ド - サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

Joyful Communication !
SALESIAN
BULLETIN
J A PA N
No.
July 2015
200
特
集
漫画『コラッジョ 』誕生秘話
!!
ドン・ボスコが私たちに
伝えたかったこと
!!
?
ドン・ボスコの教え子たち
長岡洋一 さん
インタビュー
!!
漫画
『コラッジョ 』
に見る
なぜ、今
ドン・ボスコ
なのか
DB
漫画『コラッジョ 』出版記念座談会
15
Message
サレジオ家族の皆様へ
「新しい出発の呼びかけ」
~神のみ国の到来とサレジオ運動~
Joyful Communication !
Contents もくじ
3 Message ●「新しい出発の呼びかけ」~神のみ国の到来とサレジオ運動~
4
なぜ、
今ドン・ボスコなのか?
DB200
特集
●
J A P A N 15
July 2015
~漫画
『コラッジョ!!』
に見るドン・ボスコが私たちに伝えたかったこと~
6
本のひととき特別企画
●
漫画『コラッジョ!!』出版記念座談会
漫画『コラッジョ!!』誕生秘話
鈴木ぐりさん 漫画家× 浦田雅子さん
ビジネスプロデューサー
× 浦田慎二郎さん
サレジオ会司祭
16 世界のサレジオ家族ニュース
サレジオ会日本管区 管区長
表紙イラスト
漫画『コラッジョ!!』p175、8
章 「守りぬく」より。このセリフ
の中にドン・ボスコの生き様が
表されている。
14 ドン・ボスコゆかりの地を巡る ●トリノ ヴァルサリチェ
絵:© 鈴木ぐり 2015
18 ドン・ボスコ生誕200周年ニュース ダイジェスト版
マリオ 山野内 倫昭神父
全国の200周年関連イベント報告
2015 年 5 月 24 日、カトリック浜松教会の聖母行列にて。左は弟の山野内公司神父
ド
SALESIAN No.
BULLETIN
ン・ボスコ生誕 200 周年は、私たち日本のサレジオ家族にとって、とくに「交わり」と「一致運動」の再出発の時となって
います。サレジオ家族の各グループから派遣されたメンバーからなるドン・ボスコ生誕 200 周年実行委員会は、豊かな企画
を立て、家族の絆を広げ、深めてきました。「ドン・ボスコ生誕 200 周年ニュース」や「ドン・ボスコの風」(Facebook 版・雑誌版)
などを通して互いの情報が伝えられ、きっと皆さんも「何か新しい風が吹いている」と感じておられることでしょう。
その大きな実りの一つとして、この記念すべき年にサレジオ同窓会日本連合が設立され、熱意あふれる同窓生の皆さんと出会いまし
21 DB200周年特別企画巡礼レポート ●
SalesianYouth Day 青年ナイト・ウォーキング巡礼に参加しました!
22 ドン・ボスコ生誕200周年記念コンテスト ● 受賞者の声
24
ドン・ボスコの教え子たち
インタビュー ●
長岡洋一さん from サレジオ学院中学校・高等学校
た。また、これまでドン・ボスコのことを知らなかったけれども、社会の中で助けを最も必要とする青少年のためにドン・ボスコのように時
間と生活費を惜しまず奉仕している方々との出会いもありました。
私は大きな気づきと励ましをいただきました。こうして出会う方々との絆をいつも意識し、共に協力し合うことによって、サレジオ運動は
さらに力強く実現されるのだと確信します。貧しい青少年が「かわいそう」だから助けるのではなく、出会った皆さんの姿をとおして、
神が共に彼らのために働くよう呼びかけておられることを悟ったのです。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わた
しにしてくれたことなのである」(マタイによる福音書 25 章 40 節)というイエス・キリストの言葉が、新しい使命の夢を与えてくださいます。
私たちも、ドン・ボスコが 9 歳の時に神からいただいた「夢」を共有しています。「小さい者と貧しい者に優先的な愛、いやし、
さと
救おうとする緊迫感」(サレジオ会会憲 11 条)を実現するようにと、聖母マリアはドン・ボスコに諭されました。この夢をドン・ボスコ生誕
26
28
Essay
「
“サレジオ”
の精神とは?」
●
サレジアンが心を込めて贈るあなたへ応援メッセージ
●
タイ
もっとキミに伝え隊!!
!木村重雄さん
29 サレジアン小伝 ● ありがとう
社会のために捧げた第二の人生
お知らせ
200 周年からの新しい出発のビジョンとしましょう。そして、教皇フランシスコの「すべての人にイエスのいのちを差し出すために出向いて
30 Info
行きましょう」(『福音の喜び』49)という呼びかけに応えましょう。神の国の到来を実現するサレジオ運動を心を一つにして発展させること
31 読者プレゼント
●
ができますように、皆様のご協力をお願い致します。
ドン ・ ボスコとは?
「青少年の友」と呼ばれ、助けを
必要とする若者たちのために生涯
を献げた神父。1815 年イタリア生
まれ、名前はヨハネ(イタリア語で
ジョヴァンニ。ドン ・ ボスコは「ボ
スコ神父」 の意味)。青少年教
育に献身するサレジオ会を創立。
1888 年帰天。
サレジオ家族とは?
ドン ・ ボスコの精神を受け継ぐ修
マリオ 山野内
倫昭 やまのうち・みちあき
1955 年大分県佐伯市生まれ、59 歳。8 歳の時、家族とアルゼンチンへ移住。29 歳で司祭叙階。アルゼンチン
の哲学院で哲学、社会学などを教え、司牧担当・院長・アルゼンチンとパラグアイ6 管区の修練長を経て、1997
年(41 歳)帰国、日本のサレジオ会員として働く決意をする。育英高専・杉並支部院長、調布サレジオ神学院
院長、副管区長・サレジオ家族担当・養成担当を務め、2014 年 12 月 4 日より日本管区長。趣味はギター演奏。
2015 年 6 月 12 日 イエスのみ心の祭日に
「ドン・ボスコの風」 について ─ 「ドン ・ ボスコの風」は、喜びを共にし、サレジオ家族
の原点を見つめ、絆を深め、社会・世界に羽ばたいて、その実りを分かち合うためのコミュニケーショ
ン誌を目指しています。ドン・ボスコの精神を多くの方々と共有し、新しいつながりに広げていくきっ
かけとしてご活用いただければ幸いです。皆様からの情報提供とご支援をよろしくお願いいたします。
道者・信徒・協力者たち。世界
130 以 上の国で、30 団 体、40
万 人 以 上のメンバーが、学 校、
教会、社会生活のさまざまな場面
で青少年や貧しい人びとのために
奉仕している。サレジアンファミリーと
も呼ばれる。
03
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
『コラッジョ!!』
で描かれるドン・ボスコは人を信じ、
人を大切にする。それは言葉にも表れている。
その原点は、神への信頼だ。
静岡サレジオで 2015 年 1 月 31 日、ドン・ボスコの記念日に開催された「ドン・ボスコ フェスティバル」の一幕
DB200
特集
年 、 世 界 各 地 で 、 ま た 日 本 で も 「 ドン・ボス
2
0
1
2 5
0
0
周 年 」 を祝 う イベントが続いている。
なぜ今 、ドン・ボスコを記 念するのか?
P.04-13 絵/Ⓒ鈴木ぐり 2015
!!
』 の中 に、
編集部
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
●
05
取材・文・写真
時は現代の日本、ありふれた高校生のリクとマナ。何に対しても冷めた態度
をとる男の子リクと、SNS を通じての友達づき合いにすら不安を抱く女の子マ
ナが、帰り道に出会った灰色の子犬に導かれて教会へ。そして教会を出てみ
ると……、そこは 19 世紀のイタリア・トリノだった。突然トラブルに巻き込まれ
た二人を助けたのは一人の神父、ドン・ボスコ。二人はドン・ボスコに誘われ、
彼が開いた若者たちのための居場所、オラトリオへ。オラトリオで出会う人々や
ドン・ボスコと共に、様々な困難を乗り越えていくうち、二人は人を信じ、祈る
心を育んでいく。しかし、さらなる困難がオラトリオの人々を待ち受けていた……
先 日 出 版 さ れ た ば か り の漫 画 『コラッジョ
『コラッジョ ! ! 』 のあらすじ
魅 力 的 に 描 か れ た 一 人 の神 父 の人 物 像 や 生 き 方 に 表 れ
世 界 中でドン・ボスコが話
題だ。それは今 年が生 誕
るメッセージを探ってみた。
』に 見 る
!!
コ生 誕
漫 画『 コ ラッジョ
ド ン・ボ スコが 私 た ち に
伝 え た かった こ と
今、
200 周 年 だから。この
日本でも、全 国のサレジオ家 族では
様々なイベントが組まれ、グッズや本
も続々と誕 生している。そこに関 わ
る大 人 、 若 者 、 子 どもたちはとて
も笑 顔や元 気にあふれている。その
笑 顔の理 由はなんだろう? この日
本で、イタリアで生まれた一 人の神
!!
父の誕 生を祝う意 味はどこにあるの
だろうか? 日 本 発 信の 漫 画 『コ
ラッジョ 』の中に描かれるドン・ボ
スコの姿から、メッセージを読み解い
てみたい。
ど ん な メッセ ー ジ な の だ ろ う ?
な ぜドン・ボ スコ 生 誕
2 0 0 周 年 を 祝うの か?
04
本のひととき
特別企画
』出版記念座談会
聞き手・写真
●
編集部
ー
仕事のオファーが来た時に
思ったことは?
浦田(雅) 実はドン・ボスコのことは
サレジオ関 係の学 校の創 始 者という
こととか、 一 般 的 な 情 報 として何
となく知っていましたので、すぐに興
るアレルギーとかは全くなかったです
ね。キリスト教を背 景とする漫 画は
ド ン・ ボ ス コ の 資 料 を 見 た
たくさんあって、読んでいましたから。
ー
時の印象は?
鈴木 ぼくは最 初DVD『ドン・ボ
スコ』を見たんですが、「 人 間 味 豊
が偉 人 漫 画 大 好きなので。 偉 人 漫
浦田(雅) もともと偉 人 漫 画を作
りたかったんです。 小 学 生の子ども
浦田(雅) 熱血教 師みたいな。
校の先生のようなイメージでしたね。
うか。学園ドラマにでてくるような学
sako Ura
a
M
ta
鈴木ぐりさん
味を持ちました。
さ れ て い た ド ン・ ボ ス コ を 題 材
画 、しかも知っているドン・ボスコとい
かなドン・ボスコ像 」っていう印 象が
』が
うことで、「きた!うれしい!」って
鈴木 聖 人 という と、 仙 人みたい
な、人 間 味がないようなイメージが
PROFILE ス タ イ ル( 株 ) ビ
ジネスプロデューサー/編
集者。出版社や広告制作会
社の編集を経て、2014 年よ
り現職。
鈴木 キリスト教のお話っていうのは
聞いていたので、もちろんそんなわけ
はじめてカトリックの神父
あるんですけど、ドン・ボスコは生 活
ー
浦田(雅) 神 父 さんって、 今 まで
会ったことなかったんです。ものすご
に会った時の印象は?
イメージでは「いかつい大きなボス」っ
ていたのですが、 大きく覆されまし
くつがえ
クも言 わない人たち…かな?と思っ
く真 面 目で、常に物 静かで、ジョー
キリスト教に対して持って
たね。( 笑 )
く好きでしたね。
ト教の世 界 観は、 子 どもの頃 すご
に刷り込まれた感じですね。キリス
父さんたちの何 気ない言 葉で救われ
こちらの心が元 気じゃない時に、 神
いうのが伝 わってきました。 制 作 中
浦田(雅) ほんとに明るいですし、
皆さん 「ドン・ボスコ大 好き!」って
鈴木 ( 笑 )
浦田(雅) 私 もキリスト 教に対 す
に向かってボールをぶつけてしまうと
メージがありました。そのような方
たてまつ
方ですけど、「 上に奉る」 というイ
二人の高校生リクとマナが
「あとでクレームが来るのでは?」っ
て心配しました。
プ( 画 一 的 )な人 間ではなく、複
ましたね。そのためにはステレオタイ
として感 情 移 入できるようにねらい
んじゃなくて、自 分に関 係すること
浦田
(慎)
現 代の中 高 生が読んだ
ときに、ただ 「 すごい人 」っていう
浦田(雅) そういうことだったんで
風に… 。( 笑 )
すね。きっとドン・ボスコもそういう
構めちゃくちゃなことしてくるんで
だったら遊べるな」 と感じたら、結
人と絡むのが好きなので、「この人
浦田
(慎) 今でも 小 学 生 と 遊んで
いるんですけど、よくそういう 風に
雑 な 内 面 を 抱 えたリアリティ( 現
浦田
(慎) 子 どもは 大 人のことを
好きでやっているんだと思うんですけ
なるんですよ。やっぱり子 どもは大
実 味 )ある登 場 人 物じゃないといけ
漫 画 化 に あ た っ て、 ど ん な
へこ
ども、こちらの想 像を超えてくると
きがあるので、正 直凹むときもある。
間 としての姿を伝えたいというのが
ちと同じように葛 藤するリアルな人
いもするし、落ち込むし、わたした
れども、悩むし、苦しむし、辛い思
とか。 聖 人として生きているんだけ
りとか、ちょっとびくっとしてみたり
ぶつけられて顔が真っ赤になっていた
現ってあるじゃないですか。ボールを
浦田
(慎)
映 画では出せなかったよ
う な、 漫 画 ならではのおどけた 表
い」 と皆さんから伺って、とても安
も、「ボールぶつけたりしちゃってもい
初の段 階では思っていたんですけど
て抑え目にいった方がいいのかなと最
鈴木 ぼくも 「キリスト教の方々か
らクレームが入るんじゃないか」と思っ
一同 ( 笑 )
場 面を見て慰められる。
いいじゃないか」 と。とにかく、この
たに違いないと思ったときに、「まあ
ですけど、ドン・ボスコもやっぱり子
ありました。
心して描けました。ぼくはそういう
崩した感じでやりたかったので。
どもに、 敷 居を作らずに近づいてい
浦田(雅) ドン・ボスコはサレジオ会
を 創 立した 人 物 なので、 変 な 言い
考えましたか?
