奈良市街地 におけ る外 国人観 光客受け入 れの現状 と課題 一先 行研 究 の 検討 とイ ンタ ビュ ー調 査 か ら一 ForeignTouristsinNaraCity ‐AnExaminationBasedonDocumentsandInterviews‐ 芹 澤 知 広s SatohiroSerizawa 1日 1.本 本 に お け る外 国人 観 光 客 受 け 入 れの 現 状 と それ に対 す る 先行 研 究 験 文 の構 成 本論 文 は 、平 成10年 度 か ら12年 度 に か け て、奈 良 大 学 総 合研 究所 ・ 特 別 研 究 と して行 った 「大 和 ・奈 良地 域 にお け る外 国 人観 光 客 受 け入 れ の現 状 につ い て の研 究 」 に 関 して 報 告す る もの で あ る。 奈 良及 び大 和 地 域 が 観 光 の 対 象 とな っ て きた 過 程 にお い て 、 国 外 との 関係 は 重要 な要 素 の ひ とつ とな って き た。 今 日奈 良 は 、 「日本 」・「日本 人」 の歴 史 との 強 い 関 わ りに よ っ て 特 徴 づ け られ る。 こ の連 想 が 外 国 との 関 係 の なか で歴 史 的 につ くられ て きた こ と は 明 らか で あ り、 次節 で 具 体 的 に た どる よ う に、 と りわ け近 代 以 降 に 日本 が 外 国 に対 して 大 き く門戸 を 開 くな か で 強 め られ た。 この 点 で 奈 良 地 域 の 国際 観 光 の問 題 は 、 近 代 日本社 会 を扱 う近 代 史 や 社 会 学 の恰 好 の 対 象 で あ ろ う。 近 年 は問 題 意 識 を もち、 テ ー マ を しぼ って 行 わ れ た興 味 深 い研 究 が い くつ か 歴 史 学 や 社 会 学 の 分 野 か ら生 まれ て い るD。 い っ ぽ う奈 良 県 の 観 光 行 政 や 観 光 産 業 に つ い て の 総 括 的 な研 究 は1こ う した 新 た な 問題 意 識 や 「外 国人 」・「国 際 観 光 」 とい う テ0マ を共 有 して は 行 わ れ て い な い。 そ の た め 本 論 文 で は、 前 半 部 で 先 行 研 究 の 検 討 を通 じ、 奈 良 県 に お け る 外 国 人 観光 客 受 け入 れ の 問 題 の 重 要 性 を論 じ て 、 そ の 現 状 を総 覧 す る。 もち ろ ん今 回 の 個 人 の 調査 研 究 で は、 こ の 問題 を奈 良 県 全 体 の 広 い 範 囲 に わた って 調 査 す る とい う こ と は不 可 能 で あ っ た た め 、後 半 部 で は奈 良 市 街 地 を調 査 地 に し、 問題 と対 象 を しぼ って 、 現 状 と課 題 を論 じる。 2.奈 良 に お け る国 際 観 光 の 歴 史 奈 良 にお け る 国 際 観 光 の 近代 史 を、 もっ と も主 要 な 観光 資源 で あ る奈 良公 園 及 び そ の 周辺 に 一31一 総 合 研 究 所 所 報 焦 点 をあ て て 概 観 して お くこ とに した い 。 今 日奈 良 を代 表 す る観光 資源 で あ る東 大 寺 や興 福 寺 は、1868年 の 明治 維 新 に と もな う廃 仏 殿 釈 に よ っ て力 を 落 と した。 しか し1873年 の新 聞 に は す で に、「大 阪 が 開 港 に な れ ば 、必 ず や 外 国 人 の 遊 覧 の 地 に な る だ ろ うか ら、早 くホ テ ル を造 っ て外 国 人 が 泊 ま る よ うに す れ ば 、 奈 良 の 繁栄 は疑 い な しだ ろ う」 とい う内容 の市 民 の 投書 が 載 せ られ た とい う[堀 井他 編1970:231]。 そ の 後 、 奈 良 の 観 光 政 策 は博 覧 会 に よっ て 始 ま った 。 1875年 に 第1回 の 「奈 良 大 博 覧 会 」 が 開催 さ れ た。 こ の 時 、東 大寺 の 大 仏 殿 とそ の 回廊 に正 倉 院 の 宝 物 を陳 列 し たの が 、今 日の 「正倉 院展 」 の始 ま りで あ る。 正 倉 院の 宝 物 は そ の後 海 外 に も知 られ る よ う に な った。 例 え ば1879年 か ら85年 の あ い だ に 、香 港 太 守 ヘ ンネ ッ シーや 独 逸 皇 孫 ハ イ ン リ ッ ヒ な ど、外 国 の 皇族 ・高 官 に よる拝 観 が6件 そ して 興 福 寺 境 内 を 中心 とす る 地 区 が1880年 もあ っ た[山 上1998:34]。 に公 園 に指 定 さ れ た 。1884年 に古 美 術 調 査 の た め に奈 良 に滞 在 した フェ ノ ロ サ は 、 天 に 通 じる杉 の林 とゆ っ く りと歩 み を進 め る神 鹿 に代 表 され る公 園 の 静 け さ に感 動 して 、3日 間 こ とば を発 しな か っ た とい う[奈 良 市 史 編 纂 委 員 会 1995:156-157]。1888年 に は 若草 山 ・春 日山 な ど東 大 寺 境 内 も奈 良 公 園 た編 入 さ れ た。1895 年 に は 公 園 内 に奈 良 帝 室 博 物 館 が 設 立 さ れ 、観 光 客 も増 え た 。外 国 人 観 光 客 も増 え て年 間 1,000人 に 達 し、外 国 人 の あ い だ で は 「東 洋 の ロ ー マ」 と して の 関心 が 高 ま っ た と い う[堀 井 他 編1970:232]。 20世 紀 に 入 る と、国 際観 光 は さ らに活 発 化 した。 日露 戦争 後 、日本 政 府 は 外 国 人 観 光 客 受 け 入 れ を促 進 す る 目的 で ホ テ ル を整 備 した。 奈 良 に は1909年 に奈 良 ホ テ ルが つ く られ て い る 。 設計 者 は辰 野 金 吾 で あ る。 今 日ま で、 そ の和 洋 折 衷 の特 異 な姿 を現 して い るが 、 これ は先 に 建 て られ た帝 室 博 物 館 の純 洋 風 の建 築 物 が 古 都 奈 良 の景 観 に そ ぐわず 不 評 で あ った こ とが 関 係 し て い る[奈 良 ホ テ ル1984]。 い っ ぽ う同 じこ ろ、奈 良 公 園 も徐 々 に今 の か た ち に整 備 さ れ、特 色 あ る建 築 物 が 加 え られ た。 今 は な き奈 良 県 公 会 堂 は、1888年 に建 て られ た 「奈 良倶 楽部 」 を 県 が1900年 に買 収 して南 二 号 館 と し、1903年 に北 一 号 館 を竣 工 し た も の で あ る。 今 も残 る奈 良県 物 産 陳列 所 の建 物(現 在 の 仏教 美術 資料 研 究 セ ン ター)は 、関野 貞 の 設 計 で1902年 に竣 工 され た[奈 良市 史編 纂 委 員 会1995:238-241]。 奈 良 公 園 は、1922年 に 国 の 「名 勝 」 に指 定 され 、そ の 後 も施 設 の整 備 が 進 ん だ。1932年 に奈 良市 は 産 業 観 光 課 を新 設 し、1934年 に は 観 光 課 を独 立 させ て 、観 光 行 政 に積 極 的 に 取 り組 ん だ。 日中戦 争 の本 格 化 で 「観 光 」 に暗 雲 が か か る まで観 光 客 は年 々増 加 を続 け、1936年 に奈 良 を訪 れ た 外 国 人 は 、 前 年 よ り131人 増 え て 、5,750人 を数 えた[奈 良 市 史 編 纂 委 員会1995: 486-488]。 次 に戦 後 の 時代 、1945年 か ら75年 ま で の あ い だ の 国 際 観 光 に関 わ る 出来 事 を 「奈 良 の近 代 史年 表 」 に も とつ い て 、 あ げ て い くこ と に した い[中 本1981]。1946年 に奈 良 県 の 文 化 課 は 観 光 課 と改 称 して い る。 同 年 第1回 の 正 倉 院特 別展 が帝 室 博 物 館 で 開 催 され た 。1950年 に奈 良 市 は 「国 際観 光 文 化都 市」 と な った 。1952年5月 施 設(RRセ か ら1953年8月 まで尼 ヶ辻 に進 駐 軍 の 慰 安 ン ター)が 設 け られ て い る 。1959年 に 奈 良 交 通 は外 国 人用 観 光 バ スの 運 行 を 開始 した 。 一32一 芹澤:奈 良市街 地における外 国人観光客受 け入れの現状 と課 題 1960年 、奈 良 県 ユ ー ス ホ ス テ ル 協 会 が 設 立 され た。 同年 、高 円 山で 第1回 の 大 文 字 焼 きが 行 われ た 。1961年 、奈 良 ドリー ム ラ ン ドが 開 園 。1964年 、奈 良 県 観 光 課 は東 京 オ リ ン ピ ッ ク開 催 に備 えて 、観 光 地 の 案 内板 を整 備 す る。 ま た1969年 光 客 受 け 入 れの た め に1泊2500円 に は 、大 阪 の 万 国博 覧会 に 訪 れ る 外 国 人 観 で 宿 泊 させ るホ ー ム ス テ イ の家 族 を募 集 して い る。 奈 良市 は 、1970年 に韓 国 ・慶 州市 、1972年 に ス ペ イ ン ・トレ ド市 とそ れ ぞ れ 姉 妹都 市 の 関 係 表1奈 年次 (年) 総数 良市 にお ける入込観光者数 宿泊客 総数 日帰 り客 一般 外 国人 修学旅行 'iii 修学旅行 8,571,700 II}' 2,708,000 430,000 11,281,200 8,308,100 51,100 2,922,000 498ρ00 11.645200 &459BOO 49,400 3,136,000 12,193,500 9,494β00 56,700 2,742,000 12,250,000 "1111 60,000 495,000 12,160,000 '・!ii! 80,000 2,475,000 521,000 11,584,000 "111 15,000 491,000 11,296,000 111 485,000 13,343,000 2,020,900 1,621,000 4,900 1977 13,28&.000 2,004,800 1,571,000 3,800 1978 13,748,000 z,ioz,soo "111 1979 "111 2,305,500 1,733,30(} 5200 1980 14,550,000 11!1! 1,773,000 7,000 520,000 1981 14280ρ00 2,120,000 1,616,000 9,000 1982 13,574,000 "1111 1,458,000 1983 13246,000 '1ill 1.444ρ00 1984 13,257,000 1986 外 国人 11,322,100 1976 .. 