こちら[PDF:242KB]

2013 年 2 月 5 日(火)
(社)日本観光振興協会
講師
鎌田
産学連携オープンセミナーin 東京
基調講演
由美子氏
(東日本旅客鉄道株式会社
「新規事業への挑戦
事業創造本部
地域活性化部門
部長)
~エキナカから地域活性化~」(要約)
今日はふだん会社では見慣れない、お若い方ばかりの光景に驚いている。仕事というの
は一人ではできない。チームの力、組織の力をフル活用することで大きな結果に結び付く
ものである。しかしながら、組織は個人の集合体である。一人ひとりが強くなり、そして
組織が強くなる。また、どんな仕事にも無駄はない。何かの仕事が何かの仕事につながっ
ている。社会人生活二十数年たってみて、仕事とはそういうものであると思う。今日は 45
分という短い時間だが、仲間たちとどんな思いで、何のために仕事をしてきたのか。そし
て、何をしたかったのかといったところをお話しさせていただきたい。
「ステーションルネッサンス」の原点
JR 東日本の組織の概要を述べると、今日は男性と女性のバランスがいいようだが、男
女比では女性が 8%。非常に少ないように見えるかもしれない。だが、私が入社したとき
は 1%もなく、女子寮がなく看護師さんの寮に入らせていただいたことを覚えている。そ
のころに比べ 8 倍だが、まだ 8%という男性社会の会社である。現在は人員が 5 万 9000
人。私の入社時の 8 万 3000 人からすると、年齢構成も人員もずいぶん構造が変わってき
ている。
会社の収入は 2 兆 5000 億で、そのうち運輸業が 67%である。運輸収入は、社員が運転
手をしたり、駅でお客さまの案内をしたりという直営の部分になる。残り三十数パーセン
トが生活サービス事業。生活サービス事業は、NEWDAYS、駅そば、エキナカ施設、エキ
ュートなどの駅スペース活用事業、ルミネ、アトレなどのショッピングオフィス事業、ホ
テルや広告などのその他事業の三つに分かれている。ただ、ショッピングオフィス事業は、
売上高が 1 兆円あってもテナントさんの賃料だけの計上となる。生活サービス事業は直営
ではなくグループ会社の連結収入となっている。
2000 年に 2001 年からの中期計画が策定され、その中で駅をゼロベースで見直そうとい
うのが「ステーションルネッサンス」の原点である。二十数年前から既に鉄道人口は減る
1
2013 年 2 月 5 日(火)
だろうと予測されていたが、数年前まで微増を続けてきた。お客さまの総数が増えたわけ
ではない。団塊の世代が退職すれば定期収入は減る。学校のクラス数もどんどん減り、学
生数も減っている。では、なぜ微増したのか。新型車両、混雑緩和、グリーン車の導入、
湘南新宿ライン、地下鉄との相互乗り入れ、いろいろな施策が行われてきたからである。
しかし、21 世紀は人口構造の変化があることは紛れもない事実で、その中でお客さまがど
んどん減ると言われてきた。では、私たちの駅・鉄道はこれからシュリンクしていく事業
なのか。いや、違うだろう。もう一度原点に立ち返り、もう一度駅を見直すべきではない
か。減っていくとは言っても 1 日に 1600 万人が駅を利用してくださる。我々は原点に立
ち戻り、もう一度顧客サービスを考えてみよう。混雑緩和はどうなのか。建物の老朽化は
どうなのか。バリアフリー化はどうなのか。施策一つひとつを見直そう。それが「ステー
ションルネッサンス」の原点であった。
時は 2000 年。駅の魅力向上と同時に、株主価値向上の高収益化がうたわれた時代でも
あった。
エキナカ誕生までの経緯
なぜエキナカの最初が大宮駅であったのか。お店だけをやりたいのであれば当然、新宿
駅が一番になるが、お店をつくりたいと思ってエキナカが生まれたわけではない。駅をゼ
ロベースで見直し、駅自体の機能、空間を変えたいとの思いが我々にはあり、お店もその
中のワンパーツであった。コンコースやトイレがお客さまにとって使い勝手がいいように、
お店もその中の一つであるという考え方による。大宮駅は、新幹線の結節点でありながら
バリアフリー化がされていなかった。その大宮駅にバリアフリー化をするときに、既存の
