「「知の理論」から「社会科」教育を問う――尚古主義的「歴史」に即して」

「
「知の理論」から「社会科」教育を問う――尚古主義的「歴史」に即して」
への補完的註記
安彦一恵
本ページは、戸田山/出口編『応用哲学とは何か』
(世界思想社、2011 年 4 月刊)所
収の拙稿「
「知の理論」から「社会科」教育を問う――尚古主義的「歴史」に即して」
(以
下これを(カッコ付きで)
「拙稿」と表記する)に対して、― そこでは紙幅の制限も在
って十分な註記をすることができなかったが ― それを補完するものである。
以下、基本的に「拙稿」の記述順に即して箇条書き的に、参考文献を挙げ、箇所によ
っては若干の説明を付すというかたちで“補完”を施していく。本ページ作成開始時点
は初校作業中であってまだページ数が確定していないので、
(全体で4節から成る
「拙稿」
の)節と、その各節内での段落順序で該当箇所を指示する。
0. 冒頭部分
第1段落:
「キッチュ」に関して
これについては、各種ネット記事、諸事典記事を参照したことを記すと共に、基本(邦
語)文献であるA・モル(万沢将美訳)
『キッチュの心理学』法政大学出版会,1986 の他
に、
(今回改めて読み直すことはしなかったが私的メモに基づいて、例示的に)多木浩二
『
「もの」の詩学』岩波書店,1984;アドルノ(笠原賢介訳)
『本来性という隠語』未来
社,1992;同(渡辺/三原訳)
『プリズメン』ちくま学芸文庫,1996;松葉一清『失楽園都
市』講談社,1995;宮内康/布野修『現代建築』新曜社,1993 を挙げておく。また、欧語
哲学(美学)系文献として、一点だけ、引用されることの多い T.Kulka,“Kitsch”,in:
British Journal of Aesthetics,28-1,1988.を挙げておく。
第1段落:
「根底的にはこれ自身がキッチュであるという見方」云々に関して
これについては1例として、18・19 世紀の「ピクチャレスク」を(すでに)
「キッチ
ュ」であると捉えるW・サイファー(河村錠一郎訳)
『ロココからキュビズムへ』河出書
房新社、1988(107etc.)を参考文献として挙げておく。
- 1 -
第2段落:
「細部」に関して
対象の「細部」に目を向けるということは次に見る「尚古主義」の本質であるのだが、
厳密に前者は後者と同じであるとは言い難い。尚古主義には語義的に「古」というファ
クターが在り、対して「細部」への視線が対象として現在のものに向かう場合も在りえ
るからである。しかしながら、適切な言葉が存在しないのであるが、
「尚古主義」は(対
象に向かう)或る在り方 ―「キッチュ」とはそのいわば廉価版である ― の過去志向ヴ
ァージョンであって、それは(当然)この「或る在り方」と本質を共有する。
(
「古」と
いうことに関するいわば「古論」としては、次の page の一部で提示した試論を参照して
頂きたい。http://www.edu.shiga-u.ac.jp/dept/e_ph/dia/3.html#second )
「拙稿」で我々は同時に、
「尚古主義」は「歴史」
(あるいは「歴史意識」
、すなわち、
時間的に世界を「歴史」として見る意識)の本質である ― 厳密には、
「歴史」にも多様
な形態が在り、その或る(しかし中核的な)形態の本質と言った方がいいであろう ― と
述べたが、その「歴史」として「同時代史」というのも在る。これが(同時代の)対象
の「細部」に視線を向けるものであるとき、それはこの「或る在り方」となる。したが
って、同様厳密には、
「尚古主義」とは ― この同時代史に加えて、未来の歴史というの
もあるのだが、これらとの区別において ― いわば過去志向的ヴァージョンの「歴史」
の本質ということになる。
「歴史」とは、厳密に言って、世界に対する一つの見方 ― この見方を、あるいは態
度を我々は「歴史主義」として術語化している ― において措定されるものである。そ
の特質を「拙稿」最後部分では「一体化的」と表現した。
「細部」への意識も、対象への
この「一体化」を特質とするが、しかし、
「一体化」にはさまざまな形態が在る。
「細部」
への視線はその一つであるに過ぎない。
「細部」に目が向かう場合の「一体化」には或る
限定性が在ると考えられるが、その“限定性”を表現するなら「享受性」と言うことが
できる。
「拙稿」でも多用した「遊ぶ」ということはその別表現でもある。
そもそも、
「細部」に向かうが「一体化的」ではない、したがって「享受的」でない在
り方も存在しうる。たとえば、精密科学にはそういう部分が在る。そうであるとしてさ
らに、
「細部」に向かうときの「一体化」は、それ自身、
「一体化」一般から或る限定さ
れた在り方を採る。
(逆に言えば、
「細部」に向かわない「一体化」も在りうる。
)この限
定的在り方の特質として「享受性」を言うか、
「一体化」的在り方全般の特質として「享
受性」を言うかは、
「享受性」の用語法に依存する。これを広義に用いる場合は後者とな
る。
「拙稿」では、
「享受性」を狭義に用いている。そこには、
「安楽性」
「癒し」といっ
た特質が併せもたれることになる。ちなみに「広義」で了解する場合は、たとえば「歴
