l
ムがっており 、
と、それがモロ ッコ史の大きな特質であるといえる 。
1~11 で検出した歴代王朝析出のコア ・エ リアがその
さらに言 えばこれは、 モロ ッコ史上の政治空間が安
巾に包摂され ることを 示して いる 。
定的な空間基盤、いいかえ れば「地域統一
」 された
「巾原」の地であるコア・エリアは、乾燥農耕が
「
領域性」 をもっ空間に基盤を置いて生成 ・展開し
可能という恵まれた生態的基盤の上に成立している
てきたことを意味してい よう。
ことになる 。 この生態条件を歴史展開の空間的一致
この (
中心〉一(周縁〉関係にもとづ く安定的な領
を~,~fflf:として、モロッコの安定 的 な 「 領域性 」 が成
域編成の原動力は 〈
中心〉 より発せられる 。ではな
立しており、それらがゲルナ ーのいうモロッコの中
ぜ 「中原jすなわちコア・エ リアが、モロッコ史を
心一辺境の相補的関係を生み 出 す~閃なのである 九
通じて安定的に析出されてきたのかということが問
つまりモロ
題となる 。その安定的析出の基盤として生態条件が
統一
」 と 「中原」の地であるコア・エリアとの重合
大きく動いていると考えられる 。
という ことを特質としている 。
d
ryf
a
r
m
i
n
g)
乾燥地帯においては、乾燥民耕 (
y コの安定性の基盤は、生態的な
「
地的
また図 1に示した大モロッコ主義ともいえる 「
大
すなわち 「
乾燥気候下 において 天水(降水)のみを
アラブ・マグリブ」の徒 1日がある 。同図には、その
もとにして、無 i
産税で:'1'う1
2耕Jの成立可能性の有
r
境界を具体的に提示している 同主義の代表的論客ア
無が (
生態一文化一社会一国家〉 複合の形成におい
ッラ ール ・ファスィーの大アラブ・マグリブの範域
人間文化・ 2
1
近代イスラーム国家についての一考察
を示した。その線は、地 r
l
'海沿岸では 2)で述べたモ
この問題は、 「
領成性 」検討のためのもう 一つの
ロッコ史の (
周辺〉地帯を外縁とするが、そ こを除く
重要な問題へと導く 。 それは、「領域性」が先述の
と諸王朝 ・権力の 〈
周辺〉地帯の境界を越えてはる
〈
生態一歴史民間〉 だけでなく、異質な (
エスニシ
か南方のサハラ砂漠西部をも 包括して主張している
ティ ー文化一社会〉をいかに統合して成立している
/
.
1
:
、に特徴がある 。大モロッコ主義は、モロッコ史上
かの問題である 。モロッコにおけるべルベル集団の
故大の版凶を誇ったムワッヒド i
i
V
j
の支配領域を根拠
存ィ主は、 この問題を検討するために重要である 。
として Z
i
iられるとされる 。 しかし、図 1は、この 言
説が全く根拠のないことを示している 。同図で点線
1-2 ベルベル人.多様性の要素
で示したムワッヒド朝の版図と黙線で示した大モロ
ベルベル人とはサハラ砂漠を含む北アフリカ先住
ッコ主義芥の主仮する範域とは一致しない。後者の
民族の総称である 。彼らはいまでは諸集団に分化し
純域は、先述したように 、南方に大きく延伸 してサ
ているが、かつては同 一の言耐を共有する集 │
す│
であ
ハラ砂漠を含んでいるところに大きな特徴がある 。
ったと考えられている 九 しかし現代では、この地
同図が示すように、この広大な南方地帯は、モロッ
方の征服民であるアラブ人ではない者を指し、歴史
コのどの王朝も安定的 ・持続的に版図としたことの
を通じて非アラフとしてアラブ人との対立項として
ない地域である 。ではなぜ ここ がモロッコを冠する
捉えられることが多い。その人 u
は剖査の仕方によ
大モロッコ主義の名の下に、その範域に合み込む 71~
って変動があるが 、 6
0万から 1
60万人と言われ 21、
で主張されるのであろうか。その問いへの答は、モ
居住範凶はマグリブおよびサハラ砂漠全滅に及んで、
ロッコ史にお けるもう
いる 。
ー
つの隠れた対抗勢力の存在
に求められる 。それはベルベル人集団の存在である 。
モロッコではベルベル系人口が、全体の半数弱を
やや
ジ
可
,
.
.
.
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件ーマ-i,
由-
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コ
町
村
崎
- •- • - I
n
l
e
m
a
t
i
o
n
a
l
岡 山由,.,
図3
22 ・人間文化
ベルベル系人口の分布笥
近代イスラーム国家についての一考察
I
'
iめると 言われている 。彼らは、 かつて共通1'
1祁が
y コにえ;
自
己
的王朝を樹
I
Lしたアラブ人たちは 、ベル
l
t
あったとしても、現在で は異なったベルベル系 I干J
ベル人集 I-J I を友~[と 抗争 のい ずれか によ っ て対処し
をj
日いている 。 その言語は 、 3つのグル ープに大日J
I
た。 いいかえれば、アラブ人にと っては、ベルベル
される 九 話者人口が最も多いタマジクト ・グル ー
1
は軍事的にも政治的に も対抗的な当事者的存
人集ト]
プは、主に高アトラス 山脈 を '-I'{,とした 山地,~I\ に広
在なのであ った。 しかもその当事者は離合集散の繰
がっており、
f
i
司
?
i
人1
1がこれに次ぐアマジクス
・グ
り返しの '
1
'で友好にも 抗争にも 立坊 を変えていく存
ループは国土の北点音
S
f
の リーフ山脈 を中心と した 1
1
1
在であ った。 こう した │
刻係が歴史的に持続して繰り
地地倍、タシュリヒ ート・グ ループはス ース地 )
jか
l
[
1
Jにもベルベル人集団をモ
返されるとき 、アラフー人 l
Jと
「
領域性 j をもっ歴史
らアンタイ ・アトラス 山脈地域 を、おのおの主たる
ロ ッコという 「
地的統
}
,
t
f
i
t:!ili域としている 。それぞれのグループの '
1
'には、
F位単位として複数の部族を包似している 。育
¥
1
族の
1
ミまれてくる 。
の紳介における共演名という;怠識が '
構成原理には父系の 出自観念などによるものや地縁
これ は、、1事者意識の j
l1:仮と吉 い換 えてもよい。
「大アラブ ・マグリブ」論に立つ大モロッコ主義
的な帰属観念によるものとがある 。古
¥
1
族の下位に},f
i
が、1"1らの領域として主張する範域が、暦代王;
i
羽
・
する氏族 (クラン )の成立原 '
l
l
l
は多機であり、また
権力の版図よりもはるかに広大であること、そして
生業も土地によって遊牧から出羽│
へと多様である 。
広大が南阿 J
iのサハラ 地方を 合む形で主張され
その J
やや詳しく 言 えば、イスラーム勢力がマグリブに
ていることについて先述した 。その 1
'
1
:娠主張地域が
進出した 8世紀をとると、この 3弓話グループごと
ベルベル人の居 j Uilr':I~; なのである 。 ベルベル人集問
に軍事的 ・政治'
1
1
0勢力が成立することはなく、
に対 してアラブ人がもっモ ロ y コ史における共泌
ー
つ
の有力な部族 ・氏族共 同体が存紅していた。つまり
お ・、
i
''
H-J1f意識が、 I
,
;
J
地慌の大モロ ッコへの編入と
阿部と地中海からアンタイ・アトラスにかけてはマ
いう ì:_')l~ の恨 J~ にある 。 こ の ように 与えると 、 ベル
1
ヒ
1
#
1
¥
から南部にかけては
スム ー ダ族、平野地以外の ;
ベル人集 r
l
:
l
というモロ ッコ史におけるいわば憶され
サンハ ー ジャ族、 北京都のマ ウルウヤ谷にかけては
:
が、大モロ y コ
I
:
"
.R1
'
1
0主娠においては顕在化
たイ[
イ1
ザナ ー タ族という 3集 団であ った
したイf化へと立場を変えるのである 。
その後 1ぷで、
示したように 、サハラ南西部のサンハ ー ジヤ族系の
i
Y~t1 な当事 tf J
としてのベルベル人集同の雌固
ラムトゥ ーナi
l
主によるムラービト':UJ(l 056~ 1
1
14
7)
、
たるイfイ1・は、 1~UJ なスルタ ーンが他の者1
1
市や土地を
アトラスのマスム ー 夕、族 系の ムワッヒド朝 ( 1l 30 ~
文配 1
'
においても、彼らの支配領域が実質的な部族
1
2
6
9)、そしてマウルウヤのザナータ族によるマリ
ー ン朝 ( 1269 ~ 1
46
5) というベルベル系 E朝がアラ
¥
'
1
¥
族1'1治領にあたる 「ビラ ー ド ・
示されている 。 この (
ブ人に対抗して興 った。
アル ・シャウイヤ j では、 中央政的による支配地の
多様な結 f-;-JJU'1lに 立つ 氏族 ・ i~IS}j矢集合体にしは、 し
f
i符!として近代になるまで残存していた ことにも
'
11i
.
s
なり、スルター
「ビラード・アル ・マフザン 」 と
J
'
ば見られるように、ベ ルベル祐部族も人間集│
正l
全体
ンに税を納める義務を í~! っ ていなか っ た 。 フランス
としての結合力が乏しかった 。 その社会的編成は、
保護領政府は、このような部族とマフザン体制下の
多様な原理にもとづく分節構造 の優越によ って特色
人々の 産 異に注目した 。 ベルベル勅令 仰はベルベル
づけられている 。そのため 部族レ ベルをと ってみて
とアラ ブの分割統治をぷ│
記│
しており、 l
i
j
i者にのみイ
'
1
'
,
JJ~ が妨げられてき
もそれを統抗 するリーダーの ,
スラーム jよから I~t 似 il への移れ j白 川 が決定された 。
た。つまり同レベルの結合単位 (
例えば│
司部族│
人
l
の
クランなど)同
1
:
では、状況に応 じて協力と対山:を
x uこ、それぞれの勢 )J
繰 り 返 し この離合集 I
f性の
の均衡が保たれていた。 そしてまた、より
u
立のレ
ベルでも |司 じように絶 対的な権力 の i1', fJ~ が妨げられ
ていたのである へ
このことは、対アラブ関係においてもみられた 。
1-3 イ ス ラ ー ム 統 合 の 要 素
ではどのようにして、 この対抗的 、
i
l事者であり、
宍'
fな 〈エスニシテ ィ 文化一 社会〉保持者として
のベルベル人集同の統合が可 能とな ったのか。
この川いへの解終として、最もili:'t!なのは、イス
ラームである 。ベルベル人は JC来キリスト教徒であ
ベルベル人が一 I
J
'
I
となってアラフe人に対抗すること
ったとし寸伝尿をも っているが、 71
:
1
紀と 1
1世紀の
はほとんどなく、税アラブ勢力と反アラブ勢 )
Jに分
大規校なアラブ人の米 jl
e
と支配 勢 力 化 を契機とし
かれて反 日しあう ことが多か った九 このためモロ
て、イスラ ーム化が進んだ。彼らは 今 1
1
ではほとん
人間文化・
2
3
近代イスラーム国家についての一考察
ど全てがムスリムとなっている 。モロッコ史上、彼
った 。 このうちモロッコで最も力を持っているのは
らが樹立した 11-12世紀のムラーピト朝にしても、
カイラワーン学派である 。 同学派を代表するのは、
またムワッヒド朝にしても、ともにイスラーム化の
アブドウ ・サラーム・サフヌーン (877-?) JIで
積極的推進を王朝の基本政策とし、これによってベ
ある 。彼は、カイラワ ー ン3:!で最初のマーリク派の
ルベル人のイスラ ーム社会への参入が広汎にみられ
裁判官となった後、同市のモスクなどからハワ ー リ
るに至った。 イスラーム化は普遍的文化的な動きで
ジ
‘
ュ 派やムウタズィラ派を追放し、それまでの 主流
あるので、民族のカテゴリーを l
凌l
床にする 。 ここに
であったハナフィ一派を第 二位の地位に追い込ん
征服者アラブ人と先住民ベルベル人という関係性は
だ。彼と向時代のアグラブ朝 (
8
0
0
9
0
9
) でのマー
持続しつつも、イスラームによる両者の結合が成立
リク派優勢の状況は、同王朝がファーティマ朝に滅
する 。 アラブ人とベルベル人との政治的対立 ・抗争
ぼされるまで続く 。
" 当時サフヌーンの名声はマグ
は歴史を通じてみられたが、他方ではイスラームを
リブだけでなく、アンダルウスからも弟子をひきつ
ねl
帯とする両者の結合は強固なものへと成長してい
けたと言われる 。しかしカイラワーン学派の影響は、
った。 たとえばフランスはアラブ人とベルベル人の
イドリース朝下のフェスにまで、広がった九
差異を強調して、ベルベル勅令などによって代表さ
シーア派を泰じるファーティマ朝支配下のカイラ
れるような分割統治政策を採用しようとした。 しか
ワーンではマーリク派の弾圧が起こったが、マーリ
しアラブ人とベルベル人の問者からイスラーム的連
ク派は頑強な抵抗運動を展開し、被征服抑圧民に抵
帯にもとづく反発が起った。その反発が、独立 を目
抗の論拠を提供したお
。 その過程でベルベル人が集
指すナショナリズムの生成 ・展開への原動力となっ
団を統合する契機となった。 その後、マ ーリ ク派が
た。 こうしたイスラームを紙幣どするアラブ人とベ
ムラービト朝・ムワッヒド朝の体1I
l
j
J
宗派となり 、唯
ルベル人の結合が、大モロッコ 二
正義にも とづく広大
一の正統派としてその後全モロッコに広がることに
な領域主張の背後にある 。 では、イスラームのどの
よって、それによる統合契機をますます強固なもの
ような要素をもとにして、元来は文化・ 言語・生業
にした。
などを異にする両集団の結合が可能となったのであ
① スーフィー・聖者信仰
ろうか。 イスラームは単なる宗教ではなく、生活か
イスラ ーム世界に多くみられる聖者は、クルアー
n
J
I¥長では
ら政治 ・国家形成に至るまでの多様な要素を含んで
ンの
いる 。 それらのすべての要素が、この結合の成立に
「
干
1
1
1に近い人 J
Jである 。 しかし現実にはこれらの聖
それぞれかかわっている 。両者の結合においてモロ
者は 、奇跡や偉業など何らかの意味で常人離れした
ッコで重要な意味をもったものとして、マーリク法
撃性を体現するとされ尊敬の対象となっている 。モ
学派、スーフイー ・聖者信仰、シャリーフの三つを
ロッコの聖者は都市や村落にも守護聖者として存在
「ワリー ・アッラー (
w
a
l
ia
l
a
l
l
a
h)=
取りあげる 。
し、望者廟は遠くセネガルなどから参拝者を集める
①マーリク法学派
有名なものからその村だけの信仰の対象となってい
スンナ派四法学 (
ハナフィ一派、シャーフィ一派、
るものまで幅広い。聖者には奇跡を起したというよ
マーリク派、ハンバル派)のなかでマーリク法学派
うなもっともよくみられるケースから、殉教者、修
は、かつても現在もモロッコ・アルジ、エリア・チュ
行や清貧さで有名なシャ イフ 36、または信心深さや
ニジアのいずれにおいても多数派を占める 。 これら
イスラームの知識の深さで著名な者など幅広い人格
の地方では、民衆の反体制運動もまた体 m
l
J
側のそれ
を含んでいる 。 アラビア語の識字能力において劣る
への弾圧も、とくに共通して同派の学説に論拠をお
辺境部族社会では、イスラームの正統言語であるア
いてなされる 。 これは、同法学派がモロ ッコにおけ
ラビア語で書かれたクルアーンやイジュマ ー"より
る諸集団のイスラーム的統合の共通基盤を提供して
も、聖者が自ら詰る口説の方がはるかに理解しやす
きたことを意 l
床している 。
い。そこでこの口説による説明がより正統なイスラ
同派の祖マーリク ・ブン・アナス (
7
1
0?-795?)
ームを 示すものとして採用さ れることになる 。聖者
は、数多くの弟子を育てたが、この弟子たちの多く
リネージがイスラームを表象するとともに、部族的
が故郷に帰って彼の教えを広めた。その過程でマー
文節社会に欠如している調停の法システムを提供す
リク派は、カイラワーン学派、アンダルシア学派、
るのである
また、近代においてスーフイー ・シャイフたちは、
東方(イラク ・エジプト)学派に分かれることにな
24 ・人間文化
近代イスラーム国家についての一考察
フランスに最初に抵抗運動を開始した人々でもあ っ
のが仲介者として重要な役割を演じる こと ができる
た。マンソンによれば、一方で抵抗運動に受身的で
のである 。 このことは都市部においても妥 当する 。
あったス ーフイ ーの中にもイスラ ーム 改革主義者が
都市部でも辺境でも、前述したウラマ ーやスーフィ
存在したという へ これは、イ スラ ーム 改革運動が
ーやシャリーフなどがイスラーム的コンテクス卜に
モロ ッコにおいてもナショナリズムを鼓舞する 一因
おいて最も重なっている人格 に正統性がおかれ、そ
となったという意味で、彼らがナショナリズムへの
うした人物が望者として崇拝の対象となる 。 こうし
過渡期を作った人々でもあったということである 。
た聖者崇拝が、モロ ッコのアラブ人が多く住む都市
そしてまた、 このような 人々は同 時に、 しばしばウ
においても、またベルベル人の居住地である辺境山
ラマー (
マーリ ク派の)でもあった。
地部においても共通してみられる ことになる 。聖者
③ シャリーフ
モロ ッコにおいても 、預言者の子孫であるシャリ
は自らの口説を通じてイスラームを最も理解しやす
ーフ の血統の保持者を高貴とする状況は存在し 、ハ
都市と山地に共通する聖者崇拝はモロ ッコの結合実
サニー・シュラーフ ァ(
1第 4代カリフ ・アリ ーの怠
現への重要な鍵とな っている。
い形で提示するという役割を果たすことによ って
、
)
が尊重され、その中で
子ハサンのシャリ ー フ一族 J
このことを只体的に示すのがモロ ッコ各地におけ
もフェスの十且であるイ ドリー スのシャリーフカfより
る重要な聖地都市が成立である 。 その聖者廟を拠点
名門とされてきた。 そして彼らにも、共同体の指導
として、地域一帯のイスラ ーム的結合が展開してい
者的また仲裁者的役割が期待 されてきた。 アラウイ
る。型地者11
¥
1にも、 1
f
t
言者ムハンマドの血統をひく
ー朝 のシャリ ーフは、ハ サニー ・シャリ ー フを名釆ー
シャリ ー フが今なお存在し 、彼 らの存在がイスラ ー
り、前述したように最初タフラウ ト
、 シジルマ ーサ
ム的結合実現への重大な要素となってきた。
を拠点としていた。 シジ ルマーサは、 諸王朝のサハ
ラ貿易の重要拠点となったところであり、そのこと
E モロッコ国家をいかに理解するか
でまた彼らの権威を高めた。 さらにシャリーフの血
4:~では、イスラ ー ム性と国民凶家論の 二 つの立
統に 「
パラカ(神の恩寵)Jをもたらすものという観
場から現代モロッコ国家をいかに捉える ことができ
念とも結合し、 これ らがあ いま ってシャリーフのも
るか、について考察する 。周知1
のように国民国家は、
つカリスマ性がベルベル入社会にまでも浸透してい
領土、国民、主権の 3つを成立要件としている 。前
った。 このシャリーフへの共通認知もアラブ、ベル
章では 、歴史的展開とその生態基盤の分析から、モ
ベル両社会の結合の成立に重要な役割を果たした。
ロ ッコが 「
領域性」 を持 った空間を形成してきたこ
以上、モロ ッコに統合体としてのまとまりを与え
とを指摘した。 これは、モロッコが安定した 領J
或を
ているイスラ ームの重要な要素をとり出して、その
!
歴史的に保持してきた同家であることを意味する 。
簡単な解説と意味付けを試みた 。これ らの諸要素は、
また、イスラームとその椛成要素を紐帯として、ア
それぞれが独自の意味をもちつつ、イスラームとい
ラブとベルベルの両社会が結合されてきた過程も分
う総体を形成している 。 とりわけモロッコのイスラ
析した。 これは、国民としての結集要素がモロ ッコ
ーム的生活においては、 これ らのなかでも著名なウ
において保護領化以前から実現されてきたことを意
ラマ ーやス ーフ ィ一、E
望者への個人的崇拝がとりわ
味する 。 この ように前詳の分析は、モロ ッコが領土
け目立つと言える 。王朝が体制似l
の宗派を保護して
と同民に関しては、国民同家の成立要件を歴史的に
きた都市部では、政治力を持ったウラマーやス ー フ
も保持してきたことを示している 。本主主では 、主 に
ィー・ シャイ フがその崇拝対象となることが多かっ
もう 一つの国民国家の用件である主権にもとづく統
た。 これに対して辺境では、 ゲルナ ーのし、うように
治について検討する 。 そのために主たる考察対象を
分節的な部族社会に悶有の仲介的役割 を担い、その
主権回復後つまり 独立以後に限定する 。 しかしもち
公正 ・清貧さで信頼を集めた人物が崇敬され、聖者
ろん現代のモロッコ同家を国民国家としてのみ把握
となることが多かった。 これは、 多数の音I
1
族が複靴
することは不可能であり、国家のイスラ ーム牲につ
に作用しあって政治的均衡が保たれる部族社会とい
いてもあわせて与察して L、
く。
う特質が必然的に求める 聖者像である 。 人格やイス
ラームの知識に加えて、ウラマ ー /スー フィ ー /聖
者 /シャリ ーフ 信仰が同一人格のなかに習合するも
5
人間文化・ 2
近代イスラーム国家についての一考察
I-1 モロッコ国家のイスラーム性
ール・アル・ムウミニーン
(
f
信徒たちの折将官 J
)
J、
ウンマの統ー を象徴し、国家の水続と継続の保証者
「イスラーム国家 j の原理は、 l
主│
家統治の正統性
(
dh
加l
i
n)
、宗教を保護する{示談者 (
ham
i)、憲法尊守
をイスラ ームに依存していることである 。 しかしこ
の監視者 (
sahi
r)であり、国 民 (
muw言t
a
n
in)と諸
の依存の仕方は地域性によって多様である 。モロッ
機関及び諸組織の (I
I
J
:
Iと権 利 が保全されるとする
コの場合は、歴史を通じてこの地域に存在してきた
(
第四条)
。
イスラーム的制度や概念が現体制による制度的整備
シャリーアと憲法の関係に関して、モロッコ憲法
にしたがって、 ミ
E権に特化してい く傾 向を促進して
は 2つの特徴を持っているといえる 。第 lは上記事
いる例である 。
項の明言 によって、シャリ ーアに逸脱する政策に関
① シャリーア
して不文律の制限を設定することを不可避にしてい
ここでは、現代におけるイスラーム的制度の機能
ることであり、第 2には既述のように、支配者 (
ス
を考察するために、シャリ ーア (イスラーム法) と
ルタ ー ン)の権力にも制限を加えたということであ
憲法をモロッコの例でみていく 。 シャ リーアは現世
る。 国王自らが成文規定したこの憲法条文は、それ
における人の道、神lの命令であり、ムスリムである
まで無限定であった支配者の給力の範闘を I
l
j
J
慌にし
限り従わなければならない規範と されている 。 しか
ており 、 イスラ ームの庇護及び尊重を国王が国民に
し、イスラーム世界においては、シャリーアと芯法
誓う形態になっている 。 それは、前述の立 l
床で憲法
の関係に関して、立見が分かれている 。 シャリーア
に規定はなくとも、シャリーアの実践を 1
:1'1王が誓う
がムスリムにとって最重要の規範であり、憲法が近
床をもっ。 この点において、モロ ッコ ;
!
i
.
r
.i
去は一つ
立l
代国家にとっての最高法規で、ある限り、現代におけ
の 「イスラーム国家」 の形態として、独自のイスラ
る 「イスラーム凶家」の究僅的理想は両者の一致に
ーム性の確立を目 指している 。
ある 。 しかし現実にはそれは困難である 。 これに│刻
② シャリーフイズム
して、近代 j
去に優先して厳格にシャリーアを実施し
現在のモロ
7 コ王家にあたるアラウイー」三
家の統
ていく意見と、 「
近代化」 に対応して世俗的・現代
土│
に、預言 者の子孫としてのシャ
治を正当化する理 l
的な憲法を編成する立見を両極として様々な 議論が
リーフの l
U
l統がある 13。 しかしこの点に │
羽しては変
されている 。結果としては、政治的領域ではほぼ近
化がある 。 国民統合要素として王家のシャリーフ性
代j
去を基にして、民法などではシャリーアや'慣習法
は重要な役割l
を果たしているが、それを政治的に動
を恭にして、折衷的法体系ができあがっている 。 ま
員す るようにな ったのは新しい。モロ ッコにおいて
た、この法体系においても、もちろん各国の政治体
は現王家に加えて、地方豪族や都市商人などの伝統
制
、 宗派的状況や廃史的背景によって多様性を示し
的な支配階級も存在した。独立当初jにおいても、彼
ている 。
モロ ッコでは、憲法の序文には同 1
[
1
が 「イスラー
らの力は持続し 11、それを抑えるためには、王家の
I
I
f
l
統の主張だけでは不十分であった。 そのため、そ
ム国家」であることを、また条文にはイスラームが
れに加えて政治的操作が必要であった 。
日 正権は、
同教であることを明記している 九 シャリーアの実
社会主義勢力、ナショナリスト勢力、そして伝統的
践については{nJも触れていないが 11、「イスラーム
勢力という諸対抗勢力が相互に争い衰退していくと
国家」としてそれは自明のことであるからであろう 。
いう状況においてへ単独に権力を保持する ことに
また 主権に │
刻して、ウンマ ロに属する主権の行使が、
成功し、仁│らを 「
最も 高貴な家柄」の後継と位置づ
│
卦民投票によって直接的になされる場合と 、f
'
t
(
i
.
去に
けていった。 シャリ ー フの家系が多く存在するモロ
定められた機│
立
l
によって間接的になされる場合があ
ッコにおいては、これは賢明な j
i
攻略選択であったと
ることを述べている (
第 2条)
。 これは、真の 主権
も言える 。
が事 1
1
にあるというイスラームの問有の思想を前提に
③ ウラマー
歴史的にイスラーム世界では 、 ウラマーは支配者
がウンマを率いるにふさわしいお-か否かという 「イ
して、その行使権がウンマにあるという解釈を反映
するものである 。 さらにまた法律 (
q
a
n凪 )は 「ウン
マの立忠の表れ (
t
a
b
i
r
)Jであるとされ、全ての人
スラーム 1
"
1
家」の正統性を判断する力をね ってきた。
。
がそれに従うことが義務とされる (
第 4条)
J
1
3位のウラマーの主な役割は、スルターンの顧問と
最大の権力を持つ国王に │
刻しては、同王は 「アミ
2
6 ・人間文化
してフ ァ トワ (シャリ ーアに I
h
'
J
する怠見表明) を発
近代イスラーム国家についての一考察
すること、そしてパイアを結ぶことであった
こ
のようなウラマ 一機関は、イスラーム 的政治システ
ムの中において、支配者と 相瓦依存的関係をもちつ
後鋼電-!'íである こ との ~fi/J ~ をくり返したのだった 。
II-2モロ ッコの近代国家性
つも独立的位置を保ってきた。 だがモロ ッコではイ
N
:同家としての性絡もあわせ
モロ ッコはまた、│五I
スラーム世界のなかでは例外的 に、既に 1
9世紀から
もっている 。近代同家の 三成立要件のうち、主権に
王権の 干渉によりウラマ ーが弱体化 していき l品
、収
ついては、既述のように悲法 によ ってその国民への
王政になってからはついにイスラ ーム機関全体が凶
1
'
1接的には
帰属を保証している 。領土については、 ¥
ほぼ1
11
フランス保護領を踏襲しているが、歴史的に
家行政の統制下に入る状況にな った。
1
9
7
6年には宗教省を設立して国内のワクフ "及びウ
はその範域が領域として保護領以前から存在してき
ラマ ーを同省の管轄下に置くことが、また 1
9
8
0年に
たことについてはすでに折摘した 。残る l
司民に関し
はウラマ ーの1
1
副主的 ・分派的 な;
i
I
;
a
ゆを 抑制するため
ては、 I
'
j
c民統合の実現!
立が│問題と なる 。
に、教義に関する解釈をウラマ一委員会とその議長
既に触れたようにモロッコ凶内には、ベルベル人、
があたることが勅令によって公布された。 しかもこ
アラブ人という大きな 2つのエスニ ックなカテコリ
の委員会の上位に位置する高等ウラマー委員会は、ハ
がさらに綱1
1
かく ;
'
;
1族単位にま
ーがあり、前者の介イE
サン 二世自身が議長を務めることになった% また、
で分かれる 。 しかし U
句集同の歴史を辿じて培ってき
古くからウラマ ーを輩 出し てきたカラウィーン大'ア・
た統イ?をさらに強問なものへとしたのは、独立運動
も改革され、同大学は従来のイスラーム学だけでな
日
!j
に、アラブ、ベルベルの I
U
V集 l
刊が敵 (フランス )
く、他学部も備えた総合的高 等教育機│辺とな った。
とl
味)
j(
スルターン ) を:
!
H
--iしたことであ った。 そ
④アミール・アル・ムウミ二一ン
のl
味方のシンボルが、フランス保護領政府に抗議し
u
歴代 「カリフ 」の称号と共に J
ll
いられてきた 「ア
1
.
¥
'
)日 位 を 追 放 さ れ た ム ハ ン マ ド 尺 世 で あ っ
てー1
従たちの指-I
f
l
i
'
I
;
)
J
ミール・アル ・ムウミニ ーン ,
{
(i
た。 till点した人々はフランスへの抗争の記憶を共有
の称号は、イスラーム世界において伝統的にウンマ
することになり、 1
,
1
;じ!絞!とを共有したおーとして 一回
の軍事権を持ちうることを意味する 。 モロ ッコ│
五
I
T
統令されてし、く 。つまりモロ
もこれによって、自身が正統な 1
q
"T
L
I
泣尚指揮 uたる
¥
I
i
述した :
W{í'1,~' 作11 などのイスラーム的契機
である 。 j
ことを明示するために、これを出法 I~, に条文 化 して
にくわえて、独立:ili助どいう政治的契機が 「われわ
いる 。
¥
;
:
, また、モロッコ国王へのバイアは、スルタ
J
c
j民への次元変換を用立したの
れ」立織の氏族から I
y コ同氏としての統合
ー ンへのウンマのパイアというイスラーム世界の慣
である 。 このように (
1明の領土、主権にくわえて国
E統
習を引き継ぐものであり 、国王のイスラ ーム的 I
民統千
?
と い う観点からも 、モロ
性の強化 に役立っ ている 。 ここではモは、バイアと
件 を il~) たしていると 45・えられる 。
「アミ ール ・アル・ムウミニーン 」 というてi!i:のイ
スラ ーム的シンボルによっては、モロッコ共 l
,
i
1
f
.
本統
y コは同民国家の要
I-3 モロ ッコの両義性
合のシンボルとなる 。 フ トパ刊こ │
刻しでも、モロ ッコ
1
J
j
H
tのモロ ッコの 1
.
;
1
家体制をいかに f
虫解するかと
1
'
1
1
1
1裁量 に委ねられ
では、当該モスクのイマ ームの :
いう問題を考えていくために、本論文では 3本の柱
E誕生 1、それに犠牲祭
ているが、即位記念 │
二
│
や同二
を!
J
J定した。 第 1は 「イスラ ームI
'
R
I
家」 としてのモ
などの国家的及びイスラーム 的祭 けのけは、その l
人l
ロ y コというれーである 。第 2のれは、
1
1
'1民同家とし
I
の士権の
符が政府から指定されている 。 また、祭 F
てのモロ ッコである 。 そして第 3は、この 2つの国
1
1は、モ
行事は大々的な報道の対象となり、ハサン ー 1
家像を !~.:ì.t;j,\1 定を通じて体現してきたハサン二十せと
スクで、
祈り 、父王ムハンマ ド五l
I
t
J
4
!
i
に詣でたり、
"
"
'
J
1
立
のウラマ ーたちを I
Jえさせて説教を│剖く自らの安を
メディアに流したりした日
。 それらを通じて、
JHH
本
を率いるにあた って最もイスラームへの深い J
1
!
J
Wf
.
と
いう
の
r
権保持者 j長政治的リ ー ダーの存伝である 。 こ
3+の性を 1
正
取h
として、現代モロ ッコ同家が成立
していることについては民論がないであろう 。 問題
は、これら 3本の柱が中1互にどのように関連しあっ
信仰のある者、いいかえれば文'[
:通り 「アミール・
て現代モロ ッコド│家を形成しているか、ということ
<
アル・ムウミニーン 」 に相応 しいおーであることを 111
である 。 この問題をめ ぐっ ては、ハサン
民に顕示していた。 こうして岡下は、改革を 1
1
折す
;
(
Uとして捉え、イスラーム国家また同氏国家とし
けれども、あくまでも「イスラーム │
玉
│
家 Jの正統な
ての出念の強調は、その絶対王制 の本質を隠蔽する
e
世を絶対
人間文化・ 27
近代イスラーム国家についての一考察
ためのものであるとの批判が国内外にある 。本節で
持っていたス ーフイ ーや聖者の地位を低下させ、フ
はこの批判を中心に、考察することにしたい。
ランスの 内政干渉が始まってからは接夷論として独
①モロッコ王制の意昧
立運動のイデオロギーの一翼を担った。だが、モロ
モロ ッコ王権のイスラーム的背景についてはすで
ッコにおけるこの迩動がスルタ ー ンを支持したため
にふれたので、ここではそうした 王制と国民国家と
に、結果としては中央集権化と共にアミール・ア
の補完性の問題に論点を絞ることにする 。国民国家
ル ・ムウミニ ー ンの正統な後継として、新政権を承
と王制の両立が可能なのは、君主制国民国家が世界
認させる こととなった。
中に存在することからも明らかである 。モロ ッコに
モロッコ王制 には、地域と合体したイスラ ーム的
おいても 、両者の整合性は、まず王制が伝統的なレ
要素という固有性に加えて、近代イスラ ーム改革運
ジテイマシーを維持しながら、国民国家成立の要件
動とも適合したという特質があるのである 。
たる 「
近代性」も合わせもっていること、また国王
②イスラーム改革と民主化の問題
が国民統合のシンボルとしての位置を保持し、多民
モロッコ王権は上記してきたように近代田民国家
族状況特有の文化問、集団 │
問、地域聞の対立にお け
制度と同 化 し、揺らぎない存在であるようにみえる 。
る諸アクタ ーのパランサーの役目を果たすことなど
だが、正にこのことによって憲法とシャリ ーアによ
によっても 示さ れる 。 しかしこうした状況は、たと
る二重の規制を受ける 。独立初期において行政が王
えばヨルダンなどのイスラーム 王制国家にも共通す
によって統括 されねばならなかった事実を指摘した
る特質である 。
が、ここでもイスラ ーム的特質を指摘できる 。それ
しかしモロッコの例で重要なのは、次の 2点であ
は、専制を許さないイスラ ームにおける支配者認識
ろう 。第 1点には、モロ ッコの同民国家性が同地域
の存夜である 。第二次大戦後のイスラーム世界にお
に歴史的に存在した構造と終合していることであ
いて王制打倒が相当数の数でみられたのは、この意
る。 これはイスラ ームを基憾としているために絶対
識の存在の故であった。モ ロッコ 王家 もこれを自覚
権力の存在は認められない。 この整合性として指摘
J
j
Iの規範としている日。 だが、
して、自らの行動規i!
できるのは、 主権概念に関してであり、近代国家君
イスラ ームは常に現状変革を求める 一面をもち、ま
主 とイスラーム共同体のリーダーとしてのスルター
た民主化は君主制を泰じる近代国家でも避けられな
ンとの存在住1:の一致ともいえる 。前章でみたように、
い。つまり王権がイスラ ーム化 を進めれば進めるほ
モロッコの場合主権概念は近代法治国家の形式をと
どに、また改革を 宣言するほどに、これらの運動も
っており、国家における最高権力は主権をもっとす
強くなるのである 。
る国民にあり、国民はそれを慾法を介して政府に委
独立以降のモロ ッコのイスラーム改革運動は、世
ねている 。その統治権が、実│
僚には憲法で大きな権
俗化した王制の現状を攻撃し 、 より 真正 なイスラ ー
限を与えられている王権によ って執行される場合が
J
Iのレジティマシ ー
ムの実現を目指し、モロッコ王1
I
,
多いので、王が事実上の治者となっている 。 この王
に真っ向から対立する 一面をも っていた。 ムスリム
権の大きさについて多くの批判がみられる 。しかし、
としての存在の正統性は、イスラームが要求する行
統治の正統性の判断根拠をシャリーアにおいている
動の実践のみによって保持される 。王権が改革によ
こと、つまりイスラ ームにおける行政権者としての
って モスクやウラマー 、 タリ ーカなどを自由に統制
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1
j
カ
スルター ン制の概念を王将;の恋意的行使への t
し待ても、この正統性を得たことにはならない。 ま
として堅持しているのである 。
た、民主化運動は、同時に教育や権利意識の増大に
第 2点に、王権と国民国家の関連について最も重
よって 、都市音1や知識人層を中心 に展開される 。そ
要な要素と考えられることは、近代に起こったイス
してまた、慢性的な経済停滞が底辺からのこれらの
l
]
I
立以来のイスラームを堕
ラーム改革運動である 。 r
運動に拍車をかけている 。
落し逸脱したイスラ ームとして、預言者とその教友
このように、イスラ ーム改革と民主化がモロッコ
たち (
サラフ )の世を理想とみなして現在のイスラ
国家の構造的矛盾から発生している 。既述したよう
ームのあり方を改革しようとするこの思想は、既存
に、王権は、深刻な国内問題に対して対抗勢力の分
の王朝や支配者を失墜させ新しい世を創造しようと
断と両者の抗争向滅を待つ政策で対処することが多
する原動力ともなった。モロッコの例では、イスラ
かった日。 しかしイスラ ーム改革主義 に対しては、
ーム改革運動が、精神的にも政治的にも大きなカを
西欧化 した世俗エ リート も民主化に反対する伝統勢
28 ・人間文化
近代イスラーム国家についての一考察
力も、独立直後に解体されてしまっている 。他のイ
本論で、対象としたモロッコの事例とイランと対比
スラーム世界とおなじく、イスラ ーム性を標梼して
するとき、このような現代イスラーム及び、 「イス
きた王権がイスラームをもとにしていかに応えるの
ラーム国家」の 「
近代的」 な調和、及び矛盾の状況
かが問われているのである 。
をいかに読み解くかということが中心的な問題とし
て浮上してくる 。言 いかえればイスラームの柔軟性
おわりに
以上本論文においては、生態的、歴史的分析によ
及び固有性がつくる地域社会が現代にどのような問
題を投げかけているのか、将来に何を呈示している
る地域性の考察、及び国家支配の考察という両方向
のかということを探求することである 。 しかし 「イ
からの分析を通じ、現代モ ロッコ国家像の解明を目
スラーム国家」が多元的で 「イスラーム国家」論が
指した。 この結果、モロッコの政治的安定性は、従
なお十分に整理されていない状況も存在する 。その
来言われてきたような歴史的主張に根拠をおいた王
ための重要な問題として、対極的とも 言 えるモロッ
権の正統性のみではなく 、王権への社会的承認及び
コとイランの比較研究がある 。本論はそのため の作
自発的服従といったことが、この地域の 「
領域性J
に
業という 一而をもっ。 しかしモロ ッコに関しでも西
深く裏付けられた 「イスラーム国家」的要素と国民
サハラ問題などで浮彫りとなった対外主権の虚構性
国家的要素の結びつき、及びそれを維持するための
とイスラ ーム的国際法の問題や、 イスラーム改革主
王権の政策的努力によって成立していると結論づけ
義と民主化運動の動向によって表されるイスラ ーム
られた。
「 アッラー ・ワタン ・マリク jの標語は、近
を奉じながらの民主化の問題などは本論では割譲し
代に調和したイスラームの現代 的側面、またそれを
たが、それらは現代のイスラーム │
主│家を論じる上で
代表するモロッコ社会の国家的状況を表していると
重要であり、:fF.~を改めて論じることにしたい 。
いえる 。だが、これらの歴史的意味を考え合わせて
みると、ここに同王国の限界性が表れているのもま
た事実である 。ワタンは現在 「母国」とも訳せるが、
本来の意味は 「
故郷」である 九 これは国境によっ
て明確化されるものでは ない。 ワタンのムスリムへ
1.第 9条には、 「
王 国の標語はア ッラ一、ワタン
そしてマリクである 」 と書かれている 。
2
.1
パンチャシラ 」 は4
5年憲法の前文にも明記さ
の回帰とア ッラーの威信の回復を目指して、フラン
れたインドネシアの 「
建国五原則」
。 五原則とは、
スへのレジスタンス運動の強固な引き金となったイ
①民族主義、 ②民生主義、 ① 国際主義
、 ④社会主
スラ ーム改革運動も、 独立達成の結果、現在その矛
義
、 ①干
t
lへの信仰である 。
は国家的枠組みによって制限されるものではなし、。
3. 1
シャリ ー フj とは元々 「高貴な人」 を指し、
0世紀以降、頂言
豪族一般を指す言葉であるが、 1
一連のイスラ ーム改革運動が最も劇的に展開した
者ムハンマドの子孫であるアフル ・ル ・バイト
先を王様に向けている 。だが、この運動もまた本来
9
7
8年王制を倒しイ
のはイランであった。 イランは 1
(
1一族の人々 J
) を指す言葉として普及した。預
スラーム共和制を体制としているが、匡l
民国家と
言者に直接速なるハ ー シム家はその中でも地位が
「イスラ ーム国家」の両立を模索をしている 。モロ
高く、シーア派においてはシーア派初代イマ ーム
ッコとは反対に、憲法においてシャリーアの実践を
アリーの息子 であるフサインの血統が重視され
掲げるイランでは、神の主権とイスラームの正しい
6世紀のサアド王朝
た。モロ ッコでは、歴史的に 1
実践を究極の白的に据えている 。 このためのイスラ
がシャリーフの J
f
l
l統にあたっていたので、サアド
ーム政府を樹立することが、革命のイデオロギーに
朝、アラウ イ一朝のことを言 った。
なっていたのだ‘った。同国では現体制のもとに、シ
ャリ ーアの現代的解釈による行政・司法・ 立法とい
うイスラーム史上最も革新的 な実験がなされている
4. 1
1世紀以降スンナ派のイスラーム君主がH
Jいた
称号。
5
.1
アミール・アル ・ムウミニーン 」 は第二代正
ともいえる 。だが、その ようなイスラームの柔軟な
統カリフ・ウマルからウンマ(イスラ ーム共同体)
時代適応性を活用した国家統治の裏で、イスラーム
を率いて戦う長の意味で用いられ、その後もイス
、 言いかえれば存在意義ともな
政府樹立目的の lつ
ラーム世界の支配者たちに使用された。モロッコ
っているはずのイスラ ーム革命の永劫性は事実上断
でも、歴代の王朝でも使われることがあった。
念している状況にある 。
6.1
慣行 Jなどとも訳せるが、 イスラ ームの教義
9
人間文化・ 2
近代イスラーム国家についての一考察
では 1
f
t言者ムハンマドの言行であり 、「ハデイ ー
ス集」 として文書化され、イスラーム j
去の解釈の
f
lとなっている 。
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7
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[ムラーピト 」 の語源ともなっている リパート
は、ス ー フィ ーの修道場を 指す。
1
8.地図 の山典は、 三浦 徹 、 東 長 端 、 黒 木 英 充
編『イスラーム 酬 究ハンドブック 』、栄光教育文
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lDictionaryofMoroccoNewEdition,
8. Munson. Henry ]
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996に
よった。
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9
. マルトンヌの乾燥示数の表す乾燥民耕の様態と
地域社会の関連の重要性については、応地
「
風土と地域」、 演 下 武志、半島
利明、
列編 『地域と
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964)
え
は何か』、1
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版社、 1
9
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7年
、 pp
.
l50-60を参照。
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.
