大 学 人 文 化 学 日 吉 r γk咽 立 耳凡 県 11J 賀 H作 i 革 i f t ! Tし 報 lr. 口 人r d l支化 2010.3 ~~ v 、4 ー ョ 一 ー BULLETIN V OL . 27 SCHOOL OF HUMAN CULTURES THE UNIVERSITY OF SHIGA PREFECTURE 二a -もくじ・ 巻 頭 言 /潰崎一志・・ ・ ・・ ・・ ・ ・ ・ ・. . . . . . . . . . ・・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ … . . . . . . . . . .1 0 0 -論文 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 . . 2 / 市 川 秀 之 …. 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPO の連携についての一考察 一栴) 大垣市レクリ工ーション協会の事例を通じて /横山幸司… 1 6 -研究ノート 「 雷鋒に学ほう 」運動に関する考察/肖 情………………… 3 2 - 滋 賀 県 の 考 古 学 第 16回 一………. 4 0 -人間文化通信 人間文化セミナー………ー…・・……………・……………一….. 4 5 滋賀県下の博物館の現状と課題/市川 秀之…一 2 0 0 9年度卒業論文・修士論文・博士論文一覧-…………一 4 6 退任メッセ ージ…・………・…………………………ー………ー 5 1 I N F O R M A T I O N ............一...................................... 5 2 編集後記 タマ ・環のひこばえ・ 滋賀県立大学の指呼に位置する荒神 山は 古墳や特 異な林相を持りている 。 山頂に巨樹の 環が今も残り、 根元に ひこ ばえが鮮かな彩りと生命の不思議さを見 ゆ ・せて くれる 。 サイズ F6 画材鉛筆・顔、彩 絵と文/安 土 優 WATSON 一異文化と 同一文化- し 志 頭 日 潰 巻 かす 崎 人間文化学部 学部長 1 9 8 6年以来、約 1 0年間パキスタンで仏教寺院の発掘調査をおこな った。パキスタンの北西部、 アフガ ニスタンの国境に近い北西辺境ナ│、│ で、古代にはガンダーラとよばれていた地域である 。 インド・パキス タンの広大な領域を植民地として統治してきたイギリスに対して勇猛果敢に抵抗したパシュトン族が人 口の約 9 割を占める地域である 。軍事顧問として赴任したウィンストン・チャ ーチルがパシュトン族の 強烈な抵抗に苦慮し、統治を諦めた地域でもある 。現在もパキスタンの法律は及ばずトライバル・エリ ア( 部族地域)として統治され、物事はマシェランとよばれる長老たちによって定められていくことが 多い。 この異文化の中での発掘調査は日々新鮮な困難に道遇した 。 彼らの文化のベースはイスラム文化であったが、驚くほど前近代的な錠が数十も現存していた 。一つ はパダルとよばれる復讐の提である 。親を殺された男は必ず敵を討たなければならないという提が未だ に残されていた 。 さらに土地・財産を息子に均等配分すると 言 う提が事態を複雑にする 。名実ともに「 たわけ」の世界であるが、 この旋が叔父、甥の間での相続争いを頻発させる 。発掘調査に作業員として 従事していた若者が土地争いから,実の叔父に夜討ちをかけ、しかも間違って他人を射殺して逃亡した 。 トライバル・エリアであるため、パキスタン警察は捜査もしない。逃亡した犯人は知り合いのいる村に 逃れ、庇護を要請する 。庇護を要請された村は逃亡者をかくまわなければならないという錠があり、庇 護する義務が発生する 。発掘現場にも銃と手棺弾とアーミーナイフで武装した若者が仕事を求めてやっ てきた。聞けば人を殺して逃げてきたという 。 さすがに人殺しを雇うのは無理だと断ると村の長老たち がかくまう義務があり、金銭的にも困窮していることから雇ってほしいと申し入れてきた 。殺人犯であ ることを誰も意に介していなかった。 こうした文化は今もパシュトン族の中ではその是非は別として、 しっかりと継承され、 タリバーンの メンバ ーを輩出し続けている 。 r 一方、圏内で竃の残る古民家の調査をしているときに大学院生から. 竃の横にあるこの査は何です かJと聞かれた 。そこにあったのは火消し査であった 。火消し査の機能について説明したが、実感がわ かないようであった。高度経済成長期を境にわが国の生活文化は歴史上経験のないほど激変した 。電気、 上下水道、 フゲスなどが普及 した後に生まれた世代にとっては, 同一文化のライン上に位置しながら、高 度経済成長期以前の生活文化 は想像すらできない状況になりつつある 。同一文化の中に大きな不連続面 があることを無意識のうちに回避しているとしか思えない状況にある 。 異文化と同一文化の継承と断絶について、今一度様々な視点から見直す必要があると考えている 。 人間文化・ 論文 湖東地域における集落内水路の機能 とその変化 市川秀之 人間文化学部地域文化学科 と謂って居る 」 。 と記され、また「広島県の 一部で はじめに 滋賀県内の集落を歩くと、家と家の聞を勢いよく もカハパ又カハヂともカハともいふのが水使ひ場で、 水が流れる光景をよく目にする 。そこに住む人々に よごれるものは別に遠く大川に行って洗ふのを見れ とっては当然の風景であろうが、筆者のように長く ば( 方言研究)、此カハも亦井戸の方である 」 。 など 南河内や大和の農村風景に親しんできたものにとっ と各地の事例が語集を中心に紹介されている 。 柳田 ・ て、これは随分と新鮮な景色である 。南河内や大和 山口の関心はイドという言葉が古くは堀井戸だけで では貴重な水田を漬してまで溜池を造るほどに水は はなく広く水場全体を指していたことに有り、集落 貴重な存在である 。田植えの季節には当然水路に水 内水路そのものより洗い場に主たる関心が向けられ ているが、集落内水路についてもヤンゴ(i r j l縄県カ が流れるが、それ以外は水路は底を見せているのが 普通である 。集落の中にも水路は存在するが、その ケロマ)やナサ(島根県隠岐)などの語義が載せられ 主機能は降雨時の排水にあり、そこに常に水が流れ ている 。柳田・山口にならい、さまざまな自治体史 ていることはほとんど無い。 や民俗誌を絡き集落内水路の事例を探してみると、 先述した流水の風景は滋賀県の集落ではよくみか けるものの、どの集落でもそれを見いだせるといっ ほほ全国的に数多くの事例を収集することができる 。 現在いまだこの作業は継続中であり、最終的な考察 たものでもない。 また興味を持って詳しく調べ始め は他日を期したいが、集落内水路は全国的にかなり ると、その水路の性格も 一様ではないことが分かつ 広く分布していることは間違いがない。 てきた。本論では湖東の愛知川に沿った 3集落を フィールドにしてこの集落内水路がいかなる機能を にも関わらず、筆者が専門とする民俗学からこの問 来たし、また近年それはいかなる変化を示している 題について触れた研究はほとんどなく、向山雅重が のかについて述べることとしたい。水と人の関係を 「っかひ)11Jという文章を著しているのがほとんど 唯一の例外である 2。向山は長野県下の事例をもと もっとも生活に密着した局面で確認したいと考えた 民俗誌や自治体史で多くの事例が紹介されてきた のがこの研究に着手した契機である 。 に「 っかい J IJと、洗い場である「川ばた Jを紹介し、 1.集落内水路とは 集落内で水路を 「うは J IJと 「した川 」 にわけでそ れぞれ飲料水と洗い水に使われている例や、 三尺流 本論でテーマとして取り上げた集落内水路につい れればもとの水という庶民の環境観などを取り上げ て、ここではひとまず①集落内を流れる②常に水が ている 。向山の問題意識はこのような 「 っかひ川 」 存在する、という 二つの性格を具有するものとして に排水を流し汚染することへの疑問にあるが、この 緩やかに定義しておきたい。以下に述べるようにこ 文章が書かれたのが昭和 3 4 年であることを考えれば、 のテーマについての研究の蓄積はいまだ少なく、今 後の環境民俗学につながるすぐれた問いかけといえ 後の研究の方向性も示しがたい。固定的に言葉を定 義し、研究の対象を狭く限定することは現段階では るだろう 。 また環境社会学の立場からは鳥越 ・嘉回編 『 水と 有効ではないと考えたことがこの唆昧な定義の背景 人の環境史j のなかで古川彰が、高島市知内の前川 にあることをご理解いただきたい。 柳田国郎 ・山口貞夫が編纂した I 居住習俗語業 j t を取り上げた研究が注目される 3。古川は前川の機 能を、空間、水、生物、流れの四つの視点から分類し、 は、昭和 1 4年(19 3 9)に刊行され、それ以前に出さ またそこに設置された橋やカパタ ( 洗い場)につい れていた民俗誌から居住に関する語義を抜き出し項 て紹介している 。 さらに昭和 3 0年代の伝統的用排水 目別に整理した書物であるが、その中には「水使ひ システムが、水道の布設や河川のコンクリート護岸 場など」 という項目があり、いくつか集落内水路に 化などにともなってどのように変化したのかを追求 関する事項が掲載されている 。たとえば長野県遠山 し、新たらしい用排水システムの可能性についても 地方 ( 現飯田市)では 「信州南端の遠山地方ではヰ ドといふのが堰水のことである 。 こもには竪に掘下 言及している 。『水と人の環境史j 全体にみられる 伝統的システムのなかに今後の生活環境の可能性を げた井戸は無く、家の前の溝川の洗ひ場をヰドパタ 映し出す方向性は、それ以降展開した環境民俗学や 2 ・人間文化 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 環境社会学にとっての一つの指標となっている 。本 するためには目的と水量が明確化 される こと が条件 格的な集落内水路に関する研究の先駆けとしても評 とな っているが、 価すべき研究である 。 2 0 0 6年 3月には国土交通省事務次 官通達の形で 「環境用水に係る水利使用許可の取り 建築学においては筆者がいう集落内水路に関連す 扱い基準の策定j が出され、以後新潟県ーなどで環境 る研究は、渡部一二や黒野弘靖によって進められて 用水として新規水利権が認められたことなどが注目 きた。渡部は郡上八幡や島原など全国的な調資を実 される 。 施し、それをもとに 『 水縁空間 J"・『 生きている 水 路 な ど 多 く の 著 書 を 著 し て い る 。渡部の調査 農業水利、飲料水、洪水調整など以外の、生活面・ 対象は主として伝統的都市であり、その成果を町作 環境面などに着目したものであり、本稿でとりあげ 地域用水、環境用水はともに水路や河川のもつ、 りに活用しているところに大きな特色がある 。黒野 る集落内水路の今後を考える 上では、その重なり合 6は新潟県や富山県の集落にお ける調査のなかでも いをいかに活かしていくのかが課題となる 。 集落内水路に着目し、屋敷の配置との関連について また文化財の概念にあらたに付け加えられた文化 的景観についても、集落内水路との関係が重要で、あ 考察している 。 また先に述べた集落内水路と概念的に同一ではな る。滋賀県下でこれまで指定さ れている 「 近江八幡 いが、実体としてほほ重なり合う対象をめぐって、 の水郷」や 「 高島市海津 ・西浜 ・知内」においては、 ここ 1 0年ほどの問に行政を中心にいくつかの注目す 湖水とともに水路が重要な景観要素とな っている 。 べき動向がみられる 。 これ らは集落内水路の今後を また早くから注目された岐阜県郡上八幡や長崎県島 考える上でも重要であり 、ここで簡単に紹介してお 原の例もみても、集落内水路が文化的景観のーっと きたい。 して評価されつつあることは確かで、あろう 。 一つ目は「地域用水」である 。地域用水は農林水 産省 をはじめとする農業行政において用いられてい 2 ・研究の目的 る用語で、「かんがい用水 である農業用水が有する 以上、集落内水路をめぐる最近の動向を取り上げ 生活用 水機能、防火用水機能、 景観保全機能、消 てきた 。集落内水路への社会的な関心が拡大してい 流雪崩水機能等 J7 ( 1地域用水機能増進事業実施要 ることは間違いがないが、現実に存在する集落内水 )をいう 。項目縦列的な説明でわかりにくいが、 項J 路そのものの研究の進展はそ れほ どみられない。今 農業用水がもっ、括主瓶機能以外の生活面での多様な 後の整備や活用などを考える上でもまずは集落内水 機能を意味し ていると解釈すべきだろう 。 この要項 路そのものの事例研究を進めることが重要であろ に基づいて平成 1 0年ごろから全国で地域用水の整備 う。 ことに人の暮らしと環境の関係性を主対象とす 事業がお こなわれている。滋賀県でもいくつかの事 る環境民俗学の立場からは、人々が水という自然資 業が実施されてきている が、ことに長浜市 ( 旧高月 源をいかに利用してきたのか、あるいはそれがどの i 町)雨森などが含まれる国営新湖北地区での整備な どが広く知られている 。地域用水という場合、あ く までも農業用水の範囲のなかでの存在であるという のが農林水産省の立場であり、それが集落内を流れ ている場合には本稿でいう集落内水路と重なり合う ことになる 。 次に挙げるべきは「環境用水」である 。 こち らは 国土交通省が中心となって使用してきた用語である 。 環境用水は 「 水質の浄化、親水空間の創出、修景、 生態系の保存等自然環境、 社会環境、 生活環境の維 持・改善を図ることを目的とする用水 J8と定義さ れており、その意味範囲は地域用水よりもいささか 広い。具体的には水路 よりも都市河川などの整備に 視点をすえている 。河川な どの水利権を新たに取得 ように変化して今日に至っ ているのかを明らかにす ることが必要となる 。具体的には以下の各点を個々 のフィールドで検証し、その調査地点を増やし、お 互いの比較に よって 、集落内水路の地域性や共通性 を明らかにしていくことが要請される 。 1 .どのように作られ、維持 ・活用されてきたのか ①発生 ②機能 ③色2理システム 2 .どのような環境 ( 地形・水文など)のなかで作られ、 いかなる分布を示すか。 3 .どのような過程を経て変容 ・消滅し、また残存 してきたのか 筆者の これまでの調 査は現地での踏査と聞き取り 人間文化・ 3 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 を中心にしたものであり、文献によって歴史を確認 でに各家で利用さ れている 。 また柾葉尾集落は大き する段階には至っ ていない。 したがって本稿では滋 く二つに分かれているが、下流側のうち須田川左岸 賀県愛知川に沿った 3集落(山間地・平野部・湖岸 の家は、須田川からの水を利用している 。須田川に 部)において、集落内水路がどのような機能をもち、 も堰がありそこからヲ │ かれた水路はスダユと呼ばれ それがどのように変化をしてきたのか、すなわち上 ている 。 これは農業用水として利用される 一方で各 記の 1 ②および 3の視点を中心に現況の報告 とそ 家で も洗い物などに利用されている 。 れに対する 若干の考察 をおこなうこととしたい。 図 1 調査地位置図 ゆずりお 3 ・東近江市紅葉尾 (2008年謂査) ①概要 キ工葉尾は旧永源寺町のなかでも永源寺よりさらに 愛知川 を遡 った奥永源寺と呼ばれる地域に属してい る。奥永源寺にはいくつかの集落があるが紅葉尾は 写真 1 紅 葉尾の景観 愛知川と支流の神崎川の合流地点に立地し、川沿い ②水利用施設 には水田が広がっている 。神崎川に堰堤を築き、そ 集落内水路を考える場合、水路自体を利用する場 合 と、水路に何らかの施設を設けてそこで利用する こから水路を日 │ いているが、 I 花瓶用の水の一部は水 田の下に細長く伸びる集落に導かれ、集落内水路と して利用されてきた。 水の流れを少し詳しく説明すると集落から 1キロ 場合がある 。雨水の排水や融流雲 などは前者である が、後者の施設をここでは水利用施設と呼んで、おき たい。図 1では紅葉尾で今使われている水利用施設 ほどはなれた堰堤で取水された水をオオユと呼ばれ を丸で表示している 。水利用施設を分析する場合に る山沿いの水路を通じて水田へと運ぶ。集落の少し は、どのように取水しているのか(取水)、その水 上流でオオユから分岐した水路は集落中央を走る路 をどの ようにして留めたりかさ上げしたりしている にそって流れる 。 この道路にそった家はこの水路を のか(滞水)、そしてその水をいかに排水している 利用している 。 またオオユの本流からは何本もの支 のか(排水)が重要である 。紅葉尾の場合、取水に 線水路が出ているが、これらは水田を潤して後集落 ついては、①河川から取水した水を水路(カワと呼 部に流れ落ち先に述べた水路に合流するが、それま ばれる)で運びそ れを利用する、 ②崖 などから出て 4 ・人間文化 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 写真 2 紅葉尾 1(水路に橋を掛ける) 写真 6 紅葉尾 5(自噴井戸→水槽) 写真 3 紅葉尾 2 (水路を石でせき止める) 写真 7 紅葉尾 6( 湧水→水槽) 写真 4 . f 工葉尾 3(水路に接した掘り込み) 写真 5 紅葉尾 4( 水路→パイプ→水槽) 写真 8 紅葉尾 7(自噴井戸→池) 写真 9 紅葉尾 8(水路→池) 人間文化・ 5 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 勇水を利用する、③自噴井戸によって湧き出し いる i を利用するほか、自噴井戸、湧水などが利用されて た水を利用する、④集落が立地する場所からみて愛 いる。紅葉尾の場合は上流に水田があることや、集 知川対岸にある沢水をパイプで川をわたして利用す る、の 4パタ ーンが見 られる 。 また滞水については 落が細長いことに よって下流部では水路の水が汚れ ることが多く、下流にいく ほど水路以外の取水手段 ① コンクリー ト製の析や シンクを再利用した水槽を を利用する家が多くなっている 。 これに対して排水 利用する、②水路に接してほりこみを作りそこで洗 はすべて水路に落とされており、下流部ほど集落内 い物などをする、③池を敷地内に作る、 ④水路その ものを利用する、の 4パターンがみられる 。 さらに 水路の流量は多くなっている。また水路は農業用を 排水についてはすべてのケースで水路(カワ )に排 オユ、スダユとも堰からは冬期でも取水されており、 常に水が流れる状態になっている 。 水しておりそれ以外のものはみられない。 これらの 組み合わせのうち紅葉尾で実際に見られるのは、次 兼ねたもの、あるいはその末端や分岐であるが、オ の 8類型であった。順に紹介していきたい。 (写真 ③利用状況の変化 次に紅葉尾における集落内水路の利用状況の変化 2-9参照) について述べたい。以前は水路(カワ)に洗い場(カ lは水路に橋をかけて洗い場として利用するもの である 。 この場合には滞水用の装置は存在せず、水 たという 。洗ったのは収穫した野菜、食器、農具、 路の流水をそのまま利用することになる 。 また 2も 作業後の手足などで、米をといたり、風呂水を汲ん ワトと呼んでいる)を作ってさまざまな洗い物をし 水路そのものの利用であるが、水路に石などを置い だりするのもカワ トであった。 オオユの上流側の家 て堰き止めたものである 。非常に簡単なものである や、スダユ沿いの家では カワの水をカワトで汲んで が、この場合には滞水施設が伴うことになる 。 3は 飲料水としても利用していたという 。洗濯はカワト 水路に隣接して掘り込みを設けるもので、古いもの で直接洗うこともあったが、盟 に水を汲んで、洗う こ では石、新しいものでは コンクリートやブロックな とのほうが多かった。洗い水は家の近くの畑に撒い どで掘り込みの周聞を保護し崩れるのを防いでいる 。 たという 。おしめなど特に汚い洗い物は愛知川 ( 地 4は水路からパイプで水を引き、水を水槽に溜めて 元ではオオカワと呼んでいる)にオシズという特定 そこで利用し、溢れた水は水路に還るもので、ここ の場所があり、そこに行って洗っていたという 。 1 0 年程前からみられるようになったやり方である 。 ことに斜面に沿った家では水路に落差があるのでこ たのは、 2 0年ほど前からである 。そのころに簡易水 このような紅葉尾の水利用が少しずつ変化してき の方法がよく使われている 。 5は自噴井戸を掘って 道が導入され、飲料水などは水道に依存するように その水を水槽に入れて使い最後は水路に落とす方法 なった。 また浄化槽も増え、その排水を水路に流す で、水は常に出ている状態になっている 。 6はがけ ようになり、水路の水は少しずつ汚濁し、住民は水 などから出ている湧水を水槽に j 留めて利用し、余り 路で手を洗わなくなった。 4年前には主要な道路の 水は水路に落とすもので、このケースでも水は常時 側溝を兼ねていた集落内水路にコンクリートの蓋を 出ている状態になっている 。 7は自噴井戸の水を池 した。 これは自動車の運転の使のためであるが、こ に入れ、溢れた水を水路に落とすものである 。池は れを契機にカワトの利用をやめた家が多い。 またカ 地元でもイケと呼ばれており、大きさや水路と直接 ワトをやめて水槽を置いて水路からチューブなどで 接していない点で掘り込みと区別できる 。池には魚、 などを飼うことが多いが洗い場としても利用されて 水を取る家も増えた。 これは水やりなどに利用され ており、あまり洗い物には使われていない。 いる 。 8は水路から敷地内の池に水を取り込み、再 び水路に戻すものである 。 9は対岸からパイプで引 道路や屋根に積もった雪は水路に落して処理されて いた水を水槽で利用して水路に落とすものである 。 いる 。 また紅葉尾の集落内水路はすべて野外に設けられた ④農業用水との関連 ものであり屋内施設がみられない点は、後に述べる 他地区と大いに異なる点である 。 また紅葉尾は山間部であり冬期には 雪 も多いが、 集落内水路と農業用水は当然のことながら密接に 関連しているが、紅葉尾においてはその関係が特に 以上のように紅葉尾における水利用施設は 8つに 深い。オオユ・スダユとも農業用水路としての機能 分類できるが、取水源としては河川│からヲ │ いた水路 が中心であり、その余り水や分岐水路を集落内水路 6 ・人間文化 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 として利用する形となっている。これを図示すると 図 6のようになろう。紅葉尾は愛知川流域で稲作を 営む集落のなかでももっとも上流に所在しているこ とから、 このような利用方法が行われていると思わ れるが、それでも集落の下流側の家では水路の汚れ がめだち、自噴井戸など他の取水手段が導入された 要因となっている。 また奥永源寺の諸集落のなかで、稲作が紅葉尾ほ ど盛んに行われている集落はほかにはみられない。 木地師のふるさととして知られる君ヶ畑や蛭谷をは じめとして、他の集落で はほ とんど水田はみられな い。 また奥永源寺の諸集落のうち集落内水路が顕著 にみられるのも紅葉尾だけである 。他の集落でも自 噴井戸や湧水などの利用はみられるが、その排水が 水路を流れる景観はみられない。このことからも集 落内水路の存在が、稲作 と深く関わっていることが 推測できるだろう 。 4 ・彦根市本庄 2008年調査 ①概要 次に取り上げるのは愛知川左岸に位置する彦根市 本庄である 9。本庄の集落は愛知川 にすぐ北接して おり、愛知川の伏流水を集落内水路として利用して きた。愛知川の堤防の下には全部で 6箇所の底樋が / 図3 本圧の集落内水路と水利用施設 入れられて伏流水を集め、そこから水路を引いてい る。 このような底樋、水路はともにユと呼ばれる 。 本庄の場合特徴があるのは同じユを使う家の問で組 合が組織されており、管理の当番や費用負担などが 明確に決められていることである 。本庄においてユ はある種の近隣組織としての性格を保有している 。 6つのユの水は集落の西端を流れる水路にすべて落 ち、集められた水は農業用水として水田で使われて いる 。本庄集落のすぐ西には回付集落が隣接してい るが、集落ごとの水利用の区分は明確で、本庄の水 路の水は回付集落で利用されることはない。 ②水利用施設 写真 10 本圧の景観 本庄は山間部の紅葉尾と比較すると家が密集して おり、集落内水路は家と家の 1 1 3を縫うように流れて を組み合わせた利用が一般的である 。 またかつては いる 。それを利用する水利用施設は大きく屋外型の 伏流水を利用した竹管水道を利用していた家が一部 ものと屋内型のものに分類できる 。両方とも地元で にあ ったが現在では使われていない。 はミズヤと呼ばれている 。 本庄においては、取水源は①先に述べた伏流水か また滞水のための施設としては①水槽、 ①水路に 接した掘り込み、 ①水路そのもの、の利用が見られ 噴 ら流下する水路と、 ② 自噴井戸に分類できる 。 自I 噴井戸に付属したものであ る。①の水槽は大半が自 I 井戸はほとんどの家にあり、自噴井戸 と集落内水路 る。 また排水形態はすべてのケ ースが水路に落とす 人間文化・ 7 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 写真 11 本庄 1(水路に橋を掛ける) 写真 15 本庄 5(水路沿いの母屡に自噴井戸) 写真 12 本庄 2( 水路まで石段を設ける) 写真 16 本庄 6 (水路上に母屋を張り出させる) ものであった。 本庄でみられる、以上の要素の組み合わせは、次 写真 1 1- 1 6参照)0 1は屋 の 6形態に分類できる ( 外型で、水路に簡単な橋をかけただけのものである 。 2も屋外型で、水路まで石段を設けたもの。 山間地 の紅葉尾とは異なり、本庄では l 隔が広く深い水路も 見られるため、このタイプのものがみられる 。 2で は水面近くに平 l iを設けてそこで洗い物などをおこ 写真 13 本庄 3(水路沿いに石段・自瞭井戸) なうようになっている 。 3も屋外型であるが、白 I 噴 井戸が伴う 。 白噴井戸の水を水槽に i 留め、余り水を 水路に落とすものであるが、その場所には石段や掘 り込みなどが設けられ、先の 2の類型に自噴井戸が 伴った形になっている 。 4は屋内型である 。 自噴井 戸の水を水槽に浦めて水路に落とす点、あるいはそ こに石段、掘り込みなどを設ける点では 3と同じで あるが、 これが小屋などの内部にあるタイプである 。 小屋 は当然水路に接して建てられている。 5は同様 のものが小屋ではなく母屋の土 I I U部分にあるもので ある 。この場合水路に面して母屋が建てられており、 写真 14 本庄 4( 水路沿いの小屋に自噴井戸) 8 ・人間文化 水路の水を屋内に取り込みまたそれを排出するため の口 が二つ設けられている 。 6も同様に屋 内に取り 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 込む形であるが、水路の上に母屋の一部を張り出し ている点で 5と異なる 。本庄の集落を歩いていると このタイプのミズヤが目を引き、 景観上の大きな特 色となっている 。 ③利用状況の変化 本庄では集落内水路をカワやツカイガワと呼んで いる 。 ほとんどすべての家にミズヤがあり、また自 噴井戸も設けられてい た。 ミズヤには大抵自噴井戸 が付属していたが、自噴井戸の水を受ける最初の水 槽は飲み水に使われ、それが溢れて落ちる 二番目の 水槽では食器などの洗い物がおこなわれた。洗濯も のや野菜の土落としなどはカワで行うこともあった。 老人のなかにはミズヤには神さんがいるということ で、今も毎日塩を供えて手を合わせる人もいる 。 このような本庄の集落内水路も近年大きな変化に 見舞われている 。かつて愛知川 は天井川であ ったが、 河川改修事業によってその川底が掘り下げられ、そ れに従って地下水位が低下し伏流水の水量も減少し た。今は一部のユではポンプによって地下水を汲み 上げそれを水路に流している 。 また昭和 3 0 年ころか ら上水道が敷設され、それ以後自噴井戸を使わなく なった家も多い。ただ集落内水路の水量を保つため、 使わない場合でも自噴井戸は埋めないという申し合 わせをしている地域もある 。 このように集落内水路 図 4 伊庭の集落内水路と水利用施設 の機能を保とうという動きが地元でみられる要因の ーっとして、家が密集した本庄では防火が重視され ていることがある 。集落内水路自体は寺を回るよう に配置されているがこれも寺が火事になったときの ためであるという 。集落内には何カ所も堰板を入れ る場所があるが、これは火事のときには堰板をいれ て水位をいれここに消防ポンプを入れる必要がある からである 。 ④農業水利との関連 本庄の集落は水田に閤まれているが、農業用水も 以前は愛知川 に設けられた底樋から引かれた伏流水 によって潤されており、農業用水路と集落内水路は 写真 17 伊庭の崇観 区別されていた。 また先にも述べたように、集落内 愛知川の下流部左岸に所在する 。集落のすぐ南には 水路は集落の端部ですべて深い水路に落ち、その水 かつて内湖が存在したが現在では干拓され耕地と 路の水は農業用水に利用されている 。 この関係を図 なっている 。滋賀県の琵琶湖や内湖に面した集落で 示する と図 6のようになる 。 は、集落内やその周辺にホリと呼ばれる水路が網の 5 ・東近江市伊庭 2009年調査 在ではホリも大半が埋め立てられ、水郷景観を今日 自のように張り巡らされたものが多くあったが、現 ①概要 伊庭は 旧能登川町でももっとも大きな集落であり、 に伝える場所は少ない。 そのような中にあって伊庭 は現在もかつての景観が色濃く残る集落である 。 人間文化・ 9 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 写真 18 伊庭 1(水路に橋を樹ける) 写真 22 伊 庭 5( 水路内のイケスと石段) 写真 19 伊庭 2 ( 水路を利用してイケスを設ける) 写真 23 伊庭 6( 水路j 沿いの母屋に自噴井戸) 伊庭集落の中央には瓜生川が流れている 。 この川 はかつては伊庭川と呼ばれていたが、 主流が集落の 北側に付け替えられ、そこに堰を設けて瓜生川に水 を引き込むように変化しており、瓜生川は現在では 人工水路化している 。 この瓜生)11 から分岐した水路 が集落内を綴っておりこれはカワと呼ばれている 。 カワのうち l 隔が太いものはオオカワと呼ばれ、細い ものはコマイカワと呼ばれている 。 また内 i 却 l から引 写真 20 伊庭 3( 水路まで石段を設ける) かれた水路はホリと呼ばれており、タブネの運航や 水車などを利用した逆水濯淑に利用されていたが、 現在で、は内海l の干拓に伴ってホリも大半が埋められ ている 。地元の人によるとカワは水が流れており、 ホリは水が流れていない水路だという 。低湿地であ る伊庭ではかつてタブネが生業や運送で多用されて おりどの家でも l、 2般のタブネを所有していた。 ホリだけでなくカワもタブネの運航路として重要な 機能を果たしていた。 ②水利用施設の類型 これまでの例にならいながら、伊庭における水利 写真 21 伊庭 4( 水路沿いの石段と自噴井戸) 10 ・人間文化 用施設の類型をみていきたい。取水形態については、 ① 瓜生川から引かれた水路によるものと、 ② 自噴井 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 戸によるものがある 。伊庭では自噴井戸はほとんど 各家にあった本庄ほどではないものの、多くの家に 設置されている 。i 帯水形態については① 自噴井戸に 付属した水槽と ②水路そのもののほか、 ①水路内や 水路から引き込んだ場所に設置されたイケスの 3形 態がある 。伊庭の水路は規模が大きく、②の場合は 水路に降りる石段が付属している 。②はかつてタブ ネが活躍していた時代には船着き場ともなっていた 場所である 。 また内湖に接した伊庭では漁業も盛ん であり、 ① のイケスはその特色をよく示している 。 排水については伊庭でもすべて水路に一 格としている 。 これらの要素を組み合わせた水利用施設について 8- 2 3 参 は、次の 6形態に分類が可能である (写真 1 照) 0 1は水路に簡単な橋を架けたものである 。 2は 水路を利用してイケスを設けたものである 。 また 3 は水路に降りるために石段を設けたものであり、石 段の方向は水路に垂直方 向に設けたものと、水路に 平行のものに分けられる 。 4は自噴井戸を設けて、 その水を受ける水梢を設置し、余り水を水路に落と すようにしたものであり、水槽は 1段のものと 2段 のものがある 。 5は水路にイケスを設けてそこに降 りる階段を設けたものであり、 2と3の複合型である 。 1か ら5までは何れも屋外の施設である 。 これらは イケスを除いてすべてカワ トと呼ばれている 。 6は 水路に沿った母屋内に自墳井戸とカワトを設けたも のである 。伊庭では屋敷地が直接水路に面していな い家もあり、そのような場合には道路の反対側を流 れる水路にカワトを設けている 。 ③水利用の変化 かつてホリがあった時代には、ホリやカワにはた くさんのタブネが繋留さ れており、水路はタ ブネが 行き違いできるだけの水量と帽を備えていた。各家 の船着き場は決まっており 、それが洗い場(カワト ) を兼ねる場合も多かった。 現在ではホリは埋められ、 カワは残されているものの道路の拡張などによ って その幅は狭められている 。 また河川の付け替えなど の影響でカワの水量も減少している 。 伊庭では自噴井戸のある家とない家があるが、な う家も増え、その通行のためにコマイカワなどには い家ではカワトで洗い物をしたり、また飲料水や胤 埋め立てら れ道路の一部となるものもみられるよう 呂水もカワ トか ら汲んでいた。洗濯は普通のものは になった。現在ではカワトの使い方は農具など泥で カワトで、洗ったが、汚いものは盤であらい水は畑に 汚れたものの洗浄などにほぼ限定されている 。伊庭 捨てていた。 ではイケスが見られるのが大きな特色であるが、そ 伊庭でも昭和 3 0年代から水道が導入され、飲料水 などは水道を用いるようになった 。 また自動車を使 の数も以前より減少しているという 。 ただ 1 9 8 5年前後から伊庭のカワを水郷として見直 人間交化・ 1 1 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 す動きもみられ、集落のメーンストリ ー卜 に接したカ ょう 。紅葉尾は山間地に立地するものの稲作は比較 ワでは護岸整備などがおこなわれている 。集落中央 的盛んである 。集落内水路は稲作のために河 ) 1 1か ら 音s rの公民館付近の水路では水中に水車などを設けて 取水された水を利用したものである 。集落や耕地と いるが、地元で観光化を望声はそれほど高. くはない。 河川水面との聞には相当な高低差があり、そのため 伊庭に現在も残る集落内水路がめぐる景観はかつ 随分仁流で河川│からの取水をおこなっている 。 また て琵琶湖岸の集落では一般的に見られたものである 河川の上流部にあり水質が良好で、あることもあって が、現在ではそのような景観を残す集落は少ない。 農業用水と集落内水路が完全に分離していない点も 隣接する乙女浜集落 ( 東近江市 ・旧能登川町)もか この集落の特色であろう 。 つては伊庭と同様集落内に多くの水路が走っていた 本庄は平野部に所在し、かつて天井川であった愛 が、現在では大半の水路は埋め立てられている 。伊 庭と乙女浜のこのような違いの原因を考えるときに まず考えられるのは、乙女浜では水路の大半が内湖 紅葉尾 湾川 から導かれたホリであったことである 。ホリは排水 や、水車などを活かした人力での逆水濯瓶、あるい はタブネの通航路などとして重要 な機能を来たして 水図 いたが、琵琶湖からの大規模な逆水濯淑の整備や、 タブネから自動車への交通手段の転換、悶場整備な どによって機能を喪失し埋め立てられるに 至っ た 0年代以降に ケースが多い。乙女浜についても昭和 4 ほとんと守の水路が埋め立てられている 。 これに対し 本庄 て伊庭の場合はホリの多くは埋め立てられたが、河 川 │ か ら引かれたカワは一部を除いて残存している 。 水路に常に水が存在するだけではなく、その水が流 れているか否かが集落内水路の保全にと って重要 な 要素であることがわかる 。 ④農業用水との関連 すでに述べたように伊庭では河川の付け替えが行 われている 。それ以前は河川が集落のなかを通って 伊庭 ( 改良以前) 湾)11 おり、そこに堰を設けて水路を引き水田を瀧概して いた。 また集落内水路の水も流末は水田に入 ってい た。 1 9 8 1年に始まった圃場整備にあわせて河川も付 け替え られ、現在では集落内水路と農業用水は完全 に分離されるようになっている 。 6.三 集 落 の 比 較 以上、紅葉尾・本庄・伊庭という立地を 異にした 伊庭 ( 改良以後) 三集落について、それぞれの集落内水路について叙 述してきた。同じ愛知川に沿った集落でありながら 集落内水路の様相には大きな差がみられた。 ここで は三集落の集港内水路をいくつかの視点から比較し、 その差異とそ れを生み出す要因、あるいは共通点に ついて考えていきたい。 ①集落の立地と環境 まず三集落の水を中心とした環境面を 比較してみ 1 2 ・人間文化 琵琶滋 図 6 農業用水との関係 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 知川にすぐ隣接しているために、河川伏流水を利用 に手がとどく程度の小規模な水路に限定された利用 して農業用水路と集落内水路に引水している 。 この 形態である 。 これをやや発展させたものが水路に面 両者は完全に分離しているが、集落内水路も流末に おいては農業用水路に合流し、自噴井戸などから出 して掘り込みを設けたり、水路まで降りる石段を設 けたりする方法である 。前者は水路が浅い柾葉尾 た水も含めてすべて最終的には農業用水として利期 で、後者は深くて広い水路がみられる本庄、伊庭で されている 。 みられる 。 また自噴井戸の水を水 ; mにうけて、余水 伊庭は愛知川下流部の低湿地に所在し、集落に隣 を水路に落とす形態も各集落でみられた。 自噴井戸 接してかつては内湖が広がっていた。集落内水路は fられた年代は聞き取りによると昭和以降の家が が抗! 河川から引水しており、農業用水とは分離されてい 多く、自噴井戸の普及によって集落内水路の利用形 る。水路は河川から引水するカワと、内湖の水を引 態に大きな変化が見られたことが推測される 。地域 の埋め立てにとも いたホリに分かれるが、戦後内初l 的な特色としては紅葉尾では崖などか らの湧水や沢 ないホリは大半が埋め立てられている 。 また伊庭に 水の利用などがみられ、また池を持つ家も多い。 こ おいても自噴井戸が繍られており、その水も水路に れに対して内湖に 面した伊庭ではイケスを水路内に 流入している 。 設ける例が多いことが目立つ。 また他集落とは異な このように 三集落の立地はそれぞれ異なり、その り本庄では小屋や母屋のなかに水路を引き込み、屋 環境が集落内水路の利用形態などにも影響を与えて 内で利用できるようにしていることが大きな特色で きた。 また生業との関係でいえば、 三集務とも稲作 あろう 。 が盛んで、あることが共通点であるが、伊庭では商業 や漁業などの生業も多く存在した点が他集落と 異 ③集落内水路の機能 現地での聞き取り調査を通じて集落内水路の機能 なっている 。 に昭和] 3 0年ごろから大きな変化が見られることがわ ②水利用施設の形態 3集落で現在みられる水利用施設の形態を比較し かるが、機能について 3集落の比較を試みたのが表 たのが表 1である 。 これをみるとも っとも単純な利 機能、右欄が現在のものである 。 2である 。各集落において左の欄が昭和 3 0 年代頃の 用形態である水路に小さな橋を架けただけのものは これによると集落内水路の現在の機能は収穫した 3集落ともみられる 。 これは橋の上にすわ って洗い 野菜の泥:溶としゃ、農具の泥落とし、魚の飼育、防 物をするといった利用が考えられるが、橋から水面 火用水、水やりなどに限定されてきていることがわ 表1 紅葉尾 本圧 伊庭 O O O O O 水路まで石段を設ける O O 小屋のなかに自噴井戸を設け水槽に受ける O 母屋のなかに自噴井戸を設け水槽に受ける O 水利用施設の形態 水路に橋をかける 水路を石などで短き止める O 水路に面 して掘り込みを設ける O 水路からパイプでヲ│いた水を水槽に受ける O 自噴井戸の水を水槽に受ける O 湧水の水を水槽に受ける O 自噴井戸の水を池に受ける 水路の水を池に受ける O O 沢水をパイプで引き水槽に受ける O 水路内にイケスを設ける O 水路内にイケスを設けそこまで石段を設ける O 人間文化・ 1 3 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 表2 紅葉尾 昭和 30 年代 現在 本庄 昭和 30 年代 現在 伊庭 昭和 30 年代 現在 O X O × O × 汚物 の洗濯 × (愛知川 で した) X × ( 盟 で した) X × ( 盟でした ) × 野 菜 泥落と し O O × O X 食 器洗い O X X O × (生 活 面 ) 濯 洗 飲 料 水 乙 込 ( 一部の家だ け) 正 込 × O O ム ム O O O O O × × X × ( 池) 防火用水 O O 雪 × X 流 × O O 融 (自噴井戸) O ( 池) 魚 の飼育 X (自噴井戸) 乙』 (生 産 面 ) 農 具 洗い O O O O O O 水 X O O O O O X × X O × X × × O × や 漁 務 × 舟 遷 X かる 。昭和 30年代には飲料水や特に汚いものを除く 東近江市 ( 旧能登川町)種では集落内水路をナコウ 洗濯などにも使われていたが、現在では手や口に直 ジ ミゾと呼んでいる 。ナコウジとは集落をいくつか 接触れない形での利用が中心になっている 。上水と にわ けた近隣組織のことであり 、集落内水路の性格 下水の中間的な領域において集落内水路は機能して をよく示している 。清掃についても農業用水路は農 いるといえるだろう 。 このような変化の要因として 家がでておこな っているが、集落内水路については 水質の悪化や、上水道の導入などが考えられる 。 全戸で清掃することになっている集洛が多い。かつ そのようななかで集落内水路において魚を飼育す ては厳しい排水に │ 刻する規則も存在した。紅葉尾で るケ ースが増えていることが注目される 。 これは主 は汚物をかつて愛知川 の特定の場所で洗っていたが、 として 景観面での配慮によ ってお こなわれており、 自然の河川 │ と集落内水路の問の環境観の差がうかが 集落内水路の景観としての価値が住民にも 意識 され える 。 はじめたことの一つの表れといえるだろう 。 集落内水路の利用自体は家単位でありながら、 管 理は集落や近隣組織を単位としておこなわれている 結び のは、水が流れるという性格に由来するものであ 最後に今回の調査を通じて 浮かび上がってきた集 り、自分の家の水利用の影響が他家にも及ぶためで 落内水路の性格について述べた い。調査対象とした ある 。ただ先述のように現在の利用は間接的接触に 3集落においては水利用施設は大半が家単位の もの よる洗浄に限定されてきており、また水路護岸のコ であり、共同で利用する施設はほとんどなか った。 ンク リート 化などによって管理負担が軽減したこと その意味では利用は家を単位とするものであるとい もあって、集落内水路を 地域で、管理する という意識 うことができる 。ただ水路 自体は農業用水と同様に が低 Fしていることは間違いがない。すなわち集落 集落単位のものであり、清掃などは近隣組織によっ 内水路はムラの水から家の水へと性格が変わりつつ ておこなわれてきた。ユ単位の管理組織が存在する ある 。 本庄のような例もある、また今回紹介しなか ったが 1 4 ・人間文化 かつての集落内水路が持っていたムラの水 という 湖東地域における集落内水路の機能とその変化 性格を、 コモンズ論から も考えてみたい。 コモンズ について、井上真が述べるように 「自然資源の共同 [ 注1 1 柳田園男・山口貞夫編 『居住習俗語集 J1 9 3 9 管理制度 ・共同管理の対象である資源そのもの J10 と理解すると、完全に人工物である集落内水路をそ 年民間伝承の会 2 向山雅重「 っ かひ J IJ 同『 信濃民俗記J l971年 慶 の範障で論じることができるのか疑問が生じる 。 ま 友社 たこれまでの コモンズ論は主として生業分野で展開 なおこの文章 については、文末に昭和 3 4年 3月 されてきており、この点からも生活面での利用が中 に記されたものであることが述べられているが、 心である集落内水路を コモ ンズとして理解すること 初出誌などについては確認できなかった。 には多少の抵抗があるだろう 。 しかしながら水路や 3 古川彰 「川と井戸と湖 湖岸集落の伝統的用 」鳥越陪之 ・嘉回由紀子編 『 水と人の環 溜池はたとえ人工物であっても、水そのものは自然 排水 的存在であり、またその利用面では共同性をもって 9 8 4年 御 茶 の 水 害 境史一琵琶湖報告書ー-.1 1 いる 。 これはこれまで述べたように水が 「 流れる 」 r 「 清める J 飲む」 などの性格をもっているためであ 房 4 渡部一二 ・郭中端 ・坊i 込憲二『水縁空間 郡上 る。 これは集落内水路の水 にとってもま ったく同様 9 9 3年 八幡からのレポー トJ1 であり、そこから集落内水路の 「自然 j 的 、 「共」 出版局 的性格が生まれてくる 。 福田アジオは日本の村務の空│ 尚構成をムラ ・ ノラ ・ ハラ ( ヤマ )という 三重 の同心円としてとらえるモ 1。 この同心円とコモンズの関 デルを提出している 1 住まいの図書館 5 渡部一二『生きている水路 その造形と魅力 j 2 0 0 3年 東 海 大 学 出 版 会 6 黒野弘靖・菊池成朋 「 街路村における街路と水 r 路の中心性と屋敷構えとの関連 J 日本建築学 会計画系論文集 J5 3 7 号 係性について考えると、ムラ → ノラ →ハラ(ヤマ) 2 0 0 0年・黒野弘靖ほ と中心からはなれるに従って、空間の 「自然」 的性 か 5名 「 水路の利用からみた新発田市米倉の集 格・ 「共J的性格が強まっていくことに気づく 。