五十嵐の10の軸, その真骨頂を垣間見る

I N T E RV I E W
五十嵐こどもクリニック 院長
五十嵐正紘 先生
五十嵐の10の 軸,
その真骨頂を垣間見る
聞き手:山田隆司 社団法人地域医療振興協会 地域医療研究所所長
日常的なありふれた問題の答えを探る
山田 隆司(聞き手) 今日は練馬区の五十嵐こどもク
鴨下重彦先生のお勧めでアメリカに3年間留学
リニックに,五十嵐正紘先生を訪ねました.私は現在
しましたが,鴨下先生は私の帰国の時には自治医
地域医療に携わっていますが,そのアイデンティティ
大に移っておられて,
「自治医大に来ないか」
と強力
を培ったのは五十嵐先生が自治医大の地域医療
に誘っていただき,たまたま鴨下先生も神経の研究
学教室にいらしてからですので,そういう意味で先生
をしていたので決心しました.
は私の地域医療の師といえます(図:五十嵐の10の
軸の解説).もっと早い時機にお話しを伺いたいと
思っていましたので,今日はお目にかかれてとても
嬉しく思っています.
ア メリカ で は ,副 腎 白 質 ジ ストロフィー
(Adrenoleukodystrophy:ALD)の研究をされて
いたのですね?
五十嵐
主に脳変性疾患における脱髄のメカニズムや
先生は東大の出身で,私が学生時代には小児科
リピドーシスの研究をしていましたが,最も熱心に取
の教員として自治医大へ赴任され,その後,北海道
り組んでいたのはミエリンのコレステロールエステル
の町立厚岸病院の院長を務められ,今度は地域医
の代謝に関する研究です.ALDの研究は実際に
療学教室の教授として自治医大へ着任されました
は 3ヵ月ぐらいしかやりませんでした.
が,その経緯を簡単に紹介していただけますか?
五十嵐正紘
私が研究していたのは年間に数人しか発
症しないような珍しい小児の神経の病気で,地域医
療やへき地医療に興味があって自治医大へ行った
わけではありません(笑)
.
4(4)
山田
山田 ALDのことが映画の題材になりましたよね.
五十嵐
「ロレンツォのオイル」ですね.同級生の友だち
が「お前のことが出てくる映画がある」というので,
「えっ!
?」
とびっくりした.
山田 先生がALDの機序を解明されたのですね?
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007
INTERVIEW/五十嵐の10の軸,
その真骨頂を垣間見る
五十嵐
ALDの代謝異常がどこで起こっているかを世
界で初めて発表しました.今では酵素欠損も分って
きましたが,未だに治療法はありません.
「ロレンツォ
のオイル」
という映画は,ALD代謝異常のメカニズム
が解った上で,ではこうすれば自分の息子の病気が
治せるのではないかと親が試行錯誤する内容の映
画です.そういう方法は私も試してみましたけれど,
多分発症してからでは駄目で,発症する前にやらな
くてはという結論を私自身は持っています.
山田
そんなスーパースペシャリティなことを研究してい
た先生が,自治医大に来られて,それからまた厚岸
に行かれたのはどういう理由からですか.
五十嵐
それにはいくつかの伏線があって,アメリカにい
たときにある病理学者が私のところにやって来て,
ALDを研究しないかと勧めた.この病気にはコレス
テロールエステルが溜まっているのが特徴的だとい
うことが電子顕微鏡でわかった,と.でも,脳変性疾
患ではコレステロールエステルが溜まるのは当然な
図 総合医療の基本要素
自治医科大学地域医療学 前教授 五十嵐正紘編
*10の項目から成っているため、
『五十嵐の10の軸』と呼ばれています
学習,
研修に当たっては,
以下10項目の知識,
技能,
態度を身につける
(類似語:プライマリ・ケア,
総合診療,
包括医療,
全人医療,
家庭医療,
地域医療)
●総合医療の最も重要な基盤は,
問題を選ばない
1 近接性 無 差 別 性:患者を選ばない,
精 神 的:良好な医師患者関係
時 間 的:時間外の初期救急を含め
経 済 的:費用効果思考に基づく行動
2 日常性 日常問題,日常病
頻度×重要度(重症度,
影響
単純な頻度でなく,
度)の大きい順に
●この基盤のもと以下の場で,
そのニーズを反映して仕事をする.
