【2014 東南アジア旅行記】

【2014 東南アジア旅行記】
2014 年4月、64歳でサラリーマン生活に終止符を打った。
先に退職している元同僚の中には、既に海外旅行を何度も経験している人もいる。
その中でも際立っているのは、若者と同じようにバックパッカーとして長期旅行を安価に済ませてい
る人である。自由人になったのを機会に次回の旅行に同行させてもらうよう頼み込み、11 月 15 日か
ら 20 日間に渡る東南アジアの旅に出ることになった。旅程計画の最中、韓国便が復活との朗報が
入り、仁川空港経由で最初の訪問国タイの北部チェンマイに飛んだ。
以下、タイ⇒ミャンマー⇒ラオス⇒カンボジア⇒ベトナムの順で廻った。
早々に私が迷子になって迷惑を掛けたりしたが、そんな話も折込みながら道中を振り返ってみる。
1日目 11 月 15 日(土)
13:50 秋田空港発⇒韓国経由で 22;40 にタイのチェンライ空港着(現地時間) 時差 2 時間
定刻に着いたが、それからが長かった。到着便が重なりロビーは大混雑。入国手続きとタクシーの
順番待ちで、空港を出たのは日が変わって午前0時 40 分頃。宿泊先のG/H(ゲストハウス)に着いたら、
玄関は既に閉まっており、タクシーの運ちゃんが玄関先から TEL してくれたが、FAX に切替わってし
まい通じない。3連泊の予約だったが、運ちゃんの紹介で仕方なく他の安い宿を確保。
この時すでに午前1時 30 分。日本時間にすると午前 3:30 分。やれやれ、長∼い一日だった。
混雑する到着ロビー
運転手が紹介してくれた宿
2 日目 11 月 16 日(日)
VISAカードで現地通貨バーツをキャッシング。これは初体験で感動
早朝、散歩がてらに G/H の近くにある寺院ワット・プラシンの見学と朝食。
この日の行動開始前に現地通貨のバーツを準備しなければならない。
カードで現地通貨が引き出せると聞き、G/H 向かいの銀行でチャレンジ。タイ語と英語併記のATM
に戸惑いながらも、VISAカードで現金が出てきたときには思わず感激(初体験)。 トラベラーズ・チ
ェックの利用が減少している意味がこれで理解できた。
当初の宿泊先には夕方までに移動すればよいので、古都の街チェンマイをレンタサイクルで巡るこ
とにした。
数か所の寺院を廻って戻ったら、G/H 前の通りは夕方から露店街に変貌していてビックリ。地元の
人や観光客でごった返していた。これがサンデーマケットか! 混雑をかき分けて借りた自転車を
返してから、泊まり損ねた当初の宿泊先へ無事移動。
早朝のワット・プラシン
3 日目 11 月 17 日(月)
レンタバイクでチェンマイ郊外の名所巡りへ。
エレファントショーなどの帰途迷子になった昨日の夕方、3連泊予約していた G/H に宿替えをしたが、
快適だ。ここで残りの2泊する事になる。
この日は郊外の名所巡りをするためレンタバイクを選択。旧市街のGSで給油してから出発したが、
郊外に出るとGSが少ないので、露店でガソリンが売られている。それもペットボトル入りで。日本で
は全く考えられない事だ。まずは、北部のメーサー滝、エレファントキャンプへ向かう。
エレファントショーでは何といっても象の画伯が見ものだった。飼育員が絵具を付けた筆を象の鼻に
持たせてキャンバスに描くのだが、その出来栄えには感心してしまった。数頭の象が描いた絵は、
完成後に値札が付けられて売りに出された。価格は 2,000∼6,000 バーツ(1 バーツ≒3.5 円)
象画伯の絵は 2,000∼4,000 バーツ
上の左図は価格 6,000 バーツ
エレファントショーの後は、方向を変えて西部の霊山 1000mを超えるドイ・ステーブへ。
霊山と言われるのだから、静かな山で修行僧も暮らしているだろうと勝手に想像していたが、期待
は見事に裏切られ完全に観光地化されていた。
霊山ドイ・ステーブの寺院見学の帰り、市街地に入った頃には夕方になり、やがてラッシュに巻き込
まれてしまった。
地元のバイクが次々と割り込んで来るので、先行する元同僚が見えなくなってしまった。
そして、G/Hへの右折する場所を間違えてしまった。やがて間違いに気付き引き返そうとするが、そ
こは一方通行のため簡単ではない。そうこうしている内に自分の位置が分からなくなってしまった。
暗くなってしまい益々方向感覚が分からない。
2時間以上彷徨っている内に警察署の前に出たので、中に駆け込み助けを求めた。幸い、宿泊先
の予約書を持っていたので、ここに行きたいのだと言ったら、道順を教えてくれた。途中まで行った
ら後ろから私の名前を呼ぶ声。元同僚と宿の姉ちゃんがバイクで私の捜索をしてくれていたのだ。
ご迷惑をお掛けしました。結局、きょうも長い1日になってしまった。
因みにレンタルバイクは1日 200 バーツ(約 700 円)
4 日目 11 月 18 日(火)
チェンマイにお別れ。北部国境に近いチェンライへ移動
AM9:30 発のバスでタイ北部国境の街チェンライに向かう。途中の休憩タイムも入れて所要3時間
で到着。バスターミナルが二か所ありどちらで降りるか分からなかったが、第 1 では数名しか降りな
かったので、多勢に右ならえで最終の第2ターミナルで降車。バス料金 144 バーツ(504 円)
ここでの宿泊場所は決めていなかったので、バスターミナル周辺で宿探し。
旅の本「地球の歩き方」で候補のひとつにしていたG/H「Tourist Inn」に行ってみたら、空いていた
ので 3 連泊することにした。
ロビーの書棚には村上春樹など日本語の本があり、日本人の利用客が多いのかなと想像。荷物を
置き一息ついてから、市内散策に出ることに。G/Hのドアを閉めながら同僚と雑談していたら「あら、
日本の方ですね」と声を掛けてくるご婦人。なるほど日本語の本があることに納得。
市内寺院の立派な狛犬(獅子?)
