講演「雑木林と市民の生き方のかかわり」(pdf:6861.0KB)

連続講演会 第 2 回 「雑木林と市民の生き方のかかわり」 倉本宣氏
東京学芸大学連続講演会 第 2 回
桜ヶ丘公園の周囲は多摩丘陵自然公園に指定されて
います。しかし、多摩丘陵自然公園は、ほとんどが多
「雑木林と市民の生き方のかかわり」
摩ニュータウンで、全く自然が守られていない自然公
園なので、この自然を少しでも守れるような、自然の
調査をするボランティアを考え出しました。ところが
誰一人賛成の人がいませんでした。なぜ反対なのかと
いうと、あまり市民の活動にゆかりのない職員の中に
倉
本
は、新たな自然保護団体を作るような活動をするのは
宣 氏
とんでもない、東京都に反対するような自然保護団体
明治大学農学部・教授
を新たにつくるのは良いことではないという視点の人
が多かったのです。ボランティアのことが良くわかっ
雑木林ボランティアの始まり
ている人からの反対は、ボランティアというのは元々、
こんにちは。倉本です。只今ご紹介頂きましたよう
自分の持っている力で何か役に立つことをするものな
に、私は島谷さんとは違って、東京都の一番末端の公
のに、自然の調査をするボランティアは、元々自分で
園や自然保護の仕事をして参りました。東京都庁で働
は持っていない力を無理矢理こちらで教えて、力をア
いていたのが今から 10 年前までで、明治大学に移って
ップさせてそれで何かをするということで、それは何
10 年になります。私が大学院を中退するときに、市民
か本来のボランティアとは違うんじゃないか、という
と直接関わる仕事をしたいと思ったので、都庁に入っ
意見を頂きました。それで、誰も賛成の人がいない活
てから直接市民と関わる現場の仕事を希望しました。
動を組み立てて始めるというのも大変だなと思って、
一番最初に配属になったのが伊豆大島の大島公園事務
次に考えたのが作業を主体とするボランティアです。
所でした。そこは元町から車で 30 分かかる所で、そこ
その作業というのは何かというと、雑木林の植生管理
より南には住んでいる人がいないという、確かに一番
で、そこで雑木林ボランティアという名前をつけて、
末端の事務所でした。
1991 年から活動を始めました。
それから桜ヶ丘公園管理所、多摩市の聖蹟記念館と
最初に、私がなぜこういうことをするようになった
いう明治天皇の乗馬像がある建物がある公園に勤務し
か、したいと思ったかという話をさせて頂きたいと思
ました。ここも、東京都の施設としては、今は制度が
います。これはまだ都庁に入るよりも前で、大学院生
変わりましたけれども、当時は外郭団体の東京都公園
だったときにやっていたことに関係があります。春植
協会に、東京都が管理委託をしている、その管理委託
物という春の間に葉をつけて光合成をして、それで花
先の中の最も末端の事務所だということで、これもま
を咲かせて、その後ずっと休眠して過ごしているよう
た最も末端の事務所だったのですけれども、この二つ
な植物のグループがあります。そのひとつのニリンソ
の末端の事務所に合計 8 年間、勤務していました。
ウの保全活動を、板橋区にある赤塚公園で行いました。
今日はその中の、桜ヶ丘公園のお話をさせていただ
その時に、それが結局は生態学の応用で、生態学とい
きたいと思います。このお話の基本的な姿勢は、私が
う学問としては、新しいことは何もないのだなと思い
桜ヶ丘公園雑木林ボランティアのコーディネイターを
ました。一方、私には極めて面白くて、後でパワーポ
担当して考えたことを述べさせていただきます。その
イントに出てくる 2ha 程の公園の前に立って、その場
時代には、雑木林という言葉とボランティアという言
所が自分たちが考えたように公園にできるのだなと思
葉がセットになっている活動というのは全くこの世に
ったら、何だか妙に感動して、涙が出てきた覚えがあ
なくて、いくつもの雑誌が取材に来てくれました。
ります。それで、その話をちょっとだけさせて頂くと、
その時代(1990 年)の都立の公園にはどんなボラン
私がなぜ雑木林ボランティアを考えたか、それから、
ティア活動があったか説明します。ボランティアを桜
雑木林ボランティアになった人たちに、どうして私が
ヶ丘公園で始めるから準備をしなさいと言われて準備
これから話すような対応をとったのかということがわ
をしていたのですけれども、その準備をするときに手
かってもらえるのではないかと思いますので、最初に
本になるものとして、都立の公園には自然解説のボラ
その話をさせて頂きます。
ンティアが、高尾とか御岳といった自然公園と、それ
(以下、パワーポイントを使い説明)
から都市公園としては野川公園自然観察園にありました。
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連続講演会 第 2 回 「雑木林と市民の生き方のかかわり」 倉本宣氏
雑木林を管理するということ
どのようになっているかというと、このように常緑の
これが区の花ニリンソウ保護活動報告書刊行委員会
木が増えている状態にあったので、今の様な事をする
という、板橋区が市民を募って作った団体が、ニリン
と、光が一年中当たらなくなって、春の強い光が必要
