新潟大学人文学部 英米文化履修コース 2007 年度卒業論文概要

新潟大学人文学部 英米文化履修コース
2007 年度卒業論文概要
英語学系・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
泉麻美
On English and Japanese Progressives
大坂法子
A Note on Adverbs in English
関谷由美
On the Classes of Adjectives and Their Complementizer Choice
西澤瑛子
On the Circumstantial Adverbials in English
野崎麻美
Notes on Displacement Phenomena in English
笠原あずさ
On Ellipses in English
英米文化・文学系・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
浅原健士
カーター政権における市民宗教の役割
上野哲史
チャールズ・ブコウスキー研究∼自伝小説における笑いについて∼
逸見沙耶花
ジョージ・マクドナルドの死生観
佐藤優子
A Study of Umeko Tsuda―What Motivated Her to Develop Japanese Women s
Higher Education?―
玉川恵子
『黄金の王国』における新しい女性像
石川香緒莉
『月と六ペンス』研究 ―芸術家小説に潜む第一次世界大戦の傷痕―
小見寺あゆみ 『高慢と偏見』研究 ―ダーシーにとっての「外観」と「実体」―
小山美佳
『若草物語』研究―Jo の結婚という結末―
斉藤舞
Virginia Woolf: Orlando 研究
佐藤麻美
『アリス』における「食べる」場面の意味
田浦 正樹
エミリー・ブロンテの死生観 ―『嵐が丘』・詩・エッセイからみる死生観―
玉木友子
Philippa Pearce 研究 ― Tom s Midnight Garden における「時」―
中島尚美
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』研究―ホールデンの経験と成長―
原雅樹
『日陰者ジュード』論――優生学実践小説としての Jude the Obscure ――
真木愛夏
Roald Dahl
皆川愛子
ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』研究―作品に見られる都市と田舎の対立
圧制者達への反抗
と登場人物への影響―
村木美和
ベンジャミン・フランクリン研究―自己・他者・社会の向上を目指した倫理観―
森永義信
トマス・ハーディ研究
石田陽子
A Study of Salomé
植松真実
トニ・モリスン『ビラヴド』研究―Denver から読み解く Beloved―
河内千香
D.H.Lawrence 研究―The ideal relationships between men and women in Lady
The Mayor of Casterbridge におけるヘンチャードの悲劇考察
母と娘をめぐる対立
Chatterley s Lover ―
神田ほし美
シャーロック・ホームズ研究―ホームズの女性観と世紀末の新しい女性―
斉藤直美
トマス・ペイン『コモン・センス』研究―独立を唱えたパンフレットがベストセラーと
なるほど影響力を持った理由―
菅井亮佑
A Controversy about Multicultural Education in the United States̶A Common Ideal
of the Left toward the Future American Education̶
斎藤桃子
リチャード・ブローティガン研究―『西瓜糖の日々』における自我をめぐる問題―
栗原有希
P・オースター『ニューヨーク三部作』研究∼Quinn, Blue, I から Auster as a novelist
へ∼
原章子
シェイクスピア研究∼King Lear と黒澤明『乱』∼
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泉 麻美
base verb + ing
On English and Japanese Progressives
で表される英語の進行形と「∼テイル」で表される日本語の進行形の比較を行っ
た。それぞれは同様の用法も持つが、異なる用法も示す。英語の進行形は以下のような用法を持つ。
(1) I am running. ( ACTIVITIES )
(2) I am running everyday. ( Repeated action )
(3) I am leaving for Paris tomorrow morning. ( Future time )
(4) My stupid car is always breaking down. ( The idea of an annoying habit )
(5) Tina is resembling her sister more and more. ( PROCESSES )
(6) James is living in Japan. ( Temporary state )
(7) The neighbors are being friendly. ( A form of behavior )
(8) I am hoping you will come. ( Polite )
日本語の進行形は以下のような用法を持つ。
(9) 私は走っている。( ACTIVITIES )
(10) 私は毎日走っている。( Repeated action )
(11) 熊が死んでいる。( Resultative state )
(12) その作家は今までに5冊本を書いている。( Perfect )
(13) この道は東に曲がっている。( Mere state )
このような違いが起こる原因は、英語の進行形の本質的特性が
in progress
(進行中)であり、日
本語の進行形の本質的特性が、奥田(1977, 1978)の考えを採用し duration (継続)であるという違い
によるものだと考えた。
英語の進行形の本質的特性である
in progress は、何かを達成することにだんだんと近づいていく
ことを含意する。用法はこの特性と副詞などが結び付くことで派生すると考えた。ACTIVITIES は動作
が進んで行くという進行であり、Repeated action は動作の繰り返しが、進行の意味を構成する。Future
time もこの特性から派生しており、確定的未来と呼ばれるのは
in progress が何かを達成するという
含みを持つからだと考えた。The idea of an annoying habit に関して、達成に近づいている過程とは
その事象が完成されていないことを意味する。つまり事象全体を捉えない。それゆえ客観的より主観的
見方になり、いらいらの感情が含まれるとした。PROCESSES もだんだんと近づくという特性から派生
しており、Temporary state は The idea of an annoying habit 同様、進行形が事象を完成的に捉えな
いとこから一時性が派生されるとした。A form of behavior と Polite は Temporary state の一部であ
る。
日本語の進行形の本質的特性は、英語の進行形が何かを達成するまでという限界があるのに対し、限
界のない単なる継続であるとした。日本語にも ACTIVITIES と Repeated action は存在する。両方共に
動作が行われている最中を表すためである。Resultative state も単なる継続という特性から動作が終わ
った後の結果の状態の継続を表すことが出来、Perfect も過去に終了した動作を現在と結び付けること
が出来るとした。そして終了限界のない単なる状態である Mere state も表すことができると考えた。
このように本質的特性の違いが用法の違いを生み出すことを証明した。
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大坂 法子
A Note on Adverbs in English
この論文の前半では、まず副詞を文副詞と VP 副詞の二種類に分け、それぞれの違いについて分析す
る。また、論文の後半では、副詞類と目的語の構造を、C 統御関係やスコープの概念に基づいて考察し
ていく。
文副詞とは(1a)に挙げるもので文全体を修飾し、VP 副詞は(1b)に挙げるようなもので、動作そのもの
を修飾する。
(1)
a. Rudely, Donald left the meeting. (無礼なことに、Donald は会議を抜け出した)
b. Donald left the meeting rudely.
(―は会議を荒々しく抜け出した)
(Ernst 1984)
第二章では、副詞をそれぞれ生じることのできる位置から六つに分類する。具体的に言うと、文頭、
文中、文末、全ての位置に生じることのできる副詞(ex. cleverly, carefully, …)、または文頭と文中で
は用いられるが、文末には生じることのできない副詞(ex. probably, certainly, …)、などである。それ
ぞれ、副詞の生じる位置によって文副詞としての解釈をとるもの、VP 副詞としての解釈をとるもの、
その両方の解釈を取るものと様々である。その意味の違いを構造的に解決していく。
第三章では文副詞をさらに話者指向と主語指向の副詞に分ける。そして、話者指向の副詞は同一文中
に二つ生じることはできるが、主語志向の副詞は同一文中に二つ生じることはできない、といったよう
な共起制限の事例を観察していく。
第四章では様々な VP 副詞の事例について考察する。VP 副詞や時間を表す副詞が同一文中に二つ現れ
る場合についての分析や、always や sometimes といった数量詞、all に代表される遊離数量詞について
それぞれ見ていく。
後半では副詞が使われている文の構造をより詳しく見てく。第五章では作用域の概念に基づいて考察
していく。例えば、(2a)においては twice が intentionally よりも広い作用域を取り、(2b)においては
intentionally が twice よりも広い作用域を取ることによって、(2)のような意味の解釈の違いを説明する
ことができる。
(2)
a. John knocked on the door intentionally twice. [作用域
intentionally<twice]
(John は故意にノックすることを 2 回行った)
b. John knocked on the door twice intentionally. [作用域
(John は 2 回ノックすることを故意に行った)
twice<intentionally]
(Andrews 1983)
第六章では、目的語と副詞類の構造的関係について、作用域の概念だけでなく、格照合理論を仮定し、
様々な事例について考察していく。
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関谷 由美
On the Classes of Adjectives and Their Complementizer Choice
この論文では、It is Adj that ∼、または It is Adj to ∼という構文において、形容詞がどのように用
いられるのかというテーマで議論が進められている。補文標識 that や to の持つ意味、また補文をとる
形容詞の代表的な対比である叙実・非叙実という概念とそれぞれの代表的なものを示し、さらに that や
to に対応する形容詞グループにおいてどのような傾向が見られるかを説明する。そのうえで、それらの
異なる形容詞の分類を統合させるというかたちでこの論文の主題である、形容詞がどのように補文標識
を選択するのかという問題を説明しようと努める。
まず、補文標識 that と to は、それぞれ行動・状態、過去志向・未来志向、客観的・主観的といった意
味的特長を持つ。さらに、主語と補文の意味的主語の距離感という観点から、that には権威という概念
が加えられる。また、that 補文においては推定を表す should が現れることができ、その場合形容詞が
表す意味は直説法が用いられている場合のそれとは異なる。
次に、補文をとる形容詞の意味的特徴である叙実的・非叙実的という区別を見る。叙実的形容詞とは、
共に現れる補文の内容が真であることが前提されているものを言い、対して非叙実的形容詞とはそのよ
うな前提がないものを言う。さらに、それぞれのクラスの形容詞の更なる下位範疇を示す。
叙実・非叙実という区別に加え、形容詞がどのような補文標識を選ぶのかという異なった観点からの対
比を見てみる。ここでは、that のみ、to のみ、そして that と to どちらもとることのできるグループに
分け、それぞれのグループが持つ性質を見出す。
ここで、以上で示した二つの形容詞のクラス分けを比較する。結果として、非叙実的形容詞は that
のみをとる形容詞と、叙実的形容詞は to のみ、あるいは that と to どちらもとる形容詞と大部分が一致
していることが分かった。つまり、非叙実的形容詞は補文内容の確実性に対する確信がある、またその
確実性が話題になっている時に用いられる形容詞であり、対して叙実的形容詞はある事実に対する話者
の主観的な判断・意見を表す形容詞だと言うことができる。以上のことは、that と to のどちらもとる形
容詞の取り扱いがあいまいとなること以外は問題がないように思われる。そこで私は、この形容詞を中
間のグループとして取り扱うことを提案する。このグループの形容詞は推定を表す should や仮定法の
動詞と共起可能であり、そういった事実から読み取られる意味特性からもこの扱いが妥当だということ
が分かる。
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西澤 瑛子
On the Circumstantial Adverbials in English
この論文は Chinque(1999)の状況副詞句についての研究である。状況副詞句とは、様態(carefully)、
場所(in the park)、道具・手段(with a knife)、随伴(with my dog)、原因・理由(of cancer)、目的(for his
happiness)、時間(yesterday, for two weeks)のように、出来事を修飾する働きをもつ副詞句のことであ
る。従来、状況副詞句は付加部のように捉えられてきたが、私は状況副詞句が動詞の補部として要求さ
れる場合もあると考えた。これらが補部として要求されていることを証明するために、補部だと考えら
れる副詞句を削除するテストを行った。
(1) a. I live in Japan.
(in Japan・・・場所表現)
b. *I live.
(2) a. The storm lasted for two days.
(for two days・・・時間表現)
b. *The storm lasted.
このように、副詞句を削除することで容認不可となったり、文のニュアンスが変わったりする場合は、
その削除した副詞句は動詞の補部であると判断した。このテストによって副詞句が補部であると証明で
きたものを列挙し、分類した結果、そのメンバーが上記の状況副詞句の7種と一致した。これらのこと
から、副詞句は動詞の補部になることができ、さらにそのメンバーは状況副詞句の7種に一致するとい
う結論に至った。
さらに、なぜ状況副詞句が動詞の補部になれるのかという根拠を2つ挙げた。
第一に、状況副詞句の現れる位置は、他の通常の補部要素が現れる位置と一致しているということが
挙げられる。Chinque は、すべての副詞の階層を示し、状況副詞句が現れる位置は動詞要素の後ろであ
ると定めた。この位置は、動詞の直後または動詞の目的語の直後であり、通常の名詞句などの動詞補部
が現れる位置と同一である。このように状況副詞句は動詞の補部になれる位置に現れるため、動詞の補
部になれると考えた。
第二に、状況副詞句の7種は受動態の主語になれるという事実から、もともと動詞の項になれる素質
を持っているという点を根拠とした。これは Davison(1980)の peculiar passive(能動態の直接目的語が
主語になる普通の受動態と異なるものを指す)を用いてテストした。
(3) a. John sat on this chair.
b. This chair was sat on by John.
