不法滞在中国人

不法滞在中国人
メキシコ・Natate
Voces Mesoanmericans
青木元
2012 年 12 月 19 日、エクアドルのキトからメキシコのチアパスに向かう僕は、かなりの高揚感を覚えて
いた。1 月からのメキシコでのワークにはいろいろと思うところがあったのである。ぼらイヤー期間の最後
を飾り、最長期間となるワーク、そして内容も自身の勉学と関連しているものとあってかなりモチベーショ
ンがあがっていた。6 月からの中南米各地での生活は、最後のプログラムにしっかり参加するための準備&
勉強時間といっても過言ではなかった。中南米で半年努力してきた自分が、最後かつもっともタフなワーク
にどれだけついていけるか?・・・そういった良い意味での緊張を感じていた。また、チアパスはぼらイヤ
ー中の最初のワーク地でもあり、知り合いに南米で経験を積んた自分を見せたい気持ちも僕をアゲアゲにし
ていた。が、そんな心境に冷や水を浴びせたのがメキシコシティでのラゲージロスト。空港でいわれたラゲ
ージロスト担当者の電話番号にかけても出なかったり、メールをしても返事がなかったり、発見されてもチ
アパスの空港までこちらからとりに行かなくてはならなかったりと、余計なことに労力と時間を費やし、チ
アパスへの再訪問に感慨を覚えるどころではなかった。
チアパスのサンクリストバル・デ・ラス・カサス(以下サンクリ)を訪れるのは前述のとおり 2 回目だった。
この町に居を構える国際ボランティア団体 Natatè(マヤ文明の子孫にあたるインディヘナの言語で「木々の
中の家」という意味)には前年の 6 月、7 月にできた友人や知り合いがいたため、2 回目となる今回は訪問
というよりは帰還の感が強かった。今回は、インディヘナコミュニティ支援を行っている団体、 Voces
Mesoamericanas Acciòn por Migrantes(直訳すると「メソアメリカの声、移住者への活動」以下 Voces)で働
くためにサンクリに来たのである。大学~大学院と移民、特に日本に住む南米人を勉強し、スペイン語も習
得してきた僕にとっては、
「自分の知識やスペイン語力でどこまで頑張れるか?」が、自身の 1 年間にわた
る中南米でのボランティア活動の最終局面におけるテーマだったのである。活動開始前の年末・年始は、と
にかく関連論文に目を通すことに時間を費やした。幸い、チアパスの移民に関する研究資料はウェブ上に大
量にあり、資料集めに苦労することはなかった。
そして 1 月の Voces の 2013 年の活動開始とともに僕も彼らに加わった。まず面を食らったのは、年頭と
いうことでこの 1 年、または向こう 2 年間の活動方針や目標、および具体的プロジェクトの情報共有を最初
の 3 日間で徹底的に行ったことである。活動内容や用語の確認さえまだ不十分だった僕にとって、一日中ミ
ーティングの机に座って人の話を聞くだけの状態が苦痛だった。1 月は初歩的な知識の習得に追われた形と
なった。2 月からインディコミュニティへの訪問が多くなり、具体的な作業を通じて Voces の活動を理解し
ていくようになった。チアパスを含むメキシコ南部から国境を接するグアテマラにかけては、かつてのマヤ
文明を築いたインディヘナの子孫が独自のコミュニティを維持している。集落によっては十分な水や道路が
なく、住民のほとんどがスペイン語を話せない(名前は植民地時代の影響でスペイン語のものなのだが・・・)
場所もあり、同じインディヘナ集落出身の同僚が現地語で説明する場面がほとんどだった。また、インディ
ヘナ=貧しい、というわけではなく、場所によっては農産物を中心とした商品の販売システムを確立して中
流の生活を営んでいるところもあったり、観光地化すること外国人観光客から収入を得ているところもあっ
たりと、
「コミュニティ間の格差が大きい」というのが活動の中で最も印象的だったことの一つである。
(写真①
ワークショップに必要な貼紙の作成)
僕の作業は多岐に渡った。インターネット上の情報を集めたり(アメリカ合衆国内の不法移民が拘留されて
いる刑務所のマップ化や国境周辺の移民支援団体の活動を把握するため)、調査で必要なアイテムを購入また
は作成したり、
一般人向けのインディコミュニティ訪問プログラムの対 Natatè コーディネーターをしたり、
電話番をしたり、と。要は雑用中心だったわけだが、後半には調査もやらせてもらったり、他団体の活動に
参加させてもらったりもしたので、本当にいろいろなことを経験した。
(写真②
インディヘナの村でコーヒーのカスを取り除く作業)
Voces はアメリカ人(現在はメキシコに帰化)の文化人類学者によって 2009 年に組織としての活動をはじめ、
かつてアメリカ移住を経験したインディヘナの職員や、高等教育を受けたいわゆる白人系メキシコ人職員で
構成されている。Voces の中で管轄によってグループ分けされているものの、グループを超えての活動が多
く、
何よりも僕自身雑用係だったので全てのグループと一緒に移動したり準備をしたりした。
そのおかげで、
各職員、または地元ボランティアとの思い出ができた。ある人とは何回も同じコミュニティに行ったり、あ
る人とは夜の 8 時までコミュニティで作業をしたり、インディヘナコミュニティ訪問プログラムの計画を一
緒にしたり、備品の買出しに行ったりと。また出張作業中に同僚と口論になったこともある。寿司を一緒に
