博士 (地球環境科学) 北 西 滋

博 士 ( 地 球 環境 科 学 )北西
滋
学位論文題名
Genetic structure of masu salmon
( 〇7zcorゑ y刀 Cカ 勿 Sケ 銘 ロ S〇勿 ) populationSinHOkkaidO
(北海道におけるサクラマス個体群の遺伝構造)
学位論文内容の要旨
サ ケ科 魚類 サク ラマス(O
nc
or
hy
nc
hu
s.´竹ロsD
H)は、アジア極東地域のみに生息し、その
生 活 史 は 降 海 型 、 河 川 残 留 型 、 湖 沼 型 と 多 様 な こ と が 知 られ てい る。 北海 道 にお いて は、
河川 残留 型個 体は 雄の みとなるため、降海型個体は雌の割合が多い。他種のサケ科魚類
と同 様に 母川 回帰 性を 有していることから、河川もしくは支流毎にある程度独立した個
体群 を形 成し てい るこ とが示唆されている。また、母川とは異なる河川に回帰する迷入
が稀 に起 こり 、個 体群 間の遺伝的交流が生じている。っまり、サクラマス個体群の遺伝
構造 は、 母川 回帰 と迷 入との平衡の上に成り立っていると考えられる。しかし、正確な
母川 回帰 率の 算出 が困 難であることや、同じ種でも母川回帰率が地域もしくは個体群毎
に異 なる とい う報 告が あること、河川問の交流には降海型個体のみが寄与するが、降海
型個 体の 比率 が地 域毎 に異なることなどから、サクラマスの個体群間構造の把握が困難
とな って いる 。近 年、 遺伝学的手法が生態学に導入されるにっれ、遺伝マーカーを用い
て個 体群 構造 の把 握を 行う研究が行われるようになってきた。そこで本研究でも、遺伝
マー カーを 用い 、サク ラマ スの個 体群 構造を 把握 するこ とを 目的と した。
本 研究 では 、北 海道 におけるサクラマス個体群の遺伝構造の解明を目的とし、ミトコ
ン ド 1jア DNA( mtDNA) お よ び マ イ ク ロ サ テ ラ イ ト DNAを 用 い て 解 析 を 行 っ た 。 MtDNA
解析 では 、北 海道 全域 における個体群間の遺伝構造の把握を目的とし、過去に放流実績
の 無 い 12河 川 か ら 382個 体 を 採 集 し た 。 サ ン プ リ ン グ は 2001年 か ら 2004年 に か け て 行
っ た 。 採 集 個 体 か ら DNAを 抽 出 し 、 NADH脱 水 素 酵 素 サ プ ュ ニ ッ ト 5遺 伝 子 の 前 半 部 分
561塩 基 対 の 塩 基 配 列 の 解 読 を 行 っ た 。 そ の 結 果 、 13箇 所 の 塩 基 置 換 お よ び 13ハ プ ロ タ
イ プ が 検 出 さ れ た 。 12個 体 群 を 日 本 海 、 太 平 洋 、 オ ホ ー ツ ク 海 の 3地 域 に 分 け 、 AMOVA
解 析を 行っ た結 果、 . 地域 問お よび 各地 域内 の個 体群 間に 有意 な遺 伝的 差異 が 認め られ た。
各 個体 群間 の遺 伝的 差 異( F
ヨ ↑) およ び各 個体 群 間の 遺伝 距離 (Dー) を求 め た結 果、 北海
道 南 西 部 に 位 置 す る 4個 体 群 間 お よ び 知 来 別 を 除 く オ ホ ー ツ ク 海 に 流 入 す る 個 体 群 間 に
お い て 遺 伝 的 差 異 お よ び 遺 伝 距 離 が 小 さ い こ と が 明 ら か と な っ た 。 ManteI検 定 を 行 い 地
理的 距離 と遺 伝な 差異 との関係を調べた結果、両者の間に有意な相関関係が認められた
(F
sT
:r2:0
.19
,P=0
.00
3,D
A:r
2
:O
.1
6
,P
=0
.0
1
)。近隣結合法を用いて無根系統樹を作
成 し た 結 果 、 北 海 道 南 西 部 に 位 置 す る 4個 体 群 が 1つ の グ ル ー プ を 形 成 し た が 、 そ の 他
の 個 体 群 は 明 瞭 な グ ル ー プ を 形成 しな かっ た。 Mis
matc
hdis
tfib
utio
ntes
t、 Fu
’ sF
sお よび
Tajima’ sDを 用 い て 、 個 体 群 サ イ ズ の 変 動 を 求 め た 結 果 、北 海道 全体 およ び 知来 別に おい
―1
285
―