一般 縁数 :11 lif ・111 !'ill ・lil Xlllil 95,000 2,550,000 141,000 2,446,000 193,000 2386ρ00 1,949,000 1,449,000 13,437,000 L969,000 1.496ρ00 16,000 457,000 11.468ρ00 9ρ65,000 155,000 2248,000 13,742,000 2,013,000 1.548ρ00 16,000 449ρ00 11,729,000 9β46ρ00 138.00(} 2,245,000 9,485,000 14aOOO 1:111 1987 13.8(12,000 2,019,000 1,570,000 430,000 11,783,000 1988 16,062,000 2,732,000 2,240,000 57,000 435,000 13,330,000 1094LOOO 214,000 z,i7sOOO 1989 14,671,000 2,142,000 1.735000 26,000 381,000 12,529,000 10β94,000 23α000 1,905,000 1990 14,934,000 2,180,000 1,791,000 28,000 Ili 12,754,000 2,158,0(10 1,798,000 #iFl 111! 2,042,000 1,706,000 26,000 310,000 287,000 1991 14,54.4,000 li! 1 ill 'lil ・111 :111! 12.386ρ00 10.438ρ00 298,000 1,650,000 12,158,000 10,347,000 261,000 1,550,000 234,000 1,435,000 1992 XIlill 1993 13,982,000 1,921,000 1,611,000 23,000 1994 13,751,000 1,827,000 1,524,000 22,000 1995 13,546,000 1,625,000 20,000 1996 13,468,000 1,610,000 20,000 1997 13,392,000 1,724,000 1,476,000 27,000 221,000 ii,hs8,000 10,345,000 218,000 1,105,000 1998 '.lil 1,783,000 1,562,000 21,000 200,000 11,178,000 10,010,000 168,000 1,000,000 24,000 188,000 11,505,000 10,376,000 ... 13ρ60,000 を結 ぷ 。 また1974年 ・1ill 1,884,000 155鼠000 111 12,061,000 1'111 11,924,000 10β00ρ00 219,000 1,405,000 262,000 11,639,000 10,131,000 ':111 1,310,000 254,000 11,584,000 10,113,000 141 ・1111 1,268,000 :'11! 940,000 に は、 中国 ・西 安 市 と友 好 都 市 の 関係 を 結 ん だ。 1976年 以 降 の外 国 人 観 光 客 の 動 向 に つ い て は、 奈 良 市 の 統 計 を整 理 した 表1を 参 照 さ れ た い。1976年 以 降 で 、奈 良 を 訪 れ る外 国 人観 光 客 が著 し く増 加 した の は、1983年 で あ る。 お そ ら くこの こ ろ ア ジア 諸 国か ら奈 良 を訪 れ る 観 光 客 が 徐 々 に増 加 して き て い た。1978年 に 日本 を 訪 れ る外 国 人 の 主 要 出 身 地 域 は北 米 で は な くア ジ ア に な る。 翌1979年 に は 台湾 の 海 外 旅 行 自 由 化 が 始 ま っ て い る。1982年 に 「奈 良 新 聞」 に連 載 され た 「再 考 古 都 観 光 」 とい う連 載 記 事 の なか で は 、最 近 の 傾 向 につ い て の 記 者 か らの 質 問 に答 え て 、東 大寺 大 仏 殿 主 任 が 、「外 国 人 の方 が 多 くな っ た こ とです 。 特 に 昨年 ぐ らいか ら台 湾 、 韓 国、 フ ィ リ ピ ンな どの ア ジ アの 人 た ちの 参 拝 が 顕著 に な りま した。 欧米 の方 は こ こ数 年 同 じよ う な数 で す ね。」 と述 べ て い る 。 一33一 総 合 研 究 所 所 報 1988年 は 「な ら ・シル ク ロー ド博 」 が 開催 され た た め に 突 出 した数 字 に な っ て い る。奈 良公 園 とい う舞 台 で 改 め て 「 東 洋 の ロー マ 」 とい う イ メー ジに 沿 っ た博 覧 会が 行 わ れ た 。 しか し結 果 と して は 、奈 良 を 「シル ク ロ ー ド」 に位 置 づ け る こ とや、 「も う ひ とつ の 」終 着 駅 ロ ーマ を 想 像 させ る こ と に は失敗 した よ うだ[春 日1990]。 そ れ で もな お 、こ の博 覧 会 は 奈 良 公 園 と奈 良の 国 際 観 光 の 双 方 に とっ て重 要 な 出 来 事 と なっ た 。 この 時 に奈 良県 の 新 公 会 堂 が 新 た に奈 良 公 園内 に建 て られ た 。 本研 究 が お もに 対 象 とす る1990年 代 後 半 か ら2000年 にか け て の時 期 は、 日本 を含 む ア ジア 経 済 の停 滞 に よっ て 特 徴 づ け ら れ る で あ ろ う。1998年 に は奈 良 を訪 れ る外 国人 観 光 客 が 前 年 を大 き く下 回 っ て い る 。 これ は1997年 後 半 に起 きた ア ジア の 通 貨 危 機 が 大 き く影 響 した。 し か し、1998年 に は平 城 宮 跡 の 朱 雀 門 と東 院庭 園 の復 元 を 記 念 して 「平 城 京 曾98」が 行 わ れ、 観 光 客 を多 く集 め た 。 また1998年 には 、 「古 都 奈 良 の文 化 財 」 が ユ ネス コの 世 界 文 化 遺 産 に登 録 され る と い う大 きな ニ ュ ー ス もあ っ た。 そ して1999年 に 、奈 良 公 園 で は じめ て 「な ら燈 火 会 (と うか え)」 が 行 わ れ 成 功 した 。 3.近 年 の 日本 の 国際 観 光 政 策 と奈 良 を訪 れ る外 国 人 数 の 推 移 この 節 で は、 お もに近 年 の 「運 輸 白書 」、 「観 光 白書 」、 「JNTO国 際 観 光 白書 」 に拠 りなが ら、日本 国の 観 光 政 策 と奈 良 の 国 際 観 光 との 関 わ りを概 観 す る こ とに した い 。 な お 、一般 に 「国 際 旅 行 」(lnternationalTourism)と は 、外 国 へ 出 て い く 「 外 国 旅 行」(OutboundTourism) と外 国 人 が入 国 して くる 「外 国 人旅 行 」(InboundTourism)の2つ の 方 向 を含 ん で い る 。 最 近 で は 、 英 語 を 日本 語 に入 れ て 、 前 者 を 「ア ウ トバ ウ ン ド」、 後 者 を 「イ ンバ ウ ン ド」 とい う場 合 も増 え て きた 。 本 論 文 が 焦 点 を あ て て い る 「国 際 観 光 」 は 、外 国 人 が 日本 へ 入 国 して くる 「 外 国 人 旅 行 」 の 場 合 で あ る。 出 入 国 の 統 計 や 運 輸 上 の 旅 客 に 関 わ る統 計 で は、 「観 光 」 を 目 的 に して入 国す る 、 い わ ゆ る 「観 光 客 」 に限 らず に数 値 を測 っ て い る こ と もあ る た め 、 以 下 で も注 意 を要 す る。 日本 を訪 れ る外 国 人 の 人 数 は1990年 代 まで 年 々増 加 を続 け て きた01997年 に は年 間400万 人 を こ えて お り、1995年 に や や 前 年 の 数 を下 回 る こ とが あ っ た が 、 そ の 数 値 は確 実 に大 き く な っ てい る。 この こ とに対 応 して 、 日本 政 府 にお い て 観 光 を担 当 す る 主要 省庁 の運 輸 省(現 土交 通 省)は 、近 年 外 国人 観 光 客 の受 け入 れ を積 極 的 に奨 励 して い る 。 と くに1996年1月 「観 光 交 流 に よ る地 域 国 際 化 に 関 す る研 究 会 」 を発 足 させ 、 同年4月 国 には 、 に行 わ れ た そ の 第4回 研 究 会 にお い て 、「ウ ェ ル カ ム プ ラ ン21(訪 日観 光 交 流 倍 増 計 画)」が 提 言 と して ま とめ られ た。 こ の計 画 は 、2005年 時 点 にお い て 外 国人 旅 行 者 の 数 を700万 人 に倍 増 させ る とい う もの で あ る。 そ して この 提 言 を踏 まえ 、各 地 へ の 観 光 客 の 誘 導 を促 す 目的 で 、1997年6月 に は 「外 国 人観 光 旅 客 の 来訪 地 域 の 多 様 化 の促 進 に よ る国 際 観 光 の振 興 に関 す る 法 律 」(外 客 誘 致 法)が 公 布 ・ 施 行 され た。 こ の よ うな 日本 政 府 の 観 光 政 策 と各 地 方 と を結 び つ け る う え で重 要 な役 割 を 果 た した 施 策 は、1985年 か ら始 まっ た 「国 際 観 光 モ デ ル 地 区 」 整 備 事業 で あ る。 大 和 ・奈 良 地 域 と重 な る奈 一34一 芹澤:奈 良市街地におけ る外国人観光客受け入 れの現 状 と課題 良県 の北 部 は 、 「奈 良北 和 ・生 駒 ・斑 鳩 国 際観 光 モ デ ル 地 区」 と して整 備 の対 象 とな り、奈 良 県 にお いて は1987年 に そ の実 施 計 画 策 定委 員 会 が 設 置 さ れて い る。 そ の 後 、 この 地 区 指 定 は 、 「ウ ェ ル カ ム プ ラ ン21」 に 基 づ く地 区 整 備 が 新 た に 始 め られ る こ とで 発 展 的 に 解 消 した。 「ウ ェ ル カム プ ラ ン21」 で は 「国 際 観 光 テ ー マ 地 区」 と して範 囲 を広 げ た地 区設 定 が な され て い る。 奈 良 県 は 、 三 重 県 、 滋 賀 県 、 京 都 府 、 兵 庫 県 、和 歌 山県 、徳 島県 とと もに、 関西 地 区 を 構 成 して お り、 テ ー マ は 「大 阪 湾 ベ イエ リ ア な ぎ さ海 道&関 西 歴 史街 道 ∼ ユ ニ ー ク で多 様 な 観 光 資 源 が 光 り輝 く関 西 ・旅 の 銀 河 ∼」 とな っ て い る。 こ の関 西 地 区 は、1998年9月 に運 輸 大 臣の 同 意 を得 て い る。 国 際 観 光 振 興 会(JNTO)は 、 毎 年 夏 ・秋 ・冬 に 日本 旅 行 を終 え て 出 国す る外 国 人 を対 象 と した ア ンケ ー ト調 査 を行 って い る。 