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0.マルトンヌの乾燥示数の算出法は、 (
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年水世 (
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)、 T:年平均気温 (
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21.応地利明、前掲占:
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. ベルベル諸昔話とは、アフロ ・アジア語族の一部
おき ているか .現代世界とイ スラ ーム復興 j、平
であるが、それぞれのダイア レクトによる 相互理
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6年。
凡社、 1
解が困難な場合もみられる 。
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ク トか らアマジクスが分か れた という 研 究 があ
る。 P
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スタントの傾向が、それまでの r
ーム を逸脱したものとしてクルア ー ンとスンナを
基に 「
真正」のイスラームを求めて展 開 されたイ
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0年公布。モロ ッコをアラブ地域とベルベル
スラーム改革連動の傾向と ~i 似しており、イスラ
地域とに 分割し 、前者は従来通り シャ リー ア、後
ーム 世界におけるナショナリズムの要素も提供し
者にはそれに代わ って慣 1
司法による司法制度 を採
たこ とを言う 。 G
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刑することを決めた。 これに対してモロ ッコ国内
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で、激しい反発が起 こ り、ナショ ナリ ズム運動の契
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6. イスラ ーム初期において 、 イスラ ームに改宗し
31.後に北アフリカのマーリク法学派の主たる典拠
となった I
ムダツワナ ー (
al-Mudawwan
丘)Jの著
者。 同書は、法の叙述による立法規定で、内容は
マーリクの見解に沿い、彼の弟子であるイブン・
た非アラブで、アラブ・ムスリムの有力者と保護
カーシム・ウターキーのサフヌ ー ンへの答えを集
関係を結んだ省たちを指した。
めたもの。 カイラワーン 出身 のサフヌ ーンは、東
30 ・人間文化
近代イスラーム国家についての一考察
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tこ遊学して学 I
l
:
Jを修め 、帰郷後多くの弟チを教
としているが、それを成文法として規定していな
えた 。
去がシャリーア に
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百らして、実行する
い。 全ての j
3
2.現在はチュニジア中部に位 i
Uする都市で、イス
ラーム軍の北アフリカ征服 における軍営都市とし
との成分規定をもつのは、イランのみである 。
4
2.アラビア語で 「共同体」 と訳せるが、イスラー
tではムスリムの共同体のこと 。 モロ
7
0年ごろから築かれる 。 マグリブ最前のイス
て6
ムの教義
ラーム都市であり、その後ハワーリジュ派やムウ
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占
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:
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よ
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で、
は、国民を析す話としても使われている 。
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て政治的な不安定が 9世紀のアグラブ朝による進
4
3.4
1
)
:
{
r:国王即位記念 1の 3月 3日に新聞紙上に掲
依されるハサン 二 I
I
J:の.tE式系図は、ムハンマドの
タズイラ派など異端派がアラビア半島から移住し
都まで続いた 。 このため、フ ェスに移住する避難
娘フ ァーテ イマ ・ザハラ ーと イマ ーム ・アリ ーの
民が増え、彼らが居住を許された部分がフェスの
息
「カイロワン地灰 」 として、ここに建設されたカ
されている 。
ラウィ ー ン・モスク及び神学校の名称の語源とな
fであるハサン
・シャツバ ール から繋がりが記
4
4
. これらの勢力も独立 当初は、独立:illi動に貢献の
あ ったイステ イクラール党の主導権を認めていた
った。
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4.フェスには、イドリ ース i
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め る と 、 彼 ら へ の 反 発 が 生 じ た 。 その不満は、
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│ミデルトとリーシュ (
マイン・アトラス内 )
などにおけるア ッデ イ ・ウ ・ビヒ の反乱 、 またタ
ンとアンダルウスから難民が押し寄せ、それぞれ
フラウト地方知事 配ドにおける反イステ イクラー
の地区を住み分けて居住していた 。両地区はとも
ルの反乱などを誘発した 。 これ らの反乱鎮圧後、
にモスクを持ち、そ こでは マーリ ク派の教えが説
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j.
rは 、 同 知 事 と 彼 に 同 調 し て い た リ ュ ー シー
(ア イ ト ・ ユ ー シ 一 地 )
jにおける有力部族出身、
かれた 。
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6.一 般に 「老 人 」 を指 すアラビア諾であるが、
様々な集団の長、特に リバート や ザー ウィヤなど
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務大臣 ) を宮廷内に保護する措置をとった 。
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上舛と給与据 え世きなと、の経済的
f;}H;~ が起こっていたにも |羽わらず、
E権は、これ
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するために初期ナショ ナリ スト政府によ っ
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スーフ ィ一集団の長を 指すこと もある 。
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. 合意」 をJ
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J
床する 。 イスラーム法解釈におい
て提出された 5ヵ年計画を保留にするなど、伝統
ての法源の lつであり、この場合はウラマーのイ
的勢力を圧迫する経済改革政策を和極的に推進し
スラ ー ム的教義における統一 的見解のこと 。 ウラ
なか った。 Wat
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マー集団は多くの場合 、
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Jにイ了証していたので、
イジュマーは 一般に都市で成立した 。
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. Munson.o
モロ ッコ王国は完全な 主権 (
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a) を持つ
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イスラ ーム国家であり 、 アラビア話を公用語とす
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序文 )
0 イスラームは同教であり、
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I家は
全 ての人に対し 宗 教の l~ r
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を保附する J
(
第 6条)
。
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国教条項はイラ夕、アラブ l
苛長 I
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ト、イエメン、エジプトやヨルダンなど数多くの
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3
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50
4
6.J~!;; 地改革は独立直後から遅いペ ー スで始まって
いたが、ハサン :1
1
:
1は 1
96
7年から土地の再分配を
l~fJ .
;
f
i
fした 。
4
7
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. Edmund m
."TheMoroccan Ulama.
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. by Keddie
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9
7
2
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し国家体制をイスラ ー ム│
刻家と名 言するのは珍し
1
1
6。
「パイァ 」 とは、スルタ ー ンへの服従の関係を
く、{也にはイラン、ノ tノ
、
レ ー ン、パキスタンなど
結ぶ契約のことであり、イスラーム 1
1
1
:界において
に例をみるにすぎなし、。
は支配者を承認す る的脅ともな ってきた 。 このス
イスラ ー ム世界の凶家の :
t
u去にもみられる 。 しか
r
41
. ネオ ・スルタ ー ン国家」とも 言 われるサウジ
ルターンの資絡に│刻しでも様々に議論がされてき
アラビアでは、クルア ー ンとスンナが憲法である
たが、イスラームを庇護する こ とが不可欠事項と
人間文化・ 3
1
近代イスラーム国家についての一考察
されたためにパイアにおけるウラマーの承認も慣
習となった。
4
8.ウラマ 一機構の改革は、まずスルターン・マウ
ラー イ・アル ・ハサン(在位 1
8
7
3-1
8
9
4)が、フ
ェスの大カーデイ ー (
カ ーディーは 「
裁判官」 と
訳せる 。 フェスの大カーディーは慣習的にモロッ
51
.I
国王は王国軍の最高司令官である J(
第3
0
条)。
5
2
. 金曜日の集団礼拝の際にモスクなどでされる説
教。 この時に時の支配者の名を 挙げる ことがあ っ
たことから、イスラーム世界において支配者が誰
であるかをみるときの指標とされてきた。
5
3. ドル ー ス ・ハサニ ーヤ (a
l
d
r
u
sa
l
H
n
s
s
a
n
i
y
a)
コ全土のカーデイーを指名し、カラウィーン学院
は、王が主宰する高位ウラマーによる説教会でラ
の教師を指名する権限を持っていた)の下に、
マダン月の恒例行事になっていた。
「
カ ーデ イー ・アル ・ジャ ーミー j のポストをつ
5
4.ティピによれば、ハサン 二 世は、 「イスラ ーム
くり、大カーデイ ーのl
俄権を共有させたことから
は立憲王制を容認していない、夜、は一時的に私の
本格的に始まった。 スルターン・アブドウル・ア
権威を送るのみであり、権力を放棄する権利を与
ジーズ在位の時に、当時のフェスの大カーディ ー
えられていない」と述べている 。 T
i
b
i
.Bassam,
が死亡した後、そのポストは廃止され、後継者に
“Au
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h
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y and l
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g
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n,
"
は 「シ ャ リ ー ア 審 判 に お け る マ フ ザ ン の 代 表
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amicWorld1,N.Y
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(
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丘i
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iahkamal-sharia)J
というポス ト
がつくられ、彼から地方のカーディー及びカラウ
The Oxford
,
d 0ぞ
かrdUniv.Press1995,p.
l5
5
。
0ゆ r
5
5.1
9
7
5年 1
2月1
8日に著名なマルクス主義者であ っ
ィー ン学院の教師を任命する権限がスルターンに
た、ウマル・ベン ・ジョルーンが暗殺され、この
urke,o
p
.
c
i
t
.p
.
1
0
8
。
渡った。 B
嫌疑がしばしばマルクス主義者と衝突していたシ
4
9
.I
停止」 を意味するアラビ 7 語。 イスラーム法
ャビ ーパ・イスラーミ ーヤのリ ー ダーにかけられ
においては、所有権を永久に凍結された土地・財
た。 M
u
n
s
o
n
.
o
p
.
c
i
ι
p
.1
6
0。
5
6
. モロッコ王国恋法では、このワタンと同じ語根
産などのことを指す。一般にはモスク、神学校な
どのように慈善目的のものが多く、また現在では
少ないが個人が子孫のために信託することで成立
するものもある 。
5
0.Tozy,o
p
.
c
i
t
.p
.
9
30
32 ・人間文化
から派生する「ムワタニーン」を「国民」の意味
でも用いている 。
近代イスラーム国家についての一考察
Comment
田辺明生
京都大学大学院
この論文は、これまでのネ ーション研究およ びイス
アジア・アフリ力地域研究研究科
思われる 。 イスラ ーム国家とは、国家統治の正当性
ラーム国家論に対して、非常に重要な視角を与え、新
をイスラ ームに依』処する国家の ことを指すが、そ こ
しい研究文脈を提供する優れたものであると考える 。
ではウンマ (
イスラ ーム共同体)が国家に対して主権
従来のネーション研究においては、国民国家を構
行使権の執行を委任するとさ れる。現実世界にあっ
成する 「民族」 という主体の存在が前提とされ、そ
て複数のイスラ ーム出家が存在する以上、 ここ で解
れが歴史のなかでいかにネーションとして 一国家を
明 されねばならないのは、そ れぞれの地域 において、
形成するに至ったかとい う時系列的な 発展史が問題
どのようなウンマがいかなる回路を通じていかなる
にされることが多か った。例えばアンダーソンの主
同家に主権行使権を委任しているといえるのかとい
張するようにネ ー ションは近代にいた って「想像」
うことであろう 。 中村論文は、モロ
y コ国家の地域
されたものなのか、それ とも スミスがいうごとく前
住:
1に焦点をあてることにより、こうした問題に鋭く
近代におけるエトニ ーという プロト ・ネー ションか
l
きれる 。 ここにおい
迫るものであることが高く評価i
らの連続的発展と見るべきかといった議論も、時 1
1
1
てモロッコのイスラーム 1
"
1
家、同民国家、モ市 1
1
とい
軸におけるネ ー ション形成過程のみに注意が向けら
うよつの柱のあいだの矛盾と補完件.の双方の側 l
面の
れたものである 。 中村氏はこれに対して、モロ ッコ
指摘はきわめて興味深い。 モロ ッコの領域性と歴史
という政治単位の 「
領域性」に注意を向け、いかな
に基づいて形成された国民は、同民主権の制度に基
る人間集団がどのような 地域空間におけるまとまり
づいて、憲法を介してモロッコ王を政治的リーダ ー
をもってきたのかを、生態 的、社会的、歴史的に検
として承認する 。 さらに Iはイスラ ーム共同体のリ
討しようとする 。 これはネーション研究に地域性と
ー ダーと して、統治の正当性の判断根拠をシャリ ー
空間性の視点を 加 えよう とす る試みであり 、これ に
ア(
イスラ ーム法)に求 める 。王権において、国民国
よって 「民族 j の生成のありかたの解明を、文字通
家としてのモロ y コとイスラ ーム凶家としてのモロ
りより地に付いたものとしている 。生態的基盤に基
y コは媒介されるのである 。
しかし、反対に国民主
づいたコア ・エリアにモロッコ諸王朝が権力基盤を
権の立識の高まりは民主化の要求 を生み、またより
おいていたこと、大モロッコ主義がベルベル人に対
s
'
1
1
Eなイスラームを求めるイスラ ーム改革運動は世
してアラブ人がもっモロッコ史の共演者・当事者意
l
j
j
lを攻撃するという側副も存在す ること
俗化した 王 f
識に基づくものであるこ と
、 そしてアラブ人とベル
がf
行摘 されている 。
ベル人の統合がイスラームによって可能となってい
Ij'村論文は、モロ ッコにお ける生態やエスニシテ
たことの述関的な指摘は、総 f
T的な地域研究のIlJ能
ィーから、政治的空間]
l
j
i
.
f
jJ.としての領域住 の問題 、
性をはっきりと示すものとなっており、秀逸で、ある 。
i
l
l
1
立の構造にみられる,V
,
J
¥
'
1
I
Lと矛盾に至る
そして同家:l
また従来のイスラ ーム国家論においては、中村氏
までを、きわめて有機[内な述│
羽のもとに柑lきI
J
¥すこ
も指摘するとおり、イスラーム政治思惣、に│刻する J
I
!
!
.
とに成功している 。そのなかで従米のネ ー ション論
論的解明とイスラーム国家における実際の政治過れ
やイスラーム I
'
l
j家論を、新たなより深い奥行きのな
の分析とに研究が集中しており、イスラーム国家を
かで I
I
J
fし、直すべきことが示唆されているのである 。
可能にする社会のあり方とその国家との関係に十分
大きな可能
nを夜、めた論文であるといえよう 。
に注意が向けられていなかったきらいがあるように
人間文化・ 3
3
論文
国際比較調査研究
の体験ノ}ト (
3
)
おお
はし
まつ
ゆき
大橋松行
人間文化学部生活文化学科人間関係専攻
「調子f
裂 Jという 言葉を使用していたので、以後便
5.ステージ 3 :調査の計画と準備
宜的に 「
調査諜」 に統 ー
してJ1Jいることにする (
た
6) 調査票および質問紙の定義と意義
合には、それに従うことにする)。
だし、他の ~:身が 「 質問1 紙J として使用している場
調査票および質問紙は量的調査の最も効果的な j
日
上記のように定義づけがなされる調貸票は、サー
m具である 。統計的調査は、多数の被
具である 。量的調査の成否は調査票 (
質問紙)の出
ベイの重要な
来如何で決まるといっても過言ではない。 そこでま
調査者に標準化された形式で 一律の質問をする必要ー
ず、調査票および質問紙の定義から見ていこう 。
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)
ない Lt
'
1
1
司紙 (
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u
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町 e
)
福武は、 「
調査票 (
は、多数の、あるいはひろく分布した人 m
Jや集団か
があるため、必ず 「質問紙」 を用いる 9引
。 従って、
調査票は調査~と被調資者のコミュニケ ー ションの
用具である 川
。 つまり、調査崇は、 「調査でコミュ
らデータを蒐集するために考案されるフォーマル ・
ニケーションの 仲立ちとなるもの」仰 なのである 。
リストである 」仰 と定義する 。 しかし、福武は両
それはまた、調査者と被調査者との立識 ・意味世界
省の区別は明確ではないと断りつつ、 「見 1
1¥語の形
の異質性やキ.ヤツプを埋める手段でもある m 。
しかとらないものを調盆禁といい、質問の形で調査
「
恨本的には、質 I
J
]
紙は、文字を解する人々に与
項目が表現されているものが質問紙である 」 と述べ
える 一定
1の刺戟であ って、その刺戟の下で彼らがな
て
、 「質問紙は調査票の特殊型式であるといってよ
ぃ」 という お
す言詩的行動を観察するためのものである 」州 と
また、サーベイに基本的なデータ収集の手段・ )
1
1
するランドパーグは、精確にして強力な観察用具と
しての調査票の意義を 3点指摘している 。 第 1に
、
J
1は質問紙であるとする中道は、質問紙と調査票を
調査察は研究者の観察力を著しく拡大する 。つまり、
次のように区別する 。
調査禁は、観察者があらゆる事例について同じ項目
r
i質問紙 J(questionnaire)
を、被調査者に郵送し (
郵送調査)、あるいは手波
を書 きとめることを保証し、しかも、観察した事実
し (
留i
l
1調査、集合調資、託送調査)、被調査者が
に関して記憶に頼らなくてもよいようにする 。第 2
回答を記入して調査員に返す自記式 (
s
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l
f
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r
e
d
)
に、調査票は相異なる観察者の観察を標準化 し客観
(
s
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d
u
l
e、面
化することを助長する 。つまり、調査禁は、 ① 当面
n
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v
i
e
ws
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h
e
du
le
) を、被調査者に l
直
接調査票、 i
の目的にとって重大と見なされる場而の特定の側面
接渡さず、面接只が質問を読み被調査者の回答を聞
を抽出してこれに注立を喚起し、 ② 観察を記述すべ
形式の mJ~ の意味で用い、
『 調査票 J
き取って記入する (
個人面接調査、電話調査)他記
去を予め明示することによって、科学
き単位と用語 i
式 (
o
t
h
e
r
.
a
d
m
i
ni
s
t
e
r
e
d)形式の用具の立味で使う
の要件(観察された事実が、資格をもった観察者の
のが普通である 」出。 しかし、中道は、質問紙を両
全てに同 一 に現れること ) を満たすように助ける 。
Jfーを含めた広いX1~ 1床でJl l いて、
「 複数の併| 人や集団
に同 ーの質問群を与えて、それらの回答 (
データ )
を収集する、高度に構造化された質問のフォーマ
ル ・リストである 」 と定義している 附
。
福武と中道とでは、調食票 (
質問紙) を定義する
第 3に、調査崇は 一時に一つの要素を分離(=凶子
の分離 ) し、われわれの観察をそれに集中して強化
するための用具である !
l
i
)o
また、質問紙(調査票)を、比較的簡単な形式と
内容をもっ具体的な問いかけが、ワンセットになっ
際の根拠に相違が見られる 州 が、両者に共通して
て印刷されたもの、と定義する佐藤健二 は、まず、
いるのは、第 lに
、 「
被調査者の観点」 から定義し
質問紙の存在の積極的な意味として、 ① 問題点のリ
ていることである 。疎かに調査票や質問紙を被調査
スト(=操作化された問題意識の系統的なリスト)、
者の観点から見れば、沢山の標準化された質問が並
① チェック 一覧表
(
=
1
司じ質問を同じようにたずね
んだリストである 。 しかし、富永が指摘しているよ
ることを強いる )、① マニュアル (=収集における
うに、分析者の観点から』よれば、それは 「
測定の迫
分業・分担を可能にし、多人数で共同収集を生み出
J
1Jである 州
。 そして第 2に、調査票と質問紙とを
す)、④ カード(=全て大きさと形が同じで、記入
異なる概念として区別はするものの、それは厳格な
された位置が等しい)をあげている 。 そして、特に
ものではなく、両者の意味内容を包含する概念とし
「収集の段階」 に着目して、質問紙による収集の最
て定義することが可能であるとしていることであ
大の強 l
床は、質問群という変数群に対して、 I
n
l答と
る。 私たちの共同研究班も両者を特に区別せずに
いう値がそれぞれ一対になって収集されるという、
3
4 ・人間文化
3
)
国際比較調査研究の体験ノ ート (
データ収集のしくみにあると指摘して、そこに質問
異にするが、賀川J11日としては、それらの 1
]
'
1
ハはあ
紙 (
調査崇)の最大の意義を見 1
'
,
している州
。
る杭 l
立まで 1つの白1
│
1
同L
の中に一緒に盛り込まれ得
さて、以
tのことから、
用具としての調子E
京の 1
主
るので、 fl~1 々の iU,~ 査を立識調査か事実調 ft かに分け
義を 2つのレベルから要約しておこう 。 ここでいう
ることは必ずしもできない J1!
:
J1 し、また、両 J
寺に l
三
被調査者│主l
係レベル、
別することは必ずしも合理的で‘あるとはいえない。
2つのレベルとは、 ① 調査者
① 調査主 体レベルである 。 まず前省については、
というのは、私たちが作成した調査票もそうである
「コミュニケーションとしての用具」 に第一義的な
が
、 一般に立識調査といわれているものの調査禁に
立味がある 。調査票には、調査主体の1
1
1]題立識や調
は、被利食r.の立識 ・態度 ・意見をたずねる質問項
査意図、必要としているデータについての与え万な
けと、被調子f:r.の性、年齢、学歴、職業、収入、婚
どが全 て集約されている川が、それは立識や立│床
制 ) I~ 態、家扶構成、耐性形態、出身地とい っ た例人
世界を具にする被調査者に精慌に伝達で、きる記号に
的同1
'
1
;にl
刻する 1
'
1
"
川
項1
1(属性項1-1
、一般にはフェ
ぷ体であり、同lI
;
f
に被調査:f1が自
変換して送信する l
イスシートとよばれる ) とが含まれている 。特に、
ら解説したメッセ ー ジ内容を記号に変換して調査主
後名の凶終結米は、分析の際に回答者のー
矧別の以も
体に返送する媒体でもある 。後者については、まず
Iは、忠、識
重要な指標になる 11blo このように、属性項 L
調査主体の問題意識や調査意図が最大限 b
i
.映されて
調査において~~な位置を , '1 めているのである 。
では次に、
いるか、入手したい資料素材 (
あるいはデータ ) に
適した質問文や内容になっているか等を、調J
主主体
自らあるいは調査主体問で、最終縫目立するための J
I
1J .~
であり、また、実査後の諸過程における作業 J
I
JJ~ で
もある (とりわけ、富永が指摘している
i
i
J
!
l
J
定のJlJ
トについて凡ておこう 。 まずメリ
しかし、調査票には問題点があることも指摘して
y
y
ッ 卜とデメリ
卜から凡てお
ε│
一分なJli1数を準備することによ って、例
こう 。
を??;式的安│天│も合めて多 1
M的に t
J
lえること
人の│人川i
ができる 。 また、 1
1
.
¥
1則的にも被調査者の過去から未
来にわた って
、
具」 としての立義づけは重要である )
。
おかなければならない 。 この点に関して、 Sウェ
y
t
1:
1
j
¥紙法の一般的なメリ
1
1
'
)
,
¥
1
.
よく捉える
こと が uJ
f
i
Eである o ②
比較的対1I.
¥
q
l
i
jで多数の被調査名に│司l
時に実施するこ
とが可能である 。 この利点はまた、大規模な統計的
i
*の
ブと B ウェ ッフ'は次のように述べている 。 i
'
!
2
す
る
処理を "
J能にし、が
に、広い範聞に配布される質問表は、統計学主f
が素
ことにもつながっている 。①調査主体の存在が被調
材をえる以上の結果はもたらさない。 質川表は質的
任者に与える影粋は、相対的に大きくはないし、得
分析に
mいることができない。質問表は仮説を検証
してくれるかもしれない 。
しかし、研究計のま n~哉の
般化 を行いやすいという
られる資料ョ素材 (
データ )に│到しでも、調査主体の
1~~粋はそれほど大きくはない ( 観察法や Itl刑事法と比
01
乏日
!I
問にわたる追跡研究が "
f能である
中にそれまで、に存在しなかった、少なくともかれが
較して )0
ないと考えていた構造および機能にかんする諸 ~Ji:ょ
(繰り返し l制作、パネル訓公)。⑤一 所に実施できる
に光をあてることは滅多になし、。それゆえ、質問表
ため、実施の条例を斉ーにできる 。⑤被調任者のペ
が完全に疑いを入れぬ真実の発見に役立つことは、
ースで、よく与えながら回答できる 。⑦教示などの
多くはないのである 」酬。
条件を統制することができる (
面接法と比較して )
。
@ 貸用が比較的安価ですむ附
。
7)質問紙法の特徴
上述のような立義と問題点とを有する質問紙 (
調
他方、デメリ y トとして次のようなものがあげら
れる 。①あらかじめ盛り込んだ変数以外のデータや
査票) を朋いた研究法である質問紙法は、 言語を媒
テクス卜はほとんとすりJ
r
I
'で、きない。 また、あらかじ
介とする人間理解の 1つの方法 である 10110 この質
め盛り込んだ粕度以上の記述も 期待できない。①基
問紙法による統計的調査には 2つのカテゴリ一、す
1
11
本的に 11
1
J復 の 会 話 デ ー タ (問いに対する答)の
なわち被調査省の意識 ・態度 ・意見をたずねる立識
断固であるので、インタビュ ーで の情報収集のよう
r
"
調 査 な い し 態 度 調 査 (この場 合、被調査宇f
は例人 )
に、イ 往復かのコミュニケ ーショ ンによって未確認
と、被調査者の意見または態度とは無関係に硲認で
部分が I
V
Jらかになるようなフィ ード パックは難し
きる客観的事実をたずねる事実調査 (
この場合、被
い。 3センシティブなテーマ (
性行動や社会的タブ
調査者は何人または個人の集合体)がある HJ
:
!
。 寓
ーに触れるような問題など) について、細部を明確
永が指摘するように、 これ ら 2l
T
i
I
知のI
l
i
M
1
iは目的を
化するような J
~.体的質問文は作成しにくく、また、
人間文化・
3
5
国際比較調査研究の体験ノ ート (
3
)
被調査者が正直に回答してくれるかどうか保証の限
りではない 刷
。
摘したことではあるが、韓国の大学生や日本語学校
このような質問紙法のデメリ ッ トは、通常、面接
以外一切 「
統制」が加えられていなかったために、
法のメリ ッ トの裏返しである 。既に述べたことであ
自由にヒアリングができた。その結果、彼らからホ
るが、私たちの共同研究では質問紙法と面接法の 2
ンネの資料素材をより多く入手することができたの
の生徒に対するヒアリングでは、時間に関すること
つの技法を用いた。その最大の意図は、質問紙法の
である 。だが、中国調査では、タテマエの資料素材
弱点、を面接法で、補って、統計的解析から出てくる数
が多くを占めるケ ースがあった。詳細は後述するが、
値の解釈を正織に行うことにあ った。
それは、補足調査として行った農村青年調査 (
山東
去のメリ ッ トとは何か。宮下一博は、質
では而接 j
省青島市崎山区、山東省長 i
青県歴城区)においてで
問紙法との比較において 4点指摘している 。①質問
、
ある 。特に歴城区の 2つの村(陳庄村:男性 7人
紙法よりも融通がきく 。 lつの質問をして不明確な
女性 4 人。 北青~\坊村.男性 7 人、女性 2 人)でのヒ
点などがあれば、それらの点についてさらに 詳 しく
アリングでは、面接 1
去のメリットをほとんど活かす
たずねることが可能である 。①その事象に関して質
ことができなか った。私たちが本調査によって得た
問紙法よりも、より深くたずねることが可能で、
ある 。
回答傾向 (
資料素材 ) と、被調査者の意見とが一致
場合によ っては、かなりプライベートな部分までた
しない点が多く存在したのである 。その最大の原因
ずね、把握することも可能である 。①被調査者と向
は、調査予定日の前日に豪雨があったため、自動車
き合って質問ができるため、被調資者の感情の動き
で調査予定地に行くことができず、 急逮、共産党青
や無意識的な動作 (
ノンパーパル・コミュニケーシ
年団が対象地を変更し、対象地とな った村の幹部が
ョンなど)を同時に把握する ご L が可能である 。そ
対象者を招集したことにある 。 しかも、北紙坊村で
18人が高卒以上の学歴をもち、中
:
1
は被調査者 9人 1
i
l
1
'
;
1をH
今味することがで
れによ って
、 言語報告の安 土
きる 。④通常の会話力を有する者であれば、維にで
には高学歴者 (
女性) もいた。 まず、被調査者選定
も実施可能である 川
。
の段階で 「
統制 Jが加えられていたのである 。そし
実際に、而接 j
去を用いて調査を行った者の実感と
て、実際のヒアリングの場面では、複数の共産党青
していえば、このような而按法のメリ ッ トがほぼ十
年団 (3~ 4人)が終始同席し、私たちの質問内容、
全に機能したのは、調査の場面を共有する調査主体
被調査者の回答内容を逐一チェックしていた。その
に対しても被調査者に対しでも、 一切 「
統制」が加
ためか、私たちの質問に対してはその多くを l人の
えられなか った場合においてである 。 これも既に指
高学歴者 (
女性)が答え、しかも回 答の内容は極め
同
3
6 ・人間文化
3
)
国際比較調査研究の体験ノ ート (
て模範的なものであった。ヒアリングの場面におい
んだ。具体的な依頼文は次のとおりである 。「 この
て、何らかの 「
統制」が共産党青年団によって加え
アンケ ー トは、日本・韓国・中国における青年の意
られていたことは十分に考えられることである 。
識や人生観などを調べ、これらを相互に比較するこ
8) 調査票の構成要素
よび問題状況を的確に把握するとともに、 三 ヵ国の
とによって、日韓中 三 ヵ国の青年層の意識の特徴お
調査票は調査テーマ、調査対象によってさまざま
相互理解の促進に必要な基礎資料を得ることを目的
な形態をとり得るが、基本的には表紙、質問本体、
として実施されるものです。ご回答は無記名であり、
フェイスシートから構成されている 。そこで、私た
プライパシーは厳重に守られます。結果は統計処理
ちが作成した調査察(日本調査用)に基づいて、そ
をします。 どうか、あなたの日頃のお考えをありの
れぞれの構成要素ごとに 何を 記載したのかを述べて
ままにお答えくださいますよう、お願いいたします」
。
おこう 。
(
5)
回答記入上の注意
(
1
)
表紙
ように記入するのかの説明を記載しておく必要があ
(
1)アンケ ート調査名
I本調査では、 (
記入止のお願い 〉 という形で
る。 F
白記式の場合には、調査票の冒頭に 、回 答をどの
調査主体の調査目的を簡潔に示すとともに、被調
査者が調査の内容を判断できる表題をつけることが
r
こ
I匡
│
必要との考えから、私たちは、「日本 ・韓国 ・l
の青年層の生活と社会意識に !
J
.
(
J
するアンケート Jと
した。
1.このアンケートには、ご本人が回答してくだ
さい。
2.回答は、番号に Oをつけてください。
3
. 回答は、特にことわりのない限り、 一つだけ
答えてください。
(
2)
調査主体名
調査実施の責任主体を 1
9
i示しなければならない 。
共同調査の場合には代表者名と、被調査者からの問
い合わせや苦情を受け付ける「所在と電話香号、
注意事項を 4点記載した。
m
当者」等を記載しておく必要がある 。私たちの調食
票では、次のようにした。①調査実施の立任主体・
4
.I
その他」の回終には、( )の中にその内容
を具体的に書いてください。川
(
2
)質問本体
質問本体は、調査票の中で最も重要な音1分を占め
「
仰教大学総合研究所 ・日韓中 における社会意識の
る。それはアンケート項目を具体化したもので、質
比較調査班 J
。 ①問い合わせ先
I
日本:1
?
f
;教大学
番号 JI
韓
社会学部君塚研究室、電話番号、 FAX
問文と回答カテゴリー(選択肢)から構成されてい
る刷、 そこで質問の構成を考えるにあたっては、
国-東亜大学校社会学科沈貞宅研究室、電話番号、
質問の全体量 (
回答者の負担)、質問の並び 1
1
1買とバ
FAX番号 JI
中国:中国青少年研究中心社会調査所、
番号」。問い合わせ先を 3ヵ所 (日
電話番号、 FAX
量に閲しては、被調査者の集中力の持続、適度の緊
本、韓国、中国)記載したのは、既に述べたことで
張感の確保などを考慮すると、大体30-40
分程度で
はあるが、日本調査では日本 1
H
1
Jメンバーが、韓国制
回答できる分量 (
A4版で 8-10ページ)が一般的
ランス等を考慮する必袋がある 。 まず、質問の全体
l
"国側メン
査では韓国側メンバーが、巾医│
調査では r
とされている 。従って、質問項目や質問数は、調査
バーが、調査方法を共有しながらも、それぞれが下一
主題の解明や作業仮説の検証に必~・なデータが収集
体的に実査を行う方針を採ったためである 。
できる必要最小限に絞り込まれなければならない 111tJO
(
3)
調査実施年月
私たちも、質問の全体量をどうするかということ
9
9
9年 5月とした。 ちなみに、韓国調
日本調査は 1
について検討を重ねた 。
既に述べたことではあるが、
9
9
9年 5月、仁
1
"
因調査は 1
9
9
9年 6月と記載しで
査は 1
私たちの共同研究では、 「伝統一近代 Jもしくは
ある 。
(
4)
調査の協力依頼とあいさつ
ー全員の合立事項とした以外は、原則として各自の
「伝統
脱伝統」 を分析の基軸 とすることをメンハ
私たちは、調査察の依頼文に、 ①調査の目的、 ②
自由裁量に委ねられた 。そのため、独自の関心領域
調査の意義と回答の利用の仕方、 ① 回答の方法、 ④
から調査問題を決定し、 J
f
!
j
論仮説や作業仮説を形成
回答内容の秘密厳守の約束、 ① 回収した例々の調査
することになった。それは、必然的に調査項円や質
票の処理方法、 ①調査への協力依頼、などを盛り込
問J
Ji目の多係化と量的拡大を結果することとなっ
人間文化・
3
7
国際比較調査研究の体験ノート(
3
)
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・ I~ t+ e 荷主..・.. ,均寺.~.・ a崎 4時制碍司.
司...崎司・ 't~.崎 14. ,* 1・・.'・電量・・,, ~71 吟.吋吟
a ・.~.・・にこと bUÐ郎 、・ U . =-えて〈足劇、
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刷 ー一一ー一司号一一ー一・H
予 ..C~ い
・その・ t
・
t鱒岡.・'l ....b~険 ら官接い]
(日本語版)
(緯国語版)
中国、日本、事事国三園青年生活現与社会現
中園、日本、事事国三国青年生活耳障勾社会現
洞査向理署
湖-=向場
(大学生向t,.)
〈駅北骨キ何本〉
中 国 膏 少 年 研 究 中 心
中 国 青 少 年 研 究 中 心
日本傍量生大学繊合研究所社番科学漫題担
日本傍敏大挙鎗合研究所社告科学混・鑓
締国車重大挙社企場苛盤沈貞宅研究室
嶋国軍豆大挙祉歯学曹iI!沈血宅研究室
一九九九年四月十日
一九九九年悶月十日
(中国語版・大学生用)
(中国語版・職業青年用)
図 6 日本・韓国・中国の青年層の生活と社会意識に関するアンケー 卜用紙(各国語版)
38 ・人間文化
国際比較調査研究の体験ノ ート (
3
)
た 。 そこで、 If~i1
1
1]をかけて調査項 けや質問引 けの絞
答 形 式 を 採川 している場合がそうである 。 私たちの
り込み作業をわい、結果 的に質 I
l
i
J
4
c
体に W
J
しては質
調命以では 5'
f
H.tを係っているが、その質 I
Jl洋が 2
問J
;
i1
=
1
24、 質 問 数 63、 A4版 7ペ ー ジ に ま と め た
つ (
質川数 33) あり、それらを質問本体の以後部に
もってきている 。 このような方法を採 った故大の理
(
詳細は後述する)。
次に、 111::] の並びに関してであるが、最もiJl~な
由は、各メンバーが必要とする 「分析するためのデ
ことは、被調査者が回答しやすいように配慮すると
珊内で最大限入手できるだけ
ータ j を限定された範 │
いうことであろう 。 池 田 謙ー が指摘するように、調
の質問数を確保することにあった。 とりわけ、質問
食の場│伺は 1つの会話の場而 でもある 。 つまり、調
の全体 I
I
Iをできるかぎり抑制するとの }
j針に沿う形
査は、調伝票を相手とした擬似的なコミュニケーシ
I
1
1
符)
'
j
i
.
去を詳定法にすることがイT
効で
にするには、 1
I
I
H序に沿った
ヨンであり、全て、質問の J
あるとの共通認識があったのである 。
1つの│時間
の流れの中で進行する 。 それ i
枚、質 I
i
I
J
の流れを与え
1符のスムー
ることが、調査全体のわかりやすさ、 1
ズさに大きく影響する こと になる 11 い
(
3)
フェイスシート
フェイスシート (
f
a
c
es
h
e
e
t
) とは、調査票 (質
.~立に、質
問の長びは、大きく分けて 3つのタイプがある 。 第
1のタイプは、漏斗型の質問で、これは
般的な傾
L体的な内符へと順次たずねていくものであ
向から J
IIIJ 紙 )
において、被調査~.の基本的 l貫性を表示する
ために設けられる質問項目である ll li' 。
これらの 4.~
本的な属性JJi1は、かつて西欧諸国で社会踏作が盛
る。 第 2のタイプは、逆漏斗:!fi'!の質問で、これは H
対象者の属性をまず初めにた
んに行われた│祭、調子E
体的な内容から 1
1
1
1象的な 内谷 へ と 進 む も の で あ る 。
ずねたので、
こうしたグIO
f!J;が使われているが、刻化は、
人
j
符 が│
百
l
等レベルのいくつか
第 3のタイプは、調査 │
の項目にまとめられる場合の並べ )
Jで
、 ノ(J
!
'
llご と
主として 1
"1
終+
1
i
r
-i
を│坊ぐ "的で、 調査 3
J
!の以後 i
f
l
Sに
i
y
tかれることが多い1
1
7
。
, フェイスシ ート には、
般に
I
.
J
iの流れに 従 ってたす、ねていくという
にまとめて論 J
担~;lJ,HI'{í.の性、年齢、学 l語、職業、収入、婚制形態、
ものである "
ゴ
。
家 }j)i構成、 J, ';fì :JI~ 態、 1 1\身 地、川住地、 ~lì lri 水準な
私たちの場合は、第 3 のタイプに該当する 。 ~;永
どの伽│人 n
<
.
JJ
;
,
r
i
t
'
lに│刻する質問j境 1
1
が合まれる 。
フェイスシートを設定する主な目的は、
によれば、このタイフ。
は仮説検証利先ではマイナー
x被調査
なものである 11]1。 私 た ち は 、 経 験 的 仮 説 を デ ー タ
者の!話 1
'
笠を担保すること、 ① クロス集計を行う│努
によ ってテス卜する ことを目的 とする説明的調査を
に、説,~1t i
ミ!包に│均述する各質問 J
J
jHと 組 み 合 わ せ
基本としていたので、本来ならば第 1のタイプもし
答の性質や特徴を析出すること
ることによ って
、 11
くは第 2のタイプの方が適しているといえる 。 しか
にある
し、私たちが第 3の タ イ プ を 採 っ た 最 大 の J
j
l
l
l
l
1
は
、
り
│ 符おのプライパシーに関わる 内容を含んでいるの
先述したように、メンバ ー各自 の W
J
心 飢域が多係で
5t
&する 必 要 が あることと、調
で、その/.(を 卜分に J
あるために、
1つの調査項目に照準を介わせて 1
1
:
r
n
項 目 を 絞 る こ と が 極 め て 困 難 であったことである 。
職業観、政治観、社会観、グローパル
r
mと多岐にわ
たった 。 そのため、各調資項目に │
渇する質問項
nを
。 従 って、フェイスシ ート の質問Jflt
lは
、
PV
Jするのに必要不可 欠な内谷であること
査 j二起を W
f
iされる 1
l
が袋』i
MI、
実際、設定した調査項目は 、家族鋭、ジ‘ ェ ンダ l
l
j
l
苅係倒、経済・
死生観、宗教観、科学文 明観、人 I
1
1'
;
そ こ で 、 私 た ち の 調 脊 禁 (日本 調 査) では、どの
ような質問瓜"を設定したのかを見ておこう 。 質問
4、その内、 「大 学 ・学 部 ・ 学 科 ・専
項"は全部で 1
川生」 をたずねる質問項目は、質問本体の前に
攻 ・l
厳選せざるを得ず、結果 的に 全てのメンバ ーが満足
3項 目 は 最 後 の 方 に 設 定 し た LW 。
設定し、その他の 1
するものにはならなかった 。 しかし、これはやむを
5歳
具体的に設定した項目は、 ① 性 別 、② 年齢、 ③ 1
f
iびに ,
)
I
1Jし
え な い こ と で あ っ た 111)。 ただ、賀川の、i
f
1
tにおける J,
'
}
f'
l地
(
都道府県)、 ④ 兄弟姉妹の数と
ては、原則的にはそれぞ れ の 調 作 唄 "を 1つのまと
出生順付、 立父刻に │
長
l
する項 目.
.
.
{
I:
齢 、学 l
倍、職業、
まりとしているが、必ずしもそれにとらわれている
⑤
わけではなく、回答形式を 同 じくする白川を各調査
験
、 喧1
5歳 I
.
l
jの米政構成、 ① 家族の年収である 。 こ
項目の巾からピァクア
y プして、
1つの 1
1
1
1
1
1昨とし
ω刻に W
Jす る 瓜 "
年齢、学席、職業、 ⑦ 結 婚 経
れ ら の 瓜 "について桁干説明を 加 えておこう 。
てまとめているケースもある 。 具体的にいえば¥質
年齢に I
M
Jしては、満年齢とした 。 そして、それが
問紙法で、肢も頻繁に利 用 さ れ る 許 定 法 l¥l
.
' という同
J
正確に記入されているかどうかを調査主体があとで
人間文化 ・
3
9
国際比較調査研究の体験ノート(
3
)
伺l~ 認できるように、出生年月を記入する欄を設けた
の共同研究者 (
当時東亜大学校教授の 沈貞宅博士)
(
これは両親の年齢をたずねる項目でも同様の形式
とともに、日本 ・韓国の大学生の意識調査を行った。
を採 った)
。
その際、フェイスシ ート の質 問項 目の lつとして家
両親の学歴については、 「その他」 を含めて 6つ
族の年収を設定した (日本調査では、 1
3
0
0
万円未満 J
1
1
.5
0
0万円以上」 まで 7段階に分類)。大半の
の選択肢を設けた。一般に、 学歴は低 ・中・ 高の 3
から
つにカテゴライズされる 。私たちもそれを踏襲して、
学生は 、いずれかの選択肢にチェ ックを入れていた
中学校、 高等学校、専門学校、短大 ・高専、大学・
が、何人かの学生は、このアンケ ート に関する意見
大学院 (
いずれも新制)の選択肢を設け、これらに
を求める欄に次のようなことを書いていたのである 。
該当 しないものは 「
その他」に一括して記入する方
① 「
収入まで調べる必要があるのか。殺の学歴なん
法を採 った山。
て関係あるのか」。①「親の学歴 ・家の収入に関す
両親の職業については、まず、従業上の地位をた
る質問によ って何がわかるのか疑問に思います。先
ずねる項目として、次の 4つの選択肢を設けた 。
生方には何か高度なお考えがあるのでしょうが、失
i 自営業、家族従業者、 H 公務員、
1
V
1
1
1 民間勤務、
学生、無職 (
母親の場合は、専業主婦、 学生)。
そして、選択肢
l、 H 、山のどれかに回答した被調
査者に対してはサブクェスチョン (
枝分かれ質問)
口引
礼な質問ではあると思います」。①「親の収入を 他
0
0万 円 -1
.0
0
0
人に答える必要はないと思う 。上の 7
万円未 i
前にマルをつけたのは私のカンにすぎませんj
。
01
アンケートの 内容について、個人の考えなどを
によ って職種をたずねることにした。具体的に設定
きくのはいいけど、なぜ家の ことま で答えなければ
した選択肢は、管理職 (
会社社長、団体役員、部長、
o1
知ら
ならないのか。家の収入とか親の学歴とかJ
校長など)、専門技術職 (
医師 、看談士、弁護士 、
ない。知 っていても答える 必要は ない 」。⑤ 「しら
教員など)、事務職 (
経理、営 業、総務など)、販売
10円J)を勝手
ん」。 また、自分で 8番目の選択肢 (
l
隊 (
小売 j
古主、!
苫員など)、生産工程・交通運輸・
に迫力1して、そこにチェックを入れている学生もい
工員、運転手、理平等 n
mなど)、農林水
サービス 業 (
た。 この調査結果からわかった重要なことは、次の
れ
。
産業、その他、である (
両親共通) Iよ
2点である 。①被調査者が家族の年収についてはよ
結婚経験の1'J4I正については、 学生調 f
tだけならば
く知らないために 、 カンで適当に回答しているか、
調査対象者のほとんどが未婚者と 考 えられるので、
無記入のままにしている可能性が大きし 、 もしそう
質問項目として設定する意味があま りないかもしれ
ないが、私たちの場合は、
'
l
'因調査で調査対象者を
であるとすれば、回答の信頼性に大きな問題がある 。
①殺の学歴に関しでも同じであるが、自分に │
刻する
学生、職業青年、農村青年とした。職業青年や農村
こと以外の質問項目 (
特に家族に関する質問項目 )
青年の中には既婚者が相当いるのではないかと予想
に対しては回答を拒否する傾向が強く見られる 。そ
されたことと、もし、そうであるとするならば、未
こで、 今回の調査ではこの教訓を活かすために、上
婚者と既婚者とでは、 q
寺に家扶在日や ジェ ンダー観に
を-:
t
舌
し て把握するために 「
質問j文の
記の被調査宇f
おいて意識や価値観に有効な差異が I
Uてくることが
」の選択肢を設定することに
意味がよくわからな L、
予想されるので、それを比較分析することを可能に
したのであ る。
するために、結婚経験の有無をたずねる項目を 設定
兄弟姉妹の数および出生順位の項目は、 主 として
することが必要であるとの判断が働いたことによる 。
人間関係鋭を分析する際に必要な変数であるとの認
l
J
:
惜の年収に基づ
家族の年収については、勤労者 t
5歳時の居住地域お
識があ ったためである 。 また、 1
いて、下 ・中・準高 ・高の
4段階に 分 '
J
a
'
i
した (
SSM
5
歳時
よび家族形態をたず、ねる項目を設けたのは、 1
調査を参考)。その際、各段階の世荷数の比率がで
までは親との同居が一般的であり (日本、聡園、中
0
0万円未満、
きるだけ等 しくなるように配慮して、 5
5
0
0万円以上 -800万円未満、 8
0
0万円以上-1.0
0
0万
,
0
0
0万円以上というように設定した I:!I)。
円未満、 1
ザ ー (主 として両親をはじめとする自分以外の家族
構成貝や彼らが居住する地域社会の構成員 )から、
そして、それ以外に、 「質問文の意味がわからない」
一定の制i
l
値観、知識、校能、行動などを習得し、そ
という選択肢を設けた (
韓国、中国も同様)。 この
れらを基底として、現在の被調査者の価値観等が形
選択肢を設けた意図は、次のようなところにある 。
成されているのではないかと考えたからである 。特
既に言及したことではあるが、 1997年に、夜、は韓国
に社会化が生起する場としての家族と、社会化の背
40 ・人間文化
国に共通して )、その年齢段階までにソーシャライ
国際比較調査研究の体験ノート (
3
)
景としての地域に着目した i却。
先にも述べたように、学生調査でフェイスシ ー ト
くるべきではない 」 ということである l川
。 要する
に、調査項目とは、 「
何を質問するのか」 というこ
を設定する場合、最も問題となるのは、自分に関す
ど
とであって、それは、次の段階の質問項目 (= I
ること以外の項目(特に家族の収入や両親の学歴 ・
ういう表現で質問するか J
) を考える基礎になるも
職業)に対して、被調査者が回答を拒否するケース
のである ω 。
が生起する危険性が多分に存在することである 。 し
そこで、調査票 に、調査目的に関連した、あるい
かし、階層意識研究(これには、階層との関係で捉
は作業仮説に関連した、必要にして十分な調査項目
えられた社会諸意識の分析 と、階層についての意識
を盛り込むにはどうすればよいのかということにな
の研究とがある )酬 を行う場合には、階層的地位を
る。森靖雄は調査項目の展開法には、代表的な方法
測定する変数として学歴、職業、所得等が必要であ
が 4つあるという 。すなわち、扇状展開方式、マト
この調査では、親の階層 的地位から被調査
リックス方式、 「
魚、の骨.J形展開法、ランダム方式
者の対自己的意識および対社会的意識を認知的側
である 。扇状展開方式は、論理的展開が必要な調査
面、評価的側面、志向的側面において測定し、分析
に向いている方法で、これは、まずテ ーマを明確に
することを意図していたので、家族に関する質問項
明らかにするにはど
し、調査目的に沿ってテーマを l
る12
目の設定は必要不可欠であった。
ういう角度か ら聞けばよいのかを考え (
普通 「
柱を
これまで述べてきた調査票の構成要素としての表
たてる j というように表現する )、各柱ごとにさら
紙、質問本体、フェイスシ ート は、概ね次のような
に制1分化して項目をたてる、というものである 。マ
調査票作成のプロセスを経て完成されたものにな
トリックス方式は、ある条件のもとでありうると予
る。 ①調査項目の椛定。 ①質問項目の設定。 ①質
想される問題を、網羅的に拾い上げるのに適してい
問・回答形式の決定。④質問の配列。①調査票の編
る方法で、まず、検討するべきテーマに従 っていく
集と素案の作成。 ①プリテストによる素案の修正。
つかのサブテーマをたて (=柱をたてる )、次に普
⑦調査票の印刷。 これらの各段階の聞には一応の順
通は 「
属性」 と 「階層」 とを、それぞれの軸にと っ
序づけはあるが、実際には相互に重複しながら作業
て調査項目を各マトリックスに埋め込んでいく、と
。 以下で、各段階について見てい
が進められる l加
いうものである 。 「
魚の'目j 形展開法は、今日、主
くことにする 。
として経営学者の間で普及している方法で、まず、
図の左端 (
魚、の頭) に調査テ ーマを 書 き、そこから
9)調査項目の確定
太い線か二重線 (
背骨) を引き、さらにそこから上
調査察 を策定するにあた っては、まず、 「
経験的
下へ数本ずつ斜線 (
脇骨) を出す。そして、脇骨の
水準での調査仮説 (
操作モデル )の構成とその要素
先にテ ーマから展開した指標事項やサブテーマを 書
である調査項目(指標)の選択によって、収集され
き、それを細分化したものを脇骨の途中に書 き込ん
るべきデータの範囲と枠組Jを定めなければならな
でいく、というものである 。 これら 3つの手法は、
い。それが定ま ったら次に調査項目を質問項目に移
論理性とか網続性とか少しずつ違いはあるが、 全体
行するのであるが、その場合、調査項目は、その調
としてはもともと論理的または連関的に展開する手
査の内容を規定する、いわば各個目標を 示すもので
法なので、調査テーマから最初に展開したサブテ ー
ある 閉!
