『キッチンえびす亭』 奈良村昭二さん 奈良村玲子さん

人の声で賑わう神楽坂をどんどん歩いていくと静かな住宅街
に辿り着く。
そんな住宅街に不思議な黄色い看板を見つけた。
しかし、看板は出ているが一見ただの民家にしか見えない。
これはお店なの?
それとも家なの?
入ってみたい…けどなんとなく緊張する。
キュートな女の子が描かれた「営業中」の札に勇気をもらい
恐る恐るお店の扉を開いてみた。
『キッチンえびす亭』
○奈良村昭二さん ●奈良村玲子さん
文 ・ 岡野尚美
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○私はそこのコックの見習いだよね。一番
入ったからよく知らないけど。
隔離。あたしはそれから後に服部ハウスに
よ。その秘密が漏れちゃうといけないから
日本国憲法の草案が作られたりしていたの
●そこで東京裁判の判決文が書かれたり、
○隔離されていたの。
それで3ヶ月間は…。
さ れ て た わ け。 戦 争 に 関 わ っ た 人 た ち が。
●大きなお屋敷でね。当時はGHQ に接収
○白金のね。
屋敷。
●服部金太郎さんの家ね。服部時計店のお
―服部ハウス?(※)
●その本の舞台だったのが服部ハウス。
○東京裁判の時の話ね。
―わからないです(汗)
。
本見たことありません?読んだことない?
●あのね、山崎豊子の2つの祖国っていう
○ちょうどね、終戦頃かな。
か?
―お二人の出会いはいつ頃だったんです
服部ハウス
下 の。 だ か ら 食 べ 物 に 不 自 由 は な か っ た。
がコックさんですか?素敵ですね!
―玲子さんがウェイトレスさんで昭二さん
イトレスさん。
○それでそこが解放されて。そっちはウェ
●そう埃にはうるさかったわねー。
―埃ですか?
する)
ね。 こ う で す も ん ね。
(指でテーブルをこ
●大変だったのよ。衛生面ではうるさくて
まるでしょ。うるさいうるさい(笑)。
に。食堂だからハウスの人たちもみんな集
おいしいもの食べて。戦後の物のない時代
●
○私がだから…。
んですか?
―おいくつくらいの時にお2人は出会った
○できましたよ。多少踊ったりとかね
(笑)
。
ティー。
―参加とかできないんですか?ダンスパー
り。我々もたまに見に行くのよ。
の人が大きな庭でダンスパーティーやった
てに行くんだよ。その代わり週末は必ず中
○ゴミ捨てるのも我々コックの下っ端が捨
―確かに外に出たら困りますもんね。
○そう。みんな外に出られないわけよ。
○レストランというよりは宿舎だね。
たんですか?
○
―何歳で結婚されたんですか?
○そうだね。
歳くらい…かな?
―職場は服部ハウスの中のレストランだっ
―隔離されている方たちのお食事を作って
●
歳じゃない?(笑)。
歳かな?
いたんですか?
えびす荘
で し ょ? そ し た ら す ぐ 埋 ま っ た ん だ け ど、
か前はもう空けばすぐ不動産屋さんに頼む
●そうみんな女の子。でもそうねえ、何年
―みんな女性の方なんですか?
年いるわよ。もう娘みたいよ。
●だって今一番長い子なんか、かれこれ
―えええー!安い!
●3万。
○うちはずーっと定額でやってるからね。
●あらそーお?
くらい?
― え ー い く ら だ ろ う( 笑 )
。5 万 か …6 万
○6畳1間。
―家賃ですか?(笑)。
う?(笑)。
○3軒。アパートなんだよ。いくらだと思
とかなんですか?
―ところでこの1階のお店の上の2階は寮
激安アパート
今はもう1年以上1間空いてるのよ。
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文や日本国憲法草案が書かれた場所。
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二人の出会いは
※服部ハウス…服部精工舎(今のセイコー)一族の建物。戦後GHQに接収され、東京裁判の判決
るの。
ですけどランチはAとBしか昔からないん
●お酒が好きでね。えびす様ってこの人に
○毎朝お神酒をあげて。
●だからちゃんとお神酒をあげて。
―ええええー!
よね。
―これってタイガースの模様のマークです
○メニューにもこれがついてるんだよ。
―見たいです!
見る?メニュー。今やってるやつ。
○そう。2種類。あっ、後、ここにあるよ。
もちょっと似ているでしょ?(笑)
。
●タイガースの模様ね。ついてるでしょ?
ちゃうの。
ですか?
