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日本のコンピュータ産業の発展過程

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The 4th East Asian Economic History Symposium 2007
EHCJ 106
第3論文
日本のコンピュータ産業の発展過程
-科学技術用コンピュータを中心に-
池元有一
(東京国際大学)
はじめに
日本のコンピュータメーカーが多角化した総合電機メーカーや通信機メーカーだったこ
とが、コンピュータ産業の発展にどのような影響を与えたかについて明らかにすることを
課題とする。
日本のコンピュータ産業を構成している企業をコンピュータメーカーとして同一に捉え
るのではなく、コンピュータ部門を持つ大小様々な総合電機・重電・通信機メーカーと捉
え、その異なる経営資源の蓄積がコンピュータ部門の初期の戦略にどのような影響を与え
るたか考察する。
今回は、そのなかでも総合電機・通信機メーカー内のユーザー(社内ユーザー、社内需
要)に焦点を当てる。社内ユーザーに着目する理由は、1960 年代初頭まで、コンピュータ
メーカーが国内最大のユーザーだったためであり、どのようにしてその社内需要が形成さ
れ、また、コンピュータ部門に対してどのような効果をもたらしたかを明らかにしコンピ
ュータ部門を総合電機・通信メーカー内に位置づける方法で国産メーカーの戦略を明らか
にする。
対象時期は、国産メーカーがコンピュータ開発を始めた 1950 年半ばから 60 年前後まで、
メーカーは、総合電機メーカーの日立製作所、東芝、通信機メーカーの日本電気とする。
結論的には、社内に需要側と供給側を持つことができた総合電機・通信メーカーは、第
1にコンピュータ開発の契機ができ、第2に試作機を含め一定の需要を社内に持つことが
でき、第3に社内ユーザーの意見をコンピュータ開発に反映させることができた。
第1節
1950 年代のコンピュータ開発環境
1950 年代半ばには、大学・国公立研究機関の技術支援と自社内に蓄積された電子技術に
より、国産コンピュータメーカーはコンピュータ開発が可能な段階であった。
1956 年3月、レンズの設計計算のため富士写真フイルムの社員が独力により 200 万円程
度で初の国産コンピュータを開発した。このことは、当時の日本の技術でもコンピュータ
製造が可能であったことを意味する。
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in Jeju
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また、当時の国産コンピュータ開発を加速した条件として、第1に、真空管よりも非常
に安価なパラメトロン(parametron)という素子(コンピュータの最も基本的な部品)が
発明(1954 年3月)されたこと。第2に公的研究機関である電電公社・電気通信研究所が
パラメトロン式コンピュータを開発(1957 年)し、日立製作所、日本電気、富士通、沖電
気に技術支援を行った。また、通産省・電気試験所はトランジスタ式コンピュータを開発
(1958 年)し、日本電気、日立製作所に技術支援を行った。第3にコンピュータメーカー
がそれまで蓄積してきた電子技術、特に電子交換機の技術はコンピュータ製造にそのまま
利用できた。
第2節
コンピュータ開発の契機と社内需要
前節で明らかなように、1950 年代半ばにはコンピュータを開発する環境は整っていた。
コンピュータ開発の契機となったのは、総合電機・通信機メーカーの社内需要(科学技術
計算、事務機械化)であった。初期の開発が成功した理由は、需要側と供給側が同一企業
内という組織的に近くに位置していたため、双方ともコンピュータを利用する上で必要な
具体的な性能(目標)とそれに必要な技術等(経営資源)の質やその所在を理解していた
ためだった。
(1)社内計算需要用への対応
日立製作所(HIPAC-1)
日立製作所では電線工場(後の日立電線)から中央研究所への依頼によりコンピュータ
が開発された。1955 年頃からの経済成長に伴う電力需要の急増によって電源開発は飛躍的
に進展し送電網が整備された。鉄塔間の送電線の長さを決定するためには送電設備の破損
を防ぐため複雑な計算が必要であったが、当時は手計算で行われてきた。日立の電線工場
では激しい受注競争を有利に進めるため、その計算を高速に行う計算機の開発を中央研究
所に依頼した。中央研究所では電線工場が資金(500 万円)と人員(2人)を提供するこ
とを条件に計算機開発を受注した。
中央研究所は 1956 年秋、開発に着手し、電子式の電話交換機と機械工作の技術を駆使
し、57 年 12 月に日立初のコンピュータ HIPAC-1(ハイパック1)を完成した。
開発したコンピュータは日立電線で利用され、その改良機は商品化され日立製作所はコ
ンピュータ産業に参入した。コンピュータ利用により支柱間で7時間かかっていた計算が
