51 『 チ ャタレイ事件公判速記録』 中 西 善 弘 , イギ リスで も稀有の天才であ り 「 世界文学史」 において も特異の地位 を占める芸術家,D. H.ロ レンス ( D.H.La wr e n c e )の問題作 , 『 チ ャタレイ夫人の恋人』( Lad y Chat t e T ・ l e y' s エ ッセイス ト Lou e T ・ )は,我が国において平成 8年11月30日,伊藤 整,そ して伊藤 礼 ( 日本大学教授) とい う親子二代 にわたる 「 無削除完全訳」が新潮社か らようや く出版 されて ( I ) 「ひとつの仕事」 を完成す るに至 った。 』「復権元年」 とい チ ャタレイ夫人の恋人 そ うい う意味で,平成 8年 とい う年は,いわば 『 うきわめてシンボ リックな年である。翌平成 9年 には,この 「 チ ャタレイ裁判」の歴史的記録 文学書 ともい うべ き伊藤 整の小説的ノンフィクシ ョン 犠 剛 の復刻脇 明 妹編の ように し て晶文社か ら出版 された。 ほぼ半世紀 も以前の 「 チ ャタレイ事件」の ことをい まの学生 に尋ねて,返答で きない ものが 十中八九いた として も驚 くにあたらない。時は流れ,世の中の状況 も社会の認識 も変化 したで あろうか らこそ, こうい うことを再考する必要があると思われる。 本稿 では,筆者が発見,入手 した東京地方裁判所 ならびに東京高等裁判所 によって作成 され , た 『 チ ャタレイ事件公判速記録軒 をもとに 「 チ ャタレイ事件」のあ らま しを瞥見 し, この事 件が有す る今 日的意義 について触れてみたい。 「 チ ャタレイ事件」 とい うのは, こうである。 イギ リス中部のノッテ ィンガムシヤー出身の チ ャタレイ夫人の恋人』の 日本語 による 「 完全訳」が昭和2 5年 作家 ,D.H.ロ レンスの小説 『 4月2 0日お よび 5月 1日に上下 2巻 ,「ロ レンス選集」の主要作 品 として小 山書店か ら出版 さ 2カ所 に及ぶ記述が 「 猿嚢文書」 にあたるとして警視 れた。が,同年 6月に上下 2巻 にわたる1 庁 に押収 された。発行人小 山久二郎,そ して訳者伊藤 整が刑法 1 7 5条で罰すべ きもの として 2日に起訴 され,昭和26年 5月 8日に東京地方裁判所で開始 された裁判である。「 チ 同年 9月1 ャタレイ裁判」 は東京高等裁判所 か ら最高裁判所 まで検察側被告人側双方による上告 につ ぐ上 , 2年 3月1 3日に決着 し 「 発行人罰金2 5万 円,訳者 告が続 いた。そ して起訴か ら 7年後の昭和3 罰金1 0万円」 とい う判決が最高裁判所大法廷で確定 した。 6回 もの公判が行 なわれた。『 チ ャタレイ事件公判速 この大 きな文学裁判では,総計する と3 記録』 に照 らし合 わせ て,公判の 日程 と出廷 した顔触れを列挙 してみると以下の通 りである。 第 1回公判 ( 昭和2 6年 5月 8日) 中込防暑検事起訴状朗読。弁護側公訴棄却 を要求。中込断尚検事冒頭陳述。 第 2回公判 ( 昭和2 6年 6月 2日) 弁護側冒頭陳述。中込研尚検事起訴状釈明。 第 3回公判 ( 昭和2 6年 6月 5日) 52 天 理 大 学 学 報 英文学研 究家三宅一朗証 人 ( 検 察側 )。 日本 出版協 会会長石井満証人 ( 検察側)0 第 4回公判 ( 昭和 2 6年 6月 7日) 弁護側釈 明。伊藤 整被 告 『 チ ャタ レイ夫 人の恋 人』内容説明。 国会図書館長金 森徳次郎証 人 ( 検察側) 。 第 5回公判 ( 昭和 2 6年 6月1 9日) 伊藤 整被告 『 チ ャタ レイ夫人の恋 人』序文説 明。 