宗教は恐ろしいか - 大野キリスト教会

宗教は恐ろしいか
(1995 年 教 育 セミナー講 義 メモ)
目
次
第 一 章 宗 教 は恐 ろしいのか
キリスト教 への問 い/より根 底 的 な問 い/宗 教 の在 り方
布 教 の仕 方 にフォ-カスを/新 しい宗 教 が問 題 なのではない
検 証 、対 話 、公 開 討 論 会 の必 要 性 /宗 教 の中 にある欺 き
宗 教 の倫 理 の必 要 性
第 二 章 カルトとは何 か
アメリカにはじまるカルト/定 義 の必 要 性 /カルト研 究 機 関 の活 動
カルト研 究 不 在 だった日 本 /カルトに着 目 する必 要 性
カルトのさまざまな定 義 /カルトの定 義 (提 案 )
どのグループがカルトか/カルト教 団 の特 色
第 三 章 マインドコントロールの問 題
いろいろな使 われ方 /カルト研 究 家 たちの定 義 /正 体 を隠 して近 づく
ラブシャワーで迎 える/パラダイムを植 えつける/思 考 停 止 に導 く
外 からの情 報 を遮 断 する/判 断 基 準 が狂 ってしまう/社 会 から分 離 する
第 四 章 マインドコントロールからの解 放
信 者 は犠 牲 者 /組 織 から離 脱 するには/家 族 の方 々への励 まし
問 題 を解 決 しておく/救 出 の土 台 づくり/考 える人 になるように
効 果 的 な質 問 を/カルトの集 団 から切 り離 す/専 門 家 への依 頼
組 織 の矛 盾 を示 す/脱 会 の決 断 をしてから/リハビリが大 切 である
かつての仲 間 に/おわりに
第 一 章 宗 教 は恐 ろしいのか
連 日 連 夜 マスコミを賑 わせる事 件 が起 きた。日 本 中 を震 撼 させたオウム真 理 教 による一 連 の事 件 であ
る。むろん、この宗 教 団 体 が起 こした問 題 には、教 祖 とそれを取 り囲 む人 々の個 人 的 資 質 に帰 着 させる
べきことも少 なくない。しかし、それだけで片 付 けることができない多 くの問 題 を社 会 に投 げかけた。
「宗 教 とは何 か」
「宗 教 はオカルトとどう結 びついたのか」
「マンガやアニメがこの宗 教 に与 えた影 響 はどのようなものだったのか」
「超 能 力 への興 味 をあおったテレビなどに責 任 はないのか」
「宗 教 教 団 がいかなる要 件 で革 命 団 体 のようなグループに変 質 していったのか」
「科 学 の最 先 端 は宗 教 的 なものとどのような接 点 をもつのか」
「若 者 はどうしてこの種 の宗 教 にひかれるのか」
「学 生 の勧 誘 にどのような手 段 を用 いたのか」
「理 系 の学 生 たちはなぜ簡 単 にこの種 の教 義 を受 け入 れてしまいやすいのか」
「大 学 の教 養 科 目 は、この種 の宗 教 に対 して何 の防 御 機 能 も果 たせないのか」
「宗 教 は最 新 のメディアをどのように利 用 しているのか」
「この種 の宗 教 はいかなるマインドコントロールの手 法 を用 いているのか」
「この種 の宗 教 においては、誰 が加 害 者 で誰 が被 害 者 になるのか」
「なぜ薬 物 の使 用 によって修 行 を促 進 させようとしたのか」
「脱 会 した信 者 を、社 会 はどのように受 け入 れたらよいのか」
「マインドコントロールを解 くにはどのようにしたらよいのか」
「どのようにしたら家 庭 は子 どもをこの種 の宗 教 団 体 から守 ることができるのか」
「この種 の宗 教 団 体 に対 して信 教 の自 由 はどのように保 障 されるべきなのか」
「組 織 が用 いるマインドコントロールは、信 者 の信 教 の自 由 を侵 害 することにならないのか」
「マインドコントロールを受 けた人 々の犯 罪 の責 任 はどこまで問 われるべきなのか」
「既 存 の宗 教 団 体 はこの種 の宗 教 団 体 が発 展 していることに責 任 はないのか」
「現 行 の宗 教 法 人 法 は本 当 に不 備 なのか」
「この種 の宗 教 団 体 と結 び付 いてきた金 融 機 関 や政 治 家 にはどのような責 任 が課 せられるのか」
「国 家 権 力 はこの種 の宗 教 団 体 にどう対 応 したらよいのか」
「地 域 社 会 はこの種 の宗 教 団 体 とどのように共 存 しうるのか」
「この種 の宗 教 団 体 に対 する公 安 警 察 の介 入 はどこまで許 されるのか」
などなど、いくらでも上 げることができる。
この事 件 は、これまで日 本 社 会 が考 えようともしなかったいくつもの問 題 を投 げかけた。戦 後 50 年 の間
に起 こった最 大 の悲 劇 的 な事 件 であったことは間 違 いない。しかもこの事 件 は、日 本 社 会 の根 底 に横
たわっている問 題 を一 度 に噴 き出 させたといってもよい。
このような事 件 を二 度 と繰 り返 してはいけない。そのために宗 教 界 、教 育 家 、警 察 、マスコミ、政 治 家 、
行 政 の指 導 者 、家 庭 、それぞれが自 分 の問 題 として責 任 を感 じるべきだと思 う 。評 論 家 的 な態 度 を捨
て、第 三 者 的 ではなく、共 に痛 みを担 いながら、突 き付 けられた課 題 と取 り組 むことが求 められている。
それぞれが責 任 転 嫁 を止 め、真 正 面 から立 ち向 かわない限 り、類 似 した問 題 が起 こることは避 けられな
い。オウム事 件 の背 景 にあった病 巣 がそのまま温 存 されるからである。
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<キリスト教 への問 い>
では、キリスト教 の一 牧 師 である私 に、オウム事 件 は何 を問 いかけたのか。私 はどのような責 任 を負 っ
ているのか。
ある識 者 がテレビで、「オウム真 理 教 の教 祖 麻 原 彰 晃 がキリスト宣 言 をしたり、聖 書 にあるハルマゲドン
思 想 をふりかざしているのに、キリスト教 側 から反 論 や説 明 が何 もないのはどういうことなのか」と発 言 され
た。牧 師 やクリスチャンである専 門 家 たちもマスコミに登 場 しているので、その発 言 が当 を得 たものかどう
か私 には分 からない。教 会 や牧 師 もこの種 の問 題 に多 くの研 究 を重 ね、真 摯 に問 題 に取 り組 んでいる。
もしかの識 者 のような認 識 が一 般 的 であるなら、誤 解 を解 いていただきたい。そのような印 象 を与 えてい
る責 任 がキリスト教 側 にあるなら、申 し訳 けないと思 う。
オウム真 理 教 については、キリスト教 の立 場 から、たくさん言 わなければならないことが ある。キリストを
一 人 の修 行 者 にしてしまっていること、マタイとヨハネのみ信 頼 できる、などと勝 手 な価 値 判 断 をして新
約 聖 書 を解 釈 していること、ノストラダムスを武 器 にして終 末 を解 釈 していること、仏 教 的 な教 えをごちゃ
混 ぜにしながらヨハネの黙 示 録 を解 説 していること、薬 物 投 与 による儀 式 をキリストイニシエーションと名
づける冒 涜 的 行 為 をしていること、教 義 の重 要 な五 つの柱 のうち三 つまでを聖 書 を引 用 しながら解 説 し
ていることなどなど。
手 もとにある麻 原 教 祖 の 50 冊 ぐらいの書 物 のうち、少 なくとも「キリスト宣 言 シリーズ」の 4 冊 と「終 末 論
シリーズ」の 3 冊 は、キリスト教 側 が反 論 しなければならない書 物 である。必 要 であれば、喜 んで応 じる用
意 がある。
しかしここでは、そのような問 題 を扱 わない。むしろ、オウム真 理 教 が投 げかけた、より根 底 的 な問 題 を
取 り上 げる。それはキリスト教 に突 きつけられた課 題 というより、もう少 し広 く、宗 教 全 体 に突 きつけけられ
たものである。「カルト」あるいは「マインドコントロール」という問 題 である。
<より根 底 的 な問 い>
オウム事 件 は、やがてマスコミの視 界 から消 え、人 々の話 題 からも葬 り去 られることであろう。麻 原 教 祖
が振 りかざした珍 奇 な聖 書 解 釈 など一 瞥 の価 値 もない、と一 笑 にふされる時 が来 る。
しかし、オウムが起 こした事 件 は、一 般 の人 々に一 つの強 烈 な印 象 を与 えた。「宗 教 は恐 ろしい」という
ことである。オウムが投 げかけた個 々の聖 書 解 釈 に答 えることより、人 々の中 に蔓 延 している、このより根
底 的 な宗 教 への疑 義 に答 えることこそ、キリスト教 の牧 師 として、一 宗 教 家 としての責 任 だと思 う。
多 くの方 々が感 じておられるように、私 もまた宗 教 は本 当 に恐 ろしいと感 じている。オウムのように兵 器
まで備 えたり、殺 人 事 件 を犯 したりするのは問 題 外 であるが 、オウム事 件 を契 機 にして、一 般 の人 々が
宗 教 に対 する不 安 感 や不 信 感 を増 大 させていることは間 違 いない。宗 教 は奇 妙 な価 値 観 を教 える、法
外 な寄 付 をさせられる、普 通 の生 活 をできなくさせる、正 常 な判 断 力 を失 わせる、教 祖 や組 織 の言 うこと
に盲 従 させる、正 体 を隠 して勧 誘 してくる、簡 単 には止 めさせてくれない、平 和 な家 庭 を乱 してしまう、な
どなどである。
多 くの人 々は、次 のような素 朴 な質 問 をもっている。いくら信 教 の自 由 を保 障 するといっても、そのよう
なことを許 しておいてよいのだろうか。宗 教 の世 界 、信 仰 の世 界 だからといって、治 外 法 権 を認 めすぎて
いるのではないか。実 際 、宗 教 を隠 れ箕 にして、人 々を欺 いている宗 教 家 や宗 教 団 体 は後 を断 たない
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ではないか。このような状 況 の中 で、信 頼 できる宗 教 とそうでない宗 教 とをどのようにして見 分 けることが
できるのか。
私 は、一 人 の宗 教 家 として、このような問 いに答 える責 任 を感 じている。そこで、このような欺 きが行 な
われている宗 教 を疑 似 宗 教 と呼 び、そうでない宗 教 を真 実 の宗 教 と呼 ぶことにする。では、どのようにす
れば疑 似 宗 教 と真 実 の宗 教 とを見 分 けることができるのか。この疑 問 を解 決 するため、私 は「カルト」と
「マインドコントロール」という二 つの概 念 を導 入 することを提 案 したい。
<宗 教 の在 り方 、布 教 の仕 方 にフォ-カスを>
疑 似 宗 教 という言 葉 は、私 がキリスト教 の牧 師 だからといって、キリスト教 以 外 の宗 教 、仏 教 、イスラム
教 、ユダヤ教 、儒 教 、ヒンドゥー教 などを指 すわけではない。あるいは、それらの伝 統 的 宗 教 から派 生 し
たさまざまの新 しい宗 教 を考 えているわけではない。
私 はここで、それぞれの宗 教 が奉 ずる教 義 を取 り上 げ、その中 でどれが真 理 なのかを論 争 する気 はな
い。むしろ、それぞれの宗 教 の組 織 の在 り方 、布 教 の仕 方 にフォ-カスをあてて 論 じたい。
いうまでもなく、組 織 の在 り方 や布 教 の方 法 は、その宗 教 が奉 ずる教 義 と密 接 に結 びついている。両
者 を切 り離 すことなど、現 実 的 ではない。にもかかわらず、今 はあえて、教 義 の問 題 をもち出 さない。それ
は難 しいことであるが、不 可 能 ではない。私 たちは、東 京 のお茶 の水 にあるビルの一 室 を借 りて、あるカ
ルト集 団 の研 究 会 を開 いている。テープでの受 講 も含 めると、100 人 近 くの方 々が毎 週 学 びあっている。
もう一 年 以 上 続 いているが、受 講 生 の宗 教 はさまざまである。熱 心 な仏 教 徒 もいれば、現 役 の神 主 さん
ご夫 妻 も出 席 している。それぞ れが信 じている教 義 の違 いを乗 り越 えて、カルト集 団 にとらえられている
人 々をどのようにしたら救 出 できるかという共 通 の課 題 に取 り組 んでいる。
<新 しい宗 教 が問 題 なのではない>
宗 教 は時 代 の中 で生 きていくものである。多 くの宗 教 は、その根 本 的 教 義 を変 更 することなく、その時
代 の潮 流 に適 応 していく。それはごく自 然 なことで、大 方 の人 々に受 け入 れられる。しかし、ある人 たち
はそのような流 れに満 足 しないで、その宗 教 の出 発 点 原 点 、真 の精 神 を回 復 したい、と考 える。このよう
な「原 点 回 帰 運 動 」はどの宗 教 にも、どの宗 派 にも起 こる。
また、ある人 々は、それまで継 承 されてきた「伝 統 的 な教 義 解 釈 」に不 満 を覚 える。そして、受 け継 いだ
教 義 を新 しく解 釈 し直 し、伝 統 的 な教 団 から分 離 する。その解 釈 のし直 しが小 さければ「分 派 」、大 きけ
れば「独 自 の宗 教 」になる。いずれにしろ、そのようなグループは自 らの存 在 感 を世 にアピールするため、
特 異 性 を強 調 する。その結 果 、伝 統 的 なグループとの間 に摩 擦 が生 じる。戦 後 間 もなく、日 本 に宗 教 ブ
ームをもたらした宗 教 団 体 の多 くはこのようなグループである。
さらに別 の人 は、ある一 つの宗 教 の教 義 を新 しく解 釈 し直 すだけでは不 十 分 だと考 える。彼 らは、一
つの宗 教 の教 義 に縛 られないで、いくつかの宗 教 を混 合 して新 しい宗 教 をつくる。それは、いろいろな
宗 教 の中 から良 いところだけをつまみ食 いしただけの「宗 教 混 合 (シンクレティズム)」なのだが、その宗
教 教 団 のリーダーたちは「宗 教 統 合 」と呼 ぶ。教 祖 が自 己 の宗 教 体 験 に基 づいて、それまで異 質 だと考
えられていた宗 教 を一 つに体 系 化 してしまうからである。最 近 の新 ・新 宗 教 、ニューエイジと言 われる運
動 の多 くは、この類 に属 する。そこでは、仏 教 とキリスト教 、神 と本 当 の自 己 、自 然 と超 自 然 、合 理 主 義
と神 秘 主 義 、オカルティズムとコンピュータ世 界 、宗 教 と科 学 などの区 別 がなくなりつつある。
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こ の よ う な新 しい 宗 教 運 動 を危 険 視 す る だ けで は 何 の 問 題 も 解 決 しな い 。 それ らの 宗 教 の 多 く は 、
人 々のニーズに応 えようとして起 こったものだからである。そのような宗 教 が既 成 の観 念 、既 存 の価 値 観 、
それまでのライフスタイルに挑 戦 状 をたたきつけるのは、宗 教 である限 り当 然 のことである。宗 教 は、個 人
の魂 の平 安 にとどまらず、現 実 に存 在 する周 囲 の社 会 に根 源 的 な問 いを発 するものだからである。既 存
の秩 序 に生 きる者 には、それらは特 異 なもの、危 険 なもの、日 常 生 活 を乱 すも のと感 じるだろう。しかし、
それらが既 存 のものとは異 質 であるというだけで裁 いてはいけない。社 会 はそれらを容 認 するだけではな
く、保 障 する必 要 がある。それこそ「信 教 の自 由 」に属 する問 題 である。
<検 証 、対 話 、公 開 討 論 会 の必 要 性 >
新 しい宗 教 が起 こること、それ自 体 に問 題 があるわけではない。しかもその宗 教 がどのようなことを信 じ
ても、それは保 障 されなければならない。といっても、その宗 教 の教 義 が客 観 的 な真 理 でなくてもよい、と
言 っているわけではない。いかなる人 であれ、団 体 であれ、いいかげんなことや偽 りを言 うことは許 さ れな
い。宗 教 的 真 理 を学 問 的 に検 証 しうると考 えることは愚 かであるが、だからといって、学 問 的 に明 らかに
正 しくないことを言 っても、宗 教 であるが故 に何 の責 任 も問 われない、というのもおかしな話 である。
宗 教 は理 性 的 判 断 を超 えた世 界 を問 題 にする。それは信 じる世 界 であり、決 断 の世 界 である。試 行
錯 誤 を繰 り返 しながら真 理 に到 達 するという学 問 の世 界 とは異 なる。しかし、信 者 は宗 教 活 動 の多 くを
理 性 によって実 践 しており、その教 義 もまた理 性 によって認 識 している。超 自 然 的 な体 験 を無 視 するこ
とは間 違 っているが、同 時 に、理 性 によって扱 われうる部 分 で理 性 的 な対 応 を回 避 し、責 任 逃 れをする
ことは許 されない。
今 日 の宗 教 界 は、ほとんど対 話 や論 争 をしない。一 つの教 団 の中 でさえ、教 理 理 解 や信 条 内 容 に関
して真 摯 な議 論 を戦 わすことはまれである。まして、宗 教 が違 ってしまうなら絶 望 的 状 態 である。宗 教 の
世 界 にも、一 部 には学 会 なるものがある。しかし、それは同 じ宗 教 内 に限 られている。宗 教 学 を専 攻 して
いる学 者 たちは、宗 教 を超 えて、さまざまな宗 教 団 体 の問 題 を論 じている。しかし、一 つの宗 教 に生 きる
教 職 者 や信 者 は、自 分 たちとは違 った宗 教 の人 々と対 峙 し、それぞれが主 張 す る教 義 の真 偽 性 を論 じ
たり、共 通 のテーマに取 り組 もうとはしていない。宗 教 界 が社 会 的 信 用 を得 られない一 つの理 由 がここ
にあることは言 うまでもない。今 後 、公 開 討 論 会 などを開 き、異 なる宗 教 間 の対 話 を進 めていく必 要 があ
るであろう。
<宗 教 の中 にある欺 き>
新 しい宗 教 を研 究 する場 合 、その宗 教 が何 を信 じるのかという教 義 的 問 題 がより重 要 で、より根 源 的
であることは論 をまたない。しかし、今 ここでは、何 を信 じるかという教 義 の点 は棚 上 げにしておきたい。そ
して、その教 義 をどのように信 じるかという点 にだけ問 題 をしぼることにする。も う少 し具 体 的 に言 えば、あ
る宗 教 をどのように信 じさせるか、一 旦 信 じた人 をどのように信 じさせ続 けるか、脱 会 したいと言 う人 にど
のように対 応 しているのか、といった宗 教 団 体 の活 動 面 を取 り上 げたいのである。
宗 教 団 体 の中 には、布 教 に全 然 関 心 を示 さない宗 教 もある。しかしそれは、例 外 であろう。多 くの宗 教
は、一 人 でも多 くの信 者 を獲 得 しようと努 力 している。その布 教 にあたって、その宗 教 のメンバーが良 識
の範 囲 で活 動 しているなら問 題 はないであろう。ところが、もし人 の弱 みにつけ込 んで勧 誘 するようなこと
があったらどうだろう。宗 教 団 体 の名 を隠 して、宗 教 とは全 く関 係 のない音 楽 会 や講 演 会 などを開 いて
住 所 を記 入 させ、後 になってそれを宗 教 団 体 の勧 誘 に利 用 するとしたらどうだろう。
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信 者 が信 仰 をもち続 けるために、宗 教 教 団 がさまざまの努 力 をすることは当 然 である。しかし、集 会 に
出 席 しないと罰 が当 るとか、不 幸 なことが起 こるなどと脅 かすことは許 されるだろうか。あるいはまた、自 分
たちの宗 教 に反 対 する情 報 は悪 魔 からのものであるとして、外 部 から入 る情 報 には一 切 耳 を傾 けないよ
う指 導 することに問 題 はないのだろうか。さらにまた、信 者 が組 織 内 の規 律 を破 った場 合 、その 宗 教 団
体 は信 者 に対 してどのような処 分 をすることまで許 されるのだろうか。
どのような宗 教 団 体 であっても、信 者 が脱 会 することは防 ぎたいものである。しかしそのためにしてよい
ことと、してはいけないことがあるはずである。脱 会 を防 ぐために、組 織 から離 れた人 を悪 く言 ったり、偽 り
の情 報 を流 すことは許 されるのだろうか。組 織 を離 れないよう恐 怖 心 でつなぎとめることは、どこまで許 さ
れるのだろうか。
ある宗 教 は、その組 織 を止 めた人 とは、例 え兄 弟 であっても、親 子 であっても、口 をきくことも、挨 拶 す
ることも許 さない。教 団 が信 者 を組 織 から離 脱 した人 に接 触 させたくないというのはよく分 かる。しかし、