集 落空間構成 落内水路はこの「自然」的性格 ・「共」的性格を集 落内に持ち込んだものであり、それを 「 集落コモン 7 ズj として理解することが可能だろう 。 これまでも述べてきたように集落内水路が伝統的 に持っていた機能の大半は現在では他のものによ っ 8 て代替されている 。 またそれにかわる新たな機能と して、生態系や景観の保持、レクリエーション、観 9 光などの機能が注目されつつある 。 しかしながら 今 後機能が変化していくにせよ、その管理の主体は集 落が担うことは間違いなしその意味でも「自然」 的性格・ 「共」的性格といった集落内コモンズとし ての性格をいかに保持し、また更新させていけるの かが大きな諜題となる 。 ( 本稿は平成 1 9-2 1 年度文部科学省科学研究費補 r 1 0 助金基礎研究 c 集落内水路に関する環境民俗学的 研究 J( 謀題番号 1 9 5 2 0 7 0 6 )の成来の一部である ) 1 1 J r 日本建築学会大会学術梗概集J(中 国)1 9 9 9 年など 平成 1 0 年 4月8日付 「地域用水機能増進事業実 施 要 項 J( 農林水産事務次官)、農林水産省ホ ー ムペ ージによる 。 判l山敬次 「環境用水の取扱いについての一考 察 J 水利科学J2 3 1( 4 0 4)1 9 9 6年 本庄の水利用については琵琶湖博物館による報 告書に詳しく、ことに吉井勘ー「本庄地区の地 形と水利 一愛知川流域における水利用の役割 と変遷一」は閏場整備による水利用を変化を具 体的に描写している 。 嘉 田由紀子・古川彰編『生活再現の応用展示学 0 0 0年 琵 琶 湖 博 物 館 的研究J2 井上真 「 自 然資源の共同管理制度としてのコモ ンズ」井上真・宮内泰介 『コモンズの社会学1 2 0 0 1年 新日程社 福田アジオ 『日本村孫の民俗的構造J 1 9 8 2年 弘 r 文堂 人間文化・ 1 5 論文 指定管理者制度にみる社会教育施 設と NPOの連携についての一考察 → 特大垣市レクリエーション協会の事例を通じ て - 横山幸司 人間文化学研究科地域文化学専攻1 導士後期課程 目次 かどうかという手強い挑戦に直面している 。〔 後房雄, 2 0 0 9年. p1 5 8Jそれは社会教育施設の分野で、も例外 ではない。 1.はじめに H 指定管理者制度と社会教育施設 m . ~特) 大垣市レクリエーション協会の事例研 そこで、本稿では、岐阜県大垣市にある( 特) 大垣市 レク リエーション協会の事例を取り上げ、社会教育 NPOの連携について、特に指定管 3 0 l l 者制度 を中心に、成果と謀j 題、今後の在り方や NPOが担 施設と 究 W 考察 うことの意義について考察することとしたい。 n .指定管理者制度と社会教育施設 1.はじめに 社会教育施設と他のセクタ ーとの連携については、 従前より、ハード面においては管理委託という形が 1.指定管理者制度の概要 存在したし、ソフト面においてもボランテイアの参 2 0 0 3 年、地方 指定管理者制度とは、地方自治法に規定する 「 公 の施設」の運営について、従来の公共的な団体等に 加という形で存在してきた。 しかし、 自治法の改正により創設された指定管理者制度は、 限定した管理委託制度に代わって、議会の議決を経 それまでの社会教育施設と他のセクターとの連携の て指定される法人や団体などの 「 指定管理者」 に 、 在り方を画期的に変えてしまうだけのインパクトを その運営管理を代行させることができるという制度 持って導入された。その特長は、大きくは 2点、第 の呼称である 。 lに、受託者の範囲として NPO等民間事業者にも 平成 1 5年 ( 2 0 0 3 )年の地方自治法の 一部改正によ り新たに創設された。 門戸を 開き、第 2に、業務範囲として包括的に 業務 権限を委託することを可能とした点にある 。 こうした指定管理者制度導入の背景には、先の小 泉政権下で進められた 「民間でできることは民間 で」のキャッチフレーズに象徴される規制緩和や ニュー ・パブ リック ・マネジメント l i' il)に象徴され る公共サ ービス改革の流れと、 1 9 9 8年の特定非営利 指定を受ける者の範囲には、なんら制約がなく企 業などの民間事業者や NPOなども管理代行者とな ることカfできるようになった。 また、指定管理者制度では、包括的な管理委任も 可能となり、施設の使用許可権や企画立案業務など も代行できるとされている 。 i NP0法」 という 。 )制定以来、 4 4条の 2に規定され、地方 従来、地方自治法第 2 新しい公共の担い手として期待されている NPOの 公共団体が設置する 「公の施設 J(住民の福祉 を増 台頭がある 。 進する目的をもって、その 利用に供するための施 活動促進法 ( 以下、 しかし、そこには懸念がないわけではない。後房 設)の管理については、施設を設置した目的を効果 雄は、事業委託や指定管理者制度の運用において経 費削減が主な目的とされている例が多い現状におい を再確認することの必要 て、改めて制度の目的住 (2) 公共団体が、直接管理運営を行う方式を採るか、又 NPOを含む民間事業 方公共団体が出資する法人など、ある 一定の要件を 性を指摘している 。同時に、 者がそ こで期待されている質と コストに関する 「 創 的に達成するという理由から、施設を設置し た地方 は管理を委託する場合においても、その相手側は地 満た した公的な団体に限ら れてき た。 意と工夫 j を実際に発揮できるかどうかが問われて しかし、地域等において NPO等の民間の諸活動 いると指摘する 。 NPO法施行から 1 0年を経過し、 が活発化 してきている実態や最近の行財政改革の一 万 6千を超えた NPO法人が、企業と並ん 全国で 3 で公共サー ビスの担い手としての力量を実証できる 積極的に推進するという方針などを踏まえ、 指定管 1 6 ・人 間 文 化 環として、公的な事務 ・事業 について、民間開放を 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPO の連携についての一考察一樹大富市レクり 工 ーション協会の事例を通じてー 理者制度の導入が凶られたのである 。 理運営事務の一部を私法上の契約により外部の機関 に委託して行うものである 。指定管理者制度の下で 2.従来の 「管理委託制度」と指定管理者制度の違い も、この業務委託は並列的に行うことができ、指定 ( 1 )管理主体の範囲の拡大 両者の違いは、まず受託者等の範囲である 。従来 包二迎者は私法上の契約を結んで、その業務の一部を 他に委託することも可能である 。 の管理委託制度では、受託者は地方公共団体のコン 以 トロールの下にある ① 当該地方公共団体が 1/ 2 3目指定管理者制度の導入のねうい、期待されてい 上出資している法人、 ②公共団体 ( 土地改良区など) 、 る効果 ① 公共的団体 ( 農協、生協、自治会など)に限られ 指定管理者制度導入のねらいについては、この制 てきた 。 度を発足させた総務省の局長通知 ( 平成 1 5年 7月1 7 これに対し、指定管理者制度では、管理代行者の 日総行行 第8 7 号)では、「多様化 する住民ニーズに 範囲は原則として制限がなく、株式会社等の民間事 より効果的、効率的に対応するため、公の施設の管 業者、 NPO法人、法人格を持たない民間団体など 理に民間の能力を活用しつつ住民サービスの向上を 幅広く代行ができることになっている 。(しかし、 図るとともに、経費の削減等を図ることを目的とす 現実的には、各地方自治体において施設設置条例に る」 としている 。 この通知を踏まえつつ、制度導入 指定管理者に関する規定を定めるうえで、法人格を 持つ団体に限るなどの制約を課す場合も多い。 ) のねらいを政府の関連の報告書を参考にしつつ、改 ( 2 )指定管理者の業務権限は包括的 第 2番目の大きな違いは、業務の範聞と管理権限 である 。指定管理者制度は、公の施設の管理運営権 限包括的に代行させるものであり、今までは委託に なじまないものとして認められなかった企画立案業 務なども、その代行ができることである 。 また、施設の使用の許可、 l T l l消使用料の徴収は、 従来の管理委託制度の下では、あくまで自治体の権 限とされていたが、これらについても定型的で権力 性が薄い行政処分であるという理由などから指定管 理者の権限として行うことができることになってい る。ただし、基本的な利用条件 ( 利用許可等の基準の 設定、休館日、開閉館時間、使用料の額等)は条例で 定めることとされ、使用料の強制徴収、不服申立に 対する決定などは地方公共団体の権限とされている 。 ( 3 )制度の法的な性格 従来の管理委託は、条例を根拠として締結された 公法上の契約に基づく管理事務又は業務の執行につ いての委託という性格を有する 。 これに対し、指定 管理者制度は、法的な位置づけとしては行政処分の 一種であり、公の施設の管理権限を議会の指定を 受 けたものに委任する 「 管理代行」である 。 したがっ て、施設の管理運営全般は指定管理者の権限となり、 その代行業務については指定管理者が専ら自己の責 任の下において処理する こととなっている 。 なお、施設の運営を 外部に委ねる方法としては、 従来から 「 業務委託Jが行われてきたが、これは管 めて整理してみると次のようになる 。 まず第ーに挙げられるのは、民間へのアウトソ ー シングによる行政コスト (ヒト、モノ、予算等)の 縮減である 。 「小さな 官の追求」である 。 第二は、民間事業者等のノウハウを活用した多様 なサービスの提供や利便性の向上、管理運営の効率 化である 。 「民による質の向上、効率化」である 。 第三は、社会の変化や住民のニ ーズに対応しうる 柔軟でかつ機動性 に富んだ効果的な施設運営への期 待である 。 「従前の管理委託制度の改善」である 。 第四は、従来、行政から 一元的に提供してきた公 共サービスの在り方を問い直し、行政と NPOや企 業なと が対等な立場に立った 「 新しい公共サー ビス ξ の在り方」 を模索する視点である 。 特にこうした視点に立って、行政と民間が協働の パー トナ ー として関わる新しい 「公益的なサービス 提供」の仕組みを地域に根付かせていきたいとの願 いである 。いわば 「 民との協働による公益的サービ スの提供 j である 。 第五は、官が担ってきた事業を広く民間に開放す r ることによって 「 民需拡大 J雇用の創出」につなげ、 地域経済の活性化を図るとの視点である 。 4 指定管理者制度を巡る懸念や課題 指定管理者制度には、こうした効果が期待されて いる反面、逆に様々な懸念なども寄せられている 。 そのいくつかは次のとおりである 。 第一に、公共性・公正性の担保への不安である 。 人間文化・ 17 指定管理者制度にみる社会教育施設と N POの連携についての一考察一側大垣市レクリ工ーション協会の事例を通じてー 具体的には、公平・平等・中立性が査められる懸念。 労働条件面への影響などである 。 機会均等の軽視。官民の役割分担の整理が不十分。 怒意的な業務運営の恐れ。地域間格差などへの危慎 5 . 社会教育施設における指定管理者制度導入 などである 。 第二に、公的責任の後退の恐れて、ある 。 具体的には、 の現状 指定管理者制度は、平成 1 5年 ( 2 0 0 3年)に発足し たが、総務省から、その積極的な活用を要請する通 知( 1地方公共団体における行政改革推進のための 行政課題の反映が困難になるなど公的な関与が弱ま る恐れ。責任の所在が不明確。必要な事業の切り捨 新たな指針の策定について」平成 1 7年 ( 2 0 0 5年) 3 月2 9日)なども 出され、各地域では、そ の導入が急 速に進みつつある 。 しかし、この制度は、地方自治 てへの懸念。採算重視の運営への不安などである 。 第三に、施設機能の弱体化への危倶である 。具体 的には、施設が有する専門性の軽視。専門職員など の人的な基盤の弱体化。専門的な知識技術の蓄積が 法の規定にあるように、 「公の施設の設置の目的を 不十分になる恐れ。事業面の形骸化の不安。関係機 関との連携関係への影響などである 。 効果的に達成するため必要があると認める 」ときに、 第四に、民 間に委ねることでのリスクである 。具 体的には、個人情報保護。民間企業の倒産リスク 。 事業の継続性安定性に対する不安。防災 ・緊急時の 行政と 一体的な対応の困難性。 運営の透明性の確保。 営利事項の禁止事項との関連などである 。 第五に、民間団体や民間事業者の脆弱さである 。具 体的には、民間の組織基盤の弱さ 。総合的な管理を担 える組織が少ない実態。 NPO活動等の変質の恐れ。 特定事業者への過度の偏重への危倶などである 。 第六に、システムの問題や制度への不安である 。 設置者と住民による点検評価システム、サービス水 準等のモニタリングの仕組みづくり 。教育事業評価 地方自治体の判断の下に、その管理を行わせること ができるという制度である 。各々の地域の実情を踏 まえ、住民の学習・交流活動の拠点としての社会教 育施設の 「 役割や機能が十分発揮」できるような観 点での取り組みが今後とも求められる 。 〔服部英二, 2 0 0 7年. p. 14 6 1 5 0J ( 1 )指定管理者の導入状況 それでは、全国の社会教育関係施設における指定 管理者の導入状況について見ていこう 。 「平成 1 7年 度社会教育調査J(文部科学省. 2 0 0 5年〕によれば、 平成 1 7年度 ( 2 0 0 5年)現在、指定管理者制度を導入 している社会教育施設は、( 図表1)のとおりである 。 社会教育関係施設における指定管理者 ( 管理受託者 を含む)の状況については、 当調査により初めて調 の困難性。人材の養成研修システム 。管理者の選定 方法の在り方などである 。 査された。 公立の施設数に占める割合をみると ,公立の施設 第七に、移行に伴う影響である 。具体的には、既 存の外郭団体、法人の取り扱い。雇用職員の処遇や 全体に占める割合は 1 4 . 3 %、各施設のうち最も割合 r 図表 1 種類別指定管理者(管理受託者を含む)別施設数J (単位 .施設) 区 分 言 十 公立の施設数 ( 社会体育施 設は団体数) 言 十 公立の施設数 に占める割合 都 道 府 r 図書館 博物館 博物館 青少年 女 性 社 会 文化会館 類似施設 教育施設 教育施設 体育施設 56.111 18. 173 2.955 667 3.356 1.320 91 8.005 672 54 93 559 221 14 1 4 . 3% 3.7% 1 . 8% 13.9% 1 6 . 7% 16.7% 15.4% 27.800 5.766 20.7% 1.749 626 35.8% 県 指 定 市 (区 ) 町 村 4 E 2 3 h 管理者 組 民法第 34 条の法人 .6. 社 N P O の 也 イ そ = 公民館 ( 類似施 設含む ) 268 123 5.207 532 165 1.710 2 243 15 4 408 36 8 7 86 3 3 35 18 382 46 9 69 14 2 156 14 14 2 1 7 2 4 211 98 3. 749 421 117 1.170 5 4 548 23 12 34 (注) 指定管理者(管理受託者を含む ) J とは、地方自治法第 2 4 4条の 2第 3項に基づき管理者ーを指定(指定包ー 理者)又は改正前の同 法 同条項に基づき管理を委託(管理受託老 )している場合 をいう 。 出所:文部科学省 f 平成1 7年度社会教育調査J( 2 0 0 5年) 18 ・人間文化 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPOの連携についての一考察ー倒大垣市レクリ工ーション協会の事例を通じて 5 . 8 %で、次いで、「社会 の高いのは 「文化会館」の 3 館類似施設の 2 . 6パーセントの順となっている 。 ち 体育施設」の2 0. 7%となっている 。続いて博物館類 なみに 青少年教育施設は1.0%にすぎない。 似施設、本稿で取り上げる「青少年教育施設」が 1 6 . 7 %と比較的導入率が高い。 これが、民間非営利社会教育事業者との割合にな ると、さらに全体でも 1 .3%にすぎず、 青少年教育 佐藤晴雄のいうように、文化会館や社会体育施設 . 3 %でしかない。思いのほか、 施設となるとわずかに 0 において、指定管理者の導入率が高いのは貸施設 NPO等民間非営利社会教育事業者と社会教育施設 的要素が高いためといえる 。 これに対して、図 書 の連携・協力は進んでいないことが分かる 。(図表 館と公民館がI桁にとどまっているのは、主催事業 2-1) ( 図表 2-2) や専門機能の比重が高いため、文化会館等のように ( 3 )ボランティア活動の状況 最後にもう 一つ関連してボランテイアの人たちと の関わり合いを見ておこう 。 社会教育関係施設におけるボランテイア活動の状 況を施設別にみると、登録制度のある施設数の占め 0. 7%で、次いで る割合で、最も高いのは図書館が6 博物館 3 4 . 8 %、女性教育施設2 6 . 8 %のI } 頂となっている 。 青少年教育施設は、 1 9 . 8 %である 。 9万人が最も多く、 また、 登録者数は、公民館の 2 次いで図書館の 7万 1千人の順とな っている 。青少 年教育施設は l万 6千人と他の施設に比べて一番低 い数字 となっている 。(図表 3) こうして見てくると、社会教育施設への指定管理 者制度導入は、施設の種類によっては導入が進んで、 いるものの、全体としてまだまだ導入が進んで、いる とは言い難い。 すぐさま委託ができないからであろう 。 〔佐藤晴雄, 2 0 0 7年,p . 2 1 9 2 2 0J また、性質別の指定管理者 ( 管理受託者を含む) 4条の法人」 の状況をみると、最も多いのは「 民法第 3 , 2 0 7法人、次いで 「その他 J1 , 7 1 0団体、 「会社」 で5 5 3 2社のI } 頂となっている 。 ちなみに本稿で取り上げ る NPOは 、 1 6 5団体と決して多くはない。 このこ とは、前述のとおり、地方自治体の出資法人など以 外の民間団体 ・事業者、例えば NPOなどにおいて は、その組織基量生の脆弱さにより、指定管理者を担 うことが困難なためと推測され る。 ( 2 )民間社会教育事業者との連携・協力状況 関連して、民間非営利社会教育事業者との連携・ 協力状況についても見ておこう 。 この調査項目も平 成1 7年度調査よりはじめて設けられたものである 。 教育委員会及び社会教育関係施設において 実施 した事業のうち、民間社会教育事業者 ( 営利・非営 利合計)に委託した割合をみると、 学級・講座等の . 0パーセ ント、各施設の 事業総数に占める割合は 3 . 6パーセ ントで、 うち最も高いのは社会体育施設の 9 次いで教育委員会の 4 . 8パーセ ント、図書館、博物 そして、その指定管理者の担い手は、多くが、 「 民 4条の法人」つまり、自治体が出資しているよ 法第 3 うな公益法人が多く、 「 民間社会教育事業者との連 携 ・協力状況jにおいても明らかなように、民間社 会教育事業者、特に NPO法人などにとっては参入 が困難な状況にあると 言えよう 。 図表 2 r 民間社会教育事業者との連携・協力状況 (委託事業数 ) J 図表 2-1 r 民聞社会教育事業者(宮利・非営利 ) J ( 単位 :件) 図表 2-2 r 民間非営利社会教育事業者J ( 単位ー件) 人間文化・ 1 9 指定管理者制度にみる社会教育施設と N POの連携についての一考察ー綿大垣市レクリ 工ーション協会の事例を通じて 図表 3 r ボランティア活動の状況」 区 公民館 社 会 民 間 博物館 青少年 女性教 (類 似 施 図 書 館 博 物 館 体育施設 体 育 施 文化会館 類似施設 教育施設 育 施 設 設含む) (団体) 設(団体) 分 施 設 数 単位 施 設〉 登録制度の ( あ る 施 設 施設数に占 める割合 計(単位入) 7. 405 2, 859 1 0 . 7% 1 5.7% 60.7% 3 4 . 8% 15.8% 1 9 . 8% 2 6 . 8% 1.7% 4.7% 1 7 . 6% 712 589, 866 289, 70, 776 27, 607 49, 1 36 16, 929 23, 270 60, 394 477 29. 22, 565 1, 808 416 697 262 49 465 518 331 団体登録制度 のある施設数 (単位施設) 5, 863 479 2. 1, 512 243 454 161 42 390 359 223 団体 登録団体数 (単位 団体) 18, 295 8, 854 4, 198 411 115 1, 461 140 1, 704 81 1 601 501, 837 257, 157 63 0 58, 17, 306 38, 963 12, 123 469 22. 53. 490 25, 613 16, 086 登録者数 登録者数 (単位人) 個人登録制度 のある施設数 単位施設) 個人 ( 登録者数 (単位。人) 2. 41 1 720 664 195 278 130 1 1 96 189 128 88, 029 32, 555 12.146 1 0, 301 1 73 10, 4, 806 801 6, 904 3, 864 479 6. 出 所 文 部 科学 省 『 平成1 7 年 度 社 会 教 育 調 査J( 2 0 0 5年 ) その理由には、前述のとおり、 一つには NPO法 人などの組織基盤の脆弱さにあるが、行政側にも協 働に対する問題点が存在する 。 このことは次節で見 ていく 。 また、ソフト面においても、 「ボランテイア活動 の状況」において明らかなように、市民活動が盛ん 下今に おいても、図書館などを除いて にな ってき たH 高い数字とは言えない。このことは社会教育施設が、 市民から離れたところに存在していることの現れと も言えなくはないだろうか。 6. 行政と NPOの協働を巡る議論 ( l )f市民活動団体基本調査報告書Jにみる協働の問 題 点 、 「 平成 1 8 年度市民活動団体基本調査報告書 J[ 内閣 府 , 2 0 0 7 年 〕 によれば、 NPO法人と行政との協働 に係る問題点が浮き彫りにな ってい る。 過去 2年 間で、何らかの行政との連携・協働を 5%にのぼる 。行政と 行った NPO法人は全体の約 7 の連携 ・協働は幅広い分野で行われている 。 なお、 ここでいう連携・協働とは、 ①法人の行う活動に対 し、行政から資金(補助金や委託費等)を受けること、 ②行政が行う 事業の企画立案 に参加すること (各種 審議会、委員会等へ市民活動団体、市民代表とし て 参加、参与)、③行政との共催の行事を実施するこ と 、 ④行政と定期的に情報交換を行う こと 、 ④恒常 的な活動拠点として公共施設を使用すること、 ⑤法 人の運営 ( 人件費、管理費)に対し、行政から資金 (補 助金や委託費等)を受けること、 @公共施設の管理 ・ 運営を行うこと、 ( 指定管理者・管理運営委託等)、 2 0 ・人間文化 ⑦協働事業を行政に提案する制度に応募し、対象と なること、 ③行政職員を対象にした研修等を開催す ること、などが含まれる 。 ①連携・協働のメリット そうした連携・協働に対し、多くの法人がメリッ トがあると考えている 。 「法人の設立 目的に沿 った 活動が広がる J[ " 法人の活動に対する認知度が上が る」 という回答が多い。(図表 4) ②連 携 協 働 の 問 題 点 逆に、行政との連携・協働にデメリット ・問題点 にはどのようなものがあるのだろうか。 問題点について、 「問題と感じたことは特段ない J と回答する法人が2 2 . 9 %ある 一方 、 NPO側の経済 的負担や手続きの煩雑きが問題と感じている法人が 多い ことが分かる 。 ( 図表 5) ①行政からの補助金ー助成金の受け入れについての 問題点 次に、特に行政との連携 ・協働で多くの割合を占 める補助金・助成金の受け入れについての問題点を みてみる 。 行政からの補助金 ・助成金を 受け入れた法人のう ち、受け入れについて、特段の問題を感じなかった という法人が3 1 .6%ある一方、手続きの煩雑さや使 途の制限に問題を感じている法人も多い ことが分か る。 ( 図表 6) ④行政からの事業委託の受け入れについての問題点 さらに、事業委託についてみてみると、行政から 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPO の連携についての一考察ー側大垣市レクリ工ーション協会の事例を通じて 図表 4 連携・協働のメリット 。% 20% 40% 60% 80% 法人の設立目的に沿った活動が広がる 3% 60. 法人の活動に対する認知度が上がる 6 0 . 0% 行政との距離を短縮できる 43.2% 法人の活動だけでは難しかった地域・社会の課題 解決や市民に有益なサービスの提供ができる 5% 39. 他の N P O法人やボランティア団体とのネット ワークがひろがる 39.3% 3 ! 6. 1% 地域住民との距離を短縮できる 労力や費用負担が軽減できる L 331 5% 上記以外のメリッ卜 【N=1, 019 復数回答】 一 一 一 出所・内閣府 「 平成 1 9 年度市民活動団体基本調査報告告 」より筆者作成 図表 5 連携・協働の問題点 0% 10% 20% 行政側からの資金負担が少なく、 N P O恒J Iの経済 的負担が大きかった 30% 2 6 .1% 実施するまでの手続きが煩雑だった 18.0% 企画や実施に際して行政側の関与が少なすぎた 企画や実施に際して行政側の関与が多すぎた 実態に合っていない計画だった 実際に発生した問題を行政と法人とが協力して解 決できなかった 上記以外の問題点 (N=1, 019 複 数 回答} 出所 内閣府 「 平成 1 9年度市民活動団体基本調査報告啓」 より 錐者作成 の事業委託実績のある法人のうち、行政からの事業 も 多 く 、 次 い で、対等 な関係を望むこと、 手 続 き の 簡 委託について、委託事業の対価に問題を感じている 素 化、 審 査 決 定 の 公 開 な ど 透 明 性 を 望 む声 が 多 い こ 法人や委託事業を継続的に受けないと法人の活動の と が 分 か る 。 共 通 し て 根 底 に あ る の は NPOに 対 す 維 持 が 難 し い と 感 じ て い る 法 人 が 多 い。 (図表7) る 正 し い 理 解 を 求 め て い る こ と で あ ろ う 。(図表 8) ⑤連携ー協働についての行政への要望 ( 2 ) 下請け化」を巡る議論 最 後に、行政への妥望についてみてみると、人件 費を認めることなど適切な経費負担を求める声が最 r こうした行政と NPOの 連 携 ・ 協 働 を 巡 る 問 題点 に つ い て 、 特 に 、 行 政 か ら の 補 助金 や 委 託事 業 に 依 人間文化・ 2 1 指定管理者制度にみる社会教育施設と N POの連携についての一考察ー側大垣市レクリ工ーション協会の事例を通じてー 図表 6 行政から補助金 ・ 助成金の受け入れについての問題点 日% 10% 20% 30% 手続きが煩雑であった 2 7 . 6% 資金の用途の限定が実施上の障害となった 20.4% 支援決定から支給までの期間が長かった 4% 20. 金額が少なく、活動に支障が生じた 19. 7% 募集時期が限定されていたり、募集期間が短かっ た 支援内容がわかりにくかった 資金を受け入れることによって、かえって活動が制 限された その他 【N=1, 019 複数回答】 出所.内閣府 「 平成 19年度市民活動団体基本調査報告書」より筆者作成 図表 7 行政からの事業委託の受け入れについての問題点 0% 10% 20% 委託金額が実際に必要な額に比べて安価であっ 30" 1 0 40% 3 4 . 4% た 委託事業を継続的に受けないと、法人の活動の 31 .5% 維持が難しい 手続きが煩雑であった 委託の受託決定から資金の支給までの期間が長 かった(つなぎの資金が必要等) 募集時期が限定されていたり、募集期間が短かっ た( 8. 7%) 1 9 . 9% 8.7% 受託事業のため、本来の活動を行う余裕がなく なった その他 【N=1, 019 複数回答】 出所 内閣府 「 平成 19年度市民活動団体基本調査報告書」より筆者作成 存せざるを得ない NPOの経営状況を最も端的に表 す言葉が 「行政の下請け化」 である 。 その代表的な 論者に田中弥生がいる 。 田中は、 「下請け化とは、権限が委託元である行 政に保持されたまま、仕事だけが委託先に降りてき 後房雄が、鋭い批判を行っている 。 後は、田中の言 う 「下請け化」 の最大の問題点は、 「公的資金の割合という数字だけで 『 下請け化 j と を下している点であ いうきわめて悲観的な現状評価i る」 と指摘している 。 て、他方、委託先はその仕事がなければ組織の維持 後によれば、そもそも公的資金によ って実施され ができないため、不満足な条件であっても断れない る事業に関する権限が行政に保持されること自体は 状態になっていることをいう 」と定義している 。〔 田 当然のことであり、特に、行政からの事業収入の割 中弥生, 2 0 0 6年,p 2 3 4) しかし、この田中の言 う 「下請け化」 に対しては 2 2 ・人間文化 合を 「下請け化」 と同一視するのは、政府 ・行 政 が 事業の基本方針と資金 を提供し、 N P Oがその 実施 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPO の連傍についての一考察ー絢大塩市レクリ工ーション協会の事例を通じて 図表 8 連携・協働についての行政への要望 0% 10% 20% 30% 40% 50% NPOにおいても人件費等の経費がかかることを理 60% 70% 58.8% 解し、適切な経費を負担してほしい 行政と NPOが対等な関係での取り組みであることを 理解してほしい 7.8% 連機 ・ 協働に関する手続きを簡素化してほしい 30 .3 ~ 連携・協働に関して、内容や決定経過等の情報を 積極的に公開してほしい 連携・協働の成果を評価する仕組みをつくってほし 連携・協働に関する条例や指針をつくってほしい 連携 ・ 協働に関する NPOの能力向上研修を行って ほしい 出所 を担うという 「第三者政府」システムの全面否定に ほかならない。〔後. NPOの戦略の核心は、寄付とボランテイアだけに 頼るという架空の 「原 点 Jに戻ることではなく、公 2 0 0 9年. p 1 6 7) さらに田中が、ボラン テ イアなど市民の支持母体 的資金を受け取りながらいかにして意思決定の自律 が強く、 主に会費 ・寄付 や 自主事業収入などの民 │ 自 j 性を堅持するかという点にあると述べている 。〔後 , 資金を中心にした NPOが公共サ ービ ス提供を理想 2 0 0 9年 . p l 7 2) 像 と 考 え 、 公 的 資 金 型 N P Oが そ れ と 異 な る 部 分 つまり、 NPOの自立についての議論は、これま を 「 下請け化 Jの弊筈として描いていることに対し で財政的な観点、特に公的資金の受け入れの有無か 市民活動 て、後は、前者のようなタ イ プの NPO ( ら捉えられがちであったが、問題はその点ではなく、 型 NP0)は どこの国においても多数存在している むしろ、積極的に公的資金を得に行くことは肯定す が、例外的な大規模団体を除けば、ほとんどが小規 べきであって、財源が公的資金か否かを問わず、い 模な団体にとどまっているのが現状であり、 こ うし かに NPO本来のミッションである公益サ ー ビスを た NPOが日本でさらに増加する方が望ましいとい 実現出来るかが問われるべき であるということであ う点に 異 論 はないが、それとは別に、公的事 業 を軸 ろう 。 に大規模化、専門家していく NP Oもまた必要であ 0年が経ち、 この議論は、 N P O法 が 施 行 さ れ て 1 り、現在の日本においては、そうした事業型 NPO で 「協働 Jが進んで、いる今日においてもなお、 全匡l の不足こそが重大問題であって、公共サ ー ビス改革 行政、 N P O側双方に、「協働 」 に 対 す る 共 通 認 識 の動向の中でそれこそが NPOセクタ ー にとっての が充分に成り立っていないことの現れともいえよ 戦 略 的 課 題 で あ る と 主 張 し て い る 。〔 後. 2 0 0 9年 , 例えば、先の 「平 成 1 8 年 度市 民 活 動 団 体 基 本 調 査 p l 7 2) ( 3 )NP Oの白立とは何か では、 NPOの自立とは何であろうか。 後は、 NPOにとっての「自立」 とは外部資源へ の依存をなくすということではなく、資源、を外部に 依存しながら組織としての意思決定の自律性を堅 持 す る こ と と 考 え る べ き で あ る と い う 。〔後. つ。 2 0 0 9 年 .p 1 6 8)さらに 「下 請 け 化 」 の 危 険 に 直 面 す る 報告書 J(内 閣 府 )の 中 の 「 連 携 ・協 働 に 対 す る 具 体 的 意 見」 においては 「 行政と NPOが対等な関係 となっていない 」 との意見も見られた 。 この点に関しでも、後は、 N P O関 係 者 の 聞 で は、事業委託は事業目的や内容が行政によって決定 されるから協働とは呼べないとか、公的な事業の企 画立案段階にも NPOの対等な参加、発言権を認め るのが協働だ、というような理念的協働論に基づく 人間文化・ 23 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPOの連携についての一考察一側大垣市レクリ 工ーション協会の事例を通じてー 議論が少なくないが、そもそも、公的資金による事 られないメリットを求めるわけであるから、そうした 業の目的は内容の企画立案において、有権者の一部 メリットを生み出せるだけの裁量の余地を NPOに にすぎない NPOに行政と対等 な立場を保障するこ 保障することも不可欠である 。 とに民主主義的根拠があるだろうかと疑問を 呈 して いる 。 いずれにしても、指定管理者制度や協働事業 は 、 倭小化した財政的な見地、 管理運営の効率性とい っ なぜなら、ある公的任務が行政事務として行われ た観点からのみ評価されるのではなく、どの運営主 る限り、法律により権限を付与された行政庁が最終 的な決定権や責任を有するというのは 当然のことで 体・セクターが住民にとって最適な公共サ ー ビスを あるからである 。 提供しうるのか、あるいは、そもそも指定管理にふ さわしい施設なのかといったような本来の有効性の つまり、自治体で言 えば、原案の決定権は首長(な 視点に立った適切な評価と 、それを最適化するため いしは権限を委任された責任者)が持ち、最終的決 の行政と NPOの I l f Jの共同のルールづくり、建設的 定権は 当然ながら議会に属することは明白である 。 0 0 9年,p 1 7 6 な制度設計こそ重姿であろう 。 〔後,2 し か し そ の一方で、発言や提案の機会は、可能 1 7 8) な限り、市民全体に聞かれるべきである 。だとすれ ば、行政側に求めるべきことは、 NPOや市民から m .(~寺)大垣市レクリ工ーション協会の事例研究 の提案を広く受け入れながら、首長やその代理者の 責任において採否 を決定し、採否の決定やその理由 には何が必要なのであろうか。大きくは 2点考えら 1 設立の背景と経緯 ( 1 )大垣市の概要 それでは、 ( 特) 大垣市レクリエーション協会 ( 以下、 「 大垣レク 」 という 。 )の事例についてみていくこと とする 。 まず、大垣レクのある大垣市の概要につい てみていこう 。 大垣市は、岐阜県の西濃地方に位霞する市の一つ。 県庁所在地の岐阜市に次いで、、県内第2 位の人口を れる 。 擁しているほか、西 i 農地域の中心的存在である 。 を広く公開して市民全体の評価に委ねるということ である 。 〔後,2 0 0 9年 , p1 7 4 1 7 5) ( めこれからの「協働jの在り方 それでは、今後の行政、 NPO双方に問われる協 働の認識とそれが適切に実施されるためのシステム 一つは、 NPOからの意見に対する行政の採否の 地理的には、「水の都」 と称されるように、揖斐 判断とその理由が公開され、 第三者からの検証に閃 川、長良川をはじめ、 1 5本もの一級河川が流れてい かれることなどを通じて、行政の判断がより適切な る。 2 0 0 6 年3 月に安八郡墨俣町、養老郡上石津町を ものにな っていくような仕組みを構築することであ 編入合併したため、市域は全国で唯一の二重飛び地 る。つまり、情報公開と評価の問題である 。 もう 一つは、望ましい事業委託契約の設計とマネ となっている 。 歴史的には、古くから、交通の要衝地として栄え、 ジメント ( およびそのためのインフラ整備)のあり 壬 申の乱、承久の乱、関ヶ原合戦など天下分け目の 方を行政と NPOの共同作業として探求することで 戦いの舞台ともな った。 こうしたことから、遺跡・ ある 。 ここで基準となるべきは、対等性ではなく目 史跡が多くあり、歴史資産の豊富 な地域でもある 。 的に対する手段としての有効性である 。誰の提案で あっても、目的に対して最も有効な手段としての事 ために、商業の発展とともに、東西文化の交流拠点 また近代まで、河川 を利用した水運が盛んで、あった 業提案を採用すべきなのである 。 となり、文化も興隆した。俳聖松尾芭蕉は 4度大垣 後は、望ましい事業委託の基準は 「 公的資金に関 するアカウンタビリティと NPOの自律性の両立」 を訪れており、 「 奥の細道」 むすびの地としても知 だと述べている 。 つまり、行政としては、公的資金が適正に使用され、 輩出している 。 られる 。幕末には梁川星巌、所郁太郎などの志士も 行政区分的には、前述のとおり 2 0 0 6年(平成 1 8 年) 契約に規定された事業目的が十分達成されたかどう 3月2 7日に旧墨俣町 と旧上石津町と合併し、現在の かについてアカウンタピリティを確保する責任があ 新しい大垣市となった。2 0 0 8年には市制 9 0 周年を迎 えている 。 るが、同時に、 NPOに委託する以上、直営では得 24 ・人間文化 指定管理者制度にみる社会教育施設と N POの連携についての一考察ー鱒大垣市レクリ工ーション協会の事例を通じてー 総人口は、 1985年(昭和 60年 ) の 国 勢 調 査 で は 1 5 5 . 8 8 4人であったものが、 2009年(平成 2 1年 )1月 現在においては、 162, 079人と増加しており、人口 流出の激しい岐阜県内の市町村の中にあって、人口 を呼び込んでいる元気な地域であることが分かる 。 年齢別人口割合をみると、年少人口 (0- 14歳) 割合が、 14 .6%、生産年齢人口(15- 64歳)割合は、 63. 4%、老年人口 ( 65歳以上)割合は、 21 .9%となっ ており、少子高齢化の傾向は全国的なそれと変わり ないが、それでも全国や県の水準を下回っている点 は恵まれた環境といえるだろう 。 産業構造をみてみると 、県下有数の商工業の集積 地域であり、県全体と比較しでも第 2次産業、第 3 次産業の比重が高くなっている 。 次に、行政基盤としては、岐阜県が公表してい る 「市町村財政比較分析表(平成 1 9年度普通会計決 算) J によれば財政力指数が0. 94、経常収支比率が 88. 8%、実質公債費比率が 10. 1%となっており、い ずれも類似団体の平均値と比べ同等か惑い数値と 図表9 大垣市の概要 人口 ( 2 0 0 9 .1 ):162, 079人( 男78, 704人 女8 3, 375人) 世帯 ( 2009.1):58, 839 面 積 :206.52附 年齢別人口割合 (2005) 年少人口 14.6% (岐阜県 14.5% 全国 13.7%) 生産年齢人口 63. 4%( 岐皐県 64. 4% 全国 65.8%) 老年人口 21.9% (岐皐県 21.0% 全国 20.1%) 就業人口割合 ( 2005) 第 1次産業 02.0% ( 岐阜県03.7%) 第 2次産業 35.3% ( 岐阜県 34.7%) 第 3次産業 62.7% ( 岐阜県 60.9%) 財政力指数 ( 2007)・ 0.94(類似団体内平均値 : 0 . 9 6 ) 経常収支比率 (2007) ・88.8%( 類似団体内平均値 85. 2) 実質公債費比率 ( 2007):10. 1% (類似団体内平均値: 1 0 .1 ) 地域自治区 旧墨俣町の区域が「墨俣町地域自治区J 、 旧上石津町の区域が「上石津町地域自治 区j とな ってい る。 、岐阜県 『 人口動態統計調査j、 ( 出所)総務省 『 国勢調査J 9年度普通会計 岐阜県 『 市町村財政比較分析表(平成 1 決算 ) j なっているが、県内の他の市町村に比べれば、商工 業の集積する大垣市の財政力は格段に豊かで、あると 創立時のメンバーは、ジュニアリーダ一、シニア 言っていい。公債費率にしても市債を抑制してきた リーダーといった子供会 O Bのリーダー達とフォー ことから今後減少に向かう予定である 。(図表 9) さらに、市においては、 2006年 9月には 「 大垣市 行政経営戦略計画」 を策定し、民間活力の導入など クダンスやフォ ークギターなどの趣味のサークル活 動をしていた青年たちであった。会員数はわずか 5 -6名での船出であったという 。 を柱とした行政改革、行政経営に努めている 。 また、 その背景としては、全国的にみれば、全国組織で 同時に 「かがやきライフタウン構想 J 、 2008年 3月に ある日本レクリエーション協会が戦前(厚生協会) 0年間 は 「大垣市第 5次総合計画」を策定し、今後 1 からの歴史を持ち活動していたのだが、地方のレ の将来構想を掲げている 。 クリエ ー ション協会は、 1970年 ( 昭和 45年頃)から、 これ らの計画・構想等で共通しているのは、今後 全国的に余暇活動、 レク リエーション活動が盛んに の市政を支える大きな視点として市民と行政の連携・ なったことを背景に創設が増えるようになったこと 協働を重視している点であり、そのために生涯学習 がある 。 1972年 ( 昭和 47年)に発足した大垣レクは や市民活動のさらなる発展を目指している点である 。 その先駆者的存在である 。 このような大垣市の姿勢は、市民活動を大きく後 また大垣地方についてみてみると、 1970年代当時、 押しするものとして評価できょう 。逆にいえば、行 大垣市は紡績業などが盛んで、県外から多くの勤労 政が市民の自治力に大きく期待する背景には、行政 青少年が集まってきてい た。そういう青少年たちの が推進する以前から市民活動が盛んな土壌があった つどいの場としても必要だった。 こうした青少年を ためともいえる 。大垣市 レクリエ ー ション協会はそ 対象に旧市立大垣第一女子高校 ( 定時制・昭和 39年 うした歴史ある市民活動グループの 1 つである 。 年間校)や大垣女子短大もこの頃創ら 開校、平成 2 4年開校) れた。(昭和 4 ( 2 )NPO設立の背景と経緯 大垣レクは 2 0 0 2年(平成 14年)8月に NPO法人化 されたが、団体としての歴史は古く、 1972年(昭和 47年)に遡る 。{ 住3) また大垣レクが指定管理を受けている大垣市青年 昭和 39 の家 ( 以下、 「青年の家」 という 。)も 1964年 ( 年)に設立されている 。 その後、市内の多くのスポーツ団体や文化団体も 人間文化・ 25 指定管理者制度にみる社会教育施設と NP Oの連携についての一考察一側大垣市レクリ エーション協会の事例を通じて 参加し、その事業内容もレクリエーションから福祉、 2.組織と財政について 国際交流、生涯学習など多彩なものに発展して今日、 ( 1 )組織 会員数は大垣レク自体だけで 2 5 0名程度、加盟国体 0 0 名程度の規模までに発展した。 を含めると 9 では、次にその NPO法人の概要についてみてい 0) くこととする 。 (図表 1 図表 1 0 側大垣市レクリ 工ーション協会の概要 設立年:1972年 登記年月日:2002年8月1 2日 会長:加 藤 茂 理事長:和 国 耕 治 事務局長 :高橋美和子 正会員数:900人団体会員数 26 専従スタッフ数 :5名 非専従スタ ッフ数:1人 000円、 会費 :正会員、活動会員、賛助会員:個人 2, 団体 5, 000円 主要構成メンバーの年代:20 代 -60 代 活動地域 ・活動場所:大垣市見取町大垣市青年の家、 大垣市内社会教育施設、社会 福祉施設 0 : 0 0-20:00( 火曜休) 活動日 ・時間帯:1 会報名:大垣レク通信(季干I J ) 活動目的 : この法人は、レクリエ ション活動の普及振興を図り、 地域住民の健康で明るい豊かな生活の形成、青少年 の健全育成友びまちづくりの推進に寄与することを 目的とする 。 活動内容: ¢福祉・保健レクリ工 ション推進事業 ②生涯スポーツ・健康づくり推進事業 ③生涯学習支援事業 ④まちづくり支援事業 ⑤文化・芸術振興事業 ⑥ネイチ ャ レクリ工 ション事業 ⑦地域指導者支援事業 ③生涯学習指導者派遣事業 ①地域活動団体支援事業 @指定管理事業(大垣市青年の家) 最近の主な事業実績: H19年度 レクリヱーションインストラクター ( 市民 30回、 1500人)、福祉レ 活動)養成講座 ( クリエ ーションセミナー (4回 、 300人)、 親子ファミリー教室・美濃っ子 (月1回 1, 000人)、クラブゅうスポ ーツ ( 月2回、 1000人) 、 講師派遣 ( 2 0 0回)、安全管理 4回1 00人) 、 健康セミナー ( 10 セミナ ( 回200人) 行政・企業との協働事業実績: H16-子どもの居場所事業、H17-家庭教育支援総 合推進事業、H19-指定管理事業 ( 大垣市青年の家) (出所)鮒ぎふ NPOセンター 『 岐阜県 NPO法人ガイドブッ クJ( 2 0 0 8年)に一部時点修正 役員は会長、副会長のほか、事務局 ( 理事長、副 理事長含む)、各委員会委員長、監事、顧問などか ら成る 。