ド ン・ ボ ス コ の 姿 を 伝 え た い と
ー
んですけど… 。
ないので、 非 常に難しい作 業 だった
すね。( 笑 ) ご自 分の体 験からのエ
ピソードだったのですね。
そのねらいは?
と い う 斬 新 な 設 定 に し ま し た が、
イタリアにタイムスリップする
ド ン・ ボ ス コ の い る 2 世 紀 前 の
ー
たこともありました。
鈴木 ぼくは 幼 稚 園 がカトリック
だったので、ほんとに一 番 小さいとき
いたイメージは?
ー
て感じ。
はないとは思いましたけど、名 前の
強かったですね。神父らしくないとい
出 版 さ れ た。 日 本 独 自 の 表 現 文
いう思いでしたね。
浦田
(慎)
へえ。
化として世界に受け入れられて
での人 となりっていうのも 事 細かに
月、 世 界 か ら 待 望
い る「 漫 画 」 で 描 い た ド ン・ ボ
鈴木 ぼくは(ドン・ボスコのことを)
初めて知ったので、「ドン」っていう
出ていて、人 間 味にあふれているなっ
年
ス コ は 人 間 味 に あ ふ れ、 オ ラ ト
言 葉が全 然 わからなくて、ボスみた
と し た 漫 画『 コ ラ ッ ジ ョ
リ オ の 子 ど も た ち も 魅 力 満 載、
浦田雅子さん
浦田
(慎)
マフィアみたいな。
て思いますね。
!!
そんな新しい試みに挑戦した
名に制作の裏話を伺った。
学博士。専門はドン・ボスコ
研究。杉並サイテック館長。
3
漫画『コラッジョ
!!
漫画『コラッジョ 』
誕生秘話
!!
いな。( 笑 )
5
そ し て ス ト ー リ ー 設 定 も 斬 新 だ。
2
0
1
5
ネス書籍や雑誌、広告など
で活躍中。
PROFILE サレジオ会司祭、神
ki
uzu
ri S
injiro Urata
h
S
06
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
07
PROFILE 漫 画 家。 主 に ビ ジ
浦田慎二郎さん
Gu
漫画『コラッジョ !!』出版記念座談会
誕生秘話
も議 論になりましたよね。「(ドン・
浦田(雅) それをいうなら、ドン・
ボスコが泣いてしまうシーン。あそこ
たね。
でもかんでも皆で出してまし
でタイトルを思いつくままに何
に行った時 、
ね。ドン・ボスコのことに関し
たみたいな感 覚がありました
で、 世 界 を 見 る 目 が 広 がっ
世 紀の世 界な
て言うと、生 誕 地のベッキ村
ボスコを ) 泣かせていいんですか?」
浦田(雅) 浦 田 神 父 さんは
ウロウロ歩きながらアイデアを
しまっていいんですか?って。そしたら
ど、聖 人とも言われる人が、泣いて
怒 哀 楽を 出 すのは当 たり前ですけ
てイタリア語の表 現を考えて
浦田
(慎)
「イタリア語 、ど
うかな?」みたいな流れになっ
探していました。( 笑 )
もない。ベッキ村に行って次の
キ 村って、 言ってしまえば 何
多いと思うんですけども、ベッ
これもしたい」 という 誘 惑が
のにすごく素 朴だなと。東 京
と。 人 間 臭 さを 出 すんだったら 喜
「やるせなくて泣いてしまっていいん
ラッジョ」( 勇 気 )でしたね。
いた 時に、 出てきたのが 「コ
浦田
(慎)
人 間 らしくても、 常に
かっこよかったりする人っているじゃな
うことで、受け入れてもらいました。
「 そ の 響 きいいね!」 ってい
皆さんがこれを 聞いたときに
へ真っ暗 な 中 歩いたりとかし
日の朝とか、ドメニコの家の方
に通っている。パソコンから情報を得るが友達を持
たず、人を信用せず、冷めた目で世の中を見ている。
作れず、スマートフォンの SNS での友達付き合
いに振り回されている。リクとは幼なじみ。
ヴァンニ・ボスコ。貧困のために見捨てられている青少年たち
を救おうと日々奮闘している。
精 神がよく出ている言 葉かなって思
います。
浦田(雅) いい響きですよね。
浦田
(慎)
私 自 身 、イタリア留 学
中に落ち込んでいるとき、あちらの
シスターにこの言 葉を 言 われて、す
ごく 励 まされた 体 験 があるんです
よ。とても優しい言い方でした。 今
でもその響きを思い出します。
鈴木ぐりさんと浦田神父さ
んは、サレジオ会の神父・修練者
のイタリア巡礼に同行して、漫画
の取材をしましたね。
食べるもの、飲むもの、全てが新 鮮
鈴木 イタリアに行ったのは初めて
だったので、 見 るもの、 聞 く もの、
鈴木 漫 画の中でリクがオラトリオ
の子 どもの印 象を話しているシーン
があるんですよ。
浦田
(慎)
彼らが人 間 関 係を築く
のに悩んでいるところですよね。
鈴木 そうですね、5章 (「 勇 気 」)
の前 半のシーンですね。ぼくは若い
頃 、ムスっとしていたり無 表 情 だと
言 われたりしていたので、ぼく自 身
だったりするんですよ、リクが。
浦田
(慎)
うんうん。
鈴木 突っ張っているわけではないん
だけれど、ちょっと物 事を遠くから、
「 自 分は関 係ない」 みたいな感じで
見ていた頃があったんです。 今でも
少しそんな空気を出してしまう時が
あるんですけど、それでも、サレジオ
の皆さんはすごい気さくに話しかけ
てくださってたんですよね。サレジオ
の人たち同 士で話している会 話 も、
すごいピュアで。 冗 談でおどけたりイ
タズラしたりというのはあるん
ですけども、ネガティブな 方
向の感 情 を 持っていないなあ
というのはすごく感じました。
ここまで純 粋な人たちがいる
んだなあ、と。
浦田
(慎)( 笑 )
鈴木 あと、カルチャーショッ
クといえばロザリオですかね。
夕 方、みんなで思い思いにウ
ロウロしながら同じことをみん
なで祈る姿にびっくりしまし
たね。サレジオ会の方にロザリ
サレジオ会員と過ごして体
制作は長い道のりでした。
プロットを1章ずつ出して
苦労したシーンは?
鈴木 自 信がなかったですね。
ドメニコの使い方をすごく慎重
い」って。
も 「6章はちょっと自 信がな
浦田(雅) 6章ボツになりま
したね。でも、ぐりさん的に
鈴木 6 章 (「 献 身 」) が
1 回 丸々ボツったので… 。
ー
やっぱりきつかったですねえ。
んですが。( 笑 ) 最 終 的に
はちょっと 伸 び ま し たけ ど、
ばしてくれるだろうと期 待していた
鈴 木 正 直 無 理 だと 思って諦めも
ありましたけどね。きっと締 切をの
浦田(雅) きつかったですね。
鈴木 そうですね、ペン入れを年 明
けから。3カ月ですね。いや、
もう… 。
正をくり返し。
マ割とエンピツ下描き)作成と修
は話し合い、
年明けまでネーム(コ
ー
にイタリアへ行ったんですよね。
浦田(雅) 昨 年 4 月 からプロット
( 物 語のあらすじ) をやって、8月
ー
なんだな」って思いました。
が… 。この時 初めて、「あっ、 宗 教
した。 言 葉は分からなかったんです
と誘っていただいたので、やってみま
オを頂いて、「 一 緒にやりましょう」
などは?
験したことやカルチャーショック
ー
なんだなと思いました。
ボスコという信 念の強い人が育つ土地
んじゃないかなと感じましたね。
ドン・
余 計 な 情 報が入らずに邁 進できる
まいしん
ていると、ここなら 目 標に向かって
いですか。でも今 回は時々ドン・ボス
る灰色の犬。ドン・ボスコやオラトリオの子どもたちの
危険を察知すると現れる不思議な犬。
前 向 きに人 を 励 ますドン・ボスコの
コもカッコ悪かったっていう 感じがやっ
ぱり、欲しかったですね。
タイトル『コラッジョ
』に
「 Forza Coraggio Avanti
」、 イ
タリア語で人を励ます 表 現なので、
とかに住んでいると、「あれも
ださいましたよね。
21
です」って浦田神 父さんが話してく
リクが。”
リアルな人間としての姿を伝えたい”
ー
込めた思いは?
ドン・ボスコ
PROFILE 日本の高校に通う 15 歳。親しい友達を
ドン・ボスコが育ったベッキ村の家の前で(鈴木ぐりさん)
浦田
(慎)
とりあえずこの会 議 室
マナ
PROFILE マナと幼なじみの 16 歳。マナと同じ高校
ー
リク
PROFILE リク、マナがドン・ボスコに会うきっかけを作
08
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
09
“ぼく自身だったりするんですよ、
“わたしたちと同じように葛藤する
!!
PROFILE 1815 年北イタリア生まれ、
30 代の神父。名前はジョ
グリージョ
漫画『コラッジョ !!』出版記念座談会
誕生秘話
ここはリクとマナが
にやりましたね。
ー
巻き込まれる形で一緒に働
え。
鈴木 子どもの多さですよね
り方ができたなと。
トリオに連れてきた時 、子どもたち
浦田(雅) 私は1 章 (「 出 会い」)
のドン・ボスコが、リク、マナをオラ
お気に入りの場面は?
ン・ボスコオオオ!」と抱きつくシーン。
ー
鈴木 地 味なんですけど、7
章 (「 共にいる」)のマンマと
抱きつくっていう行 為に、オラトリオ
が木から「ザッ!」と降りてきて「ド
マナが抱き合う1コマです。
スコとの信 頼 関 係がものすごく現れ
く 中 で、 ド メ ニ コ や ド ン・
浦田(雅) このコマ最 高です。
「 ぎゅー」ってなっている感じ
ていますね。
ボスコの姿に触れて心動か
鈴木 5 章(「 勇 気 」)も含
めてすごい転機になってる重要
が、特に。
される場面ですね。
な場 面だと思 うんですよね。
すよね。
す少年の一人。体が弱いが無理をしてでも人の
ため、神さまのために懸命に生きようとするが…。
鈴木 そうなんですよ! 顔は見せ
ないようにしたんですよ!
こ こ は ド ン・ ボ ス コ の 伝 記
浦田
(雅) 泣いてたかもしれませんね。
鈴木 泣いてたかもしれないですね。
ー
にもない、オリジナルですよね。
鈴木 そうですね。
浦田
(慎)
ぼくは、9章(「祈り」)
の一 番 最 後のところ。 病 気が治って
椅子ごと担ぎ上げられるドン・ボスコ
をマナが見て、ドン・ボスコの9歳の
夢の場 面 だと 気づいたシーン。ここ
はぐりさんのアイデアでした。ぐりさ
浦田
(慎)
ドン・ボスコの顔がいいで
浦田(雅) そ う で す ね! 「 おお、
みんな!」 みたいな。
浦田
(慎)
これは漫 画じゃないとな
かなか出せない表情ですよね。
浦田(雅) この表 現は漫 画 ならで
はのものです。ぐりさんのオリジナル
が全面に出ています。
鈴木 そうですね。まさにその信頼
関 係というか、「 壁がない」っていう
のを一 番 最 初に見せたいなと。
お気に入りの登場人物は?
