日本産科婦人科学会雑誌 ACTA OBST GYNAEC JPN Vol. 67, No. 10, pp. 2192―2198,2015(平成 27, 10 月) 第 67 回日本産科婦人科学会・学術講演会 理事長推薦フォーラム 「きらきら光るギネ女,ギネメン」 ギネナビ∼ワーク・ライフ・バランスを応援します∼ 1) 獨協医科大学 2) 三重大学 3) 大阪府立母子保健総合医療センター 4) 岩手医科大学 5) 豊橋市民病院 6) 静岡市立清水病院 7) 九州大学 8) 女性クリニック We! TOYAMA 9) 亀田総合病院 10) 熊本大学 北澤 正文1) 北野 裕子2) 亮3) 小島 淳美4) 梅村 康太5) 清水 幸子9) 阪部江里子6) 権丈 洋徳7) 片渕 秀隆10) 種部 恭子8) 山本 Glowing Gyne-jyo and Gyne-men Gyne-navi∼We Support Work Life Balance∼ Masafumi KITAZAWA1), Yuuko KITANO2), Ryou YAMAMOTO3), Atsumi KOJIMA4), Kouta UMEMURA5), Eriko SAKABE6), Hironori GONJYOU7), Kyouko TANEBE8), Yukiko Shimizu9), Hidetaka KATABUCHI10) ! 1) Department of Ob Gyn Dokkyo Medical University, Tochigi Department of Ob Gyn Faculty of Medicine, Mie University, Mie 3) Department of Ob Osaka Medical Center and Research Insutitute for Maternal and Child Health, Osaka 4) Department of Ob Gyn Iwate Medical University, Iwate 5) Department of Ob Gyn Toyohashi Municipal Hospital, Aichi 6) Department of Ob Gyn Shizuoka City Shimizu Hospital, Shizuoka 7) Department of Gyn Ob Graduate School of Medical Sciences, Kyusyu University, Fukuoka 8) Women’s Clinic WE! TOYAMA, Toyama 9) Department of Ob Gyn Kameda Medical Center, Chiba 10) Department of Ob Gyn Faculty of Life Sciences, Kumamoto University, Kumamoto ! 2) ! ! ! ! ! ! はじめに 今回の企画・タイトルは,日本産科婦人科学会 の「男女共同参画・女性の健康週間委員会」の総 意でつけたものであり,また,プログラムを構成 していく段階で平成 26 年度小西郁生理事長の推 Key Words: Professional, Privacy, Work life balance, Diversity, Obstetrics and Gynecology 今回の論文に関して,開示すべき利益相反状態はありません. 2015年10月 理事長推薦フォーラム 2193 薦フォーラムとしていただいた. 本学会の最新の解析では,35 歳から 40 歳の最 も働き盛りであるはずの産婦人科女性医師の約半 数が,本来の仕事である分娩に関与していないと いう実情が示されている.その一方で,卒後 14 年から 16 年の女性医師の 45% に子供がいないと いうことも示されている.この 2 つのデータのひ とつ目はプロフェッショナルに関するものであ り,2 つ目はプライバシーの一例を示している.