報告書 - 日本ユネスコ協会連盟

カンボジア・スタディツアー報告書
2013.11.19~26
富山ユネスコ協会
夜 が 明 け 始 め 朝 日 を 背 に 幻 想 的 な 姿 を 現 す ア ン コ ー ル ワ ッ ト 2013.11.24
浜 手 基 親 氷 見 ユ 協 理 事 ,澤 田 み や 子 理 事 ,飯 田 國 彦 副 会 長 ,高 桑 幸 一 副 会 長 ,水 上 庄 子 副 会 長
訪問先
11 月 20 日 チ ョ ン ク ニ ア 、 11 月 21 日 コ ッ ク プ ノ ウ 、 タ ト ラ ウ
長 尾 恒 憲 理 事 ,松 波 孝 之 会 長 ,定 村 仁 志 事 務 局 長
2013.11.25 滞 在 先 の RE E ホ テ ル ロ ビ ー
表紙;チョンクニア寺子屋の子ども達や先生らと
1
2013.11.20
カンボジア・スタディツアー報告書
発 行
平 成 26 年 1 月
発行者
富山ユネスコ協会
印
とうざわ印刷工芸株式会社
刷
はじめに
富 山 県 ユネスコ連 絡 協 議 会 会 長
富 山 ユネスコ協 会 会 長 松 波 孝 之
当 協 会 として10年 目 を 迎 える「書 きそんじハガキ回 収 キャンペーン」の活動支 援 がど
う役立 っているか直 接 見 てきたいとの会 員 の希 望 でスタディツアーが計 画 されました。
今 回 のツアー目 的 は、次 の4点 と盛 りだくさんのプログラムでした。
①寺 子 屋 や小 学 校 を訪 ね富 山 の子 どもたちからのメッセージを伝 え交 流 する。
②ユネスコ世 界 遺 産 の視 察 と修 復 現 場 で歴 史 ・文 化 を学 ぶ。
③地 雷 博 物 館 などで戦 争 の悲 惨 さと平 和 への営 みを学 ぶ。
④「天 空 の杜 」 水 プロジェクトの開 始 式 に参 列 する。
平 成 25 年 11月 19 日 か ら26日 までの8 日 間 、カンボジア 王 国 シェムリアップ州 の各
地 を訪 れ、多 くの皆 さんとの貴 重 な交 流 を持 つことができました。
参 加 者 は、氷 見 ユネスコ協 会 からも参 加 をいただき総 勢 8名 。公 私 ともに多 忙 な中 、
「寄 せ書 き」やボールペン集 め等 の準 備 にも精 力 的 に取 り組 んでいただきました。還 暦
を過 ぎた方 々ばかりでしたが、早 朝 から、また酷 暑 の中 、汗 と埃 にまみれ、視 察 や子 ども
たち との交 流 に奮 闘 されました。年 齢 を感 じさせないエネルギッシュで積 極 的 な姿 に心
から敬 意 を表 します。
今 回 のツアーの特 徴 は、天 空 の杜 プロジェクトの開 始 式 と時 期 を同 じくできたことでし
た。(株 )富 山 環 境 整 備 松 浦 英 樹 社 長 はじめプロジェクト関 係 者 、日 本 ユネスコ協 会 連
盟 の野 口 昇 理 事 長 は じめ職 員 も 大 勢 同 行 し て、 寺 子 屋 を 訪 問 でき ました。 大 勢 の寺
子 屋 関 係 者 や子 ども達 に大 歓 迎 していただきました。「天 空 の杜 」ペットボトルやボール
ペンなどをうれしそうに受 け取 る子 どもの笑 顔 、「寄 せ書 き」のメッセージの説 明 に目 を輝
かせて聞 く子 どもたちと直 接 触 れ合 い、有 意 義 な交 流 の機 会 を持 つことができました。
ボールペンのプレゼントや心 温 まる「寄 せ書 き」をいただいた「ユネスコスクール」はじ
め多 くの方 のご協 力 により実 現 した交 流 であり、心 から感 謝 を申 しあげます。
今 回 のツアーでの報 告 が、「世 界 寺 子 屋 運 動 」の更 なる広 がりとカンボジアの発 展 に
少 しでも役 立 てば幸 いです。
2
目 次
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2
目 次 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
スケジュール
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4
ユネスコスクール寄 せ書 き交 換 など訪 問 準 備 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
寄 せ書 き(富 山 のユネスコスクールからカンボジアの寺 子 屋 へ)・・・・・
7
難 しいホテイアオイのコースター作 り(チョンクニア寺 子 屋 ) ・・・・・・・
9
薄 暗 い教 室 で識 字 学 習 (チョンクニア寺 子 屋 ・夜 の部 )・・・・・・・・・・・
10
顔 見 つめあって返 礼 の寄 せ書 き(コック・プノウ寺 子 屋 )・・・・・・・・・・・・
11
全 校 児 童 が並 んで出 迎 え(タトラウ小 学 校 )・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12
絵 本 読 みとカブト作 りで感 動 の交 流 (タトウラ寺 子 屋 )・・・・・・・・・・・・
13
カンボジアの寺 子 屋 からの返 礼 の寄 せ書 き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15
「天 空 の杜 」水 プロジェクト開 始 式 に 400 人 (シェムリアップ州 立 病 院 )・ 17
「チョムリアップスオ」昼 食 会 で会 長 あいさつ(リバーサイドホテル)・・・
19
日 本 ユネスコ協 会 連 盟 カンボジア事 務 所 訪 問 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20
ブッタさん家 族 招 きフェアウェル・パーティー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
21
歯 ブラシ使 って蛇 神 像 の修 復 体 験 (アンコールトム バイヨン寺 院 )・・
22
ガジュマルの巨 木 に目 見 張 るタ・プローム遺 跡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
23
世 界 遺 産 アンコールワット 長 く平 和 の象 徴 に・・・・・・・・・・・・・・・・・
24
「文 化 村 」ショーを堪 能 (アンコール カルチャー ビレッジ)・・・・・・・
26
魅 了 する「東 洋 のモナリザ」(女 の砦 バンテアイスレイ遺 跡 )・・・・・・
27
「川 底 の神 仏 の彫 刻 」…古 代 からの命 感 じるクバールスピアン・・・・・
28
天 空 の城 ラピュタを思 い起 こすベンメリア遺 跡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
内 戦 がもたらした極 度 の貧 困 (トンレサップ湖 クルーズ )・・・・・・・・・
30
地 雷 博 物 館 の実 相 を平 和 活 動 に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31
無 数 の骸 骨 が語 るものとは(ワット・ボー寺 院 キリング・フィールド)・・・
33
参 加 者 ・関 係 者 一 覧 表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
34
おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
35
3
スケジュール
日
平成25年11月19日~26日
現地時間
内容
場所、交通など
11:20
19 13:20~14:55
火 20:00~23:10
23:30~24:00
出発式
富山~上海(中国東方航空)
上海~シェムリアップ(〃)
空港~REE ホテル
富山空港国際線ロビー
MU9826 2 時間 35 分 昼食機内食
MU513 4 時間 10 分 夕食機内食
8:00~10:30
10:30~11:00
20 12:00~13:00
水 14:30~16:00
16:30~17:30
19:00~19:30
20:00~
アンコールトム
タ・プローム
昼食
チョンクニア寺子屋
トンレサップ湖クルーズ
チョンクニア寺子屋
夕食
バイヨンの遺跡修復作業体験・見学
ガジュマルに浸食された遺跡
カンボジア料理 MoiMoi
ホテイアオイでコースター作り
ボート上で軽食
識字クラス
REE ホテル内のレストラン
10:30~11:30
21 12:30~13:30
木 14:00~15:30
16:00~17:00
19:00~
コック・プノウ村寺子屋
昼食
タトラウ小学校
タトウラ寺子屋
日ユ招待ディナー