浦田(雅) ここは、 絵の構 成 とし
ても、ゾクっとくる感じがしました。
ー
鈴木 ぼくは、地 味なんですけど、
カリエロなんですよね。
一同 おおお!( 笑 )
浦田(雅) すごい地 味 なところを。
いうのも『ドン・ボスコ自叙伝 』で読
ていて。「不思議な犬グリージョ」 と
浦田
(雅)
確か浦田神父さんから名
刺をいただいた時、そこに犬が描かれ
鈴木 まあそうですよね。
という感じがして。
分たちの現 実じゃない世 界もあるん
ボスコという 人 物に出 会って、「 自
あるところに連れて行かれて、ドン・
リクもマナも自 分らの現 実から突 如
浦田
(慎)
「この本 を 読んでいい人
になってほしい」ということではなく、
読んでもらえるとありがたいです。
鈴木 ぼくもこれに気づいた 時 は、
「 行 ける!」 と。( 笑 ) いい終 わ
界もあるし、希 望を持ってそういう
なれる可 能 性もある。もっと違う世
ね。もちろん、自 分がそういう人に
様に出 会える可 能 性があるっていう
を伝える人もいる、そういう人や神
必 ず 希 望はあるし、そういう 希 望
てもらえたらいいかなって思います。
が全てじゃない」 ということに気づい
浦田
(慎)
元 気のいい少 年でね。
(笑)
んの理 解の深さに感 嘆した場 面です
んでいて。で、ぐりさんも 「グリ」 と
だ 」っていうことに気づく わけです
出 会いを楽しみにしてほしいなと思
頃からの、ひとつ筋が通ったというか。
いう…。これはもうグリージョがこの
よ。 読む人たち、 特に中 高 生の皆
います。
し、内 容 的にもすごい好き。 小さい
作品のキーマンだ!と思いましたね。
さんが、「 自 分の周りの小さな現 実
鈴木 最 初にキャラデザインをした
時から一 番お気に入りでした。
浦田
(慎)
漫 画を導いたのはグリー
ジョだと。
く
浦田
(雅)
影の主 人 公ですね。そ
んなことも汲んでくださって、 表 紙
デザインにグリージョが入っていますよ
ね。神の使いみたいなイメージですね。
これから読む人へメッセー
ジを。
鈴木 距 離 を 置いて 読 むのではな
く、自 分たちをリク、マナに置き換
えて、身 近にいるような感じで読ん
でもらえたらいいかなって思います。
ちをここに反 映しようと思って作り
浦田
(雅)
そうですね。リクとマナ
というキャラクターは、今の子どもた
ていう。
にハマって友 達のことばかり気にしてい
感じでしたね。全 然 優 等 生じゃないっ
浦田
(慎)
私は、 憧れという 意 味
でドメニコ。すごい純 粋で、嫌 味のな
るし、リクはさとり世 代
など
いっていう、 自 分には絶 対 ない何か
な感じになっています。これは今の子
でクール
ました。だからマナはSNS
を持っている。 好きですよね、そう
※1
いう人 物が。
どもたちがどこか持っている気質だと
出会ったら? 自分がリクだったら?
自 分がマナだったら?」 というように
思うんです。なので、単なる偉人漫
画ではなく、「 自 分がドン・ボスコと
一同 ( 笑 )
浦田
(雅)
グリージョが全て導いた
の子どもたちの元 気 良さとドン・ボ
このあ とマナがマンマ(マルゲ
鈴木 このシーンをすごく 描
きたかったんで、このコマは結
やんちゃなジョヴァンニ・カリエロ、聡明なミケーレ・
ルア。ドン・ボスコを父親のように慕っている。
浦田
(慎)
この時マンマはどんな 顔
をしてたんでしょうねえ… 。
リータ) を 励 ますシーンにな
泣いてしまっていいんですか?って”
構 思い入れがあります。
“聖人とも言われる人が、
るので、この部 分は色々頭を
悩ませましたね。
浦田(雅) あと、とにかくオラトリ
オの子どもたちをいっぱい描いてくださ
いとリクエストされたので。
それがもう、
「どうやって(何百人も) 描けばいい
んですか!」っていう。
(笑)
鈴木 本 当に一 番 苦 労したのはそ
こですねえ。
浦田(雅) そ うです ね。 とにかく
子どもが多い漫 画です。( 笑 )
PROFILE ドン・ボスコを慕い、オラトリオで暮ら
暮らしていたが、ドン・ボスコに頼まれてオラトリ
オの少年たちの世話をすることになる。
ー
PROFILE 左から力持ちのジュゼッペ・ブゼッティ、
鈴 木 そうですね。
ドジで間抜けで、
でも屈 託のない笑 顔の少 年っていう
オラトリオの少年たち
PROFILE ドン・ボスコの母親。田舎で孫たちと
浦田
(雅)
私は、 裏の主 人 公はグ
リージョだと思っています。
※2
10
※ 1 SNS:ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略。インターネット上のコミュニティでメッセージや写真・動画等の情報
を発信・共有するサービスのこと。 ※ 2 さとり世代:1980 年半ば以降に生まれた、堅実で高望みしない気質の世代を表す表現。
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
11
ドメニコ・サヴィオ
マンマ・マルゲリータ
物はあるけど、心は貧しい。
3
私たちに不足しがちな つの要素
他 人を
思いやる
神さまを信じる。人間を信じる
元気いっぱい
人付き合い
が苦手
充 実 した
食生活
まずは神さまを信じること。自分たちの力を超えた存在が自分たちを見
貧しい
物質的に
豊か
人と触れ合うこと、神さまに頼ることの大切さ
ド
ン・ボスコの生きた環 境と
私たちの生きる現 代の日
本は、ライフスタイルや政
治・経 済の状 況も全く違う。 環 境
じ人 間だ。 彼が生 涯 情 熱を注いで
は違 うが、そこに生きているのは同
向き合ったのは、国や社 会 、未 来で
もなく、人 間 一 人ひとりだった。だ
からこそ、環 境や時 代が変 わっても
その精 神は人々を惹きつけ、後に続
く 者 たちが世 界 中でその精 神を引
き継ぎ 続けているのだ。いくら物 質
的に豊かになっても、 私たちは触れ
合いの中に幸せを感じるように神に
造られている。ドン・ボスコのように
神に全てを 委 ね、 人 を 愛 し 続ける
姿こそが、世 界 中の人々を笑 顔にし
\日本/
生 きるた め
に必死
互いへの
不信感
現代
リクとマナ
\イタリ
ア/
1800年代
オラトリオの
少年たち
物はないけど、心は豊か。
ドン・ボスコに学ぶ
ている理 由なのだ。
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
ド ン・ボ ス コ に 会 い に 行 こ う !
13
年 代 の イ タ リ ア・ ト リ
あきらめ
やすい
笑 顔
利己主義
サレジオ会日本管区 原作 鈴木ぐり 作画
浦田慎二郎 監修
A5 判並製 206 頁
定価 本体 1,000 円 + 税
ノでは貧富の差も激し
夢が
も ち にくい
自分の利益、幸せを求めるのではなく、
そばにいる相手がどうやったらもっ
の神さまが大切にしているお互いを信じていくこともできる。
日本発、ドン・ボスコの
実話と現代の高校生が
クロスするオリジナルス
トーリーの漫画作品。お
求めは書店、ネット書店、
ドン・ボスコ社へ。
く、 生 き る の に 苦 労 す
人 懐っこい
守ってくれていて、決して見放すことはないことを信じられること。だからこそ、そ
コラッジョ !!
ドン・ボスコの夢は続く
る若者が大勢いた。しかし、ドン・
信じる
解説
ボスコのオラトリオの子どもた
相手のためにあえて自分をささげること
し出すこと。結果として、
ドン・ボスコとオラトリオの子どもたちは笑顔が輝いている。
3
1800
我慢強い
と幸せになれるか考えること。そしてそのためには自分の利益をおいて、自分を差
element
ち は、 な ぜ か 皆 笑 顔 で 生 き て い
解説
た。今の日本の若者たちはどうだ
ささげる
2
element
ろ う か。 物 は あ ふ れ、 生 活 は 豊
いが、そのぶん、幸せは大きくなり、共に刺激して成長していくことができる。
か に な っ た が、 心 か ら 幸 せ を 感
オラトリオはまさに、
「 共同体」
だった。その空間にぎゅうぎゅう詰めになっ
て、すべてを分かち合って生きる毎日。「これは自分のもの」と言えないことは多
人へ の 信 頼
じ て い る だ ろ う か。 当 時 の オ ラ
解説
命ある者、孤独では生きられない。
分かち合うことの大切さ
ト リ オ の 子 ど も た ち と リ ク、 マ
共同体
1
ナの意識や傾向の違いを比較し
リクとマナは物語の最後で重要さに気がついた。 3 つの要素とは、どのようなものだろう。
人物の傾向比較
てみた。
ドン・ボスコがオラトリオの子どもたちに常に教えていた現代の私たちが忘れかけているものが 3 つある。
element
1800 年 代 の オ ラ ト リ オ と 現 代
12
Roma
亡くなった直後、祭服を着せられて肘掛椅
子の上に安置された
日未 明に亡くなった。
文
● 編集部
その5つの文は次のとおりである。
『 魂 を 救 う 者 は すべて を 救 い、 魂
が南 側に増 築 された。 祭 壇がある
う』
審 判 で 大 き な 報いを 受 け る だ ろ
報 いが あ る ! 』
死 に 際 し て も 善 を 見 いだ す 』
*
のクリスマスにコオペラトーリ へ
送る
寝 室の左 側にある 小さな 椅 子に
腰 掛 け、ドン・ボスコは1887 年
がある部 屋でミサをたてていた。
いくのが困 難になってからは、 祭 壇
かれている。 晩 年 、大 聖 堂に降りて
の秘 跡 を 授けていた 肘 掛 椅 子が置
廊 下にはドン・ボスコが晩 年にゆるし
たちの姿をよく 眺めていた。 現 在 、
で散 歩 する場 所 とし、 窓から若 者
そしてドン・ボスコは1888年1
ください」。
天 国でみんなを 待っていると 伝 えて
いなさい」。そして若 者 たちにも 最
愛し合いなさい。 助け合い、支え合
とって静かに言った。「 兄 弟のように
カリエロ枢 機 卿を呼び、彼らの手を
この部 屋でサレジオ会 員に対して
最 後の言 葉 を 告 げた。ルア 神 父 と
られる、永遠に 』
ここを 休 暇 と 病 気や 老 齢のための
で 緑 豊かな 丘の上 。ドン・ボスコは
にこの場 所は重 要となった。 町 外れ
待し1879年に購 入 。するとすぐ
なよりどころとなった。 彼の遺 体は
カトリック団 体の巡 礼 地 、 精 神 的
ボスコの墓はすぐにサレジオ
ドン ・
会 員のみならず、カトリック信 徒や
な助けになった。
サリチェに安 置されていた。ドン・ボ
宣 教 師のための神 学 校 という 名で
を直 接 知っていた教 皇ピオ
反 対 もあり、 困 難 を 極めたが、 彼
世が彼
神 学 生の養 成 支 部になった。ここか
きな改 革が起こる。 高 等 学 校から、 スコの 列 福 調 査 は 数 人の 枢 機 卿の
1887年にドン・ボスコの望みで大
こで最 初の数 回 、総 会も開かれた。 1929年 ( 列 福の年 ) までヴァル
人の家 、 黙 想の家 として 選 び、こ
後のあいさつをした。「 若 者たちに、
ご絵の裏 側に最 後の言 葉を書いた。
たもので、年 老いた彼はそこを好ん 『 天 国 で は すべて の 良 い も の が 得
廊 下はドン・ボスコが希 望 し 作 られ
と 名 付 けられた 廊 下である。 その 『 生 き て い る 時 に 善 を 行 う 者 は 、
作られた 「ドン・ボスコのギャラリー」
が置いてある寝 室 、そしてその奥に 『 生 涯 良い業 を 行 う 人 には 大 き な
部 屋とドン・ボスコが亡くなったベッド
ドン・ボスコが亡 くなる2 年 前の を 失 う 者 は すべて を 失 う 』
1886年 、 最 後の2 部 屋 と 廊 下 『 貧 しい者 を 保 護 す る 者 は 、 神 の
ヴァルドッコで晩 年 を 過 ごす
★ イタリア北部ピエモンテ州 トリノ ★
─ ドン・ボスコ最期の地 ─
トリノ
ヴァルサリチェ
月
ヴァルサリチェに 埋 葬 さ れ る
・ スコの遺 体 は1888 年
ドン ボ
2月6日の夕 方にヴァルサリチェの墓
れ い びょう
に納められ、霊 廟が1889年6月
日に落 成 した。 当 初 扶 助 者 聖マ
チャルトリスキー、ベルトラーミ、そ
ルシリア、カラヴァリオ、ヴァリアラ、
世 界 中に運ぶ人たちが生まれる。
ヴェ
ら世 界にサレジオ会の教 育システムを
後 、6月9日にそのために作 曲され
た。ドン・ボスコの遺 体は列 福 式の
を 福 者にすることを 強 く 推 し 進 め
大 聖 堂に運ばれた。
( 丘 を 下って )」
た 「 Giu dai colli
の歌とともに荘 厳に扶 助 者 聖マリア
して日本にはチマッティ… 。
霊 廟 は 場 所 を 利 用 して2 階 建
てのようになっている。 墓には 亡 く
ドン・ボスコは1934年の復 活 祭
に同じくピオ 世によって列 聖され
かし、市の権 威 者 (クリスピ)が提
