わが故郷の風景(抄)

わが故郷の風景(抄)
2012 年 1 月 19 日 錦蓬莱
故郷を離れて今年で丁度 50 年になる。人生としての或いは心の節目でもあろうか、
定年を前に還暦を迎える頃から、離れてきた故郷のことが妙に気になってくる。気にな
ってくる処か、益々それが強くなってくる。いっその事、身も心も全身を震わせて、それ
を振り切ってしまえばよいものをと思いながら震わせて見るのだが、それをすればする
ほどその思いは尚一層強くなってくる。アルツハイマーであったか認知症であったか
忘れたが、心の病に罹った老人に、幼い頃の風景を見せたり童謡や唱歌を聞かせたり
すると、微笑んで和やかになってくるということである。それは幼き頃の或いは又故郷
の原風景が、身体の奥深く眠っている何かの琴線に触れ、呼び戻し、奏でてくれてい
るのかも知れない。故郷とは、事ほど左様に不思議なものだ。此の思いは故郷を離れ
ている者にしか分からないのかも知れないが、それは兎も角、心が未だ斑にならないう
ちに、故郷の風景を思い出しながら綴っておくこととしよう。
【原風景今昔】上の写真は山口県防府市向島で「桑の山」山頂から撮影したものであ
る。1944 年(昭和 19 年)、私は此の島の西の端「小田」に生を受け、地元の高校を卒
業、1962 年 3 月 27 日に此の地を後にして神戸の民間会社へ就職した。18 歳と 2 ヶ月
有余の事であった。歴史探訪は好きな物事の一つであるが、迂闊にも此の齢になるま
で生まれ故郷の歴史について、多少なりとも他人様へ語れる位はしていても良さそうな
筈だが、それすらもしなかった。しかしながら、故郷「向島小田」の海と山の自然環境に
育まれ、心身に刻まれた歴史は、心象風景として語ることは出来るであろう。
小田地区は半農半漁の村である。私が此の村を
後にした当時、海岸は石垣組みであった。歴史を
物語る遺跡はないが、英国の外交官アーネスト・
サトウが西国巡行中 1872 年(明治 5 年)に当地の
波止場に上陸(補注)、宮市~山口を訪ねたとい
う。生家は此の写真では見えないが左手のかなり
高い所にあった。(後述)
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(中略)此の浜辺に椰子の実の流れ着いたのを見たことはないが、嘗て桜島が良く噴
火していた頃の噴出物である「軽石」は良く漂着していた。古い記憶ながら薄紫色のハ
マゴウであったか?が咲いていた様に想う。浜豌豆はたくさんあった。過去 50~60 年
で瀬戸内海の環境変化に紆余曲折があり、海中や浜辺・磯辺の生態系も相当変わっ
ているようだ。故郷の現況調査をして見たいものだ。
妻と「浜辺の歌」を唄いながら田ノ浦の浜辺を散策、暫し時の経つのを忘れた。
小田港波止場の外側波消しブロックでの釣り人
小田港の内港の風景
【遊び・遊具・延長】 浜辺・岸辺に於ける楽しい話題の続きのことであるが、矢張り海
の子ならではの楽しい思い出のひとつは釣りである。上左の波止場は子供の頃は幅2
~3m、長さは精々30mもあったろうか、一辺が1~2mの四角い花崗岩の岩を組み合
わせて構築してあった。秋になると鯖や鯵を釣る大勢の人で賑わっていた。小生は釣
りは得意ではなかったが、大勢の中で小さくなって、それでも結構愉しんだ。鯖や鯵を
釣るには川海老が良いという釣キチの人の話を聞いて田圃の溜池へ採りにいった。タ
モは手作りである。4~5Φの固い針金をペンチで三角状に曲げて、先端を木に差し
込むためにL形に曲げて置く。20~30Φ×500Lの木の鉛直方向に錐で二箇所の穴
を開け、針金のL部分を木の両サイドから抱き込むようにして空けた穴に打ち込む。此
の先端部分は木と針金をワイヤーでぐるぐる巻きにして固定する。これでタモの枠は完
成。不要な蚊帳を適当な広さに裁断して、三角の針金に、やや太目の網糸で裁断し
た蚊帳を縫いつける。タモの底の部分になるところを皺にならないように縫い合わせる
のがコツ。縫った合わせ面が残り過ぎると、採った海老を魚籠へ取り込む時に襞に海
老が残ったり、ゴミが沢山襞に入ったりするので要注意だ。
此の波止場ではメバル・カレイ・チヌ等も良く釣れた。今では余りつれないと聞くが、
昔も今も誰でも良く釣れるのは地球のようだ。上右の内港では、昔はベラ・キス・ヌルコ
チ等良く釣れた。夏には潜って水中鉄砲(自家製のゴムの張力・反力を利用した銛)
でチヌを突いたものである。射程内に近付くのが至難である。夜、海ボタルをつけて泳
ぐ鰻を吊り上げた感動は今でも忘れない。
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上の写真は 2008 年 4 月 5 日叔父の葬儀で帰郷した際に撮ったもの(故郷の櫻の開花を見るのは 46 年振りだ)
(中略)「錦橋」を渡る前に撮った。いつ見ても故郷の山を前にすると、身も心も解き放
たれ、暫く佇んだまま陶然としてしまう。何も言うことなし。毎年 4 月になると向島は多く
の山桜で彩られ正に錦絵を見るが如しである。日本には全国いたるところ著名な桜の
名所は数々あれど、故郷の山桜は又格別であり何物にも変え難い。此処に生を受け
た私は幸いである。故郷は有難きかな。
2011 年 3 月 13 日向島蓬莱桜の櫻祭りに参加した。此
の櫻は校舎の中庭にあったが、今は広い校庭に晴れ
やかな姿で泰然と立っている。近付いて足元から
主幹へ掛けての木肌や其々の枝振りを眺めながら、亡
母達の手も経たであろう遠い歴史のことに思いを巡ら
せた。今は、学友達による保存会が守っており、その功
績が認められ、昨年「(財)日本櫻の会」より全国表彰さ
れたという。同慶の至りである。
向島の丸山を回ると眼前に小田が潮の香りと共に迫ってくる。我が故郷だ。
淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしへ思ほゆ(万 3-266)
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる(石川啄木)
蓬莱の巌と小田の津々浦の 心も錦 綾となすかも(錦蓬莱)
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