『小野国際交流クラブ 第105回例会』(2014年5日17日)

小 野 国 際 交 流 ク ラ ブ 第 105回 (平 成 26年 5月 )例 会 の ま と め
< 日
時 > 平成26年5月17日(土)
< 会
場 > コミセン小野302号室
<今月の話題> 「 太 古 か ら 現 代 ま で の ア フ リ カ 」
話 題 提 供 者:村 田 和 繁 会 員
< 配 付 資 料 > 「 小 野 国 際 交 流 ク ラ ブ 第 1 0 5 回 (平 成 2 6 年 5 月 ) 例 会 (レ ジ ュ メ )・資
料」
(以下、『資料』と表記します。)
<紹介したDVD>① 『 資 料 』1 ~ 4 頁 に 概 要 を 記 載 し て あ る『 N H K 高 校 講 座「 世
界史」』-アフリカ史-
② 『 BS世 界 の ド キ ュ メ ン タ リ ー 』 ( ア フ リ カ 関 係 、 ネ ル ソ ン ・
マンデラ関係等々の番組の録画)
③ 『キャッチ! 世界の視点』
(借用ご希望の方は、ご遠慮なく村田会員までお申し出下さい。)
Ⅰ 話題提供者の話など
計 画 と し て は 、 『 資 料 』 1枚 目 の Ⅰ に 記 載 の DVDを 上 映 映 像 や 語 り を 視 聴
し な が ら 、 メ モ す る 必 要 が 少 な く な る よ う に 、 『 資 料 』 を 作 成 し 、配 布 し
た 。し か し 、上 映 関 係 機 器 が 予 定 通 り 、正 常 に 作 動 せ ず 、や っ と 映 像 は ス
ク リ ー ン 上 に 流 れ た が 、音 声 が で な か っ た 。従 っ て 、話 題 提 供 者 は 、別 添
『資料』に従い、説明を続けた。
Ⅱ 質疑応答・意見交換
1 か つ て リ ビ ン グ ス ト ン や ス タ ン レ ー は 偉 人 伝 中 の 人 物 で あ っ た 。し か し
彼らの探検によってアフリカの植民地化が進んだという側面かある。
2 ロ ー デ シ ア と い う 国 は 、イ ギ リ ス 人 実 業 家 で 政 治 家 の セ シ ル・ロ ー ズ に
ち な んだ 国名 であ る。南ア フリ カの ダイア モ ンド を独 占し て、イギ リス
の た め に ダ イ ア モ ン ド シ ン ジ ケ ー ト を 作 り 上 げ た 。イ ギ リ ス か ら す れ ば
す ば ら し い 功 労 者 だ が 、ア フ リ カ か ら す れ ば と ん で も な い 略 奪 者 で あ っ
た。
3 大量虐殺のような悲惨な事件が起こるのは依然としてアフリカが多い。
現 在 マ ン デ ラ の 後 継 者 た ち が 南 ア フ リ カ の 政 権 を 担 っ て い る が 、高 い 失
業率を克服できないため、国民の不満が高まっている。最近は、白人系
の政党への支持が高まっているそうだ。
4 N H K は 偏 向 し て い る と 批 判 さ れ る こ と が 多 い が 、教 育 番 組 の 中 に は 今
回 紹 介 さ れ た 番 組 の よ う に 役 に 立 つ も の も あ る 。し か し 、ア フ リ カ に 多
文 化 共 生 の 時 代 が 来 た と い う の は 、果 た し て 事 実 だ ろ う か 。あ ち こ ち の
国 に 内 乱 や 内 戦 が 起 こ っ て い る 。ナ イ ジ ェ リ ア で は 、女 子 学 生 2 0 0 人
以 上 が 過 激 派 に 拉 致 さ れ た 。女 子 学 生 が 狙 わ れ た の は 、本 来 イ ス ラ ム 教
徒であるべきナイジェリア人がキリスト教系の学校に通うのがけしか