幼稚園クラス(途中プライマリースクール)
Orchidee クイティウ(ライスヌードル)
9:00~ 9:30
9:30~11:30
22 12:30~14:00
金 15:00~16:00
16:00~17:30
19:00~20:00
水プロジェクト開始式
州立病院施設見学
レセプション昼食
郡立病院、小児病院
日ユカンボジア事務所
夕食
ブッタ所長よりレクチャー
中華風カンボジア料理 Tropical
8:30~12:00
23 12:30~13:30
土 夕方~夜
19:00
アンコールワット
昼食 中華風カンボジア料理
アンコールカルチャービレッジ
夕食
Neary Khmer Retaurant
ジャヤバルマン7世ショー、他
REE ホテル
9:00~10:00
24 11:00~12:00
日 12:00~13:00
14:00~15:00
19:00~20:30
バンテアイスレイ(女の砦)
クバールスピアン
昼食(弁当)
ベンメリア
フェアウェルパーティー
8:30~10:00
10:00~11:00
25 11:00~12:00
月 12:30~13:30
19:00~20:00
22:50~4:00
地雷博物館
キリング・フィールド
ワット・ボー寺院
日本食レストランで昼食
中華レストランで夕食
シェムリアップ~上海
26 4:00
火 8:55~12:30
13:00
上海着
上海~富山
解団式
子どもたちとの交流
パラダイスホテル
シェムリアップ州立病院
リバーサイドホテル
東洋のモナリザ
川底の彫刻
天空の城ラピュタのような遺跡群
ブッタさん一家を招待マスタースキースープ
アキ・ラー館長の説明
処刑場
米咲(マイサ)
MU514 4時間10分(出発遅れ)
MU9825 2時間35分
朝食は REE ホテル内でバイキング、ホテル出発は毎日7:30~8:00
4
ユネスコスクール寄 せ書 き交 換 など訪 問 準 備
富 山 ユネスコ協 会 会 長
松波
孝之
平 成 25 年 5月 22 日 に日 本 ユネスコ協 会 連 盟 の寺 尾 明 人 事 務 局 次 長 、
ブッタカンボジア事 務 所 長 が富 山 を訪 れられ、中 央 小 学 校 の皆 さんにカン
ボジアの寺 子 屋 の活 動 状 況 などについて、お話 をして頂 きました。
ブッタ所 長 の中 央 小 学 校 訪 問 状 況 を伝 える 25 年 5 月 23 日 付 の富 山 新 聞
また、9月 に「天 空 の杜 」プロジェクトの調 印 式 に再 度 来 富 され、その際
にスタディツアーの訪 問 先 やお土 産 について相 談 をしました所 、カンボジア
の子 どもたちの必 要 なものとして筆 記 用 具 があり、3色 ボールペンも喜 ばれ
ること、更 に、寺 子 屋 のほかに小 学 校 を訪 問 し交 流 するプログラムもセットで
きるとアドバイス頂 きました。
それを受 けて、ユネスコスクールと寺 子 屋 が寄 せ書 きを交 換 出 来 れば、
今 後 の寺 子 屋 運 動 の継 続 と広 がりにつながる活 動 となるとの結 論 になり、
その趣 旨 をユネスコスクールへお願 いしましたところ快 諾 をいただきました。
また、これまで「書 きそんじハガキ回 収 キャンペーン」に協 力 していただい
た企 業 にも協 力 をお願 いしました。
その結 果 、寄 せ書 き 8 枚 、ボールペン 5,775 本 とたくさんのご支 援 をいた
だきました。本 当 にありがとうございました。
5
ボ ー ル ペ ン の 仕 分 け 作 業 な ど を 報 じ る 25 年 11 月 8 日 付 の 北 日 本 新 聞
ご協 力 頂 いた学 校 (ユネスコスクール)および企 業 ・団 体
富山市立中央小学校
北 陸 電 力 (株 )
富山市立寒江小学校
日 本 海 発 電 (株 )
富山市立五福小学校
北 電 技 術 コンサルタント(株 )
富山市立堀川小学校
北 電 テクノサービス(株 )
富山市立光陽小学校
北 陸 発 電 工 事 (株 )
富山市立神通碧小学校
(株 )北 陸 電 力 リビングサービス
氷見市立朝日丘小学校
(株 )ケーブルテレビ富 山
新湊作道保育園
富 山 縣 護 国 神 社 、他
6
寄せ書き(富山のユネスコスクールからカンボジアの寺子屋へ)
「寄せ書き」写真と一生懸命書いてくれたユネスコスクール児童・園児の皆さん
富山市立中央小学校
11 月 20 日チョンクニア寺子屋へ
富山市立寒江小学校
11 月 20 日チョンクニア寺子屋へ
新湊作道保育園
11 月 21 日コック・プノウ寺子屋へ
富山市立五福小学校
11 月 21 日タトラウ小学校へ
7
富山市立神通碧小学校
11 月 21 日タトラウ小学校へ
富山市立光陽小学校
11 月 21 日タトラウ小学校へ
富山市立堀川小学校
11 月 21 日タトラウ寺子屋へ
氷見市立朝日丘小学校
11 月 21 日タトラウ寺子屋へ
8
難しいホテイアオイのコースター作り
(チ ョ ン ク ニ ア 寺 子 屋 )
富 山 ユネスコ協 会 副 会 長
水上
庄子
トンレサップ湖 に浮 かぶ水 上 寺 子 屋 、
チョンクニア寺 子 屋 =写 真 上 = に午 後 3
時 頃 に到 着 。授 業 は始 まっていなく、
隣 に横 付 けされた小 学 校 の子 どもたち
と寺 子 屋 運 営 委 員 9人 が迎 えてくれ
た。
松 波 会 長 がガイドのチョムラーンさんの通
訳 を交 え、訪 問 の目 的 や地 図 を示 しながら
日 本 の富 山 県 から来 たことを話 した。子 ども
たちは、一 生 懸 命 理 解 しようと真 剣 な表 情
で聞 いていた。
寺 子 屋 運 営 委 員 の方 の説 明 によると、村 の人 口 約 8000 人 のうち文 字 の読
めない人 580 人 、その他 ベトナム難 民 300
人 が住 んでいるとのこと。2006 年 9月 に建
設 されてから1年 間 に 50 人 の人 々が学 び、
文 字 の読 み書 き指 導 、ホテイアオイで作
る工 芸 品 の技 術 指 導 、そして英 語 指 導
を受 けているそうである。公 設 電 線 から引
いた電 灯 、工 芸 品 のデザインや製 品 の多
様 化 、蔵 書 冊 数 の増 加 など、4 年 前 の訪 問 時 より確 実 に進 歩 していることを実
感 した。管 理 ・運 営 はほとんど自 分 たちで行 っていると誇 らしげに話 す運 営 委
員 の方 々を見 て、とても嬉 しかった。最 後 に、寒 江 小 学 校 からの寄 せ書 きとボ
ールペンを子 どもたちに手 渡 すと、笑 顔 で受 け取 ってくれた= 写 真 中 。寄 せ書 き
の内 容 を簡 単 に説 明 した後 、同 小 学 校 への寄 せ書 きを依 頼 した。
その後 、併 設 の図 書 室 に移 動 しホテイアオイのコースター制 作 体 験 = 写 真 下 。
先 生 役 の少 女 たちがにこやかに迎 えてくれた。すでに編 み始 めてありその続 き
を編 んだが、思 った以 上 に難 しく途 中 で断 念 した者 もいた。仕 上 げは少 女 たち
にお願 いし、出 来 上 がったコースターをそれぞれが持 ち帰 った。子 どもたちの技
術 の高 さには感 嘆 させられた。
9
薄 暗 い教 室 で識 字 学 習
( チ ョ ン クニア 寺 子 屋 ・ 夜 の 部 )
富 山 ユネスコ協 会 事 務 局 長
定村
仁志
トンレサップ湖 サンセットから午 後 6 時 半 ごろに戻 った。あたりは暗 くなり、外
灯 も少 なくて湖 上 にあるチョンクニア寺 子 屋 の道 は、粗 末 で急 な階 段 やはしけ
があって、少 し腰 が引 けながら注
意 して降 りた。たぶん、現 地 の人
は目 がいいし、バランス感 覚 がとっ
ても優 れているので、このつくりでも
ケガもせず、現 地 の生 活 様 式 に
合 っているのでしょう。
夜 の寺 子 屋 =写 真 上 = は、字 の書 けない大 人 から子 どもまでを対 象 にしてい
るが、学 習 していた約 30名 の生 徒 らに(年 齢 はよく分 からない)、松 波 会 長 から
富 山 市 立 中 央 小 学 校 から預 かってきた寄 せ書 きメッセージ『絆 』と、500 本 のボ
ールペンを寄 贈 し、大 変 喜 ばれ感 謝 されました。
寺 子 屋 はCLC(コミュニティー・ラーニング・センター)として村 の運 営 委 員 会
組 織 が自 主 的 に管 理 ・運 営 しており、贈 ったボールペ
ンは、村 の子 どもたちにも配 られたと、後 で聞 きました。
寺 子 屋 の建 物 には2教 室 と図 書 室 があり、2年 前
に電 気 が引 かれたが、教 室 には小 さな蛍 光 灯 が1灯 し