そこまで家 族 の絆 を断 つ権 限 を宗 教 集 団 はもっているのだろうか。
<宗 教 の倫 理 の必 要 性 >
ビジネスの世 界 には、ビジネスのルールがある。詐 欺 まがいの商 いをすれば、法 の裁 きを受 けねばなら
ない。学 問 の世 界 も同 様 である。そのルールを破 れば、学 者 としての信 用 を失 う。マスコミの世 界 も同 じ
である。社 会 のどの分 野 であっても、それぞれの世 界 において倫 理 基 準 がある。医 学 の世 界 には医 の
倫 理 がある。法 律 の世 界 にも法 の倫 理 がある。科 学 の世 界 にも科 学 者 の倫 理 が存 在 する。 むろん、そ
のような倫 理 は永 久 不 変 ではない。時 に、その世 界 を二 分 するような微 妙 な問 題 を論 争 することもある。
社 会 の変 化 につれ、かつての倫 理 基 準 を変 更 しなければならない事 態 も生 じる。例 えそうであっても、そ
れぞれの世 界 で、その分 野 特 有 の倫 理 規 定 をつくる努 力 をしている。もしそれがなければ歯 止 めがきか
なくなり、暴 走 する危 険 性 がある。
宗 教 の世 界 を全 く同 じように考 えることはできない。他 のすべての分 野 は、ある程 度 同 じ常 識 的 な世
界 観 、価 値 観 、倫 理 観 を前 提 としている。ところが、宗 教 の世 界 は、その常 識 な世 界 観 、価 値 観 、倫 理
観 をも問 い直 し、より根 底 的 な生 き方 に迫 るからである。しかしそれにしても、信 教 の自 由 という錦 の御
旗 を隠 れ箕 にして、宗 教 がしたい放 題 のことをすれば、社 会 から葬 り去 られてしまう。そこまでいかなくて
も、良 識 ある人 々から、宗 教 は胡 散 臭 いもので近 づかない方 がよい、と絶 縁 状 をたたきつけられてしまう。
日 本 社 会 において宗 教 に対 する評 価 が極 端 に低 いのは、宗 教 の倫 理 が欠 如 しているからである。
それは新 しく起 こった宗 教 に固 有 の問 題 だというわけではない。伝 統 的 な既 成 宗 教 にも当 てはまる。
歴 史 を重 ねた宗 教 は、その長 い歩 みの中 で社 会 的 に 認 知 されてきているので、新 しい宗 教 ほど非 社 会
的 なことはしない。しかし、多 くの伝 統 的 宗 教 もまた、教 団 の維 持 に忙 殺 され、さまざまの既 得 権 を失 わ
ないよう自 己 保 身 的 で、宗 教 の倫 理 (内 容 に何 を考 えるかは別 にして)に対 しては無 関 心 であるか、大
変 甘 いと言 わなければならない。
宗 教 の倫 理 は、宗 教 集 団 の自 己 規 制 の問 題 である。間 違 っても、国 家 権 力 や政 治 的 圧 力 によって
左 右 されてはならない。宗 教 家 たちがこの問 題 に目 ざめ、責 任 ある態 度 をとらなければ、外 圧 を受 ける
口 実 を与 えることになる。それは絶 対 に避 けなければならない。宗 教 家 は、 一 般 社 会 よりはるかに高 い
倫 理 基 準 をもっているはずである。良 心 の世 界 に生 きる者 が、非 倫 理 的 な行 動 をして法 の世 界 に引 き
ずり出 されるようなことがあれば、それだけで宗 教 家 失 格 である。
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ところが、現 代 のある宗 教 グループは、この宗 教 の倫 理 を無 視 している。多 くの場 合 、それは無 自 覚 と
いうより、意 図 的 である。私 はこのような宗 教 集 団 を「カルト教 団 」と呼 びたい。次 章 で、カルト教 団 につい
て解 明 したいと思 う。
第 二 章 カルトとは何 か
<アメリカにはじまるカルト>
カルトグループの活 動 は、年 を追 うごとに盛 んになっている。 それは、信 教 の自 由 を建 国 の理 念 とする
アメリカに端 を発 した。そして、ヨーロッパ、アジア、全 世 界 的 な広 がりを見 せている。特 に最 近 では、共
産 主 義 崩 壊 後 のロシアや東 欧 諸 国 において目 立 っている。
アメリカにおいては、1800 年 代 の半 ばにいくつかのキリスト教 系 のカルトが誕 生 した。それらのグループ
は、今 世 紀 前 半 までは、異 端 的 教 義 が主 として問 題 にされ、今 日 言 われるような意 味 でのカルトとして
の要 素 には、さほど注 目 されなかった。
ところが、60 年 代 の半 ばにジョンソン政 権 が「アジア人 移 民 制 限 法 」を撤 廃 した頃 から、東 洋 系 カ ルト
の活 動 が目 立 つようになった。それを契 機 に、それまでなりをひそめていたキリスト教 系 の異 端 グループ
も、カルト的 要 素 を強 めていく。さらに、新 しいさまざまのカルトグループが誕 生 し、 70 年 代 に入 るとカルト
の隆 盛 をとどめることができなくなる。80 年 代 には全 盛 時 代 を迎 え、あるグループは閉 鎖 的 過 激 化 の一
途 をたどり、社 会 問 題 化 していく。
現 在 のアメリカには、2000 以 上 のカルト教 団 が存 在 する。その多 くは合 法 的 な範 囲 で活 動 している。し
かし、政 府 のカルト問 題 委 員 会 の顧 問 をしているカリフォルニア大 学 のリチャードオフシュ教 授 によれば、
狂 信 的 暴 力 的 過 激 集 団 になりうる教 団 は、200 におよぶという。別 の学 者 によれば、その数 はもっと多
い。
<定 義 の必 要 性 >
世 界 にいくつぐらいのカルト教 団 があるのか、その実 態 がどのようなものなのかは正 確 にはつかめてい
ない。その数 は 3000 から 5000 とも言 われる。それほど数 にバラつきがあるのは、カルトが秘 密 主 義 という
特 性 を有 していて、調 査 しにくいことにある。
さらに、カルト教 団 の出 没 が激 しいことも別 の要 因 である。ある学 者 は、毎 日 一 つ ずつ新 しいカルトが
誕 生 している、と述 べている。しかも、宗 教 教 団 は生 き物 である。その組 織 は常 に変 質 する可 能 性 を秘
めている。ある時 点 まではカルトに数 えられていなかった教 団 でも、何 かをきっかけにカルト化 することは
よくある。
しかし、カルト教 団 の数 がはっきりしない決 定 的 な理 由 は、「カルト」という言 葉 の定 義 があいまいだから
である。カルトの定 義 次 第 で、あるグループはカルト教 団 に数 えられたり、そうでなくなったりする。しかも、
どのように定 義 したとしても、ボーダーライン上 のグループが存 在 することは避 けられない。
<カルト研 究 機 関 の活 動 >
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このようなカルト集 団 の動 向 に合 わせて、カルトを監 視 する、調 査 研 究 する、あるいはカルト教 団 のメン
バーに伝 道 するというグループが誕 生 した。それに携 わる人 々の中 には、かつてカルトを経 験 し、今 はそ
こから開 放 された人 々も多 い。60 年 代 の半 ばには、すでにそのはしりを見 ることができるが、こちらの動 き
もカルト教 団 の動 向 に合 わせるかのように年 々活 発 になっていく。アメリカ宗 教 センターが調 査 した
『1993 年 のカルト研 究 組 織 の年 鑑 』によれば、そのようなグループは、全 世 界 に 693 も存 在 する。むろん
その大 半 はアメリカにある。これらのグループは、被 害 者 の家 族 が中 心 になってい るもの、心 理 学 を専 攻
したカウンセラーによるもの、カルト集 団 からの救 出 を目 的 としたキリスト教 の教 会 を主 体 にしたものなどさ
まざまである。
このように世 界 中 に広 がっているカルト研 究 機 関 は、さまざまな定 期 刊 行 物 、あるいは書 籍 やビデオな
どを通 じて、カルト教 団 の動 向 を報 じている。さらに、さまざまな国 際 会 議 を開 き、情 報 交 換 を積 極 的 に
すすめて、ネットワークづくりに励 んでいる。その集 いも、学 術 的 色 彩 の強 い学 会 のようなものから、カルト
集 団 の人 たちを招 いて救 出 することを目 的 としているものまで、大 変 幅 広 い。
<カルト研 究 不 在 だった日 本 >
その年 鑑 に紹 介 されている日 本 のグループはたった一 つ、エホバの証 人 伝 道 に取 り組 んでいる『真 理
のみことば協 会 』のみである。これまで日 本 においては、カルトの研 究 はほとんどなされてこなかったと言
わなければならない。世 界 的 潮 流 から見 れば、文 字 どおり孤 児 の感 がある。とはいえ、カルト研 究 が遅 れ
てきたことをマイナス評 価 するだけでは片 手 落 ちである。これまでの日 本 における宗 教 教 団 の活 動 にお
いて、カルト的 要 素 がクローズアップされなかったことは喜 ばしいことなのかも知 れない。
日 本 においても、明 治 時 代 以 降 、数 多 くの新 しい宗 教 団 体 が生 まれた。さらに第 二 次 世 界 大 戦 直 後
は、戦 前 の宗 教 団 体 も息 を吹 き返 してきたのに加 え、新 興 宗 教 も活 発 になり、第 二 次 宗 教 ブームを迎
えた。加 えて、70~80 年 代 にかけては、「新 新 宗 教 」と言 われるグループが雨 後 の竹 の子 のように次 々と
生 まれ、第 三 次 宗 教 ブームなどと騒 がれた。一 部 には、宗 教 ビジネスと陰 口 を言 われような、宗 教 団 体
と呼 ぶには首 をかしげたくなるようなグループもあり、また宗 教 法 人 の税 制 を悪 用 する人 たちまで登 場 し
た。
これらの明 治 以 降 に起 こった新 しい宗 教 団 体 の中 には、教 義 がラディカルで、狂 信 的 な危 険 分 子 と
見 られる団 体 もなかったわけではない。あるいは、その布 教 活 動 において社 会 的 な問 題 を起 こしたグル
ープもあった。しかし、欧 米 の宗 教 学 者 が「カルト」という言 葉 を使 わざるをえないような要 素 が問 題 にな
ることはほとんどなかった。
<カルトに着 目 する必 要 性 >
しかし、オウム事 件 以 降 、日 本 の社 会 も変 わった。「カルト」あるいは「マインドコントロール」という言 葉
をごく日 常 的 に使 うようになった。これは日 本 の宗 教 研 究 において、画 期 的 な出 来 事 である。といっても、
それはよい意 味 ではなく、欧 米 の宗 教 研 究 の後 追 いをしなければならないという、残 念 な意 味 において
である。
むろん、オウム事 件 が「カルト」あるいは「マインドコントロール」という問 題 をはじめて突 きつけたわけで
はない。数 年 前 、統 一 教 会 の霊 感 商 法 や集 団 結 婚 式 が話 題 になったとき、「マインドコントロール」に関
する書 物 が出 版 された。あるいは、輸 血 拒 否 事 件 や家 庭 破 壊 という問 題 でエホバの証 人 の家 族 から相
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談 を受 けた人 々は、この問 題 と真 剣 に取 り組 み、研 究 してきた。しかしそれは一 部 の人 の間 で話 題 にな
っただけで、社 会 全 般 における関 心 事 にまではならなかった。
しかも、その時 には、それぞれの宗 教 団 体 の特 異 な問 題 として片 づけてしまった。つまり、特 定 の宗 教
の教 義 や活 動 の仕 方 として個 別 に扱 ってしまい、カルト教 団 に内 包 する共 通 の問 題 にまで目 を留 めな
かった。もし今 回 もまた、「カルト教 団 」に共 通 する問 題 点 を論 じ、討 議 を重 ねないなら、現 代 社 会 がか
かえている宗 教 問 題 の病 巣 に迫 ることはできない。その結 果 、オウム問 題 に対 する認 識 も皮 相 的 なもの
に終 止 し、この種 の宗 教 の再 発 を防 ぐことができないことになる。
宗 教 は恐 ろしい、だから宗 教 には近 づかない方 がよい、そう思 うだけでは問 題 の解 決 はない。宗 教 を
みくびってはいけない。宗 教 家 である私 がびっくりするほど、本 来 人 間 は宗 教 的 な存 在 である。あるいは
一 見 非 宗 教 的 に見 える人 も、きっかけさえあれば、宗 教 的 存 在 になる。超 常 現 象 、神 秘 体 験 、オカルト
的 世 界 、本 当 の自 己 を発 見 したいという、いわゆる「精 神 世 界 」への渇 望 は、若 者 を中 心 としてではある
が、今 後 増 えこそすれ、減 ることはない。もし宗 教 界 がこのようなニーズに気 づき、彼 らの欲 求 を軌 道 修
正 させた上 で、それに答 える努 力 をしなければ、問 題 は何 一 つ解 決 しない。
<カルトのさまざまな定 義 >
「カルト」という言 葉 の使 い方 は、人 によってまちまちである。従 って、その定 義 を明 確 にして使 わなけれ
ば、混 乱 するだけである。「カルト」という言 葉 は、ラテン語 の「クルトゥス」に由 来 する。それはもともと「礼
拝 、儀 式 、崇 拝 、礼 賛 」などを意 味 した。しかし、今 では一 般 に、そのような意 味 では使 わない。
ある人 々はこの言 葉 を「古 い宗 教 に対 立 して起 こった新 しい宗 教 」という意 味 で使 う。先 日 も、ある方 が
新 聞 で、「キリスト教 もイエスの時 代 はカルトだった」と発 言 していた。その場 合 、カルトが新 興 宗 教 を意
味 していることは明 らかである。もしカルトをそのように理 解 するなら、すべての宗 教 にはカルト時 代 があり、
その宗 教 は時 間 とともにカルトでなくなる、ということになる。しかし、今 日 のカルト研 究 家 たちは、カルトと
いう言 葉 を、このような意 味 では使 っていない。
欧 米 のあるカルト研 究 者 は、「カルト」を「キリスト教 の異 端 」という意 味 で使 っている。例 えば、カルト問
題 研 究 の草 分 け的 存 在 と言 われるワルターマーティン博 士 は「聖 書 の根 本 的 教 理 を否 定 するか、誤 解
しているリーダーのもとに集 まっている宗 教 的 グループ」と定 義 している。あるいはカルト研 究 家 の代 表 的
な学 者 ハロルドブッセル博 士 もまた「使 徒 信 条 で告 白 されている歴 史 的 キリスト教 と明 白 に矛 盾 するよう
な信 仰 内 容 と実 践 を主 張 している宗 教 的 グループ」と理 解 している。
キリスト教 の立 場 に立 てば、「カルトの定 義 において最 も重 要 な構 成 要 素 は、神 学 的 なもの」(ロナルド
エンロス『カルトとは何 か』参 照 )であろう。しかし、それでは現 代 のカルト研 究 家 が研 究 対 象 にしている
多 くのグループが土 俵 に上 がってこない。彼 らは、聖 書 や神 学 といった教 義 的 内 容 を問 題 としないで、
宗 教 集 団 の活 動 における社 会 的 心 理 的 特 質 を取 り上 げているからである。
<カルトの定 義 (提 案 )>
オウム真 理 教 の問 題 以 来 、日 本 のマスコミをはじめ、識 者 たちは「カルト」という言 葉 を「閉 鎖 的 破 壊 的
な宗 教 」という意 味 で使 っている。それは、基 本 的 に欧 米 のカルト研 究 家 たちの使 い方 でもある。
この場 合 、「破 壊 的 」という言 葉 は二 つの内 容 を含 む。一 つは、ある人 がその宗 教 集 団 に入 信 すると、
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その人 がもっていた本 来 の人 格 が破 壊 され、その宗 教 集 団 が目 論 んだ人 格 に置 き換 えられてしまうとい
うことである。もう一 つは、その宗 教 集 団 以 外 のすべての世 界 を自 分 たちに対 立 するもの、迫 害 者 、呪 わ
れるべきもの、サタンと見 なし、そのような外 的 世 界 を破 壊 しなければなら ないと考 えるようになる、というこ
とである。
そのような「カルト」理 解 に立 って、「カルト」を次 のように定 義 する。
『カルトとは、何 らかの欺 きを伴 った手 段 によって、あるリーダーまたは組 織 のもとに人 を集 め、マインドコ
ントロールの技 法 を用 いて、その教 義 およびリーダーを無 批 判 に受 容 させ、その集 団 以 外 の情 報 はす
べて操 作 されている(あるいは偏 見 に基 づいている)として遮 断 し、その集 団 がすべての世 界 であるかの
ように生 活 することを求 める宗 教 教 団 である。』
この定 義 によれば、カルト教 団 とは、欺 きを伴 った勧 誘 、権 威 主 義 的 リ ーダーの存 在 、マインドコントロ
ールの利 用 、盲 目 的 服 従 の要 請 、情 報 の遮 断 、同 質 群 の人 々による共 同 体 の形 成 などをその特 性 と
している。もちろん、カルトと言 われる教 団 が、これら全 部 の特 性 を持 ち合 わせているわけではない。ある
宗 教 団 体 がここに指 摘 された特 性 のいくつかを示 すなら、そのグループをカルト教 団 と呼 ぶべきであろ
う。
<どのグループがカルトか>
ある教 団 をカルトグループに入 れるかどうかは難 しい問 題 である。誰 もがカルト教 団 と認 めるグループに
おいてさえ、先 の定 義 で触 れた特 性 を認 めることができるというわけではないか らである。というのは、ほと
んどのカルト教 団 は、外 部 の人 からカルトに見 られないよう、細 心 の注 意 を払 っている。従 って、ある教
団 にこれらの特 性 の一 つ一 つが個 別 に存 在 するかを詮 索 するより、その教 団 の活 動 が、全 体 としてカル
ト的 要 素 を表 しているかどうかを見 きわめねばならない。
「カルト」という言 葉 は不 名 誉 な響 きを伴 っている。だから、外 部 からカルトと呼 ばれる宗 教 教 団 であっ
ても、自 らがカルトであるとは認 めないものである。従 って、私 たちは、教 団 の弁 明 を鵜 呑 みにせず、その
教 団 の活 動 の全 体 像 を把 握 して、正 確 に判 断 しなければならない。誰 もが異 論 なくカルトと呼 ばねばな
らないグループもある。しかし、カルト的 要 素 が強 くても、カルト教 団 と呼 ぶには慎 重 であった方 がよいケ
ースもある。レッテル張 りは分 類 を前 提 とする。その場 合 、微 妙 なゾーンが存 在 することは避 けられない。
ある宗 教 教 団 に「カルト」というレッテルを貼 るかどうかは大 きな問 題 ではない。どのようなレッテルが貼
られようと、先 に述 べた特 性 が、ある宗 教 教 団 の活 動 のうちに見 出 されるなら、その宗 教 は健 全 とは言 え
ない。そのような欺 きの活 動 を直 すべきである。あるいは、そのような欺 きの行 為 を直 す気 が ないのであ
れば、これから勧 誘 しようとする人 や信 者 でもはじめの段 階 の人 には隠 すというようなことは止 め、すべて
を明 らかにして布 教 すべきである。
<カルト教 団 の特 色 >
カルト教 団 の特 性 についてもう少 し具 体 的 に述 べてみよう。
①権 威 主 義 的 なリーダー
カルトには、その組 織 内 の人 々に対 し、絶 対 的 な忠 誠 を強 いる中 心 的 なリーダーが存 在 する。その人
物 は、宗 教 的 教 義 および組 織 の活 動 の決 定 において絶 対 的 権 威 をもっている。その権 威 はリーダーの
特 別 な宗 教 体 験 、あるいはカリスマ性 に基 づいており、終 身 性 が普 通 である。メンバーは リーダーに対 し
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て疑 問 をもったり、反 抗 することは許 されない。絶 対 服 従 が強 いられる。
教 団 の歴 史 とともに、リーダーシップの形 態 は変 化 する。通 常 、最 終 的 権 威 をもつリーダーは一 人 だ
が、そのリーダーが死 亡 すると、集 団 指 導 体 制 になることが多 い。どのような形 態 をとるにしても、その集
団 がカルト教 団 である限 り、そのリーダー(あるいは複 数 )は絶 対 的 権 威 を継 承 する。
多 くの場 合 、リーダーは特 別 なタイトルをもっている。例 えば、ジョンロバートスティーブン(生 ける言 葉
の教 会 のリーダー)は「使 徒 」、グルマハライジ(神 の光 のミッションのリーダー)は「完 全 な主 」、モバーグ