3 全 人 生物医学的:視点と並行して
心 理 的
社 会 的
倫 理 的:視点からも思考と行動ができる
4 家 庭 家庭を一診療単位とした思考と行動ができる
わけで,ただ,ちょっとだけ頭にひっかかったのは,ほ
5 地 域 地域を一診療単位とした思考と行動ができる
医療,
福祉を統合した地域医療を実践する
保健,
かの病気にはない特徴的な形体をしているコレステ
●この基盤と場を背景にして,
総合医療は次のことを実現する.
ロールエステルが溜まっているということでした.彼は
研究の手順まで示して「こんなことをやったら面白い
のではないか」と誘ってきました.私は基本的には臨
床の医者なので,その症例についていろいろ質問し
たら「どうしてそんなことを聞くんだ?」というのです.
実は彼は私のことを医者だとは思っていなくて,理学
部を出てきた研究者が試験管を振っているのだと
6 質の保証
自己実現)の維持向上を
quality of life(いきがい,
保健,
福祉の質を保証する思考と行
尺度とした医療,
動ができる
7 個別性 個別の事情に応じた思考と行動ができる
患者の自己決定の支援が
多くの選択肢を示しつつ,
できる
8 生態学的接近
学際的,
有機的,
総合的な思考と行動ができる
多面的,
思っていたのですね.
「私は日本では医者なんだ」
と
いう話をしたら,彼が最初に言ったことは「もったいな
い」と.
「どうしてこんなところで医者が試験管を振っ
ているんだ? 医者ならこんなことはやめて早く医者
になれよ」と
(笑).日本では,
試験管を振っているほ
うがいいような感じがあるでしょう?
山田 そうですね.
五十嵐
●これらを実現するために,
以下の役割と責任が必要である.
弁護士役
9 役 割 患者の道案内役,
聴き役,
説明役,
連絡役
患者や医療関係者の調整役,
を担う思考と行動ができる
生涯にわたる継続性)
10 責 任 継続性(当面の問題の継続性,
責任性(主治医としての)
民主性(患者との対等な関係)
を実現する思考と行動ができる
それから,私の研究室にイスラエルから来た研
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007
5(5)
究者がいて,その人はハンター 症候群
(2型ムコ多
五十嵐
そうそう.だから,この研究ではしょうがないなと
糖症)
の酵素欠損を見つけた人なのですが,私が
思いました.教科書にも
「風邪をひいたときにお風呂
日本では医者だという話をしたら,
「自分は医者にな
に入ってもいいか」
ということはどこにも書いてなくて,
れなかったからこんなことをやっているのに,お前は
これだけありふれた質問に自分たちが答えを何も
どうしてこんなところで試験管を振っているんだ?」
と.
持っていないというのは,ある意味で詐欺行為のよう
そんなに有名な研究をしている人なのに,そこがか
なものだと思いました.相手はお金を払って専門家
なり日本とは文化が違うと思いました.
に意見を聞いているのですから.
それからもう1つ,以前からちょっと気になっていた
そんなことが伏線にあって,自治医大の小児科
のは,小児科って大学病院にいても一番多く来るの
にいたのは私が30代後半だったので,年齢的な意
は風邪なのですね.それで,私が一番よく聞かれる
味でも自分が試験管を振れるのはもうこれぐらいま
質問というのが「お風呂に入れてもいいですか?」と
でかなと考えました.
しかも私は人に研究指導する
いうこと.私は,A+B=Cというような論理的な研究を
のではなく自分が働きたいタイプなので.そこで以前
していた人間なのでそれがえらく気になって,
自治医
から考えていた,風邪のときにお風呂に入れていい
大にいるときにまじめに調べてみました.今のようにイ
かというようなごくありふれた日常問題について,自
ンターネットがなかったので,
分厚い医学文献検索誌
分たちはもう少し真剣に取り組んだ方がいいのでは
を1週間かけて調べて,
やっと2 つだけ
「風邪と入浴」
ないかと考えました.そして日常問題に取り組むの
の研究論文が見つかりました.イギリスに国立の
なら自治医大にいるのは,あまりいい場所ではない
「風邪研究所」というのがあって,そこの研究だった
と.大学病院というのは日常問題などはむしろ来て
のですが.でもこんな研究手法では誰も結論を信用
くれないほうがいいと思っている場所なので,そうい
しないなと思って失望したのと,日本とは入浴の仕
うことをできるところに行って,仕事をしてみたいなと
方が全然違うわけですね
(笑)
.