質 問 項 目に は 訪 問地 に 関す る項 目が 含 まれ て お り、 対 象 と す る人 々の 居 住 国(地 域)別 の 傾 向 や 経 年 の 変 化 に つ い て の有 益 な情 報 も得 る こ とが で き る。 こ こで 「訪 問率 」 と は 、 「今 回の 旅 行 中 に 当 該 地 を訪 問 した」 と回 答 した 者 の 全 回答 者 中 に 含 ま れ る割 合 で あ る。1999年 度 を例 にす る と、 「奈 良 県」 の訪 問率 は4.1で あ り、 「奈 良 」 の 訪 問 率 が4.0、 「その 他 奈 良」 は0.4で あ る 。 「その 他 奈 良」 が0.4と い うこ とは、 日本 を 訪 れ る 外 国 人 が 奈 良 市 以外 の奈 良 県 の 観 光 地へ は ほ とん ど行 か な い とい うこ とを示 して い る。 比 較 と して 、 福 岡県 を例 に 出 す と、 「福 岡 県 」 の 訪 問 率 は&8で あ り、 「 福 岡 」 は7.7、 「ス ペ ー ス ワ0ル ド」 は0.4で あ る[国 際 観 光 振 興 会2000:101。 また 、こ の奈 良 県 の 訪 問率 は全 国順 位 で は11位 にあ た り、福 岡県 は7位 に な る。 経 年 の 変 化 を見 て み る と、1995年 度 か ら1999年 度 に か け ての5年 間で 、奈 良 県 は、8位 、9位 、10位 、11 位 、11位 と年k順 位 を落 と して い る 。 こ こか ら、近 年 日本 の なか で 奈 良 以外 に 多 くの外 国 人 を 集 め る場 所 が 登 場 した こ と と、奈 良 の 外 国 人観 光 が 停 滞 して い る こ とを 読 み と る こ とが で き る。 な お 、福 岡 県 は 、 この5年 間 で7位 、7位 、7位 、6位 、7位 と安 定 した位 置 を 占 めて い る。 また 、 この数 年 で奈 良 よ り も順 位 を あ げ た県 で注 目され るの は 、 奈 良 県 と同様 、 海 が な く国 際 空港 もな い 山梨 県 で あ る。 山梨 県 は、 こ の5年 間 で14位 、10位 、12位 、8位 、9位 と順 位 を上 げ て い る[国 際 観 光 振 興 会2000:12]。 この統 計 の す ぐれ て い る 点 は、 居 住 国(地 域)別 の 情 報 が 詳 しい こ とで あ る。 と くに主 要 な 国 につ いて 訪 問率 の 推 移 をあ げ て い るが 、 日本 の 外 国 人 政 策 の 一般 傾 向 と は異 な って 、中 国(中 華 人民 共 和 国)・ 香 港 ・台湾 の3つ の 地 域 を分 けて 扱 って い る 。 日本 を訪 れ る外 国 人の 主 要 な居 住 国 は 、 ア ジ ア と くに 東 ア ジ アの 近 隣 諸 国(地 域)、 台湾 ・韓 国 ・香 港 ・中 国 で あ る。 この そ れ ぞ れ につ い て 奈 良 へ の 訪 問 率 の 推 移 を見 る と興 味 深 い傾 向 が あ る 。 台湾 で は、1995年 度 に は 奈 良 県 は10位 で あ っ た が 、そ の後 は大 き く順 位 を下 げて 、1999年 度 で は17位 に まで 落 ち て い る。 韓 国 で は、 奈 良 県 は10位 前 後 で安 定 して い る。 香 港 で は、 奈 良 県 は12位 以 上 にあ げ ら れ る こ とは な く、1999年 度 は 長 野 県 と と もに19位 で あ る。 中 国 で は 、 この5年 間 で順 位 を下 げ て きて はい る もの の 、奈 良 県 は た え ず10位 以 内 に入 っ て い る 。 また 比較 と して、米 国 と英 国 を 見 る と、そ の傾 向 は韓 国や 中 国 に近 く、奈 良 県 は 安 定 して10位 以 内 に位 置 づ け られ て い る[国 際 観 光 振 興 会2000:14-25]。 一35一 総 合 研 究 所 所 報 筆 者 は 、 香 港 と 日本 との 文 化 交 流 の研 究 も して い る た め、 香 港 居 住 者 に とっ て奈 良 が い か に 位 置 づ け られ て い るの か とい う こ とに つ い て は 多 くを 論 じる こ とが で きる が、 こ こ で は1つ の 点 だ け を コメ ン ト して お くに と どめ る 。 そ れ は 、香 港 か ら 日本 へ の ツ ア ー の訪 問先 に は奈 良が 全 く含 まれ な い とい う こ とで あ る 。JNTOが の2000年6月9日 ア ー商 品 の 例 が7つ 付 第23号(通 会 員 向 け に 出 して い る 「国際 観 光 情 報 フ ァイ ル」 巻500号)に あ げ られ て い る(31頁)。 は、 香 港 に お け る主 要 旅 行 社 の 日本 向 け 団体 ツ そ の なか に は 、4泊5日 で、 宮 城 ・岩 手 ・秋 田 や 、広 島 ・島根 ・津和 野 ・山 口 を 訪 れ る とい うッ ア ー も あ るが 、 奈 良 を訪 問 地 に した ッ アー は ひ とつ もな い 。 また 、 大 阪 か ら 日本 へ 入 り東 京 か ら 日本 を 出 る6泊7日 の ツ ア ーが あ るが 、 第 1日 目に心 斎 橋 と梅 田で 買 い 物 を し、2日 目に大 阪 を出 て 京 都 へ 寄 っ てか ら東 名 高 速 で 豊 橋 へ 向 か う とい う行程 に な っ て お り、奈 良 は素 通 りす らされ ない 。 4.国 際 観 光 につ い て の先 行 研 究 ここ で は 筆 者 の専 攻 す る文 化 人類 学 に焦 点 を あ て て、 観 光 人 類 学 が 登場 し、 観 光研 究 が 注 目 を集 め る よ うに な っ た1980年 代 か らの研 究 動 向 を概 観 した い。 文化 人類 学 に お い て は、 日本 で 「国 際 化 」が 唱 え られ た1980年 代 後 半 に、国 立 民 族学 博 物 館 の 石 森 秀 三 が 、 旅 と観 光 に 関 す る共 同研 究 を 主 催 す る こ とで 、 「観 光 人 類 学 」 とい う こ とば が 広 く使 わ れ始 め た 。1992年 に は、 そ の 共 同研 究 の メ ンバ ー も含 め て 人 類 学 者 た ち が 総 合 雑 誌 「中央 公 論 」 に 「新 ・観 光 学 宣 言!」 と い う連 載 を して い る 。 そ の 第1回 に石 森 は 、 次 の よ う な事 実 認識 に基 づ き国際 観 光 の重 要 性 を指 摘 して い るが 、 この 時 点 で は彼 を含 め て多 くの 人類 学 者 は 欧米 との 比 較 、 及 び 日本 人の 海 外 旅 行 、 い わ ゆ る ア ウ トバ ウ ン ドに 関心 が あ っ た とい っ て よ い で あ ろ う。 「 事 実 、 近 年 にお け る 海外 旅 行 の 増 加 はす さ ま じい もの が あ る。 か つ て 海外 旅 行 は一 部 の エ リー トにの み 許 され た 特 権 で あ った 。 観 光 目的 の 海外 旅 行 が 自由化 され た一 九六 四年 に、 海 外 旅 行 に 出か け た 日本 人 はた った 一 三 万 人 の み で あ り、 しか もその ほ とん どが 業 務 渡 航 で あ っ た。 しか し、一 九 九 〇 年 に は 、海 外 旅 行 者 数 が 一 〇 九 九万 人 に な っ た。 つ い に、『海 外 旅 行 者 一 〇 〇 〇 万 人 時 代 』 が 到 来 した と、 日本 の マ ス コ ミは大 き く取 り上 げ て い るが 、 欧 米 の研 究 者 はそ れ を奇 異 に感 じて い る 。 なぜ な らば 、彼 らは こ の数 字 を た いへ ん 少 ない と感 じて い るか らで あ る。」[石 森1992:260] 実 の と こ ろ観 光 人類 学 が 発展 した1980年 代 後 半 か ら1990年 代 にか け て 、 む しろ イ ンバ ウ ン ドの 問 題 が 日本 に とっ て の重 要性 を増 して い た。 なぜ な ら、 ア ウ トバ ウ ン ドの 増 加 に 比 べ て イ ンバ ウ ン ドは そ れ ほ ど増 加 して い な い た め 、1988年 に旅 行 収 支 の赤 字 が100憶 ドル を こ え、 ア ウ トバ ウ ン ドとイ ンバ ウ ン ドの不 均 衡 は 年 を経 る ご と に大 き くな って い た か らで あ る。 しか し、 この研 究傾 向 は外 国 を主 要 な調 査 地 とす る とい う 日本 の 人 類 学 者 の 慣 例 に よ って も 強 化 され て きた。 日本 の 観光 人類 学 を リー ドして きた 山 下 晋 司 と橋 本和 也 は 、 最 近 そ れ ぞ れ 観 一36一 芹澤:奈 良市街地 にお ける外国人観光客受け入れの現 状 と課 題 光研 究 を総 括 す る著 書 を 出版 して い るが 、 彼 らが 事 例 と して取 りあ げ る の も、 お もに外 国 に お け る観 光 で あ る[山 下1999;橋 本1999]。 この よ うな研 究 傾 向 は 、 「真 正 性 」 の 問題 な ど、 理 論 的 な 関 心 を もつ 社 会 学 や 文 化 人 類 学 の 分 野 と は ちが って 、 応 用 に直 接 目 を 向 け た学 問 分 野 で は 、 な お さ ら顕著 であ る。 応 用 性 に重 き を置 い た 日本 の 観 光 研 究 で は 、数 字 の う えで 圧 倒 的 に数 の少 な い外 国 人観 光 客 の 問題 は 日本 人 観 光 客 の 問 題 との 関 係 で 周 縁 に置 か れ る こ と に な る。 そ の た め外 国 人観 光 客 につ い ての 先 行 研 究 は き わめ て 少 な い。 この こ と を、 奈 良 の 観 光研 究 を リー ドして きた奈 良 県 立 商 科 大 学(現 奈 良県 立 大 学)の 研 究 グ ル ー プの 先 行研 究 を検 討 す る こ とか ら示 す こ とに した い。 奈 良 県 立 商 科 大 学 の 観 光 プ ロ ジ ェ ク ト ・チ ー ム は 、近 年 奈 良 ・大 和 地 域 の 観 光 につ いて の 共 同研 究 を行 い、 続 々 とそ の 成 果 を公 表 して きて い る 。 と くに、1995年 に は 大 規模 な 「奈 良 観 光 実 態 調 査 」 を行 っ て い る 。 これ は 、3月 か ら5月 に か け ての 第1回 に奈 良 市 ・大 和 郡 山 市 ・斑 鳩 町 の都 市 圏 で 実 施 し、10月 か ら12月 に か け て の第2回 に は都 市 圏 以 外 の 奈 良 県 の 各 地 に も調 査 地 を広 げ て 行 った もの で あ る[奈 良 県 立 商科 大 学 奈 良観 光 研 究 グ ルー プ1995a;1995b]。 手 法 と して は 、 調査 票 を設 計 し、 郵 送 や街 頭 面接 、 ヒア リ ング な どの 形 態 をそ れ ぞ れ の 場 面 で 用 い て い る 。 