市川伸一教育講演会 「教えて考えさせる授業」

市川伸一教育講演会
「教えて考えさせる授業」
豊見城市立長嶺小学校
2014.5.1
沖縄県は全国学力到達度調査の結果で最下位、その中でも特にうるま市もきび
いしい現状があった。5,6年前にうるま市に行って「教えて考えさせる授業」
について講演会をもった。当時、指導主事の方が「先生方は一緒懸命頑張ってい
る」と言っていた。それは、「子どもに考えさせる授業、そして、子どもの思考
力を身に付けさせるための自力解決、問題解決を中心とした授業」をやってきた
と言っていた。
1990年代までの日本の教育、特に小学校では、どちらかというと教え込みが多く、つめこみ
が強く批判されていた。それが一気に逆転したのが90年代であったと考える。新しい学力という
言葉もでてきて、ゆとり教育が推進されてきた時代もあった。そして、子どもに考えさせる、思考
力・判断力・表現力、これは今でも盛んに使われている言葉です。そのためには教師が、教えると
か、指導をするのではなくて、支援していく、子どもに考えさせる時間を十分にとる。教師が教え
るのではなくて、子どもに気づかせる自力発見を求める。それらは一見いい考えにみえる。私自身
も、90年代最初の頃は、探求的な学習をテーマに付属中学校で狩俣先生という方の授業を見たり
して、一方では探求的な学習について推奨していた。ただ一方では、子ども達への(東京工業大学
の子ども達や地域)学習相談を1989年から始めた。授業が分からない、勉強の仕方がわからな
い子ども達に対して、一体何が分からないのか?個別の面接をしながら小3~高2の子達へ、指導
できることは指導してきた。算数、数学ができないということ実態が多く、子ども達にとってすご
くストレスになっている。それは、できる、できないがはっきりしている教科だからかもしれませ
ん。できるようなりたいと思っている子ども達が多い。
~スライド~
そのような子ども達に対する個別学習相談、これは学習に対するカウンセリングのようなもので
す。普通は心理カウンセリングだが、学習や理解に関する問題を扱うカウンセリングであり、人間
の知・情・意の知、これはよく認知と使うため認知カウンセリングという名前をつけて、夏休みを
中心に個別学習相談を行った。その中で、授業が分からないという子ども達が圧倒的に多く、なぜ
授業が分からないのか聞いていくと、子ども達の言うことが分かってきた。詰め込み授業を受けて
いて解消しきれずそのように言っていると思っていたが、そうではなく、先生が教えてくれないの
で分からないと言うようになってきた。では、先生方は授業で何をやっているか問うと、「では、自
分で考えてみましょう。みんなで考えを出し合いましょう」と言い、自力解決、協同解決の時間が
長くとられているという実態が見られる。自力解決、協同解決は大切だが、教師が説明をすること
をぬきにして知識の基盤がないまま、自力解決を求めてもなかなか上手くいきません。なので、協
同解決といっても友達の言っている意味が分からないということも多々あります。子どもの発言は、
舌足らずな所もあるため、教師からみてもあの子は何を言いたいのかわからない。しかし、教師の
方は、知識がありますからきっと「~なふうに言いたいのだろう」と推測して、発言を組み立てて
いく。しかし、内容がまだ分かっていない子どもからみると、他の子が言っていることがさっぱり
分からない。完全に議論から取り残されてしまう。時間は長くとられるため、教師は、まとめや解
説をする時間がない。今日の授業で何をやったか分からないまま終わってしまう。授業を受けるご
とに分からないことが多くなる。そういう中で、~市川先生が先生方に問う→~「地域を中心に個
別で学習できる環境や人材作りを担った?個別の学習相談室を設けている所はありますか?」
研究を行いながら、どのような所で分からないのか、それに対してどう教えたのか、教えたこと
がうまくいったのか、いってないのか。うまくいってなかった際は、なぜうまくいかなかったのか
皆で検討しあう。このようなことを20数年私は行ってきた。今では学校の先生がメンバーの半分
以上いる。月1度集まり、小・中・高、教科を越え、学年を越えて教え方、子どもの分かり方等に
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ついて検討をしている。その中で生まれてきたのが「教えて考えさせる授業」です。
学校の先生方が一体どのように授業を行っているのか授業参観を行ったところ、90年代と比べ
るとだいぶ、特に小学校の算数の授業は変わったと感じた。目標とするところは、思考力をつけた
い、先生が教えるのではなく子どもに考えさせたいということはいいことだと思うが、それが極端
になりすぎると知識も何もない状態で、子ども達に自力で考えることを教える。あるいは、「みんな
で多様な考えをだしましょう」と言うと、確かに多様な考えはでます。しかし、出ても結局は切り
捨ててしまったり、子どもの方も、先生の説明で消化不良になったりするという時に、他の子ども
達の色々な考え方で消化不良になってしまうということになる。そこで、習得と探求ということを
授業の方法論をある程度区別して、習得の場面ではしっかり先生が教える。教えたうえで、子ども
達がもっと深く関わる。探求の方では、子ども達が自分のテーマを設定してそれを追求する、その
プロセスで、必要に応じて教えていく。習得と探求のメリハリをつけることが大切だというように