かなく、薄 暗 くて、学 習 環 境 は悪 い。生 徒 は先 生 から
教 えられた文 字 を、ノート大 の黒 板 にチョークで字 を書
く練 習 をしていました=写 真 下 。鉛 筆 や消 しゴムなどよ
り、繰 り返 し使 用 できる黒 板 の方 が、便 利 で、お金 もか
からないようです。
またクメール語 は、母 音 が 26 と子 音 が 33 で成 り
立 っていて、蛇 のクネクネ形 状 が多 くて、その文 字 は
みんな同 じような形 で複 雑 なものに私 には見 えました。
10
顔 見 つめあって返 礼 の寄 せ書 き
( コ ッ ク・プ ノウ 寺 子 屋 )
富 山 ユネスコ協 会 理 事
澤田
みや子
午 前 7 時 40 分 、 ホ テ ル を 出 発 。 雨 後 の 道
路陥没により2度のルート変更をしながら、
赤土の凸凹道を走行。途中、タソンのプライ
マリースクール(小学校)に立ち寄る。
校庭内の樹木の下に移動販売車(オートバ
イにリヤカーをつけたもの)が来ており、児童が買い求めている。7~
8人の男女児童がビー玉を使ったゲームをしているところに参加したり、
ジャンケン遊びをして交流=写真上。ルールは日本と同じで、グー・チ
ョキ・パーは、クラップライ・ビィー・フラーパー。不安そうな顔が次
第に笑顔になり、楽しい時間を過ごした。
10 時 16 分 、 よ う や く 目 的 地 コ ッ ク ・ プ ノ ウ 寺 子 屋 に 到 着 。 2013 年 6
月に設立された真新しい校舎の正面に富山ユネスコの名を記した銘板が
ある。幼稚園クラスの授業はすでに終了していたが、関係者が総出で出
迎えてくれた。
幼 稚 園 の 先 生 か ら 説 明 を 受 け る 。 幼 稚 園 ク ラ ス は 1 ク ラ ス 約 25 名 。
規則正しい生活習慣や挨拶の仕方を身に着けると同時に、小学校へ上が
るための土台作りに力を入れている。これにより、小学生の中途退学を
防 ぐ 効 果 が 期 待 さ れ る 。 識 字 ク ラ ス は 2 ク ラ ス 50 名 。 図 書 館 活 動 も 活
発に行っている。
運営スタッフに寄せ書きやボールペ
ンを贈呈するうち、授業が終了した。
小学生クラスが寄せ書きの返礼を書く
というので教室へ。紙を取り囲んで顔
を 見 つ め あ う 児 童 た ち = 写 真 下 。「 お 友 達 や ご 家 族 の 絵 、 今 日 の 感 想 、 何
で も 好 き な こ と を 書 い て 下 さ い ネ 。」 と 伝 え る 。
別れ際、識字教室に通う女性が「学校が出来て本当にうれしい。今ま
で村から出たことは一度もなく、初めて村の外の人にあった。がんばっ
て 勉 強 し た い 」と 頬 を 紅 色 さ せ 興 奮 気 味 に 語 っ た 言 葉 が 心 に 深 く 残 っ た 。
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全 校 児 童 が並 んで出 迎 え
(タトラウ小 学 校 )
富 山 ユネスコ協 会 副 会 長
水上
庄子
タトラウ小 学 校 には、約 150 人
の子 どもたちが学 んでいる。
到 着 した時 は、全 校 児 童 が校
庭 に整 然 と並 んで出 迎 えてくれた
=写 真 上 。子 どもたちは白 いシャツ
を着 て、女 の子 は紺 色 のスカート、
男 の子 は紺 色 のズボンを履 き、身
ぎれいにしているが、足 元 はサンダ
ルや裸 足 の子 も見 られた。やや緊 張 気 味 。お行 儀 よくするよう指 導 されたのか
な?
女 性 の校 長 先 生 から子 どもたちに歓 迎 の歌 を歌 わせたいという申 し出 があっ
た。手 拍 子 をしながら一 生 懸 命 歌 う子 どもたちの姿 を目 の当 たりにすると、ジー
ンとくるものがあった。
ここでは、五 福 小 学 校 、神 通 碧 小 学 校 、光 陽 小 学 校 からの寄 せ書 きとボー
ルペンを代 表 の子 どもに渡 した。寄 せ書 きの内 容 を説 明 している間 、珍 しそうに
見 入 っていた。
その後 、「天 空 の杜 」水 プロジェクトを実 施 する(株 )富 山 環 境 整 備 からペット
ポトルに入 った水 が全 校 児 童 一 人 一 人 にプレゼントされた。その場 でキャップを
開 け一 口 飲 んだ子 どもたちは、感 想 を求 められると口 々に「うまい」と笑 顔 で応
えていた。
その場 に参 加 した全 員 で記 念
写 真 を撮 る。「笑 って!」「にっこ
り!」と呼 びかけるが表 情 は硬 い。
「チョモチョモ」(?)と先 生 方 が声
をかけると、子 どもたちはにっこりと
笑 顔 になった=写 真 下 。
どうか、この子 どもたちが中 途 退
学 することなく、全 員 、無 事 に6年 間 の小 学 校 生 活 を終 了 しますように。
12
絵 本 読 みとカブト作 りで感 動 の交 流
(タトラウ寺 子 屋 )
富 山 ユネスコ協 会 副 会 長
水上
庄子
タトラウ小 学 校 から徒 歩 で数 分 のタトラウ寺 子 屋 。小 学 校 を中 途 退 学 した子
どもも通 学 しやすい位 置 に建 っている。訪 問 時 は、2012 年 から新 たに開 始 され
た復 学 支 援 クラスが行 われていた。
子 どもたちに堀 川 小 学 校 と氷
見 の朝 日 丘 小 学 校 のメッセージを
手 渡 した。寺 子 屋 訪 問 も最 後 とな
り、贈 呈 式 はスムーズに進 行 。ほ
っとした瞬 間 である。
図 書 室 をのぞいてみた。子 ども
連 れの夫 婦 が小 さい子 どもに本 を
見 せていた。窓 際 の椅 子 に座 って
真 剣 に本 を読 んでいる少 年 もいた。本 棚 に目 をやると、カンボジアの歴 史 本 の
中 にクメール語 に訳 した「ももたろう」などの日 本 の昔 話 の絵 本 がたくさん並 んで
いた=写 真 上 。日 本 の支 援 団 体 の寄 贈 と思 われる。図 書 室 は文 字 の習 熟 に
欠 かせない。ニーズに合 ったすばらしい支 援 だと感 心 した。
いよいよ念 願 の子 どもたちとの交 流 の時 間 。
最 初 は、読 み聞 かせ。日 本 から持 ってきた絵 本 、「しろくまのパンツ」を飯 田 さ
んが読 み聞 かせた= 写 真 左 。
13
ガイドのチョムラーンさんがカンボジア語 に通 訳 していよいよ始 まった。
時 々読 み間 違 えても愛 嬌 。笑 いを誘 った。最 初 に緊 張 していた子 どもたちも
読 み進 めるにつれ、笑 い声 があちこちから聞 こえてきた。外 から窓 越 しに聞 いて
いた少 年 も、おかしくてならない様 子 。身 を乗 り出 して参 加 していた。
次 は、現 地 のホテルで調 達 した新 聞 紙 でカブト作 り。澤 田 さんが指 導 し= 写
真左
=、他 の者 は個 別 指 導 に回 った=同 右 。出 来 上 がったカブトをかぶってハ
イポーズ。子 どもたちも指 導 した者 もみーんな笑 顔 。現 地 の先 生 は感 激 された
ようで、うっすらと涙 を浮 かべておられた。
同 行 した日 本 ユネスコ協 会 連 盟 の野 口 理 事 長 から「このような取 り組 みは初
めてです。よかったです」という言 葉 をいただいた。
最 後 に子 どもたちは歌 を歌 ってくれた。カブトをかぶって帰 宅 する子 どもの姿
が見 られ、とても嬉 しかった。
カブトをかぶり、寄せ書きを手にするタトラウ寺子屋の子どもたち
14
カンボジアの寺 子屋からの返礼 の寄せ書き
11 月 20 日 富 山 市 立 中 央 小 学 校 →
チョンクニア寺子屋
11 月 20 日 富 山 市 立 寒 江 小 学 校 →
チョンクニア寺子屋
11 月 21 日 新 湊 作 道 保 育 園 →
コック・プノウ寺子屋
11 月 21 日 富 山 市 立 五 福 小 学 校 → タ ト ラ ウ 小
コック・プノウ寺子屋
15
11 月 21 日 富 山 市 立 神 通 碧 小 学 校 →
タトラウ小学校
11 月 21 日 富 山 市 立 光 陽 小 学 校 →
タトラウ小学校
11 月 21 日 富 山 市 立 堀 川 小 学 校 →
タトラウ寺子屋
11 月 21 日 氷 見 市 立 朝 日 丘 小 学 校 →
タトラウ寺子屋
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「天 空 の杜 」水 プロジェクト開 始 式 に 400 人
(シェムリアップ州 立 病 院 )
富 山 ユ ネ スコ 協 会 理 事 長 尾
恒憲
貧 困 層 の 病 人 や 子 ど も た ち の 命 と 健 康 を 守 る こと を 目 的 と し て 、 日 ユ 協 連 と ㈱