この調 査 の な か で 外 国 人観 光 客 の受 け入 れ に直 接 関 わ る もの と して は 、 英 語 の 調 査 票 を使 っ た 外 国 人 観 光 客 へ の 街 頭 面 接 が あ る 。 しか し、 そ の サ ン プ ル の 特 性 を見 て み る と、 ア メ リ カ人 ・ドイ ツ人 ・フ ラ ンス 人 な ど欧米 か らの 外 国 人 観 光 客 が 多 数 を 占 め て い る 。 こ の 調 査 の 一 環 と して 収 集 され た ボ ラ ン テ ィ ア ・ガ イ ドの 意 見 に は、 「 最 近 は、 日本 で仕 事 を も つ ア ジ ア系 外 国 人 の 団体 旅 行 が 増 え て い る 。」[奈 良 県 立 商科 大 学 奈 良 観 光 研 究 グ ル ー プ 1995b;23]と い う もの が あ る こ と を考 慮 に入 れ る と、 この 街 頭 で の 質 問 票 調 査 で は、 奈 良 の 国 際観 光 の現 状 を特 徴 づ け て い る 中 国 人 や韓 国人 の 観 光 客 の 実 態 につ い て は 、 十分 に は把 握 さ れ て い な い と思 わ れ る 。 また、 奈 良 県 立 商科 大 学 の グ ル ー プ は、 奈 良県 の 委 託 を受 け て 、 翌1996年 か ら1998年 に か け て も奈 良 県 観 光 の実 態 調 査 を行 っ て い る。 筆 者 は1999年 、そ の 報 告書 を検 討す る機 会 に恵 ま れ た2)。そ の最 新 の 調査 に お い て も、1997年5月 か ら1998年4月 に か け て 奈 良 県 内 の16地 に お い て 質 問 票 を使 った 街 頭 面接 調査 が 行 わ れ て い る 。 対 象 者&181名 票 を用 いた サ ンプ ルが222あ 区 の うち 、 外 国 語 の 質 問 っ たが 、 その 報 告 書 の な か で は分 析 の対 象が 日本 語 の質 問票 に 限 定 され て い る。 なお 、 この 奈 良 県 立 商 科 大 学 グ ル ー プの ほ か の 重 要 な先 行 研 究 と して は、 奈 良 大 学 の 地 理 学 者 ・高 橋 春 成 の 研 究 が あ る。 高 橋 は、 奈 良 公 園 を訪 れ た外 国 人 に対 して 英 語 の 質 問 票 を使 った 「シカ認 識 」の 調 査 を して い る[高 橋2000]。 高橋 の 調査 対 象 も英 語 圏 か らの 旅 行 者 に偏 って い るが 、 調 査 結 果 に もとつ い て 「奈 良 」 の イメ ー ジに 「シ カ」 が 強 く結 びつ いて い る こ と を指 摘 して い るの は 重 要 で あ る。 奈 良 交 通 観 光 社 の 出 店伸 元が 書 い て い る よ う に、 奈 良 県民 の 外 国 人 受 け入 れ に 対 す る 態 度 が 冷 や か で 、 公 園 の 鹿 は愛 想 が よ い と外 国 人 観 光客 が 指 摘 す る の で あ れ ば[出 店1999]、 国 際観 光 につ い て は まず は鹿 か ら学 ば な け れ ば な らな い で あ ろ う。 一37一 総 II奈 1.奈 合 研 究 所 所 報 良県 に お け る外 国 人 観 光 客 受 け 入 れ の現 状 と課題 良 県 に お け る観 光 政 策 奈 良 県 にお い て 観 光 を扱 う部 門 は、 企 画 部 文 化 観光 課 に な る。 県 庁 には 同 じ部 に 国 際 課 が あ るが 、 と く に国 際 観 光 につ い て は連 携 を して いな い 。 また 実態 把 握 に 関 して は 、 文化 観 光 課 が 「奈 良 県 観 光 客 動 態 調 査 報 告 書 」 を 出 してい るが 、外 国 人 に つ い て の統 計 は 次 章 で 紹 介 す る奈 良 市 の 観 光 案 内所 の外 国 人 利 用 状 況 が あげ られ て い る の み で あ る。 こ の こ との 理 由 の ひ とつ に は、 前 述 した よ うに 奈 良 市 以 外 の 場 所 へ の外 国 人観 光 客 の訪 問が ほ とん どな い とい う こ とが あ る。 また 、 奈 良県 や 奈 良 市 の 担 当 者 も指摘 して い る が 、外 国 人観 光 客 の入 込 数 の把 握 は とて もむ ず か しい。 行政 の統 計 にお け る観 光 客 数 は 、重 複 して数 え る こ とが 多 い。 県 内 に入 っ て か ら、 い くつ か の場 所 を移 動 して い る場 合 は、 そ れ ぞ れ をカ ウ ン トす る こ とに な る。 また 、JNTOの 調 査 は 、 出 国者 へ の ア ンケ ー ト調 査 な の で 、 日本 に在 住 す る外 国人 が 奈 良 を訪 れ た場 合 は対 象 にな らな い。 奈 良 は 大 阪 か らは便 利 な の で 、大 阪 に住 む在 日韓 国 ・朝 鮮 人 の 多 くが 韓 国 か らの 親 族 ・友 人 を連 れ て 奈 良 の観 光 に 来 る とい うこ と もあ る。 さ らに は、 奈 良 県 の 担 当者 の指 摘 で あ る が、 大 阪 に比 べ て 奈 良 の訪 問 率 が あ ま りに も低 いの で 、 韓 国 人 に は奈 良 へ 行 っ た とい う感 覚 ・印象 が 少 な い の で は とい う予 想 もで きる。 と くに、 奈 良 県 には 外 国 人 を ひ きつ け る法 隆 寺 が あ るが 、JNTOの 調 査 票 にお け る 「奈 良 」 と 「奈 良 以 外 」 とい う分 類 で は、 法 隆 寺 へ 行 った 外 国 人 が 「奈 良 以 外 」 へ 行 っ た とい う回答 をす る こ とは むず か しい と も考 え られ る。 奈 良県 文化 観 光 課 の 国 際観 光 に 関す る お もな政 策 は、1998年 度 か ら始 ま っ た 「国 際 観 光 テー マ 地 区」 の 整 備 に 関係 した もの で あ る。 近 畿 で は 「歴 史 街 道 」 の キ ャ ンペ ー ンが 始 ま っ たが 、 これ は奈 良 県 の 守 備 範 囲が 、 従 来 の北 和 か ら、 中和 や 吉 野 へ と広 が っ た こ と を意 味 す る。 奈 良 県 の 担 当 者 は、 例 え ば台 湾 人 は 自然 が 好 きな ので 、 彼 らに 対 して は 吉 野 も観 光 地 と見 なす こ と が で きる の で は な い か とい う意 見 を もっ て い る。 また 、 明 日香 につ い て も、 「万 葉 ミュ ー ジァ ム」(2001年9月 に 開 館)は 本 来文 化 施 設 だ が観 光拠 点 と して 考 え られ て い る。 明 日香 に は 、 発 掘 が あ る と、す ぐに111人 か ら111人 が足 を運 ぶが 、予 め ツア ー を 組 ん で 宣伝 した りす る こ とはで きない 。 この こ と に は、 伝 統 行 事 や 正 倉 院 展 な ど と同様 に 、 予 め観 覧枠 を とっ て お く こ とが で き ない とい う問 題 が あ る。 奈 良 県 全 体 と して は県 の 予 算 を減 らす 方 向 へ 進 ん で い る た め、観 光 に つ い て もJNTOと 共同 で 宣 伝 活 動 を行 うな ど、 財 政 的 負 担 を軽 く して い る。1997年 の長 野 オ リ ン ピ ッ クの 時 に、 「旅 フ ェ ア」 に 来 た 外 国 人 を奈 良 へ 招 待 して 以 来 、北 米 の ジ ャ ー ナ リス トな ど外 国人 を招 待 す る こ とを毎 年 行 っ て い る。 また1998年 か ら毎 年 韓 国 で 「奈 良 セ ミナ ー 」を 開催 して い る 。 これ は 、日 本 国 内 で は 有 名 な 修 学 旅 行 先 で あ る奈 良 の よ さを 、 シ ンポ ジ ウ ムや 講 演 を通 じて宣 伝 す る もの で 、 韓 国 の修 学 旅 行 生 を 奈 良 へ 呼 ぼ う とす る試 み で あ る。 1997年 秋 の 金 融 危 機 以 前 、韓 国 か らの 観 光 客 は 奈 良 に とって 大 き な存 在 であ っ た。1998年2 月26日 付 「朝 日新 聞 」奈 良 版 の記 事 に よる と、若 草 山の 土 産 物 店 に1日200人 一38一 近 く来 て い た韓 芹 澤;奈 良市街地における外 国人観光客受 け入 れの現状 と課題 国 人 は 、1997年11月 以 降 目立 っ て減 り始 め た とい う。 そ の 店 で は 、以 前 か ら韓 国 の新 聞 に広 告 を出 した り、 名 産 の包 丁 に ハ ン グ ルで客 の名 前 を入 れ た り して、 韓 国人 の 観 光 客 を重 視 して き た 。 奈 良県 の担 当者 に よ る と、 韓 国 か ら 日本 へ の修 学 旅 行 は、 奈 良 よ りも以 前 に九 州 が 先 例 と して あ る が 、 九 州 で は そ の 実現 の た め に十 年以 上 も韓 国 に働 きか け て きた とい われ て い る。 そ の ほ か奈 良 県 の多 くの 施 策 は 「奈 良県 観 光 連 盟 」 に委 託 して 行 われ て い る。 奈 良 県 観 光 連 盟 は 当 初 県 の観 光 課 に事 務 局 が あ っ た が 、現 在 は社 団 法 人 に な って い る。 市 と旅 館 と社 寺 が 会 員 に な っ て 、その 会 費 で 運 営 され て い るが 、職 員 は4∼5人 な ので 、独 自の 活 動 は で き ない 。 毎 年7月 ∼12月 の 「あ な た とな ら大 和 路 キ ャ ンペ ー ン」 の ほ か、1999年 か らは 「な ら燈 花 会 」 の行 事 を主催 して い る。 2.奈 良 県の 国 際 交 流 財 団 と外 国人 観 光 客 奈 良県 で は、1988年 の な ら ・シ ル ク ロー ド博 の 後 、そ れ を記 念 して1989年 に「な ら シル ク ロー ド博 記 念 国際 交 流 財 団」(通 称N正FS)が つ く られ た。 そ の組 織 に は、「 研 究 交 流 課(シ ル ク ロー ド学 研 究 セ ン ター)」、「文 化 事 業 課」、「国 際 交 流 課 」の3つ の 課 が あ る 。文 化 事 業課 の 活 動 も シ ル ク ロ ー ドに関 わ る ものが 多 い た め、 他 県 の 国際 交 流 財 団 が 行 う よ うな業 務 を担 当 す る の は 国 際交 流 課 に な る。 国際 交 流 課 の お も な活 動 に は 、情 報 誌 ・冊 子 の 発 行 と奈 良 に在 住 す る外 国 人 と 日本 人 の 交流 の推 進 が あ る。NIFSの 設 立 の 趣 旨 に は、 外 国 に住 む外 国人 に対 して奈 良 を知 っ て も らう とい う こ とが あ っ た た め 、 「 風 」 とい う英 語 ・日本 語 対 訳形 式 の ニ ュ ー ズ レ ター を発 行 して 国 内 ・ 国外 へ 送 っ て い る。