私 た ち 産 婦 人 科 医 は,女 性・男 性 を 問 わ ず プ ロ フェッショナルとプライバシーを両立していくこ とを望んで来たし,今後も望んで行く.しかし, 【図 1】 ワークショップ参加者一覧 我が国の社会や本学会は,そのための成熟した環 境をまだ必ずしも提供できていない.峯岸敬会長 フォーラムを開催している.若い医学生を産婦人 は,今回のテーマとして「知の連携」を挙げられ 科にリクルートしていくためにも,産婦人科は た.この視点に立って,日本の産婦人科医の次世 「ワーク・ライフ・バランスをしっかりと考え,生 代を担う若き 20 代,30 代が将来の人生設計に思 活も保障しますということを実践しよう」と 2 年 いを巡らす中で,ナビゲーションとなる経験や体 前から学会全体で努力してきている.それまでは, 験を「ダイバーシティ」をキーワードに,今きら 産婦人科医を増やし頑張って乗り切っていこうと きらと輝いている 30 代後半から 40 代前半の女性 いう感じだったが,それだけではいけないことに 医師 3 人,男性医師 3 人にお話しいただくことを 気付いた.また,医療改革委員会では将来の周産 本企画の目的とした. 期体制を維持するために,総合母子周産期セン ■講演概要 ターでは 20 人の常勤医配置を目標として掲げて いる.その実現のためには 2 本柱が必要だと考え 総合司会として片渕秀隆委員長が担当し講演会 ている.ひとつの柱は,学会や医会が中心となっ が開始された.プログラムの流れとして,最初に て,国,地方行政や各病院長に働きかけ,24 時間 小西郁生理事長にステートメント,その後メーン 保育や病児保育,ベビーシッター体制などのハー イベントのひとつである「ギネナビ∼ワーク・ラ ド面をきちんと整備してもらうことが大前提とし イフ・バランスを応援します∼」を 40 歳代前後の て非常に重要と考えている.もうひとつは,プラ 6 名の先生方にそれぞれ提示してもらい,もう一 イバシー面である.個人のプライベートな状況で, 人の司会者である清水幸子副委員長が担当して開 本当に常勤で産婦人科医が続けられるだろうかと 催した.さらに,もうひとつのメーンイベントで いう瞬間が訪れる.どうしたら乗り越えられるか あるワークショップを種部恭子先生の進行で, 「産 悩む事態が迫って来た時,先輩方や頑張っている 婦人科のダイバーシティ∼産婦人科を続ける理由 人達の経験を聞き,どのように乗り切って来たか あなたのミッションは?∼」というテーマで,推 という情報をお互いに共有しておくチャンスが重 薦で選ばれた 19 名(演者 6 名を含む) の参加者と 要となる.そういう意味で,今回の学術講演会で 共に開催した.そして最後に,片渕秀隆委員長が 「横浜宣言 2015 年春」を発表した. 1.ステートメント:小西郁生(公益社団法人 日本産科婦人科学会理事長) 今 回 の 学 術 講 演 会 で は,同 時 進 行 で 医 学 生 2 回目となるこの企画が,今後も継続して行って ほしいと考えている. 2194 理事長推薦フォーラム 2.ギネナビ∼ワーク・ライフ・バランスを応 ②山本 科) 私の履歴は,医学部に進学する前は病院薬剤師 亮(2004 年卒:大阪府立母子保健総合 医療センター) 援します∼ ①北野裕子(2010 年卒:三重大学医学部産婦人 日産婦誌67巻10号 2004 年に大阪大学を卒業,救急の盛んな徳洲会 系の病院で研修をスタートした. 平成 22 年から総合周産期センターに赴任して, をしていた.医学部再受験を決意したのは,患者 自分の方向性を決定づけた 3 つの出会いがあっ さんのそばで役立ちたいという強い思いからだっ た. た.また,色々な世代の患者さんと接することが まずは,双胎間輸血症候群(TTTS) に代表され できる産婦人科医を目指すことになった.初期研 るような胎児疾患との出会い.産後に治療したの 修で結婚,後期研修で出産となった.こうして後 では間に合わない疾患があるということを初めて 期研修のスタートと育児のスタートが重なり,産 知った. 婦人科医への道が始まった.