に行くことになるかと思 われた。し
が、 市の許 可が下りず、 共 同 墓 地
孤 児 たちの 父 、カステルヌオヴォで
トの 平 和のう ちに納 められている。
こに司 祭ジョヴァンニ・ボスコがキリス
たドン・ボスコが描かれている。「こ
という称 号が与えられた。
た。 彼には 「 青 少 年の父 、 教 師 」
なった 時 と 同 じように司 祭 服 を 着
案 し、 郊 外にあるため墓 地 規 則の
日生まれ、トリノ
1815年8月
で1888年1月
日死んだ」。 墓
16
31
ガスタルディ大 司 教のたっての願いで
の死から
教 会が建てられている。ドン・ボスコ
年 後 、 教 え子 たちは聖
ドン・ボスコは 戸 惑いながらも 後 を
のそばから2つの階 段 を 上るとテラ
ヴァルサリチェは 元 は 貴 族の生 徒
たちの学 校だったが、うまくいかず、 スがあり、その 上にゴシック 様 式の
ことになった。
規 定 外であるこの場 所に納められる
リア大 聖 堂に納められるはずだった
11
ドン・ボスコが息を引き取った寝室
ヴァルサリチェのドン・ボスコの墓が
最初に置かれた場所
から 司 祭 召 命が生 まれることを 期
が出 なかったが、ドン・ボスコはここ
引き 受けたのだった。すぐには結 果
ロッパ、アメリカ管 区の寄 付が大 き
教 会を建てた。コオペラトーリとヨー
フランシスコ・サレジオにささげられた
10
現在ドン・ボスコの墓は
トリノ・ヴァルドッコの扶助者聖マリア大聖堂の中にある
14
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
15
11
31
22
ドン・ボスコが晩年ミサをささげていた祭壇
チマッティ神父は神学生時代からここで学んで司祭となり、院長・校長を務めた。
ドン・ボスコの遺体は列福される 1929 年までここに安置されていた
ドン・ボスコゆかりの地を巡る
Torino
ヴァルサリチェ学院。ここで多くのサレジオ会宣教師が養成された。
*コオペラトーリ = サレジアニ・コオペラトーリ。サレジオ会やサレジアン・シスターズの指導を受けながら、協働者として生きる一般信徒の会のこと。
ネパール
ろ、すべての家屋が倒壊したところ
村 々は、 多 くの犠 牲 者 が出 た とこ
ルシートなどを届けている。 山奥の
ダール豆 など)、テント用のビニー
国 内 地 区のう ち つの地 区の
の村、
約2500世帯に、
食糧(米、
へ活動範囲を広げている。
を立ち上げ、支援の届いていない所
後から 「ドン・ボスコ救 援チーム」
ネ パ ー ル の サ レ ジ オ 会 は、
2015年4月 日の地 震 発 生 直
地震被災者救援
ドン・ボスコ救援チームによる
World Salesian Family NEWS
ち を 守 り、 皆のた めに取 り なして
ち は 祈 り ま す …… 母マリア、 私 た
ちによって用意され、食糧・生活必
ください」。 5月 日の大きな余震
げで、インドのコーディネーターた
需品を載せた4台のトラックがカト
を受 け、 女 子 修 道 会 が救 援 活 動 を
行っているゴルカ地区もある。
マンズに入った。
こと、持っているわずかなものを互
員、サレジアン・シスターズ、教職員、
設 テント 用の帆 布 を、 サレジ オ 会
祈りでもある。
祈りは、ネパールのすべての人々の
のフェースブックに掲載されたこの
の数時間後、ネパールのサレジオ会
いに分かち合おうとしている姿を、
学生、ボランティアらが被災者に配
いる。 シスター と 寮 生 た ち は、 山
めながら、 家 族 との再 会 を 望 んで
族 と連 絡 を取 り、 現 状の把 握に努
営 す る 寮の少 女 た ち は、 山 村の家
いる。 サレジアン・シスターズの運
いようにと、シスターたちは願って
ら げ、 見 捨 て ら れ ている と 感 じ な
のも失った人々が、その苦しみを和
地震によってわずかに持っていたも
をついている。 元々貧困にあえぎ、
もほかの支 援 が届 かず、 食 糧 は底
救 援 物 資 を届 けた。 こ れ らの地 域
バジャルの山奥の村々、数百世帯に
レジ オ 会 は 施 設のグ ランド を 解 放
政 府 は、 倒 壊の恐 れ があ る た め
家 屋の中 で 過ご すこ とを 禁 止、 サ
く勉強を再開すること”
阻 止、 子 ど も たち がで きるだけ早
子 ど もの人 身 売 買 ネット ワ ー ク の
子 ど も の た めの 活 動 を 開 始 す る、
ター 用 資 材の配 布、 親 を 亡 く し た
サレジオ 家 族 は優 先 する支 援 を
次のように決 めた。“ 食 糧 とシェル
が課題である。
者にとっては、まず生き延びること
めの帆 布 を 受 け 取っている。 被 災
塩1 ㎏、 雨、 夜の寒 さ を しのぐ た
太平洋・オセアニアを訪問
フェルナンデス総長、
ネパールのサレジオ会に現状とニー
インド・ネパールの教皇大使サル
ヴァトーレ・ペンナッキオ 大 司 教は
で 週間にわたり太平洋・オセアニ
2015年4月 日から5月 日ま
サ レ ジ オ 会 総 長 ア ンヘル・フェ
ル ナ ン デ ス・ ア ル テ ィメ 神 父 は、
アの
か国 を 訪 問 し た。 サレジ オ
く ださい。 あ な たの子 で あ る 私 た
だ さい、 も う 地 震 を ゆ る さ ないで
「 主 よ、 揺 れ は も う 十 分 で す
…… 私 たち 罪びとをあ わ れ んで く
い、活動を支援したいと語った。
少 年 刑 務 所の
諸 島、フィジー、ニュージーランド
トラリアである。 そのうちソロモン
ストラリア・太平洋管区のフィジー、
アニューギニアとソロモン諸島、オー
会フィリピン北管区に所属するパプ
う と し ているのは、 地 球の持 続 可
昼 食 に 同 席 し た 後、 午 後 は ヴァル
人の若 者 たち との
サモア、ニュージーランド、 オース
パプアニューギニアで 起 き た地 震に
能 な 未 来のた めに、 必 ず 報 わ れ る
ボスコ学校の被害 も心配されたが、
こ と、 そして 若 者 が重 要 な役 割 を
というこ と。 そ れ は、 教 育 を 選 ぶ
ひとときを過ごされた。
れ、 サレジ オ 家 族 と 分 か ち 合いの
はサレジオ会総長を初めて迎えた。
よってフィジーに向かう便が遅れる
ド ン・ボ スコの 後 継 者 が は る ば る
果たすことである。 ドン・ボスコは
地域顧問のヴァツラフ・クレメンテ
ドッコの扶助者聖マリア大聖堂を訪
神父が同行した。
ローマか ら 小 さ な 島 々 を 訪 れ たこ
な ど 苦 労 も あ り、 震 源 地 のドン・
つのことに賭けなければならない
ン・ボスコ救援チームの担当者に会
援 活 動 を賞 賛した。 教 皇 大 使はド
ズについて尋ね、サレジオ家族の救
EAO(東アジア・オセアニア地域)
村への救援活動を続けている。
ネパール地震被災者
救援活動支援のための
ご寄付のお願い
し、避難所や診療所を設けた。
㎏のダール豆、 油2ℓ、
25
宣教事務局、NGO、基金など、
世 界のサレジ オ 家 族の連 帯のおか
㎏の米、
布 するこ とがで き た。 各 家 庭は
トンの食糧、仮
衝 撃 を 受 け 不 安 の中 に あ る 人 々
が穏 や かに試 練 を 受 け 入 れ ている
12
チームのメンバーたちは伝えている。
60
サレジアン・シスターズは苦労の
末、
カヴレ県とラメチャプ・マンタリ・
2.5
長 旅の移 動 は、 総 長 訪 問 直 後に
神父と総長秘書のオラシオ・ロペス
も ある。 サレジオ 会の経 済 的 支 援
17
25
下記の振込口座まで(または本誌とじ込みの
振込用紙にて)ご寄付をお願い申し上げます。
郵便振替
口座番号 00100-7-412947
加入者名 「ドン・ボスコの風」 編集事務局
※通信欄のご寄付意向にチェックを入れて、
ご寄付金額を明記ください。
29
11
5
3
6
世界の
サレジオ家族
ニュース
29
分 以 上にわ た り、 サレ
教 皇は
ジ オ の 学 校 の 生 徒 だった こ ろのこ
2
11
です。」
ジオ 会 員 たち から、 人 生にたく さ
から影響を受けたことなど、「サレ
の 友 人 だった 多 く のサレ ジ オ 会 員
と、扶助者聖マリアへの信心、家族
気 づけ ら れ、 総 長 と 互いに耳 を 傾
んの大 き な 贈 り 物 を も らい、 心 か
も貴 重で、 配 慮 を必 要 とする部 分
ける時を持ち、喜びを分かち合い、
める とこ ろ、 心のよ り どこ ろ を 表
パビリオンは家のようなデザイン
で、 安 心 し ていら れ る とこ ろ、 休
ら 感 謝 し ていま す!」 と 自 らのサ
言っている。「若者は人間社会の最
絆を強く結ぶ訪問となった。
し て お り、 連 日 さ ま ざ ま な イベン
レジオ的ルーツについて分かち合っ
とで、 各 地 のサレジ オ 会 員、 サレ
またそれぞれの訪問地で、教会、
政治のリーダーとも会談、フェルナ
覧会は 月 日まで開催される。
トが行 わ れ ている。 ミラノ国 際 博
教皇フランシスコ、トリノを訪問
イタリア
「カーザ・ドン・ボスコ」 オープン
2015年6月 日、 教 皇 を 迎
え たトリノの街 は 数 多 くの人 で あ
21
すものだった。
は、ドン・ボスコへの深い愛 情を示
の教育スタイルへの教皇の高い評価
遊び場 から始 まり、 人 生に備 え
る た めの職 業 訓 練 に至 る サレジ オ
く配慮する教育の大切さを語った。
めには、 愛 情・情 緒 面 の成 熟 に 深
与 える 体 験 を 通 して 変 容 さ れ る た
て語ったほか、若者が喜びと自己を
れる母性を取り上げてマリアについ
愛 ( 聖 体・マリア・教 皇 )」 に含 ま
た。 また、ドン・ボスコの 「3つの
れ、 青 少 年 のよ り 良い未 来、ひい
ジ オ 家 族、 若 者、 信 徒 は大いに勇
30
ンデス総 長 は 喜 び を もって 迎 え ら
て はより 良い社 会 を 建 設 す る た め
のサレジ オ 会の貢 献 は高 く 評 価 さ
れ、感謝された。
か 国 に あ る 挑 戦・課
ローマに向けて発ったフェ
日夜、
ルナンデス総長は、太平洋・オセア
ニア 地 域 の
題 を残 し た。 各 国 訪 問 中、 サレジ
アニ・コオペラトーリ管区組織を立
ち上げる必要性を訴えた。
イタリア
2015年5月1日、ミラノ国際
博 覧 会 に、 サレジ オ 家 族 によるパ
ふれた。 教皇は午前、労働界の人々
せいがい ふ
ビリオン、
「カーザ・ドン・ボスコ(ド
カーザ・ドン・ボスコで行われるイベントなど
詳細は www.expodonbosco2015.org
との集い、聖骸布の崇敬、ヴィット
「カーザ・
ドン・ボスコ」の外観
ン・ボスコの家)」 が開所した。 サ
ミラノ国際博覧会で
31
リ オ 広 場 でのミ サ、 移 民の家 族 と
10
レジ オ 家 族 が 国 際 博 覧 会 で 訴 え よ
ドン・ボスコの墓の前で祈る教皇フランシスコ
6
17
パプアニューギニアのドン・ボスコ技術訓練校での
文化の集いで。「文化は聖なるものです。 大切に
してください」
5 月 11 日午後、 サモアのドン・ボスコ技術訓練校
の生徒 44 人と「ドン・ボスコ 200 号」を漕ぐ総長
オーストラリア・メルボルンの聖ヨセフ高校に 3 つ
のサレジオ学校の生徒たちが集い、ユース・フォー
ラムを開催。
16
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
17
ドン・ボスコ救援チームのメンバーたち
SFN
World Salesian Family NEWS
静岡サレジオ小学校・中学校・高等学校(静岡)では、
1 月 31 日、ドン・ボスコフェスティバルを開催。オペ
レッタやダンス、大道芸、高校生の「夢」のプレゼンテーショ
ン、ビンゴ大会など、大いに盛り上がりました。
1 月 31 日
B I R T H
N E W S
ニュース
ドン・ボスコ
2015 年 8 月 16 日のドン・ボスコ生誕 200 周年を祝って、世界・
サレジオ会宮崎修道院で
は、浜口司教様が来てく
ださり、サレジオ家族いっしょ
に記念日を祝いました。
日本の各地で記念イベントが活発に行われています。Facebook「ドン・
ボスコの風」でも日々お伝えしていますが、その中から少し紹介します。
(誌面の都合で紹介できなかった皆さん、ゴメンなさい!)
カトリック碑文谷教会(目黒)のサレ
ジオ日曜学校では、2 月 8 日、ドン・
ボスコかるた大会を行いました。五七五のリ
ズムで、ドン・ボスコの生き方がよくわかる、
すばらしいかるたです!
四日市サレジオ志願院(三重)では、2 月 1
日、ドン・ボスコ祭で劇を上演。現在の志願
生 13 人の年齢を全部足すと、ピッタリ 200 になる
そうです!