1991年 に創 刊 され 、1998年 度 まで は 年2回 、1999年 度 か ら は年1回 発 行 さ れて い る。 外 国 人 と 日本 人 の 交 流 につ い て は、 ラ ウ ンジの 設 置 、 セ ミナ ー の 開催 、 ホー ム ス テ イ ・シス テ ム な どの 活 動 が 行 われ て い るが 、 その う ち外 国 人 観 光客 に直 接 関 わ るの は、 ラ ウ ンジ と ホ ー ム ス テ イ で あ る。 ラ ウ ン ジ は、IVIFSの 事 務 局 の あ る奈 良 近 鉄 駅 ビル6階 に設 け られ て い る。 毎 週 火 曜 日∼ 土 曜 日の 午 前10時 ∼午 後6時 に一 般 開 放 され て い る 。 また 、相 談 カ ウ ン ター も設 け られ て お り、 国 際 交 流 や 外 国 人 の 生 活 全 般 に 関 す る相 談 を受 け付 けて い る。 相 談 員 は、 国 際 交 流 課 の ス タ ッ フの ほ か 、 台 湾 人(中 国 語 の 対 応 が で きる)と ブ ラ ジル 人(ポ ル トガ ル語 の対 応 が で きる)の2名 日本 人368名 が加 わっ て い る。1999年3月 の合 計610名 には 、 ラ ウ ンジ の利 用 者 は 、 外 国人242名 、相 談 カ ウ ン ター の利 用 者 は、外 国 人38名 、日本 人65名 、 の合 計103 名 が あ っ た 。相 談 の 内 容 と して は 、 外 国 人 は 医療 や求 職 に 関す る こ と、 日本 人 は ボ ラ ンテ ィア や 語 学 学 習 に 関 す る こ との 質 問 が 多 い 。 生活 に 関係 した質 問が 多 い が 、観 光 に つ い て の 質 問 も 多 い 。 近 鉄 奈 良駅 の す ぐ上 の た め 、 い きな りふ らっ と来 て観 光 につ い て 質 問 す る外 国 人 もあ る とい う。 ホ ー ム ス テ イ の シス テ ム で は 、2∼3日 か ら1週 間 くらい まで の 短期 の ホ ー ム ス テ イ を扱 っ て い る 。 奈 良 県 内 で300人 が ホ ス トフ ァ ミ リー の登 録 を してい る 。他 府 県 の シ ス テ ム で は 、 ホ ス トフ ァ ミ リー を会 員 制 に し、財 源 の確 保 と必 要 な ケ ア を行 って い る場 合 も あ る が 、NIFSで 一39一 は 総 合 研 究 所 所 報 会 員 制 を採 用 して い ない 。 年 に1回 、 ホ ス トフ ァ ミ リー登 録 の 更 新 の際 に 、 説 明 会 を 開 い て い る。 担 当 者 に よ る と、 希 望 す る外 国 人 は、 例 え ば奈 良市 内 の留 学 生 な ど、 身 元 が は っ き りして い る場合 は 受 け 入 れ や す い 。 ホ テ ル が ほ しい の か 、 ホ ー ム ス テ イが した い の かが は っ き りしな い人 や 、 方 々 を転 々 と して い る人 は受 け 入 れ に困 る とい う。 皿 奈良市街地 における外国人観光客受け入れの現状 と課題 1.奈 良市 に お け る外 国 人 観光 客 受 け 入 れ の現 状 観 光 に 関す る奈 良市 の行 政機 関 は経 済 部観 光 課 に な る。 奈 良 市 観 光 課 は、 三 条 通 りの 奈 良 市 観 光 セ ン ター を中 心 に観 光 客 の 受 け入 れ に積 極 的 に 関 わ るい っぽ う、 毎 年 「奈 良 市 観 光 者 数 入 込 調査 報 告 書 」 を 出 して、 現 状 の把 握 と分析 を行 っ てい る。 この 入 込 観 光 客 数 の 推 移 につ い て は、 す で に表1で 示 した とお りで あ る 。 前述 した よ うに 金融 危 機 の後 に韓 国 か らの観 光 客 が 大 き く減 り、 台 湾 か らの 観 光 客 が 占め る 割合 が 大 き くな っ たが 、 奈 良市 は姉 妹 都 市 間の 交 流 な ど を通 じて 韓 国 か らの 修 学 旅 行 の 誘 致 を 継 続 して行 っ て い る。 海 外 向 け の ホ ー ムペ ー ジの 設 定 や 「韓 国 国 際 観 光 展 」(KOTFA)へ 奈良 県 と と もに 出展 す る こ とな どを通 じて、 海外 へ の 広 報 につ とめ て い る 。 また 、 奈 良 か ら海外 へ 行 く人 に委 託 して奈 良 を宣 伝 す る 「奈 良 観 光 大 使 」 の 企 画 も1999年 か ら始 まっ た。 観 光 課 に は、電 話 や 窓 口 で の 問 い 合 わ せ に対 して 「知 らな い」と言 っ て は い け な い とい うル ー ルが あ る。 必 ず 次 の 線 をつ な い で あ げ るの だ とい う。 観 光 課 が 直接 外 国 人 観 光 客 か ら宿 泊 の 問 い合 わせ を受 け る こ と もあ るが 、 外 国人 観 光 客 の 受 け 入 れ に実 際 に携 わ っ て い る の は 、 奈 良 市 観 光 セ ンター 、近 鉄奈 良 駅 、JR奈 良 駅 、猿沢 池 に そ れ ぞ れ設 置 され て い る観 光 案 内所 で あ る。 また、 後 述 す る よ う に各 案 内所 で 実 際 に対 応 して い る の は 、外 国 人観 光 客 へ の 案 内 を専 らに行 うボ ラ ンテ ィア ・グ ルー プの 人kで あ る。 奈 良 市 の 観 光 政 策 を実 行 してい るの は、 奈 良 市 観 光 セ ン タ・ 一に事 務 局 を 置 く社 団法 人 「奈 良 市 観 光 協 会 」 で あ る。 奈 良 市 観 光 協 会 で 独 自に して い る外 国人 対 象 の行 事 は今 は な い。 十年 前 まで は、 「留 学 生 の っ どい」 とい う行 事 が行 わ れ てい た。 2.コ ンペ ン シ ョ ン ・シ テ ィ と して の 奈 良 市 日本 の 国 際 観 光 にお い て 「コ ンベ ン シ ョ ン」(会 議)が 注 目を 集 め る よ うに な っ た の は近 年 の こ とで あ る。1988年 に 「国際 コ ンベ ンシ ョ ン ・シテ ィ」制 度 が は じま り、1994年 に は 、 「国 際 会 議 等 の 誘 致 の 促 進 及 び開 催 の 円 滑 化 等 に よる 国 際観 光 の振 興 に関 す る法 律 」(コンベ ンシ ョ ン法)が 公 布 さ れ て い る。 奈 良 市 は、 この 法律 に も とつ い て全 国 の48都 市 と と もに 「国際 会 議 観 光 都 市」 と して 認 定 され て い る。 「奈 良 コ ンベ ンシ ョ ンビ ュ ー ロ ー」 は1989年 に任 意 団 体 と して 発足 した 。1993年 か ら は、奈 良 市 な どが 出 資 して 財 団 法 人 とな り、 奈 良へ の 国際 会 議 の誘 致 につ とめ て い る。 担 当 者 に よ る と、 奈 良 で は 大 きな 会 議 は 少 な い が 、 国 際 会議 の なか で も外 国人 の 占め る割 合 が 高 い の が 特徴 1` 芹澤:奈 良市街地 における外 国人観光客受 け入れの現状 と課題 表2奈 年度 良 コ ンベ ン シ ョン ビ ュ ー ロ ーが 誘 致 した 会 議 の 件 数 とそ の参 加 者 数 件数 1995 国際会議 国内会議 a1 34 57 その 他 参加者総数 2 日本人参加者 外国人参加者 33,291 32,468 823 lass 59 23 29 7 41,512 40,573 939 199? 57 25 24 8 54,260 52,108 2,152 1998 71 24 41 6 77,565 75,9(}0 1,665 1999 88 27 53 S 5s,1so 57,711 1,479 注:2000年2月29日 現在 で あ る。 表2は 、1995年 度 か ら1999年 度 に か け て の会 議 件 数 と参 加 者 数 の 推 移 を示 して い る 。 1998年 の 数値 が 大 きいの は、 約2万 人 の 参 加 者 の あ っ た大 きな 会 議 が 開 か れ た こと に よる 。 こ の 時 は奈 良市 内 だ けで 宿 泊 施 設 を 押 さ え る こ とが で きず 、 参 加 者 は県 内 に 分 散 して 泊 ま っ た 。奈 良で は150人 か ら300人 ほ どの 規 模 の 会 議 が 多 い 。会 場 と して もっ と もよ く使 わ れ て い る 「奈 良 県新 公 会 堂」 は定 員 が500人 で ある 。 また1999年2月 に オー プ ン した 「な ら100年 会 館 」 は、1,700人 を収 容 で きる が 、 か え っ て 小 さな 分科 会 を行 う部屋 は ない 。 ま た奈 良 で は大 阪 大 学 の 関 係 の 会 議 が 多 く開 か れ て い る 。 以前 に は京 都 で 開 か れ て い た もの が 奈 良 へ 移 っ て きた 。 担 当 者 は大 阪 大 学 を は じめ 、 近 隣 の 大学 へ 足 を運 んで 積 極 的 に誘 致 につ と め て い る。 担 当者 に よ る と、 京 都 に飽 きた とい う人 も多 く、 また規 模 が300人 くらい に な る と京 都 で は分散 しや す い とい う こ とが あ る。 と くに近 年 は ホ テ ルが 整備 され る こ とで 奈 良 で の コ ンベ ン シ ョ ンに対 す る認 知 が 進 んだ 。 担 当者 に よ る と、 奈 良 コ ンベ ン シ ョ ン ・ビ ュー ロー が で きた 当初 は、 ホテ ル が な か った た め 誘 致 が で き な か っ た と い う。 そ の 後 、1998年4月 表3奈 に 「三 井 ガ ー デ ンホ テ ル奈 良 」、2000年4月 に 良 市内のお もなホテルの部屋数 ホ テ ル名 シ ングル ツイ ン 奈良ホテル 15 96 三 井 ガ ー デ ンホ テ ル奈 良 104 225 ホ テ ル フ ジ タ奈 良 15 87 ホ テ ル サ ンルー ト奈 良 36 55 ワ シ ン トンホ テ ル プ ラザ 奈 良 120 73 「ワ シ ン トンホ テ ル プ ラザ 奈 良 」が オ ー プ ン して、多 くの 客 室 が確 保 で き る よ う に な っ た3)。奈 良 市 内 の お もな ホ テ ル と客 室 数 は表3を 参 照 され た い。 外 国 人 の会 議 参 加 者 の な か に は、 ホ テ ル で は な く旅 館 に泊 ま りた い とい う声 もあ る とい う。 そ の た め、 同伴 者 の エ ク ス カ ー シ ョ ンの 前 後 に 日本 旅 館 体 験 の プ ロ グラ ム をつ くる こ と も考 え られ て い る0担 当者 の意 見 で は、 一般 的 に コ ンベ ンシ ョンで は ホ テ ル での 宿 泊 に 限 ら ざ る を え な い で あ ろ う との こ とで あ る。 