なったことが2001年頃からです。
私たちが行っている認知心理学は、人間も一種の情報処理をしているんだという考え方です。コ
ンピューターと似ているが、単純な情報処理とは違う。耳から話しを聞き、目から情報が入ってく
る。人間の情報処理はまる暗記ではないということが大切なこと。持っている知識をうまく使って、
それを理解して、解釈して記憶したり思考したりする。これは、人間の大きな特徴です。更に、そ
れを言葉で表現する、発表する、伝える。この時も知識を使うわけです。また、~図で示している
~道具や他者も人間が行っている情報処理、子ども達が行っている学習活動にあたる。これが上手
くいかない時、私たちは、持っている知識、よく既習事項を使ってと言いますが、既習事項を理解
していないとか、色々誤解を持っているとかであると、せっかく先生が正しいことを教えてもすぐ
忘れてしまう。あるいはとんでもない誤解をしてそのまま頭に残っている。こういうことがたくさ
んあります。私たちは、認知カウンセリングによりせっかく一対一場面でやっていますので、どう
やってその答えを出したのか、子どもに語って説明をしてもらいます。例えば、反比例をどうやっ
て捉えているのか?「反比例ってどういうことなのか説明してみて」って言った時に、子どもが答
えるその中に、色々な誤解が表れることがあります。学校は、30人、40人いるため、一人一人
そこまでやることはできない。そのため、一対一の学習のよさを伝える(間違っても大丈夫、周り
の目を気にしなくていい、間違えから学ぼう)といったことをします。そういう分かる、理解とい
うことを大切にした学習を展開したいと思いやってきた。認知心理学は、理解ということを大切に
している。学習は、反復・習熟で定着するという面もある。どちらかというと、認知心理学より前
の時代。人間や動物は、反復・習熟でできるようになる。しかし、小学校高学年になると、それだ
けでは、学習の定着が成り立たなくなっている。まず、やることが多くなり広がります。更に内容
が難しくなるため定着が難しい限界がくる。上手くいっている学習者は切り替える。分かるという
こと、つまりそれは、自分の知識体験を上手く落とし込むこと。すると忘れない。また応用も利く。
そこで、浅い理解か、深い理解か。それが一つの目標です。理解とは何か?知識の考えつきが成立
することだ。それまで断片的な知識といものが教育に繋がるのだといこと。例えば、歴史であれば
大化の改新は645年、ただ年号で覚えている。これは、断片的な知識です。しかし、その時どういう
流れがあったのか、これは~ふうになって~ことになって~ことになったなど、これは歴史的事項
が関連づけられています。そうなると、なかなか忘れない。算数、数学の公式もそうです。今日も
出てきました。円の面積は、半径×半径× 3.14。確かにそうなのですが、それは断片的な知識です。
なぜ、半径×半径× 3.14 になるのか。今日も先生がその理由を説明していました。長方形の面積が
基本になって、こういう操作をすることで長方形の面積に反映させることができる。たてにあたる
ものがこれ(半径)。横にあたるものが直径× 3.14。なので、直径が円周だからそれが半分だから÷
2。ということで直径と÷2がくっついて半径になっている。同じ半径×半径ではなく由来が違う。
最初の半径は、もとの半径。後の半径は直径の半分ということで半径がきている。そうすると、関
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連づくわけです。そういう構造化された知識体験から、じゃ、理解が深まった状態とはどういう状
態か、どれだけ理解しているか外からは見えません。ある子どもがよく理解しているなというのは、
まず自分の言葉で説明できること。例えば、円の面積がなぜ半径×半径× 3.14 なのか。
教えて考えさせる授業では、よく説明を求めます。その時に子どもが、図を指さしながら(元々
円だけど、~して等分して~に切っていくそして~に並べ替えると長方形になっていく)言葉は同
じじゃなくてもいいです。教科書にある文言そのまま一字一句説明されたらこの子、文言を暗記し
ているだけではないか?と思いたくなります。表現は自分なりの表現でいい。でも、言っている意
味内容が確かにというのを納得できるようにする。更に、質問に答えられるとよく分かっているな
と認識できる。類似問題で応用ができる。数値を変える問題もあれば違うのもある。
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子どもがどれだけ理解しているのか、推し量っていく。そして、じゃ、理解を深めるためには基
本的には、私たちの習得型学習。理解というのが概念的に何かというと、最小公倍数、反比例がど
ういうものか。そういう時に私たちは、大人でもそうですが、こういう学習をしていくのが普通だ
と思います。まず、受容学習といいます。外からの情報を受け入れる学習。本を読む。先生の話を
聞く。ビデオを見るとか。しかし受け身の態度では、受容学習は上手くいかない。大事なのは、人
の話を聞くとか外から情報が入ってくる場合に、能動的に聞くということです。つまり自分で何と
か理解しようということ。自分の知識をふるに使って、何とか自分の知識体験の中に落とし込もう
という積極的な姿勢がないとなかなか受容学習すらできない。今、私と先生方もそういう関係です。