。 ランドパーグは、 「
調査表にいかなる項目
E
:
I
な展開はしに く
マの範囲か ら逸脱したような、向 I
を含めるべきかを決定するためには、前も って問題
いという弱点がある 。それを補うための方法が、ラ
を注意深く研究することが必要である 」 と述べて、
ンダム方式である 。 これは、ブレーンストーミング
その第一原則は、 「その情報はどのように利用でき
によ って
、 短時間に沢山のアイデアを出してもらい、
るのか、研究目的に何を寄与するか、という点につ
それを後から 務理して使えそうなアイデアを拾い出
す方法である 1010
いて明瞭且つ厳密な考えを先ず持たないでは、 1つ
の項目といえども決して入れてはならない」 という
ところで、こ の ような手続きを経て調査項 目を選
。 つまり、 「
調査票の研究を充
ことだと指摘した 1刷
定する場合、次のような点に注意しなければならな
分に行い、問題に関連のあるところから情報をえて、
い、と福武はいう 。①その項目や質問によ って、デ
それにもとづいて、目的や範囲を確立し、調査事項
ータが得られるかどうかを考えなければならない 。
や質問の形に問題が還元されるまでは、調査票をつ
大部分の被調査者にと って関係のない事柄や関心の
人間文化・ 4
1
国際比較調査研究の体験ノート (
3
)
ない事柄、記'憶が不確かであるような事柄、被調査
で調査項目を設定した。 第 lに、先行研究に関する
者には回答しがたい項 i
ヨ、その分析能力をこえた事
文献(既に提示した迎論的文献や調査報告書など)
柄に関する項目などは重要-でも調査票に入れること
を渉猟するとともに 、 メンバー各自が分担して これ
ぜられるとしても、それら
ができない。①データが f
らの文献の内容を安約し、それを柑│究会ごとに発表
が集計され分析される場合、如何に利用されるかを
して全員で検討し、この研究領域での到達点を確認
予想しておかなければならない 。①項目や質問は、
する 。 この先行研究の到達点の確認作業は、メンバ
重点的に選び、研究 H的に;寄与することが明らかに
ー各自の関心領域の確定と理論的分析枠組みを主目
ならない限り、入れてはならない。④調査時 1
1
1
1や調
的として行われたのであるが、 I
r
J
i
時にほぼそれと並
査員や被調査者や集計費などあらゆる点を考慮し
行する形で、調査問題を抽出し、それに基づいて調
て、項目が多くなりすぎないようにし、これらの条
=
1
群をランダムに抽出してい っ
査項 B群や質問項 1
件に比して霊安性の低いものはやめるべきである 。
た。第 2に、調査 1
主
¥
1
]1洋の抽 1
¥
1は、このような文献
① また、比較的重要であ っても、被調査者に抵抗や
r
'
国や韓国の研究者との
研究に拠っただけでなく 、l
反感や凪惑を起こさせるような項目ないし質問は、
合 同研究会や研究発表会(19
9
8
:
1
:7
1
: 月:呉魯平、 i
窪
できるだけ避けるべきである 1凶。
学重妻、縦紅光、 同年 8月:韓 l
十
'
ii
斉、金哲秀、同年 9
これらの点に注意して、 ー
た際に剥資項目を選定し
月 :孫立平、同年 1
0J
l :金哲秀、沈貞宅、同年 1
2
i
尤貞宅、李縦、楊雄など)、学生たち
ていくことになるのであるが、その際、まず、仰を
凡
i
J
!
l
Ji:iごする項同であるのかを明確にする必要がある 。
すなわち、 i
!
J
J
1
定内容の明確化である 。 もし、それが
へのヒアリング(19
9
8年 8月 :,
華北大学校の学生、
.
構成概念であれば、その概念の定義をしておくこと
学生、同年 1
2月.上海師範大学等の学生)、専門研
蘇頒興、
日本語学校の生徒 、同 年9月
J
l
-'国青年政治学院の
が必姿である 。次に、幅広く、自分が収り組もうと
究者との座談会 (
1
9
9
8
年1
2月:上海社会科学院情報
する i
!
J
J
1
定内容や概念を扱 った研究文献 ・資料を収集
研究所の研究者)なども、調査項目を抽出する際に
し、それらを参考にして調交項目群を作成する 。 そ
大いに役立 った。
うして作成された項目群が、測定内容や概念と合致
しているかどうかを検討し(=項目の 「
内容妥当性」
このように私たちは、調査主題を展開するべき項
目をとりあえずランダム方式であげ、それを糸口に
の検討)、その検討を通過した項目群を正式に調査
して体系的に展開しなおすという方法を採 ったので
項目として設定する、ということである 問。
ある 。
では、私たちはどのようにして調査項目を確定し
たのか、ということについて述べておくことにする 。
私たちは、この調査では、日韓中 三 ヵ国の青年に的
10) 質問項目の設定
調査項目の具体的 な内容および調査項目数が決定
1
2識の全般にわたり、かつ深層レベ
したら、次にその調査項目を基にして質問項目群を
ルの価値志向に光を当てるべく、 l
隔広く調査項目を
構成する作業に移る 。 そして質問項目群ができあが
を絞るものの、
設定した。設定した調査項 1
=
1
は、家族鋭、シーエン夕、
ると、次にこれをより洗練させて (=取捨選択して)、
I
m、死生観、宗教観、科学文明観、人間関係観、
質問項目として完成させていく 。「仮説を検証する
経済 ・職業鋭、政治観、社会観、グローパル観と極
ためには具体的に何を聞けばよいのか」 という こと
めて多岐にわた っている 。 このようなことにな った
が決まれば、すなわち、独立変数や従属変数の指標
理山については既に述べたが、共同研究班メンバー
化が行われれば、質問項目ができたことになる
各1'1の関心領域が多様であ ったことが大きな要因を
その際、辻・有馬は 、次のような点が重要であると
なしている 。 このように多岐にわたる調査項目を設
いう 。 ①質問項目の各候補ごとに、 「どのようなタ
1
3
定したのであるが、それは研究班主任の君塚教授が
イプのデー タを収集するのか」 を明確にしておく 。
指摘しているように、 1
j
1なる思いつき程度の I
A
!
J
心に
これは、 デ一 夕のリ
J
I
!
則
山
測
訓
i
J定尺度に応じて 「調 1
食筆デ一 夕の
J段階でで、適用できる解析手 i
法去が限定されてしま
解析析,
基づくのではなく、先行研究の到達点およびその不
足点を確認して、先行研究を凌駕すべき学術的構想
う
カ
か
、
ら
て
で、
ある 。①調査デ一 夕の f
解
t
仔
干
析
て
で
、
は
、 どの質問
に支えられたものであるべきだとの共通理解に基づ
いている 1勤
。
項目に対してどのような手法を適用して解析を進め
そこで私たちは、次のような方法およびプロセス
組合せに対してクロス集計を行うのかを示す集計計
42 ・人間文化
ていくのかを考える 。具体的には、質問項目のどの
3
)
国際比較調査研究の体験ノ ート (
同表や、どの質問項日に対してどのような多変 i
i
t
W
:
i
1
型I
l
J
f
.
f
の 「児女共同参 I
1
I
jに│
期する調盆」、③ 毎日新聞
析の手法を適用するかを示す分析計画表を作成す
社の 「
点京・ソウル・北京 3都 r
bのl
主│
民意識」に│
羽
る。そして、これらの集計計画表や分析計画表から、
Pf
])
、① 中凶社会科学院社会
する世論調査 0996i
1
1
特1
1
を引き出すことが
調査目的が達成できるような ・
学制究所の 「中国青年大透視 J(
19
8
8-1
9
9
0年)、@
できるかどうかを検討し、最終的な質問項目を決定
1
1
"
1
王l
百年研究中心の i
l
''
1
王│
における 1
2
7年の思想道文
していく 刷
。
19
9
6年
化 に│
渇する状況のアンケ ート調査 の方法 J(
また、中道は、まず質問項目 を収集されるべきデ
ータの範囲と枠組みに限定しつつ、 1恒l
の調査で実
調命)、@ i
新世紀 lド同青年」等。
この段階で列挙された質問項日数 (
質問文を含む。
施可能な最小限度の数にとどめることが重要である
ただし、サブク ェスチョンは除く ) を調査項目別に
と指摘するとともに、質問項目をそれぞれ文章化し、
示すと 、次のとおりである 。①家族… 2
8、①職 業 -
que
s
ti
ons) に操作化
質問紙の要素である 「質問 J(
の質問だけで卜
するときに、各質問項目がただ l備│
1
5、① 友人 ・恋愛一 1
3、④政治… 3
9、⑤生活 2
1、
自然 (
環境).
.
.4、
①宗教 ・信仰 .8、⑦ 科学技術 ・
分なのか、数個 1組の質問群とした方がよいのかを
@ 人H
nl
勾係
検討する必要があるという 。 さらに、質問項目を設
関係)… 4。
1
5、⑤社会一 2
4、⑩ 国際 I
!
J
J
係 (日韓中
定する際には 、被調査者 についての社会経済的??民
J
lL
Iを取捨選択する作業は、日本
ところで、質問 J
や社会的環境などに 閲する 客観1
下
J
情報を集めるの
側l
i
JI
究班が先行する形で次のように行 った。 まず、
か、被調査者向身の態度および立見についての情報
前E~Ul1 ll ごとに列挙された質 問項 目を l つ 1 つ質問
を集めるのか、それとも被調査者のわ動や経験に つ
文の表現をも含めて検討して、 「
要 Ji
不袋 Ji
保留j
いての情報を集めるのか、ということを明確にすべ
に分鎖、 「不要」 とした質問項目をまず削除した 。
きであると指摘している l削。
i
j項 目を 検討して 、それを
次に 、「
保留 」 とした nll
宮下は、被調査者の年齢 (発達段階)に適した内
「安 Ji
不安」 に分刻して、 「
不要」の質問項目を削
i
'
!
S
iJの質問項 Hのみに絞り込
容と形式を備えているかどうかを吟味する必要があ
除した 。 そうして、
るという ことと、質問項目の分量は 、被調査者に過
んでい ったのである 。 しかし 、各メンバーの思惑が
度の負担とならない程度にすべきことを指摘してい
るl附
。
交来 して、
さて、質問項目の設定ついて、私たちはどのよう
1
:
]項目を絞り込むことができな
卜分に質 1
かった。
1
:
三 ヵ国の研究者
私たちは、 この調査を 日 ・韓・ '
な手続き ・プロセスをとったのかという ことについ
たちによる 「
共同研究」 と位置づけていたので、質
て述べてお こう。
問す1日等 に関しでも 二:同共同で設定すべきだとの考
まず、私たちは、収集した先行研究に関する調査
えをも っていた。そこで私たちは、 H本側メンパー
l
心領
報告書から、メンバ ー各自が主 として自分の │
主
が作成した案を十f:
t
j
'凶および中国f
J
!
l
Jメンバーに提示し
,
域の調査項目に 該当 する質問項 1
=
1
をランダムに 1
1
11
1
'
,
J
f
て、検討 会を設け、立見交換した。隣国の 3人の有i
した。その際、 1
1
1
1出した質問項 1
=
1
は、意見および態
究協力者との検討会は、 1
9
9
8年 8月2
0日に嶺南大学
度に関するも のである 。そして、それらを調査項 1
校 J"iJ l(~H'F\ において行われた 。 この検討会では、次の
別にまとめて 一覧表 を作り、それをメンバー全只が
ような立見が出された。①全体 に質問 '
f
i項、が多すぎ
或からだけでなく、全体的な視点から、
内分の関心領 I
るので、テーマを絞 って、ス リム な調査察にすべき
それぞれの調査項目に列挙された質問項目群の '
1
'か
である 。そのためには明らかにしたい仮説をより明
ら、この調査にと って必要度の品目
5
い質問項目を取抗
確にすべ きである 。①家族および親類に関する質問
選択する作業を行 った(19
9
8年 6- 7J
J)
。この作業
では、どの ような範囲の人を家族あるいは親類と考
J
i
:
を活用した。①統
過程では、次のような調公報告-
主いがあるので注意が必要
えるかについて、 三│
王│
でi
i
l
主I
l
l!:性比較調 査」、①総務 I
"
{I
'
i少
i
1
世界青年意識調在」、①総務庁青少
である 。 この点に│刻する質問項目を設定するか、あ
年対策本部の 「
青少年の意識の変化に関する基従的
る。①宗教観に関する質問項目に │
刻しては、もっと
放送文化研究所 の
研究j、① NHK
① SSM調査、 @ 東京都生活文化局 女性青少年課の
テーマを絞るべきではないか。例えば、 「
祖先崇拝」
等に絞 ってはどうか 111。
「
大都市青少年の生活 ・価値観に│
立
l
する調査j、①総
他方、中国の研究協力者(只
!副教授)および他の
計数理研究所の
年対策本音[;の
m本人意識調任」、
るいは '
F前調査によ って、その点を把掘すべきであ
人間文化・
43
国際比較調査研究の体験ノート (
3
)
研究者との検討会は、 1
998王1: 9月 4日に中国青少年
⑤政治領域 :国家の政治目標、決定方法、 外交の姿
研究中心で行われ、次のような意見が出された。①
勢、法治か人治か。①環境 ・生命領域:科学技術文
意見や価値観を問う質問項目が多いが、もっと行動
明への信・不信、臓器移植への親和 ・違和 。 ⑦国
レベルの実態を問う質問項目があっていい。中国の
家・民族領域:ナショナリズム、国家への貢献意欲。
青年の場合、意識と行動とのズレが常に問題となる
③ その他の社会一般領域 :不公平感、市民運動、西
からである 。②調査目的から、意見や価値観を問う
洋文化・ アジア文化への指向など。① フェイスシ ー
ト:属性、職業、家族形態など 11
:
。
)
項目が増えるのは仕方がないとしても、そうした項
目は質問文が各国によって違 って解釈される可能性
が強いため、それを確認するための質問項目を挿入
したり、事前調査を充実しなければならない 山
。
韓国および中国の研究協力者等 との検討会で出さ
れた意見等を勘案して、私たちは次のような方法に
よって質問項目のスリム化と完成を目ざした。私た
11) 質問のワーテ、
イング
ワーデイング (
word
in
g
)とは、質問項目をそれぞ
れ文章化 し、質問紙の要素である「質問 J
(
que
s
ti
o
n
s
)
に操作化することである 山。 つまり、質問項目を
ちが採 った方法とは、 「
要」という形で残された質
それぞれ文章化して、質問文と回答文 (
選択肢)の
形にする ことである 115J。 質問紙法は、調査主体と
問項目の内、各自が分析作業の段階で是非とも必要
被調査者との質問 ・応答の過程を形式的 ・画一的に
であるとする項目をピックアップし 、必要とする項
言語化 された質問によって進めるので、調査主体の
目のところに各自の名前を記入していった。そして
全く記入がなかった項目をまず削除するとともに、
意図が被調査者に正確に理解されるように 、質問を
言語化する こ とが重要である lljj)。つまり、調査結
全員もしくは 3人以上のメンバーが記入した項目は
果の信頼性が損なわれないように 「ワーデイングの
一応 「
要」のリストに入れた。 l人しか記入がなか
.
I
i
)を避けなければならないという ことであ
問題 J]
った場合には原則として削除し、 2人の場合には削
る。以下で、ワーデイングの際に、十分考慮、しなけ
除もしくは 「
保留」 とした。
ればならない留意点について列挙しておこう 。
次に、この段階で 「
要」および 「
保留」 とな った
質問項目について、 ①類似の項目あるいは代替可能
(
1
)質問文に関する基本的な留意点
な項目があれば、それらを lつにまとめる 。②数個
(
1
)
一般的な留:
氏
点
l組の質問群とした方がよいものは、回答方法を工
① 調査の目的に必要にして十分な項目を含ませ
夫して lつにまとめる、などの方針を決定して、さ
る。すなわち、解明したい問題に関連した質問や仮
らに絞り込みを行った。ただ、この段階で、メンバ
説に基づいた質問を選ぶ。①被調査者の全員ないし
ー各自が既に設定している 作業仮説の検証に是非と
大部分に考えられる質問にする 。すなわち、被調査
も必要な項目があれば 「
追加希望項目 」 として提示
者の多くがよく知│
らない ことや関心がないこと 、普
し、それらを全員で検討して取捨選択した 。逆に、
段考えた ことがないようなことを聞かないようにす
削除しでも支障がない項目については、これも各自
る。①質問の内容を、回答者にとって、十分現実的
が提示し、 全員の承認を得て削除した (
1
9
9
8年 1
0月)
。
なものに限る 。①過去の記憶に頼る質問は、記憶違
このような 一連の手続きとプロセスを経て、調査
票の日本語最終版をほぼまとめあげたのである
(
1
9
9
9年 1月 8日)
。 質問領域 (
調査項目)と質問項
いが生じやすいので、なるべく具体的な質問にする 。
⑤他の調査の中で優れた質問文があ ったら 、なるべ
くそれを採用し、その謂査結果との比較ができるよ
目は、次のとおりである 。①家族領域:望ましい家
うにする 。 @
適切な敬訪を用いて、回答者の無用な
庭像、親子関係、親戚関係、老親扶養、結婚 ・離婚、
反発を招かないようにする 。⑦本音 を引き出しうる
跡継ぎ、先祖の墓参り、長幼の序、婚外性関係、異
質問になるように工夫する 。③被調査者のプライパ
シーに対する配慮が必要で、ある l州
。
性愛 ・同性愛など 。①生活領域.生活目標・価値
(快、愛、手 I
J
、身近な社会の正、 一般的社会の正)、
(
2)
文中に使用する用語の 問題
権威主義、規範観、努力観など。①人間関係領域:
①意味が 2通り以上にとれるあいまいで多義的な
心理的アタ ッチメントや準拠他者、友人、近隣関係、
言葉を含まない。②方言、流行語、仲間語(隠語)、
外国人との税疎、上司
I
時事用語、略語など聞きなれない詩句、一部の人び
部下関係、
トラブルの処理
法。④宗教領域:信心の対象、死後の世界観など。
44 ・人間文化
としか通じない詩句はなるべく使わない。①「難し
3
)
国際比較調査研究の体験ノ ート (
い言葉 J(=被調査者の大半がよく理解していない
や、事柄の私夜、性、社会的抑圧などのために歪んだ
と考えられる言葉)は使わない。言語能力の低い下
回答しか得られないような質問の場合には、間接的
位集団が理解できる表現や言い回しに心がける 。④
話法を用いる 。①否定的語法の質問は、意味を逆に
人によって違って解釈されやすい用語は明確にその
とられたり誤解されたり、答が肯定か否定かわから
意味を規定しておく 。①回答者によって受け取り方
主立を要する 問
。
なくなったりするので i
が異なるので、感覚的な語句は避ける 。⑥ステレオ
なお、福武は、意見調査の場合に特に留意すべき
タイプ (
s
t
e
r
e
o
t
y
p
e
) の用語(本来の意味内容の他
点として、次のようなものをあげている 。①回答者
に、特別のイメージやプラス・マイナスの双方の価
は、ある主題に関して立見を求められると、それに
値的ニュアンスをもっている単語)を用いない。 こ
ついてほとんど知識をもたなくても意見を述べる傾
の言葉が文中に入っていると、回答者が質問文全体
向があるので、立見をたずねる前に、知識の有無を
にではなく、その言葉そのものに反応して、マイナ
調べる質問 (
i
l
&
.過質問 f
l
it
e
rque
s
ti
o
n
) を行う必要
スのイメージをもつものは否定的な方向に、プラス
がある場合もある 。 ①f!;、見をたずねている質問が、
のイメージをもつものは肯定的な方向に回答が歪ん
でしまう 1191
実際には知識の有無を聞いている場合があるが、こ
(
3)
誘導的な質問の問題
に関する意見ではなく、 一般的な態度を知るために
。①個別の小さな 主題
のような質問は妥当性がな L、
eadingq
u
e
s
t
i
o
n
) とは、被調査者の
誘導質問 O
は、単ー な一般的質問よりも、その一般的態度の諸
回答に影響を与えて、回答を特定方向に誘導してし
側而に関した特殊の質問群による方が明確で有用な
まう質問のことであるが、それは、 「質問内容に対
回答を得ることができる 。④ある 一般的あるいは個
する回答ではなく、質問文に対する反響を得ている
別的態度に│到する質問に y
e
sまたは口 oと答えたもの
にすぎない Jのである 1501。従って 、①威光暗示効
に、その回答をくつがえさせるような第 2の誘導的
果 1511 をもたらす可能性のある説明的な文章は質問
な質問 (
b
i
a
s
巴dq
u
e
s
t
i
o
n
) を発して、第 1の質問で
文につけない。後光効果 (
h
a
l
oe
丘町 t
) を生む用語
問われた態度の強弱を判断する方法や、第 1の質問
や暗示的な語句は用いない。②黙従傾向、すなわち、
i
a
s
e
d
を省略して、相互に逆方向に誘導する 2つの b
質問の内容に関わらず、肯定的ないし否定的回答を
questionsを同 ー の被調査者に発する方法もある 。
する傾向 (
y
e
stendency.
n
o
t
e
n
d
e
n
c
y)にならない
①社会規範の存在する主題に関する立見をたずねる
c
a
r
r
y
o
v
e
r
ようにする 。①キャリ ーオー バー効果 (
場合、普通の言い回しの質問では 、その規範に適合
E妊e
c
t)に気をつける 。 キャリーオーバー効果とは、
した型にはま った回答しか得られないので、そのよ
先の質問が、後続の質問への回答に影響を及ぼすこ
うなときには、個人的質問の形にするか、間接的話
とである 。 これは、ワーデイングの問題そのもので
i
a
s
e
dq
u
e
s
t
i
o
nに頼るか、理由をたす、ねる f
o
l
l
o
w
法や b
はないが、誘導的な質問群として位置づけられる 問
。
up questlOnを付さなければならない 。 f
o
l
l
o
w
u
p
q
u
e
s
tlOnの場合には、考え得る限りの次元に分解し
て、各次元ごとに、その主な理由をたずねるか、各
次元ごとに理由を不定数回答させ、その不定数回答
IでI
I/l'i位をつけさせることが望ましし、 出
。
の
日J
(
4)
質問形式の問題
① 1つの質問文の中に 2つ以上の次元・論点を含
めない。すなわち、ダブルバーレル質問 (
d
o
u
b
l
e
-
b
a
r
r
e
l
e
dq
u
e
s
t
i
o
n)を避ける 。 これには 2つの論点
が並列しているものと、それらが複合した形式 (
複
合文)のものとがあるが、こ の質問は、その一方に
①一 般的
だけ賛成の回答者に混乱をもたらす
質問 (=世間 一般についての回答者の意見を求める
mpersonalqu
e
s
t
i
o
n
) と個人的質問 (=回答
質問 i
者個人の態度に関する質問 p
e
r
s
o
n
a
lq
u
e
s
t
i
o
n) と
時
を明確に区別する 。①経験などをたずねる場合、 I
点や期間に関する条件を明確に示す則
。
(
5)
その他の留意点
①質問文は短くて簡潔なものにする 。 ②抵抗・困
惑 ・否定的感情などを起 こさせる事柄に関する質問
l
s
(
2)
回答文 (選択肢) に関する基本的な留意点
質問のワーデイング (=質問文の作成) と密接に
関連しているのは、回答形式の決定 (=回答文 ・選
択肢の作成)である 。 それは、自由回答法か市Ij限回
答法(選択回答法)か、いかなる形の回答フォーマッ
トか、の決定に関わる 。
r
'道は、回答法を決定する
に際して、 ① 質問の内容、 ②調査の実施方法 (
自記
式か他記式か)、①調査対象者の特性 (
知識や言語能
力水準などから推測される回答の容易さ )、① 質問
紙の回収および点検、コーデイング、 ① データの集
人間文化・
4
5
国際比較調査研究の体験ノート(
3
)
計・分析も考慮に入れて、総合的な観点から検討す
(=アフターコーデイング)が難しく、数量 f
内処理
る必要があると述べるとともに、収集されるデータ
(
統計処理)がしにくい l刷
。
の測定水準に応じて、データ解析法が1
/
j
l
J
約されるの
(
2)
制限回答法(cIo
s
e
d
e
n
d
e
dque
s
t
i
on)
で、回答法の決定には、データ解析 j
去の考慮を先行
制限回答法とは、質問から予想される代表的な回
させねばならないと指摘している 1571。以下で、自
答選択肢を調査主体が調査禁を作成する際にあらか
,
社l
回答法および/
1I
J
限回答 i
去について若干説明をして
じめ川意し、この中から被調査者に該当するものを
おきたいと思う 。
選択させる方法である 。 この方法で選択肢を作成す
(1
)
自由 /
m答法 (open-endedquestion または仕ee-answer
る際の大原則は、 「 選択肢は相互排他的で網維 n~ で
q
u
e
s
t
i
o
n
)
なければならない」ということである 。「相互排他
自由 I
n
l答法とは、あらかじめ回答選択肢を用意せ
的」 ということは、選択肢が立味する内容に重複が
ず、被調査者の自由な表現で回特;を求め、それを記
あってはいけないということであり、 「
網羅的」 と
録する方法である 。 これには一般に、次のような形
いうことは、その質川への回答として考えられ得る
式がある 。①質問文の下に余白を設けて、被調1E~
全ての回答が、事前に選択肢として用意されていな
に自記を求める方式。① l
師接員が被調査在の話す l
村
ければならない、ということである 。そのためには、
谷を忠実に書きとめる形式。①書く項目数を指定す
予備調査でのヒアリング段階で、インフォーマント
るなど、若干のl/JI
J
浪を設ける形式。①全ての質問が
から選択肢として考えられ得る情報を卜分収集して
T情、不満
終わった後に、任意で調査自体の疑問や J
おくことが重要になる 。
。
などを記入してもらう形式 l制
この制限回答法のメリットとしては、次のようの
自由回答法のメリ ッ トとしては、次のようなもの
ものが考えられる 。①回答が紋準化されるので、被
がある 。①あらかじめ用立された同答の選択を強制l
調査者聞の比較が可能である 。 ①回答のコード化
しないので、被調査者は、自分の思っていることや
(=プリコード)が容易であり、数量的に処理しや
与えていることを自由に、
I~I 分の 言葉でみくことが
すい。①回答選択肢が示されているので、被調王筆者
できる 。調査主体からすれば、被調査者のナマの声
による質問の定、味の取り違えが少なく、質問に関連
が得られるため、調査主体が予想しなか った答を得
プライパシーの侵害感を
しない回答は生じない。 @
ることができる 。①制限回答法形式て、は、回答選択
与えるなどの 「
感受的な質問 J(
s
e
n
s
i
t
i
v
eq
u
e
s
t
i
o
n)
肢の検討を十分に行ったとしても、選択肢の数に制
には、回答を容易にする 。反面、次のようなデメリ
限が加えられるため、設定された選択肢で全ての回
ッ トがある 。①回答者は、選択肢の範囲内で回答し
答者の思いや考えをカバーできるとは限らなし、。そ
やすいので、その選択肢が自分の意見と十全に合致
のようなとき、多数の回答がありうる中で被調査者
しなくても、また白山回答法なら回答できないよう
の回答分布の見通しを待ょうとする場合に、自由回
な質問でも、何らかの │
亘│
答を与えてしまう 。 この点
答法は有効で、ある 。つまり、回答者の回答が、提示
で、制 │
浪回答法は、!日│答を誘導してしまう危険性が
された凶答選択肢のいずれにも該当しない場合、
ある 。①よく考えないで軽率に選択する公れがある 。
「その他 Jという回答選択肢を設けて、ここで 「そ
④ 質問の誤解を発見しにくい。①被調査者間の差異
の他」の具体的内容を明らかにする 。③他の質問へ
は、選択肢以上には捉えられない脚
。
の回答を解釈する背景的データを提供する 。④理由
(
3)
プリコード回答形式を作成する場合の留意点
をたずねるのに便利である 。①予備調査で朋いると、
制限回答法の質問の回答選択肢の作成に役立つ。⑤
~1 終報告書における有用な引用句の源泉となる 。 反
① 回答形式には、
r
p間百Jr
D
J
J詞などをつけた程度
の短い文 J 短いけれどもきちんとした文」の 3形
旦l
答選択肢に使われる
態がある 11i:l1。 そこでまず、 l
岡、次のようなデメリ ッ トも考えられる 。①文章能
用語と 言い回しについても、質問文と同じ注立が必
力のある被調査者には過しているかもしれないが、
要であるし、また、長すぎる選択肢は避ける 。②回
l
時間と労力がかかるので、無回答や表面的回答が多
旦l
答なのか複数回答な
答数を明確に指示する・・・単一 l
床を取り違えた回
くなる危険性がある 。②質問の君、 l
可答の方法を明示しておく…回答選択
のか 11)1)。 ①│
答、質問の意図とは関連のない情報もあわせて収集
肢の番号に Oをつけてもらうのか、決められた場所
される 。①回答が、質・韮ともに多様で標準化され
に¥
I~2 のチェックをつけてもらうのか、それとも
ていないので、集計・推理段階でのコーデイン夕、
回答記入欄に回答選択肢の昏号を記入してもらうの
4
6 ・人間文化
3
)
国際比較調査研究の体験ノ ー ト(
かを明確にしておく 。特に自記式の場合は、各質lIiJ
f
i
Jの特殊取式としての質問紙」 という表現を使っ
ごとに回答方法を指示しておくか、もしくは、調査
ている (
p.
205)
。
主主として回答方法を折
察の 冒頭で、戸│答記入上の j
88) 1[ 1 道官 r nÍJ"t~占 J p
p
.
1
9
9-200
。
示しておく 。 @
回答選択肢には番号をつける … コン
89) 1
[
'i
l
l
l
t 前縄井 Jp200。 その他に次のような
ビュータにデータ入力することを与えて、同答選択
'
f票は、 (記憶の助けになる
定義もある 。「而抜司H
肢につける記号は数字を J
F
Jいる 。⑤ コンピュータに
もの〉 として、調査貝によって使われ、しかもそ
大量のデータを入力しなければならないような場合
れは調脊員によ って記入されるものである 。 これ
r
には、回答記入欄を設けた方がよい。 そのことによ
に対して質問紙は、通常、倒先調査.{4の手を全く
時の
って、デー タ入力の手間が減少し、また、入力 l
1I'i'りずに、記入されるものである 。つまり、被調
ミスも少なくなる 。①回答選択肢を網羅的にする 。
ぞう者一は日の前の説明占にしたがって、自分で書き
I
l
I
答選択肢に
⑦ 回答選択肢を相互捌 他的 にする 。③ I
入 れ て 行 く の で あ る J(PH マン 『前 掲 訳 書 j
「 その他J を含める 。①判断や芯J~ を求める質問で
統計調 f
f
i
iにおいて 、統計を作るのに必
p
.
1
8
4)
oI
は
、 「わからない J(
DK)とか、 「とちらともいえ
~:な|‘lY 報を調査対象から得る目的で、調査 ・ 観察
1
ない」 とい った 1
1
1
終選択肢を設けておく 。 j
gl
可終選
すべき事項を規定し、調査対象の同答・観察結
択肢の数は、多くなりすぎないようにする 。 1
m答選
果・測定値等を記録するための形式を調食票また
J(浅 :JI:晃『調査の技術』 日科技
択肢の数が多いと、回答者は質 I
[
J
¥文や回答選択肢を
は賀川崇という
J能
読むのが面倒になり、いいかげんな回答をする u
辿1
'
,版社、 1
9
8
7司
、 p.
45)0
性が強くなる 。⑪数字を区切 る場介に、第 lに、い
1
1がひとまず他;とされる 。次はそれを質問文の丈
くつからいくつまでとったらよいのかという総スパ
市として記述する 。 その集合が調査票である 」
ンの問題、第 2に、ど こで 区切 ったらよいかという
u
l
-身 「調査京 」 奥田干(1)玄・北 i
l
l- 身・中村
(
北J
問題、そして第 3に、いくつくらいに区切ったらよ
耕i
f
i サーベイ・リサーチの 1
1
ト界 JI
=
I
桃書房、
いのかという問題がある 。第 1の場合は、先行研究
1
9
8
5イl
'
、 p142)
。
90)稲止には調査項目の去現の仕方 (
見出語形式か質
の成果や予備調査等 を参考にして決めることができ
1
2
<
:
1
;
)
)
り
型
と 5 ・1
0
1
三切
るし、第 2の場合は、 4 ・9
り型とがあり、回答者の心理 をよく考えて、カテゴ
リ一間の人数に偏りが出ないよ うに選択する 。 そし
て、第 3の問題は、クロス集計等、統計処理の布効
I
調1fの企 1可で質問項
r
l
I
i
J
文1
I
んにか)で、I['
Aは記入の仕 }J (白記式か他
夫別して
記式か)によって、調査票と質問紙とを l
いる 。
91)市水健一 I
社会学講義
人と社会の学-J中央
公論社、 1995年
、 p.
239。 このことについて、 富
性を考えて決める 酬
。
(
未完)
永は次のように述べている 。「 長さを i
)
!
l
J
定するの
に物足しが必要であるのと同様、社会階層的地位
註
86)福武直 『
社会調査 j布
i
f
訂版、 p.
l34o
8
7)福武直 『社会調査』補訂版、 p
.
1
3
6。両者のば
をiJ!1]定するのにも、 一極の物差しがなければなら
な
し
、。 これは社会!併用調食だけのことではない 。
たとえば政党支持調併なら政党支持が測定される
~iJを明確にできない理由として、次のようなもの
のは質問紙によ ってであるし 、貧困調査なら生活
をあげている 。① |士| 計式の訓 ft LE が質問すl.~である
水準がìl!1]定されるのはやはり質 IU]~K によってであ
と考えられることがあるために、調査票をJlJ¥
i
、
る
る。質問紙が測定の道具であるというのは、そう
調査が面接法(in
t
e
r
vi
ewmethod) と質問紙法
いう加味である J(
p239)
。
(
q
u
e
s
t
i
o
n
n
a
i
r
e methodJ とにわけられ、それが
白計式他計式と同様に使用 される 。 しかし、実際
には、面接方法によるものでも質問紙とよばれて
いる 。①調査票は、事実についての調査票であり、
立見や態度の調官に用いられるものは質問紙であ
ると考えられるが、事実についての調査でも質問
9
2)山水健一『前倒,:
IJp219。その立l
味で、富永は、
統計的調査は質問紙法調査ともよばれるという 。
93)1
ヒ似一身 「
前J
l
l論文 Jp.142o
94)小怯 i
下「
調査去を作ってみよう J大谷信介・木
ー1'- 栄
φ ・後藤範 ~t ・ 永野武編著 『 前-t[\ 書 J
p.
66o
95)II
'J
I滋 「質問]文の作り方」宝月誠 ・中道賓 '8
1
1
:
:
r
i
i
i
t
E
l
T
jp_
7
1
紙とよばれるものがある (
p.
l36)
。 なお、ランド
I
I
'
i
.
T
i・1
'野正大
パーグは、 『
社会調査 j (福武・安 田訳 )で 「調作
二1
'
i
[
l
J
¥のギャ ップとして、 ①専門家一 日常人のギ
J
0
L
I1
1
'は具体的な
人間文化・ 47
国際比較調査研究の体験ノート(
3
)
ヤツプ、 ② 関心の有無・深浅のギャ ップ
、 ①調査
票に対する税しみー疎遠とい ったギャップをあげ、
ている (
pp.
7
1-72)
。
書
.
1pp.87-88)。
109)酒井隆 『
前掲書 jp
.
7
8。質問群を決めた I
}
I
買
に
配列し、コ ーデイングやコンピュータ入力の便な
9
6
) ランドバーグ f
前掲訳書 Jp.
206
。
どから、必要ならば、回答記入欄も設ける (
中道
l8
1-1
82。
9
7
) ランドパーグ [
前掲訳書jpp.
官 『
前掲書 Jp
.
2
1
5)
。
9
8
) 佐藤健二 「データの収集
新しいテクストづく
110) 田口正巳 『
前掲書 jpp.145-1
460岩永雅也
り」石川 淳志 ・佐 藤 健 二 ・山田一成 『前掲 書 j
48
。杉山明子 は、調査票の基
「
調査票の作成 Jp.
pp.
285-287
。
本原則として、 ①調査目的・趣旨に沿っているこ
99)田口正巳
f
前掲書jp.
l4
3。
前掲訳書 Jp
.
7
0。
1
0
0
) Sウェ ッブ &Bウェ ッブ 『
1
01)宮下一博 「
質問紙法による人間理解」鎌田雅
彦 ・宮下一博 ・大野木裕明 ・中津潤編著 『
心理学
マニュアル ・質問紙法j北大路書房
、 1
9
9
8
年、p
.
20
1
0
2)富永健一『前掲書jp.
2
2
1。 ランドパ ーグ 『
前
掲訳書jp
p
.
2
0
6-2
0
7。
.
2
2
1。
1
0
3
) 富永健一 『
前掲書 jp
1
0
4)宥永雅也 「
調査票の作成 J岩永雅也・ 大塚雄
.
5
1。
作・ 高橋一男 『
前掲書 Jp
1
0
5)宮下一博 「
質問紙法によ る 人間理解Jpp.
3-6
0
1
0
6)佐藤健二 「デー タの収集一新しいテクストづ
くり Jp2860
と
、 ①調査相手の協力の限界を知ること、 ①調査
の枠組みをし っかり 立てること、などをあげてい
る(杉山明子 『
社会調査の基本』朝倉書庖、 1
984
年、p.
77)
。
1
11)池田謙一 「
調査方法・質問紙 JNHK
放送文化
研究所編 『
世論調査事典j大空社、 1
9
9
6年
、 p.
650
.
6
50 岩永雅也 「
112)池田謙一 「
前掲論文 Jp
調査
票の作成 Jp.
50。 田中滋も、調査票 は複数の質問
から構成されるシステムをなしているとして、テ
I買の両面から 調
ーマの配列ならびに形式的回 答手 J
査票が全体として 1つの流れを構成し、回答者に
余分な負担がかからないように工夫することの必
要性を指摘している (
凹中滋「質問文の作り方」
専 「質問紙法による人間理解 Jp
.
5。
1
0
7)宮下 -t
pp.75-76)
。
1
0
8)集合調査法以外の方法でア ンケート調査 を実
1
1
3)岩永は、 第 1と第 2のタイプは、限定的な内
施する 場合、一般的に調査票に盛り込まれる他の
容で、しかも 事前に明確な仮設が立てられている、
構成要素 としては、次のようなものがある 。①調
といった調査でなければとりにくいスタイルであ
査地点 (
地域)記入欄
留置法や面接法などの調
り、第 3のタイプは、 実態把握型の記述的な調査
査票を回収する調査実施方法の場合には、 実施進
が最も多い、と指摘している (
岩永雅也 「
調査察
行状況を地点別にチェ ックするため、また 、回 収
)
。
の作成 Jpp.50-51
後の地点別集音│
作業のために、調査票の表紙に調
査地点記入欄を設けておく 。調査地点は予めコー
1
1
4)君塚大学「研究経過 H例教大学総合研究所報 j
第1
6
号
、 p.
l5
。
デイングしておき、調査員 が回収時にそのコード
1
1
5)評定法とは、 「
程度」ゃ 「
頻度 Jという形でい
を記入する 。①サンプル番 号記入欄…個 々の調査
くつかの段階を 設定し、その中から選択してもら
票にサンプル番号 を記入する 。デー タの処理過程
う方法である 。通常、 5段階、 7段階が比較的よ
で点検など必要なときに目的の調査票を簡単に抽
く用いられる 。段階の選択肢の表示 としては、 5
I
l
i]収調査票を番号順に整理してお
出できるよう、 '
段階評定では、 一般的に 「とても J やや J どち
く。私たちの調査票にはこの欄を設けなか ったが、
らともいえない J あまり J まったく 」 などが利
個々 の調査票 にはサンプル番号 を記入した。①調
用される (
宮下一 博 「質問紙作成の基礎 Jpp.14
-15)
。
査員 (
担当者)記入欄一被調査者の回答を 調査票
に記入した調査員名 (
面接法、電話法)、調査察
r
r
r
r
1
1
6)浅井晃は、フェイスシー トと いう英語は存在
を配布・回収した調査員名 (
留置法)を記入する 。
しないと述べて、自らは 「
基本特性欄 J(
c
l
a
s
si
f
i
④実査進行状況記入欄…調査員 の訪問日時や被調
cat
i
o
n dat
a) という用語を使 っている (
浅井昇
時間) を記入する 。①実
査者と の接触状況 (
面接 l
.
7
0)
。
『
前掲書 Jp
査不能理由記入欄一移転、 長期 ・一時不在、病気、
訪ねあたらず、拒否などに類別して記入する (
中
215。辻新六・有馬昌宏 『
前掲
道賓 『
前掲書 Jp.
48 ・人間文化
117)岩永雅也 「
調査票の作成 Jp
.
5
10辻新六・荷
馬昌 宏 『
前掲書 Jp.
89
。
118)森靖雄 『やさしい調査のコツ 』 大月 書 庖
、
国際比較調査研究の体験ノート(
3
)
1989i
!
二、 p.
38。辻 ・有馬は、フェイスシートが来
'
t
l
:
があるため、そのようなリスクを回避するには
たす役割として 2つあげている 。 ① なぜ回答内科
もう少し大きなくくりにするのがよいのではない
が異なるのかを説明する要因、すなわち目的変数
かとの考えから 、最終的に 4段階とした 。 ちなみ
(
被説明変数、従属変数=なぜ回答内容が異なる
0
0
7
51L
J未満、 1
0
0万円以上
に、韓国調査では、 1
のかを匁│りたい質 I
I
J項目)を説明するための説明
200万円未満、 2
0
0}j円以仁
変数 (
独立変数=目的変数の迷いを説明するため
下回調査では、原案で
円以上の 4段階に、また、 l
の質問項目 ) としての役割と、 ② 回答者に偏りが
ないかどうかを雌認する基準としての役割である
1万元未満、 1万疋以上 3万元未満、 3万
)
1元未満、 5万元以上の 4段階となっ
元 以 上 -5
(
辻新六・有馬昌宏 『
前J
勧告 jpp68-69)
。
ていたが、実際には、 5.
0
0
0元以下、 5.001-9.999
1
1
9)一般に、フェイスシート項目のもつ主義とし
3
0
0
)
)円未満、 300万
は
、
元
、 1
0.
0
00-19.999元
、 2
0
.
000-29.999元
、 3
0
.
0
0
0
て、中道は次のようなものを指摘している 。 ①被
-39.999元
、 4
0
.
0
0
0-4
9
.
9
9
9元
、 5
0
.
0
0
0元 以
調査者の社会的文化的構造に占める位院を把握
うように 7段階に分類されていた 。
tとい
し、その脈絡において被調査者の回答の 差異を探
1
25)渡辺秀樹は、社会化 (
s
o
c
i
a
li
z
a
t
i
o
n) を 「個人
る手がかりとする 。 ②官公庁の統計資料からも詳
が他省との相互作用のなかで、彼が生活する社会、
細な情報を入手できるものが多く、調査での回答
あるいは将米生活しようとする社会に、適切に参
f
J
1本の代表性や回答主f
の偏りを
加することが可能となるような側仰や知識や技能
確認できる (
"
1
'
道l
t 前掲 :
1
jJp
p
.
2
1
4-216)
。浅
や行動などを腎得する過程 Jと定義し、社会化研
分布と比較して、
r r
井も r
'道と同様の指摘をしている (浅井晃 『前
J
!
,l
.
究の領域を整 J
Aする取J
Iとして、 ① 社 会 化 の I
時期、
書 jp
.
7
0)
。
② 社会化の内容、 ① 社会化の場、 ④ 社会化の背景
1
2
0)調査票には、 (
以後にあなた白身のことについ
の 4つが与一
えられるとしている (
波辺秀樹 「
社会
てお聞きします 〉 と記入して、 1
3の質問項目を設
化」編集代表森岡清美 ・塩原勉 ・本間康干 『前掲
,
¥
IJp.
596)
。
定した 。
1
21)ちなみに、韓国調査では r
l
'卒 、 高 卒 、 短 期 大
学、大学校 ・大学院、その他に、また、
q
J
同調査
y
rrr' 、高中、,~ ,
専、大専、大学・研究生、そ
ではネJ
の他となっている 。
1
26) J
j
j(純輸 "
[J
:
f論一 階 府 立 識 研 究 の 課 題
r
」 原純
!
I
i
l
if
f
f
u 現代 n
本の階l
F
i構 造 2 階層怠識の動態 』
東京大学 山版会、 1
990年
、 p
.
10
1
2
7)今回高俊・原純物Iiは、職業、学歴、所 f
与なと、
1
2
2)サブクェスチョンは、ある質問に判定の恒1
2
5
附照的地位の 6つの次元について、個人が各次元
をした回答者に対してのみ、いくつかの追加質問l
で占める位置が一貫的 (
整合的 ) であるのか非一
をする場合に用いる手法であるが、それによ って
目的 (
非整合的) であるのかを検討し、現代日本
調査票の構造をより系統だった体系的なものにす
社会が全体として地位 )
1
:
一貫的な社会であること
ることができるところにメリットカ fある 。しかし、
を明らかにした (
今回!日J俊・原純'liiI
i"
[
社会的地位
これを多用すると回答者の混乱を招くことにもな
の 一 貫性と ~I三一 貫性 J Í:~;水健 一 編 『 日本の附層構
るので注意が必致ーである(岩永邪也 「
調査票の{午
造 J東京大学出版会、 1
9
7
9年)。
nr
前 掲 書 Jp
.
2
0
0
。
成 Jp
.
5
4)
。 また、西平重苦は、回終者をあまり
128) 巾道
心理的に追いつめないためにも、サブク ェスチョ
129 ) 中道官 r lÎÍît~書 J p.
200。
ンは避けたほうがよいと指摘している (
西平重喜
1
30) ランドパーグ 『
前拘訳書 Jp.
l87。
『
統計調査法 j培風館、 1
985年
、 pp.
29-30)
。私
1
3
1)福武前 『
社 会 調 査 j持n
訂版、 p.
l400
f
前掲書 Jp.
