なぜ、宮城県や「専門家」は解析しないの?

―福島原発事故由来放射能による、女川原発周辺での被曝推定― なぜ、宮城県や「専門家」は解析しないの? 2012.11.11 前号『鳴り砂』
「兵藤報告」のとおり、県の 2012.8.7「技術会」で、昨年 3.11 福島原発
事故直後に女川原発周辺で高濃度のヨウ素(I)131、セシウム(Cs)134・137 が検出(降下物
中:測定は東北電力)されていたことが報告されましたが、兵藤さんご指摘の「人々はど
の程度被曝しているのだろうか」という“当然の疑問”について、本来なら県民の安全に
責任を持つべき県当局も技術会専門委員はそもそも疑問すら抱いていない(?)ようです
ので、不十分ながら本稿で推定・考察してみたいと思います。 【放射性プルーム到達直後(3.13)の汚染濃度】 まず、兵藤報告にある昨年 4.1 データは、昨年 3.1~4.1 の降下物を 4.1 にサンプルを
回収して 6.13 に計測し、4.1 時点に遡って算出したものということでしたので、半減期
(I131:8.04 日、Cs134:2.062 年、Cs137:30.174 年。
「発電用軽水型原子炉施設における
放出放射性物質の測定に関する指針」付録の核データ表)を考慮すると、女川原発の北に
隣接する集落・小屋取での 4.1 の I131 データ「44500 Bq/㎡」は、6.13 計測値「82 Bq/㎡」
から逆算されたものと推定されますが、8 月以降の計測なら「1 Bq/㎡」以下にまで減衰し
ていて、計測が困難(ヨウ素はなかったことにされてしまう?)だった可能性があります。
同様に、5.2 小屋取 I131 データ「740 Bq/㎡」も、計測は 6.13 以降と思われますが、6.21
前後の計測なら「10 Bq/㎡」程度ですが、やはり 8 月以降は「1 Bq/㎡」以下に減衰します
ので、比較的“早目”に計測がなされたことは幸いでした(その点では東北電力に感謝)
。
さて、肝心のデータの意味ですが、女川原発のモニタリングポスト(MP)で放射線量
の急上昇が観測されたのは「3.13 午前0時前後(実際には 3.12 午後 6 時 40 分頃から上昇
し始め、午後 8 時半頃と午後 10 時頃に小ピークあり)
」ですから、その頃に福島第一原発
1号機由来と思われる上記3核種や放射性希ガスからなる「放射性プルーム(雲)
」が通過
し<図1>、希ガスはそのまま通り過ぎ、上記3核種の一部が地表に降下し、3.13 以降は
幸いにも顕著なプルームの襲来はなかったようですので<図2>、4.1 データを与えた降
下物は主に「3.13 降下物」と考えることができます。 そこで、3.13 の汚染初期値を求めると、小屋取で「I131:228,955、Cs134:9454、Cs137:
9250(Bq/㎡)
」となります<以下の数値は表1を参照して下さい>。比は約「23 万:1 万:
1 万」ですから、「10-50:1:1」と推定される福島原発事故で放出された放射能の比
(2012.6.20 東電最終報告 p.277,294)とも矛盾しません。 また、3.13 初期値から 5.2 減衰値を計算すると、
「I131:3074、Cs134:9029、Cs137:9221
(Bq/㎡)
」となりますが、実際の 5.2 降下物データは「740、1776、1813」ですから、4.1
以降は初期に比するほどの放射性物質は女川に襲来しなかったことが分かります。 さらに、3.13 降下物が地表にそのまま沈着(デポジット)したとしても、半減期の短い
ヨウ素(I131)は 5 ヵ月後の昨年 8 月には減衰してほぼゼロになり、後述するように、外
部被曝には寄与しなくなることが分かります。その一方で、半減期の長い Cs134・Cs137
は、1年 9 ヵ月後の今年 11 月でも「5388、8901(Bq/㎡)
」で、事故後 30 年経って Cs134
が「ようやくゼロ」になり、その時点でも Cs137 は「やっと半分」にしか減っていません。
このことは、汚染レベルが(Cs137 で小屋取の約 10 倍の)
「100 kBq/㎡(=100,000 Bq/㎡)
」
を超える地域が 60km 圏の陸地部分の半分近くを占める福島県では(国会事故調報告 p.330
の図)
、事故後 30 年が経っても Cs134 も消えておらず、Cs137 は「せいぜい半分」にしか
減衰していないということを示しており、放射能汚染の深刻さ・重大性を改めて認識する
必要があると思います。 【3.13 降下物による外部被曝の目安】 東北電力がPR紙などで“自慢”しているように、3.11 直後から女川原発(敷地内の体