史の運命に身を委ねる」とか「歴史を切り開いていく」といったかたちで「融和感」
、
「使
命感」あるいは「高揚感」をもっている事態も包括されてくる。
そうであるとして、
「細部への関心」ということは、一般的にも、― 限定化的に ― こ
- 2 -
れらの「一体化」
、
(狭義の)
「享受性」をもつものとして語られていると言いうる。こう
したものとして、
「細部」はそれ自身テーマ的にも論じられている。そういう参考文献と
して、一例として筆者の研究メモから拾って、上のサイファーのものに加えて、R・バ
ルト(沢崎浩平訳)
『テクストの快楽』みすず書房,1978 を挙げておく。
「拙稿」第1段落の「ヴォルテール云々」に関わっては、J・H・アーノルド(新広
記訳)
『歴史』岩波書店,2003 からの孫引きである(63)が、ヴォルテールの啓蒙主義的「歴
史」観を示す「些末な細部に災いあれ! 後世はそれをすべて見捨てる。それらは大い
なる作品を損なう害虫である。
」という言を挙げておく。
また、冒頭部分第2段落中の「ウォルター・スコット云々」に関わって、草光俊雄他
編『英国をみる ― 歴史と社会』リブロポート,1991 を挙げておく。
1. 尚古主義
第1段落:
「尚古主義(antiquarianism)」
(そのもの)に関して
当の歴史学系の「歴史(記述)
」論(historiography)としては、
(
「古物研究」として、
これを肯定的に捉える)A.Momigliano,Studies in Historiography,Weidenfeld and
Nicolson,1966 が基本文献となるであろうか。哲学系の「歴史(記述)
」論の一つとして、
この Momigliano への言及、および(「拙稿」とも(実は)関連するのであるが、言及す
ることのできなかった)R・バルトへの言及を含むものとして、Ankersmit,F.R.,“The
Reality Effect in the Writing of History”
(net アクセス可)を(ここでついでに)
挙げておく。
しかし、
「拙稿」が問題としたのは、その「古物愛好」の側面である。これについては、
まだ例示的にしかできないが、なるべく多くの学問的立場から次のものを挙げておく。
Lee,Y.S.,“A divided Inheritance: Scott’s Antiquarian Novel and the British
Nation”,in:ELH,64-2,1997 ; Scalia,A.,“The Grave Scholarship of Antiquaries”,in:
Literature Compass,2,2005 ; ピコン,G.(鈴木祥史訳)『近代絵画の誕生 1863 年』人
文書院,1998 ; 三島健一「弁証法と歴史的瞬間 ― ベンヤミンの仕事 ― 」
『岩波講座 現
代思想 8』岩波書店,1994 ; 谷川渥『形象と時間 クロノポリスの美学』白水社,1986 ;
表智之「<歴史>の読み出し/<歴史の受肉化> ― <考証家>の19世紀」
『江戸の思
想』7,1997 ; タフーリ,M.(藤井博巳訳)
『建築神話の崩壊』彰国社,1981; およびベン
ヤミンの諸論稿。
なお、ベンヤミンに関して、― 「拙稿」全体と関わるところが在るので ― 拙稿「ベ
ンヤミン『パサージュ論』の解釈について」
(
『dialogica』第 2 号,1996:http://www.
edu.shiga-u.ac.jp/dept/e_ph/dia/2.html#first )をも参照して頂きたい。若干である
- 3 -
が「キッチュ」にも触れてある。
第1段落:坪井正五郎に関して
坪井の「尚古主義」については、なによりも坂野徹「日本人類学の誕生 ― 古物趣味
と近代科学のあいだ ― 」
『科学史研究』38 号,1999;同「好事家の政治学 ― 坪井正五
郎と明治人類学の軌跡 ― 」
『思想』2001 年 1 月号 を挙げるべきであろう。後者から特
に、
「彼[坪井]が選んだのは、その知で遊んでしまうという方法だった。
」(177)という
記述を引用しておきたい。
坂野のこの坪井正五郎論は、一方での(富山一郎の)国民国家論的(国民主義的)理
解、他方での(山口昌男の)
「好事家」的理解からの差別化を特徴とする。見ているもの
は後者と同じであるが、その際の(評価的)視角が、山口のが ― まさしく「自由人」
として見るというかたちで ― 肯定的であるのに対して、坂野のは批判的である。
この批判的であるという点で「拙稿」の坪井への見方、したがって「尚古主義」への
見方は共通であるが、― この点では国民主義的理解と、しかし表面的に重なってくるの
であるが ― そのいわば本流に「国民主義」が在るところのものとして「歴史主義」を
措定し、そして、その一変形態 ― そういうものとしてそれは(さらに)
、
「国民主義」
を共有するものと、そうではないもの(非「国民主義」的なもの)とに区別しうる。山
口が坪井に見ているのはこの後者に近いものである ― として「尚古主義」を位置づけ
ることもできるのではないかとも筆者は考えている。
(
「国民主義」論として言うなら、
筆者は、
「国民主義」を共有する「尚古主義」の存在を措定するものとして、いわばもっ
