フランス美術論Ⅱ期末レポート 「アルフォンス・ミュシャ」 天王寺谷 千裕 父

フランス美術論Ⅱ期末レポート
「アルフォンス・ミュシャ」
天王寺谷 千裕
父の部屋に飾ってあった一枚のポスターをとても鮮明に覚えている。やわら
かそうな髪をした女性とステンドグラスのように複雑で美しい背景、そして
花々がちりばめてあるものだった。彼女たちの夢見るような視線と長い髪は幼
い私の憧れだった。そのポスターがマリア・アルフォンス・ミュシャの作品で
あることを知ったのは、中学生になった時だった。美術の教科書で他のミュシ
ャの作品を目にしたのだが、それが父の部屋のポスターと同じ作者だと一目で
わかった。ミュシャの作品はそれほど印象的で特徴的だ。
ミュシャの作品の特徴として、第一に女性が挙げられる。彼の作品のほとん
どに、長く、ゆたかな髪をもつ女性があらわれる。作品の中で女性たちは背景
や縁取りの植物や幾何学模様と一体化して表現されている。彼女たちは、人格
のある一個人というよりは美を表現する媒体として用いられている。強烈な個
性を持つ女優、サラ・ベルナールを描くときでさえ、ミュシャは、一人の女性
というよりは装飾モチーフの一部として彼女を描いている。ミュシャがアメリ
カに渡った際に描いた貴婦人たちの肖像画が成功を納めなかったのも、このよ
うに、女性を個人としてではなく 美しいモチーフ として捉えていたためだ
と考える。
続いて特徴的と言えるのは、その女性たちを囲むように描かれている縁取り
だ。まるで額縁のように、優雅な曲線が多用されている。これは、彼の活躍し
たアール・ヌーヴォーの時代に新素材として注目された鉄が関係している。鉄
の建築と言えば、1889 年の万国博覧会の際に建設されたエッフェル塔が真っ先
に挙げられるが、この巨大な鉄塔は素材感がむき出しの無骨な構造だと、大変
な非難を受けた。しかし、芸術と産業(工業)の結びつきを提示していたアー
ル・ヌーヴォー派はこの新素材の特性をうまく使いこなした。引っ張る力に強
く、形状を自由に変えられる鉄は、アール・ヌーヴォー独特のやわらかい曲線
を表現することに優れていたのだ。また、従来の石を使った建築に比べ、華奢
な柱で空間を構成することが可能となり、これも繊細なアール・デコ装飾に適
していた。そして鉄が建築素材として普及した何よりの理由は、経済的である
ことだった。大量生産の兆しが見え始めた 20 世紀初頭には、これはとても重要
な要素だった。このように、当時、建築の分野で新素材だった鉄は、
『オルレア
ンのギヨ・ペルティエ社のカレンダー』にもはっきりと見られるように、ミュ
シャの作品にも大きく影響を与えている。また、同じく新素材として注目を浴
びていたガラスも作品の背景に多用されている。
サラ・ベルナールのポスターを手掛けた際に、ミュシャの作品は理想的であ
ると同時に写実的であるという評判を集めた。しかし、彼は当時の写実主義芸
術家たちとはほとんど交流を持たなかった。一方、彼はモデルの表現方法や輪
郭線をよりダイナミックに仕上げるために写真を利用していたと言われている。
撮影した写真には縦横に碁盤の目に線が書き込まれており、彼が非常に精密に
構図を考えていたことがわかる。
1889 年と 1900 年、どちらの万国博覧会においても、当時大変な話題になっ
たのが日本だった。ゲイシャやチョウチンなど、ジャポニズムの波がヨーロッ
パじゅうに押し寄せていた。ミュシャの作品も例にもれず、日本の美術からの
様々な影響がみられる。彼のほとんどすべての作品に共通してみられる日本美
術の影響は、太い輪郭線や淡い色彩、平面的な構図、幾何学模様の配置などが
挙げられる。ポスターの形状が縦に長い長方形であることも、浮世絵(柱絵)
の影響と言われている。個別の作品でみると、
『メディア』のポスター(資料 1)
ではメディアに扮したサラ・ベルナールの背景に、棚引く雲と後光のようなも
のが見える。また、左端の落款を意識したような模様や縦書きの題字からも日