て 過 去 に 個 体 群 サ イ ズ の 急 激 な 増 加 が 起 こ っ た こ と が 認 め ら れ た が 、 その 他 の 個 体群 や
北 海 道 南 西 部 の グ ル ー プ で は 認 め ら れ な か っ た 。 個 体 群 サ イ ズ の 増 加 が起 こ っ た 時期 を
推定 し た 結果 、 知 来別 で は 5
, 000
か ら 23
, 000年前 、北海 道全体で は、26
,0
00
から 1
16
,0
00
年 前 と な っ た 。 こ の 時 期 は 最 終 氷 期 か ら 最 終 間 氷 期 で あ り 、 サ ク ラ マ ス個 体 群 の 遺伝 構
造 の 形 成 要 因 と して 氷 河 期 の海 進 や 海退 、 水 温の 低 下 など が 寄 与し て い ると 考 え ら れる 。
マ イ ク ロ サ テ ラ イ ト DNA解 析 で は 、 北 海 道 中 西 部に 位 置 する 厚 田 川個 体 群 を 対象 と し 、
支 流 単 位 と い っ たよ り 小 さ なス ケ ー ルで も 遺 伝構 造 が 形成 さ れ てい る か どう か を 、 また 、
遺 伝 構 造 の 形 成 に 雌 雄 お よ び 生 活 史 の 違 い が ど の よ う に 寄 与 し て い る かを 明 ら か にす る
こ と を 目 的 と し た 。 サ ン プ ル ン グ は 2003年 か ら 2006年 に か け て 行 い 、 降 海 型 231個 体 、
残 留 型 118個 体 を 厚 田 川 の 6支 流 か ら 採 集 し 、 マ イ ク ロ サ テ ラ イ 卜 DNAマ ー カ ー と し て
7遺 伝 子 座 を 用 い た 。 AMOVAを 行 っ た 結 果 、 遺 伝 的 変 異 の 大 部 分 は 個 体 群 内 に 存 在 し て
い た 。 各 支 流 個 体 群 問 の 遺 伝 的 な 差 異 ( Fs.
r) を 求め た 結 果、 -0.
0002から 0.0
157であ っ
た。 Fis
her’sexa
ct t
est
の 結果、距 離の離れ た個体 群間で有 意な差 異が認め られた 。M
an
te
l
検 定 を 行 い 地 理 的 距 離 と 遺 伝 な 差 異 と の 関 係 を 調 べ た 結 果 、 両 者 の 問 に有 意 な 相 関関 係
が認 め ら れた ( r2
〓 0.
39, P
= 0.0
19)。 これ ら の 結果から 、同一 河川内の 支流個体 群間に お
い て も 、 遺 伝 構 造 の 形 成 が 認 め ら れ た が 、 近 隣 個 体 群 間 で は 迷 入 が あ る程 度 の 頻 度で 生
じている ことが示 唆され た。
次 に 、 各 個 体 を 降 海 型 雌 、 降 海 型 雄 、 残 留 型 の 3つ の グ ル ー プ に 分 け 、 生 活 史 お よ び
雌 雄 が 遺 伝 構 造 の 形 成 に ど の 様 に 寄 与 し て い る か を 調 べ た 。 遺 伝 構 造 の形 成 に は 個体 の
移動 が 重 要で あ る ため 、 As
sign
mentinde
x( me
anAl
c,va
ri
an
ceA
lc
)、FS
T、Fi
sの4
つ の指
標 を 用 い て 、 移 動 に 雌 雄 差 が あ る か ど う か を 求 め た 。 そ の 結 果 、 雄 個 体群 と し て 雄全 体
を用 い た 場合 、 me
an A
Ic, ヽvari
anceAlc、Fs.r
の 3つ の指 標 に おい て 雌 雄間 に有 意差が認
めら れ た (meanAlc
:P〓0.
000
3,v
ar
ia
nc
eA
lc
:P
〓0.
00
15,F
ST
:P
=0
.0
20
6)。降 海型雄の み
を用いた 場合は、 m
ea
nAI
c,va
ri
an
ceA
I
cの2
っにおいて(m
e
a
nA
lc
:
P
=0
.0
2
7,Va
r
ia
nceA
lc
:
P= 0.015) 有 意 差 が 認 め ら れ た 。 降 海 型 雄 と 残留 型 と の間 に は 有意 差 は 認 めら れ な かっ
た 。 各 グ ル ー プ で 地 理 的 距 離 と 遺 伝 的 な 差 異 と の 関 係 を 求 め た 結 果 、 降海 型 雌 に おい て
のみ有意 な相関関 係が認 められた (r2
= 0
.3
2,P=0
.0
33
) 。各個体群問のFs
.