奈 良 コ ンベ ン シ ョ ン ・ビ ュ ー ロ ー は、 ボ ラ ンテ ィアの シス テ ム を もっ て い る。 常 時100名 く らいが 登 録 し、 減 っ て きた ら募 集 をす る。 会 議 主 催 者 は交 通 費 の み を負 担 す れ ば よ い。 保 険 に 一41一 総 合 研 究 所 所 報 つ い て は 、 奈 良 コ ン ベ ン シ ョ ン ・ビ ュ ー ロ ー の ほ う で 、 ボ ラ ン テ ィ ア 保 険 に 加 入 し て い る 。 こ の シ ス テ ム を も つ コ ン ベ ン シ ョ ン ・ビ ュ ー ロ ー は 少 な く、 担 当 者 に よ る とJNTOか ら も注 目 さ れ て い る 。 ま た ボ ラ ン テ ィ ア を 通 じ て 、 奈 良 コ ン ベ ン シ ョ ン ・ビ ュ ー ロ ー 自 体 の 宣 伝 に も な る 。 そ の 他 、 能 の 上 演 や ホ テ ル の 価 格 に つ い て 、 コ ン ベ ン シ ョ ン ・レ ー トを 設 け て 便 宜 を は か っ て い る。 3.奈 良市 に お け る ボ ラ ン テ ィア ・ガ イ ド 現 在 日本 で多 くつ く られ て い る外 国 人観 光 客 を 対 象 と した ボ ラ ン テ ィ ア ・ガ イ ドの グ ル ー プ は 、1964年 の 東 京 オ リ ン ピ ック を契 機 に 、政 府 が 各 地 方 自治 体 に働 きか け てつ くっ た善 意 通 訳 組 織(SGGク ラ ブ)で あ る。 これ は1999年6月 末現 在 、全 国 に76あ る。 な お 、 この 組 織 で 活 躍 す る ボ ラ ンテ ィ ア の ガ イ ドは 各 組 織 へ の 登 録 で も っ て 資 格 を得 て お り、 と くに全 国 で統 一 さ れ た会 員 資格 の基 準 は な い。 通 訳 ガ イ ドに関 す る資 格 と して は、1949 年 に 始 ま り、 現 在 はJNTOが 政 府 の 委 託 を受 け て 認 定 して い る 「通 訳 案 内業 者(ガ イ ド)」が あ る 。 こ の 資格 の取 得 は た いへ ん む ず か し く、1999年 度 で は 受 験 者 数 が5,942名 で 、 そ の う ち 合 格 者 は392人 しか なか っ た4)。 奈 良市 で は 、 このSGGク ラブ の ほ か に 、観 光 ボ ラ ンテ ィア の グル ー プ が2つ あ り、4つ の 案 表4奈 年 次 総 数 良市観光案内所外国 人利用者数 近鉄案内所 JR案 猿沢池案 内所 観 光 セ ン ター 内所 ・・; 33,327 ス896 16,530 414 1999 37,767 8,372 1&026 1,677 表5奈 年次 総数 .. 9,692 良市観光案内所利用者数 近鉄案内所 国鉄(JR)案 内所 1981 1982 70245 51,173 11・. 77,156 55,287 1983 82,781 57,125 猿沢 池案 内所 観 光 セ ン ター 8,976 一 10,470 11,sss 一 10,7s7 14,869 一 17,767 94,953 23,030 ・ ・. 181,842 56,875 12,247 1985 107,562 63,088 14,638 1986 133,710 66,921 17,195 13,365 36,229 1987 142,247 61,951 23,595 13,004 43,697 ・:1. 1988 163>864 50,574 38,077 38,793 36,42a 1989 117,755 :.1: 16,960 35,290 127,141 sssg7 34,842 38,650 17,646 36,003 1sg1 151,442 37,679 55,270 18,419 4(},074 1992 160,823 45,328 55,67? 21,104 38,714 1993 157,714 51,362 54,127 15,542 36,683 1994 192,266 1.: 64,493 13,320 47,385 1995 194,303 slsls 14,aZo 40,803 1996 201,925 77,36]. 70,996 68,789 19,$1? 42,323 1997 195,996 55,765 80,289 17,953 41,989 1998 224,725 80ρ42 78,535 14,59? 51,551 .・ 218,391 66,409 14,642 50,433 "1 ・ :・'1 一42一 芹澤:奈 良市街地 にお ける外 国人観光客受 け入れの現状 と課題 内所 を分 担 して い る。 そ れぞ れ の代 表 は年 に数 回、 奈 良 市 経 済 部 観 光 課 に仲 介 され て 意 見 交 換 の 機 会 を もっ て い る。 表4は1998年 と1999年 の各 案 内 所 の 外 国 人 利用 者 数 で あ る 。 この 数 字 を 含 め た利 用 者 総 数 の年 次 に よ る推 移 は表5に 示 してあ る。 近鉄 奈 良駅 の案 内所 とJR奈 良 駅 の 案 内 所 は 「奈 良YMCAE㏄(エ ッ グ)」、 猿 沢 池 の 案 内 所 は 「奈 良学 生 ガ イ ド」、 奈 良 市 観 光 セ ン ター の 案 内 所 は 「奈 良SGGク して い る。 原 則 と して は英 語 で応 対 し、案 内 す る。 また 奈 良SGGク ラ ブ」 が そ れ ぞ れ 担 当 ラ ブ は、1997年 度 か ら奈 良 県 中小 企 業 会 館 の1階 に設 け ら れ た奈 良県 観 光 連 盟 の 案 内 所 も担 当 して い る。 以 下 で は 、 この 3つ の 団体 を順 に紹 介 した い 。 「奈 良YMCAEGG(エ ッグ)」 は、1970年 に 日本 万 国博 覧 会 が 開催 され た 時 に、 奈 良 を 訪 れ る外 国人 が 増 加 し、奈 良 市 の 要 請 で 奈 良YMCAの ガ イ ド科(1963年 が 、 近鉄 奈 良 駅 の案 内所 に 出 た こ とに 始 まる 。1ggo年 か らはJR奈 開 設)の 卒 業 生 約15名 良 駅 の 案 内 所 へ も出 る こ と に な っ た。 YMCAの ガ イ ド科 は週 に2時 間 で1年 間の コ ー スで あ る 。 東 大寺 や法 隆 寺 を英 語 で い か に説 明す る か とい う こ と な ど、 単 な る英 会 話 の 知 識 で は ない 知 識 を 学 ぶ。 ガ イ ド科 の受 講 生 は、 以 前 に十 年 以 上 英 会 話 を勉 強 した 人 か 、 あ るい は海 外 にい た こ との あ る人 で あ る。 受 講 生 は毎 年 6∼8人 程 度 で 、修 了 者 の ほ とん どが 希 望 してEGGの は、約80人 メ ンバ ー に な る。 現 在 のEGGの で あ る。 そ の なか に は、通 訳 案 内 業 者 の 資格 を もつ 人 も4∼5人 会 員数 い る。 会 員 の な か に は、 フ ラ ンス 語 や イ タ リア 語 が で き る人 もい るが 、 英語 をお もに使 って ガ イ ドをす る。 ガ イ ドの 依 頼 は、YMCAの 事 務 所 に直 接 入 る。 少 ない 日 もあ るが 毎 日5件 つ つ くらい あ る。 外 国 人 観 光 客5人 に 対 して1名 くらい の 割 合 で ガ イ ドを出 す 。 近鉄 とJRの 案 内 所 で 窓 口 に座 っ てい る人 は毎 日午 前 と午 後 に1名 つ つ だ が 、 この ほ か に ガ イ ドを して外 へ 出 る人 が い るの で 、 毎 日少 な くと も6∼7名 の 会 員 が 活 動 して い る こ とに な る 。 1999年 度 で は、 ガ イ ドを した 件 数 は479件 、1,379人 、 ガ イ ドの 対 象 に な っ た 人kの 国 家 の 数 は47を 数 え る。 そ の なか で 、 受付 した 場 所 は、JR奈 良 駅 が230件 と も っ と も多 く、YMCA の 予 約 も111あ る 。 観 光客 の 出 身 国 で は 、 ア メ リ カ合 衆 国 が670人 で 半数 を 占 め 、 次 に オー ス トラ リア165人 、イギ リス74人 、カナ ダ66人 と英 語 圏 の 国が 多 い 。 ア ジ ア で は 、中国 が36人 で も っ と も多 い 。 あ る役 員 に よ る と、 ガ イ ドをす る 場 合 、 まず 観 光 客 に 今 まで ど こへ 行 っ た か 、何 に興 味 を 持 って い る か を 聞 い て 、 案 内 先 を 考 え る とい う。 多 くの場 合 は、 春 日大 社 な ど神 道 に 関 す る場 所1ヶ 所 と東 大寺 ・依 水 園 な ど、仏 教 に 関 す る場 所1ヶ 所 を含 め て 案 内す る。 ほ か に奈 良 町 な ど生 活 空 間 を案 内す る こ と もあ り、お 茶 を 習 っ て い る会 員 の 家 へ 寄 る な ど、 ホ ー ム ビジ ッ トや ホ ー ム ス テ イ を す る こ と もあ る5)。 「奈 良 学 生 ガ イ ド」は、1964年 の東 京 オ リ ン ピ ック の こ ろ に奈 良 を訪 れ る外 国人 旅 行 者 が 増 加 し、奈 良市 の援 助 を受 けて 「奈 良ESS」 の 下 部 組 織 と して 発足 した。2001年1月 22名 あ り、 そ の うち男 性 は7名 、 女 性 は15名 で あ る。 ガ イ ドはESSで 学 生)の 現 在 ガ イ ドは 活 動 して い る学 生(大 うち、 ガ イ ドに な りた い と い う 強 い希 望 の あ る人 を、現 在 の ガ イ ドが 推 薦 し、 英 語 の 一43一 総 合 研 究 所 所 報 ス ピー チ を行 う面 接 を経 て入 会 させ る 。 案 内 件 数 は 、1999年 度 は409件 、2000年 度 は470件 あ る。 この470件 で の うち、 外 国 人観 光客 の 出 身 国 をみ て み る と、 ア メ リカ合 衆 国215件 、 カ ナ ダ34件 、 オ ー ス トラ リ ア33件 、 イ ギ リス30件 と英 語 圏 の 国 が 多 い。 ア ジア は 、 全 部 で66件 あ るが 、 そ の うち もっ と も多 か っ た の は 韓 国 で 、14件 で あ る。 「奈 良SGGク ラ ブ」は 、あ る女 性 が 会 長 に なっ て 、1983年 につ くられ た。 そ れ か ら半 年 して 、 現 在 案 内所 の あ る奈 良市 の観 光 セ ン ター が つ く られ 、 カ ウ ンター に座 る こ と に な っ た。 会 員 は 奈 良 市 に限 らず 京 都 府 相 楽 郡 な ど、 通 え る 範 囲 の 人 が 含 まれ て お り、 百 十 数 名 い る。9割 以 上 は女性 、 と くに主 婦 で 、男 性 は仕 事 を離 れ た 年 配 の 人が 多 い。 