育館)が小屋取・塚浜・飯子浜・前網・鮫浦など周辺住民の避難所となりました(~6.6)
。
しかし、3.13 初期値から推定すれば、女川原発周辺は 4.9 頃までは「放射線管理区域」に
相当する「4万 Bq/㎡(3核種の合計)
」を超える汚染濃度となっていた可能性があります
ので、手放しでは喜べません。むしろ、原発のモニタリングポスト(MP2)では 3.13
午前 1:50 に最大
「21,000nSv/h(=21μSv/h)
」
の空間線量が観測されていたのですから、
周辺地域の汚染を考慮して、なるべく早期に別の避難所に移動するという選択肢が考えら
れてもしかるべきでしたが、実際には、周辺道路が地震・津波の影響で各所で寸断されて
いて、とても移動できる状況にはなく(H24.10.9 東北電力の説明資料 p.24)
、仕方ありま
せんでした。しかし、このことは、今後新たに女川原発の防災計画・避難計画を策定する
上で、大いに教訓化しなければならない事項だと思います(福島原発事故では、幸いにも
原発周辺の交通網は比較的確保されていました)
。 さて、3.13 汚染濃度初期値から外部被曝線量(
「汚染核種から放出される放射線量×日
数」の累計=積分値)を推定するには、いくつかの仮定が必要です。 まず、放射線量(空間線量)が各核種の汚染濃度に比例すると考え(従って、得られた
結果は「絶対値」ではなく、あくまでも「目安」ですが)
、汚染初期値に比例する放射線を
1日中(減衰を考慮せず)浴び続けた場合の外部被曝線量(の目安)を便宜的に「1」と
すれば、実際には半減期に従って減衰しますので、半減期の短いヨウ素(I131)では最初
の1日(3.13-3.14)の積分値は「0.96」となります、一方、1日ではほとんど減衰しない
Cs134・Cs137 では「1.00」です。 その後、ヨウ素(I131)による外部被曝線量は、消滅する5ヶ月後の 8 月で「11.60(終
局値)
」となりますが、半減期と同じ 8 日間(3.21)で終局値の約半分「5.78」を、1 ヶ月
間(4.13)で終局値の9割以上「10.80」を被曝してしまうことが分かります。このことは、
ヨウ素(I131)による外部被曝にとって、早期避難などが極めて重要であることを意味し
ます。一方、Cs134・Cs137 では、数ヶ月間は「ほぼ経過日数分」の外部被曝がもたらされ、
1年 9 ヵ月(611 日)後の今年 11 月 13 日では「467.35、599.41」と「経過日数の 76%、
98%」にしか減少せず、小屋取の汚染レベルでも事故後 30 年で Cs134 外部被曝はようやく
「終局値 1086.56」となりますが、ヨウ素同様に半減期と同じ事故後 2 年間で半分の被曝
線量「532.09」がもたらされます。ですから、とりわけ福島県内をはじめとする高汚染地
域に居住し続けることの危険性を、改めて再認識する必要があると思います。 【3.13 降下物による内部被曝の目安】 また、3.13 に一度に各核種を体内に取り込み、3.14 以降の取り込みはないと仮定して
(従って最小限の評価となります)
、取り込んだ核種が実効半減期(体内での半減期)に従
って減衰・排出される(それまで内部被曝をもたらす)と考えれば、上記同様、不十分な
がらも内部被曝線量(の目安)が推定可能です。ここで、実効半減期は「I131:7.5 日、
Cs134:96 日、Cs137:109 日」
(小出裕章・黒部信一「原発・放射能 子どもが危ない」文
春文庫 p.69 の高木仁三郎著作集から引用した表)とします。 各核種の最初の1日(3.13-3.14)の積分値は、前述の外部被曝線量(の目安)と同じ
で、また、
(物理学的)半減期と実効半減期があまり違わないヨウ素(I131)の内部被曝線
量の数日での急増・1ヶ月程度での頭打ちの様子も前述同様です。一方、Cs134・Cs137 で
は、
(物理学的)半減期と実効半減期が大きく違うため、事故から 4-5 年で頭打ち(終局値)
となり、3-4 ヶ月で終局値の半分となります。ですから、当たり前のことですが、新たに
Cs134・Cs137 を体内に取り込まなければ、内部被曝を大きく減少させることが可能ですか
ら、放射能濃度が事故から 1 年半以上経過しても大きくは減少していない(魚ではむしろ
濃度上昇も見られる)現在、食事・食材に十分に気をつけることがまだまだ必要です。 【3.13 降下物による空間線量・外部被曝線量】 次に、汚染濃度から、実際の空間線量・外部被曝線量を算出してみます。ここでは、空