―料理のメニューについてお聞きしたいん
カキフライ!!
○あの人に冷たいことするとその店は潰れ
さんっていって。※( )
商売の神様。仙台行っ
たらどこの家でも軒並み商売屋は飾ってあ
●でもあれは違うのよ。あれは仙台の四郎
えるの。
○みんな後ろの棚の人形とえびす様を間違
ついて。
だったのね。それでえびす亭っていうのが
父さんっていうのがえびす様みたいな感じ
●アパートがえびす荘だから。この人のお
―こちらのお店の名前の由来は何ですか?
仙台四郎
―確かに笑顔が似ていますね(笑)
。
(笑)
。
―かわいい。タイガースの柄に虎じゃなく
てえびす様なんですね。
●マッチが同じ阪神のデザインなのよ。だ
から男の人なんかそのマッチ見て。あっは
はははって(笑)。阪神だって。
○ちょうど開店した時が阪神優勝の時で
ね。
―そうなんですか?
月
日。
―お店始めたのは何年でしたっけ?
●だからうーん。その年の
○もうじきだよ。
●もうじき何周年?二十…四周年くらいか
な。
○そうそう、それでこっちが夜のメニュー
ね。
―この夜のメニューは土日と祝日だけです
よね?
●今、日曜日にお客さんが来なくなったから
もうやめようかしらと思って。
○結構消したメニューあるでしょ?
●もうやってもお客さん来ないし。夜やらな
いしね。ランチくらいで。これがランチのメ
ニューね。毎日日替わりで。
―先ほどランチでいただいたのですが、生姜
焼きおいしかったです。
○カキフライもうまいよ。
―おいしかったです。私ここで初めてカキフ
ライを食べたんですよ。
○えええー!食べたことなかったの?でもう
まいでしょ。
うちはカキフライうまいからね。
● 有 名 だ か ら ね。 も う「 カ キ 待 っ て ま し
た!」ってお客さんもいるくらい。
○あとオムライスとハヤシね。
―両方食べたい!大好きなんです。それもラ
ンチでやるんですか?
●ランチではやらないわね。作るの大変なの
よ。
●ジャンボのオムライスなんかすごいわよ。
こんなだ もの。(両手を広げなが ら)うちは
だいたい大きいから、
普通のオムライスでも。
ジャンボって言ったらもう、お皿にいっぱい
ですもの。で、値段も50円増しで700円
く ら い ね。 ほ ら 銀
< 座のレンガ亭 だ
> と か。
ああゆうところだと千何百円するでしょ。
―高いですね!!
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待ってました!!
○これ町内の若い人に作ってもらったの。
訪れる店は繁盛するとして存命中から各地でもてなされた。没後、商売繁盛の福の神としてその写真が飾られるようになった。
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えびす様と
※江戸時代末から明治時代に仙台(仙臺)に実在した人物。本名は芳賀四郎。知能障害で話すことができなかったが、四郎が
―なるほど。
●オムライス。たかがオムライス。それが
千何百円。うちじゃあ650円だから。
親元になるのよ。私が迎えに早稲田まで行
くわけ。で、彼女を連れてきてうちで食事
をさせて。その頃2階にほら、みんな若い
子がいたから一緒にお祭りならお祭りに連
れて行って。それで3カ月…3カ月かな?
各1人ずつ東北の田舎に日本語、日本の習
慣、伝統を勉強しに行くの。それからまた
うちへ帰ってくるわけ。
この人に。もうしょぼーんとしちゃってて。
●ご近所さんが声掛けられないんですって
○毎日警察病院行ったんだよ。毎日。
入院しちゃって。そん時は大変だった…。
だけど。私なんかここやって9年目に半年
気をしないで仕事ができればいいと思うん
●もうこうなっちゃったらね。とにかく病
か。
ことはありますか?気をつけていることと
―ところで何か働くうえで大事にしている
持ち続けて
●なかなか面白かったわよ~(笑)。
ですね。
年間ずっとですか?
●ベッドじゃなくってマットレスで布団ひ
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フライパンを
―確かに安いですよね。学食みたいな値段
●毎年。1人ずつ。
―
いたの。
いて。
畳の上で。
それがいいんですって。「ど
メリカのうちに帰るとすごいベッドルーム
○早稲田の留学生をね。
うしてこんなところへ来たの?」って聞く
か?
●丁度うちの母が亡くなって、2人きりに
と「 そ れ が い い ん で す お 母 さ ん。
」と言っ
じゃない?でもうちはかたかたの布団。け
な っ ち ゃ っ た ん で。 隣 の 甥 っ 子 が 早 稲 田
てくれるのよ。
●地元の学生とはないけれど、留学生とな
行ってて、おばちゃん早稲田にこういうの
―みなさん日本語しゃべれるんですか?
