古代 政治領 域 の空 間分析 国 衙 ・郡 衙 の 空 間 デ ー タ ベ ー ス の 構 築 と 分 析 野 田 卓 ・岩 山欽 司 泉 拓 良 ・碓 井 照 子 は じめ に 1998年 か ら、 科 学 研 究 費 補 助 金(特 定 領 域 研 究(B)(2))「 人文社会 科 学 のた めの空 間情 報 科 学 の体 系 化 」(研 究 代 表 者 岡 部 篤 行 、 課 題 番 号10202201)の1部 門 と して 、 「考 古 学 に お け る空 間 デ ー タの構 築 、 管 理 、 分 析 手 法 の 開発 とそ の適 応 」(研 究 代 表 者 泉 拓 良 、 課 題 番 号 10202206)に 取 り組 ん で きた。 本 稿 は、 この課 題 の一 っ と して 研 究 を 進 めて い る 「考 古 学 に お け る古 代 政 治 領 域 の空 間 分 析 法 の開 発 と実 践 」 の 中 間 報 告 で あ る。 国 府 や郡 衙 の所 在 地 を基 に古 代 政 治 的 領 域 の分 析 を行 うに は、 地 図 上 で も可 能 で あ るが 、 後 に述 べ る よ うな不 一 致 領 域 の面 積 計 算 な ど は、GIS(地 理 情 報 シ ス テ ム)を 用 い て 、 コ ン ピュ ー タ上 で行 う方 が容 易 で あ る。 ま た、 そ の情 報 や研 究 方 法 を 研 究 者 同士 で共 有 す るに は、 基 の デ ー タが デ ジ タル情 報 で あ る こ とが 望 ま しい こ とは言 う まで もな い。 さ らに、 現 在 製 作 中 の遺 跡 の地 図 情 報 デ ー タベ ー スが 完 成 す れ ば、 遺 跡 に位 置 入 力 の 手 間 は ほ とん ど省 け るの で あ る。 したが って、 今 回 の研 究 は、GISの 手 法 を用 い て 作 業 を行 うこ と に した。 本 研 究 は、 遺 跡 の位 置 情 報 か らど の様 な歴 史 的 解 釈 を得 られ るか につ いて の 、 実 験 的 研 究 で あ る。 具 体 的 に は、 国 府 と郡 衙 の位 置 情 報 か ら古 代 の政 治 的領 域 が 復 元 で き るか 、 復 元 に は ど の様 な条 件 が あ るか を、 文 献 等 で 推 定 さ れ て い る古 代 の 国領 域 や 群 領 域 と比 較 、 検 討 し よ うとす る研 究 で あ り、 将 来 的 に は、 文 献 の な い時 代 で の、 遺 跡 空 間 情 報 に基 づ く政 治 的 領 域 復 元 の可 能 性 を方 法 的 に追 求 す る こ とで あ る。 第1章 1.使 古 代 官 衙 に お け る空 間 デ ー タベ ー ス の構 築 用 環 境 及 び使 用 ソ フ ト 本 稿 で 行 っ た 作 業 ・分 析 は 以 下 の ハ ー ドウ ェ ア 、 周 辺 機 器 構 成 と ソ フ トを 利 用 して い る。 39 【ハ ー ド ウ エ ア 】 A(DOS/V) CPU PentiumII(350MHZ) HD 3.4G メモ リ os 256MB(標 準64MB) WindowsNTServerVer.4.0 B(DOS/V機) CPU PentiumII(350MHZ) HD 3.4G メモ リ 準64MB) WindowsNTWorkstationVer.4.0 os ※AとBを 128MB(標 ネ ッ トワ ー ク で 接 続 し、 相 互 で デ ー タ の や り取 り が 可 能 と な っ て い る 【周 辺 機 器 】 EPSONESPER-LASERLP-8000 (プ リ ン タ) ・EPSONESPER-SCANNERES-8000 (ス キ ャ ナ) ・1-ODATACD-R-TX624(外 ・FUJITSUSMB-640WLJ(外 付 型) (CD-R) 付 型) (MO) 【ソ フ ト ウ ェ ァ 】 ・SISバ ー ジ ョ ン4 .0(SPATIALINFORMATIONSYSTEM) ・国 土 地 理 院 数 値 地 図25000DigitalMap25000(MapImage) ・国 土 地 理 院 数 値 地 図25000(行 政 界 ・海 岸 線)DigitalMap25000 ・MicrosoftExcel2000 2.古 代 官 衙 の デ ー タ収 集 空 間 分 析 を実 施 す る に あ た り、 考 古 学 的 に空 間 情 報 が 比 較 的 安 定 して い る歴 史 時 代 の古 代 官 衙(国 府 ・郡 衙)に つ いて の デ ー タ収 集 を 行 な っ た。 その 収 集 につ いて は、 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 発 行 の 『埋 蔵 文 化 財 ニ ュ ー ス81古 代 地 方 官 衙 関 係 文 献 目録 』 を参 考 に、 山 中敏 史 氏 の指 導 の もと全 国 に あ る古 代 官 衙 の発 掘 調 査 報 告 書 等 か ら以 下 に掲 げ る主 に4項 目 を収 集 した。 さ らに発 掘 され て い な い官 衙 につ いて は市 史 な ど の文 献 を収 集 し、 全 く資 料 の な い も の に関 して は 『日本 歴 史 地 図 原始 ・古 代 編 下1982柏 40 書 房 』 か ら必 要 な情 報 を収 集 した。 収 集 機 関 と して奈 良 大 学 図 書 館 、 奈 良 大 学 水 野 正 好 教 授 所 蔵 の 文 献 、 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 書 庫 を利 用 して 資 料 の収 集 に あ た った。 これ ら 「国 府 」、 「郡 衙 」 の収 集 に お い て は、(1)遺 (2)遺 跡 の位 置(遺 跡 の地 図)、(3)官 跡 の 住 所(住 衙 の 範 囲 、(4)時 所 な ら び に 経 緯 度)、 代 区 分 、 が 記 載 され て い る もの を対 象 と した。 (1)は 入 力 作 業 の段 階 にお いて 必 ず 必 要 な もの で あ る。 しか し、 報 告 書 に記 載 され て い る内 容 に はば らっ きが あ り、 ○ ○ 市 ○ ○ 町 ま で しか記 載 の な い もの もあ れ ば 、 ○ ○ 市 ○ ○ 町 ○ ○ 字 ○ ○ 番 地 まで 詳 細 に記 載 され て い る もの な ど様 々 で あ った。 そ の た め 今 回 は住 所 につ いて の 記 載 は統 一 を 行 なわ ず 、 報 告 書 に記 載 さ れ た住 所 を そ の ま ま用 い た。 (2)は 遺 跡 を 地 図 上 に表 示 す る最 も重 要 な項 目 で あ る。 