ソウ保護活動 10 年を記念して印刷した、本の表紙の写
なニリンソウは生きていけなくなります。そこで、そ
真です。こちらにコクサギが生えてました。コクサギ
ういうことをデータに基づいて東京都に示したところ、
というのは、ニリンソウと同じ頃に葉を展開する植物
そこに木を植えるのをやめて、針金と木の柵を作って、
なので、コクサギを除伐することで、ニリンソウがこ
それでニリンソウを守ることになりました。その代わ
んなにたくさん生えるようになっています。しかし、
り、ニリンソウが盗まれてしまわないようにパトロー
別の団体から、コクサギが蝶の食草として重要なので、
ルすることにしました。
こんなにニリンソウを増やしてしまってはいけない、
そのことを通して、私はいつも実際に生態学のデー
コクサギがもっと生えているような赤塚公園を維持し
タを取って、そのデータを示して、そのデータに基づ
ていくべきであるという意見も出ています。ですから
いて何かを考える、そして、その後そのことに対して
必ずしも、ニリンソウが増えたということで喜んでい
の責任というか、アフターケアもちゃんとするという
てはいけないのかもしれませんが、当時はニリンソウ
ことが大事なのだと思いました。
の保護ということで活動をしていました。
次に、最近考えていることをお話します。最近は、
ニリンソウはこんな植物です。花が一箇所に二輪つ
雑木林の分断化、孤立化が進んでいます。先程、生田
いていることが多いことからニリンソウと呼ばれてい
緑地で一緒に活動をなさっている方にお目にかかりま
ます。これは都庁で働いている時に雑木林のパンフレ
したが、私共の大学がある川崎市の多摩区の雑木林も
ットを作る仕事を担当していた年がありまして、その
分断化、孤立化も進んでいます。雑木林の分断化、孤
年に、ニリンソウと雑木林の一年をまとめたものです。
立化が進むと、そこに生えている植物の種数が少なく
この中で、上から 1、2、3、4 行の中で、ニリンソウに
なったり、種組成が変わっていったりします。後者に
とって一番大事な環境が書かれている所があるのです
ついては隣の林との距離が遠くなって、空を飛ぶ鳥に
が、どれだと思いますか?それはこのネコの瞳なんで
運ばれる植物にとっては問題はないけれども、地面を
すね。ネコの瞳孔が開いている時が、明るいとネコの
歩いて移動する哺乳動物に運ばれる種子は、運ばれな
瞳孔が閉じている訳で、ネコの瞳孔が閉じているこの
くなっていきます。
4 月が、林の中が一番明るいです。それから、温度も 4
そのために、雑木林は元々4 階建て(4 層構造)なん
月はある程度高いです。この時期に、ニリンソウの生
ですけれども、その 4 階建ての雑木林の変質というの
活の中心があるということです。上から太陽の光が、5
が起きてきます。例えば、一番端的に現れるのは、雑
月とか 8 月とかに多いけれども、遮る葉も多いので、
木林が経済的価値を失って管理されないことから、低
光が林の下まで届くのは、春先が多いということにな
木層のアズマネザサがはびこって、低木層がとても多
ります。
くて、草本層が少なくなっているという状態が起こる
こういう理由で、春先に春植物が活動するわけです
けれども、その時は、低木もやはり光合成をするのに
ことです。よく手入れされた雑木林なら、草本層が多
くて、低木層が少ないという状態になっています。
適した時期なので、ニリンソウとコクサギは競合する
このことについて、どういう林を目標にするかとい
関係にある訳です。植物の世界では、私の先生の佐伯
うことで、私共の大学の周辺では、植生管理をなさっ
先生がよく言ってましたが、「大きいことは良いこと
ている方達の間で様々な意見があって、それこそ先程
だ」という法則があって、光が上からしか来ないので、
島谷さんがおっしゃったような合意形成が、行政との
大きい方が有利なのです。ですから、コクサギの方が
間ではなくて、市民と市民の間で必要になっているの
有利で、ニリンソウを保護しようと思ったらコクサギ
で、例えばこれが、私の研究室の所属の学生が自動撮
を除伐することになります。
影装置で撮ってくれたタヌキの写真ですけれども、タ
これが赤塚公園の地図ですけれども、こちら側が台
ヌキにとってはこういったヤブが休息の場所です。こ
地で、こちら側が荒川の低地です。この斜面にニリン
ういったヤブがあることが生息に必要で、それが例え
ソウが生えています。このニリンソウを保護するため
ば自然が比較的よく残った場所だと、谷戸のこういっ
に、東京都が林のへりに常緑の木を植えて、ニリンソ
た斜面にヤブが残っているわけですし、それから私共
ウが目立たないようにしました。ところが、この林は
の大学の近くですと、アズマザサがある訳です。ヤブ
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を残してタヌキやウグイスなどのヤブを利用する生き
「目標植生をめぐる対立」についてまとめてみると、
ものの住んでいるような雑木林にしたいと思う人たち
何を目標とするかという目標植生をめぐる対立で、地
と、それからそれとは別に元々昭和 30 年位の雑木林に
元の方は、見通しの良い昭和 30 年代の自然を求めてい