日本 キ リス ト教矯風会会長 ガ ン トレッ ト恒証人 ( 検察側)。 第 6回公判 ( 昭和 2 6年 6月21日) 東京 医師会理事森 淳男証人 ( 検 察側 )。評論家 阿部真之助証人 ( 検察側)。 第 7回公判 ( 昭和 2 6年 6月2 3日) 都 立小 石 川高校 長 沢 登哲 -証 人 ( 検 察 側)。交 野 女 子 学 院長 束 ま き証 人 ( 検察 側 )。 第 8回公判 ( 昭和2 6年 7月 5日) 検 察側 ,弁護側双方 の主張の整理。 第 9回公判 ( 昭和 2 6年 7月 7日) 東京教 育 大 学文 学 部 長福 原麟 太 郎証 人 ( 弁 護 側)。評論 家 神 近 市 子 証 人 ( 弁護 側 )。 第1 0回公判 ( 昭和 2 6年 7月1 4日) 国学 院講 師吉 田健 一郎 ( 弁護側 ) o東京工大教授宮城音弥証人 ( 弁護側 ) 0 第11回公 判 ( 昭和2 6年 7月1 7日) 東京工大教授 宮城音弥証 人 ( 弁護側 )。東大講 師吉 田精一証 人 ( 弁護側 )。 第1 2回公判 ( 昭和2 6年 7月2 6日) 文部省督学官駒 田錦 -証 人 ( 検 察側 )。東京女子大学長斎藤 勇証 人 ( 検察側 )。 第1 3回公判 ( 昭和2 6年 7月31日) 映画倫理規定管理委貞会委員長 ,元東宝社長渡辺鏡蔵証人 ( 検察側)。 第1 4回公判 ( 昭和 2 6年 8月 2日) お茶 の水 女子大教授 ,心理学者波多野完治証人 ( 弁護側 )。 第1 5回公 判 ( 昭和 2 6年 8月 4日) 政治評論家岩淵辰雄証 人 ( 弁護側 )。 第1 6回公判 ( 昭和 2 6年 8月 7日) 検察側 ,弁護側双方 の主張 の整理。 第1 7回公判 (昭和26年 9月 8日) 東京 ,神 田, 自動車修 理工場 主宮 川 まき証 人 ( 検 察側)。警視 庁 防犯課長宮 地直 邦証 人 ( 検察側 )。 第1 8回公判 ( 昭和 2 6年 9月1 1日) 津 田女子大学教授 ,学士院会貞土居光知証 人 ( 検 察側 ) 0 第1 9回公判 ( 昭和 2 6年 9月1 5日) 検 察側 ,弁護側双方 の主張 の整理。 第2 0回公判 ( 昭和 2 6年 9月1 8日) 文部省督学官駒 田錦 -証 人 ( 検 察側)。映画倫 理規 定管理委 貞会委貞長 ,元東宝 社長渡辺鏡蔵証人 ( 検 察側 ) 0 53 『 チ ャタレイ事件公判速記録』 第21 回公 判 ( 昭和 2 6年 9月2 0日) 東京女子 大学長斎 藤 勇証 人 ( 検 察側)。東 京工 業大学教授 宮城音 弥証 人 ( 弁護 側 )。 第2 2回公判 ( 昭和 2 6年 9月2 5日) 農業峰岸東三郎証人 ( 弁護側)。舞台芸術学 院講師医師野尻与顕証 人 ( 弁護側 )。 第2 3回公 判 ( 昭和2 6年 9月2 7日) 日本女子大学教授 児玉 省証人 ( 検察側 ) 。 第2 4回公判 ( 昭和 2 6年 1 0月 6日) 小 山書店取締役高村 昭証人 ( 弁護側 )。 第2 5回公判 ( 昭和 2 6年 1 0月11日) 岩波書店取締役会長堤 常証 人 ( 弁護側 ) 。創元社社 長小林 茂証 人 ( 弁護側 )。 東大大学 院学生城戸浩太郎証人 ( 弁護側 )。 第2 6回公判 ( 昭和 2 6年 1 0月1 3日) 横浜 医大教授 森 山 豊証 人 ( 検 察側 )0 第2 7回公判 ( 昭和2 6年 1 0月1 8日) 文芸家協 会会長青 野挙 警証 人 ( 弁護側 ) 。 日本 ペ ンクラブ副 会長,芸術 院会 員豊 島与志雄証 人 ( 弁護側 )。 第2 8回公判 ( 昭和2 6年 1 0月2 3日) 日本 出版 協 会 会 長 石 井 満証人 ( 検 察 側)。