園笑顔で抱負を語るエルノlラ 一さ

受け 入れ に つ い て 日 本 側 が ハ ー ド
レベ ル で 介 護 福 祉 士 以 外 の ヘ ル
し か し 、 今回 は 日 本 経 済の 景 気
パl ク ラ ス の 受け 入れ や 、 東 京 五
拡 大 と 人 手 不 足 が 深 刻 化 し 、 政府
て し ま っ た 。 当 時 の 厚生 労 働 省 は
検 討 され て い る 。 加え て 、 国 内 の
輪 対 策 で 建 設 労 働 者 の 受け 入れ も
ルを 高 く設 定 し た た め 、 日 比 E P
「受 け 入れ て も 年 間 で 百 人 未 満 」
A ( 経 済連 携 協 定 ) に 課 題を 残 し
と 回 答 、 フ ィ リ ピン 雇 用 庁 側 の
年 間 2 千 人 以 上」 と は 隔 た り が
「
技 術 者 の 補 充 も 産業 界 に と っ て 喫
製 造 、 サー ビ ス 現 場 、 IT 産業 の
緊 の 課 題と な っ て い る 。
園笑 顔で抱負を語るエルノlラ
一 さ 「プラン社社長
こ こ で、 ユ ニ 。
フ ラン 社の プロ
設 立は 1 98 0年 。オ ース トラ
フ ィー ルを 紹 介 し た い 。
リ ア の ト ヨ タ 下 請け 工場 か ら フ ィ
リ ピン 人 作 業 員 の 派 遣 を 受注 し た
の が 人材 ビジ ネ スの 始まり とい
港 、 マカ オ 、 米 国 、 カ ナ ダ 、 オ ー
う 。 現 在 の 派 遣先 国 は 日 本 、 香
園人 材総 研 が
園現 地を 先 遣 視 察
ン 労 働 者 は 他 の AS E AN 諸 国 と
同 様に 有 力 な 選 択 肢 の 1 つに な る
と思われ る 。
-7 年前 と比 較 して一
変 した
園日 本側 の労 働 事 情
3月 お 日 、 マ ニ ラ 市 内 に ある 国
際 人 材 派 遣会 社 の ユニ プ ラ ン 社 を
o v e r se a s E m p l o y
正 式 名 称 は 、 U ni p - a n
訪問 し た 。
時 間 と 近 い の も 魅力 だ 。 3月 下 旬
m e nt , I nc 。 社 長 は 、 E l
成 田 か ら マニ ラ ま で 飛 行機 で 5
者 は 7 年 ぶり の 訪問 だった が 、 空
no r a Me r-a
の マニ ラ の 気 温 は 最 高 で お 度 。 筆
港 や 市 内 繁 華 街 は 当 時と 変わ って
a f a n a 女 史 で ある 。
の マ ニ ラ は 東 京 と ほ ぼ 同 じ規 模 で
E l no ra 社 長 ( 以 下 、 エ ル
vi l l
い な か った 。 人 口約 1 千 2百万 人
の 付 き 合 い 。 前年 9 月 に 締結 され
ノ lラ 社 長 ) と 筆者 は 8 年 前 か ら
た 日 比 F T A( 自 由 貿 易 協 定 ) を
あり 、 群島 か ら の 移住 者 で 溢 れ て
今回 の 訪 問 は 、 日 本 人 材 総 合 研
師 、 介 護 福祉 士 の 日 本 側 受け 入れ
き っ か け に 、 フ ィ リ ピン 人 看 護
いる。
と して 労働 力 確 保 の 調査 を す る こ
究 所( 以 下、 人 材 総研 )の 代 表 者
日 本 人 を 介 し て エ ルノ 1 ラ 社 長 と
た め マ ニ ラ を 訪 問 し 、 知り 合 い の
業 界 の ビ ジ ネ ス チ ャン ス の 追 求 の
が 急 浮 上した 。月 刊 誌 取 材と 人 材
不 足が 深 刻 化 し 始 め て い る 。 政 府
出 会 った 。 彼 女 は て い ね い に エ ー
人 口減 少 の 影響 で 日 本 は 労 働 力
と が 目 的 だ。
て 前 向 き に 発 言 し 、 今回 会 会 期 中
ジ ェン ト と し て の 機 能 と 実 際 を 教
は 外 国 人 労 働 者 の 受け 入れ に つ い
に も 一 定の 結 論 を出 す予 定 でい
の 人 材 を 、 行き 届 い た カ ス タ マl
し か し 、看 護 師 と 介 護 福祉 士の
え て くれ た 。
「
ユニ プラン の モ ッ ト ー は 世 界
サー ビ ス で 提 供 す る こ と を 約 束 し
後 の 労 働 力 確 保 の 上 で 、 フ ィリ ピ
る 。 人 材ビジ ネ ス 業 界 と して も 今
