ダーウィン空襲70周年記念

ダーウィン空襲70周年記念
ダーウィン市議会
Frontline Australia
1942 年2月 19 日に起こった戦慄の出来事は、その数週間前に行われた真珠湾
攻撃のように衝撃的で計画的なものだった。それは、これまで外国からの侵略
を受けた事のない土地に戦争をもたらした。
ダーウィンへの最初の空襲は、オーストラリアの政治的、軍事的指導者の最も
恐れていたことを確証するものであり、 オーストラリアの歴史において最も凄
惨な非常事態に直面することとなった。
ダーウィンへの空爆と北オーストラリアでの戦争の影響は、オーストラリアに
暗い影を残した。何千人もの民間人や軍人が、この戦争により人生を翻弄され
た。そして毎年、生還者とその家族はダーウィンにて追悼集会を開いている。
最初の空爆から 70 周年を迎えるにあたり、戦争を経験した年配世代は、戦争の
悲惨さと平和の尊さを忘れないよう、次世代へ熱心に語り継いでいこうとして
いる。
2012 年 2 月には、この重要な式典において節目を迎えます。 オーストラリア
に戦争がもたらされたこの日に、この悲惨な出来事に勇敢にも立ち向かった
人々に敬意を表し慰霊式典を開催いたします。
“ 我々に平和と繁栄、そして発展をもたらすため、仲間達は死んだ。
我々に与えられた義務は、生きること、そして戦争の灰から立ち上がる新たな
ダーウィンを築いていくことである。 ”
1948 年 2 月 19 日 追悼式典
行政長官 ミック ドライヴァー演説より
”ダーウィンは爆撃を受けたが、征服しなかった”
“我々は、不屈の精神で最初の攻撃に敢然と立ち向かい、この先何が待ちうけ
ようとも、我々はオーストラリア人であることを忘れず、執念深く勝利を信じ
て戦っていかなければならない。”
“ダーウィンに落ちた爆弾に、そして巻き込まれ失われた命に、 引き起こさ
れた苦しみに、勝利を誓おう。そして、戦いに備えて気を引き締め、全力を尽
くそう”
“我々は、オーストラリアの全ての街において、この猛攻撃に勇敢に立ち向か
うことが出来る。それは、我々民族に受け継がれる本質である。”
John Curtin 首相
1942 年 2 月 23 日
1948 年 2 月 19 日 悼式典にて
行政長官 ミック ドライヴァー演説より
64 回 ダーウィン空襲
33 回 北オーストラリアその他の地域への空爆
3,000 人のダーウィン市民が避難
国民が団結しました。
1942 年 2 月 19 日、オーストラリアを永遠に変えてしまう出来事があった。オ
ーストラリアはダーウィンにて敵軍の空爆を受けた。
政府が発表した死亡者数は 240 名、負傷者は何百人にも及んだ。21 ヶ月にも及
ぶ北オーストラリアへの攻撃で、それ以上の死亡者と負傷者を出した。
それは、ダーウィンに住む人々の不屈の強さとオーストラリア人の精神を強調
するオーストラリアの歴史の大きな局面のひとつであった。
70 年を経て、思い起こす
2012 年、ダーウィン市議会は、北部準州政府と地方団体と共に、ダーウィン空
襲 70 周年を記念し、2 週間開かれるこの慰霊式典では、北方辺境を守るために
戦った人々や、悪夢の恐怖の中、避難を余儀なくされた人々を追悼します。
ダーウィン復興は、勇気と決意もって行われ、我々の町を形作った。追想する
こと、それは、その決意に敬意を表するものである。
この式典は、北部をまたがり受けた幾度もの攻撃により、奪われた命を讃える
ものであり、オーストラリア人の次の世代がこの歴史を忘れることのないよう
執り行われる。
イベントに含まれるもの:
・ ダーウィン戦没者慰霊碑にて記念式
・ オーストラリア軍による初空襲の再演
・ ダーウィンコンベンションセンターにて礼装パーティー
・ アデレード川、戦争墓地へ追悼ツアー
・ その他ツアー
・ 政府および地域のアートイベント
歴史的慰霊式典への招待
登録要領
電話:+61 8 8930 0685
E メール:[email protected]
ウェブサイト:www.frontlineaustralia.com.au