2005 年 11 月 9 日 今も続くジェノサイドの遺産――最近の事例と問題点 広島平和研究所 クリスチャン・P・シェラー教授 残念ながらジェノサイドは過去のものではない。今日、著しい人権侵害や残虐行為により世界 各地で大惨事が起き、 (例えば中央アフリカ、スーダン、イラク、東南アジアなどでは)住民全体 が恐怖と精神的外傷で神経を麻痺させられている。暴力は人を殺すだけでなく、生存者の生活の 可能性をも縛っている。 講義ではダルフール(スーダン部)およびイラクの二つの事例を取り上げ、さらに違法な大量 破壊兵器であるウラニウム兵器(劣化ウラン兵器)の問題点も取り上げる。 ジェノサイドの定義について この最悪の犯罪に関しては、1948 年 12 月に国連で採択され、1951 年 1 月 12 日に発効した「ジ ェノサイドの防止および処罰に関する条約」(ジェノサイド条約)で定義され、分類されている。 第 2 条によると定義は以下の通りである。 「この条約においてジェノサイドとは、国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部また は一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行なわれる次のいずれかの行為をいう。 (a) 集団の構成員を殺すこと (b) 集団の構成員に重大な肉体的または精神的な危害を加えること (c) 全部または一部の身体的破壊をもたらすよう意図された生活条件を故意に集団に課すこ と (d) 集団内の出生を妨げることを意図する措置を課すこと (e) 集団の子供を他の集団に強制的に移すこと」 第 1 条は次のように定める。 「締約国は、集団殺害が、平時に行なわれるか戦時に行なわれるかを問わず、国際法上の犯罪で あることを確認し、これを防止し処罰することを約束する」 第 3 条では、「次の行為は、処罰される」として (a) 集団殺害 (b) 集団殺害の共同謀議 (c) 集団殺害の直接かつ公然たる教唆 (d) 集団殺害の未遂 (e) 集団殺害の共犯 を掲げている。 ダルフール(スーダン西部)におけるジェノサイド スーダンは世界で最悪の虐殺の起きた場所の一つである。このアフリカ最大の国は、1956 年に イギリスから独立して以来、恐ろしい集団暴力に苦しんできた。過去 50 年に 400 万人以上の人 が虐殺されたか、餓死させられた。 1 スーダンでは、1955 年から 72 年にかけて南部で起きた内戦により、少数派の人々への虐殺が 繰り返された。南部のスーダン住民に自治を与えるとの約束がなされて以降、大規模な流血は止 まったが、すぐにその約束は破られた。1983 年には、暴力はもっとひどい形で再開され、スーダ ン人民解放軍(SPLA)が Khartoum 体制の継承に対する最大の敵対勢力となった。Dr. John Garang 率いる SPLA は Dinka、Nuba、および一部の Nuer 民族の間で勢力を増した。 破綻国家――犯罪的な統治 おびただしい死者数の 90%は極悪な政府軍およびアラブ系民族の同盟軍によって引き起こさ れた。大半の犠牲者は Dinka、Nuer、Shilluk、スーダン南部の騎馬民族、およびスーダン中央 部の Nuba 民族に属するアフリカ系の非武装の市民らである。スーダン西部のダルフール (Darfur)に暴力が広がったのは、ごく最近のことだ。 スーダン南部で行なわれた初期の虐殺と同様の残虐な戦術が、このダルフールの地域でも行な われた。それは決まって非アラブ系であるアフリカ系の人々が、アラブ系の民兵により無差別の ジェノサイド的な攻撃を受け、 「民主的」に選ばれたものであれ、軍事的に樹立されたものであれ、 歴代の政権により事前に周到に準備された飢餓という武器の犠牲となった。 分割統治戦術と恐怖 かつての襲撃と今回の事例とを比較すると、数少ない違いの一つは、ダルフールの反乱軍であ るスーダン解放運動(SLM)や正義と平等運動(JEM)の方が、21 年の内戦の経験を持つ SPLA よりはるかに経験が浅く、弱体であることだ。SPLA はスーダン北部のアラブ化した軍閥政権に とって侮り難い反対勢力となり、ダルフールの反乱軍は自分たちの民族を敵の襲撃から守ること すらできないでいる。 2 つ目の違いは、スーダンの内乱では初めてだが、犠牲者のほぼすべてがイスラム教徒である ことだ。スーダン全土に厳格なシャリーア(イスラム法)を課し、強硬路線の「良きイスラム教徒」 からなる現政権にとり、これは驚くべき事態だ。現政権は原理主義的な民族イスラム戦線(NIF) と軍部の同調者らが 1989 年に起こしたクーデターによって出来たのである。 