目 次 WS-G-04 Bob Ruers (抄録のみ・英文あり) 国際的アスベスト・カルテル ボブ・ルアーズ 前オランダ上院議員、オランダ・アスベスト協会創設者、弁護士[オランダ] 抄録: 物語は1900年、オーストリア人事業家、ハチェックがアスベスト・セメント製造技術を開発し た時に始まった。彼はその製造法をエタニットと呼んだ。3年もしないうちに、正確には1903年 に、彼はエタニットの特許権をフランス、イタリア、スイスなどの会社に譲り渡した。他の国々の 多くの会社もすぐにそのあとを追った。1950年までに、世界中の200を超えるアスベスト・セメ ント工場が、ハチェック式によるアスベスト・セメントの製造をしていた。 1920年に、アーネスト・シュミットハイニーというスイスの事業家がスイスのエタニット製造工 場を引き継いだ。シュミットハイニーは、すでにスイスのセメント産業に積極的にかかわってい たが、ベルギーのセメント産業に事業を拡大し、ベルギーのエンセムス・グループ所有のエタ ニット製造工場と協力関係を結んだ。 シュミットハイニーが、ヨーロッパの他のエタニット社やアメリカのジョーンズ・マンビル社と提 携して、ドイツのエタニット社を設立したのは1928年のことだった。1年後、彼は、国際的アス ベスト・セメント会社「SAIAC」を設立した。世界中から集まった、これらの協力関係にあるアス ベスト・セメント会社が目指したものは、広範囲にわたる企業活動だった。彼らは、宣伝のため の経験やアイデアをやり取りし、特許権を交換し、共同で原料の購入にあたった。SAIACは、 それに加えて、技術上の知識を交換し、共同研究や、いわゆる「中立国」における新会社の 設立、輸出のための組織づくり、原料を入手することを相互に保証し合うなどの業務を行った。 さらに、SAIACの共同出資に加わった会社は、価格や市場に関する協定にも踏み出した。ヨ ーロッパにあるエタニット社だけでなく、イギリスのアスベスト会社であるターナー&ニューウォ ール社やケープ社、アメリカのジョンズ・マンビル社もSAIACに加わった。1929年の年報の中 で、ターナー&ニューウォール社は、SAIACを満足げに「ミニュチュア国際連盟」と呼んだ。 1969年にベルギーのエタニット社は、ジョーンズ・マンビル社とターナー&ニューウォール 社と共同で、ルクセンブルグにTEAMという名の新しい会社を設立した。その会社の目的は、 世界中に新たなアスベスト・セメント会社を作ることだった。TEAMは、いくつかをあげると、パ キスタン、インドネシア、日本、中国、ナイジェリア、セネガルなどに進出した。はじめに、ベル ギーのエタニット社はルクセンブルグを本拠とする同社の8%の株式しか所有していなかった が、この数値は、1989年まで右上がりで増加を続け、ベルギーのエタニット社が株式の86%を 占めるまでになった。さらに、ベルギーのエタニット社が、インド最大のアスベスト・セメント製 造会社であった、エベレスト・インダストリー社の50%の株式を取得して、ターナー&ニューウ ォール社から買収したのも1989年だった。それによって、ベルギーのエタニット社は、世界で 最大のアスベスト・セメント製造会社となったのである。 次⇒
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