富 山 環 境 整 備 が 協 働 で、 カ ンボ ジア 王 国 シ ェ ムリアッ プ 州 の 4 つ の病 院 と 1 5 村
の寺 子 屋 に対 し て 、 次 のプロ ジ ェク ト が今 後 3 年 間 行 わ れ る ことと なり、 2 5 年 1 1
月 2 2 日 ( 金 ) 午 前 8 時 30 分 か らキック オフ ( 開 始 式 ) セレ モニ ー が開 催 されまし た。
〇 飲 料 や医 療 用 に使 ってもらうため、富 山 環 境 整 備 が製 造 する富 山 の安
全 でおいしい 5 00 ミ リ リ ット ル 入 り の「 天 空 の 杜 」 水 を 1 5 5 万 本 提 供
〇 安 全 な水 の供 給 を 可 能 にす る 施 設 の整 備 と し て 、 太 陽 光 パネルを 用 い た
井 戸 水 の浄 化 装 置 を 設 置
〇 水 と 健 康 に 関 する 啓 発 活 動 のため 、 教 育 教 材 の 作 成 と 配 布
式 は州 立 病 院 において開 催 されましたが、到 着 するや少 年 少 女 音 楽 隊 演 奏
と 副 知 事 、 病 院 関 係 者 ら 約 400
人 の大 歓 迎 を受 け まし た。
お国 柄 もあって僧 侶 の読 経 に
始 まり、両 国 の国 歌 斉 唱 、少 女
達 の優 雅 な民 族 舞 踊 があった後 、
病 院 長 、プロジェクトに協 力 して
頂 いた 2011 年 ミス日 本 ミス着 物
&ボランティア協 会 代 表 新 井 寿
枝 さん、日 本 郵 船 ベトナム駐 在 責
任 者 持 田 悟 さん が挨 拶 。
続 い て 日 ユ 協 連 野 口 昇 理 事 長 よ り 、 「 大 勢 の 皆 様 のご 出 席 のも と 、 こ の“ 天 空
の杜 ” 水 プ ロジ ェ ク トキ ックオフ セレモ ニー を 開 ける ことを 心 より 感 謝 申 し 上 げま す 。
広 報 協 力 頂 い て い る ( 株 ) 電 通 及 び ミ ス 日 本 ボ ラ ンテ ィア 協 会 、 世 界 寺 子 屋 運 動
に 熱 心 に 取 り 組 ん で い る 富 山 ユ ネ ス コ 協 会 も 応 援 に 駆 け 付 け て 下 さ って い ま す 。
この事 業 を通 じて日 本 とカンボジアの人 との友 情 が更 に深 まることをお祈 りしま
す 」 と の挨 拶 があ り 、 ( 株 ) 富 山 環 境 整 備 松 浦 英 樹 社 長 = 写 真 左 端 =が「 第 一 次
として 、 1 29 , 60 0 本 を 送 らせ て 頂 き 、 当 病 院 に浄 化 装 置 を 設 置 す る 予 定 で す。 今
回 、 私 達 を 温 か く 迎 え て 頂 き 、 皆 様 の 前 向 き な 姿 に 感 動 し 、 何 と し ても プ ロジ ェ ク
トを成 功 させたい」と力 強 く述 べたのに対 し、副 知 事 から感 謝 の言 葉 がありまし
た。
17
その後 、松 浦 社 長 から副 知 事 へ、副 知 事 から病 院 長 へと水 の贈 呈 があり、議
会 議 長 から富 山 環 境 整 備 と日 ユ協 連 、日 本 郵 船 に対 し感 謝 状 の授 与 、日 本
側 出 席 者 全 員 にスカ ーフ がプ レ ゼント され て 式 を 終 えまし た。
血 液 センターで透 析 を受 けている患 者 や病 室 の
患 者 に、松 浦 社 長 や松 波 会 長 、ミス日 本 ミス着 物
新 井 さん=写 真 =らがペットボトルを手 渡 し、「元 気
になって下 さい」と激 励 して回 りましたが、患 者 や職
員 が何 とも言 えない笑 顔 で応 じてくれたのが印 象
的 でし た。
州 立 病 院 はス タ ッ フ 約 1 80 人 、 約 3 0 0 床 と の こと です が 、 式 後 、 患 者 へ の 水 の
贈 呈 と 浄 化 装 置 設 置 の起 工 式 が行 わ れまし た。
起 工 式 は 中 庭 奥 で 行 われ 、 井 戸 に 紐 で 結 ん だくす 玉 を 吊 り 下 げ、 結 ん だ 紐 に
ナ タを 当 て 、 バ ッ ト の よ う な 物 で 叩 き 切 っ て く す 玉 を 投 下 し た 後 、 参 加 者 各 々 がセ
メ ント とグミ ネと いう 白 い 花 を 投 げ入 れ 香 水 を ま いて 、 工 事 の 安 全 と 成 功 を 祈 念 致
しまし た。
ソト ニ コ ム 郡 立 病 院 とア ン コ ー ル 小 児 病 院 サ テ ラ イ トク リ ニ ッ クを 訪 問
郡 立 病 院 は 基 本 的 医 療 と 簡 単 な 手 術 がで き る 病 院 で 、
3郡 からの患 者 を受 け入 れています。結 核 、高 血 圧 、エイ
ズが問 題 で、マラリアは少 なくなっているが、最 近 ではメンタ
ル患 者 が増 えて いる そ うです 。
水 の確 保 が大 きな問 題 であり、特 に乾 季 は深 刻 とのこと
です 。 有 料 と 無 料 病 棟 があり 、 貧 しい 人 には 、 N GO が治 療
費 や輸 送 費 を負 担 するそうで、日 本 の援 助 による救 急 車
も2 台 配 備 され てい まし た。
小 児 病 院 ではイギリス人 看 護 師 ヘレンさ
ん(埼 玉 県 越 谷 に住 んでいたとかで日 本 語
が上 手 ) = 写 真 上 = か ら説 明 を 聞 き まし た。
1 日 に 約 8 0 人 の 来 院 があり 、 2 4 あ る 各 地
区 のヘ ルスセ ンタ ーで は 簡 単 な 治 療 や 出 産
等 を 行 って いる が、 衛 生 面 や 産 後 の子 育 て
等 に問 題 があり 、そ の点 の教 育 が必 要 で あ
ると のこと でし た。
入 院 し てい る子 ども たち に、 絵 本 と 折 り 紙 を プレ ゼントし まし た= 同 下 。
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「チョムリアップスオ」 昼 食 会 で松 波 会 長 あいさつ
(リバーサイドホテル)
富 山 ユ ネ スコ 協 会 副 会 長 高 桑
幸一
「 天 空 の 杜 プロジ ェ ク ト 」 のレ セ プ シ ョ ン 昼 食 会 が、 来 賓 、 病 院 関 係 者 が 出 席 し
て 開 催 されまし た。
松 波 会 長 =写 真 右 側 = のカンボジア語 と英 語 の挨 拶 で昼 食 会 が始 まり、美 味
しいカ ンボジア 料 理 や 搾 り 立 て のパイ ナッ プ ルジ ュ ー スを 頂 き まし た。
松 波 会 長 挨 拶 (抜 粋 )
【 「チ ョ ム リアッ プ スオ ( 皆 さん こ ん にち は ) 」
「 天 空 の 杜 プロジ ェ ク ト 」 は 、 ( 株 ) 富 山 環 境 整 備 の 松 浦 英 樹 社 長 様 から、 安 全
な水 に恵 まれない地 域 に富 山 の水 を送 りたいとの申 し出 が富 山 ユネスコ協 会 に
あり、日 本 ユネスコ協 会 連 盟 に相 談 をしたことから始
まりました。この申 し出 に対 して本 日 ご出 席 の皆 様 の
ご理 解 とご協 力 をいただき実 現 しました。このプロジェ
クトのきっかけに携 わった1人 として大 変 に喜 ばしく、
実 現 にご 尽 力 され た皆 様 に感 謝 と 敬 意 を 表 し ます 。
さて、富 山 ユネスコ協 会 は、ユネスコの願 いでありま
す 戦 争 のな い 平 和 な 世 界 の 実 現 に 向 け て 、 様 々 な 活
動 をしています。その一 つとして「世 界 寺 子 屋 運 動 」
があり ま す 。 「 書 き そ ん じ ハ ガ キ 回 収 」 「 募 金 」 活 動 で ア
ンコール寺 子 屋 プロジェクトを支 援 しています。この活
動 に富 山 県 内 の多 く の学 校 が 参 加 し て くれ ていま す 。
今 回 、 コ ッ ク ・ プ ノウ 寺 子 屋 や タ ト ラ ウ 小 学 校 な ど を 訪 問 し 、 富 山 の 学 校 の 子 ど
もたち か ら預 かっ たメッ セージ を 伝 え、 交 流 を 深 める ことも でき まし た。
今 回 のカンボジアでの交 流 を富 山 の子 どもたちに報 告 し、活 動 の輪 を広 げて
まいり ま す。 有 難 う ご ざい まし た。」 】
メンバー最高齢の飯田さん。
健康管理には人一番気をつけて、食べ物はいつもたしなむ程度。
しかし、バイキング料理の全皿制覇、雑炊、おかゆ 2 杯、オムレツ、
フルーツ、ヨーグルト、コーヒー…って、たしなむ程度?