ところだとエレベーター、エスカレーターが付かない。だったら人工地盤を張ろう。人工
地盤は今ではそう珍しくないが、当時はまだまだ珍しく、工事関係者にもかなりの難題が
課せられた。半年ぐらいの間にお店や空間がどんどんできてきたが、人工地盤に来るまで
にけっこう時間がかかった。エキュート大宮は 2005 年 3 月の開業である。
もともと「エキナカ」という言葉はなく、それまでは「構内事業」と呼ばれてきた。先
ほど空間を変えると言ったが、駅、コンコース、トイレ、すべてが一つの空間と言える。
ただ、どこの鉄道会社もそうだが、財産が全部違う。お店の中をつくるのは全部グループ
会社。コンコースは鉄道の財産。照明は設備になってくる。同じ空間であっても、それぞ
れ財産権限が違う。それを横軸で通すというのがエキナカであった。
2
2013 年 2 月 5 日(火)
なぜ駅の空間の工事が大変なのか。私は入社以来ずっと流通畑を歩いてきたが、実はよ
く分からない部分があった。例えば、駅そばを一つつくるのに数千万かかると言っても、
見えている駅そばのグレードは数千万もするようなものではない。なぜそんなにお金がか
かるのか。エキナカの仕事をやって初めてそれが分かった。そもそも通常の商業施設であ
れば、柱、床、天井、すべて商業用のインフラが入っている。駅は鉄道のためのものであ
り、商業のためのものではない。できたお店がそば屋のように給排水が必要な場合は、排
水を落とした先に電車が走っている。したがって、給水も排水も何百メートルの距離が必
要になる。お客さまに見えない部分に大きなお金がかかることが分かった。
空間はそれぞれが財産権限を持つとなると、お互いの領域に足を踏み入れて空間の共有
化をしていかなければ一つの空間はできない。例えばコンコースの床は、滑りづらい、磨
耗度が低い、清掃しやすいといったいろいろな基準で選ばれている。こんなデザインにし
てほしい。こんな色にしてほしい。お店をつくる側からの要望は、鉄道サイドからすると
あまりうれしいものではない。しかしながら、それを共有していかないと一つの空間はで
きない。例えば、駅そばの上に付いている室外機。夏は店内は涼しいが、室外機から出た
熱風が循環していくことになる。だったら、その空調を一元化してどこかに寄せられない
か。それもエキナカの一つの発想であった。
「エキュート」という名前はお客さまからの公募で選んだ。例えば花屋、薬屋のように
何を売るかという業種。コンビニ、百貨店のようにどんな売り方をするかという業態。私
たちは仲間と一緒に、新しい業態をつくりたいと思った。商業に向いていないと言われた
駅の空間に、「空間開発」という概念を用いて、小売業をベースとした業態をつくりたい。
駅は雑踏の中にある。しかしながら雑踏の中でも、あらゆる人々が集い、楽しむ快適空間
であってほしい。「エキュート」にはそういう思いを込めている。
チーム編成はグループ内公募で
2001 年 12 月、3 人のチームが発足した。最初に言われたのが「おまえたちは今の駅に
満足しているのか」であった。手元にはステーションルネッサンスの資料と、
「駅を通過す
る駅から集う駅へ」というキャッチフレーズがあった。何から手をつけようか。3 人で最
初にやった行動は、始発から深夜 2 時まで大宮駅と立川駅に立ち尽くし、お客さまの行動
をつぶさに見ることであった。ホームからホームに足早に駆け抜けるお客さまの背中を見
たときに、
「立っている自分さえも邪魔になる。もしかすると駅には何も要らない。この空
3
2013 年 2 月 5 日(火)
間に何もないほうがいいのではないか」というのが我々の出した結論である。一方で、
「し
かし、こういうものがあったら便利だ。私だったらこういうものがあったら使う」という
思いがあった。そこの狭間で、どういうものを、どういう形にしていくかというのが最初
の議論であった。
当社は役員会が何段階にも分かれており、最初のころ、議論が紛糾した。紛糾した理由
は大きく二つある。一つは資料にあった「ターゲットを決める」という言葉。駅は万人向
けの施設である。それなのに、商業の部分だけであるにせよターゲットを決めるというこ