(Davison Alice, 1980, Peculiar Passive.)
このように、this chair (場所表現)は直接目的語でないにもかかわらず、受動態の主語になれる。同様
に状況副詞句の7種をテストしたところ、そのほとんどが受動態の主語になることができた。受動態に
なれない種類もあったが、それは他の理由によって容認不可となることも証明できた。このように、状
況副詞句のメンバーは受動態の主語になれるという事実から、これらは元来、動詞の義務項になれる素
質を有していると考えた。よって状況副詞句は、動詞の項のひとつである補部として文に現れることが
できると結論づけた。
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野崎 麻美
Notes on Displacement Phenomena in English
本論は、英語における転置現象、特に外置に関する研究である。2 章では、まず、主語からの外置に
ついて言及する。一般的に、主語からの抜き出しは主語条件に違反するが、唯一、非対格動詞の主語か
らの外置は許される。Johnson(1985)の非対格仮説によると、それらの動詞の主語は、D 構造において
目的語位置に生じているため、主語条件に違反しない。次に、この仮説に対する反論について中島(1995)
にしたがって説明した。非対格動詞以外でも外置を許すように見える例では、実は移動が関わっている
わけではなく、外置要素がその位置に基底生成されているので、それらは反例にならない。また、非対
格動詞の主語からの外置においても、前置詞句のみに移動が関わっており、関係詞句は基底生成されて
いるように考えられる。
3章では、Akmajian&Lehrer(1976)の NP Cycle 仮説に基づき、前置詞句の移動について調査する。
しかし、NP-like 数量詞句、例えば a number of のような句を含む前置詞句の移動はこの仮説に適応し
ないようにみえる。そこで、彼らの新しい構造分析を採り上げる。その構造分析の下では、NP-like 数
量詞句に続く要素は単一の構成要素、つまり、前置詞句を形成しないので、それらが NP Cycle 仮説の
反例にはならない、ということが説明できる。
4章では、非対格動詞を含む文からの Wh 移動を採り上げ、その操作に関わる移動の順序における、
ある原則を提案する。章の前半では、移動の順序を、最初に外置要素の移動が起こり、次に残された要
素が主語位置に移動し、そして最後に主語位置から Wh 移動が生じる、と仮定する。次に、最初の移動
における外置要素の移動先について、Culcover&Rochemont(1990)にしたがって調査し、それらが動詞
句に付加する、ということを示す。章の後半では、この事実をふまえて、Wh 移動操作における移動に
は、移動先が低いほうから順番に移動が生じる、という原則が関わっているようであると提案する。
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笠原 あずさ
On Ellipses in English
英語にはさまざまな省略現象があるが、この論文では動詞句省略、間接疑問縮約、名詞表現省略をと
りあげる。
以下の文はそれぞれの典型的な例である。
(1) John isn t leaving town but Mary is [VP leaving town ].
(動詞句省略)
(2) Someone loves Janet, but I don t know [CP who [IP loves Janet]].(間接疑問縮約)
(3) This book is [ NP John s [ N book]].(名詞表現省略)
まず動詞句省略が許されるのは、複数の動詞句が存在する場合に、省略する動詞句の左側(INFL の
位置)に必ず助動詞 do や法助動詞(will, must, should など)のような残存要素があるときである。次
に間接疑問縮約は、who や why、where などの wh 句が CP の指定部の位置にある場合に、間接疑問文
の wh 句だけを残して IP を省略するものである。そして名詞表現省略は、省略される名詞句の前に所有
格の句がある場合に許される。
このようにそれぞれの省略が可能となるにはさまざまな制約があるが、共通点はあるのだろうか。例
文(1−3)を見ると、動詞句省略は最大投射の VP、間接疑問縮約も最大投射の IP を省略することが
できるが、名詞表現省略では中間投射の N が省略されている。ここで、名詞表現省略でも最大投射の
NP が省略されると考えることができないかということを調べる。そこで、(4)のように機能範疇 DP
を考えることにより、最大投射である NP の省略とみなすことができる。
(4) This book is [ DP John [D [D s ] [NP book]]].
この考えによって、動詞句省略では機能範疇 I が、間接疑問縮約では機能範疇 C がその補部を省略す
ることを認可するように、名詞表現省略でも機能範疇 D が省略を認可すると考えられる。また(5−7)
に示すように、主要部と指定部との間に一致関係がある場合にそれぞれ省略が許されるとまとめること
ができる。
(5) [IP DP [I [I + tense][VP Δ]]] (動詞句省略)
(6) [CP WH [C [C + wh][IP Δ]]] (間接疑問縮約)
(7) [DP DP [D [D + Poss][ NP Δ]]] (名詞句省略)
以上のような名詞表現省略を名詞句省略と捉える考えを DP 仮説と呼び、これにより動詞句省略、間
接疑問縮約、名詞句省略には共通の条件が働いていると考えることができる。
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浅原 健士
カーター政権における市民宗教の役割
本論文のテーマは、Jimmy Carter 政権における市民宗教の役割を分析することで、「素人政治家の理
想主義」
「弱腰外交の推進者」などと揶揄されてきた Carter に、
「市民宗教の実践者」としての再評価を
与えることである。ちなみに、何故今 Carter を再評価する必要があるのかといえば、1996 年に元 CIA
長官の Robert M. Gates が Carter の隠れたタカ派としての一面を回顧録で暴露したり、2002 年に Carter
が国際紛争解決でノーベル平和賞を受賞したりしたことを契機として、近年 Carter 再評価の機運が高ま
っているからである。
まず第 1 章では、市民宗教という概念の定義づけを行った。そもそも市民宗教とは、Jean-Jacque
Rousseau が初めて紹介し、Robert N. Bellah が初めてアメリカに適用した概念であるが、彼らの見解
をまとめると以下のようになる。『市民宗教とは、「神の存在、来世の生活、善が報われること、悪が罰
せられること、宗教的不寛容の排除」という、あらゆる宗教に共通する価値観を教義とし、共同体の中
で営まれる政治活動に聖なる意味を与え、内部のすべての対立や差異を超越して人々に一体感を与える、
支配的な信仰、価値、儀礼、儀式、および象徴の集合体である。そして、政治活動に与えられる聖なる
意味とは、
「独裁政治から世界を救済するために、立憲的・民主的手続きを通じて、神から与えられた自
由・平等・幸福の追求などの使命を果たしていくための手段」である。』
第 2 章では、Carter 政権の市民宗教が、合衆国憲法の政教分離規定と、Richard G. Hutcheson が提
唱した「政教分離の紳士協定」に抵触するかどうかを検証した。Carter 政権の市民宗教は主に、公的な
場でのキリスト教的発言と、キリスト教的価値観に基づく政策決定に表れているが、これらの言動が憲
法の政教分離規定に抵触しないということは、最高裁判例に基づく Sherbert Test と Lemon Test とい
う判断基準を根拠として論証した。また、政教分離の紳士協定に抵触しないということは、道徳的・宗
教的に優れた大統領が待望されていた時代背景と、Carter の政教分離遵守の姿勢を根拠として論証した。
第 3 章では、Carter 政権の市民宗教が様々な思想によって複雑に構成されたものだということを示し
た上で、それが Carter 政権に与えた効果について論証した。Carter の市民宗教の一つ目の構成要素は、
「諸 力 の間 の 現実 的な 調 和を と りな が ら、 相 対的 に公 正 な秩 序 を確 立す る こと を 重視 す る、 神 学者
Reinhold Niebuhr のキリスト教的現実主義」である。二つ目の構成要素は、「歴史の進路を決定する主
役は大衆の性向であり、声にならない大衆の願望であるという、作家 Lev Tolstoj の歴史哲学」である。
三つ目の構成要素は、
「父親の保守主義と母親の自由主義に起因した中道主義」である。そしてそれらに
よって構成された市民宗教は、
「パナマ運河返還などにおいて道徳的政策決定を可能にした」、
「国家エネ
ルギー計画などにおいて世論の統合を可能にした」、「キャンプデービッド合意などにおいて外交の円滑
化を可能にした」というような効果を Carter 政権に与えた。
以上のような論拠から、市民宗教は Carter 政権において重要な役割を果たしたという結論を導くこと
ができた。先行研究には、
「有権者の宗教的背景が選挙結果にどう影響するか」という観点からなされた
ものが多いのに対して、
「為政者の宗教的価値観が政策決定にどう影響するか」という観点からなされた
ものが少ないのだが、本論文は前者を重視してきた既存の研究を、発展させたという意味を持つであろ
う。
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上野 哲史
チャールズ・ブコウスキー研究
∼自伝小説における笑いについて∼
チャールズ・ブコウスキーは 20 世紀後半のアメリカにおいて、その反アカデミックな作風で人気を
得た詩人・小説家である。彼の長編小説には自伝的な要素が強く表れており、作者の分身である主人公
の振る舞いはユーモラスに描かれる。本論文は、なぜブコウスキーが自伝小説の中に笑いの要素を含め
たのかという問題について考察するものである。
直接的な表現を多用するブコウスキーの作風は同時代に活躍したビートジェネレーション作家のそれ
と非常に混同されやすく、彼がビート作家として扱われることもたびたびあった。そこで第一章では、
議論の出発点として、彼の作品の特徴を浮き彫りにするために、あえてビートとの比較を行う。その結
果、ブコウスキーは同時代のビート作家と違い、作家同士での結びつきを持とうとしなかったこと、そ
して下層階級の視点から自らをユーモラスに描くことが彼独自の作風であったことが明らかになった。
第二章では、笑いの要素について更に詳しく考察を進めていく。過去のブコウスキーの発言によると、
彼は読者を笑わせようと意識して性の要素を盛り込んでいること、そして悲劇を喜劇に変えるという手
法を自覚的に用いていたことが分かる。ブコウスキーは読者と物語の間に距離感を演出するため、悲劇
的な出来事もあえて淡白な描写で描いているのである。
だが、彼の小説は単に馬鹿馬鹿しいどたばたに終始するわけではない。第三章では、彼の作品にしば
しば登場する自殺衝動に注目する。考察の結果、ブコウスキーは死と笑いを対比させて考えていたこと、
自殺衝動を遠ざけるために身の回りに笑いを欲していたことが明らかになった。笑いは、彼にとっては
憂鬱を遠ざける唯一の手段である。しかし、ブコウスキーは気難しい性格をしており、友情を長く続か
せることがほとんどできない人物だった。そんな彼にとっては、自らの体験を綴ることが感情の捌け口
になっていたと思われる。大浦康介の指摘によると、日記や自伝を綴る行為には、孤独な人間の表現衝
動を解放する自己救済の役割があるという(『文学をいかに語るか――方法論とトポス』、1996)。ブコ
ウスキーの場合はその上、自らの過去をあえて冷徹に描写することで場面をユーモラスにするという手
法も用いている。ブコウスキーは少年時代に父親から虐待されていた過去を持つが、彼はその時代の出
来事をも客観的に振り返ることで笑いの仕掛けに転換しようとしている。以上のことから、彼にとって
笑いのある自伝小説は、単に過去を反芻するだけにとどまらず、憂鬱に支配されがちな自分の半生を振
り返り、冷静な目で捉えなおすことで、笑いを生み自己救済をしているのだと考えられる。
ブコウスキーは自分の人生が憂鬱なのは自らの性格のせいであると考えており、社会や政治のあり方
にその原因を押し付けることはない。彼の関心事は常に手の届く範囲の人びとと、自分自身の人生を見
つめる視点に向いている。すなわち、ビートの作家たちが cultural and political change を謳い、自
分たちのじかに手の届く範囲を超えた外的な変化を意識したものであったのに対し、ブコウスキーは徹
頭徹尾、内面での視座の変化によって自己の意識を救済しようと試みていたのである。ここがブコウス
キーの作品とビートのそれとの大きな違いであり、ブコウスキー作品における笑いの役割であると言え
よう。
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逸見 沙耶花
ジョージ・マクドナルドの死生観
ジョージ・マクドナルド(George MacDonald 1824-1905)は優れたファンタジー文学を残した作家
の一人であり、
『北風のうしろの国』は彼の代表作である。本論文はこの作品に登場する、様々に姿を変