役員 は無報酬である 。事務局長は青年の家 所長でもある 。 事務局は専従 (有給スタ ッフ)は 5名、うち正職 員 3名、パート 2名。非専従(ボランティアスタッ フ)が l名の計 6名の体制である 。 特筆すべきは、大垣レクは、法人化以前から、ほ ' 1 現在の組織体制が整っていたことである 。そのた め法人化への移行もスム ーズであった。 組織は、理事会のもとに、人材開発委員会、広報 委 員 会、 生 涯 ス ポ ー ツ ・ 健 康 づ く り 委員会、ネイ チャーレクリエーション委員会、福祉レクリエー ション委員会、文化芸術委員会などの各委員会が置 かれている 。事業の多く は、この委員会別に行われ る。担当制の採用と 言 っていいだろう 。 理事会は月 l回のペースで開催されている 。各委 員会 も基本的には月 1回、事業の多いときは複数回 開催されることもある 。 会員の種類としては正会員、活動会員、賛助会員 があり、それぞれ団体会員、個人会員の区別がある 。 5 0名 会員数は前述のとおり、大垣 レク 自体だ けで 2 程 度。 そのうち正会員は 1 2 0名程度。正会員とはス タッフ側として活動できる会員を指し、活動会員 と はサービスの受給者を指す。 同体会員 ( 参加団体) は2 0 0 9年 7月現在 2 6団体ある 。 会 員 の 属 性 と し て は 、 年 齢 は1 0代 - 8 0代まで、 性別としては女性が多いが老若男女を問わず集まっ ている 。事業は青少年向けも多いが、会員は大人の 世代である 。居住所別では、大垣市と近隣の西濃地 域在住の住民がほとんどである 。 ( 2 )財政 財政規模は指定管理者を受けてから 3 . 100万円ほ どであるが、うち、指定管理料が2 . 5 0 0 万円ほどで 0 0 万円ほどが自主事業分である 。 あり、それを除く 6 指定管理者になる以前は 9 00 万円ほどの財政規模で あった。現在は指定管理者として実現できている事 業も あるため、 6 0 0 万円ほどにな っている 。 繰越金を除き、あとは会費収入と事業収入がほと んどである 。事業収入はほぼイ コール事業支出であ る。 ( 指 定管理事業として、 施設管 理 事 業 (施設管 26 ・人間文化 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPO の連携についての一考察ー側大垣市レクり 工ーション協会の事例を通じて 理( 宿泊)、施設利用、自動販売機)は収益事業となっ いわいキャンプ m サマー及び m ウインター」 など ている 。) カ宝ある 。 他に助成金収入があるが、助成金の相手としては、 これ らの事業は、いずれも、指定管理を受託する 図、市、大垣市青少年育成財団、日本レクリエーショ 以前から大垣レク従来の主要な事業であった。多彩 ン協会などである 。 な事業を展開する大垣レクの事業の中で、これらの 事業が、指定管理事業 として選定された理由は、 市 3.主な事業 について 大垣 レクは、平成 1 9年度 より 大垣市が青年の家に指 側の条件として、 「青年の家」 の運営管理というこ 定管理者制度を導入した ことに伴い、 公募に手を挙げ、 ること、有資格者の設置が望 まし いこと などがあっ 審査の結果、指定管理者を受託する ことにな った。 ( 写 たためである 。 とから、 青少年育成をメインにした事業を展開でき 次に、教育委員会等委託事業(国事業あるいは市 真1) この結果、現在、大垣レクで恒常的に行われてい 単独事業含む)としては、「パパママのための乳幼 る事業は、指定管理事業、教育委員会等からの委託 児救急法」、「 三 四郎おじさんの絵本ライブ」、「お母 事業、 NPO独自 事業に区別 され る。 まず、指定管理事業としては、青年の家の施設管 さんのためのクッキング教室」、「おしえて!遊びの 名人さん」 などがある 。 理業務を除き、 「レクリエーション ・ インストラクター これ らの事業は、文部科学省の「地域子ども教室 養成講座 J( 写真 2) 、「 青少年レクリエーションボラ 推進事業 JI 刷) や「 家庭教育支援総合推進事業 JI 白 } ンテイア養成講座」、「日本赤十字社救急法救急員養 の助成対象事業となったものである 。 (写真 3) 成講習会」、「 子どもクッ キング教室」 、「ちひ、っこわ 文部科学省では、近年の地域社会における、近隣 住民間の連帯感の希薄化や青少年の問題行動の深刻 化、子どもたちの安全 ・安心な遊び場の不足、青少 年の奉仕 ・体験活動の不足、スポ ー ツに親しむ機会 の減少、多様な文化体験活動に触れる機会の減少等 に危機感を持ち、それらの課題に対応するため、地 域の教育力の再生を図る様々な政策を展開し、今日 に至っている 。 「平成 1 7年版文部科学白書一教育改革と 地域・ 家 庭の教育力の向上一J( 文部科学省.2 0 0 5年〕では、 そうした凶の 「 地域の教育力の向上に向けた取組」 について大きく以下の 8つの政策を打ち出している 。 写真 1 大垣市レクリ工ーション協会がある大垣市青年の家 f地域子ども教室推進事 ① 地域教育力再生プラン ( 写真 2 指定管理事業の一つ-レクリ工ーシヨン・インスト ラクター養成講座 写真 3 文部科学省の助成事業の一つ・「美濃つ子あそびの日 J 人間文化・ 2 7 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPOの連携についての一考察ー絢大垣市レクリ エーション協会の事例を通じてー 業」など) ②子 どもの安全・安心な屑場所づくりの支援一地域 資金の財政的パックアップがあることによって、よ りその事業を戦略的に実施できるか否かである 。 の大人の力を合わせてー ③新子どもプランの推進 N 考察 ④教室等学校施設の開放 ⑤地域におけるボラ ンティア活動の推進 ⑥社会教育の振興による地域の教育力の向上 ⑦ スポ ー ツの振興による地域の教育力の向上 ( f総 合型地域スポーツクラブ」など) f文化体験 ③文化振興による地域の教育力の向上 ( プログラム支援事業」など) こうした政策の流れの中で前出の 「 地域子ども教 1.指定管理者制度の成果と課題 ( 1 )成果 第 2節でみてきたように、 一般的に幾つかの点で 指定管理者制度に期待されている効果がある 。そこ Iからみた には大きく行政側からみた効果と N P O似J 効果があるといえる 。 「 行政コストの削減 Jや 「民による質の向上、効 室推進事業」や 「 家庭教育支援総合推進事業jが実 率化」は行政側からみた効果である 。 施されてきたのである 。言い換えるならば¥これを 亘レクの場合はどうであろうか。 大I 機会に、より地域でこれらの政策を担う市民団体や まず、 「行政コストの削減Jでは、特に人件費の 地縁団体等の存在が重要なものとしてクロ ーズアッ 点で顕著に現れている 。市直営の時は、市職員が 3 プされてきたといえよう 。 人とパートが 2人であった。管理職が置かれていた そして、この政策の流れは、例えば 「 地域子ども ので人件費が高かった。それを圧縮して指定管理者 教室推進事業」は 「 放謀後子ども教室推進事業」 と に移行されていることから、行政コストの削減が達 形を変えつつも、基本的に、現在も引き継がれている 。 成されている 。 最後に N P O独自事業としては、 「クラブゅうす 、「チャレンジ ・ ザ・ゲーム審判養成講習会」、 ぽ一つJ 次に、 「 民による質の向上、効率化」では、こち らも指定管理者になって以来、利用者は右肩上がり 「 健康づくり笑践セミナー 」、「夏祭り盆踊り太鼓教 8年度と指定管 になっている 。指定管理以前の平成 1 写真 4 )、「福祉レクリエーションセミナー 」 室 J( 0年度の数字を比較すると、 理 2年目となった平成 2 などがある 。 これらも時によっては、同等の助成対 4 万に、利用料金収入は約 利用者は約 7万人から 1 象事業となりうる 。 以上の区分は、 言 うなれば、公的資金との関係で 2 0 0 万円から 4 00 万と倍増した。 宿泊も 5 9 件(17 56 名) から 7H 牛(18 0 0名)と増加している 。 1 3 5 0円という 区分したものであるが、もとより N P O側にとって 廉価な宿泊料のため、市内からは少年団体、スポー は、事業の重要性と公的資金の有無には関係がない。 ツ少年団、ボウイスカウト、子供会、県外からは高 いずれも N P Oにとっては重要な事業である 。 N P 校、大学の運動部(野球、ソフ トボール、ホッケ一、 O倒J Iにとって重要 なのは、前節で述べたように公的 相撲部など)の利用が多い。 なぜ、このような成果を上げることが出来ている のか理事長に尋ねると、やはり、積極的な広報活動 やサ ービスの向上に努めているとのことだ‘った。 広報手段としては、独自に 「 大垣レク通信 j とい う広報誌 ( 季刊)のほか、市の広報誌や W ebサイ トに掲載されたり、地元ケーブルテレビで取り上げ られたりする ことが多い。 (=パブリシティ )ただし、 これらの媒体は、他の団体との兼ね合いもあり、毎 回、固定というわけにはいかないが、そのほかにも 積極的に市内のスーパ ーや郵便局、図書館、地区セ ンタ ー、小学校等で、チラシ等を配布している 。 5団体から 特筆すべきは、大垣市では、 N P O等 1 写真 4 NPO独自事業の一つ・「夏祭り盆踊り太鼓教室J 28 ・人間文化 成る大垣市家庭教育推進協議会をつくり、個々の団 指定管理者制度 にみる社会教育施設と NPOの連傍に ついての一考察一側大垣市レ ク リエーショ ン 協会の事例を通じて 体が個々に P Rするよりも、協議会とすることによ 公共性・公正性に対する強い認識が必要となる 。過 り、市のパックアップを受け、学校で親が集まるよ 失や事故があった場合には指定管理者はもちろんの うな機会 ( 入学式、家庭教育学級等)で P Rしてい こと行政の法的責任は免れない。受託者側には公的 ることである 。 責任が伴うことの強い自覚と認識が必要である 。 また、サービス面でいうと、以前の青年の家は参 加者も少なく、事業も形骸化 していた。 次に、 「 施設機能の弱体化への危倶JI 民間に委ね ることのリスク J I民間団体や民 間事業者の脆弱さ 」 以前の事業は、青年教養講座 ( マナ ー、グル ープ といった民間への懸念であるが、これらの点につい I 体験、税・選挙講座、 コミュニケーション、医療、稲毛t ては、大垣レクの場合は意識的にクリアするように クッキングなど)やスキ ー合宿、キャンプなどであっ 努めている 。 た。 最盛期には毎回 3 0名程度が参加していたが近年は 数名程度しか集まらなかったという 。 例えば、 「 民間に委ねることのリスク 」 として挙 げられている個人情報保護や防災対応などは NPO としても従来から厳重に留意していることである 。 また、指定管理者以前は、自動販売機一つ置いて 1 : 1 ] 事業者の脆弱さ 」 は、多 また、 「 民間団体や民 1 いなかった。公の施設の場合は目的外使用許可がい くの NPOが抱える課題であるが、大垣レクでも N るからである 。 しかし、利用料金制が採用されてい る今日、自動販売機による収入も貴重な財源の一つ ひとりの創意工夫で施設をきれいにしている 。行政 P O化してからは、税理士に会計を委託し、指定管 理を受けるだけの態勢を整えた。指定管理者の受託 を目指すような NPOにとってはこのような体制整 備は必要不可欠なものといえよう 。 そして、 「 施設機能の弱体化への危慎」 として専 門性や関係機関との連携の弱体化が懸念されていた が、この点については大垣レクの場合、まったく、 ν 直営のころよりきれいになったとの声も多いという 。 てはまらない。むしろ逆にメ リットの方が大きい。 である 。 その他にもメンテナンス(修繕)や清掃も行き届く ようになったという 。行政が運営していると、飾り 一 つ置くのも自由度がない。しかし、現在は職員 一人 次に NPO側からみた効果であるが、その最大の というのも、元々、大垣レクは青年の家を拠点にし ものは、従来、 NPOでやってきた事業を指定管理 ており、行政より専門的なノウハウの蓄積もある 。 事業として、財政的な裏付けのもと、青年の家を利 そして従来から、関係機関と連携した事業を多く実 用して実施できる点であろう 。つまり、 NPOにとっ 施してきていることから、その方面の心配は皆無な ては自らのミッションを公的に、しかも財源付きで のである 。 その他、理事長が感じている謀題について尋ねる 実現できる機会を得ているということになる 。 また、頑張れば頑張った分だけ利用料金制により と、指定管理の受託は更新制であり、未来永劫では 収入を得ることができる点や、指定管理料により、 ないため、次に指定管理を受けれるかが当面の課題 専従 ( 有給)スタッフを置くことができた点などは という 。指定管理者は高いサ ー ビスをいかに低いコ NPO側からみた成来、指定管理者制度を受けたこ とによるメリッ トといえる 。 ストで実施できるかが問われている 。委託料は毎年 変わらない。 その中で最大限の努力をしなくてはならない。現 ( 2 )課題 それでは、諜題はどのような点であろうか。 まず、第 2節でみてき たような「一般的な懸念」 が謀題として考えられるが、大きくは公共性の面か らの懸念と民間企業・団体それ自体への懸念の 2つ があろう 。 「公共性・公正性の担保」ゃ「公的責任の後退の 恐れj などは公共性の面からの懸念である 。 これら に関しては、改めて言うまでもないが、指定管理者 を選定する側の行政側 と受託者側の NPO等双方に 在 、 利用者や宿泊者は増加の一途にあるが、まだま だ宿泊者数を伸ばせると理事長はいう 。 2 社会教育施設を NPOが担うことの意義 最後に、社会教育施設と NPOの連携の意義を改 めて考えてみると、そ こには単なる施設の管理者と してではなく、新しい公共、地域づくりの担い手と しての面に NPOならではの役割が期待されている といえる 。具4 本的には 2点ある 。 1つには政策の担い手としての役割である 。 9 人間文化・ 2 指定管理者制度にみる社会教育施設と NPO の連携についての一考察ー絢大置市レクり工ーショ ン協会の事例を通じてー 大垣 レクは指定管理者を受ける以前から、特に家 以上、指定管理者制度 を中心 に、社会教育施設と 庭教育や地域教育に資する事業を提供してきた。そ NP Oの連携について考察してき たが、その究極の 目標は、市民が社会教育施設を拠点にして、学習 の代表的なものは大垣市家庭教育推進協議会の一員 としての活動であろう 。 大垣市家庭教育推進協議会とは先に述べた国の 「家庭教育支援総合推進事業」の受け皿 として平成 し、活動し 、そこか ら発展した 地域づくり、ひいて は積極的な市民参加 ]による新たな公共、市民社会を つくっていく ことにある 。 1 7 年に大垣市に官民一体となって創設された協議会 指定管理の受託者は、そうし た市民社会へ向けた である 。事務局は市教育委員会生涯学習課に置かれ 環境づくりを 可能 とする者でなくてはならない。そ 3団体の委員で構 ているが、市内の子育て支援団体 1 れには、長年、地域の中にあって、行政の動向にか 成され、それぞれの団体において 「 子育てサボ ー かわらず地道に市民活動を継続してきた大垣 レクの ター」事業や「各種子育て支援講座」などの事業を ような市民団体が望ましい。 展開している 。 しかし、今日 、多くの NPOは、経営的な諜題を 抱えている 。 NPOの自立を巡っては本稿でも触れ ここで、重要なのは、この協議会自体は、国の施 策を契機に発足したが、大垣市内には元々、そうし たが、様々な議論がある 。筆者は日本の「民による た政策を担うだけの市民団体が多く存在し、行政と 公益の確保Jのためには N P O法改正など抜本的な は関係なしに、自らすでに活動していたという土壊 制度改正が必要だと考えるが、そのことについては 稿を改めたい。 があったという点である 。大垣 レクはその代表的な 団体といえる 。大垣レクをはじめ、多くの社会教育 ただ、制度や政策がどう移り変わろうとも、民に や文化団体が青年の家を拠点に活動してきた。それ よる公益は必ずいつの時代にも存在してきたし、ま ゆえに、行政から政策の担い手として要請されても、 た維持されなければならない。そういった意味にお スムーズに受け入れることが可能で・ あったし、逆に いても、 N P O法施行以前あるいは文部科学省など 行政からの補助金が切れても、自分たちの活動をや の施策以前から、長期にわたって地域に立脚した活 めることはないのである 。 動を持続してきた大垣レクと、そうした N P O等市 2つには中 / l 1 J支援団体としての役割である 。 民活動団体を最大限に生かした政策を推進している 大垣レクには、個人会員のみならず、多くの団体 大垣市のあり方には、改めて N P Oのあり方、ある 会員が加盟しているが、それのみならず、 N P O設 いは N P Oと行政の協働のあり方に、多くの示唆を 立当初から定款に誕つであるのは、小さな団体への 与えてくれているものといえよう 。 支援すなわち中間支援である 。 大垣レクでは、体育連関 ( 協会)や文化連盟 ( 協会) に入っていないような市民団体の支援を行っている 。 例えば、多くの小規模 N P Oは、補助金申請のノウ ハウ等を知らない。 また個々の活動では広報活動も [注] 注 1 N P Mとは、民間企業で活用されている経営 理念や手法を、可能な限り公的部門へと適用 することにより、公共部門のマネジメントの 弱い。まとまることで、 P Rできることも可能となる 。 革新を図ろうとする新しい公共経営の総称。 また財政支援の面からみても、大垣市には、 N P 注 2 制度の目的とは、例えば 「 競争の導入による O法人でなくても、すばらしい公益事業を行 ってい る市民グループが多数存在する 。そういった活動へ 公的資金がいく仕組みが必要である 。 前述のとおり、 公共サービスの改革に関する法律 J( いわゆ )の第 3条における改 る 「市場化テスト法 J 大垣市では家庭教育推進協議会をつくって、 全体で 革の基本理念 i (公共サ ー ビスの )実施につ いて、透明かっ公正な競争の下で民間事業者 事業を受託して公的資金を配分するような仕組みを の創意と工夫を適切に反映させることにより、 とっている 。 国民のため、より良質かつ低廉な公共サ ービ 個々の N P Oが自分たちの N P Oのことだけ考え ていては地域づくりとは言えない。地域に必要な N スを実現することを旨として、行うものとす P Oになるためには、 N P O同士が述携していくこ とにより大きな力となることができる 。 地方自治法第 2 4 4条の「公の施設の設置の目 30 ・人間文化 る。 」 あるいは、指定管理者制度については、 的を効果的に達成するため必要があると認め 指定管理者制度にみる社会教育施設とNPO の連携についての一考察ー絢大垣市レクリ工ーション協会の事例を通じてー るときは J 、指定管理者に施設の管・理を行わ て支援団体等との連携による家庭教育支援の せることができるといった規定を指す。 充実を図るため、子育てサボータ ーの資質向 注 3 以下の内容は 2 0 0 9年 6月- 7月にかけて筆者 上を図るリ ーダーの養成や、親等が参加する、 が行った和田耕治理事長、高橋美和子事務局 様々な機会を活用した家庭教育に関する学習 長への ヒアリング調査による 。 機会の提供など、家庭教育支援のための総合 注 4 地域子ども教室推進事業・ ・ ・ 平成 1 6 年度から 3ヵ年にわたって実施された文部科学省の事 業。子 どもたちに関わる 重大事件の続発など、 青少年の問題行動の深刻化や地域や家庭の教 育力の低下等の緊急的諜題に対応し、未来の 日本を創る心豊かでたくましい子どもを社会 全体で育むため、学校等を活用して 、緊急か つ計画的に子どもたちの居場所(活動拠点) を確保し、地域の大人の協力を得て、安全管 理員 ・活動アドバイザーとして配置し、子ど もたちの放課後や週末におけるスポーツや文 化活動などの様々な体験活動や地域住民との 交流活動等を支援するという 内容。現在、そ の事業の趣旨は「放談後子ども教室推進事 業」に引き継がれている 。 6年度か 注 5 家庭教育支援総合推進事業..平成 1 ら創設された文部科学省の事業。行政と子育 的な取組を推進するという内容。 [参考文献] 2 0 0 9年 ) fN P0は公共サービスを担 l . 後房雄 ( えるかj 法律文化社 2 0 0 7年)[ "指定管理者制度と社会教 2 服部英 二 ( 育施設」山本恒夫、浅井経子、渋谷英章編 『 生 涯学習論j 文憲堂 3 文部科学省 ( 2 0 0 5年H平成1 7年度社会教育調査j 4 佐藤晴雄 ( 2 0 0 7年) 生涯学習概論j学陽書房 2 0 0 7年 ) 平成 1 8年度市民活動団体基 5 内閣府 ( 本調査報告書 ( 特定非営利活動法人と官のパ ー トナー シップに関する基礎調査) J 2 0 0 6年) fN P0が 自立する日一行 6 田中弥生 ( 政の下請け化に未来はない J日本評論社 7 文部科学省 ( 2 0 0 5年 ) 平成 1 7年版文部科学白 書 教育改革と地域 ・家庭の教育力の向上-J r r r Comment 長縄良樹 中部学院大学 指定管理者制度が導入されて 6年余りが経過した。 そして、極めて少ない成功事例のーっ として( 特) 大垣 各地方自治体では最初の指定期間が終わり、 2回目 市レクリエーション協会の事例を取り上げ、その成 の契約に入っているところも多いことだろう 。この問、 果と諜題について考察している 。 自治体財政は、 制度が導入された当時より 一層その 横山氏は、 ( 特) 大垣市レク リエーション協会の成功 深刻度を増しており、指定管理者へ委託する財源さ を、指定管理者制度以前から地域に立脚して活動を え枯渇の危機に瀕している自治体も少なくない。 してきた市民活動が基盤にあったためと分析する一 方、諜題として行政と NPOの協働を巡る議論を取 また、自治体財政の中でも、社会教育分野への予 算削減は、一層進んで、いるものと推察される 。逆に 言 えば、社会教育分野は、行政の関与が少なくとも、 り上げている 。 指定管理者制度や協働のル ールづくりはまだまだ NPO法人など民間活力の導入によって代特が可能 だという行政側の認識が顕著になってきている現れ 発展途上にあるように思える。当論文で取り上げら れた( 特) 大垣市レクリエーション協会の成功事例は、 ともいえよう 。 もちろんこうした社会教育分野への 行政関与 の縮小を危ぶむ関係者も少なくない。 そうした制度の構築への一助となるであろう 。 s そして 、横山氏が、 当該 NP O法人をただ歴史あ 横山氏の論文は、こうした地方自治体の財政難と る社会教育団体として捉えたのではなく、新しい指 社会教育行政の衰退という 二重の危機に対し、指定 定管理者制度、協働という 制度の中 で捉え直し、そ 管理者制度を社会教育施設と NPOの連携 という観 の存在意義を再定義したことにこそ、当論文の意義 点から改めて肯定的に捉え直したものといえよう 。 があると思われる 。 人間文化・ 3 1 研究ノート 「雷鋒に学ぼう」運動に関する考察 肖伯、 人間文化学研究科 はじめに 2 0 0 8年は、中国の 「ボランティア元年」 といわれ いる運動である 。 こう表現すると、ボランテイアと は関係ない政治的に作られた運動ではないか、とい る年である 。前代未聞の災害 とな った四川大地震が われるかもしれない。たしかに、それはそのように 発生後、全国から多くの人々が、「被災地の苦 しみ 6年の問、社会の変動とともに、 始まった。そして、 4 は同じく私のもの」の思いを抱えて、被災地に駆け 政治指導者の思惑や社会の荒波にさらされ、雷鋒と 付け、救援活動に励んだ。その直後のオリンピ ック いう人物像、運動の主 宵や形は何度も変わ ってきた。 では、さらにボランティア活動が高 まった。統計 に それがゆえに、ほとんどの歴史学者、政治学者がそ " 首 1鋒に 学 ぼう 」運動 よると、北京オリンピックやパラリンピックの 1 1 0、 の政治的意味に関心を注ぎ、 0 万人 (申込み者は 1 0 0万人を超えた )のボ 合わせて 1 を研究してきた 。 5しかし、新中国が発足して以来、 ランティアが各会場内外でサービスを提供した。 こ 同じように数多くの 「 模範人物」が取り上げられ、 れらのボランティアについては、日本のマスコミで たくさんの政治運動が行われてきたが、 雷 I U 華以外は も報道されることがあり、多少知られている 。 しか 皆否定され消滅したのに対し、この「雷鋒に学 ぼう 」 4 0 何年後の今日もなお続いて、社会に し 、 実 は中国におけるボランテイアの開始と広がり 運動だけが、 がも っと早い。 影響を与えているのである 。 それはなぜだろうか。 すでに 2 0世紀 9 0 年代の初め頃から、数多くの学生、 サラリ ーマン、退職者などが、日常的、あるいは休 このことは、 「雷鋒に学ぼう 」運動を政治運動より、 民衆的運動と見なすべきことを示唆していると、私 暇中に、青年ボランテイア lや社 区 ボランテ イア 2 は考える 。 4 6年の I I i]、民衆がず、 っ と主体となって、 として、貧困扶助、教育支援、環境保護などの活動 活動に取り組んできた。運動の主 旨や形は何度も変 に取り組んできたのである 。統計によると、 2 0 0 8年 わったものの、パックボー ンである 「無私の心で人 までに、青年ボランテイア活動に参加した延べ人数 に奉仕する Jという 「雷鋒精神」は変わ っていない。 は 、3 . 8 2 億人 入者 1 I 市に 主 にある社区ボランテイアは、 その「雷鋒精神」 こそ、まさに今日中国で起こって およそ 3 0 0 0万人 4であ った。 2 0 0 8年は、国民意識を いるボランティアブームを裏付ける精神的ベースと 高揚させる大災害 とオリンピックが同時に起こ った 言 っても過言 ではないと思うのである 。 ことによって、いっそうの 「ボランテイアブーム 」 というような展開が生じたのだ。 ここで、この 4 6年間を以下のように 三つの時期に 分けて、後の第二章 から第四章までで、 「雷鋒に学 この 「ボランティアブーム 」を裏付けているのは、 ほう 」運動に関する政府のかかわり方と民衆の受け この十年間持続している経済発展であることは言 う 入れ方および社会への影響とい った視点から分析し までもない。 しかし、中国社会はこの欧米生まれの てみる 。 「ボランティア文化 j をすんなり受け入れ、開花さ 助 ける余裕ができた 」というだけでは解釈できない。 l 活動が開始される 1 9 6 3年 0年代末 る7 2 改革開放後 -8 0 年代末 実はこの 「ボランテイア文化」の土壌形成には、現 3 本格的に経済成長期がはじまった 9 0年代の初め せたにはただ 「 経済的に豊かになった中国人が人を 代中国政府の政策が深く関わっている 。小論で、 は 、 文化大革命が終了す 現在 その全般を論じる ことはできないので、 一人の人物 を象徴にした運動をとりあげ、今日の「ボランティ アブーム 」の基擦をなすボランティア精神との関係 を論じたい。 その人物は雷鋒、中国人なら、彼の名を知らない 第一章冨鋒とは まず、第一章では、手に入る限りの本や資料 6を 参考して雷鋒とはどんな人物なのかを、簡単に説明 する 。 人はいない「一生を善行に捧げた j模範青年である 。 この雷峰をシンボルにした「雷鋒に学ぼう 」運動は、 1.生涯 6 0年代から当時最高指導者である毛沢東によって提 唱され、 4 6年を経った今も続いて全国的に行われて る貧しい農家に生まれ、小さい時両親と死に別れて、 32 ・人間文化 雷鋒は 1 9 4 0 年 、 湖南省長沙市望城県の簡家塘にあ 「 雷鋒に学ぼう」運動に関する考察 7歳で天涯孤独の身になる 。 新中国が成立後、学校教育 ある時、雷鋒は出張途中で 山東から吉林省に夫を 訪ねる女性にであった。その女性は切符と財布を無 を受け、 1 7歳で共産党の青 くしてしまって途方に暮れていた 。すると、彼は吉 年団に入団した後は、工場 林までの切符を買い、彼女に波した 。女性は感激の や農場でボランティア活動 涙を流しながら名前と職場を尋ねた。すると、 雷鋒 に励み、 1 9 6 0年 1月に人民 は 「 私は解放箪と申す、中国に住んで、いる j と答え 解放軍溶陽部隊に入隊。入 たという 。 隊3年で 2等 I回 、 3等 3 回の功績を立て、平凡な持 ち場にあって非凡な業績を 写真 1-1 雷鋒 7 あげる 。部隊は彼を自動車 兵に配置、操縦技術の研究 に力を注ぎ、類稀な自動車操縦士となる 。班長に就 任後は大胆な管理によって模範的リーダーを務め、 9 6 2年 8月1 5日 、 班を部隊の中の先進チ ームに導く 。1 輸送任務を執行中に殉職、享年 2 2 歳。 模範兵士とされた彼は生前数多くの誇行を積み、 自己犠牲と節約に基づき 、集団を愛し、戦友や民衆 に関心を注ぎ、 「自己の利益を顧みず、人のために 尽くす」 ことを人生最大の幸稿と快楽とし、白らが 先陣を切ってそれを真剣に実践した 。 また食事を節 約して貯めた貯金を被災者に寄付し、経済的に困難 な戦友にわけあたえた。かつて学外指導員 を担当し た際には自らが模範となる行動を示し、少年たちの 健全な精神育成に影響を与えた。彼は謙虚で、慎み深 く、慢心がなく、称賛を受けても宥らず、良い事を しでも名前を告げることはなかった。 ある日、中岡東北部の撫順市が大洪水に見舞われ、 多くの人々が被害を受けた 。そのニュースを聞いた 0 3元を被災地に 寄付 雷鋒は、すぐに貯金していた 2 した 。6 0年代、解放軍の兵士には報酬は給与ではな く、わずかな手当てしかなかった。 この一般の人で も給料の l年分にあたる 2 0 3元は雷鋒にと っては大 金である 。雷鋒は、自分のお金は全て人のために使っ た。そして、自分はジ‘ ユース 一本さえ買わずに質素 倹約な生活を送ったという 。 ある休みの日曜日、首鋒はある工事現場を通った 時、皆がレンガの運搬に忙しく 1 m hいている様子を見 かけた。すると、彼はすぐ現場に入札他の作業員 とともに一輪車を押してレンガを運んだ。 死後、彼が書いたとされる日記が発見され、そこ に記される彼の無私の働きぶりは青年の模範とされ、 「毛主席の好戦士」 など数々の賞を受賞した 。 3. 冨鋒語録抜粋 死後の発表された 『 雷鋒日記jから、もっとも人々 に影響を与えたとされた語録を抜粋してみた。 これ らは、私自身が小学校から高校において学んだ言葉 2.冨鋒が行 った善行 ここでは、今まで語り継がれている、 雷鋒に関す るエピソードのいくつかを紹介する 。 祭日になれば、露鋒は戦友らを連れて駅へ出かけ、 である 。 ム「限りある命をもって、限りなく人のため奉仕 する 」 ム「仲間に春のように温かく接する、仕事に対し 旅行客の増加で対応に忙しい職員の代わりに、駅の ては真夏のような情熱をもち、秋風が落ち葉を 清掃にあたったり、旅行客のお湯を配ったり、荷物 散らすように個人主義を一掃する 」 。 担ぎを手イ云ったりした。 ム「 ねじには二つの長所があり、 一つは 「 折(絞 写真 1-28 ・ 年老いた女性の手を取って道写真 1-39 :自分の靴下を繕いていた。 を渡り 、訪問先まで送ってあげた。 写真 1-4'0:中秋節に自分のお金で月餅 を買い、傷痩軍人に届けた。 人間文化・ 33 「雷鋒に学ぼう」運動に関する考察 り出す) Jで 、 一つは 「 鈷(掘り下げる ) Jである 。 自分の著作である『ワイル ドスワン j にこう 記述し 私たちは勉強に対しでも、この 「ねじ精神」 を ている 。 提唱して、研鐙すべきだ。 」 「 私の生活は、雷鋒一色になった。毎日放課後に ム 「 他人の困難を自分の困難とする、仲間の喜び なると、「雷鋒同志のような善行をする 」 ために、 同級生といろいろなところに出かけた。鉄道の駅 を自分の幸せとする 」 。 ム「もしあな たが一滴の水なら、一寸の土を潤し へ行った こと もある 。雷鋒同志がした よう に、年 たことがありますか?もしあなたが一筋の日差 とった御婦人の荷物を持ってあげるためだ。 ときに しなら、時間を照らしたことがありますか?も は、老婦人の手から力ずくで荷物を取り上げる格好 しあなたがー粒のお米なら、尊い命を育んだこ になった。田舎から出てきたばかりの老婦人が、私 とがありますか?もしあなたが一つの小さなね たちのことを物取りと思って荷物を放さなかったの じなら、自分の役割を果たした ことがあります である 。雨の │ 年る日には傘をさして街頭に立ち、年 か ?J 配の御婦人が通りかかるのを首を長くして待った。 第二章 1963年 -70年 代 末 に お け る 「 富 鋒に学ぼう」運動 1目「雷鋒に学ぼう、人民に泰仕しよう」 1 9 6 0 年代、共産主義社会に達しようとする性急な 「大躍進I I J政策の失敗、さらにその後の 「三 年自 然災害 J12は、民衆による社会主義建設の情熱を破 滅させた。経済困難に陥るため、社会風紀も悪くな りつつあった 。 こういった社会背景を元に、共産主 義の人生観を培う、祖国の富強に貢献する情熱を喚 家まで送ってあげるためだ。需鋒同志がしたよう に。J 1 4 また、当時中学生で、あった陳玉慶 ( 6 1 歳)氏は 「 雷 鋒に学ぼう 」活動をこう振りかえった。 「 われら学 生はよく清掃活動をやった。一時期、わしの中で、 雷鋒に学べ =清掃活動って思うこともあった。同級 5 J という歌を 生たちは並んで、 「学習雷鋒好梼様 1 歌いながら、 一所懸命清掃活動を行った。J16 元箪人であった劉定期 ( 6 0 代)氏は、 「雷鋒は我が 部隊から生まれたヒ ーローだか ら、彼がやった義行 起させようと、政府は思想教育 ( 特に青年に対する ) をおれたちはみんなやりたがっていた。おれも彼に と道徳教育を展開するような政策をとった。 あやかつて、帰省するたび、列車に乗ると、車掌さ 1 9 6 3年 3月 5日に当時国家主席であった毛沢東が んの手伝いをしたり、乗り合わせる老人にお湯を運 「雷鋒に学ほう 」 を提唱し、同年 5月 4日 『 中国青 んだり、女性のために荷物を持ってあげたりしてい たJ17と話した。 年報J13に 「 雷鋒を論ずる 」 という 2万字にも及ぶ 社論が掲載され、全国一斉に 「 雷鋒に学ぼう、人民 このように、当時、学校、軍隊をはじめ、老若男 のために奉仕する 」 というスローガンの下で雷鋒の 女や職業に問わず、 「 毛主席を愛する、雷鋒に学ぶ」 ような善行をするようになった 。 「 雷鋒に学ぼう 」運動は、大躍進政策の失敗で影 運動が全国で嵐の ように展開された。当時の民衆は、 が薄くなった毛沢東が、失地回復を狙って起こした いう、近現代中国の屈辱的な歴史にピリオドを打っ 長年にわたって侵略されたり、戦争に苦しんだりと 6 0 年代から て、独立した国を作り上げてくれた共産党に絶大の 7 0年代にかけて、 「雷鋒に学ぼう 」運動は政治的色 信頼を託していた。従って、政府のどんな提唱や方 針も疑問視せず、素直に無条件で服従していた 。 政治キャンペーンといわれた。確かに、 が濃かった。その頃の毛沢東は神格化され、首鋒は 「毛主席の忠誠なる革命戦士」とされ、英雄視された。 2.r 雷鋒がやったこと、私もやる」 3.文化大革命の 10年 1 9 6 6年から 1 9 7 6年までの文化大革命の問、 「雷鋒 しかし、民衆は「熱愛毛主席」 、所謂毛沢東への 忠誠を誓うことを前提としていたものの、人を助け に学ぶことはただ人々に奉仕するだけではなく、毛 主席の思想を徹底することだ J18 雷鋒同志のよう る、無私的に他人や集団に奉仕するといった雷鋒が に、敵には冬のごとく冷たく無情如く冷たくし 19、 やったことにあやかり 一所懸命活動を展開してい 劉少奇却を打倒する J21のように、 「雷鋒に学べ」運 f ニ。 その雰囲気は当時小学生であるユウ ・チャン氏が 動は完全に政治化され、ひいて党内闘争の手段まで 34 ・人間文化 r になった 。たくさんの知識人が迫害 され、古い人間 f 雷鋒に学ぼう」運動に関する考察 関係、家族の鮮は革命の激動によってずたずたに裂 ちょっとかわった 「 パカ者」を 榔捻する代名詞にま かれてきたこの 1 0年間では、民衆は「人人自危 J( 四六 でなった 。 時中、皆自分の身の安全を案ずる)という境地に陥っ て、政治工具に変身し た「雷鋒に学ぼう 」運動に触 れることを恐れていた。 2.I 雷鋒に学ほう、良いことをしよう J こんな社会背景の下で、 1 9 7 8年 -1979 年にかけて、 「わたしはその頃小学生だったが、学校にもろく A tJ(雷鋒に学ぼ う、新しい 全国で 「 学雷鋒、樹新 J に行かなかった。町中に「雷鋒に学ぼう、 「 三忠」 、「四 風尚を樹立しよう)の活動が展開され、大勢の青少 無限」の戦士になろう」のポスタ ーがよ くみられる 年が公共秩序の維持、清掃活動、利民サ ービスなど が、疑いあう人間関係のせいか、当時の私は 「 雷鋒 の活動に参加した。 1 9 8 1年 3月 5日 、 1 9 6 3年生まれ に学ぼう 」運動から遠ざかった。J2 再び 中国共産党青年部の機関紙 『 中国青年報j で 「 の越永虹氏が こう言 った。 1 8年ぶりに、 雷鋒を論ずる Jという社論が掲載され、 8 0年代にも 雷鋒精神が必要である ことを強調した。そして、各 1978年 -80年代末における「雷 鋒に学ぼう」運動 1 9 7 6年に毛沢東がなくなり、 2年後の 1 9 7 8 年に改 第三章 メディア、行政機関が再び宣伝に力を入れ、各種の 記念イベントや行事を開催した。各中小学校では、 革開放政策が打ち出されたことによ って、 「雷鋒に 定期的に 「 雷鋒精神」を 勉強するクラス会を開き、 「 学 習雷鋒好傍様 23Jという歌を教え、 3月5日や他の 学ぼう」運動の 内実が徐々に変化してきた。 祝日に学生を集めて、社会奉仕活動を行った。行政 機関や普通の企業でも政府の提唱に応じて、 『 雷鋒 1.背景 文化大革命の終了以後、政府は経済の発展を最 日記j を読む、雷鋒に関する映画を鑑賞する、社会 奉仕活動の展開などを行 って いた。 優先させる改革開放政策をとってきた。計画経済か 0年代において、政府がどういう意図で 「 雷 さて、 8 ら市場経済へ と経済体制 を転換し、公有制の絶対化 鋒に学ぼう 」運動を推進するの かを明らかにするた から私有制を奨励する所有制の転換も推進するよう めに、前述した 1 9 8 1年 3月 5日の 『中国青年報j の になった。同時に、国門を開き、積極的に西諸国か 社論を抜粋してみた。 ら資金や技術を導入し、経済特別建設区を設置した。 こうい った政策のおかげで、経済が著しく発展し始 「私たちは 雷鋒同志に学ぶべきだ。彼のように、 め 、 「 万元戸 JI 暴発戸 J(成金)がしばしば出てき 高い志を持ちながら、主人公24の態度で、平凡な仕 たように、民衆の生活も潤い始めた。 しかし、経済 事に真面白に従事して 、国の 四化25建設のために自 の発展を最優先する政府の方針の下で、民衆の間で 分の役割を来たす。工業に従事する青年たちは、で お金向き ) は 「向前看 J(前向き)より 「向銭看 J( という考え方がもてはやされ、皆一斉に金儲けと利 きるだけエネルギ ーの節約、 コス ト削 減や産量の引 益の追求に最大の関心を注いだ。 こんな風潮が横行 は、積極的に科学実験に取り組み、農業生産の発展 他人の利益を損なうまで、 する社会に、 「 損人利己 J( や農村経済の発展に力を尽くすべきだ。部隊の青年 き上げに努めるべきだ。農業に従事する青年たち 自分の利益を確保する)、「金万能論」 を鼓吹し、金 たちは我が軍隊の優良伝統を継いで‘、軍人の素質を 儲けなら何でもする、お金のためなら 「 六親不認」 塙 って、政治、軍事、文化のあらゆる面で知識を吸 ( 親族と縁を切る H反目成仇 J(味方から敵になる ) 収し、国と四化建設を 守る ことに努める 。経済貿易 といった人や出来事が続々と出てきて、家庭倫理観 の領域で仕事をする青年たちは、誠実に商売を行い、 や伝統的価値観が夜され、社会モラルが低下すると 国の物価政策を徹底的に実行して、市場経済の発展 いうあり様だった。 一方、文化大革命が人 I J I J I均係 をずたずたにさせ、 に力をつくべきだ。学生たち は 、「 三好 J26に目指し、 怪! と人民のために学業に励むべきだ。」訂 人々の心に深い傷跡、を残し、民衆の社会建設への情 「私たちは話・鋒同志に学ぶべきだ。彼のように、 熱と積極性を大いに損なった 。かつて皆の憧れで 常に白身の教養と素質を高めるために努める 「 。 公」 あった 「 常鋒」 もだんだん忘れられ、それどころか、 と「 私」、「 個人」と 「 他人」の関 係を正しく維持する 。 雷鋒同志は短い生涯をかけて、 他人が幸せに暮らせ 得をすることをせず、無意味なことをばかりする、 人間文化・ 3 5 「雷鋒に学ぼう」運動に関する考察 るために、たくさんの奉仕活動を行った。私たちは、 「 溺れそうな人を見かけたら、直ちに河に飛び込 「自分の利益を顧みず、 他人に奉仕することを自分 んでその人を救う、上り坂に立ち往生する車を見か の幸せとする 」露鋒精神を学ぶべきだ。 「十年浩劫」 けたら、すぐ押しに行く 。J 4 0 代の呉氏は 8 0 年代の「 雷 鋒に学ぼう Jをこう例えた。 31 が人々を傷つけ、 「 改革開放」 は 「精神汚染」 をも たらし、こういう社会背景の下いるからこそ、私た 同じ 4 0代の華氏は 「あのとき、 r ' 首 l鋒に学ぼう 」 ちは雷鋒に学ぶべきだ。小さいことから、己から、 活動は多様で、清掃活動、植林、独居老人への世話 今から積極的に 「 五講四美 J28活動を展開し、礼儀 など、ごく普通として行った 」 と振り返った。32 ただしく振る舞う、良好な社会習慣を築こう 。j泊 「 一個好漢三個梨 J33、「遠親不如近隣 J34がよく 言われるようになり、お年寄りに席ーを譲る、拾うお 以上の抜粋した社論の内容をみると、政府による 金を持ち主に届くなどの 「 小さな親切 J(これは日 「雷鋒に学ぼう 」運動に関する方針は従来のものと 異なることが伺える 。6 0、7 0年代において、政府は 9 6 3年から始まった 「 小さな親切運動」にきわ 本で 1 めてよく似ている 。いずれも高度経済成長のなかで 「 人民のために奉仕する 」 という側面を重んじたが、 提唱され国民運動になったことが注目される)のよ 社会環境の変化とともに、「需鋒に学ぼう、良いこ 3 5 うなことが自然に行われるとともに、 「 尊老愛幼 J とをしよう」というスローガンの後半である 「良い の従来の社会規範が再び重視されるようになった。 ことをしよう 」 を重ネ見するようになった 。そして、 また、ある雇い主が癌を患うお手伝いさんのために、 雷鋒精神を 「 他人に奉仕する ことを自分の幸せとす 愛 献身的に世話する実話をモチーフに作られた歌 f 的奉献J36が全国で歌い継がれて、人間愛で美しい るJと定義し、青年を初め、全国の民衆を対象に 「 小 さなことから、己から、良いことをしよう 」 と呼び 社会を育てようと植えた。 かけるとともに、 「主人公の態度で、平凡な仕事を 0 、7 0年 英雄的な存在である 「 雷鋒」にあやかる 6 真面目に従事し、現代化建設に役割を果たすよう 代と違って、 8 0 年代に入ってからの 「 雷鋒に学ぼう 」 に」 と提唱し、需鋒の 「ねじ精神」 も強調している 。 活動は、民衆による伝統的道徳や価値観を守り、 「 拝 この主張は、 富山華の名を借りて、主体性をもって他 金主義」ゃ 「 十年治劫」 にさらされ、ずたずたにな 者を扶助するボランティア精神が強調され、それに りがちな人間関係を回復し、 「信頼危機に陥った社 よって社会の再建を測ったものという ことができる 。 会」、「 金持ち臭い社会」を 「 安心に暮らせる、人情 があふれる社会」 へ戻そうということを重んじていた。 それでは、民衆はどう受けとったのだろうか。 r 4 . 身近な、 そして、 「 熱愛毛主席」 という個人崇拝や、 「人民に J J ¥" dなことから」 民衆も 「 拝金主義」の風潮に抵抗して、伝統的な 社会秩序を維持しようと、政府の提唱に応じて、 「 雷 鋒精神」 を復活しようとした。雷鋒も 「 毛沢東の忠 誠なる戦士」から普通の解放軍戦士と見なされ、 「 学 奉仕する 」のような政治色が次第に薄れて、社会的、 現実的かつ民衆的になりつつあることが伺える 。 第四章 90年 代 初 め 現在における「冨鋒に 学ぼう j運動 雷鋒に学ぼう )は、無私の心でほかの人々 雷鋒 J( へ奉仕することを意味するようになり、徐々に 「 人 助け」の代名詞の ようにな ってきた。 施帯林 ( 19 6 6年生 まれ)氏は当時 ( 8 0年代初め)中 学生だった。「あの時、 『 雷鋒日記jという本が流行っ て、中学生なら 1人に 1冊持っているくらいだった 。 よく先生に連れられて、近くの独居老人や障害者の ところに行 って、掃除を したり、演芸をしたりして いた。」彼は高校卒業後、村の魚飼養事業を請け負い、 先んじて富を掴んだ人となった。生活が豊かになっ た彼が、無償に村民に養殖技術を教え、養殖設備の 貸しだしをして、「生きる霞鋒」 と称えられた。却 36 ・人間文化 1 価値観の多様化 9 0年代に入札経済体制や社会構造における改革 をさらに推進されていくとともに、人々の生活がま すます豊かになってきた。先に宮をつかんだ 「 先富 起来」の一部分の人が、慈善活動や奉仕活動をする ようになった。 また、外資や先進的な技術ととも に、西世界の文化や価値観なども入ってきて、人々 に影響し始めた。政治、経済、文化などの面で、深 刻な変化が起こりつつある移行期における中国では、 人々の価値観も多様化 にする 一方であった。雷鋒に ついても、過去のような単純に真似する こと や、全 「 雷鋒に学ぼう J運動に関する考察 面的に否定することはなくなり、「なぜ雷鋒に学ぶ ンティアの概念がまだ中国に取り入れられる前だ、っ の ?J1 雷鋒は個性が欠 けて、 今の時代には遅れて たが、 「人を助ける、無私な 心で人々へ奉仕する 」 いる 」、「雷鋒 は創造性を抹殺しているのでは?J 3 7 という 索鋒精神は欧米の現代的ボランテイアの概念 といった声も上がられるようになっている 。 