らぬということだったようだ。
5 こ こ 数 十 年 、「 多 文 化 共 生 」が 国 際 社 会 の 進 む べ き あ り 方 の よ う に 宣 伝
さ れ て き た が 、ウ ク ラ イ ナ な ど の 情 勢 を 見 る に つ け 、果 た し て そ れ は 正
し い の か 疑 問 に 思 う 。異 な る 民 族 や 文 化 を 持 つ 者 を 一 つ の 国 に ま と め る
のは、非常に困難だ。文化的、民族的にある程度共通項のある人々がま
とまって国を作るのが、本来のあり方ではないかと思う。
6 「多文化共生」は美しい言葉だが、これは「平和憲法」と同じで理想に
す ぎ な い の で は な い か 。「 戦 争 放 棄 」が 本 当 に 可 能 な ら 、日 本 以 外 に も
同 じ 憲 法 を 持 つ 国 が ど ん ど ん 誕 生 し て も い い は ず だ 。日 本 の「 平 和 憲 法 」
を 作 っ た ア メ リ カ 人 の 憲 法 は 、「 平 和 憲 法 」で は な い 。こ ん な ま や か し
からは、一刻も早く脱しなければならない。
7 日 本 は 皇 室 の 伝 統 が あ る お か げ で 一 つ に ま と ま る こ と が で き る が 、異 な
る 価 値 観 を 持 つ 人 々 が 一 国 の 中 に 多 数 い る 場 合 、自 分 た ち の 価 値 を 優 先
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したいがために対立し、分裂の危機が訪れる。ウクライナの場合は、反
ロシア派と親ロシア派の権
力闘争だ。
一 国 の 中 で キ リ ス ト 教 徒 と イ ス ラ ム 教 徒 が 共 存 す る の は 難 し い 。自 治 権
の 拡 大 を 求 め る チ ベ ッ ト 人 や ウ ィ グ ル 人 に 対 し て 迫 害 、弾 圧 を 続 け る 中
国は、彼ら(チベット人やウィグル人)こそ国家分離主義者だとレッテ
ルを貼って弾圧を正当化する。
6 年 前 に 南 ア フ リ カ を 訪 れ た 時 の 印 象 で は 、黒 人 の 間 で マ ン デ ラ は 神 格
化されているが、後継者に恵まれていないようだった。
南 ア フ リ カ の 失 業 率 が 高 い 原 因 の 一 つ は 、言 語 が 多 す ぎ て 、な か な か コ
ミュニケーションが取りづらいこと。もうひとつは教育程度が低くて、
失 業 者 を 雇 っ て も 使 い 物 に な る か ど う か 分 か ら な い こ と だ 。し か し 国 民
性は悪くない。
ア パ ル ト ヘ イ ト 政 策 は 、ひ ど い も の だ っ た 。ヨ ハ ネ ス ブ ル グ 近 郊 で 黒 人
が 強 制 的 に 居 住 さ せ ら れ た ソ ウ ェ ト は 、現 在 解 放 さ れ て い る が 、そ の 中
の 建 物 や 施 設 は ま だ 改 善 さ れ て い な い 。そ こ に あ る 黒 人 解 放 運 動 の 資 料
館 に は 、白 人 の 見 学 者 は ほ と ん ど い な か っ た 。我 々 が 訪 れ た 時 は 大 変 歓
迎してくれた。その近くにマンデラの生家が記念館として残っている。
ヨ ハ ネス ブル グは 治安 が 悪い。ケー プタウ ン は遠 洋漁 業の 基地 で、治安
も い い し 街 も き れ い だ が 、そ の す ぐ 近 く に バ ラ ッ ク 建 て の 貧 民 窟 が あ っ