える北風を祖母ではなく母のイメージと捉え、北風の変化が示すマクドナルドの心理的意味合いを明ら
かにすることを目的とした。
一章では、マクドナルドと母親の関係をみていった。彼が8歳の頃亡くなった実母の髪の毛や、早く
からの離乳を後悔する母の気持ちが綴られた手紙を生涯大切に保存していたという事実から、マクドナ
ルドが母を心から慕う気持ちと同時に、強い悲しみや恐れを抱いていたことを述べた。
二章では、北風と主人公ダイアモンドの関係を考察し、北風が母親を象徴することを論じた。北風は
常にダイアモンドを見守り、二人の関係は保護し保護されるものであることや、長い髪や豊かな胸を持
つ北風の容姿は、母のイメージと重なる。また、どんなに歳月を重ねても美しいままである北風は、幼
い頃に若くして亡くなった実母が、彼の心の中では永遠に生き続けていると考えられる。
三章では、巨大になったり花の精のように小さくなったり、獰猛な動物になったりと様々に姿を変え
る北風の変化があらわすものを明らかにする。北風を心から慕っているダイアモンドであっても恐怖心
を抱くほどの巨大な姿になる北風には、マクドナルドの実母への畏怖の念や、恐れが感じられる。それ
は、母を失った悲しみの裏に隠された彼の死への恐れが投影されたものである。また、花の妖精と見間
違うほどに小さくなる北風には、マクドナルドの母に対するあたたかい愛情や楽しい思い出が感じられ
る。さらには、母への愛情を通してみた死への憧憬が込められていると考えられる。北風のうしろの国
の幸せな描写や、他作品で表現されているように、死を繰り返すことでより完全なものに近づいていく
という彼の死生観には、希望が感じられる。つまり、大きくもなり小さくもなる北風の姿には、母に対
する愛情と幼い頃に感じた悲しみや恐れといった、相反する感情が込められていると同時に、死への強
い恐怖と憧憬がみられる。
以上のことから、
『北風のうしろの国』の北風は母性を象徴したものであり、また様々にその姿を変え
る北風には、混在し、複雑に絡み合ったマクドナルドの実母への愛情や恐れ、死への恐れと憧れが投影
されていると結論付けることができる。
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佐藤 優子
A Study of Umeko Tsuda
―What Motivated Her to Develop Japanese Women s Higher Education?―
1871 年5人の幼い少女たちが、岩倉使節団とともに渡米した。この少女たちが官費留学生としてア
メリカに派遣される構想を具現化したのは、当時北海道開拓使であった黒田清隆であった。文明化され
たアメリカ社会に接していた黒田は、わが国の文明化に必要な人材育成には、母親となる女性の教育が
必須であるといった賢母論を重要視した。5人の中で最年少であった津田梅子は、生涯を日本女性の地
位向上のために捧げ、1900 年には高等教育機関である女子英学塾(現在の津田塾大学)を設立するな
ど、女子教育のパイオニア的存在として活躍した人物である。
「なぜ彼女は日本の女子高等教育の発展の
ために奮闘したのか」について考察することを本論文の目的とした。
第1章では、アメリカでの幼少時代を考察した。当時6歳と幼かった梅子は、文化的で宗教心の強い
ランマン夫妻の元に預けられる。約 10 年間、裕福な中流階級の家庭生活、キリスト教徒としての暮ら
し、適切な学校教育を施され、彼女の行動様式や思考はほぼアメリカナイズされる。また、18 世紀後半
頃のアメリカ社会では、
「共和国の母」の概念が流布していたが、南北戦争を契機に女性の社会進出が頻
繁になり、男性と同等に活躍する姿を目の当たりにする。第2章では、明治期における日本社会の改革
を考察した。帰国後、梅子にとって何よりも衝撃的だったのは、アメリカ女性に比べて、日本女性の地
位が低すぎることであった。政府は、女子教育が国家繁栄の要であると認識し、教育改革を試みたが、
依然として江戸時代から続く儒教に基づいた「良妻賢母」思考から抜け出すことができないでいた。梅
子は、この状況を改善するために、女子高等教育機関の創設に取り組むことを決意し、再びアメリカへ
渡る。第3章では、学校設立の際に影響を受けた人物を取り上げた。生涯の友となるアリス・ベーコン
との関わりにおいては、日本女性のためにすべきこと、また同時に日本社会に貢献すべきことを明確に
していった。また、ブリンマー大学学長であったケアリー・トマスには、女子英学塾設立の際の具体的
なアドバイスだけでなく、学校設立の基盤となる資金援助をも受けている。さらに、世界的に著名なヘ
レン・ケラー、ナイチンゲールとの交流は、梅子にとって感動的で衝撃的なものであり、梅子の学校設
立に明確なヴィジョンを与えることとなった。
幼少時代をアメリカと日本という二つの国で過ごした梅子は、他の人は持ち得ない特別なアイデンテ
ィティを確立する。それはどちらの国にいても疎外感を感じさせてしまうものであったが、梅子の傑出
した国際的視野は、間違いなくこの貴重な経験によって与えられたものである。日本に帰国した梅子は、
強烈な逆カルチャーショックを受ける。しかし、適切な教育を通して女性の地位を向上させることが、
日本社会の発展につながり、またそれが自分に課せられた官費留学生としての責務であるとした確信し
た梅子は、それまでの日本には存在しない独自の理念を掲げた自らの学校を設立することを決断する。
1900 年に設立された女子英学塾には、キリスト教精神と 19 世紀のアメリカ社会において、男性と同等
に活躍していた中流階級のアメリカ女性の生き方が強く反映されている。
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玉川 恵子
『黄金の王国』における新しい女性像
Margaret Drabble の 7 作目に当たるこの作品は、Drabble と同年代の三十代後半の女性 Francis が
主人公となっている。Francis は Feminist の象徴的な存在として描かれていると多く研究者が分析して
いるが、この論文では彼女が最終的に恋人との結婚を決める点、家庭的な女性への憧れを持っている点
などから、実際は伝統的な女性像に縛られている部分があるということを論じていく。
また、Franics と長年不倫関係にあった恋人 Karel の妻 Joy はレズビアンとしての自分に目覚め、レ
ズビアンとしての生き方を決意したことで、Karel との離婚を決める。苦痛でしかなかった結婚生活か
ら抜け出し、自分らしく生きる道を見つけることができた Joy。その彼女の生き方に注目すると、彼女
こそが Feminist の象徴であると捉えることができるということを明らかにする。
第一章では、Francis に影響を与えていると考えられる 1970 年代の「新しい女性像」とフェミニズ
ムについて、そして 1970 年代当時の一般の女性、
「伝統的女性像」がどのような生き方をしていたのか
について歴史的背景を述べた。それによって「新しい女性像」とは、経済的に自立し、男性に頼らない
女性たちを指すということがわかった。また、当時のフェミニズムはジェンダーの解放、性の自由化を
一つの目的としていたということを述べた。さらに、当時の一般女性は女性の進出という変革の真っ只
中の時代を生き、「伝統的女性像」と「新しい女性像」の狭間にあったということが分かった。「伝統的
女性像」は、19 世紀に生きた女性たちの生き方を指し、家庭の天使として夫に尽くす女性を指すという
ことを述べた。
第二章では、一章でみてきた女性の生き方と Francis の生き方を比較することによって、彼女は本当
にフェミニストの理想として捉えられるのかを論じた。表面的にはフェミニストのような姿勢をとり、
結婚を望まず、家庭に縛られる女性を軽蔑をもするが、実際には恋人との結婚を決め、「伝統的女性像」
の生き方を体現する義姉に憧れている。他にも伝統的女性像の性質と思われる言動がいくつもあるとい
う矛盾から、彼女はフェミニストの理想とは言えず、本質的には「伝統的女性像」に縛られているとい
うことを明らかにした。
第三章では、Joy に焦点を当て、レズビアンとして生きることはどういうことだったのか歴史的背景
を述べ、彼女の生き方をどう捉えていくかを論じた。子どものために辛い結婚生活に耐えている間は不
幸でしかなかった彼女のイメージが、レズビアンとして生きる決意をしたことを境に、生き生きとした
ものに変わった。このことから、家庭に縛られる女性という伝統から抜け出し、自分らしい生き方を発
見できたということがいえる。「自分らしく在ること」がフェミニズムの本来の定義であるということ、
またジェンダーの解放が当時のフェミニズムの一つのテーマであったことを考慮すると、ジェンダーと
いう枠を越えて自分らしい生き方を見つけた Joy こそが「新しい女性像」であると捉え直すことができ
る。
これらのことから、本論文では、矛盾を抱えて自分らしい生き方をできなかった Francis ではなく、
周囲にとらわれずに自分の生きたい様に生きた Joy こそが「新しい女性像」であるという、新しい視点
をもたらすことができた。
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石川 香緒莉
『月と六ペンス』研究
―芸術家小説に潜む第一次世界大戦の傷痕―
サマセット・モームの『月と六ペンス』
(1919)は天才画家チャールズ・ストリックランドによる美の
追求の物語である。だがその執筆時期がヨーロッパ世界を大きく変えた第一次世界大戦中、発表が終戦
直後であることを考えると、一見戦争とは関わりのないこの芸術家小説にも大戦が影響を与えている可
能性があると思われる。本論文ではストリックランドを大戦からの帰還兵士を象徴する人物とみなし、
彼の絵画制作を戦争による傷の克服の過程と捉えてこの作品に見られる大戦の影響を明らかにする。
まず第 1 章ではストリックランドが帰還兵の象徴たり得ることを論証した。絵への情熱に取り憑かれ
た彼は何の前触れもなく家族を捨てて画家を志すが、誰もその情熱を理解できず、ただ狂気じみた印象
を受けるのみである。これは大戦で心に傷を負って帰って来た兵士たちとその痛みを知ることのできな
い家族の関係に似ている。またストリックランドは極度の口下手であるが、精神を病んだ兵士たちにも
言語障害が多く見られた。そして彼を理解できない家族たちは戦争に関わるイメージを与えられ、辛辣
な筆で描かれている。これらのことから、彼は戦争で心に傷を負った帰還兵の象徴とみなせると考えら
れる。
第 2 章ではストリックランドの女性関係を取り上げた。彼は教養人ぶっているが真の芸術を理解でき
ない妻を捨てた後に情熱的なブランチと関係をもつが、結局彼女とも破局する。前者の「真の芸術」を
めぐる溝は、前線で戦う兵士と銃後の家族の間の「真の戦争」をめぐる溝と類似している。後者のブラ
ンチは自ら性の快楽を求める女性だが、こうしたタイプの女性が登場したのは大戦後であり、それには
大戦が見せつけた野蛮さに対する嫌悪感から、暴力的、支配的な「男らしさ」が失われていったという
背景があった。ブランチを捨てた後ストリックランドはタヒチに渡り、従順な現地人アタと結婚する。
ブランチとアタを考え合わせると、ストリックランドは大戦によって失われつつある「男らしさ」を手
放すことを拒んでいたということがうかがえる。
第 3 章ではストリックランドの絵画制作について考察した。彼にとって絵を描くこととは自分を苦し
めるものから解放されることを意味するが、その苦しみは大戦の傷痕を意味する。第一次大戦はそれま
でヨーロッパの発展を支えてきた価値観を崩壊させ、人々は信じられるものを失い苦しんだ。ストリッ
クランドがまったく新しい美のあり方を追求するのは、そんな中で新たに信じられるものを創り出そう
という試みである。彼の絵はタヒチで宗教性を帯びていくが、そこには文明化以前の原始の楽園での人
間再生の願いが込められている。しかしストリックランドがハンセン病にかかると「楽園」は戦時中の
ヨーロッパ同様の残酷さを露呈して崩壊する。それでも彼は死の直前まで楽園を描き続ける。彼は人間
再生の舞台となる楽園そのものを自ら創り出そうとしたのである。
以上のことから、『月と六ペンス』は第一次世界大戦がヨーロッパにもたらした傷痕を反映しており、
これをその傷の克服の物語として読むことも可能だといえるのである。
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小見寺 あゆみ
『高慢と偏見』研究
―ダーシーにとっての「外観」と「実体」―
本論文では、Jane Austen 作 Pride and Prejudice (1813)において、ヒーローであるダーシー(Darcy)
が「外観」と「実体」を相互の関係においてそれぞれどのようなものとして捉えているかという点につ
いて明らかにすることを目的とした。
まず第一章では、作者の価値観が作品中に反映されていることを確認した上で、作者が「外観」と「実
体」をいかなるものとして捉えているかという点について考察した。登場人物を「外観」重視の人物と
「実体」重視の人物とに分類すると、双方の人物の待遇に差が見られることから、作者にとって「実体」
と「外観」には優劣関係が存在し、
「実体」が「外観」よりも圧倒的に優位な存在であったと考えられる。
第二章では、前章を踏まえた上で、ダーシーが「実体」を「外観」との関係においていかなるものと
して捉えているかという点について述べた。彼の発言には彼が「実体」を追求すべきものと見なしてい
る表れがあることや、彼の所領ペムバリー(Pemberley)が追求すべき優れた「実体」の象徴であること