産休明けの復帰後, 2 つ目は,通常の管理では予後が不良な疾患に 両親からのサポートはなく,また夫は会社員で土 対して行う胎児治療.TTTS は,原因となる吻合 曜日まで働き毎日 23 時頃に帰宅,1 日 11 時間働 血管を胎児鏡下にレーザーで遮断する治療が行わ くのがやっとだった.後期研修医としての最大の れているが,治療効果が出て血流状態が改善して 山場である専門医試験に向かい,分娩や手術,緊 行く様は非常に衝撃的だった. 急症例が少なくなるという問題が生じていた.そ 3 つ目は,I 先生(仮) との出会い.赴任するなり, こで,延長保育や土曜日保育をフル活用し,夜間 治療方針や仕事のシステム,教育,臨床研究など, 保育で当直も始め, 12 時間の勤務を捻出できた. あらゆる面をドラスチックに改善していった.そ ところが,子供の体調不良が問題で,当直業務を んな中, 「留学してみたら」といわれ,非常に面食 一時的に断念せざるをえなかった.このため,医 らった.留学先としては,バルセロナ大学に狙い 局に相談し,年間分娩件数 1,000 件を超える医院 を定め.初めての国際学会で,先方のボスと接触 に週 1 回日勤帯でお世話になることになった.入 することができ何とかこちらの意思を伝え,その 院治療を要する症例は大学病院で,分娩や外来は 場で快諾を得て平成 25 年 1 月から留学生活をス 症例数の多い医院で経験するということだった. タートした. この結果,1 年経たない間に目標症例に達するこ 留学の 2 本柱と考えたのが,胎児治療と臨床研 とができた.こうした取り組みをするきっかけと 究.胎児治療は,年間 70∼100 件と症例の集まる なったのが,アメリカへの訪問調査だった.アメ 周産期医療センターと周辺の研究施設で,最後の リカでは「レイバー」つまりお産をする人,レイ 3 か月数例の手術を執刀する経験ができた. バリストという専門の周産期医がいる.レイバリ 次に臨床研究だが,胎児治療に関する研究テー ストは,1 週間の中で勤務時間を濃縮して仕事を マをもらい,その成果を先日バルセロナで開かれ し,ワーク・ライフ・バランスを保っている医師. た国際学会で,研究内容を発表することができた. 勤務は平均週 3.5 日.また,このサポートにより, 留学を終えて感じたことは,まず留学を思い立 産婦人科業務全体を担う医師が外来や専門の仕事 ち何とかやり通せたのはメンターの先生の存在, に専念でき,夜間も呼び出しが減り,余裕ができ それにたくさんの人に支えがあったからだ.また, るきっかけとなっている.要するに,一通りの業 留学自体短期間であっても,出会いや異なる医療 務をこなせる産婦人科医が,周産期に特化し,自 や研究思想に触れただけで十分な価値がある. 分の実生活に即したシフト制で働くことを専門性 最後に,自分がどういうキャリアを積んでいき のひとつとしている.一人前になった後ではある たいかが見えない時,モデルになるようなメン が,こうした選択肢もあるということは画期的だ ターの先生を見つけることがひとつの道になると と考えている. 思う. 2015年10月 理事長推薦フォーラム ③小島敦美(2000 年卒:岩手医科大学) 私は名古屋市の出身で,愛媛大学に進学した. 学生時代に伊藤昌春教授からいただいた「臨床の モチベーションに基づかない研究であれば,臨床 2195 環境をつくること. ④梅村康太(1998 年卒:豊橋市民病院) 私は愛知県豊橋市に生まれ,札幌医科大学を卒 業,北海道で約 20 年間過ごしていた. からする必要はない. 」という言葉をずっと心に留 大学病院の時代,腫瘍班に属していたが, スタッ めている.初期研修直後に大学院入学を勧められ フの数も少なく,良性の腹腔鏡下手術も行うこと たが,生意気にも「今はまだモチベーションが得 ができた.当時は腹腔鏡下手術の対象は良性疾患 られません. 」 と断ってしまった.にもかかわらず, だけだったが,悪性疾患に対して最も有効ではな 研修を通して興味をもっていた腫瘍を勉強するた いかと考えていた.