世界史問題

2016年度 入学試験問題
(A 日程入学試験 2月1日)
世 界 史
注 意 事 項
1.解答用紙は、中程に折り込んであります。
2.解答用紙には、受験番号及び氏名を忘れずに記入して下さい。
3.解答は、問題ごとに解答用紙の所定の欄に記入して下さい。
4.問題用紙は1ページから 8 ページです。
解答用紙は、1枚です。
万一枚数が足りないときは手を挙げて合図をして下さい。
5.試験終了後、問題用紙は各自持ち帰って下さい。
1
17~18 世紀のヨーロッパの政治史について述べた次の文章A~Cを読み、下の問い(1)~
(10)に答えなさい。答えはすべて解答欄に記入しなさい。
A フランスでは、国王ルイ 14 世が 1661 年に親政を開始し、強大な権力をふるって太陽王と呼ば
れた。①彼は軍隊を増強し、侵略戦争をしばしばおこしたり、イギリスやオランダなどと連合したハ
プスブルク家のオーストリアと戦い、②ユトレヒト条約を結んだ。しかし、一般国民は多額の戦費と
宮廷費をまかなう税金の負担に苦しみ、また③ナントの勅令の廃止によって、ユグノーの商工業
者が大量に亡命したことで国内産業は深刻な打撃を受けた。
(1) 下線部①の侵略戦争について述べた記述として誤っているものを、次の(a)~(d)のうちから
一つ選び、その記号を記入しなさい。
(a) ファルツ戦争
(b) オーストリア継承戦争
(c) オランダ戦争
(d) 南ネーデルランド継承戦争
(2) 下線部②のユトレヒト条約で合意した内容として正しいものを、次の(a)~(d)のうちから一つ
選び、その記号を記入しなさい。
(a)スペイン・オランダ両国は合同しないという条件で、各国にハプスブルク家のスペイン王
位継承を認めさせた。
(b)スペイン・フランス両国は合同しないという条件で、各国にハプスブルク家のスペイン王
位継承を認めさせた。
(c) スペイン・オランダ両国は合同しないという条件で、各国にブルボン家のスペイン王位
継承を認めさせた。
(d) スペイン・フランス両国は合同しないという条件で、各国にブルボン家のスペイン王位継
承を認めさせた。
(3)下線部③の商工業者が大量に亡命した理由として最も適当なものを、次の(a)~(d)のうち
から一つ選び、その記号を記入しなさい。
-1-
(a) ナントの勅令の廃止によって、商工業者に重い税が課せられるようになったから。
(b) ナントの勅令の廃止によって、商工業者が扱える商品の種類が極端に減ったから。
(c) ナントの勅令の廃止によって、信仰の自由が保障されなくなったから。
(d) ナントの勅令の廃止によって、職業と居住の自由が保障されなくなったから。
B 1618 年、オーストリアの属領ベーメンの新教徒が、ハプスブルク家の旧教化政策に反抗したの
をきっかけに、三十年戦争が勃発した。旧教と新教との対立抗争であった三十年戦争は、1648
年の[ ④ ]で終結し、ヨーロッパの⑤主権国家体制が確立した。三十年戦争後、北東ドイツで
はプロイセンが急速に成長しはじめ、15~16 世紀以来⑥農民を支配してきた領主層が、地方行
政を担当し、君主の権力を支えた。
(4) 文中の空欄[ ④ ]に入る条約名で正しいものを、次の(a)~(d)のうちから一つ選び、そ
の記号を記入しなさい。
(a) ベルリン条約
(b) トリアノン条約
(c) ウェストファリア条約
(d) パリ条約
(5) 下線部⑤の主権国家に関する記述について最も適当なものを、次の(a)~(d)のうちから一
つ選び、その記号を記入しなさい。
(a) 自国の支配領域を明確な国境で囲い込み、外に対して法王のみが国を代表するととも
に、徴税機構を中心に行政組織を整備し、国内の一元的支配を強めた国内秩序。
(b) 自国の支配領域を明確な国境で囲い込み、外に対して君主のみが国を代表するととも
に、徴税機構を中心に行政組織を整備し、国内の一元的支配を強めた国内秩序。
(c) 自国の支配領域は流動的であったが、外に対して法王のみが国を代表するとともに、徴
税機構を中心に行政組織を整備し、国内の一元的支配を強めた国内秩序。
(d) 自国の支配領域は流動的であったが、外に対して君主のみが国を代表するとともに、徴
税機構を中心に行政組織を整備し、国内の一元的支配を強めた国内秩序。
-2-
(6)下線部⑥の領主層は何と呼ばれていたか、次の(a)~(d)のうちから一つ選び、その記号を
記入しなさい。
(a) インテリゲンツィア
(b) ユンカー
(c) ジェントリ
(d) ヨーマン
C
ある国との戦争をくりかえしたフランスの国家財政は 18 世紀後半に破綻し、ルイ 16 世はテュルゴ
⑦
ーなどの改革派を起用して、特権身分に対する課税などの財政改革を試みたが、特権身分が抵