から、彼にとって「実体」と「外観」には優劣があり、
「実体」こそが追求されるべきものであった。た
だし、彼の認識方法を分析すると、彼がいかに「実体」を追求しようと、
「実体」に近づくためには、彼
がその価値を一向に認めようとしない「外観」を通すことが不可欠であったことが明らかになった。
第三章では、彼が「外観」をどのようなものとして捉えているかという点について論じた。彼は「外
観」はその「実体」をありのままに映すべきであると考えている。ただし、彼自身の「外観」が、その「実
体」と釣り合うものであるべきだという自己の理想的「外観」像を実現できてはおらず、エリザベス
(Elizabeth)の叱責を機に自己の「実体」と「外観」とにずれがあることに気付くに至ったと考えられる。
その気付きの後に、彼は自己の「実体」と「外観」とのずれを修正する。この変化はエリザベスへの愛
情が引き金となったことはもちろんだが、上記の自己の理想的「外観」像を得るためでもあったと考え
られる。ただし、それだけではなく、彼の変化は「外観」を支配するために生じたのである。
彼にとって「実体」と「外観」の優劣が固定観念として存在している以上、優位の「実体」の権威を
保つ必要があった。しかし、蔑みの対象でしかない「外観」を「実体」から完全に切り離すことはでき
ず、また、
「実体」と「外観」の優劣関係は恣意的なものであることから「外観」を劣位に位置づける絶
対的な理由も無いために、彼は「外観」の脅威に対する不安に駆り立てられて「外観」を劣位なものと
して抑えつけて支配しなければならなかったのである。彼は自己の「実体」と「外観」に対する価値観
を固定しようとしてはいるものの、実際のところその不安定さは拭い切れないものなのである。
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小山 美佳
『若草物語』研究―Jo の結婚という結末―
ルイザ・メイ・オルコット(1832-1888)の『若草物語』(Little Women )は、作者自身の少女時代の経
験を基にして書かれた四姉妹の物語である。この作品は出版から 140 年が経とうとしている今でも読み
継がれ、主にフェミニスト批評家によって、様々な読みがなされている。そしてその読みは、ジョーの
結婚という結末に対して否定的であることが多い。しかし本論文では、作者がジョーに当時の規範に縛
られない新しい形の結婚を与えているという肯定的な読みが可能であることを明らかにする。また、そ
のような結婚が示されていながらも、この物語が当時の人々に受け入れられた理由を考察する。
第1章では、19 世紀の家庭や社会の状況と、それに比べて非常に特殊であったオルコット家の家庭環境
について述べた。そしてそれらは生涯独身で、家族のために献身的に働き続けたオルコットの結婚観や
職業観の形成に多大な影響を与えていた。一家の稼ぎ頭であった彼女は、お金のために書きたいものと
は違うものを書かなければならないという葛藤を抱えていて、それがジョーの葛藤となって物語に反映
されていることを指摘した。
第2章では、ジョー以外の姉妹の結婚や死がジョーの結婚観に対して果たした役割を考察した。メグ
の結婚、ベスの死、エイミーの結婚を通して、ジョーは孤独感を募らせる。それらは、真の自立を目指
し、オールドメイドになるつもりでいたジョーに結婚願望を芽生えさせ、それを高めていく役割を果た
していることを明らかにした。さらに、メグとエイミーの結婚は一見、19 世紀の典型的な結末であるが、
その描き方からは単なる典型的結末に終わらせまいとする作者の意図が読み取れることを示した。
第3章では、ベア教授というキャラクターが作り出された理由と彼の影響でジョーにどのような変化
があったかを、芸術家と女性という視点から考察した。その結果、否定的に捉えられることの多いベア
教授ではあるが、作者は自分の父親に欠けている性質を備えた理想の男性像を彼に託して、自らの分身
のようなジョーの結婚相手として作り出したと考えた。また、彼らの結婚を芸術性と女性性のどちらも
追求可能な道を示す、新しい形態として描こうとするオルコットの試みが見られることを指摘した。
以上のことから、
『若草物語』の中には、姉妹の結婚という当時の女性の幸せとして典型的な結末によ
って、物語に盛り込まれた先進的な結婚観や職業観がうまく隠されていることがわかる。そう考えると、
この物語が女性に受け入れられただけでなく、男性からの非難の対象とならなかった理由も明らかにな
る。当時、本を買って女性に与えたのは男性であったが、一見すると伝統的な結末であるために、彼ら
に拒否されることはなかった。しかし女性たちは、その中に隠された革新的な部分を鋭く読み取ってい
たのである。したがって、19 世紀という時代において、この物語のジョーの結婚という結末は、新しい
試みであったと結論づけられる。
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齋藤
舞
Virginia Woolf: Orlando 研究
Orlando ―a biography―は、眠っている間に男性から女性へと性転換を果たした主人公 Orlando の、
四世紀に渡る「伝記」である。Orlando は性の転換を経験することから両性具有者であると認識されて
いる。しかし肉体的に両性具有である瞬間は作品中にはない。Orlando を両性具有者とするならば、そ
の根拠はどこにあるのか。本論文では同時期に執筆された A Room of One s Own に見られる Woolf
の両性具有観、理想の作家像を手がかりとし、Orlando の両性具有性を再検討した。同時に、『自分だ
けの部屋』で述べられている Woolf の理想が Orlando を通してどの程度具現化されているのかを考察
した。
第一章
Woolf の両性具有観、理想の作家像についての考察
『自分だけの部屋』で Woolf は作家の理想的な精神状態を、incandescent な状態としている。これ
は、Woolf が作品にとっての「異物」と捉える、作家の中に渦巻く憎悪、抗議、説教などに邪魔されな
い精神のことで、自己愛や優越感などの自意識を否定することにもつながる。そして incandescent な
精神として、両性具有性を備えた精神を挙げている。そのような精神とは、
「精神の男性性、女性性の割
合が均等であり、中立的な精神」のことであると Woolf は考えている。この精神を持つ作家こそ理想の
作家であると Woolf は考える。
第二章
Orlando の性転換
Orlando の性転換はトルコで行われる。トルコや Orlando が性転換後共に過ごしたジプシーは、男女
の区別が曖昧な社会として描かれており、その正反対にある社会として描かれる英国は当然そのような
文化も正反対である。つまり、トルコ…性別を意識しなくてよい、英国…性別を意識せざるを得ない国、
のように描かれている、ということがわかった。
第三章 Orlando の両性具有性の検証
性転換を経験した Orlando は男性的なものと女性的なものを客観視できる立場に立ち、中立的な考え
方で両性具有的精神を獲得したかに思えた。しかし女性の肉体を持ち、女性として暮らす Orlando の思
想、言動は女性性が勝っているように見え、
「男性性、女性性が均等な精神」とは言いがたい状態である
ことが明らかになった。
以上のことから、Orlando は第一章で得た Woolf の両性具有的精神の定義を完全に具現化するには至
ってないことがわかった。しかしその後描かれる Orlando の「19 世紀の時代精神」への反発と妥協を
見ると、このことは破綻と捉えられるべきではないように思える。そこには Woolf の、19 世紀から 20
世紀のイギリスは「作家が精神の両面を均等に用いていた幸せな時代」ではないという思想が読み取れ
る。Orlando が完全な両性具有的精神の持ち主として描かれていないのはその時代のイギリスにおいて
両性具有であることの困難を表現した意図的なものであると考えられ、Orlando が女性らしい行動を取
ってしまうのも、この時代精神に屈服してしまったところがある。彼女が時代精神を受け入れる部分が
あるのは確かだが、受け入れるまでの反発などをみると、彼女が純然な女性であるとは言い切れないと
ころがある。よって Orlando は、その時代の女性として生きながらも、両性具有的な精神も有している、
ということが結論付けられる。
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佐藤 麻美
『アリス』における「食べる」場面の意味
『不思議の国のアリス』、
『鏡の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは、少女の成長というものを嫌っ
ていたとされている。しかし、作品中には「成長」につながる行為である「食べ物を食べる場面」が多
く描かれている。そこで、この論文ではアリスと食に関わる場面を主に取り上げ分析することにより、
キャロルが少女の成長について本当はどう思っていたか、そしてこの作品にこめられた作者からのメッ
セージは何かを考察する。
第一章では、
「アリスが何かを食べる場面」を扱う。
『不思議』においてアリスの食欲は旺盛であるが、
この食欲も作者によって容認されていることをまず示した。また、
「食べる」行為が持つ意味として「異
世界の受容」
(その世界の食べ物を食べることで、その世界の一員となるという考え)と言う役割と、
「性
的イメージとのつながり」
(食べ物と情動の関係性、他者と自己の一体化という共通点)を挙げ、キャロ
ルが少女の成長と言うものを完全に否定的にとらえていたわけではない、と言うことを論じた。
第二章では、他の人物が食べていながら、「アリスが食べ物を食べられない場面」を扱う。「食べられ
ない少女」からまず連想されるのが当時流行していた拒食症だが、作中のアリスの情況はむしろ、他者
(作者)からの食行為阻止であると言える。ここから、作者がアリスに体現させようとした理想像(=
食行為をしない、性を全く感じさせない存在)を読み解く。さらに、彼の理想と当時の社会的理想の違
いも指摘し、彼が否定したのは当時一般的に言われていた「理想の女性像」であったことを指摘した。
第三章では、
「アリスが他者によって食べられてしまいそうな場面」を検討することで、作者がこの作
品にこめた本当のメッセージは何だったのかを探る。これらの場面は大人の世界の不条理さについて述
べているような箇所もあり、作者は自身の理想に反して成長していく現実の少女たちに、
「 成長に伴う(性
的欲望のはけ口などの)危険」を伝えようとしていたと思われる。
キャロルは少女の成長をある程度肯定し、仕方の無いことと認めていた。2 冊の『アリス』は、彼が
「大人」ではなくあくまで「友達」として少女たちに向けて記した、
「成長手引書」であったといえるし、
せめて少女たちが自分の理想に近いものとなるように、言葉遊びやなぞなぞを混ぜて、ませた考えが入
り込まないように与える知的栄養分としての作品であったとも言える。
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田浦 正樹
エミリー・ブロンテの死生観
―『嵐が丘』・詩・エッセイからみる死生観―
エミリー・ブロンテの作品『嵐が丘』・詩・エッセイには「死」が多く含まれており、作品全体に濃い
死の影が投げかけられている。しかし、そこに描かれる死は憧れの的、賛美されるものであるかのよう
な流麗な描写がされており、陰鬱でセンチメンタルな印象を与えない。そして、彼女は死に対してこの
ような描写をするものの、死後の世界、霊の世界をはっきりと我々に見せてはくれない。本論文では、
エミリーが如何に「死」を解釈していたのかを解き明かし、彼女が見た死の世界とは如何なるものであ
ったのかを論じる。
まず第1章では、エミリーの関心が死に向かった理由を考察した。父が牧師であり牧師館で生活し、
それに隣接する教会墓地を日々眺めて成長した関係上、常に死という問題は彼女の心理にこびりついて
いたと言える。また、相次ぐ肉親の死により、死を身近に感じていた。彼女は富・愛・名誉といった外
的なものへの決別を表明し、自己の内面世界に生きることを詠った詩を書いているが、その内面世界に
おいて彼女を掴んで離さなかったのが死であったということは、先の事情から想像できる。
次に第2章では、エミリーが死をどのように捉えていたかを考察した。まず、詩とエッセイから、彼
女は、この世を秩序のない不条理で罪と苦しみに満ちた世界であると捉えていたことが分かった。そし
て、この認識と、
『嵐が丘』の登場人物の自ら死を求める姿勢、また、死はこの世の苦しみから解き放つ
ものであると詠った何篇かの詩から、彼女は、死はこの世の苦しみから解き放ち至福の世界へ導くもの
と捉えていたことが分かった。また、彼女のこの考え方の基盤は何であったのかを考察し、宗教への拒
絶を表した詩と宗教と距離を置いた彼女の生活、外的なものを拒絶した彼女の姿勢、友人エレンの述べ
る「彼女自身が法律」という記述等から、その基盤はキリスト教ではなく、彼女自身の内面の世界であ
り、彼女はそこに秩序と統一を求めたのであると結論付けた。
第3章では、エミリーの見た死後の世界を考察した。
『嵐が丘』でキャサリンとヒースクリフが天国を
拒否し、荒野の自然を魂の向かう先と考えていたこと、姉シャーロットがエミリーは荒野の自然を愛し、
そこに自由を見つけたと言っていたこと、詩において彼女もまた、自分の魂の行き先として荒野を選ん
でいることから、彼女は、死後肉体を抜け出した魂は大自然の生の中に没入していくと捉えていたと結
論付けられた。また、