た 。数 年 後 の サ ッ カ ー ワ ー ル ド カ ッ プ 開 催 ま で に 貧 民 窟 を 一 掃 す る 計 画
だ っ た が 、更 地 に し て 公 営 住 宅 を 建 て て も 、貧 民 窟 の 住 民 は そ こ に 入 居
す る た め の お 金 を 持 っ て い な い の で 、な か な か そ の 計 画 は 進 ま な か っ た
ようだ。
6年 ほ ど 前 に 南 ア フ リ カ を 訪 問 し た 。 マ ン デ ラ は 国 民 か ら 、 非 常 に 人 気
と評価が高く、神格化されていた。しかし、残念なことに、彼の後継者
が出なかったように思う。失業率は高く、日本の企業が進出したが、多
言 語 の 問 題 、教 育 程 度 が 低 い 。教 育 が 進 ん で い な い の で 使 い も の に な ら
ず、まともな労働者がいない。
ソ ウ ェ ト ( 【 世 話 人 註 】 地 名 の 由 来 は 、 "S o u t h W e s t e r n T o w n s h i p s " ( 南
西 居 住 地 区 の 短 縮 形 ) で あ る 。 地 区 住 民 や 国 民 の 多 く は 、 "So Where To
"( そ れ で 、 ど こ へ ) と 呼 ぶ 。 ア パ ル ト ヘ イ ト 政 策 に よ っ て 迫 害 さ れ た
ア フ リ カ 系 住 民 の 象 徴 の 地 と も 言 わ れ る 。)地 区 の 貧 し さ は ひ ど い も の
だった。
一 方 、同 じ 南 ア の ケ ー プ タ ウ ン は 安 心 な 健 全 な 町 で あ っ た 。遠 洋 漁 業 の
拠点でもある。
40年 前 の ア フ リ カ に 会 社 の 用 務 で 出 か け て い た が 、 人 を 使 う に 際 し て 、
人種、言語はそれほど問題は無かったと思う。
南 ア で は 多 言 語 で あ る が 、外 国 企 業 に 就 職 し よ う と す れ ば 、英 語 や フ ラ
ンス語が出来なければ就職できないようだ。
行政府、立法府、司法府がそれぞれ別の市にあるので、何かにつけて利
便性に乏しいと思う。
も の の 見 方 、考 え 方 は 時 代 に 影 響 さ れ る 。ダ ー ウ イ ン 主 義 な る 表 現 が そ
れを表している。
マ ハ ト マ ・ ガ ン ジ ー 、 マ ー チ ン ル ー サ ー ・ キ ン グ Jr、 ネ ル ソ ン ・ マ ン デ
ラは世界の三大偉人だと言われる。自分も本当にそうだと思う。
◎ 追加情報:5月例会でご紹介しますと言っておいて、忘れていた情報です。
< 岩 田 温 著 『 だ か ら 、 日 本 人 は 「 戦 争 」 を 選 ん だ 』 ( オ ー ク ラ NEXT新 書 )
より>
第一章: みずから選択した大東亜戦争
・大東亜戦争?太平洋戦争? / ルーズベルト陰謀論 / コミンテル
ン 陰 謀 論 / 暴 発 論 / 昭 和 天 皇 が 語 っ た 人 種 差 別 ・・昭 和 天 皇 は 、
独 自 録 の 冒 頭 で 、「 大 東 亜 戦 争 の 原 因 」 に つ い て 、 次 の よ う に 指
摘 し て い ま す 。 『 こ の 原 因 を 尋 ね れ ば 、」 遠 く 第 一 次 世 界 大 戦 后
の 平 和 条 約 の 内 容 に 伏 在 し て い る 。日 本 の 主 張 し た 人 種 平 等 案 は
列 強 の 容 認 す る 処 と な ら ず 、黄 白 の 差 別 感 は 依 然 残 存 し 加 州 移 民
拒 否 の 如 き は 日 本 国 民 を 憤 慨 さ せ る に 十 分 な も の で あ る 。又 青 島
