ウルグアイのシンガー・ソングライター、マレーナ・ムラヤのアルバム

 ウルグアイのシンガー・ソングライター、マレーナ・ムラヤのアルバム「ビアヘーラ~旅する女」
のジャケットには、思いつめたような表情で遠くを見つめる女性の横顔の写真が載っている。これが
このアルバムの主人公マレーナ・ムラヤである。ウルグアイはスペインとイタリア系の白人の多い、
南アメリカ東南部の共和国である。このアルバムでは、ムラヤ自作のタンゴ、ミロンガ、ワルツのみ
ならず、伝説のタンゴ歌手カルロス・ガルデルのうたった歌もうたわれている。
ここでは、ムラヤの、今の時代のミュージシャンらしく、濃厚になりすぎない、しかし感情の襞を
巧みにあきらかにできている表現もききものになっている。ギター、チェロ、コントラバス、アコー
デオン等、最小限の楽器を効果的に使った、さりげない工夫のこらされたセンス抜群の編曲がそのよ
うなムラヤの歌唱をより陰影にとんだものにしていて、味わいはきわめて濃い。1930年代につく
られた古いタンゴがムラヤによってつくられた歌と隣り合わせに配置されてうたわれていても、まっ
たく違和感を覚えないのは、ムラヤが高度に柔軟性にとんだミュージシャンだからである。
マレーナ・ムラヤの歌唱や音楽的なつくりは、昨今のポップス・シンガーの歌唱でしばしば耳にす
る厚化粧の表現からは遠く隔たったところにあって、静かで、味わいの濃い情感をききてに感じさせ
る。ムラヤは感情の激したような表現をとることはなく、終始、室内楽的な響きを特徴としている伴
奏の音楽と呼応した、あくまでも自然体の歌唱をきかせている。ムラヤがききてに味わわせてくれる
情感には、どことなく慎ましさが感じられ、作り物めいたところは皆無である。
このような歌は、華やかな照明のあてられた華やかなステージではなく、やはり、スポット・ライ
トが一本あてられているだけの、飾り気のない舞台でうたわれるのがふさわしい。だからといって、
ここが肝腎なところなのだが、マレーナ・ムラヤのうたう歌が、往年の、シャンソンやファドのよう
な一種の暗さを特徴としているということではけっしてない。
「旅する女」の、ときに呟くようにして
うたわれる歌の多くは静かで、内省的であっても、決して暗くない。そこがムラヤの素敵なところで
ある。
そのようなことに気づいたとき、ききてはジャケットに印刷されていた、遠くを見はるかすような
表情のマレーナ・ムラヤの横顔を思いだすことになる。それにしても、ここでは、なんといい歌をた
くさんきけることであろう。しみじみとした歌もあれば、心地よく弾む歌もあって、うたわれている
歌のタイプはさまざまだが、繰り返しCDをきいているうちに、好きな歌が次第にふえてくる。ムラ
ヤの歌唱が、それぞれの歌に敏感に対応しているからである。
これだけの繊細な表現を尊んでいる歌をおさめたアルバムであれば、おそらく、微妙な表現の語る
意味を充分に感じとれる大人のききてにきかれることを待っていると思う。このアルバムは、昨今、
あちこちでもてはやされているお子さまランチ風な、サービス精神旺盛なアルバムの対極にあって、
淡い香りを静かに漂わせている。これだけ熟した音楽を生み出せるウルグアイという国は、きっと、
素晴らしい国なんだろうななどと、余計なことも考えてしまった。
*モーストリー・クラシック「poco ほっと」