映画字幕制作による教育と地域貢献の結合の試み

映画字幕制作による教育と地域貢献の結合の試み
発表者:間ふさ子(福岡大学人文学部東アジア地域言語学科)
共同研究者:甲斐勝二・熊木勉(福岡大学人文学部東アジア地域言語学科)
李秀炅・張璐・王毓雯(福岡大学言語教育研究センター)
連絡先:〒814-0180 福岡市城南区七隈 8-19-1
TEL 092-871-6631
FAX 092-871-6654
E-mail [email protected]
一、目的
(1)これまで出会ったことのない新しい形態の語学学習
この取り組みは、福岡大学の「2009 年度特色ある教育」
企画の一つである「理論的・実践的『地域』教育プログラ
ムの総合的構築」事業の一環として人文学部東アジア地域
言語学科が正課の科目および課外活動として行ったもので
ある。中国・韓国映画に日本語字幕を付けるという方法で、
本学科学生の語学学習意欲を向上させつつ、映像を通して
東アジアに対する理解をより深めることでまず教育の成果
に学生が興味や意欲を感じた。
(2)リスニング力・読解力・翻訳力・日本語力が総合的に
鍛錬された。
(3)中国・韓国の社会、歴史、文化に対する理解がある程
度深められた。
(4)共同で字幕制作をすることにより他者との協働の訓
練ができた。
をあげる。次に完成した日本語字幕付き映画を市民向けに
日本で外国語を学ぶ際に最も苦労するのが、その言語が
上映することで、本学の所在する北部九州市民の東アジア
日常的に使われる環境に身を置きにくいという点である。
理解促進の一助とし、以て本学科の社会的責任である地域
映画は学習者にそれを一時的に提供してくれるメディアで
貢献を果たすという内外二つの目的を持つ取り組みである。 ある。字幕制作をすることで、学習者は画面を見ながらく
りかえし台詞を聞き、要点を理解し翻訳して、さまざまな
表現を駆使しながらそれを日本語で表現する訓練を受ける
二、概要
2009 年度に行った取り組みの概要は以下の通りである。
ことが可能になる。従って、上記のうち(1)から(3)の効果
種類
作品
地域
作業形態
参加学生
は取り組みを行う前から予想されており、その予想はある
A
正課
短編アニメ
中国
個人
3~4 年次
程度実証された。
B
正課
長編劇映画
中国
グループ
3~4 年次
今回最も私たちが注目したのは(4)の効果である。
C
課外
長編劇映画
韓国・中国
グループ
1~4 年次
そもそも字幕というのは一人の作業者が最初から最後ま
具体的な作業は、中国語・朝鮮語のセリフの聞き取りと
で一貫して作るのが一般的であろう。私たちの共同作業も、
翻訳、および字幕制作ソフト(カンバス社 SST-GT1)を使
字幕ソフトの数が限られているという制約から生まれた窮
用した日本語字幕制作である。
余の一策であった。ところがこれが予期せぬ効果を生むこ
このうち C の課外活動は、有志の学生による 1950 年代
とになった。それが他者との協働の訓練である。
の中国・韓国映画日本語字幕制作である。毎年 9 月に福岡
発表者の観察では、最近は人と深くかかわることを避け
市で開催されているアジアフォーカス・福岡国際映画祭に
る学生が多いように見受けられる。とりわけ「批判される
おいて協賛企画として成果発表会を行い、東アジア映画に
こと」に対して非常に敏感あるいは臆病で、
「人に批判され
関心を持つ多くの市民に鑑賞していただき好評を得た。こ
ないために人を批判しない」という態度になりがちだが、
れを受け、本年度も参加を決め現在準備中である。
それでは批判の府に身を置く大学生としては失格である。
本学科において学生たちにグループで調べものをさせた
三、学生への教育的効果
今回の取り組みの教育的効果は以下の 4 点にまとめるこ
とができる。
場合、各自が分担して調べてきたものを羅列するばかりで、
それらを有機的に結合して一つの整体にするという作業は