還 付 を 強 い ら れ た こ と 亦 然 り で あ る 。か か る 国 民 的 憤 慨 を 背 景 と
し て 一 度 、軍 が 立 ち 上 が っ た と き に 、是 を 抑 え る こ と は 容 易 な 業
で は な い 。 』 ( 『 昭 和 天 皇 独 白 録 』 文 藝 春 秋 ) ( 上 掲 書 、 57頁 )
第二章: 世界侵略を正当化した人種差別思想
・ 近代ヨーロッパ人の有色人種奴隷論
ア リ ス ト テ レ ス は 知 性 の 有 無 に よ っ て 人 間 を 差 別 し 、一 方 を 主 人
に 定 め 、他 方 を 奴 隷 と し ま し た 。 近 代 に お い て 、主 人 と 奴 隷 の 境
界 線 は 知 性 の 有 無 で は あ り ま せ ん で し た 。境 界 線 は 人 種 に よ っ て
ひ か れ た の で す 。フ ラ ン ス 革 命 の『 人 権 宣 言 』以 後 、平 等 の 観 念
が広まりますが、これはあくまで同人種、よりはっきりいえば、
白 色 人 種 の み に 適 用 さ れ る 平 等 の 観 念 で し た 。 ( 上 掲 書 、 70頁 )
・ インカ帝国、断末魔の声-人間の人間に対する所業ではない
第三章: 奴隷貿易と無縁ではなかった日本
・ 豊臣秀吉の伴天連追放 『 秀吉は、イエズス会のバードレ・ガス
パール・コエリョに対して曰く、「何故ポルトガル人は日本人を
購い奴隷として船に連れて行くや」・・・極めて重要な事実です
が、多くの日本人はこの歴史を知りません。秀吉の「伴天連追放
令」の背景には、知られざる日本人奴隷の問題があったのです。
秀吉はポルトガル人が日本人を奴隷として売買していることに憤
りを感じた政治家だったのです。』(上掲書、91頁)
第四章: 「植民地にされる」とはどういうことなのか
・ オランダ人の文明化による「救済」・・この牧師によれば、非キ
リスト教徒たちは無知であり、恐ろしい悪魔のような異端の神々
に祈っており、その罪業によって永遠の焦熱地獄で苦しむことに
なります。真実の神を信じず、異端の神を信じたという彼らの罪
は永劫の罪であり、彼らは阿鼻叫喚の焦熱地獄で永久に苦しむこ
とになるというのです。・・牧師の言葉、『オランダは、その哀
れな人々の中の救済可能な部分を救うために選ばれたのでありま
す。・・・オランダ船は大洋に乗り出し、文明と宗教、つまりキ
リ ス ト 教 を 迷 え る ジ ャ ワ 人 に も た ら し て い る の で あ り ま す 。い や 、
わがオランダは、幸いなことに、自らのために救いを求めている
のではありません。我々はその救いを、はるかかなたの海辺の不
幸 な 人 間 に も 伝 え た い の で あ り ま す 。』 ( 上 掲 書 、1 2 4 ~ 1 2 5 頁 )
第五章: 日本が求めた、欧米列強と対等の名誉ある地位
・ 「独立自尊」という国是
・・激しい人種差別が当然のこととして是認され、植民地支配、
収奪が当たり前の時代、開国を迫られた日本人が第一に考えてい
たのは日本国の独立を守ることでした。植民地にされてはならな
い と い う 強 烈 な 愛 国 心 こ そ が 、近 代 日 本 の 原 動 力 に な っ た の で す 。
関税自主権が認められず、列強の治外法権を容認するという不平
等条約を締結した日本は、何としても植民地になることなく、西
洋列強と対等な国を作り上げていかねばならぬと必死だったので
す 。 ・ ・ ( 上 掲 書 、 144頁 )
・日 本 人 の 学 童 を 強 制 隔 離 せ よ