抗したために、1615 年以来ひらかれていなかった三部会が 1789 年 5 月に招集された。だが、議
決方法をめぐって特権身分と[ ⑧ ]が対立し、[ ⑧ ]の議員は、自分たちが真に国民を代
表する国民議会であると宣言し、⑨「テニスコートの誓い」をした。また、国民議会は同年 8 月 4 日
に封建的特権の廃止を決定するとともに、同月 26 日に⑩人権宣言を採択した。
(7)下線部⑦の 18 世紀にフランスと戦争をくりかえしていたある国とはどこか、次の(a)~(d)の
うちから一つ選び、その記号を記入しなさい。
(a) オランダ
(b) スペイン
(c) イギリス
(d) ポルトガル
(8) 文中の空欄[
⑧
]に入る語句で適切なものを、次の(a)~(d)のうちから一つ選び、そ
の記号を記入しなさい。
(a) 第一身分
(b) 第二身分
(c) 第三身分
(d) 第四身分
-3-
(9) 下線部⑨の「テニスコートの誓い」において誓われた内容として適切なものを、次の(a)~
(d)のうちから一つ選び、その記号を記入しなさい。
(a) 憲法制定まで議会を解散しないことを誓った。
(b) 教会財産を没収するまで議会を解散しないことを誓った。
(c) ジロンド派が政権を担うまで議会を解散しないことを誓った。
(d) 国民公会が成立するまで議会を解散しないことを誓った。
(10)下線部⑩の人権宣言の内容として誤っているものを、次の(a)~(d)のうちから一つ選び、そ
の記号を記入しなさい。
(a) 人間は自由かつ権利においても平等なものとして生まれ、また、存在する。
(b) 社会的な差別は、如何なる理由にもとづいても、許されるものではない。
(c) あらゆる主権の原理(起源・根源)は、本質的に国民に存する。
(d) 所有権は神聖かつ不可侵の権利である。
-4-
2 次の文章を読み、下の問いに答えなさい。解答はすべて解答欄に記入しなさい。
古代地中海世界は、地中海が重要な交通路となって一つのまとまった文化圏として形成
された。この世界で大きな役割を果たしたのはインド=ヨーロッパ語族の①ギリシア人と古
代イタリア人であった。しかし4世紀末以降、古代地中海世界はしだいにその政治的・文
化的統一性を失い、やがて三つの歴史的世界に分裂することになる。その原因の一つは、
地中海世界の周辺地域における異民族の動きにあった。
以下でその過程をたどってみよう。
ユーラシア大陸の西端に位置するヨーロッパは、気候条件や地理的条件によって次のよ
うな地域に分けられる。アルプスなど中央部の山脈以北の地域では、なだらかな丘陵地や
平野が続き、大河が多い。その大西洋に面した地方は( A )の影響を受けて、冬暖か
く夏涼しい。湿潤・温暖であるため、
( B )や牧畜に適している。しかし東に進むにつ
れて、寒冷で乾燥した( C )になり、遊牧に適した草原地帯が広がる。他方、中央部
の山脈以南の地中海沿岸地帯では、山がちで大河がなく、夏暑くて乾燥する地中海性気候
に属し、
( D )などの栽培に適している。
こうした自然条件は、おもに東から西に、北から南に向かう大規模な人間の移動を引き
おこし、この民族移動とそれにともなう多様な文化的融合が絶えずくりかえされた。アル
プス山脈以北のヨーロッパには、前6世紀頃から( E )が住んでいた。②バルト海沿
岸地帯を原住地とするゲルマン人は、
( E )を西に圧迫しながら勢力を拡大し、紀元前
後頃にはローマ帝国と境を接するようになった。さらにローマ帝政後期になると、ゲルマ
ン人は( F )川下流域まで広がり、ローマ帝国の下級官吏・傭兵・
( G )として平
和的に帝国内に移住する者も多くなった。
4世紀後半、
( H )遊牧民のフン人が西ゴート人を圧迫した。そこで西ゴート人は
375 年に南下を始め、翌年には( F )川をわたってローマ帝国に進出した。これをき
っかけにほかのゲルマン諸部族も大規模な移動をはじめ、とくにローマ帝国の西部に流入
して定住し、部族国家を建設した。③すでに2世紀後半から衰えはじめていたローマ帝国
は、395 年に東西に分裂した。ゲルマン諸部族による国家の建設はさらに帝国を混乱にお
としいれ、476 年、西ローマ帝国はゲルマン人傭兵隊長( I )に滅ぼされた。④6世
紀後半に西ローマ帝国の旧領地はほとんどゲルマン人の支配下にはいった。
その後、ゲルマン諸国家の多くが短命に終わったのに対して、フランク王国は着実に領
-5-
土を拡大していくことになる。メロヴィング家のクローヴィスは、481 年、フランク人を
統一してフランク王国を建国した。他のゲルマン諸部族の多くが( J )で異端とされ
た( K )キリスト教に改宗したのに対して、クローヴィスは、
( J )で正統派とさ