東 京工 業 大 学 助 手 宇 留 野 藤 雄 証 人 ( 職権 に よる証 人)。東京竹台高校 生徒曾根 千代子証人 ( 弁護側 )。 第2 9回公 判 ( 昭和2 6年 1 0月2 5日) 検察側 ,弁護側双方 の主張 の整理。 第3 0回公判 ( 昭和2 6年 1 0月3 0日) お茶 の水女子大教授 波多野完治証人 ( 弁護側)0 第31 回公判 ( 昭和 2 6年 1 1 月 6日) 検察側 ,弁護側双方 の意見の整理 お よび伊藤 整,小 山久二郎両被 告 に対す る最 終訊 問。 第3 2回公判 ( 昭和 2 6年 1 1月2 2日) 検察官論告。 第3 3回公判 ( 昭和 2 6年 1 1月2 8日) 正木 ひろし 具主任弁護 人弁論 ( その 1)0 第3 4回公判 ( 昭和 2 6年 1 1月2 9日) 環 昌一 ,環 直弥両弁護 人弁論。 第3 5回公判 ( 昭和 2 6年 1 1月3 0日) 中島健蔵 ,福 田置窄両特別弁護 人弁論。 第3 6回公判 ( 昭和 2 6年1 2月 3日) 正木 具 主任弁護 人弁論 ( その 2)。伊藤 整,′ J 、山久二郎両被告最終弁論 。 第3 7回公判 ( 昭和 2 7年 1月1 8日) 判 決。 0年代 の 日 ここに リス トア ップ した検察1 恥 被告 人側双方 の証人の顔 ぶ れ を考 える と,昭和2 54 天 理 大 学 学 報 本の最高知識人たちの 「 人名索引」がで きあが る。 とくに被告人証人の証言 は どの人物の証言 ち,思想 的に も強敬 な意志 において も説得力 に富み,証 人の言質はすべ てが理路整然 としてい る。 日本 で最初の文芸濃褒裁判 を彼 らは驚 くほ ど精魂 こめて勇敢 に戦 っていることが分か る。 伊藤 ,「青野季吉 と豊 島与志雄 と広津和 郎 と中島健蔵が,起訴騒 ぎ 整 は公判当時 を回想 して の前後 に検事局へ行 って,検察側の善処 を求 めたことを知 った時 に,私 はほ とん ど交際 とい う もの もない この人々の動 きに驚 いた。そ して,それ を機 会 に,文芸家協 会が動 くようにな っ て, 自分が全 く予定 しなか った支持が文壇 に広 く起 こっていることを,ほ とん ど驚 きの念 をも って私 は理解 したのである」 4 ' と述べ ている。 と くに文芸家協会の会長 を務 め,あわせ て 日本ペ 』『ア ン ドレ ・ ンクラブの副会長 の要職 にあ った青野季吉,特別弁護 人で Fフランス文学入 門 ジイ ド研究』等 々の著書が あ った東京大学講 師中島健蔵 ,F芸術 とは何 か』の著書や 女達 j 『カクテル ・パ ーテ ィ』の翻訳 があ った特 別弁護 人福 田伍有 は,正木 環 具,環 『 恋す る 昌一, 直弥 といった東京大学法科卒の本職弁護士 を補佐 して余 り有 る役割 を担 った。 なかんず く,福 田恒有 が 「 最終弁論」 お よび 「 最 終 陳述」の なか で行 なった立証 は,予言 壷,意義 壷とLIあ占レ ス を高 く評価す る試み といえよう。我が国の「ロレンス学」の鳥富 者 ともい うべ き福 田伍有 の ロレンス観 は,鋭 く繊細 な直観 の働 きが見 られ,客観的な論理のはこ びか たに貫かれてい る。立証 のエ ッセ ンス を (要 旨)とい う形 で簡単 に紹介 してお きたい。 (要 旨 )が簡潔 な く解説 )として理解 されるであろうか らである。 1.E jレンスの思想に即 しての 「 猿泰の定義」 (要 旨) ロ レンス は,性 の 「 秘密性」 と性 の 「 慎 しみ」 とは同 じで ない こ とを強調 し,性 の 「 慎し , 秘密 み」 をな くしてほならない と主張す る。