地 図画 像 デ ー タ上 へ の 入 力 は、 報 告 書 等 に記 載 され て い る遺 跡 の 住 所 と遺 跡 の位 置 図 の両 方 を利 用 し、 そ れ らを 照 ら し合 わ せ な が ら行 な った 。 今 回 、 位 置 デ ー タの 入 力 を行 な う地 図 画 像 デ ー タ は縮 尺 が1:25000の の を 用 いて い る。 位 置 デ ー タの 入 力 に は1:25000の も 精 度 で十 分 遺 跡 の位 置 を正 確 に落 とせ る と考 え た か らで あ る。 しか し、 報 告 書 に よ って 遺 跡 地 図 の縮 尺 は ほ とん どが ば らば らで あ る。 報 告 書 に1:25000以 下 の 遺 跡 地 図 が 記 載 され て い る場 合 は 問題 な い が、 そ れ以 上 の 縮 尺 地 図 で は正 確 に 位 置 を 落 とす こ とが で きな い。 したが って デ ー タ入 力 を行 な う時 に 信 頼 度 の 設 定 を 行 な わ ざ るを え な か った 。 信 頼 度 の 設 定 に関 して は次 節 に お い て記 す。 (3)は 現在 まで の 発 掘 地 点 を 記 して い る もの 、 官 衙 遺 跡 の位 置 や推 定 に お け る官 衙遺 跡 の範 囲 の記 載 に留 め て あ る もの な ど様 々 で あ る。 各 種 遺 構 の よ うな ミク ロ的情 報 か ら官 衙 遺 跡 の全 体 に 及 ぶ よ うな マ ク ロ的 情 報 まで 、 そ の 結 果 が 報 告 書 に記 載 され て い る。 本 来 な らば この ば らっ きを考 慮 して 入 力 を す る必 要 が あ るが 、 位 置 デ ー タ入 力 は官 衙 の政 庁 跡 に代 表 点 を求 め て入 力 し、 そ れ を ポ イ ン トで 表 現 す る こ と に した。 しか し、 す べ て の官 衙 遺 跡 に お い て政 庁 跡 が必 ず し も解 明 され て い るわ けで はな いの で 、 代 表 点 と した地 点 の性 格 を属 性 デ ー タ項 目 に記 載 した。 (4)は 報 告 書 に記 載 され て い る官 衙 遺 跡 の 時 代 を 参 考 に デ ー タ ベ ー ス に記 して い るが、 ほ とん ど の遺 跡 に お い て 時代 区分(時 期 区分)が 明 確 と な って い な い。 そ の た め曖 昧 な もの が ほ とん ど で あ る が、 基 本 事 項 と して収 集 した。 デ ー タ収 集 は各 県 ご と に行 い、 一 通 りの官 衙 遺 跡 の資 料 を集 め た が、 収 集 した資 料 を す べ て 空 間 分 析 に使 用 して い る わ け で は な い。 収 集 した資 料 の 中 に は、 上 記(1)∼(4)の 項 目を 満 た して な い もの も多 く、 今 回 の空 間 分 析 の資 料 と して使 用 で きな い もの も含 ま れ て い た か らで あ る。 そ の た め、 入 力 の段 階 で収 集 した資 料 の うち、 な る べ く(1)∼(4)の 項 目を 有 して い る もの を 選 び、 入 力 の基 礎 デ ー タ と して使 用 して い る。 41 第2章 1.設 古 代 官 衙 の デ ー タ入 力 定項 目 デ ー タ入 力 時 にお いて 、 以 下 の項 目 を設 定 して い る。 ・デ ー タ ベ ー ス(表1・ 表2) 設 デ ー タベ ー ス項 目(国 府) 県名 国府 の存在 す る県 NO 任 意 で設 定 した 国府 番 号(北 容 か ら順 に設 定) 国府 の名称 遺跡名 遺 跡 の名 称(国 府 の可 能 性 を 含 む 遺 跡 の場 合 の み) 位置 国府 の位 置 す る場 所(住 所) 範囲 国 府 の 範 囲(国 府 推 定 地 ・国 庁 推 定 地 ・国 府 跡 ・国庁 跡 ・不明) 信頼度 時代区分 備考 使用報告書 ァ イ ルNo ○(地 図 が あ る場 合)・ ×(な い場 合) L1∼L3 報告書 に記載 されて いる国府 の時代 区分 デ ー タ入 力 時 に気 付 い た事 等 位置 を入力す る際 に使用 した報告書 国 府 を 入 力 し た 数 値 地 図(bdsフ 設 デ ー タベ ー ス項 目(郡 衙) 定 県名 郡衙 の存在す る県 NO 任 意 で設 定 した郡 衙 番 号(北 国名 郡衙 が所在 する国 の名称 ァ イ ル)の(ナ 内 ンバ ー) 容 か ら順 に設 定) 郡衙名 郡衙 の名称 遺跡名 遺 跡 の名 称(郡 衙 の可 能 性 を含 む 遺 跡 の 場 合 の み) 位置 郡 衙 の位 置 す る場 所(住 所) 範囲 郡 衙 の範 囲(郡 衙 推 定 地 ・郡 衙 跡 ・郡 長 跡 ・官 衙跡 ・不 明 な ど) 遺跡 の地 図 信頼度 時代区分 備考 使 用報 告書 Bdsフ 内 国府名 遺跡の地 図 Bdsフ 定 ァ イ ルNo ○(地 図 が あ る場 合)・ ×(な い場 合) L1∼L3 報 告 書 に記 載 され て い る郡 衙 の 時 代 区 分 デ ー タ入 力 時 に 気 付 い た 事 な ど 位 置 を 入 力 す る際 に使 用 した 報 告 書 郡 衙 を 入 力 した 数 値 地 図(bdsフ 42 ァ イ ル)の ナ ンバ ー 鞠 搬郵 簾府 1 岩手 宮城 陸奥 陸奥 秋田 山形 出羽 出羽 2 3 碍 」 5 6 7」 福島 茨城 ΩU 9 栃木 下野 群馬 上野 11 埼玉 千葉 武蔵 安房 り 011 鐵諭ゆ難 網 宮城県多賀 多賀城跡 城市市川・ 浮 政庁跡 0 山形県酒田 市大字城輪 城輪柵跡 嘉平田 山形県飽海 八森遺跡 郡八幡町八 政庁跡 陸奥 下総 常陸 10 ハ ∠ 範欝 遭雛嶺 懲鷺 茨城県石岡 市 栃木県栃木 市田村町字 群馬県前橋 市元総社町 上総 "額 度 宮城県に所在 L1(1:25000) 8世 紀 前 半 ∼10世 紀 まで10期 の 変遷 が 推 定 幽G。 滋賀県 目楼 近江国 ㎜ 鱒 鑑 0 9世 紀 初 頭 ∼11世 紀 前 半ま でに4 期の 変 遷 を推 定 L1(1:25000) 推定国府跡 0 国衙推定地 0 L1(1:4000) L2(縮 尺 不 明) 8世 紀 ∼10世 紀? 