私が一方的に喋って、先生方は聞いているだけ。一生懸命聞いて下さっています。自分の考えとど
こが同じで違うのか。何とかおとしこもうとして聞いて下さっています。受容学習といっても、積
極的な姿勢がないとなかなかできない。ぼーっと聞いていては、テープレコーダーと同じ。後でど
んな話しだったのか、他の先生方に説明する。おそらくできない、或いはとんでもない誤解を伝え
てしまうことに多分なるであろうと思います。
私たちは、そういう受容学習をする時に、次によくやることが能動的な表現です。例えば、何か
教えてもらったとして、今教えてくれたことは、こういうことですかと要約をしてみる。要約とい
うのは、やっぱり能動的にやらないといけません。それか、逆に教えてくれた人に質問してみる。
今こうおっしゃったけど、こういう意味なのですか。例えば、例でいうとこういうことですか?な
ど質問してみる。これも能動的な表現です。そういうことをやってみて、教える側、教えられる側
との受容学習が成立していく。
その次に、何かを教わったら教わるだけではなくて、自分でそれを使って問題解決、或いは討論
してみるということがあります。習ったことを使う場面。これこそ活用。分かって何かを知ったら
それで終わりではなく、問題解決で討論していく。それによって自分の知識というものがこういう
ことに使えるんだな、こういう意味があるんだなとか、そういうのがより深く分かる。問題解決を
してみると、失敗も当然起こります。しかし、学習の途中の失敗ですから、むしろそれがプラスに
なるわけです。なぜ自分は間違えたのかを教訓を抽出する。~考えていたけど~なのだと分かり直
す。或いは、問題が解けなかった、大事な点に気づけなかった、その答えを見て友達に教えてもら
ったりして~ことが大事なんだ、~仕方もあるんだと教訓になり、その次に生きてくる。この4段
階の習得の学習のステップ、これを続けていくと、何かが分からない、何かができるようになる。
それを授業の形に?したのが習得の学習の一つのオーソドックスなスタイルと思って私が提案した
教えて考えさせる授業なのです。
つまり、授業では、既習内容の上に書いた新しいことを積み重ねます。教えて考えさせる授業で
はないやり方とすると、教えずに考えさせる授業、既習内容はここまでだとすると、その先に今日
は新しい学習事項やりますよ。あそこは先生が教えるのではなくて子どもに自力発見してほしい、
子どもに気づいてほしい、子どもの口から言ってほしい、先生の口から言うのではなくて子どもの
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口から言ってほしいというのが自力発見の授業です。
授業の流れとしては、先生が問題を出す。実際には、教科書で使われている問題を使うのが多い。
ですから、教科書は閉じましょう。予習してきた友達でさえ予習はしてこない・・・?その裏で、
自分では分からない場所、頼らないと・・・?みんなで出し合って協同体で考える。色々な考えを
立ててくることを推奨する。その中からまた新たな?考えを収束させていく。そして確認をしてま
とめをする。時間があればドリルをして定着を図る。或いは、もっと発展的な課題で図る。これは、
教科書や指導書などによく書いてあると思います。また研究授業などを見ても、小学校の算数や理
科では大体このやり方でやっている。それが当たり前だと思っている。よく言われるのが、「算数は
これ以外の方法があるんですか?」と言われることがよくある。
私は、このやり方はまずいとかやるべきではないと思っていない。上手くいく時はすばらしい授
業になります。教師が教えなくても、子ども達が既習を基に色々なアイディアを出して考えて、そ
して分かった分かったということです。しかし、これは上手くいくには条件が限られていると思い
ます。まず、学力差はあまりないと思います。一方では、先取り学習、そんなの知っているよと言
われるとすごくやりにくいわけです。一方では、既習内容もあやしいという声も聞こえます。とて
も既習をいかして新しいことを考えさせるなどということがとても出来ない。先生としては、それ
でも、自力は無理でも協同でと思うのでしょうが、他の子どもの言っていることが分からない。こ
ういう子が相談で言っているというのが実は多い。他の子の発言が分からない。授業の中でおいて
きぼりになって分からないことがたまっていく。
それならばということで、習得の学習はというと、普通の公立学校でもできるリスクの少ない方
法、しかもレベルの高いところまでいけるという方法をとるべきではないでしょうか。というのが
教えて考えさせる授業です。既習内容は、新しい学習指導要領では個に合うということですがそこ
はむしろ、教師が説明をする。色々な教材や教具を使って分かりやすく説明する。自力発見できな
い子も先生の話を聞いて理解しましょう。知っている子もいるでしょうが、それは塾とは違う説明
も聞くでしょうし、そこのあたりは先生の話を聞きましょう。場合によっては予習もとります。予
習は必須ではないですが、学年が上がるにつれて少しずつ予習も入れた方がいいと思います。問題
はそこからなんです。
教師が分かりやすく説明しました。じゃ本当に子ども達に通じたか。それを確かめるのが理解の
確認です。私がよく行うのが、(小グループの中で)友達に説明してみましょう。説明の仕方は今習
ったはずのことです。今日のでいえば、円の面積。なぜあの公式になるのか。塾で習ったはずの子
でも結構出来ない。それくらい日本の子ども達は説明ということに慣れていない。今私は、説明す