ぱらハードに了解されてきた「国民主義」に、ソフト・ヴァージョンのものを(拡大的
に)付け加えることも出来るのではなかろうか、と考えている。
)
なお、
「歴史主義」そのものについては、
「拙稿」で挙げたもの等、筆者の「歴史論」
関係の論稿を見て頂きたい。
第2段落:
「仏像」云々について
該当参照文献は、丹羽健夫「怒れ、受験生!今春の入試でもまだあったあの有名私大
のこんな悪問」
(
『論座』2001 年 9 月号)である。
2. 尚古主義の知
第4段落:大学の教養教育について
「哲学」だけでなく、大学教養教育全般に関するものとして、宗像惠「制度としての
哲学教育」
『岩波講座 哲学 15』岩波書店,2009 を挙げておく。
- 4 -
第4段落等:
「教養」について
これは ― 当然「文化」ということとも重なりつつ ― 一つの“大テーマ”となるも
のであるが、ここでは基本的な参考文献(邦語文献)のみ(全く順不動で)挙げておく。
これも筆者の研究メモに基づくものであるが、これは筆者が(本務校での授業「文化と
は何か」とも関係して、すでに)一つの研究テーマとしているものでもあり、
(筆者の立
場からのものであるが)ほぼ“定番”となっているものとして挙げうる。ハーバーマス
(三島/中野/木前訳)
『道徳意識とコミュニケーション的行為』岩波書店,1991;レー
ヴィット(中村/永沼訳)
『ある反時代的考察』法政大学出版会,1992;ガダマー『哲学・
芸術・言語』未来社,1977;同(轡田収訳)
『真理と方法 Ⅰ』法政大学出版局,1986;ク
ロコウ(高田珠樹訳)
『決断』柏書房,1999;アーレント(引田/斎藤訳)
『過去と未来の
間』みすず書房,1994;アーノルド(多田英次訳)
『教養と無秩序』岩波文庫,1946;エリ
オット(矢本貞幹訳)
『文芸批評論』岩波文庫,1938;ニーチェ(小倉志祥訳)
『反時代的
考察』ちくま学芸文庫,1993;サイファー(河村錠一郎訳)
『現代文学と美術における自
我の喪失』河出書房新社,1988;阿部謹也『
「教養」とは何か』講談社現代新書,1997;福
田恆存『私の幸福論』ちくま文庫,1998;オルテガ(井上正訳)
『大学の使命』玉川大学
出版部,1996;高田理惠子『グロテスクな教養』ちくま新書,2005;唐木順三『現代史へ
の試み』筑摩書房,1963;三島健一『ニーチェとその影』未来社,1990。
「文化」については、上記「授業」用の資料ページとして作成した次の website page
をも参照して頂きたい。
http://www.edu.shiga-u.ac.jp/~abiko/lectures/culture.html
同上 culture2.html,culture3.html,culture4.html
なお、本「授業」の基本枠組みは、
「文化」の意味を 1.(
“高級”というニュアンスを
含んで)自然に対する精神的なもの、2.たとえば「文化人類学」という場合のもの、そ
して 3.(多く「国民主義」的に、したがって、
「国」別のものとして)なんらかの共同
アイデンティティの支持物とでもいったもの、の三義に分けるところに在る。特に第三
のカテゴリーを措定したところに独自性をもつ。ちなみに、1.の典型例は「芸術」であ
る。たとえば「文化会館」と言う場合もこの用例のものであろう。2.のものとしては、
たとえば「稲作文化」といった用例を挙げうる。3.は 1.2.に収まりきれないものを(し
かし、その共通部分を取り出すと結局こうなるとして)いわば“クラス”化するもので
もある。たとえば「文化財」
「伝統文化」という場合はその具体的用例となる。
「歴史と
文化(の町)
」といった馴染みのフレーズの場合もこれに属する。
第4段落:鈴木真云々について
参照した鈴木真論稿は、
「人の完成あるいは幸福にとってそれは不可欠なものだとも語
られている」その「不可欠なもの[知的好奇心]
」を満たすものとして ― 批判的に ―
- 5 -
「
『太平記』の内容の詳しい知識」を具体例として挙げている(14)。
第5段落(等)
ここで註記させていただくが、
「純粋知」の典型であるとも言える「美」的認識 ― 在
りうべく誤解を防ぐために厳密に言って、これは、美的対象の認識ではなく、あくまで
「拙稿」でも挙
一定の対象の美的認識(あるいは意識)のことである ― 一般について、
げた「宗教的美学主義」
『実践哲学研究』
(京都大学倫理学研究室)第三○号,2007 を参
照頂きたい。なお、そこで言う「美学」は学問の一ジャンルではなく、
「美学主義」とは、
「美」的(認識)状態を ― かつ、本来それが相応しくない領域で(たとえば、
「政治的
美学主義」
(政治的審美主義)というかたちで)― 優位化する在り方(生き方)のこと
である。
ちなみに、学としての「美学」は、そうした“在り方”
(を対象として、それ)を(批
判的に)考察するものでもあるが、それ自身が「美的」に営まれる場合も想定できる。
その場合、一種メタ的な「美学主義」となる。
「拙稿」全体のテーマである「尚古主義」も当然この「美学主義」の一ヴァリエーシ
ョンとなりうるわけであるが、一つ前の段落で言ったことで換言するなら、
「尚古主義」
