2011年11月19日

小 野 国 際 交 流 第7 5 回 例 会(平成23年11月)のまとめ
<日
<会
時>:平成23年11月19日(土) 16:00∼18:00
場>:小野市うるおい交流館エクラ
<今月の話題>:モロッコ大世界遺産紀行10日間
<話題提供者>:森本吉治 会員
<出席者 名>:12名(会員11 名、ヴィジッター1名)
<配付資料> 知られざるモロッコ
Ⅰ 話題提供者の話の概要
1 モロッコ王国の概略
(1)
モロッコ王国は立憲君主国で、現在ハッサン6世が統治している。
(2) 面積は日本の1.2倍、人口は日本の1/4。
(3) アラビア語でマグレブ(日の没する国)と呼ばれている。
(4) 緯度は日本とほぼ同じ。公用語はアラビア語、フランス語、英語、スペイン語、現地の言葉など多
彩な言語が通用する。
(5) 宗教はイスラム教が国教だが、それほど厳格ではないので、キリスト教などの他宗教も存在する。
2 モロッコ世界遺産紀行10日間
(1) 2009年3月15日∼24日。エジプト旅行をした時の旅友からモロッコ旅行を強く勧められた。
一番気候のよい頃だと聞いた時期を選んだ。
(2) ドーハ発トリポリ経由でカサブランカへ。関空から20時間ほどかかる。カサブランカはモロッコ最
大の都市。新しいヨーロッパ風の街なので世界遺産はないが、ハッサン2世のモスクは収容人員2
万5千人で、そのミナレットは20世紀最高の建造物と言われる。
(3) 首都ラバドにあるモハメッド6世の宮殿付近は閑散としていた。モハメッド5世の霊廟は公開され
ていて、2階から棺を見ることができる。この霊廟にモスクと高さ88mのミナレットを建てる計画
だったが、ミナレットは半分の44mで未完成のままになっている。
(4) メクネスは17世紀の首都で、モロッコで初めて王朝を開いたムーレイ・イドリスの霊廟がある。こ
の霊廟の壁のモザイク模様が大変美しい。この街の城壁の内側が世界遺産。
(5) 最初の王朝があったムーレイ・イドリスの街は、白一色でミナレットだけが緑色。この街全体が世
界遺産。
(6) ムーレイ・イドリス近くのヴォルビリスには古代ローマの街道やカラカラ帝の凱旋門、浴場などの
遺跡が保存されている。
(7) フェズは、最初のイスラム王朝が建設した都で、立錐の余地がないほど家が立っている。中心街メ
ジナは世界一の迷路だと言われる。フェズの広場で生きたニワトリが売られていた。ロバが街なか
の唯一の運搬手段。
(8) エルフードは砂漠の中のオアシスの街。砂嵐のため前がよく見えない。ホテルの部屋の中まで細か
い砂が積もっていた。雨が少ないので、露店のテントは主に日よけのために使われる簡単なもの。
聞くところによると、靴を片方だけ売っている店もあるそうだ。ラクダに乗って暗いうちから20
∼30分砂漠を歩いて、朝日を見に出かけた。砂嵐が来ると、一度に砂山の形が変わってしまう。湿
度の少ない砂なので、坂を登る時は歩いて登れない。ラクダに乗って坂を登る。
(9) エルフードからワルザザードへ至るカスバ街道の沿道にオアシスがある。砂漠の中に突如大きな街
が現れる。砂漠の地下に流れる水脈ぞいに20メートルほど井戸を掘ると水が出る。この地下水脈は、
アトラス山脈の雪どけ水が伏流水になったもの。
(10) ティフルトゥトのカスバは、アラビアのロレンスのロケで使われた。アイト・ベン・ハッドゥは、
ワルザザードの近郊にある大変大きな城。カスバ街道最高の見どころで、世界遺産に指定されてい
る。カスバは要塞で住居はない。クサルは要塞のような集落。
(11) 砂漠から大西洋側へ戻る際、アトラス山脈のティシュカ峠を越える。標高は2264mあり、夏で
