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Tokyo
2011 年7月 6 日(水曜日)
第1回
開催
ディスカッションテーマ
「光の本質」
ディスカッションゲスト
面出 薫(照明デザイナー)
1950 年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修士課程を修了。住宅照明から建築照明、都市・環
境照明の分野まで幅広い照明デザインのプロデューサー、プランナーとして活躍するかたわら、
市民参加の照明文化研究会「照明探偵団」を組織し、団長として精力的に活動を展開中。東京
国際フォーラム、JR 京都駅、せんだいメディアテーク、六本木ヒルズ、シンガポール中心市街
地照明マスタープランなどの照明計画を担当。国際照明デザイン大賞、日本文化デザイン賞、
毎日デザイン賞などを受賞。現在、武蔵野美術大学教授。日本建築学会、国際照明デザイナー
協会、日本デザインコミッティなどの会員。著書に『世界照明探偵団』
(鹿島出版会)
、
『都市と
建築の照明デザイン』『陰影のデザイン』(六耀社)など。
葛西 薫(アートディレクター)
1949 年北海道生まれ。1973 年(株)サン・アド入社。長期に渡りサントリーウーロン茶、ユナ
イテッドアローズ、とらやなどの広告制作、アートディレクションを手掛ける。近作に、六本
木商店街振興組合の新 CI、相模女子大学の新ロゴマーク、長尾智子著「あさ・ひる・ばん・茶」
(文化出版局)の装丁。近著に『KASAI Kaoru 1968』(ADP)など。東京 ADC グランプリ、
毎日デザイン賞、講談社出版文化賞ブックデザイン賞など受賞。東京 ADC、東京 TDC、JAGDA、
AGI 会員。
──記念すべき第一回のリンクロッシング東京では、照明デザイナーの面出薫
さんとアートディレクターの葛西薫さんをお招きし、
「光の本質」をテーマにト
ークディスカッションを行います。お二人がこれまで発してきた言葉のなかか
ら、キーワードを選び、3 つのチャプターに分けてお話を進めていきます。
CHAPTER 1 照明の役割、存在。そしてその光そのものについて
「光は人の心に直接作用して1枚の絵画に代わって深く感動させたり、心の悲
しみを癒したり、適度な興奮を強いたり、心身の病魔と闘ったりもするはず」
──面出 薫
(『LIGHTING DESIGN ─ 都市と建築の照明デザイン』 2005 年
六耀社
より)
「一度手に入れたら、捨てられないものを目指したい」
──葛西 薫
(『インタビュー』 企画+インタビュー:安東孝一 2005 年 青幻舎)
面出:1949 年生まれの葛西さんは、僕より一つお兄さん。互いに還暦を過ぎた
くらいで、二人とも結構おじいさんなんです。しかし、名前や年齢だけでなく、
いろんなところに僕たちは共通点があるようです。
葛西:名前だけで僕が女の人とよく間違えられたからということもありますが、
面出さんは最初は女の人かなと思っていました(笑)。そんなわけでお仕事を拝
見しているうちに、遠くからながらも親しみを感じていました。
面出:葛西さんがおっしゃる「一度手に入れたら、捨てられないものを目指し
たい」とは、どういうお気持ちなんでしょうか?
葛西:特別「高級なものや珍しいもの」を手に入れたいということではありま
せん。たとえば買い物をしたときの包み紙、洋服を買ったときに付いてくる値
札とか、布の切れ端と一緒に予備のボタンが入っている小さな袋とかをずっと
取っておきたい気持ち。以前、サントリーの烏龍茶の仕事で中国の古いホテル
泊まったとき、クリーニングを出すための伝票が、へらへらの安っぽい紙に赤
いインクで印刷された祖末なものだったのですが、これが捨てられなかった。
できれば自分もこういう風に思われるものを作りたいと。
面出:なるほど。僕の言った言葉を解説しますと、照明、光のデザインとは、
形のあるものではありません。しかし、夕焼けの空、日が沈んでいく様子を見
ながら、涙をこらえたという経験をお持ちの方もいるでしょう。このようにち
ょっとした光の変化や工夫は、明らかに感情への影響があるのです。
葛西:僕は高校 3 年生のときにグラフィックデザイナーを目指そうと思ったの
ですが、面出さんはいつ照明デザイナーを目指されたんですか?