る時はやっぱり図を指しながらするといい。こういうことも知らない子が結構いる。後、先生が説
明してごらんと言った時も、先生は図を使って指を差して説明しても、子どもに指を差すチャンス
を与えない。これは酷だなと思います。言葉だけで上手く説明しようにもそれは伝わりません。説
明するということは、図を使う、そして指を使いながらこうこうと、私たちがプレゼンをする時も
そうですよね。どこを説明しているかが分かるように指差しながら説明する。そのように、説明の
仕方も教えないと或いは、いい見本を見せる。そういう意味では、今日の先生の「説明できそう人?」
と言ったら手を数名あげてくれたが、いざやってもらおうとしたらためらってしまってやってくれ
ない。そこで先生は「今日はいっか」となったがあの時でこそ説明をさせたかった。子ども達は慣
れてくると、先生が教えてくれたら今度は自分達が説明をする番だと分かってくるのでどんどん説
明を始めます。指を差しての説明することも当然分かっています。説明の時にはある程度、形とい
うものを教えてあげて下さい。まず言葉の定義をあげる。具体例をあげる。私は、話型というのは
あまり好きではないので、まぁ話型もいいのかもしれませんがとにかくそこで何を言うのか。世の
中の分かりやすい説明を見てみると、言葉の定義があって具体例がある。そういうことを意識しな
がら先生の話を聞いたら自分が次に説明をするんだよ。その時に言葉の定義を言う、具体例を挙げ
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ることが大事だよ。こういうことが習慣として身に付いていけばすぐに始まると。逆にそれを上手
く言えない時には、どんな・・・?。例は分かるけど意味、定義が言えない。どこからつまずいて
いて、そして質問を友達や先生に聞く。こういってくれれば、彼らの学習は進んでいる証拠です。
自己診断にもなるし、質問ということにも繋がる。上手く説明できなかったらできる友達の説明を
聞く。それでもできなかったら先生を呼ぶ。そして、教科書を開ければ説明してあるものとか、教
科書に答えが出ているような例題とか、まず、全員共通の知識として持ってもらいたい。その目で、
そこで終わりでなはく、理解深化いわゆる問題解決。ある程度レベルの高い問題を想定しています。
今日の授業の理解深化問題は・・・?
その次に今日の授業全体で、分かったことは何か、分からなかったことは何かを自分の言葉で書
き留める。これが自己評価です。それを通して一つの習得を図るということです。教えて考えさせ
る授業を私が言い出したのは、2001 年頃です。この頃昔の日本でよ・・?と言われたのは、詰め込
み教え込みの授業です。今、高校の授業を見に行っても、私たちが受けてた 40 年前とほぼ変わらな
い。先生が解説して後は問題を解かせるだけという授業が多い。すると、子ども達は分からない分
からないと言っています。これが旧タイプのわからない授業です。かといって、先生が教えずに子
ども達に考えましょう、考えましょうと言っても、やっぱりこれも分からない授業になってしまう。
これは新タイプの分からない授業。
教えて考えさせる授業は、どちらにも陥らないようにする。予備知識は分かりやすくしっかり教
える。しかしその先に、理解、問題解決、定着を図りますというような授業。それは、中答審でも
教えて考えさせる指導、その前は、教えて考えさせる教育というフレーズで使われているというこ
となんですが。習得と探求ということ、今の教えて考えさせる授業の観点ですが、多くの先生がよ
く誤解されます。よくある誤解は、習得は教えて探求で考えさせるとか、教えると考えさせるを習
得と探求に対応づけるという誤解です。
教えて考えさせるの授業は、習得の学習なのです。習得の学習の中でこそ教える場面と考えさせ
る場面を入れてほしい。例えば、算数なら当然問題解決をやるわけですよね。今日も問題解決があ
りました。あれを通して、円の面積の公式の成り立ちとか意味を習得する。問題解決を通して習得
する。習得と探求という言葉なんですけれども、これは日常用語でもありますので私はこういう意
味で使っているということを言っています。習得サイクルの学習というのは、既存の知識や技能を
しっかり身に付けるという学習です。子どもにとっては教科書に出ている色々な言葉を身に付ける。
おおもとは、学習指導要領です。
探求の学習というのは、子どもが自分の興味・関心に応じて自分でテーマを設定して、それを追
求するような学習。徹底的には総合的な学習の時間です。各教科の中でも、子どもが自分で、例え
ば~な実験をしてみたい、社会科で~なことを調べてみたいとか何か自分で興味をもったことを時
間をかけて追求する。単元の、或いは学期の終わりに時間をとる。とすると、評価の中での探求に
なる。大事なことは、子どもが自分の興味・関心に応じてテーマを設定する。その時に、課題設定、
計画、発表討論とかあると思いますが、それを基本的には子ども自身にやってもらう。教師はそれ
を支援する。ですから、この場合も教えて考えさせる順序性はそんなに考えないです。むしろ考え
させながら教えるという感じになります。大学でいえば卒論。学生は、テーマを決めて一年間かけ
て追求する。大学の先生が必要に応じてアドバイスを与えたりする。総合はそれでいいわけです。
教科の中でもそういう力はとってほしい。しかし、普通の教科の授業は、8割方は習得型だと思