国庁跡 0 0 L1(1:25000) 千葉県安房 国庁推定地 郡三芳町 千葉県市原 国府推定地 市市原・門 前・ 郡本地区 0 L1(1:25000) 時期不明 0 L2(1:30000) 時期不明 謹慧各 位鷺 東京都に所在 遺構は明確ではない 市 原 ・門前 ・ 郡 本 地 区 当た りとす る 範鐡 国 府 デ ー タ ベ ー ス(抜 遼雛② 嬉国 億顎崖 大津市坂本穴太町 栗太 岡遺跡 栗太郡栗東町大字岡 ・栗太郡衙跡と 下戸山及び 目川地先 推定 0 L2 甲賀 野洲 小篠原遺跡 野洲郡野洲町大字小 篠原字井端1074-1 野洲郡衙推定 地 0 L2 野洲郡衙推定 地 蒲生郡衙推定 地 0 L2 0 し2 蒲生 和 田・ 小篠原 野 洲 郡 野 洲 町 大 字 小 遺跡 篠 原 字 竹 田2351-3 勧学院遺跡 近江八幡市馬渕町 ・ 千 僧供町 御館前遺跡 神崎 近江八幡市千僧供町1 55-1 神崎郡五個荘町大字 北町屋 0 L1 大郡遺跡 0 L2 大郡遺跡 五個荘町北町屋字七ノ 坪ほか O L2 斗西遺跡 神崎郡能登川町大字 佐野地先 0 L2 表2 瞭代獄響 腰 フ7イル臨婁 多賀城跡 政庁跡本文編 宮城 県教育委員会 宮 城県多賀城跡調査研究所1982,3 国指定史跡城柵跡一史跡城輪柵跡保存整備事 業 報告書一 酒田市教育委員会1998年3月 八森遺跡第11∼14次発掘調査報告 八幡町埋蔵 文化財調査報告 第4集1993.3八 幡町教育委員 古代の常陸国府 婆良岐考古12婆 良岐考古同 人会1990 下野国府跡 皿 昭和54年度発掘調査概報 栃木 県埋蔵 文化財報告第35集 栃木 県教育委員会 文化財調査報告書 第16集 昭和60年度 前橋 市教育委員会 8世紀前半∼10世紀初頭まで4期 までの変遷が推定 時期不明 国府推定地 覆短覇謄 響楢 574037 583937 bdsファイル上にポイントあり 9世紀初頭 に造営された国府(城輪柵 跡)がこの地に移転 宮城県に所在 千葉県に所在 9∼10世 紀 L1(1:25000) 滋賀 bdsフ ァイル 上 にポ イントあ り 山形県に所在 表1 集薪 欝身 時代区分 古代寺院跡く宝珠院)確認調査報告 昭和63年3 月 千葉県教育委員会 市原市 上総国府推定地確認調査報告書(1)市 原市教育委員会 財団法人 市原市文化財セン ター 583937 544022 543946 543940 523947 534021 粋) 欝讐 僕捲鞭告讐 bJ●ツ7イ ル巌} 坂本町と穴太町の堺 に 任意ポイントを落とす。 政庁跡、倉院 、館などの 岡遺跡発掘調査報告書1次 ・2次 ・3次 調査1990栗 主要施設 が判 明している 東町教育委員会 財団法人栗東町文化体育振興事業 かもつ.再庁収集の必 団 523640 位置情報しかない。情報 野洲町文化財資料集1993-1平 成4年度 野洲町内遺 不足。調査地は当遺跡 跡群発掘調査概要1993.3野 洲町教育委員会 の藁南部。 第7調 査 地 は その 縁 辺 。 野洲町文化財資料X1984-3昭 和59年度 野洲町内 もう少 し情 報 が欲 しい 。 潰蹟群発掘調香概要19853野 洲町教育萎鼻会 勧学院遺跡 ・田中堂遺 ほ場整備関係遺跡発掘調査報告書X皿 一21986滋 跡の調査範囲か、勧学 賀県教育委員会 財団法人滋賀県文化財保護協会 院遣跡のどちらの場所 位置情報しかない。発掘 近江八幡市埋蔵文化財発掘調査報告書XX皿1992 の成果がない. 近江八幡市教育委晶会 位置情報最悪。発掘の 五個荘町文化財調査報告(7)(近江国神崎郡衙推定 成果ない。 地)大 郡遺跡跡発掘調査報告書 昭和61年3月 五個 荘町教育悉鼻会 遺跡のほぼ中央を調 五個荘町文化財調査報告19五 個荘町埋蔵 文化財発 査。発掘成果部分がな 掘調査年報W平 成2年度 大郡遺跡(第16次) い. 1991.3五 個荘町教育季 吊会 発掘の成果がない。地 能登川町埋蔵文化財調査報告書 第31集 斗西遺 跡 図情報しかない. (3次調=査)一本文編一 平成5年9月 能登川町教育委 523640 郡 衙 デ ー タ ベ ー ス(抜 粋) 523547 523640 523650 523650 523651 ・属 性 デ ー ター国 府 ・郡 衙 共 通(第1図) 設定 内容 属 性 デ ー タ項 目 No Kokufumei/Gungamei Syozaiti Level Houkokusyomei Sonota BdsFileNo 任 意 で 設 定 した国 府/郡 衙 の番 号(北 か ら順 に設 定) 国 府/郡 衙 の名 称 国 府/郡 衙 の位 置 す る場 所(住 所) L1∼L3(信 頼 度) ポ イ ン ト入 力 した際 に使 用 した報 告 書 の名 前 ・発 行 年 ・発 行 期 間 入 力 した国 府/郡 衙 の範 囲 ・時 代 区 分 ・そ の他 国 府/郡 衙 を入 力 した数 値 地 図(bdsフ ァイ ル)の ナ ンバ ー 以 上 の設 定 項 目 で検 討 を要 した点 に っ い て、 以 下 に 述 べ る。 ・信 頼 度 の設 定 遺 跡 地 図 の信 頼 度 は、 以 下 の 基 準 で3段 階 の レベ ル(そ れ ぞ れ をL1,L2,L3と 設 定 した。 位 置 デ ー タの入 力 を行 な う地 図 画 像 デ ー タの 縮 尺 を1:25000を め、L1は 遺 跡 地 図 の記 載 が1:25000、 す る)を 基 準 に して い る た も し くは小 縮 尺 で文 献 に記 載 され て い る もの。L2は 文 献 に遺 跡 地 図 の記 載 は あ る が縮 尺 が1:25000よ り大 縮 尺 の も の や 、 縮 尺 が 不 明 な も の。 L3は 遺 跡 地 図 の記 載 が全 くな い もの で、 『日本 歴 史 地 図 原 始 ・古 代 編 下1982柏 書房』 を 使 用 して ポ イ ン トを落 と した もの又 は、 市 町村 名、 も し くは複 数 の 市 町 村 に ま たが る もの と した。 デ ー タベ ー スの 入 力 項 目で あ る 「信 頼 度 」 に はL1∼L3の レベ ル を 入 力 す る こ と と した。 ・時代 区分 時代 区分 は報 告 書 に よ って西 暦 表 示 、 時代 表 示 な ど様 々 で あ るが 、 基 本 的 に報 告 書 に記 載 さ れ て い る の を そ の ま ま用 い て い る。 『日本 歴 史 地 図 原 始 ・古 代 編 下1982柏 用 した場 合 も同様 で あ る。 国府 に 関 して は主 に、8世 書 房』 を使 紀 ∼12世 紀 ・奈 良 ∼ 平 安 の幅 に時 代 区 分 を 置 い て い る。 郡 衙 に 関 して は発 掘 され て い な い 所 も多 く、 報 告 書 の 記 載 に関 して もか な りの ば らっ きが見 られ る。 報 告 書 に 「不 明」 と記 載 され て い る場 合 も多 いの で 、 は っ き りと した 時代 区分 の設 定 は 困難 とな って い る。 2.地 図画 像 デ ー タの修 正 遺 跡 位 置 の 入 力 に は 、 国 土 地 理 院 が 刊 行 して い る 地 図 画 像 デ ー タ 「数 値 地 図25000Digital Map25000(MapImage)」 よ っ て64枚 に わ た る1:25000の を 使 用 して い る 。 通 常 、 こ の 地 図 画 像 デ ー タ は 、TIFF型 地 図 画 像 が 、1:200000地 44 勢 図 単 位 で 一 枚 のCD-ROMに 式 に 収 し 風 , 媛・ 撃 譲 45 漁.