O F
文・写真
●
ダイジェスト版
B I C E N T E N A R Y
2 01 5 年
各地より提供
2015 年
1 月 31 日
カトリック碑文谷教会
(目黒)では、
1 月 25 日、
400 人以上が集まりお祝いし
ました。
ミサ後は恒例の餅つき、
スポーツ大会を楽しみました。
カトリック海の星幼稚
園(別府)の「ドン・
ボスコぬりえ」。カラフルな
ドン・ボスコでお祝いです。
星美ホーム心のふるさと
(赤羽・同窓会)では、1
月 12 日、成人の祝いと同窓会、
そして 200 周年を祝いました。
この日は毎年、世界中のカトリック
教会で記念されるドン・ボスコの
帰天日。「九日間の祈り」や「三
日間の祈り」で心静かな時を
過ごし、記念日当日はミサ
とイベントで盛り上がり
ました。
イエスのカリタス修道女会管区本部(杉
並)では、
1 月 25 日の管区デーにドン・
ボスコのオペレッタが上演されました。
2 0 15 年
E VEN T S
各地でのイベント
カトリック別府教会
(大分)
では、
1 月 25 日、
浜口司教様と記念ミサをささ
げました。
サレジオ学院(横浜)の中学 3 年生が、3 月 23 ~ 29
日、イタリア研修旅行へ。トリノ・ヴァルドッコのドン・
ボスコゆかりの地も訪ねました。
杉並サイテックにて、2 月 14 日、関東地区のサレジオ
霊性セミナーが行われ、約 130 名が参加。DB200 の熱
気に包まれていました。
カトリック浜松教会で
は、4 月 12 日、
「サレ
ジオ祭り」を開催。ブラジル
等南米の国、フィリピン、日
本のメンバーたちが、1 つの
家族として祭りを準備し、さ
まざまな国籍のお客さまを迎
えました。「テアトロ・ドン・
ボスコ」というグループは、
ドン・ボスコの人生を歌や劇
で紹介しました。
扶助者聖母の祝日、5 月 24 日に、イエスのカ
リタス修道女会の修練志願者がドン・ボスコ&
マリア様ツーショットクッキーに挑戦しました!
19
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
カトリック海の星幼稚園(別府)の皆さんが、DB200
テーマソング「道標」を手話付きで元気いっぱいに歌っ
てくれました。
カトリック下井草教会
(杉並)では、
1 月 25 日、
教会学校の子どもたちがドン・
ボスコの劇を熱演しました。
サレジオ会管区長館
(四谷)では、1 月 30 日
に四谷支部・ドン・ボスコ社
の皆さんとミサ。翌 31 日は
ADMA の 皆 さ ん と ミ サ、 夜
は駐日教皇大使チェノットゥ
大司教が訪問され、記念ミサ
をささげてくださいました。
カトリック調
布教会(東京)
では、1 月 25 日、記
念 ミ サ を 行 っ た 後、
毎 年 恒 例 の 新 年 会。
バースデーケーキも
登場!
親愛園(長崎)では、1
月 30 日、ドン・ボスコ
の歌を歌ったり、園長先生がド
ン・ボスコの絵本を読みきかせ
たりしました。小さい頃のドン・
ボスコの話に、子どもたちはい
ろいろな感想を言っていました。
星美ホーム
(赤羽)では、
1 月 31 日、 恒 例 の
アカデミア(演芸会)
を 開 催。 絵 の コ ン テ
ス ト や、 ア カ デ ミ ア
で は 歌、 ダ ン ス、 お
笑いなど充実した演
目を披露しました。
18
Salesian Youth DAY DB200周年特別企画巡礼レポート
2015 年
EVENT S
テーマ:今 こ そ 、ド ン・ボスコの火を燃え立たせよ う !
青年ナイト・ウォーキング巡礼に参加しました!
2015 年 4 月 25 ~ 26 日、ドン・ボスコ生誕 200 周年にあたり、
サレジオ家族 3 修道会の主要スポットを巡るナイト・ウォーキングが敢行されました。
「ドン・ボスコの火」とともに、総勢 50 名以上が参加、無事全員が全長 23.7km の
道のりを歩き切りました。 参加者たちの体験を読者の皆さんと分かち合います。
取材・文・写真
●
ら
北区か
へ
板橋区
SYDスタッフ
た
出会っ
初めて
々に
徐
も
ちと
仲間た
けて…
打ち解
なった
く
り仲良
すっか
ち!
た
参加者
ながら
し
り
べ
おしゃ
す
き
歩 ま
楽しく
志村三丁目駅
板橋区
い!
いぇー
本部
ス
カリタ
まで
院
道
修
し!
あと少
筋肉痛
が…
上井草駅
東北本線
北赤羽駅
START!!
「生誕 200 周年」とかけて「200」をテー
マにしたアイデアを大募集! さあ、あ
なたは何にチャレンジしますか?
練馬高野台駅
距
総
2
離
km
7
3.
赤 羽 に 集 合。
17 : 00
夕食とレクリエー
ション、ドン・ボスコ
の勉強など準備万
端!
としまえん
練馬区
イエスのカリタス修道女会
日本管区本部修道院
22 : 30 お祈りの後、「DB の火」を持って、
元気に「いってきま~す !」
サ レ ジ ア ニ・ コ オ ペ ラ ト ー リ と
DBVG(ドン・ボスコ海外青年ボ
ランティアグループ)の合同企画として、
1 月 31 日、みことばの祭儀で神様に感謝を
したあと、DBVG 名物の「ドン・ボスコまん
じゅう」200 個を用いて「DB200 オメデトウ」
の文字をつくりました☆特製のちらし寿司ととも
に、おめでとうございます (^^)/
吉祥寺駅
杉並区
三鷹市
写真・動画の送付先は
[email protected] まで
ウニオーネ本部(扶助者聖母会同窓会連合)の皆さんが、
千人針ならぬ「200 人針」にチャレンジしています!
生誕 200 周年(1815 ~ 2015 年)
と い う こ と で 1815m と 2015m
の山に登ろう!企画が進行中。ちょうど
その標高の山が
見つからず…ド
ン・ ボ ス コ の 柔
軟性と創造性に
な ら い !? 福 島・
磐梯山(1816m)
と 東 京・ 雲 取 山
(2017m)で良し
とするかと協議
中(笑)
中野区
JR中央線 西荻窪駅
三鷹駅
井の頭公園
的地
最終目
!
発
へ出
「チャレンジ 200 !」
プロジェクト募 集 中!
東京女子大
武蔵野市
北区
サレジアン・シスターズ
赤羽修学院
井荻駅
リ
森ジブ
三鷹の
憩。
休
で
前
美術館
ね、
ました
つかれ
ん
さ
な
でもみ
顔です
いい笑
6 月 6 日、 中 高 生 の
Salesian Youth Day!!
DB 杯 ス ポ ー ツ 大 会 & お 泊 り 企
画! 赤羽サレジアン・シスター
ズ修学院に集合し、スポーツ大会
を開催。翌日は碑文谷教会のミサ
に参加後、交流を深めました。
荒川
1 : 30 カリタス本部修道院に到着。シスターたちが温かい言葉と祈りと食事で迎えて
くださいました。よし、残り半分ガンバロー!
っと
ちょ
もう
、
ら
だか
!」
るぞ
切
き
歩
「
DB200 記念グッズ
深大寺
調布市
GOAL!!
サレジオ会調布神学院
カトリック調布教会
5 : 30 全員元気に調布サレジオ
に到着 ! 朝のミサや昼食、振り
返りの時間の中で、「参加してよ
かった !」の声が聞けました !
21
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
「サレジオ家族と
して多くの人とつ
ながってること、
ていることを感じ
支えられ
ながらの 2 日間だっ
た」
(1 0 代・女性)
「こんなに人が集
まる企画は初めて
! 無茶に見える
50 名も参加して
内容なのに
いて、びっくり
! 教会や学校な
なメンバーでの交
どからの多様
わりができて、楽
しか
った ! 皆さんに
がとうを言いたい
あり
!」
(2 0 代・男性)
「ドン・ボスコを
通して神さまから
示さ
れている道を 参加者
共に歩むものとし
ての一体感を感じ
た」
(2 0 代・女性) 感想
Don Bosco
Japan の「DBJ」
ロゴ入り T シャツ
に、話題の漫画『コラッ
ジョ !!』のイラストをあし
ら っ た T シ ャ ツ も。 オ シ ャ
レ な 色 合 い で、 ど れ に す る か
迷 っ ち ゃ い ま す ね! 全 色 そ ろ
えちゃおうかしら…
\絶
賛販
「ドン・ボスコ T シャツ」やクリアファイル、
売中
!/
うちわなど、記念グッズはドン・ボスコ社ネットショップ
http://www.donboscosha.com
「ドン・ボスコ体操」生
誕 200 周 年 Ver. 踊 っ て
みた ─「ドン・ボスコ体操」
を最高にハッピーに踊ろう! 学校で、幼稚園、クラブ、職場、
教会、修道院で… みんなで一
緒に踊っている様子を動画に
撮ってシェアしよう!
YouTube で検索してみてね
ドン・ボスコくん 200km・チャレンジウォーク。東
京・日本橋から始まり、陸奥・白河の関に向けてドン・
ボスコくんが歩いてます。がんばれ!
20
目黒星美小学校 4 年生
宮澤 華菜
ウニオーネ
宗 映子
さん
わたしは、賞をもらって、この絵を通してドン・ボス
コの思いが伝わるといいなと思います。絵は、ドン・
ボスコが子どもが好きだったことを考えながらかきま
した。生誕 200 周年にあたって、これからもずっと、
ドン・ボスコの心が残されるようになってほしいです。
わたしも、ドン・ボスコのことを伝えていけるように
がんばりたいです。
「ドン・ボスコと子どもたち」
矢崎 則子
さん
私が小学生の時に習ったドン・ボスコの歌は「聖者ド
ン・ボスコ…ドン・ボスコよ、日本国のわらべをも天
国に~」という詞でした。ドン・ボスコ生誕 200 周
年のシンボルが「ひまわり」だと聞いた時、日本の子
どもがドン・ボスコにひまわりの花を捧げるイメージ
が思い浮かびました。数年前に趣味で始めたパステル
で描いてみました。成人の作品が少ないというので応
募したのですが、選んでいただき光栄です。
「ひまわり」
2013 年当時 目黒星美学園小学校 2 年
2013 年当時 ウニオーネ(扶助者聖母会同窓会)
星美ホーム
コオペラトーリ会員・日向学院教員
なんでもバンドの皆さん
上村 幸一郎
アミーコ賞受賞と聞いた時は、驚くと同時に、「わーっ」と大手を上げて喜んでし
まいました。企画の発端は歌が大好きなシスター方からの発案でした。この機会
を得て感じたことは、何かを表すとき、恥ずかしいと思ったとしても、それを払
拭して表現することで、そこに大きな楽しみと一体感が湧き出るのだということ
です。今度のアカデミアもきっと盛り上げていきますし、また、お祝いのための
御ミサやパーティーも星美ホームの子どもも職員も喜んで、楽しめるように、と
企画しています。この機会に改めてドン・ボスコ
に倣い、実践していく目標を確認しました。あり
がとうございました。
「Padre Maestro ed amico」
記念コンテスト
受賞者の声
目黒星美学園小学校英語科教員
さん
以前からドン・ボスコのことば、特に「Niente ti turbi!(心配するな)」「Faccio
io!(私がやります)」を歌にして、それを歌うことを通して祈り、黙想し、そし
てそのことばを生きていければと考えていたのですが、200 周年という記念の年
に当たり、ようやくその思いを実現することができました。撮影も、家族と田村
宣行神父様とで楽しく行うことができました。素敵な賞をいただき、そしてまた、
さまざまな場所で歌っていただいているとお聞きし、とても光栄に思っています。
「ドン・ボスコのことばを」
さん
5 年 生 全 員 が 出 演 す る 英 語 劇「 ド ン・ ボ ス コ
は 君 た ち の も の(Our Greatest Father, Don
Bosco)」は、授業と休み時間を使い、教員と子
どもたちが一致団結して真剣に取り組んだ作品
です。その結果の受賞に 5 年生皆の喜びも大き
かったと思います。
フィナーレに、ドン・ボスコが少年たちに向け
せりふ
て語る台 詞があります。「ありがとう、ありがと
う、みんな。私は君たちと共にいて幸せだ。君た
ちが私の幸せだ。君たちは私の友達だ。私は神
様に誓ったんだ。君たちのために私は生き、働
き続けると。それが私の幸せだ。それが私の人
生だ。」このドン・ボスコの台詞のように、教員
が子どもと共に歩んでいくこと、そして、ドン・
ボスコが残してくださったメッセージを、生き
様で子どもたちに伝えていくことをこれからも
大切にしていきたいと思います。
「Don Bosco, We love you」
A
2013 年当時 目黒星美学園小学校 5 年 A 組
「Joy and Happiness」
B
2013 年当時 目黒星美学園小学校 5 年 B 組
C
「Our Mother Mary」
2013 年当時 目黒星美学園小学校 5 年 C 組
(全て作詞 目黒星美学園小学校英語科教員・作曲 大滝恵さん〔41 期卒業生〕
)
2013 年当時 田村神父様&上村ファミリーの皆さん
(作詞・作曲:上村幸一郎さん)
A
2013 年に子どもから大人まで計 1700 点以上、のべ 2800 人
を超える応募をいただいた、ドン・ボスコ生誕 200 周年記念コ
ンテスト。今年 1 月に発表された受賞者の皆さんから、受賞の
喜びとドン・ボスコの 200 回目の誕生日へのおめでとうメッセー
B
C
ジをいただきました。
城星学園中学校 1 年生
寺村 麻由
さん
中学生活が始まり早くも 2 カ月がたち、電車通学にも
ようやく慣れて新しい友達もたくさんできて毎日楽しく
学校へ通っています。もうすぐ初めての中間テストがあ
るので頑張っています。中学校ではお祈りの時間はあり
ませんが、私の心の中にはいつもマリア様、イエス様が
いていつも自然にお祈りをしています。これからもきっ
と見守ってくれると思っています。この絵は少年たちを
見守るドン・ボスコを想像して描きました。ドン・ボス
コの優しい表情と少年たちが非行から立ち直ろうとして
いる表情が分かってもらえたらうれしいです。
「ドンボスコとすくすく育つ少年」
2013 年当時 城星学園小学校 5 年
静岡サレジオ小学校 4 年生
サレジオ高専 3 年生
中村 弓真
目黒星美中学校 3 年生
金子 ゆづ
さん
T シャツのデザインは初期段階から決まっていま
した。まさか自分が受賞するとは思っていませ
んでした。200 周年という大きな節目に居合わ
せることができ、とても光栄です。これからも
300 周年、400 周年とドン・ボスコの歴史を刻
んでいってほしいです。
さん
ドン・ボスコは、貧しい少年たちのために、友達
や学校を提供しました。そんなドン・ボスコのこ
とを大好きだった子どもたちが、ドン・ボスコと
仲良く遊んでいる様子が一番印象に残ったので、
この絵を描きました。受賞できて良かったです。
ありがとうございました。
(教員のコメント)現在は中学 3 年生、生徒会の
役員として、他の役員と協力しながら、しっかり
とその役割を果たしてくれています。
「We love ドン・ボスコ」
2013 年当時 サレジオ高専 1 年
「ステンドグラスと子供達」
2013 年当時 目黒星美学園中学校 1 年
\ voic
e of th
e prize
winne
星美学園小学校 4 年生
く
rs /
記念コンテストウェブ作品展は下記 URL で公開中です!