います。目標を身に付けてほしい。その目標を決めるのは先生です。今日の授業の目標を決める、
そして今日の授業は何をするのか、シナリオ、指導案を作る、これは先生です。よく授業の主役は
子どもであると言い方をします。私はその通りだと、授業の主役は子どもではあると思いますが、
しかし、習得の授業ではシナリオを作るのは子ども達ではないと思います。今日の授業のシナリオ
を作るのは先生です。子どもではありません。授業の進行をとりしきるのは先生です。習得の授業
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はそれでいいと思います。その中でも、子どもが主役として活躍する。
探求の方は、シナリオライターや監督まで共に入ってほしいわけです。自分でテーマを決めて自
分で計画をして進める。まさに監督・シナリオも子ども自身が行うといのが探求学習。ただ、習得
と探求は車の両輪です。探求的な活動さえ繰り返ししていれば、自然に習得もできるというような、
かなりあまい見通しが 90 年代にあったのだろうと思います。
先生方が指示したり指導したり教えたりしなくても子どもを尊重して子どもが活動していれば基
礎ができる。ところが実際は、基礎は身に付かないわけです。スポーツの練習でも、基礎基本の習
得というところは、コーチが教えてそして自分でやって身に付けていく。地道な練習が必要です。
それまでのスポーツでいったら試合に出て自分達でもてる技を駆使して作戦をたてて勝とうとする。
これは、高度な・?スポーツでも探求です。探求があってこそ習得が何のためにあるのかが分かっ
てくる。試合に出てあの練習の意味が分かってくる。逆に練習しないと強くなれないということも
分かってくる。かといって練習ばっかりの習得では面白くない。どんどん脱落してしまいます。ど
っちが先ということはないと思います。探求をやってから必要感を感じて習得にいく。或いは、習
得をしっかりやってから探求にいく。双方向どっちもあってよいと思います。しかし、今日はこの
習得だよ。今日はテニスでサーブをやるよとなったら、インストラクターが教える、やってみせる。
そして子ども達が実際の活動を通して、なるほどこういうふうにやるといいんだと体得していく。
これは実技教科での理解深化です。頭で分かった状態から体で動く。体で分かっていく状態になる。
他の教科でも、基礎基本の習得というのは基本的な学習の仕方だろうと思います。
そこで具体例なんですが、・・・?平行四辺形の面積の求め方、教科書にやり方が出ています。2
通りほどでている。知っている子もいると思います。既習事項をふまえて公式の意味について一時
間かけて発見させる。多様な考えた方を出しましょう。しかし知らない子にとっては、これは非常
に難しいだろうと思います。私は、これを教えていいと思う。その授業では、もう予習タイムを設
定します。最初から予習といっても家でやってもらいますので、5分間予習タイムということです。
教科書その分2ページ読んでみましょう。分からない所には付箋を貼りましょう。子ども達は、う
んと言います。「なるほど」と言って分かるようになります。分からないで・・?分かっている子も
います。その上で私が説明しますよ。分からない子もいますから、実物を使って教えます。教科書
にあること以上教える・・?そこまで教えてしまったら、子ども達はこの公式がよく分かっている
か。実は全然分かっていないように見えます。ちょっと図形を傾ける等すると、高さがどこか分か
らなくなる子がたくさんいます。教科書は大体こんなふうに、普通の置き方。~書いていれば~が
定義。しかし、高さも高さ方向にあるのが高さとは限りません。横になり違和感を感じる子もいま
す。しかし数学ではそうですよね。底辺というのはどっちを底辺ととってもいいんだよと教えると
中学生でもびっくりすることがある。底辺が決まれば、垂直な方向として高さがある。だから平行
四辺形の中で、底辺と高さ2通りあるんだよと言うと、へ~っと言う子がいます。やっぱりよく分
かっていなかった。そういうことは、まず一から教えます。・・?なぜ長方形になるのかというと、
高さの所で切って、それを貼る。(切り貼りの技)これを知っておくと底辺×高さの意味、そしてな
ぜ底辺×高さなのかということを忘れないよ。とここまで教えます。その先理解確認、本当に底辺
×高さが分かっているのか。4つの場合を出して、底辺が分かっているものには高さを書く。高さ
が分かっているものには、底辺を書いてみましょう。と出すとやっぱりここで間違える子がいます。
こういう時は、~が底辺になり~が高さだということで間違いを訂正、確認します。
次に、公式の意味が分かって正しく使えるか。H 19全国学力調査の B 問題。地図の中に、平行
四辺形のお家があって面積を求める。これが、日本の6年生の正答率が 18 %。底辺、高さ、斜辺、
色々な値が分かっている。その中から、底辺と高さだけを選んでかければいいただそれだけのこと
だけど、何で 18 %しかとれないのか。子どものせいではなく、そういうところまでやっていない。
だからひっかかってしまう。ふだん、子どもに底辺×高さということを言わせるのに一時間使って
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しまって、人間はどんなところで間違えやすいのかとか、底辺と高さがどういう意味を持っている
のか。そういうことをとてもやる時間がない。自力発見できた・・?