簸 灘 灘健 糊 髄 轟・爆 舞 属 性 デ ー タ項 目 第1図 め られ て い る。SISは 、 ほ とん どの 地 図 画 像 型 式 に対 応 して い る の で この ま ま表 示 さ せ る こ と もで きる。 しか し、 このTIFF型 式 の 地 図 画 像 デ ー タで は、4辺 に余 白部 分 を伴 った 地 勢 図 を一 枚 づ っ 、 独 立 した形 で地 図 画 像 と して表 示 す る に と ど ま り、 不 連 続 な 地 勢 図 と して SIS上 に表 示 され る(第2図)。 本 研 究 は全 国 規 模 に及 ぶ分 析 の た め 、1:25000の 地 図画 像 を一 連 の 地 勢 図 に し、 日本 全 体 を一 枚 の 日本 地 図 と して使 用 す る必 要 性 が あ った。 その ため、 先 のTIFF型 式 の地 図 画 像 デ ー タを、 余 白部 分 を 削 除 して 隣 り合 う地 勢 図 を切 れ 目 な く表 示 させ る こ とが で きる地 図 画 像 に す るべ く、TIFF型 式 か らSISの 他 の フ ァイ ル型 式 で あ る bds型 式 に変 換 す る プ ロ グ ラム を作 成 し、 地 図 画 像 デ ー タの修 正 を行 った(第3図)。 また 、 個 々 の 地 図 画 像 デ ー タが 一 枚 の 地 図 画 像 と して 統 合 さ れ る こ とに よ って、1:25000 を基 本縮 尺 と して 、 あ らゆ る縮 尺 の 全 国 地 図 を 表 示 させ る こ とが 可 能 とな って い る。 そ の結 果 、 本 件 の よ うな 空 間 分 析 に 関 わ らず 、 このbdsフ ァ イ ル 形 式 の地 図 画 像 デ ー タ は 、 あ ら ゆ る考 古 学 的 空 間分 析 研 究 に お い て 広 く利 用 す る こ とが で き る。 3.入 力作 業 行 程 ・国 府 前 章 ま で に収 集 した資 料 、 設 定 項 目 を も とに、 国府 の 位 置 を 地 図 画 像 へ の入 力 を行 な った。 本 稿 で空 間 分 析 に用 い る国 府 に は、 発 掘 や推 定 地 と して ほぼ 確 定 した もの を 選 ん だ た あ に、 延 喜 式 や和 名 抄 所 載 の国 府 位 置 と は若 干 異 な って い る。 ま た、 国 府 の 変 遷 は国 々 に よ って ば らっ きが 認 め られ る た め、 す べ て の国 府 の機 能 が ま とま って 見 られ る九 世 紀 ∼ 十 世 紀 頃 の 国 府 所 在 地 の もの を入 力 して い る。 入 力 に お い て は、 佐 渡 国、 隠 岐 国、 壱 岐 国 、 対 馬 国 な ど離 島 の 国 府 の 所 在 地 も入 力 して い るが 本 稿 で の空 間 分 析 に お い て、 そ の 四 力 国 に つ いて の 政 治 的 領 域 問 題 に は触 れ な い た め に分 析 の際 に は除 外 して あ る。 この 作 業 を す る際 に主 眼 を お い た点 は、 考 古 学 的 発 掘 や地 理 学 的見 地 に よ り国府 の どの よ うな 部 分 が 判 明 して い るか で あ っ た。 国 府 の範 囲 が 明 確 に判 明 して い れ ば問題 はな いの だが、 遺 跡 は面 的 に広 が りを 持 って い るの に対 し、 現 状 の発 掘 の限 界 性 か ら考 古 学 情 報 に は ば らっ きが 見 られ、 国府 の範 囲 を 明 確 にす る こ と は困 難 で あ る。 国 府 は、 そ の施 設 の機 能 を果 た す た め に様 々 な建 物 群 ・区 画 され た地 域 で 構 成 され て い る た め に、 実 際 に は広 範 囲 に わ た る面 的 な広 が りを持 っ もの で あ る、, 現 時点 で は、 す べ て の 国府 に お い て 国府 の範 囲 を 完 全 に把 握 す る こ とが 出来 な い た め、 ま ず国 府 正 殿 を覆 うよ うな大 き さの ポ イ ン トで位 置情 報 を 入 力 した(国 府 正 殿 の中 心 に入 力)。 この正 殿 が国 府 の 中心 的機 能 を有 して お り、 国府 に お い て 重 要 な 建 物 で あ っ たか らで あ る。 国 府 正 殿 が不 明 の もの に関 して は、 政 庁 域 ・国 衙 域 ・国府 域 ・推 定 地 域 の 中 の 中 軸 線 よ りや や 上 方 に ポ イ ン トを落 と して い った。 ま た位 置 情 報 が不 明 とな って い る国 府 に関 して は、 報 46 繍 ㌧A レ沁 、r、 鳩"x,,, ・㌔ 緬 、,埠 、 く ,細SCfS,kJ;ay籔 'ヤ 購. 、 、 、 7630'0881'16663krn.ON 詫w 写u㈹ 岬"n. 、 象 榊,騨 第2図 、 、 ♪A}!::r.,、 ア 、 宮 や写n}v,、yMlv鴇 '媚' 、 、 焦 距 げ ㍑ 懸 ド ド ミ し 。、 箋 一_. 、榊 謬7531'5292'16563km.Okm コリルぬ らゐ 漁 ゴもぬげ ゐぬ 惑Vb 灘. 灘 雛。灘 灘 々 二 雛懲灘 灘 灘 鍵騨 . 、 叢 灘 り 〃 . 璽難 、 ー 懸鎌 懸灘 鱗 羅 難 鴻 霧 一 国 M 強h一 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記 に沿 って郡 衙 の入 力 も行 な った が、 現 段 階 で はす べ て の郡 衙 の 位 置 を 入 力 す る まで に は至 って お らず 、 現 在 も入 力 作 業 は進行 中 で あ る。 第3章 1.県 SISの 関連情報の入力 境 ・海 岸 線 ソ フ トウ ェ ア 自 体 は 地 図 デ ー タ を 持 た な い た め 、 分 析 時 に 必 要 と な っ て く る 海 岸 線 デ ー タ 、 県 境 デ ー タ に 関 して は 、 国 土 地 理 院 刊 行 の DigitalMap25000」 政 界 ・海 岸 線) を 使 用 して い る 。 こ れ は 位 置 デ ー タ を 入 力 した 際 に 使 用 し た 図25000DigitalMap25000(MapImage)」 タ で あ る(第4図)。 「数 値 地 図25000(行 「数 値 地 と は違 い、 海 岸 線 、県境 のみが表 示 され るデ ー 本 稿 の空 間分 析 に お い て は位 置 デ ー タ の入 力 の際 に 使 用 した 地 図 画 像 デ ー タ は 空 間 分 析 の 際 に は 使 用 せ ず 、 海 岸 線 ・県 境 の み の 表 示 さ れ る 「数 値 地 図25000(行 政 界 ・海 岸 線)DigitalMap25000」 2.