『嵐が丘』で死後も霊が生きていた時と同じように影響力を持つこと、詩において
生きていた時の事柄を失ってまであの世へは行きたくないと詠っていることから、エミリーは死後も魂
を捉える関心事は依然残るとし、魂は人間性を保有して自然の中に永生すると考えていたとした。
このように、エミリーは、死はこの世の苦しみを解き放つものであるが、魂は天国ではなく現実の広
大な自然の生の中に生きていた時と同様に生きると考えた。彼女は自然の生の中に不滅の魂を見出し、
超自然は彼女にとっては自然法則そのものの世界の姿であった。
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玉木 友子
Philippa Pearce 研究
― Tom s Midnight Garden における「時」―
フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』は、
「時」の問題を扱った作品である。ある晩、大時計が
13 回鳴ったことがきっかけとなり、トムは昼間にはなかったはずの美しい庭を発見する。現実とは「時」
の流れが異なる「過去」の庭で過ごしながら、トムは「時」の謎を追及していく。本論文では、多様な
意味を持つ「時」の性質について分析し、「時」の理解によってトムはどう変わったのかを考察した。
第1章では、
「時」の「非永遠性」について述べた。楽しい庭での生活に執着していたトムは永遠の「時」
を求めていた。トムは一日が 24 時間であるという人間の考え出した時間の道理に疑問をもち、
「時」の
流れに逆らおうとしている。子どもは、
「時」を意識しておらず、自分がやがて大人になるとは想像もし
ていない。トムもまた同様であり、
「時」が与える「変化」に気付いていなかったといえる。しかし、大
時計に刻まれている time no longer という文字が暗示していた通り、トムは庭を失ってしまう。これ
によって、トムは限りある「時」と、「非永遠性」がもたらす「変化」に気づいたのである。
トムは庭の喪失によって絶望するが、翌日バーソロミュー夫人と出会うことにより立ち直る。彼女が
ハティの成長した姿であることに気づき、再会できたからである。第 2 章では「過去」から「現在」へ
と流れ続けている「時」と、人の心に記憶として積もっていく「時」の「永遠性」について考察した。
バーソロミュー夫人は、幼いころの記憶―「過去」―を色あせることなく心に持ち続けていた。トムは、
彼女に少女のころと同じ目の輝きを見出し、ハティと同一人物であることに気づく。これによって、
「現
在」と「過去」を行き来していたトムはこれらのつながりを認め、
「時」の問題を解決するに至ったので
ある。
第3章では、このような「時」の性質を知ったことによるトムの変化を、ハティと比較しながら述べ
た。塀で囲われた安全な庭は子ども時代の象徴であり、庭から出ることを拒んでいたトムは退行的な人
物だといえる。一方でハティはトムを置いて大人の女性へと成長し、塀の外に出て行く。これは「時」
の意識の違いによるものであると考える。庭での生活はハティにとっては「現在」であり、逆らえない
「時」の流れに直面したハティは「時」を受け入れ、外の世界に出て行き充実した日々を送る。そんな
ハティの姿を間近で見ていたトムもまた、
「時」を理解したことによって、ハティのように真に庭から脱
することができたといえる。
このように、抽象的な「時」という概念を追及していったトムは、庭の喪失やハティとの再会を通し
て、さまざまな「時」の捉えかたがあることに気づく。そして、この「時」の認識こそがトムを成長さ
せたのであり、困難な現実に立ち向かっていく糧となるのである。
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中島 尚美
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』研究
―ホールデンの経験と成長―
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公ホールデン・コールフィールドは、作者サリンジャーが
10 代の自分自身を投影させた人物として知られている。そのホールデンが成長したのかどうかについて
は、この作品が発表されてから現在に至るまで多くの先行研究で議論されている。そこで本論文では、
ホールデンの成長をテーマとし、ホールデンは成長したと言えるのか、また、サリンンジャーにとって
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の執筆はどんな意味があったのかを探った。
第 1 章では、ホールデンの特徴と社会との関わりについて考察した。その結果、ホールデンは物事を
一般化しすぎるため、社会の一部にインチキ性を感じただけで全てが嫌になっていることが分かった。
ホールデンはニューヨークで批判の対象にならない大人たちにも出会っているが、その経験は彼の認識
を大きく変えるには至らず、さらに疎外感を深めたために非現実的な夢で自分の理想を語ることになっ
たと言える。
第 2 章では、ホールデンの the catcher in the rye になりたいという夢に焦点を当てた。ホールデン
は学校を飛び出してからニューヨークにいる間の経験や過去の思い出から複雑な思いを抱いた結果、こ
の夢を語ることになった。先行研究からも、無垢な子供を救いたいこと、女性に近づいていきたいこと、
誰かに救ってもらいたいこと、死んだ弟への思い入れなどの様々な思いを表現していることが分かる。
つまり the catcher in the rye というのはホールデンの複雑な感情をひとつに凝縮させた言葉であると
言える。
第 3 章では、以上の考察をふまえてホールデンの変化の過程をたどった。ホールデンは学校がインチ
キだと批判するが、ニューヨークではさらにひどい社会があるという現実をつきつけられる。そこで人
との会話を拒み西部に行って聾唖者のふりをして暮らそうとするが、最後に理想の場所は存在しないこ
とに気づき、セントラルパークで妹のフィービーに導かれて大人としての視点を獲得するに至る。つま
りホールデンは、ニューヨークでの経験を通して、最後に新たな認識を得たのである。
第 4 章では、ホールデンとサリンジャーの関係に注目した。ホールデンは『キャッチャー・イン・ザ・
ライ』以前に書かれたサリンジャーの小説にも登場しているが、サリンジャーは彼が登場する小説をこ
の作品以後は書いていない。ここから『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はサリンジャーにとって、ホ
ールデンとの別れを告げる小説だったと言える。サリンジャーは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を
発表してから、ホールデンが望んでいたような西部での隠遁生活をはじめるが、ホールデンには西部で
療養してから別の学校に行き、元の生活に戻る道を選ばせる。このように彼らが違う人生を歩むことか
ら、この作品の執筆をとおしてサリンジャーは自分自身とホールデンを切り離したと言える。
学校を飛び出してからの経験を西部の病院で振り返って語ることで、ホールデンは過去には見過ごし
ていたことにも気がつくことができる。サリンジャーはホールデンに、ニューヨークの経験の直接の影
響からだけでなく、その経験を語らせることでも成長させたと言えるのである。
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原 雅樹
『日陰者ジュード』論――優生学実践小説としての Jude the Obscure――
本論文の目的は、優生学の視点からトマス・ハーディの小説『日陰者ジュード』(1895)を読むこと
である。ユダヤ人を虐殺したナチスの人種衛生学と通底する発想をもつ優生学は、悪質な血をもつ者を
排除し優良な血をもつ者同士を交配させることによって人類という種を進化させることを研究する学問
である。スラム街の貧民、犯罪者、売春婦、病者、狂人、アルコール中毒者、性的倒錯者などの悪質な
遺伝的形質をもつとされた者は、社会的適者を自認する人々によって<退化した人種>として社会の中
に「科学的に」位置づけられ、差別され、断種されるべき存在となった。このような優生運動が盛り上
がりを見せ始める 19 世紀末の大英帝国において、この小説は書かれたのである。
主要登場人物であるジュード、アラベラ、スーの全員が、<退化人種>として描かれている。過去に
自殺者、犯罪者、狂人を生み出してきた家系に属するジュードは、アルコール中毒症、動物愛好症、異
常性欲症、誇大妄想狂であり、悲観的で、自殺願望をもち、肺病に罹って死ぬ。
「雌の動物」であるアラ
ベラは犯罪者であり、売春婦のように描かれる。スーは性的に倒錯しており、極度に神経過敏な人物と
して描かれ、彼らの子どもであるファーザー・タイムは異常に老けた容貌をもつ先天性梅毒患者として
描かれている。彼はジュードとスーの間に産まれた二人の子どもを殺す犯罪者であり、その殺人の後に
自らの命を絶つ自殺者でもある。これらの特徴すべては退化人種の特徴であった。
彼らのような<退化人種>は、放置しておけば日々の生存闘争の中で絶滅していくはずであった。と
ころが、そのような人々の出生率の方が適者のそれを上回っているという驚愕の事実が発覚する。そこ
で適者の側は、退化人種の許されざるべき繁殖を阻止しようと躍起になり、退化人種の産児制限を声高
に訴えた。そして、このような社会状況の中で書かれた『ジュード』という文学作品に登場する退化人
種ファーザー・タイムが、
「僕たちは多すぎるのでやりました」と遺書を残し、殺人と自殺を犯す。この
場面に主題化されているものこそ優生学である。首を吊って自殺した彼の亡骸はアラベラ、ジュード、
スーの人生を「一語で表現したもの」であり「焦点」である、と作者ハーディは書いた。このことが意
味するのは、ファーザー・タイムという人物がこの小説の核心であるということであり、この小説にお
ける中心的テーマが優生学であるということである。
重要なのは、まだ幼い子どもであるはずのファーザー・タイムが優生学を実践したということである。
ところが、この人物は容貌のみならず思考方法も非常に大人びているために、われわれには決して子ど
ものようには見えない。これは、医者や科学者を友人にもち、自らも生物学をはじめとした科学に並々
ならぬ関心を抱いていたハーディが当時の遺伝理論――子孫は祖先の記憶や感情なども遺伝的に受け継
ぐという当時の著名な精神医学者などが唱えた理論――に基づいて、ファーザー・タイムを<子ども>
としてではなく<大人>として造形したからである。彼は、優生学を理解する能力のある<大人>なの
であり、退化人種の繁殖に憤る適者の代わりに優生学的断種を実践したと考えられる。
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真木 愛夏
Roald Dahl
圧制者達への反抗
Dahl の児童文学は発表当初から多くの人に支持されてきたが、それ以上に多くの批判にさらされてき
た。特に批評家は、彼の下品な表現やグロテスクなユーモアの描写に対して、子どもへ悪影響を与える
と批判してきた。先行研究では、このような批判に対し、グロテスクな表現こそが子ども達に受けいれ
られる要因であり、子どもと大人の視点の違いを指摘している。だが、Dahl のユーモアに隠された表現
の意図や Dahl の作品のテーマと言う点に関してはほとんど触れられていない。これでは Dahl の作品を
論じるには不十分であると考えた。また、Dahl の作品を全体を通してみると、抑圧する大人と言う一つ
の共通点が浮かび上がる。程度の差はあれ、主要な作品にはほとんど登場し、悪役として大きな存在感
を残している。これは、先行研究では、少年時代の経験との関連という点では触れられていたが、作品
内での扱いやそれに類する考察は無かった。
よって、Dahl の圧制者を作品に登場させた意図を探ると共に、そこから派生して大人と子どもの対立
という Dahl の物語の構図を見い出し、新たな一面を発見することができると仮定した。
1 章では「作品」という観点から、特に全体として見た時の特徴とそこから見いだされる Dahl の児童
文学への姿勢を考察した。作品の特徴や構図を分類することにより、後期の作品のほうがより抑圧する
大人が浮き彫りになっていることから、Dahl の作品のテーマとして圧制者という存在の必要性がわかっ
た。
2 章では大人を軸に、圧制者や子どもの味方となる大人の考察を行った。圧制者の描写は今まではユ
ーモアの一部と考えられてきたが、そこには子どもたちへの教訓も含まれている。子どもの味方となる
大人たちの描写も、圧制者に抑圧されるという点で主人公たちと同様の扱いがなされており、そこでも
大人と子どもの対立と言う構図が読み取れる。
3 章では子どもに焦点を当て、Dahl の子ども観を探った。Dahl の作品に登場する子どもの人数の少な
さや成長が語られないという特徴から、子どもの自立心の高さや大人との理想の対比などが読み取れる。
また、親子として出てきた人物に関しては、親の性質がそのまま子どもに引き継がれるという一定の法
則が見られ、そこから Dahl の教育観が伺える。
これまでの Dahl は、Dahl 自身が教訓的な話ではなく純粋に子どもが楽しめる作品を書くと明言して
いた。だが、Dahl の作品を読むとそこには明らかに教訓的な要素がちりばめられている。Dahl がなぜ
そう明言しなかったかについては、大人の理想の押し付けという行為に批判的であり、自身も子どもに