1分に短縮されたため、日立電線のシェアは4位から3位になった。この成果によりコン
ピュータ事業への参入が決定され、改良機は約 30 台出荷されベストセラーとなった。
日本電気(NEAC1101)
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新型電話装置の製造に必要な複雑な設計計算が日本電気(NEC)のコンピュータ開発の
要因だった。急速な戦後復興による通信需要の増大に対応するため日本電気では新型電話
装置を開発した。しかし、その設計には従来の 20 倍以上の技術計算が必要であり、電話
装置の生産は停滞した。そこで、技術計算用コンピュータの開発が企図された。
コンピュータ NEAC1101(ニアック 1101)の開発は研究所が設計、製造所が製造を担当
し 1955 年から始められ 1958 年には完成した。
開発されたコンピュータは以後8年に渡り技術計算に利用され改良機は製品化された。
自社で開発したコンピュータの有用性に気づいた経営陣は、100 人規模の電子機器工業部
を新設し、日本電気はコンピュータ産業に参入した。
(2)社内事務機械化への対応
日立製作所(HITAC301)
日立製作所の事務用コンピュータ開発は同社の事務合理化が契機となった。日立製作所
では 1950 年半ばからコンピュータによる事務機械化が検討されていた。コンピュータ導
入に先立ち外国製コンピュータを見学した技術者は、日立の技術により製造可能でしかも
採算性が高いと判断した。そこで、コンピュータの企業化が提案され、1958 年コンピュー
タ設計課が新設された。
日立の事務用コンピュータ HITAC301(ハイタック)は、国の研究機関の技術指導と自社
内のトランジスタ技術により 1959 年に完成し、1962 年には事務機械化のため同社に導入
された。
HITAC301 は商品化されたが、戸塚工場が電子機器製造工場だったため、ソフトウェアや
周辺機器の面で事務用としては大きな限界を抱えていた。
東芝(TOSBAC2100)
東芝が進めていた事務機械化に影響されたため、東芝初のコンピュータ TOSBAC2100(ト
スバック)(1959 年完成)はコンピュータよりも PCS を目標に開発された。経済成長下、
東芝では事務作業の増大・複雑化に対処するため事務機械化が決定された。東芝では 1958
年に、レミントンランド社(Remington Rand)製のコンピュータと8台の PCS が、1963 年
には IBM7090 が導入された。事務機械化の過程で、この種のコンピュータの社内ニーズと
商品価値が認識されたため、東芝はコンピュータを開発することになった。
東芝のコンピュータ(TOSBAC2100、トスバック)開発は本社事務機械化の影響を受け、
本社に導入された外国製コンピュータが目標だったため、純粋なコンピュータよりも事務
機器(PCS)に近いものになった。
第3節
社内需要の効果
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(1)社内需要の概要
既述のように、一部の総合電機・通信機メーカーは社内ニーズに対応する形で、コンピ
ュータ開発のきっかけをつかんだ。また、その後も一定の社内需要が存在した。日立製作
所は 1960 年に、19 台生産したうち 11 台を社内で購入し、63 年には 68 台中 18 台、同様
に東芝では、60 年に 13 台中6台、63 年に 29 台中 10 台を社内で購入した。このように国
産メーカーの社内には一定量の市場(需要)が存在していた。
(2)社内需要の効果
社内需要の効果については、まず、第1に、まだ、設立間もないコンピュータ販売部門
にとって、社内需要は手近な市場だった。第2に開発部門にとって、社内ユーザーは実用
試験の場を提供した。第3に社内ユーザーの意見をコンピュータ開発に反映することがで
きた。
第1の効果について、例えば、東芝では当時のコンピュータ開発部門は 14 人程度で営
業は4人と人手不足だったので、社内需要は営業活動のコストを低減させた。
第2について、社内ユーザーはコンピュータ開発部門にとって評価と実用試験として機
能した。社内ユーザーの意見と稼働データの収集、また、社内ユーザーが作成した在庫管
理プログラムなどが、コンピュータ開発に活かされた。
さらに第3として、コンピュータを導入した事務部門の社内ユーザーがコンピュータ開
発に協力した。また、社内ユーザーがその経験を買われてコンピュータ開発部門に異動す
る場合もあった。
おわりに
1950 年代、日本のコンピュータメーカーは多角化された総合電機・通信メーカーだった
ため、社内にコンピュータ開発に応用できる技術(トランジスタ技術、電子交換機技術な
ど)が蓄積されていた。また、社内に科学計算や事務機械化の需要が存在した。そのた
め、メーカーはコンピュータ開発の契機、一定の社内需要、またその社内ユーザーの協力
を得ることがでコンピュータ産業に参入することに成功した。(以上)
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