の問題性とは、それが本来相応しくない領域(すなわち「社会科」教育)において「尚
古」的であるところに在る。であるから「拙稿」末で、この問題性を「そういうかたち
で、
「社会科」は、
(或る意味で「芸術」の場合はそれでもいいのであるが、その「芸術」
のように、
)一種自己目的的な楽しみ=癒しの場ともなってしまっているのである。
」と
纏めたのでもある。
第6段落:
「遊戯主義」について
「遊戯」
「遊び」についてはほとんど無数の文献が在る。ここでは、
(幼児)教育学者
の山田敏の、
「遊び論」全般に関する文献情報を網羅的に収集した『遊び論研究』
『遊び
論研究文献目録』風間書房,1994,1996 を、
「遊び論」事典として有用であるという趣旨
で挙げておく。
第6段階:
「漢字検定」について
「漢字検定」ブームについては、
「資格」志向として、各種「○○師」資格取得志向の
一例と見る見解もなくはないが、
「拙稿」は基本的に、これを ―「京都検定」などの“地
域検定”ブームもそうであると見ているが ―「尚古主義」現象と見るものである。テレ
ビの漢字クイズ番組人気と同種のものとも見ている。
(したがって、
「漢字検定」資格が
各種学校の入学資格として用いられているのは実は問題的であると筆者は見ている。こ
の問題性は、たとえば、
「家庭科・調理領域」の知識(知的能力)として(グルメ的な)
- 6 -
料理(メニュー)知識を問うとしたら問題であるであろうそれと同種のものである。そ
れは、
(現状の)
「地域検定」が ― ただし観光課の場合は話は別であろうが ― たとえ
ば地方公務員の就職試験に用いられるなら問題的であるのと同様である。鉄道会社がむ
しろ「鉄ちゃん」の採用を避けるとも言われているが、そのこととも同種である。
)
同じく「言語」に関するものであるが、
「英検」などはこれとは別であると筆者は考え
る。それは、
“英単語”に関する(雑学的な)断片的知識を問うものではなく、英語を ―
まさしく一言語として ― 使えるようになることを目標とするものである。言うまでも
なく、
「日本語検定」も同様である。
第8段落:
「拡散的好奇心」
「特殊的好奇心」の別について
「好奇心」のこの二類型は、それぞれ”diverse curiosity”
“specific curiosity”
を原語(英語)とするものである。もっぱら心理学で用いられる用語であるが ― これ
が最基本文献であるかどうかは判定できないが ― 筆者が参照したものから次の論稿を
挙げておく。Berlyne,D.E.,“curiosity and learning”,Motivation and Emotion,2-3,
1978.
「好奇心」一般を論じたものとしては、一例として、基本文献であるH・ブルーメン
ベルク(忽那敬三訳)
『近代の正統性 Ⅱ』法政大学出版局,2001 の他に、波多野/稲垣
『知的好奇心』中公新書,1973;M・チクセントミハイ(大森弘訳)
『フロー体験とグッ
ドビジネス』世界思想社,2008 を挙げておく。
また、
「拙稿」全般の立論と関わるものとして、G・M・トレヴェリアン(藤原/松浦
訳)
『イギリス社会史 Ⅰ』みすず書房,1971 から次の箇所を引用しておく。
無私無欲の知的好奇心は、真の文明を生み出す力である。そして社会史は、こうした
好奇心の最良の形式の一つなのである。歴史の魅力は、なんといっても、想像をはた
らかせるところにあると思う。われわれの想像力は、先祖が日々の仕事にいそしみ
日々の楽しみを味わう姿、つまり過去にあったがままの姿で祖先をとらえることを切
にねがっている。カーライルは好古家や歴史家を称して、
「無味乾燥人」とした。…
…/スコットはその生涯を無味乾燥人として ― 好古家として ― ふみ出したが、そ
れはこの途にもっとも多くの詩情とロマンスを見いだすことができたからであった。
……/あの過去というただの一語のうちにあるすべてを考えてみるがよい。この言葉
のもっている意味は、なんと人の心をうごかし、神聖で、またあらゆる点で詩的なの
だろう!……/過去の現在と同様実在するものであったことをしみじみと感じさせ
るのが、歴史の詳細な研究である。
」(2)
「拙稿」では、
「拡散的好奇心」と関連づけて「尚古的好奇心」には「収集(蒐集)
」と
- 7 -
いうことが伴なわれるとも述べたが、
「収集」は、
「集める」という過程的側面を含むと
同時に、
「集められた」ものを鑑賞するという側面をも含む。集め(続け)るということ
だけでは「収集」
(趣味)ということにはならないのであって、そこに、いわば ― 過程
性に対して言うなら ― 停止的に、集められたものを眺め・愛でるといった側面を本質
的に含む。そして、上の引用文中の「しみじみ」というのは、その際のまさしく基本様
態である。
ここから見るなら、
「科学的好奇心」が「尚古的好奇心」とは大きく異なることも容易
に了解して頂けるであろう。やや唐突であろうが“自然”で言うなら、対象を「しみじ
み」と眺めるものとしてたとえば“夜空の美しさ”が在る。そこで星座が意識されるな
ら、宇宙は一層親しいものとなるかもしれない。しかし、星座をたくさん知っても ― あ
