2012浅野祥プロフィール のコピー.pptx

津軽三味線奏者
浅野祥2012
J’S FAR EAST
担当:原田
TEL 03-3404-4660
たった三本の絃で無限に表現する。
繊細かつ豊潤な調べが泉のごとく湧いて出る。
「三味線を聞いたことがありますか?」
笑顔で問いかけながら彼はこの上なく楽しげに奏でる。
「一つ一つの響きにこだわりを!」
彼の三味線プレイヤーとしての信条だ。
「三味線一本でどこまでできるか?」
三味線プレイヤーとしての彼の挑戦。
今ドキの若者が伝統文化に軽やかに挑む。
浅野 祥は生まれながらの天才三味線プレーヤー。
彼は決して自分をカテゴライズしない。
古典はもちろんのこと
クラッシックやジャズ、ポップ・ミュージック・・・
「僕の三味線で表現すると?」
そんな無限の好奇心が彼の中に渦巻いている。
ずば抜けた表現力は独特の響きを奏で
その世界の重鎮達をも唸らせた。
さらに彼の音は、音楽ジャンルのボーダーを越え
トップランナー達の
心さえ、とらえはじめている。
日本で最年少記録の3連覇。
しかし彼のフィールドが「日本」という枠に
とどまりつづけるはずはない。
JAPAN ORIGINALのアグレッシブな調べが
世界の注目を集める日も近い。
浅野祥プロフィール
1990年3月2日生まれ日生まれ
仙台出身 B型
5歳の時、祖父の影響で三味線を始める。
7歳で津軽三味線全国大会(弘前)に最年少で初出場。
翌年より各級の最年少優勝記録を次々と塗り替える。
04年 津軽三味線全国大会 最高峰のA級 最年少優勝 (14歳)
その後、06年まで連続優勝し3連覇。
同大会の殿堂入りを果たす。
07年 ビクターより「祥風」でメジャーデビュー。
08年 10月 2ndアルバム 「宴」発売。
10年 3月 3rdアルバム「Believe」(全編フランス録音)発売。
12年 10月 4thアルバム発売予定。(全編ニューヨーク録音、3月末より)
07年 9月 上海にて日中交流35周年の公演
08年 3月 ワシントンD.Cでのソロライブ
4∼5月のカナダツアー(5都市6公演)、
7月のオランダツアー(6都市6公演)
9月には自身初の東北ツアースタート(6都市7公演)。
09年 9月 フランス、リモージュにてソロ公演とレコーディング
※すべて現地ミュージシャン
11年 9月 バルト3国ツアー(3カ国、6公演)
10月 ヒューストンにて公演
12年 4月 ヒューストン ジャパンフェス
4月 ワシントンD.C さくら祭り100周年
10月より全国ツアー15カ所程度予定 本来の民謡、古典芸能はもちろん石川さゆりとの共演や
オレンジレンジとの共演、早乙女太一との共演や
ワハハ本舗全体公演に参加等ジャンルを超えて活動の場を広げている。
現在、21歳、慶應大学に在籍。 古典や民謡を学び伝承を目指しながら、
楽器としての津軽三味線の可能性を追い求める孤高の若き津軽三味線奏者。
ーその他、主な活動ー
01年 みやぎ国体において総合開会式(宮城スタジアム)で演奏
05年 NTTドコモ東北のテレビCMで音楽担当(テストのごほうび編)
愛知万博で「浅野祥トワイライトコンサート」
06年 NHKスペシャル「にんげんドキュメント∼僕だけのじょんがら節∼」
08年よりスタートしている1人のコンサートツアー「祥CASE」はVol.5を
数えWAHAHA本舗の主宰、 始氏の演出で様々な角度から三味線を楽しめる
コンサートとして好評を得ている。
★大震災より1年。再生楽器の完成とニューアルバム、そして津軽三味線・新時代
昨年、夏頃より製作を始めた再生楽器達が次々完成しています。 これは、今回の震災で出来たガレキから楽器を作るという事で宮城の音楽仲間で行っている 「ゼロ・ワン・プロジェクト」といいます。
許可を頂いき、膨大なガレキから使えそうな木を探し職人に選定してもらい、 色々な楽器にするプロジェクトです。
完成した津軽三味線は、誰かの家の柱、カウンターらしき木で製作されました。 再生楽器の最初の1歩、それを浅野が預かり演奏しています。
本来、津軽三味線はかなり固い木を使用します。めが詰まっていて見た目よりも重いです。
出来上がった三味線はもともとの木がそうという事もありますが、 海水に浸かったりしてた事もあるのでしょうか・・・ 持った感じだと本来の重さの半分位に感じます。
しかし、これが誰かの生活が染み込んだ物で出来ていると思うとかなり重く、 心が研ぎすまされていきます。(世界にたった一つしかないという事もありますが・・・)
楽器になった事で彼の様な若い世代が語り継いでいける一つの材料として存在するはずです。 また、今回、浅野の実家が全壊扱いとなり取り壊しが決定しました。
浅野の最初の三味線の先生は祖父でした。
祖父は大工でもちろん浅野が育った実家も祖父が作ったものです。 民謡や三味線が好きで好きでたまらなかった祖父は孫の祥に津軽三味線を教えました。 7才で大会に初出場した浅野は津軽三味線の魅力にのめり込んでいったのでした。
彼らの目標は最高のタイトルであるA級の優勝、そして3連覇でした。 「時間がかかってもいいから3連覇しよう」と約束していました。
しかし、祖父は優勝も3連覇を見ず、彼が12才の時に亡くなってしまいました・・・
その後、14才でA級を最年少優勝し、そのまま3連覇と前人未到の記録をうちたて 殿堂入りを果たしました。
今回、全壊となってしまった実家ですが津軽三味線でも使えそうな木を柱で使用していました。
父親の提案もあって 「もう1本、作ろう」という事になりました。 思ったより損傷もひどくなくすべてのパーツが取れました。(3月の中旬に完成予定です。)
この三味線を持って日本各地、世界各国に演奏に出かける夢を描いています。 まずは3月の終わりからスタートする自身4枚目の最新アルバムに録音する予定です。 3枚目に引き続き、プロデューサーに大島ミチルを迎え、ニューヨークのミュージシャン達と共に 全編ニューヨーク録音となります。 思いが詰まった木で出来た三味線と浅野のずば抜けた表現力。 出発や元気をテーマにした楽曲達を録音し、今年3月、大学卒業を控えた浅野のプロ奏者として 最初の1歩、それは大事な1歩となり聞く方々も演奏する側もしっかりと心に刻まれるアルバムと なり「津軽三味線・新時代」の幕開けとなるでしょう。
◆津軽三味線製作中!