24
。
たちの調査票では、これ以外のところではサブク
1
3
2)森清雄
ェスチョンを用いていない。
1
33)森靖 /
.
i
j
t 前掲書 Jpp.31-360
1
2
3) これは、総務庁統計局が制定した H本標準 l
隊
業分類を参考にして構成した 。
1
2
4)当初jは200万円間隔で 6つに分類する案が出さ
r
134)福 武 l
宜 『
社 会 調 査』 補訂版、 p
.
1
4
1o "
[調 査 項
1
Mが調査の成否をほぼ決定する 」 とす
けの選定立 1
る戸田貞 二三・I
I'FI:l和衛は、調会食f
項l
rを選定する際
れたが、あまり分類を紺│
か くするとグループこと
に Y'一t~i
の比率がアンバランスになり、また、グループに
① 捌査項 Hは調査日的に庇応、ずるものでなくてはな
よっては分析に耐えられないものが出てくる可能
らない (=調資日的に h
訟
1も適合した項目を選ぶ)
九。
人間文化 ・ 49
国際比較調査研究の体験ノート(
3
)
②調査項目はできるだけ簡易平明で、はあるが、し
1
4
6)中道官 『
前
:
t
M
在 jp.
202。
かし調査目的に十分応じ、かっ調食に正確な結栄
を与え得るような項目が選ばれねばならない。①
1
47)小松は、 「ワーデ イングの 問題」 とは 「質問文
で使う 言葉や聞き方に注意をしないと、調査対象
調査項目はできるだけ数の少ないことを必要とす
者が勘違いしたり、調査企画者の意図とちがって
る (
戸 田貞 三 ・F
'
l
l因
不1術 『
社会調査の方法j 日黒
受け取られたりして、回答に歪みが生じること 」
子
i
=
I
徒
、 1
9
5
0年
、 pp.
25
1-2
5
8
)。
であると定義している (
小松洋 「
調査禁を作って
1
3
5
) 宮下一博 「質問紙作成の基礎」鎌田雅彦 ・宮
1'" 一 博 ・ 大貯木裕 I~J ・中 i宰 i問編者:
前
:
j
t
l~:Jl
r
pp.
lO-11。
1
3
6)君塚大学 「
研究経過 Jp.
l5
。
1
3
7)小松洋 「
調査票を作ってみよう Jp
p.67-6
80
1
3
8)辻新六・有馬昌宏 『前掲書 Jp
.
6
60
1
3
9)中道貨 『
前掲喜 Jpp.
20
0-2
0
1。 どのような情
71
)。
みよう Jp.
1
4
8
) 丙平重喜 『
前娼古 Jpp.
2
6-3
1。小野能文 「
調
査票の作成」井卜.文一夫・井上手J
I子・小野能文 ・西
垣悦代 『
前掲書 Jp
p
.
8
3-84。安田 三郎 ・原純車lI
i
『 前掲 i~:: j p
p.139-1400 :~田秀樹 『 前掲書 j
pp.
30-31 。 杉本 ry~ 子 r M 掲者 J p79。北原 一身
は、質問]文作成の基本姿勢として、 ① きけないこ
報を収集するのかを明 {
!
'
{
gにするということに │
刻し
とをきくな、 ①知りたいことを押しつけるな、 ③
て、中道は次のようなことを指摘している 。 ①調
きけることはきけ、 ①明瞭にきけ、の 4点をあげ
査問題のあいまいさ、不適切な概念化、概念的・
ている (
北原一身 「
調査察 Jpp.
l4
7-1
51
)。
操作的定義の厳密さの欠如は、収集すべき情報の
1
4
9)小松洋 「
調査票を作ってみよう Jp
p
.
7
2-75。
r
前掲書 Jp
.
2
0
2。小野能文
r
タイプをあいまいにし、期待するタイプとは異な
中道 ~a:
る情報を収集してしまう 。①収集できる情報のタ
.
8
4。安田 三郎・原純車i
l 前掲書 Jpp.137
成 Jp
イプについての十分な認識は、調任問題の解明 ・
解決、仮説の検証に寄ヲーする質問の設討を可能に
する 。①それは問ー タイプの情報による複合的な
i
J!1J皮の構成を可能にし、情報のタイプに適合 した
分析を導く 。態度 i
J
!
l
J
定尺度の構成は異なるタイプ
J
能である (
p
.
2
0
2)
。
の質問問では不[l
1
4
0)宮下一博「質問紙作成の基礎 Jpp.
l2-1
3
。
r
1
41
)l
L
J口洋 「日韓中比較調査設計討議 J 仰教大学
総合研究所幸I
U 第16号
、 p
.
2
30
1
4
2) 山口洋 「
比較調査項目、方法の検討 Jr 何I~ 教大
学総合研究所報 J第 1
6号
、 p.
25。次のような質問
項目が具体的に提案された。①家族 '日常生活の
「
調査票の作
1
3
9。辻新六 ・有馬 昌宏 『
前掲書 Jp
.
7
8。
1
5
0)中道官 『
前判官 jp
.
2
0
3。
1
51)威光 H
音示効果とは、 「
権威ある人の見解や一般
に流行していることを示すことで、その見解・態
小松
度に対象者を誘導してしまうことである J(
.
7
9)
。
洋 「
調査票を作ってみよう Jp
1
5
2)原純輔 ・海野道郎 『
前掲書 Jp
p
.
1
1
5-1
1
7。中
道官 『
前掲書l
Jp
.
2
0
3。小松 i
羊 「調査票を 作って
みよう
Jpp.
80-83。安田 三郎・原純輔
『
前掲書j
p.
l3
8
。辻新六・有馬昌宏 『
前掲書 Jp
p.79-8
0。
1
5
3
) 飽戸弘は、多次元を 一挙に測定するための質
問のための工夫を凝らしたものとして、ガットマ
中の権力の所在、夫婦の消費の比率、結婚の適齢
ン (
L
o
u
i
sGuttman)の“ファ セ ット理論'をあ
期、配偶者選択の基準、結婚式の仕方、親戚との
げている (
飽戸弘 『
前掲書Jl pp.
l8
5-1
8
8
)。
付き合いの H的。①職業:職業の変動、職業の移
動の方法、職業に対する満足度、職業トレーニン
グに対する希望の有無、 ~l 初の仕事に対する考え 、
余暇の過ごし方。①政治:実際の参与形態、政治
自然 ・環境:自然
への関わり、情報のルー ト。 @
資源、インターネット 。①生活:年中行事、中国
の若者の飲食の仕方等。
143) 君塚大学 「日韓中社会意識の比較の調査票
(日本語最終版)の構成 H例教大 学 総合研究所幸~ J
第1
6号
、 P
.
3
20
1
4
4) 中道賓 I
前掲書 Jp
p
.
2
0
0-2
0
10
1
4
5)岩永雅也 「
調査票の作成 Jp
.
4
50
50 ・人間文化
154) 中道官 『前掲書 Jp
.
2
0
3。 原純輔 ・海野道郎
l1
5-1
1
60安田 三郎 ・原純中lI
i 前掲
『
前掲苦 Jpp.
r
書 Jp 137。 福 武 直 『社 会 調 査 』 補訂版、
pp.144-145。小松 i
羊「調査察を作ってみよう 」
p
p
.
8
5-88
。辻新六 ・有馬昌宏 『
前掲書Jpp.78-79
0
社会調査j補訂版、 p.
l4
60
1
5
5)福武直 『
1
5
6)福武直 『
社会調査』補訂版、 p
p
.1
4
7-1
4
90
r
r
1
5
7) 中道賀: 前掲書 Jp
.
2
0
4。
1
5
8) 中道 1
'
t 前掲井 Jp
.
2
0
5。小松洋 「調査票を
作ってみよう Jp
.
9
8。
159) E
D日正 巳 『前掲書 Jpp.154-155。西平重姿
.205。福 武 直 『社 会 調 査 j 補訂版、
『前掲告 Jp
3
)
国際比較調査研究の体験ノ ート (
p
p
.
1
5
1-1520小野能文 「調査票の作成 Jp890
かを調べるために制限回答 j
去を用いる 。つぎに、
辻新六・有馬昌宏 『
前掲書 jpp75一7
6。 中道賀
被調査者の当のトピ ック に対する一般的な感情を
2
0
5。 なお、中道は、自由回答法によ
『
前掲書 jp.
調べるために自由回答 j
去を 用いる 。第 3に、当の
るデータの代表的な処理の 仕方には、 ① K]
i
去
を
トピ ックの個々の 側而を探求するために制限回答
!
1
1しつつ、対象
援用して、被調査者の現実認識に E
法を用いる 。第 4に、被調査者の見解に対する自
の質的で総合的な状況分析を試みる、 ①類似した
身の埋由づけを発見するために自由回答法と制限
回答をまとめてカテゴリ ーを作 り、統計的処理が
同答法の両方を用いる 。そして最後に、被調査者
可能な加工を施す、などの方法が考えられると述
の見解の強さを調べるために制限回答法を用いる
べている (
p
.
2
0
5)
。
pp206一2
0
7)
。
のである J(
いれでもほとんどの回答者は書いてくれない。 な
1
6
3)森靖雄 f
前掲書.
1 p.
45
。
1
6
4)選択数に関する小松の次のような指摘は 示唆
に;富む。複数回答にして意味があるのは、回答数
ぜなら、対象者に多大な負担を強いることになる
I限
が制限できない場合だけであって、回答数を市J
小松洋「調査票を作ってみよう 」
からである J(
できない場合以外は、
1
6
0)小松は次のようにいう 。「 自由回答の安易な採
用は絶対にやめよう 。調査票の本文に自由回答を
p.
9
8)
。
1つだけ選 んでもらうよう
にすべきである 。その理由は、単純集計しか分析
1
61
1 小松洋 「
調査票を 作 ってみよう Jp
p
.
9
3-9
40
できないし、クロス集計の意味がよくわからなく
1
6
2)福武直 『社会調査』補訂版、 p
.1
53。 中道賓
2
0
6。 なお、中道は、核心変数につい
『
前掲書 jp.
l
j
J
l
限回答 j
去を相互補完的に併
ては、自由回答法と f
なるからである (
小松洋 「
調査票を作ってみよう 」
pp95-9
7)
。
1
6
5)辻新六・有馬昌宏『前掲書.1 pp81-8
3。 中道
用する方法を 、次のよう に提示している 。
「 まず、
官 『前掲書 Jpp.207-209。 森 靖 雄 『前掲 書 j
被調査者が当のトピァクについて考えたり知覚し
pp.
45-5
20
たり行動したりしたことがある (している)か否
人間文化 ・ 51
本学所蔵古文書の調査かう
野洲村の神棚天満宮
人間文化学部地域文化学科
-1
8世紀半ばの庶民信仰-
史料 1
︿
﹀
抑湖東野洲村神棚天満宮ピ奉中ハ、同国甲賀郡山村天清宮一一林今日神也、
柏原之一俊有え
) b
三七日夜余リ来品龍之内、蒙御神詫(託) 依え去ル享保十八年五ノ十一
頃
年来此天満宮を信仰いたし数度歩を逐ひ候、有比 (
も
ハ後御閣石を以
-m W
Jらかにしたい。
HA
以下
近江同における庶民信仰の
月廿五日え夜潜に私宅へ勧請中、則神棚に奉安置候、
*
i
口家文子?を中心とした関係史料の 介を通して、こ
出
f
白・の存在形態を示すとともに、 1
8世紀半ばの
の天 l
ニよリ、近在所々よリ、開伝に所支え御参詣人造日数多御座候故、手
すものは管見の限り存在していない。本稿では、野
T白分え願事を窺い中上候-一、山村御同事に御指図被成下霊験御座侯
あたらない 1。 また、野洲村の地理!・歴史に触れる
地誌頒や自治体史類で、野口家の 天満;
是
(について記
前え経営を指置神時制同事に勤罷在候、然ピも近代の事-一候へハ伽仰す社
地域であるが、野口家の天満宮のように、個人宅に
勧請された神仏についての歴史的研究はほとんど見
ピ中にはあらす、ロハ俗家一之内科棚に奉安置候ニよリ、神棚え天満宮ピ
ω のうち、文書番号幻
M
l
i認された。近江国は、布1
1
社信仰に│勾わる歴史・民
俗・ 宗教 ・社会学的研究成果を膨大に;占平和している
は 中 候 、 比 度 少 キ 願 望 え 儀 有 え 方 人 議 奥 行 い たL候、伽仰信記一之御方人
延字元叩子九月
であるが、すでに調査を終えたもののなかに、tl!J.口
8世紀に自宅に勧請した天満宮に│刻わる史料が
家が 1
(﹁野洲村野口家文書目録﹂
4号 (
2
0
0
1・2002年) に 「野洲村野口家文書目録」
(
1
)・(
2)
として掲載されている 。整理は現在も継続中
自録2lUと略 記する)
書目録は、 『
滋賀県立大学博物館実現報告書 J3 ・
数 に 御 村 可 放 下 候 、 則 御 名 を 帳 面 に し るL置 、 毎 年 正 ・ 五 ・ 九 月 廿 五
2000
年度から、博物館実習の受講生や学生有志と
ともに、本学所蔵の野洲郡野洲村 (
現野洲町野洲 )
日 於 神 前 息 災 延 命 ・諸 願 成 就 え 御 祈 念 可 申 上 岩 也
-はじめに
野口家文書の整理を行っている 。 その成果である文
幸 代
東
1 野口家と神棚天満宮
野洲郡野洲村は野洲川沿いに位世し、 /
11
'
止以来野
そもそも相│嚇j
大i
前宮は、甲賀郡堂村 (
現水 II
U
I
T
U
J)
u家の
洲市J必の所街地である 。 i.l戸初 WJ から~~領、元禄 11
にある山村神社 (
天満宵)に参能していた貯
年(1 698 ) 以後旗本斎藤領となる 。 I~ 安高辻帳によ
当主 (当 u
y
,
d
i右衛門宗次)が、ある l
侍
干1託を 受 け
、
れば、1J1
4
3
9石余・畑 1
0
4石余 ・永荒 93T
i余。 また、
1E徳 3年 (713) の村明細1
1
阪によれば、家数 261
1
;
[保 18"1:
:(
1733) 1
1刈25日に密か に門宅に N
J
J
U
iし
、
や
1
1
初!に安 i
丘したものである 。勧請後、 1
1
組石」 をも
(うち本行州:
1
9
4・水呑百姓 6
1) ・人数 1
1
7
6であり、
って私的な願い事を伺ったところ、山村和I
l
t
J:と同線
戸数の制に石高が低く、出作と j
立f
:
!
]稼にがlる村であ
2
3)に編
の霊験が認められたという 。立保 8年(17
(
l
il
J
p
j
!130、│悩働 35、荷
ったという 。 同年の余業は、 ;
纂が開始され、│百1
1
9年に完成する『近江興地志 1院本'
1
1
胤6
6、医者 2、小商・造柑 1
2、;
1
1
1しめ 1、紺屋
物1
には、この 山村神社について次のように 記されてい
1、大仁 2、髪結い 4、牛造 2、
,%
i
l
i6とあり、近
︿
史料 2
﹀
円石あリ、参詣男女祈願の
社培地正一尺許 (
約 三om)の
に比事を乞へば、}街宣神前
'
1
'
J
-口家が自宅の神棚に天満宮を犯り、これを 「
布
1
1
棚天満宮」 と称していたことについては、 『
実習報
吉凶を占はむピ欲して禰宜
合村(
現野洲町行畑)
の家並みに速なる集落音1
1
である 。
にT其一一三口をす向く唱ふ 。 吉 な
~í' 口家はこの野洲村のうち、四ツ家と呼ばれる集
務内に位置した。四ツ家は野洲村の東に位置する行
る 時 は 経 く あ が リ 、 凶 なる
であるがゆえの運送業への従事が主で、
あったようで
ある 事3。
時 は 盤 石 の 如 く に 重L 、丘ハ
奇 特 い らL るし 。 前一回の男
女 参 詣 甚 だ 多L,5
切の特産 1
1
1で、あった野洲 l
酒
場 2の加工や、街道沿い
止
│j
告書.
1 4号 (
2
0
0
2年)に史料紹介を兼ねて述べたが、
ここに改めて、延享 1年(17
44)の万人前興行に際
して示 された千1
1
1
棚天満宮の佐l
絡を (
史料1)として
紹介したい。
る。
神前で f~;立が唱えた祈願に対して、育ならば社壇
の丸石が軽く持ち上がり、凶ならば石が披イ?のよう
に重くなることにより、神託をあらわすという 。 い
5
2 ・人 間 文 化
野洲村の神棚天満宮- 1
8世紀半ばの庶民信仰一
わゆる重軽石 (
おもかるいし)の 3
1験である 。 これ
<Iと料 3>では、 11
村神社と判明l
天満宮の重軽石
により山村神社は、諸人、しかも 「
近同」 とあるよ
1
円
相1
6
0年(1985)
の関係についての 言及がないが、 1
うに、近江国以外の人々の信仰をも広く集めたとい
発刊された [自然・文物もの知│
り事典
う。野口宗次が宿願あって 山村千
1
1
1
社に参箆した の も
、
正│にー… ・寸 には、次のような県民からの
し近江の l
むかしむか
この霊験あらたかな重軽石に期待するところがあ っ
史料4
︿
﹀
重軽石野洲町野洲
野洲町野洲の野ロ健一家には、二
百年以上も前に近くの山村神社か
ら伝わった、重軽石ピよぶまるい
石がある 。 願いごピ 、
があるとう、
c竜王町
︿
史料 3
﹀
てん仁んせき)
天神石 (
江州水口の駅の辺、山村という所に天
満天神の社あリ 。天神石という石あリ 。
太いさ西 ,
瓜のごとく円き石なリ 。諸人
この 石の叔控室をこころみT、祈願の士ロ
凶を問うこと あリ 。願成就には石軽︿、
不成就には重し 。重き時は 一人LTあ
ぐることあたわず c経5時 ははむはだ
かろ し。伝え いう、天神筑 紫よリ持ち
7
(
後略)
来 た リ 給 う 石 な リ ピ 。 また同 州 野 須
洲)郡野 須(洲 )村に天神の小柄あリ 。
(
同七く石あ っT噌﹄れもiた同七。
それを持ちあげT、経く感じると
の解説書 [
雲桜志 j には、次のように 二つの石の記
その願いごとはかなうが、重ノ、、息
l年 (801)にかけて 、栗太郡山町郷 (
現草津市北
山田 )在の木内石苧“
* によって半年された諸問奇イ d
f
i
じるピかなわないピいう
まで別個のものである 。安永 l年(177
2)から 宇和
問屋の氏神勝手神社にも重軽石が
によるや1託が降るようになったというが、石はあく
。
c
'
野口家の神棚天満宮でも、 I
L
I村何時一
t
同様に重経イ l
み
め
たのであろう 。
投杭文が1
M載されている 。
1
:
記は大津市の 1
1
二l
l!:からの投稿であるが、現代に
1
嚇l
天満山の重軽石と 11
おいても、日頭伝承として十1
村
十11111との,
I
I
)J
係が語られていることがうかがえる。
<~と料 n に反ろう 。「 近在所々より 11H 伝に所望
之f
羽l
参詣人追日数多術l
/
'
i
モ
候」 とあることより、そも
氏の私的な祈願に対してボされた重軽石
そもは野 11
の霊験が口コミで評判となり、諸人の{,刊1
1を集める
ようにな っていることがうかがえる 。 しかも、その
繁践によ って
、 「
手l
i
t
r之続営を J
旨世相 1
1
依同事に i
1
J罷
:
'
]1:が併記されている 。
1
1村 神社の重軽石であ
目頭に記されているのが 1
{
i候」 と、白家の経常を 差 し置いてや1
1
1
般の ように勤
り、その内容は、 『
近江輿地志1
1
俗Jと大差はない 。
めていると記されるほと、多忙であ ったことがうか
そして、詳細には記さ れてい ないが、 「野須 (
洲)
がえるのである 。< ~と iëJ 2> に、
II I +~ 神社では 「 参
郡野須 (
洲)村」の天神石として記されているのが、
詣リJ ý,:祈願の吉凶を I~Î はむと欲して倒宜に此事を乞
野口家の神棚天満宮 の重軽石であると考えられ る。
へば、禰宜神前にて ;
!
t言 を高く 1日ふ。
」 とあるが、
『
雲根志 j が成 ったのは、千1
1仰l
天満寓の勧請から約
野円氏も、山村十1
I社の f
B
;宜のようにネ1
1前祈願を執行
3
0年後にあたるが、著者木内石,字が、野洲にほど近
lのうちには、
したのであろう 。 また、野 口家文、i
い草津の人であるという ことを 延しヲ│し、ても、判明l
「ノ寸前日守護所」 と押 印 された 干
1
1札 の現物 (
文書目
天満宮の重軽石の霊験は、iJ
J
村
1
'
1
1
1
社の重 経石と故ぶ
録には来年度以降収録予定)が残 っている 。 この神
ものとして著名となっていたのであろう 。 また、
札の包紙には、
(
史料
L
1
.
l
cが干11
1札 を独│
士
│
に発行していることがわかる 。
E
n に、
「
御宮社と けlにはあらす、只俗家之 │
人
j
神棚に奉安置」 とあるように、延 '
l
l年には特別な
f
l
J
J
I1
宗次」 と押印されており、野
íVJ 話、 'í 時のやjl 抑l 天 ú:I~'F'; の繁盛ぶりを J L
休的に示す
宗教施設を有していなかったが、安 j
k
l
切に は 「
小刷」
「天満符御参詣人街I
tL物惣勘 定J(
目録 1- 6) とい
1
という施設を有している こと がわかる 。 なお、野 1
う帳耐は、享保 1 8 irll 月 25 日の勧 ~í'J 以 米、 「 寅極月
家文書の中には、別手f
J6年(1769) f
天満宮封三
殿持
晦円迄」の収支決算を行ったものである 。 この帳面
請諸入用録J(
目録 1-1
5
) があり、ネI
l棚天満宮が、
j
の作成者は 「野口市右衛門 」 とのみ記されており、
宗教施設としての体裁を 次第に終 えてし、く様相 をう
代 々l
r
l
右衛門を名乗る野仁│
家の当主のうちから該当
かがう ことができる 。
者を保定するのは難しい 。従って、 「
寅」 が何年に
人間文化・
53
野洲村の神棚天満宮- 1
8世紀半ばの庶民信仰
9年 (
1
73
4)
、
あたるか断定はできないが、翌年の享保 1
る。右の他に御礼の物が品々あるが、詳しくは記し
2年後の寅年にあたる延享 3年 (746)
もしくはその 1
Jで書き留められており、実際にはより多
がたい。)
のいずれかであろう 。帳而には、この間の参詣者数
くの収入があったことが予想される 。
が「
凡人数合三千弐百人」であったと記されている 。
i
仮に、 「
寅」が翌享保 1
9
f
:ならばー 1平均の参詣人
2
年後ならば一 日平均は 1名未
数はがH 名、また、 1
満となる 。(史料
nにある、自家の経営を 差 し置
いてまで神職を勤めるほど多忙であ ったという記述
を事実 としてうけとめるならば、 翌享保 1
9
年と 考 え
なお、越後屋呉服応 の『
小迫日銀』によれば、享保
1
8年(17
3
3)秋の京都における白米 1石 当たりの小
4匁であ ったという 1 0
売額は、銀 6
2 神棚天満宮の霊験と信仰圏
ここでは、神棚天満宮の 霊 験について述べる 。
nでは、万人講中に対して、
るほうが妥 当 と思われる 。事1棚天満宮 は、流行布1と
〈
史料
して爆発的に信仰を集めたのではないか。
願成就」 を祈念するとあるが、これだけでは霊験の
「
息災延命 ・諸
具体的なありょうがわからない。
l
未詳では
そこで、野口家文書のなかから、年月 │
二
〈表1)入銀高(目録 1-6より作成)
高 (
銀換算)
日
項
f
割l
供米
をLゑ(教え ) 可核下侯
いたL候 哉 御 う か 、 い 可 放 下 候 、 扱 又
なんぞ外の リ よ ぢ (
療品川 ) 御 座 候 、御
西 ・東 ・南北内どのいしゃ(医岩)ニ
子年女、三四年、先日手足いたミ候所、
︿
史料 5
、
候由、右え通 皆
h 川間遠様御うか が い 核 成 可 紋 下 候
御神カニ而札上 リ候ハ、、半金ハ御紳前江差上中度
侯二村、第 一式 三 、 又 ハ 切 々 ノ 内 力 、 扱 又 口 じリか、
御神前ニ而御うか、い中上候、来ル廿七日福引有え
史料 6v
︿
﹀
(訳) 子年の女 。三十四 才。先 日 (
あるい
参持者にとって満足のいくものであ ったことを 示 し
訳)御神 前にてお 伺い いた しま す。来たる二十七日 に福
(
劃きがあるのですが、一、 二、三のように 連番か、パラか、
口じり (
不明)か、これら三通りのうち、 いすれの方法を
た人々の礼物高等の総額は 9
5
3匁 5分となる 。「術l
礼
銀」の項目の存在は、重軽石による布1託の結果が、
は
、 三、四年先日と読むか )手足が痛むこ
B銀を下表に示した。
この間の入 I
和1棚天満;宮に立願し、その成就により御礼に訪れ
とがありましたが、西東南のうち、ど
選ぶべ きか、 御神前 でお 伺いくださ るよう 御願い します 。
御神力によ って札が 上が った芯らぱ 、当選金の半分 は御神
言│
の方角の医者に 診せたらよ いか 、お伺いし
かねのを(
鐙の緒カ )・布木和i
i
I
包紙・八寸市i
てく ださい
。 さて 又、何か他の療治が芯 い
;
!
F
む
前へ差し上げたいと考えています 。以上の 通り間違いの忽
大立・小豆
2
通 (
文書目録には来年度以降収録予定) をみたい。
か、お教えください 。
7
91
匁
1
2
0匁
6匁
3匁 5分
2
5匁
8匁
9
5
3匁 5分
主H~ ' 1調l 干し叙
あるが、和1初l天満宮へ奉納されたと思われる願文
ている 。 また、これらの収入の処理の仕方は、以下
同
{l
入用分
手前へ入
余り預ケ
言
十
ロ (
銀換算)
1
6
5匁
2
3
7匁
5
5
1匁
9
5
3匁
・
(
*5分は不明 )
の通りである 。
「
御入用分」 は、神御l
天満宮関係諸費用として利
用された分であり、前述のネ1
1札の発行などもこの経
費からまかなわれたのであろう 。「手 前へ入」 は野
口家の私財として処理された分であろう 。 「余り預
ケ」 は誰に何のために預けられていたかは判然とし
ないが、繰り越し分であると考えられる 。 なお、こ
の史料は 「
右あらつもりなり、右之外ニ御礼之物
品々有之候へ共、委印かたく
54 ・人間文化
(
以上は荒積もりであ
右え通御神前二而御うかがい核成放下候晶体奉願候、
目
項
いよう伺ってくださ い
。
〈
表 2>出銀高(目録 1-6より作成)
野洲村の神棚天満宮- 1
8世紀半ばの庶民信仰
f
i綴 に 関
(史料 5> は、手足 の 痛 み と い う 病 気 の i
1
前に治癒そのものを祈
わる願文で、ある 。 ただし、 事1
願するのではなく、治療に際してのアドヴアイスを
求 め て い る も の で あ る 。 また、 (史 料 6>でも 、 福
1
に尋ねてい
引きに際しての当たり札の選択方法を事1
る。 この よ う に 、 い く つ か の 選 択 肢 を あ げ て 神 に 祈
り、 最 適 と の 神 託 が│
峰りた場合に、重軽石が最もPa.N
主
j
iに持ち上がっ たのであろう 。
事例が少なく今後の調査に負うところが大きい
が、少なくともこの
2つの事例を見る│浪り、判明l
天
満 宮 の 利 益 は 、 ま さ に 「諸 願成 就 」 で あ った といえ
る。すなわち、たとえば特定の病気の治癒のように、
機能神的に少数の祈願にしぼられて信仰されている
〈
表3
)延享 1年 (
1
74
4
) 万人講 奉加帳配布先
日付
名前
現地 名
冊数
l
:
E I
Y
r
二千
争
I冊
守山市吉身
9月2
7'
1
1 吉身
野宿衛門
守山市守山
│
司
1冊
寸I
L
J
同
今宿
山口 J
:
.
i
1i
l
l
l 守山市今宿
1
J,堂村 f主 I~
守山市焔 l
涯堂
1冊
同
大工久兵衛
司
│
l冊} 栗東市笠仙寺
2
F仙寺
栗東市総
同
伝吉
l冊
t
をH
笠川村
架東市笠川
同
f
云九郎
1
i
I
甘
権兵衛
同
野路村
UI 草津市野路
平 i~t市矢倉
│
司
矢倉
良八i!l
1
1柵
草i
j
t
同
H
I
I 草津市平洋
サクワン
(
左官)
藤兵衛
J
l
i
l
J
I
器
官I
I
f
J
'
F
1
e
i
街門
同
J
I
j
J
古1
1
村
金凶t1I
S
1
0月2
5日 i
H
i
i村
i
lヒ
自1
1
のではなく、現 │
笠利益の 神 として全能神的に 信 仰さ
司
!
iHn村
~Uιílìi r"J
れていたようである 。
同
嶋のiJ~
r
l
i自
1
1
兵衛
次に、具体的な信仰圏についてみていきたい。
(
表 3> は、神相)j天満宮で延享 1年 に 興 行 さ れ た 万
人講において、奉加帳が野 口家から配布された人名、
その在所、配布 fllJ-数、及び在所の現地名を -~1 にし
た も の で あ る 。 「天 満 宮 御 別 所 万 人 講 諸 方 江 帳 /
:
¥
:
,
し
覚 J(目録 2-26) より 作 成 した 。 講とは、事 1
1
仏を
杷り 、 ま た は 参 詣 す る 同 行 者 で 組 織 す る │
立│体である
が 、万 人 諮 は 文 字 通 り 多 く の 人 に 結 集 を 呼 び か け る
ものである 。 た だ し 、 総 数3
7f
0
t
に及ぶ奉加帳の配布
範 囲 は 、 後 述 す る よ う に 無 制 限 に 広 が っているわ け
ではない。野 口 家 か ら この 奉加 帳を波された人物は、
お そ ら く 日 頃 か ら 神棚 天 満 宮 を 信 仰 し て い る 人 々 で
81
世紀半ばのキ1捌j
天満
あり、 奉 加 帳 の 配 布 範 囲 は 、 1
圏を示している と考 え ら れ る の で あ る 。 な
宮の信仰l
l
'
には 、 「万人議」 と表紙 I
!
?された、
お 、 野 口 家 文書 r
こ の 時 配 布 さ れ た と 考 え ら れ る 奉加 帳 の 約 半 数 に あ
8
f
lfJ-が存在している(目録 2-27~44) 。 配布の
たる 1
後、奉加物とともに!b'j'口家に 回収 さ れ た 紋 様 で あ る 。
(
表 3> に よ れ ば 、 奉加 帳 の 配 布 は 9J
]2Hlに 始
(
下の江 )
i
,
1
右衛門
大J
U
I村
I
f
j左衛門
じ兵衛
1
1
11
8日 本自信-f
1
'
小
!
i
:
.
f
:
(
:
I
同
江 ~ri 村
じ兵 j
l
f
百
rl~ 村
1
1月9日 日r
品八左衛門
品村
J
i
I
J
八郎石衛門
同
7パ羽村
f
f
J
¥次兵衛
赤ノ t
l村 J
同
取次兵右衛門
大仁長左衛 門
同
I~I司
、嶋村
庄屋
1
1月 1
01
:
1 ノl
;
1
&七
自l
r
1
1月2
5日 I
工T
I
f
i村
1
十
ノ1
1村 小豆日1
1
同
{
卸f
主権=郎
甚兵衛
笠川
J
l
i
J
利兵 i
街
L
J
I
J
J村 同l
1
2J
'
1
6日 南I
l
t川本j I
目
兵
{
街
1
217日 幸i
起i
右衛門
1
2
月1
7日 古川十j
麻昼庄助
同l
十公前屋久兵衛
g、
ひし尽喜兵衛
同
大工市左衛門
辻町
同
阿
1f
1
1
1
1
1
1
1
11
&
1
1
冊
I冊
守山市J
I
安部
守山市勝部
近江八幡,i
I
江頭
I冊
架京市上下鈎つ
l冊
1
1
1
1
1
1冊
l骨
骨
中主田I
木部
近江八幡市江頭
近 iJ:八幡市江 ~ñ
守山市下之郷フ
平 i~t市志 )J日中
草津市志百l
r
竿i
1
t市
志
j
J
I
¥
1i
I
1 守山市赤野井
1
i
I
骨
1i
l
1
1
1冊
2冊
1冊
草i
j
t市片嗣
守山市小島
近江八幡市江頭
中主町井口
l冊
1i
I
骨
H
I
I
2H
1
1
架*市笠川
草津市南山 田
守山 "
i幸冷川
中主聞]古川
2l
i
骨
2i
l
l
l
l
i
l
骨
不明
京者j¥?
野洲町辻田T
まるが、この円は、中 山道 沿 い の 村 々 に 配 布 さ れ て
いる 。 そ の 後 1
0月 25日 ・1
1月 8日 ・同 91 ・│
日
]
10
日 ・同 2
5日・ 1
2月 6日・jP
J7日・ │
司1
7r
lに門己布され
とがわかる 。 また、 │
旦│収された奉加帳の 「木 部 村」
ている 。 野 n家 か ら 各 人 へ 具 体的 に ど の よ う に し て
分 (!d録
奉加帳が波されたかは不 明 であるが、 天 ?!~:î '自
1 の縁
n
2-33)に は
、 「丑 正 月 卜 五 日 」 と奉力"銭
徴収終了の 1
1
1
1
:
1が記されており、 1
1月 8F
l
の配布か
である 25Rを含んでいる こ とから、参 1に米た人々
T
l
I
収 さ れ た と 推 測 される 。 そ の 他 の
ら約 3ヶ月後に I
に直 接 手 渡 した可能性も考えられる 。
村々に│
刻 し て は 情 報 が な い が 、 い ず れ も 2、 3ヶ月
限1
1
¥
し:
i
:
f
:
J(n録
「天 満 符 御 別 所 万 人 講 諸 方 江 l
かけて回収されたと想:主される 。 なお、 奉 加~[をみ
2-26) には、回収のl::ll
l
寺について、 「大 1
1
1
1村 」 分
る と 、 例 え ば 木 古¥
1
村 の 場 合 、 計 59人 が 銭 11
1
8
0
2
のみ 「十 二 月十三 日ニ戻り 」 と記す。 大 f
l村 の 配 布
文 ・ 銀 4匁
3分 (
t
j録 233)を 出 し 、 ま た 、 在 所
0月 25日であり、約 2ヶ月後に │
旦l
似されたこ
日時は 1
人間文化 ・ 55
野洲村の神棚天満宮
1
8世紀半ばの庶民信仰ー
不明ではあるが、ある帳而(日録 2-32)
の場合は、言 1
9
3人から 「
奉加銭合七百壱文」
を集めたとある 。 先に、 「 天 ìlJ.)宵御参詣人 í~1l
1
干し物惣勘定 J(1
1録 1- 6)1
1
の 「
寅」年を、
9年と怨定したが、わずか 2、 3ヶ)J
享保 1
のうちに 1村から銭 1、 21
't文余が徴収さ
れている状況をみると、妥当ではないかと
思われる 。
(
関係地 │
主j)には、野 11
家の在所である
野洲、及び (
表 3> にあげられた地名を記
入した 。但し、 「
京」の 「ひし l
重喜兵衛」 は
京都の商人と
4
2えられるので古き込んでい
ない 。 また、同様に商人と忠われる 「麻
犀」 ・ 「
松前出 Jは在所が不明である 。
「大
1
1上・下鈎に比定し、 11
1
患の
山村 j は現架米 d
江」は、 奉加帳 │
三
│
録 2-36に 「下之江村 」
i
Lr
j1下之郷に比
と記されているので、現守 I
定した (
<
関係地図)には
.
w維になるため f'
}
き込んでいないが、守山に│務 刊す る地区で
ある 。
) 上記 1
m人以外は、全てり
よ1
)
'
1の現守 I
i
L
ïlj ・ 栗東 dï ・,',l:~~! 市・近江八幡 dï ・中 ミtlllJ
に属する.f.
J々を在所とする人物である 。 こ
れらのやj 々 は、野円家の 1Er~r 目f 洲村を 11 1 心
とする半径 1
0キロメートルの園内のうち、
全て琵琶湖 f
W
Jの千野音1にf
l
I
:t
i
'iし、かっ多く
が街道沿いのやj々であるという特徴をも っ
ている 。
「
息災延命・諸願成就」 という霊験と、流
行
干1的な爆発的流行現象を考えれば、実際は
〈関係地図〉
これらの村々以外からも多くの単発的な立願
者の参拝があったと考えられる 。だが、以上の分析
から、 1
8
世紀半ばの段階で村l
仰l
天満宮の信仰を支え
としての野口 家が実│祭にどのようにして再生産を遂
ていたのは、周辺村々の人キであったといえるので
V
Jらかにすることである 。
げていたのかを I
なかろうか。
1
1
1
I
践刑事 (=神職同然 )
J
次に、勧請を契機として 「
干
の状態とな った野 1
1
家が、野洲村の中でその立場を
-おわりに一今後の課題
本稿で検討の対象としたlI~n切以降の干11 1 仰j 天満 宮 信
如何に変化させたのか、という問題がある 。幕末期]
1
に付庄屋に就任していることが雌認できるが、 「
和
仰の展開を含め、 今後の調作を通して明らかにすべ
職l
司事」の存在形態が、村役人就任等村政に及ぼし
き課題は多いが、大きく以下の 2点を挙げておきた
た影響について検討することである 。
、。
し
①地域社会の中での野口家の有 りょう
また、上記の点とも関連性を有するが、野洲村の
村社である新川村l社との関係も興味深い問題であ
具体的課題として、まず、野口家の経営分析が挙
る。延享 I年の万人講の奉加帳配布先に、在所であ
天満宮に参詣する
げられる 。(史料1)中に、判明l
る野洲村の人物が皆無で、あることは、 〈
表 3> より
1
人キが多くなったために、 「
手前之経営を指 f
u事1
職
同事に勤罷在候」との旨が記されているが、経営体
56 ・人間文化
8世紀半ばの庶民信仰一
野洲村の神棚天満宮一 1
明らかであるが、理由は不明である 。都市部を主た
*1
いわゆる屋敷神もこの範時に入る 。 しかし、
1
研究において、
る対象に行われてきた近世の流行事1
そもそも本県には「稲荷や地蔵を除けば、家
流行判Iの登場は氏神 の弛緩に伴う現象であると評価
で小柄を設けて屋敷神を杷る習俗はあまり見
されているが 10、村社との具体的な関係を問うてみ
られない 。J 滋賀県民俗地図一滋賀県緊
仰l
天満宮の信仰闘が広域
る必要がある 。 さらに、 利l
急民俗文化財分布調査報告書
に及んでいることは本稿で l
明らかにした通りである
育委員会 ・財団法人滋賀県文化財保護協会、
が、受容する地域社会側の背景を、上記の問題を含
め、改めて広域的に検討する必要があるだろう 。
a
*2
』、滋賀県教
1
9
7
9年) という 。
江戸時代、奈良 i
酒
、 小千谷l
繭(越後縮)と並
んで著名であった。高官(現彦根市)などで生
②土御門家による近江田の陰陽師編成
産される高級麻布を天日に干して白く加工す
近世には、神社の判明誌に対する身分編成が、京都
の公家吉凹家、もしくは白 川家に よって進められる 。
る。野洲 川原には│
耐の作業場と干坊が広が っ
専業神主にとどまらず、 初l主の配下として付属して
ていた。
いた元来は百姓身分の者にもネ1
/
1
職 として許状を与
え、組織化しようとする動きが盛んとなる 。一方
、
吉田家の動きに触発されて、公家の土御門家が、陰
織とする家柄として、各地の陰陽師たちの
陽道を家 l
支配を主張する動きをみせる 。 明
手
[
J2年(17
6
5
)、
江戸幕府の評議によって陰陽道の家職として示され
*3
*4
*5
*6
野洲町史 l第 2巻(通史編 2)
、1
9
8
7年
民所藩士寒川辰 i
J
'
:
i
編
、
享
保1
9年 (
1
7
3
4)干J
Iの
近江国の詳細な地誌である 。
校 訂 頭 註 近 江 輿地誌略全』
(
J
f
t史図苫
見
j
享保 9年 (
1
7
η
2
4
心)近江回志賀郡下坂本村 ゆ
(
1
珍
現
t
たのは、 「
判はんじ・諸事占方・祈l道行事 ・一切の
大津市下阪本 I
r
J)に生まれ、栗太郡山田郷の
祈祷事 ・地祭 ・家堅 ・五穀祭 ・四季の被・荒神 i
政
・
木内家の養子となる 。江戸時代の考古学研究
札守の事・こよみ・年鑑配り {
民事・秘符まじない ・
の先駆者といわれ、 [
雲根志』 ほか数冊を著
矢除守り・日よみ十二神の札・神馬の札の事・神市
した。その研究態度の特徴として、実物を互
亙女の事 ・千寿万歳」であった 11。野口家は文化 1
いに比較し たこと 、出土地 を明らかにしたこ
年 (
1
8
0
4)以来、代替わりの際に土御門家へ 「参殿」
と、軽々しい断案をさけたこと、表現の的確
4
7・2
3
4
)、以後土御門家に貢
しており (目録 2-1
0
8
)
なことなどがあげられる 。文化 5年(18
納を上納している(目録 1-1
01
)。野口家に対する
「陰陽師」呼称、の使用について、自称・他称を問わ
ず確認できる史料は現在のところ見あたらないが、
「諸事占方」に従事するものとして 、土御門家の支
*7
*8
死去。
木内石亭著、今井功訳注解説 『
雲根志j
9
6
9年)
(
築地書館、 1
京都新聞社、 1
9
8
5年。「はじめに」 に
、 「
泣し
1
1
]の自然や文化」をテ ーマに
ておきたいわが 1
配を受けることになったのであろう 。
一般募集をし、その投稿をもとに編集したと
土御 門家による野口家に対する編成の過程解明
は、従来の研究では未解明であった、近江固におけ
の旨が、当時の県知事武村正義氏によって述
る陰陽師編成の実態解明の糸 口になりうるのではな
べられている 。
いかと思われる 。
*9
[付記]
*10 宮田登 I
近世の流行神 J(評論社、 1
9
7
2年)等。
本稿は、学生諸氏の調査協力なく しては成らなかっ
*11 高埜利彦 『近世日本の国家権力と宗教 J(
束
京大学出版会、 1
9
8
9年)。
小野武雄編著 『
江戸物価辞典 J
(展望社、 1
9
8
3
年)
。
た。改めて感謝申し上げる 。
人間文化・ 5
7
│
滋
│
買
│
県l
φ
l
考
│
盲l
学1
9
.J
│
最新の成果と諜題
│
ここ 2 ~ 3 年の全国の発掘調査件数は年間7,2 6o ~ 8.53o件、滋賀県の
それは 21o ~ 32o件となっている 。 そのごく一部についてはテレビや新
聞報道によって、次々と行われる発掘調査により日々新たな歴史資料
が明らかになっていることを垣間見ることができる 。 しかし、地道な
発掘調査で得られた “
新たな発見"はともすれば「新事実j に尾鰭が
付いて 、あるいはやや飛躍した発表や、いたすらに興昧本位に拡大解
釈されて、歴史解明を歪めた方向に導かれる傾向もなしとしない。
本誌では新たにこのコーナーを設け、滋賀県における最新の考古学
的成果を取り上げ、できる限り予断や誇張を排除 した実態を把握し、
やや辛口の論調でその成果を検証してい くこととした。こうした積み
重ねが正しい歴史解明に資することになると考えるかうである 。内容
は本誌の発刊日寺に応 じた課題を対象とし、執筆は県内で活躍している
研究者を中心にお願いしてゆきたい。
林 博 通)
(
第 1回
蔚方後方墳の出現と古墳時代のはじまり
ょう
琵琶湖博物館専門学芸員
1. 相 次 ぐ 前 方 後 方墳 の 発 見
まさはる
した古保利丘陵の尾棟上にある高月町小松古墳が
「
最大、最古の前方後方墳」 で、「邪馬台国や狗奴固
墳がいくつか発見、調査されている 。
2
0
01
年 2月 2日付 の読売新聞朝刊には、 「最古級
r
だ
田 政 晴
これらより 2年前の 1
999年 4月には、琵琶湖に面
滋賀 県では 、 ここ 2、 3年の I
l
[
J
に、古い前方後方
の前方後方噴 J 都馬台国に対抗
用
狗奴国の関連墓
か」という見出しのもと、能登川 I
U
J神郷 f
色塚古墳の
と交流」 した 「
湖北支配の王墓Jであったと新聞報
道されている 。全長 60mの小松古墳は、
r
3世紀中
ごろの国内最古クラスで、この時期のがl
方後方墳と
調査成果が発表されている。周誌とを巡らせた全長
しては全国最大である 」 という 内容であった 。する
3
5.
5mの
,i
I
J方後万墳で、 1
3さ4.
8mの盛上を持ち、
と先の 2例は、 この小松古墳よりも古い築造になる
「古墳時代最古の土器 Jが 出土していることから、
ことになる 。
「
西暦 2
3
0年前後、 3世紀前半の築造 Jという 。 そし
これまでも滋賀県内では、平地 で2
0基近くの前方
て前方後円墳を築いた邪馬台国に対し、狗奴国は前
後方形!