るいはそれを神話上の人物として記述しても ― 、それは科学的には宇宙の知に繋がら
ない。科学知へと展開するためには、たとえば、星座が常に同じかたちを保っているの
に対して火星は“動き回っている”― まさしく「惑星」である ― ということへと関心
が向かい、
「それは何故か」と問うことによって ― ここで科学的好奇心が働くことにな
る ― 、
(
「恒星」に対する)
「惑星」という概念の(地動説に基づいた)理解へと導かれ
ていくのでなければならないであろう。
(ここで(も)
「理論」ということを言うなら、
「科学的理解」は「理論」
(この場合「地動説」
)と一つでなければならないのである。
)
また、坪井と関連させて山口昌男『知の自由人』NHKライブラリー,1998 から
彼[坪井]が主張したことは、まず考古学研究にあっては何よりも実地につくこと、
そして記述にあたっては、いわゆる江戸時代の好事家たちの随想的記述を排し、発掘
物を正確に厳密に記述することである。ところが、実地研究と記述においては厳密な
方法論を打ち立てた正五郎だが、古物を愛好する点では、彼は江戸時代の好事家の好
奇心を捨ててはいなかった、……これがのちの柳田国男との違いである。柳田は……
厳密な民俗誌の方法を打ち立てるために、好事家の好奇心に基づく記述のスタイルを
忌避し続けたのであった。(210)
という部分を挙げておく。
「古物研究」と述べたところの説明として
第1文は、我々が(
「古物愛好」に対する)
も援用できるところであるが、ここでの(
「好奇心」と「尚古主義」との関係に関する)
引用の趣旨は、第2文以下に在る。ただし我々は、坪井の「実地研究」
「記述」に(も)
― 山口自身「好事家の好奇心に基づく記述のスタイル」と記しているように ― すでに
「尚古主義」的要素が在ると捉えている。
ついでに述べさせて頂くと、柳田の(反坪井的)スタイルは(我々の言う)
「科学」的
なものである。
- 8 -
第4段落:
「純粋知は或る側面から換言するなら「理論」
(知)でもあるのだが、そもそ
もテオリアとはそうした非-実践的自己目的的活動性であった。
」
第8段落:
「常識的見方から(まさしく理論的な)科学的見方への転換」
について
「尚古主義」の知は非-実践性という点で「テオリア」的、そしてその意味で「理論的」
とも言いうる。これに対して第8段落で言う「理論的」は、
「実践的」の対義語ではなく、
― よく語られる「理論と実証」ということに合わせて言って ―「実証的」の対義語で
ある。そして、これで言うなら、
「尚古主義」には、この後者の意での「理論」性が、あ
るいはより厳密に言って、
「日常的」
“理論”に基づいた常識的考察はなされているが、
その「日常的」
“理論”を超えることを本質とする(学的)
「理論」が欠如しているので
ある。
(
「日常的」
“理論”と「科学的」理論との関係については、拙稿としては、
「拙稿」
でも挙げた「日常生活と知識」
『岩波講座 哲学 04 知識/情報の哲学』岩波書店,2008
の他に、旧稿であるが「A.シュッツのウェーバー批判 ―「理解」的方法の展開 ― 」
(
『倫
理学年報』27 号、1978 年)を参照頂きたい。
)
上の「日常生活と知識」では、
「カントは美を「没関心性」と規定している。ここから
見ても美的営みは、およそ実践的でない。……純粋に理論的な科学にはこれと似たとこ
ろがある。
」と述べたが、これはそれだけでは不十分な記述である。
(これはその後知っ
たのであるが、すでに)E.Bullough が「心的隔たり(Psychial Distance)」の論におい
て、
隔たりは、対象とそのアピールとを自分自身から分離することによって、その対象を
実践的必要・目的との絡み(gear)の外に置くことによって獲得される。
隔たりは……非個人的で、純粋に知的な関心をもった関係を含意しない。逆に、それ
は一つの個人的な(自己関係的(personal))関係を記述しており、それはしばしば高
‘Psychial Distance’as
度に情動的な、しかし独特の性格の色彩をもってもいる。(“
a Factor in Art and as an Aesthetic Principle”,in: British Journal of Psychology,Vol.5,1912)
と述べている。
「非実践性」の点では共通であっても(美(的態度)の本質である「隔た
り」
、したがって)
「美的隔たり」は、
「個人的」であるという点で、それが「知的」であ
る場合から区別されることが述べられている。言うまでもなく科学はこの「知的」な場
合である。我々も、この観点で「科学」と「美(的態度)
」
(したがって「尚古主義」
)と
は区別できると考える。
- 9 -
さらに、
「この個人的であるが隔たりをもった関係」を Bullough は「隔たりのアンテ
ィノミー」とも形容しているが、
「美的隔たり」は日常的語感としては実は「隔たり」で
はないのでもあって、そこに或る種の「近さ」が在るとも我々は考える。この「近さ」
は「歴史(的対象意識)
」の場合にも在るのであって、であるから「拙稿」で我々は、
「し
かしながら、
「歴史学」の世界記述は、いわば記述一般ではなく、
(
「物語」と言われる場
...