「 慎 しみ」 とは性 にたいす る敬虞 な感情 であ り 「 性」 とは無用 な恐怖感 であ る。そ して濃褒文書 の特徴 は,性 の 「 秘密性」,即 ち性 を秘密 な も の としておいて,それ を くす ぐってやることにある。つ ま り, くす ぐられる快感 を生 じるため には,性 を秘密 に してお く必要がある とい う心理 を栄泰文書の作成者 は, じつ によ く心得 てい る。 2,E jレンスの思想の敷石‡ (要 旨) Cl i fo r d) を否定 したのは, 自分 の うちに ロレンスがチ ャタ レイ夫 人の夫, ク リフ ォー ド ( あるク リフォー ド的な もの,すべ ての現代 人の うちにある 「 個 人的 自我」 を否定 しようとす る 表 出である。 クリフォー ドとい う人間は,他 人に対 して, よ り多 くは人間全体 に対 して,信頼 感 を喪失 している現代 人 として念入 りに描 かれている。 この 「 信頼感 の喪失」か ら,人間は 自 , 孤独」 に陥 り,他 人か らの 「 脅威」 を感 じる。そ して この 分 だけ しか頼 る ものが な くな り 「 脅怖感か ら脱け出す ために,つねに自分 を他 人 よ り 「 優越す る地位」 に置いておかなければ不 hebi t c hg o dde s sSuc c e s s ' ) とは, この ロレンスの 安 でな らない。例 の 「 成功」 の牝大神 (t̀ いう 「 優越意志」,成功 して 自分 を優越せ る立場 にお きたい根性 を表 わ している。 ク リフ ォー ドの正体 は,結局, 自尊, 自己主張,倣慢 ,優越意志,利 己心のか たま りである。それは 「 意 志の悲劇」 と診断で きる。 55 『 チャタレイ事件公判速記録』 3.ロレンスの作品中の人物の型による思想の解鋭 く要旨) 。『チ ャタレイ夫人の恋人』 に ロレンスの作品には,三種類 の類型化で きる人物が登場す る Co ns t nc a e) ,B 型 はメラーズ ( Me l l o r s ) ,C 型 は ク. ) ついていえば,A 型 はコンス タンス ( 対立」 している。B 型 フォー ドである。 この うち B 型 と C 型 とは両極端 を表わ し,互い に 「 知性 とは原始生命 を保有 した 「自然人」,C型 とは文明化 され機械化 された ヨー ロ ッパ 的 「 人」 を表わ している。その他あ らゆる反対概念 をこの両者 に附す ることがで きる。B 型 は性 的健康,それに対 して C 型は性的不健康。 また B 型は 「 無意識 なる肉体」であるの に反 し, C 型は 「 意識せる精神」。即 ちギ リシャ神話 に例 をとれば,B 型は 「デ ィオニュソス神」であ り,C型 は 「アポロ神」であるO外観 的特徴 をあげれば,B型 は黒褐色 の毛髪 をもち,或 は ひげをはや している。C型 は白色の皮膚 で,ブロン ドの髪 の毛 をもってい る。B型が しば し ば壇せていなが らどこかに鋭い生命力の弄 りを感 じさせ る肉体 の持 ち主であるの に反 して,C 型は筋骨質で頑健 であるか,頑健 でな くともごつ ごつ した肉体 の所有者であ る。A 型 は,B 型 と C 型の両者 に通 じなが ら,即 ち,B 型 ,C 型の どれ とも結 びつ く可能性 を有 しなが ら, そのデ リケイ トな感受性 のため につね に 「 受 身」の立場 に立 って,B型 ,C型両者か ら 「 牽 引」 されている。そ して A 型の人物が ロ レンス 自身である。 