百
j
溝墓が発見されていたが、最近見つかった
方後方墳を築いたとし、この古墳の被葬者は 「
狗奴
ものはすべて噴丘をねつ こ とから前方後方墳として
同グループの首長墓」 とされている 。
扱われ、 「
最古」 あるいは 「故大」 等の言葉が踊る
そのちょうど 1ヶ月後、今度は琵琶湖l
の対岸の丘
ことになった 。
H
J熊野本 6号境 ・1
2号噴の調査結果が発
陵上、新旭 I
表 さ れ た 。 3月 l十I
付 の 京 都 新t
I
日朝 刊 によると 、
「最古級 3世紀前半の前方後方墳 J(6号墳)と
r
3
1
"
:紀中ごろの前方後円墳 J(
12号噴 )が見つかった
2
. 市民のとまどい
これらの新聞をはじめとする記者発表の 内容を見
るにつけ、市民のとまどいは │
思しきれなし、。 いった
という 。 占墳時代前期に 、墳形が前方後ブi
墳から前
いどれが近江で、あるいは円本列島で-1i主古のものな
方後円墳に変化していくことを表付ける例で、
のか。 これらは狗奴 │
到の王幕なのか、邪馬台同や絢
r
l
l
,
;
j
(i
毎沿岸との交易ルート拠点 Jである 「
邪馬台国 H
寺
奴同と交流のあった 王 の墓なのか、それとも邪馬台
代のクニの 一つ」が湖間にあったという 。
国を文えた近江の連合同家の王の墓なのか、といっ
58 ・人間文化
│
滋│
賀│
県│
の│
考│
古│
学1
01
た疑問が湧いてくる 。
2001年 1
1月に能笠川町で開催された歴史シンポジ
ウムは、
r
3世紀の動乱、狗奴国 v
s
邪馬台国一村l郷
はいかない」 という (
近藤 2001
)。
)
!
l
J
定法の結果に考古学研究
筆者も最近、年輪年代 i
者が安易に飛びつくことへの注意を促し、いましば
亀塚古墳の時代をさぐる J と題された。筆者もシ
らく時間的なあるいは気持ちの余裕が欲しいと訴え
ンポジウムの進行役として参加│
したが、聴衆の関心
た (
用田 2001
)。少なくとも考古学研究者として、
は、狗奴国の中心は近江であったのか、東海地方に
何のためらいもなく声高に
あったのかというところに行きついてしまった。
や「狗奴国jの王墓などと叫ぶことは避けたい。た
前期旧石器時代の遺跡ねつ造騒ぎ以来、特に文化
財行政に携わる者は、地域住民の関心と興味を│呼び
13世紀」の 「邪馬台国」
とえこれから理解や協力を得ょうとする地域住民の
前でも 。
起こし、遺跡保存あるいは史跡指定や整備に向けて
今まで以上の努力が必要となった 。そして、より 気
4. 墳形と土器型式
をヲ│く 言葉で歴史を語ることが多くなってきた。そ
前方後方墳の墳形の出現について、周溝の陸橋か
のことは理解できるし、研究者としての立場からも
ら前方部を発展段階的に捉えたいくつかの論考があ
容認できる 。
しかし一方で、そうした姿勢が世論をあおり、逆
に、再び前期旧石器ねつ造事件のような方向に向か
うことを非常に危倶する 。そして基本的な歴史的事
る(赤塚 1992、田中勝弘 1996など)
。 一方、弥生時
代の方形周溝墓の延長線上で、古墳の成立を考えるの
。
は難しいとした意見もある(高橋 1996)
最も新しい神郷亀塚古墳の調査成果によると、後
実 さえもを明らかにできないまま、考古資料を利月 1
}
J音
;
1
周囲の潜 (
濠)は1.5mもの深さがありながら、
して小説のように歴史が語られ、歴史教育への影響
前方部の溝は深さは 20~30cm と浅く、幅も後方部の
や日本の進むべき方向をも誤ってしまうことも卜分
それと比べると極めて狭し、。例えば、後世の自J
I平が
考えられる 。
3.r
3世紀Jと「邪馬台国」
近藤義郎は最近の著書のあとがきの中でこのよう
に述べている 。
「
僕は、古事記 ・日本書紀 ・貌志倭人伝などの文
献史料やその文献研究の成果を使うことを極力避け
さらに 30cm深く及んでおれば、干1郷亀塚古墳の墳形
は l段階か 2段階ほど古い型式と判断されたことに
なる 。 よって、現存している前方後方周溝墓の講の
形状で類型化し、発展段階的にとらえてし、く理解も、
jJ郷亀塚古墳の場合、
今後は注意が必要である 。ただ干I
その溝底部の形状から、前方音¥
1とのつながりと開き
を意識していたことは間違いない。
直方、最近の前方後方墳の土器資料は、小松古墳
てきた 。(中略)文献学的研究の成果と考古学的成
果との免れあい的使用は極力避けることに努めた 。
r
の士坑内資料を除けば細片 ・少量である 。特
前方音;
弥生時代と前方後円墳時代にほぼ限つてのことだが
に、近江に特徴的な受口状口縁斐のわずかな形状を
(
中略)現状ではなお問題も弊害 もまた少なくない。
年代決定の頼 りにしている場合が多いが、こうした
その最たるものに、昔は 「
高天が原」や 「
神武天皇」、
形式群などは存続時聞が長く、変化が緩慢でありな
今や 「
邪馬台匡U や 「
卑弥 u
乎」の論議がある 。そう
がら新しい形式と長く共有する 。 また葬送儀礼の場
いうものは本来、考古学には出てこない筈である 」
。
からなぜ斐が出土するのか、雪野 U
'古墳でも出土し
また年代論についても、かつて「六世紀」 という
用語や 「日本書紀六六八年の天武天 皐葬送儀礼」 に
し、当該矧の高杯と
ているが疑問 も残る 。それにおI
器台の変化は早く、古い形式と共存することがほと
ついて触れたことを自戒しながら、 「考古 学 にも
んどないが、両者の機能による区分は明確でない場
「
弥生時代」 とか 「
前万後円墳時代」 とかがあるで
合がある (
用凹 1990)。 内部主体の規模や構造以前
!
J
j・2
はないか。前期・中期 ・後期、あるいは 1f
に
、
期・ 3期 … 1
0期とし寸時期区分も、さらに細かい
な時期決定資料がたちまち望まれる 。
i
昨底も含めた正確な 三次元での墳形確認と確実
区分もあるではないか。 またそれとは別に放射性炭
平地にあ り、周囲の墳丘を取り│徐かれながらも 4
去の結果を使 ったらよいで
素年代法や木材年輪年代 j
mを超える j
硲土を残していたネ111郷亀塚古墳は、これ
はないか、という意見があることも知 っている 。 し
まで発見されている前方後方形周溝墓を低墳丘墓と
かし考古学の側としては、それらを含め、これは絶
捉えることに若干の跨踏を与えることにもなった。
対だといって 「自然」や文献に任せてしまうわけに
人間文化 ・
5
9
│滋│費│闘の│
考│盲│学1
0
1
5
. 円と方、山と平野
小松古墳を含む古保利古墳群には、前方後円墳と
前方後方墳が 8基ずつあり、ほほ同時期にセ ッ トで
築かれている例もあるようである 。熊野本古墳群も
前方後方墳の次の段階で前方後円墳が築かれてい
参考文献
r
1
. 二上山博物館編 2
00
1 邪馬台同時代の近江と大
相]
j香芝市二上山博物館友の会・ふたかみ史遊会
r
2
. 近藤義郎 2
0
0
1 前方後円墳と吉備・大和 J吉備
人出版
る。小松古墳、熊野本 6号墳は山の上にあり、神郷
3
.用田政晴 20011弥生時代年代論・揺箆期の学史」
亀塚古墳は周囲に丘がありながらも平野に築造され
という 2つの塚があり、神郷亀塚は 「
上り亀」 にあ
『
立命館大学考古学論集 j I
9
9
21
東海系のトレース ー 3 ・4世紀
4
. 赤塚次郎 1
の伊勢湾沿岸地域一 J 古代文化 1
4 4-6
5
. 田中勝弘 1
9
9
61
前方後方形周溝墓と前方後円形
たるという伝承がある 。「上り J1
下り 」が前方部の
周溝墓 J 墓と弥生時代』滋賀県立安土城考古
ているが、前方後円墳も隣接して築かれていた可能
性がある 。現地にはかつて、 「
上 り亀」 と 「
下り亀」
方向とすれば、古保利古墳群のように前方後円墳は
前方音1を北に、前方後方墳は全て南に向けていると
いうことを思い出させて興味深い。先に述べた墳形
と時期に加えて、 立地とセット関係など基本的な事
実の積み上げが、当面、待たれるところである 。
今のところ、定型化した前方後円墳の成立以前に、
r
r
博物館
6
. 高橋
国研究
r
護1
9
9
61
邪馬台国時代の墓制 J 邪馬台
新たな視点』朝日新聞社
7
. 用田政晴 1
9
9
01
1庄内式」 併行の土器群とは何
r
J 県営かんがい排
かー その整理作業の過程水 事 業 関 連 遺 跡 発 掘 調 査 報 告書 W- 1国友遺
ある程度の墳形の確立段階があっと考えざるを得な
跡』滋賀県教育委員会・滋賀県文化財保護協会
い (
字垣 1
9
9
9)
。小松古墳の急 な墳丘斜面や広い墳
8
. 字垣匡雅 1
9
9
91
吉備における古墳の出現一特殊
頂平坦面と、かつて調査のために百回も登 った岡山
市湯迫車塚古墳との印象の違いもその l
凌昧な根拠の
一つである 。ただ、その墳形確立段階は、庄内式土
器以前である可能性が高い。
今後、期待されることは、平地にありながら 高い
墳丘を持つ神郷亀塚古墳の墳形および時期の詳細線
認、他地域事例との基本的事項の比較研究である 。
墓を構成する諸形式を比較する中で、集団聞の諸関
係と特質を明らかにする方向が望まれ、単に都合の
よい特定の資料と文献の記述を結びつけようとする
動きに巻き込まれないことである 。
60 ・人間文化
器台と特殊器台形埴輪
H前方後円墳の出現 j
(
r
季刊考古学・別冊 8j
)
r
9
. 植田文雄 2
0
0
01
出現期前方後方墳の検討 J み
6
号
ずほ』 第3
│
滋
│
賀│
闘の│
考│
古
│
学1
0
1
熊野本 6号境
30",
④
小松古漬
神郷亀塚古墳
二上山博物館編 2
0
0
1を一部改変作成
人間文化・ 61
人・間・文・化・通・信
置退官メッセージ‘
文明と、アラ ーと いう唯一絶対の布1
Iへの厚い信仰と
敬度な生活を標傍する文明とは、明らかに対照的で
「文明の衝突」
について思うこと
ある 。前者は個人レベルでの 「
効
J
l
JJの極大化を目
指し、後者は宗教共同体での倫理の確保を至上命題
としている 。
i
賓口恵俊
「イスラム 」 というのは、 「絶対的な帰依」を指
人間文化学部生活文化学科人間関係専攻
ji
h
a
d
) も、本来 「ネ
1の説
しており、 「ジ‘ハード J(
く道での努力」の立であって 、過激派ムスレムの言
2
0
0
1年 9月1
1日、ニューヨーク・マンハッタンに
うような 「
聖戦」や 「
殉教」ではない。 テロと同義
ある世界貿易センタービルの北棟・南械に相次いで
とされる「イスラム原理主義」 も、キリスト教で聖
IlJ機が突入し、その後数時間の内に両棟とも完全
民I
占に書かれたことを文字通りに信奉する 「原理主義 j
にJ
i
J
j峻して、数千人もの命が失われた。国防総省な
運動を、イスラムに当てはめた 用語であるにすぎな
どへの別機の墜落をも含めて、まったく予想外の
2億人の人たちが
い。 イスラムそれ自体は、世界の 1
「同時多発テロ 」 なるものが発生した。
形成する 一大文明なのである 。 それは、 「イスラム
その前年の 9月上旬、外務省の依頼でカナダ・ア
メリカでの匡│
際シンポに出席した際、ニューヨーク
にも立ち寄り、近くのバッテリ一公図で、同ビルを
,
背J
Rに写真を j'
l
ったのだが、もはや 1
1
0階
、 4
2
0メー
原理主義」 と称されるような偏狭なもので、は決して
ない。
ハンチントンによれば、文明 I
l
j
の衝突は、これま
でのような同家問、民族・人純集団関での戦争 (コ
トルの高さを誇 った このツイン ・タワーを見ること
ミューン戦争) とは追い、白 ・他両文明の I
[
[
jで地層
はできない。 また、 1
9
8
6年 9月、ニューヨ ー クのホ
がずれてしまい、互いに接し合うことがなくなった
テルで開催されたアメリカ社会学会のシンポに拙か
「断層 (
f
a
u
l
tl
i
n
e)
戦争 Jなのである 。 それは大きい
Fを
文明間での文化紛争であり、その多くは、災なる 宗
眺め、 1
9
7
0年に完成したこの 二つのビルが、実際に
教を信じる人たちの聞で生じる、とする (
鈴木主悦
建てられた経済界のバベルの塔ではないかと感じて
9
9
8年、集英社)
。
訳 『
文明の衝突 j、 1
れた n
.
fは、北棟の最上階の展望台か ら周辺と 真
いた 。
1
9
7
9年から 1
9
8
9年までのソ連のアフガン介入はそ
こうした体験からしても、今回の事件は、とても
の好例であり、サウジアラビアのイスラム教徒の経
人ごととは思えない、本当に感慨深いものであり、
済的援助と、 2万 5千人ものイス ラム義勇兵の働き
しかも実にショッキングな 山米ごとだった 。二機目
によって、ソ連は敗退を余儀なくされた 。 そのとき
が衝突するリアルタイムのテレビ映像にずっと Hを
アメ リカは、対抗上ビンラデインらの軍事行動を支
こらし続けた。マンハッタン近くの会社に勤務する
援していたのである 。今になって対アフガン作戦を
知人の安否を 気づカ、って屯話を掛け続 け
、 三 日日に
たんに反テロ行動だと主張しでも、その根拠は極め
ようやく話せた│時には、ほ っとしたもの だ‘った。 こ
て弱い 。 アメリカもかつて「断層戦争 」 に力 1担 して
うしたパーソナルな問題はさておくとしても、今同
いた史実を想起すべきであろう 。事実、現在もアフ
の
│
司 1手テロは、アメリカなどによるアルカイ夕、 (ピン
ガニスタンという固と j
i
変っているわけで、はあるまい。
ラデイン )を 追い求めてのアフガニスタン侵攻とな
数か月前、クリントン時代のアメリカ国防総省次
j
事件にまで発展したが、
り、さらに追加テロの炭痘lf.
宵補であった人 と懇談する機会をもったが、その人
いずれもいまだに明確な決薪がついていない。
RMA)について語るば
は、近年の軍事国で、の革新 (
アメリカ ・サ イドからすれば、国際テロ以外のな
かりだったので、ハンチントンの 「断層戦争」のこ
にものでもないので、それに対する厳しい報復行動
っているかどうかを尋ねたと ころ、ほとんど
とをまn
に
1
'
1,' て、テロ j
舌動をキ艮絶することが強く求められる
知らない様子だった。こうした認識状況のもとでは、
f
iは、サミュエル ・ハンチ
のである 。 しかしこの抗/
「国際正義の戦い 」 と 「聖戦」 とは 、 まったく食い
(
t
h
ec
l
a
s
ho
fc
i
v
i
l
i
z
a
t
i
o
n
s)
ントンの言う 「
文明の衝突 J
違った断層であり、交渉の接点すら見いだせない。
の現れと見なしうるであろう 。 アメリカに 一つの典
元来 「
文明」 は、社会制度や機械装置のような汎
型が見いだされる西欧文明と、一部の過激なイスラ
H
f:I,直的な生活様式を指す概念である 。民族
人類的 ・j
ム文明との争いだと解しうる 。ヘッジファンドによ
文化 のような個 別的特性をもつものではなく、機能
る 1そ界的な投資活動としての 「グロ ーパル資本主義」
さえよければとの社会にも普及する 。大きい朱教も
(ソロス )や 「
市場型資本主義 J(ドーア)に基づく
またそうした性格をもつから、ハンチントンは 「
文
62 ・人間文化
人・間・文・化・通・信
明J
のメルクマールとして宗教を重視したのであろう 。
そうした宗教文明の特色として、レオロジーでい
う 「粘弾性 J(
v
i
s
c
o
el
a
s
t
i
ci
t
y
) と社会心理学での
s
e
l
f
e
v
i
d
e
n
c
e
) を挙げることができょう 。
「自明性 J(
前者は、社会文化的(歴史的)変動にもかかわらず
持続される、粘性と弾性を兼ね備えた性質をいう 。
千年以上の伝統をもっ宗教は、皆 「
粘弾性」 を備え
ている 。 後者は、特定の 価値観や教義が、何ら明 M~
退官 にあたって
今考 えること
中谷員三代
人間文化学部生活文化学科生活デザインコ ス
な根拠なしでも、おのずと正しいと信じられている
事実を指している 。根本教典に記載されているとい
う事実だけで、教説の妥当性が認められるのである 。
「粘 弾 性」 は客観的に立証されるであろうが、
「自明性」 は
、 当該宗教のなかで自覚されることが
少ない。 とくにユダヤ教・キリスト教・イスラム教
昭和57年に就任した滋賀県立短期大学の家政部被
服専攻から、平成 7年人間文化学部生活文化学科生
活デザインコースの所属となったが、担当科目は従
来の被服専攻時代と多くは変わらなかった 。
生活デザインコースとは一体どういうところか?
のような 一神教では、自らの信じる宗教の 「自明性」
どういう学問ををする所か?被服専攻とどこが違う
ゆえに、他の宗教の存在を再定しようとする傾向が
のか、正直、暖昧模糊としてつかみ所がない感じで
強まる 。 宗教問の 「断層戦争」が、 「文明の衝突」
あった 。教員それぞれの立場で、なんとか 「
生活デ
の実態なのである 。
ザインとは」 の解答を見つけ
wすために勉強会を持
こうした 「
文明の衝突」を回避 ・解決するには、
ったこともあった。 人間]生活、生活様式、生き方を
相手の宗教に対して寛容でなくてはならない。 その
デザインすることに関わる学聞をどのように組み立
ためには多神教的な宗教が望まれる、と梅原猛は言
てればいいのか私手│身迷いに迷った。
う。仏教や神道の見直しが必要だともする (
梅原級
斗宇治のなかの衣は人間を装飾し包み込む道具のー
仏教』、2
0
0
2年、朝日新聞社)
。 経
っと考えられ、また、着装した人間jの周りにはイン
済面での 「
市場原理主義」としてのグローパリズム
テリアなどの住空間がある 。衣、住、道具のソフト
も、一神教的性格を備えているとすれば、それの是
面を生活という横刺l
で、とらえることができればいい
『
梅原猛の授業
正も要請されることだろう 。
世界的に日本起源の文化が新しい文明として受け
のではないかということも考えた 。 しかし、迷った
割には結果として、きっちり衣 、住、道具に 3分割
入れられる可能性が出てきている 。文化の相対化が
されたサブコースによって科 1
=
1も教員も設定された
始まりつつある 。 筆 者 ら が 行 な っ た 「間人主義」
形となり、私自身は H
l
i飾系といわれ、服飾と消費者
「
個人主義Jの国際比較調査 (
2
5カ回、約 8
0
0
0人を
教育に携わることになった 。科目で言うと消費生活
対象)で、欧米においてさえ 「間人主義」の支持度
論と服飾デザインやその実習などである 。
が高かった 。 また先般、宮崎駿監督のアニメ l
映画
消費生活は人間誰しもが行うものであり、生まれ
「
千と千尋 の神隠し 」がベルリン映画祭で最高の金
てから、いや、生まれる前から死ぬまで、さらに死
熊賞を受けた。 同作品は多神教的世界をファンタジ
んでからも関わりがあると言っても過言ではない 。
ーとして描いている 。最近日本の小学生に人気抜府
そのために、個人的,社会的な価値の J
1
4
h組みや批判
の、ハリー・ポッター少年のお城での魔法づかい修
思与的な立思決定能力のある自立人間の形成をはか
業の話も、そのカウンターパートであろう 。「文明
る消費者教育が必要である 。 さらに、生活環境醸成
の衝突」 回避のキーは、廷外にもこんなところにあ
のための市民意識の育成をはかる消費者教育は生き
りそうだ。
方教育、すなわち 「人間学」の範時と考えている 。
しかし、実際問題として、 1
0
0人を超える生活体験
の少ない学生に対して生き方といった理念的教育で
は、現在起こ っている若者をターゲットにした消費
者問題の解決には程遠い。本米の教育目的から外れ
たとしても、ハウ、ツウの対処療法的教育が必要で
もあり、未だに試行錯誤を繰り返している 。
一方、服飾デザインでは、高等学校までに、それ
らを学習する機会は少ない。 そのため、服飾i
の多面
的な要素の中の被服構成の形態や形式原理などから
始め、用と 美の基本など、服飾tiデザインの基礎的部
分に終始してしまうことになる 。 当然流行について
人間文化・ 6
3
人・間・文・化・通・信
も論じてはきたが、現代のファッションやファ ッショ
ンビジネスにまで論を広げることが不可能で、あった。
「衣は人なり
JI
人衣一体」 といわれ、その人ら
退官に際 して
しい服装をしたり、衣によって意気を高めたりして
萎
いる 。 また、服装を通して、人は何かを表示し、何
徳相
人間文化学部地域文化学科
かを伝達しようとする 。つまり、人間、生活と衣は
切り離すことはできない。
「
生活デザイン」 というからには人間の証拠でもあ
り、最も身近な環境としての衣の分野をカリキュラム
の中から取り去ることはできなし、かもしれない。
あっというまに七年の歳月が流れた 。ほうっとし
ていて、あれもこれもできなかったとの思いがある
そうであるならば、今後、服飾系にイタリアやフ
一面、私の人生の七十年からみれは¥十分の ーを彦
ランスにおけるファッシヨンビジネス教育のような
根で過ごしたことになる 。 また人の社会的生活三十
取り組みが必要なのではないかと考えている 。
年説からいえば実に五分のーになる 。その閥、県立
2匡l
の教育は産業教育を目的としており、 産業 人
大学に奉職し、「日韓関係史 JI
朝鮮近代史」の講義
を講師として招いたり、学生の就職先である産業の
を担当させていただいたことに対し、県大当局及び
特性に合わせたカリキュラム設定など、 l
時代ととも
同僚諸先生にこの場を借りて心から感謝申し上げた
に進化する産業特性を考慮し、基本は保ちながらも、
い。そして私の心からの感謝には次のような思いが
年々カリキュラム内容の変更などを行っている 。す
込められている 。
なわち、日本のファッション教育界と比較して大い
私は二歳の時に i
度目した。一九三四年である 。小
に異なるところは、 学校による産業支援が挙げられ、
学生の頃はまさに人伍におらぬ我等皇国少年の一人
同時に産業による学校支援も行われていることであ
であった。私にとって重大な岐路になる 「
終戦の詔
るといわれている 。
勅」 を聞いたのは宮城県立佐沼中学の二年生の時で
産、学、官共同といわれながら、学会の現実は、
あった。以後、私の青春は解放朝鮮と敗戦日本の狭
どちらかと 言えば閉鎖的で、 論セ 1つを取ってみて
間にあって、自分は何者かに悩む日々であった。簡
も、実学研究や学際的研究を 受け入れないムードが
単に解放朝鮮の一員になれなかったのは、自分の国
強いのも、この分野の教育を矩んだ要因の ーっとい
の言葉も自由に話せず、歴史や風俗などすべての点
えるであろう 。
現に、鈴木先生と共同で研究した 「
高感度」 に関
で民族的素養が皆無であったためである 。そのため
依然として創氏名(日本名 ) をなのり、自分のルー
する調査研究もなかなか認められなかったという経
ツを隠し、自分自身を歪めてゆく内なる葛藤をもっ
緯もある 。
ていた。
現在日本において、ファッションビジネス教育の
私が朝鮮史(日韓関係史) を学んだのは、この自
中核を担っているのは、専門学校であり、大学 にお
分は何者かを問い直す実践課題であった。父や祖父
けるファ ッションビジネス教育はほとんどないと 言
の時代、甲午農民戦争や三 ・一運動などを学ぶうち
ってよい。
に我々の 「
近代」形成の努力をつねに探胸したのは
ファッションビジネス教育は進化の歴史であり、
近代日本であったこと、別の言葉でいえば「明治の
1
0年 1日のごとき同じ内容の教育では話にならない
栄光」と 「
亡国の朝鮮Jは表裏であることがわかっ
のは 当然で、、遅まきの反省しきりの日々である 。
てきた。近代日本史は朝鮮の植民地支配ぬきに語れ
大学におけるファ ッションビジネス教育の重要性
ないし、日本をみる鏡だとも思えた 。そして、我々
は否定し難い。就職先、つまり、出口の確保にもつ
の歴史に恥ずかしい点は何もない、差別される理由
ながり、専門学校とのダブルスクールや大学卒業後
もないと思えるようになった。
の専門学校進学と 言った逆行も避けられるのではな
いかと考えている 。
そうしたなかで、一九五七年か八年のことだと思
うが本名宣言 をした。本名 宣言は私の第二の転機で
生活デザイン服飾系を去るにあたって、まだ 「
生
あった。本名をなのってみると仮面がとれたような
活デザインとは」の確固たる解答が得られないまま
気がしたし、日本の友人に他者の存在を認識させる
であるということを大変申し訳なく、また、残念に
ことにもなった 。 これ以来、多くの尊敬できる友人
思っている今日この頃である 。
最後に、諸先生方の今後のご活躍をお祈りしてこ
の稿を閉じる 。
を発見したのも事実で、おのれを憶していては何の
前進もないと確信するようになった。私の在日朝鮮
人としての出発点は、まさにこの時にあったと思う 。
しかし、私が本名宣言 をした頃の日本は、世界に冠
たる憲法をもちながら、常に 「
国籍条項」 をちらつ
64 ・人間文化
人・閏・文・化・通・信
かせ、本人をみて吟味する前に門前払いをくらわす
れたことにある G そのうえで、もう 一つお願いして
j
走族差別が横行していた。そ れは、住宅公団の入所
おきたいことがある 。
や会社などに入社するときだけのものではなし、。恋
私の学生時代には、日本の大学で朝鮮語を教科目
愛し、いざ結婚というときに、飛び越えられないハ
として;~く大学は天理大学など一、 二 校にすぎなか
ードルとして機能していた。夜、は内に民主主義を I
1
日
ったし、朝鮮近代史の講座 はどこにもなか った。 イ
え
、 一方で排外、 差別を当然とする風潮は日続の速
ギリスにおけるフランス学、
くない過去に照らして許せない不条理と思えた。民
ス学がどのようなものかわからないが、日本の朝鮮
主主義にとって最も重要 な基本的人権は、日本人だ
学はその関係の深さに反比例しているのが実情で、
けのものではないと思った。私はこの不条理を!疋!た
研究者の端くれにな ったとき からこの学問的、知的
に問うことが重要な実践課題だと思うようになっ
大宅 I
L
I
は何を意味するのかと思ってきた。最近はそ
た。 それは自分の学んだものをどう社会に還元し、
の問題に気づいたようで朝鮮語、朝鮮史、朝鮮文化
共有化するかということでもあった。 そして、医学
の研究が次第に拡充されてきているが、まだまだ緒
や工学など研究効果が日に見えて人間社会に役立つ
についたばかりが実情である 。 U
f1.大はそうした点に
実学と違って 、歴史学はそれをどんなに究めようと
留:色、して、韓半点を合む東北アジア重視を関学以来
も、その思想化、歴史認識の社会的共有化なくして
I
i
:tE¥としてきた。 それが朴俊植文庫、萎在彦文庫
のt
それは所詮虚学だと思えてならなかった。
の創設になったと思う 。同文庫は当 該分野では質量
学んだものをどう 相会に還元するのか。在日とい
ドイツにおけるイギリ
ともに 1
立大、最良の文献史料とみられるが、お二 人
う少数派がみた日本社会を、多くの日本人にとごう知
とも解放後の朝鮮近代史、日韓関係史を牽引した方
ってもらうか。論文や雑文を借りての機会はあった
で、その業績は学会で 1
1
7
iく評価されている 。その同
が、活字を通しての伝達はいま 一つどこまで、届いた
1
'
&古:が韓国で、はなく 日本の公立大学である県大
人の 1
か碓かめる術がなかった。そうした思いの私に県立
におかれ、整理公開されることは日総同伴時代、歴
大学は 「
知行合一J
の場を与えてくれたのであった。
史認識の共有が戸 I旬にいわ れるなかで、その具現の
私の感謝の思いはそこにある 。在、が県大の教室で話
第一歩として大きな立 l
床をもっている 。韓国の国家
J
し、ゼミで学生たちと語り合ったことは、歴史の J
機関である国史編纂委
法論よりは“過去に I~I をそらすな"“そこにみえる
lし込んできたこともそ
同研究、共同利用の従批を 1ト
ものをしっかり受け止めろ"“キ1
1
手の立場でも考え
てみよう,. "わからなくなったら歴史に問うてみる"
の意義を理解されてのことだと思う 。特色ある大学
のあり
というようなことが多かった。七年の問 、私の講義
では他の追│胞を許さない拠点校として発展していく
w会が関心をもち、本学に共
l
iが論議されているが、私はりL
i大がこの分野
やゼミに集まり散じた学生は何百名にもおよぶが、
ことを W
J待している 。近江にあって世界に発信する、
ある時には怒り、ある時には悲しみ、そして喜びを
朝鮮、モンゴル、極東ロシア、チベ ッ トを対象とす
共にした場を通して、必ずやアジアの隣人に心{乏し
るアジア研究所を、近い将来問所してもらいたいと
い日本人が輩出してくれたものと確信している 。私
考える人は私ひとりではないと思う 。
の心からの感謝の思いは、そうした機会を与えてく
盟新任メッセージ.
崎山
1
.
2(
:
l
.
i
i丈化学科表授j
昨年 4月、人 I
IlJ関係コースに就作した。言話人 f
t
j
言 葉の研究には、机のうえで理論だけを模索する
方法もあるが、具体的に人が言葉によってどのよう
に│世界を認識し、 l
七日との関わりをもち、またコミ
学という、文化 ・1'J:会における 言葉の機能、 言葉と
ュニケ ー ションを行っているのかは、実際に現地で
それ以外の文化要素との相関関係を研究するのが専
観祭しないと分からない部分が多し、。 フィールドワ
門である 。 フィールドとしてマダガスカルからマレ
ー クには、いろいろな未知│の事実が学べるという研
ーシア、インドネシア、フィリピンを中心とする東
究上の符苅い、利点がある 。 しかし近年、調交の成果
南アジア島艇部とオセアニアに分布する、 言語の系
はかならず現地にも逃;1:するという l
i
)
f究者のモラル
統ではオーストロネシア語族を仰│究対象としてい
が被調査者から厳しく求められる 一方、政治的理由
る。 この語族は、遅くとも紀元前 3千年に中国南部
で;現地入りが困難になったり、調査ピザの取得に面
から台湾に移住し、さらに紀元前 2千年には台湾か
倒な 手続きが必要な凶も多く なってきた。
ら南下、現在の地に扇状に広がったことが、比較言
そのようなフィールドのーっとしてミクロネシア
語学のみならず考古学からも明らかにされている 。
連邦のヤップ島(現在はヤップ州)南部のグロル村
人間文化・
65
人・閏・文・化・通・信
では、洋上南 1
1
41
0
0キロに位置するヌグル島との /
1
1
]
在日号が点滅しはじめたといえる 。 ことに、
すでに f
で伝統的な 1
i
.
D
)
)/
共l
係 (
ソワイ)が行われてきた。当
熱心なイスラム教徒ほど、母語に対する愛着をほと
然、両者の附には強力な惚併が存在するにもかかわ
んど示さないのは気掛かりなことであった 。
らず、 2、 3カ月に一度定期的に行われる交易の場
一方、大 言語とて無傷では済まない。 グローバル
では人びとはほほえみ笑いあうどころか、となりあ
化により、逆に各地で、土着詩の影響を被る 。現在、
い問りあう光 i
i
tを目撃することがあった。人間のコ
NewE
n
g
l
i
s
h
e
s
(複数形に注意)の研究も盛んに行わ
ミュニケーションは、ヰ1に言葉のやりとりだけで終
れるようになってきたのは時勢であろう 。国際語と
結するわけで、はない。 ここに見られるように、緊張
しての英語には言葉として機能するために必要最低
関係はときには敵意すれすれのテンションの高いも
限、共通のコードがあればよいので、ローカルな英
のになる 。 同じ Z
事例は、 B
.
K
.マリノフスキーの調
語をどんどん認めてゆこうという究大さが、今後一
査で有名になったパプアニューギニアの交換儀礼
廓求められてゆくであろう 。
「クラ交易 」でも指摘されており、人間のコミュニ
ケーションの方法にはさまざまな t
?
l!以上│笠が伴うこと
が分かる 。
当時、私は話者数をとくに意識して制ままを始めた
わけではないが、ヌグル t
i
iの話者は、現在、 2
0人弱
で、この状態はこの言葉が早晩、本島の共通話ヤァ
プ語と取り代わり 、消滅する危険性があること を立
│
床
す る。世界では名称(それも自称か他称か不明)
佐々水屋進 出丈化学科縦j
危険な滋賀県立大学
3年) 4月より本大学にお世話に
私は本年 (
平成 1
なりほぼ九ヶ月が過ぎました。
私の所属する食生活専攻は女子学生がほとんどで
しか報告されていない 言葉もたくさん話されてい
あり、我今の研究室にも卒業研究のために数名 の女
る。そして近年、英語、スペイン語、中国語、ロシ
子学生が在籍しております。毎週の研究室のセミナ
1
7や国語となっている同ぐ
ア刊などの大言語が公用 2
ーなどを通してすっかり親しくなりましたが、最初
にや地域において、まだ記録も残されていない少数
に驚いたことは皆さんとても堅実で、懸命に卒業研
民族誌が急速に消滅するという事態が発生しつつあ
究に取り組み、いいら主囲気を持つ学生さんがとても
る。大言語のグローバル化にともない弱小言語が犠
多い ことでありました。むやみと男女平等論を意識
牲になってゆく 。そもそも、国内で話される 言葉が
して社会進出に懸命な火性か、何を目的に生きて い
ただ 一つしかないような凶は世界に存在しない。 日
るのかさっぱりわからんジャラジャラした火性が目
本でも、平成 9年、アイヌ請の権利が公的に認めら
l
'
という印象を持っていましたが、強いお
立つ世の I
れるようになり、また国内における異民族への対応
母さんになる素質を持った学生さんが大勢いること
は、公的機関における多言語の表記や異民族への選
に気付き心強く感じました。
挙権の見直しにも現れてきている 。
勿論、意識のレベルや未来像の設計ーなど問題点も
平成 9年に中国の海南島て、行った調査では、九州
ありますが、それは入学試験という人間を差別する
ほどの大きさの島における多言語多民族の実態を知
かに思える魔物につけこまれ不必要な屈折した思い
/
1
語とし ての中国語 (
i
i
史
ることができた。 まず、公 )
を内臓することから来る弊害であり、これだけ実直
認)のほか、地域的共通話として J
英語の文昌方言 を
な学生さんを集めることが出来る滋賀県立大学に働
ベースに成立した経済面での共通語の海南語、さら
く場所を与えられたことはとても幸運であります。
に最下層では 9つの土着言語が話されている 。 このう
それが、秋が過ぎ冬が到来して感じる今日この頃
ち中央政府が公式に中国の少数民族認として認めて
は、滋賀県立大学の学生さんはとても危険な環境に
1
0万人の察語のみである 。少数
いるのは、話者数 1
l
画されているのではと強く感じています。 日が落ち
民族のなかには私の研究対象でもあるオ ーストロネ
帰路につく道筋の照明は暗 く、前から来る人物を識
シア系の回輝詰(漢名、
別できるのはお互いが触れ合う合うほどの距離にな
I~I 称ポイ・チ ェッ=占計り
がある 。歴史的にいうと、この民族は西暦 1
0世紀ご
ってからというような通路が非常に多い ことです。
ろインドシナ半島の占城固から渡海したチャム人の
駐車場に行く道筋はもっと暗いと聞いています。大
後務で、現在、 三車市郊外の回輝、同新の二村に居
学は学生の安全を護る為に、 何らかの対策を早急に
。
海何南島でで、は i
最
詰
j主少の 2千人弱しカか、なしい、、
住し、 人口は i
立てるべきです。!照明を明るくする ことも大事なこ
そのlI
f
干
i
え
ひ
と。周辺の方々から県立大学はあかあかと不必要な
屋で子 f
供共たちが熱,心
L
心、にアラピア語 (コ一ラン)を学
立いをしていると非難
照明をし、エネルギーの無駄 j
んでいた。彼らは日常生 i
活舌で、当然、多言語使月]と
されるかもしれませんが、学生や教職員の安全を護
そのコード ・スイッチングを強いられる 。表記法も
ることがず っと大切。事件が起こって大学や県が莫
なく村内でしかもちいられない回輝語には、現在、
大な賠償金を支払うはめになることはともかく、
6
6 ・人間文化
人・間・文・化・通・信
我々教職員を含めて大学とは親御さんから貴重な子
関係は、従来の共同体では把握できないものです。
供さんを預かっているという意識を持つ組織である
ここに都市文化の核があると思います。今後は、も
ことが必要と感じます。勿論それぞれの研究室での
う少し i
t
'J級に理論化していきたいと思っています。
学生達への自己を護る教育 も必安です。老婆心まで。
(平成 1
2年 1
2月受理)
1
'世史も守備範
茨城にいる頃は教員構成の関係で 1
凶にしていました。近世史がご専門の先生と 11600
年の関ヶ原の戦いで中世と近世を区切りましょう 」
J
宗楽真祝子 制丈北学科蹴授j
自分が今まで書いてきた論文の中で一番のお気に
入りは?と聞かれたら、私は「平安京における居住
r
(
、1
9
9
3年) をあげます。 こ
と家族 J 史林j76-2
れは平安京における貴族居住の実態を 「
寄住」とい
平安貴族が、所有する住宅に必ずしも住まず、そ
1寄住 J
) ことに
れ以外の住宅に仮住まいしている (
気づいたのは、とある貴族の H記を 読んでいた 時で
した。方角禁忌を強要する方違えの度に他人の家に
臣下共々移動します 。 また、いわゆる 「
妻方居住」
もこの 「
寄住」の概念で把握することが出来ると思
います。 さらに、主人の家に臣 1
"
は 「
寄住」 して奉
仕するのですし、女房は「寄住」することを許され
て部屋をもらうのです。地方からミヤコへ 「
笥・住」
して奉仕する関係もあります。 このように、住宅を
核に平安貴族の人間関係の綱を分析することが出来
ます。
i
J
I
究の二つの柱、ジェン
この論文の中には、私の i
ダ一史研究と都市史研究が混じり合っています。 ジ
ェンダ一史には卒業論文から取り組んでいます。 今
後は外戚のありかたから、平安貴族社会のジ、エンダ
ーパイアスを分析していこうと思っています。
また、都市史研究では、平安京で展開する貴族の
巴援することを目標に
人的ネットワークを多角的に f
r
に分担していました 。学生のニーズも中世が多く、
不慣れな│羽束中世!とを勉強しました。そのため、私
の知っている中世史に関するテクニカルタームはやや
「関東風」になっています。
やでも、在、が夢中になったのが 1
1
'世城郭史研究で
i
う概念で把握し直したものです。
しています。二番目にお気に入りの論文
と話し合っていました 。私としては、近世が関 ヶ原
から始まるとは思えないのですが、便宜上このよう
(
1平安京
における都市の転成 J 日本史研究.
i4
1
5
、1
9
9
7
{
1
=
:
)
では火災発生時の貴族の行動を分析し、消火活動と
はまた別に 「とぶらい」 というお見舞い行動をとる
す。常陸には J
ヒに佐竹氏、南に後北条氏の 一派がお
りました 。両者は何度も衝突し、その為多くの城が
築かれ、また落城によって再建されていきました 。
近年発掘調査が増え、さらに研究が進んでいます。
特に、 真壁城の発掘調査、保存復元事業には多くを
学びました。水戸とは違う方角から見る筑波山の美
しさを教えてもらったのも真壁でした 。
また、東海村の石千1ゆえについては、歴史資料館建
設検討委員に加えていただき、現地に何度も足を運
U
I
Jの探C
本をしました。今まで主n
られて
びながら城 F
いなかった地籍回を見つけたり、構えの土塁をさら
に一本発見したことがわずかながらの成果でしょう
か。名J
孟の干し芋をいっしょにかじりながら、地元
の方に聞き取り調査もしました 。 なお、調査中に
JCOによる臨海事故に遭遇し、原子力と地域住民の
共生と葛藤を目の当たりにしたことも生涯忘れられ
ない出来事です。
彦根にやってきて半年。中世城郭の宝庫である近
江をいろいろと探索しています。茨城では中途半端
に終わってしまった地域女性史にも、近江ではきち
んと取り組みたいです。 これからも枠にとらわれる
ことな く、様々な分野に 視野を広げていきたいと思
っています。
ことが分かりました。
「 とぶらし づ、「とぶらわれる J
人間文化・ 6
7
人・間・文・化・通・信
-人間文化セミナー
.H14 . 1 . 16 ~.J<)
r
i
出
l
東の溜j
也文化 を見る 』
平成明
・ 寸劇「淳史くんの ?~it 池たんけん」
f
m
町立西堀袋三郎記念「探検の殿堂」
野村 i
日!四郎(出
.H13.6
.
4伺)
活性化サポー ト 「ガッハの会」会長)
『海 洋 宗 教 と 修 験 道 j
アンヌ ・ブ
・ナオライ「かしわめし」
yシィ(フランス国立極東学院
日本
野村新太朗 (
湖東町大沢区長)
・パネル展示
科主任研究員)
留j
也たんけん J一成果報告展一
「湖東地域の i
.H13 . 6 . 28 ~木)
井上
『体験的住居論その l一定年大工で知る i
り」の文化
:
r
J
j
中野 教 郎 ( 滋 賀 県 立 大 学 工 学 部 長 教 授 )
(溜池たんけん隊:人間文化学部地域文化学科 4回生)
武藤恭子
(聞き取り前~隊.人間文化学部地域文化学科 4 回生)
.H1
3
.1
0.
3Q
.
必
f
霊長類の道具使用 J
r
知覚と行為」の比較発達心理学的研究ー
角川l
咲江
(監修湖東町立西掘栄三郎記念「探検の殿堂」学芸員)
ドロシー ・フ ラ ゲ イ ジ ー (ジョージア大学教授、
.H14.
1
.
2
5樹
滋賀県立大学客員研究員)
『
古代青銅器を復元する j
.H13.1
0.
1
7倒
三船 jR尚 ( 高 間 短 期 大 学 産 業 工 芸 学 科 助 教 授 )
『冷 凍 食 品 に つ い て j
13 木術 ( Jl木の素冷凍食日 ~'l、式会社)
~-I.- ì箇晋請惚t-;:
.H1
3.
1
0.
2
9伺)
r
w験的住居論その 2 わが家をエコロジー住℃に変える -J
鈴木
.
H
有(
秋田県立大学木材高度加工研究所教授)
1
3.
1
1.
1
0∞セミナー
『近 江 に 恨 づ く キ ム チ 文 化 J[
湖住1
2
1世 紀 記 念 事 業]
・ 「この地域におけるキムチの生産と普及について 」
松井賢一 (滋賀県湖北地域成業改良センター主査)
I
J
Tの名産キムチ
・ 「
高月 I
高)
'
Jくん
について」
武I
I
I
1
i
!
1
博
(
i
F
.
i
月l
町商工会キムチ委員会委トi
長)
パネル展示「湖東地域の溜池たんけん」
・ 「架W:I
I
J
J上砥山のキムチ特産品化前動について」
山元新一郎 (
栗東町立民業学習センタ一所長 )
・ 「キムチの新しい健康価値について 」
符
,
f
:
万
布 I(
株式会社ファーマフーズ研究所研究員 )
弔好のアンケート調査結果について」
・ 「キムチ l
彦般市民による報告
・まとめ
鄭大聾 (
滋賀県立大学人間文化学部教授)
溜池の土手を緯く 。溜め普請「ひょうたんよう」の再現
6
8 ・人間文化
人・閏・文・化・通・信
・コミ箱デザインコンペ報告
趣旨
平成 1
3年度、滋賀県全県で展開された「湖│玉1
2
1
J
I
I
:紀記念事業 Jの一環として、県立大学生による 「ゴミ箱 j
のデザインコンペ(設計競技)をおこなった 。
ゴミ分別回収、再資源化の時代に適した新しいゴミ箱(家庭用、事業所用、公共施設)
日)
の提案デザインを学
生から募集し 、応募作品の中から、専門家 の審査により 優秀作品を選定・表彰す るとともに 、全応募作品を展
示 ・公開した。 これは、 学生たちの考える「ゴミ箱」 という小さな物を通して、!よくは今日のゴミ問題や、ゴ
ミをめくる私たちの日々の暮らし方(し、わば生活のデザイン)を考えてみようとする試みて、もあった。
口審 査 員
口募 集 ・ 登 録
I
I
H男 (建築家、本学環境科学部教授)
林
応募作品は、図と説明文を配したパネル形式によ
るものとし、学内のポスタ ー掲示を 6月におこない、
J
t
.
j
;
谷
7月に応募登録受付およびパネル制作用ボード (B4
筒井
安11::(デザイナー、 (
附デジタルソリューション )
サイズ、各 1枚 )の 配布、作品提出締め切りは夏休
山下
r
J
J
x児 (
工業デザイナ一、滋賀県工業技術総合センター )
0月はじめとした。(応募登録者は 3学 部
みあけの 1
宏 (
現代美術作家、本学人間文化学部非常勤講師)
以仁 のほか 、中村利 I~~ 氏( 本学大 学生活協同組合
専務J
I
1
1工長)にも審査員をお願いしていたが、者1合に
名、最終作品提出者 1
1名)
からの計 46
となった 。
より欠席されたため、以上 4名による家主E
口公 開 審 査 会
0月 1
7E
1
、
応募作品を対象とした優秀作の審査は、 1
口審 査 結 果
公開審査会としておこなわれた 。 手作査員として F記
、
投 以 万 式 : 各 審 査 口 が 3点
2点
、
l点のカード
1 枚 づつを持ち、 tf~æl 作 品 3 作品を JIIl'l位を付けて
のデザイン専門家を招き 、学生の聴講も自由とした 。
(
1
1
立が 3点
、
審査会の中では、 出席した作品提出者に プレゼン
2位 が 2点
、
3位 が 1点 ) 選 ん だ 。
:
i
jが与えられ、次いで
テーション(口頭説明)の│時 I
作 JJl ごとに投じられた 1~} 点の合計によ って、最優秀
各作品に対する箭評 ・討議の後、務査員による優秀
賞 l作品、優秀賞 2作品を選定、その他の応募作を
作品の選定 ・投票がおこなわれた 。
佳作とした(得点分布は下表)。
最 優 秀 賞 と な っ た 西 山 知 佐 作 品 ( REBIRTH
BOX)は 、 分 別 用 ゴ ミ 箱 セ
y
トを構成するそれぞ
れの{:f?'品をその内容物となるゴミと
,
l
i
J
t
革の素材でつ
くるという斬新なアイデアが評価された 。 その他の
作品では、ゴミを分別する行為を誘うアイデア、ゴ
"1体に遊校性を持
ミ箱にゴミを投入するという行為 1
たせるアイデア、投入されたゴミを隠さずに見せて
しまうことによってゴミについての立識の覚醒をは
かろうとするもの、ゴミ箱やゴミ袋自体の造形のお
もしろさや可変性を立同したものなどが目立った 。
公開審査会
イ
'
F
n
仁n
y
REBIRTHBOX
組み立て式ゴミ箱
彦根市指定新ごみ袋+専用ごみ袋スタンド
レッツ・リサイクル
Hexa
見える
ディスプレイ的なごみ箱
(
以下、無得点)
審
名
H
麻谷
3点
1}
.
'
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:
3点
2点
1点
3
壁
1
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{~言 1 ,内・ 1''(
山下
2点
8点(最優秀賞)
4点(優秀賞)
4点(優秀賞)
3点
3立
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3,
i
'
,
}
1.