戻したい、それが生きものという観点ではなくて安全
て、生きものの好きな市民は、ヤブの生物も棲める様
や林の中に入ったときの快適性などの観点から、主に
に一部をヤブにした方がいいのではないかと思ってい
地元の方たちで昭和 30 年代の雑木林を実際に知って
るけれども、なかなか地元の方にはっきり言うことが
いる方たちが、昭和 30 年代の雑木林に戻したいんだ、
できないことになります。
自分たちはそういう雑木林に戻したいので里山保全活
先程のように何か解決策があると思うし、島谷さん
動をしてるんだという意見を持った人たちがいます。
の合意形成の方法のようなことを通じて、お互いに相
どちらかというと昭和 30 年代派の意見が今は通って
手が考えていることをもっと良くわかるということが
いて、林をきれいにすることが私の大学のすぐ北側の
必要だと思っています。
丘では行われています。
私に与えられた時間の半分位が過ぎましたので、こ
そういう時に、先程のニリンソウの事例と同じよう
こから桜ヶ丘公園の話にしたいと思います。雑木林と
に、もうちょっと何か実際どうなっているのかという
いうのはどういうものかと理解して活動してきたかと
ことを見て、それで判断ができるようなことができな
いうと、雑木林というのが林と草原の中間みたいなも
いかなと思っていて、時々お手伝いというか両方のお
のであると思って活動してきました。その雑木林の主
話を聞きにいって、そのお話を聞くことで両方の方た
な活動というのは、皆伐更新と下刈りと落ち葉かきで
ちの合意形成ができないかなと思っています。しかし、
あると理解してきました。皆伐更新をすることによっ
なかなか難しくて、江戸時代から住んでいらっしゃっ
て、草原的な環境が一時的にできることと、自然がモ
て、それで昭和 30 年代の初めはこうだった、だから自
ザイク状になるという特徴がある、と思っています。
分はその昭和 30 年代に戻すというのでなかったらそ
ここには「雑木林の成り立ち」について書きません
んな活動には参加しないよという会長さんたちに対し
でしたけれども、皆伐更新や下刈りや落ち葉かきをし
て、彼らから見たら全く快適ではないし、彼らは尾根
た結果、雑木林から得られるものがあります。それは
を女性が一人で歩いても下の世田谷通りからよく見え
材だったり、落ち葉だったり、刈った草だったりしま
て安全だという林にしたいそうなので、それに対して
す。そういうものをうまく使わないと、それはある意
生きものの棲み場所を確保することを実現するのはな
味ではごみになってしまうし、それをうまく使うとい
かなか難しいと思っています。それはそれで諦めてし
うことが、雑木林をこれまで管理してきた原動力だっ
まった訳ではなくて、やはりニリンソウのような実証
た訳で、雑木林の管理には直接的に林を管理すること
的な、ある意味ではそれが島谷さんのお話に出てきた
の他に、その管理の産物を利用するということもある
順応的管理ということにも繋がると思うのですが、管
と位置づけて、桜ヶ丘公園では活動を始めました。そ
理をやっていかなければいけないのではないかと思っ
れはある意味では表向きの理由で、もう一つの理由が
ています。
ありました。あまり活動が素早く行われてしまうと、
これは「都市域におけるタヌキの生態にもとづく移
トラブルが起きてしまうのではないかということがあ
動ネットワークの概念図」です。余談ですが、私の研
ったので、あまりドラスティックに桜ヶ丘公園の雑木
究室の園田君のドクター論文の中に出てくるタヌキの
林に変化を与えるのではなくて、ゆっくりやっていっ
生き方です。さっきのような、樹林地の中にあるヤブ
た方がいいと思ったのです。ゆっくりやっていくとい
のコアエリアがいくつかあって、それをいくつか使っ
う点で、雑木林の産物を利用したクラフトのようなこ
ている。子どもが育った時には移動して道路を渡って、
とをやっていくというのは、有効な時間の使い方だっ
そこで交通事故に遭うというようなことです。
たのです。
これが「竹を除伐して明るくなった雑木林」と「ア
桜ヶ丘公園雑木林ボランティアの活動を始める時に
ズマネザサが密生した雑木林の林床」です。現在、問
は、広報東京都で募集しました。ボランティアは健康
題になっている、大学近くの場所です。このように全
のために始めた人が多かったです。基本になることは
部きれいにしたい。それに対して全部きれいにするの
雑木林の管理だと考えました。例えば炭焼きだとか、
ではなくて、やぶも残しておいた方がいいのではない
すごく人気のある、みんながやりたいことはあるので
かということです。
す。しかし、雑木林の管理が成り立った上で、先程の
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連続講演会 第 2 回 「雑木林と市民の生き方のかかわり」 倉本宣氏
言葉でいえば産物の利用があると考えました。それか
のリサイクルボックスで広報東京都を拾って読んだら、
ら、何を最初にやるかというと、取り返しのつくこと
雑木林ボランティアの募集の記事が載っていたので雑
からやるようにしました。取り返しのつくというのは、
木林ボランティアになったという方です。「『肉体労働