ロレンスの生涯 と作 品 とを概観 してみると,つ まるところ,この A,B,Cの三類型の組み合 わせの変化が顕著 にみ られ,そ の変化 に応 じ,ロレンスの思想の深化 を跡づ けることが可能になる。 4.ロレンスの思想の最後的段階 (要旨) ロ レンスの思想 は,初期,中期,後期 の執筆段 階で変化 してゆ く。『 チ ャタ レイ夫 人の恋 人』 は,この第三段 階 に位置 し,そ こでは B 型の勝利 と C 型の敗北がみ られ る。 この B 型 の勝利 とは A 型が B 型 を受 け容れたのであるか ら,当然 A+B 型 として表 わ される.その一 番 はっきりしている例が メラーズである。『 チ ャタレイ夫人の恋人Jで ロ レンスはは じめて 自 己の理想 を肯定的に描 いた。それ以前の作品では世間か ら容れ られないだけではな く,一人の 女性か らも十分 に理解 されなかった A+B 型が ,『チ ャタレイ夫人の恋人』ではは じめて 自分 を真 に理解 し, 自分 とともに 「 創造の神秘」 にひた りうる女性 を創造 しえた。C型の敗北 よ りは A+B 型の勝利 と希望 とを暗示 したのである。 自分の理想 を受 け容れ られる女性 を創造 し えたのである。当然 『 チ ャタレイ夫人の恋人』では過去の作品において試み られた 「 単 に一つ の型の性」 ( 個 人的,皮相 的,一時的 な慾 望)を否定す るや りか た とは ちが って,根 源 的な 「 創造の神秘」 につながる性 ( 奥深い,非個人的な偉大 な慾望)の型 を描 こうと試みたのであ る。それで もメラーズはコンス タンスが この 「 永遠の流れ」 にひたれる女性であることを直観 しなが ら, ときお り自信が もてな くなって,身 を退けようとする。性 を汚 した くない と思 って 永遠の流れ」 にひたって不動 の姿 「 孤立」の うちに閉 じこもろうとす るO これは,つ まり,「 勢 をとっている人物の象徴 である。即 ちロレンスは,「 性 の解放」や 「 性 の 自由」 を叫 んでい るのではないのだ。彼 は C型の多い現代社会では,それがいか に危険であるか を感 じ, しば らく 「 孤独」の うちにあって性 についてよく考 え,その 「 意識面の解放」 を しようと述べ てい るのである。 56 天 理 大 学 学 報 5.誤読の可能性 について (要 旨) 検察官が力点 をおいているのは,文学の社会的影響である。そ して検察官 自身,「 誤読」 も 無理はあるまいという証言 を様 々な証人か ら得 ようとしている。「 文学のわか らぬ」 ピュー リ タン斎藤 勇証人,土居光知証人の如 きは, ともに 「 誤読」 していたと考えられる。仮 りに問 題の書が 「 誤読」の可能性の多い作品だと仮定 して,それだか らといって,いや しくも法律的 にこれを裁 き,罪人を出すか どうか という重大な問題 において,その基準 を 「 誤読」 にお くと い う馬鹿げたことが許 されてよい とは思われない。百人中八十人 まで,いや全部が全部 「 誤 誤読」 という言葉が成 り立つ以上,そこに 「 正読」の余地があることを 読」 したとして も,「 ■●■■■●●■●●●●■■●●●●■●●●■■●■●●■ 認めたことにはかならない。裁判 とは外見上の誤解 をほ ぐして 「 正解」 に至るまでの手続 きを 意味する。 6.伊藤 室の 『 チ ャタ レイ夫人の恋人」 】を訳 した必然性 (要 旨) 明治以後の日本の文学史において,その主流をなしたものは 「 私小説」である。あまりにも 私はか くも情 ない,下 らない人間 日本的な文学である 「 私ノ J 、 説」 とは, 大 ざっばにいえば,「 である」 とい うような自己告 白が遠謀 と続 き,そ こに拝情がただよう文学である。