とはお客さまに失礼にあたる。もう一つは、新しい組織をつくって行動を起こすという点
であった。既にグループ会社が多くの事業をやっている。なぜいま新しい組織でやらなけ
ればいけないのか。それに対し当時の役員であった上司は、
「既存のしがらみに縛られ、そ
の延長線上でやるのではなく、駅を新しくするのであれば、新しい発想、ゼロベースでや
る。それがステーションルネッサンスだ」という話をしてくれた。当時の上司としては、
昨年お亡くなりになったが、副社長からりそな銀行に行かれた細谷さんと現ルミネ社長の
新井さん、この 2 人がおられた。その上司たちの背中が我々担当者には非常に頼もしく見
え、逆に我々も、退路を絶たれた思いでその後の仕事に向かうことになる。
2003 年 4 月、グループ内公募を行った。聞き慣れない言葉だと思う。皆さまはこれか
ら社会人になり、企業の中でいろいろな仕事をしていくと思う。大きな会社の場合、親会
社から子会社に出向することはあっても、若いメンバーが「この仕事をやりたい」と言っ
て子会社から親会社に応募することはまずない。当社では初めてのことであった。三十数
パーセントの生活サービス事業はグループ会社が稼いでいる。連結決算で一つの数字にな
っていくのであれば、親会社とのハードルを越え、自分たちがいかに大きな仕事ができる
か、子会社のメンバー一人ひとりが考えていかないと企業規模は大きくならない。72 社の
子会社のトータルが JR 東日本グループであるとの理由から公募を行った。本当に応募し
てくる人がいるのだろうか。その思惑をよそに 100 人近い応募があり、初めてグループと
しての体を成すことになる。
「トイレにアロマの香りを」で非難ごうごう
「エキナカ」は、2003 年 12 月、毎年年末に日経 MJ さんがやられる番付の中で初めて
出てきた言葉で、その後、知名度を得たように思う。そして、2005 年 3 月にエキュート
大宮が開業となる。幾つかのポイントでエキナカをつくってきたが、今日は時間もないこ
4
2013 年 2 月 5 日(火)
とから「鉄道との融合」という一つに絞らせていただく。
鉄道と生活サービス事業は当社にとって大きな二つの柱だが、お客さまにとっては関係
ない。どの事業を誰がやっているかではなく、一つの組織として一つの空間をどうつくっ
ていくのか、それが大きなアウトプットになると思った。できたときがゴールではない。
当然、できたときがスタートになる。きれいなトイレ、きれいなコンコース、きれいなお
店ができても、それをどう維持していくのか。
駅の中にも間接照明が欲しいと言って、エキュートには間接照明を取り入れていただい
たが、間接照明を取り入れるときも、もともと真っすぐの電球しかないところに間接照明
や丸い照明を入れたら、管球取り替えが難しいのではないか。その球は誰が保存しておく
のか、そのスペースはどこにあるのか、コスト増しになるのではないかと、いろいろな議
論があった。しかし最後、コスト高にならないことを前提に、間接照明の空間にほこりが
たまらないようにどう清掃するか。トイレをどう維持していくか。そのメンテナンスの部
分まで子会社で受託させてもらうことで、初めてエキュートが出来上がった。今までは自
分の財産のところだけ予算を組んで清掃してきていたが、それを全部、横軸で通したこと
になる。
駅のトイレは暗い、汚いとよく言われた。
「定期を持っているから駅よりルミネのトイレ
を使う」。実は、後輩の女の子たちのこの言葉が私にはショックだった。こんなにお金をか
けて立派なトイレをつくっているのに、なぜ汚くなってしまうのか。なぜ臭くなってしま
うのか。いろいろな議論の中に臭いの問題があった。トイレの臭いはどうしても消えない。
使用頻度が高いと言ってしまえばそれまでだが、頻度が高いから臭いが消せないのか。い
や、そうではないだろう。
ある会議のときに私は部下の女性の言葉を引用した。部下の女性が「アロマの香りを付
けたい」と言ってきた。とてもいい香りだった。
「付けるお金は子会社で負担する」と私は
発言したが、非難ごうごうで、
「そもそもお客さまの中には妊婦さんもいるし、体調の悪い
人もいる。気持ち悪くなる人がたくさん出るだろう。匂いを付けるなんてナンセンスだ」