失敗したら、しばらく放っておけば元に戻るようなも
をするつもりで雑木林の扉を叩いてみたら、いくつも
のということです。例えばどんなことが取り返しがつ
の世界が広がっていた』というのが、雑木林の道に入
くことかというと、笹を刈って低木層を低くする。そ
った人の多くが受ける印象である。これを実感するに
れは取り返しがつくのです。何年か刈らないでいれば
はやってみるのが一番であるが、どんな世界が広がっ
元に戻る。それに対して皆伐更新は、現状での全部の
ているか、一部をお見せしよう。」これが本当に私は良
木が萌芽する訳でもないし、取り返しがつかないと考
くできていると思っているんです。最初はさっき言っ
えました。ですから、萌芽更新をやりたいというボラ
たように取り返しがつく下刈りをやっていました。笹
ンティアの希望があったのですが、萌芽更新は後回し
を刈っていたら、彼女が言うには笹を刈るのはストレ
にして、最初は笹を刈るということから始めました。
スの解消になるというのです。さらに笹についてもっ
それから、基本的なやり方として、Plan-Do-See と
と興味を持って、笹で紙を作っている北海道の町に笹
いうのが基本的な物事のやり方だと、その当時は理解
紙の作り方を習いに行って、それが和紙とよく似てい
していました。しかし、この時には皆まだやったこと
たので和紙に関心があるようになりました。それから
がない人たちなので、プランをいくら議論してもプラ
多摩市の付近では、目籠というケチャップのマークの
ンはまとまらないと考えて、まず取り返しのつくこと
ような穴が開いた籠を編んでいましたので、その目籠
をやってみる。そのやった結果どうなったか見て、そ
について関心を持って、さらに地域の歴史に関心を持
の次にどうやるのがいいか考えるというやり方で始め
つようになったり、それから竹細工に関心を持つよう
ました。だから本当だったら計画を立ててやってみる
になったりしました。彼女が何かに関心を持って、そ
というのが手順だと思うものの、初めのうちはやって
れに熱心に取り組んでいくと、その先にまた面白い関
みて考えるというやり方にしました。それは完全では
心が生まれてくるのです。それは興味の発展の仕方と
ありませんけれど、ある意味では仮説を立ててやって
して、健全だし面白いことだと思っています。そこに
みる順応的管理の考え方と同じようなことだと思いま
は例えば、笹紙だったら笹紙を作っている人、目籠だ
す。別の言い方をすると、順応的管理という方法がそ
ったら目籠を作っている人というように、ただ興味が
んなに特別なことではなくて、よくわからないことを
繋がっているだけではなくて、人の繋がりもできてく
やってみる時のやり方なのだなと、その後思ったこと
るのです。
もあります。
ここでちょっと、雑木林ボランティアの活動の写真
を見て頂こうと思います。これは私が担当して印刷屋
さんに作ってもらった雑木林ボランティアのイラスト
ですが、よく見ると様々に間違いがあって、例えば、
木の太さを測るのに人によって違う高さを測っていた
りだとかするようなところがあるので、印刷屋さんに
イラストを頼むのは気をつけなければいけないなとい
つも思います。
伐採に関係してですけれども、これ初めて木を切っ
たときに、後ろから倒れてきたら危ないから一度に一
本だけ切ろうねということで、この人もボランティア
なんです。この人たちは皆、一本の木を切られて自分
の番が来るのを待っている人たちなんです。今だった
ら私は多分、伐る位置を高く切っていると思います。
ボランティアの成長と合意形成
このように低く切る必然性はなくて、材として使うの
これはボランティアの内沼昌子さんが書いてくれた
でなければ高く切った方が、もし木が跳ねたりしたと
「雑木林の万華鏡的世界」です。この図を私は興味の
き安全なので腰位の高さで切るからです。これは初め
ネットワークなのだと思っています。内沼さんは職場
てだったので。その切った木を使って炭を焼いていま
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す。その炭焼きというのが極めてボランティアの人た
ボランティアの人達の意見はそうではありませんでし
ちに人気があるものです。私は給料をもらって参加し
た。全員平等に扱ってほしいというのがボランティア
ているので、ボランティアの人がやりたいものはなる
の人達の意見でした。全員平等に扱うというのがどう
べくボランティアの人にやってもらっているので、私
いうことかなかなかわからなかったのですけれども、
は炭焼きの仕事はちっとも回ってきませんでした。わ
そのわからなかったのは私がわからなかっただけでは
からないなりに考えてみると、多分、窯を開けて何か
なく、ボランティアの人達自身もわからなかったので
する訳にはいかないので、推測しながら想像しながら
す。ボランティアの H さんは、全員ボランティアを平
炭を焼くことの面白さなのだと思います。時によって
等に扱ってほしいから、今年始めたボランティアも去
はあまりにも人気があって、雑木林の仕事が間に合っ
年始めたボランティアも、全部同じことを体験させる
ていないのに炭焼きをやろうという話もあるようです。