思いました.
山田 シャワーを浴びるだけで,
浴槽に入らない.
継続的な医療を研究する場を作る
五十嵐
また医者というのは若いころはいろいろなところ
を転々とするわけですね.1年から2年,あるいは3年
6(6)
付き合えるような場所で仕事をしてみたいとだんだん
思うようになりました.
ごとぐらいでどんどん代わっていく.子どもが生まれて
そういうことが自分のなかで大きな問題として浮か
から大人になるまでの間にどんな医療をして,どんな
びあがってきたころに,そろそろ自分で試験管を振る
保健をして,どういう大人に育っているかという全体
のはこのぐらいかなという年齢が重なって,
どこかに
像を見られない.そういう意味で,1人の人間の医療
20年ぐらい腰を落ちつけて何かやろうと考えました.
史,保健史のようなものが医療評価という意味でも大
自分としてはどこでもよかったのだけど,同じ人を20
事ではないかと思い,1人の子にずーっと20年ぐらい
年診るなら人口移動の少ない田舎の方がいいかな
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007
INTERVIEW/五十嵐の10の軸,
その真骨頂を垣間見る
というのはありました.それでどこかを探そうと思って
思ったので,月に1度札幌に行って学会に参加する
うちの奥さんに話をしたら,
「反対してもやるのでしょ
ことにしたのです.
小児科地方会に顔を出してただ話を聞いている
う? でも自分は九州弁や関西弁を話すところは人
情がようわからん」
と言ってました
(笑)
.
のではおもしろくないので,最初に「患者さんが病院
山田 奥様は北海道のご出身ですか?
の玄関入って来て出るまでの間,どこでどのぐらい時
五十嵐
そう,北海道生まれだから,では北海道を探そ
間をつぶしていくか」というタイムスタディを発表しま
うと.北海道の公的な医師紹介斡旋機関に手紙を
した.また厚岸の校医・園医の仕事の中でデータを
書いたところ,5ヵ所ぐらい手があがり,一番初めに返
集めて発表したりした.ところが何の質問も出なかっ
事が来たところに行くことにした.それが厚岸です.
たのですね(笑)
.
厚岸って,どんなところだか知らないで行ったのです
が,自治医大にいたという影響もやはり多少はあっ
て,へき地へ行く医者の教育にあたった人間として,
山田
そういう問題に興味を持っている人が少なかった
のでしょうね.
五十嵐
そこで,そういうありふれた問題を議論するよう
そういうところへ行くのも悪くないかなと思いました.
な場所があったほうがいいのではないかと思いまし
山田 先生の研ぎ澄まされた研究心が,臨床的なコモン
た.それで,日本プライマリ・ケア学会の中でもう少し
な問題,あるいは継続的な問題に向けられたという
現場に近い話をする場をつくろうというグループが分
ことですね.
科会のように集まって「家庭医療学研究会」を立ち
五十嵐
そうですね.
でもプライマリ・ケア,家庭医療,ある
上げようということになりました.そのメンバーの中で
いは外来医療ということに目が向いたのは,むしろそ
私が一番年上だったので,私が最初の代表世話人
こへ行ってからですね.
をやることになりました.
山田 それでそこに,足掛け10年近くいらしたのですね.
山田 えっ!
?先生,最初の世話人ですか!
?
五十嵐
五十嵐
実は20年いるつもりだったのだけど,10年少し
最初の代表世話人です.だから家庭医療研究
のところで,自治医大の地域医療学の教授の話が
会の最初のころ,私はかなり入れ込んでいました.そ
きたのです.私は小児科医かつ院長をしておりま
のうちに,松山の徳丸実先生という小児科医が欧米
したので,地域医療で小児医療は1∼2割だという
では外来小児科というのがあるということを雑誌に書
ことがわかり,内科出身の人のほうがいいのではな
いているのを読んで興味をもったのですね.それで
いかと言ったのですが,もう亡くなられた中尾学長
1986年の久留米の小児科学会でその先生の教育
から電話や手紙を頂いて……結局行くことになりま
講演を聴きに行って「夏に先生のところへ勉強に行
した.