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2
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ワ市
2点
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1主
}
人
間
文
化・69
人・閏・文・化・通・信
口展示・公開
口受賞者
最優秀賞
西山
知佐 (
大学・院 ・環境科学研究科)
全応募作品は 、 l
lJ
J
の湖風祭において 、作品展示
優秀賞
南
政宏 (
大学院・環境科学研究科 )
室を設けて公開した 。最優秀 1
1優秀賞の受賞作品
優秀賞
平井
達也 (
人間文化字部生 i
iデザインコース )
は、県・仁業技術総合センターの協力を得て、 Al
圭
{
圭
{
作
今村香菜江 (
人l
f
¥j文化学部生I
J
Iデサ'インコース)
サイズに拡大出力し、額装して展示した 。 さらに、
作
作本
末
手I
J(
人間文化学部 :
l
:
ii
テ'
サーインコース)
Tに
同月には、本学学生のまちづくり支援団体 AC
佳
作
林絵
梨子 (
人U
H文化学部生活デザインコース)
圭
{
作
松I
J
I 政r
'
J(
人1¥
j
文
化
学部・
生活
テ・
サ'
インコース
)
品
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街 ・久!坐の辻 ACTS
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i
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佳
作
布1
1
J
J
;
l 幸子 (
人間文化学部・ 生活
テ・
サインコース)
ひろく
佳
乍
イ 広 山 篤美 (
人
!
日j
文化学部・山首テ サ。インコー ス
)
作 手
u
回 実留 (
人I1rJ文化学お・人間関係コース )
より、彦根市 中心街のえびす講にあわせて、銀座商
F
作
般に公開された。
(コンペ事務 J
"
j:人間文化学部・面矢慎介記)
e
圭
(
圭
(
Q座でも展示され、
八塚和幸 (
工学部・機織工学科)
上記受賞者にはそれぞれ副賞として図書券 (
最優
1
3万円、優秀賞 1万 円、佳作
秀1
3T-円分)
がl!';~呈
された 。
ι
!1
名
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、
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零 時1
〆
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湖風祭作品展
7
0 ・人間文化
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最優秀作品 (
西山知佐)
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オ
人・閏・文・化・通・信
.
2
0
0
1年度卒業論文・修士論文一覧
鈴木竜吉
地域文化学科ー
アジアコース・日本コース
後藤魅妃
岸川
藤井輝子
綾
明治維新知l
における近江商人の金
融業小野組を中心、に
i
考えるあたま 、 感 じ るこ ころ
地域学序説
郷野発地域学
4
乳幼; 探しつづけてきたものー
オコナイ実践より- (
映像作品)
│
二野 祭
田村正樹
愛知県中島郡祖父江町とその周辺
西川美里
域における市i
洲町 村 制 の 展 開 に つ
祭りの発展と構造ー
松村
市
句
人 が 集 う 場 所一地域交流における文
化ホールの可能性一
いての一考察
睦
京 都 北 山杉 の 里 を 訪 ね て
戸田雄一
高屋大樹
中村
愛知県のミニバスケットボールと
それが地域社会にもたらす影響
田口
湖上交通と丸子船
薫
あの日、あの l
待。そして、これから 。
近代家族の行方
松宮隆行
坂本と馬借
増田由美子
南井佐知子
中世京都の民衆と社会上下御霊社
武藤恭子
人と人のあいだに
の祭礼から
村上真規
ふるさと
一受け継ぐもの、伝えるもの
歴史との対話
宇井
高松菜美
だんじり祭
大阪岸和田の 「もの 」
「ひと j を見る
竹内千尋
中村
り
岡
あのl
i
重い↑
日 界へ
希
I
r
児
」
本
ロ
ヲ
ノ
ペ
現代の信仰と、私の信仰を探す旅
川口
綾
r
e
alpopcu
lt
ure
の変遷
土江今日子
山科本願寺・寺内 I
/
I
J
の保存と復元
綾
城ド町彦根の近代都市への展開に
に関する考察
豊田
「祭り Jの 周 り の 環 境
高橋めぐみ
相撲
関する歴史的研究
出路由香里
現代におけるシャーマニズム
永谷崇正
岩田慶治とアニミズム世界
橋本潤一郎
私の愛した老荘
中国人という生き方
安立尚子
山崎山城跡の保存と活用に関する
荒木洋介
伝統的景観地域における大規模開
安達
縄文時代の硬玉製勾玉について
一考察
発の影響に関する研究
日本人の妄想
嗣
とr
l
'国人の実態
中川穂花
清水有高
良い就職をするために
寺脇
友井川裕也
歴史教科書問題でみた日本の抱え
木津治日弧
亮
大山晃野
“祈り"のある風景
永井美希
「手 づ く り 」 に こ だ わ る 人 々 を 訪
イスラーム社
奥井淳子
縞 織 怜子
山に吹く風
ねて 未来をみつめなおす
町田ゅう子
心の通い合うところから
私はここにいる
村上ほてり
小林
角
{
霊
尚子
健
映画からみたイギリス
シベリア抑留の実態と未
賭博 パチンコ J
苫の風景から考える
イタリアスローフード運動からみ
る日本の食事情
角美由紀
長い日の世界
都市と農村をつなぐかけ橋
の場合
ー グリーンツーリスム・美山田J
人を求め、コーヒーを求め
有森
祖父の軌跡
来の行方
土に生きる
人の輝く場所
山 の 持 つ 力 を 見 てー朽木村針畑地域
との出会いの中でー
ふるさと蛭川村の思い出より
繁
これか
山と畑のある暮らし
伊吹のこころにふれて
青山
子供の育つ環境について
谷口雅章
について(映像作品)
山下智美
装飾古墳考
「在日 」 の 歴 史 と 選 挙 権
会におけるイスラーム型近代化の可能性
田中美登里
安 岳 3号 墳 に つ い て
らの家族と地域のあり方を考える
るこれからの問題
村田茂典
中 山道 高 宮 宿 の 町 な み の 歴 史 的 変
遂について
まじないとのろい
現在進行形若者的文化
安達みを
湖東地域における水路利用と景観
鈴木智子
日高
允
旅する 服
佐藤美沙子
動物と暮らすということ
藤木
木村
井上
守田洋子
{乏しいニホンとなるために
八木創平
西陣気質
人間文化 ・
7
1
人・閏・文・化・通・信
階段の明度と照明条件の違いが階段の
西陣織と家族小経営について
柚口真理
売 商庖街が消えた一本道から
北川太郎
見やすさに及ぼす影響ー
駄菓子応「初I
1
屋」にみる家族の商
中田香奈
映 像 作 品 「 軌 跡 か ら 未 来 へ J-映
る研究
像でつづる自分史・立体小説として
いて一一
坂下まどか
名前でみる人生儀礼
野間弘子
ロシアにおけるブリヤート
西村美咲
街道と城下回J
-城下への街道導入パ
長瀬寛之
外来魚の諸問題
良
新たなる伝統(伊吹方式)
日本における伝統的型染技法の研
]1乍(制作)
究と市 1
武笠絢子
個室化とプライパシーの観点から
永野俊哉
銀 座 リ ノ ベ ー シ ョ ン 彦 被 市 ・ 銀座
考えたこれからの日本の住宅
琵琶湖におけるケース
渡辺
住宅における光環境の実態調査
との関係
ターンに関する若干の考察
川合言志
機能性から見たアプ
住宅における関口部の特性と室内照明
百済系渡来人関連遺跡の現状とそ
の社会教育的活用
片山武俊
今後のアプロ ーチ の在り方に関す
ローチ空間
諸石久美子
いて考える
介護保険法施行後の実態につ
る調査・研究
ブリヤー卜の現況と将来的な展望につ
林あづさ
現在の高齢者向け住宅改造に関す
商庖街集合住宅計画
生活文化学科一
阿宅寛之
居住地域にお け る希薄化 するコミ
安達暢子
応急仮設住宅の居住性能に関する
生活テザインコース
ユニケーションに関する 一考 察
考察恒久化をめさして
セルフメイド・スーツの製作
ーダンディスムと現代ファッションから
清水美希
カタログ通信市売に関する一考察
今岡暁冴子
柄のデザイン ・柄入れを含む振布1
製作
の計蘭
橋本勝由
本国鉄平
前田慶子
藤川友紀
ーザム~
者問題と消費者教育
山形
ファッション分野におけるユニバ
石川聖子
キチン・キトサン ノセルロース複合
田中裕治
環境色彩における青屋根建築物に
(缶飲料)
関する研究
照井亮平
る可読性に優れた配色一物体色視認
ニオン性天然染料 (
梶子)
の染着性
性との比較
永源寺の伝統的農家の使い方と周
諸問みどり
大垣市における都市公園の現状調査
山下優子
大学生のための共同住宅(制作)
古屋尚子
照明が及ぼす色彩の感情効果への
渡辺一恵
滋賀の駅
川野由貴
「コンビニコスメ Jに関す るデザ
影 響ー若齢者の場合一
72 ・人間文化
インの現状とこれから
求められるデザインの方向性一
北野恵香
長浜市旧中 心 街 におけるス トリー
高橋弘子
現代日本における 『李朝 家 具 』 及
トファニチュアの生態
照明が及ぼす色彩の感情効果への
影響高齢者の場合
階段の段差の見やすさに関する研究
イメージ改革 一駅 人 ・
まちのつながりをもとめて
関空間への関わり方
杉浦春奈
コンピュータディスプレイにおけ
繊 維 の 天 然 染 料 に よ る 染 着 性ーア
文田早奈絵
島久美子
1日をあらわす色彩ー
環境色彩問題対応型自動販売機
非イオン性天然染料(苅安)の染着性
津村早紀
日本人の時間 ;
;
i
-に関するイメージ
石橋勇治
キチン・キトサン /セルロース複
合繊維の天然染料による染着性
(
制作)
地下と夢の関係 (
制 作)
調査
消費者の意識と企
業の試み
下川綾子
わたしたちにできること
あり方
インターネット取引に関する消費
ーサルデザイン
(
制作)
iToS
a
l
eC
l
ot
he
sJ
密集住宅市街地における都市型住居の
感覚について
堤中一正
(制作)
制作)
ーアパレル商業空間の設計一 (
『
ユニクロ 的』 ファッションビジ
ネスと現代日本人のファッション
市街化が進む都市部
述 続 す る 気 配一民家の空間を生かし
た再生
現代的な振袖の製作によるこれ
からの着物への提案 (
制作)
柴田美穂
「時を刻む」
における市街化調整区域を取り巻く環境
のデザインー(制作)
有村明子
(制作)
山上幸子
び『李朝スタイル家具』
人・間・文・化・通・信
林
知美
文山 賀 品
おまけ付 きおかしの実態
藤部智子
コンドームにおける広告・ l坂 ~'~li&
略の変化
キシロースとグリシンによる褐変
│時におけるでんぷんの物性変化
戸田麻衣子
タンポポの消臭活性成分、コ ー ヒ
一般の存在形態
橋本聖子
生活文化学科一
食生活コース
橋本誓子
浅見真出
阿部千鶴
J
f
u
清中コルチゾールに代わる I
!
@液
伊藤智恵子
氏川久美
↑生について 男女総合の分析
東田真美
肥満形成に関する研究
変動 I
細川里奈
j
品食 .i
令食に関する研究 柿・タン
ffi'tに及ぼす影響
ニンなと の摂取が身体 i
食 品 の 価 格 調査 可食部 100g当たり
ε
前田由美子
l
塔好
どの県取が身体温に及ぼす影響
に対する意識
1
1
1
J佐[Jに関する研究 脂
肥満形成の 1
松村大祐
日本の食生活における若者の辛味
影響
宮原由香
ヒト血中 NA
Dの日内変動 H
近江の 地 域 におけるキムチの l
格好
村上真由美
妊娠 ・出 産が トリプトフ ァン ーナ イ
環境汚染物質フタル酸エステルに
キムチについて
アシン代謝に及(;rす影響について
山形由起
キシロースとグリシンによる褐変
時におけるでんぷんの物性変化
ナイアシン
山村由起子
i
昆食
・冷食に関する研究
れんこ
んなと の熊取が身体損に及ぼす影響
食 品 の 価 格 調 査 栄養素 別に見た 20
ε
:
1
1
:問の比較
横井木綿子
Sugarの 酸化 促進 に 及 ぼ す エ ピ ガ
若松
愛
サプリメントのあり方について
食品が自律神経に及ぼす影響
ショウ ガを中心にした食品摂取による
ロカテキンと銅イオンの影響
勝田菜実
健康増進効果
噌好
代謝の撹乱機梢に関する研究
小)
1
1 まり
キムチについて
肪刺1/胞の分化に及ぼすニコチンアミドの
よる トリ プ トファン
大家真利子
日本の食生活における若者の辛味
i
1ii食・冷食に関する研究ーなすな
'性につ いて 男女別にみた比較
大崎聖子
キムチについて 男女の 比較
近江の地域におけるキムチの l
塔好
中コルチゾンの妥当性とその日内
の価格の 20年間 の比較
市川昌子
日本の食生活における若者の辛味
l
暁好
キシロ ー スとグリシンによる褐変
自 f帥 II~J 活動の変化~
時におけるでんぷんの物性変化
川崎礼子
野草の画分別消臭成分の比較
北尾幸子
1)
野草による細菌の生育抑制 (
北村静香
J
f
r
r
i青中コルチゾールに代わる l
唾液
生活文化学科一
寺田史織
ストレス反応とコ ー ピングに関す
j
毘食 ・冷 食 に 関 す る 研 究 柿 ・ シ
中川
ユングの無意識観
M
i
}
Jに
ョウガの摂取が身体温 ・自律神経i
牧野里美
東海豪雨における行政の対応につい
中コルチゾンの妥当性とその日内
変動 H
久郷知品
人間関係コース
る分析
真
てー愛知県新川町の事例を中心にしてー
及
{
;
!
:
'
す
影
響
香山佳代子
野草による細菌の生育抑制 (
2)
中尾祐義
塾における生徒間交流
小枝夏子
小林えりか
野草の直l
分別消臭成分の比較
保恵香
志智静
藤藤見
近膏 鷲
高田小百合
荒井正志
顕在性不安の高低と生理心理的現
金属イ オン、アルブミン の共存が
象との関係
茶カテキン類に及ぼす影響
池田紘子
高齢社会の展望
伊津信幸
科 学 の 位 置 付 け一科学の成古過慢に
の日内変動
ヒト血 中NAD
I
食品中ナイアシンの栄養学的特性
きる社会へ
茶カテキン類の酸化還元電位に及
おける人文 ・相会科学からの学問論的ー
ぼす金属イオンの影響
考察
食品が自律神経に及ぼす影響
市田喬勇
注;な集中及び生理心 理面への呼吸
法効*
柿を中心にした食品摂取による自律神
津野知子
高齢者が壌かに生
経活動の変化
金子幸世
児童虐待 原因について考えるー
茶カテキンのラジカル生成能に影
上辻哲平
気 分 が 注 意 集 中および生理心理面
イオンの速い
響を及ぼす鉄と釦l
に及ぼす影響
人間文化 ・
7
3
人・閏・文・化・通・信
寛子
テアニン版取による注意集中効果
滋人
精神作業f
d
i:
f
j
時におけるテアニン
~がけと選手のパフォーマンスに
摂取の披労粍減効果と顕在性不安
ついての一考察
の関係性
阪下宏昭
平井裕美
:
h
'
j
干1障 害 者 の リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン
中田久美子
1
皮
,バイオフ
優 勢 前 額 皮 上 屯 位 a'
笑 い が 優 勢 前 額 皮 上 電 位 ・i
主立集
中・疲労 !乏に与える 1~.~~r~Æ
治武あすか
藤本 嘉 彦
少年野球における指導者からの言
河野
近藤
としての SST
イー ドパックトレーニングの試み
母親の育山ストレスと子どもに対
する養育態度の関連
田中達也
~'i~刊サコミュニケーション空間
鈴木智美
乳幼児のリズムにおける同期反応
宮本朋枝
教育の巾のコミュニケ ー ション
住 吉 知織
発話のタイミングに影響をうえる
高橋里永子
幼児における物語受容についての
人l
こf
云え、人に交わるとは
の発達
要因
地域文化学専攻
修士論文
研 究一昔話 「きるかに j を通してー
竹岡理恵
ジ‘ェスチャ ー は記憶の T
厚生にどの
市元
三
E号
正
三
ような彩科を及ぼすか
疋田千里
地方自治体におけるリサイクル対
岡田玲子
策 彦根市と長浜市の比較ー
辻
綱常
地方自 j
台体の環境政策において住
母親と母親以外の大人に対する愛
からー
坂本健次郎
高谷 美 穂
組民地朝鮮における神社政策
仲村友一
j
I'
I
止における人々の銭貨認識
その展開と実態
遊闘を例に
成宮弥生
子供の基本的人権としての教育を
出土銭貨の銭磁構成からの分析ー
西川
誠
共生社会に向けた地方自治体のあ
早川
圭
j
i
従同期城館遺跡、の基礎的研究
受ける村g;fiI
J 同家・親・教師がどのよ
うに保障するかー
田中由実
り方一在日朝鮮人の歴史性をふまえて
色彩とパーソナリティ ーカラー・シ
近畿・中四国における山城を中心とし
ンボリズム・テストによるパーソナリテ
イの診断ー
野田
陽子
原口雅有
た居住性と防御性の展開
堀井香里
城下町彦根の歴史的景観の保全に
森
地域 文 化 学 再 考
│
刻するこころみ
大学生におけるセルフ・エステイ
一 ムと 価値観の関連↑生
仰I
J
I
五の生活誌
一滋賀県大津市仰木のくらしの変化ー
児童遊図に設置されている遊具に
究ー甲賀郡 F
I
'
t
'i町の児童
つ い て の 砂f
占地図にみるエゾ地
一近世初期の北方地理認識ー
着 の 比 較一保育図児を対象とした調査
富田直子
古 琵 琶 湖 層 地 帯 の 人 と 水 -I
I
U
f
J
11
7
年の農業日誌にみる人々のくらしー
児島正弥
民団体が来たす役割
田村仁美
'
1
'国北朝墓制の民間と地域性に│英l
する研究
雄二郎
会話によって人はいかにして親密
i
1
1
1
1
也に映る地域文化
度を深めていくのか
三輪恭子
日本人の人間関係の特性分析
一「男はつらいよ 」に見られる 「
間柄」
西下大輔
生活文化学専攻一
日本における大学自治の歴史につ
回選
鈴賀
障害児の余暇の過ごし方と家族支
岡村康臣
心 象の八坂
守屋亜記子
在日コリアンの食生活、その世代
援に|羽する~,\J 査彦恨・湖北の障害
児余暇保障事業からの比較考察ー
山田恵理
若 林 利秋
絵図で表現した八坂集落
環境的 i
i
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!囚が成人に至る人 I
l
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]継 承 に つ い て の 一 考 察ー京都市
成に与える l
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時代の戸 1
:
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南区における N 家の 'l~ 例を中心に ー
調査を通して
浅井
薫
共同選別作業における指さし行動
発言内脊の j
吹1
前認知に彩特を与え
成田啓行
表象的ジェスチャーのコミュニケ
る要因はどのようなものか
7
4 ・人間文化
I
I
J家の住ま
彦 根 旧城 下 1]における I
い7
Jーその考現学的研究一
いて
宮 川 美紀
修士論文
大学自治についての歴史的考察
ーション的機能についての考察
人・間・文・化・通・信
瞳 INFORMATION
(
=生活文化
t
組織で、世界中の学際的なtiJI究者、実務家、行政者
1
60人ほどの会員をょうするものです。生前には歴
史家のアーノルド・トインビ一、人類学者のマーガ
-鄭大聾 (
ちよんでそん)食文化
レッ ト・ミード、建築家のバックミンスター ・フラ
1.研究
ーや、今も会員である丹下健三、クリストフ ァー・
4月に韓国で開催された第 1
1回世界食品科学技術
会議に参加。「日本に広がるキムチ文化Jについて発
表。緯国のマスコミの取材多数。
アレキサンダ一、人類学者エドワード・ホールなど
鈴々たるメンバーが属しています。
在、の発表はシンポジウムのテーマはlDe
f
i
n
i
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6月
、 8月
、1
0月にも食生活調査。特別研究の成果
Successo
ft
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eC
i
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yi
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e21
s
tCentury (
2
1世紀で
i
j
J全国交流御津大
のひとつを 「
朝鮮通信使ゆかりの j
の都市の成功とは何か)Jに応じて 、彦根を例にと
会J( 11 月 3 日兵庫県揖保郡 í~llì車 II/T)にて発表。
り、日本の都市の空間的特性を述べ、その上に日本
国立民族学博物館の共同研究 「
酒をめぐる地域間
の個性を持った都市を作ろうという 主 旨のもので
韓国の伝統酒マツコルリ文化の変
比較研究 j にて 「
す。『 人間文化』第 9号にある私の論文 「
彦根の町
'
日求。
遷」発表。
『 日本醸造協会誌』に1
づくりと都市デザインへの提案」 をその一部分とし
『
韓国家庭料理にみる食生活の知恵.
1 AjicoNews
発展させたものです。
このベルリンでの会議の後、ミュンヘンからロー
N
O
.
2
0
220019月。
2 著書など
テンブルクなどドイツ南部の中世からバロック期に
M選書 7月)
『
焼肉は好きですか j (新潮社、新 i
かけての都市を多数見学することが出来ました。 こ
発表するが好評で 8月にすぐ 2刷となったが、狂牛
れらの都市の堅牢さと時間の蓄積した結果としての
病の影響で動きがストップ状態です。
石造人工空間としての都市を線認することができま
、 TV1図解説出演。
この著書関連でラジオ 4回
した。 またそれらの都市や周辺の集落さらには回国
『
朝鮮の食べもの j (築地書館 1984年)の訳本が
来観が非常に美 しく保たれていて、日本の都市・集
韓国の歴史批評社より 2月 1日出 版。その記念講演
落空間の現状を何とか変えていかないと、という思
会を 8月に行った。
いに駆られています。
3
. 講演活動など
・設計活動
機会があ ったので木造の住居を湖凶に設計し、ま
「
韓国の食文化の特徴」なと寸の講演、執筆依頼が
もなく完成します。 OMソーラーシステムという太
多くあった 1年でした 。
日本食品機械研究会、サ イエンスフォーラム、滋
陽熱を利刑したパ ァシヴ・ソーラーシステムを用い
賀県高島町、近江八幡市、野洲町 (2回)、愛知県
た省エネルギー住宅です。古い集落の中にあり、周
岡崎市、静岡県立大学 などで講演。
囲との調和を考えて、現在における民家を作ろうと
大修館出版、祥伝社などで単行本執筆終了。
TV番組取材も多くなりましたが、韓国の TV局に
シリ ーズ番組 「
食文化
斡│圭!と日本 J7本製作。そ
の解説者。
2002年ワールドカップに向けてさらに忙しくなり
そうです。
いう設計です。また木材は吉野杉を中心に用いた{也、
自然素材を徹底的に使った健康住宅です。
・教育 ・社会活動
例年とおりの多くの授業のほかに、設計演習 IV
で、毎年行 っている彦根をフィールドとした学生によ
る11/]づくりの提案の今年の課題は「彦根駅東土地区
j
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j整珂事業地医」および 「
彦根市馬場にあるオーミ
-土井崇司(どいたかし)住居学、建築意匠、都市デザイン
ケンシ彦恨工場の跡地」についてのデザインでした。
・研究活動
前1
0号にも述べた私の研究項目の内の 「
都市デザ
面白い提案がそれぞれ二案づっ完成しています。
社会活動としては大津市の建築審査会委員、彦根市
s
インに関する研究」 に属するものとして PNhati
の都市景観アドヴ ァイザ一、旅館等審査会委員、ユ
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ニヴァーサル歩行者空間ネットワーク委員などを引
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y ? J と題する論文を昨
き続いて務めています。昨年 1
1月には淡海生涯カレ
2 l
年1
0月2
4日から 2
8日にかけてベルリンの Science
y ジの受講者に
Center Berlin で行われた Wor
ld Society f
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らのデザイン Jという題で話を致しました。
∞
「日本における都市と集落のこれか
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s のシンポジウムにおいて発表しました。 こ
の WSE という組織はドキシアデスが提唱した 「
居
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J の総合を日指す学際的な
住に関する科学 Ekisti
人間文化・ 75
人・閏・文・化・通・信
-崎山
理(さきやまおさむ)言語人類学
太平洋を中心としてその周辺地域の消滅の危機に
瀕した 言語の共同研究に、多くの時間をついやして
6世紀、
ピにもマレ一文化は残る 。東インドネシアは 1
香料諸島としてヨーロッパから注目されるところと
なった。その面白はいまも維持されているのである 。
いる 。少数民族の言語問題への関心と取り組みが早
0
0
1年、国連環
かったのはユネスコである 。そして 2
-佐々木隆造(ささきりゅうぞう)実験生命科学
境計画の環境フォーラムでは環境・文化と密接に関
・論文、総説、その他
わる 言語の消失は自然の教科書を失うことに等しい
1
. Muramatsu T
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. Arakawa S
.
. Fukazawa K
.,
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UNESCO
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01)を刊行した。 この中の国際協力者
リストには拙名も含まれている 。 日本での具体的な
取り組みは、平成 1
1年から開始された文部省 (
現在
AH環太平洋の 「危
は文部科学省)の特別領域研究 (
機に瀕した 言語Jにかんする緊急調査研究』で(その
詳
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の総括班代表として、毎年、 一回の圏内シンポジウ
ム
、 一回の国際シンポジウムの企画に参加してきた。
シンポジウムでは日本を含む世界の危機言語の現
状、各国の対策などを論じ、また必要に応じ現地調
査を行うことにより、本年 3月末現在で、 CD-ROM
(
言語音声) 付き 3点を含む研究成果 2
2怖の刊行に
協力した。夜、が直接編集に関わ ったのは 『
危機に瀕
した 言語についてー講演集(
→J
(
平成 1
2
年)
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2
明I
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危機に瀕した
言語について 講演集(
三
)
.
1τ│
(勺
ぷ1
3年)である 。
このうち英語の報告書は、その日本語版を明石書
庖から今年度中に共編著で刊行する予定である 。 ま
た現在、今年度(最終年度)のシンポジウムに向け
てその内容を画策中である 。
0月、南アフリ
フィールドワークとしては、昨年 1
カ共和国に出張し、マレ一語の動態的研究を行 った。
マレ一語は東南アジアでは 1億数千万人によ って話
される大言諾であるが、 1
7世紀以降、他民地宗主国
のオランダ、イギリスによって主に中産階級の技術
職人そして政治犯としてケープタウンに送られたそ
9世紀までι│
ミき延びた。南
の後衛たちのマ レ一語は 1
アフリカの歴史では彼らを 「
奴隷Jという語で説明
しているが、その真偽については検討が必要である 。
その後マレ一語は、アラブ系諸民族との通婚および
イスラム教徒としての連帯が強まるなかで、現在、
約2
0万人のマレ一系民族の日常生活でほぼ消滅し、
公用語であるアフリカーンス語 (また宗教語として
アラビア諾) にシフトしていることが判明した 。
「完全に 」 とはいえないのは、アフリカーンス語
(オランダ諾がクレオール 化し た言葉) の諾業のな
かにかなりのマレ一語が借用語として取り込まれて
いるからで、それも食文化関係が多い。ただし、マ
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n 魚醤」がb
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g チャツネ j の
レ一語 b
ように意味変化している例もある 。 また香辛料をき
かせたケープ・マレ ー料理と呼ばれる庶民的なレシ
76 ・人間文化
2
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. Masuda S.& Sasaki R
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物
、 学会出版センタ 一、3
3年 4月 1日より)
・日本農芸化学会副会長(平成 1
・非常勤講師
京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科、東京
大学大学院農学生命科学研究科
・招待講演
1.日本農芸化学会中部支部シンポジウム(平成 1
3
年 6月 9日楠井県立大学)シンポジウム 2
1
w紀の農芸化学に期待する
講演題目:動物工学・人間工学の行方
2.腎とエリスロポエチン研究会
(
平成 1
3年 1
1月1
7日ホテルニューオータニ)
寅題目・赤血球を作り脳を護るエリスロポエ
講i
チン作用と組織特異的発現
向
人・閏・文・化・通・信
-安土 優(あづちすぐる)美術・造形
える 。分析のための基本 的な枠組みの整理は昨年
.本年度の主たる活動・制作
終わ ったので、本年度から高齢化問題を中心にし
2年前から滋賀県を中 心 に京都府 や福 井県 の山 M
を高谷好一教授、 学生達と見 て まわって い ますっ特
実療、介護所得保障の分野について貝体的検
た
、 l
,
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J
に
入 っていく予定。
に滋賀県の民俗、歴史、風土、生前文化等をできる
特に地域社会の I~ 立性をはかり、社会保障 ・ 福
だけ丹念に見ることをモッ トーにしました 。背 1
1
1の
祉の安全網を制度化するための、人々の結びつき
一角にある造物が国指定の文化財であったりしま
す。 5
3市町村のほとんどが国指定の文化財を持ちま
方 (
組織様態) を考えたいと思っている 。
(
2)
ナ シ ョ ナ リ ズ ム に つ い て の 政 治 思 想 史 的 検 討。
すが、隠れ里にあったりそれぞれが信仰の山であり
ナ シ ョ ナ ル ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 視 点 か ら 、 国
ます。 したがって山岳を駆け巡ることの多いフィー
民が生みだされ、 一体性を確保するに至る
家 ・
│
主l
ルドワ ー クと 言 えます 。 7月の頃、青田の宇角に i
J
i
;
プロセスとメカニズムを、アメリカを事例にして
る重要文化財を探求し、道に迷うことがしばしばの
分析している 。
中、吹き渡る風をありがたく感じ 「
風 j をテーマに
1
9世紀後半までの、アメリカの支配的意識であ
1
2点制作をしました 。 以 Fはそれらを展覧会に出品
るWASP的文化とイデオロギーが成立 する過程の
しました 。
0世紀への転換期jに、大量に流入し
分析、および、2
1)第 44回滋賀県美術 協会 展 「 権 現 谷 J(日本画・
2
0
0
1年3月 大津市歴 史I
単物館
2)2
0
01
年滋賀双線美術展 「
風 J(
風をテ ーマにし
計5点 ・全紙大)
た水彩画
8月 滋賀県立近代美術館
3)第 1
3回F展
日本画
た r~ 東欧系移民とナショナ リ ズムとの関係の分析
は終えた 。 現 在 1
9
9
0年 代 に 焦 点 と な っ た 、 マ ル
F50号)
新世紀の入り江で 「風 J(
水彩問、
計 4点 ・全紙大)
チ・カルチュラリズムを生み出した階層間関係、
アジア系、ヒスパニ ァク系移民、および黒人アン
ダー クラスと白人ミドルクラスとの緊張関係を整
理しながら、人種とナショナリズムエスニック集
団間関係 、福祉国家とマイノリティ・アンダ ー ク
ラスの問題を整理中 。
1
0月 大阪市立美術館
4) 第2
7回造形展 「風 J(日本画 ・1
2
0号) ・あかり
(
陶 器 計 3点)
1
1月 滋賀県立近代美術館
モ ン ゴ ル のゲルではスーテイツアイが r
l常的に飲ま
5)第4
5回滋賀県美術 協 会 展 「風 の 中 で 1J(日本
れている 。 モンゴルでは主とし てグルジイア製の
-早川史子(はやかわふみこ)食鼠学、栄養指導論
8月 、 モ ン ゴ ル の l
喫茶習俗を調べる機会を得た.
画 .5
0号)
同茶であるグルチン茶が使われていた 。 これを粉末
1
1月 滋賀県立近代美術館
にし、煮出し、ウシ、ヒツジ、ラクダ、あるいはヤ
6)第5
5回滋賀県立美術展覧会 「風 の 中 で IJ(口
クのミルクと塩を力1えた茶がステイツアイである 。
本画 ・5
0号)
スーテイツアイにコメ 、 小 麦 粉 、 干 し 肉 、 バ ン シ な
1
2月 滋賀県立近代美術館
どを入れたものがヒーステツアイであり、シチューの
-社会的活動
滋賀県造形集団副代表 ・滋賀県美術展覧会実行委
ようであるがモンゴルでは茶の 一種とされている 。
家族が揃ったのんびりとした休日にはヒーステツア
員会副委員長 ・架東展審査員・滋賀県芸術祭実行委
イを欽みながら、団緊を楽しむ。 茶を飲む前に、四
員会委員 ・滋賀県文化振興事業団評議員
方の 1
1
1々の神々に作った茶をささげるため、天に向
4
砂主な所属 学 会
かつて茶をまく風習が残 っている 。
日 本 美 術 教 育 学 会 ・ 基 礎 造 形 学 会 ・大 学 美 術 学
会 ・京都市立芸術大学美術教育研究 会
京都日本画家協会・滋賀県造形集団団員 ・滋賀県
モンゴルの団茶の成分を i
W
J定してみたところ、ビ
タミン Cは全く合まれていなかった 。 J
1
5の機能性成
分であるカロテン、日一トコフェロール、タンニン、
美術協会
l木茶に比べると遥かに少なか っ
カフ ェ インなども r
-小林清一 (
乙ばやしきよかす)社会・経済政策、社会思想史
宵慣的に茶を飲用するのか、し、まだ I
l
j
Jらかではない。
た。 なのに、茶産地で・ないモンゴルで、なぜかくも
最近の術究テーマ
研究テ ーマのひとつである茶カテキンの抗酸化作
(
1)
社会政策の同際比較
J
T
J、殺菌作用の作用機構解明に関しては、これまで
(
2)
ナショナリズムの形成と社会
明らかにしてきた銅イオン共存下において強い
DNA1fi傷能を示す茶カテ キンの 一純 で あ る エ ピ ガ
(1
)
福祉国家の将来的可能性と展望を、英米系とヨー
ロカテキンについて、その原因となる OHラジカル
ロッパ大陸型と北欧型、 日本の比較をとおして考
j
l
定し、 DNAt員
生 成 能 を ス ピ ン ト ラ ッピング、法で、iJ!
人間文化 ・ 77
人・閏・文・化・通・信
f
a能との一致をみた。その成果は以下の学会で発表
{象すると公ろしいことになりそうです。
もうひとついま締め切りを迎えているのが、長浜
し、論文にまとめた。
1)茶カテキン頒の活性般京生成能と消去能に}}ぼ
市史の地域文化財編です。 来年者の発行にむけて、
す鉄、銅イオンの l
;
f
;特:第 75凶 1 本農芸化学
いま執^
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ーにかかっています。これには私だけでなく、
会誌講演要旨集。
本大学の先生方が多く参加されていますが、遅れな
2)茶カテキンー Cu2+系で生成するヒドロキシル
いようにがんば、っていきたいと,忠っています。
ラジカルのスピントラッピング法による同定:儀
気共鳴と医学、 1
2、41-44
。
-郡須光章 (
なすこうしよう )心理学、 教育心理学
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今年はまとまった研究発表は卜分にできませんで
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したが、授業や卒論指導、学外の地域協同研究・ 実
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lBiochem.65(
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践を通して、子どものストレスと相談支援などに関
一方、ここ数年行っている茶粥に│対する研究では、
する多くのデータと'jT例を得ることができました。
昨年に引き続き佐賀県の茶別調査を実施した。佐貨
従来から続けている 「
青年期のストレス反応と対
5明習俗は、 主 に鍋 J
知事の統治下にあ った地域
県のま1
処行動」の調査をつづけるとともに、小学生・中学
に根強く残 っており、その実態は奈良や和歌山に決
生の心の問題・ストレスに関する研究会にいくつか
して劣らず、f!~~*~の起源を主11 るための-'w:重な知比を
参加して、学校現場ーでの支援活動の方向とその効果
得ることが
m米た。 これについては
「
佐賀県の茶捌
について議論してきました。 それによると、今日の
習俗 :日本食 1
'
:
.
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i"i学会誌、 1
2-2、176-182(
2
00
l)
J
チどもたちの不安や焦りは大人・親が想像している
にまとめた 。 また、 「
近iJの食文化
日本食生前学
よりはるかに強く、ちょっとした契機で、不適応状
0-26 (
2001
)Jや 「滋 賀 の 昧 滋 賀
会誌、 11-4、2
態や逸脱行為に発泌する可能伯の高いことが言 われ
の食事文化研究会、サンライス出版J
の一部を執筆。
ていました。 また子どもの体の調子・健康も相 当に
f
T
.Fukuwatar
.
iY
.MorikawaF
.Hayakawa.W.
弱体化していることも報告されていて、病気や健康
Sugimoto. and K
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障害の問題が、子どもの学校教育の大きな課題とな
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っているように感じました。
{也には
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最近の経済不況や失業時代を反映して、若者の就
(
2
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01
)J
、などである 。
労と職業適応の問題が注目されています。 このよう
-土屋敦夫 (
っちゃあつお)建築史
、 都市計画史、都市開発史
者の自分さがしと将来設計に │
刻しての動指がより大
今年度から 2年計画で、私にと って大きなプロジ
きくなっているようであります。 各種の統計資料か
な状況にあ っても、あるいはそうだからこそか、若
川県加貨市に橋立という
ェクトが始まりました 。イi
らもその傾向がうかがわれます。新規大卒就職者の
浴I
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Jがあります。 このPl
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はカニがとれることで主1ら
うち 35%が 3年間で離職していること 。フリータ一、
れた 1
1/]'ですが、じつは江戸末期から I
Y
i治初期にかけ
アルパイターなとの )
1
,
正規労働についている若者が
て前践した北前船の基地でした。 いまでもか つての
200万人に達していること 。 若者の失業率が 10%を
船主たちの巨大な家や、船乗りの家が数多く残され
超えていること 。 など、若者の就労と社会参加、社
ています。
会的成熟の謀題は大学における教育指導の大きな問
/
I
Tが伝建地区 (
1
町
、.
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t似存)指定を目指そうと
この I
題とな っています。 このように現状の分析と支援へ
いうことになり、文化庁の補助を受けて調査が始ま
方向を見1.1',すための、研究を進めなければならない
りました。 この調査に、県大と金沢工大が共同であ
と考えています。
たることになり、私のゼミの学生を総動員していま
昨年度から行っている滋賀県教育カウンセラー研
す。今年度は、学生たちを Aれて、 l
i
'
l
まり込みを含
究会は、 2
002年 4f
Jをめどに(lめ H本教育カウンセラ
め延べ 1
5日くらいかけて、大小 5
0粁ほどの家の笑 i
W
J
ー協会の滋賀支部として発足する予定であります。
調査し、その肉化作業を行いました。 しんどい作業
この分野に関心のある方は、ご連絡くださし、。
でしたが、 学生たちにと っても、 立派な占い家を手
学会所動としては│
二
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本健康心埋学会、│
二
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本カウン
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!って実測し、それに住み続けてきちんと維持し
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セリング学会等に IU Ilì~して、 「 干T 年のストレスに関
てきた人と接することは、すばらしい経験にな った
する 」研究や 「
進路成熟」研究の発表をしました。
ようです。 また他校の学生と共同で作業にあた った
社会的な活動としては、引き続き県社会教育委員、
ことも、いい刺激になりました。いよいよ来年度は、
県青少年問題協議会副委員、秦荘町立秦荘東小学
保存手法の策定と報告書がきと、この制査の山坊を
校・学校評議員、近江八幡市生泌学習社会づくりア
迎えます。 これには来年度のゼミの学生の協力を得
ド‘バイザーなどとして、微力ながらも地域や行政へ
ねばなりませんし、最後のまとめと被告書作成を想
の関与をさせていただいています。
7
8 ・人間文化
人・閏・文・化・通・信
-八木英二 (
ゃぎえいじ)教育学
加えたものに進展した 。 このうち、新たな消臭成分
「
特別な教育ニードへの教育的対応」 に関する調
IIの単
としてドクダミカか、らのアリス卜ロラク夕ム B
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査結果の一部を、 CD-ROMに収録した 。 (Hi
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弘詰科学工工.学会議で
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論生のがんばりで、多くの植物では成分の粗分画が
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行われ、ポリフェノール以外の新規消臭・抗菌活性
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物質の単離のための準備も経った。 さらにオースト
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3-4.)教育的発達に関
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去を一応本年度にまとめることができた。
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する調査は継続しており、大阪府寝屋川市の小・中
学生の学力形成に関する調査結果を新たにまとめて
ラリアで調査したアボリジニの消臭・抗菌に関する
(
2)
食品による自律神経制御作用
漢方や日本での言い伝えにある食品の温冷効果の
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いる 。表題を、 F
科学的実証を目指すことから始まったこの研究は、
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昨引丙度測定に目途がついたことで、形を整えるこ
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とができた 。多くの食品の温冷効果の確認、その中
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01)を予定した
が、しかし残念ながら、直前の同時多発テロ事件で
ロンドン上空 ・空港が緊迫し断念せざるをえず、機
でも特にショウガの体表温上昇 ・交感神経賦活効
果、柿の体表温低下・副交感神経賦活効果は次年度
会を改めることにした。
の作附は国際食品科学工学会議で発表することがで
「
教育における同際的合立の研究」 も継続し、昨
LO本部で、資料収集を行
年と同様、ジュネーヴの 1
にとりまとめるつもりでいる 。 カボチャとショウガ
きた。
(
3)
その他
っている 。教師のストレス・バーンアウト問題につ
今年度は滋賀県の健康栄養マップの発行の年に当
いて、教育部担当官のラト リー氏より有益な教示を
たり、調査内容のとりまとめに協力した 。滋賀県民
得、新しい資料を入手する ことができた 。 なお、教
の食生活実態も予断を許さない状況にあり、栄養教
育権にかかわる問題点については、 「人権教育 」 と
育の重要性を再認識した。 また給食関連の新聞社か
題する雑誌連載を継続 中である (
部洛問題研究所
果に関する情報提供依頼を受け、こ
ら食品の温冷却J
『部 落 j2
0
0
1年 4月号以降)。
れも卒論生の協力の下、小・中学生を対象に分かり
つの学会発表を行っている 。(1)
本年度は、次の 2
やすく原稿を書くため腐心した。
日本教師教育学会の課題研究 I 1
2
0
01
年大阪府下 N
市における教師のバーンアウ ト調査」、(2)
関西教育
-柴田克己 (
しばたかっみ)代謝栄養学、食料科学、食品衛生学
学会の課題研究 1 1
新教育課程と教師
私どもの研究室では、
背景・問題
点 ・今後の謀題j。前者は来年度より始まる学会の
(
1)
日本人のビタミン必要量に関する基礎研究
特別課題共同研究にかかわる構想で、①教師のスト
(
2)
ヒトが生来保持する紫外線防御機構を高めるた
レス・バ ー ンアウトと教職のあり方の関連の解明、
②教育実践の 三つの局面(構想・遂行・評価)にそ
った分析、 ①学校診断評価、教員評価のあり方の検
めの基礎研究
(
3)
食品中に含まれる有害成分の毒性発現機構の解
明とその毒'性の軒減方法の解明
討、などを提案したものである 。後者は、近年の'子:
0
01
年度には下
のテーマを中心に研究をしており、 2
カ論争をふまえ、 2
0
0
2年度から始まる新教育課程笑
記に示す成果を発表することができました。
施をめぐる問題点の報告を行った。
1 発表論文
1.ナイアシン補酵素の生合成経路と異化代謝経
-灘本知憲(なだもととものり)食昂栄養学、食品生化学
5
(
21
, 73-80 2
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1年
路、ビタミン、 7
本年も変わらず、私どもの分野が人間文化の巾で
2
. Increased blood NAD and NADP l
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果たせる研究テーマに卒論生の諸君とともに取り組
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んだ。身近な素材、民間伝承の中から健康や生活に
役立つ知恵を科学的に t
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mり起 こす作業である 。
(
1
)
芙然物中の消臭 ・抗菌活性の検索
悪臭物質の一つであるメチルメカプタンに対する
消臭活性を調味料や香辛料などから検索することか
ら始まった研究は、検.~対象が徐今に野草を中心と
した植物材料に、検索活性も消臭活性に抗 1
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人間文化・ 79
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) の毒性
発現機構解明のためのモデル動物の作成
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品衛生学雑誌 4
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. ドクササコ (
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ナイアシン代謝に及ぼす
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1年
食品衛生学雑誌 4
影響
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. マイクロプレートリーダーを利用した NADお
よびNADPの微量定量法 ビタミン ,
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2 書籍
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. 食物栄養学 三訂版(fi:. '~', 成分の機能と栄養
側、各食品群の栄養i'lM
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¥微を分担執筆)培風
館
2
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0
1年
2.運動生迎 ・生化学辞典(分担執筆)大修館書
厄 2
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年
3
. 高等学校 家 庭 科 家 庭 基 礎 (
分担執筆)実教
出版
2
0
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1年
4
. 高 等 学 校 家 庭 科 家 庭 総 合(
分担執筆)実教
教出版
2
0
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1年
3 実用・普及記事
柴旧克己からだの科
学.21
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1年
2
. NADH (還元型 ニコチンア ミドアデニンジ
ヌクレオチド )
栄養補助食品として登場
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7
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1年
ビタミン 7
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. 可塑斉Ijフタル酸エステルがトリプトフ ァンー
ナイアシン転換経路におよぽす影響
日
本農芸化学会 2
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1年度大会 (
平成 1
3年3月・
立命館大学)
2.非標識キノリン酸を用いる Quinoi
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年度大会 (
平成 1
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三3月 ・
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立命館大学)
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の役割
第 55回 日 本 栄 養 ・食 糧 学 会 大 会
(平成 1
3年 5月 ・京都国際会議場)
6
. ドクササコの投与がトリプトファンーナイアシ
ン代謝に及ぼす影響 日本ビタミン学会第 5
3
回大会 (
平成 1
3年5月 ・淡路国際会議場)
7
. 3T3-Ll細胞の脂肪細胞形成過程におけるピ
リジンヌクレオチド含量の増大
日本ビタミ
3回大会(平成 1
3年 5月・淡路国際
ン学会第 5
会議場)
8
. ヒトの尿中ナイアシン代謝産物の日内変動と
それに対する各種ストレスの影響
日本ビタ
ミン学会第 5
3回大会(平成 1
3年5月 ・淡路国
際会議場)
9
. ドクササコによる毒性発現モデル動物の作製
日本農芸化学会関西 ・西日本・中四国支部合
同大会 (
平成 1
3年 1
0月 ・岡山大学)
1
0. フタル酸エステルがナイアシン代謝におよぽ
す影響
3年度日本栄養 ・食糧学会 21C
平成 1
記念近畿、中国・四国支部合同大会(平成 1
3
年1
0月・神戸学院大学)
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1
2
. ラットにおける小麦ふすまのナイアシン活性
3年 1
1月・武庫川女子大学)
成1
1
3
. 運動 習慣による Trp-KYN代謝系 の順応 第
2
4回日本トリプトファン研究会学術集会 (
平
成1
3年 1
2月・千葉大学)
他 4編
5 社会活動
4 口頭発表
80
5
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リ プトファンーナイアシン転換系における腎臓
3回日本家政学会関西支部研究発表会 (
平
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1.進歩するビタミン研究
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)
4
. 骨絡筋においてインスリンは P38MAPKを活
性化しない 第5
5回日本栄養 ・食総学会大会
(平成 1
3年5月 ・京都国際会議場)
5-1 一般講演
1.第 4
8回香川県消費生活講座及び第 9回香川県
食品専門消費者講座の講師
テーマ 「
今、あらためて食の安全」
平成 1
3年 6月 5日、香川県中央生活センタ ー
2,平成 1
3年度市町村栄養士研修会の講 s
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テーマ 「
第六次改定
日本人の栄養所要量の活用
一新規ビタミン ・ミネラルを中心にして 1J
平成 1
3年 1
1月 1
6日、大津健康福祉センター
3
. 平成 1
3年度市町村栄養士研修会の講師
テーマ 「
第六次改定
日本人の栄養所要量の活用
人・間・文・化・通・信
一新規ビタミン・ミネラルを l
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心にして
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平成 1
3年 1
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8日、大津健康福祉センタ ー
5-2
浜市情報公開審査会、長浜市個人情報保護懇話会、
外部委員など
滋賀県成人病センタ 一
-社会活動
滋賀県個人情報保護審議会、大津市、彦根市、長
治験審食委員会
個人情報保護審査会の委員として、条例の制定、改
滋賀県小児医療センタ一
治験審査委員会
正に向けて、知事や市長への提言づくりに参画して
日本生活協同組合連合会
食品添加物研究会
います。その他、大津市環境審議会、彦根市社会教
日本生活協同組合連合会
健康食品研究会
育委以、彦糠警察者協議会委員を受け、消費者の視
ビタミン B研究委員会
点から提言 を行っています。
9
9
2年から H本装道の文化顧問をしており、
また、 1
必須アミノ酸研究委員会
厚生労働省
第七次改定
日本人の栄養所要量一
食事摂取基準一企画検討会
日本ビタミン標準化検討協議会
「きもの装いコンテスト 」 に関わりをも っています。
学生の部に毎年本学学生を推薦していますが、昨年
1
1月には生活デザインコ ース 3回生 2名
、 2回生 l
名が出場しました。惜しくも 4位でしたが、次回も
-中谷
員三代(なかたにまさよ)
消費者問題、消費者教育、服飾デザイン
・研究活動
高齢者の単独世情が全世帯の 40%を占める今日、
頑張るということで、きもの文化の継承につながれ
ばと大変嬉しく思っている今日この頃です。
-鈴木伸子 (
すすきのぶこ)色彩学、服飾造形論
高齢者が消費行為の当事者とならざるを得ない状況
本年度は、教育活動の方で随分時間をとられ新し
にあり、それに関わる高齢期の消費者被害は、今後
い研究に取り組むことが出来ませんでした。そのこ
も当然増加の傾向をたどると忠われます。「高齢者
とは、過去何年もの間の自分の研究活動についてい
をめぐる消費者問題」の研究が高齢者の消費環境を
ろいろ考えさせられる 一年でもありました。データ
いくらかでも整備するきっかけになればと思い、続
は揃 っていて、あと 一息という時に諸々の事情で中
けてきて現在 1
0報となりました。その関連で、過去
断し、考察の途中でそのままになり限 っていたもの
に日本消費者教育学会より学会 1
1(
研究奨励賞)を
もありました。そこで、その当時の時間と労力が思
受賞し ました。
い出され、何とか最後まで……と思い、それを 完成
消費者問題が生涯学習における重要で緊急性のあ
させることだけを考えました 。その立味で、研究活
る現代的課題の ーっと指摘されていることから、
動に│刻してはやや消極的な年でしたが、晩秋頃から、
「
高 齢者をめぐる消費者問題」 について 今後も調査
私なりに精一杯の│時間を利用して加筆修正し、何と
研究を続けて行きたいと考えています。
かまとめ上げ投稿まで漕ぎ着けたことは大きな喜び
0世紀を振り返り 「日本に
一方、服飾関係では、 2
おける 2
0世紀の服飾に関する 一考察 (1-3報 )J
になりました 。
今年も、公開講義の受講生数名の内一人が、講義
をまとめることできました。 1、 2報はすでに拘載
期間中、何度も熱心に研究室を訪ねて米て下さった。
されており、 3報は加筆修正中です。
彼女のお仕事の係わりもあるようでしたが、私にと
・教育活動
大学における公務に支障のない範囲で、県レイカ
ってささやかな励みでもあり ました。
ディア大学校の講義や、地域で各種講座を担当し啓
ガイドライン研究部会に所属し調査活動にも出向い
発を行っています。時に、京阪神等の消費生活セン
ています。が、部会への所属は一年ずつの登録制度
社会活動 としては“街の色研究会・ 京都"で色彩
ターの講座を受け持つ機会もあり 、また最近では、
にな って いて、成果の発表会ともいえる研究会が開
企業向けの講演も多くなりました。
催された今年に限って登録を忘れていたことが、研
消費生活論を受講した卒業生から様々ななアドバ
究会当 Hになって会場で判明しがっかりしたもので
イスを求められることがあり、若者も結構問題を抱
す。 これについては、自分の不注意のためであり大
えて生活している様子が窺えます。若者への対応と
変悔いが残る結果となりました。
して、県内の高校生向け消費生活副読本作成のため、
高校の先生方への基調講演と副教材1If}子の監修を 行
-野部博子 (
のべひろと )児童文化 ・伝承文化
こ。
いまし f
研究活動
本年制作年に引き続き、長年取り組んできた調査
1世紀の社会を担う若者に対する消資者
さらに、 2
教育の一環として、 1999年に出版した 「実践的消 ~1j
研究のまとめの年であった。
者読本 J-SupportYourLi
f
e- に新たな項を起こ
一つは滋賀県における樹木を調べ、それらはどの
し、内容をさらに充実した改訂版を 2
0
0
1年 3月に出
あたりに分布しているのかを調査した後、人々の生
版しました。
活と樹木の関係を見て米た 。
人間文化・ 8
1
人・閏・文・化・通・信
二つには、昔話の研究である 。 ダム建設計画で廃
本の作法で行われているので、接待がない時の通信
村となった、 l
岐阜県揖斐郡旧徳山村 (
現I
!