必要があると考えました。それはつまり結果としての
この写真は雑木林を萌芽更新した後、周りに出てき
平等です。でもそれは色々考えたところ間違いで、チ
た小さい木を切っているところです。
ャンスとしての機会としての平等が必要だとわかりま
雑木林ボランティアは、周りの人に理解してもらわ
した。つまり、お互い対等な関係に扱ってほしいのだ
ないと長続きしません。それは、普通の人は公園の木
ということがわかってきました。そこで運営委員を決
を切ったりすることはできないので、ボランティアは
めるのをやめて、運営会議にすることにしました。
特別扱いされていることになるからです。それで、な
みなさんの中には、どこかの自然を守らなければい
るべく特別扱いが少なくなるようにしようとしてはき
けないというタイプの運動をなさっている方もたくさ
ましたけれども、それでもやっぱり、ボランティアの
んいらっしゃるでしょう。桜ヶ丘公園のボランティア
本質に関わる部分は特別扱いせざるを得ないわけです。
に限っていえば、何か具体的な守らなければいけない
そこで、周りの人に理解を得るために、コナラの丘の
対象を持っている訳ではなくて、ある意味では一種の
どんぐり祭という周りの人達に対する普及活動を行う
雑木林というテーマに関わって、一つの社会、地域と
ことにしました。この写真はエゴノキという比較的軟
は別のテーマコミュニティーを結成し、そのテーマコ
らかい木を使って、それをノコギリで子どもに切らせ
ミュニティーの中で皆が対等に、それぞれ自分の役割
てあげるという体験のコーナーです。
があるようにやっていきたいということなのではない
それからこれはどんぐりの里親になって下さいとい
かと私は理解しています。そこで、テーマコミュニテ
う活動をしています。桜ヶ丘公園の林分を皆伐した時
ィーを作ってもらうように、対等な関係から成り立っ
に全部はひこばえが育たないので、育たなかったとこ
ている運営会議を持ってもらいました。それで活動が
ろに対して補植するための苗を子どもに育ててもらう
非常にうまくいったのかというと、活動自体はうまく
というプロジェクトです。でも中にはミズナラの苗が
いっていた時もあれば、あまりうまくいっていなかっ
返ってきたりすることもあるので、必ずここで渡した
た時もあります。
ドングリを子どもが育てているとは限らないのかもし
れません。
特にある時代においては皆伐更新、しかも過大にや
りすぎてしまいました。昔の雑木林の管理のやり方通
それからこの写真は調査をしているところです。調
りにしたいと考えました。昔のやり方は人が入って見
査はなかなか大変で、これは切り株から何本、どの位
たりしなかったのです。それは人が入ると、切り株か
の長さのひこばえが出ているかを調査しているところ
ら出てきたひこばえがはがれてしまうからです。しか
です。これは打ち合わせをしているところで、杭を 20m
し、その通りにやったところ、大部分のコナラは育た
ごとに一本ずつ打って、それで位置がわかるようにし
ず、それをボランティアは気づかなかったということ
ています。これが今日のパワーポイントの図の最後の
がありました。先程の麻生さんが調査をして気づき、
方のきれいな図をいくつか書いてくださった麻生嘉さ
それから対策を練るようになりました。だから雑木林
んという方です。このホワイトボードが非常に大事で、
の管理は、この時は皆うまくいっていると信じていた
ここに何をやるかということが全部書かれています。
けれど、実はうまくできていなかったのです。
これを見れば、今日来た人が何をやればよいかがわか
るようになっています。
これが麻生さんが書いて下さった「皆伐後放任 3 年
目の断面模式図」です。プリントの後ろに小さい図し
2 年位活動した時に、ボランティアから運営委員を
かありませんけれども。これと、それからこれと、こ
決めてくださいというお願いをしました。そうしたら、
れはコナラの切り株です。雑木林はコナラが主体の林
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連続講演会 第 2 回 「雑木林と市民の生き方のかかわり」 倉本宣氏
ですから、そのコナラの切り株から、ひこばえが出て
野草が出てこない場所です。つまり、本来はここの土
います。この切り株からはひこばえが出ています。こ
の中には色々な野草の種子が眠っていたのに、その眠
の切り株にはひこばえがないですね。ひこばえがない
っていた野草の種子を全部使いつくしてしまった。こ
のは枯れてしまったのです。なぜ枯れてしまったのか
こは無駄に種子が目を覚まして、目を覚ましたあと暗
というと、アカメガシワやクマノミズキなどの本来は
くて枯れてしまって、なくなってしまった、そういう
雑木林の主木ではない成長が良く、種子から芽が出て
場所だということです。これも麻生さんが発見してく
くる木がはびこって、コナラが枯れてしまったのです。
れたことです。つまりこれは、一生懸命雑木林の手入
こちら側ではウワミズザクラやクマノミズキに負けて、
れをした結果、雑木林の財産を無駄遣いしてしまった
コナラが枯れています。このように枯れてしまったの
ということなのです。
はなぜかというと、これもさっきの佐伯先生の言葉の