とイコールと言えなくても、その核となる精神とは 一致している 。 2 影が薄くなった「冨鋒」 政府は 1 9 9 4年 3月に、 「 青年ボランティアによる 一方、社会主義精神文化建設の一環として、政府 雷鋒に学ぶ日 」活動を展開し、「雷鋒に学ぼう j 活 は依然 「 雷鋒に学ぼう」活動を維持し、メディア宣 動をボランテイア活動と結び付けて推進しようと試 みた 40それを皮切りとして、地方でで、も 3月 5日を 伝や集会などで、単一的なやり方を遂行してきた。 各学校、 「雷鋒に学ぶ日」とされる毎年の 3月 5日に 、 と設定しし、無私的に奉仕する 1 福 1 孟 「ボランテイアの日 J 鋒 布 粁拘 1 1 リ 」の発揚と、ボランテイア活動の促進を結び 機関や企業は学生や若者を集め、近所の清掃、貧困 付くような動きが見られるようになった。2 0 0 6年 、 扶助、孤児や独居老人を 世話することを 意味するよ 0 0 7年、漸江省ではその内容 山東省済南市、そして 2 うになっている 。 をそれぞれの地方条例に制定した。 このように、雷 民衆にとっても、 「 需鋒に学ぼう」と言えば、主に 「 先生は定期的に 「 雷鋒に学ぼう 」 を宿題として 与えていた。私はいいことを見つけることができな 峰運動を通じてボランティア活動とその支援体制が 中国全土に拡がった。 くて、自分の小遣いを拾った金として、学校に届け ていたことがある 。」沼 「その時、私は中学生だった。 うちの学校では、 いつも 3月 5日に「雷鋒に学ぼう」の感想を書かさ れ、うんざりしていた。」却 おわりに 6 0 年代の政府は 「 雷鋒に学ぼう 」運動で、人々の 情熱を最大限度に引き出したが、その情熱が過激化 し、活動は政治運動に走り、利用された。 このように、毎年の 3 月5日という日にだけ行われ、 8 0年代に入ってから、 『 中国青年報j で主張され 「 雷鋒は三月に来るが、 四月にな ったら去っていく 」 たように、ょうやく政治運動から離れ、善意による 「 雷・鋒おじさんがいなくなっ た」 と 榔撤されるように、 活動が提唱されるまで、に変わったが、政府のかかわ 「イベント化」 した「雷鋒に学ぼう 」運動の内容や 性格は単一化し、表面的になりつつある 。 り方はただマスメディアでの宣伝や記念日を決める などしかなかった。雷鋒精神の提唱かっそれを高揚 3.雷鋒精神を伝承するボランティア活動 とし、 「良いこと 」 をするのは、「いい人になる 」た させるには、 「いい人になって、良い ことをする 」 昨今、雷鋒は誰かということさえ知らない小学生 めだという、個人レベルのモラルを向上させるに留 が年々増えているように 、「雷鋒に学ぼう」活動の まった。、また、 「いい人」とは、どんな人なのかを 単一化かっ形式化ゆえに、 「雷鋒」の影が薄くなっ 明確にせず、どうやって、どんな 「良いこと 」 をす 年間にわた ていることは否定できない。 しかし、 46 るのも国民にまかせ、消極的、無作為的なかかわり り何世代の人々に深く影響を与えてきた、 「 無私の 心で人々へ奉仕する」という雷鋒精神は、消えたわ 方をしてきた。国民もそれぞれの理解で「良い こと 」 をしてきたが、ぱらぱらで、随意性、 一時性という 0年代の初期、政府が国の社会状況に けではない。9 特徴をもっ。改革開放をして以来、中国は経済、政治、 基づいて、欧米の現代ボランティアを取り入れ、作 文化、人々の意識などの面で深刻な変化が起こって り上げた社区ボランテイアと青年ボランテイアは、 おり、社会が大きく変わったにもかかわらず、政府 雷鋒精神を継承し、新しい社会の変化の状況に応じ による雷鋒精神の推進は依然として「いい人になり、 ていくという傾向もみられる 。 良いことをする 」のスロ ーガン のまま、具体的な活 「人を助ける 」というのは人類の善意の発露で、「 お 互いに思いやる、助け合う 、愛し合う j という人間 動企画や組織作りなどをせず、この運動をさらに大 きく、強く育てっていく土壌づくりをしなかった。 愛はどんな時代、どんな固にとっても必要で、、社会 一方、9 0 年代の初めから始 まった青年ボ ランテ イ 雷鋒に学 をよくするために、提唱すべきである o 1 ア活動では、政府のかかわり方が全く違った。「雷 鋒に学ぼう」活動は中国のボ ランテ ィア精神とも言 0 年代は、欧米の現代的ボラ ぼう 」活動が始まった 6 人間文化・ 37 「冨鋒に学│まう」運動に関する考察 える「雷鋒精神」を中図的なやり方「無為而治 J41 で推進したが、青年ボランティア活動は雷鋒精神を 1 大学生や青年労働者が主体となって、主に政府 伝承しつつ、現代的なボランティアの概念も取り入 主導のプロジ‘ェクトなどの規模が大きいボラン れ、欧米的なやり方で行ってきた。政府が主導して、 全国的なネットワ ー クを作りあげ、国家プロジェク ティア活動に参加するボランテイアである 。 2 I 社区」において、 地 域 住 民 が主体となって、 トの促進などを通じて、活動が広域的かつ持続的に 地域内の諸問題の解決を目的とする相互扶助の 発展していく土壊を作った。 また、政策や財政の面 性格が持つボランティアである 。行政の末端組 でボランテイア活動をサポートし、奨励してきた。 織である街道弁事拠や自治組織の居民委員会が こういった政府のかかわりがあるボランテイアは 子ーディネッ ト役となって、ボランテイア活動 上からのボランテイア 」 と指 「官製ボランテイア JI を実施される 。 摘されることがあるが、ここで政府が果たした役割 3 中国共産主義青年団中央の統計による は欧米の NPO組織や民間団体がしたのと実質上同 じだと思う 。 中国では歴史的な原因で、 NPO組 織 4 全国和詩社区建設会議 ( 20 0 9) 5 莫 里 斯 近 斯 納 (Mau r i c eM e i s n e r ) . 毛沢東の や NGO組織の発展が貧弱で、あるから、政府が変わっ 中国およびポスト毛沢東の中国ー一一人民共和国 てその一翼を担ったのである 。 じつのところ、日本 史J( 19 8 6) .四川人民出版社 1 9 9 0 年中浮版。 政府もコミュニティ形成の観点からボランティアを 位置づけ、 1 9 7 0年代以降、さまざまなボランティア 推進措置を講じているし 42、欧米でも政府によるボ ランティア支援の措置は当たり前である 。 ボ、ラン テイアの自発性と政府支援の関係は簡単に分けるこ とはできない。 また、青年ボランテイア活動を推進するには、政 r r 費正清(Jo hnKingF a i r b a n k ) . アメリカと中 国J . 世界知識出版社(19 9 9 年) 有林等繍. 中華人民共和国国史通整j 紅旗出 版社(19 9 3年) 6 {共和国主 工 色 偶 像 全 新 解 渓 雷鋒 1 9 4 u-1962} 姉 永 剛 刻 疎 雄 三取ニ結社 r {í象雷鋒那祥〉果虹梅, 屯子工~出版社 府が明確に国の未来の担い手である青年を対象とし、 《 紡痛元声芥安山'巴雷鋒》芥 安 山 口 述 顔i 吾,同 活動の位置づけは従来の個人モラルの向上にとどま 水編著国家行政学院出版社 らず、個人と社会との連帯感を重視した。精神の面 中国青年報j に雷鋒に関する記述 『 人民日報j、『 の精神を身に染みついていくように全社会でボラン 7 h t t p: / /b l o g ・i mgsl . f c 2 . c o mlc/hlelchenyu/l e i l 3 . f j p g テイア精神を育てっているのである 。 8 これらの写真は、ほとんどが雷峰の日記や講演、 ではなく、具体的な活動をしながら、ボランティア この 4 6年を振り返って、「雷鋒に学ぼう 」運動は 文章に基づいて後からとったものである 。 この 政治運動よりも、 一種の民衆運動の性格の方が強 事実は、雷鋒がいた洛陽部隊の専属カメラマン かったのではないかと考える 。形が政府の方針に左 0 0 8年に AP通信のインタ ー ビューに 張峻氏が2 右され、 符余曲折しながらも、 「無私な心で奉仕す 答えた時明らかにした。 r る」という精神は変わりなく、何世代もの人々に深 く根付いて、今日中国で盛んに行われているボラン h t t p: / /l i z h e n s h e n g . b l s h e . c o m/ p o s t l 3 8 /1 9 5 2 3 4 9 向上 テイア活動の精神的な基盤を作り上げたと考える 。 1 0 同上 0年間を除いて、 「雷鋒に学ぼう」運 文化大革命の 1 1 1 1 9 5 8年か ら1 9 6 0年まで、毛沢東の生産力理論に 動はずっと民衆が主体となって取り組んできた。無 基づき実施した施行された農工業の大増産政策 条件の服従、英雄にあやかる、政府の提唱に応じる である 。農村の現状を無視した強引な集団農場 など、姿勢がさまざまで、自発性に欠けるではない 化や、農村での鉄鋼生産などを進められた。 かと関われるかもしれないが、結果としては、個人 モラルの向上、社会風尚の樹立および安心に暮らせ る社会の建設に積極的役割を来たしたことは否定で きないと考える 。 38 ・人間文化 1 2 1 9 5 9年から 1 9 6 2年までは異常気象が連続した天 災による大飢能。数多くの餓死者を出した。 1 3 共産党の下部組織共産主義青年団の機関紙 1 4r ワイルドスワン j ( 上)ユ ン チ ア ン 著 講談社 文庫 1 9 9 9年 3 5 4頁 「 雷鋒に学ぼう」 運動に関する考察 1 51 雷鋒といういい見本に見習おう j 1 6 中国寧波網 www.cnmb . c om.c n( 2 0 0 9 年 4月2 3 日) 1 7 同注 1 0 1 8r 人民日報J1 9 7 5年 1 91 同志には春のように暖かく接する、敵には冬 のごとく冷たく無情する 」雷鋒の日記に記しさ れる 言葉 2 0 当時の国家副主席である、文革大革命の中、政 治闘争により失脚 2 1r 人民日報J1 9 7 5年 2 2 r 南方都市報j が行った街頭インタービュ ーに より ( 2 0 0 8 年 3月 6日) 2 3 同1 5 2 4 国家の主人を指す。 2 51 四つの現代化」 の略称。農業、工業、国防、 科学技術の四つの方面の現代化 を指す。 2 61 徳育 J1 成績 J1 体育」の三方面において優秀 であること 。 2 7 f 再び雷鋒を論ずる J( 1中国青年報 J1 9 81 年3 月 5日)筆者が翻訳した。 2 81 9 8 1年に共産主義青年団、中華全国総工会 (中 国労働組合全国総会)、中国倫理学会などの 9 組織が連名で提唱した社会規範。 「五講Jは 講 文明、講礼貌、講衛生、講秩序、講道徳で、文明、 美」 は心霊美、 言語美、行動美、環境美で、 心、 言葉、行動、環境を美しくすべきという意味。 2 9 3 0 3 1 3 2 3 3 同2 7 同2 2 I 司注 1 1 同注 1 1 中国語の諺である、 「 事業に成功した人の裏に は他人の助けがある 」 を意味する 。 3 4 中国語の諺である、 「遠い親戚より近くの他人J を意味する 。 3 5 1 お年寄りを敬う、子供を思いやる 」を意味する 。 3 6 r 愛を捧げる j 3 7 ht t p: / /www.lnsgdb . c om. c n/news/v i e w . a s p? i d= 4 1 0 2 3 8 r 南風窓J2 0 0 9 年 3月3 1 電子版 3 9 同注2 2 2 月、共産党青年団が「社会主義市場経 4 01 9 9 3年 1 済体制の推進過程における青年工作戦略発展に 関する計画」 を可決した。該計画に従って、翌 青年ボランティアによる雷鋒 年 、 3月 5日を 「 に学ぶ日 」 と設定した。 4 1 無為にして治める意 『 道徳経j 老子 4 2 平成1 2 年 版 『生 活 白 書 j 第 4節 付 注 7参照 ht t p: / / www5.cao. g o . j p/ s ei ka t s u/ wh it e p a p巴r/ wp p V w p p I O O / h a ku s h o O Oi n de x . htmJ ) ・ 礼儀、衛生、秩序、道徳の面で気を配るべき 。 「四 9 人筒文化・ 3 l滋|翼|県|φl考|貫|芋l~.l │ 最 新の成果と 課 題 │ ( 第1 6回)厳賀県 7 干の序物館の! J l 枕と課題 人間文化学部地域文化学科(博物館学芸員課程担当) 市 はじめに 川 秀 之 滋賀県下には多くの博物館が存在し、考古学的な を整理したものである 先にも述べたように博物 館の範時はきわめて暖昧であるため、ここでは滋賀 資料を含む文化財の収蔵や展示、研究の上で大きな 県博物館協議会への加入館を基準としてとりあげた 役割を果たしてきた。 しかし現在、滋賀の博物館は I 目館年次の不明なものは除外している 。 またこ が 、 J 大きな曲がり角にさしかかっている 。今後の博物館 の表にはすでに廃館となったものなども 一部含まれ のあり方を考える上で、現在までの経過を冷静に振 9 5 0年代 ている 。表をみると滋賀県の博物の歩みは 1 り返り、問題の所在を明確にすることがまず必要で 9 4 8年(昭 に開始されていることがわかる 。笑際には 1 あり、本稿ではこの作業を課題としたい 1。その上 3)に県庁横の武徳館を改修して県立産業文化館 和2 で今後の展望をいささかでも示せれば幸いである 。 が開設され文化財の収集や展示などもおこなわれて なお本稿は 「 滋賀県の考古学」シリーズの一環で いるが、その後この施設は滋賀会館に移され、後の はあるが、博物館をあっかう上で対象は必ずしも考 琵琶湖博物館の前身となっているため表には載せて 古学系博物館に限定しないことを最初に断っておき たい。 館のように寺社や個人が設立したものが多くこれは 県下の博物館の歩み 賀大学経済学部付属史料館は国立大学の付属博物館 いない。 この時期の施設は宝厳寺宝物館や木下美術 60 年代になっても同様である 。そのようななかで滋 一般に博物館と呼ばれるものには多様なものがあ として非常に肯い歴史を持ち、滋賀県の歴史研究や る。博物館法では一定の基準を満たしたものを登録 史料保存に果たしてきた役割は非常に大きい。全国 博物館とし、それに準じたものを博物館相当施設と 的にも特筆すべき施設といえる 。 呼んで‘いる 。 また 3年ごとに一度文部科学省が実施 滋賀県の博物館史にとって大きな画期 となったの している社会教育調査などではそのどちらでもない は1 9 61 年(昭和 3 6 )に初めての公立博物館として県 が博物館としての機能を有している施設を博物館類 立琵琶湖文化館が闘館したことである 。大津の琵琶 似施設と呼んでいる 。滋賀県の状況を平成 2 Q年度 0 0 0 万円でそ 湖岸に建てられた施設の建築費は 1億 5 6館 、 社会調査によって紹介すると、登録博物館が 1 のうち 9 0 0 0 万円が寄付でまかなわれたという 。同館 博物館相当施設が 4館、博物館類似施設が7 1館と の歴史は 『 琵琶湖文化館のあゆみ Ji、に詳しいが、 なっている 。登録博物館の数を比較すると、京都府 0年度末で休館となるまでに累計 650 万人の来 平成 2 2 0館、大阪府 1 9館、兵庫県 2 4館であり、人口比など を勘案すれば滋賀県の博物館数はかなり多いといえ 館者があり、また多くの文化財の補修・収蔵に関わ るなど現在でもその役割は大きい。7 0 年代に入って る。 また県下の博物館施設によ って組織されている も県内の博物館はそれほど増加を見せないが、この 滋賀県博物館協議会には現在 8 7 館が加入している。 時期以降に各地で県立の文化芸術会館が建設されて 社会教育調査では登録博物館・相当施設については いることが注白されるだろう 。 これらはホールだけ 種類別の数も記されている 。 これによると滋賀県 2 0 ではなく展示・収蔵機能をもち各館には学芸員が配 館は総合博物館 3、科学博物館 l、歴史博物館 9、 美術館 7、他 Oと分類されている 。全国的には 1 2 4 5 置さ れていたが、その多くは後に述べるように近年 に市町村に移管されて博物館としての機能を失いつ 館が、総合博物館 1 49( 1 1 .9%)、 科学博物館 1 05 ( 8. 4%)、 つある 。 また余呉町の糸とり資料保存館やマキノ町 3 3( 3 4 . 8 % )、美術館 449( 36.0%) 、野外 歴史博物館4 の白谷荘民俗資料館など個人が収集した コレクショ 博物館 2 9( 2. 3%)、植物園 1 1( 0.8%) 、動物園 1 0 ( 0 . 8 % )、 ンを公開した施設が多くみられたのもこの時期の県 1( 3 .3%)と分けられており 。滋賀県でも全 水族館 4 下博物館の特色であろう 。ただ個人立の施設は設立 国でも、歴史系博物館と美術館の数が卓越している 者の死去などによって存続が困難になるなどといっ ことがわかる 。また滋賀県では野外博物館や植物園、 た問題があり、これらの施設のなかにも近年そのよ 動物園、水族館などが登録されていないことも特色 であり、今後考えていかなければならない問題でも うな状況を迎えているものがある 。 80年代以降、県下の博物館数は激増する 。県立近 ある 。 代美術館が開館し、琵琶湖文化館との機能分化が可 ここで簡単に滋賀県下の博物館の歴史をみておき 能となり、また市町村立でも長浜城歴史博物館や銅 たい。表 1は滋賀県下の博物館 ・資料館の開館年代 鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)・彦根城博物館 40 ・人間文化 │ 滋│ 賀│ 県│ の│ 考│ 盲│ 学I D I 表 1 滋賀県下の博物館の開館年代 施設名 年代 館数 1950 年代 3 滋賀大学経済学部付属史料館・竹生島宝厳寺宝物館・布施美術館 1960年代 6 琵琶湖文化館・豊会館・己晶閣・近江神宮時計博物館・田上郷土史料館・田上鉱物博物館 1970年代 9 木下美術館・信楽伝統産業会館・糸とり資料保存館・白谷荘民俗資料館・近江八幡市立資料館・長浜文化芸 術会館・安曇川文化芸術会館・金剛苑・大津絵美術館 1980~1984 湖東歴史民俗資料館・長浜城歴史博物館・長浜鉄道スクエア・晶月観音の里歴史民俗資料館・雨森芳洲庵・ 朽木資料館・高島歴史民俗資料館・県立近代美術館・守山市立埋蔵文化財センタ ー ・水口歴史民俗資料館・ 16 甲賀歴史民俗資料館・甲賀忍術博物館・日野商人館・木地屋展示資料館・水口文化芸術会館・八日市文化芸 術会館 1985~ 1 989 8 アスト 口パーク天究館・国友鉄砲の里資料館・中江藤樹記念館・しが県民芸術創造館・石部宿歴史民俗資料 館・守山宿郷土人形館・彦根城博物館・銅鐸博物館 西堀栄三郎探検の殿堂 ・愛荘町立歴史文化博物館・マキノ資料館・大津市歴史博物館・アクア琵琶・比叡山 1990~ 1994 14 国宝館・県立水環境科学館・士山歴史民俗資料館・甲南ふれあいの館・信楽古陶館・県立陶芸の森・安土城 考古博物館・八 日市大凧会館・栗東歴史民俗博物館・朽木いきものふれあいの里 1995~ 大津市長等創作展示館 ・ 草津宿街道交流館・琵琶湖博物館・佐川美術館 . MI HOMUSEUM .かわらミュ ージアム・ 日登美美術館・東近江市近江商人博物館・観峯館・織田廃喜ミュ ージアム・能登川博物館・近江はにわ館 ・ 1 999 20 相原歴史館 ・伊吹山文化資料館・成田美術館・(長浜)郷土資料館・琵琶湖水鳥湿地 セ ンヲー・冷水寺胎内仏 資料館・琵琶湖周航の歌資料館・お市の里資料館・多賀町立博物館 2000~ 2004 9 伊香立香の里史料館・ぴわ湖アートギヤフリ ・ヨシ博物館・ボ ー ダレスアートギャフリー NOMA・愛知 川びんでまりの館 ・長浜市曳山博物館 ・醒井宿資料館・醒井木彫美術館 ・みなくち子どもの森自然館 2005~ 2009 3 渡来人歴史館・愛地球博 エジプ卜館 ・五次勝木彫館・ のような大型の博物館が次々に開館している o さら 大型美術館が開館しその豊富なコレクションは全国 に高月・水口 ・高島・石部など各地にも中小の博物 の注目を集めたことも記しておかなければならない。 館が整備されていった。市町村による自治体史の編 9 0 年代は滋賀県の博物館にとって大きな飛躍の時代 0 纂や埋蔵文化財の発掘の増加がその背景にある 。7 年代までの県下の博物館は完全に寺社や個人が設立 であ った。 21 世紀を迎えて博物館をめぐる状況は一変する 。 0 年代にはいってよう したものが中心であったが、 8 大型館の開館は影をひそめ、また開館数自体も激減 やく滋賀県でも公立博物館の時代が到来したといえ する 。 ことに公立館の開館はほとんど見られなくな るだろう 。博物館の建設ブームはバブル経済崩壊の 影響をそれほど受けず 9 0 年代以降も続く 。9 0年代前 るが、 一方で自治会が主体となった伊香立香の里史 料館や、福祉団体が設立したボーダレスア ー トギャ 半には大津市歴史博物館や県立安土城博物館 ・架東 ラリー NOMAなどのユニークな館も設立されてい 歴史博物館など大型の公立博物館が相次いで開館し、 る。 しかしながら 2 0 0 5年以後はほとんど博物館の新 9 6年には県立琵琶湖博物館が開館するに至る 。 この 設はみられなくなってきている 。 時期の滋賀県の博物館の充実度は全図的にもトップ レベルの位置にあったといえるだろう 。 このような 以上、滋賀県下の博物館の戦後史を足早に概観し 0年代までは民間の博物館が主流で たが、そこから 7 大型館の開館の一方で、住民が手作りで作り上げた 伊吹山文化資料館や、いち早く住民参加の博物館を 0年代以降に公立館が中心的役割を担うよう あり、 8 にな ってきた経緯がうかがえる 。個人社寺や企業、 目指した能登川博物館などもこの時期に開館してい あるいは自治会などが中心 となった博物館の数はい る。全国に先駆けた動きとして注目すべきだろう 。 つの時代にも多く設けられており、公立博物館だけ また国交省が設立したアクア琵琶や県の上下水道部 で滋賀の博物館史を語れないことは明らかである 。 局が管轄する水環境科学館、さらには先述の琵琶湖 博物館の存在がさまざまな意味での公共性に 由来す 博物館や多賀町立博物館など自然科学の要素が強い ることは明らかであるが、その公共性が即行政を意 博物館もこの時期に相次いで登場し、琵琶湖を闘む 味しないところに公民館や図書館とはまた違った博 滋賀の博物館群の大きな特色となっている 。9 0年代 物館の大きな特徴がある 。その意味で非公立施設の MIHOMUSEUMなど民間の 動向も県下の博物館全体を考える上では看過できな 後半には佐川美術館や 人間文化・ 4 1 │ 滋│ 賀│ 県│ の│ 考│ 古│ 学11 ] )1 いが、この点については他日を期すこととし、本稿 り、別の展示保存施設が確保されるまでの聞は、必 では現在さまざまな問題が顕在化している公立博物 要な管理を行うこと」と記されている 。 館について述べていきたいと思う 。 この提言について も県内外から大きな反発があり、 いくつかの集会が開催されている 。 このような動き 県立の博物館 のなかでも県側の態度に大きな変化はなく 2 0 0 9 年1 2 先にも見たように県下では県立博物館として、 月の「外郭団体および公の施設見直し計画 Jviでは、 1 9 61 年に琵琶湖文化館が開館し、以後近代美術館 0984年)、安土城考古博物館 0992年)、琵琶湖博 物館 ( 1 9 9 6年)などが次々と開館している 。 またこ れらに先だ、って 7 0 年代から 8 0年代にかけて県立文化 琵琶湖文化館については廃止とされたうえ、「建設 後半世紀経過し、収蔵庫・展示室も手狭となってい ますが、増改築が困難であり、新たな収蔵品の収集、 保管、展示に影響を与えるため、現施設の機能は廃 芸術会館が各地に建てられてきた 。 さらに教育委員 止します。別の展示保存施設の確保に努めますが、 会以外の部局でも水環境科学館などを開設してい 機保までの問、休館中の現施設において保管を継続 る 。 これらの博物館は現在県の財政悪化のため大きな します」 と今後の方針が示されている 。 またそのた めの具体的取組内容は「別の展示保存施設確保のた 転機にさしかかっている 。それがもっとも象徴的に め基本的な考え方を整理し、財政状況等を踏まえな あらわれたのが琵琶湖文化館をめぐる問題であろう。 がら、平成 2 4年度までに検討を終えます」とされて 同館は滋賀県では最古の公立博物館であり、現在で いる 。 この計画発表によって県の方針はほぼ決定さ も6 0余点の重姿文化財を保管している 。かつてそこ れたものといえるだろう 。 しかしながら、琵琶湖文 に務めた学芸員のなかには現在も美術史の分野で活 化館がこれまで担 ってきた機能 は 非 常 に 大 き し こ 躍している方が多い。 まさに滋賀県を代表する博物 とに国宝 ・重要文化財を含む膨大な収蔵品を今後ど 館のーっといえるだろう 。 う保管していくのかは、博物館だけではなく文化財 2 0 0 5年 2月、滋賀県総務部長から出された 「公の 施設の見直しについて上 という通知文書において、 保護行政にとっても無視できない問題である 。 先の見直し計画で廃止の対象となったのは琵琶湖 文化館だけではない。かつて 5館あった県立文化芸 琵琶湖文化館は 「あり方について検討する施設 j と され、以後県教育委員会ではその存続について検討 術会館は 2 0 0 6年に草津を除いて市 I U T村に移管され、 0 0 7年 9月の県議会における同 が継続されてきた。2 それと前後して学芸員なども配置換えになっている 。 館の廃止や休館について検討中であるとの教育長答 今回の見直しでは当初その生き残りとも言える草津 市のしが県民芸術創造館も廃止の対象とされていた 弁は各新聞に大きく取り上げられ、琵琶湖文化館の 存続は一挙に 問題化することとな った。 このような県の動きに対して、さまざまな会から 次々に琵琶湖文化館の存続を訴える要望書・意見書・ 著名などが提出された。 しかしながら結局琵琶湖文 化館は 2 0 0 8年 3月末をもって展示活動を休止し現在 が 、 3万を超える廃止反対の署名が集められ、計画 段階では一旦廃止方針が取り消されている。また水 環境科学館や朽木いきものふれあいの里センターな どの施設も廃止・移管の方針が打ち出されており県 立施設の今後が注目されている 。 に至っている 。ただそれ以後も館には職員が配属さ いうまでもなく県立博物館は、市町村や民間の博 れ、収蔵品の管理や、県内寺社の文化財調査、文化 物館のリーダー的役割を担う 。県立博物館の方向性 財講座、県立安土城考古博物館などにおける収蔵品 が、その県の博物館全体の動向に深く影響を与える の展示などの活動を継続している 。 ことはどの県でもみられるが、ことに滋賀県のよう 2 0 0 9年 8月2 1日、外部有識者等からなる滋賀県行 な中規模県ではその傾向は強い。その意味でも県立 政経営改革委員会は「外郭 l 司│体および公の施設の見 博物館の専門性や立地条件は、県下の様々な文化 直しに関する提言 」 を示し、この中で琵琶湖文化館 的・自然的条件を勘案して総合的・計画的に配置 ・ は廃止対象 7施設の中に含められた。今後の方向性 決定される必要がある 。 もちろんこれは文化や教育 については「老朽化により博物館機能を維持できな だけではなく、観光をはじめとする産業振興や町作 いことから、廃止が適当である 。ただし 3 6 0 0点を超 りとも密接に関連する問題である 。 しかしながら滋 賀県においては、それぞれの博物館についての計画 0 0 0点以上の文化財を収蔵してお える寄託品を含め 5 42 ・人間文化 I D I │ 滋│ 賀│ 県│ の│ 考│ 古│ 学I は存在しでも全体的な博物館計画がなく 、それが今 かな町として知られた架東市でも新幹線新駅問題な 日の琵琶湖文化館問題をはじめとする諸問題の一因 どもあ って財政が悪化し、その影響が博物館にも及 となっている 。 ことにかつて開設を議論されていた んだのである 。 1 5 0日の開館というのは博物館法に 歴史系博物館の不在は、琵琶湖文化館の収蔵物の行 いう登録博物館にとって必要最低限の日数である 。 方を不透明にしているだけではなく、文献史学や民 また栗東市に隣接する野洲市の施設である野洲歴 俗学の研究進展にとっても、また近江の歴史を総合 史民俗博物館も重要文化財公開承認施設であり、銅 的に知りたいという県民の生涯学習推進にとって 0 0 9年 6月に市 鐸博物館の愛称で知られてきたが、 2 も、あるいは県外者に対する情報発信の上でも障害 が発表した財政健全化集中改革プラン素案において、 となっている 。 さらに県立博物館を含む公立博物館 開館日の縮小によ って経費の削減する案が示された。 のうち大型のものが湖南 ・湖 東に集中し、湖北 .i 市 l 筆者らが世話人を務める滋賀 県の博物館の将来を考 西には長浜城歴史博物館しかみられないことも分布 える会でも、このような博物館活動の縮小の連鎖に の上での大きな問題であろう。 危機感を感じ、同館の活動縮小に対する 署名活動を おこなった。その効果のほどは不明で、あるが、来年 市町村立博物館 本年 1月 1日に長浜市が湖北自治体を合併して、 0となった。いうまでもなく市 l 町村 県下の市町数は 2 度からは休館日を 一 日増やす形で活動を続ける方針 が定ま ったようである 。 このように県下の市町村立博物館においてもさま 合併の問題は公立博物館にと ってそのあり方を 一変 ざまな問題が山積しているが、市町村立博物館の場 させる問題である 。いくつかの市町村守が合併した場 合は、今後より一層住民との連携を深める形での活 合には、旧市町村が設立した同一性格の施設がいく つも存在することになり、人員配置や予算面での不 動が要請されることは│間違いがない。 また県下の博 合理性が問題化することは確実であるからである 。 む館や、障害者が製作したア ー トを展示する館など 物館のなかには、民具などを 用いた回想法に取り組 たとえば東近江市には現在、西掘栄三郎記念探検の もみられる 。 これらの先駆的な試みに 習いながら、 殿堂・能登川博物館・野口謙蔵記念館 ・ ガリ版伝承館・ 地元に密着した活動をどう展開していけるのかが大 近江商人博物館・ i 出 i 東歴史民俗資料館・八日市大凧 きな課題となるだろう 。 開館 ・五個荘近江商人屋敷 ・木地師資料館など市が 管理する博物館的な 施設が 9施設もある 。岡市が発 大学と地域博物館 i f 公の施設j 管理運営のあり方 j では、 滋賀県立大学では関学以来、博物館学芸員課程を このうち数館について統合あるいは指定管理化の方 0人前後の学生が卒業時に学芸 開設しており、毎年 5 向が示されている 。同様の状態は、長浜市 ・米原市 0 員資格を取得している 。そのためには夏期に最大 1 など多くの市町村が合併した市でもみられ、今後、 日間、博物館において実務実習をする ことが義務づ 自治体の財政状況の悲化も予想されるなかで施設統 けられている 。そのうち約半数が県内の博物館でお 表している 合や廃止の動きは加速するものと思われる 。博物館 世話になっており、その点において県立大学と各博 がその地に建てられたのにはそれなりの理由があり、 物館とはもとより深い関係にある 。 しかしながら大 それを統合することが地域にとってどのような意味 を持つのかはまた改めて問い直されなければならな 学としての博物館とのかかわ りは博物館学芸員諜程 に限定されるものではない。地域博物館と大学が協 い問題である 。 働して、調査 ・研究をおこない、またその成果を展 また市町村立博物館においても活動縮小の動きが 示の形で発表することは、研究や教育の成果を可視 みられることにも注意せねばならない。栗東市立施 化することとなり、結果的にはそれらの質的な向上 設である栗東歴史民俗博物館は、 重要文化財公開承 認施設であり、 これまでにも多くの特別展を 実施し、 につながる 。 これまで述べてきたように、現在の滋賀県の博物 0 0 8年 1 0月に策 評価が高い博物館である 。栗東市は 2 館を取り巻く状況は非常に厳しいものがある 。博物 定した財政再構築プログ ラムにおいて、博物館の展 示室開館 日を 年間 1 5 0日とする 案を発表し 、2 0 0 9年 館としては、市民はもちろんとして、さまざまな組 織との連携がより重姿になるが、大学との連携もそ 4月からはこれが実行されている 。かつては財政豊 の一つであろう 。県立大学 にと って県立博物館はも 人間文化・ 4 3 │ 滋│ 賀│ 県│ の│ 考│ 盲│ 学I ml r ちろん市町村立博物館とも教育・研究面での連携を 状と今後の謀題について J 日本史研 究 J5 6 6 強化することには先述のように十分な利点があるが、 号 2 0 0 9 年 大学としてまず考えなければならないことは、今博 u 文部科学省ホームページによる 。 物館が置かれている状況を深く理解した上で、双方 1 I l の利点を最大にする方策を模索することであろう 。 以下の文献および各館ホームページ、ならびに 各館への問い合わせによって作成した。 i 滋慈賀県i 博 専 イズ出版 1 滋賀県下の博物館問題についてはすでに次の報 lV l 目9 9 ω 9年 琵琶湖文化館のあゆみー滋賀県博物館史事始 め-J琵琶湖文化館 告がある 。 の博物館が抱える諸問題一J 新しい歴史学の 2 0 0 8年 v 以下、引用する行政文書はすべて当該自治体の ホームページを参照している 。 ために JN0 . 2 7 4 2 0 0 9 年 Vl 高木叙子「博物館はどこへ行くのか 一滋賀県 r 井上優 「 滋賀県立琵琶湖博物館問題の経緯・現 44 ・人間文化 担当課は経営企画室 人・間・文・化・通・信 -人間文化セミナー *演題古 博物館 t i今一近江からの発信一 き所象師 と場対講 平成 21 年 7月27日(月) 午後 13 時 30分~ 16時 交流セ ンター研修室 1 ~3 学生、教職員、一般 .金尾滋史氏(多賀町立博物館学芸員) -辻村朋子氏(票近江市立能登川博物館学芸員) .渡部幹雄氏(愛荘町教育委員会教育長) 今年度の新しい試みとして、人間文化セミナーの 内容であった。 また渡部氏はこれまでの博物館や図 一環として博物館に関するシンポジウムを開催し、 書館での多彩な経験を通じて、住民に身近な博物館 博物館関係授業の受講生も参加させることとした。 活動とは何なのかを 具体的に述べられた。三者とも 現在、自治体の財政危機などによって博物館をと 現在の博物館をめぐる状況を打破し、今後の展望を りまく状況には大きな変化が見られるが、そ のよう 採る上での貴重なヒントに満ちたお話であった。 ななかで滋賀県では小さいながらも独自の活動を展 シンポジウムには学生や教員のほか、博物館関係 開している博物館が多く存在している 。 シンポジウ 者や一般の市民の参加もみられ、活発な質疑が行わ ムではそのような館や組織のなかから以下の方々に れた 。 シンポジウムのあとで 回収したアンケ ー トで ご参加し、ただきお話をうかがった。 は学生も 三者のご発表から大きな刺激をうけた様子 -金尾滋史氏 「 地域と歩む博物館活動」 がうかがわれた。 ・辻村朋子氏 「 博物館と回想法」 -渡部幹雄氏 「 住民に身近な博物館をめざして」 今後の博物館のあり方をめぐっては、大学の果た す役割も大きなものとなってくる 。大学が博物館と 金尾氏は、多賀 町立博物館の小学校 と連携した水 学生、市民などを結ぶ媒介と なり、共同でよりよい 生植物の定点観測や、ショッピングセンタ ーにおけ 博物館への未来を模索する機能を果たすべきである る展示会など市民と連携した博物館の活動について と考える 。機会があれば来年度以降もこのような催 話された。 また辻村氏は能登川博物館が積極的にと しを定期的に実施していきたい。 また公務ご多忙の りくんでおられる民具をいかして高齢者の認知症を なか、講師をお引き受けいただいた 三氏には心より 抑制・予防する回想法について紹介された。 ともに 感謝申し上げたい。 これからの時代に博物館の目指す方向性を示唆する ( 文 責 市川秀之) 人間文化・ 45 人・閏・文・化・通・信 .2009年度寧業論文・修士論文・博士論文一覧 古田修一間 湖北地域にお け る古民家の活用に 関する研究 地域文化学科 滋賀県伊香郡余呉町丹生地域を 事例 と し て 大木信幸 「 近江の教育」 仁科美香 彦根市 河原 町・ 芹 町地区における 柴野 女性ファッション雑誌にみる化粧 ~Ir屋に関する 研 究 旧犬上県地域を事例として 木由美奈子 江戸時代の動物観 純 一江戸におけるイヌ食の動向← 杉山有美 近世における万観 文化 平子 洋理 真 井里 土野 竹岡莞起 現代日本の精神的危機 戦国期の寺院 永悪愛季子 て おいしくごはんをたべましょう 一本願寺の原則と安養寺の行動論 橋本紗代 ちょっ と何かを変えてみて, , 一江戸時代中期の武家社会と万一 指揮者 ・宇宿允人の音楽 を通じ 神仏分離の展開と人々の対応 理一 浜荒津美香 日本のア ニ メ を考える 野 村 美貴 幕末 ・明治期における洋菓子文化 堀由起子 人 と音 開港地横浜の動向とその役割← 森田研一閉 モー タースポ ー ツの魅力と可能性 林 征韓論 山本真弓 一人っ子であるということ 一西郷隆盛と大久保利通の真意と 吉井 音楽と生きる 征韓論政変の真相一 浅井仁美 ダイエットと私 中世の京都における茶 大屋京子 家族と私 津井 路上 からの声 好信 岩佐祥子 光 一茶屋を中心にー 梓 筑摩神社と鍋冠祭 清水 育 美 鎌倉時代の陰陽道 北村 家族の関係を考える 諒 Hip Hopと い う 名 の 生 き る 鎌倉幕府における陰陽師の位 置一 田 淵 美紀 術一 塩谷一間 中世の産機 健康的な生活を送るための生涯ス ポーツのありかた 一産穣の拡大と歴史的意味ー 元川 望 豊臣政権における石田 三成の政治 運動嫌いを克服するには 近野真佑 人間のリズム 登坂一将 現代音楽について 的位置 一取次の機能を中心に一 浅居白衣 平安時代における正月儀礼の研究 大臣大饗と臨時客 上野祐加 良好な対人関係に必要なもの 一 現代音楽の限界と可能性 馬場まどか 古代貴族文化転換期の研究 i nt henoano ai lf e ー ゴーギ ャンから見るパーソナ リティ ー 菅原道真の梅詩 ・桜詩から ー 佐藤友紀 藤原頼長政権論 竹中記美恵 男女共同参画社会とワークライフ ノくランス 伊藤 一滋賀県及び県内企業を事例とし 福原 奏 てー 青木 大幸 劉 磯岩 第二言語習得で見られる模倣行為 一 チャンクを中 心 に一 友衣 普賢十羅利女像と女性の信仰 えらび唄の類型と変遷 人物埴輪考 松本 梨沙 高度成長期における女性の社会活動 境口 朔太 古代東アジアの金 ・銀 大槻晋弘 走り屋の人類学 韓国仮面劇の観光資源化 について 神谷知宏 「 悩み」 に対処する 組田裕子 女子埴輪について スピリチュアルカウンセラ ー と の考察 安東河回別布' l ク ッタ ルノリを中 美 織 宏 沙 江野 深大 4 6 ・人間文化 心として 臨床心理士の比較から 佐々木徹 スポ ー ツと地域社会 Jリー グチーム・ガンバ大阪に 中国内モンゴルにおける日本観 余呉町丹生地区における茅葺きの おけるクラブと地域社会の 関係か 土蔵に関する研究 ら 人・間・文・化・通・信 潰本有衣 「 屋号」からみるムラ社会 京都府舞鶴市東神崎地区の事 地域文化学専攻ー 修 士 論 文 例一 星野真里 1分間で 1 0 0回笑う テレビ番組 「爆笑レッドカー 若林亜矢 束アジアにおける四神 エンタの神様」 を事例 ペッ トJI 福重麻木 在唐新経人の社会と生活 として 楼田小百合 竪穴建物からみた弥生社会の変化 ヘルール 安藤晴美 ーモン ゴル ウランパート ル市の 事例から一 西口佳邦 一西日本 における方形系建物の 口喧嘩と解決の技法 宝Zき並一 7 1 _ _ロ日 リクノブマキシム 日本中世社会における環境利用 甫を中心に 近江国菅 i タイガと草原に生きる遊牧民 ーモンゴル ・ダルハドの人々を中 心として 永冶太樹 中国の自動車産業に関する研究 地域文化学専攻ー 憎 士 論 文 -I 世界一j の要因を採る 林 祐介 中国製食品の安全性をめぐって 亀山芳香 竹林友紀 内藤暁江 日中両国における地域間交流の可 能性 一滋賀県流通大手平和堂の中国湖 生活文化学科 一 生活デザイン専攻 南省進出を事例に一 塚本亮太 道具の仮面 土井敏生 ける道具 モノ のシグサ ー レイアウト作り 中城 戦後日本における歴史的プロダク 現代における同郷者集団の実態と その機能 蓮本宗大 信 トの広告ポスター制作一昭和の 一吃音の セルフヘルプグループ 「 京都言友会」を事例に一 若者向けラジオ番組のオーデ イエ 面に新たな面を 着 のための道具の制作一 セルフヘルプグル ープがメンバー に対して果たす機能 山田敏加 空き家の活用と地域再生に関する 研究 一 冷 凍 ギ ョーザ 中毒事件を中心 空気を表現するー 上田幸奈 「高齢者専用賃貸住宅」 を取り巻 ンス経験 く地域社会の重要性 大石大介 岩永志織 岡崎京子の「東京」 企業における育児支援制度の構築 新しいライフスタイルと活発なコ ノ 丹後ちりめんのブランド力につい 本言 3 4 漆山理紀 ミュニテイネットワ ーク 荒山恵里子 若い女性に向けた和のモチーフに ての一考察 有賀 天然染料による染色の簡便化 やませ冷害時における北日本の稲 井上未貴 と課題 糸井 よるブランドの提案 薫 風景への関心を高めるためのツ ー ルの提案 作情勢 大圏磨実 高齢者の -1 9 9 3年と 2 0 0 3年の比較から 江口倫子 名古屋市西区における商庖街の変 化と振興方策の問題点 大西町子 子育てから考える 収納デザイン くらしからうまれる地域ブランド の提案 一伊根町の漁と農のある 川名沙織 彦根地場産業の変化と現状 岡崎朋子 長谷川邦勘 ファンデーション 産業を事例に 架東 トレーニ ングセンタ ーの閉鎖 日常 ハイヒールの現在 嘉数有利恵 景観を活かした直売所畑で野菜 遺見 将 史 性と開放性 近江牛の生産の実情とブランドの 金山和樹 直売 ・什器の提案 矢田実名子 『 開く楽しさだけでなく奏でる楽 しさも J音楽のある日常風景の 進展を促すコンセプトモデルの制 課題 産業集積地の再生における産学官 作一 連携の機能 鬼海めぐみ 保存型まちづくりにおける観光を 用いた活性化についての研究 人間文化・ 4 7 人・間・文・化・通・信 福岡県うきは市吉井町の活性化案 近藤菜荊 の考察 子どものための図書館のデザイン 近藤美乃里 鑑賞のユニバーサルデザイン 坂本備子 「 着る Jを楽しむ農作業着 片岡宏美 意識・食意識・養育態度が与える 影響の構造解析 加茂郁恵 感性から導く 「 かわいい」衣服の提 案 杉森香苗 査デー タの検討 川瀬弘多郎 若い世代に向けたまちなか居住の あり方 一"ともに住むカタチ"の 谷口和泉 モー ビル酒場の可能性 千田亜沙子 美濃和紙を活かした照明のデザイ 学調査結果について 木下 惰 子 ふなずし飯の利用 越山由依子 体幹による重症心身障害児 (者) 小山紗貴子 ハーブテイの摂取による冷えの改 の食事摂取量と栄養評価 善効果について ン 中川湖路 高齢女性のためのオーバーコー 近藤里奈 ト - Grandma 中村 彩子 建物・乗り物・道具につ におよぽす影響 震藤 春 佳 いて一一 紘輔 西尾 萌 地域高齢者に対する健康教育プロ グラムの効果と方法の検討 レシートの有用性 柴田麻衣 地図記号の今までとこれから 代謝に及ぼす影響 清水洗美 安らかな葬送のための斎場システ ムの提案 トウガラシの少量摂取が安静時及 び運動時の心肺機能 ・エネルギ一 生活に活かすための広報・プロ モーションツールの制作 福永修子 抗てんかん薬パルプロ酸の摂取が ト リ プ トファンー ナイアシン代謝 宮崎アニメらしさの印象を与える 要素 並川 GLP- 1分泌に働く栄養素と臨 床応用および運動を中心とした疫 暖昧なイメ ージの形象化 提案 慢性腎臓病の食事療法および推定 糸球体液過量を中心とした疫学調 高島 市における地産地消をめざして 芝あゆみ 子どもの健康状態に養育者の授乳 乳化ヘスペレチンの摂取がヒト体 表温に及ぼす影響 下村有美 ラッ トにおけるグル コー ス必要量 文室友利 座位姿勢のためのレディススーツ 孫崎晴子 草津市の景観色彩の提案 栄養教育の在り方について 宮越 朔子 バ ー ドハウス 糖コントロ ールの良否からみた後 山下恵里肇 城下町彦根の遺産 の提案 の算定 少橘 彩子 一人と野鳥の共 生一 近代化によ 高岡優香 る喪失と残存 まちに根ざした映画館の提案 舌奇 滋賀県の繊維産地における謀題の 考察 吉島千晶 新しいファッションイ 硬さと官能調査からの検討 高田沙緒里 母乳育児支援の統一基準策定のた 梓 真空調理にお けるジャガイモの煮 めの観察指数の検討 田坂 メージ の 提 案 くずれ防止について 過疎集落における住まいの提案 加による影響 地元住民と新規移住者が共に住 血 ろ向き研究から 市販ト ロミ調整食品についての研 究 山元結加 瞳 POSからみた 2型糖尿病患者の 飛奈 遥 まうカタチー 調味料添 リシン摂取が神経調節物質 キヌレ ン酸を介したド ーパミン放出にお よぽす影響 新美郁未 食事組成の違いによる食後血糖値 西田康輝 真空調理を用いた牛すね肉に関す 西村満塁奈 肺疾,患にお ける食事の影響 と空腹 生活文化学手斗ー食生活専攻 井川ともみ の変動 保育所にお ける食物アレルギー児 に対する給食の現状について 大野美奈子 小笠原有輝 アイマ ークレコ ーダによる授乳観 食 言す データの4 中学生における岨鴫力 ・骨密度 ・ 中学生の食習慣 ・生活習慣 ・精神 した場合 ・ 人 間 文 化 時血糖 値 を 中 心 とした疫学調査 察分析 食生活の関連性 48 る研究 体格差を除去 西村光恵 的健康状態が及ぼす学習態度への 影響についての構造解析 人・間・文・化・通・信 林真美奈 ラットにおけるビタミン BI 必要 原田僚子 乳化ヘスペレチンの摂取がヒト体 表温に及ぼす影響 東山沙織 平塚ちあき 小林亜里沙 事摂取状況の実態 る大学生の語りから一 坂口 アルバイトに関す 祐 青年の自己受容と、人間関係の悩 坂口美奈子 他者への情報伝達を意!