そういう中で,倉敷成人病セ め兵庫県立成人病センター(今のがんセンター) に ンターの安藤正明先生の講演を聞く機会があっ 赴任させていただき,その後西村隆一郎部長のご た.開腹手術で広汎子宮全摘出術を行うと,視野 指示により悪性腺腫について研究することとなっ が狭く操作が難しい.しかし,腹腔鏡手術では, た. 視野が広く手術操作がやりやすく出血も少ない. 当時,悪性腺腫は非常に難しい腫瘍に感じられ 2011 年から 2 年間,倉敷成人病センターに行 たが,手に入る子宮頸部内頸部型腺癌総ての症例 き,腹腔鏡の基本操作から悪性腫瘍まで勉強した. 標本とそのカルテを確認することで,少し見えて そこで覚えたことは色々あるが,懇親会や学会活 来 た よ う に 思 え る よ う に な っ た.そ ん な 中, 動に参加して多くの人達との名刺交換も覚え,そ JSAWI での三上芳喜先生(現熊本大学教授) との れが後で役立つことになった. 出会いを通して,論文が完成し北米病理学会で発 キーワードのひとつは「名刺」だが,縫合研修 表できた. “胃型”腺癌と定めたら予後に差がある 会で豊橋市民病院外科部長の先生と一緒に縫合研 という研究はインプレッシブで,多くの先生たち 修をした際, 「豊橋出身なので」と名刺を渡した. の 繋 が り で で き た 研 究 に よ り,2014 年 改 訂 の 半年後,豊橋市民病院で腹腔鏡のできる人を募集 WHO 分類で亜型と認められた. していると,院長から直接メールが来た. 私個人としては,愛媛大学に戻った後,専門で 当時,豊橋市民病院の若手の腹腔鏡下手術のイ ある子宮頸癌が多い地域での医療を希望してイン メージは, 「時間がかかって難しそう,縫合なんか ドネシアへ留学した.留学先は,インドネシア第 見たことがない」というものだった.そんな中, 2 の都市にある大学病院で,満足な麻酔器や手術 自分が取扱説明書になるつもりで腹腔鏡下手術を 器具がない中,多くの手術を経験し,何かをつか 開始した.まず,目標を立て,内視鏡認定医を取 んだ気がした.その後,自分を育ててくれた四国 得,子宮悪性腫瘍の腹腔鏡下手術,それにロボッ の患者さんに少しでも還元できればと四国がんセ ト手術も行った.実践の方法は,手術 DVD を一緒 ンターで 3 年間勤務した後,昨年の春から盛岡に に観,毎回の手術のイメージを作り,ドライボッ 赴任している. クス等で練習をした.また,ビデオカンファレン 現在は岩手医科大学の医局長という立場にあ スを企画し,アニマルラボを使用した.難しい手 り,時間が限られた子供がいる女性医師であって 術の場合は,新しい技術を持った先生を呼んで一 も,サブスペシャルティの専門医を取得し,フル 緒に勉強,これらのことを繰り返しながら 2 年間 タイム復帰時には指導医の立場で戻れるよう配慮 やってきた.着任半年で腹腔鏡下手術が約 120 件 している.と同時に,過度の女性優遇にならない に増え,昨年は 400 件まで達し結果を残すことが ように,女性が働きやすい環境が男性にも多様な できた. 働き方を認められる環境でもあるようにと考えて 最後に,一生懸命やるという思いは皆さんに伝 いる.私からの提言は,男女にかかわらず“自分 わるので,一生懸命にやってみる.学会や講習会 なりに”頑張り続けることと,それを支えられる では,たった 1 枚の名刺を,渡すことで多くの繋 2196 理事長推薦フォーラム がりが生まれ,その関係を保つことが大切だと思 う. 日産婦誌67巻10号 意見交換をしている. 最後に,私の目指す先は,思春期医療・教育を ⑤阪部江里子(1996 年卒:静岡市立清水病院) 通じて静岡市の子供たちの未来を守ること.これ 私は富山県出身で,富山大学医学部を卒業した. をライフワークとしていきたいと考えている. 卒業後,私にはキャリアに響くさまざまな出来事 ⑥権丈洋徳(1998 年卒:九州大学) が生じた.卒業と同時に結婚,夫は循環器内科医 私は福岡県出身で久留米大学を卒業し,聖路加 を選択,専門医取得後 2 人の子供を出産,夫のカ 病院で外科レジデントとして医師のキャリアをス ナダ留学, 夫の地元への U ターンなどであった. タートさせた.