光という言
ってみれば実態のないものを仕事にするということを決心するには、それなり
の理由があったのかな……と、昔から聞いてみたかったんです。
面出:照明デザイナーになろうと決心したのは、ヤマギワの研究所に就職する
ときですね。デザインを志そうと思ったのは、高校一年生。
「デザイン」という
言葉には夢があって、格好いいなぁ……と。それまではずっと音楽をやってい
たんですが、美術部に入って絵を描き始めました。やってみたら、結構絵がう
まいんじゃないかと自分でも思ってみたり。美大に入り数年経つと、漠然と環
境デザインがしたいと思うようになったんですね。モノばかりが消費され、ゴ
ミの山ができていくのは嫌だな……と学生ながらに思っていました。右肩上が
りの時代だからこそ、照明デザイナーになるんだったら、今までの照明とは違
うことをしたいと思いました。
ここでいくつか私たちの仕事を紹介しましょう。これは「シンガポールの照
明プロジェクト」。数年前にシンガポール政府から依頼された仕事です。北緯 1
度というトロピカルで、高温多湿な国、シンガポール。マレーシアから独立し
たこの小さな都市国家が、パリともニューヨークとも東京とも違う、自分たち
独自のここにしかない夜景をつくろうと考えました。そこで、20 年後のシンガ
ポールの夜景はこうなったらいいなと思って描いた夜景がこれです。新築され
るビル群もそれぞれが「こういう光を発します」というマスタープランがしっ
かりできていて、シンガポールという国を建設する上でのルールにもなってい
る。
「JR 京都駅」の照明設計は、全体的に「暗い」んです。駅舎は白っぽい石を
多用し、全体的に影のない空間を作るのが一般的ですが、建築家の原広司さん
は黒の御影石を使った。そして、照明もピカピカさせないようにしましょう…
…と。僕は谷崎潤一郎の『陰影礼賛』というキーワードをコンセプトとして、
いらないところに光を与えないというルールを設けました。照明の専門家のあ
いだには「適光適所」という言葉があって、必要のない所には光を与えないと
いう考え。これに倣い、京都駅では意味のある光だけを配置したんです。
葛西:中国の街で気になったのが、街路や市場のなかにはギラギラした裸電球
の明かり。全体的には暗いのに、明かりがものすごくまぶしくて目には痛いも
のです。でも、古い良さがあり、子どもの頃を懐かしむような感覚にも陥りま
せんか?
面出:こうした光は「グレア」といって、ギラッとしたまぶしい光をさす言葉。
僕は「グレアは百害あって一理なし」とよく言っています。ときどき照明デザ
イナーの中でも「グレアを利用して良くしなければいけない」と間違った理解
をしている人がいますが、それを言うならキラッとした光を示す「スパークル」
という言葉を使うべき。
たしかに葛西さんが言うように、街にむき出し状態でならぶ蛍光灯の下で、
屋台メシを食べるというのは、アジアならでは。まぶしい光ではあるんだけれ
ど、それはそれで僕らにとって馴染みのある風景です。ただ、基本的に光の量
が足りてくると、そこから先にはどのような光が自分たちにとって快適なのか
を学習する必要があるでしょう。グレアやまぶしい光に気をつけて設計すると、
街の景色が変わりますから。
葛西:僕が光というものを強く意識するようになったのはサントリーの「アイ
ラブ ユー 」という広告です。お中元やお歳暮にウィスキーを贈りましょうと
いうことで、夏は夏らしく、冬は冬らしくと季節ごとの表現をしていました。
男から男へものを贈る気持ちだって「アイ ラブ ユー」という気持ちの表現だ
ろうということで、コピーが先行して決まりました。そこで男同士での「アイ ラ
ブ ユー」を考えたのですが、昔の人というのは、親愛の情として出会ったとき
に帽子をひょいと上げて会釈をするでしょう。これは「アイ ラブ ユー」の気
持ちの一つだろうと、ただ帽子を上げている姿をラフスケッチで描いてみたも
のの、「これが本当にポスターになるのか、絵として成立するのだろうか……」
と自信が全くありませんでした。
そのとき頼りにしたのが、カメラマンの菅昌也さんです。彼はただただ「大
切なのは光だ」と。光を受けたときに帽子がどんな質感のものか、それをつま
む指先がどんなものか……。帽子を何十も見て選び、おじいさんの指先も何十
人もチェックしました。撮影場所は東京駅。背景のぼやけて見えるのが、レン
ガ造りの駅舎です。望遠レンズを使い 35mm フィルムで撮っています。このと
き菅さんがこだわったのが撮影する時刻。真っ昼間と夕暮れのあいだ(午後 3
時くらい)の「ワンパラ」の光がほしいというのです。このとき初めて「ワン
パラ」という言葉を知ったのですが、これは「ワンパラフィン」の略なんです
ね。一枚のパラフィン紙を太陽の前にかざしたくらいの、柔らかいけれどかす
かに直射日光を感じるもの。それじゃなけりゃだめだという。