>;s1 した幼児 みに対する関係性 タミン付加量一 の描画表現の発達 瀬古 満 塁 震畑心香 ふなずし飯の科学 藤本車希子 STZ誘発糖尿病における脳中キ iNH Kみんなのうた 」 の歌詞に 見る内容分析 田中亜矢子 ヌ レン酸の変動 障害児のきょうだいへの支援のあ 紀 美 居 安 生活習慣病の危険因子 ・尿酸とそ り方に関する研究 の血中濃度の症例検討 析を通して トリプトファンの過剰摂取が妊娠 張 辰鼎 実践例の分 在日中国人留学生のス トレス反応、 ス ト レ ッ サ ー とソーシャル・サ におよぼす影響 山梨紗緒里 三匹 アルバイ トに対す る意識と個人環 境との関連 査 文 昔話の再話 における変容 大学生の学生食堂利用から見た食 食事摂取基準の妥当性に関する調 ラジ の子ぶたを 通して 酒井良輔 一 妊婦・授乳婦における水溶性ビ 松本 自身の会話に対する 言及 オ番組 「 放送室」の事例 エタノ ール摂取がパントテン酸の 必要量におよぽす影響 樋口実佳 する研究 棄原佑治 量の算定 ポートの関連 腹膜透析患者の食事療法に関する QOLの検討 中嶋崇裕 大学生のス トレ ッサ ーとストレス 対処行動についての研究 山本優里子 野草抽出物の日 グルコシダーゼ 阻害作用 永井 吉岡友理 加速度計による 1-2歳児の身体 野中美里 活動量測定の可能性 柱本 望 惇 「ひなまつり 」意識今昔 新入社員と「働くこと 」 トークショーにおける非選好的応 答 j 賓崎 生活文化学科一 人間関係専攻 瞳 ラジ オ番組 『 放送室j の会 話分析 か ら タトゥ ーを入れることが当事者に 与える 心理的影響 池田友理 大学生の性同 一性障害観について 東森伯美 日比野安耶 2から 3歳児における、音楽あそ て 幼児が書く手紙とそのやりとり 虞部靖子 不登校中学生の再登校に別室登校 キマリア教育におけ るインタ ー ン 前田恵里 夫婦問での食事活動における役割 当事者に対する態度 ・ イ メージ びでのう ごき 形成に知識が与える影響に注目し 伊藤 恵 上杉寝子 シップの役割に ついて が果たす役割 滋賀県 分担とその調整について から一 不良少年の立ち直りのき っかけに 対する本人と支援者の感じ方のズ 毛 明諭 レについて 小川真実 高校生 の 比 較 「フ リーター 」 という存在の語ら 説明の場面における聞き 手の役割 れ方の分類・考察 風間陽子 音楽療法とその現場 絵本の幼児に果たす役割u -生活 山田容子 絵本を通して 山本紗耶加 桐山陽菜子 変化に 注目して ビッグイシュ 一 日本のホ ー ムレス支援を通して 身近な自然を使った野外教育に関 摂食障害者の病い の語り 一回復過程での病 いの意味づけの ホームレスの自 立に向けた生 活 日本と中国の 山畔千佳 川瀬あかね 北御門廉 高校生の学校ス トレ ッサーとスト レス反応の関係 共通体験の有無による指示語の使 われ方の違い 一中規 模フ ードコートにおけ る参与観察 立大学生の調査を中心に一 大山恵美子 友好性が向社会的行動に影響を与 えるのか の調査 舌岡千鶴 友人関係に対する態度と充実感に 関する調査 大学生現在と中高 人間文化・ 4 9 人・間・文・化・通・信 生時を比較してー 音田麻美 論 吉 田 智洋 宮崎愛子 携 帯 電話 と 孤 独 感 に 関 す る 試 滋賀県立大学生への調査を ラットにおけるアルコ ール摂取時 のビタミン必要量 守谷 彩 絶食前後の栄養 素等摂 取量 が絶 食 中心に 2 0 0 8 年版学習指導要領 における 道 再給食期間中の生体指標にお よぽす影響 徳の記述内容の検討 吉村明美 トーク番組における比聡とユーモア ー松本人志の ラジオ番組にお ける 生活文化学専攻一 博 士 論 文 会話分析から一 徳田恵実 会話に おける 「 な んか」の機能 (3 人会話の場合) -生活デザイン研究部門 岡村知明 インドにおける歴史的港市の形成 と変容に関する研究 カッチ地方のマ ン ドヴイ ,パ ド 生活文化学専攻→彦士 論 文 レシュワル,ムンドラを事例とし てー .生活デザイン研究部門 桑山 竜 商業用途における仮設的手法を用 .健康栄養論研究部門 い た空間 (テンポラリー スペ ー 奥野海良人 内因性脳内神経調節物質キヌレン酸 辻 実験室 レベルで開発された 「尿を 用いる水溶性ビ タミンの栄養評 ス)に関する研究一滋賀県のロー ドサイドを対象としてー 杉林久美子 に影響をお よぽす栄養因子の研究 とみ子 滋賀県における農作業着下衣の研究 価」 をフィールドワークに活用す ることへの妥当性研究 .健康栄養部門 有山 愛 福井富穂 食品因子によるヒト体温 ・エネル 関する研究 ココア摂取によるヒト体表温へ の影響ー 一血液および尿を利用し た水溶性 ビタミンの栄養評価 トウガラ シ摂取に よるヒトエネ 愛 エネルギ一代謝の克進がビタ ミン の必要量におよぽす影響 寺方美希 50 ・ 人 間 文 化 量評価のための生体指標の活用に ギー代謝調節 ルギ一代謝への影響ー 坂崎 慢性疾患'寵患者 における食事摂取 QPRT遺伝子欠損 マウスを用 い たナイアシン欠乏に関する研究 S t u d i e so nu s eo fbi omarkerf o r di e t evalua ti onsi n chroni c di s e as ep a t i ent s -N u t r i t i o n a la s s e s s m e n to ft h巴 waters ol ubl evitamins u si ng b l o o dandu ri ne- 人・間・文・化・通・信 -退任メッセージ(退任祝賀会あいさつより) このたびは私のような者のために、このようにた くさんの方にお集りいただきまして本当に有難うご ざいます。先ほどから穴があったらと探しているの ですが、このような大きな体では入る穴がございま せんで、仕方なくこうしております。ほんとうにもう、 柴田先生にいつもお話しているのですが、穴があっ たらずー と入っていたい気持ちでございます。 5年 しかこちらにはお世話になっておりませんでしたの に、こんなに皆様からあたたかいお言葉をいただい たり、それから菅谷先生から、私を 「お姉さん」の ような雰囲気で、癒し系の対象だっ たと 言っていた だいたりしまして有り難いことですが、でも「妹」 と呼んで、いただきたかったなと思っております。先 生には忘れないうちにお伝えておきたいと思いまし て..い 。 教授会の時には、平成 1 7 年の 4月からこちらに就 任させていただいたと申し上げましたけれども、実 はここへのお話がありましたのは平成 1 3年くらい だったと思います。そのころに早川先生の方から、 「 来ていただけないか」 とのお話をいただきまして、 その時にはまだ先の話なので漠然とお受けしました。 当時、私は私学におり まして、滋賀県立大学の こと をあまり知らなかったんで、す。お話を頂いた大学を 県立滋賀大学と思い込み、滋賀大学をインタ ーネッ トで調べますと、滋賀大学は大津と彦根にあります ので、私はたぶん大津の方だろうなと、そのような 3年ごろは考えておりました。だんだ つもりで平成 1 んとこちらへ寄せていただくことが近くなってまい りましたら、彦根だということがわかりました。そ れでもまだ、滋賀県立大学と県立滋賀大学が私の頭 の中で納得できておりませんでした。 7年度になりましたが、私は高槻の方か いよいよ 1 ら通っておりまして、彦根までは片道 2時間ちょっ とかかるのですね。通勤は毎日往復 4時間半ほどの 小旅行ということで、この小旅行を楽しみました 。 私は街の育ちで、紅葉狩りに行ったり桜を見に行っ たりということはありましたが、季節の変化を毎日 の自然の変化か ら目の前で感じるということは、ほ とんどありませんでしたが、それが毎日の 4時間半 の電車の車窓から、季節の変化をふんだんに味わう ことが出来ました。 4月の桜や、ゴールデンウィ ーク前後の田植えに よる田んぼの変化、秋は紅葉のグラデユエーション を。そして麦秋という 言葉を知ってはおりましたが、 実際に見たことはごさい ませんでした。それがここ へ来て、草津線に乗って学生さんの教育実習のご挨 拶に行った時に、初めて一面まっ黄色の畑を見て、 これが麦秋なんだとこ こで初めて知りましたし、 毎 日4時間半でしたが、色々な発見があり、たいへん 楽しませていただきまし た。 私は先ほどの教授会でもお話ししましたとおり、 ず、っと私学の女子大におりまして、こちらへのお話 の際、 「 公立大学はたいへんでしょう J 、「 研究・研 生活栄養学科 田中 敬子 、「研究ができなくても降 究で大変なんでしょう?J 格はされないだろうけどねえ」などといわれたりし て、心配しておりましたけれども、生活栄養の先生 方、皆様おおらかな方が多く、研究三味という先生 もいらっしゃいますし、そうでない?先生もいらっ しゃいましたので、スムーズにお仲間に入れていた だくことカfできました 。 私が公立に来て一番なにが違うのかを感じました のは、学生の質でした。勿論偏差値もありますが、 教授会でも申しましたが、特に人間性が、素朴で、 勤勉、控えめな学生がほとんどです。 きっと先程ほ どのビデオでもわかっていただけるかなと思います。 実は一昨日の日曜日に、私のゼミの 1期生から 5 期生の学生さん達全員集まって、 SLOWを貸し切 り、記念パーティーを開いてくれました。そして、 県大を卒業して本当に良かったと口々に申しており ました。私は、その際、この大学で教育を受けたこ とに誇りを持ち、何よりももっともっと自分に自信 を持って、社会では指導者的立場で活躍して欲しい と激励致しました、十分力を持っているのに、何故 か実力以下の自己評価を行い、控えめな人が多いの もこの大学の学生の特徴かもしれません。その日は、 県大の皆さんの先程の人間性のよさを改めて確認し た次第です。でも自分の力を信じ、社会ではもう少 し果敢に兆戦して欲しいと思います。 研究の件ですが、当初、幼稚園児や保育園児を対 象としたフィールドをなかなか見つけることが出来 なかったのですが、 2年目にやっと近江八幡市と彦 根市にある幼稚園と保育園のご父兄とのつながりが できまして、 3年間ほど教育介入研究をさせていた だきました。そろそろ 4年目でまとめようという時 に、諸般の事情 ( 言 い訳です)で思うように進まず、 助手の高橋さんと共に第 1報は投稿できましたが、 さらに続いて、 4月からの新しい環境のもとで、出 来るだけ早くまとめたいと思っており ます。 昨年ちょっと病気になりました際には、柴田学科長 が先頭に立っていただいて、学科の先生方から本当 に手厚いサポートを頂き、そのお陰で無事今日を迎え させていたことを本当にありがたく思っております。 質のいい、学生に囲まれ、今日のような有難い会 を開いていただくような先生方に閉まれた 5年間は、 0年 、 2 0年にも勝る尊い年月でご 私の人生にとり、 1 ざいました。厚く御礼申し上げます。 4月からは京都光華女子大学、この大学は私が研 究者 ・教育者として 3 0、4 0代を過ごし、育った ( 育 てていただいた )大学ですが、県大でいただいたご 思や思い出を力に、そこでもう少し、頑張ってみょ うかなと思っております。今後ともどうぞよろしく お願いいたします。 皆様、本日は本当に有難うごさいました。 また、本日いろいろな趣向をこらしていただき、 暖かい会にしていただきました実行委員の先生方、 本当にありがとうございました。感謝申し上げます。 1 人間文化・ 5 人・閏・文・化・通・信 .INFORMATION .2009年度教員活動報告 ・ ......................... 〔 =地域文化学科 t の再生と創造 J( 豊郷町)も始ま った。伊藤忠商事 の大番頭宵川鉄治郎が私財をなげうって建設した豊 -武 E尚彦(たけむうたかひと)社会学、文化人類学、地 郷小学校 ( 昭和 1 2年完工)にまつわる 「ちょっとい 域研究、地域学 い話」 を聞き取る活動である 。卒業生からの聴き取 l 玉│ 際化時代を生きる人材育成、とりわけ国際感覚 l l t出版した 「とよさと便」にイラ りを続け、昨年 3i のj 函養を目指して、今年 もまた 学生た ちと共に外 スト入りで紹介する予定。豊郷小学校周辺の案内地 国を歩いて見てきた。2 0 0 9 年 8-9月には、 GNH ( G r o s sNa t i o n a lH a p p i n e s s)を行政施策の礎とする 小王国ブー タン、それとは対照的に GNPを優先す の馬場葵、竹部咲希、 1回生の坂部舞子。 これに加 る東南アジア有数の先進国タイ王国、それぞれ一週 は 3回ゼミ 生の森愛銭。 間ずっという短い滞在期間ではあ った が、現地での 生活体験を通して、両者の決定的相違点を 比較認識。 図も制作中である 。スタッフは地域文化学科 2回生 えて、古川鉄治郎の絵本も 制作真っ最 中。スタッフ その他には、ゼミの学外研修活動として、長崎県 と熊本県に点在するキリシタン禁制の旧跡を巡った ( 20 0 9年 3月)。長 野県と宮山県の山間地域の その違いについて考え続ける大切な機縁とな った。 こと 参加者は第 1 3期生亀島奈央と大学院博士前期謀程清 水愛子の 2人。 。 世界遺 産「熊野古 生活文化を訪ねたこと (6月) ヒマラヤ山脈に沿 って、東西に細長く張り付 く形 多く輩 出した高知県周辺地域の歴史と生活文化の見 のブータン 王国。私たちは西部のパ ロから出発して、 道」の一部を踏破したこと ( 1 1月) 。 明治の元勲を 学( 2 0 1 0 年 2月)等。 東部のブムタンまでを自動車で往復。有名な城塞や 私自身は、平成2 1年度滋賀県青少年健全育成協議 寺院の見学、農家宿泊やトレッキングを通じて地域 5, 会基調講演(ll月)、彦根市公民館福寿大学講師 ( 住民と交流。豊かな自然と共にチベット仏教の教え 1 2月) 。 湖北流域森林づくり委員会の代表委員、シ を忠実 に守 って質素に暮らす人びとに接しながら、 ンポジュ ーム 「 湖北の森の明るい未来を考えよう 」 販売できるものといえば緑豊かな森林資源と清らか ( 長浜文化産業会館)を開催 な水と電力。インドに依存せずには国家の基盤さえ 防犯町づくり委員会委員長、長浜市防犯推進協議会 揺るぎかねない小国ブータンの現実と未来について、 委員長、架東市文化体育振興事業団理事等々、様々 ずいぶん考えさせられた。 ( 2 0 1 0年 2月) 。 栗東市 な地域活動に参画。退職まで残すところ 1年だが、 また 2 0 1 0年 2月には、シルクロードの起点として 年々増え続ける雑用と興味関心の広がりを有り難く 有名な西安 ( 長安)をゼミ生 4人 (森愛鐙、竹部咲希、 思う 。 しかし同時に、老いを感じるこのごろ 。頑迷 馬場葵、坂部舞子)と共に訪れ、大雁寺、秦の始皇 固随に陥らぬよう、若い学生たちからエネルギーを 帝陵、兵馬備などを見学。数年前 まで見かけた、あ もらって、人生の深みを学び続けたい。 関学以来、 の大量の 自転車はと守こへ行 ってしま ったのか。街中 我が家の竹薮で毎春開催してきたタケノコ掘りも、 には自動車があふれかえり、歩道上にまで駐車、朝 2 0 1 0年の春が最後になるのではないか。多くの学生 夕の通勤時間帯には大渋滞。 煤塵が一 日中空を 覆い、 に参加してもらえるよう、ただいま準備を進めてい 太陽も見えない。子供を産めば補助金がもらえる日 ると ころである 。 本、それとは反対に罰金という中国。観察している だけでも不安材料山積みの中国社会。 わずかだが、 -林博通(はやしひろみち)考古学 その現実に触れて、学生たちの思いも複雑だ、 ったよ O 研究 ・教育 うである 。 京都大学防災研究所釜井俊孝研究室 ・大阪市立大 ゼミ活動は余り活発ではなか った。それも折から 学大学院原口強研究室との共同研究の 一環として、 の就職氷河期の影響か。3回生までが浮き足立って、 春季に 三 ツ矢千軒・尚江千軒・下坂浜千軒遺跡一帯 セミナ一巡りをして就活に躍起にな っている 。第1 2 で三次元サイ ドスキャンソナー湖底面調査 を実施。 期( 現4回生)ゼミ 生は 9名。彼らが選んだ卒論テー その結果、それぞれの湖底に異様な湖底地形が観察 マは現代日本が抱える文化的社会的問題に肉 薄する でき、夏季にそれらの地点をねらって学生たちと潜 ものが多く、なにかし ら、どことなく、新しい時代 水調査を行った。朝妻漁港沖で、割り石が数百個ほ の到来を予感する 。 もうすぐ試問だが、それぞれの ど集積した状況を確認したが、さほど古い時期のも 人生を豊かに歩んで、行かれることを念願している 。 のではないと判断された 。 昨年に引き続いて、秋からは受託研究 「 地域文化 52 ・人間文化 1 2月、京大防災研究所において、釜井氏の湖岸で 人・間・文・化・通・信 の表面波探査、原口氏の湖底での音波探査、そして、 を得た 。 8月余呉町の赤子山スキー場でウッデイ 私共の潜水調査の経過をそれぞれ報告し合い、興味 I Iの休 パル、摺塁、菅並の方たちと焼畑。 9月綜U 深い調査結果が得られつつあることが確認された。 耕地で焼畑。在来カブラ 5種を植え、漬け物販売。 雪室も計画中。 今後引き続いて調査を継続し、実態解明を進めるこ ととした。この調査は三菱財団の助成金を得ている 。 c. I 勝鳥の盟 ・三津誌」を彦根市三津町まちづく O 社会活動 1 .i N J底遺跡調査に関して、発表する機会が 4回 d . NPOメロデイーと県大ボランテイアサークル り委員会と完成。 のハーモニーがクリスマス会を交流センタ ーで主 あった。 ① 4月2 9日、湖北町葛箆尾崎湖底遺跡資料館開館記 念講演で、「小江慶雄先生と琵琶湖湖底遺跡」 と 催。県大ブラスパンドとボランティアの皆さん、 地域の人が障がい児・者と楽しく交流。 2 )地域学・人類学シンポジウムなど 題して発表。 ② 8月 8目、長浜市文化芸術会館大ホール、シンポ ジウム 『 湖国の地震防災を考える 百年前の姉川 7 /1 2人類学会進化人類学分科会食物分配シンポパ 1 2 3 ニッセイ・高島市社会福祉協議会 ネリスト、 8 地震が語るもの j で、「琵琶湖の湖底追跡と過去 /1 0 日本財団アジア 回想法シンポパネリスト、 9 の地震」 と題して発表。 交流講師、 9 /1 9日本土壌学会若手の会シンポ講師、 ③ 8月1 6日、安土城考古博物館企画展 『 水中考古学 の世界一びわこ湖底遺跡を掘る Jのシンポジウ 1 1/ 3 0プリマーテス研究会里山シンポパネリスト、 1 21 2 3滋賀の棚田シンポジウム講演 ・司会など。 0年の成果」 ムで、基調報告「 琵琶湖湖底追跡調査3 3)共同研究:I 集団の進化学 的基盤研究 IJ( 東京 を発表。 このシンポジウムの内容は 『 びわこ水中 神戸学 外国語大学) 、「人類社会進化論の再構築 J( 考肯学の世界 J( 財団法人滋賀県文化財保護協会 院大学)、「 在地と都市がつくる循環型社会再生のた 2 0 1 0年 1月)として発刊さ 京都大学)など。 めの実践型地域研究 J( 4 )論文 :I 人間性という境界への問い.類人猿と通 文化と哲学 J2 9:6 5 底するもの・しないもの Jf 編 サンライズ出版 れた 。 ④ 1月2 3日、大津市医師会新年講演会 琵琶湖ホテ ルにおいて、 「 琵琶湖 湖底遺跡 の謎を考える 」 と 7 2、静岡大学哲学会 題して発表。 則とは何 ものか Jf 集団:人類社会の進化史J( 河合 2 高島市大溝城遺跡周辺水辺景観保全検討委員 香吏編)2 1 6 2 3 6、京都大学出版会. 会において、高島病院建設計画と調整を図りな 紀要 『 人 I~日文化J 意見を取りまとめ、 3月 6日には、大溝城フォー 杉本学士 ラム 『 大講城 その過去・現在・未来 j にお 平等原 I f人間不平等起 源、論j における平等原則社会の系譜」神戸学院大学 がら、大講城の保全範囲と調査 ・整備を進める いて、 「 大溝城と歴史遺産」 と題して発表。 「 興奮と原始的戦争 ( 印刷中) 比嘉肖江 ・黒田末寿 ・ 「懐かしさと共感が人生を位置づける : 絵扉風を使った回想法j 滋賀県立大学紀要 『 人間文 6号 化J2 17-30 など。 -黒田末害事(く ろだすえひさ)地域学・人類学 今年度ゼミ卒業生は 7人。不況の厳しい年で卒業 -荒井利明(あ 5いとしあき)現代中国論 生もたいへんだが、まずはそれぞれの新たな出発を の 1年でした。すでに折り返し点を過ぎ、あとはゴー 祝福したい。 ルに向かつて走るだけですが、前半よりもすばらし 1)地域活動 a 高島市椋川区は、集落内に琵琶湖と 日本海の分 い後半にできるかどうか。 この大学でお世話になる 7年間のちょ うど真ん中 今年度、環琵琶湖文化論実習はお休み。代わりと 水嶺が通る美しい中山間地。区民と外部者による いってはなんだが、 1回生の担当に。 カリキュラム 「結い Jにより修復した萱葺き古民家を、 4月に などに関して、新入生数人の相談を受けました。 高島市の文化施設として開館。住民と訪問者の憩 中国関連情報サイト 「サーチナ 」に 、 2 0 0 9年 3月 敗者j たちの叫びJ 後半から月 2回のペースで、 いの場、研修の場になった。東南アジア、東京か n らも地域づくりの研修や参加がある 。蛍見、提灯 という題で、コラムを書きました。毎回 1 5 0 0字程度 作り、わら細工、味噌造りなどの楽しい企画もあ です。 「書きませんか」 との誘いに、ちょうど中国 る。 5 ・6月には県大生も参加して、県大牛「は 現代史の再検討をしたいな、 と思 っていた こともあ るえ 」 と牛耕し、田植え。 1 1月には「おつきん椋 り、喜んで応じました。 ! I I J祭で焼畑カブラを販売。 中国現代史の 6 0年間には、さまざまなドラマがあ b .I 火野山ひろば j では持続的生活の実践研究。 りました。政治指導者の失脚と復活に焦点をしぼり、 椋川で茅場作り、シカ筈を防ぎ成功のめどがたっ その真相に迫れれば、と考えてスタートしました。 最初のテーマとして、文化大革命中の大事件であ た。 6月手作り水力発電実験。2 0 0250whの電力 人間文化・ 53 人・間・文・化・通・信 る林彪事件(19 7 1年)を選びました。 この事件につ いては 「 謎」が多く、真相はなお薮の中です。事件 で亡くなった林彪やその妻らは何も書き残してはい ませんが、事件後に林彪グループとして裁判を受け た軍指導者のなかには、くわしい回想録を書き残し て亡くなった者もいます。そうした回想録は事件に 関する 「 正統史観」 、つまり 議を唱えています。 I W 勝者j の歴史」に異 歴史は通常、「勝者 Jによって記されます。 中国 現代史もその例外ではなく、毛沢東や郡小平といっ た 「 勝者」、とりわけ現時点における最終的な勝者 である郡小平の見解にもとづいて総括されていま す。 むろん、 「 敗者」の言 い分がすべて正しいわけで 2 0 0 9 年 次に、活字になったものもまとめて記す ( 1月 -2 0 0 9年 1 2月)。 r ( 1 ) 古代の日本と 加耶. 1( ISBN978 4 6 3 4 5 4 6 8 20 )山 川出版社、日本史リブレッ ト7 0、1 06 p、2 0 0 9. 1 .2 5 ( 2) 1 百済文周王系の登場と武寧王J( 翻訳 H百済研 9輯、忠、南大学校百済研究所、 2 0 0 9 . 2. 2 8 、 究 J4 p p. 12 3 -1 4 2 ( 3) 1貌志』東夷伝訳註初稿(l) J 国立歴史民俗 5 1集 、 2 0 0 9. 3 .31 、p p . 3 5 7 博 物 館 研 究 報 告 J1 r r 4 3 8 「任那 4県割譲」記事の新解釈J 石門李基東教授停年紀念論叢干 I J行委員会編 ( 4 )1 いわゆる 『韓国古代史研究の現段階』 周留城出版社、 2 0 0 9 . 5 . 2 5、pp. 3 0 1 -31 6 はありませんが、 「 敗者」 の叫びに耳をすませば、 歴史はそれまでとは違った姿を見せてくれます。 ( 5) 1 平壌大城山城の中間壁 J r 季刊韓国の考古学j 5図書き、それ以降は 1 9 8 0年代 林彪事件について 1 ( 6)1 台北故宮博物院所蔵梁職貢図 J r 季刊韓国の考 に相次いで失脚した胡耀邦と越紫陽を取り上げてい ます。 このコラムを 書いているうちに 2 0 0 9年度が終 3 号 、 2 0 0 9. l0 . 2 0 、p p . 6 2 6 5 古学J1 また、刊行は昨年だったが、それ以前の日付になっ ているものがいくつかあった。 わりました 。 -田中{愛日月(たなかとしあき) 昨年は、大学の仕事が軽減されたにも拘わらず、 科研費があたらず、研究費に困った。科研費は 1 3年 つづいてもらっていたので、ショックが大きい。ちょ うど、他大学の研究分担も切れたところで、そちら からの研究費もなく、調査も滞った。例年は、そう した研究費に頼って、研究対象の韓国・中国等に行っ ていたが、昨年は団体案内や個人的な援助を受けて 何とか、調査ができたというところである 。 例年通り、まずは国外調査について記す ( 2 0 0 9年 1月 -2 0 0 9年 1 2月) 。 ( 1)韓国。 2月末から 3月初 7日間。山口大学橋本 科研。百済地域都城遺跡遺物。 ( 2)韓国。 3月下旬 6日間。大阪の市民団体のメン 1 2 号 、 2 0 0 9. 6 、 1 . p p. 11 4 1 1 7 r ( 1 )1 張保皐以後のアジア海域 J 7- 1 0世紀 東 アジア文物交流の諸像 j 財団法人海上王張保 0 0 8. l2 . 3 1、pp. l5 519 1 皐紀念事業舎、 2 ( 2) 1 9世紀末 1 0世紀初の新羅西南地域 王建の勢 力基盤としての羅州勢力」 W7-10世紀東アジア文物交流の諸像』同前、 pp. l9 3 ・2 2 2 これらは、同財団から研究助成を得て 3年間、 研究を進めた成果であり ( 京大の COEの一環 として )、結局、 1冊にまとめられたが、実際 には、別の年度の研究報告であった。 ( 3) 1 遼東郡の設置と東北アジア 「 満番汗」の 、 ( 財) 位置を中心に一J 東亜考古論壇J3輯 忠清文化財研究院、 2 0 0 7 . 4 . 3 0、pp. l5 1 1 7 0( 1 5 1 r 2 0 8) 体案内。北京・平壌・開減。 ( 4)韓国。 5月下旬から 6月初 6 日開。団体案内。 学会その他口頭発表・シンポジウム ( 1 ) 1月 7日( 水)京都産大日本文化研究所にて 「国 際都市平安京と新羅」 ( 2 )4月2 5日( 土)朝日新聞社主催・キトラ古墳公開 全羅南道前方後円墳。 ( 5)韓国。 9月中旬 7日間。慶州・忠州の発掘現場 ( 3 )1 1月2 2日(日)大阪歴史博物館主催・国際シンポ パーを案内して東海岸。 ( 3)中国・北朝鮮。 4月下旬から 5月初 9日間。団 など ( 学生帯同) 。 北朝鮮へは、 4年ぶり 5回目 。旧知の曹喜勝氏が、 社会科学院歴史研究所の所長になり、彼の案内をう けて、いくらかこれまでと違ったところも見ること ができたが、あいかわらず制限が多く、申請しでも ダメだったところが多かった。今後の共同研究につ いて相談できた。その時のことを共同通信に頼まれ て書いたが、いろいろと問題があ って、かなり遅れ て配信された。 54 ・人間文化 記念シンポジウム 「 高句麗の四神」 ジウム 「 新羅と難波J16 ・7世紀新羅」 その他の市民講座等(定期的なものは省く) ( 1 )2月 1日(日)日韓古代文化研究会 「 東海岸の古 代史 J( 於浪速人権センター ) 激 ( 2)5月 9日 ( 土)JTBカルチャー ( 大阪教室) 1 海と日本」 ( 3)6月 7日(日)日韓古代文化研究会 「 平壌と開城 の歴史遺跡 J(於於浪速人権センター ) ( 4)7月1 3日( 月)日朝友好促進婦人会議 「 古代の日 人・間・文・化・通・信 本と加耶諸国 J( ウイングス京都) ( 5 )1 1月2 1日(土)古代を偲ぶ会 「百済の馬韓進出と 於エル大阪) 前方後円墳 J( ( 6 )1 1月2 8日( 土)三輪山セ ミナ ー 「四世紀の日朝関 係 J( 於大神神社大礼記念館) 学会委員会委員 O朝鮮学会幹事 (編集委員を兼ねる 。 ) O古代学協会 『古代文化j 編集参与 0奈良県立橿原考古学研究所・共同研究員 持ち上がっている 。大学内に留まらず、他大学の学 生との交流、上述した行政の埋蔵文化財担当者との 交流などは、考古学を勉強していく上では、貴重な 財産になっていくであろうと思われる 。 前任地からの宿題であった博士論文 『 朝鮮三国時 代陶質土器と日本への波及 Jを今年度九州大学へ 2 月末に論文試聞を やっと提出することができた。 1 終え、通過したとの連絡を受けた。 3月末には学{立 が授与される予定である 。 今年度に書いたものは、「愛媛県出土新羅系陶質 r 季刊韓国の考古学j 第 1 0号)・「山形県出土 土器 J( a .定森秀夫(さだもりひでお)考古学 1号)・「京都府 陶質土器J 季刊韓国の考古学j 第 1 昨年度から開始した竪穴建物の復元は、参加者の 時間的な都合がなかなかっかず、結局完成が今年度 r 季刊韓国の考古学j 第 城陽市出土把手付短頚査 J( 1 2 号)である 。 今年度の私のゼミでは、竪穴建物復元を企画 ・実 後半になってしまった。復元作業中にオープンキャ ンパスで見学してもらっ た り、ミニオ ープンキャン パスで見学してもらったりと、復元竪穴建物には大 いに活躍してもらった。現在、復元竪穴建物の今後 の活用を思案中である 。 科研は最終年度にあたり、県立大院生などと 8月 2 4日から 3 1日まで中国遼寧省桓仁 ・吉林省集安の高 句麗遺跡、を調査する予定であった。 ところが、出発 前日夕方に父が倒れ入院したとの知らせが入札急 いで病院へ。危篤状態であったため、私自身の参加 を急逮取りやめたが、調査のキャンセルは難しく、 院生たちでの調査となってしまった。その後、父は 2週間ほど入院の後、 9月 3日に亡くなった。父の 死を看取って、死というものが確実に私にも近づい ていることを改めて認識した 。科研調査では、 1 1月 に韓国の扶余なと での調査を行 った。 e 4月から、滋賀県内の考古学研究者たちと 「滋賀 行した院生が修士課程を修了する予定であり、また 中国湖南師範大学へ 1年間の留学をしていた学部生 が、無事帰国した。 -漬崎一志(はまざきかすし)都市史,保存修景 研究活動 財団法人日本ナショナル トラス トからの受託研究 『 平成 2 1 年度小浜市 ・若狭 l 町文化財環境等総合調査 における専門調査研究 「 鯖街道」に係る文化的景観 調査及び名勝三方五湖に係る生業・自然・文化等調 査j を受け、小浜市、若狭間 ]において関連文化財軍 の調査 ・研究をおこな った。小浜の旧城下町に三階 蔵の集中する地区を見つけ、分布調査を実施した。 また、彦根市文化財謀の依頼を受け、 花 しょうぶ 通りの伝統的建造物の調査研究乞環境科学部富島 考古学談話会」 を立ち上げた 。県立大生にも参加を 研究室と、本学部石川研究室と共同で実施した。 伊香郡余呉町では滋賀県農政水産部農村振興諜とと 呼び掛け、隔月で研究会を継続している 。研究会後 の懇親会では、考古学を目指す学生が、行政で実際 に埋蔵文化財を担当している研究者にいろいろな話 査を実施し、集落機能再編のための基礎資料も収集 した。地域資源、としての空き民家の調査・研究を実 を聞いており、良い刺激にな っていると思う 。 また、琵琶湖文化館の閉館、野洲市の銅鐸博物館 施し、余呉型民家と茅葺き置き屋根の土蔵の貴重 な 資料を収集した。 の開館日数削減など、文化施設の統廃合が行財政改 革の名のもとに進んでいて、ここで声をあげなけれ 今年は現地調査に参加できなかったものの、奈良 県立橿原考古学研究所の西藤清秀らとともに、シリ ア・アラフ 共和国パルミラ遺跡における共同研究を ば、博物館を始めとした文化施設のなし崩し的な統 廃合が進むという!医念から、「滋賀県の博物館の将 来を考える会」 を立ち上げ、市川研究室に事務局を 置いて活動を開始した。大阪府の博物館廃止問題で は、市民・学会などが声を挙げ何とか統廃合を免れ た経験から、滋賀県ー で も市民を始めとした有志が常 に声を挙げ、行政の行財政改革を名目にした文化施 設の統廃合に目を光らせる必要があるだろう 。 今年度 1年間、京都府立大学大学院で日本考古学 講義を担当した。その中で、県立大と府立大の学生 同士の研究会を立ち上げてはどうだろうかとの話も もに丹生地区の空き民家の分布調査と住民の意識調 e 継続した ( 科研費基盤 ( A)1 7 2 51 0 0 8) 。 教育活動 前年度に引き続き文部科学省 「 地域再生人材創出 拠点の形成」 プログラムに採択された 「 近江環人地 域再生学座」 にコア・メンバ ー と し て 参 画 し 地 域 再生学特論を分担した。 また,本学が独 自に 実施している 「 現代的教育ニー ズ取組支援プログラム 」の助成金を受け、彦根市男 鬼町で 『 山村 「 男鬼」の村おこし jプロジ‘ェクトや, i liJJ東の古民家を対象 とした 『 古民家楽座j プロジェ 5 人間文化・ 5 人・閏・文・化・通・信 クトを継続し地域の活性化や地域文化の振興を視 5 4 1 9 3 8) ジーエフ 」を出版した。ドルジ ーエフは(18 野に入れた教育プログラムを実施した 。 は、ブリヤ ート 系のモンゴル人で、ダライラマ 一三 また, 学生とともに守 山市の旧中山道沿いの民家 世の腹心の部下としてその外交活動を担った。拙著 20世紀以降のチ の実測調査を実施し、保存・活用計画の策定を試み は 、 ドル ジーエフの活動を通じて た。 ベッ トを巡る国際状況を描き、かつ彼の構想、が現在 社会貢献 の内陸アジアにおいても生き続けていることを示そ 彦根景観フォーラムの一員として彦根市芹町の足 うとしたものである 。 軽屋敷と辻番所の保存・活用活動を継続したほか、 日本においては、チベットを中国による抑圧の被 多賀町一岡邸の保存・活用計画策定のための調査も 害者として取り上げることが多いと思う 。 拙著では、 継続した。 むしろ人類の希望としての 「チベット 」 を描きたい と思ったのだが、筆者の意図を汲んでくれる読者が -水野章二(みすのしようじ)日本中世史 どれくらいいるのかは疑問である 。 環境史・災害史関係の論文をまとめ、 『 中!止の人 ドルジーエフの史料を探す過程において、英国の 吉川弘文館)を刊行した。 「仰木 と自然の関係史J( 0周年記念 の棚田と山門領仰木荘」を、 『 棚田学会 1 旧I n di aO f f i c e所蔵の機密文書の中から、「大正の 王手箱事件」関係の史料を発見することができた。 ニッポンの棚田』 に執筆。棚田学会では、 7月 「 大正の玉手箱事件」とは、ダライラマ一三 世が下 0 周年記念シンポジウム「盟山と棚田を守る一歴 の1 賜したチベット大蔵経の所有を巡る、河口慧海と青 東京三越劇場)で 、 「 里山・棚 史・論理・ 実践-J ( 木文教の論争を指し、これまで決着がついていな 誌 田の歴史と活用 Jというテーマで報告した。内容は n d i a0節目所蔵の史料は、青木文教 の かった。旧 I 次の棚田学会機関誌に掲載される 。 言い分が全く正しいことを証明するものであった。 県立大学 ・琵琶湖博物館 ・滋賀大学による、琵琶 この史料についての報告は、「チベ ッ ト文化研究 湖の内湖に焦点をあてた歴史 ・考古・民俗・地理学 会会報」の 1月号に 「旧 I n d i a0節目所蔵 『 大正の などの共同研究 「 琵琶湖の歴史的環境と人間の関わ 玉手箱事件j関連史料について Jとして掲載された。 りに関する総合的研究 J ( 科学研究費基按研究 (B) ) 0月に成果をまとめて出 は最終年度に入ったため、 1 ある 。論文のコピーをお送りした所、現在の当主の 版助成を申請した。助成が得られれば、 『 琵琶湖の 方は大層喜ばれた ようである 。 ちなみに、青木文教の生家の寺は滋賀県の安曇川に 歴史的環境と人間 j という 書名で、序章と 9論文に 調査としては、インドのヒマーチヤル ・プラデー 付録 CDを付けて、思文閣出版より刊行される 。 メ ンバ ーには原稿執筆をせかして申し訳なかったと思 う。総合地球環境学研究所プロジェクト 「日本列 島における人間一 自然相互関係の歴史的 ・文化的検 討」の関係で、前近代の里山や山林資源利用の問題 などを 「 古代 ・中世における山野利用の展開」 とい う論文にまとめた。『林と盟の環境史J( 文一総合出 版)の一部として近刊される 。 自治体関係では、 「 荘園制の展開」 を執筆した 『 近 江日野の歴史 中位編j が刊行された。 なお日野町 では、県立大学と京大の院生 ・学生 を中心に、町域 全体の地名 ・水利 システム ・集落の祭把や墓制など の調査を継続してきたが、今年度でほぼ終了。学生 たちの貴重な現地調査体験の場であった。能登川町 史・甲賀市史では、ひき続き編集委員長・執筆委員 として全体調整や史料収集を進めた。 また高 島市新 旭町ヨ シ群落及び針江大河流域の文化的景観保存活 用委員会の委員として、報告書の歴史部門を 分担執 筆した。 1 0月には虎姫町で、 「日本の歴史災害 中 世を中心に一」の講演を行った。 シュ州スピテイに約 3週間滞在した。長きにわた っ て続けてきたインドヒマラヤの人類学的調査もまと めの段階に入っており、研究活動全体に新たな展開 を模索すべき時期にきていることを感じている 。 -京繁真帆子(きょううくまほと)日本古代史 今年 は 、 「日本 JI 古代史」研究者らしからぬ仕事 ぶり、です。 まず、ベトナム戦争の記憶を、「英雄の母」称号 授与の視点から読み解きました。 これは、科研費を もらっての共同研究の成果ですが、それを国際学会 で報告する機会を得ました。台湾 ・花蓮市で閲かれ た平和学会で、生まれて初めて、 通訳をつ けずに英 語で報告したのです。夏休みは、英語の勉強に忙殺 されまし た。私の英語能力は 日常会話レベルなら何 とかなる程度で、 抽象概念をどの単語で表現するか にかなり悩みました。アカデミック ・ イング リッシュ の訓練を受ける機会を持たない日本史研究者の哀し さが身にしみました。報告内容は好評でしたが、し ばらくは縦書きでものを考えたいです。 とはいえ、 この科研費はまだ継続しますので、来 圃棚瀬慈郎(たなせじろう)文化人類学.チベット学 1 0月に 岩波書庖より「ダライラマの外交官 ドル 56 ・人間文化 年もベ トナム へインタビュ ー調査をしに 出かけ る予 定です。人口の半数以上が戦後(19 7 5年)生 まれと 人・間・文・化・通・信 なったベトナムですが、まだ戦争について語ること 果を導き出していくのはなかなか難しい。来年も苦 ができる人がいます。専門外だと尻込みせずに、記 闘が続きそうである 。 さらに夏休みにゼミの学生ら 録データを蓄積していくことが求められているよう と初めて県外の民俗調査を福井県若狭町海山でおこ です。 なった。2泊 3日の短い日程であったが、学生にとっ また、滋賀県内に残る、戦時中の婦人会記録につ ても私にと っても有意義な調査となった。その後も いて調査する機会を得ました。記録を残すことが少 数度現地を訪れ調査を継続しているが、来年度以降 なかった、農村女性が自ら筆をとって書き綴った史 もこれは続けていきたい。 料です。それは、戦争協力の一端ではあるのですが、 また個人的に科学研究費 をもらって取り組んでい 生き生きとした筆致からは当時の女性たちの息づか る集務内水路の調査は、夏にあまり調査ができず、 いが感じられます。 冬から春に調査に駆け回ることとなった。ただ集落 最初のきっかけは環琵琶湖文化論実習の引率で出 内水路の重要な機能である 融雪を考える上ではよ 会った某村の史料でした。ゼミ生がこの史料を卒論 かったかもしれない。 このテーマについては 1 0月に に取り上げ、それを指導する中で、私も知識を増や 日本民俗学会年会 ( 園撃院大撃)で口頭発表を行っ していきました 。女性史関連で依頼が来た講演でこ 私自身も調査に夢中になってしまいました。 しばら f こ。 後にも述べるが、博物館問題にかかわったために、 その関係で口頭報告や原稿を依頼されることが多く くはこうした婦人会史料とのつきあいが続きそうで なった。 うした史料を取り上げると、さらに情報が寄せられ、 す。 r (単著) 歴史のなかの狭山池j清文堂 いずれにせよ、今年の私の研究テーマは、「平和 ( 論文)・「 肥後和男宮座論の再検討J. I 山口県防府 学」であった ようです。歴史学ならではの平和構築 市の当屋制 J 国立歴史民俗博物館研究報告J( 印刷 のための研究とは何か、これからも模索していきま 中) .I 神武天皇祭の民俗行事化 J W日本民俗学J(印刷中) す。 r r ・「 湖東地域における集落内水路の機能と変化 J 人 -市川秀之(いちかわひでゆき)民俗学 間文化j 本号 [研究] 昨年度内に出るはずであった単著をようやく 4月 ( 報告書類)・『 能登川地区民俗調査報告書 VJ東近 に刊行することができた。この本は以前の職場時代 ・『 石部善隆寺の墓石調査報告書 j 滋 江市教育委員会 賀県立大学民俗学叢書 の仕事の卒業論文のつもりでまとめたが随分遅く なってしまった。 また、 3本ほどの論文を学術誌な どに提出しどうにか査読も通してもらったので速が r (その他) ・「滋賀県下の博物館問題 J 新しい歴 史学のために J( 印刷中 ) よければ年度内に出るかもしれない。調査関係では .I 滋賀県下の博物館の現状と謀題J f人 数年来継続してきた調査にとりあえずのまとまりが ついた年であった。 2年かかった石部善隆寺の墓地 間文化j 本号 . r 滋賀民報 j に博物館問題について 調査がようやく完了し、年度内に報告書を出す予定 連載 ( 1 0回) である 。 自分の研究室で 出す報告書;について 『 滋賀 県立大学民俗学叢書Jというシ リー ズ名を付けるこ とにした。 1号だけにならないようにしたい。 また 4年目になる 『 能登川の歴史j にむけての民俗調査 も最終年となり、学生とともに 2地区で民俗調査を [教育] ゼミでは先述の通り初めて県外での調査をおこ なったほか、数え切れないほど民俗調査、民具調査 した。あとは私がちゃんと執筆するだけである 。水 をおこな った。 4回生は一人であったがどうにか卒 論を提出、 3回生は 6人と過去最大となった。 また 野先生を中心とする琵琶湖の環境史関係の科学研究 大学院は社会人の博士課程が一人だが、修了生と中 費も今年が最終年で、秋に報告文を書いた。 これも 国からの留学生が研究生としてゼミに参加してくれ 運がよければ来年度に刊行される 。 今年になってから取り 組んだ調査も多い。彦根市 た。研究生は 1 0月の B本民俗学会年会で口頭発表を お こなった。来年度はまた大学院生が増える予定で 下石寺や多賀 町一円では学生 とともに民具調査をお ある 。 学部の授業担当は昨年度 と変化 はなかったが、 こなった。後者は数年かかり そうで、さらに雪が解 博物館、民俗学、社会調査と 三つの実習を担当して けたら高島市マキノ 町白谷でも古民家の民具や文書 いたので体力的に結構つらかった 。年のせいかもし の調査を始める 。 これらの調査は学生の調査実習と れない。 しては大変ありがたく、 地域の皆さんとの交流の場 ともなってとても楽しいの だが、そこから学術的成 [社会的活動} 従前と同じく能登川の歴史編集委員や柏原市文化 人間文化・ 5 7 人・閏・文・化・通・信 財審議委員、近江水の宝 1 0 0選選定委員(滋賀県教 大学で第一 回研究発表会が行わ れ 、 2 0 1 0年 1月2 3日 育委員会)をつとめ、新たに大東市文化財審議委員 には第二回の研究発表会が開かれた。 に委嘱された。依頼された講演などは下記の通りで そのほか大学院の ゼ ミの一環 として進めてきた東 あるが、福祉系事業所で介護ヘルパ ー養成講座の講 洋文庫所蔵 「 北京ウン ドル王府モ ンゴル語文書記録 師をしたのは新鮮であった。また滋賀県の博物館の 帳写本」の研究も 2 0 1 0年度にお ける内モ ンゴルでの 危機的現状にたまりかねて定森先生など数人の研究 出版に 向けて最終段階に入った。 者 と滋賀県の博物館の将来を考える会を組織しその 事務局になった。生まれて初めて署名活動をおこな [ 2 ] 活動一覧 い野洲市長に署名簿を手渡したり、琵琶湖文化館問 I 研究活動 (1)訳著 リ グ デ ン 著 佐 治 俊 彦 ボルジギン・ブレンサイ ン訳『地球宣言一大草原の偉大な寓話j 教育史料出 題で、県に要望書を送ったりした。私の民俗学的研究 がマスコミに報道されることはまずないが、 こちら の活動は大きく取り上げられ、そのため組合の集会 などで発言を求められることなどもあり、自分でも 少し驚いた。一連の活動を通じて私自身学ぶところ 0 09 年 9月 版会 2 (2) 学会口頭発表 が大きく、大学に来てから社会的な動きに鈍感にな ① 「近現代モン ゴル社会の構造変動とダイ ナ ミズ りつつあった自分へのなに よりの刺激となった。見 ム」名古屋大学科研費プ ロジ 、エ ク ト(基盤研究 直しの時代を迎えて、博物館にも変革が求められる S) 牧畜文化解析に よるアフ ロ ・ユー ラシア 内陸乾燥地文明とその現代的動態の研究」第二 0 1 0年 1月2 3日 回研究会 2 ②「 リグ デ ン 著 『地球宣 言 j の 邦 訳 に 携 わ っ て 」 日本モン ゴル文学研究会 2 0 0 9年度秋季大 0 09 年1 1月2 9日 於大阪外国語大学 会 2 (3)競争的資金 ①科学研究費 ( 基盤研究 C)一般研究(二年目) 研究テーマ 辛亥革命以後における旗入社会の 民族的帰属意識の変遷に関する研究 ② 科学研究費(基盤研究 S )名 古 屋 大 学 研 究 分 担 研究テーマ 牧畜文化解析によるアフロ・ユー ラシア内陸乾燥地文明とその現代的動態の研究 ( 4 )地域・社会 ・園際貢献 ① 日本モンゴル協会 評議員 ②『 臼本とモンゴル j 日本モンゴル協会誌 編集 委員 のは当然であるが、その中で次世代に守り{云えてい かなければならないものもある 。それを見極めなが ら来年度以降も これからの博物館の姿を模索してい く活動を、市民や博物館関係者と継続していきたい 0 ・市民学芸員講座「民俗資料の見方と扱い方 J( 2 月1 6日 ・大東市歴史資料館) -介護ヘルパ ー就業訓練講座「高齢者の生きてきた 5日 ・労協栗東金勝作業所) 時代 J(2月2 (3 -平野区住民大学講座「 狭山池 と古代河内の開発 J 月 5日 ・平野区画整理記念会館) -ボルジギン・ブレンサイン社会史モンゴル ・中国 東北地域史 [1]年間活動 今年は、科研費の調査で忙 しく海外へ出かけた一 年でした。