井上洸太さん(26歳) こ う た 生 の 更 生が 目 的 で 親元 を 離 れ て修 行 し て いる 人もいました。 石 工 の修 行 は 手 取り 足 取 り 教え て く れ るの ではなく「体で覚えろ」 「見 て覚えろ 」という やり方。厳しくて同期 生 が 次 々と 辞 め て いき ました。五十人いた同 期生も一 年で半分、三 年 で わ ずか 十 人 以 下に なってしまいました。 朝食は なく、昼と夜 は 仕 出 しの 弁 当 で した か ら 、仕 事 の 厳 し さ も あって、当時九十㎏あっ た 体 重 が五 十 四 ㎏ まで 減ってしまい、家に戻っ て き た とき に は 友 人が 自 分 だ と気 づ か な いく らいでした。 そ ん な厳 し い 修 行で した が、「ここ で帰 っ た ら 後 が な い 、高 校 も 中退 し て 中 途半 端 に 終 わってし まう。ここ で 頑張 ら な け れば 石 屋 に なれない」と自分に言 い聞かせました。 ●五 十 歳 の 若さ で 父 が 他界 修 行 を 終 えて 矢 板 に 戻り、父と一緒に仕事 をするようになって二 年半が過ぎた頃、頼り にし て い た 父を 心 筋 梗 塞で失ってしまいまし た 。突 風 で 大 き な 被 害 が出た年で、仕事が続 いて 疲 れ て いた の だ と 思います。 当時、弱冠二十一歳 で 、ま だ 現 場 の 仕 事 を 全てこなせる力はなかっ たので 、「このまま 仕 上太田の井上石材店四代 目。高一で中退。愛知県岡 崎市にある石工団地の養成 工として、全国から集まる 石工志望の仲間と3年半修 行。実地を学びながら、夜 は岡崎技術工学院石材科で 学び、19歳で矢板に戻り 家業に就く。 事 を 続 けら れ な い だろ うからやめた方が良い」 と、親類や近所の人た ちに言われました。 し かし、父は常日頃 から「手を抜くな」 「見 え な い と こ ろ ま で 気を 使い、いい加減な 仕事はするな」が口癖。 そ の 教 えの よ う に 一生 懸 命 や れば な ん と かな ると 思い、やめようと は考えませんでした。 矢 板 市内 の 同 業 者に 手 伝っても らった り 、 教え てもらいながら、 現 場 の こと を 覚 え てい きま した。皆さんに助 けてもらいました。 「分 か ら な い こ と は 何 でも聞いてくれ」と言っ てく れて、本当にあり がたかったです。 ●突然の東日本大震災 矢 板市内も、墓や石 蔵、石塀など大きな被 害が あり、どこの石屋 さ ん も 大忙 し で 人 手も 足りない状態です。 う ちも、お得意様や 付 近 の 方々 に 仕 事 を頼 まれ 、母と二人ではそ の 要 望 に応 え ら れ ない 丁寧な仕事と感謝の心で 地域に密着した石材店を 職人の世界は、い まだに厳しい修行が 必要とされる。 石材店も、そんな し か し 、勉 強 が あ ま 職種のひとつだ。 そ の 石 材 店 の 四 代 り 好 き で は な く 、祖 父 や父 の 仕 事 ぶり を 見 な 目に生まれ、ものご が ら 育 ち 、自 分 は 石 屋 ころ付いたときには、 にな る と 決 めて い た の すでに家業を継ぐと で、高一で中退。茨城、 決 め て い た と い う 井 香川 に 並 ぶ 御影 石 の 産 上洸太さん。 地 、愛 知 県 岡 崎 市 で 修 父親の死、東日本 行 す ることにしました。 大震災という困難を、 日 中 は 地 元の 石 材 店 多 く の 人 に 助 け ら れ で先 輩 の 石 工さ ん か ら な が ら 乗 り 切 っ て き 仕事 を 教 え ても ら う 生 活。夜は 、午 後七時 か た。 ら 九 時 ま で 週 二 日 、岡 崎技術工学院で製図や、 灯篭 の 寸 法 形な ど の 勉 強をしたり、機械を使 わず 手 作 業 での 彫 り 方 など を 教 え ても ら い ま した。 全 国 か ら 集 ま った 生 徒は 家 業 の 後継 者 が 主 で し た が 、中 に は 、人 矢板 希望の星 ● 石 のま ち 岡 崎 での 修 行は背水の陣 父 親は 口 で は 言わ な か った けれど 、跡 を継 がせる気はな かったよ うです。「休みもなく、 い つ も仕 事 ば か りで 収 入も安定しないから…」 と。 ため、修業時代の友人 た ちに 応 援 を 頼み ま し た。 広島 県 と 千 葉県 か ら 三人、約一カ月ほど手 伝 いに 来 て く れて 大 助 かりしましたが、まだ、 そ の震 災 の 仕 事が 後 二 年分ぐらい残っていま す。 ま た 、こ の 震 災 で 父 と 一 緒 に 自 分 が 作 った お墓が倒れなかったこ とで、お客様からお礼 の電話が何件かあり、 こ れか ら 仕 事 を続 け る 上 での 自 信 に つな が り ました。 ● 石工 と し て の技 術 を いつ ま で も 中国 産 の 安い石材が入ってくる わ けで は な い と思 い ま す。いつ かはま た、国 産の石を自分で切断し、 磨き、刻んでいく技術 が 必 要 に な って く る と 思 う の で 、い ず れ 石 材 加 工一 級 技 能 士の 国 家 資格を取りたいと思っ ています。 石材 組 合 に 入ら な い と その 受 験 資 格が 得 ら れ ないのですが、矢板 市 に は 石材 組 合 が あり ま せん。それで無理を お 願 い して 県 北 の 栃北 石 材 組 合に 加 入 し てい ます。 ● 地 域 密着 の 石 屋 を目 指して 人口がどんどん減っ て いる時代、お寺離れ や、お墓を作る人も減っ て 、さらには土木建築 業 や 造 園業 か ら の 参入 も あり、この業界は厳 しくなると思います。 だからこそ、頼んで く れ た 人と そ の ご 先祖 様 に感謝して、丁寧で き ち ん とし た 仕 事 をし て 、地域に密着したみ ん な に 愛さ れ る 石 屋さ ん になろうと思ってい ます。 今 は 仕事 に 追 わ れ余 裕 がないけれど、いず れ は 、石 の オ ブ ジ ェ 、 置 物 な どの 芸 術 作 品を ぜひ作ってみたいと思っ ています。 (K・H) こんな遊び心も 練習のために 石を刻む 平成25年8月1日 版 ら わ か 力 民 市 第36号
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