2014年度 入学試験問題 ( A 日程入学試験 2月2日) 世 界 史 注 意 事 項 1.解答用紙は、中程に折り込んであります。 2.解答用紙には、受験番号および氏名を忘れずに記入してください。 3.解答は、問題ごとに解答用紙の所定の欄に記入してください。 4.問題用紙は1ページから8ページです。 解答用紙は、1枚です。 万一枚数が足りないときは手を挙げて合図して下さい。 5.試験終了後、問題用紙は各自持ち帰ってください。 1 次の文章を読み、下の問いに答えなさい。解答はすべて解答欄に記入しなさい。 南アジアの中心をなす広大なインド亜大陸は、雨季と乾季の差がはっきりした、熱帯ま たは亜熱帯のモンスーン気候に属している。北はヒンドゥークシュ山脈、 ( A ) 、アラ カン山脈によって周囲を囲まれ、 ( B ) 、トルキスタンあるいはビルマとは交流が困難 であった。南は( C ) 、インド洋、ベンガル湾などによって囲まれ、デカン高原のおも な川は東に流れ、河口にデルタと港町が発達した。この東海岸の港を通じて、インドと東 南アジアとの交流が可能であった。東海岸の港とともにインド亜大陸を外の世界と結びつ けたのは、北西部の( D )であった。 最もはやく成立したといわれる( E )にややおくれて、前 2300 年ごろインダス川 流域でも農業を基礎とする都市文明が栄えた。西北インドに位置する、インダス川の中・ 下流域は肥沃であるとともに、高い山脈からの雪解け水がインダス川に注がれたため、乾 季には( F )が、雨季にはモンスーン気候がもたらす雨をたくわえて( G )が栽 培され、それらの穀物生産と牛や羊などの飼育がくみあわされた。それとは対照的に、南 インドの川は雨季には急流となり、乾季には川底があらわれた。 ( H )は前 1800 年ご ろから衰退に向かったが、①遺跡からは動物などの絵を刻んだ多数の印章が発見されてい ることから、この文明はインド文明の源流をなすものと考えられている。 前 1500 年ごろになると、 ( I ) の牧畜民であるアーリヤ人が中央アジアから ( D ) を超えてインド北西部に侵入しはじめた。彼らは馬や馬がひく二輪戦車を使い、 ( J ) 製の武器で( K )などの先住民を征服し、インダス川中流域のパンジャーブ地方に定 住した。アーリヤ人の社会は部族単位で構成され、各部族は族長によって統率されたが、 重要な決定は部族ごとに集会で決定された。②彼らは雷・太陽・火などの自然の力を神と して崇拝し、賛歌をささげた。 アーリヤ人は前 1000 年をすぎると、北西インドから東へ進出しはじめ、 ( L )製の 武器を持って先住民と抗争しながら、肥沃なガンジス川上・中流域の平野部に定住した。 ( L )製の道具は森の開墾にも使われるようになり、農業が発達した。このころ、神 への讃歌のほかに祭式の方法などを記録した三種の( M )が編纂され、 ( M )を聖 典とするバラモン教が生まれてくる。祭式は時代とともに複雑化し、やがて専門の司祭者 が必要とされるようになると、③司祭階級としてのバラモンが形成された。一方では、そ 1 れまでの部族集会にかわって、世襲的な王(ラージャン)とそれを支える王族や戦士らが 人々を支配するようになった。④司祭階級としてのバラモンが形成されると、やがてヴァ ルナ制(種姓・階級)とよばれる身分的上下観念が生まれた。また、ヴァルナ制の枠の外 には、 ( N )といわれる最下層の人々がいた。他方、ヴァルナ制とは別に、特定の信仰 や職業との結びつきによって、あるいは、他の社会集団のものとの結婚を制限することに よって人々の結合をはかるカースト(ジャーティ)集団が多数形成された。⑤これらのジ ャーティは、やがて人は生まれた身分によって上下関係があると考えるヴァルナ制と結び ついて前7世紀ごろまでにカースト制度が形成された。 前6世紀ごろになると、ガンジス川中流域では大規模な開墾が進み、農業が発展すると ともに商工業が発展し、都市国家が形成された。それらの都市国家のなかで( O )が 力を持ち、領土を広げていった。このような都市国家で勢力を伸ばしてきた商工業者など の支持を得て、新しい宗教が生まれ、影響力を持つようになっていった。その一つは、仏 教である。 ( P )は、動物を犠牲に捧げる供儀や難解な祭式、さらにヴァルナ制を否定 した上で、女性が仏教教団(サンガ)に入るのを認めるなど、人間の平等性を主張した。 また、彼は、神や霊魂の存在を認めず、正しい行ないを実践して欲望を克服すれば、⑥輪 廻転生という迷いの道から脱却できると説いた。もう一つは、ヴァルダマーナを始祖とす る( Q )である。