どそれがまたいいんですって。
があるんだけどどお?って言うんで。1年
●そのために来たのよ。
らあるわよ。昔ずっとホームステイをやっ
間ホームステイね。
―日本語を学びに?
―昔ながらの感じが?
―こちらにですか?
●うん。でも向こうで少し日本語を勉強し
人!?
て日本へ来るでしょ?それで必ずその子の
●うん。
国際教養学部の学生で。 人預かっ
ててね。アメリカの子を毎年1人預かって
―みんなここで一緒に暮らすんですか?
音信やってるからね。
●そうそうそう。面白かったわよ。未だに
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―学食つながりでお聞きするんですけど、
寝るのが大スキ
●そうここで一緒に。それがみんなね、ア
留学生は畳の上で
地元の学生たちとの交流などはあります
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たの。
―
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ほんと「お宅の旦那に声掛けられなかった
わよ」って(笑)
。
―玲子さんがいないとしょぼーんとしちゃ
うんですね(笑)
。
●そういうこともあったしさあ。色々あり
ました。乳癌にもなっちゃったし。
―今は大丈夫なんですか?
● そ う ね え。 疲 れ る け ど ま あ ま あ 大 丈 夫。
もう癌は出ないから。6年目に入ったから
ね。
―昭二さんは元気なんですか?
○脳梗塞をやったよ。軽いね(笑)。
―大丈夫だったんですか?
●その当時は店を辞めるか、倒れてもやる
かって話になったんだけど。この人「手が
いってなったら辞めるね。でも持てるから。
だからやりますって。
●歳とっても、
いくつになっても声が変
○電話の声が特にいいんだよ。
聞き取りやすいですし。
―本当にきれいな声だと思います。すごく
●ニックネームまでつけられてね(笑)。
いいって言われてたよ。
服部ハウスにいた時も、外人なんかに声が
○私は、声だね。声がすごくいいでしょ?
ろが好きなんですか?
ですが、昭二さんは玲子さんのどんなとこ
―お2人ともとても仲が良くて羨ましいの
ココが好き
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動くからやります」って。
○フライパンも持てない、ナイフを持てな
玲子さんの
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山盛りのサラダ
照れ笑いを浮かべながら
お話ししてくれた昭二さん(笑)
笑顔の絶えない
本当にステキなご夫婦です☆
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わらないのよね。
そおかずがちょぼちょぼっとついているよ
行じゃなくてお客様孝行。みんなに喜んで
のがうちの性分だからね。とにかくおいし
●そうそうそう。高くならないようにする
よね?
―家賃が高いと値段が高くなっちゃいます
がいいかもわからないけど。
お店があることをたくさんの人に知っても
心強い味方ですね!神楽坂にこんな素敵な
―えびす亭のようなお店は学生にとっても
よ。我々は。
●お店をやりながら食べていければいいの
○お客さんに喜んでもらえればいいの。
もらえればいいじゃない。
したんですか?(笑)
。
いものを。サラダは生野菜。最近の若い人
らいたいです。
―ということは、昭二さんが猛アプローチ うな量の少ないものになっちゃうのよ。品
○…そうね(照)
。
は食べてないからね。
―インゲンを久々に食べました。あんなに
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―今日はどうもありがとうございました。
東京の大都会の中に自分を受け入れてくれる
いっぱい(笑)
。
その気持ちがそのままお料理やお店の雰囲気となっている。
●残してもしょうがないからね。お客様に
「自分たちの利益よりもお客様に喜んでもらいたい。
」
みんな出しちゃうの。
「お客様孝行」。親孝
こんなにお店っぽくないお店は生まれてはじめてだった。
―ところで神楽坂の街の様子ってだいぶ変
勇気を出して入った店内には仲の良いご夫婦がいた。
わりましたか?近隣のお店とか?
そしてお店に集まるお客様も。
●うん。いっぱいあるけどみんな変わって
お店で働く昭二さんも玲子さんも。
る。結局家賃が高いでしょ。それで変わっ
ここはあたたかい。
ちゃうの。うちみたいなのは自分のお家で
もう一つの家を見つけた気がした。
やっているからこれだけの値段でやってい
散歩の途中で偶然見つけたキッチンえびす亭。
モットーに…
られるわけ。借りてたらできない。それこ
インゲンがたくさんのったしょうが焼きランチ
お客様孝行を
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