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日 本 ユネスコ協 会 連 盟 カンボジア事 務 所 訪 問
富 山 ユ ネ スコ 協 会 副 会 長 高 桑
幸一
ブッ タ 所 長 と 所 員 の 皆 さん に活 動 状 況 につ い てお 聞 き しまし た。
鴨 志 田 さん ブッタ所 長
バンタイさん ソワンさん ソフィアップさん ラヴィ副 所 長
2 00 6 年 に事 務 所 を 設 立 し 、 寺 子 屋 を 作 っ て 先 生 を 教 育 し 、 教 育 の 機 会 がな
かっ た人 に基 礎 教 育 を 行 っ た結 果 、 5 0 % 以 下 だっ た識 字 率 が 8 2 % に向 上 し て
いる 。
全 国 で 2 番 目 に貧 し い 州 だっ たシ ェ ムリ アッ プ 州 で ス
タ ー トし 、 養 鶏 、 養 豚 、 ホ テイア オイ の加 工 な ど 村 の 人 が
やり たい 事 業 を 選 んで 職 業 訓 練 も 行 っ てい る 。
今 後 、 全 1 5 郡 で 寺 子 屋 運 動 を 進 め てい く。
世 界 遺 産 の 保 全 活 動 も 行 っ て おり 、 塗 り 絵 や ア ンコ
ールワッ ト に行 っ ても らう 活 動 な どで 遺 産 の重 要 性 を 教
えてい る 。
スタデ ィツ ア ーの受 け 入 れや 大 学 生 同 士 の 交 流 な ど 、
事務所外観
日 本 と カ ンボジ ア の国 際 理 解 の促 進 にも 努 めてい る 。
カンボジアの牛はやせてますね。と日ユ協連の寺尾次長に話すと、
「 No!
日本の牛が肥満なのだ」と即答
カンボジアでは牛も人もよく働くためか、筋肉質でメタボは0。
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ブッタさん家 族 招 きフェアウェルパーティー
富 山 ユ ネ スコ 協 会 副 会 長 高 桑
幸一
マスタースキスープというタイスキのお店 で、ブッタ所 長 の家 族 (奥 さまのシフォンさん、
長 男 の レ ノ さん ( 大 学 2 年 ) 、 次 男 の フ ィ ラン さ ん ( 高 校 3 年 ) 、 長 女 の ワ セ イ さ ん ( 中
学 3 年 ) ) を お 招 き し 、 フ ェ ア ウェ ル パ ー ティ ー を 開 催 し ま した 。
ブッタ所長、シフォンさん、ワセイさん、フィランさん、レノさん
ブッタ所 長 から寺 子 屋 の子 どもたちからの寄 せ書 きを頂 き、内 容 を説 明 して頂
いた後 、 家 族 を 紹 介 頂 きまし た。
シフォンさんは多 くの日 本 人 と同 席 したのは初 めてだと、喜 んで頂 きました。長
男 &次 男 は中 国 系 の奥 さん似 で、長 女 はブッタさん似 に見 えました。長 男 のレノ
さん は 経 営 学 と 英 語 を ダ ブ ルで 学 び 、 次 男 の フ ィ ラ ン さん は 医 師 に な りたい そ う で
す 。 皆 さん 日 本 語 ク ラ スに所 属 し て いる そ うで 、 日 本 に留 学 を 希 望 し てお られ ま す
か ら 、いつ か 富 山 で お 会 いし たい です ね 。
私 たちも、あっさりしたタイスキ料 理 にほっとし、アンコール・ビールとともに美 味
しく頂 き まし た。
おなかの調子が悪くて何も食べられないメンバーも、このタイスキは食
べることが出来ました。
しかし 、下 痢止め を ビール で流し 込んで いては 、治 るはず が ありま せん 。
帰国してから調べると、正体はサルモネラ菌による食中毒でした。
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歯 ブラシ使 って蛇 神 ナーガ像 の修 復 体 験
(アンコールトム バイヨン寺 院 )
富 山 ユ ネ スコ 協 会 事 務 局 長 定 村
仁志
上海からの飛行機が遅れ、深夜にホテル到着。現地ツアー初日、午前7
時30分にロビー集合、全員が寝不足気味だがスケジュールどおり行動。
アンコールトム南大門から入って、8時過ぎから、修復作業に携わってい
る JASA( 日 本 国 政 府 ア ン コ ー ル 遺 跡 救 済 チ ー ム ) の 石 塚 充 雅 さ ん に 修 復
事業のレクチャーを聞く。アンコール遺跡はかって危機遺産のひとつで、
日 本 政 府 が 遺 跡 救 済 チ ー ム を 作 っ た の が 1994 年 。 そ の 後 N G O の J S T
(日ユ協連支援)と両輪となって、遺跡の環境整備や人材育成、修復活動
事業に20年間取り組んでいる。
バ イ ヨ ン 寺 院 外 回 廊 の 修 復 期 間 は 2012 年 ~ 2016 年 計 画 で 実 施 し て き て
いる。最も重要なことは人材育成であり、カンボジア人による技術移転継
承ができるようにすること。
アンコールトムは四面仏の塔がたくさんあり、その穏やかな微笑をあち
こちで見かけ、膨大な彫像と巨石による遺構に圧倒させられた。またシン
ハ 像( ラ イ オ ン )と ナ ー ガ 像( 蛇 )、バ イ ヨ ン 寺 院 に は ガ ル ー ダ 像( 鳥 人 間 )
も あ る 。 そ れ ら が 1900 年 代 フ ラ ン ス 植 民 地 時 代 に 持 ち 出 さ れ た り 、 崩 れ
防止の鉄筋補強がされていたり、砂岩なので自然に崩れた石が散乱してい
る状態。修復事業は一つひとつ元に戻すため、記録にとって、安定した状
態に石を置く作業を気長にやっているとのこと。
我々はナーガ像が彫られて
いる石の洗浄作業を体験=写
真。水を浸したスポンジで、
石をぬらし、歯ブラシなどで
砂や枯葉などゴミを取り除く
こ と 。 800 年 前 に 彫 刻 さ れ た
石を触っていることに緊張感
を覚えて、ヘルメットを伝っ
て流れる汗に清々しさを実感
で き た 。 重 機 を 使 っ て 修 復 し て い る チ ー ム も い た が 、現 地 チ ー ム( 6 人 の
うち5人が村人)が行っている修復の石積みは人力作業で、誰一人靴は履
か ず に 素 足 の ぞ う り 履 き 、手 袋 も し て い な く て 労 働 安 全 上 考 え さ せ ら れ た 。
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ガジュマルの巨 木 に目 見 張 る タ・プローム遺 跡
富 山 ユ ネ スコ 協 会 事 務 局 長 定 村
仁志
アンコールトムの東にあるタ・プロー
ム は 、 ジ ャ ヤ バ ル マ ン 7 世 が 11 8 6 年 に
建てた大乗仏教寺院。西門から入り東西
1 km 南 北 600m の 長 方 形 敷 地 に あ る 遺
跡は、多くが倒壊していて、僧侶らが1
万人以上住んでいたとは信じられない思
いがした。
巨大な根が石造建築を覆い尽くすガジ
ュマルの木、天高く伸びる姿やはびこる
多岐の太い根に異様な光景をつくり=写
真上=、熱帯地方の植物がもつ自然の力
にびっくりする。しかしながら、樹木の
成長が石造り寺院を崩していく一因でもあり、遺産との共存について不思
議なアンバランスに、人間が何処まで手を加えればよいのかと考えさせら
れる遺構であった。
また、ここでもヒンズー教と
の宗教対立で、顔が削られたお
釈迦様の彫像=写真下=もあっ
て、過去に争った痕跡も印象的
だった。
なお、どの遺跡でも同じだが、
観光客相手に出入口付近の物売
りには閉口させられる。真剣に
売って稼ごうと子どもが日本語
で話しかけてきて、最初は可哀
想で、やむを得ず買ったこともある。また、内戦で地雷を踏み足や手のな
い人たちが演奏する楽団もいて、前を通るとき音色を聞きながら、複雑で
神妙な思いをして足早に通り過ぎた。
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世 界 遺 産 アンコールワット 長 く平 和 の象 徴 に
氷見ユネスコ協会理事
浜手
基親
カ ンボ ジ ア へ行 っ たこと がない 人 、 ユ ネ スコ 活 動 に 詳 し く な い 人 で もお そらくア ン