rを求めた結果、
降 海 型 雄 で は 全 ての 組 み 合 わせ に お いて 有 意 な遺 伝 的 差異 は 認 めら れ な かっ た 。 し かし 、
降 海 型 雌 お よ び 残 留 型 で は 、 い く っ か の 個 体 群 問 に 遺 伝 的 差 異 が 見 い ださ れ た 。 これ ら
の 結 果 か ら 、 個 体 群 問 の 遺 伝 子 交 流 に は 雄 の 方 が よ り 寄 与 し て お り 、 雌の 方 が よ り母 川
回帰性が 高いこと が示唆 された。
- 1286 -
学位論文審査の要旨
主査 教授
副査 教授
副査 教授
副査 助教授
東 正剛
岩熊敏夫
上田 宏
鈴木 仁
学位論文題名
Geneticstructureofmasusalmon
(くフ刀co
r緲刀CカZ岱ケ銘瀦〇勿)pop
ulat
ion
SinH
Okka
idO
(北 海道 に おけ るサ ク ラマ ス個 体 群の遺伝構 造)
サクラ マスは、日本海とオホーツクおよぴその周辺域の河川に生息する典型的な極東分
布のサケ 科であり、サケ属の中で最も祖先形質を残す種とされている。サハリン以北の河
川では雌 雄ともにほとんど降海型、九州、台湾などの南方河川では雌雄ともに残留型のみ
であるの に対し、北海道ではニつの生活史型が混在している。ただし、同じように生活史
ニ型が混 在するニジマスやベニザケでは降海型・残留型ともに雌雄がいるのに対し、サク
ラマスの 残留型はほとんど雄のみである。このように、サクラマスは系統的にも生態的に
も 興 味 深 い サ ケ 科 魚 類 で あ る に も 拘 ら ず 、 こ れ ま で 研 究 例 が 少 な かっ た 。
申請者 は、サクラマスの生活史二型に着目し、北海道1
2
河川を対象とした大スケール遺
伝構造解 析(
mt
DN
Aを使用)と、厚田川の6支流を対象とした小スケール遺伝構造解析(マ
イクロサ テライトD
NA
を使用)を行っ ている。1
2河川の選定にあたっては、各地のサケ・
マス孵化 場や水産試験場に残された資料を丹念に調査し、過去に人工放流がなされていな
いことを 確認している。水産資源としての価値が高いサケ科魚類では過去に様々な人為的
撹乱がな されて韜り、事前の資料調査は自然の遺伝構造を明らかにする上で重要な作業と
して評価 できる。
大ス ケー ル遺 伝 構造 解析 では 、12河川 で捕 獲し た稚 魚のうち38
2個体についてm
tD
NA
ND5遺伝 子(56
1bp)の塩 基配 列を 判読 し、 1
3ハ プロ タイ プを得ている。この結果をもと
に 、多 様度 分析 、 ハプ ロタ イプ 間系 統解 析、 AM
OVA分析、遺伝距 離分析(
FS
T、D
A)
、個
体 群問系統解析、個体群変動推定(F
s.凪ミスマッチ分布分析)を行い、以下の結果を得
ている。 1
)個体群聞の遺伝距離と地 理的距離の間には有意な相関関係が認められる。2)
道南の4河川間の遺伝的分化はほとん ど認められない。オホーツクの河川も遺伝的分化の
程 度は低いが、最北に位置する知来別 川はオホーツクよりも道南4河川に近かった。3
)
個 体群 問系 統解 析 にお いて も、道南4河川が1
つのグループを形成 した。4
)個体群変動
― 1287ー
時期の推定は、道南の河川がこの数万年間、比較的安定した個体群を維持してきたことを
示唆した。以上のように、本研究は、これまで行われた北海道産サケ科魚類の遺伝構造解
析に比べると、明瞭な遺伝構造の検出に成功しており、有効集団サイズが小さく、過去の
個体 群変動 の検出カ に優れ ているmt
DN
Aの使 用と人為 的放流河 川の回避が優れた成果に
繋がったと思われる。
資源保護河川である厚田川における小スケール遺伝構造解析では、6
支流においてサクラ
マ ス 親魚 3
49
個 体(降海 型雌12
4個体、 降海型雄 1
07
個 体、残留 型雄11
8個体) から脂 鰭
を 採 取し て DN
Aを 抽 出 し、 マ イ クロ サテラ イトDN
Aの7遺伝子座 につい て対立遺 伝子頻
度をもとめた。その結果をもとに、遺伝距離分析(
F
ST
、正確確率テスト)、主成分分析、
性(雄・雌)と生活史型(降海型・残留型)が遺伝構造に及ぼす影響の解析、などを行い、
次のような結果を得ている。1
)遺伝距離と地理的距離の問に有意な相関関係がある。2
)
主成分分析において、第一主成分は支流間の距離、第二主成分は河口からの距離と有意な
相関 関係を 示した。3
)アサインメントテストにより、降海型と残留型を比較すると降海
型の方が定着性が高く、雄と雌を比較すると雌の方が高い定着性を示した。これらの結果
から、サクラマスの遺伝構造には雌の定着性、雄の分散性が大きな影響を及ばしていると
結論付けている。これまで、標識個体の回帰率から母川回帰を研究した例は多いが、雌と
雄 の 遺伝 構 造比較から 解析した 例はほと んどなく 、優れた 成果と評 価できる。
審査委員一同は、これらの成果を高く評価し、また研究者として誠実かつ熱心であり、
大学院博士課程における研鑽や修得単位などもあわせて、申請者が博士(地球環境科学)
の学位を受けるのに充分な資格を有するものと判定した。
― 1288ー