それでこの「野草の分布図」は、麻生さんが考えた
とおり、植物の世界では大きいことは良いことだ、大
解決策で、明るい場所を好む野草を白で、暗い場所を
きいのはアカメガシワでコナラは小さかった、それで
好む野草を黒で書いていて、黒ばかりの所は当面手入
コナラは光をめぐる競争に負けてしまったということ
れしなくて良い、白の所を手入れしようと麻生さんが
です。
考えたものです。
こういうことは、見なければわからないですね。で
すから、どうなっているか「見る」
、モニタリングする
ボランティアの意識調査
ということはとても大事な訳です。だけど、昔のやり
最後に、ボランティアの意識の調査についてお話し
方を信じて、その通りのやり方にして、人が入ること
たいと思います。今、お話したような自然についての
でこういう枝がはがれてしまう、だから入ってはいけ
順応的な管理と同じように、それは管理と言ってはい
ないんだというように考えたことで、そういうチャン
けないかもしれないけれど、人間についても調査をし
スを失っていた訳ですね。
たり、それからどうなっているか考えたりすることが
それからこれが「皆伐更新の作業過程」、作業を行っ
必要だと思うのです。活動の 10 周年を記念して、アン
た年度を図示したものです。この薄いハッチがかかっ
ケートとインタビューをしました。そうした結果、皆
ている部分が皆伐をした場所で、この濃いハッチがか
伐更新が必要だと思っている人が多いというのはわか
かっている部分が皆伐をした後に、手入れをした場所
りました。それから、雑木林の作業や植生管理計画と
です。1992 年にほんのちょっとだけ伐採しました。さ
いう植生の手入れをする計画を決めること、それから
っきおっかなびっくり伐採していた場所です。1993 年
調査、それから普及活動などが高く評価されていて、
にもう少し伐採しました。1994 年にも少し伐採しまし
雑木林の産物を利用したクラフトが低く評価される傾
た。ところが 1995 年にこんなに伐採してしまいました。
向がありました。それは、その評価をした時期が作業
しかも、この 95 年の伐採のあと、手入れできたのはわ
の手が回っていない、追いついていない時期だったか
ずかにこれだけです。それにも関わらず、1996 年にこ
らだと思います。だから、大部分の項目について正し
この部分をまた伐採しています。これはどうも、雑木
く認識しているのですけれど、さっきも言った様に、
林の手入れは皆伐更新が一番中心になるもので、それ
皆伐更新がどうしても必要だと思う傾向があって、そ
は必ずやるべきだという考え方がボランティアの中に
れだけがどうも違っているなという感じでした。
あるからのようです。だからこの次の年も、ここの部
これは「ボランティアの属性等」の表です。ちょっ
分は萌芽更新をしています。長年伐採を続けていて、
と見にくいので全部見ていただく必要はありませんが、
やっと、1998、1999 年頃になると、伐採の後の手入れ
ボランティアの中には、始めた年から活動していると
が十分できる様になってきます。
いう人も数人いました。それから、家から 30 分以内の
こういう風に、94、95 年に一度やり過ぎると、なか
人がかなり多いけれど、家から 2 時間以上かかって来
なかそれをとり戻すことはできません。取り返しがつ
る人もいるということもわかりました。それからその
くようにやるという考え方は絶対必要なことなのです。
ボランティアになったのは、広報東京都を読んでだっ
実はさらに取り返しがつかないことが起きてきまし
た人がすごく多いということがわかりました。それか
た。これは「下刈りを重ねても野草が回復しない範囲」
ら、何で今まで活動できたのかというのを聞いてみた
の図です。普通だと明るくなると野草が芽生えてきま
ら、楽しいから、好きだからという人が多かったです。
す。ところが、ここは下刈りをして明るくなっても、
それからここに来るとリフレッシュできて元気になっ
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連続講演会 第 2 回 「雑木林と市民の生き方のかかわり」 倉本宣氏
て帰れるとか、そういうのもあります。それからお金
て、コーディネーターは必要ですかという質問をすれ
が絡んでいないから良いというのもあります。こうい
ば、もっとはっきりした答えが得られたと思います。
う色々な意見があります。これはそれぞれ一人ずつ聞
これで最後ですけれども、私たちの研究室では、自
いています。
然を守るためには最初に話をしたような自然の成り立
これは「活動に対する評価」の図です。先程調べた
ちについての科学的な理解、最初にこのようなものが
データの元なのですけれども、これは下が個人として
必要なのだ、それで議論できるのだと思った訳ですけ
どう思いますか、上が活動にとってはどうですか、そ
れど、それが必要だと思います。それからもう一つは、
れで下よりも上の方が多いというのは、個人としてや
自然にかかわる人間についての温かい眼差しと書きま
りたいという以上に活動として必要だと考えていると
したが、人間についての理解が必要です。その両方が
いうことです。例えば一番下の植生管理計画を新しく