合も在るが)或る特定のスタイルをもった記述である。その「スタイル」は、特質とし
て、現実との一体化的“
(近)距離感”をもつ。
」とも述べたのである。
Bullough 自身のターゲットは(当然)
「
(美的)隔たり」であるのだが、これについて、
上の引用文に続けて以下のように述べられている。
隔たりの独自性は、この関係の個人的性格がいわば濾過され(filtered)ているところ
に在る。個人的関係はそのアピールがもつ実践的・具体的本性を拭いさられ(cleared)
ているが、しかし、その元来の構成を失ってはいない。最も知られた事例がドラマの
出来事・人物に対する我々の態度のうちに見出される。この出来事・人物は通常の経
験の人物・出来事と同じように我々にアピールしてくる。ただしこのアピールは、直
接的に個人的な在り方で通常は我々に影響を与えるであろう側面を停止(abeyance)の
状態にしている。……この意味で Witasek は……ドラマを見ることのうちに在る情動
を Scheingefühle と記述している。しかし……この隔たりが、人物に対する我々の関
係を変えることによって、人物を仮想的な(fictious)ものにするのであって、人物の
仮想性が人物に対する我々の感情を変えるのではない。……隔たりがドラマ上の行為
に非確実性の見かけを第一に与えるであって、逆ではない、というこの見たところの
逆説を証明するものとして、次の観察事項が在る。すなわち、我々の情緒に対する同
じ濾過、実際の人・事物の同じみかけの「非実在性」が、時々、内側のパースペクテ
ィヴの突然の変化によって生じるという観察である。我々は、
「世界の全てが一つの舞
台である」という感情によって圧倒されるのである。*
文字通り「ドラマ」の場合だけでなく、
(通常)程度は劣るが「実際」の事態であっても、
我々は「仮想」
「非実在」と感得することが在るのである。そしてそれは、我々の「内側
のパースペクティヴの変化」をもたらす「隔たり」によってなのである。我々の議論に
引き付けて言うなら、
「遊び」の空間内の事態はこのようなものである。たとえば「鬼ご
っこ」
(という遊び)において子供達は鬼(役)から逃げるわけであるが、そこには実際
の鬼から逃げる場合の恐怖(という実在性)は「拭いさられて」いる。そこでも(私が)
逃げるという「個人的関係」は保持されているが、その「実践」性は「濾過」されてい
る。
同様に我々の議論に引き付けて言うなら、我々が ― たとえば新聞で知る ― 殺人行
- 10 -
為には恐ろしさを感じたり、道徳的な憤りをもったりするのに対して、
「歴史」上のそれ
(たとえば暗殺)にはむしろ面白さを感じてしまうのも、このメカニズムで生じるもの
と言えよう。というか、そもそも尚古主義的「歴史(意識)
」とは、事態をそのように「隔
たり」において見るという在り方なのである。これは“観光”の視線の場合でも同じで
ある。たとえば殺人事件が在った貸部屋などは(
「事故物件」ということで)なかなか借
り手が見つからないのであるが、それが竜馬が暗殺された部屋となると、宴会などで(む
しろ)人気の部屋となるであろう。
ここでさらに、上に述べた「近さ」ということを絡めるなら、次のように言うことも
できる。竜馬が暗殺された部屋が人気となるのは、あくまで幕末について一定の知識を
もっていて、
(
「個人的」に)そうした“激動期”に関心をもっているときだけである。
何も知らない外国人の間では別に人気の部屋となることはない。
(あるいは、Mr.Ryōma
(という人物)が暗殺されたところと聞くと気持ち悪がってその部屋を避けるかもしれ
ない。
)この「関心」が竜馬暗殺の出来事を「近い」ものにしていて、その「近さ」の前
提の上で「人気」も出てくるのである。
(ここで(再度)
「科学」ということを考えるなら、それはこの殺人の場合、たとえば
事件を調べる刑事において成立していると見ることができる。刑事は当然、事件に関心
をもっているのであるが、それは決して「個人的」なものではない。自分と関係が在る
から事件に関心をもつわけではない。その意味で(或る種)
「知的」に事件に対している
のである。そして、この「知的」スタンスがその場所に対する気持ち悪さの感情を消去
させると同時に、そこに“面白さ”を感じたりすることを防いでいるのである。それは、
たとえ“竜馬暗殺”の場合であっても同様である。この場合、
(現在)刑事事件の対象と
なることはないのであるが、研究者がこの事件を調べるとき、その“事件”と関連のな
い、竜馬にまつわる様々なエピソードに(面白がって)関心が拡散していったりするこ
とは生じない。ちなみに殺人事件を描いたテレビ・ドラマはたくさん在るが、典型的に
は山村美沙の“京都ものサスペンス・ドラマ”がそうであるが、そこには(
「拡散的」に)
事件(解決)とは直接関係のない ― まるで“京都観光案内”とも言える ― 描写が含
まれている。これによって「殺人」の実践性が「濾過」されるのであるが、上の「竜馬」
(ブーム)は、このサスペンス・ドラマのようなものである。
)
* Witasek(およびマイノング)からは独自の empathy,sympathy 論をも学んだが、
これは「
(共感)倫理」にも(当然)関わるところである。ここでは、― 註に対す
る註となって恐縮であるが ― 近いうちに所属研究室誌『dialogica』でこの論を手
がかりとした筆者としての(共感)倫理論を展開することのみ記させて頂いておき
たい。
- 11 -
3. 教科「歴史」の現状
本節全般に関して
拙稿「
「公民」教育としての「社会科」教育 ― 戦後「社会科教育」論争史を通して ― 」
『社会哲学研究資料集 I』2002( http://www.edu.shiga-u.ac.jp/~abiko/gyouseki/
paper/s-studies.html )を参照頂きたい。
なお、この論稿は、基本的に強く(当時流行の)
「国民国家論」を前提としたものであ
る。
「
(社会科)教育」をテーマとしたものであるという点では同一であると言ってもい
いが「拙稿」は、これとは異なって「尚古主義」に焦点を合わせたものである。
第5段落:
「十九世紀的な「人文(科)学」理念」について
我々はたとえばマシュー・アーノルドの思想の或る面にこの「理念」の一典型を見て
いるが、彼を批判してアーレントが次のように述べている。我々の主張のいくつかの点
で関わってくるので、ここで引用しておく。
「文化」という言葉そのものが疑わしいものとなったのは、まさにそれが「完成の追
求」
、しかもマシュー・アーノルドにとっては「甘美と光輝の追求」と等しい意味での
「完成の追求」を意味するようになったからである。……教養俗物の困る点は、自ら
の生活からリアリティー ― たとえば馬鈴薯飢饉のような「散文的な」事柄 ― を遠
ざけておくために、もしくはリアリティーを「甘美と光輝」のヴェールを通して眺め
るために、
「純粋詩」の領域に逃げ込んでしまうということである。
(
『過去と未来の間』
273f.)