と言われた。
「いや、会議に戻ってください。いま何の議論をしていましたか。臭いという
議論をされていましたよね。臭さをとろうとすればするほど塩素臭くなる。既に臭いはあ
る。その臭いを消すのではなく、臭いを変えるためにアロマを付けさせてもらえませんか」
「まあ、やってみよう」。そういう結論に達して実際に使ってもらったところ、「やはりき
れいなところは違う。トイレもいい香りがする。男子トイレには何の匂いもしなかった。
5
2013 年 2 月 5 日(火)
今どきこれは男女差別じゃないか」という話をいただいた。メンバーみんなで大喜びをし
たことは言うまでもない。
また、これまで駅そばの上には室外機が載っており、出てきた熱風はお客さまと一緒に
また店内に入っていた。そこで人工地盤を張り、全体をすっきりさせることにより室外機
を外に出すことができた。同時に行ったのが駅のサインピクト。お店の数は増えたが、内
装式の看板は一切やめた構造になっている。ただ、品川駅は別で、混雑緩和が大きな理由
であった。京急さんと JR 東海さんとを結ぶ通路がパンクし、スペースがあいていた。そ
こに人工地盤を張り、エキュート品川ができている。これも駅の中の 2 階までお客さまが
入るのかとか、いろいろな議論があった。
駅は面白いマーケット
エキナカというのは非常に面白い空間である。今までにない業態をつくりたいと考えて
いたが、全く新しいマーケットだったと思っている。例えば 2 階に行くエスカレーター。
普通、2 階までしか行かないエスカレーターの利用はそんなに多くはないが、ここを吹き
抜けにしたことで 4 割強の方に使っていただいている。このエスカレーターのデータをつ
ぶさに分析し、それを生かしたのが東京駅のグランスタである。グランスタができるまで
の東京駅の地下は、銀の鈴だけの、人通りの少ない静かなところであった。そこのエスカ
レーターは、上に行く場合、下に行く場合、いろいろなデータを生かしている。
例えば 5 月 5 日の子どもの日、東京駅で朝の 7~8 時にお弁当が幾つ売れていたのか。
そういう合計のデータもこれまでは 1 週間ぐらいしないと出なかった。駅の中でやってい
るいろいろなグループ会社の集計が、支社を経由して本社に上がってくる。その数字がな
かなか出てこなかったのも、そんなに昔ではない。エキュートができた 6 年前、キヨスク
はまだ POS レジが入っておらず、まだまだ手作業の時代であった。皆さまにご利用いた
だいている Suica もまだ 10 年の歴史しかない。
「駅は面白いマーケット」と述べた。例えば、スーパーでも百貨店でも出口と入り口が
明らかに決まっている。ファサードから一番奥のところに並ぶ商品も大体決まっている。
エキナカは、どこが入り口になってもどこが出口になってもいい。A さんにとっては右側
が入り口になり、B さんには左側が入り口になる。ご利用されるホームによって出口と入
り口がそれぞれ違う。難しかったのは、その出口、入り口、すべてが入り口にもなり出口
にもなるところに、どういうレイアウト、どういうリレーションで業種を配置していった
6
2013 年 2 月 5 日(火)
らいいかということであった。そこに頭を悩ませたが、むしろゼロベースでできるという
ところが強みだったのかもしれない。
エキュート品川の稼ぎ頭はスイーツゾーンである。そのスイーツゾーンをつくり上げた
のは紫陽花の店長だった男性である。出向してきたときは二つのブランドしか言えなかっ
たのが、半年後には私がいろいろ教えてもらうまでになった。グループ会社からの公募で
選んだと言ったが、素人の闘える場が新しいフィールドだからこそあったのだと思う。
立川は当時、改札の中と外に跨がる唯一の施設だった。少し面積が取れることから保育
園をつくりたかった。待機児童は確か百十何人いたと思う。待機児童の多さから、立川駅
には保育園が欲しい。保育園をつくるのだったら小児科も欲しい。たまたま今朝の NHK
のニュースでも病児保育が取り上げられていたが、37 度ぐらいの熱を出しても子どもは元
気に走り回っている。「37 度の前半ですから 5 時でも大丈夫ですよ」と先生が言ってくれ
