神は愛である - So-net

2012 年 12 月 2 日特別礼拝説教:
神は愛である
新約聖書・ヨハネ第一の手紙4章7節―15節
田園都筑教会牧師 本多峰子
教会の外からご覧になると、「キリスト教では、神は愛であると言うけれども、現実の世
界を見るとそんなことはないではないか」と思われるかもしれません。けれども、逆に言
うと、神様が愛だからこそ、このような世の中でも生きていけるのではないかと思います。
この世界は苦しみがあります。それはキリスト教もわかっているのですが、その苦しみの
ある世の中でもなお、喜びをもって生きてゆくことができるようにしてくださるのが神様
の愛なのです。
ヨハネの手紙一で、ヨハネは、「神は愛である」というメッセージを繰り返し語っていま
す。ヨハネ文書はどこを読んでも「神を愛である」と書いてあるので、金太郎飴のようだ
とも言われます。ヨハネはイエスの一番近くにいた愛弟子でした。福音書や手紙は、彼が
年をとってから書かれたものですが、年を経てイエスのことを思い返すたびに、ヨハネは
ますます強く、「神は愛である」と言わずにいられなくなっていったのでしょう。
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるよう
になるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました」(ヨハネの手紙一4
章9節)。――ヨハネはこう言います。この「愛」は、ギリシャ語ではアガペーという言
葉です。愛と言ってもいろいろな愛があります。C. S. ルイスという人は、家族などの「愛
情」、恋人との「恋愛」、友達との「友情」、そして神様の「愛」の4つの愛を区別して
います。恋愛はエロスとも言われます。これは、自分より優れた人や、美しいものに惹か
れる恋焦がれる気持ちです。
ヨハネの手紙に書いてある愛は、エロスとは反対に、相手がすぐれているとか、何かして
くれるから愛するのではなく、ただ相手がそこにいるからうれしいと言える、そのような
愛です。
トリーチャー・コリンズ症候群という病気をご存じですか。ジュリアナ・ウェットモア
ちゃんという、今はもう9歳になっているある女の子は、この病気にかかっています。彼
女は顔がないと言われます。けれども本当は顔がないわけではなくて顔の 40%の骨がない
ので、口が口の働きをしないし、目も片方しか見えないのです。父親は、ジュリアナちゃ
んが生まれた時、医師に「母親に顔を見せてもいいか」と聞かれたといいます。産後で弱
っている母親に与えるショックが心配されたからです。ジュリアナちゃんが差別されるだ
ろうことも予想されました。けれども、家族はジュリアナちゃんを醜いなどとは決して思
わず、父親はむしろ、彼女はピアニストのようなすっきりした手の素敵な子だとおっしゃ
います。
ジュリアナちゃんの写真は公開されていますが、彼女は友達とほおを寄せ合っておどけ
た様子をしたり、バレーを踊ったりしています。そこでとても印象的なのは、笑顔がわか
らないほどの顔なのですが、目が幸せそうに笑っている、その表情です。もう何十回もつ
らい整形手術を繰り返しているはずなのですが、そのような苦痛をまったく見せず、何か
とても自然で満たされた幸せそうな表情をしているのです。これは奇跡だと思います。そ
れは、何よりご両親が、そしてお友達、ご兄弟も、障がいを持って生まれてきたからとい
って特別扱いしないで彼女に接しているからでしょう。ジュリアナちゃんがどのようであ
れ、――ジュリアナちゃんが障がいを持っているから余計に大切だということですらなく
て、――彼女は彼女であるだけで愛おしい、そうした愛情でみなが彼女を包んでいること
が見て取れます。だから、ジュリアナちゃんは、動物園に行って檻(おり)に顔をくっつ
けたり、川に行けば水にたわむれたり、普通に生活をしています。ご両親をはじめ、廻り
の人たちの無条件の愛がジュリアナちゃんを満たしているから、彼女は、これほど幸せな
のでしょう。
神様の愛もこのように、私たちを豊かに満たしてくれます。私たちは皆、完璧からほど
遠い者です。神様から見れば本当に欠けたところばかりだと思います。けれども、神様は
わたしたちを無条件に愛してくださる。それが神様のアガペーなのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人
も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3章16節)。
イエス様を信じるものが「ひとりも」滅びないため、というこの言葉は、当時の人たち
にとっては驚きだったかもしれません。お百姓さんの蒔く種には芽を出さない種もありま
す。魚の卵もたくさん産み付けられますが、全部が成魚になるわけではありません。それ
が世の中の在り方として受け入れられてきました。人間も、罪を犯す者の中には、滅びる
者もあるはずだ、と考えられてきました。