古 を 用 いて い る。 代国境 古 代 国 境 が 現 在 の県 境 と重 な る部 分 に つ い て は上 述 の 県 境 デ ー タか らラ イ ンで 作 図 した。 ま た、 一致 しな い部 分 につ いて は歴 史 地 図 や 明治 期 の 日本 分 県 地 図 な どを 参 考 に しなが ら古 代 国 境 と思 わ れ る境 を現 在 の市 町 村 界 を も とに作 成 した(第5図)。 そ の精 度 は、1:100000 0程 度 で あ る。 3.県 庁 分 析 の 際 の比 較 資 料 と して現 在 の都 道 府 県 庁 も合 わ せ て 入 力 を行 い、 都 道 府 県 庁 か ら導 か 49 」 男撚 鱗罵灘羅 貫 蹴 霧灘 綴 霧 纂 謙撒 器 難畏 獄灘 羅 鵜 撚 羅 灘譲難雛騨議翻潜欝 鱗羅 れ ロds 灘 難 鰻繊灘 羅灘il騨 澱 灘鎌藝 譲i 織 繍麟 雛騰ii繊灘 灘 繊 罐 灘灘 嚢 難 灘i雛 騨 ら u ノ - \ 0 げ .劃 、 、 躍 鵬 鞭 購 麟難 繰 灘勲 灘 纏鱗鐡i雛灘 灘i纏 繍鍵懸繊膿 羅 第4図 県 境 、 、 一_蠣 第5図 ・海 岸 線 デ ー タ(「 数 値 地 図25000(行 鱒 ㎝ 鎌1撚 政界 ・ 海 岸 線)DigitalMAP25000」) 譲 糠 繍i罐 灘 灘 灘灘 灘 叢灘 灘 灘i鱗饗 古 代 国 境 ・海 岸 線 デ ー タ(古 代 国 境 は手 動 で 作 成) 50 れ る テ ィセ ンポ リゴ ン図 を作 成 して い る。 都 府 県 庁 所 在 地 につ い て は数 値 地 図25000に 記 載 され て い る位 置 を も とに、 ポイ ン トと して 位 置 デ ー タ を入 力 した。 ま た、 都 道 府 県 庁 テ ィセ ン ポ リゴ ン図 と古 代 国境 の テ ィセ ンポ リゴ ン図 とを 比 較 す る際 の視 覚 表 現 に耐 え られ る よ う に、 入 力 した都 府 県 庁 所 在 地 は大 き く現 わ した 国 府 ポ イ ン トの サ イ ズ に合 わせ て い る。 第4章 1.分 分 析 ・考 察 析 結 果 及 び考 察 収 集 し た デ ー タ を 基 に2種 類 の 分 析 方 法 を 用 い て 、 古 代 官 衙(国 府 ・郡 衙)の 空間分析 を 行 っ た 。 テ ィ セ ン ポ リ ゴ ン法 に よ る 分 析 は 、 国 府 、 郡 衙 、 都 道 府 県 庁 に つ い て 実 施 し た。 テ ィ セ ン ポ リ ゴ ン法 と は 、 あ る 中 心 地 に お い て 、 そ の 支 配 を 及 ぼ す 地 域 を 決 定 す る 有 効 な 方 法 の 一っで ある 。 テ ィ セ ン ポ リ ゴ ン法 を 実 施 す る こ と に よ り、 対 象 と す る 中 心 地 の 理 論 的 な 支 配 地 域 の 形 や 大 き さ を ポ リ ゴ ン(面)で 示 す も の で あ る。 作 図 方 法 は、 近 接 す る二 っ の 中 心 地 間 の 中 間 点 に 垂 直 二 等 分 線 を 引 き 、 そ の 線 を 結 び 合 わ せ て い く こ と に よ っ て 描 く(第6図)。 郡 衙 に 関 して は 入 力 が す べ て 終 了 して い な い た め 、 近 江(滋 賀 県)に お い て の み 実 施 して い る 。 グ ラ ビ テ ィ モ デ ル に 関 して は 前 述 の 理 由 に よ り国 府 に つ い て の み 実 施 し て い る。 グ ラ ビ テ ィ モ デ ル に 関 して は 、SISが 作 図 機 能 を持 た な い た め 手 動 で 作 成 した。 グ ラ ビ テ ィ モ デ ル に お け る 、 中 心 地 間 の 引 き 付 け あ う 相 互 作 用 均 衡 点 の 算 出 方 法 は 『SpatialAnalysisin Archaeology.CambridgeUniversityPress.IanHodderandCliveOrton1976.』 のなか の 「Reilly」 の 式 を 用 い た 。 詳 し い 内 容 は 割 愛 す る が 、 そ の 計 算 式 は 「DxJ=DIJ/1+」-PI/PJ」 で あ る 。DIJを 中 心 地 間 の 距 離 、Pを 各 国 の 人 口 数(澤 田1927)と して い る 。 こ の 「Reilly」 \ γ \ 、 、 、 / \ 尺 \ 1 \11 / \ \ \ \ \ / / 、 \,ー \ 、 \ \ \///// / - 点 と点 を結んだ線 一一 垂直二等分線 点 に対す る領域 第6図 テ ィセ ン ポ リゴ ン法 に よ る領 域 分 割 の例 51 の式 か ら得 た相 互 作 用 均 衡 点 に な る分 割 線 だ け を残 し、 相 互 作 用均 衡 点 ど う しを結 ん で作 図 を した 。 こ れ ら具 体 的 な空 間 分 析 手 法 は 『SpatialAnalysisinArchaeology.Cambridge UniversityPress.IanHodderandCliveOrton1976.」 及 び 『セ トル メ ン トア ー ケ オ ロ ジ ー 1990酒 井 龍 一』 に詳 しい。 各 分 析 方 法 に よ る分 析 結 果 が 第7図 及 び第10図 ∼第12図 で あ る。 第7図 は国 府 の テ ィセ ンポ リゴ ン図 で あ る。 国 府 の場 合 、 テ ィセ ンポ リゴ ン法 が 示 す 理 論 上 の領 域 と当時 の政 治 的領 域 で あ る古 代 国 境 を比 べ て み る と、 テ ィセ ンポ リゴ ン法 で 作 図 し た理 論 上 の領 域 と古 代 国 境 とが ほ ぼ合 致 す るの は九 州 、 山 陰 ・山 陽 ・四 国 な どの 主 に西 日本 で あ る。 多 少 のず れ は あ る が、 古 代 国 境 とテ ィセ ンポ リゴ ン法 が 示 す 理 論 上 の 領 域 とが ほぼ 重 な って描 か れ て い る。 逆 に近 畿 や東 海 ・関 東 ・北 陸 の一 部 な どの 東 日本 と な る と、 テ ィセ ンポ リゴ ン法 で作 図 した理 論 上 の領 域 と古 代 国 境 に は大 幅 な ず れ が 見 られ る。 ま た、 テ ィセ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の領 域 と当時 の政 治 的領 域 の面 積 が どの く らい合 致 して い るか を み て み る た め、 古 代 国 の面 積 とテ ィセ ンポ リゴ ン法 で作 図 した 理 論 上 の 領 域 の 面 積 と を比 較 して 「面 積 比 」 と して計 算 した。 