も寒いくらいだ。
(12) モロッコで4番目に大きな街マラケシュ(人口85万人)の旧市街地(スーク)は世界遺産。マラ
ケシュでいちばん高い建物は、クトゥピアの塔というミナレットで、この塔より高い建物を建てる
ことは許されていない。バスの運転手が貴重な水を確保してくれた。ジャマ・エル・フナ広場が、
マラケシュでいちばん栄えている。夕方には大道芸人や手品師、ヘビつかい、曲芸師などが芸を披
露する。露店で美味しい夏柑のジュースを飲んだ。
(13) 大西洋岸の古い港町エッサウイラは、14世紀から15世紀の大航海時代にポルトガルが植民地に
していた。旧市街地メディナが世界遺産。海岸に城壁を作って20近くの大砲が据え付けられている。
内陸の市場では、魚を売っているところはほとんどなかったが、さすがに海岸の街エッサウイラで
には、市場に魚を売っている店があった。
(14) アルジャディーダも大西洋岸の街で世界遺産。エッサウイラ同様ポルトガルの植民地。町並みは黄
色いのが特徴的。海岸にはエッサウイラと同じように大砲を据え付けた城塁が築かれていた。人口
は3000人で、世界遺産にしては観光客も少なくひっそりしていた。モスクのミナレットとキリスト
教の塔が同居しているところがある。
3 総括
(1) 東洋人の観光客は少ない。フランス。ドイツ。スペインなどヨーロッパの観光客が8割か9割ほど占
める。アメリカ人は少ない。
(2) モロッコ人は親日的で、日本人には大変親切である。他国では、よく「コリアか?チャイナか?」
と尋ねられるが、モロッコでは「日本人か?」と尋ねられたので、日本人以外の東洋人はあまり訪
れないようだ。
(3) ベルベル人の女性が魅力的だ。白人でも黒人でも黄色人でもない。身長が180cm前後のスタイルの
良い女性が多かった。
(4) 国王は絶大な権力を持っているので、国王批判をするとひどい目に遭うという話を聞いた。
(5) モロッコ茶を高い位置から注ぐのは、空気が混ざって味がまろやかになるからだそうだ。甘くて紅
茶に似た味。
(6) フェズの皮なめし場では、ひどい悪臭を防ぐためにハーブの葉を渡されたが、あまり効果はなかっ
た。革製品はモロッコの特産品。
(7) モロッコには世界遺産が八つあるが、そのうち七つをこの旅で見た。
Ⅱ 質疑応答・意見交換
(1) 「カスバの女」という歌があるが、正確に言うとカスバではなく「クサルの女」が正しいのだろう。
あの歌ができたころは、「カスバ」と「クサル」の区別がなかったし、現在でも厳密に区別するこ
とはないと思う。
(2) 建築に使うレンガはとても粗雑なもので、地震があればひとたまりもないようなものだ。
(3) 井戸は手掘りで、アトラスの雪どけ水の地下水脈に沿って20ぐらい並んでいた。
(4) モロッコの砂漠は、砂だけの砂漠は少なくて、石ころや地衣類の生えている土の砂漠が多い。
(5) フランスが半世紀余り植民地にしていたので、ホテルやレストランは、フランス料理が基本。国土
の北西部は、農業地帯で肥沃。オアシスの中には、けっこう畑もある。食べ物には不自由しなかっ
た。オリーブや小麦などの農産物を輸出している。
(6) もともと街と街の間に電線が引かれていないので、電話の普及率が低かったが、携帯電話は電線を
張り巡らす必要がないので、若者層を中心に普及率が上昇している。
(7) イスラム教のお国柄であるので、女性になれなれしく近づかないほうがよい。また王様は、イスラ
ムの預言者の末裔だと信じられていて神聖視されている。王様の悪口や批判は、神を冒涜するに等
しいと考えられている。
(8) カタールの衛星テレビ局アルジャジーラとモロッコのアルジャディーダは無関係。