(神 の教 会 のリーダー)は「父 ダビデ」、文 鮮 明 (統 一 教 会 のリーダー)は「お父 様 」、麻 原 彰 晃 (オウム真
理 教 のリーダー)は「尊 師 」、大 川 隆 法 (幸 福 の科 学 のリーダー)は、「エルカンターレ」である。エホバの
証 人 のリーダーは「統 治 体 」と呼 ばれている。
②教 義 は絶 対 で、真 理 はその組 織 に占 有 されている
カルトにおいては、リーダーは神 (この神 概 念 は宗 教 集 団 によって違 うので、ここではその内 容 は問 わ
ない)に選 ばれた特 別 な存 在 である。神 はそのリーダーを通 してのみ語 る。従 って、そのカルト教 団 の信
者 のみが真 理 を保 有 し、継 承 することができる。組 織 外 の人 がその真 理 を手 にする可 能 性 は全 くない。
真 理 はその組 織 の占 有 物 で、その組 織 を離 れては存 在 しない。他 の集 団 が説 くものは、それがどのよう
な組 織 であっても、どのような内 容 であっても、偽 りの教 えである。
カルト教 団 の内 部 では、「その真 理 」は検 証 されたり、批 判 されることはない。カルトのリーダーは、その
教 えを変 えたり、後 戻 りさせたり、それまでと全 く矛 盾 することをしばしば教 えるが、そんな場 合 でも、さま
ざまな言 い訳 をして正 当 化 してしまう。例 えば、以 前 は受 け止 める 人 々に理 解 する力 がなかったのでそ
こまでは明 らかにしなかったとか、すべてのことを一 度 に啓 示 すると理 解 しにくいので徐 々に新 しい光 を
示 しているとか、教 祖 の力 が働 いて神 の意 志 が変 更 された、などである。普 通 の社 会 では、「間 違 いでし
た、勘 違 いでした」と謝 罪 すべきところだが、それではリーダーの権 威 が失 墜 してしまう。カルト教 団 では、
リーダーの権 威 を守 らねばならないので、絶 対 にそんなことは言 わない。
これまでしばしば、教 団 が信 ずる教 理 や見 解 を変 更 してきたあるカルト教 団 は、タッキング理 論 を持 ち
出 す。ヨットは、帆 が風 の力 を受 けて、右 に揺 れ、左 に揺 れながら前 進 していく。同 じように、真 理 もいろ
いろ変 更 されながら、次 第 に明 らかになっていく、というのである。教 団 内 の信 者 は、このタッキング理 論
によって、いとも簡 単 にだまされてしまう。はじめに言 っていたことが途 中 で変 更 になり、再 びはじめに言
っていたことに戻 るなどタッキングとは全 く違 うではないか、と外 部 の人 が指 摘 しても、信 者 はおかしいと
思 わないのである。否 、間 違 ったことを正 直 に認 めるのだから、自 分 たちのグループは神 の潔 い組 織 で
ある、次 にどのような新 しい光 が与 えられるのかを楽 しみにして待 ってい る、などと開 き直 る。あいた口 が
ふさがらない。
カルト教 団 は、外 部 からの批 判 を問 題 にしない。彼 らにとっては、もともと外 部 の人 たちは真 理 を理 解
する力 などなく、耳 を傾 けねばならないような相 手 ではない。外 部 の人 たちによる客 観 的 な情 報 、学 問
的 判 断 、常 識 的 推 測 も気 にしない。常 識 こそサタンが用 いる武 器 であり、外 部 の情 報 を得 たいと思 うこと
自 体 がサタンの誘 惑 であり、罪 である。信 者 になると、カルトの生 活 がすべてであり、外 部 の世 界 がどう
考 えようとかまわなくなってくる。仲 間 同 志 で通 じればそれで十 分 なのである。
宗 教 は、それが宗 教 である限 り、自 らの奉 ずる教 義 を絶 対 化 する。これは当 然 のことである。しかしそ
の場 合 、信 じる内 容 である教 義 と、その教 義 を信 じさせる組 織 とは区 別 しておかねばならない。普 通 の
宗 教 教 団 においては、前 者 の絶 対 性 を主 張 しても、後 者 の絶 対 性 までも主 張 することはない。しかし、
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カルト教 団 はその両 者 において絶 対 化 を主 張 する。
③閉 鎖 的 秘 密 主 義 である
カルト教 団 は、他 の教 団 が主 張 しない独 特 な教 義 を説 いている。その独 特 な教 義 は一 見 もっともらしく
見 えるが、その道 の専 門 家 から見 れば、全 くデタラメな解 釈 がほとんどである。しかし一 般 の人 は、そのこ
とについての知 識 が何 もないので、教 えられたことを鵜 呑 みにしてしまう。
例 えば、キリストの弟 子 はキリストを裏 切 ったのだから、そのような弟 子 たちが書 いた書 物 は新 約 聖 書 で
あっても価 値 はない。しかし、イエスの言 葉 が残 されているマタイの福 音 書 とヨハネの福 音 書 はよろしい。
それにヨハネの黙 示 録 は預 言 がなされているから価 値 がある、などと麻 原 彰 晃 が言 えば、ほとんどの人
はああそうか、と納 得 してしまう。聖 書 の正 しい読 み方 を知 らないからである。カルトのリーダーが、聖 書 の
言 葉 を自 分 たちに都 合 よくねじ曲 げて解 説 しても、それに気 づく人 はほとんどいない。
これだけ情 報 が多 いと、一 般 の人 が個 々の情 報 の真 偽 を選 別 することは不 可 能 である。その結 果 、一
つ一 つの情 報 を確 かめることを止 め、信 頼 できる情 報 源 を求 めるようになる。情 報 化 社 会 においてはこ
れはやむを得 ないことかもしれない。しかし、信 頼 できる情 報 源 であっても、なお、自 己 の責 任 を放 棄 し
てはいけない。個 人 はそれぞれの目 と耳 でその情 報 源 からの情 報 を一 つ一 つチェックする責 任 がある。
しかし、カルト教 団 は反 対 の姿 勢 をとる。自 分 の意 見 をもつことは不 遜 なのである。カルトのリーダーは、
自 分 の意 見 に盲 目 的 に従 わない人 は、「独 立 した考 え」をもとうとする人 であり、不 従 順 で、高 慢 な人 だ
と断 罪 する。
さらに、多 くのカルト教 団 では、その教 義 を展 開 するのに特 殊 な言 葉 を使 う。そのことは、組 織 の中 に
いる人 に対 して、教 義 が神 聖 で、ありがたい特 別 なもの、という印 象 を与 える。信 者 たちはその言 葉 を使
うことによって、外 部 の人 に対 する選 民 意 識 、エリート意 識 を感 じる。反 対 にそのような言 葉 は、外 部 の
人 がそのカルト教 団 とコミュニケーションをとるための障 害 になる。カルト組 織 が秘 密 主 義 に映 る一 つの
理 由 は、このような言 葉 の壁 にある。
カルト教 団 が、それまで使 われてきた用 語 を用 いる場 合 でも、その言 葉 の伝 統 的 な内 容 とは違 う意 味
で使 うことが少 なくない。このことは、新 しい言 葉 が使 われる以 上 に、やっかいな問 題 を引 き起 こす。カル
ト内 の人 と外 の人 との相 互 理 解 や対 話 を困 難 にさせてしまうからである。というのは、それぞれが自 分 の
理 解 した仕 方 で言 葉 を使 うので、議 論 がすれ違 ってしまうのである。しかも、このすれ違 いの理 由 が使 っ
ている言 葉 の意 味 内 容 が違 っていることに基 づくとは思 っていないので、両 者 の間 に不 信 感 が増 幅 す
る。
私 は、一 人 の方 と三 位 一 体 について話 をし続 けた。ところがある時 、相 手 が考 えている(つまり彼 の所
属 するカルト教 団 が教 えている)三 位 一 体 と私 が信 じる三 位 一 体 とは、同 じ言 葉 を使 いながら、中 味 が
全 然 違 っていることに気 がついた。なんとそれまで、私 たちは半 年 間 不 毛 な議 論 を重 ねていたのである。
カルト集 団 の人 と話 した外 部 の人 から、接 点 がない、宇 宙 人 と話 をしているみたいだ、平 行 線 に終 わっ
て空 しさだけが残 る、などという感 想 をよく聞 く。その大 きな原 因 は、同 じ言 葉 を使 っても、指 し示 している
内 容 が違 うことにある。しかも、このようなコミュニケーションの断 絶 は偶 発 的 な ものではなく、カルト教 団
が目 論 んでいることである。それは、組 織 の信 者 を外 部 世 界 から隔 離 するための重 要 な戦 略 の一 部 で
ある。
④生 活 への細 かな規 則 を設 ける
多 くの人 は、カルト教 団 は破 壊 的 な信 仰 であるから、その信 者 のライフスタイルはデタラメなものである
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はずだと、勝 手 に決 め込 んでいる。私 はこれまでいくつかのカルト教 団 の信 者 と接 触 してきたが、私 の知
る限 り、実 際 は正 反 対 である。むろん、教 団 によっていろいろな点 での違 いはあるが、概 して言 えば、カ
ルト教 団 は、信 者 の生 活 のかなり細 かな点 に至 るまで統 制 している。あるグループ は、厳 しい私 立 中 学
の校 則 以 上 の規 制 を信 者 に課 している。
例 えば、スーツとネクタイを着 用 すること、髪 の毛 の長 さは耳 が見 えるようにしておくこと、派 手 な服 装 は
しないこと、女 性 のズボンは体 の線 が見 えないこと、デートをするには許 可 をもらうこと、テレビや新 聞 は
見 ないこと、食 べ物 に規 制 を設 けること、自 分 たちの組 織 以 外 の人 とは交 わらないこと、旅 行 をしないこ
と、家 族 や親 戚 づきあいは控 えること、家 族 の行 事 には参 加 しないこと、などなどである。
カルト教 団 が信 者 にこのような高 い(?)倫 理 行 動 規 定 を要 求 することは、その教 団 に とって付 随 的 な
ことではない。それは教 団 形 成 において不 可 欠 な戦 略 である。このような高 い倫 理 規 定 を要 求 する教 団
は他 にはないのだから、自 分 たちの教 団 が真 理 をもっている証 拠 だ、という意 識 を信 者 に植 えつける。
簡 単 には守 れない高 いハードルを設 け、カルト教 団 の神 聖 さ、権 威 を確 立 しているのである。
また、この高 い倫 理 規 定 は、信 者 に自 らが不 十 分 であることを自 覚 させる。その結 果 、ある信 者 は神 か
らより一 層 の愛 顧 を受 けようと信 仰 に献 身 する。また他 の信 者 は、恐 怖 感 を覚 え、組 織 に忠 誠 心 を示 す
ようになる。このような高 いハードルは、信 者 が教 団 に弱 みを握 られているような錯 覚 を起 こさせるのであ
る。そのような引 け目 の感 情 は、信 者 が教 団 から脱 退 するのを困 難 にさせる。
さらに、このように生 活 を細 かく規 制 することは、自 分 で考 えないで人 の 指 示 に従 うという幼 児 性 を養 う
結 果 となる。そのようなメンタリティ こそ、カルト教 団 が信 者 に要 求 しているものである。さらにまた、外 面
的 装 いを統 制 できるなら、内 面 の統 制 もやりやすくなる。組 織 に対 して何 等 かの反 抗 心 を抱 いている人
が、規 則 を破 ることによって意 志 表 示 をすることはよくあるからである。
そのような信 者 一 人 一 人 の礼 儀 正 しさは、カルト教 団 の欺 瞞 性 を覆 う役 目 をも果 たしている。カルト教
団 の内 部 の人 にも外 部 の人 にも、このような高 い倫 理 規 定 を要 求 している教 団 が悪 を企 むはずがない、
と信 じ込 ませるのである。オウムの信 者 たちが、「虫 さえ殺 すことを許 していない教 団 が、どうしてサリン事
件 を起 こすことなどできるでしょうか」とテレビのアナウンサーに反 論 していた。この原 理 が見 事 に働 いて
いる好 例 である。
生 活 に対 する細 かな規 制 は、内 部 の人 々には帰 属 意 識 と選 民 思 想 を助 長 させる。と同 時 に、外 部 の
人 々がカルト教 団 の信 仰 に入 信 するのに役 立 つ。多 く の人 々は、カルト教 団 の信 者 が礼 儀 正 しいのを
見 て、自 分 や自 分 の家 族 、身 の周 りにいる人 々にないものを見 出 す。教 義 には胡 散 臭 いものを感 じて
いても、あのような立 派 な人 たちが信 じているものだから真 理 であるかも知 れない、と思 わせてしまう。教
義 のいいかげんさが、信 者 の行 状 によってカバーされるというのはまことにおかしな話 だが、実 際 、カルト
の信 者 からよく聞 く話 である。
⑤迫 害 されているという意 識
カルト教 団 の教 える教 義 は偏 見 と独 断 に満 ちており、一 般 の人 には、非 理 性 的 反 合 理 的 に映 る。しか
もカルト教 団 は、家 族 生 活 、学 校 生 活 、地 域 社 会 、職 場 などの日 常 生 活 に対 して、生 活 の細 かな点 に
至 るまで干 渉 する。その結 果 、信 者 は伝 統 的 慣 習 や社 会 的 通 念 を破 ることになり、さまざまな点 で周 囲
との衝 突 を経 験 する 。カルト教 団 は、そのような家 族 や周 囲 との衝 突 を「信 仰 の故 の迫 害 」と認 識 させ
る。
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この迫 害 されているという被 害 者 意 識 を信 者 にもたせることもまた、カルト教 団 にとっては付 随 的 なこと
ではない。迫 害 はカルト教 団 の形 成 にとっては不 可 欠 だ、とまで言 うのは言 いすぎであろう。しかし、迫
害 されているという意 識 を信 者 がもつことは、カルト教 団 にとって、信 者 教 育 のため の重 要 なプログラムな
のである。周 囲 から迫 害 を受 けているという被 害 者 意 識 が、信 者 たちの一 致 と結 束 に大 きな貢 献 を果 た
していることをよく知 っておいていただきたい。残 念 ながら、カルトの問 題 で悩 んでおられるご家 族 の方 々
で、このメカニズムに気 づいている人 はほとんどいない。
カルトは、周 囲 の人 々の反 対 を、「真 理 を理 解 していない人 たちによる真 理 に対 する挑 戦 」「背 後 でサ
タンが画 策 している」「真 理 に立 っているしるし」などと教 え込 む。そう教 えられている信 者 は、反 対 されれ
ばされるほど信 仰 を強 めていく。仲 間 の信 者 は、家 族 から反 対 されている信 者 を暖 かく励 まし、英 雄 扱
いする。カルト教 団 の信 者 の場 合 、強 い迫 害 を受 ければ受 けるほど、そのカルト教 団 の強 力 な戦 士 と化
していく。これは、今 まで接 したどのカルト集 団 の方 々にも当 てはまる。ご家 族 の方 が反 対 すればするほ
ど、家 族 のもとには帰 りたくなくなり、仲 間 と一 緒 にいたいと思 うようになる。ご家 族 の方 には、その辺 をよ
く認 識 していただきたい。
⑥恐 怖 心 を植 えつけている
普 通 宗 教 は、人 々に救 いを約 束 する。キリスト教 であれば、愛 、平 安 、希 望 、喜 び、信 頼 、祝 福 、解 放 、
赦 し、勝 利 などといった言 葉 が中 心 的 モチーフとなる。仏 教 であれば、平 静 、悟 り、解 放 、達 観 等 々とな
るであろうか。
ところが、カルト教 団 が信 者 に与 える根 底 的 なものは、そのようなものではない。カルト集 団 によって信
者 の中 に植 えつけられてしまうもの、それは共 通 して「恐 怖 心 」である。確 かに、カルト教 団 といえども、そ
れぞれ救 いを約 束 する。しかし、どのような教 義 を説 いていたにしても、信 者 を支 配 している感 情 は「恐
れ」(ファビオス)である。カルト教 団 に深 くはまっていけばいくほど、その信 仰 に熱 心 になればなるほど、
この感 情 が強 くなる。反 対 に、恐 怖 心 が薄 ければ薄 いほど、その人 はカルト教 団 から遠 い存 在 である。
信 仰 から離 れたら呪 われる。この組 織 から離 れたら行 くところはない。ハルマゲドンが近 い。不 信 仰 に
なるなら、病 気 や事 故 に見 舞 われる。サタンが家 族 を用 いて反 対 する。伝 道 に熱 心 でなければ、不 幸 な
目 に会 う。このようなことが起 こったのは、自 分 が不 信 仰 だったからではないか。仲 間 から見 張 られている。
仲 間 から信 仰 に熱 心 であると思 われていないのではないか。こんな自 分 を神 は受 け入 れてくれないので
はないか。カルト教 団 の信 者 の心 の中 には、恐 れの感 情 が果 てしなく続 く。
カルト集 団 では、信 者 同 志 の間 で、本 当 の愛 や信 頼 関 係 は生 じにくい。どのカルト集 団 も、自 分 たち
の教 団 の中 にのみ本 当 の兄 弟 愛 がある、このように家 族 的 な絆 で結 ばれている社 会 は他 にない、と自
負 する。カルトに入 るまで、あるいは、入 った直 後 はそう見 える。はじめての人 には特 に心 を配 るよう、組
織 は注 意 深 く指 導 しているからである。しかし、それが表 面 的 なものに過 ぎないことはすぐ明 らかとなる。
カルト集 団 の愛 は、心 からの愛 というより、組 織 が取 り決 めたので実 践 している愛 だからである。しかもそ
の愛 は、組 織 に忠 実 な人 にのみ、あるいは組 織 に忠 実 である限 り、注 がれ る。
カルト集 団 は、組 織 およびそのリーダーとの関 係 を優 先 させる。従 って、カルト教 団 の中 での愛 は、組
織 という第 三 者 を介 しての愛 である。もしその人 が組 織 に役 立 つ人 なら、組 織 は、病 気 になった人 、経
済 的 に困 難 に陥 った人 、引 越 しをする人 を総 動 員 で手 助 けする。しかし、もしそれが組 織 に役 立 たなく
なった人 であったらどうだろう。まるで使 い捨 てカイロのような扱 いである。
カルトの組 織 の中 には「愛 」は育 ちにくい。愛 とは本 来 、何 の警 戒 心 もない、誰 にも遠 慮 や気 兼 ねのな
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い中 でしか生 まれない。お互 いの信 頼 関 係 こそ、愛 の源 である。 ところが、カルト集 団 の支 配 的 感 情 は
「恐 怖 心 」である。そのため、信 頼 よりは猜 疑 心 の方 が大 きくなってしまう。カルト集 団 には本 当 の愛 は生
じない。
あるカルト教 団 を最 近 抜 け出 た人 が、「組 織 の中 の人 間 関 係 は、基 本 的 に不 信 だった。あの人 は霊
的 ではない、規 則 を破 っているのではないか、罪 を犯 しているのではないか、などとイエスの時 代 に人 を
裁 いていたパリサイ人 のようだった。中 にいるときには気 づかなかったけれど、今 思 えば、あそこでの人 間
関 係 は、お互 いがお互 いを監 視 しあうスパイ組 織 のようだった」と述 懐 した。多 くのカルト集 団 にお いて、
この言 葉 は決 してオーバーではない。
⑦脱 会 が難 しい
どんな組 織 にとっても、会 員 が脱 退 することは喜 ばしいことではない。いつでも大 きな傷 みが伴 う。しか
し、人 がある組 織 から抜 け出 たくなる事 態 はまま起 こる。宗 教 団 体 であっても例 外 ではない。その組 織 に
おいては残 念 なことであるが、仕 方 がない。信 教 の自 由 とは、「信 じる自 由 」を保 障 すると同 時 に、「信 じ
ない自 由 」をも、あるいは「信 じるのを止 める自 由 」をも、保 障 する。宗 教 団 体 に加 入 する自 由 もあれば、
そこから脱 退 する自 由 もある。
ところがカルト集 団 の場 合 はそうではない。信 者 がカルト教 団 から抜 けることは至 難 の業 である。まずカ
ルト教 団 は、普 段 からことあるごとに、組 織 から離 脱 するなら、いかに悲 惨 な目 に会 うかを教 え込 んでい
る。脱 会 した人 がどのように不 幸 な目 にあったかを繰 り返 し強 調 する。さらに、脱 会 するには、裁 判 所 ま
がいの委 員 会 を開 き、信 者 を調 査 したり、尋 問 したりする教 団 さえある。
多 くのカルト教 団 は、信 者 が組 織 から離 脱 した人 と交 流 することを禁 じている。組 織 を抜 け出 た人 を悪
魔 にやられた人 、罪 を犯 した人 と見 なし、そのような人 と交 わる信 者 は、自 らも悪 に染 まることになると、