間線量率換算係数((nGy/h)/(kBq/㎡):今中哲二「低線量放射線被曝」岩波書店 p.200
表2)として「I131:1.49、Cs137:2.18」を用い、Cs134 については「Cs137:0.0942、
Cs134:0.258」((Sv/h)/(Ci/㎡):小出裕章・渡辺満久・明石昇二郎「「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場」集英社新書 p.79 表2)を使って計算した「Cs134:5.97」を用いるこ
ととして、上記3核種の吸収線量 Gy(グレイ)と被曝線量 Sv(シーベルト)の修正係数1
より「nGy/h≒nSv/h」と表記換えをします(福島事故後“一般的”になった放射線量の
単位「μSv(マイクロシーベルト)」は「nSv(ナノシーベルト)」の 1000 倍です)。 3.13 汚染濃度初期値から換算すると、空間線量率(小屋取)は「I131:341.1、Cs134:56.4、
Cs137:20.2」で合計「417.7nSv/h=0.4177μSv/h」と求まります。これは、福島事故後
に国が決めた、子どもに「年間 20mSv」の外部被曝を強要する「3.8μSv/h」という空間線
量率に比べれば約 10 分の1ですが、「年間1mSv」という事故前の一般人の許容被曝線量
を考えるならば、決して問題がない値ではないことが分かります。 また、事故後1年で「0.7 mSv」、奇しくも 2012.11.13 までで「1mSv」という数値も、
外部被曝だけで、食物を通した内部被曝を考慮していないことを考えれば、安易に軽視す
ることはできないと思います。 以上の結果は、福島事故による高汚染地域に比べれば幸いにも小さい値でしたが、「ど
の程度被曝しているのだろうか」という宮城県民の誰しもが抱く“当然の疑問”について、
各地域の実測値に基づいて、県当局や技術会専門委員がより正確な計算を行なって、県民
が自分で判断するための数値をキチンと説明する必要があるのではないでしょうか。 2012.11.11 原稿への追記 追伸:改めて宮城県全域での初期被ばく検証が必要! 2013.1.14 2013.1.12 夜のNHKスペシャル「空白の初期被ばく~消えたヨウ素 131 を追う~」で
は、国(の官僚・役人)や福島県(の御用学者)が、実際には初期ヨウ素被ばく量の正確
な測定を行なっていなかったにもかかわらず、
事故後2週間以上経過した 3.26~30 のヨウ
素・セシウムを区別できない測定結果に基づき(しかも、写真ではたまたま?、子ども2
名が測定器を正しく喉に当てられずに計測されていました)
、科学的根拠なしに「ヨウ素被
ばくは問題なし」と安全宣伝したことに対して、弘前大・床次(とこなみ)眞司教授らが、
ヨウ素 131 とセシウム 134 の事故直後 3.15~の体内濃度実測値(0.23:1の比率)に基づ
き、現在では測定不能なヨウ素被ばく量を事故1年後に測定した体内セシウム濃度から推
定する方法が紹介されました(1.12 朝日にも紹介記事)
。その中で筆者が驚いたのは、ヨ
ウ素 131 の拡散シミュレーション(海洋研究開発機構・滝川雅之氏ら)で、3.12 夜や 3.15
夕方以降の大きく二度、宮城県南部から仙台市・宮城県北部を通って岩手県ほぼ全域をも
縦断するようなヨウ素 131 プルームの通過・拡散が示され、また、3.12~31 までの地表付
近の合計値で 10 万[ベクレル/㎥ hr](単位は?)を超えるヨウ素 131 汚染地域(ホット・ス
ポット)が県南沿岸部から仙台市および大崎・栗原地域にまで直線状に生じ、その汚染状
況は女川原発・牡鹿半島周辺よりも高かったことです。本稿で筆者は、群馬大・早川由紀
夫教授の初期の推定に基づき、女川原発周辺が初期プルームによる最大汚染地域と考えて
考察しましたが、それは間違いでした。 番組では、
(御用学者ではない科学者らによる)上記シミュレーション作成のための実
測データ回収(発掘)に福島県の原子力担当職員が尽力していたことも紹介され、これま
で女川原発の安全宣伝にのみ協力してきた宮城県職員には到底できない(村井知事からも
禁止される?)ことのように筆者には思えましたが、このような筆者の“偏見”を正すた
めにも、宮城県や専門家には、改めて最新のデータを基に、宮城県全域での初期ヨウ素被
ばく・放射線被ばくの実態について、科学的検証(東北電力が秘匿していたり研究機関に
埋もれているデータの発掘も含め)を行なってもらいたいと思います。