2015 年度なでしこ作文 最優秀賞 私に韓国と日本は… キム テヨン 韓国と日本は昔から様々な問題があり、近隣国にもかかわらずよくない国家関係にあり ます。私は韓国で生まれ育った韓国人です。今は日本で勉強している留学生ですが、私が 初めて日本に来たのは今から 9 年前の 2007 年でした。その時が私にとって人生初の海外旅 行で、中学生でしたが日本に到着したの感じは今も覚えています。 家族とともに旅行したも楽しかったです。しかし、韓国と日本は近隣国にもかかわらず 多くの違いがありました。人々の外見と言葉はもちろん、建物の形も全然違いました。 また、大阪、京都、九州という日本の有名な観光地を旅行した思い出は今も私の心の中 に残っています。そして、私は韓国に帰った後勉強も学校生活も着実に臨みました。 その結果、友達たちから信任を得て中学校、高等学校の生徒会長を務めることになり、 学友たちのため働きながら将来、多くの人々のために働きたいという考えを持つようにな りました。そして、弁護士という私の夢を叶えるための確実な決断をする第一歩として日 本で勉強することに決定しました。もちろん、日本だけではなく様々な国がありましたが、 大学で法律を学ぶことができると聞いたことが日本を選ぶ大きなきっかけになりました。 法律を勉強したかった私にとっては韓国のように大学院に入らなくても勉強することがで きるからいい機会だと思いました。 その後、韓国の海兵隊で 2 年間の軍兵役を終えて、2015 年 4 月に日本に来ました。旅行 とはまちがう留学生活が始まりました。しかし、ひらがなとカタカナはもちろん、簡単な 漢字も知らなかったので日本の留学生活は想像以上に大変でした。学校の友達たちも私よ り日本語が上手でしたが、私は諦めることは考えませんでした。朝、起きる時間から私の 生活習慣をて変えて、週末には韓・日交流会に参加してたくさんの日本人と友達になりま した。そのとき一番重要視したとは、国籍ではなく人人の関係を大切にして本気でわかり 合うことでした。また、外国人の私のために難しい言葉は分かりやすく説明してくれため、 さらに信頼を深め合い仲良くなれました。そして、今この文を書きながらこれまで過ごし てきた日々を思い出しています。韓国から日本に来たばかりのとき ATM の前で迷っていた 私を手伝ってくださったおばさん。学校の先生と日本人の恋人。皆んながいなければ日本 の生活はもっと大変だったかもしれません。まだ、習得したり経験したいことがたくさん ありますが、一つ一つ日本にいるうちに挑戦したいです。そして、私が習得したことや経 験したを生かしていつか韓国と日本、両国のために役立てられるように努力したいです。 大変だと思うけれど、韓国と日本の国家籍にかぎらず、意識や考えが変わっていけば、現 在より良好な国家関係になるはずです。私はそう信じて残りの留学生活も楽しく過ごした いです。
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