きたい」
と申し込んだ.自分と同業の医者が何をして
山田
でも先生,そのころ,厚岸のことや地域医療のこと
を結構書かれていましたよね.
五十嵐
厚岸に行って1ヵ月たったころ「ここにこのまま
いるかひとつ観察してみようという魂胆でした.
夏に
行ったときにお酒を飲みながら私が「先生,
外来
小児科学会を作りませんか」
と提案しました.
1年
いると没落する」と自分で思いました.それはどうい
後に「外来小児科学研究会準備会」を立ち上げ,
う意味かというと,その地域,人口2万5千人ぐらい
1991年の初回は徳丸先生が会長になって愛媛で,
のところに小児科医は私1人なので,医療の面で批
2回目は私が会長で自治医大で開催しました.
判者がいない.そういう状況では自分は没落すると
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007
それから,総合診療医学会も,福井次矢先生が
7(7)
佐賀大学で,大学では日本で初めての総合診療部
を立ち上げたときに「総合診療の研究会を立ち上げ
たほうがいい」と
(笑),福井先生が会長で,私が副
会長として,10年ぐらい務めたところで,福井先生と
2人して会長・副会長をおりて,違う体制へと少し変
わっていったのです.
山田
先生は,家庭医療学研究会,総合診療医学会,
外来小児科学会と,
みんなかかわっていらっしゃった
のですね.
五十嵐 みんな立ち上げに関係していました.
山田 先生は,生涯学習の手段,方向づけというようなこ
とを考えてそういう活動をされたのですか.
五十嵐
生涯学習もありましたが,やっぱり現場のことは
現場の人間が研究しないと,大学の研究者は現場
の日常的な問題には興味をもたないし,日常的な問
題を研究できる場にもいない.私たちがやらなければ
誰もやらないのではないかということが底のほうにあ
聞き手:地域医療研究所所長・
「月刊地域医学」編集長 山田隆司
りました.
ジェネラルとは?
山田 先生が蒔いた種の学会の1つ,日本家庭医療学
会の代表理事を現在私が務めさせていただいてい
山田
そうなのです.先日バンコクで行われたWONCA
ます.先生はそれぞれの研究活動をアクティブにでき
へ行ってきたのですが,マレーシアのRajakumarと
るように各学会としての活動をサポートされ,基本的
いう先生が,
「専門医との溝はどうやって埋めたらい
にそれが育ってきたと思うのですが,
「ジェネラル」と
いのか」という質問に対して,
「専門医は割りと単一
いう一つの括りから考えると,むしろ重なりにくくなっ
的であり,あるいはジェネラリストと専門医というのは
てきている部分があります.
それほどに心配しなくても溝は埋まるが,むしろジェ
五十嵐
それは私も感じていました.例えば,家庭医療
ネラリスト同士のほうがそれぞれ理念を持っていて
学研究会で集まる人と,総合診療医学研究会で集
重ねにくい」
と応えていたのがとても印象的でした.
まる人,あるいはプライマリ・ケア学会で集まる人は,
8(8)
なか一緒にはなれない.
五十嵐
そこにある哲学や方法論は,ほとんど共通して
基本的にはほとんど重なり合っているのです.ところ
いる.しかし,自分が持場と思っている分野が少しず
が,ほんの少しずつ考えていることが違うためになか
つずれているのですね.
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007
INTERVIEW/五十嵐の10の軸,
その真骨頂を垣間見る
山田
以前に「ジェネラル,
あるいはジェネラリストという概
今,
時代が求めていると思われるジェネラルの価値や
念が将来重要になる」
と先生が話されたのを覚えて
質の高さを,
国民,
医療を受けている人にうまく伝える
いるのですが,
その総合というのは,
本来なら大きく
ことができない.
コンシューマーであり,
クライアントであ
ジェネラリストをまとめる動きになるのかなと思ってい
る患者さん,
国民に対して,
「ジェネラル」は医療にお
たのですが,
今,
ジェネラリスト,
ジェネラルな学問とい
いて質や満足度を高めるキーワードになる,
ということ
うのを論じようとすると,
みんなが差ばかりを強調して
を気づいてほしいと思っているのですが.