菅さんは、ポラロイドも切らない人で、とにかくいきなり本番でした。その
撮影当日の太陽はまさにワンパラ的状況になり、あがったポジフィルムを見せ
てもらったとき、まさしくこの絵になっていたのです。それまでの僕は写真の
なかに写る形ばかりを考えていたのですが、このときは被写体を包んでいるも
の──柔らかさ、奥行き、暖かさ、冬の空気──が感じられました。見る人は、
おじいさんが醸し出している雰囲気に自分を重ね合わせ、いろんなものを想像
するんだろうなぁ……と。抽象的な絵ですが、その光がそう思わせてくれてい
るんでしょう。その後の自分のものづくりの転換点となりました。
面出:実は JR 東京駅のレンガ建て復元駅舎のファサード照明もやっているんで
すよ。でも、建築家、辰野金吾さんが設計した歴史的建造物を穢さないよう、
和やかな風景をきちんと作ることだけを考えたているので、実質的には派手な
ことは何もしていないんです。葛西さんがおっしゃるような“気配”を作り出
している。
一方、「国際フォーラム」は一生懸命やった例。「建築照明とはこういう風に
やるものだ!」とプンプンして、鼻孔を開きながら 6 年半をかけてやりました
(笑)。コンセプトは、建築自体が光を放つということで、照明器具の存在がど
こにあるのか分からないようにする。建築家にもずけずけと意見をいいながら、
最初の設計図面が固まる前に、照明のディテールを考えていく。すると、きら
きらした照明器具が消えていき、建築がそのまま光を受けたり発したりしなが
ら、匂いたってくるのです。
葛西:このサントリー烏龍茶「永遠要响行
永遠夢憧憬」も思い出深いポスタ
ーです。北京から北に数時間行ったところにある大きな人造湖、密雲水庫で春
に撮影したものです。TV コマーシャルも同時に撮影するので時間がタイトだっ
たことに加え、風が強くて、風がおさまるのは夕凪のごくわずかな時間だけで
した。
撮影は上田義彦さん。日没を迎え周囲が暗くなって、肉眼ではほとんどなに
も見えないなか、モデルさんにじっとしてもらい、8 秒から 10 秒くらいの長時
間露光で 8×10 のカメラで撮りました。このときもフィルム撮影だったので、
写真があがってくるまでどのような絵になっているのか分かりません。しかし、
あがってきたフィルムを見て感動したのを覚えています。
いつだったか上田さんは、海底の光が一番好きだと言ったことがあります。
海底というのは、すべてに光が回り込んでいて、矢印的な光の方向がないそう
です。日没直後というのは、空そのものが面光源のようになって、それに似た
状況だと……。
面出:天空光という拡散した光ですね。ブルーモーメントという呼び名もあり
ます。しかし、この写真いいですね。長時間露光と思わなかった。
葛西:僕が感動したのは、スカートの揺れが写真に写っていたことです。夕凪
で風がやんでいったん湖面は鏡のようになり、再び風が吹いてくる。長時間露
光だからこそ、その微妙な時間の変化も写るのです。
面出:照明デザインは何ですか?と端的に聞かれた場合、短絡的には「景色を
つくること」だと答えることが多くあります。照明のデザインも基本的にはビ
ジュアルデザイン。どのような場所であってもビジュアルがうまく整っている
と気持ちよいと感じますからね。視覚から入ってくる情報をどのようにコント
ロールするか。最初は一枚の切り取られた絵ですが、それを見渡していくうち
に三次元の景色になり、やがて時間軸も加わり、四次元の景色になる。移ろい、
時間の経過も追加されるのです。
CHAPTER 2 陰影と移ろい
「照明デザインという行為は、いかにも危うく見えることがある。手軽な季節
商品として使い捨てられることはあるまいか」
──面出 薫
(『LIGHTING DESIGN ─ 都市と建築の照明デザイン』 2005 年
六耀社
より)
「広告ずっとやっていると、やり甲斐はあるんだけれども寂しくもなってくる。
世の中の変化が慌ただしくて表現そのものが消費されていると感じる」
──葛西 薫
(『アートディレクションの可能性 ADC 大学 2007 トークセッション』 美術出版社)
葛西:「広告は新しくなければいけない。強くて、目立たなくてはいけない」。
そう分かっていても、意識しすぎると短命に終わったり、逆に誰も見てくれな
かったりします。新しさばかりを追っていても、明後日になればそれは古くな
ってしまいます。ところが最初から古いものは、いつまで経っても古い。古い
ものを目指すわけではありませんが、新しいものを目指さない方が、古くなら
ないのではないかと思ったりします。
面出:広告デザインの世界には、本当においしいものをおいしいというときと、
あまりおいしくないものをおいしいと言わなければいけないときがあるじゃな
いですか。後者の場合は、まぁいいかと思うんですか(笑)?