大量虐殺の様相を帯びる暴力 ダルフールの危機に関してマスメディアは、 「民族浄化」という用語を使っている。これはある 特定の単一または複数の民族集団の構成員を、通常は国家もしくは国家が支援する武装集団によ って、強制的に殺害するために計画された、さまざまな政策の実行を意味する。 「民族浄化」は強 制移住や国家命令による住民移動と同様、重大な人権侵害であり、極端な場合、もし国際社会が 無関心を装えば、大量虐殺の前奏曲となる。 2003 年の秋以降、国際社会による一定の関与にもかかわらず、危機は Egelund 国連人道問題 調整官が「世界最悪の人道危機」と評する事態に発展した。暴力は拡大してジェノサイド的な傾 向を帯び、フール、マサリート、ザガワの各民族に対して、アラブ系の民兵により婦女に対する 組織的集団レイプや、男性に対する組織的殺人、村落・食糧倉庫・モスクの破壊も行われている。 世界最悪の人道危機 2003 年から 2004 年にかけてのダルフール危機は、明らかにハルツームの暫定軍事政権による 犯罪的政策の結果である。それ以前のスーダン南部での反乱でも見られたように、現政権はアラ ブ系遊牧民であるバッガーラ諸部族(より正確には、バニ・ヘルワ、バニ・フセイン、リゼガッ 2 トおよびミシリア各民族)をたきつけ、ダルフールの先住民で定住者であるアフリカ系イスラム 教徒に懲罰を加えるために、彼らを襲わせて震え上がらせた。アフリカ系イスラム教徒が地方の 反乱を助長していると見られたからだ。 政権はアラブ系民兵に近代的な武器や携帯電話を与え、フール、マサリート、ザガワの各民族 への殺害、婦女の強姦、誘拐を完全に黙認している。ジャンジャウィードと呼ばれる武装民兵の 襲撃は無防備な住民の間にパニックを引き起こし、2003 年秋以来、安全な場所を求めて大量の避 難民が隣国チャドへと流出している。現在、200 万人の住民が移動し、または避難民となり、う ち 40 万人がすでに死亡している。 無情な国際社会の無反応 民兵の指導者を逮捕し非正規軍を武装解除すべきだとする国連安保理決議にもかかわらず、民 兵は今日まで武装解除しておらず、難民キャンプにいる「国内避難民」 (IDP)を略奪あるいは殺 害し、NGO 関係者を脅している。 スーダン南部で 50 年間続いたスーダン政府と SPLA の紛争が和平交渉にこぎつけたことで、 スーダン政府は最大で 2 万人の兵士や警察官をダルフール地域に再配置する機会が得られた。彼 らは民兵の凶暴を阻止するために来たとされたが、実際は反乱軍を抑えるのが目的だった。ジャ ンジャウィードによる殺戮は終らなかった。国際的な人道介入は全く行なわれなかった。国連安 保理がアフリカ連合(AU)に対し、計 12,500 人の武装および非武装の監視員(AMIS=スーダ ンにおけるアフリカ連合ミッション)を派遣する権限を与えたが、実際には AU は 6,700 人しか 派遣していない。EU や米国、G8 は資金も資財の提供していない。 国連は市民の効果的な保護、民兵の武装解除、大量犯罪の責任者の拘束と国際刑事裁判所への 告発が可能になるよう、AMIS の権限を強化すべきである。 英米の画策によるイラクに対するジェノサイド的制裁(1990 年―2003 年) 制裁は国連憲章 41 条に規定されているが、国連安全保障理事会による発動が広がったのは 1990 年代になってからだ。イラクへの制裁は、これまでに国連安保理が課した最も過酷な制裁だ った。イラク制裁は 1990 年 8 月に課されたが、大変野蛮な性格のものだった(完全な経済封鎖 とあらゆる通信伝達手段への介入) 。国家全体が遮断された。その結果、いくつかの国際犯罪が起 きたが、それは国連安保理の 2 つの常任理事国(米国と英国)による(1)的外れの制裁の運用 および(2)計算された悪意にみちた狡猾な操作の結果である。 ジェノサイドとは何か ジェノサイド学者は、 「イラク人であるがゆえにイラクの子どもたちを殺す」という所期の目的 を達成するために、米英による 13 年間に及ぶ国連制裁の計画的な国際的操作に関して入手でき る証拠について議論してきた。イラクに対する制裁は、国連ジェノサイド条約第2条 c に規定さ れた「全部または一部の身体的破壊をもたらすよう意図された生活条件を故意に課すこと」と同 じ結果となった。これから述べるように、制裁の意図的な発動が、国家集団としてのイラク人に このような条件を課したことに関する疑う余地のない証拠が、十分に存在する。 意図的大量殺戮を示す6通りの証拠の再考 ジェノサイドの脅威、あるいは大量殺戮の実行の容認ですら、訴追の対象となるジェノサイド 3 犯罪の典型的な事例であると考えられる。