恐 怖 心 を抱 かせる。あるカルト教 団 では、例 え親 兄 弟 であっても、組 織 を離 脱 した人 とは口 をきいてはい
けない、あいさつをしてもいけない、と教 えている。
カルト教 団 が、信 者 が組 織 の離 脱 者 たちと交 流 するのを嫌 うのは、彼 らから組 織 に不 都 合 な情 報 が入
ることを警 戒 してのことである。組 織 の脱 会 者 は、大 抵 、自 分 が所 属 していた教 団 の教 義 や組 織 の活 動
や在 り方 に疑 問 をもった人 である。しまも彼 らは、マインドコントロールという環 境 下 にありながら、それに
束 縛 されなかった人 たちで、強 い精 神 力 の持 ち主 である。賢 明 な判 断 力 を維 持 しながら、組 織 内 から
流 された情 報 を的 確 に把 握 し得 た人 である。自 分 を失 わないで、反 骨 精 神 を貫 いたとも言 える。従 って、
そのような人 は組 織 にとって一 番 困 る人 物 である。
カルト教 団 が、組 織 から出 た人 と交 際 を断 つよう教 えることは、組 織 を守 るためだけではない。脱 会 し
た人 への厳 しい制 裁 措 置 は、信 者 に対 し、もし自 分 が組 織 から抜 けたならどのように扱 われるのかを知
らせる「恐 ろしい見 せしめ」になる。離 脱 した人 々を徹 底 してサタン呼 ばわりすることによって、連 鎖 反 応
を食 い止 めようとしているわけである。あるカルト教 団 では、組 織 から抜 け出 た人 を、拉 致 監 禁 してまでも
連 れ戻 す。一 度 組 織 を裏 切 ったなら、何 をされるか分 からないという恐 怖 心 を信 者 に植 えつけるために
ある。組 織 は、そこから抜 け出 た人 をどう扱 うかによって、その本 性 を表 す。それは宗 教 団 体 だけの話 で
はないが。
第 三 章 マインドコントロールの問 題
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カルト問 題 を明 らかにするには、マインドコントロールという課 題 に取 り組 む必 要 がある。この言 葉 は、
数 年 前 に統 一 教 会 の集 団 結 婚 式 や霊 感 商 法 の問 題 が起 こったとき一 般 に使 われるようになり、一 時 流
行 語 にさえなった。しかし、その意 味 するところが十 分 に検 討 されなかったので、日 本 社 会 においては市
民 権 を得 るほどには至 らなかった。
<いろいろな使 われ方 >
最 近 は多 くの人 が「マインドコントロール」という言 葉 を使 っている。「マインド」も「コントロール」も、一 般
によく使 われる英 語 なので、「マインドコントロール」という言 葉 も親 しみやすい印 象 がある。それだけに、
人 々はこの言 葉 を自 己 流 に使 う傾 向 がある。例 えば、先 生 が生 徒 を教 育 する場 合 、親 が子 どもをしつけ
るとき、会 社 が社 員 を叱 咤 激 励 して仕 事 をさせるとき、自 分 で自 分 を節 制 するとき、などなどである。
ある言 葉 がどのような意 味 で使 われるかは、歴 史 の中 で自 然 に定 まっていく。従 って、「マインドコントロ
ール」という言 葉 もいろいろな使 われ方 をされながら、落 ち着 くところへ落 ち着 くであろう。私 の知 る範 囲
では、欧 米 のカルト研 究 家 たちは、この言 葉 をかなり厳 密 な意 味 で使 おうとしている。日 本 でもまた、同
じような使 い方 をするよう提 唱 したい。
<カルト研 究 家 たちの定 義 >
では、カルト研 究 家 たちはどのような意 味 で使 っているのだろうか。この問 題 の先 駆 者 スティーヴンハッ
サンは、有 名 な書 物 『マインドコントロールの恐 怖 』の中 で、次 のように定 義 している。
「それは、個 人 の人 格 (信 念 、行 動 、思 考 、感 情 )を破 壊 して、それを新 しい人 格 と置 き換 えてしまうよ
うな影 響 力 の体 系 のことである。多 くの場 合 、その新 しい人 格 とは、もしどんなものか事 前 にわかってい
たら、本 人 自 身 が強 く反 発 したであろうと思 われるような人 格 である。」
ここで見 落 としてならないのは、マインドコントロールは、それを受 けた人 の本 来 の人 格 を破 壊 してしまう
ということである。その点 で、マインドコントロールは教 育 や訓 練 と根 本 的 に異 なる。教 育 とか訓 練 は、言
うまでもなく、その人 が本 来 もっているものを引 き出 すことにある。破 壊 するという 意 図 など毛 頭 ない。
もう一 つ注 意 すべき点 は、置 き換 えられる人 格 に ついてである。マインドコントロールされてでき上 がる
人 格 は、もしそうなるとあらかじめ分 かっていたなら、決 してそうなることを望 まなかったような人 格 である。
マインドコントロールされた人 々は能 面 のように無 表 情 で、皆 同 じような顔 をしているとよく言 われる。それ
は、カルトが植 えつけたカルトの人 格 だからであろう。
ところで、ハッサンによれば、このマインドコントロールは、「解 凍 」「変 革 」「再 凍 結 」の三 段 階 を経 て達
成 される。各 段 階 において、どのような方 法 が用 いられるかはカルト教 団 によって異 なる。
「解 凍 」とは、本 来 の人 格 が壊 されていく段 階 である。このための時 間 がどれほどかかるかは、その人 が
それまでに育 てられた人 格 の質 によって異 なる。第 二 番 目 の「変 革 」とは、本 来 の自 己 が壊 されて空 白
になった部 分 に、カルトの新 しい人 格 が埋 め込 まれる段 階 である。実 際 には、カルトの人 格 が本 来 の人
格 を壊 していく面 も強 いので、一 段 階 目 と二 段 階 目 は同 時 並 行 的 に進 行 する。「再 凍 結 」の段 階 では、
新 しく植 えられたカルトの人 格 が補 強 され、結 晶 化 されていく。
ところで、「マインドコントロール」は、よく言 われる「洗 脳 」とは区 別 した方 がよい。洗 脳 とは、空 腹 にする
こと、睡 眠 をとらせないこと、拷 問 にかけること、薬 物 を使 うことなど、何 等 かの物 理 的 な手 段 を使 って、あ
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る人 の思 想 を変 えることを指 す。カルト教 団 のマインドコントロールの中 には、そのような意 味 の洗 脳 にか
なり近 いものもある。しかしここでは、そのような物 理 的 な圧 力 を加 えないで進 めていくものを「マインドコ
ントロール」と呼 んでおきたい。
では、カルト教 団 ではマインドコントロールを実 現 するため、どのような手 段 を用 いるのか。基 本 的 パタ
ーンを紹 介 しておこう。はじめにおことわりしなければならないのは、これから述 べる手 段 は、カルト教 団
によって相 当 な違 いがあるということである。例 えば、正 体 を隠 して近 づくという点 では、統 一 協 会 の方 が
エホバの証 人 よりはるかに強 い。しかし、パラダイムを植 えつけるという点 では、エホバの証 人 の方 が統 一
教 会 よりはるかに強 い。従 って、厳 密 には、一 つ一 つの教 団 のマインドコントロールを別 々に扱 う必 要 が
ある。しかし、どのカルト教 団 にも共 通 する特 色 を大 ざっぱに理 解 しておくことも重 要 である。
<正 体 を隠 して近 づく>
一 般 に外 部 の人 々は、カルト教 団 に対 してよいイメージをもっていない。それは前 章 のカルトの特 性 を
見 れば当 然 と言 える。カルト教 団 は信 者 勧 誘 にあたって、その名 前 を出 さないことが多 い。主 催 者 不 明
の講 演 会 、音 楽 会 、スポーツ大 会 、映 画 会 、セミナーなどに誘 われて、後 からカルト教 団 主 催 のものだ
ったと聞 かされ、驚 いた経 験 をおもちの方 も多 いであろう。
カルト教 団 の名 を隠 すことはしなくても、相 手 に合 わせてよい名 称 を使 ってカモフラージュすることもあ
る。かつてカルト教 団 のメンバーだった人 が、「自 分 たちはクリスチャンです。本 当 のキリスト教 です。聖 書
を学 んでいるグループです、と名 乗 って戸 別 訪 問 していました」と話 してくれた。そのカルト教 団 は、組 織
内 ではキリスト教 世 界 をサタンの巣 窟 だと非 難 しながら、伝 道 の場 面 では、一 般 にもたれているキリスト
教 へのよい評 判 を利 用 しているわけである。
<ラブシャワーで迎 える>
催 眠 術 を研 究 している斎 藤 氏 は「人 が催 眠 状 態 に陥 るには、催 眠 をかけようとする人 へのラポート(信
頼 関 係 )がキーである」と述 べている。マインドコントロールにおいても全 く同 様 である。カルトのリーダー
は組 織 の教 義 を植 え込 むために、その人 が本 当 に愛 されていると実 感 させることが必 要 だと知 っている。
だから、教 団 は新 しい人 への歓 迎 方 法 を徹 底 して訓 練 している。カルト教 団 の集 いに出 席 した人 は、こ
こに自 分 のことをこんなに気 にかけてくれる人 たちがいるのだ、と感 動 するはずである。カルト教 団 が、そ
のような感 情 を、カルトに心 を開 かせる第 一 歩 として利 用 していることは明 らかである。
統 一 教 会 のセミナーに参 加 した人 が次 のような体 験 を語 ってくれた。会 場 にバスが着 くと、先 輩 たちが
玄 関 にずらりと迎 えに出 ていた。その晩 眠 ろうと床 に着 くと、何 と枕 べに 30 通 以 上 の手 紙 が置 いてあっ
た。中 味 は皆 ほとんど同 じで、「この セミナーがあなたにとってすばらしいものとなるでしょう」「あなたがこ
のセミナーで真 の友 人 を見 つけることができますように」といったものだったが、それでも感 激 して、翌 日
から講 師 の話 を真 剣 に聞 くようになってしまった、と。
一 般 に、人 はある人 を信 頼 するようになると、その人 に対 する批 判 能 力 が甘 くなり、通 常 ならおかしいと
思 うことも受 け入 れやすくなる。また、信 頼 する人 を悲 しませたくないという感 情 が働 くので、相 手 の意 見
に同 調 するようになる。その人 を受 け入 れてしまうなら、相 手 の意 見 を受 け入 れることもそれほど難 しくな
い。ほとんどのカルト教 団 は、このメカニズムをよく知 って悪 用 している。カルト教 団 を見 て、なぜあんなば
かばかしい教 義 をいとも簡 単 に信 じてしまうのかと首 をかしげる方 は、人 間 の心 理 とカルトの狡 猾 さを研
究 する必 要 がある。
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<パラダイムを植 えつける>
人 間 は、たくさんの情 報 の中 から自 分 にとって意 味 あるものを集 め、それを組 み立 てながら物 事 を認
識 していく。その認 識 作 業 において最 も重 要 なものは、情 報 を処 理 するための「思 考 の枠 組 (パラダイ
ム)」である。人 は与 えられた情 報 すべてを、そのまま受 け入 れるわけにはいかない。自 分 のパラダイ ムに
適 合 するものだけを取 捨 選 択 し、そのパラダイムの中 に位 置 づけて処 理 する。もしこのパラダイムがなけ
れば、情 報 処 理 は不 可 能 となり、与 えられた情 報 はその人 にとって意 味 をなさない。ある人 たちはそれを
世 界 観 、哲 学 、信 念 、ビリーフシステムなどと呼 ぶ。名 称 は自 分 に合 ったものを選 べばよい。
多 くの人 は、このパラダイムの重 要 性 を認 識 していない。否 、その存 在 すら自 覚 していない。しかし、そ
れこそ物 事 の判 断 において決 定 的 な位 置 を占 めている。普 通 私 たちは、さまざまな日 常 経 験 や学 問 を
通 してこのパラダイムを形 成 する。いろいろな分 野 ごとにそれぞれのパラダイムをつくり、やがてトータルな
ものが次 第 に出 来 上 がっていく。よく「人 格 の完 成 」ということが言 われるが、その中 味 は、このパラダイム
があらゆる方 向 にバランスよく育 っていくことだと考 えることもできよう。
一 つの分 野 ですばらしいパラダイムを形 成 しているからといって、他 の分 野 でもそうだとはかぎらない。
例 えば、化 学 の研 究 をした人 は、その人 の頭 の中 に、化 学 の分 野 における最 先 端 のパラダイムを形 成
している。しかし、そのパラダイムは、その人 の宗 教 の分 野 にまで及 んでいるわけではない。宗 教 的 分 野
におけるパラダイムは、空 白 状 態 に近 い場 合 がいくらでもある。学 問 が細 分 化 すればするほど、その学
問 によってできあがるパラダイムは全 人 格 的 なものから遠 のいていく。
今 日 の日 本 における知 識 人 の多 くは、宗 教 を胡 散 臭 いものと考 えている。公 立 学 校 は宗 教 に対 して
中 立 の立 場 をとり、宗 教 はタブーの世 界 である。家 庭 もまた、ほとんどが無 宗 教 か、名 目 だけの宗 教 で
ある。その結 果 、現 代 の若 者 たちが宗 教 的 な分 野 におけるパラダイムを形 成 する機 会 はほとんどない。
もし、人 間 が本 当 に宗 教 無 しで生 きられるとすれば、それはそれで問 題 は起 こらない。しか し、人 間 か
ら宗 教 的 渇 望 を取 り去 ることは不 可 能 である。人 間 が物 質 的 なものだけでは満 足 できず宗 教 的 なものを
求 める事 実 は、共 産 主 義 社 会 崩 壊 後 のロシアをはじめ、東 欧 諸 国 で宗 教 ブームを迎 えている現 実 から
明 らかである。占 星 術 がはやり、オカルトブームが起 こり、本 当 の自 己 を探 求 するニューエイジ運 動 がも
てはやされているのは、物 質 文 明 が高 度 に発 達 した資 本 主 義 社 会 においてである。
人 間 がこれほどまでに宗 教 的 な存 在 であるのに、教 育 の現 場 は、宗 教 の分 野 におけるパラダイム形 成
に参 与 できないでいる。これこそ現 代 教 育 が直 面 しているジレ ンマである。そこにカルト教 団 がつけ込 む
余 地 が生 まれる。カルトの指 導 者 は、このパラダイムの重 要 性 をよく知 っている。だから、どのカルトもトー
タルな世 界 観 を提 供 しようとする。共 産 主 義 はそれなりに科 学 的 装 いをもった唯 物 史 観 を提 供 した。とこ
ろが、カルト指 導 者 は知 性 や合 理 主 義 の限 界 を示 し、物 事 の善 悪 や白 黒 をはっきりさせ、霊 的 世 界 を
含 んだ世 界 像 を明 解 な論 理 を展 開 しながら提 供 する。多 くの現 代 人 は、自 分 の宗 教 的 パラダイムをつ
くることなどできないから、カルトが示 すパラダイムに魅 せられてしまう。
哲 学 、文 学 、心 理 学 などは、宗 教 といくぶんかオーバーラップする分 野 のパラダイムを形 成 する。従 っ
て、これらの学 問 を専 攻 した人 々は、他 の学 問 を学 んだ人 より、カルト教 団 の説 くパラダイムに抵 抗 を示
すかも知 れない。しかし、それも程 度 の問 題 である。カルト教 団 の説 得 の技 術 は、彼 らが身 につけたパラ
ダイムなど簡 単 に飲 み込 んでしまう。一 方 、理 科 系 の学 問 や音 楽 などは、宗 教 的 な分 野 のパラダイムを
空 白 のままにしておく。そのような学 問 を専 攻 した人 は、カルトに対 して全 く無 防 備 である。
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<思 考 停 止 に導 く>
カルト教 団 は、自 分 で考 え、自 分 の責 任 で発 言 し、自 分 で判 断 し、自 分 で決 断 し、自 分 の行 動 に対 し
て自 分 が責 任 を負 う、という人 間 をつくろ うとしない 。それどころ か、主 体 的 に生 きること は高 慢 であり、
「悪 」である。カルト教 団 にとってよいメンバーとは、組 織 の言 うことを忠 実 に守 る人 のことである。疑 問 を
もつことは、悪 魔 に惑 わされていることに他 ならない。
あるカルト指 導 者 は、「組 織 から飛 べと言 われたなら、なぜ飛 ぶのかと問 うてはいけない。どれだけ飛 べ
るかに努 力 を集 中 すればよいのだ」と講 演 している。また、「神 は、信 者 が正 しいことを信 じているかどう
かを問 わない。組 織 のリーダーがその点 での裁 きを受 ける。神 が信 者 を裁 くのは、教 えられたことに忠 実
であったかどうかという点 だけである」とも述 べている。カルトの人 間 観 を端 的 に表 わした言 葉 である。
カルト教 団 は、自 分 で考 えない人 間 をつくるため、忙 しく働 かせる。人 間 は暇 があると好 奇 心 が旺 盛 に
なるし、情 報 も集 めたくなる。一 旦 した決 断 ことに対 し、不 安 も襲 ってくる。暇 がなければ、話 題 や関 心 も
限 定 されてしまうし、物 事 を多 角 的 に検 証 する余 裕 も出 てこない。カルトのリーダーたちはこのことをよく
知 っている。だから、彼 らは信 者 を忙 しく働 かせる。間 断 なく働 かせることは、 組 織 に実 益 をもたらせるだ
けの目 的 ではない。信 者 をマインドコントロールするための重 要 な手 段 なのである。
<外 からの情 報 を遮 断 する>
カルト教 団 が説 いているパラダイムは、外 部 の者 にとっては、きわめていびつなものである。従 って、カ
ルト教 団 は、情 報 の解 禁 が教 団 の崩 壊 につながることをよく知 っている。もしカルトの信 者 が自 分 のパラ
ダイムに合 わない情 報 を多 く手 にするなら、カルトのパラダイムに疑 問 をもち、新 しいパラダイムを求 めは
じめる。カルト教 団 は、そのようなことを許 すわけにいかない。
カルト教 団 は、この点 でも巧 妙 である。組 織 外 から流 れてくる情 報 はすべて偏 見 に満 ちている、あるい
は、何 等 かの操 作 が行 なわれている、とあらかじめ信 者 に警 告 しておく。もし、そのような考 えを最 初 に信
者 の頭 脳 にインプットしてしまえば、信 者 はパラダイムに合 わない情 報 をすべて情 報 の送 り手 たちが操
作 したもの、と考 えるようになる。その結 果 、信 者 はその情 報 を受 けつけない。それだけではない。信 者
は、教 団 はそのような操 作 された情 報 が来 ることを預 言 していた。従 って、この教 団 の言 うことは間 違 い
ない、と変 な確 信 をもつようになり、ますます組 織 への信 頼 を深 めていくことに なる。
また、カルト教 団 は信 者 に、次 のようなことをあらかじめたたき込 んでおく。「組 織 の外 にある世 界 はす
べて敵 であり、真 理 のひとかけらもない。神 は、これまで誰 も知 ることができなかった真 理 を、自 分 たちの
カルトの教 祖 にはじめて啓 示 された。それは、その宗 教 を研 究 してきた人 たちが、長 い間 ずっと求 め続 け
てきたものである。外 にあるものは古 びて価 値 のないもので、過 去 の遺 物 にすぎない。そのようなものに
耳 傾 けることは、結 局 悪 魔 に身 売 りすることである」。そのように思 い込 まされた信 者 は、外 部 の情 報 を
得 たいなどと思 わなくなってしまう。
カルト教 団 が一 番 恐 れているのは、信 者 が、組 織 の離 脱 者 と接 することである。彼 らは内 側 の事 情 や
情 報 を熟 知 している。しかも、何 等 かの手 段 で外 部 の情 報 を手 に入 れ、組 織 に反 旗 を翻 した人 々であ
る。組 織 を離 脱 した人 々は、組 織 に留 まっている人 々より知 識 欲 も旺 盛 で、賢 明 な判 断 力 をもち、主 体
性 がある。そのような人 々がカルト信 者 に対 して間 違 いを説 得 することは、それほど難 しくない。カルト教
団 が彼 らを「背 教 者 」あるいは「サタン」呼 ばわりして、信 者 に接 しないよう厳 しく警 告 するのは当 然 であ
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る。
たとえ組 織 が情 報 を遮 断 しなくても、マインドコントロールを受 けた人 は、自 分 自 身 で外 部 の情 報 を遮