葛西:ものの出来が 70 点くらいの場合、それ以上の表現はできません。100 点
満点で 70 点だったら、30 点マイナスでしょう?
しかし、70 点あるのに、30
点くらいしか表現できていなかったらかわいそう。たとえ 70 点でも一生懸命に
作られたものなら、少なくともよいところを伝える責任はありますからね。
ウィスキーの仕事をしたときは、工場の職人さんに喜んでもらえる広告をつ
くろうと思いました。作っている職人さんたちからウィスキーに対する尋常で
はない愛情の深さを直に聞いているので、僕はその思いを伝えるという意識で
いた方が長い目で広告の真の役割を果たせると思います。
面出:照明デザインは、元の建築が素晴らしくないとダメ。光だけではなにも
できませんから。いい照明の仕事をするには、いい建築と出会い、いい建築家
の志に触れる必要があります。そして、いいものを作りたいというクライアン
トの野心に出会わないと……。建築を失敗しちゃったんだけど、照明でなんと
かならないか、という相談はお断りしています。
デザイナーは相手の要求に答えるというのも職能だけれども、照明デザイン
はより黒子的な存在なんです。できあがった後に、実際に使う人や見る人がど
れほど喜んでくれるのかということが大切。
──お二人のご意見には、時間、時代を超えて残っていくものをつくろうとな
さっている共通点が見受けられます。
「京都迎賓館」で、面出さんはハイテクを
駆使するローテクな心ということを意識されたと聞きましたが……。
面出:一見、純和風の建物で何もないように見えますが、こっそり光ファイバ
ーを使っていたり、国賓級の人が来るのでガードの意味をかねて木造の柱のな
かにはすごいスチールが入っていたりする。最先端技術を使いながら、江戸時
代まで遡り、日本のもてなしの心を表現しているのです。建物を外から照らす
のではなく、なかからちょっとだけ照らしてあげればいい。昼は太陽の光を優
しく内部に導き、夜は外に対して発光する建物が自然に浮かび上がる。
我々の照明デザインを、今は亡き内井昭蔵さんら、重鎮の方々による建設委
員会が照査してくれるのですが、そこに和風の明かりをきちんと伝えようと説
明し、理解いただいた。最初に利用した国賓がジョージ・ブッシュ元米大統領
だったのですが、彼がこのおもむきを理解できたかどうかは微妙な話です(笑)。
葛西:夜はすでに来ていますが、まだ空に光は残り建物のかたちが順光から逆
光に変わってシルエットに。でも目を凝らすと屋根の気配も感じる。そこに内
側からランプが灯り……。風景と光と建物のかたちが溶け合うという感じがと
てもいいですね。
面出:夜と昼が交差するとき、
「もう一日が終わったよ」というように気を休め
ようという印がほしいんです。
葛西:サントリーの「樹氷」の広告撮影でフィンランドに行ったときのこと。
緯度が高いので、真夏でも太陽高度が低く、光が真横からあたるんです。いわ
ゆるサイドの光のおかげで立体感が増し、人の顔も彫刻的に見える。そして影
が長い。それがかっこ良く、ロマンティックに思えたのを覚えています。
先日、宮崎県出身のグラフィックデザイナー、井上嗣也さんに「北の光、斜
光っていいよね」という話をしたところ、彼は「光はてっぺんから来るのがい
いんだ」と答えました。確かに彼の仕事を見ると、真上から光をあびている夏
っぽいものが多い。このとき南国出身の人と、僕のように北国(北海道)出身
の人間だと、光の感じ方も違うのかな……なんて思ったものです。
面出:僕は東京出身ですが、縁あってスカンジナビアの国々には頻繁に行って
いたこともあり、彼らのメンタリティにはいろいろと共通点を感じます。彼ら
は光を大切に感じていますよね。基本的に赤道に近くなると、たぶん明かりに
対する感覚は鈍化してくるのではないでしょうか。暖かいところは、太陽の光