なかなかまとまらないというもどかしさを感じています.
五十嵐
五十嵐
基本的には専門家にとっての対象は病気なの
そうそう,
私もそう思う.
私は昔から「総合とはなん
です.
医者としての人生が80年あるとしたら,
そのな
ぞや」
「ジェネラルとはなんぞや」
,
ということを最終的
かで自分の興味ある病気と度々遭遇することにな
な仕事にしてみたいと思っていました.なかなか研究
る.
しかしジェネラリストというのは,
例えば先生が私の
にはなりませんけれど.
患者だとすると,
ずーっと私の患者であるということに
山田 そう言われていましたよね.
重要性を見いだす.
先生が何の病気になろうと,
何も
五十嵐
かも受け入れるという感じですね.
おそらく専門とジェネラルの違いは,
専門家は自
分で立場を先に決めて,
それに合ったものだけをやる.
山田 なるほど.
ただ,
医学の基礎科学的な面を考えると,
逆にジェネラリストは,
自分が今対象としているほうに
先生が言われたように,
一人の人に焦点を当てて継
自分をあわせていく.
それが一番大きな違いではない
続するということでは技術的に保証しにくい.
だから,
かと私は思っているのですが.
ほかの科学と同じように専門分化してしまったという
山田
セッティングや環境,
立場,
場所によって,
自分が求
ところがあると思うのです.そのあたりを表現するの
められているものがそれぞれ違うために,
「ジェネラル」
が今とても難しくて.医療というのは実はずっと寄り
という用語について共通認識を得にくいのかなとい
添って診てあげることが大事で,その人の価値観,
う感じがします.
例えば,
病院の総合診療部の先生
思い,文脈,
コンテクストなど,そういったものを理解し
たちが考えるジェネラルと,
いわゆる開業の先生,
ある
ない限り,
その人に対する介入,
ケアは成り立たない
いは私たちのようにへき地医療を担っている者が考
のだと私自身は思っているのですが.
えるジェネラルとでは,
患者さんのニーズに自分をあ
五十嵐
私はジェネラリストというのは,
むしろ弁護士の役
わせるという気持ちは同じだと思うのですが,
実際に
目だと思います.
専門家はどちらかというと
「これは学
診ている対象が微妙に違うために,
違ったもののよう
問的にこうだ」
という検事の役目.
私たちは,
患者さん
に感じてしまう.
のいろいろな思い,
考え,
こうしたい,
こういう人生送り
五十嵐
そうですね.例えば大人しか診ていない,
病院
たいということを医療のなかで,
弁護士役として実現
に来るタイプしか診ていない,あるいは同じ診療所と
する立場で仕事をする.
専門医へ送る時にも「この
いうセッティングでもそこによって全然病気のジャンル
患者さんはあの医者のところへ行ったら喧嘩するの
が違うこともあります.
でも使っている方法論はほとん
ではないか」とか,
「この人はあの病院へ行ったほう
ど同じで元になる考え方,方法論,技術の源泉は
がうまくやれる」
ということまで考えて紹介できるように
family medicineなのですよ.
なればいいわけです.
先生がそうやって学会の種を蒔いて,
ジェネラルと
山田 なるほど,
そうですね.
検事とは言わないまでも,
多少
いうことが尊重されるようになってきましたが,
一方で
裁判官的な医療というものは「これが正しい」
と決め
山田
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007
9(9)
つけている.
例えば生活習慣病でも
「こういうことをし
私が今,興味を持っているテーマは,患者がどう
てはだめですよ」と.でもそんなことを守っても,その
やって意思決定しているかということです.患者の意
人の人生に対してなんら寄与しないと思われるような
思決定の中には「自分では意思決定しない」
という
こともある.ともするとその人の人生にまで裁判官に
ことも含まれているわけですが,EBMというのは医者
なっているきらいがあると思うのです.先生の言われ
の意思決定方法ですね.医者の医療判断と患者が
た弁護士というのは私も大賛成ですが,最終的には
どういう医療判断をしているかという両方が相まって
判決をくだすのは患者本人になるわけで,そのため
はじめていい判断ができる.だけど今の医療判断学
の情報を,検事側からなり,
弁護士側からなり,
バラン
というのは医者の医療判断学であって,患者がどう
スよく提供するのが大切かなと思います.