夕映えの金ぴか時計台
5 日目 11 月 19 日(水)
タイ最北端の街メーサーイからミャンマーへ入国。わずか 1 時間半の滞在でタイに再入国
きょうは、ミャンマーへ入国するため AM8:00 発の路線バスでタイ最北端の街メーサーイへ向かった。
昨日のバスと違い、出入口の扉は開きっぱなしでロープで縛りつけてあり、30 年以上前のドイツ製
ベンツ。地元民の乗り降りで生活の一端が垣間見える。国境が近くなったところで検問があり警察
が乗り込んで来て不法入国等のチェック。我々は一見して旅行客と分かるのかパスポート確認や質
問も一切なし。一時間半で終点到着後、今度はソンテイウに乗り換え 10 分で国境に到着。小さな川
の向こうはミャンマーだ。ミャンマー入国には本来VISAが必要だが、エントリーパミットという方法で
VISA無し入国可能。
ミャンマー側の入国手続時10US ドルを払えば国境 5Km範囲で日帰り入国可能。一種の経済特区
みたいなものか?小さな橋ひとつで経済格差が歴然と判る。街中が埃っぽいのでよく見ると車のタ
イヤには泥が付着している。道路は舗装してあるが、おそらく少し離れると舗装が途切れるのであ
ろう。
おみやげ屋もタイ通貨バーツ表示。私の年代ではミャンマーよりビルマという呼称の方が馴染みがあ
るが、この国の困窮度を実感した。
人工衛星から夜の東南アジアを見た TV 番組を思い出した。そういえばあの時、バンコクなどの明る
さに比べて、ミャンマー上空は暗黒の世界だった。
ポンコツ路線バス
この小さな川が国境
タイ側のイミグレ
ミャンマー側のイミグレ
ミャンマーの国境タチレクの街
ミャンマーの国境タチレクの露店
ミャンマーでの滞在時間はわずか1時間半、一言で言えばパスポートにミャンマーの入出国のスタ
ンプが押されただけ。入国審査事務所前で大柄な男性から写真撮影を頼まれ、撮ってやったらお返
しに我々のことも撮ってくれるとのこと。日本人と分かると多少の日本語で話しかけてきた。
自分はカナダからの旅行中で、日本でも勤務したことがあり今回はミャンマー入国記念写真を と
いう雰囲気。サンダル履きで、カメラひとつ首から下げただけの気軽な格好だった。
ということで、おみやげ屋の露店も意外に高いのでミャンマーのおみやげは無し。に
昼食後また路線バス乗りチェンライに戻った。
参考:路線バスは39バーツ(137 円)、ソンティウは15バーツ(53 円)
チェンライに戻ってからは街中の寺院巡り。その中でワット・プラケオの入口には珍しく日本語の案
内も。現在バンコクにあるワット・プラケオのエメラルド仏は元々ここチェンライにあったとの説明書き
があり、寺院内部も外部の庭も手入れが行き届いており、これまで回った中ではダントツだった。
由緒ある寺だから寄付金もたくさん集まるのだろう。
6 日目 11 月 20 日(木)
3カ国(タイ・ミャンマー・ラオス)の国境が接するゴールデン・トライアングルへ
昨日と同じバスターミナルからミニバスでゴールデントライアングルへ。ここはメコン川を介してタイ・
ミャンマー・ラオスの3カ国が接するビュースポット。路線バスは無く、乗客がある程度集まり次第ミ
ニバスが出発、約1時間半で到着。昔は麻薬栽培地として名を馳せていたらしいが、現在は観光地
として売出中。
インペリアルホテルなど一流ホテルもあり、静かなリゾート地の雰囲気を漂わせていた。
トライアングル国境標識
インペリアルホテル
7 日目 11 月 21 日(金)
タイとお別れ、バスでラオスへ入国
昨日と同じターミナルの4番乗り場からチェンコーン行の路線バスに乗る。数年前まではチェンコー
ンからメコン川を船で渡って対岸のラオスへ入国していたそうだが、現在は 10Km 下流に橋ができて
バスで出入国するようになっている。従ってチェンコーンに着く少し手前でバスを降り、ソンティウに
乗換えてイミグレーションに行くように促された。ここまで約2時間余り、地元民が乗り降りする路線
バスの旅だった。
ミニソンティウに乗換えてイミグレには約10分で到着、以前の船に比べて余計な金がかかるのに加
