Sweden Japan Consulting 日本的経営の成立及び戦後の展開 Maths Lundin 2010-10-25 1. 2. 2. a 2. b 2. c 3. 4. 4. 4. 4. 4. a b c d 2010/10/25 日本的経営の概念の源流 日本的経営の成立 工場の体制(1868-1880) 間接的管理体制の成立(1880-1912) 直接的管理体制への転換(1912-1930) 日本的経営論の批判 終身雇用の実態とその変化。戦後から 現在までの動向 労使関係への民主化(1945-1955) 日本経済の高度成長期(1955-1969) 日本的経営ブームの時代(1970-1989) 日本的経営の再構築(1990-現在まで) Sweden Japan Consulting 1 p. 2 p. 2 p. 3 p. 5 p. 7 p. 8 p. 8 p. 9 p. 10 p. 11 p. 1. 日本的経営の概念の源流 1958年に公刊された「日本の経営」(James C. Abegglen, The Japanese Factory – Aspects of its Social Organization)に遡る 日本企業の実証研究(1956-57)日本企業の特長は • 終身雇用制 • 年功序列制 • 企業別組合 日本的経営の「三種の神器」 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 1 2. 日本的経営の成立 戦前に日本の労使関係は三つの段階を経過 a) 工場の体制(1868-1880) 日本の産業化の最初の段階。 殖産興業(富国強兵をスローガンに政府が自ら産業設立)。 工場の組織と管理は徳川後期に確立された類型に従った。 管理職の地位は武士出身の官僚で、労働者は平民であった。 封建的階級差別は管理者と労働者の関係を支配した。 外国人の技術専門家による訓練。賃金水準は彼らの評価に 従い、主として能力に基づいて決定された。 訓練された熟練労働者の雇用流動性が見始められ、民間企業 が登場するにつれて、激しさを増した。 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 2 b) 間接的管理体制の成立(1880-1912) 軍関係を除く官営工場の払い下げ(1880) 産業化は加速され、企業規模は拡大 技術水準はより高度化してきた その期間に労働者は三つの主な範疇から成り立った 繊維産業で勤めた農村地方出身の未婚女性 非熟練労働者(出稼ぎ労働者) 熟練労働者 熟練労働者は親方と呼ばれる労働請負業者につながってい た。これらの親方は外国人の専門家からその技術を習得した。 親方は必要に応じて、短期契約の基準で工場に熟練労働者を 提供した。 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 3 熟練労働者は企業の直接な従業員ではなかった。彼らは独立 した労働請負業者を通じて雇用された。 親方はすべての重要な人事的職能を遂行した(労働者の採用、 訓練、監督、給与) この間接的管理体制で、労使関係を公式化する新しい理念は 必要がなかった。そのため、経営側は前時代の伝統的、権威主 義的理念(封建的階級差別)を固持した。 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 4 c) 直接的管理体制への転換(1912-1930) 明治時代後期より労働争議が多発し、労働条件の厳しさが注目 されるようになった(残酷工場、長時間労働、高い事故率) 政府はこの状況に関心を示し始め、1911年に工場法の制定 (「富国強兵」の国家目標への悪影響の懸念) 産業化がさらに加速された(資本集約で技術志向型の産業) 労働力の高い移動率(労働者の引き抜き)や高い欠勤率等か ら新しい類型の指導性と管理技法が求められた。 親方制度は時代遅れとなった。 よく訓練され熟練した、そして安定した労働者の集団を作り上げ るため、経営側は二つの手段を取った。 親方とその下の労働者を会社の従業員にする 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 5 会社従業員を中学校から直接に新規採用する。 親方と労働者を従業員にするため、一連の奨励策を取った。 常用従業者としての身分 解雇に対する保障 固定給及び昇給等 操業上の柔軟性を保持するため、終身的雇用を最尐の規模 に限定した。それ以外の労働力は「緩衝材」としての採用。 企業は経営と労働との階級区分とは違った、伝統的家族理念 を工場組織のモデルとして適用し始めた。 この温情主義的な人事慣行によれば、会社は一つの家族の ようなものである(家族主義的な温情主義) 家族の伝統等を力説する思想教育(六年制義務教育) 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 6 3. 日本的経営論の批判 通説以外(技術的要因)には、様々な見解がある。 経営文化論 (岩田龍子、1977) 日本的経営は国民的心理特性に由来する。 「非特殊論」 (小池和夫、1977) 日本的労使関係は日本的特質ではない。 終身雇用は「キャリアの内部化」と考えることができ、それは 日 米両国に共通に認められている。 「優良な雇用機会の希尐性」論 (神代和欣) 「企業に対する強い帰属意識」と「並はずれた勤勉さ」を強化 している。 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 7 4. 終身雇用の実態とその変化。戦後から現在までの 動向 a) 労使関係への民主化(1945-1955) 過激な労働運動。 戦後、経営協議会が多くの企業に設けられた 終身雇用制に幾つかの民主的構造改革 電産型賃金体系(電産方式) 生活費を基準する最低賃金制の確立 生活保証給(家族級+本人給)+能力給+勤続給 職員と工員の身分制の撤廃 労働者をすべて社員として処遇する 工員に対しても、月給制が導入される 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 8 安定雇用 「首切り絶対反対闘争」 資本と経営の分離 財閥の解体 b) 日本経済の高度成長期(1955ー1969) 1955年ごろには日本経済は戦前の水準に復活した 戦闘的労働運動は弱体化した 1960年代に平均成長率は10.4% 年齢別人口形態はピラミッド型なため、年功賃金制によって 賃金コストが低く抑えられた。 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 9 c) 日本的経営ブームの時代(1970-1989) 日本的経営が内外で高く評価されていた ジャパン・アズ・ナンバー・ワン(1979) 不景気の際、色々な対策を取った 残業削減 臨時工、嘱託、パートタイマーの整理 新規学卒者及び中途採用者の抑制 従業員の企業内外への配置転換 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 10 d) 日本的経営の再構築 (1990-現在まで) 傾向: 年功賃金は縮小、終身雇用は維持。 低経済成長率: 年間平均1% 年功賃金 年齢構成が逆ピラミッド型になっているため、人件費増加。 パナソニックの対策は 2004年から年功賃金を廃止 全社員の賃金を成果型にする 年齢給を廃止し、成果部分を7割にする(仕事給は3割) 成果主義賃金を採用している企業は83%(2002年)、 導入を検討している企業は13%。 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 11 終身雇用 正社員に関して、維持している企業が多いと見られる。 「原則として定年まで雇用する」と答えた割合は88.5% (平成19年の国民生活白書より) 正社員数を増やずに、労働力を柔軟に外部から導入 する(非正社員数の増加) 2009年の新入社員の調査によると、7割が「終身雇用」を 望んでいる。 労働観の変化 若者を中心に、生涯同じ企業で働くより、自分の希望と適 正に応じて転職したい人々が増加。 労働市場の流動化。 2010/10/25 Sweden Japan Consulting 12
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