罪を犯さずにいられない人間の救いはないのか、そのことを真剣に考えた人もいます。聖書の
外典の第 4 エズラ書で、エズラは神に、「今生きている人々で罪を犯さなかった者がいるでしょ
うか。生まれて来た人々の中であなたの契約を破らなかった者がいるでしょうか。」と、問いかけてい
ます。けれども、神様がエズラに答えたのは、「農夫の種がすべて育つわけではない。すべて
の鉱物が金ではない。すべての人が救われるわけではない。でも、それでいい。エズラさ
ん、あなたは救われますよ」ということでした。
けれども、イエス様の福音はそれと違って、この世の人が「一人も滅びないで」という
驚くべき福音でした。ヨハネによる福音書で「世」という言い方、また「ユダヤ人」とい
う言い方は、イエス様を信じない人たちのことです。その世を神は愛し、ひとり残らずイ
エス様を信じるようになるように、イエス様を遣わしてくださいました。「友のために自
分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書 15 章 13 節)と
ヨハネは言います。しかし、イエス様は彼を信じない、通常ならば友とは言えないような
人たちのためにまで命を捨てる。これは私たちにはとてもできません。
今日の聖書の箇所に、「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとし
て、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(4章 10 節)とあります。救い
とか贖いとかが、どのようになされるのかはいろいろな解釈や学説がありますが、真のと
ころ私たちにはわかりません。ただわかるのは、イエス様が十字架にかかって下さった、
そして復活してくださった。その十字架の出来事とイースターを通して、私たちと神様の
関係が大きく変わり、私たちが愛の内に生きることができるようになったということです。
私たちの「罪」というのは、神様がいつも私たちをどれほどに愛してくださっているか、
私たちのためにどれほどにこの世界を整えてくださっているかを忘れて、私たちが神様か
ら離れて生きている、そのことです。実際、この世界には飢えた人や苦しんでいる人が本
当にたくさんいるのですが、地球上の食べ物の総量は、人間が分かち合えば十分に足りる
だけあるそうですし、人間が戦争や憎みあいで殺しあったり争ったりしていなければもっ
ともっと多くの人がずっと幸せになれるはずなのです。皆が神様に立ち返れば、ずっと平
和な世界になるでしょう。それは、国と国との関係でもそうですし、職場や子供たちの関
係などすべてに言えます。
「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互い
に愛し合うべきです。」(4章 11 節)。私たちが、愛されているということは本当に恵ま
れていることです。私たちは、人を愛することを教わっているのかもしれません。愛が何
なのかを味わったことがなければ、愛を知らないままかもしれません。愛を知らず、人を
愛することができなかったらどれほど寂しくつらいでしょう。自分の子どもをさえ愛せな
い母親、母親にさえ虐待される子どもがいるというのは大変なことです。私たちは、愛す
ることを伝えていかなければなりません。イエス様が、わたしたちひとりひとりを愛され
たように。マザーテレサが、路上で死に掛けている人を無条件に愛したように、私たちも
互いに愛し合うことができるはずです。
私たちは、天にいらっしゃる神様が愛であることを知っていますが、それは愛するとは
どんなことかを見せてくださるために神様がこの世に来てくださったからです。ベツレヘ
ムのあのクリスマスの夜、イエス様が生まれてくださった。神様が私たちに出会い、愛で
包んでくださった。だからこそ私たちは愛を知り、愛を実践してゆくことができるのです。
その愛は、この世の苦しみや不幸にもかかわらず、究極的に私たちを喜びで満たしてくれ
るでしょう。このことを覚えてクリスマスの時期を過ごして行きたいとおもいます。
(2012 年 12 月 2 日)
講師紹介:本多峰子=二松学舎大学教授(英語)、日本聖書神学校非常勤講師(組織神学)。
2011 年 4 月から 2012 年 3 月まで日本基督教団田園都筑牧師を兼任。学習院大学文学博士
(イギリス文学専攻)。東京大学教養学修士(新約聖書学専攻)。青山学院大学キリスト教関連
科目非常勤講師、英国ケンブリッジ大学客員フェローなど歴任。著書に『天国と真理―C.S.ル
イスの見た実在の世界』(新教出版社)。訳書に J.ポーキングホーン『自然科学とキリスト教』
(教文館)、W.バークレー『助けと癒しを求める祈り』(新教出版社)、A.E.マクグラス『総説キリス
ト教-はじめての人のためのキリスト教ガイド』(キリスト新聞社)、S.T.デイヴィス編『神は悪の問
題に答えられるか-神義論をめぐる五つの答え』(教文館)など。