http://salesians.jp/db200-contest
23
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
ら
ら
中島 玖良
さん
この賞は、私が初めていただいた大きな、大きな
賞です。このプレゼントは、一生の宝物です。こ
の絵を描くときには、「神様は、いつも見守って下
さっている」ということを聞いたヨハネが、お祈
りをしながら、たくさんの喜びにあふれているこ
とを想像しながら描きました。この賞をもらった
ことを励みにし、この賞にふさわしい人になるよ
うにがんばります。
「ヨハネおいのりする。
」
2013 年当時 星美学園小学校 2 年
野口 美優
さん
ドン・ボスコの言った言葉の中に、学校で大切に
している言葉があります。それは「たゆまぬ努力」
と「君とぼくで半分こしよう」です。どちらとも
わたしにはとてもいい言葉です。わたしは、まさ
かスマイル賞を取れるとは思っていませんでし
た。でも今は、神様のお導きでこのスマイル賞と
いう賞が取れたと思います。わたしたちは、ドン・
ボスコがいたのでこのサレジオ小学校という学校
はできたのだと思います。ドン・ボスコにならい、
だれとでも音楽でなかよしになれたらいいなと思
います。
「子どもとドン・ボスコが
ドンボスコのわを歌っているよ。
」
2013 年当時 静岡サレジオ小学校 2 年
星美学園中学校 2 年生
髙橋 真美
さん
この度は、このような賞をいただくことができ、
本当にうれしく思います。200 年前、ドン・ボス
コが誕生し、成長して青少年を導いていったよう
に、私たちも世界各地のドン・ボスコの学校の方々
とつながれたら良いと思います。そして、ドン・
ボスコの意志を私たちが受け継げたら良いと思い
ます。これを機に、今年 8 月 16 日みんなでドン・
ボスコの誕生 200 周年を祝えたら良いと思いま
す。本当にありがとうございました。
「わく星とドンボスコはつながる」
大阪星光学院高等学校 3 年生
清水 智也
さん
僕たちの作品を選んでいただき、本当に光栄です。こうして、無事に作品が完成
することができたのも、先生方やクラスのみんなのおかげであり、僕自身本当に
感謝しています。この曲のテーマは「人と人との繋がり」です。あなたには大切
に思っている人がいるでしょう。同時にあなたの事を大切に思ってくれる人もい
ます。だからこそ、僕達は、自分の為に、大切に思ってくれている人の為に今日
そして明日も生きていかなければならないのです。この曲を聴いて「よし、今日
も頑張ろう。」という気持ちになっていただけた
ら幸いです。
「君のいる明日」
2013 年当時 大阪星光学院高等学校 61 期 1 年 B 組
ドン・ボスコのタマゴ委員会さん
(作詞・作曲 清水智也さん)
中学校 1 年生
越野 平十郎
さん
デザインを考えるとき、はじめに決めたことは、
“笑顔のボスコ様と地球”です。ボスコ様は、太
陽のようにいつでも僕たちを見守り正しい方向へ
導いてくださいます。地球のすべての人々が正し
い考えをもって、命を尊重すれば、戦争のない平
和な地球になる日が必ず来ます。このデザインで、
僕たちがボスコ様に感謝し生誕 200 年をお祝い
していることを表現しました。
「VIVA DON BOSCO」
2013 年当時 星美学園小学校 5 年
2013 年当時 星美学園小学校 6 年
22
てできたばかりのサレジオ高 等 学 校
( 川 崎 市 高 津 区 鷺 沼 。その後 、 目 黒サレ
ジオ中 学 校 も 同 地に移 転 し 中 高 一 貫 校
ツァの 姿 勢 で 優 し く、 厳 し く 見
程 の 青 少 年 た ち を、 ア シ ス テ ン
カ ー 部 顧 問 と し て 数 え 切 れ ない
ジ オ 学 院の体 育 教 員・担 任・サッ
人はいない先生がいる。 長年サレ
サレジ オ 学 院の生 徒 で 知 ら ない
でイエズス会の栄 光 学 園 中 学 校 を
に私を入れたかったようです。それ
ともあって、 両 親はカトリック学 校
公 立 中 学 校 も 荒 れていたというこ
子でやんちゃであったことと、当 時 、
通ったのは 浦 島 小 学 校です。 浜の
長は初 代のニコロ・タッサン神 父でし
た。 入 学 式は屋 上でしました。 校
カトリック碑 文 谷 教 会の影に隠れ
た 小さい箱 型の建 物が中 学 校でし
生になります。
学 校に入りました。 私 たちは2 期
洋一さんにお話を聞いた。
院の法 人 事 務 局 長 を 努 める 長 岡
守って き た 名 物 先 生。 現 在 同 学
から 募 集の手 紙が届 きました。 ど
かりの目 黒サレジオ中 学 校 ( 当 時 )
面の子のところに、なぜかできたば
私を含め二次 試 験で落ちた横 浜 方
と作 文で不 合 格でした。ところが、
受 験しましたが、二 次 試 験の面 接
神 父さんたちがいました。
思います。 子どもたちと一 緒にいる
想とするドン・ボスコの学 校だったと
すごく 上 手でした。 今 思 うと、 理
サッカーをしたこと。スータンなのに
服 ) を着 た神 父さんたちと 一 緒に
ラウンドでスータン( 聖 職 者の黒い
た。 印 象 深かったのは、昼 休みにグ
の朝 礼で先 生が 「 今日から猟が解
周 囲にも自 然が残っていて、ある日
長くやりました。 生 徒 指 導 部 長も
がありました。サッカー部の顧 問も
教 師として生 徒とのふれあいは楽
しかったです。 担 任が一 番やりがい
実は教 師になってからしばらくは
カトリックの学 校であることをあま
げるということです。
精 神 的にも生 徒のことを気にしてあ
自 分の幅が広くなった気がします。
あのときにカトリックの学 校にいたこ
業 生の何 人かからも聞きます。「 先
になります。 今の若 者はやるべきこ
とは結 構やるけれど、やりたいこと
を抑える子が多い感じです。失 敗を
してしまったらという 不 安や 恐れが
あって、 安 全 策をとってしまう。で
もやらなかった 失 敗 すらできないん
です。 失 敗してもそれが一 番 自 分
の糧になるはずです。
それから特に男の子に言いたいの
ですが、男には強さとやさしさが必
要だと思います。けれど強さは後か
らでも身につけられますが、やさしさ
は後からは身につけられません。だか
ら、若いときにやさしさについて学ん
で欲しいです。社 会に出れば競 争す
ることがいくらでもあって、それで強
プロフィール
サレジオに入ったきっかけは?
と言 われれば、やはりアシステンツァ
だと思います。 共にいること、物 理
禁だから藪のなかに入っていくなよ。
任されましたが、最 初は若さと強さ
り意 識していませんでした。でもそ
卒 業 生たちが遊びにきてくれるの
が財 産です。 生 徒のために何かを
とが自 分のためになっています」 と。
くなれるでしょう。けれど、自 分さ
身につけていって欲しいですね。★
とを思いやるやさしさを今のうちに
人の気 持ちを考えること、仲 間のこ
えよければいいというのではなくて、
★サレジオ歴★
★ ★ ★
うもイエズス会とサレジオ会の中で何
サレジオ学院中学校・高等学校
(旧目黒サレジオ中学校・旧サレジオ高等学校)
か話があったのでしょう ね。 両 親は
さん
3年 後 、 私 たちの進 学に合 わせ
長岡 洋一
喜びました。それで目 黒サレジオ中
地 元は横 浜 市 神 奈川区です。浦
島 太 郎 伝 説でも 有 名 な ところで、
サレジオ学院 法人事務局長
「やるべきことは必ずやること。
」
そしてやりたいことを必ずやること。
に)にそのまま進 学しました。1期
長 くやるつもりはなかったのですが、
生 、2期 生というのは何をしても初
めてのことばかり。 施 設も不 十 分で
結局
誤って撃たれるから」と言うんです。
と勢いで校 則を守らせることが生 徒
の後、 望 まない悲 しいことがあった
年教員として勤めました。
したが、先 生たちと一 緒にいろいろ
近くでは猟 犬を連れて鉄 砲もった猟
を指 導するものだと思っていました。
ときなどに、みんなで祈って心を一つ
的 、 空 間 的 、 時 間 的 だけでなく、
師が、ウサギやコジュケイを散 弾 銃で
でも不 登 校の子と関わって以降 、カ
感することが何 度もありました。卒
にするということのすばらしさを実
工夫したのでやりがいがありました。
狙っていました。私たちもウズラの巣
勉 強もしました。 生 徒から教わって
ウンセリングなども大 事だなと思い、
犠 牲にすることはマイナスではなく、
家 庭をもったとき、親になったとき、
やぶ
び込んで、ビーカーでゆでて食べてい
を見つけては卵を取り、科 学 室に忍
ました。
後で必ず喜びとして卒 業 生から戻っ
辛いことに出 会ったときに何か感じ
して失 敗したほうが必ず自 分のため
躊 躇してやらないよりも、チャレンジ
ちゅうちょ
てやるべき務めです。やりたいことは
きこととは、決まりごとや人 間とし
どちらかだけだとダメです。やるべ
やるべきことは必 ずやること。そ
してやりたいことを 必 ずやること。
若い人たちへのメッセージを。
を与えてくれるのかなと思います。
いたということが後になって何か方 向
生 、当時は何にも思わなかったけど、
その後、母校の教員になった
てきます。長くサレジオに関わってき
るときが来るんですね。この環 境に
きっかけは?
教 わった体 育の先 生の影 響もあっ
て、 先 生 をちょっとやってみたいな、
ましたが、一つ大 事なことを挙げろ
たので、 高3の2 学 期に進 路 変 更
試合での一コマ。
サッカー部員たちに檄を飛ばす
やるなら体 育がいいかなと 思いまし
をして日本 体 育 大 学の体 育 学 部を
大 学を卒 業したら地 元の横 浜 市
立で教 員をやるつもりでしたが、暮
れに、中1のときの担 任で、そのと
き校 長になっていた小 此 木 神 父から
「サレジオで教 員やらないか」 と 電
話がありました。かつて迷惑をかけて
いましたので 「 行 きます 」 と。 卒
業 生で最 初の教 員です。 もともと
www.salesio-gakuin.ed.jp
38
1949 年横浜市生まれ。 1961 年目黒サレジオ中学校入学。 1967 年サレジオ高等学校
卒業。 1971 年から川崎サレジオ中学校・高等学校の体育教員として奉職。 2009 年から
同校の事務長。 奉職 45 年目の現在・学校法人サレジオ学院 事務局長を務める。
神奈川県横浜市都筑区南山田 3-34-1
教え子たち
ドン・ボスコ
24
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
25
受 験しました。
よういち
ながおか
No.