コ ー ルワ ッ ト の 写 真 や 映 像 を 一 度 は 見 た こ と が ある ので は な い か 。 1 9 92 ( 平 成 4 )
年 に世 界 文 化 遺 産 になったアン
コールワットは知 名 度 が高 く、存
在 は人 類 の共 通 、共 有 の財 産 と
いえ よう 。
現 地 訪 問 は初 。5 日 目 、11 月
2 3 日 ( 土 ) 午 前 。 陽 は かな り高 い 。
気 温 は 30 度 を超 えている。噴 き
出 す汗 をぬぐい自 分 の位 置 とワッ
ト と の 距 離 を 目 測 。 真 正 面 か ら 見 え る の は 、 俗 に ト ウ モ ロ コ シ 形 と 呼 ばれ る 黒 っ ぽ
い 3 塔 だが、 すぐ 近 付 け な い 。 長 さ 数 百 ㍍ の 西 参 道 を 大 勢 の 観 光 客 と と も に進 む 。
石 畳 の参 道 の右 半 分 は平 らで歩 きやすいが、左 半 分 はでこぼこで通 れない。外
国 な ど の 支 援 で い っ たん は 修 復 し たが、 そ の 後 の 内 戦 で 戦 車 が 通 り 、ま た大 雨 な
ど の自 然 災 害 も あっ て 左 半 分 は 通 れ な く な っ て い る 。 だが、 参 道 の 両 脇 は 塔 を 水
面 に映 す 環 濠 、 緑 の 樹 林 に 青 く 澄 ん だ空 が 広 がり 、 美 しい 空 間 に 見 とれ る 。
地 元 ガイドによると、ワットは寺 、アンコ
ー ル は 町 の 意 。 ク メ ー ル 時 代 ( 9 ~ 15 世
紀 ) の 1 2 世 紀 中 ご ろ、 王 のスー リャ バ ルマ
ン 2 世 が建 造 し た。 築 材 は 山 か ら 切 り 出
し た砂 岩 と ラテ ライ ト ( 紅 土 ) 。 接 着 材 は 使
わず、すべて石 組 みだ。早 速 、3 重 の回
廊 を見 て回 る。第 一 回 廊 の外 壁 には 30
年 ほど 前 の内 戦 時 の 弾 跡 があっ た。
現 在 、カンボジア国 民 の大 多 数 は仏
教 徒 だが、元 はヒンズー教 。乳 海 撹 拌 と
名 付 けられたヒンズー教 の天 地 創 造 の神
話 は、神 々と阿 修 羅 が左 右 に分 かれ大 蛇 の綱 引 きをする長 大 なレリーフ。上 段
24
に天 国 、中 央 に裁 判 を司 る神 、下 段 に地 獄 を描 いたレリーフは、閻 魔 大 王 が現
世 で悪 業 を繰 り返 した人 間 の舌 を抜 き、地 獄 に突 き落 とす仏 教 のおしえを説 く。
古 代 の 国 家 や 民 族 の 叙 事 詩 、 神 話 な ど がワ ッ ト 内 に あふ れ 、 長 い 間 の 宗 教 戦 争
の歴 史 も 学 べる 。
1 60 0 年 代 、 江 戸 時 代 に イ ン ド の 祇 園 精 舎
と勘 違 いしてワットを訪 れた日 本 人 の墨 書 跡
や王 の勇 ましい戦 記 物 語 、沐 浴 したといわれ
る場 所 なども見 た。急 階 段 を慎 重 に昇 り、ワッ
ト のシ ンボ ルである 高 さ 6 5 ㍍ の中 央 祠 堂 を 目
指 した。ここからの眺 めをわが目 に焼 き付 けた。
下 りで転 ばないよう注 意 しながら歩 を進 めた。
欧 米 、 中 国 、 韓 国 か ら の観 光 客 も 中 央 祠 堂 を
昇 り降 りしていた。男 女 の性 器 を模 して生 産 、
豊 穣 を祈 るとともに、魔 よけや病 気 はらいの祈
とうをする石 造 りの台 跡 なども見 た。台 に掘 っ
た溝 からあふれ落 ちる聖 水 を口 に含 む儀 式 が
かつ て 行 われ てい た。
ア ンコ ー ルワッ トは 東 西 約 1 ・5 ㌔、 南 北 約 1 ・ 3 ㌔ の環 濠 に 囲 まれ 、 寺 院 自 体
の大 き さは 幅 ( 南 北 ) 約 1 9 0 ㍍ 、 長 さ( 東 西 ) 約 6 0 0 ㍍ 。 王 は 自 分 の死 後 、 墓 を
意 識 して西 側 を正 面 に建 造 したとの説 もある。朝 焼 けのシルエットや夕 日 を浴 び
た 姿 が 美 し く 、 夜 明 け 前 か ら カ メ ラを 構 え た り 、 サ ン セ ッ ト に 合 せ て 集 まる 人 た ち で
西 参 道 前 広 場 は 大 に ぎわ い だとい う 。
世 界 的 な 観 光 地 にな るま で のア ンコー ルワ ッ ト は 、 カ ンボ ジ ア の民 族 、国 家 、 宗
教 な ど の さまざま な 対 立 を 静 か に 見 つ め て き た。 平 和 な 時 代 を 迎 え て約 2 0 年 。
上 智 大 など日 本 からの修 復 事 業 も進 められている。カンボジア、クメールの平 和
拡 大 と 文 化 発 展 がま すま す 強 固 にな る よう 祈 り たい。
(写真上は、カンボジア国旗のデザインにもなっているアンコールワット。環濠に
は睡蓮の赤い花が浮かんでいたが、乾季で水量は少なかった)
(写真中は、繊細な模様を彫った女性像のレリーフ。叙事詩や神話、物語などを記
録、保存している)
(写真下は、8 本の腕を持つヒンズー教のヴィシュヌ神立像。高さは約 4 ㍍)
25
「文 化 村 」ショーを堪 能
(アンコール カルチャー ビレッジ)
氷見ユネスコ協会理事
浜手
基親
5 日 目 、 1 1 月 2 3 日 ( 土 ) 午 後 か ら 夜 は 、 ホテルか ら徒 歩 1 0 分 ほ どの観 光 テー
マパ ーク ・ ア ンコー ルカ ルチ ャ ー ビレッ ジ ( 日 本 人 向 け 名 ・ ぶ ん か む ら) へ全 員 で 出
掛 け た 。 カ ンボ ジ ア の 歴 史 や 文 化 がシ ョ ー 形 式 で 楽 し め る 場 所 で 、 外 国 か らの 観
光 者 だけ で なく 、 地 元 の家 族 連 れ らも 休 日 に 多 く 訪 れ ると いう 。
結 婚 式 の演 目 では、客 席 から手 を挙 げた男 性 観 光 客 が婚 約 者 を募 集 中 の
美 しい村 娘 の相 手 役 に選 ばれて舞 台 に上 がった。男 性 は韓 国 人 らしく、舞 台 の
そでで民 族 衣 装 に着 替 え、娘 役 の美 人 女 優 と掛 け合 いでダンスを踊 ると、明 る
いお 色 気 と コミカ ルな 動 き が笑 いを 誘 っ てい た。
最 大 の 呼 び 物 は 、 ア ン コ ー ル ト ムを 築 い たジ ャ ヤ バ ルマ ン 7 世 のシ ョ ー 。 兵 士
役 らし い ダ ンサ ー が 空 中 か ら 飛 び 降 り る な ど 、 い く さの 場 面 を ダ イ ナ ミ ッ ク に表 現 し
たかと 思 うと 、縦 横 2 0 ㍍ 余 り の白 幕 が落 ち た 瞬 間 、 バ イヨ ン寺 院 の 大 き な 仏 像 が
夜 空 に浮 かび上 がり、王 の偉 大 さを演 出 した。優 美 なアプサラダンスが舞 台 いっ
ぱ い に 広 が り 、 光 と 音 を 効 果 的 に 使 っ たミ ュ ー ジ カ ル 仕 立 て の 内 容 で 大 い に 楽 し
めた。
すべ て 見 終 わり 、 帰 途 はバイ ク タク シー のト ゥ クト ゥ ク 2 台 に分 乗 し て 宿 舎 のリ ー
ホテルに戻 った。
ショーが終わり、観光客も舞台に上がって思い出づくりの記念写真
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魅 了 する「東 洋 のモナリザ」
(女 の砦
バンテアイスレイ遺 跡 )
富 山 ユネスコ協 会 理 事
澤田
みや子
「女の砦」ともいわれるバンテアイスレイ遺跡=写真上=は、ア
ン コ ー ル ワ ッ ト よ り 250 年 程
前 の 967 年 頃 、ラ シ ェ ド ラ バ
ルマン2世により建設された
ヒンドゥー教寺院で、シバァ
神とヴィシュヌ神に捧げられ
た。
他 の 寺 院 と は 異 な り 紅 色
砂岩とラテライトで造られ、
1910 年 に 発 見 さ れ た 。
門 を 入 る と 、男 女 を 意 味 す る リ ン ガ と リ ョ ウ ニ が 置 か れ て い て 参
道となるが、長くはない。
塔 に は 、シ バ ァ 神 と ウ マ 神