に恵まれている分、明かりに対する繊細さは育まれにくいように思います。
葛西:北欧の人は、一日中夕暮れを感じているように思います。低いところか
らあたる光は、草原の緑にも色合いにコクを与えているようで、とてもきれい
に目に映ります。
面出:たぶん斜めに光をあてるとマチエールが強調されるんじゃないでしょう
か。サントリー「アイ ラブ ユー」の帽子の質感も、斜めの光を効果的に使う
ことで、光というよりも、きれいな影ができるということを意識してらっしゃ
るように思います。
葛西: 50 歳を過ぎてから伝統ある「とらや」の仕事をさせてもらえるのは、幸
いなことでした。デザイナーというカタカナの肩書きのせいか、それまで西洋
ばかりに向いていましたが、この仕事のおかげで日本にようやく目を向けるこ
とができました。
建築設計は内藤廣さん。言い方は悪いかもしれませんが、現代の商業的空間
という匂いに溢れているミッドタウンにおいて、他の店がどうなろうが、とら
やだけは心にも歴史にも残る、という意識を内藤さんは持っていらっしゃいま
した。たとえば外壁のブロックは、建材として 100 年、200 年残るようなもの
を選ぶなどして、とらやであるからにはこうすべきだろうという表現が隅々に
なされていました。一方で、グラフィックデザイナーである僕に配慮してくれ
たのか、内藤さんから店先に掲げる大のれんのデザインを頼まれました。ドキ
ドキしながら、メーカーの美濃部さんと一緒に、どんな布で、どのように吊る
のか、どのような巾の単位で制作すればよいか、のれんを通して通路の光がど
れほど店内に入るのか、また中の様子がどれほど透けて見えるのか……と気に
なり、六本木のスタジオを借りて、廊下と店の照明を再現。布を垂らして透け
具合や丈などの関係性を確認するなど、光については素人ながらやってみまし
た。
ミッドタウンは閉じられた空間なので、内部にいると四季が感じられません。
そのため、季節の変化を店舗で捉えられるようにと、冬は黒いのれん、夏は白
いのれんとかけ替えることを提案しました。
面出:内と外の光の作り方というのは、日本と西洋とで異なります。日本のも
のは外も内もよく分からないところもあります。僕は室内と屋外の違いをでき
るだけ意識せず、同じ光の品質がでればよいと思います。仕組みはいろいろと
違うけれど、照明器具も屋内で使っているものの品質をそのまま屋外に使って
しまうくらいの勢いでね。
フラッドライティング(投光照明)で、パリの街で寺院が美しく照らし出さ
れていることがあります。しかし、京都迎賓館は、外から建物に照射する光は
ありません。これはナチュラルグロウといって、中に宿った光が自然に外に見
えてくる手法。これ見よがしに外からあてずとも、建物の造りがきちんとでき
ていれば、佇まいとしてはそれが一番でしょう。建築家の槇文彦さんは、夜に
なるとどれほど建物から光が漏れ出てくるかをよく考えてらっしゃる。そうい
う作り方をするのがナチュラルだと思うんですよ。
葛西:小学生か中学生のときに学校で「光は直進する」と習いましたよね。そ
のせいか、若い頃の私は、光は直進するもの、ライトはあてるものというイメ
ージを強く抱いていました。しかし、前述の上田義彦さんはじめ、いろんな人
との仕事を通じて、光をあてるというより、そこに存在する光を捉える、もの
が光を発している感覚が分かるようになってきたんです。
面出:写真家の方というのはいろんな感性をもっています。僕も田原桂一さん
から「光というのは跳ね返ってくるもの。物質の相対だ」と言われたことがあ
ります。ライトアップと言うとどうしても光をあてる雰囲気がしますが、そう
しなくてもいいんだなと思うようになりました。
──「京都迎賓館」
「とらや」ともに、時間が経っていくほど、そのしつらえが
馴染んでいき、際立っていく感じがしますよね。
面出:サステイナブルだと……?