断 するようになる。人 間 は本 来 、受 け取 った情 報 と調 和 していたいという強 い願 望 をもっている。もし自
分 のパラダイムに適 合 しない情 報 が入 ってくると、脳 は受 けつけにくくなる。情 報 を取 り入 れて新 たな葛
藤 を経 験 するより、そのような情 報 は排 除 して、平 和 に暮 らしたいのである。もしマインドコントロールを受
けていなければ、新 たな情 報 を受 けとった人 は、その人 の内 に既 に形 成 されているパラダイムを、その新
しい情 報 をも抱 え込 めるようなものに変 更 しようと努 力 するはずである。ところが、カルト集 団 の中 では、も
しパラダイムを変 更 したなら、組 織 に留 まることはできなくなる。従 って、カルトの信 者 は、自 分 のパラダイ
ムを新 しい情 報 をも含 みうるパラダイムに変 更 しようとは思 わない。むしろ、情 報 そのものが操 作 されてい
るとして、その情 報 を拒 否 する。
<判 断 基 準 が狂 ってしまう>
人 は自 分 に賛 成 してくれる意 見 を求 め、反 対 意 見 を軽 視 する。そのような傾 向 は誰 もがもっているもの
で、責 めることはできない。日 常 生 活 では、そのような生 き方 が許 される。というより、そうでなければ生 き
てはいけない。
しかし、真 理 を追 及 する学 問 の世 界 においては、そうであってはならない。学 問 する人 はまず、自 分 の
考 えを指 示 するデータを提 示 する。次 に、その考 えに賛 成 する他 の人 々の意 見 をも紹 介 して、自 説 を
補 強 する。しかし、それは必 要 な作 業 の半 分 にすぎない。最 後 に、反 対 意 見 のすべてをていねいに紹
介 し、その一 つ一 つに真 正 面 から、正 確 に反 論 しなければならない。どのような分 野 の学 問 であっても、
この方 法 論 自 体 は変 わらない。
ところが、カルトの世 界 は違 う。もともとカルトの信 者 は、教 団 の教 義 が学 問 的 検 証 を必 要 とするなどと
は考 えていない。教 祖 を信 じるので、教 祖 が思 いつきで言 ったようなことでも、そのまま権 威 あるものとし
て受 け止 める。それは無 批 判 的 である。反 対 意 見 を真 剣 に考 慮 する、などということとは無 縁 の世 界 で
ある。
しかも、すべては善 か悪 、敵 か見 方 、神 かサタン、と二 者 択 一 である。例 外 的 な事 例 を取 り上 げて、そ
れにこだわったりはしない。オールオアナッシングの世 界 である。人 々がカルトの世 界 にひかれ、そこに安
心 を見 いだすのは、明 解 な論 理 と迷 いなき断 定 にある。情 報 が溢 れ、問 題 が複 雑 になり、すべてのこと
がファジィーになりつつある現 代 だからこそ、人 々はカルトが説 く明 解 な教 えに期 待 を託 すのである。
このようなカルトの世 界 に長 くいると、思 考 は単 純 になり、判 断 能 力 は著 しく低 下 する。自 分 たちに都
合 の悪 い情 報 は無 視 する。その結 果 、自 分 のパラダイムにますます強 い確 信 をもつようになる。もし、あ
る情 報 を突 きつけられて言 い逃 れができない状 態 に追 い込 まれるなら、その情 報 を自 分 たち のパラダイ
ムに合 うように合 理 的 に解 釈 してしまう。さらに、その弁 明 に説 得 力 がないと分 かるなら、組 織 の権 威 を
隠 れ箕 にして開 き直 る。時 には話 し相 手 を攻 撃 して、問 題 をすり替 える。
宗 教 的 教 義 は理 性 的 判 断 によって決 定 しうるものではない。それは確 かに理 性 を超 えたところにある
真 理 であり、信 仰 によって飛 躍 すべき世 界 である。しかし、それは超 理 性 であっても、反 理 性 ではない。
超 理 性 とは、理 性 で考 えても決 着 がつかない領 域 のことは理 性 による判 断 を中 止 するということである。
それに対 し、反 理 性 とは、理 性 で決 めるべき領 域 のことがらであ るにもかかわらず、理 性 で正 しく処 理 し
ないことを言 う。宗 教 の教 義 の世 界 においても、理 性 が通 じ、理 性 で判 断 できる領 域 は多 い。カルト集
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団 は、そのような領 域 においてさえ、理 性 的 な処 理 を許 さない。
例 えば、ある降 神 術 者 が、「キリストの霊 が自 分 に臨 んでこう言 っている」と述 べたとする。ある歴 史 上 の
人 物 の霊 が、現 代 の人 間 に降 って何 かを語 ることがあるのだろうか。私 自 身 はそのようなことが本 当 に起
こるとは信 じていないが、起 こるのだと信 じること自 体 を反 理 性 だと考 えてはいない。それは超 理 性 の領
域 のことである。しかし、もしキリストが本 当 に語 ったと言 うのであれば、福 音 書 に残 されたキリストの言 葉
と、霊 を受 けた人 の言 葉 との間 に矛 盾 はないはずである。真 実 な経 験 であれば、両 者 の比 較 を拒 否 す
るどころか、喜 んでその検 証 を申 し出 るであろう。それは理 性 の領 域 の問 題 で、理 性 的 判 断 が可 能 なこ
とである。もしその検 証 に耐 えられないような結 果 が出 るなら、反 理 性 と断 定 しなければならない。それは
眉 唾 ものである。
<社 会 から分 離 する>
マインドコントロールによって置 き換 えられる人 格 は、その人 が本 来 もっていた人 格 ではない。後 から置
き換 えられたものである以 上 、それ が維 持 されるためには、カルト教 団 によって常 にフォローされる必 要
がある。そうしないと、その人 は生 来 の人 格 に戻 ってしまう危 険 性 をもつからである。カルト教 団 の指 導 者
は、その事 実 をよく知 っている。信 者 を外 の世 界 から隔 離 し、信 者 のみによる共 同 体 をつくろうとする理
由 の一 つがそこにある。
あるカルト教 団 は、すべての信 者 に、家 族 を離 れ、一 定 の場 所 で仲 間 の信 者 との共 同 生 活 をするよう
説 いている。他 方 、そのグループのリーダー的 立 場 の人 、あるいは一 部 の人 には共 同 体 生 活 を義 務 化
しているものの、一 般 の信 者 にはそこまでは求 めないとい う教 団 もある。さらに、物 理 的 な形 では共 同 体
を築 いていないが、それ以 上 の強 い絆 で信 者 同 志 を結 び、組 織 に徹 底 的 な献 身 を誓 わせているカルト
教 団 も存 在 する。
先 日 、一 人 の方 が「自 分 は一 人 でアパート暮 しをしているけれど、生 活 のすべてが組 織 中 心 だった。
組 織 のこと以 外 に時 間 を使 うということはまったくなかった。考 える内 容 は、組 織 のことだけだった」と述 懐
していた。このカルト教 団 は、共 同 体 を形 成 してはいないが、信 者 のメンタリテーは共 同 体 そのものであ
る。集 会 に出 席 すること、集 会 の予 習 と復 習 に時 間 をとること、伝 道 に励 むことなど 、すべて組 織 が要 求
していることである。彼 は年 間 の信 者 生 活 の中 で、一 度 だけ病 気 で集 会 を休 んだことがあった。その時
彼 はメンバーの半 数 から電 話 を受 けた。こうなると、物 理 的 に共 同 生 活 をしている以 上 に共 同 体 意 識 を
もった生 活 である。
第 四 章 マインドコントロールからの解 放
「マインドコントロール」とは、その人 本 来 の人 格 がカルトの人 格 に置 き換 えられてしまうことである。それ
は、「解 凍 」「変 革 」「再 凍 結 」というプロセスを踏 む。では、一 旦 マインドコントロールにかかったら、そこか
ら解 放 される道 はないのだろうか。
たとえ人 格 が置 き換 えられたとしても、その人 はやはりその人 である。以 前 の人 格 が完 全 に消 え去 って
しまっているわけではない。置 き換 えられたというより、上 塗 りされたと言 った方 が適 切 かも知 れない。もし、
その人 がカルトから距 離 を置 くなら、置 き換 えられた人 格 の方 が風 化 して、本 来 の人 格 が出 てくるはず
である。カルトの人 格 は、カルトの世 界 でのみ通 じるものだからである。
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しかし、反 対 の側 面 も考 えておかねばならない。たとえ上 塗 りされただけであるように見 えても、本 来 の
人 格 に相 当 奥 深 くまで食 い込 んでいるという事 実 である。カルトを離 脱 し たある人 が、カルトから抜 けて
何 年 もたっているのに、カルト時 代 に植 えられた教 えや雰 囲 気 を思 い出 し、恐 怖 感 に襲 われることがある、
と告 白 している。あるカルト研 究 家 は「カルト教 団 で 10 年 生 活 をしたなら、その後 遺 症 から完 全 に抜 け出
るには 10 年 かかる」と言 っている。マインドコントロールは、それほど大 きな影 響 を人 々に与 えるものであ
る。
<信 者 は犠 牲 者 >
カルトの信 者 は、その教 団 のマインドコントロールによる犠 牲 者 である。一 人 ひとりの信 者 は、信 じる教
義 に関 し、あるいはその言 動 に関 して、大 きな制 約 を教 団 から受 けている。自 分 で選 び、自 分 の意 志 で
行 動 しているという側 面 が全 くないわけではないから、個 人 に責 任 がないわけではない。しかし、カルト教
団 は、信 者 の思 考 回 路 をカルト独 特 のパラダイムに置 き換 え、外 部 からの情 報 を遮 断 してしまっている。
教 団 の上 層 部 にいけばいくほど、情 報 も多 くなり、命 令 権 も強 くなる。従 って、加 害 者 的 要 素 は強 くなる。
にもかかわらず、カルト集 団 の場 合 、トップに立 つリーダー以 外 はすべて犠 牲 者 と言 ってよい。
この世 にカルト教 団 が存 在 する限 り、社 会 はその動 向 に目 を光 らせる必 要 がある。信 教 の自 由 を尊 重
しながら、同 時 にカルトを監 視 することは簡 単 なことではない。だが、それはどうしてもしなければならない
ことである。国 家 権 力 のレベルではなく、市 民 運 動 のレベルで。カルトには秘 密 主 義 という壁 があるので、
限 界 があることも事 実 である。しかし、市 民 レベルだからこそできることもたくさんある。否 、それをしなけれ
ば、ますますカルトをより閉 鎖 的 、破 壊 的 なグループに追 いやってしまう。また、単 にカルトを監 視 するだ
けではなく、カルトの実 態 を世 に知 らせ、カルトに警 戒 するよう社 会 に啓 蒙 していく努 力 もしなければなら
ない。
さらに、カルトの犠 牲 者 を助 け出 すということにも真 剣 に取 り組 まねばならない。そのことに一 番 大 きな
痛 みを感 じているのは、カルト教 団 信 者 のご家 族 である。彼 らの叫 びに耳 を傾 けることが、多 くの人 にと
ってカルト問 題 に取 り組 む出 発 点 であろう。
カルト 教 団 の 信 者 を、そ の 教 団 の 間 違 いに 気 づ かせ 、そこから解 放 す る 働 き に対 して、「 救 出 す る 」
(rescue )という言 葉 を使 う。通 常 、「救 出 する」という表 現 は、火 事 場 や戦 場 など特 別 危 険 な状 況 に置
かれている人 を助 け出 す場 合 に使 うのであって、宗 教 の世 界 にはあまり馴 染 まない言 葉 である。それに
も関 わらず、このような言 葉 を使 わなければならないのは、カルトから抜 け出 させる働 きが困 難 で、危 険 に
満 ちたものだからである。
<組 織 から離 脱 するには>
ある人 がカルト教 団 に入 信 したということは、その教 団 のマインドコントロールを受 けた、ということである。
その宗 教 集 団 がカルトと言 われる限 り、マインドコントロールを受 けなければ、その教 団 の信 者 にはなら
ない。さらに、その組 織 の中 で生 活 しようとも思 わないはずである。カルト教 団 とは、それほど異 常 な世 界
である。従 って、カルトから救 出 するということは、結 局 マインドコントロールから解 放 するということにつき
る。カルト信 者 と空 しい教 義 論 争 を繰 り返 した経 験 のある人 は、誰 でもうなずくはずである。
とはいえ、カルト教 団 の信 者 すべてが同 じような程 度 でマインドコントロールを受 けているわけではない。
組 織 べったりの人 もいれば、組 織 から距 離 を置 いている人 もいる。きわめて例 外 的 ではあるが、マインド
コントロールはさほどきいておらず、その人 本 来 の人 格 がそのまま生 きている場 合 もある。そのような人 は、
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カルト教 団 の中 でも、組 織 の命 令 に隷 属 せず、比 較 的 自 由 に自 分 の意 志 で行 動 している。組 織 のコン
トロール下 に完 全 には置 かれていないので、信 者 の仲 間 から尊 敬 を受 けることはあっても、組 織 からよく
思 われることはない。そのような人 が何 等 かの理 由 で組 織 外 の世 界 と接 触 すると、そのカルト教 団 が抱
えている問 題 、マインドコントロールのメカニズム、教 義 の欺 瞞 性 などに気 づきはじめる。
しかし、カルトの欺 瞞 性 に気 づくことと、カルト教 団 から抜 け出 ることとは別 のことである。カルト教 団 を
離 脱 するには、教 義 や組 織 のいくつかの間 違 いに気 づくだけでは不 十 分 で、それを裏 づける確 かな情
報 が数 多 く必 要 である。カルト教 団 の信 者 が組 織 を離 脱 するには、その組 織 が明 らかに間 違 っているこ
と、あるいは意 図 的 な偽 瞞 によって運 営 されていることを確 信 しなければならないからである。ところが、
組 織 がそのような情 報 を流 すことはありえない。自 分 で組 織 の昔 からの資 料 を丹 念 に調 べるか、そのよう
な研 究 をしている外 部 の人 からの助 けを得 なければならない。だが、組 織 はその外 部 の人 々をサタンあ
るいは背 教 者 と呼 んでいる。従 って、信 者 にとっては、彼 らから入 手 する情 報 をそのまま信 じるわけには
いかない。組 織 を信 じるのか、それとも外 部 の人 を信 じるのか、カルト信 者 にとって最 も難 しい決 断 を迫
られる。
カルト教 団 を離 脱 する際 には、自 分 が組 織 に疑 問 をもち、信 仰 を自 分 自 身 で検 証 していることを周 囲
に知 られないようにしなくてはならない。これは、大 変 神 経 を使 う。私 の友 人 は夜 中 の 3 時 に起 きて、毎
朝 3 時 間 、組 織 の勉 強 をしているふりをして研 究 し続 けた。奥 さんも同 じカルトの信 者 だったからである。
3 年 間 調 べた結 果 、組 織 を離 脱 する決 意 をしたが、奥 さんを説 得 するのに、それから 1 年 かかった。もし、
奥 さんを説 得 できなかったなら、離 婚 に追 いやられただろう、と述 懐 していた。
知 的 に教 義 の欺 瞞 性 に気 づいたとしても、感 情 がそれについていくには時 間 を要 する。周 囲 の人 々は
すばらしい人 ばかりだ。こんなよい人 々がいる組 織 を神 が顧 みられないはずはない。自 分 も、この教 団 の
中 である種 の宗 教 体 験 をしている。この教 団 を神 が認 めていないとすれば、自 分 が教 団 の中 でしたあの
経 験 は一 体 何 だったのか。この組 織 を抜 けたなら、自 分 が行 くべき組 織 は他 にあるのか。他 の組 織 はも
っとおかしなものだ。それなら、少 々間 違 いはあっても、この組 織 に留 まっていた方 がよいのではないか。
今 、自 分 は忠 誠 心 を試 されているのかもしれない。謙 遜 と従 順 をテストされているのだとしたら、はやまっ
てはいけない。脱 会 した人 に対 する教 団 の仕 打 ちは恐 ろしい。自 分 があのように扱 われるのだとしたら、
耐 えられない。それに、もし、この教 団 が間 違 っていたのなら、自 分 が導 いた人 に対 してどう説 明 したらよ
いのか、彼 らに対 する責 任 はないのか、自 分 は抜 け出 ても、まだ同 じカルトにいる家 族 や親 戚 の人 たち
はどうなるのか。
知 的 にカルト教 団 の教 えの間 違 いに気 づいてから、それを確 信 し、不 安 の感 情 を整 理 し、組 織 を離 脱
するまでに 1~2 年 、ときには数 年 かかる。カルトの組 織 は、その信 者 にとって文 字 どおりすべてだったの
である。カルトの否 定 、それは、今 までの自 分 に対 し、死 を宣 告 するこ とに等 しい。これまで肯 定 していた
ものを否 定 し、これまで否 定 してきたものを肯 定 しなければならない。カルト教 団 から脱 会 することは、カ
ルト教 団 に入 信 するより何 倍 も、否 、何 百 倍 も勇 気 がいることなのである。自 分 のプライドのすべてを捨
てなければできない。
もし、カルト教 団 から脱 会 しようとする人 がいたなら、ご家 族 はじめ周 囲 の方 々は、その人 を暖 かくその
まま迎 え入 れていただきたい。カルト教 団 と決 別 しても、すばらしい人 生 が送 れることを示 してあげてほし
い。カルト時 代 の経 験 は、本 人 が言 い出 そうとしない限 り、聞 き出 さない方 がよい 。もし話 しはじめたら、
評 価 を加 えず、じっくり時 間 をとって聞 いてあげていただきたい。決 して急 がないでいただきたい。カルト
教 団 の中 で置 き換 えられてしまったカルトの人 格 を、今 度 は自 分 で「解 凍 」し、再 び本 来 の自 分 を取 り
戻 さねばならないのである。カルトの人 格 を「解 凍 」するのに役 立 つ情 報 を提 供 していただきたい。本 来
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の自 分 を取 り戻 すために役 立 つことをしていただきたい。旅 行 を楽 しむとか、一 般 の書 物 を読 むとか、音
楽 を聞 くとか、昔 の友 人 に会 うとか、スポーツで汗 を流 すとか、工 作 をともにするとか。
<家 族 の方 々への励 まし>
カルト教 団 の信 者 が自 分 で組 織 の間 違 いに気 づき、組 織 を離 脱 することができれば、それにこしたこと
はない。しかし、いつでもそうなることを期 待 できるわけではない。では、信 者 が自 分 から抜 け出 るまで、
家 族 や友 人 は何 もしないで、手 をこまねいている以 外 に方 法 はないのか。最 終 的 には本 人 の信 仰 の自
由 に属 することであるにしても、何 とかならないものだろうか、と考 えているご家 族 は非 常 に多 い。
カルト教 団 の犠 牲 者 は本 人 だけではない。そのご家 族 の痛 みもまた、カルト教 団 がもたらしたものであ
る。昨 日 私 は、カルトのことで悩 んでおられる 4 軒 のご家 族 から電 話 を受 けた。奥 様 がカルトに入 ってしま
ったために離 婚 を考 えている 40 才 ぐらいの男 性 。嫁 ぎ先 でカルト教 団 に入 った娘 さんのことで、親 族 会
議 の真 っ最 中 に電 話 をかけてきた 60 才 ぐらいの婦 人 。27 才 の息 子 さんをカルトに奪 われたと嘆 くお母 さ
ん。奥 さんと聖 書 をいっしょに学 び続 けた結 果 、最 近 心 を開 いて話 してくれるようになった、と喜 びの知 ら
せをくださった 40 才 になるご主 人 。
カルト教 団 がもたらした悲 劇 、それは決 して小 さなものではない。これからますます増 えるであろう。もう
何 年 も信 仰 のことで口 論 が絶 えない夫 婦 。親 戚 中 が集 まって、右 往 左 往 している一 族 。カルトに入 って
しまったのは自 分 のせいだと自 責 の念 にかられている人 。あの時 もっときつく注 意 しておけば、カルトに
入 らなかったのではないかと悔 やんでいる人 。その宗 教 団 体 がカルトであるなどとは夢 にも思 わず、信 仰
に励 むようしっかり励 ましてしまったことを嘆 いている人 。マインドコントロールについて無 知 だったので、
迫 害 に迫 害 を重 ねてしまった人 。本 当 にいろいろである。