同 じ く古 代 国 の面 積 と テ ィセ ンポ リゴ ン法 で 作 図 した理 論 上 の領 域 と古 代 国 の面 積 の差 を比 較 して 「不 一 致 率 」 と して 計 算 して い る。 こ の 「面 積 比 」、 「不 一 致 率 」 に用 いた 計 算 式 は以 下 の とお りで あ る。 「面 積 比 」=古 代 国 の面 積 ÷ テ ィセ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の 面 積 「不 一 致 率 」=テ ィセ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の領 域 と古 代 国 の 不 一 致 部 分 の面 積 ÷古 代 国面積 「面 積 比 」、 「不 一 致 率 」 と もに算 出 した値 は絶 対 値 を と る こ と と し、 そ れ ぞ れ各 国 ご とに 計 算 、 最 終 的 に全 国 平 均 の値 を算 出 した。 そ の結 果 「面 積 比 」 は全 国 平 均 で103.6%、 致 率 」 は全 国平 均 で58.9%(不 「不 一 一 致 率 に関 して は伊 賀 国 と志 摩 国 に 関 して は、 不 一 致 率 が ど ち ら も300%を 超 え る た め計 算 か らは除 外 して あ る)と な った。 「面 積 比 」 に関 して は、 ほ ぼ 100%に 近 い値 を見 る こ と で き、 テ ィセ ンポ リ ゴ ン法 に よ る理 論 上 の領 域 と古 代 国 の 面 積 は ほぼ 同 じ面 積 を して い る こ とが わ か った。 「不 一 致 率 」 に 関 して は 全 国 平 均 の値 が58.9%で あ り、 各 国 の不 一 致 の差 は ほぼ50%台 に と ど ま る事 が わ か っ た。 っ ま り面 積 だ け を み れ ば、 理 論 上 の領 域 と実 際 の政 治 的領 域 は ほぼ 同 じで あ り、 各 国 の 不 一一致 に関 して は お お よ そ50% ぐ らいの 不一 致 が 見 られ る とい う こ とで あ る。 この 数 値 で判 断す ると、 お お よそ古 代 国 と テ ィ セ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の 領域 と い うの は合 致 して い る と言 え る の で は な い か。 不 一 致 に関 して も国 ご とに差 はあ る もの の 、 お お よそ の 一 致 は見 られ る。 理 論 上 の領 域 と実 際 の政 治 的 領 域 が 合致 す る、 しな い と い うの は、 古 代 以 前 か らの 政 治 的 な ま と ま りが関 係 して く る の で はな い だ ろ うか。 先 に西 日本 で はお よそ 合 致 が み られ 、 東 日本 で は大 幅 なず れ が み られ る と述 べ た が、 西 日本 と い う地 域 は弥 生 時 代 か ら拠 点 集 落 に よ る特 定 の領 域 形 成 が な され、 古 墳 時 代 にな る と地 域 に突 出 した 古 墳(主 に前 方 後 円 墳)が 作 られ て い き、 地 域 的 な統 合 が 52 見 られ る。 こ う した地 域 的 な ま と ま りが 、 「国」 を 形 成 す る段 階 で その ま ま 反 映 さ れ 、 後 の 政 治 的領 域 で あ る古 代 国 境 を形 成 す る基 礎 に な った と考 え られ る。 西 日本 に お い て は隣 接 す る他 の国 と の政 治 的 な勢 力 関 係 も比 較 的 安 定 して い た と思 わ れ、 こ う した理 由 か ら国 府 の位 置 を基 に理 論 的 に算 出 した テ ィセ ンポ リゴ ン法 に よ る作 図 の線 と国 府 の実 際 の政 治 的領 域 で あ る古 代 国 境 が ほ ぼ合 致 す る ので は な いか と考 え る。 さ らに、 小 林 行 雄 が 示 した三 角 縁 神 獣 鏡 の配 布 時 期 の違 う二 っ の分 布 範 囲 で あ る西 方 型 鏡 群 と東 方 型 鏡 群 の図(小 林1961第8図)を 今 回 作 成 した国 府 の テ ィセ ンポ リゴ ン図 と重 ね 合 わ せ て み る と、 国 府 の テ ィセ ンポ リゴ ン図 と古 代 国 境 の合 致 す る部 分 で あ る西 日本 に お い て、 古 い段 階 で の配 布 と考 え られ る西 方 型 鏡 群 の東 限 とお よそ重 な る ことが わか る(第9図)。 これ は西 日本 が早 い段 階 に お いて 、 国 と して安 定 した領 域 を持 ち、 大 和 政 権 と連 合 関係(も し くは従 属 関 係)に あ った と思 われ る地 域 で あ り、 この事 か ら も西 日本 に お い て はテ ィセ ン ポ リゴ ン法 に よ る理 論 的 な領 域 と古 代 国 境 が 比 較 的合 致 す る とい え る理 由 で はな い か と考 え る。 次 に合 致 しな い東 日本 で あ るが 、 西 日本 に比 べ て東 日本 とい う地 域 が テ ィセ ンポ リゴ ン法 の示 す理 論 上 の領 域 と古 代 国 境 が 合 わ な い とい うの は、 日本 に お け る国 の歴 史、 っ ま り国 の 分 割 ・変 遷 が関 係 して くる の で は な い か と考 え る。 「国 」 と い うの は大 化 改 新 以 後 、 天 武 持 統 朝 を経 て律 令 に基 づ く行 政 組 織 が徐 々 に整 備 され て い く過 程 で 、地 方 政 治 領 域 と して 確立 して い った。 初 め は 「総 領 」 とい う広 い地 域 を統 治 す る形 で 支 配 が 行 わ れ 、 後 に各 国 に国府 及 び郡 衙 の設 置 を行 い、 国 郡 制 へ と移 行 して い った。 「国 」 と して の単 位 が い っ 頃 確 立 した とい う時期 は明確 で は な い が、 この 頃 に は ほぼ 当 時 の 「国」 と して 領 域 分 割 が 成 され て いた と言 わ れ て い る。(書 名 挿 入)「 国 」 とい う領 域 分 割 が 成 され た後 の そ れ ぞ れ の 「国 」 の 分 割 や 分立 、 統 廃 合 が行 わ れ た 時期 を見 て み る と、 和 銅 か ら養 老 年 間 に は国 の 分 割 が 活 発 に行 わ れ 、天 平 年 間 に入 る と逆 に統 廃 合 され るよ うに な り、 天 平 勝 宝 か ら天 平 宝 字 年 間 に な る と、 再 び建 国 され るよ うに な る(『 日本 歴 史 地 図 原 始 ・古 代 編 下1982柏 書 房 』 よ り) この よ うな 国 の分 割 ・統 廃 合 の変 遷 を基 に、 テ ィ セ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の領 域 と当 時 の 政 治 的 領域 が合 致 しな い理 由 を考 え て み る。 