そう言ってもらえるのは嬉しいのですが、
照明ってすぐに消されてしまうでしょう。あれほど一生懸命やった東京国際フ
ォーラムでも、とんでもない広告のために壁面を使われそうになったこともあ
りました。照明は、時代によって憂き目にあわされることが多いんです。
現在も節電 15%とかいって、ずいぶん街も照明を落としています。しかし、
暗くて困るというより、
「あっ、いいじゃん!」という思うことも結構ある。し
かし、光の引き算はやはり難しい。20 世紀は光の足し算、かけ算ばかりをして
きましたからね。原広司さんから「点けるとそこだけ暗くなるような懐中電灯
ってできないか」と聞かれたことがあります。
葛西:あっ、僕も同じようなことを考えたことがあります。点けると暗くなる
電球はできないかと(笑)。
面出:もしそれが可能ならば、街の景色はもっと整っていくかもしれませんね。
市民参加型の照明研究会「照明探偵団」でライトアップゲリラということをや
っていましたが、ライトアップしようにも、東京という街に暗い部分がない。
だから非合法に電灯を消すということもやっていました。たとえばデイライト
センサーが街路灯についている場合には、そこに強い光をあててやると、日中
だと思って消灯してしまう。放電灯なので 5 分くらいは消えたままですので、
その 5 分の間に勝手なライトアップをやるのです。僕にそれだけの権限があっ
たら、ずっと街をまわって、そこ消して、ここ点けてとかやってみたいですね。
葛西:街のネオンサインはいろいろありますよね。たとえば秋葉原。美しいと
は言い切れないが、あの混沌とした景色を外国人が喜んだりするのは面白いで
すね。一方で、一流ブティックが立ち並ぶローマのコンドッティ通りを訪れた
ときのこと、この通りにはある店舗のサインに規制があり、黒、白、金しか使
ってはいけないのです。マクドナルドの看板も金と黒でできていました。それ
がまた新鮮でもあり、統一されていて心地良いものでした。
先ほど江戸時代の話がありましたが、当時の夜の明かりは提灯。店先には筆
文字で屋号が入った提灯がずらりと並んでいたはず。その様子は、たぶんきれ
いだったのでしょうね。提灯のかたちは違えども、筆文字だけでサインが統一
されているのもいい。しかも、町にはほかの明かりはないわけでしょう。
面出:デザインをシンプルし、いろんなことができないという風にするだけで
で、街の景色は大きく変わると思います。昨今は、コンビニも凄いでしょう?
震災後は少しおさまっていたけど、また復活してきましたからね。ストックホ
ルムのセブンイレブンは間接照明を使っていて格好よかったですね。規制があ
るのかもしれませんが……。
「俯瞰夜景」を収集しています。いろんな街に行っては、街全体を俯瞰でき
る場所から夜景も見渡していました。尾道に行ったとき、市長さんは「うちは
見渡すところがないから」とおっしゃっていましたが、瀬戸内にぽつぽつと点
在している光はとてもきれいでした。
俯瞰して見ていると、夜景のなかに潜む光の功罪に気づくんです、なんでこ
んなにキラキラしているんだ?
無駄な光が上空に飛んでいるだけじゃないか
……と。東京の夜景も「ダイヤモンドをちりばめたような」「宝石箱のようだ」
なんて例えられるけれど、光害(ひかりがい)の元凶ではないかと思うときが
あります。このような夜景は北欧にはありません。パリやリヨンの夜景も違う
もの。無駄に光を与えなくても、ちゃんとコントロールできる夜景というのが
あるんですから。
葛西:僕は昔、サントリーの仕事で銀座の四丁目交差点にある三愛ビルの上の
ネオンサインをデザインしたことがあります。
「銀座の行灯、灯台守」というよ
うなコンセプトをたて、最初の提案は 19 時から 24 時までの間、5 時間をかけ
て色が変わるランプ。いつ色が変化したか分からないように、ゆっくり、じん
わりと白から象牙、桜、若草、水、藤色へと色のグラデーションが変わってい
くというものでした。おじさんたちが銀座ではしご酒となり、ふと見上げたら
ネオンが藤色になっている。そこで「あっ、終電の時刻だ」と家路に……。何
時かははっきり分からないが、なんとなく時間の経過が分かるもの。この案は
あいにく通りませんでしたが、今でも僕はそのアイデアはいいと思っています。
面出:知らないあいだに忍び込んできて、情景が変わっていくもの。見えない
んだけど変化しているというのは、僕らにとってはとても大切な感覚ですよね。
葛西:蕎麦屋で一杯飲んで、明るいうちに帰ろうと思っているのに、気づいた
ら外はもう暗い。時間の経過を光で知るのもいいですよね。