2 0年度からはじまった 「基盤研究 CJに 、 2 1 年度からスタ ート した名古屋大学の大型科研 ( 基 r 盤研究 S)の研究協力者となり、ともに 中国やモン ゴル国を対象にした研究のため数回研究調査に出か けた。 9月には内モンゴルにおける文化大革命を描 -東幸代 ( あすまさちよ)日本近世史 0年が経ちまし 本学採用以来、あっという問に 1 モンゴル語) いた リグデン著 『 第三惑星の宣言J( た。 この場をお借りして、支えてくださった皆様方 の邦訳を出版した。中国の少数民族地域における文 に心より御礼申し上げます。「関西 ・古文書・水辺 化大革命の甚大な影響を描いたこの作品は中国領内 のモンゴル人に使われているウイグル式モンゴル文 (+野鳥 )J という 3(4?)拍子そろった理想の就 職に、自分は何て幸せ者なのだと思ったのが、まる 字で創作され、その後キリル文字や中国語、日本語 で昨日のことのようです。振り返ってみますと、こ など四つの言語で出版されたことを受け、 1 1月 6 日 の問、人と機会に恵まれ、多くの得難い経験を重ね に内モンゴル自治区の首府フフホト市で記念シンポ ました。ただ、学生時代に青春を賭した排球に例せ ジュムが関かれ、そこで発表した。モンゴル諾長篇 ば、四方八方から次々に打ち込まれる硬軟とりどり 小説のはじめての邦訳ということもあって日本でも のアタックやフェイントを、毎 日毎日可能な限り丁 さまざまな場でこの邦訳が取り上げられた 。 1 1月2 9 寧に、ひたすらレシ ーブし続けたという状況。 トス 日には、大阪で関かれた 「日本モンゴル文学研究会」 において翻訳の経緯などを踏まえた講演を行った。 至っていないという歯がゆさを常に感じていました。 大型科研に加わったことを受け、 6月 5日に名古屋 特に、研究活動については、膨大な数の古文書を読 58 ・人間文化 アップし、自分でアタックを打ち込むという段階に 人・閏・文・化・通・信 解・整理しながらも、目録や報告書作成にとどまっ 館、資生堂企業資料館などを見学する予定である 。 ています。改めて思うのは、本県は歴史研究者にとっ また市川先生のゼミと多賀の一円邸の調査を行った。 て極めて魅力的なフィールドであるということ 。今 今年度のゼミ生は 1 2人、プレゼミ生は前期 8人、後 後は、戦略をもって自らアタックを仕掛けていかね 期 5人である 。 ば、と思っています。 環琵琶湖文化論実習では京集先生 ・塚本先生の班 以下は紙幅の関係から トピックを簡単に。 に入れていただき、安土城や堅田、鎌刃城跡などを 教育・本ゼミに初の大学院生が誕生しました。 ま 訪れた。 1年生と過ごした 2泊 3日はとても楽しい た、他大学で、集中講義デビューを果たし、なかなか 時間で、寝食をともにすることが何気ないお互いの エキサイティングな年でした。 理解を深めることを実感した。来年度は班長として 研究 自治体の仕事や科研の関係か ら、琵琶湖岸 の不安定な土地をめぐる人々の対応を検討しました。 また、極近で琵琶湖舟運に関する論文が活字化され 参加するのでがんばらねばと思います。 。社会活動 ・滋賀県男女共同参画センタ ーで、 1 2月 2日、さん かく塾ステップアップ編第 1回講座「絵巻の中の る予定です。読者の反応が楽しみです。 地域貢献:例年通り複数自治体の審議委員等をつ 女性像 男女の視点で何かが見えてくる 」 を担当 とめました 。 また、夏には、かつて学生らとともに した 。受講者の皆さんが熱心で、こ のような場で 整理した本学所蔵の古文書を 利用して、市民向けに 江戸時代の信仰に関する講演を行いました。終了後、 思った。 「わかりやすくてぴ、っくりした 」 というコメントを 頂き、こちらもび、っくり。 ジェンダー表象研究が生かされる ことを 嬉しく -何度か訪れたことのある水俣病センタ ー相思社の 機関誌 『ごんずい J1 12 号に、「病の表象、水俣の 表象」 を書いた。絵に捕かれた病気の人の姿を見 ていくと、病人の身分やジェンダーによってその -亀井若菜(かめいわかな)日本美術史 2 0 0 9年 4月に県立大学に赴任し、最初の 1年が経 扱われ方、描かれ方が奥なっていることがわかる 。 とうとしている 。学生にとって日本美術史の授業は 病の表象は差別意識とも関係することを書いた。 初めて聞くものであり、私にとっても専任の教員と して教壇に立つのは初めての経験なので、どのよう -島村一平 ( しまむらいっべし、)文化人類学・モンゴル研究 に授業を進めれば理解が深まるのか、講義でもゼミ 調査終了以来 8年間、後生大事にあたためていた でも試行錯誤の毎日であった。 しかし l年経って県 博士論文を提出し、先日、無事に公開発表会を終 大生の様子もわかり、授業の内容を考え作戦を練る え、博士 ( 文学)の学位を取得した。予備審査の提 のが楽しみになってきている 。 出日が私自身の誕生日、本審査の提出日が亡き父の 。研究活動 誕生日と重なったのであるが、審議先から指定され . r 涙の文化学J( 青簡舎、 2 0 0 9年 2月)に 、 「 絵巻に 見る 『 涙jの表象一 『 泣く姿Jが構築する力関係」 た公開発表会の日は、奇しくも母の誕生日であった。 フィールドでお世話になった方々の中には、鬼籍に と題する論文を書いた。 入られた方も少なくない。 もはや報告することの出 . r ジ‘ェンダ一史叢書第 4巻 視 覚 表 象 と 音 楽 J( 明 01 0年 2月)に、「不浄鋭から読み解く 『 掃 石書応、 2 墨物語絵巻j 一中位絵巻が見せるフェミニン ・エ ンデイング」 と題する論文を書いた。 .2 0 0 7年からメンバーとして関わった科研 2本が最 r 終段階を迎えた。科学研究費基盤研究 ( A) 着衣 する身体と女性の周縁化 J( 研究代表者 来なくなった人々を思いおこし 、虚空に感謝する 。 さて、本年度の主な活動は以下のとおりである 。 [1]研究 博士論文 『シャ ーマニ ズムによるエスニシティの 探求 ポスト社会主義期におけるモンコ守ル・ブリ ヤートの事例を中心として j 大阪大 調査に関しては、学内特別奨励費 「モンゴル・環 学武田佐知子)では、研究論文 粉河寺縁起絵巻 j の中の着衣と脱衣の女性像」を書いた。 フブスグル i 市 j 地域の総合研究に向けた予備調査 ( 代 n 。教育活動 授業では多くの画像をパワ ーポイ ントで映し説明 表 研 究 者 島 村一平) J、および科研費 ・ 基盤研究 Mモ ンゴル・中央アジアにおける社会主義的近代化に関 する比較研究 ( 代表研究者:小長谷有紀 ) J の研究 するが、実際に作品を見ることは美術史研究に不可 分担者として、モンゴル、ロシア連邦ブリヤート共 欠なので、ゼミで見学会も実施した。 7月には京都 に行き、智積院、 三 卜三間堂、河井寛次郎記念館、 和凶、イルクーツク州などでフィールド調査および、 2月には 京都国立近代美術館、細見美術館を見学、 1 奈良へ行き、奈良国立博物館、奈良県立美術館を見学、 2月にはゼミ旅行として静岡へ行き、秋野不矩美術 公文書館で史料調査を行なった ( 8 . 13- 1 0. 1 。 ) また、国立民族学博物館とケンブリッジ大学の研 究者が共同 主 催する国際会議 r r d e a l sN a r r a t i v e s . P r a c t i c e so fModerni ti e si nFormerandC u r r e n t 目 人間文化・ 5 9 人・間・文・化・通・信 S o c i a l i s tC o u n t r i e sJ ( 2 0 1 0 . 3. 19- 20)において、以 n v e n t i o n 下のタイトルの発表を行なう予定。Thel o fPre-moderno rt h eS a l v a t i o no fT r a d i t i o n ?A 今回は、 2年前とは違って第 1希望で志望してくれ た学生が多く、手応えがあったように思います。ゼ ミ・プレゼミでも、愛荘町にあるブラジル入学校 、 c a s e Studyo f an Ethnographic r e p o r ti nt h e サンタナ学園を訪問するなどしました。夏にはゼミ S o v i e tP e r i o di nB u r y a t i aJ [2] 教育 生 と韓国に行き、ソウルや仁川の 「 エスニック・タ ウン J( 中華街、モンゴル人街、ムスリム街など) 、 卒業論文 7件の指導を 本年度は、修士論文 1件 行なった。交換留学制度によ ってモンゴルに 1年間 を歩き回りました 。 対外文化交流論 Cは、隔年開講なうえに、 2年 滞在した学生 2名が、長期滞在を 生かした面白い卒 0 0年目とい 前は朝鮮通信使が初めて来日してから 4 うことで特別に非常勤の先生に講師をしていただい 業論文を 書いてくれたことがうれしい。 3回生のゼ 1名 ( 含む留 ミ生は 9名、プレゼミ前期 9名、後期 1 学生 2名)。 5人 ( 女 また、例年のごとく夏休みを利用して学生 1 1 3人 、 男 2名、留 学生 3名含む)を伴 ってモンゴル・ .3 1- 9 .1 2) 。おそらく日 ツアーを行な った (8 本人は誰も行 ったことはないであろう、ゴピ砂漠の 果ての恐竜の谷 「ネメグ卜渓谷」 を目指した。砂漠 を越えるとそこは、グランドキャニオンを小さ くし たようなメサ ( 卓仁台地群)がそそり立ち、谷間に は恐竜の化石がいたるところに転がっていた。 しか たので、実質、 4年前の講義案を全面更新して行う ことになり、大変でした。やはり毎年行っている講 義のほうがうまくいきます…。 [研究活動1 6月に、 「行 ってみよう 1滋賀の朝鮮学校へ」の 実行委員として企画やパンフレット作成を行い、当 日のシンポジウムで、はパネラーとして 「 滋賀の朝鮮 学校・外国人学校 歴史と現状」 について話しま し、道中、高熱を出す者が出たり、砂漠の砂に車が 0月に、 「滋賀県在住在日コリアン高齢者の した。 1 生活実態に関する調査報告書」を出しました。いろ いろあって、調査実施から発刊ま でずいぶん時間が 立ち往生したり、予想外に過酷な ( 学生にと ってだ が)旅であ った。全員、無事 に帰りつくことができ 経 ってしまいましたが、ょうやく出せてほっとして います。 てイ可よりである 。 女 交換留学に│刻しては、昨年度に引き続き、 3名 ( 「朝鮮近現代史に関するデータベース J 日本歴 史J7 4 0 号( 2010年 1月)という原稿を頼まれて告 :き ましたが、 「日本史研究とデータベース 」 という特 子 2名、男 子 l名)の地域文化学科の学生がモンゴ 男子 2名)の学生がモ ルで学んだ。来年度は 2名 ( ンゴルへ筒 学することとな っている 。一 方 、 学科 で 3名のモンゴル入学生 ( 女子 3名)を引き 受けた。 来年度もモンゴルからや ってくる学生は女子 3名で r 集の 「 分野別現況」 という位置づけであることに後 から気づき、この無自覚な (?)植民地主義に対し てちゃんと事前に気づいて抗議しなかったことをと ても後↑悔しました。 あるという 。 日本もモンゴルも海外に興味を持つの は、なぜか女性が多い。 [3] 社会貢献 「滋賀県の近現代史における在日朝鮮人 ・朝鮮に 関する基礎研究」 という研究課題の 2年目でした。 引きつづき県庁の県政史料室で史料調査し、国会図 前年度に引き続き、本年度の日本文化人類学会の 研究大会において、モンゴル ・セッションの座長を 書館の憲政資料室で GHQの文書 を少し調べました。 1月2 0日には兵庫県阪神尼崎シ 務めた。 また、本年 1 ニアカレ ッジで 「ポピュラー音楽からみた現代モン ゴル」 という題で、 1 1月2 2、2 3日には、放送大学滋 賀学習センターにて、それぞれ出張講義を行 った。 -河かおる(かわかおる) 朝鮮近代史 昨年度に引きつづき、育児部分休業を 1日につき [地域活動] 以下のような場で委員や講師をしました。 委員は、しが多文化共生推進会議 ( 2007年 1 1月 2 0 0 9年 1 1月) 、彦根市行政評価委員 ( 2009 年 5月 -) 、 2 0 1 0年 1月 近江八幡多文化共生推進懇話会・座長 ( -) 、東近江市史調査執筆委員 ( 2 0 0 6年 9月-)など です。 講師は、びわこ南部地域人権啓発連続講座「在日 高 齢 者 は 今 多 文化共生社会をめざして、今滋賀で はJ( 2009 年 5月) 、綾羽高等学校教職員人権研修会 2時間取得しました。来年度からは下の子も小学生 になるので、今年度限りです。昨年の今頃は子ども の霊園拒否で悩んでいましたが、この部分休業のお かげで何とか乗り切りました。 「 他者への想像力 一在日外国人と共に生きるために 知っておきたいこと 」、近江八幡小学校夏期人権教 [教育活動] 環琵琶湖文化論実習では、 2年前にも企臨した、 「多民族 ・滋賀一 『 在日外国人 j から滋賀を見る 」 というテーマで武田先生と班を組んで、行いました 。 育研修パスツア ー講師、 全人教分野別研究会全体会 講演 「 在日コリアンの歴史とニューカマ ーの現状を 2009年 7月)、地域リーダー養成講 教育から探る J( 座「共に生活するうえで大切な ことはなんだろう 」 60 ・人間文化 人・間・文・化・通・信 ( 2 0 0 9年 8月)、守山中学校 ・高等学校教職員人権教 の方々からのヒヤリングを行った。 ご協力をいただ 、近江八 l 隙市 育研修 「 在日外国人問題と人権教育 J いた島民の方々に感謝申し上げたい。 職員人権啓発講座 「 外国人の人権について ー 近 江 4 砂社会貢献 八幡市多文化共生推進指針の策定にむけて J( 2 0 0 9 年1 1月)、マダンの風を淡海から ・ 講演 ( 2 01 0年 3月) などです。 近江楽座 「ケンダイ地球座」 の指導教員として, 学生たちが開催した 3回のドキュメンタリー映画の 上映会をサポートした。第 1回は 2 0 09 年 8月 3日に また、環境科学部の泉先生や、人間文化学部の武 大学サテライト・プラザ彦根で鎌仲ひとみ監督の「ぶ 田先生といっしょに「 セス タ ・パジカの会」の活動 んぶん通信 No. U (グル ープ現代 ).第 2回は 1 1月 もしました。 この会は、不況のため厳しい生活を強 7-8日に湖風祭で 「地球異変 J(朝日新聞社).1プ いられている滋賀県在住の外国人家庭への食料品・ ラスチ ックの家のヤドカリ J( ア ースビジョン, )f 食 日用品支援を行っている市民グループです。 ( 農林水産省) 料の未来を豊かなものにするために J など。第 3回は 2月2 0日に開催予定である 。 -武田俊輔(たけだしゅんすけ)社会学 ・研究活動 山口県上関町祝島で、行われる神舞(布I 1 楽)の調査 また学外の市民の方々,そして環境科学部の泉泰 弘先生や地域文化学科の河先生と共に ,滋賀県で失 業した外同人への食糧支援を行う活動 「セスタ パジ を本格的に始めた。 4年に l度,国東半島の伊美別 ヵ」に,ゼミ生たちと参加している 。現在,愛荘町 宮社の*楽師の一行を迎えて 5日間行われるこの祭 のブラジル入学校であるサンタナ学園への日本語指 9 8 2 りは島民にとって最大の心の拠り所であるが, 1 導支援に,学生と共に参加することを検討中である 。 年に公表された中国電力の上関原子力発電所建設計 なお以下の 2回の祝島に関する講演を行った (う 。 ち 1回はケン夕、イ地球座でのもの) 商による島内の対立と疑心暗鬼の中で中絶していた。 その神舞が島内の 9割を占める原発反対派の手で再 「祝島の生活 ・文化と住民の反原発運動 J(瀬戸 内 生するプロセスと,その活動をき っかけとして島民 の原発反対の意識が祝島での暮らしの再認識と新た の原風景一上関・長島の自然写真展+トーク )2 0 0 9 な地域おこしの取り組みへと結びつく仕方について 調査を進めている 。 年 4月 3日 ・堺町画廊 「 祝島・上関の現状 J2 0 0 9年 8月 3日(ケンダイ地 球座第 1回上映会 ・大学サテライト・プラザ彦根) また 医l 際日本文化研究センターにおいて共同研究 員として参加した 「民謡研究の新しい方向」は最終 -塚本礼仁 (っかもとれいじ)地理学 年となる 3年目を終え,私自身の原稿も含めて,細 川周平編 『うたの地脈民謡研究の新たな地平j と 。研究活動 ここ数年 して公刊されることになっている 。 地偽装とい った輸入モノの不祥事が相次ぎ, ことさ 加えて特別推進研究「男女共同参画社会実現プロ ウナギの消費市場では,薬品残留や産 らに国産をありがたがる風潮が目立っています。昨 グラムの構築 jプロジェク 卜(平成 2 1-23年度、代表 年 3月,全国蒲焼商組合連合会・東京蒲焼商組合主 京祭真帆子教授)で、人間関係学科の中村先生 ・丸 催(協力 山先生と共 に,本学で働くすべての教職員を対象と 組合. ( 株)日本養殖新聞)の 台湾研修に同行し,利 全国淡水魚荷受組合連合会,日本鰻輸入 した男女共同参画に関する質問紙を作成し調査を実 害の 一致した日本のウナギ屋(国産ウナギは材料費 施した。 この分析結果はなるべく早く.w人間文化』 が高いのに,料理は値上げできない)と台湾のウナ で公表したい。 ギ商社 ( 輸出前の品質検査は日本より厳しいのに. 4 砂教育活動 買い叩かれる )がいきなり商談に入るのを見て,こ 今年度のゼミは 4回生 7名(ただし 2名が休学中)• 3回生が 8名,プレゼミ が前後期合わせて 9名だっ のことを笑感しました。今年度の研究の着想はそこ た。少なからぬ先生方から同じ印象を耳にするが, 今年度の卒論指導は, これまで経験した中で最も負 産 加 工 業 の 現 状 と 謀 題 調 査 研 究 事 業」ゃ ( 株)漁 にあり . ( 財)東京水産振興会の 「 構造再編下の水 協経営センターの 「 静岡うなぎ漁業協同組合調査 ・ 担の多いものであっ た。今後の指導方針を考え直す 診断事業」の調査員として活動し つつ,国産の威を べき時期かもしれない。 借る国内ウナギ産地の情報を集めました。その成果 学外実習では前期・後期とも石川県で,前期に京 の一部は,経済地理学会関西支部 1 2月例会で発表し 集ゼミが幹事の 山城を中心とした前近代編,後期は ( f水産物フ ード システムの変容と産地の対応ーウナ 武田ゼミが幹事で歴史的環境 ・戦争遺跡を中心 とし . 2009/12/05.大阪市立大学文 ギを事例として--J 化交流センター ). また,高柳長直ほか編 『グロー た近代編であった。 また ,後述する近江楽座の 「ケ ンダイ地球座」の企画の一環 として,ゼ ミ生や前期 プレゼミの学生で祝島を訪問し,島の中心メンバー パル化に対抗する日本の第一次産業と産地戦略J (第 4章第 2節 「日本におけるウ ナギ産業の新展開 J執 人間文化・ 6 1 人・間・文・化・通・信 筆,近刊)に掲載されます 0 0西藤清秀 . i 賓崎一志・石川慎治ほか 6回大会研究 と展望 J(日本文化財科学会第 2 今年度のゼミの学外実習では岡 山県を訪れました。 発表要旨集、 2 0 0 9 . 07) 雨男の私にしては天候に恵まれ ( 一滴も降らなかっ たというわけではありません L 倉敷市の水島コン ビナートや児島アパレル産地(国産ジーンズ)の見学, 0石川慎 j台、丹波正博、演崎一志 「彦根城下 ・ 長曽根 口御門の復元 J(日本建築学会近畿支 倉敷美観地区の散策,政令指定都市・岡 山市の巡検, マスカット・オブ・アレキサンドリア狩り,備前焼 の制作体験・・,例年に増してガチガチの地理学をや 「シリア・ パルミラ遺跡、の墓から見た 3次元画像の活用 .教育活動 0 0 9 . 0 6 ) 部研究報告集、 2 。教育活動 今年度もゼミの 4回生は 3人でしたが、卒論指導 りながらの楽しい 2泊 3日でした。その一方,卒業 については昨年度よりも多少改善できた点はあるも 論文の指導は苦行か け )と思うくらい過酷で,困っ ののまだまだ反省点はありますので今後に活かした いと思います。 たらすぐに答えを聞こうとする悪癖と義務教育レベ ルの国語を研究の中身より先に何とかしなければな また、 TBS ,世界ふしぎ発見!Jでパルミラ遺 らないという教員冥利に尽きないものでした。最 跡が取り上げられたこともあり、今年度は「文化財 演崎教授とともに担当 )において、パル 情報論 J( 近,研究室に顔を出してくれた卒業生に 「 先生は丸 くなった」 と言われるのですが,良くない意味で角 ミラ調査を指揮しておられる西藤清秀氏に特別講義 が取れているようです。来年度はしめてかかる決意 をしていただきました。最新技術による海外調査で です。 の経験談にふれることができ、受講生にとって有意 。社会活動 教育現場における地理の存在が薄くなるなか,大 義なものとなりました。 4 砂社会活動 学の講義以外で、地理の話をする機会が多かったです 昨年度、ゼミの学生とともに、彦根城下にあった (滋賀県立農業大学校 「滋賀の地理と文化」担当非 常勤講師,滋賀県立伊香高等学校模擬講義 ,W 輝く 長 曽根口御門の復元に取り組みましたが、この復 元案なども参考にしながら平成 2 1-2 5年で長 曽根 自分がそこにいる j の地理学J ) 。 また ,前年度に引 口御門復原整備事業 , (彦根市歴史的風致維持向上 き続き [能登川の歴史jの編集・執筆(近現代部会) 計画 J )が行われることになりました。 このように、 委員として資料分析などを行いました。 研究室での成果が現実のものになろうとしているこ -石川慎治(いしかわしんじ)保存修景 今後予定されている発掘調査などの結果も踏まえな .研究活動 今年度から人間文化学部漬崎一志教授、環境科学 がらさらに検討していきたいと思っております。 部富島義幸礎教授とともに、彦根市河原町・芹町地 区の町並み調査を担当することになりました。滋賀 〔 県には国の重要伝統的建造物群保存地区 ( 重伝建地 -印南比呂志(いんなみひろし)道具計画論 区)が 3地区ほどありますが、彦根市河原町・芹町 .教育、ゼミ活動 とは非常に喜 ばしいことですが、復元案については 地区における調査はこの重伝建地区を目指すもので =生活デザイン学科 t 例年以上にゼミで活動する領域が広がっている 。 あり、今後 2年かけて伝統的な町並みを構成する町 OB,OG、大学院生、 4、 3回生の連携がうまく出 家調査に参加する予定です。 来上がってきた年であった。 一方、継続している調査・研究としては、 ①滋賀 県内の町家研究 ( 科学研究費)、②針江地区の文化 ・海外研修 ( イタリア , 韓国) -地域産業調査研修 ( 青森 , 秋田 , 岩手。埼玉,東京, 的景観調査 ( 高島市)、① 『彦根市史<景観編 >J 長野, 京都 , 岡山,徳島,高知 , 大分 , 山口 , 島根,鳥取 , 執筆のための調査 ( 彦根市)、④ シリア・パルミラ 石川,和歌山など) 遺跡における家屋墓調査 ( 科学研究費 )、などを行 ・デザイン演習授業成果展示会開催 ( 大阪) いました。なかでも パ ルミラ遺跡、における調査では .G e r a l dC h r i s t教授 ( A n h a l tU n i v e r s i t yDessau) のワ ークショップを開催 -産学連携による授業課題を行った ( 道具デザイン 演習 I,N) ・近江楽座座長として学生の地域活動を推進 .岡山県立大学デザイン工学部非常勤講師 -他、ゼミでさまざまなイベントに参加、ボランテイ ア活動を行う 墓の建造者や年代を記していると思われる碑文を発 見する場面に立ち会うことができ、発掘調査の醍醐 味を味わうことができました。 <主な研究発表> O石川慎治、演崎一志「槻御殿・茶室 「奥四畳」 の復元 J(日本建築学会大会学術講演梗概集、 2 0 0 9 . 0 9 ) 62 ・人間文化 人・間・文・化・通・信 。デザイン研究活動 題を論じました。会場では工芸研究者からの専門的 昨年から多くの建築系のプ ロジェクトに参画して 0以上のプロジ、エクトが進んで いる 。現在国内外で 1 表梗概集所収)。 いる 。住宅、公共施設、美術館、商業施設、オフィ ス、リゾー ト施設、リノベ ーション、まちづくりな な指摘もあり、勉強になりました(同フォ ー ラム発 .社会活動 近江ユニバ ーサルデザイン製品アイデア コンク ー ど多岐にわたっている 。 ル(県健康福祉政策謀事業)審査委員長、彦根仏壇 -韓国やインドネシアで多くの建築デザインプロ 工芸技術コンク ール ( 彦根仏壇事業協同組合)審査 委員長、伝統工芸士認定試験(彦根仏壇)産地委員 ジェクトに参画。 -滋賀 , 埼玉 , 高知,和歌 山などの地域からの受託 研究やデザイン開発、プ ロデユース事業を行った 。 長 。学内活動 認証評価実施特別委員として 、全学の自己評価書 .社会活動 ・信楽陶器祭り新産業展審査委員長 の作成にかかわっています。 6月完成の予定。大学 .信楽酒器展審査委員長 評価・学位授与機構による来年 3月の評価結果確定 -埼玉県中小企業振興公社広報セミナ ー担当 まで、まだまだ多くの作業がありそうです。みなさ .しが新事業応援ファン ド審査委員 まのご協力よろしくお願いし ます。 -岡山地域デザインシンポジウム講演 .佐々木一泰(ささき くにひろ)空間デザイン -面矢慎介(おもやしんすけ)道具デザイン論 。教育活動 今年度も京都府宮津市由良地区での生活デザイン 学外演習(京都府立大との共同開催、 9月2 1日 -2 3 .教育・研究室活動 前年度から滋賀県立大学生協、研究室学生と協同 で進めてきた食堂テラス ( 通称ナカニワテラス )が完 成。その後、グッドデザイン賞 一次雰査を通過し、 日)に学生を連れて行きました。休耕地を利用した 東京ピックサイトで行われたグッドデザインエキス エコパ ークづくりの一環で、回舟を使った泥回遊び、 ポに参加。展示計画、デザイン、及び作業は研究室 水生昆虫採集、植物採集、遊歩道整備などに汗を流 4回生が担当。その後、本審査を経て、 2 0 0 9年度の しました。 nakani wa+ te r r a c e/ グッドデザイン賞を受賞した。 ( 。研究活動 今年度は、大学教員になる以前の会社員時代にそ 2 0 0 9 年グッドデザイン賞-D 6 .社 会 領 域 公 共 ・ 文 の設立にかかわった学会(その名も道具学会)の再 化教育関連施設) またテラスの空間利用方法についても、今年度は 興に精力を注ぎました。 生活栄養学科の岡本研究室と合同で 1 0月2 9・3 0日の 5 号 J(道具学会、 2 0 1 0年 3 編纂「道具学論集 第1 月刊行)は、しばらく途絶えていた学会論文集を刊 昼休みに「ナカニワカフェ」を企画し、 二 日間で約 行し、この分野の研究振興をはかろうとするもの。 また研究室院生による活動も活発化した。その制 1 5 0名の参加があった。 編集委員長として論文募集や審査の体制整備にっと 作物の一部はアワードに受賞し、社会と接点を持つ めました。 院生ならではの活動を深められたのではないかと思 2 0 0 9 年度道具学会研究発 表フォ ー ラム ( 2 0 1 0年 1月 9日 ・1 0日、宝塚造形芸 年次大会の企画実施 術大学東京新宿キャンパス)は、実行委員長として 研究発表の募集、会場/ プログラム構成、当日の進 行役まで。参加者が楽しんでくれていたようなのが 何よりのご褒美です。 自らも以下を発表。 研究発表 「 模造/提造/創 造 ? モンゴルの 2 つのポット j は、道具の実物を展示しておいて、そ れを前にして口頭発表するこの学会独自の形式の発 表。本学部が所蔵するゲルの家財道具コレクション の中のポット (ドンボ)を展示。 当初購入したポッ トが現地で実際に使われてきたものでなく、展示用 の担造品ではないかとの訴え(地域文化学科の島村 一平さんから )の顛末、そして島村さんからコレク ションに追加された真性のポッ トとの比較を通して、 つ。 〈 桑山竜〉 -ナカニワテラス 実施設計チーフ ・申賀市子育て支援 c a f e1 アプリコ ッ ト」 ( インテリアデザイン ・基本計画設計) ・彦被橋本商庖街地域交流施設 「いこう館」 屋根上サインデザイン -彦根橋本商庖街交流施設 「いこう館」 屋外移動サイン昔│ 画 ( 制 作 桑 山 竜 、 林 宏美) i f o o d p r o j e c t) ( ク ライアント近江楽座 Ohm 第4 3回 SDA賞 ( 招待審査員賞) 青木淳賞(建築家)、下川一哉賞 (日経デザイン編 集長)、学生賞、関西地区デザイン賞 0 0 9 入選 ディスプレイデザイン賞 2 現代のデザインにおける「伝統の創造/担造」の 問 人間文化・ 6 3 人・閏・文・化・通・信 8 0 平米ほどの足軽の家は、近代の家族の家としても、 〈 林宏美〉 . 2 0 0 9 年度日本建築学会大会(東北) ちょうど良い広さで使いやすく、おまけに彦根の都 建築デザイン発表会出展・発表 心のすぐ裏で、住環境としては便利です。おまけに ・石山アートプロジェクト代表 道がきわめて狭いため、用のない車は絶対に入って (近江楽座:森川准教授と協 │ 百 l 担当) くることはなく、応も 1軒もないという静かな住環 〈 メディア掲載 〉 (テラス関連 境です。 ここのまちづくりをせよ、という コンペで 中日新聞・産経新聞・京都新聞) (屋外移動サイン関連:中日新聞) (石山アートプロジェクト関連 す。 われわれは、まったく何も造らないし、変えないで、 びわこ放送 2)・中日新聞 ( 2 )・産経新聞・京都新聞) 朝日新聞 ( そのままにするということを訴えかけました。 まち づくり コンペで何もしないというのは、 1等には入 また葦や滋賀県の自然素材を用いた製品開発に参画 らないのはわかっていましたが、建築史を専攻とし し、現在活動中である 。 てきた地元の学者としては、やはりもとのままにし 。デザイン・研究活動 ておくことがいちばん良いと結論を出しました。案 今年度は研究室で行う活動はデイレクションとデ の定、 l等の国土交通大臣賞の Tコンサルの作品は、 ザインの境界を明確にする事を意識し、学生による 新しい商業施設を造り、道のいくつかは広げて車を デザイン範聞を明確にしている 。 通りやすくするという、まったく足軽屋敷の良さを また、昨年 2月に出版されたリ ー トフェルト建 ぶちこわすようなものでした。われわれの、まった (TOTO出版 く何もしないという案は、近代主義者的な都市計画 2 0 0 9 ))の図版を担当した関係で、矢萩喜従郎氏の 家からはとうぜん受け入れがたいものでしたから、 主宰セミナ一周の図版を担当し刊行された。 等外でしたが、 「 彦根市長特別立 Jをいただきまし また、現在大阪市にある元小学校を利用した、 「 精 た。いまでもわれわれの案のほうがはるかに現実的 華小劇場」の利用方法を提案する委員会に参加し、 主に都市空間利用の観点から計画 ・提案を行ってい で、実際の価値をきちんと評価した良い案だと信じ ています。 築(奥佳弥著 /キム ・ズ ワ ル ツ 写 真 る。 〈 出版 ( 図版担当)) .FHAr c hi t e c t u r a lSemi n a rN O . 5 (リー トフェルトの建築 :奥佳弥著 2 0 0 9 年 3月) 〈 展覧会〉 -個展 ( 企画依頼展) S t ud i o1 n 'sF a c t o r yEx h ib i t i o n<ゆれへん〉 (神戸 ・k a bha u s2 0 0 9 . 3 . 2 0 3 . 2 9) 〈シンポジウム・フォーラム〉 ・大阪の公的文化空間の未来について ( 2 0 0 9 . 0 7 2 0、精華小劇場(大阪・難波)) .大阪にア ート スクエアを創る会 大阪に「公的文化施設」は必要か ( 2 0 0 9 . l2 . 2 3、大阪市中央公会堂 ・大会議室) 〈 設計・デザイン〉 ・フレンチレス トラン空間デザイン ・技術設計参画 (大阪市北区) .道明美保子(どうみようみほと)染色学 染色の伝統的技法を現代の科学から検証し、さら に発展させていく方法を探ろうとしている 。 。研究活動 〈 調査〉 数年来、染・織の源流を訪ねる旅をしている 。 今年度は台湾の藍染色の現状を調査した 。台湾で の天然藍染色の復興を目指す研究者 ・団体との交流 を含め資料を収集した。現在の台湾天然藍染色の技 法はまだ低く、今後国際協力や技術指導により技法 が高められる ことが必要で、あると思った。台湾の国 家としての天然藍染色に対する援助や、研究者 ・団 体の指導者の熱意にふれ、今後に大きな期待をよせ た旅であった。 〈 学術論文〉 昨年から 、滋賀県立大学特別研究費を受 け 、 「 天 然染料によるセル ロー ス系繊維の染色のシステム -土屋敦夫(っちゃあつお)伝統空間論・都市計画史 今年度の大きな活動は、 「第1 1固 まちの活性化 ・ 化」の研究を行なっている 。今年度は最終年度であ 都市デザイン競技 j に、ゼミの学生と一緒に応募し 、 ・横 山早美 ・道明美保子 ・木村光雄 ・浦川宏 :木綿 り、得られた成巣の一部を学会誌に発表 した。 入賞した ことです。その対象地は、彦根の芹橋 ・足 の染色における波染 悶着剤 の効果に 関する研究 軽組屋敷地区です。芹橋 ・足軽組屋敷は道路幅 1 ( 第 1報) 酸性染料に よる染色に対するカチオ 間半 ( 2. 7 m )で 、 1 丁目から 1 4 丁目まで、各丁 4 0 軒ほ 2 問、各家 6 0 坪で、きちんと ど、関口 5間 ・奥行き 1 5 0 1 ,6 9 7 5( 2 0 0 9 ) 家が並んで、おり、今でも 4 0 軒ほど江戸期のままの家 が残っている 地区です。 この広さの土地に、平屋で 64 ・ 人 間 文 化 ン性濃染固着剤の効果一,繊維製品消費科学会誌 ・横 山早美 ・道明美保子 ・木村光雄 .i 甫川 宏 木綿 の染色における波染 固着剤 の効果に関する研究 人・間・文・化・通・信 ( 第 2報) フラボノール系天然染料に対する濃 SOONプロ ジェク卜に参加しており、現在、井上 染固着効果と染着の機構一織維製品消費科学会誌, 鞄製作所、有限会社ヒロタガラスクラフト、 玉の肌 5 0 -1 .7 6 8 6( 2 0 0 9) 石鹸株式会社と商品開発を進行中です。 して利用したキチン /セルロース複合繊維 CR20に 6月 に 東 京 ビ ッ グ サ イ ト で 行 わ れ た i n t e r o r l i f e s t y l e 2 0 0 9において、若手デザイナーブー 0組に選抜され出展を果たしました。 ス neOnの1 TokyoMidtownAward2 0 0 9i ニッポンの新し 対する天然染料の染着性を明らかにしようとするも い手みやげ」において、 一般の部グランプリを受賞 のである 0 ・道明美保子 本人の 〈学会発表〉 叫ばれる中、地球一 uこ残された数 資源の枯渇化がl 少ない巨大な未利用生物資源であるキチンを繊維と しました。受賞作品である 「 チョンマゲ羊奨」 は日 キチン /セルロース複合繊維の天然 染料による染色, 日本家政学会関西支部第 3 1回研 i-してチョンマゲ」 という 言い回しに着 目 したもので、手みやげに新しいコミュニケーション 1( 2 0 0 9) 究発表会講演要旨集,3 の可能性を見いだし、洗練された造形と共に 高い評 これらの研究の一部は学会誌に投稿 ・印刷中であ 価を得ました。商品化に向け調整中です。 dreambed主催 第 1回ベッドデザインコンテス る。 昨年から開始した共同研究 「 各種墜草からの安定 トにおいて佳作を受賞しました。 的かつ効果的なインジゴ生成法の確立と残浮色素の ニトリワンハウストータルコーデイネー卜コンテ 有効利用」では、藍草中に含まれるインジゴ量の定 スト 2 0 0 9において銀賞を受賞しました。 ローコスト 量方法を確立することができた 。今後は、江戸時代 でデザイン性に優れた家具シリーズのデザイン提案 を中心に行なわれていた伝統的製造方法を現代の科 を行いました。 学から検証しなおし、効果的な生産方法と残浮色素 1 0月に行われた、名古屋デザイナーズウィーク 2 0 0 9における 「中部産業局主催のワークショ ップj の有効利用の検討を進めて行きたい。 4 砂教育活動 研究室では当初 2名が卒業研究に取り組む予定で あったが、 l名がアメリカへ語学留学をしたため、 に参加し、 美濃和紙を活かしたプロダクトデザイン で入賞しました。 これは、株式会社林工芸 と商品化 にむけてで最終段階で調整中です。 天然色素による染色の簡便化」 を 今年度は 1名が 「 大阪府生野区商工会議所における 「フォーラム・ 研究題目として、意欲的に卒業研究に取り組み成果 アイ 」オリジナル商品開発として和紙を用いたノー を挙げた。.この研究の成果は今後染織業界で活用さ トのデザイン提案を行いました。 れると期待している 。 3回生ゼミ生が 「滋賀県立大学染料マップ j の作 成を開始した。 これは滋賀県立大学の身近な草木で 。教育活動 昨年度の卒業制作作品であり学科賞を受賞した、 綿布・絹布を染色し、含まれる色素の有効性を採る 林真弓さんの ものである 。今年度は 8種類の人間文化学部の草木 のデータを収集した。 この活動は今後後輩によって ザイン賞 2 0 0 9 において入選しました。 続けられる予定である 。 パレル商業空間のデザインコンペ WORLDSPACE 4 砂社会活動 CREATORSAWARDS2 0 0 9において、 三橋恵さん 昨年開始した 「 みずほの郷」の皆様との綿栽培は i monol o gh o u s eJが毎日・ DASデ 大 手 ア パ レ ル メ ー カ -WORLDが主催する、ア による 「 鉄塔と枝の先と私の温度」が大賞、千田亜 i a'p itJが優秀賞を受賞しました。 こ 今年は積極的な取り組みにはならなかった。綿栽培 沙子さんの の取り組みはその輪が広まり、当初考えていた役は の国際コンペへ研究室からの入賞は 4年連続となり、 ある程度達成できたと考えたからである 。大学とし て素材の微細構造や染着機構について関わっていく 0 0点を超 今回も国際色豊かな顔ぶれでトータルで 5 える応募の中から選ばれたものです。 ことを考えたいと思っている 。 また、研修会での天然染料による染色の助言等 、 修士一年の新森雄大さんが第一回文化遺産防災ア イデアコンペテイション において 「 貫地の水径」 天然染料の活用に関する問い合わせ、審査が多く で優秀賞を受賞しました。東本願寺に接続する、本 なった年であった。今後も身近な天然染料を見直し 活用する裾野を広めたい と思っている 。 願寺水道をテーマに都市防災拠点の提案をしたもの -商 競技 「まちの寄合所」において佳作を受賞しました。 です。 また、新森さんは第 4 4回セントラル硝子国際設計 政宏 ( みなみまさひろ)道具デザイン .デザイン ・研究活動 6月より、東京都墨田区の中小企業とデザイナー のマ ッチングにより新製品を開発する試みである 犬上川に架かる 「いまはし」 を主題に設計したもの 4 4点 です。歴史ある国際コンペで、世界各国から 7 の応募がありました 。 人間文化・ 65 人・ 閏 ・文・化・通・信 4回生の千 田亜沙子さん、江口倫子さんは名古屋 0 0 9における 「中部産業局主 デザイナー ズウィ ーク2 催のワ ークシ ョップ」に参加 し、それぞれ美濃和紙、 有松鳴海絞りを活かしたプ ロダク トデザインの提案 を行いまし た。江口さんの有松鳴海絞り を活かした 作品は高い評価 を得て、入賞となりまし た。 .社会活動 「あゅの庖きむら 」と受託研究で、鮒寿司のパッケ ー ジデザインを進めています。 。著書 「デザイン系学科をめざすあなたへ J(教学社発 行)に コラム 「 エコ デザイン 」 を寄稿。 -宮本雅子(みやもとまさと)住環境学、インテリア計画 。研究活動 研究活動としては、昨年度 まで 3年間 にわたって 行った関西電力と京都女子大学短期大学部図嶋准教 授 との共同研究、「 住宅にお ける昼光 ・人工照明の 効果的利用・快適性評価研究」のまとめとして学会 発表、日中韓照明シンポでの発表、論文作成を中心 に行った。特に、タイで行われた Lu xPa c if ic aでの 発表内容について省エネル ギー に対する現代的な問 題を取り扱っているという ことでロシア照明学会英 文誌からの投稿オファ ーを得た 。 日中韓シンポは、 3国の照明研究者の交流の場として昨年度から開催 されているが、特に実態調査についての発表は日本 と明るさ評価、日 本建築学会大会、オーガナイズ ドセ ッション 5 .M i c h ikoKunis hi ma .Ma s akoMiyamoto. H i r os h i Fukunaga:E f fe ct ive Us e ofDayl i ghtand Art i f ic i a lL igh t i n go fOpt i c a lEnvironme n . tThe 6 t h LuxPa c i f ic a 6.Mas a koMiyamoto.Mi c h i k oKunis hima .H i r os h i o r s Fukuna g a: I n f l ue nc eo fDayl i g h t i ngo nB巴havi a ndSpa t i a lEval ua t i o nsi nL ivi ngRo om.The6 t h LuxPa c i f ic a 7.Masa l 王oMi yamoto.Mi c h i k oKu n i s h i ma .H i ro sh i Fukuna g a: EFFECTIVEUSEAND COMFORT OF DAYLIGHTING A ND ARTIFICI AL LIGHTI NGI NA L IVI NGROOM INFLUENCE OF POSITIONOFLU MI NAIRESAND L IGHT SOURCES.2 ndL i g ht i n gSymp o siumo fCh i na . J a pa na ndKo r 巴a .教育活動 生活デザイン学外演習の 1プロジェク トと して引 き続きユニバーサル デザインに よるサイン計画につ いて学生とともに取り組んだ。今年度は、守 山市 UD( ユニ バーサル デザイン )まちかどウォッチャ ー と共同で、サインの基準作 りの ためのワ ークショ ッ フ。 や検討会の開催 を行った。 また 、ユニバーサ ルデ ザインの まちづくり 研究会との共同研究の一環とし て案内所の位置サインと誘導サインのデザインを行 い、設置した。 今年度は 3回生 6名 、 4回生 2名、研究生 1名の の照明環境と 比較してみる ととても興味深い。 体制で、ゼミ活動を行った。その一環として I NAX [学会活動] 日本建築学会「建築空間の質感・色彩設計法小委 ライブミュ ージアムの見学、光環境シンポジウム 『 空 間を魅せる光と色 員会」の WG活動として、質感の記録手法に関す 等 を行った。今年の卒論生 2名 は現代的な問題とし る研究会に参加 した。 また、建築室内の色彩と材料 て景観色彩、高齢者専用賃貸住宅をテ ーマとして取 視覚のマジック I I Jへの参加 についてホテルの実態調査を行った。 り上げ、現地調査等積極的に取り組んだ。 [研究発表] l 宮本雅子・図嶋道子・福永浩 住宅居間にお ける昼光に よる行為のしやすさと空間評価 ( その .社会活動 J市 U Dまちかどウォッチャ 一、彦根市 ・滋賀 守U 6) 一一人工照明が必要でなくなるときの予測照度、 照明学会全国大会 2 園嶋道子・宮本雅子・福永浩 住宅居間にお ける 昼光に よる行為のしやすさと空間評価 ( その 7) くつろぎに適した室内の明るさ 、照明学 画審議会委員、滋賀県レイカデイア大学講 師、「 街 会全国大会 3 宮本雅子 ・図嶋道子 ・仲l 嶋正訓:住宅居間にお 県建築審査会委員、草津市・彦根市・滋賀県都市計 の色研究会・京都」の活動に参加 特に街の色研究会・京都では、京都のまちにふさ わしい看板の色彩についての検討を行った。その成 果をまとめて 日本色彩学会で発表することが予定さ れている 。 ける 昼光 ・人工照明の効果的利用と光環境の快適 -森川稔 ( もりかわみのる) 都市・地域計画、まちづくり、 性( 第 5報)一人工照明の配置と光源の種類の影 市民参加 響 、日本建築学会大会 4 . 図嶋道子 ・宮本雅子 ・仲嶋正司 j I 住宅居間にお 4 惨事支育活動 県立大学に来てから丸 3年になろうとしている 。 ける 昼光 ・人工照明の効果的利用と光環境の快適 担当教員のひとりとして取り組んでいる近江環人地 性( 第 6報)一朝方 -夕方におけるくつろぎ行為 域再生学座は、文部科学省の 「 地域再生人材創出拠 66 ・人間文化 人・間・文・化・通・信 点の形成」による 5年間の プログラムで、本年 4月 全体に対する素材、デザイン 開発に繋がる活動にな から最終年度を 迎 える ことに なる 。平成 1 8 年から平 りました。 また、日本人女性 の体型研究については 成2 1 年秋 までの 6 1 切にわ たる学座入学者は、院生と 動作の分析に必要な形状デ ー タを撮影中心に収集し 9名に達する 。 このうち 3 6名が検 社会人をあわせて 5 ました。次年度に向けて分析を行うことが課題です。 定試験に合格し、 コミュニ ティ・ア ーキテクトの称 教育活動では、授業の諜題やゼミ活動として、地域 号を手にしている 。 これま で人間文化学部からの入 織物を用いたデザイン開発の他 、 学外での フ ァッ 学者は毎年 l名程度で あったが、近年 は人数も増え ションショ ーや展示を行い ました。 また、昨年に引 る傾向にあり、平成 2 1 年秋には院生入学者 5名のう ち、人間文化学部からの入学者が 3名を数えた。学 き続いてゼミ生が「滋賀の繊維力」の DVD付パン フレットを作成し、 一般の方、県内の図書館、中 ・ 座の授業は基幹 4科目と実習 2科目で構成されてい 高等学校に配布することができました 。身近な織物 るが、 これまで毎年シ ラパスの見直しと改善が行わ を、地域の文化 とともに広める活動が、今後も継続 れ、内容が充実してきている 。 さらに今年度は、夏 したいと考えています。 期集中講義として、 地域再生システム特論を、他の 。研究活動 2名の教員とともに新設した。 私自身、担当する科目について、多少の手応えを 〈 作品発表〉 ・森下あおい ・中川涼子 「 服飾デザインにおける浜 感じる ようになってき た。 また、近江環人地域再生 2 )J、服 ちりめんの適応性一幾何学柄 の効果性 ( 学座の取り組み自体も、少しずつではあるが学内外 0 回大会、(平成 2 0 年 5月2 3日-24 飾文化学会第 1 で知られるようになってきている 。 