本文化の影響がうかがえる。さらに、1896 年の『ジョブ』のポスター(資料 2)
の、女性が煙草をくゆらせている構図は喜多川歌麿の『婦女人相十品 ポッピ
ンを吹く女』(資料 3)に類似している。女性が髪に挿している髪飾りにも、簪
の影響がみられる。浮世絵の影響は技法的な観点だけではない。浮世絵はヨー
ロッパの芸術家たちに、
〈芸術は高尚なものだけでなく、大衆に対しても提示さ
れるべきものだ〉という新しい観念を提示した。このような考えは、20 世紀の
大衆芸術へとつながっていく。
以上がミュシャの作品の主な特徴だ。彼の成功は、その作品の美しさと同時
に、作品が時代の流れと一致していたことに起因する。特にミュシャの時代に
全盛期を迎えた「芸術ポスター」は特筆すべきものだ。ここで、ミュシャとも
深くかかわっているポスターについて少しまとめる。
ポスター黄金期は 19 世紀後半から第一次世界大戦までと言われている。ポス
ターの発展の原因をアラン・ヴェイユは大きく二つに分けている。まずは経済
的要因として、産業の競争激化による宣伝の必要性、都市への人口集中とそれ
に伴う消費者の増加を挙げている。彼はポスターの商業的威力について「一枚
のポスターさえ正しく位置づけられたなら、日中、まさに多数の潜在的な消費
者、つまり購買能力のある消費者の視線にふれることができたのである1」と述
べている。そして、技術的要因として石版印刷技術の進歩が挙げられている。
1890 年ごろに色彩リトグラフ(大型の石板による印刷技術)が発明されてから
1
アラン・ヴェイユ『ポスターの歴史』、竹内次男訳、白水社、1994 年、p.23。
ポスターは急速に発展する。画家たちは新古典主義やアカデミズムに代わる、
新しい美を求め、ポスターをカンバスとして、新しい表現を試行した。そのた
め、芸術ポスターの広まりは「フランスが擁していた活動芸術家の全てがポス
ターに手を染めていたと言っても過言ではない2」といわれるほどだった。フラ
ンスのポスター芸術はその技法をいち早く駆使したジュール・シェレからはじ
まり、トゥールーズ・ロートレックへ、そしてミュシャへと受け継がれていく。
芸術と実用の融合を図ったアール・ヌーヴォー派にとって、芸術的対象となり
得る商業ポスターは格好の創作対象だった。特に、当時は風紀検閲が厳しかっ
たため、美しい装飾と図像化された女性のなかに少々の官能を含ませたミュシ
ャのポスターは大いに消費者を魅了した。
ミュシャの成功のきっかけは女優、サラ・ベルナールの演劇ポスター『ジス
モンダ』であり、当時は宝石や衣装のデザインも手掛けていたが、次第に彼の
仕事は商業用ポスターが中心を占めるようになる。しかし、商業画家であるこ
とに疑問を抱き始めたミュシャは『スラヴ叙事詩』の制作を始める。美しい女
性を描き続けた画家は、最も大切な女性、つまり、祖国を描き始めたのだった。
この壮大な連作は 20 点にも及び、ミュシャの生涯のほとんどが費やされている
と言っても過言ではない。長らく国を離れていた彼の、祖国への感謝の気持ち
のようにも感じられる。
以上、簡易ではあるが、アルフォンス・ミュシャの作品と時代背景について
考察を行った。彼の描く女性たちは、今なお世界中で人々を魅了し続けている。
先に述べたように、彼女たちは確固とした人格を持たない。ゆえに、見る人が
それぞれに彼女たちの過去、現在、未来を感じることができる。見る人の数だ
け、ゆたかな髪とやさしい眼差しを持つ女性が生まれるのだ。これが彼の作品
の最大の魅力だと私は考える。
参考文献
安田理『ミュシャとパリ』、学習研究社、1987 年。
島田紀夫『ミュシャ アール・ヌーヴォーの美神たち』、小学館、1996 年
アラン・ヴェイユ『ポスターの歴史』、竹内次男訳、白水社、1994 年
2
アラン・ヴェイユ、前掲書、p.32。
資料
1.『メディア』、1898 年、カラー・リトグラフ、207
76.5cm
2.『ジョブ』、1896 年、カラー・リトグラフ、55.5 43cm
3.喜多川歌麿『婦女人相十品 ポッピンを吹く女』