「内 神 道 」と「合氣道」の比較

ないしんどう
=「内神道」と「合氣道」の比較
日本国の「内神道」開祖――「長尾豊喜」道長は、合氣道十段の名
人「塩田剛三」老師とは親友であった。
年の差は37歳であったが、最も心の通じ合った仲であった。
また、
「長尾豊喜」道長宗家は、「斉藤守弘」師範とは、内神道の「筑
波関東総道場」が岩間の「合氣会茨城道場」
(当時)とすぐ近くだっ
た関係で、よく往き来した。
その関係からの「合氣道」の理解から論をすすめる。
【合氣道】―― その源流
日本古来の純粋武道とされ、源義家の弟の新羅三郎義光が基礎を開
いたという(相撲、空手、剣道(鉄器の剣自体が中国原産由)、柔道
等が、古代中国その他の外国より移入されたものが源であるのに対
して)。新羅三郎(源)義光(しんらさぶろうみなもとのよしみつ―
1045~1127)は、佐竹氏、武田氏、小笠原氏の祖。
【内神道】―― その源流
古代中国の、老子経の哲学を持つ自然家の道家仙人であった竹林の
七賢人の武法を源流とする。
「内(谷)神道」は武法を持った静坐の
法だったが宋の時代の道家仙人、張三豊じいさんが「本流の楊式太
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極拳」という古代の元始太極拳術をととのえ、仙人道とした(老子
経は紀元前600年頃成立、七賢人は魏から晋(220~316)
の時代に活躍、張三豊は1100年頃の仙人)。
――この比較からは、新羅三郎義光と張三豊仙人との時代が、丁度、
一致する。
【合氣道】―― その武道原理
「和」と「随」と「円」があげられる。
また、調和(あわせ)を齎す「合」が原理とされるようだ。
【内神道】―― その武道原理
まさに老子経の自然哲学である「連綿円合」である。
――この比較からは、よく似た武道のようである。どちらも「動中
求静」の動きをする。而して合氣道は、時代が移って、諸流の指導
者に工夫が加わっている。内神道は特に「綿(めん――やわらかさ)」
に極限までこだわるので、そこのみに差異がみられる。どちらにし
ても、両道とも、非常に古くて、しかも新武道として、未来に工夫
と発展の努力が要求され、また、期待される特徴を持つ。
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その他の「内神道」と「合氣道」の比較一覧
比
較
項 目
道
場
足
合
氣 道
畳の道場にて稽古
はだしにて稽古
内 神
道
自然と光のある土の上
選びぬいた靴をはく
技と武具
すべて行うことが可能
健康
健康で修行できる
健康のみの目的で稽古できる
関節技や脳震盪に注意
発勁の稽古で気絶に注意
武門での怪我
すべて行うことが可能
実際の威力
武道修行者の技は非常に強い
心
素直な心を求める礼節の武道
体
畳の受け身他で強靭になる
目的意識で健身になる
3か月ほどで元氣に稽古
最低でも一年かかる
約5年(三段)で可能
約10年(四段)で充実
自然療法的には普通
広大な自然療法能力あり
健康に届くまで
武道として真に使える迄
対病気
女性・高齢者
名人まで
開始年齢
悟り
開祖のえにし
技の源流
開祖の哲学乃至思想
開祖の武士道縁
老若男女、稽古が楽しめる
不敗伝説をもつ強烈な発勁
礼恆誠勤が修法
老若男女、稽古が楽しめる
30年以上
30年~50年
70歳前後まで
90歳でも可能
氣と神が学べる
源氏武門(源義光、武田信玄)
新羅三郎義光公の工夫
出口王仁三郎の大本教ほか
明治の武人たちに学ぶ
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「精氣神心」追及が奥義
平家武門(平良文、上杉謙信)
魏、晋の竹林の七賢人の工夫
老子経の宇宙自然哲学ほか
新渡戸稲造「武士道」ほか