CHAPTER 3 これからの光の可能性、照明の在り方、伝えていけること
「掴み取ることのできない光のみが、気配をつくり出す」
──面出 薫
(『LIGHTING DESIGN ─ 都市と建築の照明デザイン』 2005 年
六耀社
より)
「伝えたいのは実体ではなくてその周辺にあるもの、香ってくるもの。本当に
伝えたいのは目に見える奥にある」
──葛西 薫
(『インタビュー』 企画+インタビュー:安東孝一 2005 年 青幻舎)
面出:直接の原因は分からないが、何かしらの“気配”を感じて幸せに思う。
照明のデザインというのはこうした時間や空間に寄与できるものです。
葛西:たとえばコマーシャルで何か感じてほしいと思ったときに、売らんかな
という内容の広告を見た時間ではなく、広告を見終わったあとの余韻がどこか
に残っているといる感覚。飲み物を飲んだあとで、その広告のイメージが再び
脳裏に浮かんでくるような感じ。自分がつくっているときは、のめり込んでい
るのでよくは分かっていないこともあるのですが、後々「そういうことだった
んだな」と理解することがあります。食べ物でも飲み物でも、おいしいと広告
で連呼するよりも、おいしさの向こうに何か残ってほしい。そんなことを表現
できれば嬉しいですね。
面出:私が武蔵野美術大学で教鞭を執るようになってから、10 年くらい経ちま
すが、ある年に「2050 年の東京の夜景を考えよう」いう研究をしました。2050
年、テクノロジーがどうなっているのか、原子力どうなるのか誰も予想できま
せん。僕はちょうど 100 歳ですし、葛西さんは 101 歳。僕たちは生きているか
どうかも分からない。その頃には照明テクノロジーも大きく変わっているでし
ょうし、ライフスタイルも違うものになっているかもしれない。
ゼミの学生たちはこのテーマを元に、
「都市」
「ストリート」
「ハウジング」と
いうテーマでモデルを作りました。2050 年、東京の道路には街路灯がなくなる
でしょう。エネルギー源も変わっているかもしれません。車のセンサーリング
技術も向上し、街路灯、道路灯で照らさずとも安全性が保持できるようになる
可能性もあります。隈研吾さんはじめ建築家や財界人、作家など、いろいろな
方にインタビューして回った。
そのときある人から「街を闊歩する人間一人ひとりが光の粒になる」という
意見が出ました。要するに人々が輝くウェアラブルなものを身に付けている。
自分自身が発光しているから、車が来てもぶつかるようなことはないのです。
同様に建物が輝き、道も輝く。それ自体が発光せずとも、わずかな光を反射す
る材料が出てくれば、エネルギーを使わずとも街をもっと明るくできるのです。
マックスレイさんには申し訳ないけど、そうしたらいずれ照明器具もなくな
ってしまう時代がくるのかもしれない。
──私たちもこの会を通して、照明が時代とどのように寄り添っていくのかを
模索していきたいと思っています。
「暗さ」を表現した葛西さんのお仕事をご紹
介しましょう。
葛西:
「ガレとジャポニスム」のポスターをつくったことをきっかけに、乃村工
藝社さんと一緒に会場構成や展示方法を考えることになりました。展覧会場の
計画は初めてだったのですが、
「高級お化け屋敷」というのを思いついた。とに
かく暗闇にして、じめっとした気持ちになってもらいたい。できれば一人ひと
りに懐中電灯をもってもらい、作品を自分で照らしてもらうくらいのつもりで
した。ときどき天井から水滴が落ちてきてひゃっと思ったり、床にぐじゅぐじ
ゅと水を敷いたらどうかとか……。
このように考えたのは、言い方が悪いかもしれませんが、ガレの作品のなか
に陰湿というか、じっとりしたものを感じて澱んだ泥のようなその感覚を助長
してみたいと思ったからなのです。最終的には安全面への配慮もあり、当初の
計画よりかなり明るくしましたが、ものすごく楽しかったですね。そのかわり
に作品解説は年配の方でも見やすいように、大きい文字のキャプションにして
います。
『2001 年宇宙の旅』という映画で、ものすごく大きな宇宙船が登場しますよ
ね。運転席だけが中の光で明るくて、中で船員が小さく動いている。しかし、
宇宙船全体には遠くに沈んだ太陽かどこかの星の光がほのかにあたっているだ
け。光があたっているところだけを頼りに輪郭線を追い、飛行船の形を想像す
る。このようにほんの少しだけ見せておいて、全体を想像するという絵づくり
がいまだに好きなんです。返って未来的だなと思わせてくれる。
面出:将来的には街全体も暗くなるんでしょうかね?