・・「独立自尊」を旨とする日本人の誇りを大いに傷つけた問題
が人種差別でした。日本人は劣等人種であるという偏見に基 づ
いたアメリカにおける様々な排日運動は、日本人の誇りを大いに
傷つけたのです。・・戦前には多くの日本人が移民としてアメリ
カに渡ることを選択しましたが、この日本人移民がアメリカに於
いて凄まじい差別を受けることになった・・ 日本人差別が表面
化 す る の は 、1 9 0 0 年 3 月 、サ ン フ ラ ン シ ス コ 市 長 が 日 本 人 及 び 中 国
人 の 居 住 地 域 の 隔 離 を 発 表 ・・日 本 人 移 民 に 反 対 す る 理 由 と は 、
「同化を拒む」、「低賃金を厭わず、アメリカ人労働者の生活水
準を下げる」「アメリカ人の受け入れられない生活水準を甘受す
る」、「民主主義を理解出来ない」の四点が主要なものでした。
こ う し た 日 本 人 移 民 に 対 す る 反 感 が 、行 政 の 場 で 具 体 化 し た の が 、
日 本 人 学 童 隔 離 事 件 で す 。 ・・サ ン フ ラ ン シ ス コ 教 育 委 員 会 は 、
市内の全ての公立学校から日本人学童を隔離して東洋人学校へ強
制 的 に 通 学 さ せ る 決 議 を 採 択 ・ ・ ( 上 掲 書 、 146~ 147頁 )
・ 外交問題に発展
日 本 総 領 事 は 、強 制 隔 離 が 決 定 さ れ た 翌 日 に 、口 頭 、書 面 で 、教
育 委 員 会 に 抗 議 、 ・・ 教 委 が 撤 回 の 意 思 無 き こ と を 表 明 ・・ →
日 本 総 領 事 は カ リ フ ォ ル ニ ア 州 知 事 に 抗 議 書 簡 を 送 っ た が 、州 知
事 は 決 議 撤 回 を 拒 絶 ・・日 米 の 外 交 問 題 ま で 発 展・・( 上 掲 書 、
149頁 ~ )
・ 何故日本人が排斥されるのか
(略)
・カリフォルニアを白いままに
(略)
第六章: 人種差別撤廃の理想を世界に問うた日本
・パリ講和会議で画期的な日本提案
(略)
・全ての外国人に等しく権利を認めよ
(略)
・人種差別が国是の豪州は激烈拒絶
(略)
・有色人種の移民を制限する白豪主義
(略)
・人種差別撤廃条項に期待した日本人
(略)
・人種差別条項否決が浮き彫りにした白人国家の本音
・軍事力を伴わぬ主張は空念仏
(略)
(略)
第七章: アメリカの大義を刷り込まれ 日本人は 日本が戦った大義を知
らない
・人種差別だけでは戦争は起きない
・・日本が国際連盟設立に際して提案した人種差別撤廃条項、す
なわち、「人種平等案」が否決されたこと、カリフォルニア州に
於いて排日法が成立したこと。これらの「黄白の差別感」から日
本国民が「憤慨」したと(第一章、昭和天皇独白録は)述べてい
るのです。また、ここで昭和天皇が述べておられる「青島還付」
に つ い て も 説 明 し て お き ま す 。第 一 次 世 界 大 戦 の 勃 発 時 、中 国 の
山 東 省 の 青 島 は ド イ ツ の 租 借 地 で し た 。日 英 同 盟 に 基 づ い て 第 一
次 世 界 大 戦 に 参 加 し た 日 本 は 、青 島 を 攻 撃 し 、占 領 し ま す 。大 戦
後 の ヴ ェ ル サ イ ユ 条 約 で は 、青 島 の 権 益 は 日 本 に 委 譲 さ れ る こ と
が決定・・ しかし、この後に、アメリカの圧力により日本の青
島 の 権 益 が 放 棄 さ せ ら れ る の で す 。こ の「 青 島 還 付 」に 関 し て は 、
人 種 差 別 と い う よ り も 、日 本 の パ ワ ー ・ ポ リ テ ィ ッ ク ス の 一 環 と