イラク制裁による大量殺戮については、6 種類の証拠 について指摘できるだろう。 1. イラクに対する国連制裁を利用した米国のジェノサイドの巧妙な操作に関しては、国連での 米政府高官(後の国務長官)による類似の証拠が入手可能だ。その高官は CBS テレビ番組「60 分」でのインタビューで、制裁によってイラクで(当時)50 万人の子どもが殺されたことは、制 裁によりイラク政権に脅威を与えたとされることの代償として「値した」と認めている。 2. 同様に貴重な証拠となるのは、 「集団内における出生を全部または一部破壊することを意図す る措置を課ずる」ことを目的とした国際的行動があったことを証明する書類であろう。そうした 書類は 1991 年以降、米国防情報庁(DIA)によって作成されている。 3. 3組目の証拠は、破壊という結果をもたらす生活状況の、実際の質的、量的証拠であろう。 筆者は、国連機関や独立グループによって行われた数々の調査の中からいくつかを引用したい。 それらは 1991 年以降、数十万人もの 5 歳以下の子どもを死に至らしめた、栄養失調と病気の劇 的な増加を記している。 4. さらに、米英による制裁の濫用に関してもっと詳しい知識をもつ国連高官からも証拠が得ら れる。彼らは監視活動に従事しイラクの人道危機の統治に政治的責任をもっていたのである。 5. イラクの輸出入や海外との経済関係について決定を下した 661 委員会(1990 年 8 月 6 日、 国連安保理決議 661 に基づいて同委員会および制裁が導入された。名前はその決議名に基づく) の内部作業に関する調査を行なった科学者や調査報道ジャーナリストからも証拠が得られている。 6. 最後の証拠は、制裁の影響を調査した公衆衛生の専門家や医師から得る事ができる。 このように具体的で説得力ある証拠が公けに入手可能であるにもかかわらず、 「民間人にこのよ うに多大な被害をもたらす政策の道徳的および法的意味合いに関する、公の議論は驚くほど欠如 している」。 機密解除された米国および国連報告の児童殺害計画 1996 年にオルブライト氏が 50 万人の生命を破壊する意図があったことを公的に認めた以外に も、シークレット・サービスの力を借りた米国指導者のジェノサイドの意図を示す、否定できな い文書の証拠がある。トーマス J. ナギーが米国防情報庁(DIA)作成の機密解除書類に基づき「ア メリカが如何にして意図的にイラクの水道設備を破壊したか」を示している。これらの文書は、 米軍が大規模な疾病の発生により、民間人、とりわけ子どもたちの間で、意図的に大勢の死者を 発生させたことを証明している。 1998 年に、国連が健康と栄養の摂取に関する全国調査を行い、イラク中部と南部の 5 歳以下 の子どもの死亡率が 10 年前の 2 倍に達しているとの結論に達した。それは、1995 年までに 50 万人もの子どもが過剰に死亡したことを示すこととなる。子どもの過剰な死は、一月あたり 5 千 人から 6 千人の割合で続いた。今日まで、水道施設への爆撃と修復の阻止、制裁でもたらされた 栄養不足や栄養失調による公衆衛生への打撃による複合的影響で、3 百万人から4百万人のイラ ク人が死亡し、あるいは死につつある。 今も続く打撃 1991 年の湾岸戦争で「同盟国」は意図的にイラクの水道設備を攻撃した。セングプタ氏による と、その 12 年後、半数の水処理施設は依然、稼動していない。ジョイ・ゴードンは「経済制裁 は大量破壊兵器に匹敵する」と述べている。ゴードンは、661 委員会の米英の委員によって如何 に制裁が濫用されたかについての調査を行った。 4 すでに行われているように、2003 年 3 月から 4 月にかけて、米英によるイラクの水の供給や 浄水工場を組織的に標的とした攻撃がまたもや行われている。当初は、150 万人を包囲した英国 軍が駐留するバスラでの状況がもっとも際立っており、バスラの住民は何週間も飲み水がなく、 飢餓と脱水状態に陥っていた。1991 年に使われた民間人の社会生活基盤を標的とした犯罪的戦略 がまたもや使われたのだ。 1990 年から 2003 年までの、米英による意図的で計画的なイラクでのジェノサイドの証拠に関 する重要な点は、給水システムの意図的な破壊という、それ自体が重大な犯罪であり戦争法違反 である行為が、破壊を修復するあらゆる手段を妨害することで、意図的に拡大されたことである。 国連事務次官でイラク人道問題調整官だったデニス・ハリデーは「イラクの子どもたちを、まさ しく意図的に殺す」ためだったと述べている。 