あってこそ自然を守ることができるのだと思っていま
するというのは、個人としてはそんなにやりたくない
す。そういうことを実際にやっていくためには、市民
けれど、全体の活動としては必要だなと思っていると
の現実の活動こそが我々の先生なので、もしかしたら
いうことで、こういうパターンのものを、私は全体と
みなさんの所にまたおじゃまして、そういうことを見
して必要だと思っているものだと認識しました。そう
せていただいたりすることもあるかもしれませんので、
してみると、この下の方のドングリ祭、調査、計画の
その時はどうぞよろしくお願いします。
改定はそうだし、それから上の方の皆伐更新、被陰樹
今日はどうも有難うございました。
木除伐、下刈りもそうです。上の方は実際の手入れで
す。でも真ん中辺りの炭焼き、サツマイモ栽培、笹紙
つくり、目籠細工は逆になってきて、むしろ活動とし
ての評価の方が低くなっています。それは自分として
はやりたいけれど、活動としては控えておいた方が良
いということであり、今活動をやるべきではないと思
っているということだと思います。こういうようなア
ンケートをとることで、先程のような考え方が成り立
っています。
あともうひとつ、
「組織形態に対する評価」というこ
とで、ボランティアは対等だということについてです
けれども、ボランティアが対等だということについて、
理念としてはどうですか、それはよく機能しています
かという質問をしたところ、ボランティアは対等だと
<質疑応答>
あり方は皆思っているのですが、でもそれはそれほど
質問者 A:どうも有難うございました。最後の方に出
良く機能していないとみなされていました。ボランテ
てきたシードバンクのことなんですけれど、土の中に
ィアにはノルマがないというあり方は理念としても良
種が潜っていて、おそらくアズマネザサか何かを刈っ
いし、機能も良くしている。ボランティアが考えて行
て、それで明るくなるとそれによって芽が吹きだして
動するというあり方はもっと低い評価で、特に機能し
という。ところが、おそらく次の年にちゃんと管理を
ていない。それは考えていると間に合わないことが作
しないと、アズマネザサとか他のササ類に負けてしま
業にあるのかもしれないですね。その場で考えないで、
って、次の野草の種ができる前に死んでしまうという
すぐに何かしなければいけないということがあるので
ことで、取り返しのつかないことになったという風に
しょう。それから最後のコーディネーターというのは、
理解してよろしいんでしょうか。といいますのは、ボ
コーディネーターを東京都の職員がやっているのはど
ランティアをやっていくとどうしても労力の問題があ
うですかという質問で、理念と機能のうち、機能はか
って、アズマネザサを刈ったけれどもその次の年まで
なり高く評価されていました。これは私が担当してい
きっちりと管理できるかという不安が常にある様な気
た時ではないので、この評価がすごく悪かったらその
がするものですから、その辺りのところを少し話して
時の担当職員に悪いなと思ったのでちょっとほっとし
頂けると、と思っております。
ましたが、ただこれはちょっと私の質問の仕方が悪く
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連続講演会 第 2 回 「雑木林と市民の生き方のかかわり」 倉本宣氏
倉本氏:今先生がおっしゃった様なことだと思います
きっかけは広報誌でという所もあると思うのですけれ
が、明るくなることによって種子を芽ばえさせたら、
ども、この人達がそういうボランティアの活動の場が
その芽ばえさせた種子についてはちゃんと花が咲いて
あるということを知って、じゃあ自分も参加してみよ
種ができる様にしてあげるというのが、この場合のボ
うと思わせているものは何だろうか、ということなん
ランティア活動の責任なんだろうと思うんですね。で
ですね。
すから、そういうことができないのだったら、明るく
してはいけないのだという風に思います。
これは都内での活動ですので、色々なバックグラウ
ンドの方がいらっしゃると思います。例えば本当に雑
ただそういうことが、活動にとっては制約になると
木林ということに対して未知の世界であるということ
いうのはおっしゃる通りで、活動としてそういうこと
で、万華鏡の絵を描いた方の様に、本当に知らない世
は一切あってはいけないのかというと、一切あっては
界の扉を開ける好奇心からなされる方もいらっしゃる
いけないことではなくて、大規模な面積であってはい
とは思います。ですがその反対に、自分がかつて知っ
けないのだという風に思います。
ていた自然環境との関わりというのも以前持っていて、
それが自分の周りの世界からなくなってしまったこと
質問者 B:すみません。今の問題に関してなのですけ
に対する郷愁みたいなもの、ああいう経験がもう一回
れども、雑木林を刈ると、カタクリの場合なんか特に
したいですとか、子どもの頃に見ていた植物だとか動
そうなのですけれど、光が当たりすぎてしまった場合
物との触れ合いだとか、自然の中での活動といった楽
に林床が乾いてしまったりして、それでかえって具合
しさみたいなものを感じたいという様なことを感じて
が悪くなることはよくあることなんですね。ですから