して位置づけた方が適切だと考えます。・・
・こ ぞ っ て 開 戦 を 支 持 し た 日 本 国 民
・人種平等の理念、重光葵
・米英の大西洋憲章に失望する植民地諸国
昭 和 1 6 年 8月 1 4 日 、 ル ー ズ ベ ル ト と チ ャ ー チ ル は ・ ・ 大 西 洋 憲 章
に署名・・
し か し 、「 民 族 自 決 」が ヨ ー ロ ッ パ に 限 定 さ れ た も の で あ っ た の
は 、第 一 次 世 界 大 戦 後 の ベ ル サ イ ユ 条 約 で 明 ら か で し た 。大 西 洋
憲 章 に お い て も 、植 民 地 支 配 に つ い て の 明 確 な 言 及 は あ り ま せ ん
でした。
こ う し た 大 西 洋 憲 章 に 対 抗 し て 、堂 々 と「 植 民 地 支 配 の 打 破 」と
い う 日 本 の 大 義 を 掲 げ る「 大 東 亜 憲 章 」策 定 し よ う と 試 み た の が
重 光 な の で す 。昭 和 1 8 年 1 1 月 5 ,6 日 、大 東 亜 会 議 が 東 京 で 開 催・・
会 議 に 参 加 し た の は ・・( ビ ル マ 、満 州 国 、中 華 民 国 、日 本 、タ
イ 、 フ ィ リ ピ ン 、 自 由 イ ン ド 仮 政 府 ) ・ ・ ( 上 掲 書 、 218~ 219
頁) ・・・・・以下省略します。
Ⅲ 連絡事項
1 6月 以 降 の 話 題
(1) 6 月 : 「 ネ パ ー ル の 国 際 協 力 報 告 」 ( 岸 会 員 )
(2) 7 月 : 「 韓 国 、 中 国 関 係 」 ( 仮 題 )
(土本会員)
(3) 8 月 : 「 ユ ダ ヤ 教 と パ レ ス チ ナ 問 題 」 ( 木 村 会 員 )
2 「 小 野 国 際 交 流 ク ラ ブ 開 催 の 趣 旨 会 則 等 」 平 成 26年 4月 1日 文 書 の 下 線 部 を
特に注意してお目通し下さい。 (「3月例会のまとめ」でご連絡済み)
3 当 ク ラ ブ 月 例 会 の 開 催 場 所 が 本 年 4 月 か ら「 コ ミ セ ン お の 」に 変 わ り ま し た 。
小 野 市 役 所 の 向 か い( 南 側 )の 市 民 会 館 の 3 階 の 3 0 2 号 室 と 成 り ま し た 。開
催 日 は 8月 と 12月 を 除 い て は 各 月 第 三 土 曜 日 で す 。
4 「 ・ ・ 会 則 等 」 の 1 0 に 下 線 を 施 し て い る 部 分 を ご 確 認 下 さ い 。( 3 月 に ご 報
告済みです。)
5 平 成 26年 度 会 費 1,500円( 平 成 26年 4月 ~ 平 成 27年 3月 )の 納 入 に つ き ま し て
は、クラブ例会の際に直接世話人にお渡し頂くか、次の通りお振り込み下
さい。
・金融機関名;ゆうちょ銀行・記号:14220 番号:2140141
・口座名義人:トクヒ)オノシコクサイコウリュウキョウカイ
(この口座を他金融機関からの振込の受取口座として利用される際は、
次の内容をご指定ください。【店名】 四二八(読み ヨンニハチ)
【店番】428 【預金種目】普通預金
【口座番号】0214014)
平 成 2 6 年 度 年 会 費 ( 平 成 2 6 年 4月 か ら 2 7 年 3 月 ま で ) の 納 入 は 6 月 末 ま
でにお願い致します。
6 「 体 験 等 に よ る 話 題 提 供 」及 び「 国 際 関 係 情 報 」の 提 供 者 の 方 は 、レ ジ ュ
メ・ 資料を3枚以内を目安でお願い致します。