伊藤 整 私 は悪者 だ」 とい う口実の もとに 「 誠実」 を売物 にす る 日本 の 「 私小説」 を 「 出家遁 は,「 逃亡奴隷の文学」 として批判 し,「 私小説」の伝統 に反逆 していた。即 ち,人間 世」の文学,「 の外面的行動を因果の必然性 に頼 って書 く手法に異 を立て,人間内部の意識の世界 を描 く文学 誠実」 を売物 に した くない。 しか 作品を書 こうとした。「 誠実」 な作家であればあるほど,「 0世紀の知識階級 として2 0世紀文学が内包する悪循環 と し, 自意識の悪循環に苦悩する。同 じ2 対峠 したロレンスに伊藤 整は同伴者の意識 をもったのである。 福 田悟存が意図 した立証 ( 5 ) は ,詰 まるところ 『 チャタレイ夫人の恋人』が ロレンスの 「 最後の 小説」であ り,彼の思想がそのなかに全部表現 されているということである。 ロレンスの 「白 鳥の歌」 ともいうべ きこの小説の思想は,それ以外のロレンス作品に描写 された思想 とも首尾 , チャタレイ夫人の恋人』は,ロレンス仝著作の 一貫 した緊密な連関性がある。換言すれば 『 「 一部」であると同時に 「 全体」で もある。その ようにロレンスの思想 も今世紀の思想史上, 「 一部」であると同時にその 「 全体」 を担 っているのだO 福 田恒存の弁論は,伊藤 整が 『 裁判』で言及 しているように,学問的にも貴重な収穫でこ れまで我が国にはなかったロレンス論の最 もす ぐれたものである。 ちなみに福田伍存は,戦後,文芸批評や劇作の方面にさっそうと登場 した。が,彼ほど個人 2年に発表 した 「 一匹と九十九匹と の 自我 に固執 し続けた思想家はまれである。例 えば,昭和2 - ひとつの反時代的考察- 」 と題 された論貨 を一読 されたい。彼は 『 聖割 「 ルカ伝」第 1 5章 に注 目し,一匹の側 に立つのが 「 文学」であ り,九十九匹の側に立つのが 「 政治」だと主 集団主義」の病弊を批判するとともに,「 個人」の生命原理を追求すべ き点を力説 して 張 し,「 いる。終生,福 田伍存は,個人が社会に勝 ると徹底 した 「 個」の優位 を説 き,保守思想のなか でも 「 孤立者」 として 「 単独者」 として孤高 を保 ってきた。一見 して強烈な自我 を根拠 にして 平衡 いるようではあるが,あえてその私 は無であるとする生 き方 を選ぶ福 田恒存の思想 は,「 57 『 チ ャタレイ事件公判速記録』 ( 7 ) 感覚」 に立って生 きようとしたロレンスの思想 とオーバーラップする資質を窺わせる。 , 確かに現代人は 『 チ ャタレイ夫人の恋人』 において語 られているように,真の意味で血の 通った 「 生」,血の通 った結合 を喪失 して しまっている。金銭,階級意識,個 人的利害 という 結 びつ きかた しか理解で きない ように もみえる。事実,現代 は,卑近 な例 だが,離婚が流行 し, また離婚 しない夫婦 だ として も至高の強い信頼 がある とはい えな くなっているo現代 人 は,両性関係だけではな く,総 じてあ らゆる人間相互間の真の意味での結合を喪失 して しまっ ている。そこにあるのは 「 不信」 だけである。そ こか ら廷生する手立て としては 「 真の積極 コスモス .IIJ■●●■ , , 生」の リズムのある宇宙 と関係づ け られた偉大な法則,即 ち 的な血液的な接触」 を通 じて 「 「自然の再聖化」 を成就 しなければならないだろう。そのための一番本質的な通路が,男女関 係澱 ある。それが確立 されないうちは,あ らゆる女性,あ らゆる男性,国民,人種,人間 の諸階級の間にも,真の生の調和 は訪れないだろう。