私は、人の笑顔が好きだ。笑顔を見ると元気が出るし、嬉しくなる。人を笑顔にするた めに、私は人のために何かをしたいと思う。しかし、それはボランティア活動においては、 担任の先生に募集を呼びかけられてから参加するというような受動的なことが多い。日常 生活においては、頭の中で考えているだけで実行することが出来ないままになってしまう ことがよくある。この震災ボランティアに参加すると、大変な経験をした被災地の人々と ふれ合うことが出来る。被災地の人々のために何かをしたいと思うことは勿論だが、参加 することは今の私を変えるきっかけになるのではないかと思った。実際に被災地を訪れて みて、最も心に残ったことは「来てくれてありがとう。 」という言葉だった。私は、福島県 へ行って出会ったどの方からもこの言葉を聞いたような気がする。それを言うときの表情 は、常に笑顔だった。原子力発電所の事故の被害があった川内村の小学生と交流したとき も、子供達は笑顔を見せてくれた。私は、本当に福島県で大きな地震や津波、原子力発電 所の事故があったのだろうかと驚いた。出会う人々が皆、笑顔で元気だったからだ。これ は、東日本大震災の様々な被害を乗り越えようとする被災地の人々の心の強さなのだと感 じた。 テレビや新聞で、震災当時の光景や被災地の人々の現在の様子を見ることは多い。しか し、津波や原子力発電所の被害があった地域の現在の様子を見ることは少ない。被災地の 一つである南相馬市の現地視察では、私はほぼ初めてその光景を見た。津波の被害のあっ た地域には、何も建物が無かった。以前は住宅地や水田だったという場所が、今は野原の ようになっていた。倒壊せずに残っていた家屋がいくつかあったが、家の中はがれきで散 乱していた。まるで、人間が住むずっと昔の時代にタイムスリップしたようだと思った。 対して、原子力発電所の事故があった地域では、家などの建物は何事も無かったように佇 んでいた。しかし、人や動物の姿は全く無く、ただ大地だけが変わることなくその営みを 続けていた。私は、涙が出そうになった。自然の大きさと人間の存在の小ささを実感した のである。二年前までそこで人が生活していたなんて、信じ難い光景だった。被災地の人々 が負った被害や心の傷は、深刻だと思う。しかし、彼らはその困難から逃げずに今も立ち 向かい続けている。 私は弱い。日常生活の中で、嫌だと思うことから逃げることがよくある。私は、対人関 係の築き方や付き合い方が下手だ。今までに対人関係の事でとても悩んだことが何度もあ る。その時、私はそれを相手のせいにすることが多かった。相手が悪いのだと思い込むと、 気持ちが楽になるからだ。苦しい思いをしなくて済む。しかし、それでは問題は解決しな いし、成長もしない。私は、被災地の人々が様々な問題と向き合っている姿を実際に見て、 初めて自分の愚かさに気付いた。被災地には、震災を誰かの責任にすることも出来ずに、 現実を受け入れて頑張っている人が大勢いるのだ。それなのに私は、悩み事などの困難が あると人のせいにして問題と向き合おうとして来なかったのである。 震災ボランティアに参加し、被災地の人々の心の強さを知った。私は、どんなに小さな ことにもきちんと向き合うことが出来る人になりたいと思った。問題に直面した時、自分 の悪いところは何なのか、それをどう改善していけば良いのかを考えられるようにしてい きたい。直面した問題が辛いことであったとしてもそれを乗り越え、成長をして前に進み たいと思う。また、私たちを温かく迎えてくれた人々の優しさに触れ、私は人のために何 かをしたいという思いが強くなった。小さなことでも人のために行動すると温かい気持ち になるし、その人は笑ってくれる。そのことを改めて実感した。これからは、普段から人 のためにしたいと思ったことはすぐ実行するようにしていこうと思う。ボランティア活動 なども自分から情報を探し、積極的に参加していきたい。震災ボランティアでの体験や被 災地の人々との出会いを自分の糧とし、この気持ちをこれからもずっと大切に持ち続けた いと思う。 (千葉県・千葉敬愛高等学校・女子生徒)
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