まず 畿 内 で あ るが、 当 時 の 国府 とい うの は、 律 令 国 家 の地 方 行 政 の中 心 地 で あ った。 しか し、 畿 内 にお け る国府 とい うの は当 時 の 政 治 の 中 心 が 平 安 京 に置 か れ て い る こ とか ら他 の国 にお け る国 府 の 位 置付 け と は違 い、 地 方 行 政 の 中 心 地 と い うよ りは、 む しろ 中央 の政 府 との 連 絡 を重 視 す る と い う位 置 付 けを 担 って い た。 そ の た め、 畿 内 に お け る国 府 の位 置 は国 内 の 真 ん 中 で は な く、 都 に近 い側 に位 置 す る こ と の方 が 多 い。 第7図 を見 て も、 畿 内 の 国府 は 中 央 に寄 って 立 地 して い る事 が わ か る。 こ の こ とか ら、 畿 内 に お い て は テ ィセ ン ポ リゴ ン法 が 示 す理 論 上 の領 域 と、 当 時 の領 域 で あ る古 代 国 境 が合 致 して こな い。 53 Q 曾Q ⊂ハ蔭 \ 範 Y', py ,7 .ち! O O 第7図 国 府 テ ィ セ ンポ リ ゴ ン図 6 、 ② 4 、 8 鼠 鴛 ︾薯 韻 ¢ 一3 ①西方型鏡群 ・東限 ②東方型鏡郡 ・東限 0 第8図 三 角 縁 神 獣 鏡 分 布 図(東 方 型 鏡 群 ・西 方 型 鏡 群) (小 林 文 献 「1996」 よ り0部 改 変) ノ 0① .. r 交的合致する地域 第9図 三 角 縁 神 獣 鏡 分 布 図 分 布 図 と国 府 テ ィ セ ンポ リ ゴ ン図 で は東 日本 に お い て は ど うな の か。 例 え ば 、 陸 奥 国 の分 割 ・統 廃 合 の変 遷 を追 って み る と、 陸奥 国 は岩 城 国 、 岩 背 国 とい うの が 養 老2年5月 に分 立 、 数 年 後 に廃 国 とな り、 再 び 陸奥 国 に併 合 さ れ る と い う変 遷 を た ど って い る。 この 二 っ の国 の領 域 線 とい うの は、 第7図 の 陸奥 国 の下 部 に描 か れ て い る テ ィセ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の領 域 線 と ほ ぼ重 な って く るの で は な い か。 短 期 間 に設 置 、 分 立 、 併 合 を 行 った た め に、今 回分 析 を行 った陸 奥国 の国 境 とテ ィ セ ンポ リ ゴ ン法 に よ る理 論 上 領 域 が合 致 しな いの で は な いか と考 え る。 ま た、 この こ とは信 濃 国 で も同 じよ うな事 が 言 え、 養 老5年6月 後 で あ る天 平3年3月 に 諏 訪 国 と い う国 が 分 立 す る。 しか しそ の十 年 に は廃 国 とな り、 再 び 信 濃 国 に併 合 され る。 こ う した政 治 的 理 由 に よ り分 立 、 併 合 が 成 さ れ た結 果 、 理 論 上 の領 域 と政 治 的 領 域 で あ る古 代 国 境 が ず れ て くる の で は な いか と考 え る。 ま た東 日本 に お いて 、 上 記 の国 以 外 に古 代 国 境 と テ ィセ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の領 域 が大 き くず れ て い る国 と して美 濃 国 が上 げ られ る。 美 濃 国 にお いて は、 先 述 の よ うに分 立 や 併 合 に関 す る は っ き り した記 録 は存 在 しな い た め 、 当 初 よ りこ の領 域 を形 成 して い た もの と 思 われ る。 しか し美 濃 国 全 域 を見 る と、 国府 は 美 濃 国 の か な り西 側 に設 置 され て い る。 仮 に 国 府 が 今 の位 置 よ り も東 側 に寄 って設 置 され て い た か 、 美 濃 国 の中 央 で 国 境 を引 き、 東 側 に も国 府 が 設 置 され て い た と仮 定 す る と、 古 代 国境 と テ ィ セ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 的 な領 域 図 は こ こ まで 大 き くず れ る こ と は な か った の で はな いか 。 美 濃 国 の東 側 に は恵 那 郡(恵 那 駅 家)と 呼 ば れ る大 き な郡 が あ る。 この恵 那 郡 に 国府 が 設 置 されて い た と仮定 してみ ると、 テ ィ セ ンポ リゴ ンに よ る理 論 上 の領 域 線 と仮 定 した 国 の 国 境 とが お お よ そ合 致 す る。 第10図 は国 府 グ ラ ビテ ィモ デ ル図 で あ る。 これ を 見 る と、 グ ラ ビテ ィモ デ ル図 と テ ィセ ン ポ リゴ ン図 と は整 合 性 が 高 い こ と か ら、 国府 が統 括 した 領 域 は ほぼ 理 想 的 に分 割 され た こと が 予 想 され る。 グ ラ ビテ ィモ デ ル は上 述 した よ うに 、 中 心 地 間 の 引 きっ け合 う力 の均 衡 地 点 を表 わ す もの で あ る。 そ の線 が テ ィセ ンポ リゴ ン と重 な って くる と い う こ と は、 地 域 にお け る領 域 分 割 が 中 心 地 で あ る国 府 の力 を反 映 させ た もの で あ る こ とが うか が え る。 ま た、 国 府 の立 地 場 所 に関 して もか な り計 画 性 の高 か った こ とが 言 え る。 第11図 は県 庁 テ ィ セ ンポ リゴ ンで あ る。 県 庁 テ ィセ ンポ リゴ ンは第7図 の 国 府 テ ィセ ンポ リゴ ン図 の 比 較 資 料 と して 分 析 を行 った の だ が、 県 庁 所 在 地 の テ ィセ ンポ リゴ ン法 よ る理 論 的 な領 域 は様 々 な 箇 所 で 、 県 境 と異 な って い る。 県 境 と合 致 して い る地 域 も見 られ るが 、 そ れ は東 北 地 方 な どの0部 で あ る。 県 境 は 日本 古 来 よ りの 国 境 を 踏 襲 しな が ら、 旧 国 の統 廃 合 に よ り県 ・県 境 を 設 定 して い る た め、 県 境 とテ ィセ ン ポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の 領 域 とで は 矛 盾 が 生 じて くるの で あ る。 