★3
思考力を育てるためにも自力解決の授業といって十数年やってきて、非常に基礎的な問題ができ
ない。それならばそういうところまで授業をふみこむべきだと思う。そのためには、知っている子
もいる、知らない子にとっては自分のアイディアを出せないところ、っで、教科書を開ければそこ
にそのことがのっていることを自力発見させる。そこを教える変わりに、もっとその先のところで
十分やりがいのある課題に取り組む方が子ども達も満足力も高いし、学力もつくだろうと思います。
てこのつり合い、これも多くの授業では、てこがどういう時につり合うのか。例えば、このよう
に左右にぶらさがっています。これがつり合うルール、重さ×支点からの距離です。支点の最後に
等しい時にてこがつり合う。これを自力発見させる授業が圧倒的だと思います。私はこの時、まず
予習を求めます。5分でいいから読んできましょう。簡単なまとめを作ってきましょう。子どもは、
重さ×支点からの距離が等しいからつり合うとノートに書いてきます。授業はそこから始まるわけ
です。一応先生もそれを説明します。理科ですから実験もします。つり合うことを確認。そして理
解深化で何をするかというと、これはいろんな先生がいろんな講話しているんですね。私がその時
やったのが、複数の重り。支点の右側には3コ、左側には2コ。複数の重りが下がっている時には、
一体どんなルールでつり合うのか。これを自分たちで科学者になったつもりで発見しましょう。と
いうことにしました。これは知っている子はさすがにまずいません。私たちは、子ども達につけた
い思考力というのがあるのであれば、それは指導要領にずばりそれが書いてあるのかどうかは問題
ではないと思います。それは子どもにとって自分の知識をふるに使って考えてそして分かった時の
達成感、充実感があるのであれば、学習指導要領を決して逸脱してはいけませんなんて文科省は言
っていませんよね。多少それは、適した反映になりうると思います。子ども達はこれを一生懸命考
えます。いろんな仮説を立ててはてこ実験器で確かめて、これは違うとまた仮説を修正します。そ
ういうことを繰り返しながら、授業の終わりの方では、このルールにいきつくグループが表れてき
ます。積の和が等しければつり合う。これを発見した子ども達は非常に嬉しそうです。私はその方
が、子どもにとってはるかにやりがいがあるし力がつく授業だろうと思います。子どもにとってと
もかく、知っている子もいるし知らない子にとっては非常に難しいということに、自力発見と称し
てずっと時間をとるよりは、そこは教えるけども共通の知識の基盤としてそれこそ自力解決、協同
開発を図るという中に、高い姿勢でむしろ考えてもらいたい。どれぐらい高いかはもちろん子ども
達の実態です。難しすぎると思ったら、先生の方にいろいろ聞いてくるかと思います。これは、普
通の問題解決でも同じだと思います。難しすぎたと思ったら・・・?易しすぎると思ったら更に次
の課題くらい・・?それを通じて、当初は1コ1コの場合が分かればよかったのかもしれません。
それについての理解も深まりますし更に、その上で思考力・表現力などをつけていく。というのが
教えて考えさせる授業でやりたいことです。
~先生方への問題・にんじん&てこ~
重さ×支点からの距離なんて知っているよという子ども達、大人は多い。でも、公式の意味してい
るところというのは非常に難しい。大人でもこれは迷います。そういうところをむしろ授業でも扱
いたい。本当はそこまでいけるといい。基本的なことは知っている子もいる。自力発見が難しい。
ならばそこは教える、その代わりにその知識を共通に持ったうえで、それを基に考える。私たち人
間の思考というのも、ほとんどないところで考えましょうといってもなかなか考えられません。何
か持っている知識を基にしてそれを上手く使いながら考える。これはやっぱり人間の思考です。で
すから、そこのおおもとの所を与える代わりに、その先のところで十分に考えてもらう。
コミュニケーションもそうです。共通の知識があるからこそ討論ができる。この共通の基盤のな
いところで、いくら話し合いましょうと言ってもなかなか話し合いすら通じない。それが、教えて
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考えさせる授業の基本的な考えです。実際には、予習はある時もあればない時もあるけど確認しま
す。私の方針としては、授業の概略や疑問点を明らかにする。決して予習で全部分かろうと思わな
いでいい。ざっと読んで分からないところに付箋を貼るくらいでいい。子ども達によってはまとめ
を作ってきましょうとか簡単な例題を解いてみましょうというのもあるかもしれませんが、あんま
りしきりが高いことをやると子ども達はやってきません。予習は軽くということです。でも、手ぶ
らで授業というのは、・・?教師からの説明では、教科書を読んでも分からない子がくるわけですか
ら、教科書は活用しますから教材教具での説明を更に・・?