れた( L )に改宗した。当時、ローマ人貴族の間では広く( L )が信仰されてい
た。このことは、のちにフランク王国がローマ人貴族を支配層に取りこみ、西ヨーロッパ
の中心勢力になる原因の1つとなった。しかし、8世紀に入るとメロヴィング朝の権力は
衰え、王家の行政と財政の長官である宮宰が実権を掌握するようになった。
この頃、イスラーム勢力がフランク王国にも迫っていた。7世紀初め、
( M )で生ま
れたイスラーム教の信者たちは、大規模な征服活動( N )によってその勢力を拡大し
ていった。ウマイヤ朝の時代、イスラーム勢力が北アフリカを西進し、イベリア半島をわ
たって西ゴート王国を滅ぼし、さらにピレネー山脈を越えてガリアに侵攻しようとしたの
である。⑤メロヴィング朝の宮宰カール=マルテルは、732 年にイスラーム軍を撃退し、イ
スラーム軍はピレネー山脈の南に退いた。その子( O )は、751 年ローマ教皇の支持
を得てメロヴィング朝を廃して王位につき、カロリング朝を開いた。
古代以来続いてきた地中海世界は、ゲルマン人の大移動や西ローマ帝国の滅亡によって
すでにその政治的・文化的統一性を失いはじめていたが、イスラーム勢力の侵入によって
その流れは決定的なものとなった。地中海世界は、東ヨーロッパ世界・⑥西ヨーロッパ世
界・イスラーム世界の3つの歴史的世界に分裂したのである。
(1)文中の( A )から( O )にあてはまる最もふさわしい語句を以下の語句群
の中から選び、その番号を記入しなさい。
[語句群]
1. フェニキア人
6. 暖流
2. ペルシア人
7. 果樹栽培
8. 穀物栽培
11. 大陸性気候
12. 砂漠気候
16.
17. 農奴
ロワール
21. カール
22. ピピン
26. ニケーア公会議
29. アタナシウス派
3. ケルト人
4. ヘブライ人
9. オリーヴやブドウ
13. ジャガイモ
18. コロヌス
23. ルートヴィヒ
-6-
10. 放牧
14. ドナウ
15. 奴隷
19. アジア系
20. セム語系
24. オドアケル
25. 小アジア
27. クレルモン宗教会議
30. アリウス派
5. 南風
28. コンスタンツ公会議
31. ジハード
32. アラビア半島
(2)下線部①について、下の問いに答えなさい。
(i)古代ギリシアのポリス(都市国家)アテネでは、前6世紀初頭にソロンが貴族と
平民の調停者として改革を行ない、血統ではなく財産額の大小によって市民の参政
権を定めた(財産政治)
。これに続く改革をとおして、前5世紀半ば頃、世界で初め
てといわれる政治制度が生まれた。
このような政治制度を何というか、
答えなさい。
(ⅱ)無産市民も政治的発言力を得るきっかけとなった戦争(前 500~前 449)は何と
いわれたか、答えなさい。
(3)下線部②について、紀元前後頃のゲルマン人について、下の問いに答えなさい。
(i)ゲルマン人は数十の部族に分かれ、各部族が一人の王や数人の首長を持っていた。
貴族・平民・奴隷の身分差がすでに発生していたが、重要な決定は貴族と平民からな
る青年男性自由人の全体集会でおこなわれた。この全体集会は何といわれたか、答え
なさい。
(ⅱ)ゲルマン人の間には、貴族や自由民の子弟がほかの有力者から衣食や武器などを
与えられて保護してもらう代わりに、
有力者に対して忠誠を誓うという慣習があった。
この慣習は何といわれたか、答えなさい。
(4)下線部③について、下の問いに答えなさい。
(i)ゲルマン人の大移動によって深刻な打撃を受けなかった東ローマ帝国では、その
後、商業と貨幣経済が繁栄をつづけ、2つの要素を融合した独自の文化的世界が生み
だされた。この 2 つの要素とは何か、答えなさい。
(ⅱ)東ローマ帝国は、別名何と呼ばれたか、答えなさい。
(5)下線部④について、バルト海沿岸地帯からローマ帝国内部にゲルマン人が定住した
後、エルベ川以東とバルカン半島には東から別の民族が進出した。その民族は何とい
われたか、答えなさい。
(6)下線部⑤について、カール=マルテルがイスラーム軍を撃退した戦いは何とわれた
か、答えなさい。
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(7)下線部⑥について、西ヨーロッパ世界が独自の歴史を歩み始めるのは 800 年である
と言われている。この時以降、3つの要素が融合した新たな文化圏が形成された。
この3つの要素とは何か、答えなさい。
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(
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