れば、3 時ではなく 5 時に迎えに行くこともできる。そういう利便性を駅の中で持ちたい
と思った。今やっている仕事にも通じるが、駅は駅だけで存在しているわけではなく、そ
の街にとって駅は一つのパーツである。どういう機能で街と相乗効果を発揮していけるの
か。そういった中でエキナカも生まれてきたと思っている。
これはホワイトデーの光景である。私は入社 2 年目からずっと流通畑を歩んできたが、
1 年で一番売り上げを稼ぐ日が、セールの初日でもなく、年始の福袋の日でもなく、クリ
スマスでもなく、ホワイトデーであるという商業施設を初めて見た。非常に特殊な環境だ
と思った。男性の部下たちが「男祭り」と呼んでいたが、本当に男性一色に見える。駅は
6~7 割が男性客である。すべてにおいて新しいマーケットだったと思っている。
新しい事業をやるときに非常に難しいのは、
「例えば」がないことである。エキュートの
大宮ができていろいろな方から、
「おまえたちはこういうものをやりたかったのか。最初に
言ってくれればもっとこうできたのに」という言葉を聞いた。それは言っていたのに分か
ってもらえなかった。というか、むしろこうやりたいと言っていた私たちが、イメージは
持っていても最終の出来上がりを完全には分かっていなかったということだ。
「例えば」が
ないから新しいのだと思う。いろいろなセクションが境界を越えて協力してくれたおかげ
でエキナカが生まれた。設備、鉄道、いろいろなセクションが一つのものに向かっていか
なければ、駅の空間というものは出来上がらない。
7
2013 年 2 月 5 日(火)
地元との共生
私たちは「地元との共生」を掲げていた。地元のお店にももっと入ってほしい。しかし
ながら、いま入っていただいている取引先に片っ端から当たったとき、地元のお店だけで
はなく、10 社中 8 社ぐらいに断られている。駅そばやキヨスクしかなく、空調も利いてい
なかった時代である。「あんな環境でうちの従業員を働かせられない」「あんなところに出
したら、うちのブランドのイメージが崩れる」。断られた理由はこの二つであった。残った
2 社も、エキナカがマーケットとして新しい事業の柱になることよりも、
「鎌田さん、あな
たの部下に根負けしたよ」というのが大半である。そういった中で入ってくださった取引
先は非常に貴重であった。
売り場は鮮度がいのちである。景色になった途端に売り場はいのちを絶たれる。鮮度を
維持していくために一番いいのはお店を変えること。それも一つの手法である。10 社中 8
社に断られた私たちにとって、その 2 社は宝物だった。場所は変わることがあるかもしれ
ない。ブランドが変わることがあるかもしれない。しかし、その 2 社には退店してほしく
ない。では何で鮮度を出していくのか。そういう思いからイベントスペースをつくった。
一つの施設に 3~4 カ所のイベントスペースを持っている。
「365 日休みなし。朝の 8 時
から夜の 10 時まで。30~50 人規模のうちの店では出店はできない」。大手さんとは別の
理由で断られたそういう地元の名店にも入っていただけるような、2 週間だったら頑張れ
ると言っていただけるようなイベントスペースにしたい。そして、そこでは地方の情報発
信もしたいと思った。
当時、子育てや地方の仕事をエキナカの次に自分が担当するとは全く思っていなかった。
「りんごの国」は、地方の情報発信の中で最初に青森県が出したいと言って来ていただい
たものである。1 年目は 400 万円台の売り上げであった。8 坪ぐらいの売り場で物産展は
できない。りんごという一つのアイテムに絞り、生のりんご、アップルパイ、りんごビネ
ガー、りんごと名の付くものはすべてそろえようというのが実はこのイベントであった。
1 年目の売り上げにずいぶん気をよくして、2 年目はいろいろな商品が増えた。2 年目と 3
年目の商品はほとんど変わらなかったが、3 年目は数字が非常に伸びている。
それはなぜか。人が代わったからである。1 年目と 2 年目は東京でアルバイトさんを雇
ったが、3 年目は農家の津軽弁のおばちゃんたちが来てくれた。大宮に行ったときに呼び