今日の授業でも最初、アニメーションがでてきました。円を16分割とか32分割をアニメーシ
ョンで見せることで、なるほど~っと結構インパクトがあった所です。後、モデルによる演示です。
特に実演教科では、実際に先生が入ったりする、・・?とかビデオを見せるとかあります。後は、ポ
イントやコツはこういうところだよととしっかり押さえる。この辺りが教えることです。後、一方
的に教えるのではなくて、子ども達と少し対話するとか。あんまりいっぱいは必要ないと思います。
ここで引っ張ると時間がとられて、すごい復習に時間がとられたりすると返って時間がなくなって
しまいますので、ある程度対話して注意を引きつけたりとか、それから、~君どう思うと答えだけ
ではなく理由も言えるか。~君と同じ考えの人と?違う考えの人?と手を挙げてもらうと問題的に・
・?せん。あんまりいいと思っていないのが、小学校でよくやる「いいです」との言い方。「いいで
す」と一瞬の内に消えてしまって誰がいいですと言ったのか分からなくなってしまいます。全体を
・・?の勢いでどれくらいの子が分かっているかとか、勢いがあるかとか、賛成の人手を挙げて、
反対の人手を挙げてだとぱぱっと見て結構の差は分かるわけです。先生は当たっているか間違って
いるかを言う前に手を挙げてもらうことでもいいんじゃないかと思います。
理解確認の方針としては、疑問点をはっきりさせる。そのために、まだ分からないところに付箋
を貼りましょうとか、分かっているか分かっていないかを確かめるのが自分自身で説明してもらう。
手を挙げる。教え合う。分かった生徒に説明してもらう。グループで誰も分からなくなったら先生
を呼ぶとか。今日の授業に関連していくと確かに問題を解かせることもあっていいと思います。し
かし、私は説明を大事にしたい。今日の説明を聞きましたら、あの成り立ちですね、図形を解く成
り立ちを説明する。先生は丸付けを多くなさってた。私は、丸付けをするよりは、出来た子は手を
挙げて先生がどんどん丸付けをするんですが、出来なくて困っている子の支援にあたる方がいいの
ではないかと思う。グループになってやってみて出来た子が答え合わせをグループ内でやれば、先
生が一人ひとり丸つけてあげなくても分かっている子はそこで確認できる。グループの中でまだ分
からない子を助けてあげる。或いは、先生が特に遅れている子に配慮する。先生はやっぱりそっち
の支援に回った方がいいのかなという気はします。
理解深化では、経験上子ども達はどういうところで間違えてしまうのか、先生方はご存知だと思
うのであえてそういう問題、これは、理科でしたら・・?類似問題がたくさんあります。大人でも
分かっている問題でも間違えてしまう。さっきのてこの問題もそうです。公式は分かっているつも
りなのに、その深い意味というのがよく分かっていない、そういう問題とか。或いは、わざと間違
えた計算問題を出して、どこが間違っているのか課題として出すことがあります。応用発展的な問
題、より一般的な法則に拡張する。さっきのてこだと、複数の重りが下がっている。何で・・?な
のかというところを発展的に考えさせる。生徒自身が、自分で問題を作るというようなことがあり
ます。生徒が、文章問題を自分で作れるようになったら相当分かっていることになります。
例えばわり算でも、小学校3年生から等分徐、包含徐よく出てきます。子どもは、等分徐、包含
徐という言葉は使いません。実はわり算には2つあるということ。かけ算の反対はわり算ですから、
実はわり算には2つあるんですね。その問題をそれぞれ自分で作ってみる。教科書は明らかにそれ
を意識した問題を作っているのですが、それは・・?わり算の意味、学習指導要領には書いてあり
ますから、わり算には2つの意味があることを分かってほしい。そのためには、等分徐の問題と包
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含徐の問題を自分たちで作ってみましょう。わり算の本質が分かってきます。教科では、最初、言
葉で教える。すると頭では分かった状態になる。先生が援助すれば一応頭にはイメージが。しかし
やってみるとできない。自分ではできない、まずはそこが特徴ですから自分でやっているうちに解
決される。これも理解深化。グループの中で、・・?評価したり先生がアドバイスしたりする。そん
なふうに理解深化をとらえていただければほとんどの実技教科の基礎基本の習得はむしろ、教えて
考えさせる授業がやりやすいこともおわかりいただけると思います。英語も、発音であるとか或い
は法的なこと文型が分からなくてもそれを自分でスムーズに活用できるようになる。これも理解深
化というふうに捉えられれば英語もかなり基本的な力が身に付く。抵抗があるのが算数、理科なん
ですね。これまでは、一時間使って考えさせてきた。その部分を教えてしまうということにすごく
抵抗があるだろうと思います。これもいくつか例をあげました。
これも今日の授業に即して申し上げると、最初先生から指導案をいただいた。最後の理解深化あ
れは教科書にあった?あれは問題集にあったのかな?大きな円と小さい円それぞれの面積を出す。
私はその問題だとやや物足りない感じがした。これは、円の面積を色々なところで見ててもそうで
す。半径×半径× 3.14 は確かに出た。成り立ちも分かった。この先、この公式の意味するところを