イラクによる調達は 661 委員会の承認が必要――米英は契約を差し止め イラクが生命を救う薬品や浄水設備を購入し、その大半についての支払いを石油収入で済ませ ていたにもかかわらず、それらが届けられないというあるまじき出来事が起きている。米英がイ ラクへ侵攻した 2003 年 3 月までの時点で、52 億ドル相当の物資が、国連管理口座にあったイラ クの石油収入から前払いされていたにもかかわらず、当時の米英政府国連代表によって入荷が理 由もなく数年にわたって遅延または妨害されていたのである。 米英による差し止めはほとんどの経済セクターを標的とし、とりわけ農業や食糧分野で顕著で (7 億ドル相当以上)、次いで発電などのインフラ(5 億ドル以上)、水や衛生物資(3 億ドル)、 通信機器(3 億ドル)、医薬品(2・5 億ドル)などとなっている。電力なしには、浄水設備も下 水道設備も稼動できない。 放射性兵器による戦争 米英は「致死的ウラン」あるいは「汚いウラン」 (いずれも DU)を含む違法な核軍需物資や核 兵器を使用した。それらは「劣化」したウランではない。硬く重く汚く毒性が極度に強い点は、 プルトニウムやアメリシウムおよび他の毒性のつよい物質と同様である。米英は 1991 年にイラ クでこれらの恐ろしい兵器を使い始めたが、1945 年 8 月 6 日の広島、9 日の長崎における原爆投 下から数えると 5 度目にあたる。 広島、長崎への原爆投下の後、最初に核兵器が使用されたのは、同じ米国により 46 年後の1 991年、イラクに対してであった。ウラン兵器はまず湾岸戦争時に配備された。DU の影響に 関する最初の独立した研究は 1993 年になされた。それによると、広島、長崎で起きたのと同じ ような公衆衛生に対する放射線の破壊的な影響が確認された。 新たな核兵器に関する国連の対応 核問題を扱う国連システムの特別な機関である国際原子力機構(IAEA)は DU がイラクに与 えた衝撃に関する詳細な情報を持っている。1999 年 9 月 29 日付けの IAEA 文書 GC(43)/INF/20 は「遺伝子を損なう後遺症や、将来の放射性廃棄物の問題に加え、様々な形態のガン、妊娠初期 の流産、奇形児など、この地域では通常あまり見られない疾病が、爆撃で生じた放射性微粒子に より引き起こされている。この影響は自然現象により国内の他の地域へも広がるだろう」と記し ている。 5 DU を大量破壊兵器(WMD)として禁じた 1996 年の国連決議 国連人権委員会 1996 年第 2 小委員会は DU について大量破壊兵器の要件を満たしていると宣 言した。この国連機関はまた、DU 兵器は違法だとし、その使用を禁じた上で、DU 兵器の使用 は人道に対する罪を構成すると述べた。 国連人権委員会第 2 小委員会の 2002 年 8 月の報告書は、米英による 4 カ国(イラク、ボスニ ア、ユーゴスラビア連邦共和国およびアフガニスタン)への DU 砲弾および DU 爆弾の使用は国 際法違反だと述べている。国際法の諸文書は「毒物あるいは毒性兵器」および「不必要な苦痛を 引き起こすことを意図した兵器、発射装置および物質」の使用を明白に禁じている。ジュネーブ 条約 1997 年第 1 議定書は環境への放射能汚染を禁じている。 DU−違法かつ禁止された兵器 2002 年の国連人権委員会第 2 小委員会による『人権および大量破壊兵器、無差別的効果を伴 う兵器、不必要な傷害や苦痛を生じる兵器』に関する報告書(E/CN.4/Sub.2/2002/38)は、人道 に照らして、その使用が以下のような結果を伴う兵器は禁止されると見なされる、と結論づけて いる。 (a)無差別的効果(非戦闘員と戦闘員とを問わず) (b)正当な軍事目的の追求とあまりにかけ離れている (c)環境に対する広範で長期間にわたる著しい悪影響を及ぼす (d)不必要な傷害や苦痛を生じさせる ミニ核兵器や地中貫通型爆弾は明らかに、これら全ての効果をもたらす。米国の『核態勢見直 し』に記された、5 つの非核兵器国を含む 7 カ国に対する核先制攻撃の指示に対し、この報告書 は警告を発している。筆者はこうした指示がミニ核兵器やウラン強化型地中貫通爆弾に関連して おり、人権や人道法に違反すると考える。 2003 年のイラク戦争中およびそれ以降、米英軍は禁じられたウラン兵器をイラクの最も人口が 集中した地区の無防備な住民に対して使用した。巨大な DU 地中貫通型爆弾が 500 万人もの人口 のあるバグダッドに対して使用された。バグダッドの都心部は著しい核による汚染や放射線のた め、閉鎖されねばならないだろう。 (仮訳:水本和実) 6
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