の結婚にまつわる物語が綴ら
れており、頭部が鳥や猿とい
った動物で体が人間の彫刻が、
細かく深く刻まれている。
特に、塔門の両脇に刻まれ
た「東洋のモナリザ」と称さ
れる女人像=写真下=は、陰
影のコントラストの美しさも
相 俟 っ て 、深 く 印 象 に 残 っ た 。
植民地時代、かのフランス人作家アンドレ・マルローが4体のモ
ナリザを盗掘し、途中で逮捕されたというのも、むべなるかな…と
思われる程だが、一方、罪の代償として遺跡の修復をさせたという
話も興味深く思われた。
27
「川 底 の神 仏 の彫 刻 」
古 代 からの命 感 じるクバールスピアン
富 山 ユネスコ協 会 理 事
澤田
みや子
シェムリアップ川 の源 流 があるクレー山 西 部 の麓 に到 着 。「40~50分 歩
きます」の声 で出 発 。地 雷 撤 去 の後 に植 えられたリージンの若 木 が育 つ平
坦 な道 は1分 程 。5分 もすると顔 中 汗 にして、「“川 底 にある神 仏 の彫 刻 ”い
う け ど 、 山 登 り !? 」 む き 出 し の
岩 が行 く手 を阻 み、絡 み合 う
樹 の根 を踏 み越 え潜 り抜 け、
喧 しいほどの蝉 時 雨 の中 、3
ヶ所 の休 憩 所 を過 ぎてやっと
細 い流 れに行 き合 う。少 し開
けた場 所 に清 流 の音 。いつの
間 にか蝉 の声 も止 んでいる。
浅 いが勢 いのある流 れの川 辺 に、川 底 に、確 かに神 仏 が彫 られていた=
写 真 上
。リンガの上 を流 れた水 は聖 水 と化 し、シェムリアップ全 土 を潤 し、子
育 て、豊 穣 に帰 するという。
少 し下 って小 さな滝 がある。指 先 にとまった蝶 =同 下 = や
落 葉 に蹲 る蛙 に、古 代 から脈 々と受 け継 がれてきた命 を感
じた瞬 間 であった。
オプショナルツアーに同行した宮森さんは一人旅。
危なくないかと聞くと、プノンペンで
無理やりカードゲームに誘われて 5 万円
を盗られたと言う。
ベトナムで会った女の子は首にかけていた
バッグを引っ張られて骨を折ったそうだ。
海外に出かけて一番感じるのは、
日本の安全、日本の水と和食の美味しさ。
28
天 空 の城 ラピュタを思 い起 こすベンメリア遺 跡
富 山 ユネスコ協 会 理 事
澤田
みや子
アンコールワットを平 面 化 したような遺 跡 。祠 堂 の配 置 や十 字 回 廊
など構 造 上 の類 似 点 も多 く、「東 のアンコールワット」と呼 ばれている。
入 口 は東 西 南 北 4ヶ所 。南 門 から入 る。長 く伸 びる参 道 の両 脇 にガ
ルーダがいる。最 近 地 雷 撤 去 作 業 が終 了 したばかりで、遺 跡 の修 復
はほとんど行 われておらず、発 見 当 時 の様 子 がうかがえる。
「天 空 の城 ラピュタ」と呼 ばれるの
は、遺 跡 の上 に落 ちたガジュマル
の種 が深 く根 を下 ろし、そのまま育
って枝 は天 空 に届 けと伸 び、根 は
塔 を包 み込 むように伸 びている状
態 からとか…。壊 れたままの回 廊 や、
うず高 く積 まれた塔 や彫 刻 の破 片
が往 時 を偲 ばせた。
「天 空 の城 ラピュタ」のモデルになった遺 跡
天空の城に近づいて写真を撮ろうと草むらに入った時、ガイドさん
ナマ
ジ
ライ
に「そこには生地雷があって危ない」と注意され、びっくりして道
に戻った。
カ ン ボ ジ ア に は 600 万 個 の 地 雷 が 埋 め ら れ 、今 で も 事 故 に あ う 人 が
絶えないとガイドブックに書いてあったので、クワバラクワバラ。
しかし後で、生地雷とは牛の糞だと聞いて、皆大笑いでした。
29
内 戦 がもたらした極 度 の貧 困
(トンレサップ湖 クルーズ)
富 山 ユネスコ協 会 事 務 局 長
定村
仁志
トンレッサップ湖に沈む綺麗な夕陽=写真上=
を見ようと、日ユ協連の方らと10数名が小型船
に乗り込む。
出港時に、船長の?二人の子どもが飛び乗って
きて、お客に肩もみのサービスをしだしたが、な
んとチップを要求されて唖然。また、湖の真ん中
で、突然けたたましいエンジン音を立てて近づく
2人乗りの舟、何があったのかと思っていると、
子どもが飛び乗って缶ビールや缶コーラなどを売りにきた。自分は
ビールを買ったが少し高い。戻る際もサーカスみたいに小さな舟へ
飛び移る。操縦する母?から余り売れなかったことに、何か叱られ
ているような後姿が、暮れかかる湖の中に可愛そうな思いをした。
水上生活ではドラム缶の上
に載せたボートハウス=写真
下 = や 高 床 式 ト タ ン 屋 根 の 家
屋があり、魚網、買い物する
舟、ハンモックにゆれる人、
などが目に付き、家畜も同居
生活。そんな中でとてもひど
い信じられない光景をみた。そこはベトナム難民が集まっていると
ころ。通り過ぎるときに、あたりの異臭に鼻が曲がってしまった。
そこでは食器を洗う人、服を着たまま身体を拭く若い女の人、洗濯
をしている人、ゴミが浮かび今にもつぶれそうなぼろ家で暮らす
人々、電気も水道もガスもないところでの生活は、不衛生極まりな
いものであって、その貧困さに驚かされる。カンボジア政府は難民
に土地を買わせない方針だとか、一生をこんな中で暮らすのかと思
うと、同じ人間として気の毒で、何かしらしてあげられないのかな
と、考えさせられた。
30
地 雷 博 物 館 の実 相 を平 和 活 動 に
富 山 ユネスコ協 会 副 会 長
飯田
國彦
地 雷 博 物 館 =写 真 上 = は、アキ・ラー氏 によって、少 年 兵 としてではあっ
ても、戦 争 に関 わったひとりの人 間 としての贖 罪 の念 と、孤 児 ・遺 児 ら犠 牲
者 のこれからの幸 せを願 って、
自 費 で建 設 されたものです。
地 雷 博 物 館 では、地 雷 の非
人 道 的 な悲 惨 さを目 の当 たりに
することができました。私 たちの
活 動 は 、 “ Think
globally,
Act locally”で、ESD などの地
道 な活 動 を展 開 する際 にも、そ
の根 底 には強 い「平 和 希 求 」の精 神 を秘 めていなければならないと思 いま
す。
ユネスコのリーダーと目 される人 たちには、いつも「世 界 平 和 」に目 を光 ら
せていることが求 められ、ユネスコ憲 章 前 文 の「心 に平 和 の砦 を築 かなけれ
ばならない」の精 神 に則 って、あらゆる戦 争 に反 対 を表 明 することが不 可 欠
なのではないでしょうか。
アキ・ラー氏 は平 和 への情 熱
の持 ち主 であり、実 践 者 です。
アキ・ラー氏 はこれまで多 くの地
雷 撤 去 に関 わり、それらの一 部
が博 物 館 に展 示 されていますが、
今 なお組 織 的 に撤 去 作 業 を行
っています。その撤 去 作 業 は、
今 後 少 なくとも7~8年 は必 要 と
のことです。
元 兵 士 だ っ た ア キ・ラ ー 地 雷 博 物 館 長
また、アキ・ラー氏 は内 戦 の孤 児 ・遺 児 ・障 害 者 のための寺 子 屋 様 の教
育 施 設 を3軒 建 設 して、運 営 しています。アキ・ラー氏 は、それに携 わってい
る先 生 方 へ月 30ドルの給 与 を支 給 しているとのことです。因 みに公 立 小 学
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校 の先 生 の給 与 は月 80ドルであるとのことであり、いずれもアルバイトをして
生 活 を支 えながらの社 会 貢 献 活 動 となっています。
活 動 は寄 付 金 とお土 産 物 販 売 で賄 われていますので、寄 付 するとともに、
孤 児 たちが描 いた絵 ハガキなどをお土 産 に購 入 しました。
この奥 には、まだ地 雷 があるという目 印 の旗 があちこちに設 置 されていま
した。
地 雷の危 険区 域 を示 す 標識
手 製 の 木 製義足
旅行中、紛失騒ぎが毎日発生
・ E チ ケ ッ ト が な い ・・・グ ル ー プ だ っ た か ら セ ー フ ( 単 独 だ
と??)
・ チ ッ プ を 置 き 忘 れ ・・・そ の せ い で は な い で し ょ う が 枕 の 上 に
雑巾が!