もっと分かってほしい。意味するところは何かというと、半径×半径× 3.14 なんですから、半径が
2倍だったら面積はどうなるのか。この公式はそれを意味しているわけですから、今日、先生が良
かったところは具体的な数を入れたことです。1をいれて、1×1× 3.14。じゃ半径は2倍にする
よ。2×2× 3.14。何倍になるかな。思わず2と言ってしまうけど、実は4倍なんです。半径を2
倍にしたら、面積は4倍になる。図をみても確かに4倍っぽい。3倍にしたらどうなるのか。9倍
ですよね。ということをこの公式は意味しているんだ。というところまで理解してもらえないかな
と私は思っていました。そのためには、どういう課題、課題として面白い課題といことで、その右
に、もう一方の白い円をくっつけて、全体の円と中の白い円。ちょうどあまった残りの部分という
のが、青ですね。どちが大きいか。白い部分、青い部分、どっちが大きいかな。これは子どもの直
感は見事に外れていましたね。青い方が広いというのがほとんどの子の直感でした。しかしこれは、
同じになるんだ。これを計算して計算の結果がそうなりましたというだけでは私はあまり理解深化
とはいえない。計算しないでも分かった子がいるんだよ。一体どう考えたのというふうに・・?計
算しなくても、図と公式だけ見て説明しましょう。計算はしない。その時に、最終的にあのグルー
プの子達が発表してくれていましたけど、・・だから白と青は同じということで、一体自己評価で何
を書いてほしいか。
私は自己評価で、この円の~な問題が分かりましたというより、もうちょっと一般化してほしい。
円の面積というのは、半径を2倍にすれば面積が4倍になるんだということが分かった。これはぜ
ひ考えて書いてほしいことだと思いました。理解深化から考える時、やはり先生方は苦労なさると
思います。いつも毎回自分が授業で考案しなくてもいいと思います。色々な教育書教育雑誌、問題
集だって面白い問題もいっぱいあります。何を理解してほしいか。ということがあってそのために
は、この問題はよさそうだと色々持ってきていいわけです。たまには自分で考案してみる。授業の
後の見当会ではみんなで出し合う。私だったら~な課題がいいと思うなど出し合う。人の授業を見
たときに自分だったらどういう課題を出すかをいつも考える。その内に色々なアイディアが出てく
るようになる。先生方がお互いのアイディアを出し合って、自分のレパートリーを豊かにしていく。
ということでいったんとめます?時間があればもっと見ていただこうと思ったのが、小学校の英語。
今、色々なところでやっていますが、見る度に申し訳ないですが非常に不満です。楽しいもの、親
しいものということはもちろんいいんですが、その中で何の習得もないまま忍ばせていく。私はそ
れは返って時間だけ使ってためにならないと思います。子どももやりがいがないと思います。中学
校の前倒しになる必要はない。せめて中学校の助走期間くらいはあってほしい。この時私は、小学
校の英語の授業は生まれて初めてでしたから、外来語を使って果物とか野菜の名前を使っていまし
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た。・・?むしろ対比しながら外国語を学んでいく。そういう姿勢がこれくらい必要なんだよと。例
えば、バナナ。英語はバナナじゃないんだよ。ALT の先生ちょっと言ってみてといったら、バナー
ナとこういいますよね。どこが違う?やっぱりアクセントが違う。今日気を付けること、L と R。
後は、語尾にトとかついいってしまいがちですよね。変な語尾がつく。これも日本の方の発音の特
徴です。この3つだけに今日は注意しようと言って後は例文を出す。・・?最後は歌を聞いてみまし
ょう。ビートルズの~という曲。L と R の発音が出てくる。
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何とか習得目標を上手く入れた楽しい英語の授業をやってほしい。教えて考えさせる授業は何を
目指すか。すべての生徒のやりがいのある授業を目指したい。進んでいる子・・?この課題が面白
いとしたい?。遅れている子もどっちかというとついていける。前半で丁寧に分かりやすく教える
努力をしてそして理解確認をしているからです。教科書は、予習でも授業でも復習でも使えます。
閉じておきましょうなど言わない。しかし、教材・指導法・課題によるバリエーションとか教科書
を越えるより深い授業、より高い授業を目指したい。確実な定着と理解・活用・思考・表現という
ことで協同学習による参加意識とか、コミュニケーションを促進したい。自己評価において、自分
の理解状態を自分で知るというメタ認知を育てたいというところが教えて考えさせる授業の目指す
ところです。
~市川伸一教授のパワーポイント~
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上記の「市川伸一教授の講演会資料」は平成25年5月1日に長嶺小学校体育館で行われた講演会
をビデオ録画した映像に基づいて文章化した内容です。そのため、途中、文章が途切れていたり、意
味が分かりにくかったりする点がございます。ご了承ください。
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