外科医として充実した日々を送っ 産婦人科専門医取得後,妊娠し出産に挑み,産 ていたが,父の入院をきっかけにいろいろと悩み, めば何とかなると考えた.しかし,出産した日か 九州大学産婦人科教室でお世話になった.関連病 ら大変な生活が始まり,何とかしなければならな 院を回りながら産婦人科専門医を取得,その間, いと変わった.そこで,私は夫のキャリアを優先 結婚や長女が生まれるというライフイベントも経 することを選択.妊娠・出産の 3 年間,分娩を扱 験した. わない総合病院で 1 人産婦人科を担当した.そこ 平成 24 年から大学病院で勤務するようになり, に,夫が自分の研究成果で掴んだカナダ留学,思 週 1 回の外勤日を父の診療所で勤務するように い切ってカナダに行くことにした.カナダで学ん なった.並行して,腹腔鏡下の子宮悪性腫瘍手術 だことは,子育ては孤独ではなく楽しくて素敵な やロボット手術といった臨床試験にも携わるよう こと.子供は皆で守って育てて行くものだと気付 になり,平成 26 年には腹腔鏡手術の技術認定医も き,子育てに対する考えが 180 度変わり,後に思 取得した.しかし,再び父が入院,再度診療所で 春期医療への考えの基礎になった. 地域医療に従事するか,大学病院で高度な医療に 帰国直前,研修した高岡市民病院の元の上司か 携わっていくのか,どのような形で働くのかを真 ら再研修の提案を受けた.一般的な診療に加えて 剣に考えさせられた.結果的に,昨年 4 月から週 思春期・更年期外来を担当させていただいた.そ に 2 日大学病院で勤務,週に 4 日診療所で勤務す こに,種部恭子先生から勉強会に誘われた.この る形で仕事をしている.具体的には,大学病院で 会は,女性のヘルスケアに関わるさまざまな診療 手術と外来を担当,外来はグループ制で癌患者さ 科の先生から成り,自由に質問できる会であった. んの管理や新患を中心に担当している.診療所で このように専門性を伸ばす機会を与えていただ は,一般の婦人科疾患外来,妊婦健診,分娩,帝 き,充実して仕事をしていた時,夫が地元に帰る 王切開などを行っている. 決心をした.当初,夫に単身赴任してもらったが, 勤務医と決定的に違う点は,レセプト業務,物 私が我慢すれば済むことと,渋々静岡に転居した. 品管理,医療スタッフの雇用など診療以外の業務 清水病院での活動は,まず思春期・更年期外来 に携わることであった.しかし色々な業務を行う を開設した.思春期における性教育・健康教育の ことで,医療を支える様々な環境全体を見渡す努 大切さを教育委員会に訴え,性教育推進事業を立 力をするようになった.医療は医師や看護師以外 ち上げて貰った.同時に,養護教諭に思春期の健 の多くの人にも支えられており,謙虚に働くこと 康教育の必要性を啓蒙し,思春期の異常を早くみ で仕事が円滑に行えることを実感している.また, つける流れを作ることに力を入れた.また,性教 大学病院と診療所を行き来しながら診療を行って 育を進めるには講師の養成も必要と考え,子育て いると,新しい知識・技術に触れる機会が多くモ 中の産婦人科女医 2 人に協力を依頼している.ま チベーションが維持でき,情報も伝えやすく,円 た,女性のヘルスケア研究会を発足させ,各診療 滑な医療連携にも繋がっている. 科の連携で,科を超え知識を持ち寄り,さまざま 今後は益々働き方の多様化や流動化が求められ な視点から女性の健康を考えていこうと積極的な る時代になると考えられる.私からの提言として, 2015年10月 理事長推薦フォーラム 2197 【図 2】 研修医・医学生のみなさんに伝えたい,私たち 産婦人科医の誇り 多様化が求められる中,謙虚な気持を忘れずに, 短期的な目標と長期的な目標を適度なバランスで 持ちながら仕事に関わり続けて行くことがより良 【図 3】 研修医・医学生のみなさんに伝えたい,私たち 産婦人科医の誇り 他の診療科にはない,多様性と一体感.全員野球で 女性の人生を支えています. い医療を形作るきっかけになると感じている. 3.ワークショップ:産婦人科のダイバーシ あった.