亀井先生との出遇い 仏教学科2年 髙松 繁 こんにちは。仏教学科2年の髙松繁です。 私は、福岡の大濠高校という私立の男子校に数学の教諭として35年間勤め、昨年の3 月末で早期退職し、縁あって九州大谷短大に入学しました。父親は久留米の円行寺の総代 をしていて、高齢で総代がやれなくなり、私が継ぐことになりました。浄土真宗の宗祖の 親鸞聖人に興味がでてきたので、2年前、この大学の夏のキャンパス見学に参加しました。 そのとき、大学のことを説明して頂いた先生に基本から勉強した方がいいとアドバイスさ れ、この大学に入学しました。2年生になって、講義も難しくなってきましたが、同じ学 年の仲間にいろいろとよくしてもらいながら、先生の話される言葉を大事に受け止めて勉 強しています。 亀井先生との出会いについて今から話をすることにします。福岡大学附属大濠高校に採 用されたのは、今から36年前の昭和49年4月です。皆さんはまだ生まれておられませ んが、私は団塊の世代でベビーブームの世代です。亀井先生は私より8歳年上で、西南学 院大学の英語学科を卒業、その後、神学科を卒業されています。英語の先生であり、キリ スト教の牧師でもあります。 私は大学を卒業し、大学院に進学しました。大学の先生になる夢をもっていましたが、 日本数学会で発表したとき、別の分科会で同じ位の歳の学生の発表をみて、数学で仕事を していくのは能力的に無理だと思い、縁があって大濠高校の数学教諭として雇ってもらい、 勤めさせて頂きました。 亀井先生と私は、最初から同じ学年で二人とも担任を持たされました。私は、公立の高 校の教諭になりたいと思っていました。亀井先生は、8歳年下の私を一人の人間として認 めてくれ、人間としてのあり方や姿勢を教えてもらい、この学校でやっていく決心をしま した。 亀井先生には、西南大学のとき教えていただいた猪城先生の自宅に連れていってもらい、 猪城先生と話をする機会をつくってもらいました。そのとき、『道の学び』という本を猪 城先生から頂きました。 結婚するとき、亀井先生に「人との出会いを大切にしなくてはいけない。」と言われ、 「出会い」ということに初めて目を向けさせてくれたのも亀井先生でした。 昨日、『道の学び』という本の第一部「共に生きる」を見てみると、第三章「結婚」の なかに、私がアンダーラインを引いている次の文章がありました。 「相手を助けるだけでなく、相手の助けを求めて、二人は結婚するのである」 「特定の一人の男と、特定の一人の女が結ばれると云うことは、単に自然なことである だけでなく、何か不思議なことである」 今から推測すると、結婚するとき、私はこのようなことを考えたのかもしれません。こ れも亀井先生の影響かもしれません。 また、数学を生徒にわかりやすく教えるために、数学教育を勉強した時期もありました。 高校時代は数学の先生が恐かったから勉強した、ということではなく、社会に出ても役に 立つようなものとして問題解決の方略を考え、生徒に教えたりしました。その勉強した内 容を私学の全国大会で発表する機会があり、発表内容に対して亀井先生も興味を持ってく れたことを思い出します。 大濠高校時代の私と亀井先生との関係は、亀井先生の一人の人間としての姿を参考にし て、同僚として、時には友として、時には師として激励してもらったりしてもらいました。 『道の学び』の第五章「師と友」に私がアンダーラインを引いている次の文章がありま した。 「師弟の関係で一番大切なことは、正直ということであろうか。嘘を言わないことであ る」 「大人になっても何か純なものを持ち続けていることが、人と人とを友として結びつけ るのである」 この文章から、亀井先生と私の共通なところをさがすと、「嘘をつかないこと、何か純な ものを持ち続けていること」と思います。 また、大濠高校の多くの先生、生徒のお陰で今の私があると思います。特に、亀井先生 は大濠高校時代の恩師のようでもあり、35年間、無事に勤められたのも亀井先生と出会 えたからといっても言い過ぎではないと思います。 九州大谷短期大学でも、同じ学年の仲間に適切なアドバイスをしてもらって支えられて います。さらに、この大谷でも私は、仏教学科の仲間、先生方に恵まれています。 私はお寺出身でありません。僧侶の器かどうかわかりませんが、僧侶の自覚が持てるよ うに日々努力していきたいと思っています。 (2010年7月7日)
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