ほぼなされない。字幕制作の場合も最初は同様であった。
ところがこのように字幕をつけて映画を放映してみると、
社団法人 私立大学情報教育協会
平成22年度 教育改革ICT戦略大会
推敲不足を目の当たりにすることになり、どうしても改良
上げられている。
したくなる。各自がつけてきた字幕に対してより厳しい批
これらの意見や評価により、1950、60 年代の東アジア
評をして切磋琢磨しなければ、統一感のあるものには仕上
映画に日本語字幕をつけるという活動の意義が確認された。
がらないということが一目瞭然になるのである。
今後、作品をすこしでも増やすことで、より大きな貢献も
その結果、いろいろなアイデアを出しながら全員でそれ
らを逐一検討していくことになる。その作業を通して一人
可能ではないかと思う。なにより貴重であったのは、学生
たちが地域とのつながりを身を以て感じた点であろう。
一人の批評眼が養われ、批評への勇気および耐性ができ、
いっそう良いものに仕上げようとの意欲がわく。このこと
は学生に対して行ったアンケートによっても確認された。
特に、どこまで自分の意見を主張するのか、相手の言い
分をどこまで取り入れるのか、その折り合いを互いに探ろ
うとする努力は必須である。これは今の学生の最も苦手と
するものの一つではないだろうか。だが、外国学を学ぶ本
学科の学生には、このような「他者を生かしつつ自分を生
かす」能力こそ是非とも身につけてほしい。なぜなら、異
文化のぶつかり合いのなかに身を置くとき、それは否応な
く求められる力だからだ。その訓練が今回はからずも字幕
制作の場で実現したということになる。
四、地域貢献
この取り組みのもう一つの大きなねらいは、地域への貢
献である。
福岡市は 1980 年代より東アジアのゲートウェイとして
文化交流を積極的に推進しており、東アジアの社会や文化
に対する市民の関心も非常に高い。本学科が取り組んでい
る映画の分野に於いては、新しいアジア映画を紹介する国
際映画祭が毎年開催され、多数の市民が参加している。福
岡市総合図書館のフィルムアーカイブには多くのアジア映
五、まとめ
画が収蔵され、特集上映・回顧上映も頻繁に行われている。
字幕ソフトを使用した語学教育は多くの大学で行われて
とはいえ 1950、60 年代の作品となると、韓国映画は多
いるが、本学科はとくに手間と時間のかかる映画の字幕制
少あるようだが、中国映画はほとんど収蔵されていない。
作に取り組んでいる。それは、大学の授業を単なる教室の
したがって、これらの作品が日本語字幕付きで上映される
なかで終わらせず、学生と教員とによる知的成果をもって
機会は極めて少ないのが現状だ。これは敗戦から冷戦期に
地域に貢献しようという志をもつからだ。とりわけ個人性
かけての日本と東アジアの関係の影響だが、その結果私た
の高い人文科学の分野ではこの視点は貴重だろう。
ち日本人は、この時代――中国や韓国が新しい国造りに力
情報機器を利用しながら行うこのような作業には今後解
を入れていた 1950、60 年代の理解に欠ける、ということ
決すべき課題は多い。しかしながら、いわば部品作りから
になってしまった。それを補うものの一つが本学科が字幕
始めて一つの製品とし、しかもその製品に市民の批評まで
をつけた映画作品群ということになる。
得られるというこのような経験によって、参加する学生た
成果発表上映会には多くの市民の来場を得た。学生の制
ちは「東アジアをより深く知る」人材として育つ機会を持
作した字幕もおおむね好評であったし、これまで日本語字
つことになる。それは字幕作品提供にとどまらず、地域へ
幕では見られなかった作品を見ることができてうれしかっ
の人材の育成といういっそう大きな貢献をなすことにもな
たという意見も多かった。地元の新聞やニュースでも取り
るはずだ。現在この企画の継続を計画する所以である。
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