止められた。
「あの青い服のお姉さんね、私の隣村の人だった。りんご、いかがですかと呼
び込みをやっていたら、おばさん、どこの村の出身ですかと声をかけてくれた。しばらく
8
2013 年 2 月 5 日(火)
しゃべってたんだよ。あのお姉さんは 2 年帰省していなかった。でも私と話をして、おば
さん、今年の冬は帰りますね、と言ってくれた。私はりんご売りに大宮に来たけれど、あ
のお姉さん帰ってくれると言っていたから、もうそれだけで私はここに来させてもらって
よかったと思っている。ありがとうね」。そう言って手を握られた。
方言は一つの文化である。生まれ育った村の、町の言葉は自分の耳が覚えている。ちょ
っとした訛りも自分の体が聴き分けられる。日本には、方言もはじめ多くの地方にまだま
だたくさんの財産が眠っていると思う。
いま地方の仕事をしていて感じるのは、首都圏にいかに人が集中しているかである。JR
東日本 1700 駅のうち、地方の駅で上位 100 に入るのは仙台駅だけで、それも 62 位。南越
谷と新木場の間に仙台がある。首都圏にいかに人が密集しているかがお分かりいただける
のではないか。人の多い首都圏。文化、農産物、伝統工芸がまだまだ眠っていながら後継
者難に陥っている地方。ここをモノが介在して人が動けるようにできないか。そう考えて
社内で横断プロジェクトをつくった。
売上の 67%を占める鉄道はレールと旅を持っている。そしてホテル、流通、物流などが
三十数パーセントの中に入ってくる。その会社を、横断的に横軸を通すことにより、モノ
を介在した旅の創出ができないか。都心を経由して、世界にもモノを出せる舞台をつくれ
ないか。名所旧跡を巡る旅もある。しかしながら、いま若い人たちもそうだが、名所旧跡
以上に、文化、工芸、農業といった部分に興味があるのではないだろうか。昔の人たちの
日常そのものが歴史である。その日常を巡る旅もこれからもっと増えていくと思う。
販路拡大に向けた挑戦
実は地方版の「ステーションルネッサンス」もある。都心の人も地方の人もリニューア
ルしてきれいになったほうがいい。きれいなものに憧れる。問題はその費用である。都心
で対前年 101%と言ったときの 1%が 1 億円かもしれない。しかし、地方で対前年 150%
と言うときの 50%が 500 万かもしれない。工事費はどうか。業者さんを選べない分、む
しろ地方のほうが多くかかったりする。だったら出すものは何か。知恵しか残っていない。
その知恵の中でどうやりくりをするかである。
例えば、越後湯沢のこの写真を見ていただきたい。上の部分はデザイナーさんが全部ペ
ンキで塗り替え、真ん中のところだけ増棟している。雰囲気がかなり変わった。今まで小
さかった観光案内所も前面に押し出し、駅の待合室と合流させて一つの待合室スペースを
9
2013 年 2 月 5 日(火)
つくっている。店頭のものも海外産の材料は排除し、1 個 350 円の漬け物を売る方にも、
「500 円になってもいいからすべて新潟産にしてほしい」とお願いした。単価は上がった
が、それでも売り上げは上がった。「400 円だったものを 50 円下げるために、材料費、加
工費を抑えて血のにじむような努力をしてきた。それをあんたは 400 円でも 500 円でもい
いと言うのか」
「最低ロットでいいから 500 円のものをつくってください」。そうお願いし
て、結果は売れた。越後湯沢の駅で買い物をされる大半が観光客である。地元のメーカー
さんに売ってもらうことにより販路がもっと広がると思った。
青森のシードルを例に挙げたい。直営ではないが、一緒にやったメンバーが経営者とし
て青森に行き、シードルの工房をつくった。「JR 東日本が加工を?」と思われるかもしれ
ないが、メーカーのようなことをやっている。なぜシードルをつくったのか。新幹線が青
森に行ったときに地元の青森市、青森県から、新幹線以外にも何かやってくれないかとい
うオファーがあった。人口がどんどん減少している中で、その「何か」とは商業施設では
ないのではないか。では商業施設ではなく何なのだろう。そのときに「加工」という言葉
に行き当たった。