ご家 族 の皆 さん、自 分 を責 めないでいただきたい。愛 する人 の救 出 をあきらめないでいただきたい。家
族 の方 々の愛 は必 ず届 く。道 は必 ず開 かれる。最 終 的 には、肉 親 の方 々の愛 しかない。目 をあげてい
ただきたい。いっしょに重 荷 を背 負 ってくださるカウンセラー、弁 護 士 、精 神 科 医 、教 育 者 、宗 教 家 が、
あなたのそばにも必 ずいるはずである。
マインドコントロールによってカルトの新 しい人 格 を植 えつけられたとしても、その人 本 来 の人 格 が完 全
に消 えてしまったわけではない。もとの自 分 は深 く残 っているものであり、 何 かがあれば吹 き出 してくる。
カルト教 団 の中 では消 滅 してしまったかのように見 えても、決 してそうではない。カルト信 者 になったあな
たの大 切 な人 が、現 在 どんな状 況 あるとしても、愛 し続 け、待 ち続 けていただきたい。カルト教 団 は決 し
て彼 の住 まいではない。あなたの家 こそ、ご家 族 こそ、彼 の帰 るべきところである。門 を広 く開 けて待 って
あげていただきたい。
<問 題 を解 決 しておく>
カルト宗 教 に入 った人 にはそれなりの理 由 がある。家 族 をカルトから救 出 しようとするなら、はじめにそ
の原 因 を取 り除 いておく必 要 がある。もし、その原 因 がご家 族 にあると思 われるなら、家 族 が集 まってそ
の問 題 を話 し合 うことからはじめなければならない。問 題 が今 でも続 いているのであれば、カルトから抜 け
出 させ、家 に戻 らせることは難 しい。たとえ救 出 に成 功 したとしても、カルトに戻 ってしまう確 率 は高 い。
カルト宗 教 への入 信 の動 機 が、具 体 的 な問 題 というより、人 生 の意 味 を求 め、自 分 をささげつくすこと
のできるものを捜 すといった宗 教 的 欲 求 に基 づくこともある。その場 合 には、カルトではない、真 の宗 教 を
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提 供 する必 要 がある。そのためには家 族 そろって、信 頼 できる宗 教 を尋 ねることをお勧 めする。娘 さんが
あるカルト教 団 から救 出 されることを願 って聖 書 の学 びをはじめたお父 さんが、聖 書 を信 じてキリスト教 に
入 信 した。その方 が、「娘 が本 当 に必 要 としているものがここにあることが分 かった」と告 白 している。その
ようなものを提 供 できるようになるまで、本 当 は、カルトから救 出 する準 備 ができていないのではないだろ
うか。家 族 の皆 さんが宗 教 を軽 視 しているため、そのことだけで、宗 教 以 外 の話 題 であっても、家 族 の話
は聞 くに値 しないとカルト信 者 に感 じさせてしまっていることは非 常 に多 い。
伝 統 的 な宗 教 は、カルト信 者 とそのご家 族 に対 し、オープンな姿 勢 をとる必 要 がある。できる限 りその
ご要 望 に応 じることができるよう配 慮 する用 意 がなければならない。なぜ人 々がカルトにひかれたのかを
認 識 し、そのニーズに応 える責 任 がある。むろん、伝 統 的 な教 団 は大 きな制 約 を背 負 っている。新 しい
宗 教 のように自 由 ではない。しかし、伝 統 を自 己 弁 明 に利 用 したり、隠 れ箕 にしてはならない。宗 教 が宗
教 である限 り、人 々の叫 びに応 えるべきである。宗 教 的 イリュージョンの世 界 に逃 避 してはならない。
<救 出 の土 台 づくり>
マインドコントロールを受 けた人 は、カルトの新 しい人 格 に置 き換 えられている。そのことは日 常 生 活 を
している限 りほとんど分 からない。むしろ周 囲 の人 々からは、すばらしい人 格 を身 につけたと勘 違 いされ
ることさえある。というのは、新 しいカルトの人 格 は単 純 、素 直 、従 順 、謙 遜 などをその特 色 としているから
である。ところが、カルト教 団 の信 仰 、組 織 などの話 になると、たちまち、カルトの人 格 のマイナス面 が顕
わになってくる。
では、そのようなカルト教 団 の人 々がカルトの間 違 いに気 づくために、どのような接 し方 をしたらよいの
か。カルトの信 者 をもつ家 族 の立 場 に立 って共 に考 えたいと思 う。
カルト教 団 は信 者 に対 し、組 織 の外 にいる人 々への徹 底 的 な懐 疑 心 を植 えつけている。「外 部 の人 た
ちは真 理 をもっていないどころか、真 理 の敵 、迫 害 者 である。決 して心 許 してはならない」。そう教 わって
いる。従 って、もしカルト信 者 を救 出 したければ、私 たちが敵 でも迫 害 者 でもないことを証 詞 しなければな
らない。彼 らを心 から愛 していること、信 頼 していること、いっしょに人 生 を送 りたいことを伝 えなければな
らない。
ほとんどのカルト信 者 は、信 仰 以 外 の日 常 会 話 で違 和 感 を示 すことはない。普 通 の会 話 をしている限
り、家 族 をサタン呼 ばわりすることもない。だから、ご家 族 の方 は何 でもない会 話 を少 しでも多 くするよう
努 力 していただきたい。もし、その方 がカルトと接 触 しはじめたばかりであるなら、カルトの危 険 性 をあいま
いにしないで、はっきり言 う必 要 がある。しかし、入 信 してしまってからは、カルトと直 接 関 わりのある話 題
を持 ち出 すには、知 恵 を要 する。入 信 前 ならともかく、入 信 してしまった後 は、信 者 にとって、カルトへの
非 難 はそのまま自 分 への非 難 になる。その結 果 、サタンが家 族 を背 後 で操 って、自 分 を迫 害 しはじめた
のだ、と考 えるようになる。これでは救 出 は不 可 能 である。家 族 をはじめ周 囲 の人 々が、サタンではなく、
自 分 のよき理 解 者 だとカルト信 者 が認 識 することこそ、救 出 の第 一 歩 である。このために、周 囲 の人 々
は大 きな努 力 をしなければなら ない。この土 台 ができあがらない限 り、救 出 の次 のステップに進 むことは
できない。
このような土 台 づくりには忍 耐 が求 められる。あるご主 人 は、数 年 にわたってカルト教 団 から出 版 されて
いる出 版 物 を学 び、さらにそのカルトを批 判 している書 物 も研 究 して、カルトの信 者 である奥 さんとディス
カッションを続 けている。最 近 その奥 さんは、組 織 のリーダーが正 直 に質 問 に答 えようとしないのを見 て、
組 織 に不 信 を募 らせつつある。そこまでいくのに、ご主 人 の努 力 は並 みたいていのものではなかった。
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カルト教 団 の信 者 も、もし相 手 が攻 撃 的 な態 度 をと らなければ、心 を開 く。だから、人 間 として心 が通
い合 う会 話 ができるようになることが先 決 である。それまでは、教 義 論 争 は控 えた方 がよい。カルト教 団 の
信 者 にはごまかしは絶 対 にきかない。カルトの信 者 は、あなたが彼 らの組 織 の人 たち以 上 に真 理 を求 め、
真 理 を愛 し、真 理 に生 きているのを見 るまでは、信 仰 のことで耳 を傾 けようとはしないであろう。その場 合 、
あなたが相 手 にしているのは、目 の前 にいる一 人 の信 者 ではなく、そのカルトのリーダーである。
カルト教 団 を甘 く見 てはいけない。カルトのリーダーたちは、現 代 人 が直 面 している問 題 や人 間 の心 理
をつぶさに研 究 している。人 間 関 係 を築 くという点 で、教 義 の知 識 という点 で、組 織 を形 成 する能 力 の
点 で、彼 らはプロ中 のプロである。だから、カルト集 団 から信 者 を救 出 することは、難 しい手 術 を手 掛 ける
のと同 じである。生 半 可 な気 持 ちで取 り組 むぐらいなら、はじめから手 をつけない方 がよい。
<考 える人 になるように>
カルト教 団 のことをよく知 らない人 は、カルトの教 義 や組 織 の間 違 いを指 摘 すれば、その信 者 は組 織
を離 脱 するはずだ、と考 える。それは全 くの勘 違 いで、甘 いと言 わざるを得 ない。信 者 は間 違 いを指 摘 さ
れると、防 御 本 能 が働 く。それ以 降 何 を聞 いたとしても、実 際 には何 も心 に入 っていかない。それはカル
トの信 者 に限 らず、人 間 誰 にでも起 こる現 象 である。従 って、本 当 の信 頼 関 係 を確 立 するまでは、教 義
についての会 話 をはじめてはならない。
救 出 活 動 は、説 得 からスタートするのではない。カルト信 者 を愛 することからはじまる。ご家 族 の方 が、
そのカルト宗 教 によって自 分 の生 活 が乱 されて困 るとか、世 間 体 が悪 いとか、自 分 は嫌 いだ、という動
機 から救 出 したいのであれば救 出 は成 功 しない。むしろ、カルトに入 信 したその人 自 身 が、本 当 にすば
らしい人 生 を送 ってほしい、という純 粋 な愛 からはじめる場 合 のみ、救 出 は可 能 である。
救 出 とは、カルト教 団 の教 えの間 違 いに気 づかせ、そこから解 放 することではない。そう考 える限 り平
行 線 の議 論 が続 き、不 毛 な結 果 に失 望 する。そうではなく、救 出 の鍵 は、信 者 の心 にかけられたマイン
ドコントロールを解 くことにある。カルトの人 格 に置 き換 えられてしまったとは、考 えることを放 棄 した人 間
になってしまった、ということである。従 って、マインドコントロールを解 くとは、自 分 で考 える人 間 になって
いただく、ということに等 しい。
では、考 える人 間 になっていただくにはどうすればよいのか。まず、カルトの信 者 が話 すことをよく聞 くこ
とである。そして、的 確 な質 問 をすることである。すぐに答 えることができるような、簡 単 な質 問 からはじめ
ていただきたい。自 分 がカルトについてよそで学 んだことを披 瀝 してはならない。決 して教 えようとしては
ならない。人 間 の一 番 の罪 深 い性 質 は、他 人 を教 えたいと思 うことにある。どうしてこんなことが分 からな
いのだ、そんなことは常 識 ではないか、誰 がどう考 えたっておかしい、というような言 葉 は皆 禁 句 である。
カルトの人 間 にとって、常 識 は何 の価 値 もなく、サタンが惑 わせ ているものにすぎない。だから、そんなこ
とは常 識 だよと言 えば、悪 魔 の側 に立 った人 々はそう考 えているのだ、と理 解 するだけである。
<効 果 的 な質 問 を>
話 し合 いがはじまったら、どんな場 合 にも腹 を立 ててはいけない。腹 を立 てたら、それだけで負 けである。
最 初 はその人 自 身 に関 心 をもっていることを示 すため、その人 に関 わることを取 り上 げるのがよい。相 手
のペースに合 わせ、ゆっくり、こんな質 問 からはじめてみてはどうだろう。
どうしてカルト集 団 に入 ったのか?
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カルト集 団 で得 られたものは何 か?
カルト集 団 のすばらしいところは何 か?
カルト集 団 にあって、世 間 一 般 にないものは何 か?
今 どんなことを感 じているか?
カルトの教 えの中 で、どんなところに一 番 感 動 したか?
どんな答 が返 ってきても、否 定 的 なレスポンスをしてはいけない。その考 えに賛 成 できなくても、ゆっくり
聞 いて、その人 自 身 を受 け止 めていただきたい。実 は、カルトの仲 間 には、その人 をそのまま受 け止 める
ような愛 は存 在 しない。カルト教 団 は、その組 織 に役 立 つ人 間 を求 めているだけである。従 って、カルト
の信 者 は組 織 の中 で、心 安 らぐ友 を見 いだすことはできない。ご家 族 を はじめ周 囲 の人 々は、テクニック
ではなく、本 当 の愛 を示 していただきたい。
もし、カルトが教 えている教 義 について話 し合 えるようになったら、次 のような質 問 を繰 り返 してみるとよ
い。
この点 について、組 織 はどう教 えているのか?
これまで組 織 はそれについて一 貫 してそのように教 えてきたか?
教 えを変 えたとしたらなぜだろうか?
組 織 の教 えに対 してあなたはどう思 うか?
組 織 が教 えていることで、何 かおかしいと思 うことはないか?
一 般 の人 が組 織 のそのような教 えを聞 いたとき、変 に思 うことはないだろうか?
一 般 の人 が変 に思 うのはどうしてだろうか?
その点 に関 し、他 の解 釈 をすることは可 能 だろうか?
別 の解 釈 を示 し、それに対 してどう思 うか?
カルト教 団 の信 者 と話 をするときは、時 間 を気 にしてはいけない。私 は一 般 の人 をカウンセリングすると
きは、1 時 間 半 までと決 めている。相 手 のためにはむろん、自 分 のためにもその方 がよい。スタッフ同 志
では 3 分 間 ですませるように訓 練 している。しかし、カルト教 団 の信 者 と話 すときは別 である。昨 日 も、一
人 のカルト教 団 の指 導 者 が来 訪 された。朝 の 10 時 にはじまり、夜 の 9 時 まで話 が続 いた。昼 食 もほとん
どとらず、夕 食 も忘 れて、何 と 11 時 間 である。しかもその方 は、帰 り際 に満 面 笑 みを浮 かべながら、「今
日 は本 当 にすばらしい、目 が開 かれた一 日 でした。何 だか 1 時 間 ぐらいしかお話 しなかったように感 じま
す」と言 って帰 られた。私 はすぐ床 につくことができたが、彼 は家 に着 くまで 4 時 間 車 を走 らせなければな
らない。このようなことは、そのカルト教 団 の信 者 である場 合 、例 外 ではない。
<カルトの集 団 から切 り離 す>
カルト信 者 との対 話 ができるようになったら、できるだけその人 をカルト集 団 から切 り離 す努 力 をすること
である。というのは、カルト集 団 に戻 ると、せっかく解 けはじめたマインドコントロールもすぐ復 元 してしまう
からである。だから、対 話 が成 り立 ち、本 人 が考 えはじめるようになったら、できるだけカルトの仲 間 から離
していただきたい。本 来 の自 分 がとり戻 せるような環 境 を設 定 していただきたい。
食 事 をともにするとか、買 物 や旅 行 に行 くとか、楽 しい行 事 を計 画 するなどして、人 間 としてごく当 り前
の感 情 を取 り戻 させなければならない。テレビも、ニュースや教 養 番 組 なら、それほど抵 抗 感 を示 さない
であろう。ともに見 ながら、常 識 的 なものの見 方 を自 然 に分 かちあうことである。絵 を描 いたり、音 楽 会 に
行 ったり、趣 味 のサークルに参 加 させてみることも一 案 である。カルトよりすばらしい家 族 や友 がカルトの
外 にいることを知 らせていただきたい。本 人 の意 志 を尊 重 してではあるが、キリスト教 の教 会 などに連 れ
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て行 くのもすばらしい。カルト以 外 の世 界 にも、カルトにまさる人 間 のすばらしい交 わりがあることを知 らせ
なければならない。もしカルトから救 出 されても、本 当 に自 分 が生 かされ、喜 びを味 わう仲 間 を見 出 せな
ければ、またカルトに帰 ってしまう恐 れがある。頭 で教 義 の間 違 いを理 解 しても、心 がカル トの雰 囲 気 を
渇 望 するからである。
<専 門 家 への依 頼 >
救 出 の過 程 で、家 族 が本 人 を保 護 し、専 門 家 に救 出 を依 頼 するという方 法 を取 った方 がよい場 合 も
少 なくない。いわゆる「脱 洗 脳 (デプログラミング)」である。この救 出 方 法 を詳 しく紹 介 することは控 えね
ばならない。ただ、キリスト教 系 のカルトに対 しては、そのカルトから脱 会 した人 とキリスト教 会 の牧 師 たち
が中 心 になって、真 剣 に取 り組 んでいる。私 もその内 の何 人 かとは親 しくさせていただいているが、ただ
ただ頭 が下 がる思 いである。
この方 法 には、問 題 がまったくないわけではない。家 族 が払 う犠 牲 も大 きいので、誰 にでも勧 めるわけ
にはいかない。しかし、あるカルト教 団 の信 者 と話 していると、結 局 この手 段 による以 外 方 法 がないので
はないか、と思 わされることがしばしばである。カルトからの救 出 、これは緊 急 事 態 である。超 法 規 的 措 置
が求 められる。事 例 があまりに多 く、恒 常 的 であるので、緊 急 とか、超 法 規 的 という言 葉 はふさわしくない
かもしれない。でも、カルトからの救 出 を真 剣 に考 えるなら、そのような言 葉 を使 わざるをえない。家 族 が
一 致 してこのデプログラミングに取 り組 むなら、カルト信 者 を組 織 から解 放 できる確 率 は かなり高 い。
アメリカなどには、「カルト集 団 からの脱 会 を助 けるカウンセラー」という専 門 家 がたくさんいる。残 念 なが
ら、日 本 でこのような働 きを進 めている人 はまだ少 ない。しかし日 本 でも今 後 、この種 の専 門 家 がたくさん
出 てくるであろう。いろいろなカルト集 団 を離 脱 した人 たちが増 えており、かつての仲 間 に対 して重 荷 を
負 って立 ち上 がる人 々も起 こされつつある。日 本 のキリスト教 会 もそのような働 き人 を育 てることに目 覚 め
はじめた。期 待 していこう。
<組 織 の矛 盾 を示 す>
カルトの信 者 が、所 属 するグループの間 違 いを調 べてみよう という気 になれば、その人 がカルトから解
放 される日 は遠 くない。教 団 の教 えを組 織 が説 くのとは違 った角 度 から見 直 す必 要 があると思 いはじめ
るなら、マインドコントロールは音 をたてて崩 れていく。もし組 織 以 外 の人 の話 を聞 く姿 勢 を示 したなら、
チャンスである。ぜひそのカルト教 団 のことをよく知 っている人 のところに連 れて行 っていただきたい。もし、
カルト教 団 を離 脱 する気 持 ちが読 み取 ることができるなら、そのカルトの専 門 家 の援 助 を願 う方 がよい。
彼 らはそのカルト教 団 の間 違 いやウイークポイントをよく理 解 しているだけではない。脱 会 しようとす る信
者 の不 安 や迷 いを暖 かく包 むことができる。脱 会 者 に対 するカルト教 団 側 の対 応 もよく知 っているので、
効 果 的 な脱 会 手 続 きの方 法 も教 えてくれる。どのようなことが起 こっても、彼 らは専 門 家 として対 処 してく
れる。
カルト信 者 が教 団 から離 脱 するには、大 きな決 断 をしなければならない。その決 断 を決 定 的 なものに
するためには、組 織 がもっている矛 盾 点 、教 義 上 間 違 っている点 を言 い逃 れができないように追 い詰 め
ていく。しかしその場 合 、一 般 的 常 識 や客 観 的 事 実 と照 らし合 わせながら話 しても効 果 がない。カルトの
信 者 は、組 織 内 の出 版 物 しか信 じない。従 って、組 織 が出 版 している書 籍 等 の中 から、互 いに矛 盾 す
る点 を考 えさせる、という方 法 しか残 されていない。それも偶 然 起 こった矛 盾 ではなく、組 織 が意 図 的 に
ごまかしていることを明 らかにしなければならない。組 織 の欺 瞞 性 を明 らかにすることがポイントである。通
常 、カルトの信 者 は、教 義 の矛 盾 を指 摘 されても、組 織 が教 える奇 妙 な詭 弁 で答 えてくる。マインドコン
28
トロールがきいている限 り、それは続 く。しかし、もし組 織 が信 者 を意 図 的 に欺 いていることが本 当 に分 る
なら、マインドコントロールは氷 解 する。そうすれば、脱 会 の決 断 もできる。
<脱 会 の決 断 をしてから>
カルト集 団 の信 者 は、別 の世 界 観 、別 の価 値 観 、別 の思 考 様 式 の中 で生 きてきた人 たちである。カル
ト 教 団 の 間 違 いに 気 づいた からと いって、す ぐに一 般 的 、常 識 的 な人 間 に なるわ けで はない 。周 囲 の
人 々は引 き続 き、暖 かい心 をもってフォローし続 けなければならない。時 間 がかかることを忘 れてはなら