ス リ ラ ン カ 、 ア ル ジ ェ リ ア、 ク
規 模の 人 材 需 要 に 適合 す る 国 際的
ま す」 と 。
ス ト ラ リ ア、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド 、
エ l ト 、 カ タ l ル の 日 カ 因 。 送り
と で す 。 そ し て 、 常 に 改善 と 革 新
な 高 水 準の 人 材を 提 供 し続 け る こ
エ ルノ l ラ 社 長 は 流 暢 な 英 語 で
え て ま い り ま す。 ユニ プ ラン は 創
を 大 切に して お客 様の ご要 望 に 応
美 し い 固 で す ね 。 私は 神 様 が 日 本
問 し ま し た が 、 日 本 は 四 季 が あり
そ し て 、「 私も 何 回 か 日 本 を 訪
千人 。
出 し て い る フ ィリ ピン 労 働 者 は 約
筆 者 の 質問 に 次 の よう に 答え て い
業 以 来 泊年 間 で 培 って き た 高 水 準
に 4 つの すば ら しい 季 節 を 与 え た
る。
14
2014.5. 1/vo1.334
jinzai Business
15
あり す ぎ た の は 周 知の 事 実 だ 。
就職内定がほぼ決まったフィリピン大学生の3人と日本語教師(向かって右端)
日本語を学ぶ技能実習生候補たちと記念嶺影
と 心 か ら 思 い ま す 」。
男性 だが、 日 本 語は 極 めて流 暢 。
す 。 日本 で 就 業 経験 の あ る フ ィリ
て の 心 構 え も 教え て い ま す 。 彼 ら
私の 滞 在 経 験 を 話 し 、 実 習 生 と し
本 で 3年 間 働 き ま し た 。 少 し で も
ピ ン 技 能 者 は プ ロ フ エツ シ ヨ ナ リ
は 真 面 目 に 勉 強 し て い ま す 」。 受
講 師 は 「 私も 以 前 実 習 生 と し て 日
ズム と 熟 練 の 技 を 学び ま し た 。 そ
本 で 一所 懸命 に 働 き た い で す 」 と
講 者 の 男 子は ま だ 片 言 な が ら 「 日
「 日 本 は 多 くの人 々 に明 る い未
し て 、 そ の 技 は オ ース ト ラ リ ア の
「 今後 の 日 本 で は 人 材 グ ロ ーバ
加え 、 日 本 の 上 場 企 業 に 採 用 が 内
ユ ニプ ラ ン 社 で は 技 能 実 習 生 に
元 気 い っ ぱ い に 答え た 。
ル 化 の リ ーダ ー と し て 外 国 人 に 多
と マ ニラ 日 系人 会 を 訪 問 し た 。 介
翌 初 日 は 、 市 内 の 介 護ス ク ール
れ た 。 亡 き 実 母が 日 系人 の 保 護 に
の 歴 史 を 日 本 語 と 英 語 で 教え て く
の 日 系2 世 か ら 現 在 の 4 世 、 5世
田 祐 里 氏 と 会 談 し た 。 大 戦終 了 後
る。
コ ン サル タ ン ト 会 社 を 設立 し て い
り 、 日年 に マ ニ ラ 市 内 に 日 系 企 業
大 学の 4年 生 で エ ン ジ ニア と し て
今夏 に も 採 用 が 決 ま っ て い る 。 日
本 語 は ユ ニプ ラ ン 社 の 研修 で 学ぶ
予 定 で あ り 、 質疑 は 英 語 で 行 っ
た 。 世 間 話 に 関 す る 受け 答え と 礼
儀 は 申 し 分 な い 。 日 本 の 大 学生 と
比 較 して も 極 め て 質が 高 いの に驚
か された 。
首 都 圏 に あ る 採 用 先 で は 、 昨年
度 に 次 ぐ2 回目 の フ ィ リ ピ ン 大 卒
業 生 の 採 用 で あ り 、 合 計 7人 が 就
労 す る こ と に な る 。 今回内 定 の 3
人 は気だて も 良く、採用企 業の雇
用 管理 は 容 易 で は な い か と 思わ れ
フラ ン 杜 の 人選 な ど の
た 。 ユ ニ。
サービ ス の 良 さ が 感 じ ら れ た 。
て 求 め る 日 本 企 業が 増え 始 め て い
「 フ ィリピ ン 人 の 素 直 な性 質を
ま す 」、
評価 し な が ら も 、 送り 出 し 側 と し
て は 日 本 語 教育 、 勤 務 態 度 や生 活
笑顔 が 魅 力 的 だ っ た 。 彼 ら は い ず
l 却 歳 代 の 女性 た ち 。 記 念 撮 影 の