目の前の女性を丁寧に診ること,地域医 ティ∼産婦人科医を続ける理由,あなたの 療や地域の女性の健康増進に貢献すること,自分 ミッションは?∼ を越える後進の育成,支えてくれた指導者への恩 産婦人科は,20∼30 代において最も女性医師の 返しなど,ミッションは多様だった.どれもが産 割合が高い診療科で,早くから積極的に男女共同 婦人科医療の重要な 1 ピースであり,お互いが持 参画に取り組んできた.男女共同参画というと仕 つ多様なミッションを認め合い,支えあい,全員 事と家庭の両立をテーマにすることが多いが,日 野球ができることが,産婦人科医療全体の質の向 本産科婦人科学会は一歩進んで「ワーク・ライ 上につながると認識できた. フ・バランス」に取り組んでいる. しかし,到達点にたどり着くまでには,ライフ 今回のワークショップでは,多様な働き方の 19 プランやワーク・ライフ・バランスなど,解決し 人の若手男性・女性医師で, 「産婦人科医を続ける なければならない問題を抱えている.子育てや自 理由∼あなたのミッションは?」と題して,産婦 身の病気などで生活を優先せざるを得ない状況に 人科医を志した理由,仕事が生活や家庭に与える なると, 「キャリアダウン」を恐れる方もおられる よい影響,生活や家庭が仕事に与えるよい影響, かもしれない.しかし,多様な生活体験はいい仕 上司・同僚・部下からの心ない一言,自分を育て 事をするために必ず役に立つということも,ワー た一言,そして産婦人科医として成し遂げたいこ クショップの中で確認できた. となどを話題に開催した. 登壇者にはそれぞれ心に秘めるミッションが 産婦人科医療の発展のためには仕事の内容,働 き方,生活など,すべての分野でダイバーシティ 2198 理事長推薦フォーラム 日産婦誌67巻10号 【図 5】 横浜宣言 2015 年春 産婦人科医を続けるた めの 10 か条 「横浜宣言 2015 春 産婦人科医を続けるため の 10 か条」 1 人や社会の役に立てる仕事であることを誇 りとします. 2 さまざまな志を持つ仲間たちのそれぞれの ミッションを尊重します. 【図 4】 私たちが,産婦人科を続ける理由 3 ワーク・ライフ・バランスの推進に取り組 みます. 4 が必要だと認識できた. このことを受け, 女性を診 ライフイベントによる労働の制約に対して 多面的なケアがなされるように働きかけます. る診療科だからこそ,医学界のどの団体よりもダ 5 ケアへの感謝を忘れません. イバーシティを推進する団体でありたいと思う. 6 健康に働けるよう労働環境を改善する努力 ■座長よりのまとめ 私たち男女共同参画・女性の健康週間委員会で 毎年,学術集会の企画を提供してきたが,極めて 評価が低く,2 年前に一度終了が宣告されてし まった.視点を変えて昨年,今年とこの企画を開 催した.今年は 600 人収容の会場にたくさんの を惜しみません. 7 努力に対してフェアな評価を心掛けます. 8 産婦人科の仕事の多様性を活かし, 活躍の機 会が公平に与えられるように努力します. 9 さまざまな立場の違いを強みとできるよう, ダイバーシティの推進に努めます. 10 ミッションを果たすために応援してくれる 方々にご参加いただいた.委員会のメンバー一同 上司,同僚,後輩,家族への感謝を忘れず,産婦 感謝申し上げるとともに,今日の 2 時間のさまざ 人科医療への貢献を通じて社会に還元します. まな発言や経験をそれぞれのお立場で考えていた 謝 だき,次世代を担う若い産婦人科医が増えて,彼 らが後悔のない充実した産婦人科医の生活を続け ることができるように努力を続けていきたい. 最後に, 「座長よりのまとめ」として片渕秀隆委 員長より, 「横浜宣言 2015 春」が提示された. 辞 理事長推薦フォーラムを終えるにあたり,第 67 回学術 集会会長:峯岸 敬教授,平成 26 年度日本産科婦人科学 会理事長:小西郁生教授ならびに本会委員会委員の皆様 のご協力に深謝する.
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