これまでの 3年 日、奈良女子大学) 間の取り組みをふまえて、最後の l年をさらに充実 i 兵ちりめんによるブラッ ・石坂恵、森下あおい 「 新・ させ、 これからの滋賀を支える リー ダ一、 コー デイ クフォ ーマルウェア 」 、全国繊維工業技術協会主催、 ネーターの養成に取り組みたいと思う 。 第4 7回全国繊維技術交流プ ラザ、(平成 2 1 年1 0 月 3 0-3 1日、栃木県南地域地場産業振興センタ ー) .研究活動 学座の取り組みのひとつである 「地域再生研究 会」 を 3回開催した。 また、 8月には、 「 新たな観 光創造に よる滋賀の再生 湖・ 監 ・森をつなぐ -J 〈 学会口頭発表〉 -森下あおい ・石坂恵 「 浜ちりめんの洋装化に関す る研究 ( 第 3報) ブラックフォーマルウェアの をテ ーマに、第 4回「近江地域再生フォ ーラム 」 を 0 0 9 デザイン要素の検討」、繊維製品消費科学会 2 びわ湖の船上で開催した。 年年次大会、 ( 平成 2 1 年 6月1 3日、京都女子大学) また、日本建築学会に「近江楽座と近江環人 滋 賀県立大学における学生による地域貢献と人材養成 -J( 2 0 0 9年度大会 農村計画+都市計画部門パネ ルデイスカッション資料)と、 r土の人j としての コミュ ニティ ・アーキテク 卜への期待 J( 応募提案 〈 報告書 〉 -石坂恵・森下あおい r i 兵ちりめんの洋装化に関す る研究 ( 4)ブラックフォ ーマルウェアとしての適 3 ) J 、滋賀県東北部工業技術センタ ー 『 平 応性 ( 成1 9年度研究報告書j、p p . 3 4 3 7 ) サスティナブルエリ アデザインとコミュニ ・森下あおい 「 平成の地域ブランド創出プロジェク テイ ・アーキテク ト特別研究委員会編)を投稿した 0 ト活動について一地域から発信する心地よい暮 .社会活動 私が理事長を務める N P O法人おおっ市民協働 p 1 1 報告集 ネットが、平成 1 8年 4月から指定管理者として、大 津市市民活動センターの管理運営を担っている 。市 民活動を高めること、市民 ・事業者 ・行政の協働を 進めることが、地域の運営にとって極めて重要なこ ととなっている 。そのための中 1 1¥]支援施設として、 これからも管理運営にあたっていきたいと思う 。 県内各地で、地域づくりなどに関する講演や委員、 アドバイザーなどを務めた。 らし O . 0 8 . 」、 『 滋賀大学産学協同センター報JN 〈 論稿〉 ・森下あおい 「 伝統産業としての織物と現代」、 『 糸 の世紀・織の時代 湖北・長浜をめぐる糸の文化 史一」、長浜市長浜城歴史博物館 、 p p. 6-1 5 〈 講演 〉 近江の織物」成安造形大学付属近江学研究所 「 近 . r 江学 AJ 、平成 2 1年度第 9回公開講座、 (平成 2 1 年1 1月1 4日 、 j 点安造形大学近江学研究所) . r 伝統産業としての織物と現代」、特別展 「 糸の世 -森下あおい(もりしたあおい)服飾デザイン 紀 ・織りの時代 .年間活動 研究活動では、地場産業との共同研究や調査事業 館主催 ( 平成 2 2年 1月3 0日、長浜勤労者福祉会館) を中心に活動を行ないました 。県の諸機関、本学の 先生方などさまざまに協力 していただき、繊維産地 湖北 ・長浜をめぐる糸の文化 史一」 開催記念講演、長浜市長 i 兵城歴史文化博物 ・地域・ 社会貢献活動 ・ファーマ ーズファッションの提案 ( パネル発表)、 人間文化・ 67 人・閏・文・化・通・信 豊かな暮らしの高島モデル創造フォーラム、 ( 平 をおこなうことができた 。 ( h t t p: / /kawakamimura 1年 2月1 1日、高島市地場産業振興センタ一、 成2 t .i n f o s e e k . c o . jp/kat ud o u . htmを参照) a また,博士後期諜程 3年の岡村知明君が,博士論 文を提出し, 3月には学位を取得できる予定である 。 ファーマーズファッションの提案 ( 作品発表・交 1 年 3月 流会 )高島ビジネスフォ ーラム、 ( 平成 2 1 5日 、 高島市地場産業振興センタ ー) 、ファーマー ズファッション(地域交流会)、(平成 2 1年 7月2 0日 、 I Uで学 研究室で初の学位取得者であり,諜程の 3年 I おつきん椋)11) 人はよく頑張ったと思う 。 位を取得するのはかなり大変であったと思うが.本 .i M東産地の麻織物によるデザインの提案、愛壮町 教育委員会主催 「 麻コレクション 2 0 1 0 J、 ( 平成 2 1 ・暮らしの中の体験 「 針と布の造形講座」、彦根市 1年 9月 1 2日) 中地区公民館、 ( 平成 2 -感性価値ものづ くりリ ーデ イングプロジェクト 暮らしに滋賀 (展示企画) I .研究活動 B) I インド洋海域世界における港 科研基然研究 ( 年1 0月 4日、愛知川公民館) 市の形成と変容に│謝する調査研究」が 2年目を迎え た。 イランのペルシア湾岸,インドのマラパール沿 岸港市の調査を行い,これまでの調査とあわせて, ひとの心に響くもの 東アフリカ沿岸からイン ド西岸にいたる.広範なイ -JLIVING& DESIGN展 、 ( 平成 2 1 年 9月 1 6日 -1 8日 、 医l 際見本市会場インテ ックス大阪) 2月にはインド,カリカットでの重点調査をお る。 1 -滋賀県繊維産地の織物によるクッション ( 作品展 ンド洋沿岸の主要な港市をほぼ踏査したことにな こない, さらに 3月にはザンジ、パル (タンザニア ), 2年 示) 、長浜市長浜城歴史博物館特別展、 ( 平成 2 ラム(ケニア )という東アフリカ沿岸港市の重点調 1月2 3日-2月2 4日、長浜市長 i 兵城歴史博物館) 査を行う予定である 。歴史的に緊密な関係とネット ・感性価値創造支援セミナ ー 「 滋賀県地場産業 6産 ワークを築いてきた港市間の,都市,住居の構成に 地合同研究会 J( パネラ ー)、中小企業団体中央会、 おける相互作用について , より深く明らかにしてい 滋賀県東北部工業技術センタ ー主催、 1 1月1 4日 、 きたいと考えている 。 [ j 毎外調査] 守山駅前コミュニテイホール) .I 新ジャンル衣料の開発一分離融合型産学連携活 動 J(内閣府・経済産業省ほか 『 第 8国産学官 1年 連携推進会議j、滋賀大学展示ブース、平成 2 6月2 0-2 1日、京都国立国際会議場) 。共同・受託・調査研究、 -浜ちりめんの洋装化に関する研究 ( 滋賀県東北部 工業技術センター ) -地域資源 「 高島綿織物」 を利用した新ジャンル衣 料品および素材の開発(高橋織物株式会社) ① イラン ( ブーシェフェル,カーグ島,パンダレ ・ター へリー (シーラーフ ),キシュ島,パンダル ・アッ 2 0 0 9 . 2 . 2 8 3 . 2 0) パース ,ホルムズ,テヘランなど)( ② インド (トリヴアンドラム,クイロン,コチン, カリカット,マンガロール,ノくトカル, ゴア , ダ 2 0 0 9 . 9 . 19. 2 1) ボル,ジャンジーラ,チョウルなど)( ① イ ン ド (カ リ カ ッ ト , ム ン パ イ ) ( 2 0 0 9. 12 . 2 0 - 2 0 1 0. 1 .2 ) [論文] -平成 2 1年度地域産業実態調査事業繊維産地組合 ①川 井 操 , 布 野 修 司 , 山 根 周 「 西安旧城・回族 フォローアップ調査 「 滋賀県の繊維力強化と産学 居住地区の住居類型とその変容に関する考察 J日 (滋賀県中小業団体中央会) 連携による活力創造 J 本建築学会計画系論文集, N o . 6 3 6,p p . 3 1 5 ・ 3 2 2, .各種委員 大津市歴史博物館協議会委員、滋賀県感性価値支 2 0 0 9年 2月 ② │司村知明,山根周,深見奈緒子「ムンドラ(インド, 援事業 「 感性価値ものづくりリーデイングプロジェ カッチ地方)における街区構成とカーストの住 クト 」サブプロデユーサ一、日本家政学会構成学部 . 6 4 , l み分け 」 日本建築学会計画系論文集, NO 会運営委員、日本繊維製品消費科学会論文編集委員 pp. 15 0 7 1 5 1 4, 2 0 0 9年 7月 ① 山 根 周 「インドの都市における構成原理の固有 r -山根周(やまねしゅう)地域生活空間計画,アジア都市・ 性・重層性 ・相互作用 J 国立歴史民俗博物館国 住居論 0 0 8 アジア比較建築文化史の構 際シンポジウム 2 4 砂教育活動 築 東 ア ジ ア か ら ア ジ ア へ 一 報 告 書j 国立歴史 2年目を迎えた。干支で 恒例の木匠塾は,今年度 1 いうと 一回りしたことになる 。 多賀町,奈良県川上村, p . 7 4 9 3,2 0 0 9年 8月 民俗博物館, p 滋賀県野洲川流域におけ ④嶋田奈穂子,山 根 周 「 岐阜県加子母村での活動は,それぞれ独自のテーマ る神社の立地特性に関する研究」 日本建築学会計 をもって展開しているが,川上村では,今年度 「よ o . 6 4 7,pp. 11 1 1 1 8,2 0 1 0年 1月 画系論文集, N り村とつながる」というテーマのもと,再生,継続, [研究発表] 挑戦という 三つのアプ ローチか ら,充実した活動 ① 山 根 周 「カッチ地方の港市とインド洋海域世界J. 68 ・人間文化 人・閏・文・化・通・信 第 2回都市音I j 菌研究室オープンセミナ一 の可能性」 近畿大学理工学部,2009年 r計画j 6)~ =生活栄養学科】 3 0日 ② 山 根 周 ・岡村知明 ・西村弘代・深見奈緒子 ・布 野修司 「インド洋海域世界における港市の形成と -田中敬子 (た忽かよしと)栄養教育論、栄養アセスメン ト論、栄養教育論実習、生活環境論、人間学、栄養教育論特 変容に関する研究 論 (大学院) その 1 ムカツラー旧市街 (イエメン,ハドラマウ ト ナ ト1 )の都市構成と集住 , 29 年度日本建築学会大会学術講演梗概集 形式 j 年間活動 今年度はいよいよ最後の年となりました。 こち E 2分冊, p p . 2 6 9 2 7 0,2 0 0 9年 8月 ③ 岡村知明 ・山根 周 ・西村弘代・深見奈緒子「イ ヘルスと食生活との関連に加え骨密度の生活背景 ンド洋海域位界における港市の形成と変容に関 に拡大したデータのまとめを行う予定でしたが、 オ その 2 スール・ラワテ ィヤ地区 ( 残念ながら年度初めに病気と仲良くなってしまい、 マーン,マスカ ッ ト)の空間構成 j2 0 0 9年度日本 その病気と共に前半期は休養を余儀なくされまし ∞ する研究 らに赴任してから子どもたちの岐合力、メンタル 建築学会大会学術講演梗概集, E 2 分冊. p p . 2 7 1 た。残された時r:日で何とかまとめを投稿にもって 2 7 2, 2 0 0 9年 8月 行きたいと考えています。 ④ 中島佳一 ・鮫島拓・岡村知明・ 布野修司・山根 周 著書(教科書・雑誌) j共著 「 栄養教育論(改訂 ) 「インドにおけるパ トリック ・ゲデスによる都市 計画に関する研究 医歯薬出版 ( 失 ニ 著) 「テキスト食物と栄養科学シリーズ 7 栄養教 arodaの その 1 パローダ B 都市形成と街区空間 j2 0 0 9 年度日本建築学会大会 育論」 朝倉書庖 ( 編著) 学術講演梗概集, F 1分冊,p p. 10 4 3 1 0 4 4,2 0 0 9年 「 書 き込み教科書シリ ーズ栄養教育論」同文書 8月 院( 共著) 年の初めに 「 食」 を見直すー精進料理の誘いー ⑤鮫島拓・中島佳一・岡村知明 ・布野修司 ・山根 周 「インドにおけるパトリック・ゲデスによる都市 計画に関する研究 「楽しむ生活」応援マガジン se r v a t i v eSurgeryに おける保存的外科手術 Con よる都市計画と街区空間の変容 j2 0 0 9年度日本建 2 0 1 0WINTER VOL l8WITHはぴえ その 2 パロ ーダ B arodaに 学会口頭発表 高橋治子 ・浅岡紅美子・田中敬子「中学生の精神 1分冊,p p. 10 4 5 築学会大会学術講演 梗 概集 , F 的健康状態と食習慣 ・生活習慣 ・健康意識との関 1 0 4 6, 2 0 0 9年8月 4回 滋 賀 県 小 児 保 健 学 会 講 演 連について」第2 @ 山根 周 「アラビア海 ・インド洋西海域│世界に おける港市の形成と変容J.総合地球環境学研究 所 「メガシティが地球環境に及ぼすインパクト J プロジ‘ ェクト ・第 3回全球都市全史研究会 「 生態 系から見た都市とそのネッ トワー ク 海域世界を 巡って j,東京大学生産技術研究所,2 0 0 9年 1 1 月2 8日 集 p1 02 0 0 9. 10 . 17 競争的資金 「 子 どもにおける食発達の総合的研究 養育者 との葛藤 ・調整に注目して」 分担課題 離乳と食発達の実態と子どもの健康に関する全 国調査 地域 ・社会貢献 「親子へルシ ー クッキング コンテスト 」審査委 。社会活動 員長 [講演] 米原高校模擬講義, 2 0 0 9年 1 0月2 3日 [一般向け原稿] 「ムガル都市 三都物語 j, インド通信』 第3 6 6号 , r 0 0 9 . 4 . , 1 p p. 13 インド文化交流センタ ー,2 2 0 0 9. 1 1 .2 2 滋賀県・滋賀県栄養士会主催 草津市食育推進言│ 画策定委員会アドバイザー r 「 学 び・交流の場としての川上村木匠塾J . 広報か 学会・委員会委員 日本薬理学会評議員 日本栄養改善学会評議委員 ・同 近畿支部役員 日本家政学会近畿支部役員(代議員) o .6 2 8,奈良県川上村,2 0 0 9 . 7.p . 4 わかみ JN -灘本知憲(なだもととものり)食晶栄養学 今年は学内外 1 0名程度が協力して、 ふなずしの機 能性評価を目途とした新たなプ ロジ、ェク 卜を始める こと ができた。すでにいくつかの知見を明らかにし つつあり、今後の展開に大きな期待を抱いている 。 一方で、食事因子による冷え症改善の研究は、多く の企業からの共同研究のオファ ーを受けている 。来 9 人間文化・ 6 人・閏・文・化・通・(言 年度 1 4 名に達する研究室の学生諸氏とともに、これ らの課題を少しでも前進させたい。 {論文1 .Deoeori z ing E f f e c t so fWild GrassExtracts ,l K imikoUrabe,R i eH i g a s h i, a g a i n s tM e t h a n e t h i o TakiI nada,Kanako Minamino. Tomonori NadamotoandKoukiOno,FoodPreser ν a t/On S c i e n c e,3 5( 4 ),1 7 11 7 7( 2 0 0 9) ・ココ ア摂取がヒト体表温に及ぼす影響、有山愛、 森由佳、稲野美穂、灘本知憲、食品科学工学会誌、 5 6( 12)、6 2 8 6 3 8( 20 0 9) .S c r e e n i n go fA n t i b a c t e ri a lA c t i v i t i e so fWi ld t a t i v e G r a s sE x t r a c t sa g a i n s tt h eHeteroferm巴n ,URABE L a c t i c Aci dB a c t e r i a . ONO Kouki K i m i k o,YABUSHITA Megumia ndNADAMOTO r e s e 円 。t i o nS c i e n α ,3 6( 1 ) .( 2 0 1 0) Tomonori,FoodP Gl uc o s y l h e s p e r i d i nonTemperature .E f f e c t so f日 a ndt h eAutonomicNervousSystem,TAKUMI ISHIMANoboru.SHIRAISHIKoso, H i r o k o .FU] MORIyu k a,ARIYAMAA,i KOMETANITakash i , HASHIMOTO Shinichiand NADAMOTO tomonor ,i B i o sc i .B i o t e ch .B i o c h e m .( 2 0 1 0 )i np r e s s [著書] -新食品栄養科学シリ ーズ改訂基礎栄養学 編著 (共著) ( 2 0 1 0 ) -新食品栄養科学シリーズ改訂応用栄養学 編 著 (共著) ( 2 0 1 0 ) [講演] [報道/一般雑誌] .' [ 水分量で冷やします」 伝統キュウ リ再評価の兆し、 9日 ( 20 09 ) 朝日新聞、 8月2 ・ふなずしの効能採る /県内外の産学連携、中日新 20 1 0) 聞 、 1月31日( ・ショウガココア 、ChouChou、 5/ 2 8号 、 p . 4 3、 2 0 0 9、角 川出 版 ISBN -ショウガココア、安心、 マキノ 出版 1号 、 1 61 1 6 2、2 0 1 0、 ・ココ アで冬に強いカラダを作る、日経ヘルスプル 2 6 1 2 7、2 0 1 0、 日経 BP ミエ、 2月号、 1 [受託・共同研究] -附グ リコ 、小川香料側、前出産業側 -高山博史(たかやまひろし)疾病と栄養学、病態と病理学 本 年 は か ね て か ら の 計 画 で あ っ た 「彦根スタ ディ 」 を立ち上げることができた。生活栄養学科は 「 管理栄養士養成施設」であり、これなくして存続 することが不可能なのは学内、学外からも周知のこ とがらであるはずである 。昨今、社会的に求められ てきているのは実践の栄養学であり、実践力をもっ た管理栄養士であることは論を待たず、またそのた めの管理栄養士養成が国の方針のもとに新課程とし て緒についたばかりであるといっても過言ではない。 しかし、おそらくはどこの管理栄養施設も似たり 寄ったりの状況ではないかと推察するが、旧課程か ら新課程への変更をうたったと ころで急に教官、施 設などの中身、意識ともにそ れにマ ッチできるほど ・食品成分のエネルギ一代謝克進とその評価 ヒト 容易に変革できないのも事実である 。そこで、わが を対象とした冷え症改善因子の検索一、テックデ 生活栄養学科を振り返って提案すべきと考えたのが、 0 1 0. 3 . 11(東京) ザイン、 2 学生に対して現在の日本の社会が抱えている食生活 .['食の安全・安心」 と 「 食育」、滋賀県。2 0 1 0 .3 .26 習慣の 問題やそれに取り組む実践の場の構築である 。 これは付属病院を抱えている 一部の大学ではそれほ (大津) ど困難なことではないが、当学科のようにそれがな [学会委員 ・学会発表] -日本栄養 ・食糧学会近畿支部役員 .日本栄養・食糧学会評議員 いところでは容易なことではない。 しかし、幸い本 ・ポリフェノール類の S t a p h y l o c o c c u sa u r e u sに対す 学にはお隣に彦根市立病院があり様々な点で関係を 持ってきている経緯がある 。そこで、同病院に働き る抗菌力、横井健二、 j 南部貴美子、灘本長日 憲 、 日 かけ共同で生活習慣病に関する疫学研究の環境づく 6回大会 ( 名古屋) 本食品科学工学会第 5 りの活動を行ってきた。今年はそれが実を結び、本 ・酵母に対する植物抽出物の抗菌性、方晩、浦部貴 学と彦根市立病院の両方の倫理委員会の承認を受け 美子、灘本知憲、日本食品科学工学会第 5 6回大会 我々が「彦根スタディ 」と名づけた疫学研究をスタ ー (名古屋) ・ココア摂取による冷え改善効果、有 山愛、森由佳、 トさせることができた 。参加グル ープは彦根市立病 院の健診センタ 一、栄養治療室と本学の当学科、お 6 浦部貴美子、灘本知態、日本食品科学工学会第 5 よび運動生理学の研究グループと看護の一部の教官 回大会 ( 名古屋) である 。彦根周辺の住民を対象とし、食生活、身体 [地域貢献1 ・米原市情報公開審査委員会 活動、血液尿検査、生理学検査、身体測定を含めた 委員 -健康・ 栄養マップ専門委員、滋賀県 ・外食栄養成分表示連絡協議会会長、滋賀県 総合的検討を始めたばかりである 。興味ある学生は 回生を問わず参加し自ら直接対象者に接し観察、経 験することができる 。 これにより、学生は実際的体 験を通して実践の栄養学、しいては実践力のある管 70 ・ 人 間 文 化 人・閏・文・化・通・信 理栄養士になるべく志向性を 育てる環境がより整っ いる主な仕事です たと考えている 。来年度 はこれ をさらに充実させ、 圏内の学会では, 5月に長崎で開催された日本栄 大学にも支援をいただけるように発展させていきた 養・食糧学会でシンポジウムを主催し 一般発表も しました. 日本ビタミン学会も 5月に京都府の亀岡 いと希望していると ころである 。 9月には 市で開催され,一般発表をしてきました ぎたかっみ)ビタミン学.代謝栄養学,栄 -柴田克己(し l 京都市で日本アミノ酸学会が開催され,大会のお世 養評価学 1月は京都市で開催 話をし, 一般発表もしました 1 .年間活動 された日本栄養 ・食糧学会近畿支部大会で一般発表 2 0 0 9年 1月 1日- 1 2月3 1日までの年間活動を書 0 0 9年の 1月 1日は京都の きます 手帳をみますと 2 をしました 知恩院,八坂和1社に初詣をして いたと書いてありま 般発表をしました そして, 日本トリプトファン研 した。 究会の会長に選ばれました 参加だけの学会として 2 0 1 0 年の 1月 1日は京都の明治天皇陵と乃木神社 に初詣をしました. は, 7月に福岡市で開催された日本アミノ酸学会シ 2 0 0 9年の 1月の出張は滋賀県立成人病センター 1 2月は福岡県の北九州市で開催された 日本トリプトファン研究会学術集会で教育講演と 一 ンポジウム , 1 0月に京都市で開催された日本家政学 2月に京都市で開催された日本栄 会近畿支部大会, 1 ( 年 6回開催)と滋賀県立小児保健医療セ ンター ( 年 養改善学会近畿支部大会でした 6回開催)の各治験委員会と 31日の東京で開催され ナーとして, た日本生活協同組合連合会主催の 「 食品添加物研究 と臨床を結ぶ国際アミノ酸セミナ ー」があり,総合 J でした 会( 年 4回開催 ) 討論参加者として参加しました 食品添加物研究会の委 8年間つとめています 員をすでに 1 国外では, この間,多くの 招待された セ ミ 7月と 1 2月に東京で開催された 「 基礎 7月にイタリアのフイレンチェ市で開 1月 催された国際トリプトファン研究会学術集会で招待 と 2月は 2 0 0 1年度から恒例となっている厚生労働科 講演ー題,一般口頭発表ー題とポスタ 一発表二題を 学研究費の報告書の作成 と成果発表会でした してきました.福 i 度准教授,佐野助教,奥野大学院 食品添加物の安全性の評価を 行ってきました 研究 2月 9日は東京で厚生労 生と 一緒に行きました.会頭のフィレンチェ大学の 働科学研究費の成果発表を行い,審査をうけてきま F l a v i oM o r o n i教授のご自宅にも招かれ,行き届い 室あげての大仕事でし た した。 2月1 3日は東京でビタミン B研究委員会 ( 年 4回開催)のシンポジウムで講演をしてきました たもてなしをうけてきました ビタミン B研究委員会は,大変伝統のある研究委 1月に彦根市, 主催した講演会は, 6月に函館, 1 1 2月に北九州市で開催した 三回でした 演者として 員会 です。陸軍軍医総監であった森林太郎 (=森鴎 招待された講演会は , 2月の京都大学 , 外)を中心として創設さ れた 「臨時脚気病調査会 」 → 「 脚気病研究会 」 → 「ビタミン Bl 連合研究会」 9月の京都府立大学, 1 0月の長崎県栄 養士会と滋賀県健康福祉部, 1 1月の滋賀県栄養士会 → 「ビタミン B研究委員会」 とつながっている委 でした. 員会です . 2 0 0 7年度から副委員長を拝命しています. 関連して社団法人ビタミン協会の幹事もしています 書 き漏らしたものもあるとは思いますが,以上の 2 0 0 9年も無事に勤務する ことができました ように . 2 00 9年に発表できた学術論文,資料・総説などの 2月2 3日と 3月2 7日には「日本人の食事摂取基準 ( 厚 J の策定委員会が東京でありました.昨 生労働省 ) 成果は 年から引き続いてお こなってきた検討会も終わり . い 5月に 「日本人の食事摂取基準 2010年版jとして, そして, 9月から 厚生労働省から公表さ れました 1 2月にかけて,管理栄養士 ・栄養士の方々などにこ の新しくなった食事摂取基準を迎解していただくた めに全国 ( 仙台,東京,名古屋,大阪,福岡 )で講 5月の石川 県栄養士会, 我々の研究室のホ ームページをご覧くださ ( h t t p: / / w w w . s h c . u s p. a c. j p/ s h i ba t a / ). -福井富穂 (ふくいとみほ)臨床栄養学、栄養ケアマネジ メント論、臨床栄養活動論 ・活動報告 [1]年間活動 私はビタミンのワ ーキ ンググ 年の 1 0月に 「 第3 2回日本高血圧学会Jが大 平成 21 ループ長も兼務していたので,ビタミンの講演を主 津市で開催され、その総会のコメデイカルセッショ 演活動を行いました 滋賀県 内での社会活動では ,[ "食 ンにおいて、 「 生活宵慣と高血圧症一 食習慣 ・運動 の安全 ・安心条例を求める滋賀県民会議」の議長を に担当しました 習慣の改善による予防と治療一」の座長を担当しま 勤めました. 2 0 0 9年の 1 1月の県議会で条例化された した。セ ッションのはじめに上島弘嗣会頭は、わが 委員長をしている 凶の 高血圧者は 4, 000万人にもおよんでいるが、適 J 「食の安全対策委員会(滋賀県主催)( 年 2回開催 ) 切な治療や生活習慣の修正を 行っている人は、その も2 0 0 3年度からしています 半数にも達していない。 とくに食生活において食塩 ので,この会議は解散し ました 以上が学外で関わって 人間文化・ 71 人・閏・文・化・通・信 摂取量は1 0 gを 超 え て お り 、 こ れ を 約 半 分 の 6g未 I.地 域 ・社 会 ・国 際 貢 献 満にすると、 ~X縮期血圧は約 6mmHg 低 F し、脳 卒 各 種審議 会 ・ 委員会 委員 中は約 2 0%減ら すことが期待できると述べられまし ・実 践 者 育成 研 修 プ ロ グ ラ ム 検討会委員(滋賀県 た。 高血圧症に│浪らず、糖尿病や脂質異常症、心疾 患なとぞ生活習慣病は増加!の一 途を辿っており、これ 健康づくり財団) -日本糖尿病療養指導士認定試験委員 (日本糖尿 らの疾病の発症予防あるいは進展阻止には、体重 減 少( 適 正 体重 =2 2x身長 (m)2)、 節 酒 、 減 塩 お よ び 生活習慣の修正が必要です。 そのためには、 一 人ひ とりの努力とその努力を支える生活環境の改葬、す なわち 「 食育」による啓発活動が有効です。 この よ 病 療 養 指 導士 認 定機 構) -滋賀県健康づくり県民会議委員・専門部会委員 ・滋賀の健康 ・ 栄 養マ ップ調査専 門委員会委員 学会 委 員 会 委員 ・日本病態 栄養学会 評議員 うな活動の 1っとして、彦根市立病院内科部長綿 貫 ・日本栄養改葬 学 会 評 議員 先生が主宰さ れた第 1回彦根 市立 病 院健康講座 に 参 ・日本給食経営管理学会 理事(理事長) 画しました 。「食 べ る だ け で 健 康 に Jと題して、本 3回生の有志が作 った昼食を食べなが らの講演 学科 -岡本秀己 ( おかもとひでみ)公衆栄養学 会です。 この食事 は約 3gの食塩相当量を使用した 「宏 者 の 健 康 と 栄 養」 という人間 学 の 講 義 の 一 部 「 松花堂弁 当 」 です。 ま た 、 食 べ る だ け で な く 、 食 を担当し、学生迷の乱れた食生活の実態に触 れ、大 環境も重要ということでピアノと電子オルガンによ 学 で の 「食育」 が必要と感じていたところ、生活デ る演奏も加わっています。 「 美 味し く、楽 しく食べて、 ザインの佐々木先生から、生活デザインと生活栄養 0 0名あ 健康に 」 というコンセプトです。 参 加 者 は 1 の岡本ゼミの学 生がコラボして、 生 協横 の 「中庭テ まりですが、定期的に開催されるようなので、 今 後 ラス 」 を{ 史ってイ可かできないかと話がありました 。 の活動を通して健康栄養教育の場としたいと考えて 生 活 栄 養の吉 岡友迎さんをリーダーに薪藤春佳さ います。 ん、柴田麻衣さん、樋口実佳さんが 9月まで月 [2] 活 動 一覧 I.研究活動 著書 ① 臨床栄養管理ポケ ッ ト辞 典 ( 編著者、分担執筆) 建南社 牛 乳 提 供 )、 パ ネ ル 展 示 ( 内 容 は 栄 養、 デ ザ イ ン 等 編著者、 分 担 執 ① 臨 地 校 外実 習 の て び き 第 2版 ( は デ ザ イ ン が 担 当)を行いました 。 長 蛇 の 列 で学 生 の「健康 Jに対する関心は高く、来年 度以降も様々 筆)化学問人 研究論文 な「食育」を ①自 由 食 摂 取 時 に お け る 日 本 人 学 生 の I 侃中水 溶性ビタミン値の男女差について(栄養学雑 誌 23回のペ ースで会議を行い、生協の支援 ・協力のも 0月 2 9日 、 3 0日 の 両 日 r NAKAN I WA CAFE と 、 1 si gnX 食 〉を 開催し、骨密度 ・ PROJECT く骨 xde f t J l 定 、 栄 養 相 談、 カフ ェ(手作りケーキと 体組成のi Vo . 1 6 7N O . 52 84 -2 90 ) 響 機 能 ・エネルギ 一代謝に及ぼす影響 -加速度計による ① クロ ー ン病患者におけるビタミンの摂取状況と 栄養状態 1-2歳児の身体活動量測 定の可 能性 -地域高齢者に対する健康教育プログラムの効果と ④ 糖尿病患者におけるビタミン摂取量および尿中 ビタミン 排 池 量 の 検 討 方法の検討 -大学生の学生食堂利用から見た食事摂取状況の実 肯E 学会発表 ,~、 ① 重 症心 身 障 害 児 ( 者 )の 食事 摂 取 量 と 栄 養 評 価 0回滋賀県公衆衛生学会) ( 第4 -滋賀栄養マップ [学会発表] ② 糖尿病患者の栄養指導による効果と行動変容の 有無について ( 第4 0回滋賀県公衆衛生学会) 0回 ③ 食 事 組 成 の 違 い に よ る 食 後血糖 の 変 動 ( 第4 . r 地 域 在 宅 高 齢 者 に 対 す る 継 続 的 な 栄 養 ・運 動 に 関する健康プ ログラムの実施とその効果」岡本秀 己 第5 6回 日 本 栄 養 改 善 学 会 学 術 総 会 滋賀県公衆衛生学会) 0回滋賀県公衆衛生学会) ( 第4 {研究] トウガラシの少量摂取が安静時及び運動時の心肺 ② 若 年女性における食事組成が血糖 値 に 及 ぼ す 影 ④ 腹膜透析患者の食事療法に関する r NAKANIWA CAFEJか ら 発信 し ていきたいと思 っています。 QOLの 検 討 ( V o . 1 6 7, No. 5 、 2 0 0 9、 p. 3 4 4,栄養 学 雑 誌)、北海道 . r 老 人 ク ラ ブ 参加 高 齢 者 の 転 倒 予 防 を 目 指 した足 指体操の効果」北村隆子、岡本秀己、日 本 フッ ト ケア学会年次学術 集 会、東 京 72 ・人間文化 人・間・文・化・通・信 [競争的資金] [ 2 ] J滋賀県、(溺l ・受託研究。 「 滋賀の健康・栄養マップ J 学術論文 活動一覧 .Comparisono ft h en i c o t i n a mi dec a t a b ol ismamong 本知憲 ・福井京穂 ・岡本秀己) 重点領域研究 「滋賀県立大学子ども r a ts t r a i n s. TakahashiK .OkunoA.FukuwatariT . 未来応援プロジ‘ェクト 」共同研究 ( 代 表 竹 下 秀子) .8ios ciB i ot e c h n o /8 i o c he m( 2009) andS h i b a t aK -特別研究費 7 3( 2).2 7 4 9 [講演等] ." [ 成長期の子供と食生活について 」滋賀県愛知郡 愛荘町立愛知中学校 PTA 教育講演会 講師 ." [ 成長期の小学生に大切 な食生活」滋賀県立彦根 市立金城小学校 PTA研修会 o ff o l a t ei nhumanb l o o d .FukuwatariT .F u j i t aM. andS h i b a t aK .Bi o sciB i o t e c h n o /B i oc he m( 2009) 73( 2).3227 . 講師 .[ " 滋賀県立大学における食育の取り組み」 ひこね 食育委員会主催 'E 妊e ct so fUVA i r r a d i a t i o nont h ec o n c e n t r a t i o n ・腸内細菌のパントテン酸前駆体の投与がパ ントテ ン酸欠乏幼若ラットの成長とパントテン酸の尿中 食育講演会 [その他社会貢献1 持l i o l ll:量におよぼす影響福波努,三木平年子,東野 ・USP子育 ち応援ラボ 「うみかせJ 管理栄養士と 勲.柴田克己 ビタミン ( 2 0 0 9)83( 3) .1 3 17 -ビタミン B1あるいはビタミン B2の大量摂取が幼 して参画、 「うみかぜだより」 若ラットの成長と水溶性ビタミン排地量におよぽ 料理レシピ掲載 -滋賀 県レイカデイア大学 す影響.福渡努,葛谷真子,佐藤志織,柴田克己 講師 -彦根市橋本商庖街活性化 プロジェクト (ランチ提 食品衛生学雑誌 ( 2009)5 0( 2).70 4 -ピリドキシン塩酸塩の大量摂取が幼若ラットの成 供) ." [ひこね食育推進委員会」副委員長、「食育部会 」 長 と水溶性ビタミン排 i l ll:量におよぽす影響福渡 努,伊東景子.柴田克己 部会長、彦根市 0 ・「 滋賀県卸売市場審議委員会」委員 、滋賀県。 食品衛生学雑誌 ( 2009) 50( 2).7 5 9 . ・ニコチン酸の大量摂取が幼若ラ ッ トの成長 .B群 -福渡 努 ( ふくわたり ビタミンの尿中排 i l t l 量お よびトリプトフ ァン代 謝 っとむ)食品栄養学 におよほす影響 [ l ] 年間活動 4月に准教授に昇任してから. 1年近くが経 ちま 楠波努,倉田華織,柴田克己. 食品衛生学雑誌 ( 2009)5 0( 2 ).8 0 4 .Consider a t i o nf o rd i u r n alv a r i a ti onsi n human 新たに担当した講義の準備に追われた 1年と rADPconcentrations.Fukuwatar i b l o o dNADand: なった感がありますが,基本的事項 を再確認するよ T .andShibataK .JNulrS c iV i l a m i n o /( 2 0 0 9)5 5( 3 ) . した . 2 7 9 81 い機会にな ったと思っています。 「ナイアシン栄養にお ける トリ プトファン経路の -定量 j 去の違いによる母乳中のビタミン B6 量の変 重要性」 という研究題目で,平成 21 年度日本栄養・ 動。柴田克己,杉本恵麻,康瀬潤子 , 編渡努 食糧学会奨励賞を受賞しました 本栄養 ・食糧学会誌 ( 2009)62( 3).1 3 1 5 これまでの研究成 果が認められたことを大変嬉しく思います 日 これま ・F l u o r o m e t ri cd e t e r m i n a ti ono fp a n t o t h e n i ca ci di n で指導,応援して下さっ た柴 田克己教授を初めとす s o c r at icr e v e r s e dpha s ei o n p a i r humanu ri n巴 byi る本学教職員の皆さま ,苦楽を共にしてきた研究室 h ig h p e r f o r m a n c ei l q u i dchromatographyw i t hp o s t - の学生および卒業生には, この場をお借りして御礼 c ol umnd e r i v a t i z a t i o n.Takaha shiK .Fukuwatari 申し上げます T .andShibataK .JChromat o g rB ( 2 0 0 9)8 7 7( 2 2). 8 72 21 6 研究活動に関しては, 従来より, ヒ トおよび実験 動物を対象として,健康維持や生活習慣病予防を期 .The nutritionalrol e ofthe mi crobi ot ai n 待できる栄養素摂取量 は どれ くらいなのか,栄養状 popul a t i o n swi t h ahi gh and l ow r i s ko fcol on 態を判定するにはどのような生体指標が有効に利用 c a n c e r .O' KeefeSJ .OuJ .Au f r e i t erS .O' ConnorD . できるか,その指標を ライフステ ー ジ別にどのよう .FukuwatariT .Shi b a t aK . SharmaS .Sepul vedaJ に利用できるか,などを 明 らかにする研究を行って また,アミノ酸は神経伝達物質の分泌を調 andMawh i nneyT .JNu tr( 2 9)1 3 9( l l). 204 4 -8 ・I nt r a-andi nt e ri ndi vi d ualvar ia t i o n so fbl ood 節することができる こと を利用して ,食環境の改善 and u r i n a r ywaters o lubl evi taminsi nJ apanese によって穏やかではあり ますが適度な範囲内で神経 youngadul t sconsumingasemip u r i f i e ddi e tf o r7 います ∞ 伝達物質を調節する ことによ り,脳機能の保護を目 Days.S h i b a t aK .Fukuwat a riT .WatanabeT.and 指した研究を行ってい ます Ni s hi mutaM.JNul rSc iV i tamino/( 2 009)5 5( 6). 4 5 9 7 0 人間文化・ 73 人・間・文・化・通・信 .U r i n a r ye x c r e t i o no fv i t a m i nB12dependson u r i n ev olumei nf e m a l eu n i v e r s i t ys t u d e n t sand u g i m o t o e l d e r l ys u b j e c t si n] a p a n. F u k u w a t a r iT,S E,T s u j iT,H i r o s e, ]F u k u iT,andS h i b a t aK .Nufr Res( 2 0 0 9)2 9( 12 ). 8 3 9 4 5 総説・ 資 料な ど 崎市) i 寅題名 ナイアシン栄養におけるトリプトファン 経路の重要性 -第 6 3四日本栄養・食糧学会大会シンポジウム 「ラ イフステージごとのビタミンの食事摂取基準の策 ・パンを主食とした食事中に含まれる水溶性ビタミ ンの遊離型ビタミンに対する相対利用率福渡努, ∞ 2 9 )6 0( 1 ),5 7 6 3 日本家政学会誌 ( 柴田克己 6 3回日本栄養・食糧学会大会,平成 2 1年 5月, 長 .日本人の母乳中(1-5か月 )の 水 溶 性 ビ タ ミ ン 定 理 論 J( 第6 3回 日 本 栄 養 ・ 食 糧 学 会 大 会 , 平 成 2 1年 5月,長崎市) j 寅題名:乳児 ( 0-5か月と 6- 1 1か月 )の 食 事 摂取基準水溶性ビタミン 。 含量の分布.柴田克己,遠藤美佳, 1 1 1内 麻 衣 子, -厚 生 労 働 科 学 研 究 ・研究成果等普及啓発事業 ・循 日本栄養・食糧学会誌 ( 2 0 0 9) 環器疾患等生活習慣病対策総合研究事業による発 康瀬潤子,福渡努 7 9 8 4. 6 2( 4),1 ・水溶性ビタミン 表会「新しくなっ た食事摂取基準 柴田克己,福渡努 臨床栄養 ( 2 0 0 9)1 1 5( 5 ). 5 2 8 3 4 器疾患等生活習慣病対策総合研究事業 「日本人の -自由食摂取時における日本人学生のlU l 中水溶性ビ タミン値の男女差について 福井富穂,瞭瀬潤子, 福 波 努, 木村尚子,佐々木敏,柴田克己 栄養学 2 0 0 9)6 7( 5),2 8 4 9 0 雑誌 ( 食事摂取基準を改定するためのエビデンスの構築 1年 6月・函館市) に関する研究」班・平成 2 i 寅題名:ビタミン -厚 生 労 働 科 学 研究・研究成果等普及啓発事業 ・循 -精製飼料を投与した W i s t a rラットの栄養パラメー 2 0 0 9) ター守谷彩,福渡努,柴田克己.ビタミン ( 8 3( 1 1). 6 1 3 8 . ・第 1 2四国際トリプトファン研究会 に 参加して.福 i 度努,柴田克己. ビタミン ( 2 0 0 9)8 3( 1 1),6 2 6 ・ 7 環 器 疾 患等 生活習慣病対策総合研究事業による発 主催 表 会 「 新 し く な っ た 食 事 摂 取 基 準 J( 平成 2 1年度厚生労働省循環器疾患等生活習慣病対策総 合研究事業「日本人の食事摂取基準を改定するた 1 めのエピデンスの構築に関する研究」 班 ・平 成 2 年1 2月・北九州市) 学会発表 -トリプトファン代謝産物キヌレン酸を介したリジ ン摂取によるドーパミン分泌の調節 1年 5月,長崎市) 食糧学会大会 ( 平 成2 ・運動がビタミンBl必要量におよぽす影響福波努, 柴田克己 1回大会 (平成 2 1 日本ビタミン学会第 6 年 5月・京都府) .High tryptophan d i e tmodulates kynurenic a c i dp r o d u c t i o nanddopaminet u r n o v e ri nr a t A a ndS h i b a t aK b r a i n .FukuwatariT,Okuno, The 1 2 t hMeetingo fI n t e r n a t i o n a lS o c i e t yf o r TryptophanResearch ( Ju l y,2009,Florence, I t a l y) -アミノ酸摂取によるキヌレン酸を介したドー パミ 福 渡 努,奥野海良人,柴田克己.日本ア ) (平 成 ミノ酸学会第 3回学術大会(jSAAS2009 2 1年 9月・京都市) .Highl y s in巴 d ie td e c r e a s e st i s s u ek y n u r e n i ca c i d 狂 巴c t sdopaminet u r n o v e ri nt h er a t l e v e l sanda s t r i a t um.F u k u w a t a r iT,Okuno, Aa ndS h i b a t aK . S o c i e t yf o rN e u r o s c i巴n c e3 9 t hAnnualMeeting h i c a g o,USA) ( O c t o b e r .2 0 0 9,C 他 9回 講演 1年度日本栄養 ・食栂学会奨励賞受賞講演(第 -平成 2 ' 74 ・人間文化 演題名:微量栄養素ービタミンー 福渡努,奥 3回日本栄養 ・ 野海良人,後藤彩月 ,柴 田 克 己 第 6 ン制御 改定の要点と 主催 。 平 成 2 1年 度 厚 生 労 働 省 循 環 策 定 理 論-J( 圃吉田 龍 平 (よしだりょう へい)給食経営管理学、臨床 調理学、臨床栄養学 (1)年間活動 「環 境 マ ネ ジ メ ン ト 総 論 j で は 、 全 学 部 1回生を 対象に、 「エ コ ・ ク ッ キ ン グ」、 「食 料 自 給 率」 を中 心 に 環 境 問 題 に つ い て 学 生 の 理 解 を 深 め た 。「 晴 好 と調現実習 rJでは、食文化の伝承の意義を理解す べく、我が国 ( 京都府会 ・ 大阪府 ・ 沖縄県)と外国(韓国・ フランス ・イタリア)の料理の調理方法を知らしめ、 食文化の違いを体得させた 。 オープンキャンパスで は、その応用編として「沖縄そば」の調理体験を実 施。「給 食 経営 管 理 論」 で は 、 学 外 臨 地 実 習 に 必 要 な基礎理論、マーケテイングの原理、マネジメント論、 組織管理、品質管理、会計・原価管理、情報処理管 理等 の幅広い知識や方法について演習を通して体得 させた 。「給 食 の 計 画 と 実 務 」 で は 、 献 立 言│聞から 発注、実施後の栄養評価に至る 一連の事務処理を 「 給 食 経 営 管 理 論」 の応用編として実務演習し、即実践 可能なスキルの修得に努めた 。「給食管理実習 」、「 給 食衛生管理実習 Jでは、大量調理施設における給食 業務のあらゆる角度からの管理運営の実態を重要項 目を中心に演習し、体得させた 。 本年度の研究課題は、 「 介護食に関する調査研究」、 人・間・文・化・通・信 「 真空調理に関する 研究」お よび 「 保育所における 本学科学生が地域活性化の一助とし て行っている活 給食経営管理に関する調査研究」 。 動です。あくまでも学生が主役と考え、サポ ート し ( 2 )活動一覧 ています。お昼の短い時間ですが、食を通して地域 1.研究活動 の方々、特に高齢者の方々とふれあい、イ可か吸収し (1)学会口頭発表 てほしいと思っています。 -シンポジウム「給食経営を斬る」日本給食経営管 理学会研修会(10月2 2日 、 本学) [2] 活動一覧 1.研究論文 (2) 著書 ・「 新給食経営管理実習/演習 J( 培風館)共著 1 )UrabeKimiko,H i g a s h iR i e,I na d aT a k i,Minamino n .