我々のメインの主張をこの言い廻しを用いて換言するなら、現行の「尚古主義」的「社
会科」が、
(
「社会」の)
「
「散文的な」事柄」を軽視する、あるいは、それを「ヴェール
を通して眺め」るものとなっているということである。
本稿を見直しているとき、新聞(朝日新聞、2011 年 2 月 18 日(朝刊(大阪版)
)で「三
丁目の夕日ばかり振り返っても」というタイトルを付けられた飯田泰之へのインタヴュ
ー記事を目にした。ここで言及されている「映画「三丁目の夕日」
」で描かれた高度成長
期の姿は ― 氏は「美化」されたものと述べているが ― 我々のここでの言い廻しで換
言するなら「ヴェールを通して眺め」られたものである。氏はまたこれを「回顧趣味」
によるものとも述べているが、それは、
「拙稿」の言葉で換言するならまさしく「尚古主
義」である。
しかしながら厳密に言うなら、
「ヴェールを通して」ということは、この映画で描かれ
たものが、その時代のいわば本質的実像であると了解されるときである。それが(映画
- 12 -
として)フィクションであると了解されているときは、そう問題とすべきではないかも
しれない。しかるに飯田は、この時代像が一面の実像であるとして、しかし、その他面
(
「殺人や強姦などの凶悪犯は現在よりはるかに多く、国民の所得は低い。
」
)が無視され
ている(その限りで「美化」である)と捉え、両側面を「矛盾する両方」とも纏めてい
る。これに対しては我々は、その映画が描いた時代ではなく、それが製作された時代(す
なわち現在)に即して、その現在の問題性として捉えなければならないと考える。一般
的にも多くそうであるのだが、飯田は、この問題性としては単に過去を「美化し懐かし
がる」在り方としてしか捉えていない。これに対して「拙稿」は、これを(現在の)現
実からの逃避、現実の問題性のいわば代償化的補償といったものとして(も)把握して
いる。氏は、この在り方に対して ― 少なからず挑発的にだと思うが堀江貴文の名を挙
げて ― 「一つの[新しい]モデル」を対置している。これは「新自由主義」ともよく
語られるものであるが、これと関連づけるなら我々がここで言っているのは、この新自
由主義的「モデル」が他方でもたらしている格差・貧困といった事態(の問題性)の代
償化的補償として、いわばそれとワン・セットとなって「尚古主義」が在るのでもある
ということである。ちなみに、この「補償」(「埋め合わせ」
)については、なによりも
O・マルクヴァートの理論を参照すべきであろう。これについては、
『dialogica』第 6
号(http://www.edu.shiga-u.ac.jp/dept/e_ph/dia/6.html),1998 所収の次の2稿を参
照頂きたい。藤野寛「「埋め合せ理論」とその批判--ヨアヒム・リッター学派とフラ
ンクフルト学派」、安彦一恵「「補償理論[埋め合せ理論]」とは何か--コメント、
および自己訂正・補完--」
また、特殊 19 世紀的「人文(科)学」の理念の特徴づけとして、アーレントの以下の
言をも引用しておく。
真理は時間の過程そのものに宿りそこで自らを顕わにすると考えることは……近代の
ヒューマニティーズ
歴史意識すべての特質である。19 世紀における人文科学の台頭は、歴史に対する同
様の感情によって促されたものであり、したがって以前の時代に繰り返し生じた古代
の復興とは明らかに異なっている。
(同上 91)
第6段落:
「文化科」云々について
「文化科」を(肯定的に)提唱するものとして伊東亮三「文化科と社会科」
『社会科研
究』41 号,1993 を挙げておく。氏は、戦後「社会科」の核心を「公民」教育と押さえた
上で、その枠をはみ出るものとして、
「余暇の増大とともに、これから社会の高齢化はま
すます進み、この時、遊びとか趣味を目的とする文化享受や文化活動が、人間の生活の
中で大きな役割をもってくるであろう。
」(9)として、教育場面でこの「役割」に対応す
るものとして「文化科」を提唱している。
- 13 -
ただし、
「社会科」における現状の“文化学習”の問題性を指摘するそのかぎりでは「拙
稿」は認識を共有するが、そもそもの「社会科」および「公民」教育の理解と、
「文化」
の理解とについては、
「拙稿」はこの論稿とは立場を異にする。
4. 基礎学へ
第2段落:
「基礎学」云々について
倫理学系の「基礎学」
(の)理念については、別のコンテクストにおいてだが筆者も論
じたことが在る。次の拙稿を参照頂きたい。
「倫理学は現実の諸問題にどうかかわるべき
か」
『倫理学のアカウンタビリティ』
(科研費報告書),2003( http://www.edu.shiga-u.