事情村 )で
仰の食事の記録や通信使が持ち込んで現在につなが
伝承されている昔話を長年にわたり採話してきたが
っている食べ物などが見つかり、その変容の有無が
一人の語り手が、置かれた状況によって語りがどの
わかれば面白いと !
ぶっているが、今のと ころ、手が
ように追い変容しているかを 2
0年間の調査のなかで
かりはない。
I
ij(して新たな語り手像を見いだした。 これに関し
比!
ては現在専門誌に投稿中である 。岐阜県の汁話研究
-吉田一郎 (
よしだいちろう)人間関係論専攻、教育学
に関しては朝日新聞、読売新│剤、中日新聞に掲載さ
一昨年 (
2000、 1
1月) 1
人権教育及び人権啓発の
れ、地元ラジオにも度々山淡し研究経緯を訴す機会
推進に関する法律」が制定、施行された。国や地方
を得た。
三つには、祭礼行事に参加
│している子ども の姿を
自治体において 「人権教育」の推進ということが、
j
U↓ばれてきている状況にある 。
写真に記録している 。 これらの写真は 、写真仲間の
「人権教育 」 という概念が人によ って使い方の呉
協力を得て写真展を開催し、多くの方に観てもらう
なる多義的なもので、けっして共通四解されたもの
ことができた。
ではないという状況に鑑み、安易に人権教育という
四つには児童文化財のー積である紙芝居に関して
ことばを使わない }
jがよいと思う 。今回の法律に関
である 。 H本で誕生した紙芝居の研究と砕発活動に
連して吟味すべきことはいくつかあるのだが、その
関わり 「
滋賀県紙芝居研究会」 を発足させた。
ーっとして内心の自由の問題ははずせないと思う 。
1
11¥前紙芝府大学Jという紙芝居に関しての M修
法律では 、「人権尊重の精神の洞養 Jを 「国民の責
会を企画開催した 。「滋賀県紙芝居研究会」 につい
J
務j としてうた っているが、それは│玉│家という権 )
てもびわこ放送の番組で紹介する機会に恵まれた。
による国民の内心の支配になるのではないかという
社会活動
l
懸念がある 。 また、教育目標を 「
精神の形成」 に i
滋賀県環境影響審査委員
くという 日本的な教育発想 (
私はそれを精神主義と
滋賀県立びわ湖こどもの同運営委員会委員
H
千んでいる )が、今回の法律のなかの 「人権教育j
滋賀県紙芝居研究会代表
概念についても見られることも注目されるところで
紙芝居文化の会運営委員
ある 。その関連のなかから、 「人権教育 Jが結局道
徳教育の範時で語られることにな ってしまうという
-日比喜子 (
ひびよしと )調理学
問題性も生じている 。[人権教育」 をめくる以上の
食べ物・飲み物のおいしさについて、それを発現
ような問題状況をみすえて、教育実践学の立場から、
する食品側 (
主 として澱粉性食品)の物性や食べる
m点から精神活動の自由 (内心の自
検討するという t
J
帥 fにかかわるテーマで研究を進めている 。
人側の I
食品を扱 ったテ ーマでは 2つに取り組んだ。 1 前
年に引き続き、生澱粉とは ~~i~ なる糊化特性を持つ老
由、表現の自由)の意義を見直す作業を行っている 。
0
0
1年 1
1月に │
羽かれた全国部務問
その成果の一部を 2
題研究者集会において 「
教育実践と粘初I活動の白 j
j
lJ
化澱粉を食素材として利用し、劣化しにくい パンを
と題して発表した。 また、同様の問題意識から八木
作ることを検討した。そして、澱粉の種類、老化の
英二氏や梅山修氏らと共著の形で著作を出版する 予
椛度、添加量を考えれば、効果があることを機認し
2
0
0
2年、春、大月書広より出版予定)である 。
定 (
た。(
E妊e
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fRetrograded WaxyCornS
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hon
そこでは法学の談論を踏まえつつ、生活指導実践の
∞1)炊
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3
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3
4
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飯時に調味料を添加した l
床つけ飯の食味は白飯の食
味とは異なる 。そこで、米澱粉の糊化に対する調味
蓄積を提示しつつ教育実践学の固有の原理として精
神活動の自由が位世づくことを明らかにすることを
試みた。
料類 Wï 、砂粉、酢 ) の);:.~~!平を熱分析により検討し
た。その結果、アミロース・脂質緩合体の融解挙動
-面矢慎介 (
おもやしんすけ)道具デザイ ン論
が特異的なパターンを示すことから、複合体と調味
・海外出張
床のみならず老化過程
料類との相互作用が米飯の食 l
にも影響を及ぼしている可能性が示唆された。
誉好には食習慣が大きく影響するため、国
人の食 H
が違えば当然食 I
啓好は異なる 。江戸時代の朝鮮通信
使接待のためには、万全の調 f
tをし 、相 当の配慮が
なされたことが記録に残っている 。今年はそれらの
料理を再現した資料館他、文化交流の足跡、を残す寺
等をいくつかの港│町で、見学した。接待はたいてい日
8
2 ・人間文化
際図・ソウル d'
j(
10月 1
1日-14円、第 5巨│
アジア
デザイン会議での研究発表および座長、於・国立ソ
ウル大学、本学在外研修)
-論文
1The Development Process of Modern
Household Objects;C
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Homesi
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hAsianDesi
gnConference'¥CD-ROM.2
0
01
人・閏・文・化・通・信
-学会発表
上記の他、 「
道具進化論の系諮;生物学アナロジー
andhumani
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landBrain
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.24:65
2日、於・深川江戸ー資料館、
はどこまで有効かJ(9月2
口演は、
4月の日本赤ちゃん学会第 1回学術集会
第 5回道具学会研究フォ ーラ ム研究発表梗概集)
でのシンポジウム.類人猿に見る母子関係、 3月の
・論説
I
(新しい 〉道具と(古い〉身体:道具は身体の
文部科学省科学研究費補助金基盤研究 Cシンポジウ
岡山県 立大学表象文化研究会 『リプ
延長なのか J(
要なわけを探る (
研究代表者 ・跡見順子)で行いま
ム
I
脳の形成」 と
「
生活習慣病予防」 に運動が必
レjVoL
l 2002年 3月)
した 。 ポスタ一発表は、昨年度末の H本発達心理学
.社会活動など
会をはじめ、 7月の日本霊長類学会、 1
1月の第 4回
県内のデザイナ一団体 I
DFS(
デザインフォ ーラ
SAGAシンポジウム 、 2月の第 2回比較認知科学・
ムSHIGA)Jでは、デザインセミナー 「
バリアフリ
国際シンポジウムで行いました 。 国内の共同研究者
ー という名のまちがい探し」 を開催し、コーデイネ
の方々にも支えられ、研究成果を一般雑誌や新関連
7日、ウイングパレスく
ーターを務めました (4月2
載記事で紹介してもらう機会も得ました (
主婦の友
さつ 。
) また 8月には毎年恒例になったデザイン関
社 「わたしの赤ちゃん J2001
年 9月号:赤ちゃんの
係者交流会を琵琶湖 ・船上でおこないました。
指の発達の不思議、産経新 聞 「
新・赤ちゃん学:第
県の21
世紀記念事業の 一環として、本学学生によ
1音[
1
(
7
)世界の研究室から J2002年 1月2
1日朝刊)。
る 「ゴミ箱デザインコンペ」 を開催し (6月- 10
また、今年度から設置された博士後期過程には、水
月)、応募作品を湖風祭で展示公開しました (
詳細
野友有さんを迎えました 。研究テーマは、 「ヒトと
は本誌記事参照)
。
チンパンジーの母子関係の比較発達心理学的研究」
(
1
1
M
云統的工芸品産業振興協会の伝統的工芸 品 「
産
です。京都大学霊長類研究所の 「母子チンパンジー
地プロテーュ ーサー Jとして登録され、 これまでと同
認知発達研究プロジェクト 」 に参加して、社会的相
様、地元彦被の仏壇事業 協同組合のお手伝いを 続け
互交渉の発達を観察しています。 これまで例のな い
ています。来年は伝統仏壇業界の全国大会を彦根で
「
夜間観察」 を実施し、チンパンジー赤ちゃんにも
開催することになっており、その計画に関わってい
新生児微笑のあることを確認しました 。学音¥
14回生
ます。
ゼミ では、 4人が卒論にとりくみました。女性の生
涯発達と育児のあり方に関して、
-竹下秀子(たけしたひでこ)発達心理学
今年度もあわただしく過ぎました。公私ともの状
2名が異なる視点
から行動観察、調査i
研究を行いました 。他の 2編は、
保育園児のリズムあそびから音楽的知性の発達をと
況の変化で、海外調査研究 はお休みし、国内のフィ
らえようとしたもの、相手の発言の「うそっぽさの
ールドでの比較発迷酬究の仕事の継続・新展開を模
認知」 に焦点をあてて、人間関係の一端を切り取ろ
索する年となりました 。赤ちゃんが発達していく過
うとしたものです。 ヒトとしての心や行動の発達と
程を、自己の身体運動、物とのかかわり、他者との
日キの社会生活との接点を、それぞれ独自の興味か
かかわりのダイナミックな相互作用としてとらえ
ら探求して自分なりの論を構築する努力をしまし
て、そこにどのような種差があるのか、身体運動発
た。 それぞれ、公立 保育園(保育土)、金融業、流
達の相違からどのような ヒト特有の認知が出現す る
通業、情報関係に就職予定です。学部 3回生ゼミで
のか、を明らかにしていきたいと思っています。 ジ
は、心 J
q
l学研究の方法論を学ぶとともに、卒論に向
ョージア大学心理学科教授のドロシー ・フラゲイジ
けた問題意識の発掘を課題としました。社会活動と
一博士 (
比較発達心理学)は 、同様の研究開心 に基
しては、 5月に大阪市幼児教育センターで、現職の
づいて、これまで旺盛に仕事をされてきましたが、
方のための研修プログラムでの講演、
今年度 9月から 1
0月、人 間文化学部の客片研究 員と
根市城南小学校でのウィークエンドクラブで小学
して、ともに活動してもらうことができました。 L
I
生・保護者を対象とした講演を行いました。
1月には、彦
本学術振興会外国人招へい研究者(短期) としての
来日です。 わずか 5週間ほどの滞荘でしたが、共同
研究を立ち上げることもでき、多くのことを学ぶこ
-道明美保子(どうみようみほこ)染色学
これまでに、シルクロード遺跡などからの出土染
とができました。今年度公 F
I
Jした論文は、 Takeshita.
H
.,
2001
.Developmento
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織布について、天然染料の鑑別を試みてきた。 これ
らの中で、特に緑色は古来から極めて重要な色調の
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nchimpanzeei
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Pant
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一つである 。 いずれにおいても緑色の染色には青色
Cognition.4: 335345.Takeshita.H
.
. 2001
染料と黄色染料の重ね染めが行われている 。青色染
Dynamic comparison o
f the development o
f
料としては、藍が古来より最も広く使用されていた
combinatory manipul
a
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ons between chimpanzee
とされているが、黄色染料の種類や使用法について
人間文化・ 8
3
人・閏・文・化・通・信
は未だ不明な点が多い。そこで、今年度は、関東地
方の旧家から入手した江戸時代末期のものと思われ
る「名物裂切レ鑑」に含まれている緑色染織布の中
で、抽出法による鑑別が可能な絹試料と京都収集染
織裂について、それらの緑色部分に用いられている
染料の鑑別を試みた 。その結果を、日本家政学会第
• I
彦根市長選挙 Jr
朝日新聞 J(
20
0
1年 4月2
4日
)
・ 「参議院通常選挙 Jr
中日新聞 J(
2
0
0
1年7月2
6日
)
読売新聞 J(
2
0
0
1年 1
0月2
4日)
・ 「衆議院補欠選挙 Jr
・「
米原町住民投票条例 Jr京都新聞 j(
2
0
0
2年1
月1
9日)
3 共同研究
文部科学省科学研究費 ・基礎研究 (
A) (
1)I
地域
5
3回大会で発表し、 学会誌 に投稿した。他大学や染
社会の政治構造と政治文化の総合研究
織物収集家からの天然染料の鑑別依頼もあり、鑑別
心に
J(代表
近畿圏を中
青木康容例教大学教授)…この共
同研究は最終年度に入り、本年度は主として自治体
できた時の喜びを経験した。
また、 「人間文化学部生活文化学科での生活デザ
インコースとはどのようなことを学び、研究する学
問であるか」について、学生は仰に期待して入学し、
調査(篠山市)が行われた。
4.自治体史
I
j
r史』の編纂事業が本格的に開
本年度より 『
高月 I
学び、研究し、卒業しようとしているのか、また卒
始され、現在資料収集中である。
業したのかを知ることは、生活デザインコースをよ
5.その他
り発展させていくための参考になると考え、 卒業生
および在校生全員を対象に調査をお こな った。その
・本年度から彦棟市行政改革委員会委員として彦
狼市政に関わることになった。
結果、教員構成員の偏りと不足、施設設備の不充分
・本年度も引き続き市民団体「市民運動ネットワ
さなどがカリキュラムに影響し、学生の知的要求に
ーク滋賀」の代表の一人として、人権 ・福祉・
答えきれていない現実に心が痛んだ。今回の調査が
環境問題に取り組んだ (
主として歴史教科書採
無駄にならないようにしたいと思う 。
択問題、市町村合併問題)
。
今年度の卒論生は、地球上に残された数少ない未
使用生物資源、のキチン・キトサンの利用研究の一端
であるキチン /セルロース複合繊維を天然染料の染
-東山明子(ひがしやま あきと)スポーツ心理学 ・健康教育学
今年度はゼミの 4回生が 8人それぞれに実験を行
着性から探ろ うとしている 。工宅部の機器をお借り
い、さらに受託研究もあったため、ひたすら実験に
して、研究が早く進展するように工夫をしたが、明
明け暮れた 1年でした。実験集中時期には実験室や
らかになった点はわずかであった。来年度も引き続
実験機器の調整が大変だったものの、学外での実験
き研究を深めたいと思う 。
が 1件のみだったため、昨年まで学外のデータとり
-大橋松行(おおはしまつゆき)政治社会学、教育社会学
注意の集中と心理生理的現象との関係について、さ
に走り回っていたことを思うと、ずいぶん楽でした。
本年度の主な活動は次の通りである 。
まざまな方向からの実験ができました。今までは現
1 論文
・「
現代青年の家族観一 日・韓・中三 カ国の比較
分析 J 日・韓 ・中 における社会意識の比較調
場からの要請のためにスポーツという特別な場を研
査 J<
仰教大学総合研究所紀要別冊)、例教大学
喜びで した。今後も引き続き、人間の心理生理的側
r
(
r人間文
・ 「国際比較調査研究の体験ノート(J)j (
0号、滋賀県立大学人間文化学部研究報
化 1第 1
告
、 2001年 4月)
r
(人間文
化』第 1
1号、滋賀県立大学人間文化学部研究報告、
加
2
年 1月)
動・運動を対象として基礎的な研究ができたことが
面をスライスして詳細に検討するような基礎研究を
総合研究所、 2001年 7月)
・「
国際比較調査研究の体験ノート (2)
J
究対象とすることが多かったのですが、今年度は行
r
(
・ 「政治社会学の位置と 研究対象 ・領域 J 例大
重ねていきたいと願っています。
また、インタ ーネ ットでの 「
禁煙マラソン 」の心
理サポートとして初回からずっと裏方を続けてきま
した 。支援を通しての健康志向行動の分析を論文に
まとめました 。「禁煙マラソン」もすっかり軌道に
のり、さらにニコチンガムの解禁もあって、禁煙支
援方法が普及してきて、健康への世間の志向変化ス
社会 学 j 第 26号、 1î~ 教大学社会学研究 会 、 2002
ピード に驚いています。
年 3月)
(
発表論文)
2 新聞掲載記事(評論、コメン卜)
・「
湖東町長新巻ザケ配布事件J
f
京都新聞 j (
2
0
0
1年 3月1
3日)
、
『
中日新聞 J(
2
0
0
1年 3月2
5日)
・ 「
市町村合併問題Jr
中日新聞 J(
2
0
0
1年4月1
2日)
・「
場外馬券場問題 Jr
朝日新聞 J(
2
0
0
1年 4月1
2日)
8
4 ・人間文化
1
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kトレーニングが弓道行射パフオ
ーマンスに及ぼす影響
滋賀県体育協会スポ
ーツ科学委員会紀要 No.
l9・20:2001
2
. 高校生アーチェリー選手を対象としたメンタ
ルトレ ーニ ングの効果 滋賀県体育協会スポ
ーツ科学委員会紀要 NO.19・20:2001
人・問・文・化・通・信
3.心拍数からみたクレー射撃競技力向上の検討
滋賀県体育協会スポーツ科学委員会紀要
No.
l9・2
0:2
0
0
1
4.電子コミュニティを 利用した禁煙指導プログ
ラムの有効性の検討ー 「インターネット禁煙
喫煙者へのフォローアップの
マラソン jの再 l
取り組みー
医療と社会 1
0(
N
o
.
3
):2
0
0
0
5.インターネットを使った禁煙支援 心療内科
5-5:2
0
0
1
学会発表
・「
ヒ トの尿中ナイアシン代謝産物の日内変動とそ
I本ビタミン学
れに対する各種ストレスの影響 JE
会第 5
3回大会、ビタミン Vo
.
1
7
5
.4.
p
2
2
8-2
2
9
・「
運動時の汗からの NAD損失」 第5
6回日本体力
医学会大会、体力科学 Vo
.
1
5
0
.6,
8
3
6(
20
01
)
・ 「中高年の夏季日常生活に おけるエネルギ一代謝
と水分出納」第5
6回日本体力医学会大会、体力科
学 Vo
.
1
5
0
.6.
9
6
0(
2
0
0
1
)
(
学会発表)
1.膜想と心従│バイオフィードパ ックト レーニン
圃細馬宏通 (
1まそまひろみち)コミュニケーション論
グのアーチェリ ーパフォーマンスへの影響
2
0
0
1年 6月に 『浅草十二階J(青土社)を出版し
8副大会研究発表抄
日本スポーツ心理学会第 2
ました。明治期の浅草に建設された煉瓦塔をめぐる
録集
2
0
0
1
2.心拍制御トレーニングによる注意力増強の検
討 日本体育学会第 5
2回大会号 2
0
0
1
視覚文化論、文学論です。専門的かっローカルな話
題を扱ったものであるにもかかわらず、朝日新聞の
「天声 人語」ほか、新聞各紙から反響がありました。
地元浅草で、も講演を行なったと ころ、 当時の塔の経
-岡本秀己(おかもとひでみ)健康と栄養
営者の縁故の方や発姻調査にかかわった方が ご来聴
今年から食生活コ ースが県民の健康維持・増進、
して│
ごさり 、あとで逆にこちらから新たにお話をう
生活習慣病予防に寄与するために 『
地域住民の生活
かがうことができました 。本を出すことは研究の終
習慣病の予防指導』 を行うことになり 、初回を担当
りではなく、むしろ始まりであることを痛感してい
した。 1
1月1
0日
、 i
J
I
.
J
風祭当日に食生活コース 卒業生
ます。
の管理栄養士 ・深田幸子さん、安田由香さんと栄養
0
0
1年 4)~にはリーブス、ナス 『 人は
そのほか、 2
士の卵である 4回生の北尾幸子さん、市川昌子さん、
なぜコンピューターを人間として扱うか J(
朔泳社)
W
J
細川里奈さん、前回由美子さんがテント張りや計 i
の翻訳、 2
0
0
2年 1
2月に 山間風太郎論 『声と合いの手 j
機器の準備のあと、地域の来学者に体脂肪、身体、
(
1ユリイカ J
)
、2
0
0
2年 3rJには [テキストとしての
血圧、血糖値等の計測とその結果に応じた栄養 ・健
1インターコミュニケーショ
本 ・物体としての本 j (
康相談を行ってくれた。日頃から 気になっているが、
m
a
i
l対談)が出ました。
ン」久保田晃弘氏としての E-
病院にいくほどでもないと感じている多くの住民の
2
0
0
1年 1
1月には愛知川 I
Jの藤居本家さんのけやき
方に気軽に ご参加いただいた。頼もしく成長した卒
造りの建物をお{昔りして、アルタイ共和国のボロッ
業生とそれを助ける現役生の姿は地域貢献以上に栄
ト
・ パイルシェフ+巻上公ーのライフを企画しまし
養士教育に役立ったようにおもう 。
た。マイクを一切使わずに、空間の反響を確かめな
がら l
唄うボロットの歌声は希有のものでした 。
「日本人の水溶性ビタミン必要量に関する基礎的
研究 J(厚生労働省科学研究費 )の研究協力者とし
て 3月におこなう Human Studyの準備に追われて
-宮本維子(みやもとまさと)インテリア計画
今年度は、まず日本建築学会の建築と色彩心理 W
いるが、 「非侵襲方法を用いたヒトに対する食品機
G主催の公開研究会 「建築色彩設計の現場
能の解析」文部科学省科学研究費萌芽的研究の最終
彩研究に何が求められるか」 に主催者の l人として
年度の取りまとめや管理栄養士法改正にともなう業
参加 l
した 。
i
l
l築と色彩心理についてより研究を深めるため、
4年は忙しくなりそうだ。卒論指導
務などなにかと 1
今、色
l
Ii
背中コルチゾンと
は
、 「ストレスホルモンであるlI
今年度は科学研究費よけ生研究 (C) を符て、照明の
唾液中コルチゾールの相関性 J
、「
唾液中コルチゾー
色彩の !ð'l'ì~ 効果への ;;;'~~l'~~ について高齢-!'í-および若齢
ルの日内変動とそれに及ぼす生活活動の影響 j、「
女
者を対象とした研究に濡手した。
子学生の血中 NADのサ ーカ デイアンリズム 」のテ
点都女了ー
大学短期大学部の閥嶋助教授との共同研究
ーマで、行った。
(科学研究費基盤研究(8))では一般家庭の光環境の
論文
実態を調査した 。 その結果の 一部を 1
nternat
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nicotinamide catabolites.Effects o
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S
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) で発表した。
diurnal v
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.
" The American Journal o
f
Cl
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lNutr
i
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n(
投稿中)
昨年度より介護保険が導入されたことにより、住
宅改造に関してどのような効果がみられるのかを、
5
人間文化・ 8
人・閏・文・化・通・信
高齢者住宅小規模改造助成事業・介談保│
演の住宅改
修t
l
J利用者宅へのアンケ ー卜 及び訪問聞き取り調査
を行ない検討した 。 また、lI
'
i
年度までの同様の調査
結栄をもとに、アプローチについての問題点の 11
1
1
1
¥
-浦部貴美子(ううべきみと)食昂学、食品加工学
近年、純物が持っているさまざまな生物活性に関
心が寄せられ、天然来材から食 1
I
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1の品質保持に寄与
を行った 。 その結果を、 The1
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Economics (
Taiwan)で発表した 。 さらにアプロ
品質保.j,¥には、微生物の制御だけでなく、臭い成分
の除去をも同時に行う こと が、より一廓の効果をも
ーチについては、地域によって差があると考えられ
たらす場合が多くあります。 そこで私たちは、食品
ることから、木年度は農村 地 と新興住宅地を対象に
の品質保持に未利 }
T
J資源を有効に利用していくため
戸建て住宅のアプロ ーチの実態を調査した 。
の基礎 1~19 研 究として、入手が谷易な野草を対象に、
社会活動としては、 滋賀 県男女共同参画懇話会の
抗菌と消臭の両面から検討を行っています。 さらに
委員として 、男女共同参画社会を目指すための知事
その ことによって、古くから経験的に 言 い伝えられ
への提言をまとめ、提出した。その提言 を受け、今
ている事柄をも科学的に 立証できるのではないかと
年度、滋賀県男女共同参画推進条例が ;
1
1
J
定されたこ
考えています。
とは大変喜ばしい ことである 。 また 、男女共同参画
士
│
身の居住環境に関する 制究に│
刻わってはじめた
とl
学童保育施設の調査の概要を、滋賀社会福祉研究第
4~まに自由研究レポ ート 「学童保育施設の居住環境
を考える 」 として報告した。他、今年度はまちづく
り ・都市計画に関わる委員会等のメンバ ーと して意
見を述べる機会を得ることができた。
今年度は、主として次の 3テーマについて研究を
行いました 。
(
1)
消臭効果、抗菌効果を示す野草の探索
(
2)
食品汚染微生物に対する野草の生育抑制作用
(
ìr.~賀県立大学特 別研究)
(
3)
消臭活性物質としてのコーヒー酸がタンポポの
jにどれくらい寄与しているのか
消臭 }
これ らの研究の 中から 、抗菌 ・消臭活性ともに高
-藤淳史子(ふじさわふみと)調理と食品機能
ここ数年、生活習慣病がクローズアップされるよ
い野草がある こと を確認し、さらに分離を進め、新
たな有効成分を含んでいる可能性が示唆される結果
うになり、その予防の観点から、食に関心が持たれ
を得ました。 また、
るようになってきている 。 また、自然食晴好からち
ポから単 V
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tした消失活性物質については、それぞれ
ょっとした漢方ブムになってきている 。 ところで、
学会にて報告 しました (
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漢方医学で、は食物は温熱性のもの、ヨ尽 i
京性のもの、
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: Iタンポポのメ
あるいはどちらにも分類されないものに区別され、
体を温めたり冷やしたりする性質があると 言われて
ドクダミおよびセイヨウタンポ
いる 。 しかし、その分類の基準は経験的なものに基
タノール抽出物から単離した 消臭活性成分につい
づいており、科学的被拠に欠けている 。
て」 第 5
5回 日 本 栄 養 ・ 食 糧 学会大会講演要旨集,
そこで、ここ数年その科学的実証を目指して研究
を進めている 。今までにいくつかの食 l品について皮
p144,2
0
01
)。 今後、反応機構の解明と、応用に向
けての研究も行っていきたいと考えています。
膚出の変化を指標として、 j
品・冷効果があるのか否
か食品鮮別に検索してきた。 いくつかの食品につい
-山栂 周(やまねしゅう)地域生活空間計画
ては漢方で分類されている通りの作用を示すことが
日野究室活動]
確認できた。その一部を学会で発表した
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Jll上村木匠塾 200H
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食品の j
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合一」第5
4同日本栄主主・食縄 学会総会、
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本年は一定の傾向がみられた食品を選び、確認実
奈良県吉野郡川上村をフィールドとして、木造建
築、木材、その生産現場である森林について学ぶサ
マースクールの 4年 F
I
。近畿から 6大学が参加。,fj
l
伐材を使用した展望台の制作等を通して、林業の現
場、山の生活、現状の問題点などを学んだ。本年度
は昨年に引き続き、村が計岡している遊歩道に設け
る展撃台の制作をおこなった。次年度以降も継続が
験をすると共に、 j
昆 ・冷効来に影科を与える可能性
予定され、活動のスタンスと内容、学内での位置づ
があると考えられる、食 I
1
I
1
1に含まれる特定の原因成
け、村似J
Iとの協力関係等、今後に向けて検討すべき
分についても
課題もある 。 (
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';~II 検索を試みようとしてきた 。
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京都コミュニティデザインリ
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京都のまちづくりについての継続的な調査研究と
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人
間
文
化
人・閏・文・化・通・信
提言 を L
I的とした多大学参加の共同研究会が2001年
学物質がビタミン代謝に及ぼす影響」、「
肥満形成を
4)~から本絡的に始動した 。 第 l 年 H の本年度は、
抑制する食 1
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刈チに│主l
する研究j などに取り組んでユ
環境科学部建築デザイン専攻の松│品l
研究宅と J
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います。
京都御所阿の烏メL
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lのビタミンの生物令効性に│刻する研究」
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調査、分析。 1
0月に│羽かれた秋 !
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間
では、小友ふすまにはビタミンの栄養状態を改善す
Jリーグでは地区
報告をおこなった。 今年 4月の春 W
殺によ
る効栄があることをは出しました 。小麦の!日t
への提案を含めた 1i
r問の活動報告をおこなう 。
って除去される小友ふすまはそのほとんどが廃棄さ
.
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自然災害後の仮すまいの供給システムに関する研究 j
れていますが、今 I
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lの発見により発展途上同や災害
昨年 1月のインド西部地震などを踏まえ、災害時
Hつ大量に供給できる食材として利
地などて、安利Iiて、
に地域で入手できる材料 ・技術 をj
日いてセルフ・ビ
j
討されることがj
羽作されます。
ルドできる自力仮設住宅のシステムを研究・提案。
神戸大学、京都大学の研究室と共和j
で交流センター
「
牒境ホルモンなどの化学物質がビタミン代謝に及
ぼす影響Jでは、プラスチック製品から食品に混入す
横の敷地にて実物大モデルの制作を試みた。研究内
る可能性が指摘されているフタル酸エステルという環
容は同様のテーマでおこなわれた第 1
3阿タキロン・
境ホルモンがビタミン代謝を撹乱することを見出しま
国際デザインコンペティション 「
仮の恒久住宅」 に
した。今後、その作用機構を 明らかに し、代謝撹乱の
応募し、入選。
予防について取り組みたいと考えています。
また、今年 j
主より、 l
半生労働省が所管する 「日本
[海外調査]
•
r 植民者11 , lî~IUl の起源 、 変容、転成、保全に|主l す
人の栄去を所要 1
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:一食半摂取基準
」の 「日本人の水
る調査研究 J(
科研国際学術研究)の研究分担者
溶性ビタミン必~ -f-制こ関する基礎的研究 」 にも携わ
として、/、ーグ (
オランダ )、レシフェ、オリン
ることとなりました 。
ダ (
ブラジル )、メキシコシティ
[発表論文]
(メキシコ )、に
て調査、資料収集。 (
2001
.7-8)
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[学会等発表]
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中東の都市空間と建築文化」研究会2001
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究
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スリナム)の都市形成に│刻する仰f
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その 2 街区ブロックの構成 J(L
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[訳書]
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平成十 三年度奈良県川上村木匠執活動記録報宵
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[その他]
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きましたことをこの場を借りてお礼申し上げます。
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ことにより、食生活を通じて現代人の健康におーうし
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ナイアシン代謝に及ぼす影響 J
たいと考えています。現在は 「食品 lドのビタミンの
トリプトフ ァン
生物有効性に関する研究」、「
環境ホルモンなどの化
食品衛生学雑誌 (
2001)4
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) の毒性発
現機構解明のためのモデル動物の作成」食品衛生
1月にはアメ リカ・ハワイでの 「
誤解と偏見
した。 1
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の日本史」国際研究会で 、 中世相1話』の成立過程」
という報告をしました 。 中世に虚構の 「
神話 J(
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学雑誌 (
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・ 「マイクロプレートリーダーを利用した NADお
社縁起)が数多く作られて、それが寺社の縁起とし
2001
)7
5.
よび NADPの微量定量法」ビタミン (
て罷り通っていって、その最たるものが村落の名も
455-462
ない「産神」が
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1功皇后に習合 して行く過程だと 言
[学会発表]
・ 「可塑剤フタル酸エステルがトリプトファンーナ
う話です。大阪外大時代の友人たちが [
英国 ロマン
ス集 Jを訳出していますが、私がその報告で、使った
イアシン転換経路におよぼす影響 j 日本農芸化学
日本の『神道集』と良く似ています。 そんな縁起を
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1年度大会(平成 1
3年3月・立命館大学)
会2
謡ったり、舞ったりしたのが、白拍子女や曲舞女の
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女性芸能者です。 そして彼女らは被差別民出身のス
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Technology (Apri
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l2001・Seou
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lKorea)
です。 1
2月には、このところ共同研究を続けている
・ 「骨格筋に おいてインスリンは p38MAPKを活性
ターでもあったわけで、テー マは関連しているわけ
フランスの友人の推薦で、極東学院というアジア研
究の拠点の百周年記念シンポジ、ユウム 「
文献史学と
化 しない」第5
5回日本栄養 ・食糧学会大会 (
平成
フィ ールド ワー クの閲」というのにお招きいただき、
1
3年5月・京都国際会議場)
「日本中世における文献史学と考古学の間 Jという
・ 「ドクササコの投与がトリプトファン
ナイアシ
報告をしました。 これは私のもう一つの専門である
ン代謝に及ぼす影響」 日本ビタミン学会第 5
3回大
流通史を、中世考古学の発掘を成果を使って論じた
会(平成 1
3年 5月・淡路国際会議場)
もので、フランスでは日本における考古学と文献史
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蜜月のような関係Jという誤解?を生んだ
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いました。 中世の曲第:女の伝説的なスタ ーを描 いた
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2 1・Shangh
・ 「ラットにおける小麦ふすまのナイアシン活性 J
第2
3回日本家政学会関西支部研究発表会 (
平成 1
3
百寓」 を舞
遊びと実習を兼ねて、 5月には能楽 「
観阿弥作、世阿弥改作の名曲です。前記の著書に写
真がほしいので、頑張って舞ったわけです。そんな
ことであ っと言う 問に 一年が過ぎてしまいました。
年1
1月・武庫川女子大学)
・ 「フタル酸エステルがナイアシン代謝におよぽす
影響」 第2
4回 日本トリプトフ ァン 研究会学術集会
3年 1
2月・千葉大学)
(平成 1
-高谷好一(たかやよしかす)地域研究
長年続けてきた海外調査だったが、今年もやれな
かった 。老人をかかえてしまって、長期にわたり家
他 8編
をあけることカ fできなかったからである 。残念なこ
[社会活動]
とだが、これも地域研究者にとってはいい機会と噛
・必 須アミノ酸研究委員会シンポジウム
世話人
(平成 1
3年 8月・北ビワコホテルグラツィエ)
みしめ、味わう ことにし ている 。海外へは行けなか
ったのだが、 日帰りの出歩きは比較的多くできた 。
画家の安土優さんとよく歩いた 。それには時々学生
=地域文化】
も参加し た。ゼミ旅行も数回はできた 。
今年
、 一番嬉しかったことは私が担当した学生が
実にいい卒論を書いてくれたことである 。私が主査
-脇田晴子(わきたはるこ)
をしたのは 4本で、奥井淳子の 「
伊吹のこころにふ
2
0
0
0年は比較的よく勉強した 年でした。 ここ十年
来の懸案の 『中世被差別民の研究 j (
仮題) を夏休
みに仕上げて、出版社に原稿を渡しましたが、結局
れて 」、田中 美登里の 「
心の通い合うところから J
、
微細怜子の 「山に吹く風ー ふるさと蛭川の思い出よ
は年中、史料を読み下し文に代えたり、事後処理に
れも地域に密着している 。 しかも、それを単なる知
年中掛かつてしまいました。 もう一つ四
識としてでなく、 肌と心でとらえ、自分自身の問題
五年かか
り一」 と山下智美の「土 に生きる 」 だったが、いず
っている [
女性芸能の源流 Jも年内にやっと原稿を
として議論している 。その真撃さに感心し、地域文
j
度しました。
化学 も開学 6年目にして、やっとここまで来てくれ
海外へもよく行きました。 6月には、このところ
たのか、と感慨を覚えた次第である 。
引き受けている石見銀山の調査で、銀貿易やザピエ
私自身の著作としては 『
新編 ・(
世界単位〉から世
ルのあとを 尋ねて、イン ドやインドネシアに行きま
界を見る j (
京都大学学術出版舎)と 『
地球地域学
88 ・人間文化
人・間・文・化・通・信
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<文
のこも った意見交流が行われた。大学 と地域のあり
化としての農業〉がひらく多文明共存の時代 j 現
方や交流の形を考える上でも、地域に棟ざした大学
代農業 J(
2
0
0
2年 2月号)を書いた。
づくりが要請されている今、貴重な経験をしたよう
序説 J(
弘文堂)を出した。雑誌論文としては
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前年にひき続いて、いくつかの学外活動をや った。
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う。
「
高齢化対策審議会」、「
緑化基本構想委員会」、「
持
このように、 「
地域」の人々との交流を広げ、 「
地
続可能な 2
1世紀の壁づくり検討会」など県の委員会
域」 との連携を強める中で、先の小冊子に提起され
の委員をつとめた 。 また地元の守山市の 『
市誌 j編
家族j 構想 ~ 21 世紀・日本のグランドデザ
た 「
菜│
重l
纂にも加わ った。
イン
大学院生や 4年生の地域での活動が活発にな った
ので、それにひきづられてこちらもかなり忙しい
は、多くの人々の意見をとり入れながら検討
を深めてゆく条件がととのえられてきたように思う 。
こうした活動の延長線上に、 6月には、鈴鹿山中
の多賀町大字大君ヶ対1Jの空き農家に移り、“里山研
自身が続いている 。
究!奄"などと名づけて、ここを調査活動の拠点に定
-小貫雅男 (
おぬきまさお)遊牧地主
主
論
・ モンゴル近現代史
2
0
0
1年 9月1
1日、ニュ ー ヨーク・マンハッタンの
めた。琵琶湖に注ぐ犬上川の北流を遡り、 三重県境
近くの山中にあるこの拠点は、 4
0数戸からなる集落
超高層ビルの崩落。茶の間に繰り返し流されてくる
の中にある 。同じ鈴鹿山中から発する芹川 ・犬上川
あの強烈、不気味な│映像シーン 。一瞬、何事が起こ
北流 ・南流のこの 三つの水系に沿って、山中に散在
ったのかと戸惑う間もなく、それはやがて経済 ・軍
するこれらの集落は、いずれも空き出家が多く、人
事超大国を頂点に築かれた今日の世界支配のヒエラ
口10万の彦根市からはそうは遠くないところにあり
ルキーが、 一瞬にして脆くも崩れ去ってゆく姿に重
ながら、過疎化が意外にも進行しているのには驚いた。
なってゆく 。 世界のゆく末を H
音示していると、 受け
とめた人も少なくなかったようだ。
2
1世紀日本のあるべき姿が、根底からいよいよ f
寺
7月に入ると、この新たなフィールドを中心に調
査と搬彩を開始した。同時に個人の暮らしの領域に
も大きな変化の兆しがあらわれはじめたようだ。 こ
ったなしで問われているにもかかわらず、相も変わ
の土地独特の森の霊気 に触れ、静かに流れる時間に
らずそれは不問に付したまま、目先の対症療法のみ
至福を思う 。一木一草 にも瑞今しいいのちが溢れて
に目を奪われながら、根拠のない期待だけが、名役
いる 。夏休みには、さ っそく 小 冊子
者の一身にあつめられてゆく 。
酔夢部jの検討に入る 。 これまでの“映像地域学"
思えば、 幸いというべきか、ちょうどこんな時勢
r
l菜園家族」
1月には 『菜園家族レボ
の実践の成果も加味して、 1
の中、ここ 3年間はめずらしくず‘
っ と日本にいたこ
リューション J(
現代教養文庫、社会思想社) とし
とになる 。モンゴル現地調査ということからすれば、
て1
'
,
1
仮することにな った。各地から、 読後感や貴重
空白ともいえるこの 3年間は、“映像地域学"とい
な意見が寄せられている 。はじまったばかりのこの
う、我流とも無謀ともとられかねない地域研究の方
地での調査に生かしていきたいと思 っている 。
f
四季・遊牧jの上 l
快速到Jと結合させる
琵琶湖の東に広がる 平野部。その広がりの中に位
形で、行く先々の 「
地域」の人々と共に、映像作品
置する中都市彦根。 この平野部のさらに東の周縁に
を媒体に、遊牧地域という世界の 「
辺境」の視点か
速なる鈴鹿山中の水系に沿って散在する、数々の過
法を掲げ、
ら
、 高度経済成長をとげ、閉 塞状況に陥っている日
疎集落。 これら 「
先進」平野部と 「
後進 J山岳・森
本の地域社会を考えるという、今から考えれば実に
広域jとし
林地部 をひとつのまとまりある有機的な 「
得難い貴重な体験であったように思う 。 2
0
0
0年 5月
て捉え、その中で、人間不在、経済効率優先主義の
に発刊した小冊子 f
三世代 「
莱悶家族」酔夢語jは
、
従来 の価値とは異なる逆l
i
伝した発想で、小 「
地域」
こうした中から 生 まれたものであ った。
大手l
ヶ刈!という 「
後進」、「
辺境Jをこの 「
広域Jの
e
2
0
0
1年に入 ってからも、引きつづき全国各地の行
l
l
h
に抑えて、この広域全体を捉えなおし再考した
中i
く先々で、この小lIIf子を活用し、自己の見解を積極
時、来して 「
地域」 はどのように見えて くるのであ
的に提示することによって、 「
地域」の人々と のか
ろうか。『菜同家族レボリューション jの底に 流れ
かわりを一層確かなものにすることができたように
る思笠!の核心部分におよぶ検証が、この新天地でで
6日、中間総括のつもりで、我が県 立大
思う 。 5月2
きればと願 っている 。
1
"と
学交流センター・ホールにて、“大地の讃歌 2
r
銘打 って、第 I音
¥
1 四季・遊牧 J(ダイジェス卜版
3時間 2
0分)の上映、第 E音1
¥
フォーラム 『
大地に明
r
1 交流会 Jと
、 一 日がかりの集
日を描く j、第 E音¥
-トゥムル・ナムジム (
中央アジア ・ロシア纏東地域論)
2
0
0
1年の執筆活動より
r
いを開催した。県内だけでなく、近畿各地からも参
1
. グローパリゼーション その理解と動向
(
パンフレット、ウランノ fー トル、 2
0
0
1)
J
0
0名)は満席になり、熱
加者が多く、会場 (
定員 6
2, I
モンゴル・円本両国の将来における友好善
人間文化・
8
9
人・間・文・化・通・信
隣関係によせて J(
著者中の 一章、ウランパ
0
0
1)
ートル、 2
r
(
3.I
モンゴル囲内製造業の復興について J 経
斉
{』誌、ウランノ〈ートル、 2
0
01
)
交通遺跡関係以外の調査では、滋賀県下の条里市J
I
造構の調査、銘文史料の集成研究、木製埴輸の調査
研究、 箸 .~也の食文 化 の遺物の 研 究も進めた 。
2
0
01
{
1
:
にも、 地域!との調査研究にも積極的にかか
わってきた。 昨年執筆し編集してきた 『
城陽市史
第 1巻 jが刊行され、 『
南山城村史』の刊行も大詰
-菅谷文則(すがやふみのり)考古学
i
l
習を行 ったが、その構
本年度は、 一般の講義とi!