いうふうにものごとを考えて,判断して,OKを出した
五十嵐
り,
NOと言っているのかはよくわからない.
当然,
私たちは科学的なベースをもっているから,
その情報が海千山千のものなのか,信頼に足るもの
山田
その通りですね.血糖値が高くても医者に行かな
なのか,
患者さんに易しく説明できる立場でありたい.
いと決断している人はいる.死ぬまで行かないでそれ
むしろ専門家というのはうまく説明するのが下手
で人生を閉じていく人もいるわけで,それが必ずしも
なのだと私は思う.学生によく言うのだけど,今,治療
法が2つあるとする.1つは何もしない,そうすると1年
悪だとは思わないし,
無知だとも思わない.
五十嵐
そういうことを知るときに,
量的研究法という
間は今と同じフルスケールの人生が楽しめるけど1年
手法だけでは駄目で,
いわゆる質的研究が必要だと
で亡くなる.もう1つは今すぐ手術をする.手術の成
思います.今私は外来小児科学会で,
質的研究方法検
功率は1割,でも成功すると10年間フルスケールの人
討会の司会役をしながら,
自分の研究もいっしょに
生が愉しめる.平均寿命を計算するとどちらも1年な
推し進めています
(笑)
.
のです.
「どちらの治療法を選択しますか?」
といわれ
山田 先生は,研究という視点でものを極められることで,
たとき,患者はやはり自分で決めたいはずだと思う.
地域医療の本質を見抜いていっているという気がし
一か八かの10年か,確実な1年かを.
ます.
ジェネラリストの意気に感ず
山田
私が今,一番強く思っているのは,繰り返し言うよ
山田 ということは,
私が思うには,
家庭医療のフィールド,
うですが,
それぞれの学会の枠組みを超えてジェネ
セッティングが最も自然な形で地域の人たちのニーズ
ラルの意味,
価値をわかりやすく伝える.
そのためには
をとらえている,
ということではないかなと思うのです.
先生はいつも研究の手法を整理されていますが,
先生の言われるような質的研究などによって患者の
立場に立った切り口をもう少し追い求めなければい
今の全体としてのジェネラリストの枠組みを,国民に
けないなと思うのです.
対してわかりやすいように提案をするためにはどうい
五十嵐
一番のベースは家庭医療だと私は思ってい
ます.
10(10)
う方法が考えられますか.
五十嵐
例えば,小児科の領域では,今,成育医療セン
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007
INTERVIEW/五十嵐の
INTERVIEW/□□□□□□□□□□□□□□□
10の軸,
その真骨頂を垣間見る
にずい分違いはあるけれど,相手に合わせて自分を
変えるという意味では,そのベースになるものは同じ
だと私は思うのですね.
山田
先生と話をしていて私自身も改めてそう思います
が,今の若い研修医や学生にとっては,その枠組み
が共通しているということがわかりにくくなっているの
ですね.だから,地域医療やジェネラルなことを志向
している医学生たちをもう少しわかりやすく導いて
あげることができればいいと思う.大学の医学教育に
もうまくフィードバックできないかなと思っています.
五十嵐
現場に一度も行ったことのない人がジェネラリス
トの教育者となっても,いいものは生まれない.もとも
ターのなかにも総合診療科がある.そこでジェネラリ
と自分がいたところの思想しか分からないから.実
ストだというのと,五十嵐こどもクリニックでジェネラリ
際に現場に行くと
「こうなのか!」
と思うことがたくさん
ストであるのとでは,扱うジャンルがおよそ違う.国民
ある.私はアメリカに3年いて「あ,そうなのか」と,日
にとって一番理解しやすいのは,こういうところにい
本では考えなかったことをいろいろ考えました.例え
るジェネラリストだと思う.こういうところだと地域と一
ば,アメリカでは小児神経というのは小児科ではなく
緒に仕事をせざるを得ないけれど,大病院になれば
神経内科の管轄なのですが,そこには16人の教授
なるほど地域というベースはだんだん薄れていく.
がいた.
そのなかで医師免許をもっているのは9人で,
だから共通部分を一番中心にすえながら,それぞ
あとの7人は医師免許をもってない神経内科の教授
れバリエーションを持たせるというように統一できれ
です.