いらっしゃる様な方もいらっしゃると思います。そう
この場合は斜面の向きを考えて、北向き斜面なんかで
いった辺りの、もうちょっと深いモチベーションみた
すと比較的水分がとれづらいとかそういうこともあっ
いな所というのは調査はされているのですか。データ
て、春植物の場合には特にそうだと思うんですけれど
でなくても良いのですけれども、感触があったら教え
も、よく残りやすいんですね。でも例えば多摩丘陵と
て頂きたいのですが。
か北多摩丘陵とかあの辺りでよく歩いていますと、南
斜面が非常に乾いている感じがするんですね。そうい
倉本氏:桜ヶ丘公園雑木林ボランティアを最初に始め
った場所だと、やはりあまり木を切りすぎてしまうと
たときに参加された方の多くは、健康だと思います。
こんなことが起こる様な気がするのですが、その辺り
自然の中で健康な汗を流したいという動機の方が多か
はどうですか。
ったという風に、それはデータはないのですけれど、
お話していてそういう記憶があります。健康について
倉本氏:その点については、私よりも先生の方がご専
は、これから川崎の黒川に明治大学の農場をつくるこ
門でいらっしゃいますし、おっしゃる通りだと思いま
とになっていまして、黒川をフィールドにして、その
す。何か簡単に、この場所はどの位湿っている場所で、
中では里山と健康という様なことについて考えてみよ
どの位乾いている場所なのか調べられないかなという
うかなと思っています。
ことを思って、まだ完成はしていませんけれど時々調
査をしようとしています。
それから、今おっしゃった郷愁のような部分につい
ては、大学の北側の山の雑木林を管理している地元の
地主さんたちについては、非常に郷愁によるものが大
質問者 C:今日のお話でとても興味があったというか、
きくて、昭和 30 年代の自然に戻したいんだということ
共感できたところは、人の側の順応的管理といいます
が大きいです。それがもしできないのだったら自分は
か、人の側の理解をすることが必要だといった話だっ
参加しないという風に、会長自らおっしゃっています。
たのですけれども、それで、こういうボランティアの
それから先程申し上げた様な、テーマが共通で同じ
人達のモチベーションがどういうことになっているの
テーマの人が集まってきて何かをするというテーマコ
かという調査はあまりこれまでされてこなかったと思
ミュニティーの側面と、それから川崎市の場合には、
うのですけれど、倉本先生のデータでは雑木林ボラン
地域のコミュニティーセンターみたいな役割を雑木林
ティアをした理由として広報誌があげられているとい
にさせよう、雑木林の植生管理を通して地域のコミュ
うことなのですけれども、それよりもさらに深いとこ
ニティーセンターみたいな役割をさせようということ
ろのモチベーションに興味があります。というのは、
は、行政の方が一方的に言っています。
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連続講演会 第 2 回 「雑木林と市民の生き方のかかわり」 倉本宣氏
今おっしゃったことについては私たちもちゃんと調
べなければいけないと思っていますが、まだ十分でき
ていないことなので、今日はこの位しかお答えできま
せん。申し訳ありません。
質問者 D:萌芽更新についてお聞きしたいのですけれ
ども、都市というかこの辺りの農家の方が雑木林を管
理していた時代は昭和 30 年代の終わり頃までで、あと
は放置される。40 年とか 50 年とかっていうコナラや
クヌギがちょうど大きくなる。それを伐採すると生命
力というか、萌芽更新の生命力が落ちて芽が出ないと
いうことを言われているのですけれどね。もしその雑
木林が持っているならば、先程のお話の様に、里親で
すか?実生をある所で分けてそれを持ち帰るというこ
とは、これで安定していていいかなと思ったのですけ
れど、その辺りの萌芽更新と、実生からの生育との関
係をどうしたら良いかということをちょっとお聞きし
たい。
倉本氏:萌芽更新が今はうまくいかないので実生を育
てるということについては、八王子市の公園予定地の
農家の方にお話をして頂いたときに、昔の萌芽更新が
うまくいきそうもない林を伐採するときには、ドング
リの芽ばえを残しておいて、それが育つ様にしていた
と伺っています。ですから、苗を作っても良いのかも
しれませんけれど、芽ばえを使って更新するというの
はこれまでも行われてきたことで、それはできると思
います。
ただどの場所も皆伐更新を行わなければいけない訳
ではなくて、林の目標をどうするか次第で、まばらに
大木がある様な林を作っていくという様な目標もあり
うると思いますので、全ての場所で皆伐更新をしなけ
ればいけない訳ではないと思います。
(―会場、拍手―)
<講師プロフィール>
倉本
宣(くらもとのぼる)
明治大学農学部・教授
里山と河原をフィールドとして、生きものの生活と、
その生きものにかかわる市民の態度を研究してきた。
最近は、市民が科学を道具として使いこなすためのお
手伝いをしていきたいと考えている。
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