めにきた。彦根市!と│
刻係の調査として、滋賀県立大
成は次のとおり 。三 回生 4名、同阿佐 3名、修士一
1
1古墳 l
t
lの測量調査
学に最も近い古墳群である荒神 1
回 l名。同二1
!1
3名。博士後 j
府県松 l名。男女比は
1
2t
,
'
t5名が女性であ った。修士二同で 1名、博上
一阿で 1名が、留学屈が受坦!され、在籍したまま巾
の木之本町の遺跡分布調査も継続しているが、 2
0
0
1
年にも 2
0
0
0年夏に 引 き続いて、木之本町古橋の山岳
国の 山東大学と北京大学に伺学している 。 9rJ卒業
J
!
J
1
量調査をお こなっ
寺 院のキャンプをしながらの i
した修士課程のよ
I
Z
郡達哉君が、韓国政府奨学留学生
た。 これらの成果を、本学の学生たちと 一緒になっ
を2
0
01
年度もおこなった 。 2
0
0
0年からはじめた湖二
ヒ
│
となり韓国の木 i
r
l
i大学に留学してい った。 3月末卒
てまとめて、 『
木之本町埋蔵文化財調査報告書第 2
1
二
│
から吉林大学に 1年間の
業の市元塁君も、 3月 3
集
留学に旅立った 。
木之本町遺跡分布調査概報 11として刊行した。
.
博物館学芸員諜紅の教育、研究もおこない、 学芸
1
1
東省の銅鏡の悉皆調査
研究では、科研費による 1
員課程で発行している報告書
I
滋賀県立大学
学芸
第 3号』も編集 ・執筆し、刊行した。
が進んでいて、千数百枚の調査を進めることがで
員謀程報告書
告両氏をもおむかえした 。 回原調
き、イ冬{凧華 、党 i
全国博物館学講座協議会西日本 部会で編集を進めて
w物館学 j
査は""国但1
1
の事情て、中止となったが、学生 1
2名と西
きた、新カリキュラムに準拠する 『
概説
安に 1
0日間の旅をしたのも新 f
!
.
手であ った。 1
0月には
の編集・執筆に参加 しようやく刊行されることと
41
E
I
1生 1名とともに、西安で開催された唐墓壁画国
0
0
2年度から教科書として利用することがで
なり、 2
際研究会に山 m~ して、扉風絵について報告した 。
きるようになった。
古代武器研究会も 3回目をむかえ、雑誌も 2号ま
で FIJ 行できた 。学 外の研究者ーから、|淀 ~Iニ や学音 1\生の
準備や運営についての:rt!'tの声をあちらこちらから
-黒田末書(くろだすえひさ)人類進化学 ・地域学
年々 学生諸君の地域に対する認識が深まり、地域
聞くようにな ってきた。長W
J
的には、専門就職に好
l
I
Jl
J
A
J係や文化 を大事にして生きる j
よ
1いにあふ
での人 I
0
0
2年は、 r
.
!
1
EJ
十
│
影響があることを期待している 。 2
を耕作し始
れた卒論が増えてきている 。 また、国対 H
考古jの立ち上げがある 。
めた学生たちも幾人かいる 。武邑さん高谷さんと学
生有志で発行している 『
人と地域j を読んで地域文
-高橋美久二(たかはしょしくに)考古学、歴史地理学
ライフワ ークとして進めてきた奈良平安時代の凸
代交通の考古地理学的な研究では、京都大学大学院
化学科を志望したという学生も現れた。 よりよい地
域づくりを目指す荒い人たちが出始めていることが
うれしい。
文学研究科に 申請していた学位論文 「
古代交通遺跡、
昨年度に引き続き 、農民文化と民法の研究を進め
の研究」で、文学博士の学位を授与された。前年に
ている 。江戸時代の j
込書には合理的技術的思考にあ
r
(
毎の駅と 二十凶塊石 J 京都府埋成文化
書いた 「
湖j
ふれている 。農書を読み続けていると、幼い頃の農
0
0
1年 3月刊行)、「奈良時代の
第四集j、2
作業や格言 を突然思い出したり、天保年間に発酵熱
交通・城陽市の条里遺構・平安時代の交通 J 城陽
材や油紙障子を使った促成栽培が発達したなどのお
財論集
市!と
r
(
第 l巻』、 2
002年 1月刊行)が刊行された 。
去の述続性がた
もしろい発見があり、現在に至る農 i
今年度には 「
暦史地理学的に見た 八風街道 J(滋賀
くり寄せられるようで楽しい。 ちなみに、初物茄チ
.
'
近世古道調査報告 4.
1
)、「
古代の
県教育委員会『仁1
が問重量の銀と取り 引 きされるようになって、幕府
官術と交通 J(
W栃木県考古学会誌 j第2
2集)、「
勢多
は初物取リ │・促成栽府を禁止した。多く絞ることを
橋 J(
国立歴史民俗博物館 『
歴博
追求してきた農業の常識とは逆を行くのが、痩せ地
論文等 を書いた。 また、
No.
l0
8J
) などの
1
'
1
1
,
代の山陽道と芦屋駅家」
P
q米の栽培。W
q米栽培史研究も楽しみである 。
で行う i
(
神戸市埋蔵文化財セ ンター企画展記念講淡)、「近
「 自然 J~i,去 」 実践は丸 4 年 。 半野生状態で育つ野
江の古代交通 J(
同志社大学 2
0
0
1年度学際科目 「近
菜を近所に配ると i}~~ v
、味でおいしいと 喜 んでくれ
江の I
L
I
然と文化 J
) など 13回の講演をおこな った。
る。夏には、ボランティア ・クラブの学生が隆摩芋
l陰道の因申書道、 1
1
1
f
!
場道県
また、東山道下野路、iJ
を植え、秋にボランテイア相手の方々と収穫した 。
津 ・嬬磨・備{走路、 三重県熊野古道伊勢路などの造
耕作地がもう 1カ所取え、そちらは環境科学部の学
;
l地調査にも行って来た。
湖の:E
生たちが中 心にな って肝菜作りしている 。
90 ・人間文化
人・閏・文・化・通・信
農鍛冶の実践は 5
0肩で、休止。師匠の松浦清さんが
ついて ~ J も報告されました 。
作り・修理した農具の調査を上田洋平さんや学生諸
6月には、ゼミ生たちと共に奈良県の十津川村に
君と始めた。赤土の斜面で数キロある鍬をふるって
1i
l
'
l2日で出かけ、 1
1
1村に生きる人たちの暮らしぶ
牛芳ほり 。次には、松浦さんが注文取りに歩いた山
りを見聞しました (
企画:悩岡麻子・橋本享明)
。
道を歩く予定。道具が結んだ人と人、人と自然の関
夏休みには一 ヶ月ほど中国に出かけました。 まず
最初はチベ ット 自治区に入り、近年のチベ ァトにお
係に迫りたい。
アメリカ村で知られるカナダ移民資料の整理も進
ける 宗教事情と地域の暮らしぶり を見てまわりまし
行中。大正期と昭和前半期!
の写真には、移民のダン
た。辺境政策の厳しさを実感すると共に、改革開放
デイーさや家族親戚縁者総出の様子が写っていてお
政策がチベットの伝統文化を浸食している状況に心
もしろい。
が痛みました 。 それから南に下って貴州省に入り、
今西錦司が提唱した 「白然学」を論じた 『自然学
立│湯から広西壮族白治区の桂林へと紅水河流域の山
の未来 J(
弘文堂)が発刊できた 。今西の自然学の
間地域を巡りました 。文化大革命の影響が少なかっ
根底に 「
型の思考」ゃ繊細な感性があることを取り
た奥地ではありますが、自由経済への憧僚と戸惑い
上げ、さらに私の方法であるサルや類人猿と同じ世
が共存していました。 それでも日本へとつづく稲作
界に身を置いて観察する「生態的参与観察 Jと、卜│
文化のルーツらしきものが散見され、貧しくとも心
常の食生活や制作・生業における感覚を重視する
思かに日々を過ごす人びとの姿は印象的でした。最
「日常の自然学」 を記述している 。
夏にオラン夕、のパーガー動物園のチンパンジーを
後の訪問地である湖南省長沙市で、は、本学地域文化
学科の大学院生と学部生で梢成する
観察。遊びを通じて行動の多義性や意味の読みとり
環境を考える会 J(
会長岡田玲子)のメンバ -6人
に関する資料を収集、現在分析中 。霊長類学研究
と合流し、臨地調査の下準備を手伝いました。
、
私たちのゼミから四つの報告を行いました。上田洋
その他の研究・社会活動
半 「
琵琶湖岸八坂の語らし長陀経」、岡田玲子 「
地
2
0
0
1年 特 別 号 論 文 ロ ッ キ ン グ ・ ジ ェ ス チ ャ 一
ome!..再考J
。
シンポジ、ユウム主宰 ・司会
かに過ごすか
121
1
並紀の生活をい
人類学会学術
快適性の見直し一 J(
大会・ 7月)
。 滋賀県公務員研修協議会、彦娘市中
121世紀の水
1
1月に開催された 『第九回世界湖沼会議』 では、
域住民が調べる水と暮らし一琵琶湖周辺でのコミュ
ニテ ィ水環境カルテについて
」、渡辺大記 「びわ
刈
!
とi
魚
s
[
i
l
J
、福間 淳 史 「
淳史くんの溜池たんけん 。
」
区文化会館、北大津高校などで人類進化 ・地域学の
それに加えて、 『第九回世界湖沼会談、向由会議の
講演。研究会参加は「アジアのジ、エンダー とセクシ
黒凹征太郎といっしょに水を描こう j
部 Jでは、 「
ユアリティ研究 J(
東京外大 AA
研 )、 「人類進化と
の笑行委員会に参画し、企画から実施までの全般を
人間性の起源 J(
サントリー財団学術助成)、「
進化
ゼミ生たちと共に手伝いました 。
論が社会に与えた影響 J(京都大学人文研)など。
そして 12月には、ゼミ生と共に 「
近畿の古墳研
究」と題して、滋賀 ・奈良 ・大阪における代表的な
古墳を 1泊 2日で見てまわりました (
企画.小西洋
-武直尚彦 (
たけむうたかひと )社会学、
地域研究
地域に生きる人たちとの交流を通して、地域の智
子・中田春奈)
。
恵、や地域に根づいた生き方を学び取り、新しい│侍代
明けて平成 14年 1月には、 二つの企画を実施し
を生き抜く力を身につけてもらいたい。ここ数年来、
ました。 ます‘湖東町大沢の方たちと共同で、人間文
そうした思いで学生たちに接してきました。
化セミナー 『
湖東の溜池文化を見る j (
県立大学交
一昨年の秋頃から 湖東町で実施してきたフ ィール
流センター ) を開催しました。寸劇 「
淳史くんの溜
ドワークは、地域の方たちのお力添えを得て、さま
池たんけん J
、ナオライ 「
かしわめし j、パネル展示
ざまな成果を生みました 。 7月 1日には、丙堀栄三
「湖東地域の溜池たんけん」と借りだくさんな企画
郎記念博物館 『
探検の殿堂 Jと大沢地区の人たちと
でしたが、地域の人たちと大学が相互にかかわり学
共同で、シンポジウム 『
八楽溜と大沢の今昔ーか っ
び会うユニークな企画になったと思います。大沢地
とり、いのちを分け合う一 j (
於.沢のハウス ) を
区の }
j々には、雨天にも関わらず伝統の手法でカシ
開催しました。 その成果は 『
滋賀・ミシガン協同シ
ワ飯を炊いてTtf"、たり、寸劇には町長、助役、議会
ンポジウム 200U ( 7 月 19 日 ~20 円、滋貸県 立大、
議員さんまでが飛び入りで参加して
井上一、武藤恭子 「いかに地球に生きるか
八楽溜
大変な盛り七がりようでした。 、
J
-劇の主役は、わが
と大沢に住む人たち ~J)
このシ
地域文化学科の福 H
I淳史君でした 。地域のお年寄り
で報告しました 。
Fさったりと、
ンポジウムでは、私たちのゼミから、上田洋平 「
心
(~Ì'村 j原 pq 郎さん)から、淳 史君が地域の伝統文化
象の八坂~人間と環境 ~ J 、岡田玲子 「 古琵琶湖層
を聞き取るという設定でしたが、世代の違いを越え
地帯の人と水
て地域に根づく伝統文化を互いに学びあう姿勢が多
この地怖の農作業とくに客土作業に
人間文化・ 9
1
人・閏・文 ・化・通・信
くの若者たちの共感を得たようです。地域文化の発
留学することになる院生を連れ、予定先の教授に紹
掘とそのプレゼンテーションをどのように行うかは、
介しました 。 9月に修士を修了した平郡君です。そ
今 日きわめて重要な課題ですが、 今回の試みは一つ
の後、韓国政府の奨学金の試験に合格し、 9月から
の新しい試みとして注目してよいように思います。
ソウルへ、そしてこの 3月から、その予定の大学、
1月末には、ゼミ生と共に 1i
自2日で「渥美 ・知
国立の木浦大学ですが、行くことになります。 この
多半島における地域文化の研究」 に出かけ、沿岸部
3月にまた木浦へ行って、指導教授に会う予定です。
の!罷史を中心に学習しました(企画:渡辺大記)
。
昨年にもどり、 3月末には、百済の主要遺跡を案内
昨年来つづけている地域に残る古写真の収集と整
しました。 6月末に、今年からスタートした、わた
理は、聞き取りと併せて比較的順調に進んで、います。
しの科研(昨年までもわたしの科研ですが、重点領
近いうちに、その成果も報告できそうです。 またミ
域で 2年間つづいたものです。今年からは基撚 Bで
、
ニコミ誌 『
人と地域jは、多くの人たちのお桧で 1
5
4年間、韓国との共同研究です)の調査のために、
号まで発行できました。 この 3月末までに20
号 ぐら
共同研究者と打ち合わせに行きました。科研は、数
いまで出版できそうです。一年間休学してアジア各
年前から、外国旅費が使える ようになったため、わ
地を巡 っていた紺谷敏邦君も 2月には無事帰国、 今
たしのように、フィ ールドが外匡│
にあるものにと っ
度は大坪寛子さんが中国の湖南師範大学に留学する
てはたいへんありがたいものです。大学の研究費も、
ことになりました。平成 14年度に私たちのゼミに
考え方を変えてもらえないかと以前から主張してお
入ってくる大学院生は修士諜程 4人、博士課程 3人
ります。外国出張は、いまや特別のことではないの
と大所帯になります。今日の 世相を鑑みるとき、大
です。旅費一般で使えるようにしてもらえればいい
学も地域の一つだという自覚と全人的な育ち合いの
のです。科研は、昨年まで個人のものが 5年つづい
場づくりが何より大切かと思います。
ておりましたので、ずいぶん助かりましたが(今後
-林 待遇 (
はやしひろみち)考古学
調査の継続が保障されないのです。 7月には、京都
もさらに 4年はありますが)、確実性がないので、
今年度のゼミ学生との夏
秋の湖底遺跡、の調査
女子大チームとの科研で、韓国・中国へ行きました。
は、天候不順で、予定した日程のト半は湖に出ること
中国は 山東半島で、特に海岸部を廻りました。半島
が出来なかった 。 それで、も米 I~UIIJ の尚江千軒遺跡に
問の交流関係を調べるつもりで、出航の地を重点的
ついては湖岸から湖底にかけて地形測量を実施し、
に訪ねました 。 また 9世紀の中国・朝鮮・日本間の
遺物の分布範囲を地形図に落とすことができた。古
交流としてよく知られた、円仁の日記に出てくる張
中世の造物散布地は湖底の微高地であること
保皐の遺跡も訪ねました。8月には韓国で調査です。
が判明した。 また、長浜沖の下坂浜湖底遺跡に水中
科研のテーマは「韓国出土文字資料の総合的研究」
代末
ロボットを潜水させたが、かなり沖合まで藻がぎっ
というもので、文字瓦・銘文士探・木簡などが主要
しりと繁茂し、湖底面の観察は不可能であった。秋
対象です。 9月にも調査を継続し、昌原文化財研究
には葛箆尾崎に調査船ゲンゴローで乗り付け、陸地
所で昌寧加耶をめぐるシンポジウムにも参加しまし
部を踏査。
0月には、 全州
で
、百済滅亡.)!:f
J
の問題についての
た。 1
冬季にはこれまで断続的に取り組んでいる高島の
シンポジウムに参加しました。 1
0月下旬から、大学
「
三尾城 J探索をゼミ学生と共に実施した 。粘り強
0年ほど継続している、中 国
の在外研修費で、 この 1
い踏査の継続は明るい明日を呼ぶ・ーーを合言葉に。
東北の古代山城の分布調査をしました 。高句麗・湖
一昨年から活動している 『琵琶湖がつくる近江の
j
毎を中心とする山城・平地土城ですが、ここ 3年ほ
歴史 J研究会は、引き続き「湖岸・湖岸の城 JI
千
どは、吉林省の東部、朝鮮との国境地帯が中心で、
軒伝承の湖底遺跡Jをテーマに取り組み、前者につ
激j
毎あるいはそれ以後の遼・金の山城が多くなりま
いてはその成果を 『
琵琶湖と近江の城』 として 一冊
す。あと数年はつづけたいと思っております。中間
の本にまとめることとした。 メンバーは会合を重ね
報告は、すでに単行書としても論文としても刊行し
ながらその執筆に従事し、年度末には入稿にこぎつ
ておりますが、最終的には、詳細な記録を出したい
けることができた。
と思っております。なお、長春で、吉林大学お よび
毎遺蹟の
考古所の旧知の先生方と会い、高句麗・湯 j
-田中{
愛明 (
たなかとしあき)朝鮮古代史 ・古代日朝関係史
2001年における研究・教育活動の報告をします 。
発掘が集中していることを聞き、驚いております。
残念ながら、発掘中には見せてもらえません。1
2月
昨年も、たびたび海外調査の機会がありました 。や
下旬に は、また京都女子大の科研で、いっしょに韓
はり韓国・中固など東北アジアの直接研究の対象と
国済州島と南海岸へ行きました。韓国は、
する地域のみです。韓国は 8回、中国は 2回でした 。
けて、ほぽ全体をまわっているかと思います。
3月初に科研で韓国へ。主に南部をまわりました 。
9
2 ・人間文化
r
(
1年間か
活字になったのは「高句麗の軍制 J 季刊考古学』
人・間・文・化・通・信
7
6
号)、「韓国の前方後 円形古墳の被葬者 ・造墓集団
まわりをとりか こみ、からだ を揺さぶりながら 、楽
に対する私見 J
の音 に身を浸しているよう であ った。楽は 同 じ調子
(
r
l
朝鮮 学報 j 1
79i弱)、「高句麗の
(
r
2)
、「
新羅の加耶進出と比 J
t
f
r伐J(
r
加耶時期昌寧地
返している 。 人影の群には老若男女が入り乱れてい
方の歴史 ・考古学的性格 1昌版文化財研究所)など
たが、目についたのは、おじいさんたちやおばあさ
です。 なかなか仕事がはかど りませんが、現在校正
んたちだ った。夢遊病者の よう に、あたりをはばか
「
任那加羅」侵攻をめぐる 問題 J 古代武器研究 1
のl
験しを繰り返している 。 もう何時間もす、っ と繰り
中のものが 2つありま す。 また急ぎ執筆というのが
らず、あてもなく 、頭や手や足 を揺らしている姿が
3本、ひっかか っており ます。そうした状態は、常
あった。 目もうつろに、酔い痴 れているいくつもの
態ですので、よくはない と思 うのですが、慣れてし
姿があ った。 こんなにな っているお年寄りたちを 一
まいました。
同に見たことはない。 なにがそうさせているのであ
なお、今後、生涯教育 関係活動(カルチャ ーセン
ターは除く ) も書 き出して おこうと 思います。
1月2
2日 甲良 I
I
I
J公民館 ・文化講座 「
渡来人とは何
かJ(
於甲 良町公民館)
於枚方市市民会館)
「
百済と倭の 関係 J(
r
61
世紀後半における日
朝関係(1)
j(
於蛍池公民館)
6月 9日 豊中歴史 同好会
りこまれているであろう先 人の思いや願いが人たち
のからだをきっと このようにかりたてているのであ
3月 3日 枚方歴史フォ ーラム(枚方市教育委員会)
5月1
2日 豊中歴史同好会
ろうか。代々 この祭りを伝え て きた nL
[がそ うさせて
いるのだろうか。 その通りだ。人たちのからだに擦
r
6世紀後半 における口
ろう 。 しかし、も っと正確に 、人たちをこの ように
させ ているものを 言 い当てるこ とができる 。昼間、
鳥居 の前から神社の本殿にむかつてぼんやり立って
いたとき、突如
、 天杢の雲の切れ 目か ら、一瞬だけ
11
、岩木山、そうだ、
その顔をみせた、あの秀麗な 1
この山こ そ、土地の人たちの か らだをこの ようにず
2)
j(
於蛍池公民館)
朝関係 (
1
0月 6白 シンポジウ ム 「古墳 時代の 加耶 と倭 」
r
っとかりたててきたものにち がいない。 山はカミで
(
福井県 ・松岡町教育委員会) 大加耶連
あったのだ。
於福井県立大学)
盟の興亡 J(
'
"
1し遅れたが、私は、岩木 山の年に 一度の集団 登
拝儀礼、 「お山参詣」 にやってきている 。地元の人
1
1月1
0日 藤井寺市 ・市民文化財講座 (
藤井寺市教
育委員会) r倭の五 王 と jiifj~洋 」
1
1月1
7日 日韓古代史文化 フォ ーラム (
朝日新聞社)
(
於インテックス大阪)
1
1月2
4日 高麗美術館提携講座 「
三│
世紀の倭国と明
鮮J(
於仏教大学凹条センタ ー)
の話をあわせれば、 「お山参詣」 は、およそ次のよ
うな行事である 。岩木 山は津軽一円の信仰の 山であ
る。 山を拝する ことのできるエリア 全体の信仰の山
ということができる 。かなり広い範囲である 。そこ
1
3暦の八月 一 日 (今年 は九月十七
に住む人たちが、 1
日)に、お 山に登 りにや って くる。なかでも近辺の
-梅原賢一郎 (
うめはうけんいちろう )(
美学)
長旅で疲れていたのか、いつのまにかうたた寝を
いくつかの地区では、 白装束に身を包み、楽隊の奏
でる 「
登 山嚇子」 に合わせて 、背の高さの何倍もあ
してしまったらしい。気がつくと、 真夜中を過ぎて
る「
削 り掛け Jもどき の大きな 「
御幣」をかかげて、
いた。ぼう っとした意識が回復してくると、岩本 山
隊列を組んで、まず麓の岩木 山神社までやっ て くる。
村i
社のすぐ脇の杭泉宿 にいる私の耳に、嚇しの音が
道中、「さ いざ
さ いぎ
L
iの]
鑓の
聞こえてきた。宵のうちから、賑やかに、 L
と
、 「
峨悔機悔
六根 俄 悔」の6
f
tった言葉など
とず
っ こう
さ いぎ」
一帯に轟いていた音が、多少のト ー ンの弱ま りはみ
を、大 き な 声 で 合 'I~ しながら、行進す る 。 そして、
ら れるものの、まだ止まずに、鳴り平~) いていた ので
神社に到 着 し
、 「
術l
幣Jを献じたあと、松明を手に
ある 。「 この祭 りはただものではないな 」 と直感し
して、夜中
、 山を笠り 、「
御来光」 を
:
t
l
'
す
る 。そ し
た私は、宿の履き物を突っかけて、 |剖のなか の 人 l;:.~
て
、 「
下山嚇子 j に合わせて 、
「ば だら ば だら
l
tび挑ねるように踊
ば だ らよ」 と発戸 しながら、 l
の群に、吸い込まれるように、近づいてい った。
はたして、まだ、多くの人たちが、神社の前の広
を降 りる 。
って 、 i
Ll
場に、かたま りとな っての こっていた 。かたま りの
修験道の影響を 見てとれる、こ の 「お山参詣Jは
、
中心には 、楽1*を 奏でる 人たちがいた 。両手に もっ
しかしながら、現在、だいぶ ん様子が変わ ってしま
た鉦を 、はねあげるような 独特のアクションを時折
った。 まず、隊列を 1
'
,
す地区が少なくな った。そこ
手首に加えながら、激しく、擦り 合わせてい る人た
で、引木 I
I
Jの役所も ー役買 って、この行事が一九八
ちがいた 。首から f
J
[で吊 した両 I
f
f
i1
1
"
-張 りの太鼓を、
同年に 国の重要無形民俗文化財に指定 されたのをき
勝に据え、両手の ばちで打 ちつけている人たちがい
た。横笛の歌口に 、途切れ ることなく、息を吹きか
っかけに、地域の内外から参加者を 募集 して、 「お
山参詣」の隊列を組織したり して いる 。 また、麓か
けている人たちがいた 。他の多くの人たちは、楽の
ら少いて 登拝する人が少なくなった。大多数の人は、
人間文化・
9
3
人・閏・文・化・通・信
八合目まで新しくできた布料道路を車やパスで行
lだけ終日通 1
1
伝のリ
き、そこから 九合日まではその │
二
l1
4-1
1
7)
。
界を掘る jpp.
9月には 、パルミラの西南墓地に おいて実施 した
フ トに釆り、残りの 山道を小 -1
1
寺聞かけて登 る。ぞ
未先細の地下基の調査に参加 した 。大学院生 2名を
ろぞろと蛾の行列のように、鐙から登るものだとば
l
行し 、ディジタル ・カメラを 日
! いた i
l
R
J
量をおこな
│
口
Li道の
かり思っていた私は、多少十円壬抜けしたが、 I
った。
不案内なものが単独で登るわけにもいかず、大多数
に従って、どうにか 山頂までたどり着いた 。
1
0片には 、パルミラの l
!
!
i南墓地 F 号墓の修復 ・復
元て 4
3の具体的 な手法について発表し、 [パルミラ
山の上には、すでに多くの人たちがいた。太陽の
遺跡東南墓地 Fサ必の修復と復Ji:J(
f第 91
E
I
国際文
昇る方向を向いて、岩などに身をあずけていた。あ
化財保存修復研究会報告書 Jpp.1-12) としてま
いにく、誌が1
1
'
;れることはなく、円の 出の予定の時
1
とめた 。
刻 になっても、太陽は全容をあらわさず、 空気全体
1
1
月に は、彦棋 T
l
i
J
巴
旧u
n所在の 鹿島家の実 i
J
!
l
J
調査
が、時間がたつにつれて、 ゆl
るんできただけであ っ
を尖施 した。現在は空き家となっているが、水路に
たが、在
、
は 、1
1
1の上で 「
御来光Jを待っていた幾人
而したカワトや、土問のおけ風呂、排水用のスイコ
かの人の表情に 、常にないよ1
剣さがあるのを感じて
ミがほぼ完全な状態で保存されていた。おけ風日の
よい、思いに、九rJト一
いた。私は、その人たちは 、j
J
、
使僧に流し込み、小
掛かり湯を水路に排出 せず、 I
日の事件で犠牲 になった人たちの ことを 祈っている
伎と共に下肥の希 釈水 として 利用 したり、 台所の排
のではないかと、ごく自然に想像する ことができた 。
水をスイ コ ミを通じて地下に循環させ、水路の水を
私も祈 った。 これから犠牲になるかもしれない無事
汚濁させない工夫がなされていた状態を復原できた。
の人たちのことも祈った 。 1
1の上は祈りの場所でも
このほか彦根市都市計画諜に保管されていた昭和
あった。思い思いに、宗派にとらわれず、祈ること
1
1年作成の縮尺 1
/
6
0
0の手裂の敷地割り図をコンピ
のできる場所でもあった。
ユータ 上で張り合わせ、この 1
封切の彦根の復原のベ
この固には、 このような 祈 りの場所がまだまだた
ースマップを作成した。
くさんある 。それはかならずしも有名な場所でも、
権威のある場所でもない。 L
i
Lにも森にも海辺にもあ
る。そんなふうに 思し、をはせながら 、夜
、
は 、その こ
-水野章二 (
みすのしょう じ)日本中世史
i
i
i
境史シンポでの報告内容をまと
早稲 │
且大学での 1
とは大きなことではないかと 思った。たくさんある
めた 「人 と自然の │
勾係 史素描
この ような場所でたくさんの人が祈っているであろ
W民衆史研究 j61)を執筆
。 近江
地域を 中心 に一 J(
う。
「国際的抗献をしなければならない」 とか、 「
主
の'
'
11
立後期の環境変化について、デ ッサンを描いて
中│
立後期の環琵琶湖
体的に行動しなければならない」とか、命令口調で、
みた 。 人と自然 │
刻係 を歴史的に考えようとすれば、
ぽんぽんと仰みのいい 言葉ばかりを連発する人は、
文献史学 ・歴 史地開学 ・考古学などを含む総合的な
ひょっとすると、たくさんある このような場所の こ
視点、が不可欠であり 、 まずは 問題点の整理が必要と
とについては、なにもしらないのかもしれなし、。
なる 。中世前期については、 別に 「人と自然の関係
去年の五 )-J から、角川 書 },',~ 刊 行の小 冊 子 『 本の旅
人Jに 「身体の古層」 というタイ トルで、月 一回連
史家描
の環琵琶湖 地域を中心に
中世前期j
」を
、
村井康彦 ・西川幸治氏編の科研費報告書 に執筆、思
載をはじめました。失いつつある身体の感覚を再発
文│
初出版から 出版予定。環境史と地域史が、今後の
の事件はとてもショ ッ
見する試みです。九月卜ー u
研究の柱の一つになると 思 う。 1
r
l
'
世の額安寺と周
クでした。いまもひきす、
っ ています。
辺地域J 国立歴史民俗博物館研究報告 J88~長 ) は、
r
(
同立歴史民俗博物館の共同研究 「
古代荘園絵図と在
-j
貧崎一志 (
はまざきかすし)都市史、保存修景
2月から 6r
Jにかけて 、│
事│
際協力事業団(
JI
CA)
の
文化財保存修復技術コ ースのコース・リ ーダーとし
地社会についての 史的研究」の成果である 。 また頼
まれて歴史科学協議会大会の高橋修報告の 批判 を
、
『
歴史評論 J6
1
1号に娼載。
修
イ
本
;
I
i
J
Iを
キI
Hf,Xし、エティオピア、中国、 ミャン
て砂f
3刀には鎌倉時代を担当した 『
彦被市史史料編古
マ一、グ アテマラ、スリランカ、タイ 、 トルコから
代 ・I
j
:
l
世jが出版されたが、まとま った史料は少な
の研修生 7人を対象に研修をおこなった。 また、講
く、残念ながら魅力 的な仕事ではなかった。引 き続
師の委託を 受け、約 3週間jにわたり、保存修復技術
き行われる本文編の執筆の際は、もう少し 内容につ
町史編纂が正
いて考える必変ー
がある 。 7月には高月│
の講義をおこな った。
3月には、シリア・アラブ共和国パルミラの阿南
式に始まる 。卒論などでゼミ 学生がお世話にな った
墓地 F 号ー
墓の修復と復元についてまとめ、修復工事
思返しでもあり、県立大学や滋賀大学などをはじめ
(
1パル ミラ遺跡
、
とする県 内外の多くの研究者に委日をお願いして、
東南墓地 F号基の修復と復元 J 占代オ リエント世
無事発足した 。かなりいいメンバーを組織できたと
や造営尺の復元について発表した
r
9
4 ・人間文化
人・閏・文・化・通・信
思っている 。徹底 的に地域に ?と着した}ji
去
.をとりた
空
l
分の原
の退宵記念論集の編集委員を務めながら、 l
いと考えており、さまざ まな形態 の現地調 1
J.を実施
杭 も書いておりますが、 出版がご退 官に間に合うか
したい。
どうか、危ぶまれております。 この他
、 締め切りが
過ぎている 1
4
1杭、辿 っている原稿など、来年は論文
昨年 .一 H
学の |協
渇j
力J -fお~ とともに、
LLJ 門領木津荘 ( 現新j叫I f)の
現況調査を新旭町教育委員会協力の下に 4地 l
ズで実
施し、
F
I
I地一筆 レベルの水利システ ムや俗称 地名、
業総として記 ;
!
i
!
i
.できるよ うに努めてい きたいと思 っ
ております。
1頭党表として は
、
さて 、 1
9月2
9口に 1本史研究
集落の祭犯や纂 I
I
I
I
J
などを 調査した 。三 年 間で荘域 1
ul
会主催の第 12I
'
I
:
>
安京・京都研究 集会シンポジウ
3地区の現況調査を完了 し
、 2
0
0
0分の lの 3色刷の
ム 「平 1
i
:J~t の出と人々 」 でパネラーをつとめ、 「 泉
調査│支│
は 9I
t
nとなった 。 今年度末 /
1
¥版の 11
t
1t
1報 計
をめくる人々
小型T
h
'第を中心に
」 という報告を
書 の執筆、調整も終わっている 。 調査点任者として
しました 。!
定
以1~と ・ 考古学 ・建 築 史 の方々と議論す
は、恥ずかしくない 内容のも のにできたと思 ってい
るのはとても楽しく刺激的で した 。 これ は前期講義
るが、地元との調整には 少々苦 労した 。 中央大学を
「円本 ・ 地 域 交 流 論 J1
1
]本 文 化論 (大 学 院 )Jでも
幹事校とする 問大学連合の丹波固山田荘 (
点都府京
準 備 段 階 の レ ポ ー ト を 受 講生 に 聞 い て も ら い ま し
北l
町)の共 │
日
J
l
J
i
l
究も継続中 。調査に参加した │
民生 ・
日いてくださっ た学生 さん 、│
民生さん、
た。字抱強く 1
l
1
l
j1
rにあ
学生らの楽しみはなに よりも調査終了後の I
ありがとう
るが、ハメをはずすもの もいて、ハ ラハラ させられ
o
その 他、社会活動として は
、 彦根市教育委員会主
る。 いずれにしろ 他大学や古老た ちとの接触はよい
催の「
平成 1
3年度生涯学習通信講座 ・歴史発見講座」
刺激になる 。
にて 「彦根の 一
久性!と」 の講 師をしまし た。 これは 一
1
1月に台湾の少数民族の村 落調査を行 ったが、期
0
0字 3
0枚 程 度 の テキスト を 5回にわた
ヶ月に 一 度4
待していた民族村はすでに 閉鎖し ていた 。 H
寺I
I
Uと労
って 作成する、という遅筆の私には非常にハ ー ドな
力をかけて出掛けたのに、 下 準 備 が不足していた 。
行事 でした 。 しかし、おかげで彦根の歴史をきちん
少数民族の村といっても │
百
!
化が進 み、さほどインパ
と勉強する機会ができました 。 このように、徐々に
クトはなか ったが、1::
1
本語で話ができたのはありが
近江地域の研究も始めております。この他、安土城、
たか った。東 アジア全体の 中での日本の特質を考え
観 音寺城、近 i
J
:八申書城など近江の城郭調 資にも/J"~Il
l・r
l
"
同の村々を歩き
るために、今後も継続し て朝 m
き、早:iili歩き 1
1
/
1って い ま す 。 そ の 成 果 を 後 期 講 義
たいと思 っている 。
1
「近江文化 論」 に活かすよう、これも奮闘 1
1
です。
また、海外調査として、前任校在任中ではありま
-京祭真帆子 (
きょうら くまぼこ )日本古代史
2
0
0
1年 4月に着任して以来、様々なことに 「慣れ
Jに緯凶へ、 l
i
l時のゼミ生たちを連れて行き、
すが、 2J
現存しているソウルの都市城壁などを実地調査しま
るj ことを 目指して奮闘 していま す。 まずは、学内
した。雪 にJ
Iもれた石硝!などを掘り起 こ したりした
の地図を頭にたたき込む こと 。 しかし、未だ迷子に
こと も楽しい J
4
1い出です。 │時間の制約 もあり 全遺構
なります。次に、新しいパタ ー ンの書紙作成に熟練
を踏査出来なか った ことが心残りです。 いずれまた
する こと 。 しかし、控え室の方々に未だ迷;さをかけ
チャレンジしたいと思っています。
ています 。 来年は少しは「慣れる 」 ことカ \ 1I ~ 米てい
るのでしょうか。
この他
、 夏休みにはイタ リアへ旅行し、 さまざま
1
"1
止都
な中世都市泣怖を実見しました 。 もちろん、 1
今年は、新しい論文の 発表はII:Ll
ミませんでした 。
既出の論文がフランス認に訳されて 出版されたのが
1月には、比較
市 城壁のリサーチも実施しました 。 1
家族史学 会ソウル大会に参加し、 ジェンダ 一史研究
Led
is
c
ou
rsdel
ac
a
p
i
t
a
ll
:
ec
a
sd
e
新しい業績です (
の相互交流を果たしてきまし た。 1
2月にはイギリス
Heian.Traduit par Anne Bouchy:
IDENTITES
へ友人を訪ねていき、これまた中世都市の遺構も堪
MARGES.MEDIATIONS:
REGARDS CROISES
SOCIIETEJ
APONAISE;
Ec
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l巴 f
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i
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edExtreme
O
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e
n
t:
P
a
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i
s.
2
0
0
1)
。 また、年米取りまL
lんでいる'11
能しまし T
こ。
世都市城壁の比較研究について、その方法論に │
却す
この頃 です。
古記録・
I
l
i文
J
i
:
読解能 力だけでな く、英語などの
会話能力もブラ ッシュアップする必要を感じる今日
るエッセイを i
r
j
i任校の 雑誌に 1
)
{I~H していますが、未
だ印刷l
されてきません 。 これは
r
と胤』 という茨城
1
大学の学生が I
L
I
主的に運営発行し ている研究維誌で
す。 自分の教え子たちの成長を信じて、気長に待つ
ことにしましょう 。 さらに 、2
0
0
2年
-棚瀬慈郎 (
たなせ じろう )文化人類学 ・チベ ット学
今年の夏も去年に引き続いて 、イ ンドのヒマ ーチ
ヤル ・プ ラデー シュ州へ行き ました 。
3月で大学院修
デリ ーからダラムサラ 、マナリま では 4人の本学
士課程でご指導いただ‘いた 先生が退 Hされます。 そ
学生と旅をすることができ ました。学生達は、イン
人間文化 ・
95
人・間・文・化・通・信
ドを旅行するのはは初めてで、毎日が驚きの連続で
とができました。内容はヒマーチャル・プラデーシュ
はなかったかと思います。 こちらも彼らと 一緒で、
州のラホール地区におけるフィ ールドの記録をまと
楽しい時を過ごすことができました。
めたものです。できればこれを英訳して出版したい
マナリで学生達と別れた後に、ヒマーチャル・プ
な、と考えています。
ラデーシュのスピティ地区のキという村で住み込み
調査を開始しました。 キは標高およそ 4
0
0
0メートル
の高地に位置していますが、これは人間の居住限界
に近い高度だと思います。
当然気候は寒冷で、かつ降水量も 少なく、草すら
-東 幸代(あすまさちよ)日本近世史
今年度は、これ まで、行 ってきた丹後の近世漁村に
関する 研究をまとめる作業をしています。 また、そ
の一方で、昨年 1
2月開催の史学会大会シンポジウム
ろくに生えない荒れ地が大半です。そこに山から水
「
水産の社会史
を引いて瀧水し、僅かな肥料を入れて耕作するので
おいて、 「
近世後期丹後宮津藩政と鰯・干鰯」 と題
すが、その収穫の乏しさには驚きました 。なにしろ、
する研究報告をさせていただきました。
収穫間際の大麦の畑を調べても、実の入っていない
穂がたくさんあるのです。
このやせた土地にお いても、人々は篤く仏教を信
近世漁業社会の構造的特質
」に
近江の関係では、博物館実習等で整理を続けてい
る野洲郡野洲村野口家文書の目録 (
2)
を作成しまし
た。[滋賀県立大学博物館実習報告書 J4号に掲載
0
0名からの僧
仰して います。村の背後の僧院には 2
されています。 また 、調査の進展に伴い、野口家文
が起居しており、その僧院は中世の城郭を思わせる
書の概要が掴めてきましたので、文書 を利用した史
壮麗きです。
。
的分析を開始しました。 まず、野口家が自宅に私的
元来禁欲的でなければ生きることさえできない、
に勧請した 天満宮と、それに対する庶民の信仰をう
この貧しい土地において、さらになぜ仏教という禁
かがうことのできる史料の紹介を兼ね、 「
野洲村の
欲的な教えを泰じる必要があるのでしょうか。元来が
神棚天満宮」 という小文を執筆しました。本誌 52-
肥沃なガン ジス 河中流域で、生まれた仏の教えが、風土
57頁に掲載されておりますのでご 一読ください。野
の全く異なる北方地域において、今に至るまで信仰さ
口氏のように、身分的に 百姓でありながら 神職同様
れていることの意味を改めて考 去さ せられました。
の活動をする、いわゆる周縁身分の研究は、近年の
1
2月には 「インドヒマラヤ のチベッ ト世界一女神
の園の民族誌」 という本を明石書庖より 出版するこ
日本近世史研究でも注目を集めています。今後調査
を続けながら、取り組んでみたいと考えております。
史の執筆委員として、活動
学外では、湖北の高月間I
を始めました。
教育面では、古文書の整理を手伝ってくれる学生
が育つという収穫がありました。今年度の 3回生は、
京都大学の古文書合宿(文字通り朝から晩まで古文
書漬けの合宿です)に参加して古文書の整理方法を
学ん だり、自 主ゼミを毎週開催して、くずし字の読
み方を勉強したり、大変熱心です。本学 に赴任する
際、独力で古文書の整理ができる人材を育成するこ
とを目標にしていたのですが、数年を要すると思 っ
ていました。嬉しい誤算です。
彰訪日島へ赴き、魚
初秋には台湾ーの漁獲量を誇る i
市場と漁師集落を見学しました 。強風で知られる島
ですが、島々に閉まれた湾は波穏やかで、まさに天
然の良港。途中、利奇馬台風が直撃し、台湾本烏で
は津波による被害が甚大で、あったようですが、当地
では暴風雨が吹き荒れる海岸べりで漁師達が釣糸を
垂らしていました 。地形のもつ圧倒的な強さという
ものを痛感しました 。
インド、スピティ渓谷キ-コンパ
96 ・人間文化
-編集後記・
本 号 で は 、 本 学 前 身 の 旧 県立 短 大 時 代 か ら 引 き 継
が れ て き た 研 究 領 域 で あ る 「 服 飾」 を め ぐ る 特 集 を
組みました。 退官される中谷先生には最後の最後ま
でお世話になりました。
また、演口先生、美先生も退官される 一 方、新任
の方々が加わるなど、学部の陣容も大きく変わりつ
つあります。先生方のメッセージに加えて、巻末の
教員近況や学生たちの卒業研究リストも併せてお読
みいただければ、本学部の今をよく感じていただけ
るでしょう 。
な お 、 本 誌 は 、 従 来 型 の 研 究 紀 要 と は 異 な り、 本
学部の存在を世に広め、認知を得るための広報メデ
ィ ア と し て の 役 割 を 持 っ て 出 発 し ま し た 。 しかし、
地域に根ざした新しいタイプの大学として出発した
ビニール注連縄、発見。
本 学 も 、 す で に 関 学 し て 7年 め を 終 了 。 もう新しい
長浜の旧市街地を歩き回っていた 3月のある日、住宅の包:集
する小路を辿っているうち、思いがけす、小さな神村の前に出た。
見ると鳥居には真新しい見事な注連縄がかかっている 。表通り
から隠れたこんな場所にも信心の篤い人々の暮らしが続いてい
るのであるなあと思い、近寄ってゆくと、どうも様子がおかし
い。注連縄の表面にばかに光沢があり、あまりにもきれいすぎ
る。実は、太さ約 7センチ位の この注連縄は、 義ではなくビニ
ールひもを編んでつくってあるのだ。色は藁そっくりで、編み
技法も普通の注連縄と同じ 。よく見ると社の周囲にめく らしで
ある細i
竜も同じ くビニール裂だった 。
確かに、伝統的に哀を編んで作られてきた草乾や野良仕事用
のかごなとをビニールひもで f
午ってしまう例はこれまでもよく
報告されている 。伝統的な編み技法はそのままで築より
も 丈夫
で長持ち のものがで きる (
民芸のロマンにあこがれる都会人に
は幻滅ものだが)という 。 しかし 、最も神聖であるべき (と私
は思ってきた )注連縄にまで自然素材の築でなく合成化学製品
のビニールを使うとは ・
。稲葉を清 j
争視してきた民俗的思考は
すでに失われた、ということなのか。そういえば、機械刈り農
i
去になって注連縄にする哀が手に入りづらくなったという話も
聞く。注連縄の毎年の付け替えにも入手や元手が要る 。今、大
切なのは自然の藁を使うことではなく、こうして神社を維持し
ていくこと、この神社を中心とした地域の暮らしを守っていく
ことであるとするなら、このビニール注連縄、案外大変な発明
かもしれない。
写真 ・文/面矢慎介
大 学 と は 言 え ません 。研 究 を は じ め と す る 学 部 の 諸
活動を地域の方々や関係者にお披露目してきた本誌
の役割も、そろそろ 一 区切りをつけるべきときに来
ているようです。 マンネリといわれでも残すべき部
分は残しますが、次号からは徐々に誌面-内容の刷
新 を は か り、もう新しくはない本学・本学部における
新しい役割をさらに採ってゆきたいと考えています。
(
面 矢)
編集委員.
灘 本 知 憲 - 面 矢 慎 介 林 博 通 -東山明子・棚瀬慈郎
人間文化
1
2号
12号
2002年 3月 31日
滋賀県立大学人間文化学部研究報告
発行日
発行滋賀県立大学人間文化学部
干522
8533滋賀県彦根市八坂田J2500TELOプ49-288200附
発行人高谷好一
印刷サンライズ印刷株式会社
本誌は再生紙を使用しています。
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