ない。完 全 な回 復 には、その人 がカルトに関 わっていた年 数 と同 じだけの年 数 がかかると考 えていただ
きたい。
多 くのカルト集 団 は、組 織 から離 脱 した人 に報 復 する。ある教 団 は、その人 を組 織 に連 れ戻 そうとした
り、肉 体 に危 害 を加 えようとする。他 の教 団 は、一 切 の交 際 を遮 断 し、精 神 的 に苦 痛 を味 わわせる。そ
の扱 いは、脱 会 した人 がカルト教 団 の中 で占 めていた位 置 によって違 う。組 織 にとってダメージが大 きい
人 物 であればあるほど、報 復 は厳 しくなる。
脱 会 した人 が受 ける苦 痛 は、カルト教 団 からの報 復 だけではない。マインドコントロールの後 遺 症 もま
た強 力 である。カルト信 仰 の間 違 いに気 づき、生 来 の自 分 を取 り戻 すには、多 くの葛 藤 を経 験 する。植
えつけられた教 義 は、絶 えず脳 裏 によみがえってくる。新 しいパラダイムが確 立 されるまでは、さまざまな
新 しい情 報 と古 いパラダイムの間 で不 協 和 音 を起 こし続 ける。それはごく自 然 なことである。そのような状
況 を見 て、周 囲 の人 々は、彼 はまだカルトから抜 け出 ていないのではないのか、と心 配 するのはよくない。
自 然 の感 情 が増 えれば増 えるほど、カルト集 団 に戻 ることはできなくなる。カルト教 団 に戻 るのではない
か(フラッシュバックという)と周 囲 の人 々が心 配 しているのが脱 会 者 に伝 わると、脱 会 者 は気 持 ちのやり
場 がなくなる。カルトに戻 ることなどもうありえない、そう信 頼 することだ。
カルト集 団 を脱 会 した人 は、宗 教 に対 して次 の3つのパターンのどれかを選 ぶ。
①すべての宗 教 に嫌 気 がさして、無 宗 教 になる。
②教 義 は正 しいのだが、それを説 いた組 織 が間 違 っていたと考 え、その信 仰 の本 来 あるべき姿 を求
めようとする。
③そのカルトとは異 なるより本 物 の信 仰 を求 め、他 の宗 教 を捜 す。
これらいずれのケースを選 ぶかは、カルト集 団 の中 での本 人 の宗 教 経 験 、組 織 から離 脱 するときの本
人 の状 態 、離 脱 を助 けた周 囲 の人 々の姿 勢 などによって違 ってくる。いずれにしても、周 囲 の人 々は自
分 の考 えや宗 教 を押 しつけるべきではない。本 人 の希 望 、判 断 を尊 重 すべきである。進 路 選 択 をす ぐ
できる人 と、時 間 を要 する人 とがいる。その人 のペースに合 わせる以 外 にない。どんなことがあっても、カ
ルトからカルトに渡 り歩 く人 (カルトジプシーという)をつくってはならない。
<リハビリが大 切 である>
カルト集 団 に身 を置 いた人 は、自 分 のすべてをそこにかけてきた人 である。カルトに入 信 するとき、職
業 も、財 産 も、友 人 も、それまで築 いてきたすべてのものを捨 てている。カルトから出 る場 合 もまた、再 び
一 からやり直 さねばならない。昨 年 10 月 、私 は、あるカルト教 団 に 50 年 間 生 活 した方 とお会 いした。彼
は淡 々と次 のような話 をしてくれた。「私 は、4 か月 前 に、教 団 を脱 会 する決 心 をしました。このままその
教 団 に留 まっていれば、死 ぬまで衣 食 住 には不 自 由 なく、それなりの生 活 ができるのに、と何 度 も考 え
ました。でも、数 年 間 の調 査 の結 果 、組 織 が偽 りを教 えていることが分 かった以 上 、そのまま組 織 に留 ま
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ることはできませんでした。私 の良 心 が許 さないのです。これからの人 生 がどのようになるのか、今 の私 に
は、まったく分 かりません。ただ神 にお委 せすることにしました。私 としては、本 当 の神 に、誠 実 にお仕 え
していきたいと願 っています。」
カルト教 団 から脱 会 する人 に対 し、とりあえずの生 活 ができるよう配 慮 しなければならないこともある。住
居 、食 物 、衣 服 、当 面 の生 活 費 などである。カルト集 団 から離 脱 した人 たちは、ほとんど無 一 物 である。
彼 らは今 日 生 きるための糧 を必 要 とする。ご家 族 に理 解 がある場 合 はよいが、恵 まれたケースばかりで
はない。カルト信 者 の救 出 に関 わる者 は、そのような点 で惜 しむことがあってはならない。
脱 会 者 が何 よりも必 要 としているのは、心 から話 し合 える友 である。彼 らが発 する疑 問 には、誠 実 に答
えてあげなければならない。すぐ答 えられなければ、調 べる努 力 を惜 しんではならな い。ときに、なぜその
ような問 題 にこだわるのか分 からないこともあるだろう。繰 り返 し同 じ質 問 をするかもしれない。自 分 にだけ
ではなく、他 の人 にも同 じような質 問 をするだろう。そのようなとき、自 分 を信 用 していないのか、私 の答 の
どこが不 満 なのだ、などと腹 を立 ててはいけない。同 じ質 問 をいろいろな人 にし、多 くの人 から同 じ答 え
が返 ってくることを期 待 している。それはカルトの思 考 回 路 の特 色 である。
カルトの離 脱 者 は、自 分 より先 にそのカルトを出 た人 に会 うと大 変 勇 気 づけられる。かつての仲 間 たち
との分 かちあいは、心 の奥 底 に刻 まれたカルトの傷 をいやす。組 織 を離 脱 する前 後 は、恐 怖 感 、不 安 感
で一 杯 である。自 分 と同 じような体 験 をした人 の話 を何 度 も何 度 も聞 きながら、自 分 の行 動 が間 違 って
いなかったことを確 かめようとする。
カルト集 団 を離 脱 した人 は、さまざまな恐 れや不 安 に襲 われる。また、組 織 に戻 りたくなるという感 情 に
襲 われることもあるかもしれない。かつての友 のことが気 になるのも自 然 である。感 情 はあまりいじらない
方 がよい。時 間 が解 決 することも多 い。むしろ、植 えつけられた教 義 の一 つ一 つを正 しい考 えに置 き換
えていく作 業 が必 要 である。カルトのパラダイムを新 しいパラダイムに変 えてしまうのである。それ以 降 の
人 生 が中 途 半 端 にならないために、この新 しいパラダイムづくりに時 間 をかけることを惜 しんではならない。
カルトの信 者 が脱 会 すると、家 族 は、これまでさんざん周 囲 に迷 惑 をかけてきたのだから、今 度 は早 く恩
返 しをしなさい、と社 会 復 帰 を強 く勧 めたくなるであろう。あわてないでいただきたい。カルトのマインドコ
ントロールをそれほど甘 くはない。リハビリには十 分 な時 間 を取 らねばならない。
家 族 の人 や周 囲 の人 々だけでは、脱 会 者 を十 分 にリハビリすることはできない。いろいろな手 段 を 捜 し
てほしい。どこかにカルト教 団 から離 脱 した人 々の定 期 的 な集 まりがあるだろう。同 じカルトの元 メンバー
が集 まって、そのカルトの教 義 を新 たな角 度 から学 び直 している人 たちもいる。かつての仲 間 を救 出 しよ
うと考 えている人 たちもいるはずだ。カルトの脱 会 者 たちのために書 物 を用 意 したり、高 度 な講 座 を開 い
ている人 たちもいるだろう。被 害 者 の家 族 会 などのようなものもあるはずである。家 族 の方 々は、そのよう
な所 に積 極 的 に出 ていくよう励 ましていただきたい。脱 会 して家 族 は喜 んでいるのだが、本 人 は今 一 つ、
という場 合 もないわけではない。脱 会 しただけでは振 り出 しに戻 っただけである。新 たな目 標 に向 かって
すばらしい人 生 を歩 み直 す希 望 を与 えていただきたい。
<かつての仲 間 に>
カルト教 団 の偽 瞞 性 を確 信 して組 織 を離 脱 した人 は、かつての教 団 にどのような態 度 をとるのだろうか。
大 きく分 ければ次 の三 つが考 えられる。
①そのカルトの欺 瞞 性 に嫌 気 がさし、すべてを忘 れようとする。
②そのカルトの欺 瞞 性 を赦 すことができず、そこで失 ったものを数 え、憎 しみをもち続 ける。
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③そのカルトの欺 瞞 性 を赦 し、今 でもそこに留 まっている人 々が犠 牲 者 であると認 識 し、救 出 活 動 を
展 開 する。
私 が知 る限 り、組 織 を離 脱 した人 は、一 般 の人 より、組 織 に対 して厳 しい態 度 をとる。彼 らが、すべて
の財 、才 能 、時 間 、人 生 をそのカルトにささげてきたことを思 えば当 然 のことである。彼 らは、そのすべて
を欺 かれた犠 牲 者 である。彼 らは入 信 するとき、一 切 のものを捨 てた。そしてそのカルトから抜 け出 すに
あたって、再 び、カルト内 で得 たすべてのものを捨 てた。だまされたとはいえ、自 分 で入 信 した以 上 、他
の誰 かを責 めるわけにはいかない。彼 らは怒 りをぶつけるところがないのである。周 囲 はその悔 しさを分
かってあげなければならない。
もし、離 脱 者 たちが集 まって、かつての仲 間 のことを悪 く言 ったり、組 織 で起 こったことの不 満 をもらす
ようなことがあったなら、暖 かく見 守 ることだ。彼 らは、そのようにすることによって、自 分 の歩 みを整 理 して
いる。カルト時 代 の生 活 は本 当 に窮 屈 で、規 制 されたものである。そこで蓄 積 された不 満 は組 織 を出 て
から日 に日 に大 きくなる。一 度 は全 部 吐 き出 させた方 がよい。それも仲 間 同 志 が一 番 よい。お互 いを理
解 し合 えるからだ。カルトの離 脱 者 が、本 音 で話 すことはできる友 は、同 じ痛 みを経 験 しているかつての
仲 間 なのである。
カルト外 の人 が、カルト教 団 を離 脱 した人 に、カルトの悪 口 を言 うことは慎 重 にした方 がよい。もし批 判
すれば、元 信 者 を傷 つけるだけである。憎 しみと恨 みを増 幅 させても、何 一 つ益 はない。むしろ、カルト
の経 験 をプラスに働 かせることができないか、アドバイスした方 がよい。彼 らは一 般 の人 がなしえない経
験 を味 わった人 々である。もしそれを生 かすことができると分 かれば、カルトの経 験 も無 駄 ではなかったと
励 まされるであろう。
中 でもすばらしいことは、かつての仲 間 の救 出 に役 立 てることである。自 分 は解 放 されたとしても、それ
まで共 に生 活 してきた友 の多 くは、未 だ組 織 の中 で奴 隷 状 態 にあるのだ。そこでの経 験 をもっている人
は誰 よりもそのことに痛 みを感 じるはずである。だれかがカルトの内 部 の人 々に、「本 当 の情 報 」を知 らせ
なければならない。中 には、疑 いをもって情 報 を求 めている人 もいるはずである。一 歩 先 に情 報 を手 にし
た離 脱 者 こそ、彼 らを助 けることができる人 である。さらに、何 も知 らない一 般 の人 々にカルトの怖 しさを
警 告 することは、カルト経 験 者 の義 務 だと言 ってよい。その恐 ろしさを本 当 に語 れるのは、カルト集 団 の
離 脱 者 だけである。それは、かつての仲 間 を裏 切 ることではない 。むしろ社 会 を本 当 に愛 しているからこ
そ出 てくる行 動 である。
<おわりに>
今 、日 本 の社 会 はカルト教 団 の実 態 にめざめ、正 しい対 応 をはじめなければならない。もしこれまでど
おり、無 関 心 を装 い続 けるなら、やがてカルトから大 きなしっぺ返 しが来 るだろう。その時 では遅 すぎる。
オウムのような重 大 事 件 を経 験 しながら、ここから何 も学 ばないとすれば、それこそ社 会 全 体 が病 んでい
ると言 わなければならない。
まず、カルト集 団 をはびこらせないことである。カルトの信 者 を組 織 から救 済 することは容 易 ではない。
それより重 要 なことは、人 々がカルトに入 ることを防 ぐことである。一 人 一 人 がカルトの実 態 を知 り、カルト
から身 を守 ることである。カルト的 な宗 教 教 団 を厳 しく監 視 することは、信 教 の自 由 を軽 視 することでは
ない。
このために、各 家 庭 が果 たすべき責 任 は大 きい。宗 教 を危 険 視 し、子 どもたちに宗 教 団 体 から遠 ざか
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るよう教 えるだけでは不 十 分 である。人 々が宗 教 に求 めていることは、人 間 にとって根 源 的 なものである。
体 系 的 世 界 観 の欲 求 、本 当 の自 己 の発 見 、生 涯 をかけても惜 しくないもの、人 生 の目 的 、こういった問
題 に親 が取 り組 まなければ、子 どもたちがカルトに走 るのを食 い止 めることはできない。子 どもをカルトか
ら守 りたければ、親 が自 らの宗 教 的 認 識 を変 革 する必 要 がある。
カルト問 題 は、教 育 の世 界 にも大 きな変 革 を求 めている。実 利 主 義 、多 元 主 義 、相 対 主 義 、唯 物 主
義 、科 学 主 義 といった言 葉 でくくられてしまう現 代 の学 問 の在 り方 に、改 めて根 本 的 なメスを入 れなけれ
ばならない。真 理 を探 求 すること、批 判 的 精 神 を養 うことこそ、学 問 本 来 の目 標 である。元 日 本 哲 学 会
会 長 の沢 田 允 重 教 授 が「今 日 の教 育 の最 大 の問 題 は、考 える人 間 を育 てようとしないことにある。高 校
教 育 で、倫 理 社 会 という科 目 を設 けたとき、暗 記 の科 目 としての倫 理 を教 えることになってしまった。本
来 そこでは、考 える人 を育 てるために、哲 学 を教 えるべきだった」と述 べている。オウム問 題 にからめての
発 言 であるが、師 が 30 年 前 、教 室 で学 生 に同 じことを講 じておられたことを思 い出 す。
カルト問 題 を起 こさせた責 任 のかなりの部 分 は、既 成 の宗 教 界 が負 うべきである。確 かに、現 代 の若
者 がいつでも正 しい宗 教 的 関 心 や欲 求 をもって、宗 教 に近 づいているわけではない。しかし、それらを
正 し、あるべき方 向 に整 え、その底 辺 に流 れている根 源 的 な叫 びに誠 実 に応 えていく責 任 が宗 教 界 に
はある。カルトが応 えようとした彼 らのニーズを既 成 の宗 教 が受 け止 めない限 り、カルトはなくならない。カ
ルト宗 教 の台 頭 は、既 成 宗 教 に対 する厳 しい告 発 に他 ならない。
************
付 録 エホバの証 人 はカルトか
これまでの理 解 では不 十 分
エホバの証 人 はキリスト教 の異 端 である。彼 らは背 教 者 である。従 ってクリスチャンは、彼 らが訪 問 して
くるなら、ヨハネの手 紙 第 二 7-11 節 を適 用 しなければならない。口 をきいたり、あいさつをしてはいけない。
家 に入 れて証 詞 することなどは止 め、玄 関 で追 い返 すべきである。
これがこれまでの福 音 派 のクリスチャンがとったエホバの証 人 に対 する基 本 的 態 度 だった。しかしそれ
は避 けなければならない応 対 である。というのは、エホバの証 人 はあらかじめ、「キリスト教 世 界 のクリスチ
ャンは、聖 書 を知 らないので、エホバの証 人 が聖 書 について話 し合 おうとしても応 じない」と教 わっている。
従 って、もしクリスチャンが門 前 払 いをくわせるなら、エホバの証 人 は組 織 が教 えたとおりであると思 って
しまい、自 分 たちの信 仰 に確 信 をもたせてしまう結 果 となる。
しかし、もしものみの塔 がカルト教 団 であると認 識 するなら、戸 別 訪 問 を繰 り返 しているエホバの証 人 を
神 学 的 な異 端 者 ととらえるだけでは不 十 分 になってくる。彼 らはカルトのマインドコントロールを受 けた、
救 出 されるべき犠 牲 者 だと認 識 しなければならない。
もしエホバの証 人 がカルトの犠 牲 者 であるなら、背 教 者 として玄 関 で追 い返 すべきではない。家 にあた
たかく迎 え入 れ、入 信 の動 機 を尋 ねていただきたい。彼 らが教 え込 まれていることが聖 書 の教 えとは違 う
ことを聖 書 から示 して上 げていただきたい。ものみの塔 の実 態 を知 ることができるよう手 助 けしていただき
たい。そして、あなたの救 いの経 験 を証 詞 していただきたい。
ものみの塔 の反 論 (1)
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普 通 カルトと呼 ばれるグループは、自 らの組 織 をカルト教 団 と認 めるわけではない。エホバの証 人 もま
た例 外 ではない。
『ものみの塔 』誌 94 年 2 月 15 日 号 は、「エホバの証 人 、カルト教 団 ? それとも神 の奉 仕 者 ?」という
特 別 記 事 を掲 載 している。その記 事 は、最 近 のマスコミやカルト研 究 家 たちが、ものみの塔 をカルト教 団
として扱 っていることに対 し、反 論 を展 開 している。
それは、「カルト教 団 とは何 ですか」という記 事 と、「エホバの証 人 はカルト教 団 ですか」という二 つの記
事 から成 り立 っている。簡 単 に要 約 して紹 介 しておこう。
まず「カルト教 団 とは何 ですか」という記 事 である。それは、 1993 年 にテキサス州 で起 こった事 件 の紹
介 からはじまっている。なぜかワコという町 名 も、ブランチダビデアンというグループ名 も、教 祖 ダビデ ・コ
レシュについても言 及 されていないが、彼 らのことが言 われていることは明 らかである。
続 いて、この事 件 は別 の三 つの事 件 を思 い出 させるとして、1969 年 のマンソンによる殺 人 事 件 、1978
年 のガイアナのジョージラウンの集 団 自 殺 事 件 、 1987 年 の韓 国 における殺 人 的 自 殺 協 定 事 件 に触 れ
る。
そして、カルト監 視 団 体 が何 百 も存 在 することを紹 介 し、それらのグループが、2000 年 という時 が終 末
意 識 を増 幅 させ、今 後 さらにカルト教 団 が増 えるであろうと予 測 していることを紹 介 している。
続 いて、ワールドブック百 科 事 典 から、カルトという言 葉 の伝 統 的 使 用 法 の説 明 をし、最 近 の使 われ方
を三 つ紹 介 する。一 つは、「普 通 は小 さな非 主 流 派 のグループで、その信 者 は自 己 意 識 や目 的 を一 人
のカリスマ的 な人 物 から得 る」(ニューズウイーク誌 )、二 つ目 は、「カルトという語 はあいまいだが、それは
普 通 、一 人 のカリスマ的 な指 導 者 を中 心 に作 り上 げられる新 しい宗 派 を指 す。その指 導 者 は大 抵 、自
分 は神 の化 身 であると主 張 する」(アジアウイーク誌 )、三 つ目 は、「カルト教 団 とは、ある人 物 や考 えに
対 して極 端 な献 身 を示 し、その指 導 者 の目 的 を推 進 するために、非 倫 理 的 で巧 妙 な説 得 と支 配 の手
法 を使 うグループや運 動 である」(メリーランド州 の第 百 回 議 会 の合 同 決 議 )である。
そして、一 般 的 に理 解 されているカルト教 団 の定 義 として、「明 らかにカルト教 団 は、正 常 な社 会 行 動
として今 日 受 容 されているものに反 した、急 進 的 な見 方 や慣 行 を有 する宗 教 グループである」とまとめて
いる。そしてカルト教 団 は、①宗 教 活 動 を秘 密 理 に行 なう、②共 同 体 社 会 を作 り上 げて、外 の世 界 から
孤 立 する、③指 導 者 に対 して無 条 件 で排 他 的 に献 身 する、④指 導 者 は神 から選 ばれたと主 張 する、と
いう 4 点 を特 色 としてあげている。
続 いて、反 カルト組 織 やマスコミがエホバの証 人 をカルトと述 べていることに触 れ、エホバの証 人 はカル
トだろうかと、六 つの点 で問 いかけている。①非 主 流 派 の小 さな宗 教 グループか? ②家 族 や社 会 から
孤 立 しているか? ③詐 欺 的 で非 倫 理 的 な手 法 で信 者 を獲 得 しているか? ④信 者 にマインドコントロ
ールを用 いているか? ⑤秘 密 理 に礼 拝 をしているか? ⑥指 導 者 を崇 敬 しているか?