地主主・社会・国際貢献 Kanako,NadamotoTomonoriandOnoKouki (1)講演会 so fW i l dGra s sExt r a c t saga i ns t D e o d o r i z i n gE庄町 t M e t h a n e t h i o ,l FoodP r e s e r ν a t i o nS c i e n c e,3 5( 4) . ・彦根市保育土 ・調理師合同研修会 (7月2 8日、講 演 「 新保育指導指針と保育」 、調理実習 「アレルギー ( 卵・牛乳 ・小麦)を考慮したおやつ ∞ l 7 l- 1 7 7( 2 9 ) 2)OnoKouki ,Ur a b eKi m i ko ,Y a b u s h i t aMegumiand づくり 」本学) (2) 出張講義 NadamotoTomonori:S c r e e n i n go fA n t i b a c t e r i a l Acti v i ti e so fWild-GrassExtra c t sa g a i n s tt h e 1 0月 2日「高校生の食生活 ・三重県立津西高校 ( H e t e r o f e r m e n t a t i v eL a c t i cAci dB a c t e r i a .Food P r e se r v a t i o nS c i e n c e ,3 6( 1 ),( 2 0 0 9) 食料自給率の向上を考える-J ) ( 3 )学会委員会委員 -全国研究教育栄養士協議 会 滋 賀 県 代 表 、 同 近 畿地区幹事 -日本給食経営管理学会 評議員 ( 4)地域活動 ・“ 彦根市橋本商庖街 「いこう館」健康ランチサ ー ビス事業"の企画運営(年 I~U 1 2 回 ) 2.学会発表 1 )方 暁 .i 甫部貴美子 ・灘本知憲 ・小野康紀ー酵 母に対する植物抽出物の抗菌性, 日本食品科学 6回大会 ( 2 009. 9 . 7 名城大学) 工学会第 5 2)横井健二 ・浦部貴美子 ・灘本知憲 ポリフェノ ー t a p h y l o c o c c u sa u r eu sに対する抗菌力, ル類の S 日本食品科学工学会第 5 6回大会 ( 20 09 . 9 . 6 名城 . 5 浦部貴美子(うらべきみと)食品保蔵・加工 [1]今年度の活動 本学の特別研究 ( 重点領域研究)として 「 創刊旨の 代 表 者 灘 本) J が採 機能性に関する総合的研究 ( 大学) 3)有山 愛・森 由佳 ・浦部貴美子・灘本知憲 ココア摂取による冷え改善効果, 日本食品科学 6回大会 ( 2 0 0 9 . 9 . 6 名城大学) 工学会第 5 択され、研究分担者としてその役割を担っています。 鮒絡を好んで食べる人の 中には、「からだが温まる 」 3 . 共同/受 託 研 究 他 「 何となくからだの調子がいい 」 などと言う人もい 1)鮒絡の機能性に関する総合的研究 ますが、そのことがらについて科学的根拠が明らか になっていないこともあります。この研究を通して, 本学特別研 究( 重点領域研究) ( 代 表 者 灘 本) 2 )アケビ科 「むべ」 に関する日本の「食」文化を そのような言い伝えの一端を明らかにさせていきた 含めた文献調査および食品成分分析 いと思っています。そして、その独特の香りで敬遠 ( 前出産業株式会社) されがちな食品ですが、古人が作り、脈々と受け継 受託研究 がれてきた食品を、新たな機能の付加されたものと 3)地域資源 「 鮒寿し 」の新商品開発:受託研究 ( 木 村水産株式会社) して送り出していく ことに携わ っていき たいと,思 っ ています。滋賀で生まれ、滋賀で、育った私にとって、 4.地域貢献等 ある意味、重要な役割ではないかという気がしてい ・彦根市橋本商庖街活性化プロ ジェクト「い こう館・ ます。 また、これまで、行っている低・未利用野草の 有効利用 に関する研究では、消臭反応、成分の分離を 行い、工学部材料科学科井上古教先生の協力を得て 学生食堂」 OumiFoodP r o j e c tJ -近江楽座 A プロジェク ト r の指導教員 同定することができました。今後は,食品の保蔵 ・ 加工の面からだけでなく、生活習慣病予防と関連の 深い働き、抗酸化機能、免疫調節機能など機能性に -震瀬潤子(ひろせじゅんと)栄養教育論、乳児栄養 母乳晴育を積極的に支援している病院と助産院に 着目し た研究も行 っていき たいと考えています。 協力をお願いし、看護師や助産師の皆さんが授乳中 彦根橋本商庖街 「い こう 館」の 「 学生食堂」 は 、 の母子のどのような点を観察しているのかを調盗し 人間文化・ 75 人・間・文・化・通・信 ています。視線追尾システムを導入して、観察ポイ ン トの明確化を目指しています。 また、産後のお母 さんのストレスの原因を明らかにし、お母さん方が 求めている育児支援は何かを採っています。 。論文など 近後支部大会 。地域貢献 -安 土 小 学 校 PTA講習会、 「今 な ぜ 食 育 か ?J 2 0 0 9、 9月 -第 l回彦根市立病院健康講座 2 0 1 0 、 1月 ・定量法の違いによる母乳中ビタミン B6 量の変動、 、 3番目)、日本栄養・ 柴田克己、康瀬潤子(他 2名 圃佐野光枝(さのみつえ)分子栄養学 2( 3 ) 、1 3 1 -1 3 5、2 0 0 9 食糧学会誌、 6 .年間活動 必須アミノ酸の一つであるトリプトファンの過剰 ・日本人の母乳中(1-5か月 )の水溶性ビタミン 、 4番目 )、 含量の分布、柴田克己, 康瀬潤子 ( 他 3人 摂取によって起こる影響を, ヒトとマウスを用いて 日本栄養 ・食糧学会誌、 6 2( 4) 、1 8 5 -1 9 0 、2 0 0 9 調べている.来年度も引き続き行っていく予定であ ・抗大麦 L i p i dT r a n s f e rP r o t 巴I I I抗体を用いたビー 関子 ( 他 ルの品質評価系の確立、 山口友貴絵、康瀬 i 実行委員の一人として開催に携わ った 1 1月 7日( 湖 2名 、 2番目 ) 、日本食品科学工学会誌、 5 6( 2) 、 6 47 1、2 0 0 9 ・自由食摂食時における日本入学生の血中水溶性ビ タミン値の男女差について、福井富穂、康瀬潤子、 柴田克己 ( 他 3名 、 2番目)、日本栄養改善学会誌、 6 7( 5 ) 、2 8 4 2 9 0、 2 0 0 9 .Li p i dT r a n s f e rP r o t 巴I I Iに対するモノクローナル 抗体を用いた発酵食品中の小麦使用量ーの評側、山 、 2番目 )、 口( 村上)友貸絵、康瀬潤子、 ( 他 2名 日本食品科学工学会誌工学会誌、 5 6( 8) 、必4 4 5 2、2 0 0 9 ・Ur inaryexcr e t i o no fvi taminB1 2dependson ur i ne vol ume i nJapanesefemal euni versi t y sande l d e r l y . TutomuFukuw a t a r i. Junko s t u d巴n Hi r o s e(他 4名 、 4番目 ),Nu t r i t i o nReseach, 2 9, 8 3 9 8 4 5, 2 0 0 9 ・モノクローナル IgAの作製とその利用、木津久 問子、 ( 他 2名 、 2番目 ) 、京都女子大 美子、蹟瀬 i 4 、1 -9 、2 0 0 9 学食物学会誌、 6 その他、チームとしての報告 5報 。学会発表 -乳児期前半 (0- 6ヶ月)の子育ち親育ち再考一母 0 親の食生活と母乳の匂い、日本発達心理学会第 2 回大会 gA免疫複合体の -外分泌液中の食品タンパク質・ I 0 0 9 年度大会 生理的意義、日本農芸化学会 2 る また日本アミノ酸学会第 3回大会 ( 京都)では, 風祭中日 )には,厚生労働省循環器疾患等生活習慣 病対策総合研究事業の成果発表の一環として,講演 会 「 未来の食事」の開催にも携わった 。学会発表 SanoM,FukuwatariT .S h i b a t aK .TheR e l a t i o n s h i p between Nicoti namide Catabolism and Food r e s t r i c ti o n.ISTRY:Meeti ngo ft h eI n t e r n a ti o n a l S o c i e t yf o rTryptopha nResear c h .2 0 0 9年 7月,ポ スター発表 ( =人間関係学司 -上野有理(うえのあり)比較認知発達科学 .年間活動 主に 「 社会的 ・物理的環境が乳幼児の食行動に与 える影響」 をテ ーマに研究活動を展開した。彦根市 在住の乳幼児と養育者に協力 をしてもらい、滋賀県 立大学子育ち応援ラボ 「うみかぜ」で、乳幼児の食 行動に関する観察や実験を定期的におこなった。 5 月に滋賀県立大学で開催された日本赤ちゃん学会第 9回学術集会では、公開シンポジウム 「食に見る子 育ち、子育て」 を主催し、講演をおこなった。また 、 チンパンジーの脳活動を探る研究成果を公表し、報 道1 1社から取材を受けた。 地域への社会貢献活動として、昨年度に引き続き、 「 滋賀県立大学子どもの未来応援プ ロジェク ト」の ・シンポジウム「食」に見る子育ち、子育て、日本 もと、 リー フレッ ト 『うみかぜだより j を計 6号(隔 赤ちゃん学会第 9回大会 -母乳栄養指導における支援者の観察ポイント、日 月)発行した。その他、保育士を対象とした研修会 の講師をつとめた。 本栄養食糧学会近畿支部大会 gA免疫複合体に -外分泌液中の食品タンパク質・ I よる経口免疫寛容の誘導、日本栄養食糧学会近畿 支部大会 ・カピ毒オクラトキシンに対する免疫学的検出法の 開発、日本栄養食糧学会近縫支部大会 -モ ノク ローナ ル抗体を用いた リンゴア レルゲンに 対する免疫学的評価系の擁立、日本栄養食糧学会 76 ・ 人 間 文 化 ・活動一覧 〈 論文〉 UenoA,Hi r a t aS .,Fu waK . , Su g a maK .,K u s u n o k iK . MatsudaG,Fukus h imaH. ,Hi r ak iK . , Tomo naga .2 009 .Brai na c ti vi ty i nan M.& HasegawaT awakechi mpanz e ei nr e spons et ot h es oundo f herownna me .Bi ol o g ; ノL e te r s , publ i s he don l i ne . 上野有理 2 0 1 0食のもつ生物学的&文化的側面 ベ 人・間・文・化・通・信 ピーサイエンス vo . l9 . i n p r e s s 会館 ( 2 0 0 9年1 0月2 2日) -憲法 9条の会・関西講演。 「 地方分権と道州制一道 〈 学会発表〉 上野有理「食べる 他者から乳児は何を感じているの か」日 本赤ちゃん学会第 9回学術集会 彦根. 5 ナ 1 ' ¥制は地方分権改革の言語的シンボルか ・コ ミュニテイリーダー養成研修 ( 明るい選挙推進 月. 2 0 0 9年 協会近畿ブロ ック)講演 〈講義〉 上野有理 「 食と文化 食を通じたコミュニケーショ ンのなりたち J平成 21年度保育研修会. 7月, 2 0 0 9年 -平成 2 1年度滋賀県レイカデイア大学草津校必修講 「変動期社会における地方自治一 地方分 権と地方議会 エッセイ . r 地域政治への眼差し Jr ソシオロジj 社会学研究 「若者の政治意識と政 J、於.ピアザ淡海 (2009年 12月17日) 治参加 I 座講演 -大橋松行(おおはしまつゆき)政治社会学、教育社会学 1 」 、於 新大阪丸ビル本館 ( 2 0 0 9年 1 1月2 1日) J 、於 滋賀県立長寿社会福祉セ 2 0 1 0年 3月 1 9日) ンタ ー ( 4. テレビ、 出演 ・『ニ ュ ー ス ワ イ ド C atchJ (コメンテータ一、び 4 巻 2号(第 1 6 6号 ) 、 2 0 0 9年 1 0月 会、第 5 0 0 9年 4月 -2 0 1 0年 3月 、 2 1:54わ湖放送、 2 2 新聞等掲載記事(評論、コメン卜等) 22:3 9) [ 毎月第 3金曜 日レギュラー出演] … 4 .r 彦根市長選挙公開討論会 Jr 京都新聞 J ( 2009年 4月 1日 、 4月 1 4日)、『産経新聞 J ( 2 0 0 9年 4月 月1 0日 、 5月 1 5日 、 6月 1 9日 、 8月 7日 、 9月 1 8 1日 ) 、 『 毎日新聞 J ( 2 0 0 9年 4月 3日 、 4月1 4日)、 I 彦根文化新聞 J ( 2 0 0 9年 4月 3日)、 『 中日新聞 j ( 2 0 0 9 年 4月 4日)、 『しが彦根新聞 J ( 2 0 0 9年 4月 4 日) 知事任期 1年半切る 予算、嘉凹色鮮明に J 京 . r r 都新聞 J ( 地域・総合、 2 0 0 9年 4月 5日) .r 彦根 市 長 選 挙 予 定 者 5人 Jr 朝日新聞 J ( 2 0 0 9 年 4月1 1日) .r 市長選あす告示 H毎日新聞 j( 2 009年 4月 1 8日) . r 彦根 市 長 選 挙 最 多 5候補ヒートアップ Jr 京都 地域 ・総合、 2 0 0 9年 4月2 3日) 新聞 J ( ∞ 日 、 1 0月 1 6日 、 1 1月2 0日 、 1 2月 1 8日 、 2 0 1 0年 1月 1 5日 、 2月 1 9日 、 3月 1 9日 .r 2 0 0 9総選挙 滋 賀 県民の選択 J ( 開票速報コメン テーター、びわ湖放送、 2 0 0 9年 8月3 0日 、 20:5 4 -2 2:1 5) [出演] .r 2 0 0 9 湖 同 NEWSこの 一 年 一 あ な た が 選 ぶ ニュース TOP1 かーJ( コメンテータ一、 びわ湖放 送 、 2 0 0 9年 1 2月3 0日 、 1 9:3 0- 2 0・5 4、再放送: 2 0 0 9年 1 2月3 1日 、 9・ 00-1 0・ 2 4) [ 出演] 5目自治体史 ・東近江市史 ( 能登川の歴史) 史料収集、史料編 執筆 .r 小沢代表辞任表明 J r 毎日新聞J (2 9 年 5月 1 2日) -日野町史:史料収集、史料編執筆 ( 第 4章 2- 4節) ・「自民、民主県版政権公約どう読む J 中日新聞 j 6目社会活動 (地域貢献) 等(現職のみ) r ( 2 0 0 9年 8月 7日) -滋賀県明るい選挙推進協議会副会長(滋賀県選挙 .r 各党の県版公約 H朝日新聞 J( 2 0 0 9年 8月1 2日) ・「 投票率 70%超えなるか Jr 京都新聞 J ( 2 0 0 9年 8 月2 8日) . r 県行革委、 7施設廃止提言に波紋 Jr 京都新聞 J ( 地域・総合、 2 0 0 9年 9月2 3日) .r 政治とマスコミ J rしが彦根新聞 J ( 2 0 0 9年 1 0月 2 4日) .r 新幹線新駅基金の転用 J r 毎日新聞 J ( 2009 年1 1 月3 0日) 3 講演活動 ・政策フォーラム滋賀・第 6回講座講演 「マニフェ スト研究ーマニフェストの見方 ・作り方」、於 20 0 9年 9月 4日) 男女共同参画センタ ー ( r -吉田豊市政報告会講演 : 地方分権における市議 管理委員会) ・彦根市行政評価委員会委員長(彦根市企画振興部) .市立長浜城歴史博物館協議会副会長 ( 長浜市教育 委員会) -東近江市史 ( 能登川の歴史)編集委員会委員 (近現 代部会長) ・日野町史執筆委員(近現代部会) 7 その他 ・彦線市長選挙の公開討論会でコ ーディネータ ーを 務めた ( 主催 「彦根 市 長 選 挙 公 開 討 論 会 2 0 0 9J 市民の会、 2 0 0 9年 4月 1 2日 、 於 .ひこね市文化プ ラザエコホ ール) 5回衆議院議員総選挙(滋賀 3区)の公開討論 -第 4 会でコーデイネータ ーを務 め た ( 主 催 社 団 法 会の役割 」、 於 長 浜 八 幡 宮 参 集 殿 ( 2 0 0 9年 9月 人日本青年会議所近畿地区滋賀ブロック協議会、 2 7日) -平成 21 年度滋賀県レイカデイア大学米原校必修講 座講演 「マニフェスト型選挙と地方自治 二元 代表性を考えるー」 、於:滋賀県立文化産業交流 2 0 0 9年 8月1 1日 、 於 守 山市民交流センター ) ・コ ミュニティリーダー養成研修 ( 明るい選挙推進 協会近畿ブロ ック)のワ ー クショップでファシリ テーターを務めた ( 主催.財団法人明るい選挙推 7 人間文化・ 7 人・閏・文・化・通・信 進協会、 2 0 0 9年 1 2 月1 7日、於 ピアザ淡海) 1 9 2 1年度文部科学省科学研究費補助金 ( 基盤研究 C2)研究成果最終報告書…研究代表者;田中耕 -木村裕(をむうゆたか)教育方法学 滋賀県立大学に赴任して早一年。周りの教職員の 治) ( 2 0 1 0年 3月刊行予定) 方々や学生たちに助けられながら、何とか過ごして 発表 ・木村裕 「オ ー ス ト ラ リ ア に お け る カ リ キ ュ ラ くることができた 。学生便覧を見ずに講義室に行け ムーナショナル・カリキュラムを中心に J(オセ るようになってきたこと、生協の方に学生ではなく アニア教育学会研究推進グループ報告の一部を担 教員であることを認識していただけるようにな った 3回大会、国際大学、 当)、オセアニア教育学会第 1 こと、マニュアルの冊子を見ずに物品購入ができる 2 0 0 9年1 2月 ようになったことなどで、少しずつ新たな生活への -木村裕 「日本におけるオーストラリアの開発教育 慣れを感じている 。今年度の主な活動内容は以下の 研究の意義に関する 一考察一学校教育の場におけ とおりである 。 る実践への示唆に焦点をあてて」オセアニア教育 [研究] オーストラリアの開発教育・グローパル教育のカ 3回大会、国際大学、2 0 0 9 年1 2月 学会第 1 リキュラム編成や授業づくりに関する研究を進めて [教育] 本年度のゼミは、 4回生 3名 、 3回生 3名であっ 0月からは文部科学省科学研究費補助金 (ス いる 。 1 1野 た。 4回生は、各自が興味を持っているテーマ ( オーストラリアの開発教育の教育 タートア ップ) 1 外教育 J1 特別支援教育 J1 道徳教育 J )で論文執筆 方法学的研究 開発教育論の再構築と 実践の探究」 の助成を 受けて研究に取り組んだ。 最後まで、頑張っている様子に 3人の優しさと力強さ 著書・論文 を感じ、大変頼もしく思った。 に取り組んだ。提出直前、互いに励まし合いながら PISA調査における読解力 」 また、ゼミ生とともに、特徴的な 実践を行ってい W I活用する力 」 を育 る福井県と京都府の学校へ授業見学に行った。先生 パフォーマンス課題と ルーブリックの提案j 学事出版、 2 0 0 9年 、 p . 4 6 方から授業の裏側を伺ったり、子どもたちと触れ 合ったりすることができ、学生たちは刺激を受けた -木村裕 「 保健体育科のカリキュラム J1 外国語科 様子であった。 また、私自身にとっても非常に勉強 のカリキュラム J1 環境教育のカリキュラム J1 国 になった 。 こうした取り組みは今後も続けていきた いと考えている 。 ・木村俗 「コラム ④ 西岡加名恵・田中耕治編著 てる授業と評価中学校 際理解教育のカリキュラム J1 市民性教育のカリ キュラム 」田中耕治編著 『よくわかる教育課程』 ミネルヴァ書房、 2 0 0 9年 、 p p. l4 0 1 4 3、pp. l5 6 - [社会活動] 本学科の竹下秀子先生にお声掛けいただき、 子育 ち応援ラボのリーフレ ッ ト 「うみかぜだより」第 4 1 6 1 -木村裕 「日本におけるオーストラリアの開発教育 研究の動向と今後の課題」オセアニア教育学会 『 オ 号の 「 世界の子育て」 に、オーストラリアの状況を 紹介させていただ、いた。 セアニア教育研究j 第1 5 号 、 2 0 0 9年 、 p p . 7 3 8 4 -木村裕 「きのくに子どもの村学園と 自由学校の創 造 自由な子どもと教師が育つ学校づくりをめ ざして 」 田中耕治編著 『 時代を拓いた教師たち I I一実践から教育を問い直す j 日本標準、 2 0 0 9年 、 p p . 2 1 3 2 2 4 ・木村裕 111 8 教科の優れた能力 /高学力 教 1 1 7 学 科の学力をどう把握し育てるのか J11- -竹下秀子(たけしたひでと)発達心理学 「 胎児期からの母子コミュニケ ー ション 胎内聴 覚経験とクロスモ夕、ル知覚の比較発達研究 J(日本 学術振興会科学研究費補助金基盤研究 ( B))を中心 とした心の発達の基礎研究に取り組むとともに、滋 賀県立大学特別研究費重点領域研究として実施し ている 「 滋賀県立大学子 どもの未来応援プロジェク 認知的個性の多様性を活かす集 ト」 を進めました。 これらを通じたさまざまな活動 団編制のあり方」松村暢隆編 『ワードマップ ・認 によって、大学での発達研究と地域の子育ち・子育 校での集団編制 知的個性 j 新曜社 ( 2 0 1 0 教育的支援に生かす ( 仮) 年 4月刊行予定) -木村裕 「第 3部第 1章 「社会・総合・キャリア 教育部」 での指導案改革 学校に基礎をおくリ テラシー育成のための取り組み J1 第 4部第 5 てを繋げ、共に育ちあう仲間づくりをめざしていま す。 5月に交流センターで開催した日本赤ちゃん学 会第 9回学術集会はその一環でもありましたが、 「 地 域で育む赤ちゃん学ー いのちの始まりと育ちを支え る科学」 をテーマとしました 。 シンポジウムやポス オーストラリアの全国学力調査一学力保障の タ一発表で学際的な研究交流をおこなうことができ、 実現に向けた学力調査のあり方 J リテラシーの 一般の方々も含み、全国から多彩な職種の方がご参 育成をめざす評価規準と評価方法の開発J( 平成 加 ぐださいました。 また、 1 0月以降は、 「うみかぜ 章 78 ・人間文化 r 人・間・文・化・通・信 セミナーー発達障害を学ぶ(全 4回) Jを実施しました。 だが、本書は、子どもたち自身にとって貧困はどの 発達障害の理解についてさまざまな立場からの講師 ような体験なのかということを、インタビュ ーなど の方のお話を各回多くの参加者の方々に聴講してい を通じて明らかにしている 。本書には、 言われてみ ただくことができました。今年度初めてとりくんだ ればなるほどという点が多い。 自分もこれまでひき ものですが、子育て現場において関心の高いテーマ こもりや若者論などを調べてき たのだが、 自分の認 であり、今後も引き続きとりくんでいきたいと思い 識がひょっとすると非常に甘かったのかもしれない ます。 と考えさせられているところだ。 今年度公刊した学術論文は、1)竹下秀子 ( 2 0 0 9) あおむけで他者,自己,物とかかわる赤ちゃん: -那須光章(なすとうしよう)心理学、教育心理学 子育ちと子育ての比 較 行 動 発達学 .年間活動 研究テーマは、高校生のス トレッサー認知とスト 発達心理学 研究、 2 0、2 9 41 . 2)T a k e s h i t a,H .e ta l .( 2 0 0 9) Thes u p i n ep o s i t i o no fp o s t n a t a lhumani n f a n t s : I m p l i c a t i o n sf o rt h e developmento fc o g n i t i v e i n t e l l i g e n c e.I n t e r a c t i o nS t u d i e s,1 0,2 5 2 2 6 9.3) 五十嵐稔子他 ( 2 0 0 9)母乳 l 滴育を行っている母子の 授乳行動に関する縦断調査母性衛生、 5 0、3 1 0 3 1 7 . 4)SugimotoT .e ta . 1( 2 0 1 0)P r e f e r 巴n c ef o r c o n s o n a n tm U S 1 Cov 巴rd i s s o n a n tm u s i cbya ni n f a n t c h i m p a n z e e .P r i m a t e s,5 , 17 1 2 . 学内での教育活動にかかわ って特筆すべきは、子 レス対処としてのソーシャルスキルとソーシャルサ ポートの効果、若者の職業自立の課題と心理的特性、 交通事故防止と交通安全教育、等に関する領域の研 究を行ってきました 。 必ずしも十分な研究成果をあげることができませ んでしたが、今後引き続き調査研究と事例分析を進 める予定です。 教育面では、従来の講義 ・演習に加えて昨年度か ら現職の高校の先生を招いた新しいタイプの授業 育て支援をテーマに 2 0 0 5年度より大学院博士後期謀 『 教育心理学j、 『 教育相談・進路指導 j を行い、教 程に在籍してきた丸浮由美子さんの国立病院機構へ 育現場の課題により近い内容の授業を展開すること の児童指導員としての就職が決ま った ことです。療 ができました。『教育観察実習』 では、学生を実践 育・福祉支援という新たな分野に挑みます。 また幸 現場へ連れて行つての課題研究的な学習を進める工 い早々に就職の内定を得た学音[ ¥ 4回生はそろって乳 夫に努めました。 幼児の発達をテーマとした卒業研究をまとめること 大学院学生の指導としては、中高年の生涯学習の ができました。 4回生との合同ゼミでともに学んで 国際比較 (日韓比較)の研究の基礎的な方法につい きた 3回生も卒論のテーマが定まりつつあります て指導しました。 ( 以上いずれも、人間関係学科准教授の上野有理さ 学生卒論指導では 『 高校生の学校ストレッサ ー んとの共同指導) 。 私たちの研究・教育活動にご協 とストレス反応の関係 力くださっている子育ち応援ラボ「うみかぜ」赤ちゃ 較 ん研究員のみなさま、市内保育園関係者のみなさま レッサーとソ ーシャルサポートとの関係j、 『 新入社 に深く感謝いたします。 員 とし 「 働くこと J J、 『大学生のストレッサーとス 地域貢献・社会貢献としては、社団法人滋賀県保 育協議会研修会講師、産経新聞社・日本赤ち ゃん学 会共催の「保育および育児支援のための 『 新・赤ちゃ 日本と中国の高校生の比 j、 『在日中国系留学生のストレス反応、スト トレス対処行動についての研究j、 『 音楽療法とその 現場j の各卒業論文の作成をザポートしました。 学外活動、社会的活動の面では、社会福祉法人の ん学j 入門講座 J講師等を務めたほか、日本赤ちゃ 理事として障がいを持つ青年・成人の作業訓練や職 ん学会評議員、日本発達心理学会関西地区懇話会幹 業指導の現場の状況についての議論や討議に参加し 事を継続しました。 また新たに、日本子ども学会理 て、若干の提案などを行いました 。学校教育関係で 事、発達心理学研究(日 本発達心理学会誌)編集委員、 は幼小中の教員に対する教育相談や軽度発達障害生 動物心理学研究 (日本動物心理学会誌)編集委員 に 徒の支援のあり方などついて講演やアドバイザーを 就任しました。 つとめました。 -中村好孝(なかむらよしたか)社会学 。活動一覧 日丹究目その他(翻訳)] 地域・社会 ・国際貢献 テス・リッジ 『 子どもの貧困と社会的排除j桜井 書 庖 (共訳、近刊 。 ) 原書は 2 0 0 2年出版だが、日本 でまさに今、話題になっている 「 子 どもの貧困」 に ついての本。 日本の子どもの貧困が深刻な問題であ ることは統計などから明らかにされつつあるところ [講演] . r 成人のキャリア形成」滋賀大学社会教育主事講 習会 . r 子 どものカウンセリングについて 」守山市教育 研究所教育相談研修会 人 間 文 化・79 人・間・文・化・通・信 .I 大学新入生の学習意欲と学力 」滋賀県教育研究 集会 0 9 教育の集い .I 右折関連事故の危険性と運転指導のあり方」大 阪府交通安全協会教育センター る会」の方々と「彦根昔ぱなし大学」 を開催してい る。 この催しは、日本口承文芸学会会長、つくば大 学名誉教授の小津俊夫氏が主宰される昔ぱなし研究 所の協力で催されるもので、すでに基礎 コースは 6 回シリ ーズ 、 「 再話コ ースJ4閉シリーズは終了し、 [審議会・委員会など] 昨年度からは 「 研究コ ース」に入り 6回シリーズの .I 愛荘町立秦荘東小学校」学校評議員 .I日本自動車連盟関西本音1 ¥ 交通安全実行委員会」 うち 3 回目 4 回 I~I を市冬了した 。 常任委員 .I 社会福祉法人ひかり福祉会」理事 4 砂地域 ・社会 ・国際貢献 .I 財団法人ひかり協会」東近畿本部救済対策委員 講演・展示会 多賀町地域における家庭教育支援基盤形成事 業にかかる子育てサボーター養成講座 尊子(のべひろと)児童文化・伝承文化 .野部1 東近江市市紙芝居出前講座 ・研究教育活動 2年にダム建設が示されてか ら5 0 一つには、 昭和 3 朝日新聞名古屋本社主催講演 等 各種審議会、委員会委員 余年、岐阜県揖斐郡旧徳山村に建設された 「 徳山ダ 滋賀県社会教育委員 0年 4月2 4日満水となり、その湖は 「 徳 ム」は平成 2 大垣ケ ーブルテレビ番組審議委員 山ダム i 却 I jJと命名された。そして同年 1 0月には竣功 滋賀県中学生広場作文 コンクール審査委員長 式を迎え、様々な問題を残しながらも稼動を始めた。 昭和 5 3年から 湖底化する村の文化の保存のために 彦根市福祉会運営検討委員会委員長 村人が離村するまで、現地で訪!査を行ってきた 。その 後、移住地にも調査に訪れた。 これらの成果はすで に報告済みであるが、とりわけ貴重なる語り手で 紙芝居文化の会運営委員 子どもの文化学びの舎主宰 滋賀県紙芝居研究会代表等 総説、一般向け(雑誌、新聞など)記事 あった女性とのかかわりは深く、村の伝承話、自然 朝日新聞 や文化や歴史について多くの話を聞くことができた。 日刊富良野新聞 これも論文や報告書にまとめてきた。 この女性が平 中日新聞 成1 8年 3月に死去され、残された多くの資料を引き 岐阜新聞 2 0 0 9/ 6 2 0 0 9 / 4 2 0 0 9 / 6・ 1 1 2 0 0 9/ 4・6 継ぎ、以来資料のま整理に追われている 。氏は 「 徳山 のカメラばあちゃん j こと増山たづ子氏である 。 0 0点ほど 残された資料の中から未公開の写真を 1 抜き出し、写真展を行っている 。 -松嶋秀明(まつしまひであき)臨床心理学 本年度の活動を①研究、 ②教育、 ③地域貢献にわ けで述べる 。①科研プロジ、エクト「学校 ー警察関連 補足調査では移住された元住民、また先祖が村出 携の促進を目指した初期非行に対するアセスメント 身の子孫の方々と出合い聞き取り調査を継続的に システムの開発(課題番号 21 7 3 0 56 0) J が今年度か ら採択され、調査を開始した 。滋賀県警少年サポ ー 行っている 。 二つには、かつて滋賀県犬上郡多賀 町で聞き取り トセンターが今年度からたちあげたサポートシステ 調査を行った伝承文化の資料を整理分類して記録す ムの効果検証を中心として、滋賀県警と関係諸期 る一方、児童文化財化の試みを行っている 。すなわ 間、大学の連携を円滑にするための方策について検 ち伝承文化の継承と創造の視点から文化財の保存に 討した。学校が非行少年の指導にあたって担ってい 努めている 。 また多賀町教育委員会の要請で子育て る役割の大きさが再確認されることとなった。また、 サボー ター養成講座に連続 6年出向している 。 同じく 科研 プロジ、エク ト 「多文化横断 ナラテ ィヴ ・ 三つ には、自ら代表として活動する滋賀県紙芝居 フィ ールド ワークによる臨床支援と対話教育法の開 研究会では、平成 1 3年より 「出前紙芝居大学 JI 出 発Jの活動として 7月初旬に ロンドンに赴いて、イ 前紙芝居講座」等 を開催し、県内外より多 くの受講 ギリスでナラティブアプ ローチ を標務する 研究者 ・ 参加者をえている 。本年度も自らが企画運営に携わ 実践者との交流を行なった。 なかでも 7月 2日には り講座を開催し、多くの方々に学びの場を提供した。 " N a r r a t i v ei nM e n t a lHe al t hC a r e :A p p l i c a t i o n si n T h e r a p ya n dT r a i n i n g "と題するシンポジウムで我 さらに教育・保育に携わっておられる方々の協力を 得て県内各地の図書館や市町村 において児童書 ・絵 が国のスク ールカウンセ リング活動についての紹介 本・紙芝居等子どもの文化についての講座を開催し を行なった。 この他 「 発達障害が疑われる非行少年 ている 。 の包括的再犯防止策」に分担者として参加し、 全国 四つには、平成 1 5年 1 1月より「彦根おはなしを語 80 ・人間文化 の児童自立支援施設への聞き取り調査を 行な った。 人・間・文・化・通・信 ②教育活動では、 7名の卒業論文に関わった。 イン 動/市民活動の 『 共振Jをめぐって タビューやフィ ールドワークなどの質的研究法を中 市民活動団体調査j の分析から 」筑波大学辻中豊 研究室・ 一橋大学東京プロジ、エクト研究会合同研 心的な方法論として 「 摂食障害者の語りにみる病の 夫婦問での育児の役割分担 JI タトゥーをい 経験JI 『 首都圏 究会、筑波大学、2 0 0 9年 7月 れることが当事者に与える心理的影響 JI 別室登校 .M i d o r iI to .MunenoriSuzuki.M i t s u n o r iI s h i d a が不登校者の再登校に与える影響 JI 不良少年の過 N o r i h i r oNi h e i .andMasaoMaruyama. " S e c o n d 去の大人との体験」など多彩なテーマでの探求がな M o d e r n i t yi n] a p a n :F o c u s i n go nI n d i v i d u a l i z a t i o n, された 。最後に①では、臨床心理士として、県内小・ I n t e r n a t i o n a l Workshop " V a r i e t i e so fSecond Modernity: Extra-European and European 中学校の教育相談・生徒指導活動に携わった他、大 津市の教員研修会で講師を務めた。 Experiences and Perspecti ves, " Un i v e r s i t yo f M u n i c h .M u n i c h .A p r il2 0 0 9 -丸山真央(まるやままさお)地域・都市社会学 [総説等1 ・研究活動 個人研究では、着任以前から継続しているネオリ ・丸山真央 「第3 4回大会・自由報告部会 3 1印象記」 ベラリズムの地域再編、とくに市町村合併とローカ ・丸山真央 「第 2回大会一般報告第 1部印象記 JW東 ルガバナンスに関する研究で学会報告と論文投稿を 5 5、2 0 0 9年 5月 『 地域社会学会会報J1 海社会学会ニューズレター J5、2 0 0 9年 8月 行った。 この延長で、 1 1月から 1 2月にかけて静岡県 [講演等1 浜松市旧佐久間町で住民対象の質問紙調査 ( 700サ ・丸山真央 「ポスト 5 5年体制期の地方政治と有権者 ンプル)を実施した。本学部の科研費間接経費を得 の選択 たために実施できたものであり、関係各位に感謝し 0 0 9年 4月 ( W社会運動 J3 5 3に講演録 政策機構、 2 たい。突貫工事の調査ながら 回収率が 55%を超える 徳島の事例を中心に 」、市民セクタ一 収 載) など上々の滑り出しで、現在デ ー タ化しているとこ ろである 。 さらに、この調査の過程で、浮かひ、上がっ .教育活動 着任初年度でとまどうことも少なくなかったが、 た限界集落化と集落生活の崩壊問題を検証するため どうにか乗り切った。 ゼミには 3回生 2人が所属 共同研究プロジェクトを立ち上げ、来年度から動き し 、 9月に法政大学社会学部仁平典宏ゼミ ( 福祉社 出す手はずになっている 。 会学)と合同ゼミ合宿・調査を静岡県浜松市で実施 ネオリベラリズムと都市変容、とくに東京の都市 再生の研究では、研究会で報告したりサ ーベイ論文 の投稿や書評を草した程度で、目立った進展はない。 ただこの関連で、関西の研究者らによる科研費 ( 基 撤回 I W都心回帰 j 時代における大都市の構造変 容一一 大阪市を事例として J(代表 ・鯵坂学同志社 大教授)にかかわることになり、 比較都市政策調査 でソウルと釜山を訪問したり、大阪都心部の町内会 調査に携わる ことができたのは侯倖だ、った。 した。 ・4 土会活動・その他 本学特別推進研究 「 男女共同参画社会実現プログ ラムの構築」では、調査班の末端構成員として、教 職員向けの質問紙調査の設計・実査を行った。 I まそまひろみち)コミュニケーション論 -細馬宏通 C ポ報告、英文・独文ジャーナルへの論文投稿を行っ f こ。 [ l ]2 0 0 9年度の活動について 本年度から科研 ( 基盤 C) I 介護施設において高 齢者・介護職員間で交わされる身体動作を用いた空 間表現の研究 j の代表者となった 。 グル ープホ ーム やデイケアセンターに通うにつれ、高齢者福祉の具 体的なあり方を考えさせられるようになった。 特に、 会話分析やジ、エスチャ 一分析をする にあたって、高 [論文] 齢者問題の共通性と個性とは、同時に浮かび上がっ 個人 そのほか共同研究では、科研費(基盤 C) I 化理論による現代日本の社会変動に関する包括的研 究 J( 代表・鈴木宗徳法政大准教授)で、国際シン ・丸山真央 I W 平成の大合併jをめぐる住民意識 高 てくるものだという実感を持つようになった 。 日常 知市民の意識調査の分析を通じて JW桐蔭論叢 j のなにげない活動、たとえば食事や立ち上がりと 2 0 、2009年 6月 [学会・研究会発表] -丸 山真央 平成の大合併』における編入自治体 の住民意識の構造 静岡県旧佐久間町民意識調 いった場面で、介護者とお年寄りとのあいだの緊密 n 査の分析を通じて」、第 8 2回日本社会学会大会、 立教大学、 2 0 0 9年 1 0月 -丸山真央・仁平典宏 「ネオリベラリズムと社会運 な関係が浮き彫りになることもわかった。本年度は フィールドワークの年。来年度から徐々に成果が発 表できると思う 。 また科研 ( 基盤 B)I 笑いがもたらす情報・情動 ・ 同調に着目した漫才インタラクションの時空間的分 析( 研 究 代 表 者 東 京 工 科 大 学 飯 田 仁) Jの分担者 人間文化・ 8 1 人・間・文・化・通・ 信 として、 トークショ ーの分析を卒論生と行っている 。 梨克也編/オーム社) 指示語、メタファ 一、自己言及などの従来の言語学 の概念が、 トークショーのもとでは新たな様相を帯 [学会発表 ( 主なもの)] び、笑いとつながってくる 。科研 ( 基盤 A) 身体化 城綾実&細馬宏通 された心の人類学的解明」では協力者として、日常 会話におけるジ、エスチャ ー研究を引き続き行ってい 期する発語と 同期するジェスチャ 一 社会言語科学 る。会話分析の基本概念 「 隣接ペア 」とジ、 エスチャ ー 細馬宏通 との関係について研究の端緒が開かれたと 思 う。 3回大会発表論文集. ペ ア 構 造 社 会 言 語 科 学 会 第2 r 拙著 『 絵はがきのなかの彦根』がご縁で、あちこ ちで絵葉書から見た彦根や滋賀の話をする機会が増 えてきた。聴衆の中にはわたしの知らない風景絵葉 書の手がかりをお持ちの方もおられ、むしろ こちら が勉強させていただく場になっている 。 以前からおつきあいしている神 戸 の障害者と ミュ ージシャンとのワ ークショップ 「 音遊びの会」 に、演奏者としても参加するようになった。いくら 観察者としてあれ これ言 えても、いざ参与の枠組み ( 20 09) 多人数会話に おけ る同 3回大会発表論文集 pp.1 0 0 1 0 3 会第 2 ( 2 0 09 ) ジェスチャ ーの時間構造と隣接 p p .1 0 4 1 07 ( 2 0 09).異世代メンバーによる多人数会 話としてのグル ー プ回想法 体験はいかに身体に よって語られるか 日本質的 心理学会第六回大会 ( 北海学園大学) 細馬宏通 ( 2 0 09) ジェスチャ ーによって顕在化する 3回京都大学 知識差 グル ープ回想法の場合 第1 国際シンポジウム 「 学術研究にお ける映像実践の最 前線」 細馬宏通 に投げ込まれると、 即座にどうしたらいいか途方に 暮れてしまう 。研究には、こうした 、ことばに詰ま るような経験が重要だと思う 。 [総説,雑誌 ( 主なもの)] 2 0 09 ) 行動の来歴、個体の来歴 細馬宏通. ( イカ 『 ユリ 2 0 0 9年 9月臨時増刊号J総特集*昆虫主義 凹活動一覧 日丹究論文] 城綾実 ・細馬宏通 ( 2 0 0 9) 多人数会話における自 発的ジ、エスチャーの同期認知科学 1 6 ,1 03 ・ 1 19 細罵宏通 ( 2 0 0 9) 話者交替を越えるジェスチャ ー の時間構造 6 ,91 隣接ペアの場合一認知科学 1 1 02 .( 2009).Prel i m i nar y Not e son t h e Hosoma,H Seque n t i alOr gani z a ti ono fSmi lea ndLaught e r ,T.Kawamur a,T,I de,M.Yokoo,Y H.H a t t o ri Murakami( eds . ):] SAI2 0 08,LNAI5 4 4 7,pp.2 8 8・ 2 9 3,Spri n g e rVer lagBerl i n [地域活動・講演(主なもの)] 第 2回 歴 史 ・ 景 観 ・ ま ち づ く り フ ォ ー ラム ( 2 0 0 9 1 2 1 21 )r 彦根の絵葉書」 第 3回 歴 史 ・ 景 観 ・ ま ち づ く り フ ォ ー ラム ( 2 0 0 9 1 3 / 1 )r 彦根の映像と トー ク」渋谷写真館・渋 谷博氏+細馬宏通 滋賀県立大学春期公開講座 「 絵はがきと地図で見る 彦根J( 2 0 0 9 / 5 /1 6 ) 彦根市西地区公民館いきいき講座 「 絵はがきでみる 2 0 0 9 / 6 / 2 7 ) 彦根J( 多賀 一 円 邸 「一 国 屋 敷 で み つ け た 絵 は が き 」 ( 2 0 0 9 / 1 2 / 5 ) [著書] 「 多人数インタラクションの分析 J( 坊農真弓、高 82 ・ 人間文 化 「スミス記念堂の カメラ ・オブス キュラ 2 0 09 J2 / 8 , 4 / 5 . 7 / 2 6 . 8 / 2 9 . 9 / 2 7 . 1 0 /1 8 .1 1/ 2 2 -編集後記国 小津の H 毎日村l楽 『 人間文化j 2 7号をお送り致します。 2 6号からほと んど聞のない発行となってしまったことをお詫び致し ます。次号から、十分に余裕のあるスケジュ ールに戻 します。私自身は 2回発行してみて、ょうやく要領が つかめたというところで、次号からはある程度余裕を もって編集作業に当たれるように思います。 さて今年度で生活栄養学科の田中敬子教授がご退職 になられます。今号ではご退職メッセージを頂戴致し ました。私は学科が違うため、直接お話しさせていた だく機会はあまりありませんでしたが、すれ違う際に 岐阜県揖斐郡揖斐川町小津(旧久瀬村)、揖斐川上流から支流 の小津川に沿って山奥に 4キロのところに位置する集落である 。 この地に存在する白山神社には「宮講」の組織が現在まで継承 されていて毎月 H毎日にや1楽を奉納する 。神楽といっても携はな く歌のみである 。 夜 7 時ごろ、幣殿正面卓の前で神 ~F を司る禰宜さんは、烏帽子、 略装で神前に着座。修験、神迎えの祝詞があげられた後、神楽 が始まる 。採り物は右手に鈴、左手には朱骨の扇をもっ。議の 、 神楽衆はこれを囲むように大太鼓 l名、大鼓 2名、小鼓 5名 すり鉦 l名、用具なし 1名が座をなして座る 。 唱えると、 一! 日l が下の句 鳴り物が入って、禰宜さんが上の句を l 首 、 l 首、全部で 1 0首の歌が詠まれる のである 。神 を斉唱する 。 l 2-1 3分である 。ここで歌われる歌は三河の花 事の所要時間は 1 祭り、梁塵秘抄、伊勢神宮神楽歌、八幡宮、下巴の国の神祭り 歌などあちこちの他地域て、歌われていたものと類似している 。 その後酒宴となる 。神楽衆の「宮講」は家が決まっていて代々 引き継がれている 。月々当番制で酒宴の準備をする 。野菜を " 1 " 心とした煮物、スルメ、コブをツマミにして酒宴は夜遅 くまで 続く 。 かつて、宮議の人達は梓をつけて神楽にかかわっていたが、 近年、月々の神楽は平服のまま、また酒宴の器も塗り物からパッ クに変わってきている 。 はいつも穏やかな笑みを浮かべてご挨拶いただきまし た。過日、退職記念祝賀会に出席させていただきまし たが、先生が多くの方にそのお人柄を慕われているこ とがしのばれる和やかで温かい会となりました。 編集委員の l人として、田中先生の今後のご健康と さらなるご活躍を心より祈念申し上げます。 ( 武田俊輔) 編集委員. 亀井若菜・武田俊輔・ 山根周・庚瀬 1 関子 ・野部博子 H毎日神楽は古、旅の修験者が小 i~t の地に止まり有志を集めて 始めたのではないかと考える研究者もいる 。 美濃の山奥に各地の文化が定着するのも、木や紙を 生業とす る人々が文化の運搬入となって、全国各地の文化の流入流出が 行われたのではないかと考えられる 。 たとえは'美濃の久瀬 坂内 八王立峠 近江の木之 本一一朽木一一花折峠ー一一京の大原・八瀬一一都、あるいはそ の逆のルートで伝播したなどと 。 写真・文 野部博子 人間文化 2 7号 滋賀県立大学人間文化学部研究報告 発行日 27号 2010年 3月 29日 発行公立大学法人滋賀県立大学人間文化学部 T 522-8533滋賀県彦根市八坂町 2500TEL0749-28-8200附 発 行 人 漬 崎一志 版下制作 サンライス、出版株式会社 印刷 サンライズ出版株式会社 本誌は再生紙を使用しています。 出世 MH kyZ 汁、叫円 市 工 C豆 ﹀ のC ﹁↓C2mω 亙 一 比 4R ↓ 工m C Z 一︿m 刃∞一 ﹁ ー 特 ︿ O 明 刀 刃 向 市mo ↓C 刃m 設さ﹃滞 ω 工一 QKY 滋賀県立大学 E O ~ 、 『 〒 ~ 市 ﹁ ωの 工O O﹁ 1 小津の H 毎日和1 楽 ( 白 山村l社) 王 室
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