求 め られ る英 語 力 は英 検2級 程 度 で 、面 接 を経 て入 会 す る。 毎 月新 入 会 の 問 い合 わせ が5∼6件 あ る。 活 動 と して は、 カ ウ ン ター に座 っ た り、 ガ イ ドと して 回 る ほ か、 奈 良市 の行 政 文 書 の 英 訳 を手 伝 って い る。 ガイ ドの対 象 の外 国 人観 光 客 は、 県 や市 に招 待 さ れ た団 体 客 が 多 く、 ア メ リ カ合 衆 国か らの 人kが 多 い。 個 人 の場 合 は、ア メ リカ合 衆 国 と オー ス トラ リ アが 多 い 。 奈 良SGGク ラ ブの 案 内 チ ラ シで は フ ラ ンス語 で の ガ イ ドも可能 で あ る こ とが 書 か れ て あ るが 、 フ ラ ンス 語 の ガ イ ドは まれ で あ る。 ア ジ ア か らの観 光 客 につ い て は、あ る役 員 の こ とばで は、「韓 国 の 人 で も、香 港 の 人 で も、[自 分 た ちが]英 語 を話 せ る とい う こ と を誇 りに 思 っ て い る。」 十 年 間 活 動 して い る こ の役 員 の経 験 に よ る と、 英 語 が 全 く通 じな か っ た の は、 十 年 間 の うち 、 あ る ス ペ イ ン人 の 夫婦 の ケ ー ス だ け だ っ た とい う。 4.奈 良市 に お け るユ ー ス ・ホ ス テル 第2節 にお いて コ ンベ ンシ ョ ンとの 関 わ りで指 摘 した とお り、観 光 に とっ て宿 泊 施 設 の 問題 は大 きな課 題 で あ る。 この 問 題 を こ こで は、 ユ ース ・ホ ス テ ル に しぼ っ て と りあ げ る こ とに し た い。 物 価 の 高 い 日本 を旅 行 す る外 国人 観 光 客 に とって は 価 格 の低 い宿 泊 施 設 が 重 要 な位 置 を 占 めて い る と仮 定 で きる。1997年 の い わ ゆ る 「 外 客 誘致 法 」 で は、 第 八 条 を 設 け て 旅 行 に要 す る 費用 の 低 廉 化 に資 す る ため の 措 置 が 企 図 さ れ て い る。 具 体 的 に は 、JNTOが 低 廉 な料 金 で利 用 す る こ とが で き る宿 泊 施 設 や 食 事 施 設 につ い て の 情 報 提 供 をす る こ とが 定 め られ て い る。 また 筆 者 の ボ ラ ンテ ィ ア ・ガ イ ドにつ い て の イ ン タ ビュ ー 調査 に お い て も、 費用 の低 廉 化 に 関 わ る意 見 を聞 くこ とが しば しば あ った 。 あ る ボ ラ ンテ ィア ・ガ イ ドに よ れ ば、 東 大 寺近 辺 に は手 ご ろ な和 食 を食 べ る レス トラ ンが 少 ない 。 奈 良 県 新 公 会 堂 の なか の レス トラ ンは 、 カ レー ラ イス が1200円 す る ので 、 外 国 人 に は 高す ぎる とい う。 ま た、 ボ ラ ンテ ィア ・ガ イ ドは、 窓 口 で 当 日の 宿 を紹 介 す る こ とが あ る。 あ っせ ん で は な く予 約 す る うえで の こ と ば の 問題 の解 決 を す るの だ が 、 数 年 前 まで は 、 「外 国 人 が泊 まっ て も らっ て は困 る」、 「ア ジア 人 は ち ょっ と困 る」 と言 っ て くるホ テ ル ・旅 館 も多 か った とい う。 現在 は 、 県 や市 の指 導 や 、 日本 人 観 光 客 の 減 少 で 客 を選 べ な い とい う事 情 か ら、 この よ うな慣 例 は な くな っ た よ う だが 、 外 国 人 が 安 心 して 利 用 で きる 宿 泊 施 設 ・食 事 施 設 を 確 保 す る とい う こ とは 、今 な お奈 良市 街 地 で の 重 要 な課 題 で あ る。 ユ ー ス ・ホ ス テ ル運 動 は、 ワ ンダ ー フ ォー ゲ ル運 動 の 影 響 を受 け て20世 紀 初 め に ドイ ツで 始 一44一 芹澤:奈 良市街地 における外国人観光客受け入れの現 状 と課題 ま り、 そ の後 世界 中 に広 が った 。 日本 にお い て も戦 前 か ら紹 介 は され て い たが 、 戦 後 に な っ て 活 動 が 始 ま っ た 。 「日本 ユ ー ス ・ホ ス テ ル協 会 」(JYH)は1951年 は、 最 初 のユ ー ス ・ホ ス テ ル が 奈 良県 青 少 年 会 館 に1957年 に 設 立 され て い る。 奈 良 県 で に設 け られ て い る。 その 後 、 奈 良 県 ユ ー ス ・ホス テ ル協 会 設 立 を経 て 、1960年 代 に はユ ー ス ・ホ ス テ ル 数 も会 員 数 も飛 躍 的 に増 加 した[財 団法 人 日本 ユ ー ス ・ホ ス テ ル 協 会1971:214]。 今 日ユ ー ス ・ホ ス テ ル は、 全 国 的 にす で に 流 行 ら な くな って い る。 長 く関 わ って い るス タ ッ フ に よ る と、 最 盛 期 に は奈 良 県 内 に10軒 、 奈 良市 に4件 、 ユ ー ス ・ホ ス テ ルが あ っ た 。 現 在 は 奈 良県 内 に6軒 、 奈 良 市 には3軒 で あ る。 この 奈 良市 街 地 にあ る3軒 のユ ー ス ・ホス テ ル は、 そ れ ぞ れ 性 格 を異 に して い る。 以 下 で は 順 に紹 介 す る。 「奈 良 県 青 少 年 会館 ユ ー ス ・ホ ス テ ル」 は 、1972年 に建 て られ た奈 良県 青 少 年 会 館 に あ る。 当 表6奈 年 度 良県青少年会館ユ ース ・ホステルの宿 泊者数 総 日 数 本 1999 1/1 外 人 国 人 6,725 2,093 6,79(} 4,656 2,134 5,970 3,872 2,498 .. ,.. 初 は県 立 で ス ター トした が 、現 在 の建 物 が新 築 され る 以 前 に財 団法 人 となっ て 、 民 営化 され て い る。 建 物 が 老朽 化 して きた た め 、2000年 か ら施 設 の 改 善 を して 明 るい 環 境 に し、積 極 的 に 宣 伝 も始 め た 。 「奈 良新 聞」 の2001年5月6日 付 の記 事 に も取 り上 げ られ て い る が 、最 近 は外 国 人 観 光 客 の 注 目 を多 く集 め つつ あ る。 過 去3年 間 の宿 泊 者 数 の推 移 は、 表6の 2000年 度 の外 国 人宿 泊 者 を、出 身 国 別 に見 る と、韓 国が357人 よ うに な る 。 と もっ と も多 く、 次 い で ドイ ツ227人 、 ア メ リ カ合 衆 国224人 、 イ ギ リス161人 、 オ ー ス トラ リア126人 、 カ ナ ダ108人 と 続 く。 客 室 の構 成 は、洋 室 が3室 、和 室 が6室 で 、 満 室 の場 合 、70名 を収 容 で きる。 団体 客 は少 な く、 外 国 人客 が 多 い の で 、最 近 は襖 で 分 け られ て い た和 室 に壁 をつ くっ て部 屋 を独 立 させ た。 また外 国 人 は 、会 員 と同 じ割 引 の 値 段 で 宿 泊 で き る。 「奈 良 ユ ー ス ・ホ ス テ ル」 は 、 日本 ユ ー ス ・ホ ス テ ル 協 会 が直 営 す るユ ー ス ・ホ ス テ ル で あ る 。1967年 につ く られ、1982年 か ら現 在 の 場 所 へ 移 っ た。 部 屋 数 は35で 、200人 収 容 可 能 で あ り、ユ ー ス ・ホ ス テ ル と して は 日本 最 大 規 模 で あ る。 そ の た め 、 修学 旅 行 な どの 団体 客 も多 いo 年 間 の宿 泊 者 は 、 約i!i人 で 、 そ の うち外 国人 は3,500人 ほ どを 占め る。 国 別 で は、 韓 国 人 が 多 い。 韓 国 人旅 行 者 は、 観 光 の た め の 個 人旅 行 が 多 い 。 年 齢 で は、 一・ 般 に ア ジ アか らの 人 は 若 い 人 が多 い が 、 欧米 か らの 人 は若 い 人 か ら年 配 の 人 まで バ ラ ンスが とれ て い る。 外 国 人 に は 、 チ ェ ック イ ンの 時 に この ユ ー ス ・ホ ス テ ル の住 所 や 電話 番 号 な どが 英 語 で 入 っ た タオ ル が渡 さ れ る。 料 金 も会 員 ・ 非 会 員 そ れ ぞ れ に外 国人 向 けの 割 引料 金 が設 定 さ れ て い る。 5月 な どの シ ー ズ ンは修 学 旅 行 の予 約 が 入 っ て い るた め 、 外 国 人 の個 人 旅 行 を 断 る場 合 が 多 一45一 総 合 研 究 所 所 報 いが 、外 国 人 の 修 学 旅 行 の よ うな 団体 を多 く受 け 入 れ て もい る。 これ は 、20名 か ら50名 く らい の 団 体 で 、 日本 学 科 の 大 学生 に よる ゼ ミ旅 行 の よ うな場 合 も多 い 。 ペ ア レ ン トに よれ ば 、日本 のユ ー ス ・ホ ス テ ルの 料 金 は 、欧 米 に比べ て全 体 的 に 高 す ぎる 。 ま た、こ こで は ユ ー ス ・ホス テ ル の 原 則 どお り、1人1回3日 まで しか 泊 まれ な い が 、日本 で はユ ー ス ・ホ ステ ル を泊 ま り歩 く とい う こ とは む ず か しい 。 ペ ア レ ン トの 意 見 で は 、外 国 人観 光客 が 泊 ま っ た場 合 にパ ス ポ ー トと会 員証 を コ ピー して 奈 良 県 に提 出 して い る の で、 外 国 人 観光 客 に 対 し て何 らか の 割 引 をす る特 別 な制 度 が 考 え られ て も よい 、 との こ とで あ る。 「奈 良 か す が 野 ユ ー ス ・ホ ス テ ル 」 は、1999年3月 に オ ー プ ン した 。 客 室 は4室 で 、 定 員 は llで あ る。 年 間の 宿 泊者 数 は1,200人 を超 え る程 度 で あ り、そ の なか の5∼10パ 国 人 が 占め る。外 国 人宿 泊客 数 に つ い て は1999年 年 度 の105人 の う ち、 ア メ リ カ合 衆 国 が38人 ー セ ン トを外 度 は64人 、2000年 度 は105人 で あ る。2000 、台 湾 が28人 、 ドイ ツが21人 と多 い。 多 くは観 光 旅 行 だ が 、 近 くにあ る奈 良教 育 大学 の留 学 生 の 親 が 泊 まる こ と もあ る。 予 約 は3ヶ 月 前 か ら受付 を して い る。 フ ァ ッ ク ス か 電 子 メ ー ル に よ る もの が 多 い 。 ホ ー ム ペ ー ジ を つ くっ て い るの で 、 そ れ を 見 て か ら来 る 人 が 多 い。 ホ ー ム ペ ー ジ は 日本 語 で しか つ くっ て い ない が 、 若 い台 湾 人 な どは そ れ を見 て い る とい う。 