青森県は日本一のりんごの産地で、その 8 割が生食用として都心に出て、加工のうちの
98%ぐらいがりんごジュースになっている。道の駅で一升瓶のりんごジュースが 500 円で
売られているのを見て、これでは農家にお金が落ちないと思った。1 個 350 円のりんごを
つくるために血のにじむような努力をしている。それでも日焼けしたりんご、傷の付いた
りんごができる。「70 歳を過ぎたら、袋をかけてきれいなりんごをつくるのはしんどい。
しかし、傷が付いてもいいのであれば、70 過ぎても 80 になってもつくれる」と聞いた。
「めぐせえ」という言葉を地元の人から教えてもらった。
「みっともない」の意味だと後か
ら知った。
「300 円、400 円のりんごをつくれる農家が加工用をつくるなんてみっともない
と地元では言われてきた。しかし、加工には加工用のよさがある」と工場をつくった後に
言っていただき、本当にうれしかった。
なぜシードルをつくったのか。実は、フランスのノルマンディーからブルターニュに行
くところにシードル街道というのがある。そのシードル街道沿いにあるたくさんの小さな
りんご農家が、自分の家なりのりんごジュース、シードル、カルバドス、アップルブラン
デーをつくっていた。カルバドスという名称は使えないが、カルバドスを最終着地点にし
たいと思った。例えば、木村秋則さんのりんごが有名だが、10 日前に採った木村さんのり
んごと今日採ったりんご、また、20 年前に仕込んだ琥珀色のアップルブランデーと今年仕
10
2013 年 2 月 5 日(火)
込んだ無色透明のブランデー、それが同じ値段だったらどちらを買われるだろうか。価値
が逆転する。寝かせることにより付加価値を生む。傷が付いたりんごなど二束三文にしか
ならない、東京には出せないと言われて転がっていたりんごたちがブランデーになること
により、何万もの価格に生まれ変わる。それぞれのりんごにはそれぞれの道がある。人が
それぞれ違うように、いろいろな選択肢があっていい。そこに行き着けないかと思った。
建築デザインは片山正通さんにお願いした。興味のある方はぜひ青森に行っていただきた
い。絶景である。地元の力をお借りしてこれが出来上がった。
そうは言っても私たちは素人である。シードルなんて本当につくれるのだろうか。しか
し、つくり方が焼酎と一緒だから、ブランデーもできるのではないか。そういう甘い考え
で「じょっぱり」という日本酒で有名な地元の六花酒造さんを訪ね、相談してみた。社長
さんはとてもいい方で、
「そこまで青森のことを考えてくれてありがとう。しかし、シード
ルはつくったことがない。ブランデーと焼酎はつくり方は同じかもしれないが、うちには
できないと思う。しかし、できるかもしれない先生がいる」と言って連れていっていただ
いたのが、弘前地域研究所という独立行政法人であった。
そこに行った途端、茶色のビール瓶のようなものに付箋紙が貼ってあるものを出してく
れた。それには未希ライフ、ジョナゴールド、サンふじ、サンつがる、それぞれのりんご
の名前が付いていた。「青森県内のりんごの品種すべてでシードルをつくった経験がある。
飲んでみるか。うまいぞ」。飲んでみるととてもおいしい。フランスで飲んだものとはまた
違う日本独特の素直な味というか、違う味のシードルができるのだと思った。ブランデー
はないかと尋ねたら、「8 年物だ。結果は出ている」と言って出してきてくれた。
県にはいろいろな研究所がある。大学もそうだと思う。いろいろな研究成果がある。そ
こに企業が結び付き、人が結びつくことにより販路が広がっていく。農業の六次産業化が
よく言われるが、そういった部分をシードルでやってみたいと思った。一次産業、二次産
業、三次産業それぞれが横軸でやるのではなく、縦軸をどう通していくのか。例えば、紀
ノ国屋やディーンアンドデルーカで売れるシールドはどういうものなのか。それは必ずし
もデザインにこだわったものではない。デザイン以上に、どんな畑のどんなりんごを素材
としてつくられているシールドなのか、そちらのほうにお客さまは興味がある。このシー
ドルの材料は、無農薬とまではいかないが、GAP やエコファーマーの認証を取り、いつ、