・ カ メ ラ を レ ス ト ラ ン に 忘 れ 、ガ イ ド さ ん に 電 話 し て も ら い ま
す が 見 つ か り ま せ ん 。 ・・・手 元 の バ ッ グ に 入 っ て い ま し た 。
飯田カウンセラーの助言;順調に年を取っている証拠です。
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無 数 の骸 骨 が語 るものとは
(ワット・ボー寺 院
キリング・フィールド)
富 山 ユネスコ協 会 副 会 長
飯田
國彦
処 刑 された無 数 の骸 骨 が陳 列 されています。悲 惨 なこと極 まりないです。
戦 時 下 で、理 性 を失 った人 間 によってもたらされた結 果 です。クメール人
に限 らず、歴 史 上 、私 たちの先 祖 は一 旦 戦 争 に突 入 した場 合 にはまともな
思 考 、判 断 ができなくなって、数 々の残 虐 な殺 戮 を繰 り返 してきました。
ユングは「人 の心 には計 り知 れない程 の悪 が棲 んでいる」と言 い、親 鸞 聖
人 の歎 異 抄 には「さるべき業 縁 のもよおせば、如 何 なる振 る舞 いもすべし」と
書 かれています。
人 は誰 でも戦 時 下 では残 虐 な行 為 をする怖 れがあることを、キリング・フィ
ールド等 の歴 史 から真 摯 に学 び、戦 争 に向 かいそうな気 配 を感 じたら、直
ちにその出 鼻 を挫 かなくてはなりません。
「歴 史 に学 ばない者 は、未 来 を生 きることはできない」と言 われています。
無 数 の骸 骨 が語 りかけている思 いを自 分 の心 として、無 関 心 をよそおうこと
なく、平 和 づくりに取 り組 みたいとの思 いを新 たにしました。
私 た ちに 今 日も 平 和の 大 切さ を 訴え 続 ける 多 くの 骸 骨た ち
= キ リン グ ・フ ィ ール ド の慰 霊 塔
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カンボジア・スタディツアーの参 加 者 と関 係 者
役職
氏名
富 山 ユネスコ協 会 会 長
住所
担当
松波孝之
富山市
団長
〃
副会長
飯田國彦
富山市
報告書
〃
副会長
水上庄子
富山市
学校対応
〃
副会長
高桑幸一
富山市
日程調整
〃
事務局長
定村仁志
南砺市
会計
〃
理事
長尾恒憲
富山市
水 プロ対 応
〃
理事
澤 田 みや子
射水市
記 録 、お土 産
浜手基親
氷見市
広 報 、写 真
氷 見 ユネスコ協 会 理 事
カンボジアでお世 話 になった方
日 本 ユネスコ協 会 連 盟 野 口 昇 理 事 長 、寺 尾 明 人 事 務 局 次 長 、
鴨 志 田 智 也 さん、本 間 雅 子 さん
〃 カンボジア事 務 所
ブッタ所 長 、事 務 所 の皆 さん
JASA
石 塚 充 雅 さん
(株 )富 山 環 境 整 備
松 浦 英 樹 社 長 、高 橋 亘 さん
(株 )クアソリューション 若 林 樹 伸 社 長
(株 )電 通
野 村 朗 子 さん、薄 景 子 さん
フリーカメラマン
馬 場 龍 一 郎 さん
ガイド
チョムラーンさん、カオンさん、ヴィーさん
寺 子 屋 、病 院 関 係 の皆 さん
日 本 でお世 話 になった方
日 本 ユネスコ協 会 連 盟
間 辺 初 夏 さん、
HIS スタディツアーセクション伊 藤 紗 江 さん
寄 せ書 き、ボールペンを頂 いたユネスコスクール、企 業 の皆 さん
富 山 県 カンボジア王 国 親 善 協 会
富 山 ユネスコ協 会 、氷 見 ユネスコ協 会 の皆 さん
そして参 加 者 の職 場 の皆 さん、家 族 にありがとう!
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おわりに
富 山 ユネスコ協 会 副 会 長
高桑
幸一
平 成 24 年 から、全 理 事 が学 校 を訪 問 して「書 きそんじハガキ回 収 」をお願 いすることになり
ました。私 としては校 長 室 に入 るというのは初 めての経 験 です。書 きそんじハガキがカンボジア
やネパールなどで寺 子 屋 運 動 に使 われていることは聞 いていましたが、寺 子 屋 を実 際 に見 たこ
とがないため、自 分 の体 験 として伝 えることが出 来 ませんでした。
これは現 地 の寺 子 屋 に行 くしかないと思 い提 案 すると、4年 前 に氷 見 ユネスコ協 会 の行 事
に参 加 された松 波 会 長 、水 上 副 会 長 から「ぜひ行 きましょう」と言 って頂 き、計 画 することになり
ました。
実 施 までに実 に不 思 議 な幸 運 に恵 まれました。
韓 国 経 由 の予 定 が秋 から飛 行 機 が連 携 しなくなり諦 めかけたところ、上 海 経 由 が繋 がるこ
とになり、飛 行 時 間 も費 用 も削 減 できました。
お土 産 を日 ユ寺 尾 事 務 局 次 長 に相 談 したところ、お金 をかけるのでなく、ユネスコスクール
や支 援 企 業 を巻 き込 んで気 持 ちを伝 えたら、とアドバイス頂 き、寄 せ書 きとボールペンを持
って行 くことが出 来 、喜 ばれました。
「天 空 の杜 」プロジェクトが同 時 進 行 し、なんと開 始 式 がスタディツアー期 間 中 に行 われる
ことになり、日 ユ協連の幹 部 の皆 さんと同 行 できました。
反 省 すべきは、健 康 には一 番 留 意 していたつもりだったのですが、8 人 中 6 人 が食 中 毒 で
おなかを壊 し、富 山 の美 味 しい水 をお持 ちする行 事 に参 加 した我 々自 身 が、安 全 な水 の大 切
さを実 感 することになりました。
寺 子 屋 を見 て、子 どもたちと交 流 し、寺 子 屋 が子 どもたちのために、そしてカンボジアの将 来
のために、とても大 きな貢 献 をしていることを知 りました。
寺 子 屋 ごとに地 域 の人 々が運 営 委 員 会 を作 られて自 主 的 に運 営 するとともに、日 ユカンボ
ジア事 務 所 が先 生 を教 育 して将 来 的 な自 立 を目 指 し
ておられますが、寺 子 屋 も先 生 もまだまだ不 足 しており、
今 後 とも支 援 が必 要 だと感 じました。
書 きそんじハガキ回 収 に協 力 して頂 いた皆 様 に、改
めて感 謝 するとともに、今 後 の一 層 のご協 力 をお願 いし
ます。
本 当 にありがとうございました。
オークン!(ありがとう!)
書きそんジローを持つ寺子屋の子ども
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ブッタ所長からのメール
I would like to acknowledge your email with deep gratitude for your kindness and
generosity toward Cambodian People.
Your visit to Siem Reap, Cambodia unfold the new page of friendship between
Cambodian and Japanese.
Therefore, your donation to the Terakoya Movement in Cambodia has been somewhat
invaluable.
The children are so happy to receive some school learning materials you offered to
them and that they wrote some thank you messages in return as herewith attached.
Once again, thank you very much for your support.
Best regards Vutha Nong
私 はあなた方 のカンボジアへの人 々への親 切 とご厚 意 に深 く感 謝 します。
あなた方 のカンボジアシェムリアップ訪 問 は、カンボジアと日 本 の友 好 の新 たなページを開 きま
した。
あなた方 が寺 子 屋 運 動 に寄 贈 頂 いたものは、計 り知 れないほど貴 重 なものです。
子 どもたちは勉 強 道 具 や寄 せ書 きに大 変 喜 び、感 謝 のメッセージを書 いてくれましたので、
同 封 します。
改 めて、あなた方 のサポートに心 から感 謝 いたします。
敬 具 ノン・ブッタ
カンボジア現地事務所スタッフ
後列左から 2 人目がブッタ所長
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REE ホ テ ル
毎朝レストラン前で木琴を弾いてくれた姉弟
クイティウ(米粉麺&鶏がらスープ)
ちまき
トンレサップ湖でのお弁当
チキンカリー
藁で作ったしゃれた弁当箱に入っている
スイカ、オレンジ、ランブータン、バナナ
マンゴー、ドラゴンフルーツ、ドリアン
がちゃがちゃの配電線
ひしゃく付き水洗トイレ
ゴミ箱
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浜 手 基 親 氷 見 ユ 協 理 事 ,澤 田 み や 子 理 事 ,飯 田 國 彦 副 会 長 ,高 桑 幸 一 副 会 長 ,水 上 庄 子 副 会 長
訪問先
11 月 20 日 チ ョ ン ク ニ ア 、 11 月 21 日 コ ッ ク プ ノ ウ 、 タ ト ラ ウ
長 尾 恒 憲 理 事 ,松 波 孝 之 会 長 ,定 村 仁 志 事 務 局 長
2013.11.25 滞 在 先 の RE E ホ テ ル ロ ビ ー
表紙;チョンクニア寺子屋の子ども達や先生らと
1
2013.11.20
カンボジア・スタディツアー報告書
発 行
平 成 26 年 1 月
発行者
富山ユネスコ協会
印
とうざわ印刷工芸株式会社
刷
カンボジア・スタディツアー報告書
2013.11.19~26
富山ユネスコ協会
夜 が 明 け 始 め 朝 日 を 背 に 幻 想 的 な 姿 を 現 す ア ン コ ー ル ワ ッ ト 2013.11.24