この宗教でも、バラモン教の祭式やヴァルナ制が否定され、正しい 信仰や行為こそが真の救済をもたらすと説かれ、 ( R )や無所有などの戒律が重んじら れた。 こうしたバラモンの権威を否定する新しい宗教に対抗して、バラモン教の内部にも改革 運動がおこった。第一に、それまでの祭式を絶対視する考え方を転換して、宇宙の本質や 霊魂についての内面的な思索を重視する( S )が生まれた。第二に、先住民の民間信 仰や習俗、仏教の教義などを吸収することによってめばえた新しい宗教が( T )であ る。この( T )は、特定の教義や聖典にもとづく宗教ではなく、むしろ生活や考え方 の全体にかかわる宗教として、後の時代に広く民衆のなかに浸透していくことになる。そ して今日にいたるまで、 この宗教はインド世界の独自性をつくりあげる土台となっている。 2 (1)文中の( A )から( T )に下記の語句群の中から最もふさわしいものを選 び、その記号を書きなさい。 [語句群] 1. ピレネー山脈 6. パキスタン 2. ウラル山脈、 7. 紅海 3. ヒマラヤ山脈 8. アラビア海 4. チベット 9. エーゲ海 10. カイバル峠 11. シルクロード 12. オリエント文明 13. ミケーネ文明 15. インダス文明 16. 稲・アワ・ヒエ 17. トウモロコシ 19. ドラヴィダ人 20. シナ=チベット語族 22. オーストロ=アジア語族 26. 亜鉛 27. 錫 28. 鉄 23. ドーリア人 24. 青銅 29. ヴェーダ 30. マフィア 33. 不可触民(不可触賤民) 35. マガダ王国 36. ソンガイ王国 42. ヒンドゥー教 14. 中国文明 43. イオニア自然哲学 25. 神学大全 31. 下層民 34. サルデーニャ王国 37. 不殺生 40. ジャイナ教 18. イオニア人 21. インドヨーロッパ語族 32. ムハンマド 39. ガウタマ=シッダールタ 5. 麦 38. ゾロアスター教 41. ウパニシャッド哲学 44. 勤勉 45. 法典 (2)下線部①について、次の問(i) 、 (ⅱ)に答えなさい。 (i)インダス川流域で発見されたこの文明の遺跡を2つ挙げなさい。 (ⅱ)この文明がインド文明の源流であることを裏付けるものとして、印章にはどのよ うな絵がきざまれていたのか。 (3) 下線部②について、そのような賛歌を集めたもので、前 1200~前 1000 年頃に成 立したと推測されるものを何というか。 ........ (4) 下線部③について、以下のバラモンに関する説明のうち間違っているものを1つ 選び、その記号を書きなさい。 a.司祭階級としてのバラモンは、自分の家系にのみ自然(=神々)と関わり、専門 的な知識により神々の恩恵を他の人々に媒介する能力が備わっていると主張した。 b.バラモンは血統を重視し、彼らの専門的な知識や能力は父系の氏族集団により世 襲された。 3 c.バラモンは血統を重視し、彼らの専門的な知識や能力は母系の氏族集団により世 襲された。 d.バラモンは、自然(=神々)とかかわる能力を独占し、専門的な知識によって神々 の恩恵を媒介する能力が親から子へと継承されることを他の人々に認めさせるこ とに成功した。その結果、彼らはしだいに強い社会的権威をもつようになった。 (5) 下線部④について、ヴァルナ制における4つの身分の中で、最上位の身分である バラモンを除き、以下のそれぞれの社会層に対応する(a)~(c)の身分を書きなさい。 [社会層] [身分] 司祭 バラモン 武士 ( a ) 農民・牧畜民・商人 ( b ) 隷属民 ( c ) ........ (6) 下線部⑤について、以下のカースト制度に関する説明の中から間違っているもの を1つ選び、その記号を書きなさい。 a.インドでは、ジャーティは「生まれ」を意味する語であり、血縁などで結ばれた 集団を意味することもある。いいかえれば、それは、家柄・血統を同じくするもの の集団という意味にも使われる。 b.カーストは、大航海時代にインドにやって来たポルトガル人が、インドにおける 身分の区別を示す語として用いたカスタ(家柄・血統)に由来する。 c.カースト制度と同じように、古代ユダヤ教の祭司たちの間でも血統が重視され、 祭司の職は血統にしたがって継承された。この古代ユダヤ教を批判して生まれてき た原始キリスト教の世界では、血統は問われず、友愛を誓って信徒となったものた ちが組織を形成した。これによって、血統に基礎をおく伝統的な構造に代わって、 個人の自由に基づいて新たな社会が形成されるための精神的な基盤が形成された。 