食べに行ったこともある。
彼らにとって僕は足手まといだっただろうけど、特にいやな顔をすることもなく、
僕を受け入れてくれた。おかげでコミュニケーションはかなりとりやすく、自分の意見も言いやすかった。
僕の冗談に笑ってくれる人が多く、僕が見た目どおりの堅物ではないとわかってくれてからは実にフレンド
リーだった。彼らにとって東洋人は珍しく、中国人や韓国人や日本人は一緒にされているのが普通だった。
機会あるごとに差異を説明することもあったが、打ち解けてからは「僕は Chino Indocumentado だ!」と
冗談で言うようになった。Chino Indocumentado、直訳すると「書類審査をされていない中国人」なのだが、
要は不法滞在中国人のことである。何を隠そう、僕の同僚のインディヘナの人たちこそがアメリカ合衆国に
いたときに Mexicano Indocumentado(不法滞在メキシコ人)だったのである。Indocumentado であるがため
に強制送還などの目にもあってきたのに、自分たちが良くわからない日本という国から合法的に来た僕を
Indocumentado と呼ぶのはかなりのブラック・ジョークで、倫理とすれすれのこの愛称を僕自身も楽しんで
いた。誤解のないようにいうと、彼らも日本と中国は違うということは理解しているし、僕が合法的にメキ
シコに滞在していることも知っていたけど、ある意味愛称のようなかたちで時々僕のことを Chino
Indocumentado と呼んでいたのである。彼らにとって東洋人の風貌を持った人はたとえアジア人でなくても
Chino であり、ラテンアメリカの習慣として見た目を愛称にする(例えば太っている人に「デブ」、肌の黒い
人に「クロ」と呼ぶのは差別ではなく、親しみがこめられていることが一般的)ので、僕自身もかなり気に入
っていた。そしてさらに Indocumentado が付加されることで、自分たちの活動内容がそこに反映されてい
る(実際 Voces はかなりの Indocumentado と関わっている)感じがした。
挨拶のときも「おい Chino Indocumentado、元気か?」
、町で偶然会ったときも「どこへ行くんだ?Chino
Indocumentado?」、こっちも日本について何か聞かれた際に「僕は日本については良く分からない。忘れた
かい、僕は偽造日本人パスポートを持っている Chino Indocumentado なんだぜ!」と答えたりしていた。
もちろん、僕らの間には中国人に対する差別や蔑視があったのではなく、単に冗談を楽しんでいただけなの
である。
(写真③ 僕を不法滞在呼ばわりしていた同僚たち ※2 人ともかつてはアメリカ合衆国内で不法滞在者だった)
そんな Chino Indocumentado である僕をいろいろな場所へ同行させてくれたり、インディヘナの村に一
週間滞在させてくれたりしてもらった結果、チアパス州内の地理や交通事情をおぼえた。そして最後のほう
では自ら「他の移民支援団体の活動も見てみたい」と Voces に頼み、単独で州南部の移民支援施設に行かせ
てもらった。チアパスの南部から太平洋岸の地域にかけてはグアテマラやホンジュラス、ニカラグア、エル
サルバドルなどの中米から不法に流入した人が多く通る場所であり、それらの人々へ人道的支援をおこうな
期間も多く存在する。僕は 2 箇所の施設で働かせてもらい、そこで中米人の置かれている状況を目の当たり
にした。アメリカとの国境さえ越えればいいメキシコ人と違い、彼らはメキシコに入ることが第一の関門な
のである。事故や警官からの暴力、強制送還などを体験しながらもアメリカに行くことしか生活改善のすべ
がない彼らを目にし、
「出張ボランティア」ぐらいの感覚できた自分はぬるいと感じた。自らの意思を示し、
単独で合計 1000km 近く移動しながらワークをしたこの一週間に、活動期間を通じての自身の成長が反映さ
れていた気がする。
(写真④
終盤には単独で他団体の活動に参加)
基本的に Voces の活動には勉強や体力が求められるため、ワーク後の僕の生活は他のプログラムに参加し
ているボランティアの人たちから見れば地味で退屈で、もったいなく写っただろう。確かにワーク後は本や
論文を読んだり、休息をとったりしていたし、土日にも遠い場所を訪れたりしていたので、ボランティア仲
間と飲んだり騒いだりすることはほとんどなかった。でも、僕は Voces の役に立ちたかったし、勉強するほ
ど自分の関わっている活動への理解が深まったので、飲みに行くことのほうがもったいなかった。
4 ヶ月間の活動を通しての感想は、
「もう少し役に立ちたかった。」というものだった。自分なりに努力を
したつもりではあったけど、結局人に助けてもらってばかりだった感がある。
ただはっきりいえることは、自分の 1 年間のボランティア活動の中で、Voces と関わる前の期間と、Voces
に参加してからの期間は全く異なる色合いを持っており、Voces と活動していた時の充実度は前者よりずっ
と高かった。
ボランティア活動を経験すると、
「自分はこれをやった!!」といいたくなるのかもしれないが、
僕の Voces との関係だと、そんなことはいえない。
「自分はこれをさせてもらった!!」というほうが正し
い。Voces と、メキシコでの全生活をすごしたチアパス州には心から感謝している。