あるときクリニカル・カンファランスに出たらその
ばいいのではないか.
16人全員がそろっていて,臨床医だけではなく,
普段
山田 私もそう思います.
は試験管を振っている人,普段はオシログラフを見
五十嵐
私が自治医大にいて現役でやっていたころか
てる人,
顕微鏡を見ている人たちが,1人の患者をめ
ら,家庭医療研究会に行っても総合診療学会に
ぐって議論している.それを見て医者だけで議論し
行っても8割ぐらいは同じメンバーなのです.どうにか
ている日本の医療は絶対勝てないと思いました.
一緒にできないかという議論をしながら,だけど,先
私はいつも言っているのですが「この道一筋」か
生が言うようにやっぱり一 緒にならないのですね
らは新しいことは生まれない.その道一筋だと熟練
(笑)
.
山田 3年に1回ぐらい年次学術集会を一緒にやろうとい
う方向ではまとまりつつあります.
五十嵐
最初から一緒になろうというのは今までの経過
工にはなれるかも知れませんが,ぜひ二股をかけた
ほうがいい.
山田 多様な見方ということですね.
五十嵐
私がカナダ旅行をしたとき高速道路を走ってい
から考えて難しいから,日にちを同じくして,場所を
て「ここからケベック州に入る」と英語で書いた標識
同じくして学会をやる.専門医制度も共通部分だけ
を過ぎた途端,道路標識が読めなくなった.フランス
は一緒にしながら.病院か,へき地か,都会かで対象
語圏に入ったからすべてフランス語に変わったので
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007
11(11)
すね.ケベックに着いて駐車する場所を探すために
厚岸で会った外科医の中では町民に一番人望が
車から降りて100メートルぐらい歩いて,
わからずに元
ありました.
に戻ろうと反対向きに歩きだした.すると何がわかっ
そういう意味では,一般的に人が居難いような場
たかというと,
道路標識の裏側に英語が書いてあっ
所にいるためには,何でもいいから目的を持ってい
た.
つまり考えてもみなかったことがあるのですね.
る.何を言われても自分はここにいるのだという人間
のほうがむしろ長くいられる.
それから,自分が今,
何のためにこういうことをやっ
ているのかということが明確になれば,さまざまな面
山田
で生き甲斐を見出せると思う.例えば私の厚岸での
ばその目的が,地域や患者というキーワードに近く触
経験ですが,厚岸病院は外科医だけが大学の医局
れてくれるといいと思います.
からの派遣でしたが,ある時赴任した方は最初の日
五十嵐
ジェネラリストにとっての一番の生き甲斐は,
やっ
に患者と喧嘩をしてしまったという外科医でした.
と
ぱり
「この人とずっと付き合っている」
というところだと
ころが別の外科医は任期終了の2ヵ月前になった
思うけれどね.
ときに私のところにわざわざやってきて,
「院長から教
ある時,山田先生が私の前で授業をしてくれたこ
授に『この医者はとても有能だからあと半年いてもら
とがあって,
私にはそれがとても印象に残っています.
いたい』
と言ってもらえませんか」
と言うのですね.
先生が,人の顔が写っている1枚のスライドを出して,
彼は,天然記念物のオジロワシの写真を撮ること
「この人はこういう経歴の,こういう人生を送ってきて,
に執念を燃やしていて,そのために厚岸にいたかっ
今はこういうことをやっている人だ」ということを長々
たのです.朝3時前にジープで家を出て写真を撮りに
としゃべった.そして最後に一言「こういう病気の方
行き,8時半には病院にきて9時から診療を始める.
です」と病名を言った.その病名が落語のおちのよ
「私の1日は朝8時半に終わっています.あとの時間
うでした.
まさにジェネラリストの授業だとジーンときた
は余暇です」
と彼は言っていたけれど,要するにここ
にいたい,
しかし理由は医学ではない,
医療でもない,
写真を撮りたいためというわけです(笑).
でも私が
12(12)
目的意識がしっかりあれば,継続はできる.できれ
ことが印象に残っています.
山田
先生の話を伺って何だか元気が出ました.先生,
今日はありがとうございました.
月刊地域医学 Vol.21 No.1 2007