の
DB
お こ の ぎ
横浜市都筑区にあるサレジオ学院の校
門前で。 長く青少年を見守ってきた眼
差しは、 優しい
19
サレジオ学院中学校・高等学校
連載インタビュー
Essay
サレジ オ と ドン・ボスコ
「 わたしたちの役 務 を果たすために
大い な る 穏 や か さ と 柔 和 が 必 要 で
す か ら、 こ の 聖 人 の 保 護 の も と に
つまり、大きくわけて二つ理 由があ
る、ということです。
て人々の魂を獲 得していくことの大 切
う難しい関 係の中で、柔 和と愛によっ
当 時のプロテスタント対カトリックとい
にフランスで活 躍した司 教です。 彼は
カ ト リック 信 仰 を 擁 護 す る 活 動 に
ト 教の中の他の諸 宗 派の教 え か ら
う 一つの 理 由 を 加 え れ ば、 キ リ ス
い でい た だ く た め で す 。 さ ら に も
し た ち の も のに な る 恵 み を 取 り 次
人 び との 好 意 を 得 る 魅 力 が、 わ た
ことは、 厳しさによって彼らを導くこ
していました。そこで求められている
必 要とする貧しい少 年たちを相 手に
ということ。ドン・ボスコは、 助けを
徴である 「 柔 和 」 をモデルとしたい、
一つ目は、 自 分たちの使 命である
青 少 年の教 育のために、サレジオの特
「 柔 和 」 のモデル
さを訴えました。
おいて、 わ た し た ち が 同 聖 人 の 保
とではなく、 優しさ、 温かさによって
身 を 置 き、 そ の 並 は ず れ た 柔 和 と
自 分の創 立した修 道 会を、この聖
人の名 前からとったドン・ボスコ。彼は
護 のも と に、 同 聖 人 に 倣 う 恵 み を
「サレジオ会 」の名 前の由 来である、
聖フランシスコ・サレジオは 世 紀に主
なぜサレジオを保 護 者としたのでしょ
歳の時に見 たと
の人 物であることがわかったのではない
その方 法のモデルとしてまさにぴったり
中で、サレジオが自 分の目 指す使命と
ましたし、本も読んでいました。その
サレジオについていろいろな話を聞いてい
に、 地 元 出 身の有 名 な 聖 人であった
う。ただ、ドン・ボスコは神 学 校 時 代
ジオのことは意 識していなかったでしょ
きに、ドン・ボスコはフランシスコ・サレ
うのです。もちろん、この夢をみたと
どもたちの友 達になるのだよ」 と言
はいけない。 柔 和と愛をもってこの子
スと 思 われる 人 物が現 れて、「 暴 力
たちに殴りかかかっていきますが、イエ
い言 葉を使って暴れまわっている少 年
ていました。夢の中でドン・ボスコは汚
が王 家を継いでいたのでした。ですか
サヴォイア王 国で、実 際サヴォイア家
でした。このサルデーニャ王 国の前 身は
彼はサルデーニャ王 国 という 国の出 身
き、まだイタリアは統 一されておらず、
人 物です。ドン・ボスコが生 まれたと
イア王 国の出 身で、そこで活 躍した
ことです。フランシスコ・サレジオはサヴォ
サレジオは同じ国の出 身だったという
す。それはドン・ボスコとフランシスコ・
また、もっと単 純で、 実は一 番 大
きな 理 由かもしれない要 素がありま
うことが考えられます。
その部 分でも彼に追 従していた、とい
リストの保 護 者であり、ドン・ボスコは
もう 一つの点 として考 えられるの
は、サレジオは今でも作 家・ジャーナ
にとって、とてもなじみ深い聖 人であっ
よく紹 介されていました。ドン・ボスコ
人であり、神 学 校でも当 然 彼について
サレジオはとても有 名で人 気のある聖
ら、ドン・ボスコの地 元ではフランシスコ・
それはサレジオがその二百 年 前に生き
今では考えられない緊 張 関 係があり、 たということなのです。
もう 一つの理 由は、 当 時のトリノ
ではカトリックとプロテスタントの間に
「 信 仰 」 の守 護 を 願って
でしょうか。
9
浦田慎二郎 うらた しんじろう
た状 況と似た部 分があったのです。ド
ン・ボスコもその 時 代の 子ですから、
それから逃れることはできず、何とか
してカトリックの教えを守らなくては
いけないと感じていました。その点で
もサレジオはモデルとなる人 物だったの
です。
サレジオ会司祭。サレジオ学院卒。
教皇庁立サレジオ大学大学院霊
性神学博士課程修了、神学博
士号取得。ドン・ボスコの研究家。
現在サイテック館長。
言われる夢の中にすでに神から示され
彼らを導く、ということでした。これ
聖フランシスコ・サレジオ教会前の広場よりチウー運河に浮かぶ
パレ・ド・リル(島の宮殿)を望む。アヌシーの観光名所の一つ
故郷フランス・アヌシーの湖畔に立つ聖フランシスコ・サレジオの像
26
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
27
17
天 から 得 る ということで す 」(『オラ
Roma
うか。その理 由は非 常に端 的に彼の
Italy
は、ドン・ボスコが
Torino
。
トリオ回 想 録 』より)
Annecy
言葉の中に見いだすことができます。
France
浦田慎二郎
●
文
“サレジオ”
の精神とは?
~聖フランシスコ・サレジオにならう~
ドン・ボスコのように生きた人たち
成長期に企業人としてフルに活動し、海外に
あ な た は ど れ だ け「 神 様 の い う
か ら 選 ば な い と い け な い 状 況 で、
の静寂な朝を今でも時々思い出
たという清々しい思いや、沖合で
陽を見ながら、起きて来てよかっ
学3年生だった私は進路のこと
と勧めてくださったから。当時中
リア様にお祈りして眠りなさい”
る シ ス タ ー が“ 夜、 休 む 前 に マ
て い た ん で す。 き っ か け は、 あ
に向かって毎晩お祈りして眠っ
む前、家のすぐ近くの小瀬良教会
ます? 聞こうとしてます? 私
はシスターとして生きる道を歩
が 伴 う 方 に や は り 喜 ぶ 父、 神 は
会 い だ っ た の で す。 眠 さ、 辛 さ
け を 創 造 さ れ た 御 父、 神 と の 出
得 た の は、 大 自 然 や 美 し い 朝 焼
ち で つ い て 行 っ た の に、 そ こ で
て 行 っ て い ま し た。 そ ん な 気 持
気で上から目線な気持ちでつい
「 一 緒 に 行 っ て や る か 」 と、 生 意
嫌 だ っ た し、 き つ か っ た け れ ど
で す、 マ リ ア 様 の 声 が ……。 な
あ る 夜、 私 に は 聞 こ え て き た の
あ の 頃 の よ う に。 神 様 の い う と
聞 い て み て く だ さ い。 幼 か っ た
は …、 マ リ ア 様 と 一 緒 に 神 様 に
どれにしようか悩むとき
ちょっと辛い方を選んでみて
ほう
い 父 に 誘 わ れ て、 眠 く て 本 当 は
で 悩 ん で い た こ と も あ り、 毎 晩
おられるようです。
つ き よ ま
すがすが
と お り!」 と 言 い な が ら 物 事 を
し ま す。 月 夜 間
しか家にいな
決めてます? 神様の声、聞けて
休 む 前 に ア ヴ ェ・ マ リ ア の 祈 り
んてことがあったわけではあり
お り! と き っ と 答 え が 見 え て く
回 唱 え て い ま し た。 す る と
ま せ ん( 笑 )。 ア ヴ ェ・ マ リ ア の
を
祈りを毎晩唱えて休んでいたの
るはずです。
ん。 マ リ ア 様 の 声 も。 本 当 に 残
つり
思 い で す。 そ し て 時 々、 あ っ 今
て ん ま せ ん
て い ま し た。 地 平 線 か ら 昇 る 太
熊 本工業 専 門 学 校 機 械工学 科で学ぶ。 終 戦 後
木 村 重 雄 さ んは1926年 月 日、 熊 本
市に生まれた。旧制熊本中学(現熊本高校)、
サレジオ学 園の監 事 やカリタスの園(イエスの
ジオ高 専 )と大 阪 星 光 学 院の理 事、 ま た 東 京
ことと な る。 育 英工業 高 等 専 門 学 校( 現サレ
レジオ会の教 育 事 業の経 営に大 き く 貢 献 す る
サレジオ会日本 管 区の管 区 長 顧 問に任 命 する。
の1947年、日本セメント(現太平洋セメント)
カリタス修道女会)の理事、会津若松ザベリオ
が高く 評 価され、マレーシア、タイ、インド ネ
学 園( 無 原 罪 聖 母 宣 教 女 会〔 当 時 〕)の理 事
と。「 人 生の転 機がど ういう きっかけで起こる
ングレガシオン・ド・ノートルダム)に通ったこ
の彰 男 さ んが 北 九 州 市の明 治 学 園 中 学 校(コ
所( 福 岡 県田川 郡 香 春 町 )へ赴 任 時に、 長 男
カトリックとの出 会いのきっかけは、 香 春 製 鋼
功した 後、 徐々に歩 行が困 難にな る。2015
し2013年 末、 心 臓バイパス手 術 を 受 け、 成
大 聖グレゴリオ騎 士 団 勲 章 を 受 章し た。しか
教 会の活 動と発 展に尽 力した 者に与 え られる
2011年7月 日、 木 村 さんのサレジオ会
事 業への献 身 的 な 働 きが認められ、カトリック
歳で帰 天。 妻の繁 子 さ んがふ
17
ない」。 繁 子 さんが1979年に東 京の赤 堤 教
げ られた 網にそのとき 引っかかったのは 間 違い
タレント を 捧 げ た 夫・ 重 雄は 神 さ まの恵 みと
充実した時期だったと喜んでいました。小さな
りかえる。「第二の人生は、本当に生き 生きと
1926 年 12 月 18 日熊 本 市 生まれ。
1947 年日本セメントに入社。1992 年
退社後、サレジオ会教育事業に理事
または監事として貢献。2015 年 1 月
25 日、帰天。
青年ナイト・ウォーキングで三島神父、青年たちと一緒に
んで神さまの御許に参りました」。(文/サレジオ会)
き むらしげ お
● サレジオ会の支え役として
木 村さんは日本セメントを 退 社 するとすぐ、
サレジオ会 管 区 長になっていた 溝 部 神 父を 訪ね
「 何か社 会のため、 教 会のためにお役に立つ仕
事があれば、ぜひお手伝いさせていただきたい」
を 受け、立ち上げた ばかりのドン・ボスコ海外
と 願い出 た。 溝 部 師は あ りがた くその申し 出
青 年ボランティアグループの後 援 会 長、 さ らに
ヨゼフ 木村重雄
さんも2002年に受洗した。
会で受洗。木村さんも1987年に調布教会に
88
人々の協力を頂いて走るべき 道を走り抜き 、喜
日、
年1月
なのは誠実さです』
と。これが彼の哲学でした。」
社は 儲 ける だ け を 考 えていた ら 駄 目で、 大 事
溝 部 師は 述 懐 す る。「 真 面 目で誠 実、 清 廉
潔白な人でした。彼はよく言っていました。
『会
20
か、 人 間には前もって判らない。けれど神の拡
私 生 活では、 最 初の赴 任 先の高 知で妻・ 繁
子 さ んと 出 会い結 婚。 一 女 一 男に 恵 ま れ る。
年を捧げていった。
として、退社後の約
歳で退社。
り、専務取締役、常務監査役を経て1992年、
派 遣 さ れる。 その後、 役 員として経 営に携 わ
シア、 インド な ど 海 外にも 技 術 支 援のために
そして、木村さんの企業人としての経験は、サ
国 内 各 地の工場 建 設 などに携 わ り、その経 験
18
に入 社。エンジニアとしてのキャリアを 中 心に
● 企業人としての 年間
45
※2
は 本 当 で す( 笑 )。 そ れ 以 来、 神
「 ど ~ れ ~ に ~ し ~ よ ~ ぉ ~ か
な…神様のいうとおり!」という
念 で す。 そ れ で も 言 え る こ と は
ロ師(当時、 右)と故アルド・チプリアニ管区長(左)と木村さん夫妻
を一度も聞いたことはありませ
このフレーズを私は幼い頃よく
「 神 様 の 声 が 聞 き た い!」 と い う
カトリック調布教会での大聖グレゴリオ騎士団勲章受章式にて。教皇大使アルベルト・ボッターリ・カステッ
さ て、 幾 つ も 選 択 肢 が あ る 中
げていった第二の人生とは。
※1
12
に決めていたのを覚えています。
使っていましたが、皆さんはどう
それでも残念ながら神様の肉声
様 の 声 を 聞 こ う と 努 め て い ま す。
3
ここにいた。神様が確かにいた!
にて管区召命司牧担当。
と感じることがあります。
別府、 奄美において主に看護職
で し ょ う? モ ノ が あ ふ れ る 時
代 に 育 っ た た め か、 触 れ な が ら、
を経て、 現在、 杉並本部修道院
な ん ど も 見 て「 天 の 神 様 の い う
外海(そとめ)、ボリビア、 大分
と お り!」 と 最 後 に 触 れ た も の
初誓願。育英高専、 都城、 長崎
幼い頃、漁師だった父と朝早く
伝馬船 で沖に向かって漁に出
京修学志願院に入る。2000 年
て溝部脩神父(当時)よ り 受洗。長男・彰男
25
イエスのカリタス修道女会
まったく畑違いの分野で人の求めに応じて捧
み
る
ら
ぜ
こ
も打って出た職業人生。一転して、退職後は
28
※ 1. 木造の小型和船 ※ 2. 満月の前後数日間の休漁期間のこと
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015 No.15
29
長崎県上五島出身。15 歳で東
65
神様のいうとおり!