葛西:僕の理想としては、夜には夜の闇がやってきて、そこからは大人の時間。
子どもには寝てもらって、大人は大人の時間を楽しむ。そのかわりに昼間はし
っかりと働く。今はコンビニは 24 時間やっていて、昼も夜もない不夜城な感じ
でしょう。光るときは光る。暗くなるときは暗くなる。半分ずつがちゃんと活
きるような未来があればと思います。
面出:震災以降、いろんなところで話をしていますが、私は「暗くなったらす
ぐに寝ろ」と言っています。まさしく江戸時代の話ですよ。当時の貧乏な人た
ちはろうそくをともすお金もなかったわけだから、寝てしまう。お金をもって
いる人だけが明かりのある夜を手にしていた。それが贅沢だったのです。この
ように自然光とともに生活するのがいいのでしょうが、ここまで豊かになって
しまった社会のなかで、街が真っ暗になるということはありえないでしょう。
しかし、やはり震災後、東京の街を俯瞰してみると、明るさが変わらない繁華
街もあれば、一方で暗くなった場所もあり、局地的に光のるつぼがわかれてい
ます。将来的には、このように都市生活を使い分けるようになるのではないで
しょうか。人間は簡単に光のダイエットはできないでしょうが、わずかな光の
情景になれてくると、僕らの失われた感覚も膨らんでくるのかもしれません。
──これからの社会に伝えていきたいメッセージを象徴するために、面出さん
はろうそくの作品も作っていらっしゃいますね。
面出:深沢直人さんや佐藤卓さん、いろんな建築家とともに、一日だけのろう
そくのデザイン展覧会というのを開催しました。そのなかで私が提案したもの
が、一本のろうそくのなかに 9 つの芯がある「パラフィンの湖」。ろうそくに火
を灯すと、溶けていき次第に色の湖が広がり、隣の湖と交わるというものです。
ろうそくの炎の揺らぎ、湖面の移ろいをみているだけでも気が和むでしょう。
また、ルイスポールセン社は、白灯油を使う美しいオイルランプを販売してい
ます。人間は、火で明かりを取るという不自由さを乗り越え、それをデザイン
することに何千年もの歴史をかけて行ってきたのです。私はスペシャリストと
して光をきちんと扱っていく立場にいるので、ろうそくやオイルランプにはじ
まり、最新技術の発光ダイオード、LED にいたるまで、すべての光が融合して、
きちんと生活のなかで使われていく時代を迎えてほしいと思っています。
葛西:世の中に既にあるものを見ているのは本当に面白い。そこに気づいてし
まうと、もう新しいものなんか作らなくてもいい、進歩しなくてもいいんじゃ
ないかと思ってしまいます。実は本当に面白いものは、もしかしたら少し貧し
いもの、少しダメなもの、完璧じゃないもののなかにあるのかもしれない。完
璧を目指して急速に成長しようとか、大量に作ろうということを考えるのでは
なく、まずはなだらかに平行移動してみることにエネルギーを使えば、持続す
るという目標には近づけるのではないかと思います。
事を急がないためにはどうするべきかを最新の技術を使って発明できればい
いだろうなと思う。僕たちは自然の造形や循環から多くを学びとろうとしてき
た。しかし、実際にやっていることは自然とはかけ離れたものになってしまう。
この矛盾をずっと感じている。何か手だてがないものかと思う。
面出:デザイナーは何かを作り出さなくてはいけないと思われがちですが、葛
西さんの話を聞くと「見立て」という言葉が浮かびます。状況をきちんと見立
てる。良いものを拾い上げ、既存のものとくっつけてあげるだけでも価値を得
るものがあるのです。私は学生に「江戸時代のデザインを隠喩せよ」と言いま
す。どうしたらよいかわからず行き詰まっている学生には、江戸の文化をきち
んと見立て、今のアイデアに結びつけてあげるだけでも価値のあるデザイン行
為だと思えるんです。