自分の理想を表明することへのためらいがあったからと推測される。また、Dahl の作品には大人から子
どもへの性質の伝達という絶対の法則からの救済処置として、読書行為による自己形成というものが示
されている。これは、Dahl の児童文学には、読書行為による精神の成長への可能性を示し、Dahl の子
どもへの信頼が現れているということの証左でもある。
これまでの Dahl がユーモアやストーリーテラーとしての技巧ばかりがとり沙汰されてきたが、圧制
者という Dahl の生涯の敵を軸に置くことにより、Dahl の児童文学の新たな一面を見い出すことに成功
したと言えるだろう。
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皆川 愛子
ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』研究
―作品に見られる都市と田舎の対立と登場人物への影響―
1861 年に発表されたこの作品は、約半年間といった比較的短期間のうちに作られ、エリオットの作
品の中で最も欠点の少ない作品だと評価されている。本論文では、作品の随所に見られる、サイラス・
マーナーとゴドフリー・カスの対比に注目し、その違いの由来を彼らが育った環境に求め、作品中の都
市ランターン・ヤードと農村ラヴィロウの性質を検証し、それぞれが登場人物二人にどのような影響を
与えたのかを考察する。
第一章では、ランターン・ヤードとヴィクトリア朝の都市の比較を行った。そしてこの二つにあまり
相違がないということから、作者はランターン・ヤードという都市を当時の都市の忠実な再現として描
いていたということを明らかにした。ランターン・ヤードには、人々の精神的連携の薄さや、生活環境
の悪さ、そしてめまぐるしいほどの変化など、都市化による様々な弊害が描かれていた。また、サイラ
スが他でもないこのランターン・ヤードという都市で人間性を失うという流れから、作者が当時の都市
に対して批判的な立場であったことが分かる。それは彼女の書簡からも明らかであり、ここに彼女の都
市批判の姿勢を読み取ることができた。
第二章では、ラヴィロウとヴィクトリア朝の田舎の比較を行った。そしてこの二つに相違点が多々あ
ることを明らかにした。当時の田舎の実態がもっと悲惨であったのに対し、ラヴィロウは、メリー・イ
ングランド的な理想的な田舎として描かれていた。メリー・イングランドとは、都市化による弊害に嘆
いた当時の人々が作り出した理想郷であり、現実にはイギリスのどこを探しても、そんな場所は存在し
なかったのだ。ここに、作者の田舎に対する理想的な態度を見て取ることができた。しかし検証してい
く上で、ラヴィロウは完全に理想的な田舎としては描かれていないことが発覚した。ラヴィロウには、
カス家に見られる貴族の道徳的堕落など、田舎の否定的な側面も描き出されていた。ここに作者の田舎
に対する愛着と批判の入り混じった複雑な感情を読み取ることができた。
第三章では、このような外的環境が登場人物二人にどのように影響したのかを考察した。サイラスの
孤独で偏屈な性格は、精神的連携が薄れていた都市という環境に、そしてゴドフリーの優柔不断で他力
本願な性格は、母親のいない温かみに欠けた家庭環境と、人々の連結が密である村という環境によって
形成されたものであるという結論に至った。
ここまで見てきて、ヴィクトリア朝当時のイギリスには、安住の地はなかったということが分かる。
都市も田舎も、決して居心地の良い環境ではなかった。この作品は、産業革命によりさらに生きづらく
なった都市を批判し、一方でメリー・イングランドとしての理想的な田舎を作り上げようとしたが、そ
れでも現実を直視しないわけにはいかずに、完全に理想的な田舎を描き出すことはできなかった作品だ
と言える。
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村木 美和
ベンジャミン・フランクリン研究
―自己・他者・社会の向上を目指した倫理観―
ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin、1706-1790)は今まで多くの研究者たちによっ
て様々な側面から論じられてきたが、従来のほとんどの研究では彼のあるひとつの側面を取り上げ評価・
分析してきたに過ぎず、それぞれ個別的な評価ばかりであり、彼を全体で捉え一人の人物として論じら
れることが少なかったようである。本論文では、フランクリンを一人の人間として捉え、一見すると一
貫性のない彼の性質の根底にはすべてを貫く独自の倫理があると考えた。ここではその一貫性を「より
よい状態を望むこと」と仮定し、自己・他者・社会のよりよい状態を望み、それぞれに働きかけていった
彼の倫理観・道徳観について考察した。よって本論文では新たなフランクリン像を提案することを主要な
目的とした。またフランクリンは文学者たちから批判を受けることが多いため、多くの批判の原因とな
っている彼の独特な考え方や、批判者たちのフランクリンに対する否定的な感情や見解について考察を
加えることを第二の目的とした。
第一章では、十三徳の設定をはじめとするフランクリンの自律行動をたどってその真意を探ったうえ
で、彼の自己教育は自己目的そのものであり、何かの目的のためによくなろうとするのではなく、より
よい自分になることそれ自体が目的であったことを明らかにした。その一方で徳目の実践等の自己教育
が自分の実益として現れうることに気づき、それを他者にも勧めようとする倫理感が生まれたのだと論
じた。
第二章では、フランクリンが他者にさまざまな格言やアドバイスを与えたのは、自分の経験的事実を
伝えることで自分と同じように他者にもよくなってほしいと願ったからであると考察した。また、社会
にとって有益なことを提案し広めていくのは、人々がより便利でより有益な暮らしをすることをフラン
クリンが望んでいたからであり、彼には特筆すべき公共心があったことを様々な事例から明らかにした。
第三章では、フランクリンがよく批判を受ける点を取り上げて、彼の思想をもとに彼の側から反駁を
試みるとともに、批判者の立場に立ってフランクリン批判の心理を分析した。その結果として、それら
の批判がフランクリンへの心理的拒絶に基づいていることを指摘した。その上でなお、批判される原因
となるような彼の考え方の根底にすら「よりよい状態を望む」という一貫性が見出せ得ることを確認し
た。
以上のように考察すると、『自伝』にはフランクリンの言動の下にある彼のものの考え方や倫理観が、
明確に言葉では表現されていないことが強く確認できる。よってフランクリンの根底にある倫理感を想
定し、そこから彼の言行の真意を考えていくことも重要だと考えられる。本論文ではこのような考えに
基づいてフランクリンの再評価を試みた。その結果、
「よりよくあることを望んだ人物」であるという評
価に加え、彼が純粋で潔癖な人物であったということも明らかになったように思われる。
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森永 義信
トマス・ハーディ研究
The Mayor of Casterbridge におけるヘンチャードの悲劇考察
トマス・ハーディの小説 The Mayor of Casterbridge は A STORY OF A MAN OF CASTERBRIDGE
というサブタイトルが示すように、ある男の人生を辿った作品である。一介の干草刈りが酒に酔った勢
いで妻子を売ったところから、Casterbridge という町の町長にまで駆け上がるが、最後には再び干草刈
りに落ちぶれ、孤独に死んでいくという男の人生を辿ることによって、この作品を通して読み取れるハ
ーディの人生観について考察していく。
第一章では、非合理主義で農村社会の象徴である主人公ヘンチャードと、近代合理主義の申し子ファ
ーフレーとの対比から、ハーディの「古き善き姿」である農村へのノスタルジーを読み取ろうとした。
というのも、この作品の舞台は、イギリス農村社会の解体から資本主義社会となっていき、半農村、半
都会という時代の過渡期であったからである。
第二章では、作品冒頭の妻子売りという行為を契機に次々と失敗し、没落していくヘンチャードは、
なぜ没落していかなければならなかったのか考えた。そのひとつの理由として、この作品に因果応報の
概念が組み込まれているかどうかを考え、その中で、妻子を売った側のみならず、買った側にも因果応
報が組み込まれているかどうかを検証しながら、ハーディがこの作品に意図的に因果応報を組み込んだ
かどうかを考察した。
第三章では、19 世紀から 20 世紀初頭に様々な分野に影響を与えたダーウィニズムの浸透によって、
それまで絶対的とされていたキリスト教的世界観への懐疑が、ハーディ及び彼の作品にどのように影響
しているかを考察した。ダーウィニズムの浸透によって自分を保持する新しい観念を持つことが出来な
かったハーディ自身の悩みが、人生をどこか静観し、悲劇的なものと捉えるヘンチャードの娘エリザベ
ス・ジェインと、ヘンチャードとの対比に見られるのではないかと考えたからである。
ハーディは、絶対的な価値観としていたキリスト教という心の拠り所がなくなり、エリザベス・ジェ
インのような生き方をする人間の矮小性を感じていたが、これからの時代を難なく生きていくためには
彼女のような生き方がふさわしいと考えていた。よって、作品の中で彼女のような生き方を否定してい
るわけではない。また、新しい時代への過渡期においては、近代化に要領よく順応できなかった伝統的
人間像であるヘンチャードのような生き方では、惨めな状況に耐え抜くしかなかったことも分かってい
た。しかし、彼の生き方には、本質的なものに忠実でありたいという、人間の尊厳を保つ本能のような
ものがあった。ヘンチャードとエリザベス・ジェインの人生に対する態度の対比は、ハーディ自身の人
生に対する二通りの認識、彼の葛藤を表していると言える。
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石田 陽子
A Study of Salomé
母と娘をめぐる対立
サロメの伝説はキリスト在世時代にさかのぼり、王女サロメ、異父王ヘロデ・アンティパス、母王妃
ヘロディアスの王家がバプテスマのヨハネ(預言者)を幽閉し、斬首した事件である。預言者の首を求
めるための母親の傀儡としてしか描かれる事の無かったサロメは、ワイルドの手によって、自分のため
だけに預言者の首を求めようとする女性として生まれ変わった。それゆえ、独立心にあふれ、性愛に溺
れたサロメ像が多くの先行研究によって示されてきたが、私はこれに疑問を持つ。サロメをこれほどま
でに大きくかえてしまったのは、彼女を虜にしたヨカナーンではなく、ヘロディアスなのではないか。
1章でヘロディアスの現状とサロメらに対する具体的な行動、2章ではサロメの現状と彼女の清らかさ
について、3章で彼女らに大きく影響を与えたヘロドとヨカナーン、シリア人についてそれぞれ考察す
る。
ヘロディアスは、夫であるヘロドが我を失うほどサロメの魅力に溺れ、周りの男たちから賞賛され続
けているサロメを見続けなければならず、彼女を疎ましく思っていた。母と娘として冷えきっていた関
係の中に、断ち切る事のできない女対女の構図が明らかになった。ヘロディアスは、サロメが首を手に
入れるためにヘロドを性的に満足させるような踊りをすることを阻止する「ふり」をして、ヘロドによ
る処罰という形で危害を加えようとしていた。一方、サロメは純潔である事を誇っていたが、ヨカナー
ンに強欲で性愛に溺れた母親と同視され、存在を拒まれる。そして、首を求めるために自分の清らかさ
を好きでもない男に差し出し、ヘロディアスと同じ道を辿り始める。ただ、彼女は首を手にしてからや
っと恋を理解するため、性愛に溺れたとは言いがたい。母と娘は密接に関係し、サロメの「美しさ」と
ヘロディアスの「汚れ」は相手の男性との関係において深刻なダメージを与え合っていたことがうかが
える。
男たちは理性・判断の象徴として描かれている。ヘロドはヘロディアスを、実兄を絞殺して奪ったと
いう罪の意識に苛まれており、ヨカナーンは彼ではなく彼を誘惑したヘロディアスを糾弾している。ヨ
カナーンは女性そのものを預言者として非難するのではなく、一人の男として惑わされる事を極度に恐
れ、神の声を聞く事だけに徹しようとしていたのである。
全体を通して考察すると、やはりサロメはヘロディアスの支配から抜け出せていなかった。そして、
劇全体を「清らかさ」というファクターが大きく動かしている事も明らかになった。あまりに清らかな
人間は生き続けることを許されない。サロメは清らかすぎたからこそ、清らかさをかなぐり捨てるよう
な女性になってしまった。清らかさは、このような矛盾だらけで実態のつかみづらいワイルド特有の世
界観を理解する一助にもなりうるのではないだろうか。
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植松 真実
トニ・モリスン『ビラヴド』研究―Denver から読み解く Beloved ―
民族の歴史を現代に蘇らせることを大きな使命としてきた作家 Toni Morrison は、現代のアメリカ文
学界になくてはならない存在である。奴隷制度と人種差別をテーマとした彼女の5作目の小説 Beloved
は黒人女性による初めてのノーベル賞受賞作品であり、これまでに様々な研究がなされてきた。本論文
では、こ の物 語を解 決へと 導く重 要な キャラ クタ ーである Denver を取り 上げ、 この小 説にお ける
Denver の持つ役割について考察する。
第一章では、耳が聞こえない Denver の人並み以上に発達した視覚に注目する。奴隷制度は黒人の肌