社会のために捧げた
第二の人生
小瀬良・るみ
アヴェ・マリア!
第二次世界大戦前に育ち、戦後の高度経済
あなたへ応援メッセージ
キミに
ありがとう!木村重雄さん
今回の応援隊員
どれにしようか悩むなら、
サレジアンが心を込めて贈る
!!
タイ
Salesian Life Storyサレジアン小伝
イエスのカリタス修道女会の総長、
アポリナリス志村百合子シスター帰天
長 く 教 育 現 場 を 歩 ん で き た 森 下 シス
タ ーの 印 象 は、 温 かで 穏 や か な 人。 時
会 役 員 ( ま たは 代 表 ) と 各 学 校 長 ら
オ 学 院、 サレ ジ オ 小・中 学 校 の 各 同 窓
専)、日向学院、大阪星光学院、サレジ
妹 た ち を 力 づけ、 単 純 素 朴 な 村 人 た ち
間 を 惜 し ま ず 傾 聴 し、 楽 し げ に 自 分 の
自 ら 辺 境 の 地 ブ ラ ジルの 小 共 同 体 の 姉
に囲まれて天国に旅立った。 葬儀ミサは
区 本 部 所 属 の 教 会 にて、 日 本 で は 追 悼
6月4日ブラ ジルのサンパウロにある管
た新 管 区 長のそのパイ オニア精 神のもと
対話の人でもある。 これまでもVIDE
失 敗 談 も 交 え ながら 率 直 に相 手 に語 る
いの多様性を認め合いながら、集い、話
「 サレジオ 会・各 学 校・各 同 窓 会 が、 互
博史さん (大阪星光学院同窓会長) は、
人 が 参 加。 初 代 会 長 に 選 任 さ れ た 吉 田
日に捧げられた。
新たな歩みが始まる。
に 貢 献 し てい け る よ う、 理 解 と 協 力 を
し 合い、 支 え 合い、 力 を 合 わ せ て 社 会
1つの 夢 が 実 現 し た。 心 か ら 感 謝 し た
を 経て、 ドン・ボスコ生 誕200周 年に
管区長の山野内倫昭神父は、「長い準備
お 願いし たい」 と 挨 拶。 顧 問 を 務 める
で、 サレジアン・シスターズ日本 管 区の
名が参加
サレジアン・シスターズ
布のサレジアン・シスターズ管 区 本 部に
世 界 中 の サレ ジ オ 青 年 が 集 ま る イ ベ
ント 「
日、 三 位 一 体 の 主
2 01 5 年 月
日、 五 月 晴 れ の 美 し い 日 差 し の 中 、 調
月
先のブラジルで、御父の御もとに召され
日本 から
た。
て 森 下 ワ カヨ シ ス タ ー の 管 区 長 就 任 式
なった。トリノ市内でのイベント参加 後、
日の閉 幕 イベ
ン ト( 東 京 カ
いく 予定 。
月 にローマ
学 校 同 窓 会 の設 立 支 援 に も 取 り 組 んで
若 者 支 援 な ど の 活 動 、 サレ ジ オ 小・中
代 表 者 を 派 遣 す る ほ か、 交 流・ 学 習・
と ト リ ノで 開 催 さ れ る 世 界 連 合 大 会 に
行 わ れ た 。 今 後 は、 今 年
の皆 さ んによる 校 内 見 学 会 や 懇 親 会 も
会 議 で は 今 後 の 活 動 について 活 発 に
意 見 が 交 わ さ れ た ほ か、 サ レ ジ オ 高 専
社 会・国 際 社 会にもぜひ貢 献していって
い。 同 窓 生 の 輪 を さ ら に 広 げ て、 日 本
妹 た ち と サレ ジ オ 会 か ら 山 野 内 倫 昭 管
が 行 わ れ た。 参 集 し た120 余 名 の 姉
カステルヌオヴォからコッレ・ドン・ボス
ほしい」とお祝いと激励の言葉を贈った。
区 長、 濱 口 秀 昭 副 管 区 長 に 見 守 ら れ、
名 の若 者 が 参 加 す るこ と と
ち、 日からはブラジルの北東部に位置
日に
志 村シスターは2015年5月
サンパウロに向 けてローマの総 本 部 を発
総 長 に代 わ り 副 管 区 長 武 石 聡 子 シス
SYM、日本から
新管区長に森下ワカヨシスターが就任
ミサが6月
Sジュニア等の様々な活 動 を開 拓 して き
30
」(
SYM Don Bosco 2015
日、 イ タ リア・ト リノ) に、
す る ジュアゼ イロ・ド・ノルテの 共 同 体
日~
を 訪 問 し て い た。 翌 日 の 夕 食 後 、 若 者
日の総 長 司 式のミサで 閉 会 となる。
日本の巡礼団
月
コま で 歩 き、 参 加 者 全 員 で の 野 宿、
さ れ た 前 管 区 長 井 上 澄 子 シスタ ー の 後
はその後、アシ
月
ジ・ローマを 訪
を引 き 継いでの任命となる。
も 予 定。
問、 教 皇 謁 見
年 で 総 評 議 員 に選 出
長着任後わずか
ター が 「 任 命 書 」 を 読 み 上 げ た。 管 区
歳。
日、御父のもとに旅立っ
識 を 失って 倒 れ てい た。 病 院 に 緊 急 搬
た。 享 年
送されたが、
「 教 室 か ら 管 区 に 参 り ま し た 」 と 緒
方 貞 子 氏 の言 葉 を 借 り て 自 己 紹 介 を 始
奉 仕 」 とい う 4つの キ ー ワ ー ド か ら 自
めた森 下シスターは 「傾聴、識別、喜び、
身 と管 区の歩みについて述べた。
志 村 シ ス タ ー は 1948 年 、 山 梨 県
甲 府 市 に 生 ま れ 、 歳 で 召 命 を 受 け、
誓 願 を 宣 立。 1974 年 か ら 修 学 志 願
1969年に初 誓 願、1975年に終 生
礼参加者によ
テドラル) で 巡
詳細は、
ドン・ボスコ生誕200周年 記念特別サイト
http://salesians.jp/anniversary_events
にて掲載。
院、1977年に他の2名の姉 妹 ととも
う予定。
る報告会を行
サレジオ同窓会日本連合
設立役員会を開催
同窓会コーナー、
アカデミア(ドン・ボスコの劇上演)、閉幕ミサなど
にローマに 派 遣 さ れ た。 そ の 後、 日 本
司 教 団ローマ事 務 所 の 秘 書 の 仕 事 の 傍
ら、 修 道 会 が 聖 座 法 の 会 に な る た め の
手 続 きに尽 力 し た。 1998年 副 総 長、
2004年 総 長 選 出。 2010年には総
長再選。 今年5月、2016年に別府で
開 催 予 定 の 総 会 準 備 の た めに 開 催 さ れ
たフォーラムの基 調 講 演で 志 村シスター
2015年5月9日、サレジオ 同 窓 会
日 本 連 合 の 設 立 役 員 会 が サレ ジ オ 高 専
昼食・アトラクション・懇親会、出店、
ミニライブ、ゲームコーナー、
11
にて 行 わ れ た。 育 英 学 院 ( サレジ オ 高
各同窓会の代表と校長、 総勢 30 名が参加
主催:サレジオ家族
本誌掲載の記事、写真、
イラストの無断転載を禁じます。
© カトリック・サレジオ修道会 2015
(いずれもドン・ボスコ社提供 www.donboscosha.com)
10
・たくさんの働き手が必要です。人的・経済的ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
・カトリック東京教区本部ならびに関口教会の皆様の寛大なご協力をいただいております。
・ご来場には、原則として公共交通機関をご利用ください。
(駐車場は器材搬入車両等に限ります)
編集・デザイン制作 ドン・ボスコ社、相原朋子
印刷所 日之出印刷株式会社
【内容】展示・売店コーナー、シンポジウム「あなたが主役!DB青年の主張」
「ドン・ボスコの風」編集事務局
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7
ドン・ボスコ社内
電話:03-3351-7041 F a x:03-3351-7042
Eメール:[email protected]
31
たちとの集いになかなか現れない総長を
8
活動支援のため、ご協力をお願いいたします。
下記の振込口座まで(または本誌とじ込みの
振込用紙にて)ご寄付をお願い申し上げます。
【郵便振替】口座番号 00100-7-412947
加入者名 「ドン・ボスコの風」 編集事務局
※通信欄のご寄付意向にチェックを入れて、ご
寄付金額を明記ください。
SALESIAN BULLETIN JAPAN July 2015
2015 年 7月31日発行(年2回発行)
【場所】
カトリック東京カテドラル関口教会
5
心配した姉妹が部屋に行ってみると、意
18
SYM 支援のためのご寄付のお願い
15
※色はオレンジのみ。
イタリア・樹脂製
H137×直径 10mm
8
18 16
閉幕イベント開催!
2015年11月23日
(祝)、
東京カテドラルにて、生誕200周年を締めくくる
「閉幕イベント」
を盛大に行います。
No.
会食でのひととき。右がシスター森下新管区長
記 念とは「思 い 出し」、そこから「何かを
得る」こと。ミサがそう。「これを私の記念
として行いなさい」。ドン・ボスコの夢の実
現のため、この記念の年に新たな出発がで
きますように。 (S)
次号No.16は2016年1月発行予定です。
「ドン・ボスコの風」バックナンバーは、
サレジオ会ホームページ http://salesians.jpでご覧いただけます。
トップページの「ライブラリー」→「ドン・ボスコの風」
編集後記
【日程】2015年11月23日
(祝)
10:30~16:30
編集人 関谷 義樹
発行人 山野内 倫昭
発行所 カトリック・サレジオ修道会
イエスのカリタス修道女会の総長アポ
リ ナ リ ス 志 村 百 合 子 シ スタ ー は、 訪 問
17
5名様
3名様
5名様
当選者の発表は、賞品の発送をもってかえさせていただきます。
ご応募いただいた方の個人情報は賞品の発送のみに使用し、
その他には一切使用致しません。
イタリア製
H135×W49mm
応募締切:2015年9月30日消印有効
A5 判並製 206 頁
クリップ部分にドン・ボスコの肖
像が付いた樹脂製ノック式ボー
ルペン。4 色ありますが、今回
はオレンジのみ。
11
30
16
ドン・ボスコは過去の偉人ではなく、今も
第二、第三のドン・ボスコが世界中のどこ
かで助けを必要とする青少年のそばにいる
のだと、改めて感じる年となりました。(N)
20
日本国内では販売していない、
樹脂製色付きのドン・ボスコ像。
あなたのそばできっと励ましてく
れますよ!
今 号 特 集でも紹 介したサレジ
オ会日本管区原作のドン・ボス
コ漫画。 作画の鈴木ぐりさん、
監修の浦田慎二郎神父、二
人のサイン入りで希少な一品。
23
67
2
25
( 辺 境、 周 辺 部 )へ出
は、「 Periferia
て行きなさい」と、力強く会員を励まし、
PRESENT
2015年
11月23日 祝
12
【Eメールの場合】
[email protected]
【ハガキの場合】
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7 ドン・ボスコ社内
「ドン・ボスコの風」 編集事務局
ドン・ボスコ
ボールペン
C
樹脂製
ドン・ボスコ像
B
『コラッジョ!!』
サイン本
A
応募方法:
お名前
(フルネーム)
・住所・年齢・ご職業とご希望のプレ
ゼント(A・B・C)いずれか一つを明記し、本誌のご感想・
ご要 望をお書き添えの上、Eメールまたはハガキで下記
宛先までお送りください。
お知らせ
Info
ドン・ボスコの風
読者プレゼント
30
15
No.
2015年7月
SALESIAN BULLETIN
July 2015 年2回発行
JAPAN
発行:カトリック・サレジオ修道会 「ドン・ボスコの風」編集事務局 〒160-0004 東京都新宿区四谷1-9-7
TEL: 03-3351-7041 FAX: 03-3351-7042 E メール:[email protected]
2015 年 1 月 31 日、 ヴァルドッコにあるサレジアン・シスターズの学校にて生徒たちと
Message
from
Rector Major
サレジオ会総長メッセージ
サレジオ青少年運動の
若者たちへのメッセージ(抜粋)
皆さんと共に、
皆さんの中で、
皆さんの傍らで
一緒に旅を歩ませてください
共に旅を歩むということは、一人ひとりが自分という贈りものを
差し出しながら、私たちが互いに教え合うことを意味します。
私たち皆が、この旅を歩むことに責任をもって取り組み、互いへの関心、
共感、配慮をもって、成長を続けることを意味します。
皆さんの若いいのち、そして私たちのいのちに意味を与えるあこがれ、
希望、願いを、私たちは共にしています。
主との出会い、ほかの若者たちとの出会い、
そして皆さんを必要とする人々との出会いに向かうこの旅で、
母マリアがやさしい愛をもって皆さんと共にいて、
助けてくださることを私は疑いません。
大きな愛情をこめて。
2015 年 1 月 31 日 ドン・ボスコの祝日に
総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父