えて面倒になったとのこと。
チェンコーン行の路線バス
橋を往復するだけの出入国バス
ミニソンティウに乗換えイミグレへ
ラオス入国イミグレ
2時間乗ったバス代と、10分乗ったソウンティウの料金を比較すると、ボッタクリと思うのも当然でし
ょう。
参考:路線バスは65バーツ(228 円)、ソンティウは50バーツ(175 円)
ラオス側のイミグレにある両替窓口で、タイ通貨のバーツをラオス通貨キープに交換。ラオスには硬
貨が無いので急に金持ちになったような錯覚が起こる。入国したところにまたソンティウが待ってい
て、それでファーサイの街に向かう。料金は約 30 分で 100 バーツ(350 円)。ここではタイ通貨バーツ
も通用する。
街に向かうまでの橋が木橋だったのでビックリ。タイでは見なかったのに。
翌朝メコン川を下るボートに乗るが、きょうは泊まるだけの安い G/H を見つけ荷物を置いてから昼
食。明日のボート乗り場の下見をしたり、小高い丘の上の寺院から対岸のタイを眺めたりと時間の
流れがゆっくりになったのを感じて心地よい。
夕食もメコン川沿いの中華系レストランで食べたが美味しい。聞いてはいたがラオスのビールは実に
美味い。
北の街で高度も少しあるらしく、半袖では肌寒いくらい。当然蚊もいない。
8 日目 11 月 22 日(土)
スローボートで二日がかりのメコン川下り。途中でボートが座礁
ファーサイから世界遺産の街ルアンパバーンへ、スローボートの旅となる。二日間で 300Km メコン
川を下るが、途中のバークベンで陸に上がり一泊することになる。
G/H 近くの店で朝食をとり、ボートに乗る前に昼食やおやつを購入する。タイではセブンイレブンが
あちこちあったので便利だったが、ラオスでは見当たらない。
ボートは最上川の船下りの屋形船より二回りほど大きな感じだったが、出発時刻 11:00 時を過ぎて
も出る気配がない。車のシートを並べただけの席数よりオーバーした乗客を乗せて、12:00 時頃や
っと出発。欧米人に人気の船下りとは聞いていたがフランス人が多い。中には MY 自転車を持ち込
む人もおり、
さすがツールドフランスの国。
1時間ほど過ぎた頃、突然大きな音と衝撃が走った。水中の岩に当たったと直感、このままだと水
が入り沈没すると思っていたら、まもなく舳先を岸辺に突っ込み難を逃れたようだ。
思ったより短時間の内に別のボートが横付けされ、荷物の大移動開始。その後に並べただけのシ
ートと乗客が移動し、14:00 時頃に再出発。乾季で水量が減ったところに定員オーバーが重なって
喫水線が下がり、水中の岩に衝突したのだろう。なるほどシートが固定されていない理由がこれで
分かった。
その後は順調に進み、18:00 頃に中間地点のバークベンに到着。辺りは既に暗くなっていた。
暗いところで宿を探すのは大変なので、客引きをしていた G/H に泊まることにした。近くのレストラン
で無事な到着を祝って昨日と同じBeerLao で乾杯。
車のシートを並べたボート
バークベンでの宿泊 G/H
参考:一泊ツイン 80,000kip(1,200 円⇒1 人 600 円)
座礁し乗客が移動した後のボート
9 日目 11 月 23 日(日)
スローボート二日目。バークベンから世界遺産の街ルアンパバーンへ
ゲストハウスで朝食。ボートの中で食べる昼食もここで作ってもらう。
ここで少しだけ英語の勉強。
持ち帰りを意味するTake outは通じない。海外のマクドナルドに入ると「ここで食べるか持ち帰り
か」と聞かれる。これは英語で「For here or to go?」。G/H で作ってもらい持出す昼食は「To
go」である。
昔のことになるが、パリのマックに入った時に上記のことを聞かれ、理解するのに苦労したことを思
い出す。
さて、ボートは 1 時間 20 分遅れの 9:20 出発。この程度の遅れはここでは当たり前のことらしい。
昨日の反省からか、きょうは二艘に分乗したからゆったりだ。
川岸は自然のスクリーン。岩山や砂地で戯れる水牛、斜面に建つ民家、緑豊かな森、そして抜ける