d.カースト制度は、時代の変化に対応して社会を変化させる機能を果たした。 (7)下線部⑥について、輪廻転生とは何を意味するか。説明しなさい(30 字以内) 。 4 2 次の文章を読み、下の問いに答えなさい。解答はすべて解答欄に記入しなさい。 フランスでは、1789 年 7 月 14 日におこったパリのバスティーユ牢獄への民衆の襲撃を 機に、①これまでの政治・社会体制をくつがえす革命がおこった。この革命で、絶対王政 から共和政へと変わっていくが、その過程で②内政の混乱と同時に、対外的には周辺国の 軍事的行動にともなう危機にも直面し、フランスでは社会不安がひろがっていた。 そのような中、1795 年には制限選挙制を復活させた新憲法により、5 人の総裁からなる 総裁政府が樹立された。しかし、社会不安は続き、革命ですでに利益を得た有産市民層や 農民は社会の安定をのぞみ、混乱をおさめる力をもった軍事指導者としてナポレオン=ボ ナパルトに期待をかけた。ナポレオンは 1796 年、イタリア派遣軍司令官としてオースト リア軍を破って、軍隊と国民のあいだに名声を高め、③さらに 1798 年には、敵国イギリス とインドの連絡を断つ目的でエジプトに遠征した。 1799 年にイギリスがロシア・オーストリアなどと第 2 回対仏大同盟を結んでフランス 国境をおびやかすと、総裁政府は国民の支持を失った。④帰国したナポレオンは 1799 年 11 月に総裁政府を倒し、3 人の統領からなる統領政府をたて、第一統領として事実上の独 裁権をにぎった。10 年間におよんだ革命はここに終了した。 ナポレオンは、革命以来フランスと対立関係にあった教皇と 1801 年に和解した。⑤1802 年にはイギリスとも講和して、国の安全を確保した。内政では、フランス銀行を設立して 財政の安定をはかり、商工業を振興し、公教育制度を確立し、⑥さらに 1804 年 3 月にはナ ポレオン法典を公布した。1802 年に終身統領となったナポレオンは 1804 年 5 月、国民投 票で圧倒的支持をうけて皇帝に即位し、ナポレオン 1 世と称した。 1805 年、イギリス・ロシア・オーストリアなどは第 3 回対仏大同盟を結成し、同年 10 月にはネルソンのひきいるイギリス海軍が、フランス海軍をトラファルガーの海戦で破っ た。⑦しかしナポレオンは、ヨーロッパ大陸ではオーストリア・ロシアの連合軍を破り、 1806 年、みずからの保護下に西南ドイツ諸国をあわせライン同盟を結成した。またプロイ セン・ロシアの連合軍を破って、ポーランド地方にワルシャワ大公国をたてるなど、ヨー ロッパ大陸をほとんどその支配下においた。 この間、⑧ナポレオンは、1806 年、ベルリンで諸国にイギリスとの通商を禁じる命令を 出した。また、彼は兄弟をスペイン王やオランダ王などの地位につけ、自身は 1810 年に 5 オーストリアのハプスブルク家の皇女と結婚して家門の地位を高めるなど、その勢力は絶 頂に達した。封建的圧政からの解放をかかげるナポレオンの征服によって、被征服地では 改革が促されたが、他方で外国支配に反対して民族意識が高まっていった。まず、スペイ ンで反乱がおこり、またプロイセンでは、思想家のフィヒテが愛国心を鼓舞する一方、シ ュタイン・ハルデンベルクらが農民解放などの改革をおこなった。 1812 年、ロシアがナポレオンに反抗的な行動をとったため、ナポレオンは大軍をひきい てロシアに遠征したが、失敗におわった。⑨これをきっかけに諸国は解放戦争に立ち上が り、プロイセン・オーストリア・ロシア同盟軍がナポレオンを破り、1814 年にはパリを占 領した。ナポレオンは退位してエルバ島に流され、ルイ 16 世の弟ルイ 18 世が王位につい てブルボン朝が復活した。1815 年 3 月、ナポレオンはパリにもどって皇帝に復位したが、 6 月にワーテルローの戦いで大敗し、南太平洋のセントヘレナ島に流された。 この革命とそれに続くナポレオンのヨーロッパ大陸支配のもとで目覚めた新たな思想 ⑩ は、その後のヨーロッパの支配体制を動揺させる力となった。そのような意味でナポレオ ンは没落後もヨーロッパの支配体制に大きく影響したといえるだろう。 (1) 下線部①について、次の問(ⅰ)、(ⅱ)に答えなさい。 (ⅰ)フランスにおけるこの革命は何と呼ばれているか。答えなさい。 (ⅱ)この革命前の政治・社会体制は総称して何と呼ばれているだろうか。答えなさ い。 (2)下線部②について、革命期の議会、および、その有力政党と政治家の組み合わせと して正しいものを1つ選び、その記号を答えなさい。 a. 国民議会 - フイヤン派 - ダントン b. 