『 チ ャタレイ夫人の恋人』 において うち だされているメラーズの 「 無階級性」の問題 とい うのは,そうい う観点か ら扱 われているので あって,たんに地主貴族など 「 上流階級」 と 「 労働階級」 との反 目ということではない。 また 金銭 とい うの もそうで,人間相互の根源的な 「 生」の結合状態が失われると,それをわずかに っな ぐもの として金銭が利用 される しかないのである。今 日,われわれは,幸福や希望や信頼 を金銭 とい う俗物的な打算的なものによって換算す る 「 次善の方法」 しか兄いだせ な くなって , , いる。 このように論 をすすめてゆ くと 『 チ ャタレイ夫人の恋人』 こそは 「 対立」 を抱 えつつ も 「 平衡感覚」 を貫 こうとする 「 個」の生命の書,小山書店主の言葉 を借 りれば,まさに生の 「 警世の書」 といって慣 らないだろう。 逆説的になるが,ロレンスはこの書のなかで ,『チ ャタレイ夫人の恋人』 を糾弾する敬 け ではな く,支持する輩にも 「 対立」 を示 している。 ロレンス 自身が述べているように,彼の主 張が世間に流布 されて くれば,宙ぶ らりんな輩か らは支持 されないか もしれないのだ。つ まり ロレンスは決 して帯 革の性革命論者ではない.彼 ほど性や愛や結婚 について真筆に考 えた作家 はいないだろう。断わってお くが, ロレンスの真意は,間違いな く 「 一夫 一婦制」である。 フ ェ ミニズムの政治学か らすれば,ロレンスの精神 は反時代的 と映るかもしれない。性の解放論 ,「誤解」 によって まつ り上げ られたの 者な らず とも, ロレンスは 「 誤解」 によって非難 され だ。そ こに 「 本質的に悲劇の時代である」現代の病巣が存在す るのだ。 『 チ ャタレイ事件公判速記録』 は,この 『 チ ャタレイ夫人の恋人』に窺 えるロレンスの言い 分 を自己の戦い として正面か ら証明せ んがためにたちむかっていった 日本の インテ リゲ ンチア 各層 を代表す る文化的断面図 として実 に興味深い唯一の資料である。 これまでになかった画期 的な裁判の公式記録であるばか りではな く,それはまた 日本人の精神風土の実体 を明白に示 し た完全 な証拠資料 となった。 まさに 「 生 きた民主主義の最高の読本」 と化 したのだ。 法治国家において 「 裁判」は人間を裁かなければならない。 しか しなが ら, この 「 裁判」が ●●■■●■●●■●●●■■●●●■■● 後世の歴史によって裁かれるの も事実である。伊藤 礼は,補訳 を終 えてこう書いている。 「 伊藤の家では,親子二代でチャタレイを訳 して,親子二代 で手錠 をはめ られたと週刊誌が 中略)- 昭和2 6年の日本は,解放 された 日本であ り,未来 に 書 きたてるか もしれない - ( 向かって進む 日本であ り,チ ャタレイ事件が似合わないで もなかったが,平成 8年にチ ャタレ 。 j ィで手錠 をかけ られるのは単 なる ドジとい う感 じがする 8 ' 時代が変 わ り 「 社会通念」が変 われば,人間の評価 はおのず と変わる。なるほ ど,芸術 が 「 社会通念」 を陵駕 し問題 を提起す ることは よ くあることである。「 チ ャタレイ事件」 は,そ の文化裁判のテス ト ケース として,風紀,社会思想,法律問題その他多様 な問題 に正面か ら 58 天 理 大 学 学 報 勇猛果敢 に挑戦 した。 こう したか ら くりが 「チ ャタ レイ裁判」のケース において, い まここに 生 きる人 間の 目か ら歴然 と見 えて くる。 