どこの畑で、何の農薬を何ミリ使ったのか、全部トレーサビリティをさかのぼれるりんご
しか使っていない。
11
2013 年 2 月 5 日(火)
地産品の販路をもっと拡大したいとの思いから東京で産直市をやり、昨年 1 月には上野
駅にもオープンした。なぜ地産品の販路が広がらないのか、この 1 年で非常に勉強になっ
た。例えば、漬け物の袋にファスナーが付いているか付いていないかで売り上げが 5~10
倍に変わることもある。いま日本の人口は 1 世帯と 2 世帯が 58%を占め、地方でも個食志
向が強まっている。コンビニを見れば一目瞭然だろう。そういう中で、大袋ではなく個包
装にしているものがどれだけあるか。また、都心のお客さまが添加物にどれだけデリケー
トになっているか、産地は本当に分かっているのだろうか。いろいろな部分が見えてきた。
地元の言葉で食べ方を伝えてもらいたいとの思いから、販売員には県の方、県庁の方、
地銀の方に立っていただいている。地産品でデータを取っているところはほとんどない。
データは SKU という絶対単品で取ることができる。駅の中では大体 500 円という単価が
非常に買いやすい。その単価に合わせて商品開発をしたら、恐らくもっと売れるだろう。
それもこの中から分かった。
常識を恐れずチャレンジしてほしい
まだまだ若い皆さま方には夢があるし、将来がある。年を重ねていくということは、若
さはなくなるが、逆にいろいろな人々との出会いがある。それが人生の蓄積になっていく
のだと思うようになった。今ほとんどの方が電子マネーをお持ちだと思う。私は新入社員
のときに、ラチ(改札口)と言われるところで切符切りの実習から入った。私の後輩たち
の大半がラチの存在も切符切りの存在も知らない。ラチがなくなったことで、そこにいた
人間が要らなくなる。2 交替制になるから仮眠室が要らなくなる。切符が減れば券売機が
減る。それだけではない。券売機の後ろ側に流れてくるお金を取り運ぶ継送の仕事も減る。
電子マネー一つをとっても大きく構造が変わる。この 10 年、世の中はこういう事象が多
くなった。これからの 10 年はもっと速いスピードで流れていくと思う。
一人の力、チームの力と言ったが、一人が強くならなければ組織は強くならない。自分
を磨くことを、まず第一に考えていただきたい。しかしながら、一人では仕事はできない。
そのときに仲間がどう助けてくれるか。組織の力でどういう結果を出していくのか。その
先にお客さまの喜ぶ顔がある。何のためにこの仕事をしているのかという戻るべき原点を
明確にすれば、心は揺るがないと思う。
そして、考えること、行動すること。新しいことをやるときには波風が立つ。文化祭の
幹事をやる。部活の主将をやる。いろいろな調整業務が発生するときにも同じだろう。学
12
2013 年 2 月 5 日(火)
生時代に悩んでいることは社会人になっても同じだと思う。会社に入ったから難しいこと
が出るわけではない。人をどう調整するのか。どう結果を出していくのか。それは学生時
代から日々の中でずっとやってきたことだと思う。波風が立つのは、新しいことをやって
いるということでもある。むしろ、調和を重んじるあまりに波風が全く立たないとしたら、
一歩も進んでいないのかもしれない。波風が立つことを恐れない。波風を立てながらも、
みんなが納得する結果にどう結び付けられるのか。それは何のためなのか。そちらのほう
が大きいのではないか。
まだ若い皆さま方は常識を恐れずチャレンジしていただきたい。エキナカが生まれるま
では駅はこうあるべきと言われてきたが、今は「駅はこうあってもいい」と思われるよう
になった。常識と言われているものの大半が、自分たちでこうだと思い込んでいるところ
なのかもしれない。新しいこと、未来にぜひチャレンジしていっていただきたい。
最後に、30 秒の CM を 3 本流させていただく。いま 6~7 割が男性客の駅を、女性が使
うようになったらどう変わるだろうというのが大宮駅の CM。ヘロヘロに疲れ果てた部下
たちが見て泣いていたのが品川駅の CM。そして、立川駅の CM では、駅がもっといろい
ろな機能を持てたらいいなという思いを込めている。
13