の色という一目でわかる印が引き金となっており、黒人は色に対して過剰に反応してきた。Denver は
実際に奴隷制度を経験してはいないものの、彼女の優れた視覚は色彩を敏感に感じ取っており、それは
奴隷制度への恐怖が原因となっていると言える。Morrison は Denver のような奴隷制度による間接的な
被害者を描くことで、奴隷制度の影響力の強さを示している。
第二章では、娘 Denver と母 Sethe の愛について検証する。奴隷制度下では、家族への愛情を持つこ
とは禁忌であった。しかし Sethe はこの禁忌に反して我が子に深すぎる愛情を抱き、結果として Denver
の姉 Beloved を殺してしまう。同様に深い愛情を Denver にも注ごうとする Sethe であったが、奴隷制
度の過去に阻まれて Denver に十分な愛情を注げず、Denver は常に孤独と闘うことになる。奴隷制度
は家族という枠組みをも崩壊させる可能性を含む非人道的なものである。
第三章では、Denver とコミュニティとの関係について述べる。Denver と Sethe が暮らす 124 番地
はコミュニティから疎外されてきた。Sethe は Beloved の登場を契機に語ることすら痛みを伴う過去を
語り、人格の崩壊へと向かうが、その際、家族とコミュニティとの架け橋となるのが Denver である。
Morrison は Denver という媒体を用いてコミュニティの大切さを読者に示している。
第四章では、Denver の成長とアイデンティティの確立について論じる。Morrison は黒人奴隷がいか
にアイデンティティの確立を阻まれてきたかを物語を通して私たちに伝える。ところが、Denver は 124
番地からコミュニティへと踏み出して Sethe に救いをもたらし、社会において次第に1人の女性として
のアイデンティティを獲得してゆく。ここに1つの希望を見出すことができるであろう。Morrison は、
Denver という存在を用いることで奴隷制度を批判している。奴隷制度を体験していない者、そして奴
隷制度を過去に持つ者たちを描き、その実態と影響力を読者に教えているのである。しかし、そのよう
な中でも、Denver のようにコミュニティの大切さに気づき、しっかりとアイデンティティを確立する
キャラクターを登場させている。
以上のことから、Morrison は奴隷制度を批判しながらも、過去に囚われず将来に向かって進む Denver
を描き、読者に未来への希望を抱かせていると結論づける。
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河内 千香
D.H.Lawrence 研究
―The ideal relationships between men and women in Lady Chatterley s Lover ―
D.H.Lawrence(1885-1930)の最後の長編小説 Lady Chatterley s Lover は、彼が追究し続けた男女の
関係に対する彼なりの答えが表れている作品であると言える。作品中には Lawrence 自身が作品の主題
とした tenderness「やさしさ」という言葉が頻繁に使われている。また作品中の露骨な性描写は、
「性」
を人々に正しく認識させたいという Lawrence の意図が込められていたことがわかっている。この論文
では作品中の男女関係を見ていくことで、彼が主張した「やさしさ」やわれわれに認識を迫った「性」
とは何か、そしてそれらを通して Lawrence がたどり着いた理想の男女関係とはどのようなものである
のかを明らかにする。
まず第一章では、森番 Mellors と出会う前の主人公 Connie と男性との関係、特に下半身不随の夫
Clifford との関係を中心に分析した。Connie も Clifford も精神的人間であり、その精神性には自分の自
我を守ろうという意識があったと考えられる。しかし次第に Connie は精神生活を疑い、
「男性のやさし
さ」を求めるが、精神的人間の Clifford はそれを与えない。肉体関係を持った劇作家 Michaelis さえも
「男性のやさしさ」を与えることは無く、彼女は肉体や性に絶望する。このような「肉体と性のやさし
さ」を持たない精神的人間との男女関係は空虚なものとして描かれており、Lawrence はこれを否定し
ていることがわかった。
第二章では、Connie と森番 Mellors の関係、そして Connie の変化に注目した。Mellors は「肉体と
性のやさしさ」を持つ人物であり、交わりによって Connie にそれを与えた。これにより彼女は自我か
ら解放され、肉体と生命の力をもった女性としての自分を獲得したことがわかった。これまでに述べた
「肉体と性のやさしさ」とは人間が本来持っていた原初的なものであり、それによって Connie は肉体
を恥じらうことの無い原初的な naked の状態を獲得することができたと考えられる。Connie にこのよ
うな変化を与えた Mellors との「肉体と性のやさしさ」のある男女関係こそ、Lawrence が肯定するも
のであると言える。
第三章では、この作品の男女関係で描かれた「性」とはどのようなものであるかを考察した。Mellors
は、「性」はあらゆる接触の中でもっとも密接な接触であり、「性」がそのようなものであることを認識
している人間が「肉体と性のやさしさ」を持つことができると考える。この Mellors の考える「性」こ
そ、Lawrence がわれわれに認識を迫った「性」だと言えるのである。
結論として Lawrence のたどり着いた理想の男女関係とは、Connie と Mellors の関係に表れている
ような、
「性」を正しく認識し、やさしさを持った接触によって生き生きとした生命を回復させた男女の
関係であるといえる。そしてこの関係には、男女の自我が対立したときにお互い譲り合うという相手へ
のやさしさがある。これによって Lawrence のいくつかの作品の中で描かれてきた、男女の自我の戦い
を終えることができるのである。
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神田 ほし美
シャーロック・ホームズ研究
―ホームズの女性観と世紀末の新しい女性―
ヴィクトリア朝後期、犯罪が増加したロンドンに突如現れたのが、名探偵シャーロック・ホームズで
ある。頭脳明晰で冷静沈着な彼には、
「女嫌い」であるという見解が研究者の間に見られるが、その点に
関しては疑問が残る。彼はある女性には親切に対応し、また別の女性にはそっけない態度をとっていて、
女性によって態度を変えている。なぜ「女嫌い」であるはずのホームズが、女性に親切に対応するのか。
また作品中で目立つ女性と目立たない女性が存在するが、そのことにはヴィクトリア朝の習慣が関係し
ているのか。本論文ではこれらの問いに答える一方、ホームズの女性観がヴィクトリア朝で持つ意味や、
それがドイルの女性観と重なっているのかについても分析する。そうすることにより、ホームズは「女
嫌い」であるという固定観念を打破して、ホームズ作品の中に隠れた新たな魅力を探る。
第 1 章では作品中の女性たちを目立つ女性と目立たない女性、その中でもホームズが親切に対応した
女性とそっけない態度をとった女性に分類した。女性に関するホームズの言動を分析すると、女性によ
って彼の態度が異なっていることが窺える。ヴァイオレット・ハンターやヴァイオレット・スミス、フ
ランシス・カーファックス嬢、グレース・ダンパーは、ホームズが親切に接した女性だ。特にヴァイオ
レット・ハンターには信頼までおいている。またアイリーン・アドラーはホームズに女の機知を教え、
大きな影響を与えた女性であり、モード・ベラミーはホームズが絶賛している。彼女たち 6 人は、男性
優位なホームズ作品中で目立った存在であり、彼女たち以外の女性はホームズがそっけない態度をとっ
たため、目立たない存在となっている。
第 2 章では作品中の女性たちを、ヴィクトリア朝の背景から 3 タイプに分類した。アイリーンは男性
を魅了するファム・ファタルであり、彼女以外の目立つ女性 5 人は世紀末に突然現れた新しい女性であ
る。それ以外の目立たない女性たちは、ヴィクトリア朝の理想の女性である「家庭の天使」的な女性な
のだ。ホームズが親切に対応した女性たちは主に世紀末の新しい女性であり、本章ではヴィクトリア朝
において彼女たちが持っていた意味を論じた。
第 3 章ではホームズが世紀末の新しい女性に親切に対応する理由、ホームズの女性観がヴィクトリア
朝の中で持つ意味、そしてドイルの女性観との関係を分析した。ホームズは世紀末の新しい女性と「家
庭の天使」的な女性への態度が異なるが、それはホームズが女性を外見ではなく中身をみて判断する男
性であったからだ。
「家庭の天使」的な女性の扱い方のみ知っており、突然現れた世紀末の新しい女性の
扱い方を知らなかった彼は、彼女たちを女性と認識せずに、男性と同等の評価規準で捉えた。世紀末の
新しい女性は、ホームズの中で女性の枠を越えた存在だったのだ。彼女たちを男性と同等に扱うホーム
ズの態度は、ヴィクトリア朝で社会から逸脱し、主にガヴァネスとしての働き先の家庭でも孤立してい
た彼女たちに、居場所と存在意義を与えるものであった。一方、作者ドイルの女性観は、「家庭の天使」
的な女性に対する態度において、ホームズの女性観と重なっている。だが、両者は世紀末の新しい女性
の認め方が異なり、ドイルは実際に新しい女性である 2 番目の妻レッキーと結婚することで、彼女たち
に物質的・空間的な居場所を与えてみせたのに対し、ホームズは何も行動を起こさずに、観念の中でし
か居場所を与えられなかったのである。このようなホームズは、世紀末の新しい女性を女性として受け
入れられない点において、ヴィクトリア朝の先入観に染まっていた。そんな彼を、作者であるドイルは
あざ笑っていたのではないかと考えられる。
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斉藤 直美
トマス・ペイン『コモン・センス』研究
―独立を唱えたパンフレットがベストセラーとなるほど影響力を持った理由―
トマス・ペインの『コモン・センス』はアメリカ独立戦争が始まってから8ヶ月が経った 1776 年1
月 10 日にフィラデルフィアで刊行された。1775 年4月に独立戦争が勃発したが、当初の植民地での戦
争の目的はイギリス本国からの独立ではなく、イギリス本国との和解であった。しかし、独立論を唱え
た『コモン・センス』が刊行された頃から、独立をめぐる議論は活発なものとなり、その半年後の 1776
年7月に「独立宣言」が採択された。『コモン・センス』は3か月間に 12 万部売れ、最終的には 50 万
部が売れたといわれており、当時の植民地の人口から考えると驚異的なベストセラーとなったことがわ
かる。しかし、
『コモン・センス』の内容のほとんどがアメリカ植民地でこれまで述べられてきたことで
あり、オリジナリティーがあるものではなかった。よって、本論文では、それまで言われてきたことの
寄せ集めにすぎないようなパンフレットである『コモン・センス』が、アメリカ植民地で驚異的なベス
トセラーとなることができた理由を解明していくことを主題とした。
第一章では、『コモン・センス』の刊行前後の歴史的背景を考察した。その結果、『コモン・センス』
が刊行された頃は、イギリス本国の政策、植民地の社会的情勢、独立戦争の状況から、植民地はイギリ
ス本国との和解から独立という考えに変わりつつあり、植民地人のイギリス国王への忠誠を断ち切るた
めに、君主制批判が必要であったことがわかった。つまり、
『コモン・センス』は独立に傾きつつあった
時期に独立論を唱え、君主制批判が必要とされている時期に、聖書と自然法に基づいて鋭く君主制批判
をしたのである。
第二章では、『コモン・センス』の内容を考察した。『コモン・センス』では、君主制と王位の世襲相
続を批判する論拠として、旧約聖書の言葉を用いており、さらに、全章に渡って自然権および自然法の
理論が用いられていた。当時の識字率や教育制度の普及率から、当時の植民地ではほとんどの人々が聖
書を読んでおり、かなりの影響力を持った書物であったことがわかった。また、自然権や自然法の理論
は、反英抗争の中で個人の論文や公の文書で多く用いられており、攻撃の対象とされることが少なく効
果的な理論とされていたことがわかった。つまり、旧約聖書の内容、自然権および自然法の理論を論拠
としたことによって、『コモン・センス』は説得力のある内容になったといえる。
結果として、独立論を唱え、君主制を批判する時期が適切であったこと、旧約聖書の内容、自然権お
よび自然法の理論を論拠としたことが、
『コモン・センス』が驚異的なベストセラーとなりえた理由であ
ったと結論付けられる。
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菅井 亮佑 A Controversy about Multicultural Education in the United States
̶A Common Ideal of the Left toward the Future American Education̶
本論は、1989 年にニューヨーク州教育省から発表され、多文化教育の充実を推進する報告書『包括
教育カリキュラム』(A Curriculum of Inclusion)を発端にして起こった多文化教育論争の特徴について
明らかにし、この論争によって分裂したと言われているアメリカ左翼の共通の理念が本当に分裂したの