・浅野実家
・切り出した床柱
・パーツ類1
・パーツ類2
2012
3月中旬
完成予定
浅野祥モデルを製作する
磯野氏に依頼
・お手伝い→
★4thアルバム制作メンバー★
・プロデュース・・大島ミチル (作・編曲家)
21、24回、26回、27回、29回、30回の日本アカデミー優秀音楽賞も受賞。
06年「鋼の錬金術師」がアニメーション・オブ・ザ・イヤー音楽賞受賞、
ジャクソンホール映画祭(アメリカ)ベスト映画作曲賞受賞等多数
吉永小百合さんの原爆詩の朗読の音楽も担当。
いわずとしれた日本を代表する作・編曲家
・エンジニア・・・Jay Messina(ジェイ・メッシーナ)
エアロスミスはすべて、マイルス・デイビス、ジョンレノンなど
http://jaymessina.com/ ・メンバー
ドラム・・・・・Marcus Gilmore(マーカス・ギルモア)<Roy Haynesの孫>※1986年生
アメリカで若手NO1ドラマー。チックコリアも絶賛する
http://www.reverbnation.com/marcusgilmore
ベース・・・・・Will Lee(ウィル・リー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウィル・リー
無数のミュージシャン達と仕事をしている。
数えたらきりがないがいくつかあげるとダイアナ・ロス、
BBキング、ナタリ・ーコール等など多数。
国内では渡辺貞男、矢野顕子、山下達郎等 http://ja.wikipedia.org/wiki/ウィル・リー
ピアノ・・・・・Peter John Stoltzman (ピーター・ジョン・ストルツマン)
「Monster of Young Pianist」(NYタイムズ)と評された。
リチャード・ストルツマンを父親に持つ。
http://www.peterjohnstoltzman.com/
クラリネット・・Richard Stoltzman(リチャード・ストルツマン)
言わずと知れた現在、世界NO1のクラリネット奏者。2度のグラミー書受賞。
http://ja.wikipedia.org/wiki/リチャード・ストルツマン
・スタジオ・・・・ニューヨーク・アバタスタジオ・Cst
http://www.avatarstudios.net
現在、ニューヨークで1番と言われているスタジオ
・ビクターエンタテインメント 担当:洋楽部ストラジテックグループ/小宇根氏
2011ツアー時のコメントより
民謡は私たち日本人の生活の中から生まれた音楽です。
民謡の歌詞を見ると、日本人ならではの気持ちや
視点からみた言葉がたくさん表れています。例えば、
日本人は食事の際に「いただきます」や
「ごちそうさまでした」と言って、人々や自然に感謝します。
食べ物や飲み物を口にすることができるのは、
農家の方、漁師さん、自然の恵みはもちろんのこと、
家族や親戚、友人、上司などのおかげです。
あらゆるものに対して感謝の気持ちを表す。
これは、今も昔も変わらない日本人らしさだと思います。
そうしたことが多く唄われている民謡は、日本人がもつ心、
「日本人らしさ」、広くは「人間らしさ」を唄を通して伝えて
くれています。
津軽三味線のルーツは中近東で生まれたとされています。
「セタール」という楽器なのですが、これがシルクロードを通り
中国を経て沖縄に渡り「三線(さんしん)」となり北上を続け
津軽三味線となった様です。今回はそんなルーツをお話しながら
色々な民謡を、また、オリジナル曲やジャズのスタンダードなども演奏します。
「楽器」としての和楽器独特の響きを、思う存分に楽しんでいただこうと思います。
3月11日、大震災が起きました。
少し遠い所に置いてあった、人と人のつながりを多くの人が考え、
そして自分にできることを考えました。また、世界中から心をいただき励まされ、感動し、
「みんな同じ人間なんだ、つながっているんだ」と気がつきました。
現在、民謡はおじいさん、おばあさんのもの、「古い」「ダサい」と
あまり見向きされなくなっています。人間としての原点とも言うべき事柄が
唄われている民謡を、僕たちのような若い世代がさらに若い世代に伝る、
広く伝えていくことは無駄じゃないはずです。
民謡が教えてくれているように、今こそ、皆で手を取り合い助け合って
いかなければならないと思います。先人たちの考え、知恵が詰まった唄や、
クスッと笑ってしまうかわいい唄、そんな唄たちを大切に唄い、
唄や人との出 いに感謝したいと思います。
また、楽器としての面白さをチャレンジする事で
津軽三味線の発展につながればと思っています。
今日は一緒に楽しみましょう!!
浅野祥