つ ま り国 府 が設 置 され た と き よ り も、 県 庁 所 在 地 の 設 置 に関 し て は政 治 的 理 由 が よ り強 く表 れ て い る の で は な い か。 そ して 県 庁 テ ィセ ンポ リゴ ン図 にお い て 、 国 府 テ ィセ ンポ リゴ ン図 で は合 致 して い な か った 東 北 地 方 に合 致 が 見 られ るとい うの は、 57 QP 葛 o 58 8 ノ 曙 ■o 第11図 県 庁 テ ィ セ ン ポ リ ゴ ン図 中 世以 降 の 「国 」 の開 発 の歴 史 に お け る政 治 的意 図 が含 ま れ て い るの で はな い か と思 う。 また、 首 都 で あ る東 京 は 日本 の 中心 地 の 中 で最 大 の所 で あ るに も関 わ らず そ の テ ィセ ンポ リゴ ン図 の示 す領 域 は小 さ く、 山岳 地 帯 を含 む地 域 は領 域 が 大 き くな る。 こうい った政 治 的、 地 形 的理 由 が県 庁 テ ィセ ンポ リゴ ン図 で は強 く表 れ て い るた め 現 在 の 領 域 に 関 して は、 テ ィ セ ンポ リゴ ン法 の使 用 の有 効 性 に は検 討 の余 地 が残 る と言 え る。 第12図 は郡 衙 テ ィセ ンポ リゴ ン図(近 江 の み)で あ る。 郡 衙 テ ィセ ンポ リゴ ンは近 江 の み の 図 とな って い る。 入 力 作 業 が 間 に合 わ な か った とい う こ と も理 由 と して 挙 げ られ るが 、 な ぜ近 江 国 を選 択 した か とい う と国府 テ ィセ ンポ リゴ ン図 に お け る畿 内 の 不 一 致 を 郡 衙 で 分 析 して み た場 合 、 ど の よ うな結 果 が得 られ るの か を 見 て み た か った か らで あ る。 国 府 テ ィセ ン ポ リゴ ン図 に お け る畿 内 とい うの は、 都 に 引 っ張 られ る形 で 国 府 が 設 置 され て い るた め テ ィ セ ンポ リゴ ン法 に よ る理 論 上 の領 域 と古 代 国境 とは ず れ が 生 じて しま う と前 に述 べ た が 、 第 12図 の郡 衙 テ ィセ ンポ リゴ ン図 を見 た場 合 、 近 江 国 の郡 衙 に お い て は テ ィセ ンポ リゴ ン法 の / 1.伊 香 郡衙 2.浅 井 郡衙 3.坂 田郡衙 4.高 嶋 郡衙 5.犬 上 郡衙 6.愛 智 郡衙 7.神 崎郡衙 8.蒲 生 郡衙 9.野 洲 郡衙 10.滋 賀 郡 衙 11.栗 太 郡 衙 12.甲 賀 郡 衙 ざ、》 、 ・7'マ … … 国 府 テ ィ セ ン ポ リ ゴ ン線 / / 第12図 郡 衙 テ ィ セ ン ポ リ ゴ ン図(近 60 江 国) 理 論 上 の領 域 と郡 境 とが ほぼ合 致 す る。 郡 衙 の 入 力、 分 析 は一 部 しか で きて いな いの だ が 、 近 江 国 の事 例 を見 る限 り、 郡 衙 に 関 して はテ ィセ ン ポ リゴ ン法 の 理 論 上 の 領 域 と郡 境 とが 合 致 す る割 合 が国 府 の場 合 よ り高 い の で はな い か と考 え る。 しか し、 全 て の 入 力 が 終 わ って い な い段 階 で は仮 定 の話 で しか な い の で、 今 後 この分 析 に 関 して は全 て の 入 力 が 終 わ った 時 点 で も う一 度 検 討 して み た い と思 う。 お わ りに 本 研 究 は、GIS(地 理 情 報 シス テ ム)を 用 いた 考 古学 にお け る空 間 分 析 手 法 の 開 発 に重 点 を お い た。 そ の た め 限 られ た 時 間 の 中 で事 象 の 考 古 学 的 検 証 を 満 足 にす る こ とが 出 来 なか っ た が、 少 な く と もテ ィセ ンポ リゴ ン法 を 用 いた 分 析 が 、 古 代 官 衙 の 領 域 復 元 に有 効 で 有 る こ とを 明 らか に 出来 た と思 う。 今 後 は、 さ らに古 墳 時代 、 弥 生 時 代 へ と時 代 を 遡 り、 考 古 学 の 成 果 を踏 ま えっ っ 日本 にお け る政 治 的領 域 の形 成 史 、 ひ い て は国 家 形 成 史 を 考 え て い き た い。 ま た、 現 在 作 成 中 の全 国 埋 蔵 文 化 財 包 蔵 地 地 図 デ ー タベ ー スの 考 古 学 研 究 へ の 積 極 的 な利 用 を はか る た め に、 基 礎 的 研 究 法 、 空 間分 析手 法 、 ソ フ トの 開 発 を お こ な い た い と考 えて い る。 本 稿 は、 空間情 報科 学 、 GISに っ いて は碓 井 の指 導 、 考 古 学 に っ い て は泉 の指 導 の基 、 文 化 財 学 科4回 生岩山欣司 ・ 野 田卓 が担 当 した。 この原 稿 の 完成 に至 る まで に は酒 井 龍 一 先 生(奈 良 大 学 文 化 財 学 科 教 授)、 山 中 敏 史 先 生 (奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 室 長)、 森 本 晋 先 生(奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 主 任 研 究 官)に 数 々 の ご 指 導 を頂 き ま した 。 感 謝 と と もに御 礼 申 し上 げ ます 。 ま た文 化 財 学 科 の学 友 に は、 この原 稿 の 事 に限 らず 色 々 な面 で 助 言 ・協 力 を頂 き ま した。 こ こに改 め て感 謝 の意 を表 しま す。 参 考 ・引 用 文 献 「埋 蔵 文 化 財 ニ ュ ー ス81古 代 地 方 官 衙 関 係 文 献 目 録 』1996奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所埋 蔵 文化 財 セ ン ター 『日 本 歴 史 地 図 原 始 ・古 代 編 下 』1982柏 書房 IanHodderandCliveOrton「SpatialAnalysisinArchaeology.』1976Cambridge UniversityPress IanHodderandCliveOrton著 深沢百合子 訳 『考 古 学 に お け る 空 間 分 析 』1984フ ジ ター ナ シ ョナ ル プ レス 酒井龍一 「セ トル メ ン トア ー ケ オ ロ ジ ー 」 「考 古 学 ラ イ ブ ラ リ ー58』1990ニ 小林行雄 「古 墳 時 代 の 研 究 』1961青 木書 店 61 ュ ー サ イ エ ンス社 イ ン
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