N結 論と今後の課題 以 上 の3章 に わ た っ て見 て きた よ うに、 先 行 研 究 の検 討 とイ ン タビ ュー 調 査 に も とつ く外 国 人観 光 客 受 け入 れ の実 態 把 握 か ら、 奈 良 市 街 地 にお け る外 国 人観 光 客 受 け 入 れ に 関 す る い くつ か の 問 題 点 が 明 らか に な った 。 そ れ を最 後 に まとめ て示 す こ とに した い 。 1つ め に は、 外 国 人観 光 客 の動 態 に つ い て 、 と くに ア ジ ァ か らの旅 行 者 の動 態 に つ い て は 十 分 に研 究 が行 わ れ て い ない とい う こ とで あ る。 本 研 究 も、 ア ジ アか らの 旅 行 者 に対 して の 直接 の イ ン タ ビュ ー調 査 を行 って は い な いが 、 先 行 研 究 の 検 討 を通 じて、 彼 らの 存 在 の重 要 性 を 示 した。 また 、統 計 上 の 問題 を指 摘 す る なか で 、 彼 ら を単 な る 「旅 行 者 」 や 「 観 光 客 」 と して扱 うだ け で は な く、 日本 に定 住 す る彼 らの 親 族 ・ 友 人 との 関 わ りの な か で考 え る こ と も示 唆 した 。 こ れ まで観 光 の 問題 と移 民 ・定 住 の 問 題 を分 け て 考 え る と い う傾 向 が あ っ た が、 今 後 は こ の 問 題 をつ な げ て考 え る こ とで 、 新 た な 視 野 が 開 け る もの と思 わ れ る。 2つ め に は 、受 け入 れ の実 際場 面 に つ い て の イ ンタ ビ ュ ー調 査 か ら、韓 国 人 ・台 湾 人 ・中 国 人 旅 行 者 の重 要 性 が あ らた め て 確 認 で きた 。 も ち ろん 数 字 の う えで は 、 ア メ リカ合 衆 国 の旅 行 者 の 存 在 は圧 倒 的 で あ る。 しか しな が ら、1997年 秋 の 金 融 危 機 以 降 もア ジア か らの旅 行 者 は、 個 人 旅 行 のか た ち で多 く奈 良へ と足 を運 ん で い る。 と くに台 湾 人 は 、JNTOの 訪 問 地 の調 査 で は順 位 を落 と して い るが 、 個 人 が 個 別 の 関 心 か ら 日本 の さ ま ざ まな場 所 に 向か うか た ちの 観 光 へ と近 年 は変 化 して い る と も考 え られ る た め 、 訪 問 率 の 低 下 と彼 らの奈 良 へ の 関心 ・理 解 の 低 下 を安 易 に連 想 して しま う こ とは 避 け る べ きで あ ろ う。 3つ め に は 、外 国 人 に と っ て納 得 で きる観 光 を提 供 す るた め に費 用 を低廉 化 す る と い う問 題 一46一 芹澤:奈 良市街地 におけ る外国人観光客 受け入 れの現状 と課題 の 重 要 性 で あ る 。奈 良 コ ンベ ンシ ョ ン ・ビ ュー ロ ー の ボ ラ ンテ ィア の シ ス テ ムが 注 目 され るの も、 こ の こ とか らで あ り、 ユ ー ス ・ホス テ ル に外 国 人 が集 まる の も、彼 らが そ う した 施 設 を求 め て い るか らで あ る。 ユ ー ス ・ホス テル で の イ ンタ ビュ ー調 査 の 時 に 聞 くこ との で きた 問 題 で あ るが 、奈 良 に は 「 バ ックパ ッカ ーの た ま り場 」の よ う な宿 泊 施 設 が な い6》 。 い っ ぽ う京 都 に は 、 その よ うな場 所 に あ た る有 名 な旅 館 が あ る ら し く、 ユ ー ス ・ホ ス テ ルの なか に も外 国 人宿 泊 客 が 半 数 を 占 め る とこ ろが あ る とい う。 奈 良 の ホ テ ルや 旅 館 が どの よ うに この 問 題 に取 り組 ん で い る の か につ い て は今 回 は調 査 を行 って い な い 。 今 後 は宿 泊 施 設 を は じめ 、 奈 良 観 光 の さ ま ざ まな場 面 で 、 質 の 向上 と価 格 の 低 下 へ の 努 力 が 見 られ る こ とを期 待 した い 。 4つ め に は、 以 上 にあ げ た 点 の す べ て に関 係 す るが 、 外 国人 観 光 客 の 行 動 の観 察 、彼 らか ら の 意 見 の 聴 取 に もとつ い て、 奈 良 の 新 た な魅 力 を 開発 す る こ との 必 要 性 で あ る。今 回 は 、 ま と ま っ たか た ちで の 参 与 観 察 をす る こ とが で きな か っ たが 、 筆 者 は文 献研 究 とイ ンタ ビュ ー 調 査 を行 うい っぽ うで 、 その 間外 国 か らの 友 人 ・知 人 を奈 良 公 園 へ 何 度 も案 内 した。 彼 らの 出 身 国 もア メ リカ合 衆 国、 香 港 、 台 湾 、 カナ ダな ど、 さ ま ざ ま であ る。 この 限 られ た機 会 で の観 察 や 聞 き取 りに 基 づ くな らば 、彼 らは 、 「外 国 の」 自然 の 雄 大 さ を 奈 良 公 園 に感 じた り、 鹿 と い う 動 物 との 言 語 や 文 化 をこ え た ふ れ あ い を 楽 しん だ り も して い る。 「日本 」 や 「文 化 財 」 な ど、 奈 良 に つ い て の 固 定 的 な イ メ ー ジ を 迎 え る側 も訪 れ る側 も安 易 に仮 定 して しま う傾 向 が あ る が 、 そ れ を学 問 の 手 続 きを通 じて 、 こえ て い く こ と も今 後 は重 要 と なる で あ ろ う。 謝 辞 イ ン タ ビ ュー 調 査 で は、 関 係 す る 機 関 ・施 設 の 担 当 者 の 方 々か ら多 大 な ご協 力 を得 ま した。 お 名 前 をあ げ る こ と は しませ ん が 、 み な さ まに深 く感 謝 をい た します 。 注 1)例 え ば 、 近 代 史 で は[高 木1997][古 2)機 会 を与 え て くだ さ った 奈 良 県 立大 学 ・遠 藤 英 樹 助 教授 に 深 く感 謝 す る。 3)三 川1998]、 社 会 学 で は[遠 藤2001]な ど。 井 ガー デ ン ホテ ル 奈良 の担 当者 に よ る と、 三 井 ガ ー デ ンホ テ ル奈 良 の 外 国 人宿 泊 客 の タイ プ は 、 学 会 、 ビ ジネ ス 、 ツア ー の3つ に分 け られ、 もっ と も多 い の は 学 会 で は な く ビジ ネス で 、7∼8割 を 占め る 。 奈 良 に 本社 や 工 場 の あ る 企 業 の研 修 ・視 察 が 多 い とい う。 4)社 団 法 人 「日本 観 光 通 訳 協 会 」 の あ る役 員 に よ る と、 現 在 日本 で は 「ガ イ ド」 とい う と 「ボ ラ ンテ ィ ア ・ガ イ ド」 を指 す よ う にな って きて お り、 政 府 は こ れ ほ どむ ず か しい 資格 試 験 を課 して い る に もか か わ らず 、 そ の合 格 者 に そ の後 の仕 事 を保 障 して い な い とい う問 題 が あ る。 5)奈 良YMCAEGGの な か で、 外 国人 が 茶 道 や 着 付 の体 験 を す る 日本 文 化 紹 介 を して い た グ ル ー プ は 、 現 在独 立 し、奈 良 市 の 中 央 公民 館 で 月 に1回 程 度 活 動 を行 っ て い る 。 6)ユ ー ス ・ホ ス テ ル の あ る職 員 に よ る と、 奈 良 に も十 年 く らい 前 まで は 「バ ックパ ッカ ー の た ま り場」 の よ うな 安宿 が あ っ た と い う。 場 所 は 三 条 通 りの 裏 で奈 良 町 に 近 い あ た り。建 物 は昔 の遊 郭 の 建 物 を 使 っていた。 _47_ 総 合 研 究 所 所 報 引用文献 石 森 秀 三1992「 新 しい観 光 学 の 提 唱 」 「中 央 公 論 』107巻7号 遠 藤 英 樹2001「 ^-146頁 。 観 光 とい う 「イ メー ジの 織物 』 一奈 良 を事 例 と した 考 察一 」『社 会 学 評 論 』52巻1号 、133 春 日直 樹1990「 心 の 中の シ ル ク ロー ド 18号 、144∼166頁 、25?^-266頁 。 ー 「な ら・シ ル ク ロ ー ド博'88』 を め ぐっ て 一」r奈 良 大 学紀 要 』 。 国際 観 光 振 興 会2㎜ 『訪 日外 国 人 旅 行 者調 査 一訪 問地 等 に つ い て 一1999-2000』 、国 際観 光 サ ー ビス セ ン ター 。 財 団 法 人 日本 ユ ー ス ・ホ ステ ル協 会1971『 高 木博 志1997「 日本ユ ー ス ・ホ ス テ ル20年 近 代 天 皇 制 の 文 化 史 的研 究 高 橋 春 成2㎜ 史 』、 日本 ユ ー ス ・ホ ス テ ル協 会 。 一天 皇就 任 儀 礼 ・年 中 行 事 ・文化 財』、校 倉 書 房 。 「奈 良 公 園 を訪 れ た 人 ぴ との シ カ認 識」 『 研 究所 所 報J(奈 出店 伸 元1999「r訪 業)30号 良 大学)8号 、91∼100頁 。 日外 客 促 進 法』 奈 良 県 は ど うさ れ る」 『奈 良 文 化 ・観 光 ク ォ ー タ リー 』(奈 良 観 光 弘 、8頁 。 中 本 宏 明1981『 奈 良 の 近 代 史 年 表 』、大 阪書 籍 。 奈 良 県 立 商 科 大 学 奈 良 観 光研 究 グ ル ー プ1995a「 科 大 学)6巻1号 、9∼26頁 奈 良観 光 実態 調 査 報 告(1)」 奈 良 県 立 商 科 大 学 奈 良 観 光研 究 グ ル ー プ1995b「 科 大 学)6巻2号 、13∼27頁 奈 良 市 史 編 纂 委 員 会1995r奈 奈 良 ホ テ ル1984「 良市 史 観光人類学の戦略 古 川 隆 久1998『 皇 紀 ・万 博 ・オ リ ンピ ック 28∼39頁 究 季 報 』(奈 良 県 立 商 通史四』 、奈良市。 一そ の75年 橋 本和 也1999『 山 上 豊1998「 奈 良 観 光 実 態 調 査 報 告(m」r研 。 奈 良 ホ テ ル 物語 堀 井甚 一郎 他 編1970r奈 『研 究 季 報 』(奈 良 県 立 商 。 良市史 の歩 み 一』、奈 良 ホ テ ル。 一文 化 の売 り方 ・売 られ方 一 』、 世界 思 想 社 。 ー皇 室 プ ラ ン ド と経 済発 展 一 』、 中央 公 論 社 。 地 理 編 』、 吉 川 弘 文 館 。 正 倉 院 御 物 と奈 良博 覧会 一 と くに明 治 一 一〇年 代 の動 向 を 中心 に 一」 『 歴 史 評 論 』573号 、 。 山 下晋 司1999「 バ リ、観 光 人類 学 の レッ ス ン』、 東 京 大 学 出版 会 。 平 成13年9月7日 原 稿 受 理'社 会学部 ,・
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