仕事 紹 介 も 行 っ て い る 。 在 比 、 在
若 い 日 系人 た ち の た め に 日 本 で の
が 後 を 継 い で い る 。 日 系人 会 で は
少 し ず つ変 化 し て い ま す 。 特 有 の
と いう 印 象 が強 か っ た の で す が 、
働 者 は 貧 困固 か ら の 低 賃 金 労 働 者
「 こ れ ま で フ ィ リ ピ ン 出 ι身の 労
国 後 の ア フ タ ーケ ア も 不 可 欠 で
ば なり ま せ ん 。 加 え て 、 日 本 に 入
習 慣 を き ち ん と 教え て い か な け れ
れ 北 米 や中 東 に 出 向 い て 働 く と い
日フ ィリピ ン 人 た ち の 労働 力 確 保
る。 国語はフィリピン語で、 公用語として英語も加わる。
ク教徒だ。
またASEAN唯一のキリスト教国であり、 83%がカトリッ
経済成長率は上昇を続けている。 リーマンショック以後
低迷したが、 最近では7%前後で推移して景気は上昇し、
-面積: 299,404平方キロメートル(日本の約8割)
解 は 何 より 必 要 で す 」 と 。
す 。 受け 入 れ 企 業 の ご協 力 と ご理
o
λj
フィリピンの人口は約9,400万人。 マレー系が主体で他
術 習得 力 な ど を 見 直 し て 人 材 と し
笑顔 と 優 し さ 、 彼 ら の 英 語 力 、 技
いる。
談 が 出 来 た 。 い ず れ も フ ィリピ ン
定 し て い る 男 子 大 学生 3人 と も 面
護ス ク ール で は 約 却 人 の 生 徒 た ち
生 涯 を 賭け 、 実 子 で あ る 吉 田 兄 弟
そ の 町 田 氏 は 次 の よう に 述べ て
員 が 起立 し て 挨 拶 し た 。 8 割 が m
日 本 語 講 師は 同 じ フ ィ リ ピ ン 人
であ いさっ した 。
「い ら っ し ゃ い ま せ 」 と 元 気 な 声
員 が 立 ち 上 が っ て 「 こん に ち は 」、
せ て い る 。筆 者 が 中 に 入 る と 、 全
合 計 3 百 時 間 の レ ッス ン を 受け さ
る 現 場 を 垣 間 見 た 。 少人 数 単 位 で
候 補 た ち に 基礎 的 な 日 本 語 を 教え
修 の 模 様 を 視察 し た 。 技 能 実 習 生
対 談 後 、 ユ ニプ ラ ン 杜 の 日 本 語 研
と こ ろ で 、 エル ノ l ラ 社 長 と の
園ベテラン講 師 と 充 実 し た
園日 本 語 研 修 の現 場 を 見 る
る。
待 し て い ま す 」 と 笑顔 で 話 し て い
くの 一
雇用 機 会 を 与え て く れ る と 期
繋 が っ て い ま す 」、
ク ライア ン ト に認 め ら れ 、雇 用に
来 の 機 会 を 与え る固 で も あ り ま
ルで学ぶ生徒たち
介護スク
-首都:マニラ(首都圏人口約1.155万人)
と 紹 介 に つ い て の 話 も 進展 し た 。
マ ニ ラ 日 系人 会 で は 副 会 長 の 吉
に中国系、 スペイン系の混血と少数民族で構成されてい
園人 選と送 り 出しには地 場 の
園日 本人 コンサルタントが協 力
マ二ラ市内は活気に満ちている。
今回 の 訪 比 で 視察 や会 談 の 段 取
り を つけ て く れ た の は 日 本 人 コ ン
で あ る 。 フ ィ リ ピ ン 在 住 四年 と い
サル タ ン ト の 町 田 克 之 氏 ( 臼歳 )
う ベ テ ラ ン で 、 氏 と 筆 者 は エル
付 き 合 い 。 7 年 ぶり の 訪 比 で は 町
ノ lラ 社 長 と 同 様 に 8年 前 か ら の
田 氏 が す べ て の 訪 問 先 とス ケ
ジ ュ ール 調 整 を し て く れ た の で あ
る。
町 田 氏 は 、 白年 以 来 技 能 実 習 生
の 送り 出 し 業 務 を 行 い 、 ω年 か ら
ユ ニプ ラ ン 杜 を 含 め て 同 業 3 社 の
IT 技 術 者 の 送り 出 し 業 務 に 携 わ
コ ン サル タ ン ト を 兼 務 。 そ の 後 、
[フィリピン共和国]
16
jinzai Business 2014.5. 1/vo1.334
17
が 実 習 中 だ っ た 。 教室 に 入 る と 全
日系人の若者を紹介しながら熱っぽく語る吉田祐里マニラ日系人会副会長(右端)