血 を流 した翻訳 が, ようや く 「 原 文」 に即 した形 で改訂 され, 「 完 全復 活」 となった。以前 伏 せ 字 り削 除 されてい た箇所 を探 す ゲ ーム も一興 ではあ るが,「 原作」 が物語 る ● ● ●にされていた ●●● 魂 の真 の解放 に対す る鋭い洞察 をい ま一度各 「 個 人」の視点 か ら考察す るゆ とりを もたれ る よ う希求 したい。 注 (1) 世界の出版界 と法曹界 を騒がせ世紀の数判に発展 した原作 F チャタレイ夫人の恋人」は,イ ギリスではペ ンギン ・ブックス杜 ( Pe ng ui n Bo o kBLi it m ed)が,「 削除版はロレンスの書いた 小説ではない」 と主張 して,「 無削除完全版」 を昭和35年夏 を期 して 「 ペ ンギ ン ・ブ ックス」 (p̀e ng ui n Bo o kB' )の一冊 として出版 した。 しか し,検察当局か ら公訴 された大裁判 となっ た。昭和35 年1 1月 2日,裁判は出版社側勝訴 となって幕 を閉 じた。 Gr o ve Pr e s s)が,ニューヨ また,アメリカで もイギリスより1年早 くグローヴ ・プレス社 ( ークで完本 を出版 した。 これも裁判沙汰 となったが,出版社側の勝ちとなって結審 した。 ( 2) 『裁判」の原形は,昭和2 6 年の暮れに 「中央公論文芸特集」に収録 されたルポルタージュ的報 告であった。伊藤 整はこれを昭和2 7 年筑摩書房か ら上梓するにあたって,この報告に加筆 を ほどこし 『 裁判 が誕生 した。その後,昭和49年に新潮社版 F 伊藤 整仝剣 に載録 され,昭 和お年には旺文社文庫 として も刊行 された。今回の晶文社版 F 裁判』の復刻では,これまで公 表 されたことのない当時の新聞社関係のかな りの分量の写真が資料 として掲載 されている。厳 粛で忌博のない激 しい論争の様子などを視覚に訴 え伝 えて くれる貴重な証左 として妨林 とさせ るものが窺える。 (3) F 公判速記録』は,手書 きによる,いわゆる 「ガリ版」 ( 謄写版)印刷が A3サイズの和歓 に なされ,折半 され,右端で綴 じられ,公判 ごとに,あるいは出廷 し発言 した人ごとにまとめ ら れ,そのそれぞれに厚手の衰耗が付けられている。 (4) 「 改訂版へのあ とが き」5 65 頁- F 完訳 チャタレイ夫人の恋人』( D.H.ロレンス著,伊藤 整訳,伊藤 札補訳,新潮文庫) 0 ( 5) 蛇足 なが ら,福 田伍存が昭和2 6 年1 1月3 0日に 「チ ャタレイ裁判最終弁論」で行 なった陳述 は,翌年 7月に新註 を加 え再編集 され,シェイクス ピア,ジョイス,ガーネッ ト,エ リオッ ト など新稿 を附加 して F 西欧作家論」 として増補 し上梓 される運びになる。 ( 6) 『 福 田憧存著作剰 第 7巻 ( 新潮社,昭和3 2 年)2 2 5 頁 -2 4 6 頁参照。 (7) この点 を決定づ ける裏付 け として,D.H.ロレンス著,福 田伍存訳 F 性 ・文学 ・検閲』 ( 新 潮社,昭和31 年)の 「 あ とが き」のなかで福 田恒存は,「 青春時代の私の人間観に決定的な影響 を与えた外国の作家は誰か といわれれば,このロレンスただ一人をあげる。一人で も多 くロレ ンスの理解者がふえることを希望するが,性が一度 も倫理の対象 となったことのない 日本で, この書ははた してどの程度の効果をあげることか」 と感想 を吐露 している。 (8) 伊藤 礼 「 父 と私の F チャタレイ夫人山 3 43頁- F 文蛮春秋」平成 8年11月号。
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