(9) 移動は大型バスを使った。総移動距離は2000キロぐらい。日本人は珍しいので歓待してくれた。日
本車は、ホンダ、日産、トヨタの車をまれに見かける程度で、イタリアやフランスの小型車が多い。
(10) 貨幣単位はディルハム。円は通用しない。現地通貨よりドルの方が喜ばれる。
(11) 店屋は朝の9時ごろから午後3時か4時ごろまで開いている。昼寝の習慣はない。最近はモロッコツ
アーをよく見かける。
(12) フランスの植民地になっていた頃も王制は続いていた。日本の天皇家のように、一つの家系が続い
ているのではない。勢力の強い者が前王朝を打ち倒して王位に就くことがたびたびあった。現ハッ
サン家が一番長く続いている。
(13) 漁業も盛んで、10年ばかり前にはイワシやタコが日本に輸出されていた。
(14) 大西洋岸は、寒流が流れているため比較的涼しく雨も多い。
(15) ヨーロッパに農産品を多く輸出している。チリ鉱石も産出する。織物、革製品も生産しているが、
日本に比べれば貧しい国である。
(16) スペインに隣り合わせているが、スペインの影響は少ない。むしろポルトガルの影響の方が大きい。
(17) 地図を見ると、鉄道網が整備されているようにもみえるが、列車は30分や1時間遅れることはざら
にあるそうだ。
(18) 南の地方は砂漠地帯であるため、あまり街もなく開けていない。
(19)旧市街地は、城壁に囲まれている。新市街地は、フランスの統治下で、フランス人が住むために城
壁外に作られた市街地。若い世代は新市街地に住みたがるようだ。
(20) 最初の王朝ムーレイ・イドリスはベルベル人の国で、イスラムではない。8世紀に入ってからイス
ラム化が始まる。
(21) モロッコがサハラ砂漠の西の端で、東の端はエジプトである。両国の砂漠の砂を比較すると、砂の
質はほとんど同じだが、エジプトの砂は白っぽくモロッコは茶色っぽい。
(22) モロッコは貧しいけれど、農業が発達しているため食べる心配がなく安定した生活である。
(23) ブータンの若い王様夫妻が日本を訪問されているが、彼の国は国民総幸福量(GNH)を国民総生産
より重視した政治をおこなっている。しかしこれから物資文明が はいってきたときに国民の生活
がどう変わるのか興味がある。
(24) 最近ポルトガルを訪問した。個人所得が日本の3分の1、物価が日本の6掛け程度の貧しい国なのだ
が、国民はそれほどせかせかしていない。
(25) タジン鍋はモロッコの伝統的な蒸し料理である。
Ⅲ 次回及び以降のお知らせ
1 12月例会:平成23年12月3日(土)
2 平成23年1月以降の例会の日程と話題:
(1) 12月例会で報告します。
(2) ① 体験談と質疑応答、意見交換 ② 事前に申し合わせた話題についての資料交換、意見交換
:①と②の比率をおおまかに半々にする予定です。
:①の話題提供(体験発表)は60分以内とし、残りの時間を質疑応答、各人の体験追加等を行う予
定です。
(3) 日程(平成23年度)
平成24年1月:1月21日(土)16:00∼18:00 於小野市うるおい交流館エクラ
々
2月:2月18日(土)
々
々
々
3月:3月17日(土)
々
々
Ⅳ 世話人からのお願いとお知らせ
1 この「クラブ」は県内でも有益でユニークな事業との評価を頂いているようです。出来るだけ多
くの人に、この会の存在や活動内容を、知らせてあげて下さい。
2 会費は「小野市国際交流協会年会費」1,000円とは別の「小野国際交流クラブ年会費」1,500円で
す。この会費は毎月の「例会のまとめ」(出欠に拘わらずお送りします)や話題提供資料の印刷と
郵送料に使わせて頂きます。