立法議会 - ジロンド派 - ラ=ファイエット c. 立法議会 - ジロンド派 - シェイエス d. 国民公会 - ジャコバン派 - ロベスピエール 6 (3)下線部③について、ナポレオンのエジプト遠征中にアレクサンドリアの東方で発見 され、 古代エジプトの神聖文字を解読するために使われた石版は何と呼ばれているか。 答えなさい。 (4)下線部④について、ナポレオンが総裁政府を倒して、独裁権をにぎったこの事件は 何と呼ばれるか。次の中から正しいものを1つ選び、その記号を答えなさい。 a. 血の日曜日事件 b. テルミドールのクーデタ c. ブリュメール 18 日のクーデタ d. デカブリストの乱 (5)下線部⑤について、1802 年 3 月、北フランスで英仏間に締結されたこの休戦条約 は何と呼ばれているか。次の中から正しいものを1つ選び、その記号を答えなさい。 a. アウクスブルクの和議 b. アミアンの和約 c. ティルジット条約 d. ヴォルムス協約 (6)下線部⑥について、ナポレオン法典には、革命の成果として近代市民社会の法原理 ........... が盛り込まれているが、この法典に盛り込まれていない項目を次の中から1つ選び、 その記号を答えなさい。 a. 人種差別の撤廃 b. 私有財産の不可侵 c. 法の前の平等 d. 契約の自由 7 (7) 下線部⑦について、次の問(ⅰ)、(ⅱ)に答えなさい。 (ⅰ)ナポレオンがフランスの皇帝として、オーストリアのフランツ 1 世とロシアの アレクサンドル 1 世の率いるオーストリア・ロシア連合軍と争い勝利したこの戦 いは何と呼ばれているか。答えなさい。 (ⅱ)ライン同盟の成立の結果、消滅した帝国はどこか。答えなさい。 (8) 下線部⑧について、次の問(ⅰ)、(ⅱ)に答えなさい。 (ⅰ)ヨーロッパ大陸の諸国がイギリスとの間で通商することを禁じたこの命令は何 と呼ばれているか。答えなさい。 (ⅱ)この命令に関する記述として正しいものを1つ選び、その記号を答えなさい。 a. ナポレオンはこの命令でヨーロッパ大陸諸国の経済的繁栄をめざした。 b. イギリスはヨーロッパとの通商が途絶えたため、経済的に大打撃をうけた。 c. ヨーロッパ大陸諸国はイギリスとの通商断絶で大きな経済的打撃をうけた。 d. プロイセンはこの命令を無視してイギリスに穀物を輸出した。 (9)下線部⑨について、ヨーロッパ大陸諸国によるナポレオン支配からの解放戦争にお ける最大の戦いは何と呼ばれるか。答えなさい。 (10) 下線部⑩について、次の問(ⅰ)、(ⅱ)に答えなさい。 (ⅰ)ここで説明されているヨーロッパで「新たに目覚めた思想」はどのようなもの か。2つ挙げなさい。 (ⅱ)ナポレオン戦争後のヨーロッパの支配体制を何というか。答えなさい。 8 2014年度入学試験 世 界 史 解答用紙(1/1)(A日程入試2月2日) 氏 1 (1) 名 二 得 点 校 受験番号 A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T (2) ⅰ ⅱ (4) (3) (5) a b c (6) (7) (15字×2行) 点 2 (1) ⅰ (2) ⅱ (4) (3) (7) ⅰ (8) ⅰ (5) (6) ⅱ ⅱ (9) (10) ⅰ ⅱ 点 2014年度入学試験 世 界 史 解答用紙(1/1)(A日程入試2月2日) 氏 1 (1) 二 名 得 点 校 受験番号 A B C D E F G H I J 3 4 8 10 12 5 16 15 21 24 K L M N O P Q R S T 19 28 29 33 35 39 40 37 41 42 (2) ⅰ ⅱ モエンジョ=ダーロ (3) (6) (7) ハラッパー (いずれか1つ) (4) リグ=ヴェーダ (5) 牛の像、シヴァ神の原型 c a b c クシャトリヤ ヴァイシャ シュードラ d 生 前 の 行 為 に よ っ て 死 後 に 別 の 生 を う け る 過 程 が く り か え さ れ る 。 (15字×2行) 点 2 (1) (3) ⅱ フランス革命 旧制度(アンシャン=レジーム) (4) ロゼッタ=ストーン (7) (5) c d (6) b ⅰ ⅱ アウステルリッツの三帝会戦 神聖ローマ帝国 (8) (9) (2) ⅰ ⅰ ⅱ 大陸封鎖令 c a ライプチヒの戦い(諸国民戦争) (10) ⅰ 自由主義 ⅱ 国民主義(ナショナリズム) ウィーン体制 点
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