ものみの塔 の反 論 (2)
第 二 番 目 は「エホバの証 人 はカルト教 団 ですか」という記 事 である。
まずイエス、その弟 子 たち、そしてパウロが当 時 の社 会 から受 け入 れられなかった事 実 を指 摘 する。そ
して、エホバの証 人 が社 会 に受 け入 れられない点 をもっているとしても、イエスたちと同 じ仕 打 ちを受 け
ているにすぎないのであって、カルト教 団 と言 われる理 由 はない。
続 いて、エホバの証 人 は微 笑 みを浮 かべた普 通 の人 であるという、ロシアのある役 人 の感 想 を紹 介 す
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る。王 国 会 館 の集 会 は誰 にでも公 開 されているので、秘 密 理 の団 体 ではない。そして、エホバの証 人 は
正 直 で、礼 儀 正 しく、勤 勉 な人 たちである、エホバの証 人 の組 織 は、愛 と創 造 者 に対 する信 仰 に基 づ
いている、との部 外 者 の言 葉 を紹 介 する。
さらに、93 年 の記 念 式 には、1,100 万 人 以 上 の人 々が集 っているので、非 主 流 派 の小 さなグループと
は言 えない。
最 近 のヨーロッパの裁 判 でも、エホバの証 人 には、思 想 、良 心 、宗 教 の自 由 があると認 めたと、主 張 、
エホバの証 人 は詐 欺 的 な手 法 で信 者 を獲 得 したり、ごまかしの手 法 で信 者 たちをマインドコントロールし
ているか、と問 いかける。
エホバの証 人 は他 の人 から孤 立 するようなことをせず、家 族 を愛 し、人 々の中 で生 活 している。災 害 が
あれば救 援 物 資 を送 り、訪 問 伝 道 によって人 々への援 助 に没 頭 している。
エホバの証 人 はキリスト教 界 とは違 うことを教 えているが、それは聖 書 を厳 密 に解 釈 しているからであり、
聖 書 が伝 統 にとって変 わった結 果 である。エホバの証 人 には僧 職 者 階 級 はなく、キリストだけを崇 めて
いる。
イエスに対 する中 傷 を聞 いてもそれに惑 わされなかった人 がいたように、エホバの証 人 に対 する中 傷 を
聞 いても惑 わされないように。
以 上 がおよその要 約 である。
反 論 の反 論
以 上 のものみの塔 の説 明 は人 々を納 得 させるものだろうか。『ものみの塔 』誌 を最 も熱 心 に読 むのは、
エホバの証 人 である。そのエホバの証 人 であるなら、このような論 述 で納 得 するのであろう。あるエホバの
証 人 は、『ものみの塔 』誌 がこのような記 事 を扱 っているというだけで安 心 し、その論 拠 を何 一 つ検 証 す
ることなく、エホバの証 人 はカルト教 団 ではないのだと確 信 する。
組 織 外 の者 にとっては、ものみの塔 の反 論 は到 底 納 得 できるものではない。特 に二 番 目 の方 の記 事
は、論 旨 に一 貫 性 がなく、何 を言 いたいのかよく分 らないところがある。そ れ故 、エホバの証 人 が本 当 に
カルト教 団 ではないのか、検 証 したい。
『ものみの塔 』誌 は最 初 の記 事 において、カルト教 団 の定 義 を扱 い、エホバの証 人 がカルトかどうかを
判 断 するため、六 つの点 を問 いかけるよう呼 びかけている。ここでは、私 の考 える定 義 は横 に置 いて、『も
のみの塔 』誌 の定 義 と論 理 にしたがって、考 察 してみよう。
検 証 1 エホバの証 人 非 主 流 派 の小 さな宗 教 グループか?
小 さな宗 教 グループとは、何 人 ぐらいを指 すのだろうか。千 人 ぐらいのジムジョーンズのグループは小 さ
いグループに含 めてよいであろう。一 万 人 のオウム 真 理 教 を小 さいと言 えるかどうかは、人 によって分 れ
る。いずれにしろ、今 日 のエホバの証 人 を小 さな宗 教 グループと見 なす人 はいないと思 う。
「小 さな非 宗 教 的 グループ」という表 現 は、ニューズウイーク誌 の定 義 の中 に、「普 通 は」という修 飾 語
つきで出 てくる。しかし、第 一 記 事 の終 わりの部 分 で、最 後 にまとめられた定 義 の文 章 には出 てこない。
私 の知 る限 り、カルト教 団 の定 義 において、そのグループの規 模 を問 題 にしている専 門 的 なカルト研 究
家 はいない。2000 あるいは 3000 とも言 われるカルト教 団 の多 くが小 さなグループであることは間 違 いな
34
い。従 って、普 通 は、一 般 には、カルト教 団 は小 さなグループである。だから、モルモン教 、エホバの証
人 、クリスチャンサイエンスなどの比 較 的 大 きな宗 教 集 団 は、もしカルトに入 れる場 合 には、「大 きなカル
ト教 団 」(large major cults)と分 類 されている。
『ものみの塔 』誌 も、数 は大 きな問 題 ではないと言 いながら、まず、カルト教 団 は小 さなグループだという
印 象 を与 え、その点 から見 れば、エホバの証 人 がカルト教 団 ではないのだという印 象 を焼 き付 けるようと
しているように思 えてならない。
第 一 の記 事 の書 き出 しのグループも、それを契 機 に想 起 させられたという三 つのグループも、いずれも
誰 もが認 める小 さなカルト集 団 である。さらに、冒 頭 の頁 には、ワコで起 こった銃 撃 戦 の写 真 が頁 の半 分
以 上 を占 めている。カルト教 団 とは何 ですかというタイトルのもとにこのような書 き方 をすれば、読 者 の脳
裏 には、はじめ からエホバの証 人 の対 局 にあるようなカルトの イメージをつくるのに成 功 しているのであ
る。
検 証 2 家 族 や社 会 から孤 立 しているか?
『ものみの塔 』誌 は、エホバの証 人 は家 庭 を大 切 にし、孤 立 しないで地 域 共 同 体 の中 に生 活 している
からカルトではない、と論 じている。ものみの塔 が、家 庭 を大 切 にするよう信 者 に教 えていることは、昨 年
の書 籍 研 究 で、「家 庭 」の問 題 をとり扱 っていることから見 てもうなずける。しかしそのような教 えがそれが
うまく機 能 するのは、家 族 全 員 が35G ホバの証 人 である場 合 (そのような家 族 を「神 権 家 族 」と呼 ぶ)であ
る。
もしほかの家 族 がエホバの証 人 ではない場 合 には、ほとんどのエホバの証 人 は家 族 から孤 立 した状 態
にある。彼 らは、集 会 への出 席 の義 務 、書 籍 の学 びのための予 習 と復 習 、訪 問 伝 道 への献 身 などを通
して、それぞれが家 族 や地 域 社 会 に住 んでいるとは言 うものの、共 同 体 以 上 の共 同 体 生 活 を営 んでい
るのである。
一 番 問 題 なのは、家 族 や友 人 たちを、汚 れた者 、サタンが用 いるものと見 なし、家 族 や友 人 より、エホ
バの証 人 の信 仰 仲 間 の交 わりを優 先 させることにある。同 じ『ものみの塔 』誌 の 24 頁 に、述 べている通 り
である。
「必 要 以 上 に世 の人 々と交 際 することにも注 意 していなければなりません。それは、近 所 の人 、学 校 の
友 だち、職 場 の同 僚 、商 売 仲 間 かもしれません。わたしたちは自 分 に、『あの人 は、エホバの証 人 を尊
重 してし、品 行 方 正 だし、それにわたしたちは時 々、真 理 のことだって話 して いる』と言 い聞 かせます。し
かし他 の人 々の経 験 は、わたしたちが次 第 に霊 的 な兄 弟 姉 妹 との交 わりよりも、世 の仲 間 との交 わりを
好 むようになることさえあることを実 証 しています。そうした交 友 にはどんな危 険 があるでしょう。」
ここにある警 告 は、イエスやパウロが教 えた「キリストへの信 仰 の故 に対 立 すること」とは違 う。ジムジョー
ンズやダビデ・コレシュも同 じような警 告 を発 していた。それはカルト的 体 質 から来 る世 からの分 離 である。
エホバの証 人 の家 族 や友 人 の多 くは、キリストに従 うことや聖 書 に従 うことに反 対 しているわけではない。
奇 妙 な聖 書 の解 釈 をしているにも関 わらずそれに気 づかない信 仰 の体 質 (それこそものみの塔 の信 仰
がカルトであるしるしなのだが)、マインドコントロールされた状 況 に危 惧 の念 を抱 いているのである。
海 老 名 の日 本 支 部 にいる 450 人 の専 従 者 、ニューヨークの本 部 に勤 める 13,000 人 の人 々を別 にす
れば、普 通 のエホバの証 人 は一 般 の人 と同 じように普 通 の生 活 を営 み、共 同 体 の中 に住 んでいるわけ
ではない。共 同 体 を形 成 していないのだからカルトではない、というのは説 得 力 はない。もしそうであれば、
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1,000 人 の出 家 者 に対 し、10,000 人 の在 家 信 者 をもつオウム真 理 教 もまたカルトではなくなる。
検 証 3 詐 欺 的 で非 倫 理 的 な手 法 で信 者 を獲 得 しているか?
『ものみの塔 』誌 は、研 究 生 に向 かって、詐 欺 的 な、非 倫 理 的 な手 法 で信 仰 に勧 誘 されているか、と
質 問 する。勿 論 答 えはノーである、として話 しが続 けられる。しかしエホバの証 人 のマインドコントロール
のノウハウは、100 年 以 上 の歴 史 の中 で培 われたものである。専 門 家 でさえ、注 意 深 く調 べなければ分
らないものである。
例 えば、エホバの証 人 の信 仰 は、『あなたも地 上 の楽 園 で永 遠 に生 きられます』という書 物 を用 いて エ
ホバの証 人 の信 仰 を教 えていく。あの書 物 は本 当 によくできていて、あの書 物 を用 いているうちに、知 ら
ず知 らずのうちにマインドコントロールされていく。
地 上 の楽 園 というエホバの証 人 の主 張 は、聖 書 から明 確 に立 証 できるものではない。ところが、この書
物 では、この表 現 を手 を変 え、品 を変 えて、繰 り返 し、人 間 それを自 然 に望 んでいるのだと思 わせ、少 し
でも関 連 がありそうな聖 句 を引 用 し、挿 絵 の効 果 なども用 いて、一 課 が終 わる頃 には、地 上 の楽 園 が聖
書 のメッセージであるかのように錯 覚 を起 こさせてしまうようになっている。
二 課 では、エホバの証 人 との研 究 は家 族 からの反 対 が起 こる、と警 告 する。事 実 、エホバの証 人 の学
びを続 けていくと、それに気 づいた家 族 が反 対 をはじめる。ところが研 究 生 は、家 族 の言 うことを真 剣 に
は聞 かないようになっている。悪 魔 は最 も親 しいものを用 いて反 対 してくると、とあらかじめ教 わっている
ので、エホバの証 人 の言 うとおりだと考 えるようになり、のめりこんでいく。これこそマインドコントロールな
のである。
誰 が見 ても分 るような詐 欺 的 な手 法 が用 いられているなどと考 えてはならない。
検 証 4 信 者 にマインドコントロールを用 いているか?
この記 事 は、研 究 生 に、エホバの証 人 がマインドコントロールを使 っているか尋 ねるなら、答 えはノーと
いうでしょう。だからマインドコントロールを使 っていない、と論 じている。これはおかしな議 論 である。マイ
ンドコントロールを受 けている人 が自 分 はマインドコントロールを受 けていると自 覚 する人 はいないのであ
る。自 分 こそ正 しい情 報 を手 にし、自 分 自 身 の考 えで判 断 していると思 っているのである。このような論
理 は外 部 の人 には、全 く説 得 力 はない。
エホバの証 人 のマインドコントロールはきわめて巧 みである。専 門 家 でなければ見 抜 けな いことも多 い。
統 一 教 会 やオウム真 理 教 のテレビを見 ていたあるエホバの証 人 は、自 分 たちと同 じだと思 い、連 絡 して
くださった方 がいる。よく見 れば同 じ原 則 でマインドコントロールがなされていることが分 る。
私 自 身 の観 察 では、統 一 教 会 やオウム真 理 教 よりもはるかにゆっくりとしたペースですすめているので、
エホバの証 人 の方 がはるかに強 い組 織 のマインドコントロールを受 けていると思 う。その仕 方 を見 ておこ
う。
①雑 誌 、書 籍 、集 会 などにおいて、エホバの証 人 の信 仰 の基 本 的 フレームを繰 り返 し、繰 り返 し教 える
②その基 本 的 フレームに合 わない情 報 はあらかじめ説 明 できるように解 釈 しておき、そのフレームの正 し
さが疑 われないようにしておく
③家 族 や友 人 たちがエホバの証 人 の信 仰 に反 対 する場 合 には、悪 魔 がそのような親 しい人 を用 いるの
だ、とあらかじめ予 防 線 をはっておき、耳 傾 けないようにさせておく。
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④エホバの証 人 の信 仰 を批 判 した書 物 、背 教 者 との接 触 などをたち、情 報 が入 らないようにする。
⑤教 義 と生 活 態 度 を結 び付 けて、これほど立 派 な人 々であるからすべての点 で間 違 いないはずだという
印 象 を与 えるようになっている。
⑥集 会 等 で絶 えず励 ましあい、バックスライドしないようにしあっている。
『ものみの塔 』誌 は、洗 脳 の犠 牲 者 はいないと断 言 している。これほど事 実 と違 うことはない。エホバの
証 人 に対 してカウンセリングをしているバーグマンは、エホバの証 人 の中 の精 神 病 患 者 は、普 通 の人 の
3-4 倍 に達 すると述 べている。彼 自 身 、三 代 目 のエホバの証 人 で、その偽 瞞 性 を知 ってエホバの証 人 を
離 脱 した人 物 である。
マインドコントロールによって犠 牲 になったエホバの証 人 はたくさん存 在 する。スティブハッサンは主 とし
て統 一 教 会 のマインドコントロールを扱 っているが、エホバの証 人 にも多 くの共 通 性 があ ると述 べている。
それは、参 考 文 献 に、以 前 エホバの証 人 だった七 人 (フランズ、ハリソン、マグナニ、ジョンソン、ペントン、
リィード、ウオター)の書 物 が紹 介 されていることからも確 認 できる。
検 証 5 秘 密 理 に礼 拝 をしているか?
『ものみの塔 』誌 は、王 国 会 館 で開 かれる集 会 は公 開 されているし、戸 別 訪 問 もまた、秘 密 で行 なわれ
てはいないから、エホバの証 人 は秘 密 の団 体 ではない、と弁 証 している。それはその通 りである。問 題 は
開 かれていることではなく、秘 密 的 なことはないかということである。
どんな組 織 においても、すべてが公 開 されていると言 うわけではない。その必 要 もない。しかし、信 者 や
外 部 の人 が恐 怖 感 をもったり、不 信 感 を抱 いたりすることがないかどうかということである。
王 国 会 館 の経 済 は成 員 には報 告 されているが、本 部 の会 計 は公 開 され 37トいない。むろん誰 にでも
見 せなければならないというものではないが、調 査 しても分 らないというのはおかしい。人 事 について話 し
合 う会 合 、エホバの証 人 の約 束 を破 った人 が受 ける真 理 委 員 会 が存 在 することなどが秘 密 のグループ
に見 える。教 理 の変 更 や聖 書 の解 釈 がある日 突 然 変 わるというのは、秘 密 の集 団 である。
検 証 6 指 導 者 を崇 敬 しているか?
『ものみの塔 』誌 の記 事 は、エホバの証 人 の中 には聖 職 者 階 級 がなく、指 導 者 を偶 像 視 していない、と
いう事 実 を取 り上 げ、カリスマ性 のある指 導 者 を礼 拝 するカルト教 団 とは違 う、と主 張 している。
確 かに今 日 のエホバの証 人 には、カリスマ性 のある指 導 者 が教 団 を指 導 しているわけではない。しかし、
「誠 実 で忠 実 な奴 隷 」である 144,000 人 、統 治 体 が存 在 することこそ問 題 なのである。
エホバの証 人 の場 合 は、ラッセル、ラザフォード時 代 は、これらの会 長 の独 裁 的 な宗 教 組 織 であったが、
現 在 は、統 治 体 というグループによって集 団 指 導 体 制 になっており、彼 らは「思 慮 深 い忠 実 な奴 隷 級 」
と呼 ばれている。
なお、この記 事 の中 で、いくつかの点 を指 摘 しておきたい。
まず、エホバの証 人 についての描 写 である。はじめに、あり得 ないようなエホバの証 人 の姿 を伝 聞 という
形 で紹 介 し、そして「微 笑 を浮 かべた普 通 の人 」である、と紹 介 する。このような論 理 の運 び方 はエホバ
の証 人 が普 通 の人 々であることを印 象 づけるのに役 立 つ。実 は、普 通 の人 はたくさんいるのである。
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聖 書 研 究 をしている
『ものみの塔 』誌 は、エホバの証 人 が主 張 しているさまざま の生 活 への規 則 や信 条 は聖 書 に基 づいて
いる、と主 張 したいようだ。エホバの証 人 が聖 書 に忠 実 であるとの印 象 を与 えようとしている。それは、ダ
ビデコラッシュもまたブランチダビデアンとともに、聖 書 研 究 をしていたことを合 わせて考 えるべきである。
彼 の講 義 はヨハネの黙 示 録 や預 言 書 の書 物 だった。カルト教 団 の指 導 者 は聖 書 を曲 げて解 釈 するの
だが、それは使 徒 時 代 からのものである(Ⅱペテロ 3:16 三 章 )。
孤 立 していないということを証 拠 だてるために、救 援 物 資 を送 るということをあげている。しかし、彼 らの
していることは仲 間 への援 助 にすぎない。阪 神 大 震 災 で集 めたお金 は六 億 円 がもし、地 域 住 民 に配 ら
れたのであれば、援 助 活 動 に没 頭 している、と言 えよう。
それに、訪 問 伝 道 は地 域 社 会 に対 する教 育 計 画 であり、人 々の援 助 に没 頭 していると表 現 しているの
はおかしい。それは伝 道 であって、援 助 活 動 ではない。
あるカルト教 団 の出 版 物 は、自 分 たちの見 解 を指 示 する学 者 の名 前 や書 物 を紹 介 する。筆 者 はその
ような引 用 に不 信 を感 じたので、一 つ一 つに当 ってみて驚 いた。ある場 合 は、紹 介 されている学 者 をどう
しても捜 すことができなかった。ある場 合 には、今 日 では受 け入 れられていな い説 であるが、昔 未 だその
問 題 がよく論 じられていない頃 記 された文 章 からの引 用 だった。さらに、文 章 の前 後 の文 脈 を無 視 し、
著 者 の主 張 とは正 反 対 の見 解 の持 ち主 であるかのような引 用 が多 かった。 中 にいる信 者 は、組 織 以 外
の書 物 を読 むことは許 されていないので、そのような欺 きが行 なわれていることには少 しも知 ることなく、
自 分 たちだけが本 当 の真 理 をもっていると確 信 しているのである。
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