ac.jp/~abiko/gyouseki/paper/e-problem.html )
なお、
「拙稿」は ― 一つの倫理学系の「基礎学」理念の提示として ― 一つの学問論
としてメタ学的に(諸基礎学を含む)諸学について論じるものでもある。
第2段落:
「網羅主義」について
筆者が直接参照したものとして、社会認識教育学会編『社会科教育のニュー・パース
ペクティヴ』明治図書,2003(106)を挙げておく。
「お江」ブームに即して「拙稿」および本註記全般の主張を展開する
「本稿」筆者は滋賀県に居住しているが、当地では現在「お江」
(織田信長の妹・市の
三女)がブームである。初等教育現場で、このブームに関連させてどのような(社会科
の)
授業を展開するかということが議論されてもいる。
聞いた範囲に留まるのであるが、
それは多く“便乗”的なもの、あるいは「拙稿」が言う「尚古主義」的スタンスに立つ
ものである。極論するなら、― 一部「人物学習」偏重への批判といったものも在ると聞
いているが ― お江の足跡を辿るといったものに留まっている。
言うまでもなくこれは、現在放映中のNHKの「大河ドラマ」
、および、まさしくそれ
に便乗した各自治体の観光キャンペーンに影響されたものである。生徒達は「教育」と
は独立にこの影響下に在ることも考えれば「教育」としてもこれを“教材”にすること
自身は(むしろ)妥当であろう。
(というか、
(上述の「文化科」ならぬ)
「社会科」とし
てはこのような話題にあまり時間を割くのは問題的でもあるのだが、
「お江」ブームの影
響へのいわば“対策”という趣旨も在る。
)だが問題は、その取り上げ方である。
まさしく「社会」の事実を問う「社会科」としては、まず、ドラマと(戦国時代の)
実像との区別を学ばせる ― 広く言えば「メディア・リテラシー」教育の一環として ―
ということが必要であろう。言うまでもなく自体的に「実像」が在るわけではなく、そ
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れも人々のお江イメージの歴史的展開のなかで形成されてきたものである。
「拙稿」
では、
いわば在るべき「歴史教育」として、
「端的に換言するなら、
「過去」
(の事実)そのもの
......
の教授ではなく「過去」の探究の仕方の教授が求められるのである。
」と述べたが、テク
スト(文書)からは、お江について何が言えるか、あるいは“どこまでしか言えないの
か”
(逆に言って、お江イメージのどの部分がフィクションであるか)を探らせてみる必
要があろう。
「観光」としては別に「フィクション」が在ってもいいとも言えるが、この「観光」
との関連においては、―(お江に関する)
「歴史」学習とは明確に切り離した上で、ある
いは、
「歴史」を「観光」に“利用”するのであるなら、その「利用」という在り方(そ
のもの)をも問いつつ ― まさしく産業としてそれがどういう位置を占めているのかな
ど、
(現在の)
「社会」事象の学習と関連させる必要があろう。
これは初等段階では難しいかもしれないが、
一種自己反省的考察として、
そもそも人々
はなぜお江に惹かれるのかということの、現在の社会状態や、人の(社会における)在
り方と関連づけた考察もまた必要であろう。
末尾「
「あるべき「社会科」
」云々について
「社会科」のカリキュラムについては、筆者としても理想案がないわけでもないが、
これはむしろ専門家の考察 ― 筆者としては「全国社会科教育学会」系の諸論者のもの
等に着目しているが ― に委ねるとして、
「倫理学」研究という「哲学」系の立場に立つ
筆者としてここでは、次のことを述べて本「補完」の締めとしたい。
「社会科」が「社会」に関する「知」的能力の育成を目指すものだとして、そのカリ
キュラム構想は、基底的に、
(
「社会」に関する)
「知」そのものを問う「学問論」
(
「
(社
会の)科学の哲学」
)との連携を不可欠とする。そして「拙稿」は、さらに基底的に(あ
るいはその一部として)人間の営みのなかで「そもそも知とは何か」を問うという ― 言
うとするなら「知の理論」的 ― 次元に定位するものでもある。そういうものとして基
底的次元から「社会科(教育)
」の知について問うたものである。ちなみに拙稿「日常生
活と知識」は、このスタンスで「知」そのものを問うたものである。併せて参照を乞い
たい。
併せて、初等・中等教育教員、さらには大学「教養」科目担当教員、および教員養成
大学・学部教員の養成について、各「教科」の前提となる諸科学について ― 諸「教科
教育学」とも連携しつつ ― 、学問論的に(各個別科学別にではなく、いわば総合的に)
その特質を理解するたとえば「科学の哲学」という科目の履修を必修とするという“対
策”をとりあえず提案させて頂いておきたい。
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