ような青い空、ビールでほろ酔い気分の居眠り時間も含み、いろいろな変化に時間も忘れてしまう。
出発前のボート
斜面に建つラオスの民家
漁をする現地の人
きょうのボートは順調に進み、予定より早く 15:40 世界遺産の街ルアンパバーンに到着。
トウクトウクで市内中心部に向う。到着後は、大きなバッグを引きながら宿探し。二軒目で Villa
Xanadu という G/H に決定。料金は 2 ベッドで 150,000 キープ(2,250 円⇒1人 1,125 円)少し高めだ
ったが疲れ気味だったのでとりあえず一泊し、翌日安い G/H を探すことになった。
荷物を置いてから、夕食を兼ねて市内散策。メインストリートのシーサワンウオン通りは、毎日夕方
からナイトマーケットに変身する。
10 日目 11 月 24 日(月)
宿替え後、レンタル自転車で世界遺産の街ルアンパバーン散策
街の中心部にラオス式サンドイッチの店が並んでいるので、そこで朝食。パンもシェークもとても美
味しい。
ここは英語よりフランス語の方が通じるらしく、フランス植民地時代の影響が今も色濃く残っている。
フランスパンを使ったサンドイッチもその一つだろう。1995年世界遺産に登録された理由としては
「伝統的建造物と植民地建造物の他に類を見ない融合が見事に保存とされている」とある。朝食後、
もう少し安い宿を探してゲストハウス街を歩いてみたが、満室の G/H も多く全般的に高めだ。
さすが世界遺産の街。
10カ所以上は歩いたところで Xaysan G/H に決定。ここで2泊することに決定。
参考:2 ベッドで 100,000KIP(1,500 円⇒1 人 750 円)
早々に宿替えを済ませ、また自転車を借りてから80カ所も寺院があるという市内を巡る。
あらかじめ調べていた寺院数カ所を見学。ここの有力寺院はほとんど有料だ。20,000Kip程度(300
円)プーシーの寺院は高さ 150mの丘の上にある。300 段を超える階段はきついが、ルアンパバーン
の街を俯瞰できるから登る価値はある。
国立博物館の隣接の通りには日本の旅行会社「HIS」の支店があり、スタッフは日本語対応と張り
紙があったので、現地情報を入手。近年日本からの観光客が増えているようだ。再度「さすが世界
遺産の街」
中心街にサンドイッチの店が並ぶ
ゲストハウス街
プーシーの丘から俯瞰する街
世界遺産の伝統的建造物
国立博物館
ルアンパバーン船着場の夕焼け
11 日目 11 月 25 日(火)
きょうもレンタル自転車でルアンパバーン郊外散策
毎朝 6:00 時頃から托鉢が行われるというので、この日は 6 時前に G/H を出る。僧侶はあちこちの
寺院から出て来るということだが、規模の大きな集団に出会うためにシーサワンウオン通りに向かう。
朝の 6 時はまだ薄暗かったが、決して裕福ではない一般民衆が僧侶の行列に食べ物を施す光景に
色々考えさせられる。これが「利他の心」というものか。
サンドイッチの出店が並ぶ場所で、またラオ式サンドイッチで朝食。
エイチ・アイ・エスで仕入れた情報も参考にして、きょうは郊外に出てみることにした。
昨日はママチャリだったが、きょうは坂もあるのでマウンティンバイクを選択し、郊外の織物工場を
目指す。ナムカーン川に架かる橋は木製で車は通行禁止。橋を渡ってしばらく行くと舗装が切れた
のでマスクを着用。ほどなく絹の織物工場や紙漉き工場などが点在する村に到着。素朴な雰囲気
の村だった。
シルクの織物工場から市内中心部に戻り、昨日も巡った伝統的建造物の街並みを今度はゆっくり
巡る。
近年の観光客増加に伴い従来の G/H 街とは別の場所に、オシャレな新しい G/H ができている。
道路の向かいにはテラスがありコーヒーなど飲食できるようで、ヨーロッパのような雰囲気も感じる。
朝 6:00 毎日行われる托鉢
バンブーブリッジを渡る僧侶(観光客は有料)
ナムカーン川沿いのオシャレな G/H
ナムカーン川沿いのオシャレな G/H
織物工場に渡るための木製橋
シルクの織物工場