かどうかについて考察することを目的としている。
主としてこの論争において対立したのは、公教育において西洋の文化の享受を重んじる西洋伝統主義
者と黒人やマイノリティの文化を反映させるべきだと主張する多文化主義者であったが、西洋伝統主義
者の中には Schlesinger, Jr.や Ravitch のように多文化教育を容認しているものも存在した。そこで第
一章では、彼らの主張を中心に、なぜ西洋伝統主義者が多文化教育政策を批判したのかということにつ
いて分析した。彼らは、ニューヨーク州多文化教育政策を、未来へ向かい希望を持って歩むアメリカが
過去を振り返り、歴史を捏造し、マイノリティの自尊心の向上のために教え、さらには、アメリカ国家
への忠誠心を弱めるものだと批判し、多民族国家アメリカが分裂してしまうことを危惧したのだった。
第二章では、多文化主義者である James Banks の多文化教育論について分析した。彼は多文化教育
の目的として、まずはアメリカに住む全ての子ども達の文化的背景を肯定し、そこから、アメリカの民
主主義に彼らを参加させるものと位置づけていた。さらに、短時間の介入によって子ども達の偏見を減
らすことができるという研究結果から、彼は多文化教育をアメリカ社会に未だ根付いている偏見と差別
を減らすものとして考えていた。その実践として彼は学校の環境と学校カリキュラムの根本的な改編、
そして教師の研修が必須であると主張したのであった。
第三章では、西洋伝統主義者と多文化主義者の主張を比較し、両者の相違点について考察した。両者
は公教育で優先すべきことは、アメリカ国民の形成か、それとも多文化教育が先かで論争していたので
あった。つまりは、現行の西洋中心的なカリキュラムにただ単に多文化教育を注入するか、あるいは学
校カリキュラムを根本的に改編し多文化教育を推進するかがこの多文化教育論争の特徴だったのである。
しかしながら、両者の見解は方法面において違っていたが、これから先のアメリカ教育が向かう方向性
として、両者ともにアメリカ国民を形成する教育の強化と多文化教育を取り入れなければならないとい
う点においては一致していたのである。
それゆえ、本論の主題であったアメリカ左翼の共通の理念は分裂したのかどうかという問いに対して、
共通の理念としては両者一致が見られ、少なくとも分裂したとは言えないと結論づけることができる。
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斎藤 桃子
リチャード・ブローティガン研究
―『西瓜糖の日々』における自我をめぐる問題―
リチャード・ブローティガン Richard Brautigan の『西瓜糖の日々』 In Watermelon Sugar (1968)
は、西瓜糖の世界という架空の世界での生活を、西瓜糖の世界の中心となるアイデス(iDEATH)というコ
ミューンで起きた事件を軸に描いた作品である。穏やかなアイデスの生活にユートピアの実現を見るこ
とも可能であるが、西瓜糖の世界のユートピアとしての様相は表面的なものであり、その実態はディス
トピアとしての要素を多分に持っている。本論文では、この作品における自我をめぐる問題がどのよう
に描かれているのかを明らかにすることで、西瓜糖の世界のディストピア性を主張する過去の研究を発
展させることを目的とした。
第一章第一節では、物語における世界の歴史をまとめた。
『西瓜糖の日々』の世界は忘れられたものの
時代から、人間と虎の争いが絶えない虎の時代を経て、人間が虎に勝利し、鱒が泳ぎまわる平穏な「鱒
の時代」=「西瓜糖の世界の時代」へと移行した。忘れられたものの時代の残骸は、忘れられた世界に
押し込められており、この忘れられた世界のあり方からは機械文明、物質主義、言語中心主義などの近
代の特性が読み取れる。対して西瓜糖の世界は近代的価値観が崩壊した後に誕生したポストモダン的ユ
ートピアである。この世界では、現在の西瓜糖の世界と過去の忘れられた世界が同じ地平に存在してい
る。
第一章第二節ではアイデスの人々が歴史にどのように向き合っているかを考察した。彼らの世界では
書物に象徴される言語が価値観や思想、また歴史を伝達する機能を果たしていない。彼らは自分達の時
代について記録し未来へ伝達することを放棄している。また彼らは自分達の起源がある忘れられた世界
について知ることを拒む。西瓜糖の世界は歴史から切り離されており、自らの起源を知らない彼らは、
存在の根拠を持たないものである。存在の根拠を持たない彼らは自我を失くした存在で、それゆえ他者
と衝突せずに平穏に暮らすことができる。しかし彼らのユートピアは絶対的なものではなく、常に外部
に脅かされている。
第二章第一節では、その事実が端的に表れているインボイル inBOIL の死とそれに対するアイデスの
人々の反応について考察した。アイデスのあり方に対する抗議の意味を込めて自殺するインボイルは、
近代的価値観への回帰を望んでおり、アイデスの人々が自我を喪失しあらかじめ死んでいるかのような
状態を受け入れているのに対し、主体的に死ぬことにより明確な自我を持つことの必要性を主張する。
それに対しアイデスの人々は徹底した無理解を示す。第二章第二節では、このようなビジョンが提示さ
れることを、この作品が書かれた 60 年代初頭のアメリカという背景と関連付けて説明した。
「忘れられ
た世界」は漠然と近代西欧的価値観を象徴しているのではなく、この作品が書かれた 60 年代初頭に崩
壊の兆しを見せた経済的成功としてのアメリカの夢や、アメリカの起源を象徴している。西瓜糖の世界
の幸福は幻想だが、インボイルが真実であるとする忘れられた世界の価値観も幻想であり、それに引き
返すこともできず、人々は深刻な自我喪失の状態にある。
この作品は決まった名前のない「わたし」の書いた記録という形を取っているが、第三章ではそうし
た「わたし」による語りのあり方を考察した。現在のアイデスについての記録を残そうとする「わたし」
の行動は、言語への信頼を捨て歴史を語り継ぐことを放棄したアイデスの人々のあり方と矛盾するよう
にも思える。しかし「わたし」の語りが信頼度の低いものであることから、歴史を語るという行為が虚
構性を帯びたものであるという作者の見解がうかがえ、歴史からの切断と、それによる自我の喪失とい
う問題が、作品全体を通じたテーマとなっていることが読み取れる。
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栗原 有希
P・オースター『ニューヨーク三部作』研究
∼Quinn, Blue, I から Auster as a novelist へ∼
ポール・オースターの『ニューヨーク三部作』
(『シティ・オブ・グラス』、
『幽霊たち』、
『鍵のかかった部
屋』)は、それぞれ独立した物語ではあるが、三作目の本文の最後で「徐々に状況を把握していく過程に
おけるそれぞれの段階」と三作品を関連付けていることから、三部作を通じてオースターは何かを把握
しようとしていると考えられる。先行研究ではそれぞれの作品に対するアイデンティティや言語の観点
からの研究はなされても、三部作の主人公の関連は論じられていない。そこで本論文では、各主人公の
変化に焦点を当て、三部作の繋がりから主人公がどのように変化していくのか、またその変化でオース
ターが把握したことが何であるかを論じた。
第一章では『シティ・オブ・グラス』の主人公クィンが自己の無を代理してもらうために、様々な人物
と分身関係を結ぶ様を考察した。クィンが特に分身関係を結んだ人物は言語学者のスティルマンであり、
クィンはスティルマンの言動を赤いノートに記入する。しかしスティルマンが楽園で話される言語を再
生しようと企て、それをクィンにも要請する中でクィンは堕落した世界へと踏み込んでいく。そんなク
ィンは最終的に、変わりゆく事物を捉えることが出来ずにスティルマンを見失い、赤いノートに記入す
る言葉がなくなることで自己の無を代理してくれるものもなくなることから、再び自己の無だけが残っ
てしまう。つまり一作目では、他者と同一化し言葉の世界に自己の無を代理することで自己を認識する
クィンの過程を辿っていると言える。
第二章では、自己の無を代理するものとの表層関係のみに着目していた一作目に対し、ブルーとブラ
ックの二者による内面関係に焦点を当てている『幽霊たち』を取り上げることで、自己の存在を確立す
る過程を考察した。見張っている側で自由な立場にあると思っていたブルーは、実は見張られる側で不
自由な立場にある。他者がいてこそ自己を認識することが出来るのだが、最後にブルーとブラックが自
己の主導権を握るために決闘する場面があることから分かるように、ブラックの存在があってこそ自己
が成り立つという事実を、ブルーはまだ知らない。二作目では、自己の中の他者性が仄めかされるのだ
が、主人公自身はそれに気づかないまま、その問題は三作目に引き継がれる。
第三章では『鍵のかかった部屋』を取り上げる。この作品では語り手「僕」が前二作とは異なる行為
をする。一つは鍵のかかった部屋にいるままの友人ファンショーを、
「僕」が自分の頭蓋骨に受け入れる
こと。二作目で仄めかされた自己の他者性問題を引き継いだ「僕」にしてようやく、自己の無なる場に
他者の存在が不可欠であることを自覚する。また、その当の他者であるファンショーが鍵のかかった部
屋にいるまま僕の頭蓋骨にいることは、
「僕」が他者の存在の核が表象不可能であること、また曖昧な世
界を受け入れることを許可している証でもある描写と読み取れる。もう一つは、他者と断絶して自己の
起源である無の場へ立ち戻ることを要求することが書かれていると思われる赤いノートを破り捨てるこ
とにより、「僕」がファンショーの要求を受け入れない決意を示していることである。
結論部分では、以上の考察を踏まえてファンショーと「僕」の関係を振り返る。ファンショーの人生
が詩人時代のオースターの人生と明らかに似通っているため、ファンショーは詩人としてのオースター
と言える。そんな詩人としての要求を受け入れないことから、オースターは小説家としての自己を獲得
していると論ずることが出来る。それは自己の無となる場に存在の核の表象不可能な他者ないし世界を
受け入れた「僕」の、自己の存在を無にして世界と向き合うファンショーとは異なる姿勢である。即ち、
主観を排除し、物事の普遍的な真理を探究しようとした詩人としてのオースターから、世界は流動的で
表象不可能であると認める小説家としてのオースターへの変化である。かくして、オースターは小説家
として書くための姿勢を、三部作を通して獲得していると結論づけることが出来る。
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原 章子
シェイクスピア研究
∼King Lear と黒澤明『乱』∼
様々な国で現在もシェイクスピア劇が上演されている。16 世紀イギリスの戯曲が日本にどのように受
け容れられ、なぜ上演され続けているか考える。
初めてその名前が日本に紹介されたのは蘭学が中心の江戸時代に、オランダ語からであり、次第にイ
ギリスから多大な影響を受けるようになると、英語によりその台詞や戯曲が伝えられる。つまり、この
時代、シェイクスピア受容が日本の西洋化と同時進行し、また模倣することで西洋の文化や考え方も取
り入れていた。模倣の時代が続き、1970 年代になるとロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが来日
公演を行い、それを観た日本の演出家たちは、解釈を加え、独自性を出す演出をはじめる。ここで、日
本独自のシェイクスピアの歴史がはじまった。日本の独自性を織り込んでつくった日本のシェイクスピ
アには、日本人の考えるシェイクスピアを上演し続ける理由が表れているように思う。
そこで、二章においては日本のシェイクスピアとして黒澤明監督の『乱』を例にあげてシェイクスピ
ア戯曲が持つ役割を検証した。
『乱』の原作は『リア王』であるが、登場人物や物語のテーマ、宗教観を
比較すると、
『乱』は日本の『リア王』というには共通点が少なく、黒澤はシェイクスピア作品を利用し、
オリジナル作品をつくったと考えるほうが自然である。現在のシェイクスピア劇演出にも、シェイクス
ピアらしさよりも、オリジナリティを強調するものが多い。
『乱』は『リア王』らしさよりも黒澤の独自性が目立つ作品であり、そもそも黒澤は毛利元就の伝説
から発想した映画である。自身で脚本を書けたはずであるが、シェイクスピアの『リア王』をわざわざ
原作に持ってきたのは、シェイクスピアの枠組みを利用し、視聴者の興味をひき、彼らの理解を助ける
ためだろう。文化も言語も違う者たちが同じ人間として感情を持ち、事件をおこしていく。その中、シ
ェイクスピアは通訳として用いられる。更に柔軟に独自性を織り交ぜやすく、製作者の世界観を作るた
めに利用しやすいともいえる。よく知られた作品であるため、相違点がめだつ。
シェイクスピアを翻訳、翻案、上演していく理由は各国、各人によって違うが、ここまで多くシェイク
スピア劇が上演され、愛されているのは柔構造をもつ共通言語としての役割を果たすためだろう。しか
し、シェイクスピアを神聖化しすぎて、批評家たちはその相違点を非難し、製作者の意図を読み取れな
くなってしまうことがある。三章では、その欠点と利点をあわせてシェイクスピア中心主義とした。
日本はシェイクスピアを通して西洋の文化や考え方を吸収し、徐々に日本の独自性を織り込むことに
よって、逆に日本の文化や考え方を広め、日本人自身も自分たちの文化や考えについてシェイクスピア
を通して学び始めたのではないだろうか。
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